閑老人のつぶやき 本について8

     1 ルターの人間学 その1

     2 ルターの人間学 その2

     3 ルターの人間学 その3

     4 ルターの人間学 その4

     5 ルターの人間学 付論1

     6 ルターの人間学 付論2

     7 ルターの人間学 付論3

     8 宗教の倒錯 その1

     9 宗教の倒錯 その2

    10 国学者の神信仰 その1

T ルターの人間学 その1

これまで「三つの秩序」、「カール・ヤスパース」、「ユングとキリスト教 その3」などで、人間を三つに区分する思想について考えてきました。それは西洋の伝統的な考え方であると言えますが、宗教改革者マルティン・ルターにも見られることで、そのことを扱った本に、金子晴勇『ルターの人間学』(創文社、1975年)があります。この書物は実に膨大で、その全体を紹介することは手に余る問題です。そこで「人間学的三区分」が取り上げられている第一部第一章を中心に、例によって「書き写すことによる学び」を行ってゆきたいと思います。先ずこの本の内容を簡単に知っておくため「序論」を取り上げ、次に第一部第一章を紹介し、その後で著者の「哲学的問題意識」が論究されている、巻末の「付論」にも目を通す予定です。(なお原注には*を、引用者によるコメントには、それを行う個所に▽、コメントの頭に△を付すことにします。段落全体についてのコメントは、その末尾に▽を置きます。)

序論

宗教改革者マルティン・ルターの思想を、従来なされてきた神学的・教義学的理解の狭い枠から解放し、広く人間学的視点から解釈し直し、今日におけるその実存的意義を解明すべき時にきている(*、▽)。このことを本書は主題としてとりあげ、同時にこれまで未開拓であったルターとアウグスティヌスとの人間学的観点による比較考察を積極的に試みようとしたものである。かかる歴史的考察のみならず、テキストの文脈の中からルターの思想をできるかぎり忠実に捉えようと意図し、とくにルターの人間学で最も重要な「良心」概念を初期から完成期に至る諸著作の検討により解明した特殊研究であるため、結果的にかなり膨大な研究とならざるを得なかった。そこで本書で問題としたことの内容を簡単に述べてから、人間学的方法について私の考えを語っておきたい。

* リンクおよびレーベニッヒはルターと比較してアウグスティヌスにおける「人間学的問題設定」の意義を強調しているが、同様の観点からルターの思想も研究すべきである。W. Link, Das Ringen Luthers um die Freiheit der Theologie von der Philosophie, S. 242; W. von Loewenich, Menschsein und Christensein bei Augustin, S. 32 を参照。

△ 初めに「宗教改革者マルティン・ルターの思想を、従来なされてきた神学的・教義学的理解の狭い枠から解放し、広く人間学的視点から解釈し直し今日におけるその実存的意義を解明すべき時にきている」と書かれています。ここに著者の企図が明確に述べられています。神学的・教義学的理解は「狭い枠」であるとされています。

ルターの人間学の特質を彼自身の思想的発展の中から人間学的根本概念と命題とに従って考察したのが第一部である。まず、人間学の基礎概念として「身体・たましい・霊」の哲学的哲学的人間学の区分と「霊・肉」の神学的人間学の区分をとりあげ、両者の関係を統一的に捉えているルター的人間学の全体的構造を解明し、そこに実存弁証法的モチーフが見られることを指摘した(第一章)(▽)。同様のテーマは内用面から問い直され、内的人間と外的人間の関係について哲学的アプローチと神学的アプローチとの相違をアウグスティヌスとの対比から解明し、ルターにおけるキリスト教的内面性の特質を明らかにした(第二章)。次に、キリスト教的人間学の根本概念に属する「神の像」(imago Dei)の問題を、創造・堕罪・救済という救済史的観点から扱っている『創世記講解』の研究により、現実的経験を明晰化してゆくルターの人間学の具体的姿を究明した(第三章)。さらに、キリスト者の実存的自己理解を端的に示す「義人にして同時に罪人」(simul iustus et peccator)の命題をパウロおよびアウグスティヌスと思想史的に比較して論じた(第四章)。このような宗教改革的人間学が、中世におけるキリスト教的徳性を代表するフミリタス(謙虚)をルターが徹底的に改造することにより、歴史的に成立している事情を終わりに解明した(第五章)。

△ 第一部第一章は次回に取り上げることにします。

ルターの人間学の根本概念である「良心」の特殊研究を行なったのが第二部である。良心概念の中世思想史的背景を顧みたのち(第一章)、中世スコラ哲学の伝統として受容されたシンテレーシス(▽)概念がルターにより結局退けられざるを得なかった事態の意味を問い(第二章)、これに代わって良心概念がルター神学の実存的基底に定着してくる過程(第三章)、および試煉の概念と結合してルター神学がその根本性格を形成する過程(第四章)を初期の代表的諸著作を通して解明した。次に、完成期の『ガラテヤ書講解』(一五三一年)の詳細な分析によってかかるルター神学の性格が検討される(第五章)。ここが本書の主要な部分である。まず、良心概念が他の名詞・動詞・形容詞と結びついて使用されている用例の言語学的分析を行ない、良心の定義、およびその誤った解釈が批判検討されてから(第一節)、良心が試煉概念と結合して現象する試煉の諸形態が詳しく解明される(第二節)。さらに良心の試煉が聖霊と神の言葉によって克服される出来事を言葉の出来事として考察し(第三節)、そこから神の言葉としての教義と良心との実存的相関の問題を提起し(第四節)、そこで明らかにされる教義および良心の弁証法的動態が、「生と死の弁証法」として明確に規定される(第六章)。なお、良心が具体的生活世界の中で如何なる意義をもっているかという論理の問題を考察し(第七章)、社会・道徳・宗教的実存の三領域にまたがって発展するルターの良心論の意義を現代思想に見られる様々な良心理解を通して最後に検討した。

△ Cassell’s English Dictionaryによれば、synteresis(神学用語)は、ギリシア語のsunteresis(注意深く看視すること watching closely)を語源とする言葉で、人が根本的な道徳的判断をなすことを可能にする心(mind)の習慣、良心、後悔(良心の呵責、remorse)を意味します。本書(p. 206)によれば、中世においてシンテレーシスはストア思想に由来する「良心の火花」(scintilla conscientiae)と同一視されていたようです。

付属論文(▽)として加えたものは、アウグスティヌスとルターの比較研究であり、人間学の根底にある基礎経験が如何なるプロセスによって人間学として確立されるかを研究したものであり、本書の研究の前提となっているものである。

△ 付論(付属論文)は最後に取り上げる予定です。なおこのあと「序論」でも、ルター研究との関連で、人間学的方法がかなり丁寧に論じられます。

人間学的方法についてルター研究との関連に限って言及しておきたい。人間学的方法とは人間が自己自身を自覚的に、つまり「生を生そのものから理解する」基本的理念から生じている。かかる理念にもとづきディルタイは生の解釈学的方法を確立した。その際、ディルタイがルターをどのように把握していたかが注目に値する。

「私自身の自覚的生活(Existenz)において宗教的状態を体験する可能性は、たいていの現代人と同様に、私にとっても狭く限られている。しかしながら、私がルターの手紙や著作……を通読するとき、私は爆発的な圧力と、生死を賭けるほどの力とをもった宗教的な出来事を体験するので、かかる出来事はわれわれの時代の人間にとっては、体験可能性の彼岸にあると感じるほどである。……ルターがこの運動の先頭に立って進むとき、われわれは一般的人間的なものから宗教的領域へ、さらにそこからその領域を歴史的に規定しているものを通って彼の個性へと貫いている連関にもとづいて、ルターの発展を体験するのである。かくてこの過程は彼ならびに初期の宗教改革時代の仲間の懐く宗教的世界をわれわれの前に開いてくれる。そしてこの世界こそ、われわれの生きる地平を拡大し、これをほかにしてはわれわれの近づき得ない人間生活の可能性を示してくれる」(*、▽)。

* Wilhelm Dilthey, Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften, Suhrkampf, 1970 S. 266f.

△ 人間が自己自身を自覚的に、つまり「生を生そのものから理解する」基本的理念から、人間学的方法が生じ、そしてそれはディルタイの解釈学的方法に関わっているということが指摘されます。私自身、宗教を「生命論的」に、あるいは「経験論的」に捉え直そうとしてきましたが、哲学的には、それは「解釈学」や「人間学」に関わるものであるということを、ここで改めて確認すべきではないかと思います。

宗教改革の時代は宗教的生命の溢れる時代であったが、今日この生命力は枯渇し、体験不可能な彼岸になっている。しかしディルタイも説いているように歴史的作用連関の中からルターの思想を追体験し、それを理解することにより人間的生の「可能性の広い国土(*1)」に入ることができる。かかるディルタイの生の解釈学を継承し著名な『哲学的人間学』を著わしたグレートイゼンは哲学的人間学を次のように定義している。すなわち、「汝自身を知れというのがすべての哲学的人間学のテーマである。哲学的人間学は自己省察であり、自己自身を捉えようとする人間の絶えず新たになされる試みである(*2)」と。彼はプラトンからモンテーニュに至る多様な人間学的類型および人間についての多様な解釈の歴史的展開を論じているが、このことは人間の自己理解の変遷を物語っている。人間の本質もしくは本性と呼ばれているものは、たしかに常に等しい基本的性質をもっているにしても、これを如何に自覚的にとらえるかは、歴史的状況の変化とともに多様な形態をとっていることは疑い得ない事実である。グレートイゼンは近代の人間学的類型を三つに分け、ルネサンスの神話的人間・ルターの宗教的人間・エラスムスの人文主義的人間について論じている。ルネサンスの人間学は人間とは何かを主題として追究したが、人間が世界に対してもつ役割を神話の中に求めている。「だが、ルターの信仰の中にはもはや神話的宇宙論的思惟が入る余地がなく、すべては人間的生の現実の枠内において生じている(*3)」つまり、人間はもはや人間を超えた一般化された概念や価値からではなく、信じる「われ」として神を所有する。「人間からわれへと道が通じているのではなく、われが最初のものであり、われを補完するものを、人間を世界に結びつける本質規定の中にではなくて、宗教的汝との関連の中に見いだす(*4)」。そこで、信仰によって把握された人間的われの根本性格は、自我が客体として対象的に認識されるものではなく、「純粋に宗教的なわれ(ドイツ語略)」として「神的汝(ドイツ語略)」関係の中に、つまり神に対する人格的信仰関係の中に形成される点に見いだされている(*5、▽)。

*1 W. Dilthey, op. cit., ibid.

*2 Bernhard Groethuysen, Philosophische Anthropologie, 1969/2 S. 3

*3 B. Groethuysen, op. cit., S. 178

*4 B. Groethuysen, op. cit., S. 177

*5 B. Groethuysen, op. cit., ibid.

△ 「ルターの信仰論」でも確認されたことですが、ルターにとっては「わたし」と神との切迫した関係が問題でした。いわばルターは、自他の状況によって、そこまで追い詰められていたと言うべきでしょう。キリスト教的なコンテクストの中でルターがそのように「わたし」の信仰を強調したということは、キリスト教の「実存化」として肯定的な側面を持つと共に、西洋精神史の上では、「教会」と、民衆の神話的民俗的な「精神基盤」とのつながりを絶つという、危険な行為であったと言うこともできます(「ユングとキリスト教 その7」参照)。ルターの信仰は、そのような形でプロテスタントの信仰の典型を形成したと言えます。いわばそこには、制度的に保証された信仰から、主体的信仰への転換がありました(プロテスタントの制度論はカルヴィニズムによって明確になります)。

ルネサンスの人間学においては自己認識が人間の規定をその世界との関係の中で捉えているのに対し、ルターの人間学においては自己認識は神との関係の中での人間の自己認識にほかならない。前者の「宇宙論的人間」(Homo cosmologicus)と後者の「神学的人間」(Homo theologicus)との両者は、自己自身を超えて自己を認識しようと試みる。しかるにエラスムスによって代表される人文主義的人間学においては、人間を自己の在るがままに理解しようとし、自己自身の中にとどまり、人間に固有なものに価値を与えようとする(*)。グレートイゼンが試みた近代的人間学の三類型は全体として極めて適切なものであるといえよう。「生を生そのものから理解する」近代的人間の三つの形はディルタイの生の哲学に立脚した分類であり、しかもルターの人間学を宗教的汝としての神との関係の中での自己認識であると捉えている点は正鵠を射ているといえよう(▽)。

* B. Groethuysen, op. cit., S. 181f.

△ グレートイゼンの「三類型」におけるルターの人間学の捉え方は「正鵠を射ている」と言われるとき、宗教的汝としての神との関係の中での自己認識という思想が、今日なお普遍的であるという暗黙の前提があるように思われます。しかし「神的汝」または「宗教的汝」という思想は、旧約聖書に基づくユダヤ=キリスト教の長い伝統の中で形成された「神観」であり、そのような「人格神」との関わりを、近代人として実存的に深めた人間がルターであったということは言えても、それはあくまでも西洋の近代的人間学の三類型の一つであるということに過ぎません。そこには神信仰をめぐるとても難しい問題があります。つまり、他の二類型(両者には重なっている面があります)、特に人文主義の立場を否定的にのみ評価すべき理由はありません。ルターやカルヴァンなど、改革者たちにも、人文主義的要素(古典的学識)があったのですから、三類型は静的な分類としてではなく、カトリックの動きをも含めて、むしろ動的な緊張関係の中で捉えられるべきものでしょう。類型論は目安であって、図式的思考には限界があります。なお精神史の背景には社会史があるということを忘れることはできません(「精神=社会分析という課題」参照)。

ところでパウル・アルトハウスは『マルティン・ルター』で、ルター神学の人間学的意義を正当にも次のように評価している。

「神学のテーマに関してルターは非常に明瞭に反省していた。神学は神と人間との認識を扱う。したがって、神学は狭義において神学であり、同時に人間学(Anthropologie)である。この両者は分かち難く結びついている。神は人間との関係において、ただこのようにしてのみ正しく認識され、人間は神との関係において、ただこのようにしてのみ正しく認識される。だから、客観的神論も、神関係以外のことを問う人間学も、いずれも問題にならない。関係は双方の側から、つまり人間が罪人であり負目があり破滅しており、神がまさしくこの人間を義とする者で救済者であるということによって、規定されている。人間の罪責と救済というこの最高の実存的なる二重のテーマが神学の対象であって、このこと以外ではない。〈この対象の外側に人が求めるものは神学における誤謬と空談である〉(WA. 40. II, 327. 11)。つまり、神と人間との神学的認識は〈関係的〉(relativ)認識である。すなわち、両者が対向しあう関係(Beziehung)、両者の存在論的でも人格的でもある関係(relatio)の中にある認識である。ルターが神学のテーマはキリストである(WA. TR. Nr, 1868)と語っているときも同じ意味なのである(*)」(▽)。

* Paul Althaus, Die Theologie Martin Luthers, 1962 S. 2ff.

△ 「神は人間との関係において」、「人間は神との関係において」という「関係的認識」の中に留まるということが「キリスト者」であることを意味します。そして神の言である「聖書」が神と人間との関係を媒介します。ここにルター的プロテスタント的問題設定があります。ルターにとって「この対象の外側に人が求めるものは神学における誤謬と空談である」ということになります。

ルターの人間学は神との関係の中で人間が自己を理解することにより成立する。ところで、この神との関係は彼自身の生と実存の苦悩を伴う底知れない深みを」もった体験として表出され、ここにわれわれは引きつけられ魅せられてしまうのである。宗教改革史家ゲルハルト・リッターが主張しているように(*)、ルターに始まる宗教改革の運動は、ルター自身の個人的な宗教体験の底なしの深みから生じたと見るべきである。この体験はあらゆる政治問題と国民的情熱から遥かにかけ離れた領域であって、宗教改革は神学上の教義学的問題や教会制度、また道徳的頽廃などに起因していても、これらは人間的生と実存の内面に生じる緊張が外的に現われた屈折現象にすぎない。変革と激動の時代には、伝統として人間と社会を支配してきた価値原理たる権威が失墜し、その下に安定していた日常的生は震撼され、同時に人間の本性の深底があらわになり、それにかかわる宗教的な力の作用が自覚にもたらされる。文化の根源力としての宗教の意義がこの時発見し直される。ルターが経験したものは神の尊厳と人間の罪深さ、聖なる神の峻厳なる怒りと神の無限なる憐れみという、人間の理性ではきわめ難い矛盾的対立と背理の激しい緊張せる事態である。若き修道僧時代から大学の教師となる期間にルターは自己の善行の功徳をもっても平和を見いだし得ない良心の実存的苦悩に責め苛まれ、自己の罪に絶望するが、「信仰によってのみ」(sola fide)神から授与される「神の受動的義」(iustitia Dei passiva)を発見する。これがいわゆる神の義についての宗教改革的認識であり、かかる体験と認識にもとづいて卓抜せる聖書講解がヴィテンベルク大学で開始され、この基礎の上に立って宗教改革の運動が始動し始める(▽)。

* Gerhard Ritter, Die Weltwirkung der Reformation 1959 邦訳『宗教改革の世界史的影響』(新教出版社)一〇二頁。

△ ルターの青年期の苦悩を心理学的に分析した本として、自己同一性の危機(アイデンティティ・クライシス)という言葉を世に広めた、エリク・エリクソンの『青年ルター』があります。「変革と激動の時代」には、ひとりの人間が火つけ役になるということはよくあることです。歴史的変動の中にはキー・パーソン(市井三郎)が見出されると言うべきかも知れません。ルターはまぎれもなくそのひとりでした。なお、著者の「これらは人間的生と実存の内面に生じる緊張が外的に現われた屈折現象にすぎない」という捉え方は、現存在を「歪み(ゆがみ)」として把握する私の考えに近いものがあります(「本来の面目(世界観的原図式)」、「カール・ヤスパース」など参照)。

ルターの個人的な体験は思想が一定の体系を形成してくる基礎経験ということができる。基礎経験は多くの場合基底の危機の自覚であって、これまで育てられてきた環境世界が実に多くの問題をはらんでいることの認識である。一言でいうなら地盤の喪失の感得であり、ここから世界も自己も問わるべきものとして現われてくるのである。基底の危機はルターにとって信仰義認により克服された。この信仰義認の教義を主張することは伝統的教義体系に対する批判となって展開する思想運動となる。このような思想運動はルター自身の体験の反省を通じて次第に成熟していったのである。このように思想は基礎経験より生じるが、思想と基礎経験を媒介するものこそ人間学である。つまり経験を自覚的に明晰化する人間学的反省が両者を媒介するのである。基礎経験は人間学的反省の媒介により明晰にされ、さらに環境世界に意味あるものとして提起されるため普遍化されて思想へと組織される(*)。したがって、人間学的研究は経験が人間学的自覚の下に思想へと形成される過程を捉え、思想の実存的意義を解明することを主題とするのである。

* 三木清『人間学のマルクス的形態』(全集第三巻、八頁以下)において基礎経験と人間学とイデオロギーの関連が明解に考察されている。「第一次のロゴスは基礎経験をなおそれの直接性に於て表現する。アントロポロギー(人間学)は、最初にそして原始的には、第一次的なるロゴスに属する」。「第二のロゴスを私はイデオロギーの概念をもって総括しよう。それにはあらゆる種類の精神科学あるいは歴史的社会的科学が属する」。「アントロポロギーは、恰もカントのシェマティスムスに於ける時間が直観と範疇とを媒介するように、基礎経験とイデオロギーとを媒介する」。なお、同氏の『哲学的人間学』(全集第十八巻、一二七頁以下)参照。人間学について今日、生物学、医学、心理学、社会科学、教育学等からも探究されており、現代の人間学は文化を創造する人間的生のすべての表現にまで拡大されている。この意味での人間学は人間の科学であり、その成果をとり入れた人間学は諸学の総合的人間学となっている。しかし、元来反省的である哲学の下に立つ人間学は人間の主体的な自覚において成立している。それゆえ、先に述べたグレートイゼンやマックス・シェーラー以来、哲学的人間学は人間の自己理解に基づいて、人間の体験・思惟・行為の生じる最深の核として「自己」を捉えようとする。したがってこの意味での「自己」はキルケゴールの名付けた「実存」と同義であるといえるであろう(▽)。

△ ここで著者の「人間学」の構想が三木清のそれを参照しているということが明記されています。その具体的展開の一例を、アウグスティヌスとルターとの比較考察がなされる、「付論 宗教的基礎経験の意義について」で見ることができます。

ルター自身は体系的に思想を叙述する思想家ではない。人間学に関しても体系的に語っていない。唯一の例外は『人間についての討論』(一五三六年)であるが、これは討論のために作成された短い命題集である。ルターの人間学の豊かな学問的内容は他の諸著作によって解明しなければならなかった。また、ルターのような体系的でない思想家の場合には多数の著作からルターの言葉を集めて組織的に叙述することは非常に困難であって、成功の見込みがないように思われる。そこで私は個々の著作の生命的統一性を念頭において解明しながら、著作に反復して現われる主題の下に彼の思想の全体的構造を明確にしようと試みた。したがって人間学的主題が明らかに現われている著作を選択して考察したわけであり、初期の聖書講解でもかかる主題の現われている部分をとりあげ、その部分と講解全体との関係にもできるかぎり言及したはずである。第二部での良心概念の特殊研究の場合でも事情は同じであるが、この概念がルター神学の根本概念である律法と福音とに相関する関係の中で把握されるものであるため、ルターの完成期の代表的著作『ガラテヤ書講解』(一五三一年)が選ばれているのである。この講解は一五三一年に行なわれたレーラーの筆記の部分と一五三五年の印刷の部分とに分けられ、ワイマール版では対照しながら収められている。印刷の部分は早くから近代語訳もあり、ラテン文も読み易いが、筆記の部分は文章自体が不完全であり、ラテン語とルター時代のドイツ語が混入しているため難解であるが、ルターの肉声に触れるような感動が伝わってきて全く魅せられる感が深い。印刷の部分はルター自身が校訂しているのにもかかわらず、メランヒトンの弟子たちの手が加わっているとの批判があるので、本書では筆記の部分を主とし、印刷の部分は補説的に使用することにした(▽)。

△ いわゆる「神学者」ではない、京都大学哲学科(宗教哲学専攻)の出身である著者が、このように本格的にルターの著作に取り組んでいるということに、重要な意義があります。『ルターの人間学』という著述がなされた所以もここにあるでしょう。

このようにして人間学の主題にとって重要な作品をルターの多数の著作から私は選んだ。初期の聖書講解(とくに『第一回詩篇講解』と『ローマ書講解』)、一五二〇年前後の文書、完成期の聖書講解(『ガラテヤ書講解』、『詩篇第九十篇の講解』、『創世記講解』)を主な研究対象として扱った。私が採った研究方法では著作を限定せざるを得なかったのであるが、聖書講解は高度の学問的水準を示すものであり、彼の思想を理解するのに不可欠であると考えている。『奴隷意志論』に何度か言及したが、今回はこの書物を主題と関連して解明することができなかった。もしそうしたならば余りにも膨大なものになっていたであろう。なお、ラテン語とドイツ語の原典の引用は最小限にとどめた。ワイマール版も普及しているので、出典箇所を明記しておくだけで、研究者は原典に当たることができると考えたからである(▽)。

△ こうして本書の概要が明らかにされます。本文が576ページ、人名索引、事項索引、資料と参考文献の部分が20ページと、『奴隷意志論』が主題との関連で論じられていなくても、既に膨大な研究書であるこの本は、「あとがき」によれば、過去十年間以上のルター研究の成果として上梓されたものです。


U ルターの人間学 その2

ここからは「第一部 ルターの人間学の特質」の「第一章 哲学的人間学と神学的人間学――人間学的区分の問題を中心にして――」の各節を取り上げます。

第一節 キリスト者の存在に関する対立的規定と人間学的区分の問題

ルターの人間観について最も簡潔にしかも極めて力強く説かれているのは『キリスト者の自由』(Von der Freiheit eines Christenmenschen, 1520)という小冊子である。ルターはこの書物の冒頭において「キリスト教的人間とは何か、またキリストが彼のために獲得し与えたもうた自由とはいかなるものであるか」(WA. 7, 20, 25ff.)を問い、自由と奉仕という矛盾的に対立する諸規定を統一する弁証法を展開している。この対立は次の二命題に示される。

「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、誰にも従属しない」。

「キリスト者はすべてのものに奉仕する奴隷であって誰にも従属する」(ibid., 21, 1ff.)。

この自由と奉仕の矛盾的対立規定、もしくは主人と奴隷の弁証法(*)は形式的には人間学的構成に属している諸概念を手がかりとして解明されている。したがって、われわれはルターの人間観が人間学的諸概念によって学問的に構成され、展開されていることに着目し、そこに如何なる問題が横たわっているかを先ず考察してみたい。

* 主人と奴隷の弁証法はヘーゲルの『精神現象学』における有名な叙述であるが、ルターの最も著名な書物の主題もこれと同じである。ヘーゲルでは自己意識の在り方が最も悪しき仕方で現象した場合に古代奴隷制社会の姿をとると見ているが、ルターの場合は神と世界の間に立つ実存の姿として解明される。その際、対立的諸規定を通して弁証法的に思惟することはルターにおいても著しい特徴となっている。この点をエーベリンクが指摘している。G. Ebeling, Luther. Einführung in sein Denken, 1960, S. 157ff. 参照。神学者としてルターはこの対立的規定による思考を律法と福音の関係において特に集中的に論じているが、かかる神学的思惟の根底には実存の弁証法が形成されていると思う。私は人間学的アプローチを試みながらかかる弁証法的思惟を本書では到るところで究明したが、最終的には「生と死の弁証法」の章において明確にしようとした(▽)。

△ ここではルターにおける人間の生の聖書的キリスト教的(神学的)な把握が問われています。しかしそれはルターが置かれたコンテクストであって、今日の我々からすれば、それに対して著者と同様「人間学的アプローチ」を試みるほかはないように思われます。なお、ここで実存の弁証法という言葉が使われていますが、当然それはキェルケゴールが登場した後に使われるようになった言葉です(ヘルマン・ディーム著『キェルケゴールの実存弁証法』佐々木・大谷訳、創言社、1969年、という本があります)。私としては、西田幾多郎の言葉を使って、矛盾的自己同一(contradictory identity)の事態としてルターの対立的二命題を捉えてみることに興味を持ちます。しかし、それはエリク・エリクソンの言う「自己同一性の危機(identity crisis)」の信仰による解決ということを示唆するものでもあります。誰にも従属しない(自由)、しかし誰にも従属する(奉仕)という、帰属から自由なあり方を、ルターは信仰において見出したということでしょう。

ルターは人間が「霊的と身体的との二様の本性」(ルターのドイツ語略―WA. 7, 21, 13)から成ると語って、霊と身体との二区分を挙げている。この二区分は「本性」(natur)による区分である。『マグニフィカート』(Das Magnificat, verdeutschet und ausgelegt, 1520-21)では「本性」と「属性」(eygenschaff)とは原理的に区別され、前者が人間の自然的本性を意味するのに対し、後者はかかる本性が全体的に道徳上いかに用いられるかによって決定される性質を意味していると明瞭に説かれている(WA. 7, 550, 24ff.)。それゆえ、この「霊的と身体的」を「霊的と肉的」というように訳すことは明らかに誤りであり、ルターが説いている人間学的区分についての範疇を混乱させるものであると考えられる(*)。霊と身体はたましい(seele)とともに人間の自然本性に属するゆえに、かかる区分は哲学的人間学に属し、霊と肉の区分は神に対する人間の道徳的宗教的関係から形成されるものであり、霊と身体とをもつ人間の全体の全体の性質による区分であって、神学的人間学に属する。ルターは『キリスト者の自由』で霊を「たましい」といいかえ、身体を「血肉」といいかえて次のように述べている。「たましいの面から見れば彼は霊的な、新しい、内的な人間と呼ばれ、血肉の面から見れば身体的な、古い、外的な人間と呼ばれる」(ルターのドイツ語略―WA. 7, 21. 13ff.)と。この文章は非常に理解しにくいものである。まず、「たましい」と「身体」という本性的区分に、「血肉」という「肉」(fleysch)の性質規定が入り込んで「身体」と「肉」とが同義的に用いられるために、範疇の混乱が見られる。次に、「霊的な、新しい、内的」と「身体的、古い、外的」という対立する性質規定は「本性」の範疇に属するのか、それとも「属性」の範疇に属するのかが不明瞭であるが、「霊と肉」という「属性」に入る区分はたましいと身体とを含めた全体的人間の規定区分であるからして、この区分をこの文章に適用することは少なくとも不可能である。しかし「新しい」と「古い」とをたましいと身体に一体適用し得るであろうかとの疑問も出てくる。ところが、『キリスト者の自由』の本論においてルターは「内的な霊的人間」が信仰により如何に義とされ、自由な主人であるかを考察したのちに「外的な身体的人間」が愛により如何にわざにはげみ、奉仕する僕であるかを考察している。そして霊において「新しく」なったたましいが、「古い」身体を訓練して愛のわざにいそしむべきことが説かれているのであるから、先の文章は本性上の区分を示していると見なければならないであろう。

* 藤田孫太郎訳『キリスト者の自由』(ルター選集U 新教出版社)と塩谷饒訳(世界の名著『ルター』中央公論社)は「身体的」を「肉的」と訳しているが、石原謙訳(岩波文庫)は「身体的」と原語に即して訳出している。私は石原訳の直訳が正しいと思う。前者のように訳すことも解釈が加わっており意義があるが、それにはその解釈を裏付ける根拠が示されなければならないであろう。私はこのように訳すことは間違いであると思う。

このように見てみるとルターの人間学的概念が単純には理解できないものであることが判明する。とくに「霊と身体」の区分と「霊と肉」の区分との相違がかならずしも明瞭でなく、同一の概念が哲学的人間学の区分に入るのかそれとも神学的人間学の区分に入るのか不明であるし、身体と肉との区別も用語上厳密ではない。そこで、われわれは人間学的区分の問題を最初にとりあげ、ルターにおける哲学的人間学と神学的人間学との関係を解明すべく試みたい(▽)。

△ ルターの人間学の用語が範疇的に錯綜していて、整理しにくいということが指摘されます。しかし問題は「霊・たましい・身体」という哲学的(本性的)区分と、「霊と肉」という神学的(属性的)区分にまたがっているということが、既に示唆されています。またこれに「新しい、内的人間」と「古い、外的人間」という区分がつけ加わります。

パウル・ヴェルンレは、ルターが『キリスト者の自由』において採用した方法そのものに批判的である。自由と奉仕の矛盾が霊的本性と身体的本性とによって解消されているが、「ルターはすでにローマ署講解でこのように考えていた。問題となる点は人間をこのように二分することが事態的に是認されるかどうか、すなわち、内的なものと外的なものとをこのように鋭く分けることは無謀な作為ではなかろうかということである(*1)」。ヴェルンレは外的なことは一切たましいの自由に無関係であるとルターが説いているのは余りにストア的であり、外的わざを一切無意味であると見てカトリシズムを批判するのはラディカルな内面性の立場であると言う。このルター批判は、ルターの人間学における根本概念である「内的人間」と「外的人間」の問題に向けられている(*2)。われわれは人間学的区分の問題を考察することによってヴェルンレの批判が必ずしも正当なものではないことを明らかにすることができると思う。そこで自由と奉仕の矛盾という『キリスト者の自由』の主題が『ローマ書講解』(一五一五〜一六年)でどのように解かれ、これと関連して人間学的区分が如何に扱われているかという問題からわれわれは解明しなければならない。

*1 Paul Wernle, Der evangelische Glaube I. Luther, S. 82, 同様の批判は Rudolf Otto, Sünde und Urschuld, S. 14 でもなされている。

*2 本書第一部第二章でこの問題は考察されている。

第二節 『ローマ書講解』における人間学的三区分

ローマ書第十三章一節の「すべての人は上に立つ権威に服従すべきである」というパウロの言葉で「すべての人」(omnis homo)というべきところがラテン語の聖書では「すべてのたましい」(omnis anima)と訳されている。ルターはこのanima概念をオリゲネスとヒエロニムス以来伝統となっている定式に関係させ、人間学的考察をなしつつキリスト者の自由を説こうと試みている。ここに『キリスト者の自由』で提出した人間学的概念による解明と同一の試みがすでになされていることをわれわれは見いだす。

「たましいは身体と霊との間の中間である(Anima est medium inter corpus et spiritum)。だから信仰者は同時にかつ決定的に(simul et semel)すべてのものの上に高められていて、しかもすべてのものに服従していることを示すことになる。またキリストと同様にキリスト者は二重の本性のものとして自己の内に二つの形をもっている。つまり霊によればすべてのものの上に立つ。……なぜなら信仰者は信仰によりこれらすべてのものを自分に服従させるからである。すなわちすべてのものにより影響されず、それに信頼しないで、むしろそれらを強いて自分に奉仕させ栄誉と福祉に導く。これが神に奉仕すること、また支配することであり、霊的支配である。……それゆえ信仰者の霊は誰にも服従していないで、キリストとともに神の中に高められている。……〈たましい〉とは人間の霊と同じであるが(‘Anima’, que est idem spiritus hominis)、感覚的なものとこの世的なものに満たされて生きかつ働くかぎり、〈人間によって造られたすべてのものにも神のために服従し〉なければならない(ペテロ前二の十三)。たましいはその服従により神に従い、神とともに同じことを意志する」(WA. 56, 476, 1ff.)(▽)。

△ ここでは人間の「本性的区分」が問題にされています。そして霊における支配(神に奉仕すること)と、たましいにおける服従が説かれています。

たましいが霊と身体との中間にあると見る考えは神父プラトン主義の存在段階説(ヌース・プシュケー・ソーマ)を想起させるけれども、人間を三つの実体に分けて考えているのではなく、たましいがsimul et semelに二つの領域にまたがって生き、決して第三者的中間者ではない。神への信仰によりすべてのものを支配すると同時にたましいは人間の霊としてすべてのものに服従する、かくて神との一致が守られる。この支配と服従、したがって自由な主人と奉仕する僕との対立する弁証法的規定はsecundum spiritum(霊の面)とsecundum corpus(身体の面)によってここでも考察されている。この霊の面から見られた場合、霊は神への信仰により意味内容が与えられており、他方身体も神の意志との合致により強く肯定されている。したがって霊は神との関係においてどこまでも人格的に解され、実体的に神と合一するのでもなく、身体も汚れたものとして排斥されていないので、新プラトン主義的な禁欲思想と神秘思想は見当たらない。また多く引用されている〈キリストとともに神の中に〉(コロサイ三の三)とのルター特愛の聖句も、隠れてはいるが信仰の力強い霊的働きと高揚を意味している(*、▽)。

* 「霊」(spiritus)が実体的にではなく、信仰により神の方に高まるものと見られ、「身体」(corpus)も神の意志との一致により肯定されている。また超時間的で禁欲的神秘主義による現世否定は姿を消している。両者の中間にある「たましい」(anima)は「霊」と「身体」の総合ではなく、二つの世界にまたがって働いている。

△ ヌース・プシュケー・ソーマというギリシア語は、そのまま「霊・たましい・身体」と訳すことも可能でしょう。しかし著者は、ルターの人間学的区分は、新プラトン主義のように「存在段階的」に実体に分けて考えられているのではないと言います。「キリストとともに神の中に」あるとき、初めて人間は霊において「すべてのものを支配する」と同時に、たましいにおいて「すべてのものに服従する」動的弁証法的な生き方を可能とされると言われます。そしてそれは「霊・たましい・身体」のすべてが、すなわち人間の全体が神によって生かされることを意味するのだと言われています。

ルターは霊・たましい・身体(spiritus, anima, corpus)の伝統的三区分に従っているけれども、中間のたましいをそのものとして実体的に見ないで他の二者に向かう方向性において捉え、しかも神との関係的作用面から内容的規定を与えている。前の引用文に続いてルターは次のようにこの三者の関係を結論的に述べている。「だから私が語ったように、人間には身体とたましいと霊との三肢(tria)ある。たましいが同意し意志し、すべてのものの上に立つ霊が命じることによってそれは行なわれる」(WA. 56, 480, 18ff.)。したがってルターは霊・たましい・身体という伝統的三区分法を形式的に用いながら、同時に神と世界に対する自覚的関係から内容的に規定しようと試みている。この両者は相互に影響し合ってルターの人間学の特質を形成しているといえよう(▽)。

△ 「この両者」とあるのは、伝統的三区分法を「形式的」に用いるということと、それを神と世界にたいする自覚的関係から「内容的」に規定するという、二つのことを言っているのでしょう。ルターは伝統的三区分法に「神との関係的作用面から内容的規定を与えている」と指摘されています。

霊・たましい・身体の三肢はすでに説かれたように「たましいは人間の霊と同じである」からして、人間の霊と人間の身体との、したがって霊と身体との二区分と見ることは可能であり、『キリスト者の自由』においては、この二区分に従って自由と奉仕との対立する二原則が解明されたのであると考えられる。しかも、この二区分が神との人格的関係である信仰と世界(隣人)に対する人格的関係である愛とから内容的規定を受けることによって、心霊(たましい)において「霊的、新しい、内的な人間」と血肉において「身体的、古い、外的人間」との二区分が述べられ、神と世界との間に立つ人間の実存の全体が論じられているのである(▽)。

△ この説明でも、なお釈然としないものが残ります。ここには著者のルター解釈があるのですが、何かすっきりしないものを感じます。ルターの(錯綜した)表現という文脈を離れて、ここに何を読み取れるかということを考えてみます。すると、神において新しくされた人間のあり方を「実存」(霊的、新しい、内的な人間)と言い、神との「関係的作用的」生という自覚を持たないあり方を「現存在」(身体的、古い、外的人間)と言うことが可能ではないかと思います。その場合にも、現存在は単に身体的存在なのではなく、「霊・たましい・身体」において存在しているのですが、その全体がまだ神との関係的作用面に生かされていない、古いあり方をしていると考えることができるでしょう。実存において自由にされた人間は、同時に現存在において奉仕することが求められます。地上にあって生きる限り、人間は外的身体的存在、現存在であることを免れません。そこに服従というテーマが生じてきます。自由と奉仕の弁証法とは、神との関係における人間のこのような二重性の表現であると考えることもできます(「カール・ヤスパース」参照)。なお、八木誠一氏が考えるように、自己(実存)・自我(現存在)の関係として、このルター的弁証法を考えてみることもできるでしょう(「自己・自我・インマヌエル」参照)。

われわれは自由と奉仕もしくは主人と奴隷の弁証法的規定においてルターが人間を捉えそれが人間学的区分によって解明されていることを考察したのであるが、これまでのところでは霊と身体との中間に立つたましいがたんに指摘されたのにすぎず、「たましい」についてルターが具体的に如何に考えていたかは解明されていない。この点に関して『第一回詩篇講解』(Dictata super Psalterium, 1513-16)に述べられている所論を通して考察してみたい。

第三節 『第一回詩篇講解』における人間についての三解釈と三区分の問題

初期ルターの神学は「神の義」(iustitia Dei)に関する新しい認識にもとづいて確立されるのであるが、『第一回詩篇講解』のテキストの中にかかる認識が現われているか否かについて今日においてもなお論争が続いている(*)。したがって、われわれがここで考察しようとしている「たましい」(anima)の概念にしても多くの対立する解釈が提出されていることも当然のことである。私は現在も有力であると思われる三つの解釈を紹介し、人間学的区分を理解するために必要な点を考察してみたい。

* Heinrich Bornkamm, Zur Frage der iustitia Dei beim jungen Luther, 1961-62, in; Der Durchbruch der reformatorischer Erkenntnis bei Luther 1968, S. 289-383, これが今日最もすぐれた研究であり、この問題について多くの見解がよくまとめられて報告されている。

(1) 新プラトン主義的解釈。フンジンガーの『ルター研究』第一巻は『一五一三〜一六年の詩篇講解におけるルターの新プラトン主義』(Luthers Neuplatonisimus in Psalmenvorlesung von 1513-1516)という標題をかかげ、この講解に見られる多様なる対立関係を示す二元論は新プラトン主義の存在論を前提していることの中に解明されている。特に詩篇一二一篇第一節の講解に依って次のように自分の立場を述べている。「このような区別から明らかになることは可視的事物と不可視的事物との間のルターにとり決定的なる対立には存在論的要素が根底に横たわっており、しかもプラトン的な、あるいはむしろ新プラトン的な性質の存在概念が存在していることである。それによればすべて真なる存在の尺度は普遍性、統一、単純性、非分割性、恒常普遍性の原理におかれている(*1)」。かかる存在論における人間の存在は叡知的世界と感性的世界とにまたがる二つの部分に分割される。彼はこの点を次のように語っている。「人間は二重の生をいとなむように罰せられている。自己の存在の一部分をもって感覚的世界に全く制約され、感覚的世界と交渉するように自己が向けられているのを知る。否、感覚的世界に離れがたく結び付けられているのを知り、他方の部分をもって叡知的世界との関係に決定的に立っている(*2)」と。しかしフンジンガーの主張はルターのテキストの正しい解釈にもとづいているとはいえず、現世的事物に対して信仰のもたらす善が他者との争いを生み出さすことなく、共通に使用され享受されうることをアウグスティヌス的に説いているのである。だが人間の「たましい」が二つに分けられてヌース・プシュケー・ソーマの新プラトン主義的流出説が見られることは事実である。ヌースとプシュケーにたましいが分けられていないで、ルターが「たましい」の全体性を説いている(*3)と主張する者もいるが、プロティヌスにおいても、後にアウグスティヌスにおいても、たましいは全体として遍在することが説かれているのであるから、彼の主張は妥当するとは言えない(*4)。新プラトン主義的思想は現世を永遠の影絵と見ている点、すなわち「かの創造の全体は移ろい行くものであり、永遠にして恒常不変なるものの徴表である」(WA. 3, 358, 20f.)という主張や、キリストを万物の目的また中心と見て「在りて在る者」(iste est, qui est……ibid., 22f.)と語る場合、さらに身体をたましいの重荷と見て、「身体はたましいを抑圧する龍であり、罪と多くの汚れに満ちている」(WA. 3, 617, 15f.)などの表現に見られる(▽)。

*1 A. W. Hunzinger, Lutherstudien, Erstes Heft, Luthers Neuplatonismus in der Psalmenvorlesung von 1513-1516, S. 7

*2 A. W. Hunzinger, op. cit., S. 18

*3 Steven E. Ozment, Homo Spiritualis. A comparative Study of the Anthropology of J. Tauler, J. Gerson and M. Luther in the context of their theological Thought, p. 93

*4 たとえば De Genesi ad literam, VII, c. 13, n. 17, De immortalitate animae, c. 16, n. 25, Plotinos, Enn., IV, 2, 1

△ ルターには新プラトン主義的要素があるのを否定し得ないということでしょう。

さて新プラトン主義は汎神論であり、たましいが自己のヌースの根底において一者に合一することを説くものであり、神と人間との質的差異と絶対的隔絶を主張するキリスト教とは明らかに異なる。この詩篇講解における神の審判と神の義の主張は神の前における罪の自覚と謙虚なる信仰を積極的に語っていて、新プラトン主義の存在論と霊懇説は全体としては妥当しないといえよう(▽)。

△ たとえルターの思想に新プラトン主義的要素があったとしても、それは部分的傾向であって、全体としてはキリスト教の神観に基づいているということでしょう。

(2) 実存論的解釈。エーベリンクにより始まる新しいルター希釈は新プラトン主義的な形而上学的二元論を拒否し、神の前における実存の対立する可能性としてこれを捉えようとする。エーベリンクは存在論的二元論と純粋に精神的な内面性がルターに見当たらないことを解明してフンジンガーの所論を批判している(*1)。エーベリンクは自己の立場を次のように要約している。「そこから明らかになることは事実ルターの神学的思惟が非凡なる仕方で実存的に遂行された思惟であること、そして詩篇講解を支配している二元論は神と人間との間の関係に的中しているものであって、神と人間とを単純に静態的に相互に対立させるものではなくて、神と人間との間の関係が二つの対立した在り方をもっているのを発見しているということである(*2)」。またわれわれが問題にしているたましいと身体に関しても悪魔のわざとしての肉と神のわざとしての霊との対立はグノーシス的・マニ教的二元論の印象を受けるが、肉を身体と同一視し悪魔のわざと見るのはルターの考えではなく、パウロ的霊と肉の理解に従っているのであるから、「存在論的な静態的なる対立ではなくて、同一の全体的人間の二つの実存の可能性の対立(ドイツ語略)が考えられている(*3)」と主張する(傍点、引用文は下線、エーベリンク)。このエーベリンクの立場はハイデガーの非本来的存在と本来的存在とへのその都度の決断としての「各自性」(Jemeinigkeit)という実存範に従う実存論的解釈学をよく表わしていると思われる。

*1 Gerhard Ebeling, Die Anfange von Luthers Hermeneutik, in; Lutherstudien BD. I, S. 20

*2 G. Ebeling, op. cit., S. 27

*3 G. Ebeling, op. cit., ibid.

エーベリンクの実存論的解釈学はルターの霊(spiritus)概念の理解においても神と人間との二つの次元が関係する神的―人間的原理としてこれを解釈しようと試みている。「だが圧倒的多数の事例の中で、霊は神の御霊によって照明された人間の霊である。すなわち神に基づいて達成された人間の自己理解、かかる者として自己を了解している神の前での実存である(*1)」。彼はルターがDuo sunt in homine, spiritus et caro.WA. 4, 109, 13f.)と人間学的カテゴリーにおいて霊を理解しているのを認めながら、霊を神の御霊と理解している場合を重視し、人間の霊と神の霊とがからみ合う神的・人間的原理として霊を捉えようとする。かかるルター解釈はラインハルト・シュワルツ(*2)やカトリックのルター学者アルベルト・ブランデンブルク(*3)によっても行なわれているが、最近ではツアミューレンのNos extra nosという標題をもつ研究によって継承されている(*4)。ツアミューレンの場合、神学的・実論論的立場が形而上学的心理学的立場と対立させられ、ルターにおける形状上学的要素のみならず一般的な人間学的要素も否定され、実存論的にのみ理解された人間学が説かれている(▽)。

*1 G. Ebeling, op. cit., S. 39

*2 R. Schwarz, Fides, Spes und Caritas beim jungen Luther, 1962

*3 Albert Brandenburg, Gericht und Evangelium. Zur Worttheologie in Luthers erster Psalmenvorlesung, 1960

*4 K. H. Zur Mühlen, Nos extra nos. Luthers Thologie zwischen Mystik und Scholastik, 1972

△ 霊を実存論的に把握するという試みは、先述した意味で、私にとっても興味深いものがあります。

(3) 人間学的解釈。スティーヴン・オズメントはエーベリンクの実存論的解釈を批判し、霊的なる解釈の危険は神学と人間学の次元を過度に入り込ませ明白な人間学的意味を失い、タウラーのSeelengrundGemütとルターの霊との区別が不明になることであると説いている(*1)。彼はとくにシンテレーシスに関して究明し、「人間学のレベルに現われる問題は神学者の思想の全射程が見られる鏡である」と述べている(*2)。また、たましい(anima)の概念は霊(spiritus)精神(mens)心(cor)良心(conscientia)と平行しており、少なくとも相互的な作用関係の中で捉えられていて、これらの概念により人間の生と活動が表明される、すぐれて人間学的な概念であるという。これらの概念は神の言葉と信仰により聖霊の働きの授けによって可能な限り神に近づけられているけれども、それ自体としては「人間としての人間」(human being qua human being; man as man)を示すと彼は主張する(*3)。

*1 Steven E. Ozment, Homo Spiritualis. A comparative Study of the Anthropology of J. Tauler, J. Gerson and M. Luther in the context of their theological Thought, p. 95

*2 S. E. Ozment, op. cit., p. 143

*3 S. E. Ozment, op. cit., p. 95

オズメントはたましいの特質を次の三つの点に見ている。(一)、人間はたましいのゆえに天的であるが、この天上的本性は当為(debere)の命法に結びついている。たとえば「たましいは天上的善を追求すべきである」(WA. 4, 447, 18f.)と述べられている。したがって、たましいの霊的天上的性質は内在的本性から導きだされず、存在論的状態ではなく、たましいの目的に関連して語られている。(二)、たましいの尊厳と不滅性とは神の約束との関連の中で考察されている。神が住居をたましいの中に見るのは、たましいの主張する長所によるのではなく、そこに住まいたもうと語る神の約束との文脈の中に見いだされる。(三)、たましいがすべての被造物が向かう虚無性を越えて存続するのはキリストに対する信仰による。信仰によって神の言葉はたましいのものとなる。以上三つのたましいの資質はcorconscientiaにおいても見られる(*)。

* S. E. Ozment, op. cit., p. 96ff.

『第一回詩篇講解』において以上のような三つの対立する解釈を挙げたのは、この講解におけるルターの思想が宗教改革的認識の生成過程において流動的でありかつ発展的であるため、如何にそれを理解すべきか非常に困難であるからである。したがって人間学的区分の問題においてもいまだ明確な思想は表明されていないと思われる(▽)。

△ 新プラトン主義的、実存論的、および人間学的なルター解釈が、『第一回詩篇講解』をめぐってなされている限り、ルターの人間学的三区分の思想は、まだ明確な形を現わして来ないということでしょう。

霊・たましい・身体の三区分に関してルターが語っているテキストも様々に解釈されうる。たとえば詩篇七七(七八)篇六六節の講解において「主がその敵の背中を打ち給うた」をルターはアレゴリカルに解釈し、「背中を打った」というのは「彼らを主が時間的なもの(temporalia)において苦しめたときである」と解釈し、時間的なものと永遠的なものに関わる人間の存在を人間学的区分において次のように述べている、「確かに霊の中で背後にあるものは身体自身であり、前にあるものはたましい自身である。……第二に時間的なもの自身があるが、そこへ向かうのはわれわれの後ろにあるもの、明らかに身体であり、永遠なもの自身はわれわれの前にあって、そこへ向かうのはわれわれの前にあるもの、明らかに御霊である」(WA. 3, 596, 23ff.)。ルターはここで霊としての人間の前後にたましいと身体を分け、それぞれが永遠の生と時間的現存在に関連していることを説いている。たましいと身体とは新プラトン主義的に上下の関係として捉えられていない。その関係は前後のカテゴリーによる二肢的構成であるが、この構成の基底は霊であり、この霊を前向きに永遠の生にかかわらしめるのは御霊である。人間の霊を永遠の生に導くのは神の霊であり、時間的現存在たらしめているのは身体である。二つの目的に連関するものとして霊と身体が考えられている点にルターの人間学の根本的モチーフが示されている(▽)。

△ 神の霊(みたま)、霊(←)、たましい(←・→)、身体(→)と図式化すれば、身体は神の霊を知らず、人間を時間的現存在に繋ぎとめているものと理解されているということでしょう。たましいが「前」に向かうだけでなく、「後ろ」に向かうこともあるということは、既に指摘されています。「二つの目的に連関するものとして霊と身体が考えられている点にルターの人間学の根本的モチーフが示されている」という示唆は、この区分が静態的なものではないということを意味するでしょう。

詩篇一〇三(一〇四)篇三節の講解では人間学的区分は上下の関係で示されている。「天を幕のように張り、水の上におのが高所を置き」という聖書の言葉をルターはアレゴリカルに解釈し、天の上なる水は上から注がれる福音であり、聖書を文字や律法として捉える者は下の地上にとどまり、天を下の領域を閉ざす天蓋としてのみ見る。したがって律法をresと見て、signumとして地上の生に関係している言葉と解さないから天空の上なる水に触れることがない。だが神の言葉を霊的に理解する者は、将来のものの徴表として律法を捉えるから、キリストによって永遠なるものを見、福音に触れ、天空は空虚な幕となり、キリストに属する天国の民の霊的生活にまで高められる。ルターは天空の上下にあるものを人間自身に関係づけて、人間学的三区分を語っている。すなわち、「霊とは人間の上なるものであるが、肉は現世における人間の下なるものである。このようにしてほかならぬ理性的人間、もしくはたましいの面から見た人間は〈水と水との間の天空〉である(それは肉の知恵と霊との間に存在する)。だがもし霊の知恵に向かうならば、自己の上なる水によって覆われている」(WA. 4, 175, 14ff.)。ルターは身体(corpus)の代わりに肉(caro)を用い、上なる霊と下なる肉の中間に理性的人間なるたましいを置いている。人間は上下の生の領域にまたがる存在者であり、現世において肉にあって生きているが、自己閉鎖的なものであってはならず、霊の知恵を求めて歩むべきであると考えられている(*、▽)。

* 『第一回詩篇講解』の三区分はヨストの指摘に従っている。Wilfried Joest, Ontologie der Person bei Luther, S. 166ff.

△ ルターは詩篇をアレゴリカル(寓喩的)に解釈し、聖書の言葉が地上の生に関係しているのは、あくまでも「徴(しるし、signum)」としてであって、その真意は霊的に解することによって把握される、と主張しました。言葉がモノ(res)として扱われ、地上の生に限定して理解される限り、人間の心の真実が伝わらず、精神生活はきわめて貧しいものになるという意味では、確かにその通りだと思われます。

さて、人間学的区分を示す二つのテキストの背後にあるルターの思想は先に述べた三つの解釈がいずれも当てはまる要素をもっていることが分かる。時間的なるもの(temporalia)と霊的にして永遠なるもの(spiritualia, aeterna)とが存在論的に前提されている点から見れば新プラトン主義的であり、たましいが時間的なものから永遠へと転向する観点は禁欲主義的である。しかし、ルターの中心は神と人間との関係におかれていて、しかも神の霊の導きの下に人間の霊が永遠の生を志向するのであるから、実存論的解釈は妥当するが、他方、たましいの理解においても理性的人間としての人間が意識されているので、人間学的解釈も可能となるであろう。だが理性的要素は余り重要な意味内容がここでは与えられていないし、「身体」(corpus)と「肉」(caro)の明確なる区別も現われず、たましいの中間的在り方も全体としては十分に強調されていないので、三つの解釈の中どれが最も正当なものであるかは断定できない。

われわれはルターの人間学的区分の問題を『キリスト者の自由』から出発し、同じ自由と奉仕の主題を扱った『ローマ書講解』にさかのぼり、さらにたましいをいかに理解すべきかと問うて『第一回詩篇講解』をとりあげて見たが、いまだルターの思想を明確に把握するに至っていない。そこで『ローマ書講解』の中頃にルターが読み始めたと推定されるタウラーの説教集に書き込んだ欄外覚え書に見られる人間学的三区分を考察し、神秘主義の影響をルターが強く受けていながらも、なおそれを克服して行く過程を『ヘブル書講解』で解明し、人間学的区分を最も明確に語っている『マグニフィカート』をとりあげることにしたい(▽)。

▽ この第一章は、あと回にわけて続ける予定です。人間学的三区分についてのルターの思想を探り出すということは大変な作業であることがわかります。


V ルターの人間学 その3

第四節 タウラーの説教集への欄外覚え書における人間学的三区分

タウラーの説教集に付した欄外覚え書に見られる人間学的三区分は霊・たましい・身体という三肢とは異なり、たましいの作用についての三肢の構造であって、感覚(sensus)―理性(ratio)―霊(spiritus)から成り、人間のたましいが生来所有している自然的・心理学的能力についての構造的理解を示す。それは純粋に人間としての人間の働きについて語る哲学的人間学に属する区分といえよう。この三区分は『ヘブル書講解』(一五一七年)を経て、『マグニフィカート』に連なり、さらに『人間についての討論』(Die Disputation de homine, 1536)における人間の定義に採用されているもので、人間学的には重要な意義をもつものである(▽)。

△ ここで一転して、神秘主義者タウラーの人間学がルターに影響を与えた点についての考察がなされます。

タウラーの説教集第五に「さてここで次の三者に注意しなければならない。……第一は身体的感覚と感性であり、第二は理性であり、第三はたましいの全く純粋な実体である」という文章があり、これに付けられたルターの覚え書は次のようになっている。

三肢(tria{感覚(sensus)/理性(ratio)/精神または精神の眼指しもしくはシンテレーシス(mens vel apex mentis sive syntheresis}ジェルソン神秘神学参照。

同様に心情中の三肢(sic in affectu tria{感覚の欲情あるいは感覚の欲求(concupiscentia sensus seu appetitus sensus)/知性の欲求(appetitus intellectus)/シンテレーシス(syntheresis)(▽)       (WA. 9, 99, 36ff.

△ 上で「/」で示したところは、本文では三段に分かれています。以下同様。

ルターはタウラーの三区分がゲルソンの神秘神学に一致し、両者がともに新プラトン主義の神秘主義の伝統に立つと見ている。理性を超えた精神の上位作用が精神の眼指しやシンテレーシスの概念によって認められている(*)。

* 理性は感覚に対し上位に立つが、理性自身が上位下位に二分され、上位の理性、つまり知性は「精神の眼」(oculus mentis)と呼ばれる。

さらに説教集第五十四に付けられた覚え書には次の三肢が記されている。

感覚(sensus)/理性(ratio)/信仰(fides}により導かれている{感覚的(sensualis)/理性的(rationalis)/霊的(spiritualis}人間を使徒は{肉的な人(carnalis)/心霊的な人(animalis)/霊的な人(spiritualis}と呼んでいるように思われる。そしてこれに属するのは{全く世俗的人間/哲学者と異端者/真のキリスト者}である(WA. 9, 103, 37ff.)(▽)。

△ ここに記されていることは、構造的に、パスカルの「三つの秩序」にも通じていて、興味深いものがあります。

タウラーの本文は「第一は外的な感覚的人間であり、第二は内的な理性的人間である。……第三の人間はたましいの最上位の部分である心情(das gemute)であり、これらすべてはひとりの人間である」とあるように、タウラーでは「人間」とあってもひとりの人間の本質における三つの層が考えられているが、ルターの場合には三種類の人間の特徴を示し、いずれか一つによってそのつど人間的生の在り方が規定され支配されている。また最上位のたましいの作用は「信仰」によって導かれるもので、霊的人間は信仰による真のキリスト者と理解されている。この信仰に関して同じ覚え書において記されるところを見ると信仰は受動であって(nudi stamus in mera fide…deus velit…agere in nobis)、自分の意志を放棄する(tota salus est resignatio voluntatis)(WA. 9, 102, 13ff., 34ff.)。これは神秘主義のGelassenheit(▽1)の主張である。また神の霊と心の根から信仰が生まれるという主張(WA. 9, 103, 2ff.)も神秘主義的であるが、シンテレーシス(▽2)の代わりに神の霊と信仰がおきかえられているのは『ローマ書講解』の中にも反映し、自己が空しくなる信仰の受動性を主張することは精神の眼指し(apex mentis)やシンテレーシスの主張を実際は空洞化するものである。

△1 Gelassenheitはハイデガー哲学の訳語として「放下(ほうげ)」の文字が当てられています。通例は、平静、落ち着きの意味で使われます。この言葉はガブリエル・マルセルのdisponibilite(被随意性)に相当するでしょう。いわば「導かれるままに(み心のままに)」といった精神の状態です。

△2 シンテレーシスは、前にも注記したように、「心を見つめる習慣としての、良心」を意味しているように思われます(原義は「watching closely」)。つまり「精神の眼指し」とほぼ同義の言葉ではないかと思われます。

人間学的三区分に関してルターの考え方はこの覚え書においても流動的であることが見られる。三肢的構造は感覚・理性・精神またはシンテレーシスとまず記されているが、理性をその機能に従って理性と精神との上位と下位とに分けるアウグスティヌス的伝統がここには残っている。アウグスティヌスは『三位一体論』第十二巻において理性を感覚的対象と叡智的対象とにかかわる仕方で二分し悟性的認識としての知識と知性的認識としての知恵とを区別している(*)。しかるにルターはこの覚え書での第二の三区分では精神またシンテレーシスの代わりに信仰をおき、感覚・理性・信仰の三肢構造を述べている。精神の眼指しとシンテレーシスから霊と信仰へのこの変化は注目に値する事実であるが、この点についてヒルシュとヨストとは異なった見解をとっている。

* Augustinus, De trinitate, XII, c. 3, n. 3 c. 4, n. 4

ヒルシュはシンテレーシスにおいてルター自身の新しい思想と経験より生じた宗教哲学を見ていて、シンテレーシスが人間の霊におきかえられた点について「ルターは可能な限り単純な人間の見方を目ざして究極においては人間は統一をなしている(*1)」と述べている。しかるに、シンテレーシスは新約聖書的用語ではないゆえに消えて行くが人間の三区分も同様の運命にあり、霊肉の二区分に譲ると説いている。ヒルシュの見解は問題的であり、最後の点は事実に明瞭に反している(*2)。

*1 Emanuel Hirsch, Lutherstudien, Bd. I, S. 110, なお本書第二部第二章第五節を参照。

*2 ルターは『ガラテヤ書講解』(一五一九年)で人間学的三区分を否定している(WA. 5, 585, 22ff.)が、これは神学の立場からの発言であって、後述するように三区分はなお主張され、確立されている。

ヨストはこの覚え書には神秘主義的用語が用いられているが、同じ用語を用いていてもルターは事態を全く異なって理解していることが隠されていると言う。神秘的脱自体験でたましいの根底と存在の根底とが合一し、自己を放棄し無となることによりたましいが神の下に拉し去られるが、ルターはこの点について語らず、かえってタウラーが述べていない信仰を語っている。そして、断片的な覚え書ではこれ以上は不明であると言う(*)。

* W. Joest, Ontologie der Person bei Luther, S. 178

タウラーの説教集の欄外覚え書で考察した人間学的三区分はキリスト者にのみ見られる人間学的規定ではなくて、人間としての人間を構成している三肢であり、しかもたましいの作用として捉えられている点が明瞭であり、ルターの人間学がその基礎に哲学的人間学を置いている点を明確に物語っている。しかも三区分は単に機能的で形式的なものとして置かれているのではなく、感覚・理性・信仰のいずれかを選び取ることによって人間が現実にその都度その存在が決定されるものと考えられ、実存的自己理解の基礎がこれによって据えられているように思われる。しかし、この点を一層明らかにするために、次にわれわれは『ヘブル書講解』における人間学的三区分を考察しなければならない(▽)。

△ ルターは聖書と信仰の原理に拠って立つ者として、タウラーの神秘主義的哲学に学びつつも、根本のところではそこに留まることはできなかったということでしょう。しかし今日それをどう評価するかという点に関しては、また別の問題があるでしょう。

第五節 『ヘブル書講解』のhomo tricameratus

ヘブル書第四章四節「そして神は安息に入られた」の講解においてルターは創造の七日目に神が安息に入り神の民も安息に入ることに関して人間学的補説を加え、たましいの機能の三肢について注目すべき思想を叙述している。

「この安息の様式を十分理解するために人間はノアの箱舟のように〈三つの部屋をもっている〉(tricameratus)のであり、したがって三種の人間に分けられている。すなわち感覚的、理性的、霊的人間に分けられていることに注意すべきである。……これら人間の各々は二重の仕方で、つまり内から(ab intra)かあるいは外から(ab extra)かのいずれかにおいて安息と不安もしくは労苦をもっている。第一に感覚的人間は感覚的対象を歓んでいるとき外から安息をもつ。これは肯定的方法による(positive)安息である。反対に感覚的対象が混乱に陥るか除去されるときには困惑させられ悲嘆する。だが、彼は否定的方法によって安息をもつとき、すなわち思索する人々や哲学者たちに明らかなように理性的人間としてのわざのために手仕事や感覚的対象から身を引く場合には、内から実際安息をもつ。他方、憂愁やメランコリーの場合に見られるように人間の理性が錯乱するほど転倒しているときは内から安息は乱されるのである。第二に、理性的人間は彼が思索し考察している対象がもし快適なものであるなら、それらの対象において外からまた肯定的に安息をもつ。だがそれらの対象が悲しむべきものであるなら外から不安に陥る。彼が自分のわざを止めても霊的人間が信仰と御言葉とに依存するときは、内から〔理性的人間としてのわざに対して〕否定的であるが安息をもつ。だが、霊的人間が困窮するほどに、つまり信仰と御言葉が試煉に陥り、彼自身が困惑させられるときには、内から乱れて平安を失う。この困窮は最も底深く地獄に最も近いゆえに全く戦慄すべきものである。第三に、霊的人間は外から信仰と御言葉の中に安息をもつ、つまり信仰の対象である御言葉が彼に付着して存続するかぎり、彼は肯定的方法で安息をもつ。だが、(すでに述べたように)信仰が危機に陥り、御言葉が取り去られると、信仰・希望・愛の試煉の場合に生じるように、彼は外から平安が乱される。これは〈神の御言葉によって生きる〉(マタイ四の四)人間である。他方、彼は否定的方法によって安息をもつとき、内から安息をもつ、つまり信仰と御言葉とによって、創られたのではない神の言の誕生そのものである神の本質的なるわざの中に高められたとき、内から安息をもつ。ちょうど〈真の神なる汝と汝が遣わした者なるイエス・キリストとを知ることが永遠の生命である〉とイエスが語っているように、これが父なる神からの御子の発出(processio)の真の意味である。そしてこの第七日は次の日に移り得るための夕をもたないから内からの困窮はない」(WA. 57, HS. 158, 18ff.)(▽)。

△ ルターが「いかに」、そして「何に」、たましいの困窮の解決を見出しているかということが、ここに明瞭に語られています。著者はこれについての分析を試みます。

ルターがここで試みている人間学的区分についての特徴を次の三点に見ることができる。

(1) 先ずタウラーの説教集への欄外覚え書にある三肢構造がここに継承されているが、感覚・理性・精神(精神の眼指しまたシンテレーシス)の三肢が感覚・理性・霊の三肢に単純化されている。精神の眼指し(apex mentis)というジェルソンの神秘主義による超理性的作用が霊(spiritus)におき換えられているが、霊の下で直観的知性としての心理学的な霊の作用については述べられず、その働きは神の言葉を聞いて信じる信仰の作用であって、この理解はすでにタウラーの欄外覚え書の第二の三肢に現われていた線の延長であるといえよう。だが信仰の自己放棄の思想はしりぞいて、霊的人間が信仰と神の言葉に依存することが述べられている。しかし霊の試煉に際会して神の言の誕生そのものである神の本質的なるわざを御父から御子の発出と見る考え方の中には霊における御子の誕生という神秘主義的要素がなお残っているように思われる。だが神とたましいが霊的に実体的に合一するという思想はなく、神の民が創造の第七日の完成に向かう終末論的思想にルターは導かれているといえよう。この点についてヨストは次のような評価を加えている。「御言葉において出会う神と信仰とを越えて合一体験があるのではなく、試煉に貫かれた地上における道としての実存(Wegexistenz)においては十字架につけられたキリストの内に隠れたる神の言葉を越えて逃れ出るのではなくて、ますます御言葉に帰り得る信仰にさきがけて、いかなる試練によっても苦しめられず、神とキリストとを明らかなる栄光のうちに見る終末論的共同体が横たわっている。homo viator(▽)自体には信仰以上の可能性はない(*)」。

* W. Joest, op. cit., S. 18ff.

△ キリスト者は、信仰において、第七日の安息(神の救済による真の解決)を目指して進む「旅する人」である。しかしその信仰にさきがけて、終末論的共同体としての教会が横たわっているということでしょう。

(2) 人間が「外から」(ab extra)と「内から」(ab intra)とから対象に対し二重に関係する関係として捉えられ、しかも「肯定的方法」(positive)と「否定的方法」(negative)の二様の方法で考察され、「外から」の「肯定的」見方がくずれると「内から」の見方が「外から」に対しては「否定的=欠如的」に立てられる。人間は感覚・理性・霊という三つのたましいの機能に応じてそれぞれにふさわしい対象に関係している。だが、この関係は様々な試煉において破壊されやすい。しかし破壊は「内から」見るように導く。すなわち外的なる肯定的関係の安息が破れると、たましいは自己の内面に向かい一層内的なる立場から以前の関係がたとえ欠如していても、したがって否定的関係においても安息を見い出す。最初の「肯定的」関係は即自的肯定の段階であり、たんなる外的関係にすぎない。だがこれが試煉によって破壊されると、対自的否定の段階に至る。試煉は外的関係を破る否定段階である。だが「否定的」対自的段階がたましいの内面性の原理により「内から」否定的関係のまさにただ中において否定をそれの欠如として自覚せしめる一層高次の肯定に達する。かくて感覚・理性・霊へと人間は高まりゆき、感覚的世界・理念的世界・神の内なる世界へと高揚する。かかるルターの思惟はすぐれた意味で実存の弁証法を形成していると思われる(▽)。

△ 著者はここにルターの「実存の弁証法」を見出しています。たましいは静的に感覚・理性・霊として秩序づけられているというだけではなく、ひとつひとつの段階を、否定を介して弁証法的に上昇して行く、高次で、より内面的な次元への運動として把握されています。しかしその内面性も、最後は信仰の試練を通して、「神の本質的なるわざの中に高められた」、神の内なる安息へとたどり着くべきものとされます。

この箇所に現われている「内」と「外」との関係についてハインリヒ・ボルンカムは次のように説いている。「ここでの〈外〉は人間が所有し享受している対象に向かっているように理解し、〈内〉とは自己の内面性において自己の許にとどまることと考えられ得るように暗示しているかも知れない。だが、そうではない。なぜなら低次の段階の〈内〉は実に同時に常に〈外〉なるより高次の対象世界であるから。むしろ……人間は常に新しい外壁を通してますます深く自己の内に帰還し、かくて一歩一歩自己から抜け出す。なぜなら人間は個々の段階で〈内面的に〉すでにもはや自己に所属せず、より高次の段階に属している。彼の内面性はもはや自己の所有ではなく、限界を越えて行く指示なのである(*1)」。ボルンカムはこのような内面性を外と内とを同時に含意するものとして捉え、ルターが人間に対し超越的に外から授けられる神の義、すなわちiustitia externaの全く他なる契機と内的人間との二面をもつ新しい姿を現わすと説いている(*2、▽1)。たしかに内面性は脱自的性格をもっている。だからこそヨストも「道としての実存」を終末論的に説いているわけであるが、私はルターの人間が他者もしくは対象的世界との関係的存在であり、試煉の否定を通して信仰の肯定にまで達する実存の弁証法をここに見ることができると思う(▽2)。

*1 Heinrich Bornkamm, Ausserer und innerer Mensch bei Luther und den Spiritualisten, in Imago Dei, 1932, S. 94

*2 H. Bornkamm, op. cit., S. 94

△1 この文は主客が不明確になっていますが、文意は把握できます。

△2 「実存の弁証法」には、高次の内面性が低次の外面性を包摂すると共に、低次の内面性にとって高次の内面性は外面性であるという、「包摂」の関係が見られます。すなわち感覚の外的対象は理性においては外なるものではなく、理性の外的対象も霊においては内なるものとして包摂されます。しかし感覚にとって理性は「外」なるものであり、理性にとって霊は「外」なるもの(与り知らぬもの)です。そして神に於ては、すべてが内なるものとして包摂されます。このとき神はすべてのものの「包摂者」として思念されます。ルターにとって、これは単なる「論理」ではなく、「道としての実存」、すなわち、実際に踏み行くべき道程であったということだと思います。カール・ヤスパースの哲学の訳語として、「包越者」(das Umgreifende)という言葉が使われますが、そこには超越する思惟という意味あいが込められています。

(3) homo tricameratusの思想には人間が三つの部屋をもち、その各々の場(▽1)において人間は感覚・理性・霊を働かせるのであるから、各々の部屋は各々のたましいが作用する場を意味することが含まれている。そして感覚と理性とは信仰と御言葉の中にとどまる霊的人間の信仰からprivative(▽2)に安息に導かれるので、感覚と理性がpositiveに関わっていた対象との関係がその重要性を失うことになり、たましいの関心から遠のいてしまう。時間的なるものを価値の低いものと見る傾向は『第一回詩篇講解』の新プラトン主義的要素として論じられたものであるが、神秘主義的傾向とともにこの箇所にも現われていて、「三つの部屋」(tricameratus)は「三階建ての家」となり、感覚が最低の段階となり理性から霊へと価値の上下の区別が付けられている(▽3)。『ローマ書講解』では身体が霊とともに肯定され、『キリスト者の自由』でも身体的本性は信仰において強く肯定されている。プロテスタンティズムがマックス・ウェーバーによって修道僧的禁欲に対するInnerweltliche Sittlichkeit(内世俗的倫理)として特徴づけられる現世肯定(*1)はこの箇所には少なくとも明瞭には見られず、ヨストが述べているように世界逃避のモチーフをルターが採用していることは神秘主義的伝統のなごりとして単純に説明できるものである(*2)。次の『マグニフィカート』において初めてルターの人間学的区分の完成された姿を見ることができる。

*1 Max Weber, Die protestantische Ethik und der ≫Geist≪ des Kapitalismus, 1904-05 in; Gesammmelte Aufsätze zur Religionssoziologie, I, S. 69

*2 W. Joest, op. cit., S. 183

△1 ここで「場」という言葉が2回使われています。「三つの部屋」を場の重層性として捉えることも可能でしょう。

△2 privativeという形容詞は「欠如している(欠如的)」という意味ですが、この言葉には「奪い取る(欠落させる)」という意味もあります。ここでは感覚や理性を欠落させた形で、霊的人間の信仰から安息に導かれるという意味でしょう。

△3 価値の上下の区別ということでは、パスカルやヤスパースにも見られたことです。しかしこれを単なる価値的序列ということではなく、包摂(包越)の関係として捉えれば、単に排除されている(欠如している)と考える必要はありません。いわば「入子(いれこ)型」の構造として捉えることが可能でしょう。ここには「三階建て」とありますが、一階、二階がなければ、三階もありません。

第六節 『マグニフィカート』における人間学的三区分

人間学的区分による人間の構造的解明はルカ伝第一章四六節以下「わたしのたましいは主をあがめ、わたしの霊はわたしの救主なる神を喜ぶ」の講解においてルターの神学思想と一致した完成された形で叙述されている。

「聖書は人間を三つの部分に分けている。なぜなら聖パウロはテサロニケ前書で〈平和の神にいます神があなたがたを全く聖くし、あなたがたの霊とたましいと身体(geist un seele un leip)の全体をわたしたちの主イエス・キリストの再臨に至るまで責められることのないよう守り給うように〉と語っているから。そしてこの三つの部分の各々はすべての人間の全体について別の仕方で二つの部分に分けられる。それは霊と肉(geist un fleisch)と呼ばれる区分であり、自然本性(natur)の区分ではなくて、性質(eygeschaff)の区分である。すなわち自然本性は霊・たましい・身体(geist, seele, leip)の三部をもち、これらすべてが善くあるか悪しくあるかが可能である。つまり霊と肉であり得るが、これについて今語ることができない。

第一の部分である霊(geist)は人間の最高、最深、最貴の部分であり、人間はこれにより理解しがたく、目に見えない永遠の事物を把握することができる。そして短く言えば、それは家(haus)であり、そこに信仰と神の言葉が内住する。これについてダビデは詩篇50篇(五一の一〇)で〈主よわたしの最も内なるところに正しい霊を創り給え〉すなわち直き真すぐな信仰を創り給えと語っている。……

第二の部分であるたましい(seele)は自然本性によれば正に同じ霊であるが、他なる働きの内にある。すなわちたましいが身体を生けるものとなし身体を通して活動する働きの内にある。……そしてその技術は理解しがたい事物を把握することではなくて、理性(vornunfft)が認識し推量し得るものを把握することである。したがってここでは理性がこの家の光である。そして霊がより高き光である信仰により照明し、この理性の光を統制しないならば、理性は誤謬なしにあることは決してあり得ない。なぜなら理性は神的事物を扱うには余りに無力であるから。この二つの部分に聖書は多くのものを帰属させている。たとえば知恵と知識(sapientia und scientia)すなわち知恵を霊に、知識をたましいに帰属させている。さらに憎悪、愛、喜悦、恐怖をも。

第三の部分は身体(leip)であり四肢をそなえている。身体の働きはたましいが認識し霊が信じるものにしたがって実行し適用するにある。……」(WA. 7, 550, 20ff.)(▽)。

△ 人間の自然本性としての霊・たましい・身体がここに明確に述べられます。しかし、それは霊と肉の「性質」の区分とは別の問題であると言われていることが重要です。

霊・たましい・身体の人間学的構造は至聖所のある幕屋の比喩で次に述べられる。至聖所には光がなく神がそこに住まい給い、聖所には七つの燭架と灯明とをもつ一つの灯明台が立ち、前庭には太陽の光がある。

「この象徴の中にキリスト信徒(ein Christè mèsch)が描かれている。その霊は至聖所(sanctum sanctorum)であり、光なく信仰の暗闇の中にある神の住居である。なぜなら霊は見ることも感じることも理解することもないものを信じるからである。彼のたましいは聖所(sanctum)である。そこには七つの光があり、それらは身体的可視的事物を理解し、判別し、知覚し、認識する一切の働きである。彼の身体は前庭(atrium)であり、すべての人の目に明らかである」(WA. 7, 551, 19ff.)(▽)。

△ 人間の自然本性を幕屋の構造にたとえるところに、ルターらしさがあります。それを「入子(いれこ)型」の比喩で理解するよりも深みを感じさせます。霊が人間の心の内奥にあり、信仰の暗闇の中にあるということは、心理学的にも興味深い洞察です。

次にルターは霊がたましいと身体に及ぼす影響について述べている。「もし霊がもはや聖くなくなれば、何ものももはや聖くはない。さて最大の戦いと最大の危険は霊の聖さにおいて生じる。すでに述べたように霊は把握しうる事物にかかわらないため、全く純粋な信仰においてのみその聖さが存立しているから。そこで偽教師がやってきて霊を誘惑する。……もし霊がここで庇護され(ず、▽1)賢くない場合には、誘い出され、これに従い、外的わざや方法に走って、これにより義となろうと考える。かくてたちまち信仰は失われ、霊は神の前に死滅する」(WA. 7, 551, 28ff.)。「さてもしそのような……霊が保存されるなら、それによってたましいと身体も過誤や悪しきわざを犯さずにとどまり得るが、霊に信仰がない場合、たましいと全生活が正しく誤りに陥らないようにすることは不可能である」(WA. 7, 552, 34ff.)(▽2)。

△1 わかりやすくするために、否定の「ず」を挿入しました。

▽2 霊の聖さ(きよさ)を保持するために「信仰」が必要であると言われます。そこに宗教の中心問題があるということは確かなことです。

ここでルターが語っている人間学的三区分は霊(spiritus)・たましい(anima)・身体(corpus)の三肢であり、『ローマ書講解』と『第一回詩篇講解』に用いられ、『キリスト者の自由』においても二肢構成において用いられたものである。しかし、感覚・理性・霊のたましいの機能の上での三肢も組み入れられていて、たましいの最高の機能としての霊はそのまま霊の領域に入れられ、感覚と理性はここではたましいの領域に入っている。したがって、人間学的三区分法は全体として形式的にも完成されていると見ることができる(▽)。

△ ルターの人間学的三区分の思想は、『マグニフィカート(マリアの讃歌)』において、形式的にも完成するに至ったと指摘されています。

霊・たましい・身体の関係は『第一回詩篇講解』、タウラーの説教集への欄外覚え書、また『ヘブル書講解明』などに見られた上下の関係、また感覚的なものから精神的なものへそして神の内なる霊の領域へと上昇する神秘主義的傾向をもはやここではもっていない。至聖所をもつ幕屋の比喩が示すように内から外へと向かって放射状に広がる関係、三つの同心円を扇状に切った形をもっていると見ることができるであろう。そして最内奥なる霊において神に出会い、外なる身体において世界に連なり、神と世界との間に立つ人間の全実存の動態が示されている(▽)。

△ パウロは、「あなたがたは知らないのか、自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである」Tコリント6:19)、また「神の宮と偶像となんの一致があるか、わたしたちは、生ける神の宮である」(Uコリント6:16a)と言いました。それと関わらせて考えると、ルターの「幕屋」の比喩は卓抜です。それは著者の言う「三つの同心円を扇状に切った形」、また私の「入子型」の比喩よりも、「神の宮」としての人間を髣髴とさせる点ですぐれています。すなわち、特に神との関係で人間の三層構造を捉えるとき、「至聖所、聖所、前庭」という比喩は、適切なものとなります。ただし私の「入子型」の比喩は、人間を立体的重層的に包摂の関係で捉えるための、一つの工夫という意味を持っています。

しかも、この三区分は人間の自然本性にもとづくものであって、人間が神に対する人格的関係で決定される倫理的神学的な性質による霊と肉の二区分と明瞭に分けられ、ここでは前者のみが問題となっているのであるから、われわれは神学的人間学と区別された哲学的人間学がここに語られていると見ることができる(▽)。

△ ルターが「霊・たましい・身体」の三区分と、「霊・肉」の二区分とを明確に区別して語っているということが、大切なポイントになります。

霊についての記述がこの箇所では最も注目に値する。霊の機能は不可解で不可視な永遠の事物を把握することであると述べられているが、これは形而上学的実在を捉える直観的な或いは思弁的な認識を意味するものではない。ヨストが主張するように、不可解で不可視なる永遠の事物(Dinge)とはその御言葉の中に現われたる神自身であり、信仰により霊はこの御言葉によりすがる(*1)。霊は光なき暗き信仰の中にある神の住居である言われているように、「家」(haus)とか「住居」(Wohnung)の表象(*2)には思弁的能力は考えられず、信仰のこの場が暗闇である(*3)から超自然的理念の光とその観照とにより成立する思惟・神秘主義が入る余地もない。霊の概念には主知主義からの脱却が見られ、たましいの内に神が内住するという神秘主義的表現を採用しているが、霊の概念に導入された家と住居の場所的表現は御言葉が語られ信仰が聞く双方の働きが生じる神と人間との出会いの場を意味しているといえよう(▽1)。

*1 W. Joest, op, cit., S. 185

*2 霊概念に「家、住居」の意味をここに与えているが『第一回詩篇講解』では「神の聖所は霊的に回心せるたましいにほかならない。なぜならたましいは知恵の座であり、人々のただ中において(すなわち彼らの心に)神は住まいたもうと約束している」(WA. 4, 347, 3ff.)とあり、たましいの尊厳はそれ自身の中ではなく、神の約束のうちにあるとルターは説いている。次に、『ローマ書講解』では「信仰が住居を造る。しかしキリストは庇護と援助とをほどこしたもう」(WA. 56, 299, 2)とあって霊における住いは信仰の働きによって造られると解している。ところがルターは『詩篇90篇の講解』(一五三四―三五年)ではパウロの「神の宮は汝の中にある」(コリント前六の一九)を逆転してこの詩篇の第一節では人間ではなくて、神こそ人間が住まう住居である点を指摘している。「もし神がわれわれの住家であり、神が生命であって、それに対し、われわれが住人であるならば、そこから必然的に帰結することは、われわれが生の中にあり、永遠に生きるであろうということである」(WA. 40, III, 496, 27ff.)。本書第二部第六章参照。霊の中に神が内住するという神秘主義的表現をルターは用いているが、霊概念は信仰と神の言葉との出会う場の意味であって、神と人間とが人格的にかかわる交わりの場を意味し、「家」や「住居」の表現には内在論的意味は含まれていないと思う。ここに引用した二つのテキストはその意味で重要なものである(▽2)。

*3 「信仰はある種の認識もしくは何ものをも見ない暗闇である。しかしそれにもかかわらず信仰によって把握されたキリストは暗闇の中に座していたもう。ちょうどシナイ山における神のように、暗闇の中で神殿に坐したもう神のように」(WA, 40, I, 229, 15ff. cf. 40, I, 204, 5f. ; 362, 24)参照。

△1 「聖書を(唯一の)信仰の規範(基準)とする」プロテスタントの立場からすれば、神秘主義は忌避されます。しかし聖書は「準拠枠(frame of reference)」ではあっても、唯一絶対の規範ではありません。ルターと神秘主義との微妙な関係は、今日、ただ正統的なプロテスタント信仰の立場によって裁定されるべきものではないでしょう。聖書原理は聖書学それ自身によって揺らいでいます。ルター自身が述べているように、聖書は聖霊の器(文字)であって、それ以上のものではありません。そして聖霊(霊)とは何であるかが改めて問われています。今日の霊性論がそれを示しています。

△2 包摂の関係においては、下位の場は上位の場に包摂されます。しかし上位の場が、下位の場に限定的に顕現していると、「逆転して」考えることも可能です。つまり霊は神の場(永遠の生命)の住人であると共に、霊という各々の住いに(普遍的な)神が住まうということも可能になります。同様に、霊・たましい・身体を単に並列的な関係と考えるのではなく、そのような包摂の関係として考えることもできるのではないでしょうか。

次にたましいの概念の内容に注意したい。そこには『ヘブル書解』で考察した感覚と理性の二機能がともに含意されている。すなわち自然的光としての理性に加えて「憎悪、愛、喜悦、恐怖」のごとき感覚を通してたましいに生じる情念が感覚的欲求として述べられている。また「理性がこの家の光である」とあるように、このたましいの家は地上の生活世界に向かっている場で、人間の現実的世界の領域に身体を通して繋がっている。だから、『ローマ書講解』に見られた「たましいは霊と身体との中間である」という構造は形而上学的上下関係の中間ではなく、内から外に向かう生命の動的発展の媒体の意味を形成しているといえよう。すなわち、たましいは霊と自然本性上同じだが働きを異にし、同じ人間が霊において神を信じ、より高き光に照明されて、理性の自然の光を統制し、身体はこれに従って行動する。身体は内なる霊とたましいを表現する手段であり、「実行と適用」の実現する道具である。だから霊は神に対する信仰の決断の場であり、たましいと身体を通して現実世界の中に決断内容は適切なる仕方で表現される。かくて霊と身体との中間にあるたましいは霊により統御され、身体を通して形成していく人間の現存在自身である(▽)。

△ ここで「現存在」という言葉が出てきます。しかし、私の考えでは、たましいだけが現存在なのではなく、「霊・たましい・身体」の全体が現存在であり、神の場に生かされて生きる「実存」とは区別されて、歪んだあり方をしています(カール・ヤスパース参照)。八木誠一氏の言い方を借りれば、その全体が「自我」であって、自我の中心にたましいの働きがあり、自我の内奥に霊があり、表層に身体があります。しかし実存的な意味で「自己」に生きるとき、初めてその全体が直くされます(自己・自我・インマヌエル参照)。なお、「霊・たましい・身体」という言い方は、日本語の語感に沿わない面があります。「たましい(spiritus)・こころ(anima)・からだ(corpus)」とした方が、むしろ、より適切ではないかと思います。すなわち、日本語では、たましいこそが「霊」であるということになります。ここではもちろん著者の言い方に従います。

身体を霊の表現として積極的に肯定することは『キリスト者の自由』で語られていた「霊的と身体的との二種の本性」と一致しており、キリスト者は霊において信仰により自由の君主であるが、身体において愛により奉仕する僕であるという主張がいかなる人間学的基礎にもとづいているかが明らかとなった。「人間は内面では、たましいの面では信仰により十分義とされ、もつべきものはみなもってはいるが、……なお、この世では身体的生活にとどまっており、自己の身体を統制し、人々と交渉しなければならない」(WA. 7, 30, 13ff.)とルターは語り、霊により統制された身体的実存、すなわち奉仕する僕において霊的人間(homo spiritualis)の姿を見ようとしている。世俗内敬虔の宗教改革的人間像はここに完成をみるのである(▽)。

△ 世俗内敬虔(世俗内修行)という、キリスト者のこの世における生き方は、現存在の波濤に呑まれて大きな困難に直面せざるを得ません。万人に奉仕する生き方が「理念的」に説かれたとしても、その実現はきわめて難しいと言わなくてはなりません。ルター自身が、農民戦争の嵐の中で、その困難さを嫌と言うほど味わうことになります。

第一部第一章の紹介の作業はあと1回を残すところとなりました。


W ルターの人間学 その4

第七節 『人間についての討論』における哲学的人間学と神学的人間学

これまで解明してきた人間学的区分はすべて人間の自然本性にもとづく区分であって、哲学的人間学の範疇に属している。しかるにルターはこれと区別して神の前に倫理的宗教的に判断された性質の区分を霊と肉(Geist und Fleisch)によって表わしているが、これは神学的人間学の範疇に属する。後者の霊と肉との区分は『マグニフィカート』においては述べられていなかった。この神学的二区分についてすでに『第一回詩篇講解』以来しばしば言及されてはいるが、最もよくルターの思想を表明しているのは『聖パウロのローマ書への序言』(Vorrede auff die Epistel Sankt Paulus zu den Römern, 1522)の一節である。

「肉と霊について肉はただ不品行に当たるものであり、霊は心の中の内的なものに当たるというようにここで理解すべきではない。キリストがヨハネ福音書第三章六節ですべて肉から生まれた者と言っているように、パウロは身体とたましい、理性とすべての感覚をそなえた全人間(ganzer mensch)を肉と称している。なぜなら人間においてすべてが肉にしたがって追究されているから。したがって恩恵なしに高尚な霊的な事柄について様々に思いめぐらし、教え、論じる者をも肉的であると呼ぶことができる。……反対に最も外的なわざに携わっている人、たとえば弟子たちの足を洗ったキリストや船にのって魚をとったペテロを霊的であると呼ぶのである。かくて肉の利得とこの世の生活とに奉仕するために内的にも外的にも生きかつ働く人は肉であり、霊と将来の生活とに奉仕するために内的にも外的にも生きかつ働く人が霊である」(WA. DB. 7, 12, 5ff.)。

このように霊と肉を明確に語ってから、ルターはこの用語について正しく理解しない者はパウロを理解できず、オリゲネス、ヒエロニムス、アウグスティヌスのように偉大な人物であってもこれらの用語を違って用いる人々を警戒するように勧めている(▽)。

△ 私はヤスパースに従って、霊と肉の神学的二区分に関しては、霊(実存)、肉(現存在)と理解しています。人間が、「たましい・こころ・からだ」、著者の言い方では、「霊・たましい・身体」として生きているという点では、人間の間に何の違いもありません。しかし人間は現実には、その全体として、肉的に生きているのであり、実存の生(霊的な生)を生きるということは困難な課題です。そこに人間の罪の現実があります。

神学的人間学について第二章で中世的理解との比較から論じ、霊と肉との葛藤からなるキリスト者の現実の実存形態は「義人にして罪人」(simul iustus et peccator)として第四章で論じることにして、ここではルターにおける哲学的人間学と神学的人間学との関係を人間学的区分の問題を手がかりとして考察したい。そのために後期に属するがルターの人間学を最も要領よく討論のテーゼの形にまとめて論じている『人間についての討論』(一五三六年 WA. 39, I, 174-180)をとりあげることにしたい(▽)。

△ 「キリスト者の現実の実存形態」は「霊と肉との葛藤からなる」と指摘されているのは、大切なポイントです。

まずルターは人間の本質についての哲学的定義から出発する。「人間的知恵である哲学は、人間とは理性的、感覚的、身体的動物である(hominem, esse animal rationale, sensitivum, corporeum)と定義している」(テーゼ一)。ここに見られる理性的、感覚的、身体的という三区分は今まで解明した人間学的区分に属さない。ただし、たましいと身体とからなる人間のみをここでは問題とし、三区分を適用しているものと解されるが、理性的、感覚的、身体的という順位はポリフュリオスの木に示されている種差を類概念に加えて人間を定義する論理学の伝統に従っていると見ることができよう。そして「この定義は現世の死すべき人間を定義している」(テーゼ三)とあるように、理性を現世に限定し、これを超えている高次の領域に関係する直観的知性の働きについては触れられず、ただ現世の事物の中で最もすぐれたものであるとルターは言う。すなわち、「理性はすべてのもののうち最も重要なもの、また頭であって、現世の他の事物に対比すると最善にして神的なもの(divinum quiddam)であるとは確かに真理である」(テーゼ四)と。なお聖書は人間が地上を支配するように定めているが、それは理性の賜物のためであり、この理性こそ他の動物と人間を分かつ種差である。だから理性は「現世においてこれらの事物を治めるために任命された太陽であり、一種の神性をおびたもの(Numen quoddam)である」(テーゼ九)とまで語っている。現世の領域に限定しているとはいえ、理性をこのように積極的に高く評価していることは真に注目に値する発言であるといえよう(▽)。

△ 私見によれば、理性とは広義に解された「言葉の秩序」であって、人間の言語能力に属しています。それは文法や論理をも包摂する言葉の秩序であって、人間の体験や実践の基礎にあるものです。言語能力(linguistic competence)が備わっているからこそ、人間は他の動物に優位していると言われます。しかしそれは人間の肉(現存在)に属する能力です。理性は他の人間や環境を破壊するために用いられることもあります。

さて、このように高い評価が理性に与えられているが、ルターによると、理性はかかる自己の尊厳を「アプリオリに知りえず、ただアプステリオリに知るにすぎない」(テーゼ一〇)。「だから哲学もしくは理性自身は神学に比較すると、人間についてほとんど何も知っていないように思われるであろう」(テーゼ十一)とルターは言う。スコラ哲学でアプリオリなる認識とは原因からの認識を意味する。そこでルターはアリストテレスの四原因説にもとづいて、人間についての哲学的知識が究極原因たる神から発していないので、いかに不完全なものであるかを指摘し、人間を可死的で現世的なものと見て、生誕と死の間にある内世界的働きに制限しているので人間の認識が「断片的で一時的であり、ひどく物質的である」(テーゼ十九)と言う(▽)。

△ 仮に理性が言語能力に属するとすれば、言語はその実際的使用を待たなければ、その価値を認定することができません。だから理性はアポステリオリに自己の尊厳を知りうるに過ぎません。しかし神学が言語(理性)を越えて、永続的な価値に関わると主張されるとしても、今日の目から見れば、神学も、聖書という特殊な「準拠枠」に基づく、特殊な思惟(聖書の神話によって枠づけられた思惟)であって、そのままでは決してその普遍性・永続性を主張することはできません。しかしルターはその「神学」に依拠して発言します。良くも悪くも、ルターはそれ以外の拠りどころを知らなかったからです。

哲学がこのようであるのに対し「神学は実際その充実せる知恵によって知恵によって人間を全体的かつ完全に定義する」(テーゼ二〇)と語って次のような神学的人間の定義を述べている。

「人間は神の被造物であり、身体とそれを活かすたましいとから成り、始原から神の像に創られ、罪なくして産み、事物を支配し、決して死すべきものではなかった。だが、アダムの堕落以後、悪魔の力なる罪と死に、すなわち人間の力によって克服しがたくかつ永遠であるような二重の悪に屈服した。人間は神の御子イエス・キリストによってのみ(もし彼がキリストを信じるなら)解放され、永遠の生命が与えられ得る」(テーゼ二二―二三)。

この人間の神学的定義は先に述べた哲学的定義を包摂している。そして哲学的定義の前後に人間は神の被造物であること、罪と死の力からキリストによって救われることが加えられ、全体として見ると、創造、堕落、救済という救済史的観点から人間が定義されている。ここに理性による内世界的関係を越えた神との独自の関係が神学的定義に示され、神の像へと創られた人間の本来的存在の完成が語られている(▽)。

△ ルターを離れて聖書の神話を解釈することが許されるなら、人間は罪深い存在である、すなわち他者(神)とのコミュニケーションを欠落させた存在であるということ、そして永続的コミュニケーションを可能ならしめる永続的媒体の出現(キリストの救済の物語=出来事として信じられてきたもの)を待たなければ、その罪から解放されないということが「神学的認識」の根幹にあるのだと思われます。人間とはまさにその通りの存在であると言うべき現実があります。歴史的現実を見れば、人間の罪の悲惨さとそこからの解放の希求が、人類の一貫したテーマであることを読み取ることができます。しかし人間がその罪から解放されるということは、「霊」的な現実であって、「肉」の現実は、絶えずそれを裏切るというほかはありません。そこに問題の核心があります。

かかる神学的人間学に対立するスコラ神学の人間観が次に挙げられ、いずれも人間の本質を理解していないゆえに批判される。(一)、「自然的能力は堕落後も完全に残存している」(テーゼ二六)というスコラ神学の主張は不敬虔な思弁である。(二)、「自己の最善を尽くすことにより人間は神の恩恵と生命とに値し得る」(テーゼ二七)と説くスコラ神学のペラギウス主義的恩恵論、(三)、神学的人間について何も知らないアリストテレスの言葉「理性は最高善へと勧奨する」(テーゼ二八)に追随する場合、さらに(四)、「理性の決定を正しく導き、意志を善きものにする自由意志」(テーゼ二九)を主張する立場があげられ、これらすべては人間が何であるかも何を彼らは語っているかも知っていないとルターは言う(テーゼ三一)(▽)。

△ パウロから掴み取った信仰理解からすれば、神と人間との決定的断絶と、神の一方的な救済の行為によってのみ、人間は罪から解放されるのであって、それ以外の神学的主張は、ルターにとって「不敬虔な思弁」であったということでしょう。

そこでルターはスコラ神学の人間学に決定的に対抗してもう一度人間の神学的定義を試みて言う。「パウロはローマ書第三章〔二八節〕〈人が義とされるのは行ないによるのではなく、信仰によるとわれわれは思う〉で〈人間は信仰により義とされる〉(Hominem iustificari fide)と語って人間の定義を一層短く要約している」(テーゼ三二)と。ここで主張されている「人間は信仰により義とされる者である」という定義は神学的人間学の定義というよりも信仰の人間学の定義であるといえよう(▽)。

△ いわゆる「信仰義認」の教義が、プロテスタント信仰を決定的に導くものとなるのは、言うまでもなく、ルターのこの「テーゼ」によります。

『人間についての討論』において哲学的人間の定義と神学的人間の定義が対比的に語られている(*)。前者では理性的存在としての人間が自然的創造にかなった存在であると見られているのに対し、後者では罪による堕落と信仰による救済とから成る救済史の光のもとに人間存在が解明されている。したがってルターは人間を理性と信仰との二つの側面から考察している。『マグニフィカート』ではこの理性と信仰が理性と感性を含むたましいと霊の関係として捉えられていた。霊は信仰と神の言葉が内住する家として場所的に考えられていたが、『人間についての討論』においては霊の場は神の救済史的歴史の領域に移されている。信仰は人間の人格の深みである霊に宿るが、それは神が語り人間が聴く出会いの場であり、神の救済史の出来事はこの邂逅の場において信仰により生じるのであるから、『マグニフィカート』と『人間についての討論』とは内容上矛盾しない。かつ霊において生じたことが身体において実現されるのであるから、霊における「すでに」と身体における「いまだ」との二つの時の間に立つ終末論的実存はすぐれて歴史的であるといえよう(▽)。

* 哲学的定義「人間は理性的動物である」に対立する神学的定義「人間は塩の柱である」について本書第二部第六章第四節参照。

△ 著者はここでルターの二つの著作の間に整合性を見出そうとしています。しかしそこには「(実存的)飛躍」があると見ることも可能でしょう。

このようにして哲学的人間学と神学的人間学とは現在の罪の状態において対立しているが、決して相互に他を排斥するものではなく、歴史の初めと終りにおいては調和的統一をなしている。そして堕罪から信仰の救済に至るまでの中間の時に両者は対立的関係に分裂しているにすぎない。したがって始原の統一と現在の分裂との弁証法的運動はふたたび始原の生が回復されるとき、始原の生の根拠であったものへの弁証法的復帰が自覚的に生じるといえよう。哲学的人間学と神学的人間学の対立はこの弁証法的全過程を通過することにより止揚され、両者の総合態としての宗教的もしくは宗教哲学的なる人間学が理念的には確立されるといえよう(*)。『人間についての討論』の終りにある四つのテーゼはそれを次のように述べている。

* ヨストは『人間についての討論』は人間の神学的定義を述べていても「キリスト教的人間について」(De homine Christiano)ではないので人間一般について論じたものであると言う(W. Joest, op., cit., S. 192)。その意味ではこれは哲学的人間学に属するものになる。しかし人間の哲学的、神学的規定は全体として宗教的人間学として考えた方がよいと思う。なお、この宗教的人間学の全貌は『創世記講解』において最もよく論じられている。本書第一部第三章を参照。

「だから現世に属する人間は自己の将来的生の形のためにある神の純粋な素材である(テーゼ三五)。それは今は虚無に服している被造物が、神にとっては被造物の将来の輝かしい形のための素材であるのと同様である(テーゼ三六)。かつ天と地が始原において〔創造の〕六日間の後に完成される形のために、すなわち自己の素材としてあったのと同じように(テーゼ三七)、人間が現世において存在しているのは、神の像が改造され完成されるであろうときの将来の自己の形のためである(テーゼ三八)」(▽)。

△ 現世における人間の分裂、霊と肉、実存と現存在の分裂は、終末のときまで止揚されないと言われていると、私は理解したいと思います。その神学的命題が意味することは、人間はそのときまで理想と現実との亀裂に耐え続けなくてはならないということでしょう。人間にとって希望は信仰においてのみ与えられるということは、逆に言えば、現実の人間はそれほど救いようのない存在であるということを意味しています。信仰における救済は、あくまでも霊の出来事にとどまっています。現世の改造と完成は、現在の事柄としては、中間時の暫定的な変革に過ぎません。しかしそれでもなおこの現実世界の変革に関わるのでなくては、信仰は現実逃避の「幻想」と化すほかはないでしょう。なおルターはここで「質料・形相論(素材・形態論)」によって神の創造を理解しています。

第八節 人間学的区分から見たルター的人間学の特質とその意義

自由と奉仕、主人と奴隷との相反する規定を統一する弁証法は信仰と愛によって発展的に解明されているのであるが、ルターはこの事態を人間学的区分にもとづいて考察している。われわれは『キリスト者の自由』におけるこの方法を出発点として指摘し、初期の『詩篇講解』から完成期の『人間についての討論』に至るまで人間学的区分の問題をテキストにしたがって考察した。最後に、ルター的なかかる区分から彼の人間学の特徴を全体として考えてみたい(▽)。

△ ここで著者はルターの人間学的区分についてのまとめの考察にとりかかります。

(1) ルターは『ローマ書講解』にすでに見たように身体を霊に対して低次の段階に属するものとは見ないで積極的に肯定している。身体を霊に対して低く見る新プラトン主義的禁欲思想は『第一回詩篇講解』に見られ、身体の代わりに肉(caro)が用いられ、身体を価値において劣ると考え肉的に見る古代的世界観の影響があった。しかし、霊(たましい)と身体との人間学的構造の二要素はやがて、上下の価値付けを克服し、霊を通して神へと、身体を通して世界へと開かれている人間的現存在の根本的事実として明らかに自覚されるようになっている。したがって人間のかかる構造からして霊と身体とはプラトン的に上下に価値付けられた二元論ではなくして、内・外の二重構造、あるいは求心的方向と遠心的方向をとって働くたましいの運動の動的な構造と見ることができる。そこにはデカルト的二元論に近い関係があるように思われる。すなわち外界から思惟する自己の内への集中とそこに発見された第一原理によって世界を客観的実在として観念の明晰性のうちに捉えようとデカルトは試みている(*1)。もちろんルターはデカルトのような観念論者ではないが、デカルトが自己の思惟経験の内にプラトン的上下の二元論を克服したように(*2)、ルターの新しい神の経験は中世的二元的世界像と対立する内外の二重構造、しかも『マグニフィカート』で解明したような同心円を扇状に切った構造を形成しているといえるであろう(▽)。

*1 デカルトのCogitoに関する理解についてピェール・テヴェナ「デカルトおよびフッサールにおける根本的な出発点の問題」(『現象学の課題』せりか書房所収)二八頁参照。

*2 九鬼周造『西洋近世哲学史稿』上(岩波書店)一〇九頁以下参照。なお、デカルトの心と身体の二元論についてC. A. Van Peursen, Leip Seele Geist. Einföhrung in eine phanomenologische Anthropologie, S. 23ff.を参照。

△ ルターが、デカルトの心身二元論に通ずるような人間観を抱懐していたという指摘には、興味深いものがあります。ルターもまた、近代の「はしり」の現象の一つであったということになるからです。

エルンスト・トレルチは、ルターとその宗教改革は中世に属し、啓蒙時代の合理主義とともに近代世界は始まると主張している(*)。しかるに人間学的見地からルターの思想を検討してみると、そこには近代的人間の特徴も明らかに示されるのであり、しかも中世の特徴であった宗教的人間学においてもそのことは判明になると思われる。人間学的区分において、霊の領域は「神の前」(coram Deo)を意味し、身体の領域は「人々の前」(coram hominibus)を意味し、超自然的な形而上学的背後世界は消滅し、宗教的汝なる神と隣人としての他者との人格的関係の中での豊かな現実的経験を明晰化していく人間学が誕生しているのである(▽)。

* Ernst Troeltsch, Die Bedeutung des Protestantismus fur die moderne Welt, in: Gesammelte Schriften Bd. IV. 邦訳『近代世界とプロテスタンティズム』(新教出版社); Renaissance und Reformation, in: G. S. Bd. IV 邦訳『ルネサンスと宗教改革』(岩波文庫)参照、また、トレルチの評価に関して、佐藤敏夫「プロテスタンティズムと近代世界」(『西欧世界の形成とキリスト教』創文社所収)を参照。

△ ルターの思想には、当然、多分に中世的な要素が混在していたと思われます。しかしその精神的葛藤を経て、次第に近代的人間観が姿を現わしてきたと言えるでしょう。

(2) 霊と身体の人間学的構造が明確になるに応じて、霊と肉との実存的対立が罪とその救済という救済論的観点から神学の固有の問題として解明されるようになる。「霊と身体」(seele und leip)と「霊と肉」(geist und fleisch)との二つの区分法は『マグニフィカート』では自然本性と性質とのそれぞれによる区分であることが明らかに表明されている。前者による区分は哲学的人間学に、後者のそれは神学的人間学に属するのであるが、ルター自身が説いていたようにこの区分はオリゲネスやヒエロニムスまたアウグスティヌスにおいても充分自覚されず、少なくとも不明瞭である。すなわち身体の意味でのソーマと罪とその生活の意味でのサルクスとの区別が明瞭ではない。ソーマ・セーマ学説(▽1)に見られるオルフィク教(▽2)の影響を受けたプラトンやその他のギリシア精神の傾向の一つはストアの倫理によく現われているように人間の身体を精神との極度の対立的緊張関係におき、現世否定の禁欲主義の伝統を形成している。『キリスト者の自由』に中にもかかるストア的禁欲主義が見られると先にベルンレが説いていたが、ルドルフ・オットーもそれを指摘している(*)。しかし、ルターの文章からの印象で判断しないで、人間学的な基礎概念を通しての研究から明らかになったように、ルターは神秘主義の禁欲思想から次第に脱却しつつあって、思想の基本的傾向は身体的生活を肯定する現世肯定に移っている(▽3)。

* Rudolf Otto, Geist und Fleisch, in: Sünde und Urschuld, 1932, S. 14f.

△1 からだは魂の墓(セーマ)であるという説、ピュタゴラス学派にも見られる思想。

△2 オルペウス教(オルフェウス教)。

△3 近代の世俗化の第一歩はプロテスタンティズムから始まったとも言えるでしょう。人間の世界から「超自然的な形而上学的背後世界」が消滅したということは、各人の精神的自立を意味すると共に、「神の前」にある個々人に過大な精神的負荷を課すことにもなりました。神の前でのその緊張は、カルヴィニズム→ピューリタニズムに至って極度に達し、それが反転して、遂に完全に世俗化した世界を招来することになりました。

霊と身体の人間学的区分と霊と肉の神学的実存的区分とがルターにより明確に分けられ、前者により人間が神と世界の間に立つ現存在であることが解明され、この現存在の二つの実存的様態が霊と肉の区分である後者として位置づけられている。したがって哲学的人間学は神学的人間学の存在論的前提となっているが、哲学的人間学においては罪とその救済が課題となっていないため、哲学は神学に比較すると人間について何も知っていないというルターの判断が語られることになる。それゆえ、哲学的人間学は神学的人間学の前提となっているが、現存在の実存的状況に発する問題に関しては神学的人間学が採用され、両者は救済史の観点から全体として捉えられ、宗教的哲学的人間学を形成している。ここからルターの哲学に対する態度と評価も出てきている。たとえばアリストテレスに対するルターの態度を見るとよく分かる。すなわち経験的に知覚しうる人間とその諸関係とをアリストテレスが考察していて神学の領域については語っていないかぎり、肯定的に評価されるが、スコラ神学者によって誤って神学の中に用いられたアリストテレス像に対しては否定的に批判される。哲学は人間の自然的経験を問題とし、神学は聖書において示される人間の罪に対する神の啓示を問題にする。そこで同じ人間や世界を問題としても哲学と神学とは思考の範疇を異にしており、アリストテレスの範疇論や原因説とは原理的に相違せる神学的範疇をルターは区別する(*)。われわれが人間学的区分で考察した霊と身体に対する霊と肉の区分の相違もその代表的な例である(▽)。

* たとえばWA. 40, I, 410, 11-411, 8 に見られるアリストテレスの評価を参照。アリストテレスに従う教皇主義の神学者と比較してルターは「哲学者アリストテレスの方が一層善良で、彼は正直な理性をもっており、神性を混入したりしていない」と言う。初期の著作でもルターはアリストテレスの範疇を用いている例が多い。(cf. WA. 56, 371, 2ff; 442, 1ff.

△ ルターは聖書において人間の実存的課題を見出していました。それは今日からすれば、「聖書の神話に枠づけられた思惟」としての神学の問題であって、人間の特殊な実存理解です。ここで一つの範疇を持ち出すとすれば、「特殊・普遍、個別・一般、部分・全体」の区別が便利であると思われます。理性の学としての哲学が「個別・一般」の範疇に属する事柄を論ずるとすれば、実存の学としての神学は「特殊・普遍」の範疇に属している事柄を論ずることになります。「部分・全体」の範疇は、そのどちらにも適用されることになるでしょう。今日の我々の課題は、聖書という「特殊」な宗教的表現(それを一個の古典的作品として「一般化」して捉えることはもちろん可能です)のうちに、どのように人間の「普遍性」を見出していくことができるか、ということではないかと思われます。それは聖書の実存論的(神学的)解釈の問題であると言えるでしょう。そこには生々しい人間の罪の問題、あるいは肉の問題が関わっています。「特殊即普遍」と言われるような、具体的で特殊な問題でありつつ、なおかつ普遍的な人間の問題を取り上げるところに、今日なお「神学」の役割があるのではないかと思われます。それは聖書を「正典」として扱う特殊キリスト教的な課題であると言えます。そしてそれを直ちに普遍化することはできません。それはあくまでも「聖書の神話に枠づけられた思惟」に過ぎないからです。しかし、その特殊な自己理解の中に、なおいかなる普遍性があるかと問うところに今日のキリスト教の課題があるでしょう。キリスト教は、自らを相対化しつつ、世界に開かれてあることが、そのような形で求められているのではないかと思われます。

(3) ルターは霊・たましい・身体の三区分に加えて、タウラーの説教集への欄外覚え書の三区分、すなわちたましいの機能にもとづく霊・理性・感覚の三区分を問題にし、この両方の三区分を『マグニフィカート』で総合し人間学的区分を完成した。その際、アウグスティヌス以来の伝統となっている理性の二分法、すなわち上位の直観的知性と下位の比量的悟性とに分かつ方法を採用しないで、霊を機能的に神の言葉を聴く信仰と解し、とくに『ヘブル書講解』では直観的に見る観照の立場をしりぞけて、信仰の聴従という耳の機能の意義を説いている(*)。他方、理性と感覚とはたましいの機能に入れていて、感覚を身体のみに属するとは考えていない点はアウグスティヌスに忠実に従っているといえよう。だが、アウグスティヌスの中心問題はたましいの内面における理性と感性との分裂であったのに対し、ルターは神に対する人格的関係である霊と肉の問題が中心をなしている。したがってアウグスティヌスは理性と感性との分裂を『告白』第八巻においてパウロの霊肉の葛藤と解している。ここに両者の人間学の根本的相違が生じてきていると見ることができる(▽)。

* WA. 57, HS. 222, 7ff. Ideo solae aures sunt organa Christiani hominis.

△ 既に述べたように、私は「霊・たましい・身体」という著者の言い方は日本語の語感に沿わないと感じています。すなわち「たましい(霊)・こころ・からだ」としたらよいと考えます。ともあれ、それらは「機能」と切り離せないものであって、それらを「動詞」として捉え直して、「祈り、学び、働く」人間の諸相と考えることも可能ではないかと考えてきました。それらを実体化して捉えることには問題があります。

アウグスティヌスは人間がたましいと身体とから成る複合的な存在であるという二元論的人間学を説く。「人間はたましいと身体とからなる理性的実体である」(De trinitate, XV. c. 7, n. 11)。初期から完成期に至るまでこの立場は変わらないが(*1)、理性により身体を支配する賢人の理想は初期の作品には著しく、たましいが天上界から堕落し身体に結合したというオルフィク教の霊魂説は精神と身体との二元論的に対立した古代的図式であり、初期のアウグスティヌスに影響している。しかし、『告白』のような中期の作品には一つのたましいの内面に理性と感性との分裂が実存的苦悩を惹起していて、これが霊と肉の葛藤として描かれている。前者の古代的人間観から後者への転換は『節度について』(De continentia)第十一章に明瞭に自覚されているが、ルターにおいて見たような人間学的区分の質的差異は存在しない(▽1)。そこでアウグスティヌスにおいて「たましい」は身体とともに人間の実体をなしているが、その機能によって霊(spiritus)の名称が与えられていることを知らねばならない。生命原理として「たましい」と呼ばれるものが永遠的事物を観照するとき「霊」と呼ばれ、比量的作用で「理性」と呼ばれ、記憶作用で「メモリア」、同意するとき「意志」と呼ばれる(De spiritu et anima, c. 13)。だからたましいが霊において永遠的事物の観照に向かうか、それとも可変的存在に向かって歪曲していて肉的になっているかがアウグスティヌスにおける霊と肉との区別になっている。だがルターでは永遠不変の善に向かっていても、それが自己中心的動機でなされている場合には、ニーグレンが説いているように二重の罪、勢位の高まった形における罪と見られている(*2、▽)。

*1 初期アウグスティヌスの場合 De beata vita, c. 2, n. 7 「われわれがたましいと身体とから構成されていることは明らかであると、君らには思われるか」と問われ、全面的にこれが肯定され、議論の出発点になっている。後期では De civitate Dei, XIX, c. 3, n. 1 「たましいだけ、また身体だけにより、人間は構成されているのではなく、この二つの部分からできている」とあって、立場の変更はない。なお、Richard Schwarz, Die leib-seelische Existenz bei Aurelius Augustinus, in: Philosophisches Jahrbuch 63, 1955, S. 324ff. がこの問題を考察している。

*2 Anders Nygren, Augstin und Luther, S. 25

△1 神学的人間学の区分(霊と肉)と哲学的人間学の区分(霊・たましい・身体)との「質的差異」のことでしょう。

△2 アウグスティヌスがキリスト教的人間学の「典型」を形成した功績には多大なものがあります。しかしそれは当然、古代的世界観の制約の中にありました。それにしても、著者の論述を読んでいると、人文学者というのは「猛烈に本(原書)を読む人」であるということが、よくわかります。感嘆するほかはありません。

アウグスティヌスが霊を観照作用に見ているのに対し、ルターは信仰の聴従の働きに見ており、しかも神の言葉と信仰とが内住する家として場所的にこれを理解し、霊の支配が理性と身体とに統制的に働く動的発展の相の下に霊を把えている。その際、『ヘブル書講解』での試煉を媒介とした感覚・理性・霊への上昇的発展的方向と『マグニフィカート』の霊・たましい・身体への下降的発展的方向とはかならずしも矛盾するものではないと思う。前者はたましいの機能による三区分であって、たましいが感覚を通して物質的世界へ、理性を通して思想の世界へ、霊を通して神の内なる霊へと関係的に交渉をもつことを示し、これは後者のたましいの場における作用として『マグニフィカート』では編入されているからである。たましいは試煉を通して神への方向に内面化し、信仰において神に生きる霊として身体の方向に向かって愛のわざにはげむ。試煉を通して信仰へ、愛を通して身体への二つの方向をともに生きる者こそ、自由と奉仕、主人と奴隷の矛盾を止揚して生きるキリスト者である。『キリスト者の自由』の最後でルターは次のような結論に達している。「これまで論じたすべてから次の結論が生じる。すなわちキリスト者は自己自身において生きるのではなく、キリストと自己の隣人とにおいて、つまりキリストにおいては信仰を通して、隣人においては愛を通して生きるのである。彼は信仰により自己を超えて神へと昇り、神のところから愛によりふたたび自己の下へ降り、しかも常に神と神の愛のうちにとどまる。……見よ、これが真の霊的なキリスト者の自由であって、心をあらゆる罪と律法と戒めから自由にする」(WA. 7, 38, 6ff.)(▽)。

△ 試練は人を信仰により神へと上昇せしめ、キリストの愛は人を奉仕へと下降せしめると言われています。そこには信仰への往相と愛による還相の弁証法があります。ルターはそのような生き方にキリスト者の霊的で実存的な自由を見出しています。

(4) 人間学的区分の問題を通して解明してきたルターの思想の根本的特質には実存弁証法的思惟が見られると私は思う。これまでの研究からすでに考察されたように、ルターが、(一)対立的諸規定を提出し、その矛盾を人間学的基礎概念を手がかりとして解明していく方法の中に、(二)、人間の生の様々な試煉を通して神に向かう内面性と愛を通して世界に向かう外への方向性という意味での外面性との矛盾を解明する試みの中に、(三)哲学的人間学と神学的人間学とを宗教哲学的人間学の中に統一的に理解しようとする意図の中に、私は実存弁証法の一貫した歩みの跡を見ることができると思う(▽)。

△ 著者もルターの思想に実存弁証法的な特質を見出しています。なお「哲学的人間学と神学的人間学とを宗教哲学的人間学の中に統一的に理解しようとする意図」が、ルターの中にあると書かれていることは、この段階ではまだ解明されていません。しかし受け取りようによっては、そこに大きな可能性が秘められていると思われます。なぜならそこにはキリスト教的限定を越えて進む手がかりがあると考えることもできるからです。

先に『第一回詩篇講解』に対する三つの解釈を挙げ、人間学的基礎概念を理解する手がかりを得ようと試みたが、新プラトン主義的解釈も実存論的解釈も人間学的解釈もいずれも決定的なものと見ることは不可能であった。新プラトン主義的解釈は多くの問題点を含むが、霊と身体の中間にあるたましいがたましいを越えた超越者との関係の中にあって、実存路的解釈が強調するような、この関係の人間の側、主体的自己了解だけをもっては把握できない存在者との存在的関係を説いている点を見逃してはならない。他方人間学的解釈は人間としての人間の理解が信仰の基礎にある点を指摘している点にすぐれた見解を示している。人間学的区分の研究を通して明らかになったように新プラトン主義の傾向は『ヘブル書講解』に至るまで残りやがて消滅しているが、たましいを他の存在者との関係の中に関係的に捉えようとする傾向として残り、実存論的解釈は現存在のその都度の決断による霊か肉かの実存の様態を理解する上に決定的意義をもち、人間学的解釈はかかる実存の基礎に現存在の人間学的構造が前提されている点を明確にしていると思われる。しかし、哲学的な人間学の構造は神学的区分の単なる前提ではなく、救済史的終末論的観点から総合され、統一的に理解されていたのである。それゆえ、ルターの人間観は人間学的構造からだけで解明できるものではなく、信仰と愛の実存の動的発展から弁証法的に把握されなければ十全なる理解に至らないであろう(▽)。

△ ルターの思想にアプローチするためには、複合的な視野が求められているということでしょう。しかし実存弁証法的にルターの思想を見ることは、ルターの核心に迫るために有用であると思われます。著者は、この章の最後に、人間学的区分の観点から、ルターとキェルケゴールの思想の比較を試みます。

実存弁証法はキルケゴールによって初めて主張されたものであるゆえ、キルケゴールの人間学的区分の問題を通して考察し、ルターとの比較を試みなければならないであろう。キルケゴールもルターのhomo tricamaratusと等しく「人間という家の構造」を『死に至る病』において解明している。「いま仮に、地下室と一階と二階とから成る一軒の家があって、それが、各階層の住人たちの身分の相違に応じるようなふうに住まわれ、設備されているとする――そして、人間であるということを、そういう家になぞらえてみる。すると、たいていの人間が自分自身の家でありながら好んで地下室に住みたがるという、実に悲しくもまた笑うべき事実が見いだされるのである。人間はだれでも、精神たるべき素質をもって創られた心身の総合である。しかるに、とかく人間は地下室に住むことを、すなわち、感性の規定のうちに住むことを、好むのである(*1)」。キルケゴールは心身の総合としての精神という人間学的三区分法をここに語っている。だが、精神としての実存は心身のたんなる相互作用ではなく、心身の関係がそれ自身に関係する関係として、すなわち自覚的関係として自己を措定している。「このようにして、精神活動という規定のもとでは、心と肉体とのあいだの関係は、ひとつの単なる関係でしかない。これに反して、その関係がそれ自身に関係する場合には、この関係は積極的な第三者であって、これが自己なのである(*2)」。この関係としての自己内関係の不均衡から絶望に陥り、自己をかかる関係においた他者との関係に導かれる。そしてこの絶望が信仰により根こそぎにされた場合、自己の状態は、「自己自身に関係し、自己自身であろうと欲することにおいて、自己は、自己を措定した力のうちに、透明に、根拠をおいている……この公式がまた信仰の定義でもある(*3)」と語られている(▽)。

*1 キルケゴール『死にいたる病』邦訳(世界の名著「キルケゴール」所収)四七三―四七四頁。

*2 同訳書四三六頁。

*3 同訳書四三七頁と五八五頁。キルケゴールの心身の関係の弁証法について Walter Schulz, Die Dialektik von Geist und Leip bei Kierkegaard, in: Verstehen und Vertrauen, 1968, S. 161ff. 参照。

△ 感性的人間を「地下室」の住人としているキェルケゴールの比喩は面白いと思います。また自己を関係性において把握する仕方には鋭いものがあります。かつて「三相の自己」ということを考えたとき私の念頭にあったのは、「他者との関係における自己」ということでした。その場合には、「自己としての自己(自我としての自己)」は、欲求の主体として、むしろ感性的であり、「他者としての自己(役割としての自己)」は義務の主体として理性的であり、「自己としての他者(良心としての自己)」は共感の主体として精神的であるということになります。しかしそこには人間学的区分との関連でなお検討すべき点が残っています。最後まで「自己措定」にこだわるキェルケゴールは、西洋的であると言えるかも知れません。その「自己を措定した力」(神)とは何であるかが問われます。

キルケゴールの人間学的区分は三階の家の構造をなし、感性、理性、精神(霊)の三区分から成立している。感性を通し有限性と時間的存在につながり、理性を通し無限性と永遠的存在につながっているが、心身の総合としての精神は、総合としての両者の関係に自覚的に関係しつつ神につながっている。だから、かかる存在的関連は人間学的に前提されていても、それ自身に関係する関係として主体的な関わり方、つまり存在論的に(▽)解明されているのである。そこには物自体や神は理論的に考察できず、超越論的にのみ思惟するカント哲学の決定的影響が認められるであろう。

△ 「それ自身に関係する関係として(の)主体的な関わり方」を問うことが「存在論的」という言葉で表現されています。存在論的という言い方はこのあとにも出てくるように、「存在的」とは区別された意味で使われています。ハイデガー的な用語法だと思われますが、カント哲学との関連では、むしろ「認識論的」と言うべきかも知れません。この文は、少し不自然な感じがするので、欠落(校正ミス)を疑うべきでしょう。

ルターの場合にはそれ自身に関係する関係として自己を反省的に捉える見方はない、少なくとも稀薄であるといわなければならない。したがって神と世界とに自己が関係しているのであっても、ルターの場合には存在的関係が前提されており、自己は外側から受動的に規定を受けていて、存在者との関係が様々な試煉により破壊されるとそれにより内面化が進むが、その内面化はより優れた存在者により外側から再び規定されたものである。それに対しキルケゴールの場合は存在者との存在的関係よりも存在論的関係が強力に作用し、その結果反省的に内面化された自己の憂愁、不安、絶望、死を通して躓きか、それとも信仰かのあれかこれかの決断に自己は直面する(*、▽)。

* Wilfried Joest, Paulus und das Luthersche Simul Iustus et Peccator, in: Kerygma und Dogma, 1957, S. 309f. はルターがパウロに対して現存在の事実を反省する存在論的思惟によって導かれている点を指摘している。しかし、存在論的反省はむしろキルケゴールに妥当するのであって、ルターの場合は世界と人間と神とに存在的に関わる関係が前提されていて、キルケゴールのように心理学的に解明しようとする意図は見当たらない。

△ ルターの場合には、身体→たましい→霊と試練をへて内面化が進むと同時に、自己を取り巻く環界が別の様相を帯びてくる、と理解しても間違いではないでしょう。

ルターもキルケゴールも身体、たましい、霊(精神)を人間学的基礎として立てているが、ルターの霊の理解は神の言葉と信仰の聴従の生じる場を問題にし、この場において神に従うかそれとも自己に従うかの二つの実存の可能性が霊と肉として考察されている。しかるにキルケゴールでは精神は身体とたましいの総合として、総合的関係に自覚的にかかわるものであって、感性的側面の一面的強調が美的生存となるが、普遍的妥当性を説く倫理的実存と対立し、決断と選択の前に人間は立たされる。したがってルターの「霊」は神との相互的関係の成立する場であるのに対し、キルケゴールの「精神」は自己の内なる二様の生の可能性の間に立って態度決定をする主体性を意味している。ところで実存のこの二つの可能性は霊・肉としてルターも神学的人間学において問題にしているのであって見れば、霊を神との相互的関係の成立する場と見るルターの人間学の方が人間の自然本性に立脚した構成を示していると思われる。しかし、キルケゴールの主体性の強調は近代の世俗化の過程から生じて来ている現象であり、ルター的霊性が精神として主観主義的にしか理解できなくなっていることを物語っている。近代の主観主義のもつ問題性に直面しているわれわれは、近代初頭のルターの人間学をふたたび問い直し、自己自身への人間学的再考をなすように促されているのではなかろうか(▽)。

△ ここで問われているのは「場のリアリティ」というべきものではないかと思われます。単独者の内面が問題なのではなく、自己が置かれている場(世俗化された空間)にあって、たましいの働き、霊の働きが、どのようにして再び存立し、それが場に投げ返されて来るのか、そしてそれにふさわしい場が成立って来るのかが問題であると言い換えてもよいでしょう。再びルターに帰ることが問題ではないでしょう。キリスト教的「人間学」が今日の問題なのではなく、環境世界総体との関わりで、人間の所業そのものが深刻に問われているのが今日的状況だからです。今日の世界で「霊性」の意義を問うことは、この世界の変革の可能性を問うことと切り離しては考えられないでしょう。

第一部第一章の紹介の作業はこれで終わります。


X ルターの人間学 付論1

付論 宗教的基礎経験の意義について

――アウグスティヌスとルターの比較考察――

第一節 宗教における基礎経験を問題にすることの意義

西洋精神史の中でアウグスティヌスとルターが時代の転換期に立ち、きわめて重要な意義をもっていることは疑いの余地がないにしても、彼らの思想を正しく把握し、歴史的に位置づけるためには、すでに行なわれている様々な解釈を評価するのみならず、重ねてなお解明すべき多くの問題が残されているのではなかろうか。そのような問題点の一つとしてここで特に考察しようと試みるのは、彼らの宗教生活と思想活動の発端となっている基礎経験である。それは彼らの個人的な、またある意味で特殊的な体験であって、宗教生活と思想活動の発端となっている「始原的」(anfänglich)な体験であるとともに、生涯を通じて自覚的に深まり、思想形成への「根源的」(ursprünglich)な要素ともなっている体験である。このような体験は「宗教的原体験」(religiöses Urerlebnis)また「根本経験」(Grunderfahrung)と呼ばれている「基礎経験」であるといえよう(▽)。

△ 何が人を宗教に向かわせるのかということを考えたとき、人にはそれぞれその動機となる「基礎経験」とも言うべきものがあるであろう、そしてそれが生涯を通じて自覚的に深まり、その人の思想形成の根源的な要素となっているであろうというのが、著者がここで考察しようとしていることの前提となっています。

ところで、「体験」(Erleben)あるいは「生」(Leben)からあらゆる精神的世界の構造を解明しようと初めて試みたのはディルタイである。われわれもまた始原的体験もしくは基礎経験を考察の対象としようとするのであるから、このように体験を重視したディルタイの学問方法論をまず顧みておく必要があろう。彼のいわゆる「解釈学的方法」(die hermeneutische Methode)は今日批判的に克服しようとする試みによって問題にされてはいるが(*1、▽1)、元来言語学の領域に属していた「解釈学」(Hermeneutik)を学問的認識の方法にまで高めたものとして優れた意義をもっている。それは言語や文字が人間の「生あるいは体験」(Leben oder Erleben)を最もよく定着させて保存し、完全に包括的で客観的「表現」(Ausdruck)となっているという基本的認識から出発する。したがって、人間の精神を「理解」(Verstehen)へもたらすためには、文芸や諸思想のみならず政治、経済、社会の諸機構・諸制度というヘーゲルの客観的精神の領域まで、文字を媒体としての「解釈」(Interpretation)が可能でなければならない。それゆえ、ディルタイの解釈学的方法は「体験・表現・理解」(Erleben, Ausdruck, Verstehen)の三つの契機から構成されることになる。このような彼の解釈学的方法は自然科学とならんで現代の学問を確立するのに大きな貢献をなしている歴史学を哲学的に基礎づけようとする「歴史の認識論」を目差して形成されたのである(▽2)。したがって彼は「生の歴史性」(Geschitlichkeit des Lebens)を提唱している。これは彼の解釈学の特徴をよく表わしている概念である。生は本質的に歴史的であり、客観的精神としての広義の文化一般にまで発展するゆえに、客観化された文化から分析的に生は理解され、逆にまた文化の歴史は生そのものから解釈されなければならないと説かれている(*2)。

*1 M. Heidegger, Sein und Zeit, 1927; O. F. Bollnow, Das Verstehen, 1949; R. Bultmann, History and Eschatology, 1959; Gadamer, Wahrheit und Methode, 1960 等にディルタイの批判と修正の試みが見られる。

*2 ディルタイの次の論文を参照。Die Entstehung der Hermeneutik, Gesammelte Schriften, Bd. 7; Plan der Fortsetzung zum Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften. Entwürfe zur Kritik der historischen Vernunft, Erster Teil: Erleben, Ausdruck und Verstehen.

△1 著者は、今日の学界にも一定の影響を与えている、ガダマーの『真理と方法』への目配りを忘れていません。

△2 歴史学における解釈の問題については「歴史学研究法1〜4」参照のこと。

さて、われわれはこのようなディルタイの解釈学的方法の意義を充分認めながらも、なおそこに疑問を感ぜざるを得ない点は、生の歴史性といわれる場合の「歴史性」の概念の内容に関してである。生の全体を歴史的発展の連関によって捉えようとする際に、歴史性は通俗的意味での歴史を意味し、真の意味での出来事としての歴史が撥無されているのではなかろうか。生は発展的であり、ディルタイが主張するように歴史的個性は歴史的世界との作用連関(Wirkungszusammenhang)をもち、そこから生はそれ自身の顕示として客観的世界の創造者となるものである。しかし、ディルタイは、ブルトマンが批判しているように、歴史を審美的立場から見世物を見るように眺め、人間存在の可能性を自分のものと見て楽しんでいるともいえよう(*)。真の歴史的個性は客観的精神という文化一般の立場に解消し尽くされず、心理学的に把握可能な一般的生の親近関係では理解できない生の深みに、むしろかかる解消を拒否する隠れたる実存の事実に立っているのではなかろうか。なぜならそれでこそ個性の個性たる質が現存しているからである。このような個性をわれわれは歴史的世界の形成者となったアウグスティヌスやルターのごとき宗教的人格のうちに見いだす。宗教的人格が所有している生の体験は結果的には文化を新しく形成する働きをなしながらも、それは文化一般と同一視されることをみずから拒絶するものである。したがって宗教的には言語を媒介とする一般的表現を絶する超越的体験が存在するといわなければならない。このような生の根源的事実は、口伝や言語伝承も通じないにもかかわらず歴史である原―歴史ともいうべき地平に生じているゆえに、「生の原歴史性」(Urgeschichtlichkeit des Lebens)という言葉でもって表現できるであろう。ここにおいて生は自己を直接的に伝達することができず、逆接・背理・矛盾・否定を駆使して弁証法的にのみ自己を伝達し表現することになる。それは生がみずからのうちに実存的・弁証法的契機をもち、そこから真の歴史性を形成しているからにほかならない(▽)。

* R. Bultmann, History and Eschatology, p. 125

△ 著者がアウグスティヌスとルターの「基礎経験」を対照させ、考察しようとするのは、「生がみずからのうちに実存的・弁証法的契機をもち、そこから真の歴史性を形成している」ということを見出すためであり、二人が、その「生の深み」を生き抜いたという点で、「生の原歴史性」、「生の根源的事実」に到達していると考えられているからです。心理学もその事柄について発言権を持つ筈ですが、著者にとってそれは「心理学的に把握可能な一般的生の親近関係では理解できない生の深み」であって、「実存論的・解釈学的」にのみ考察可能な事柄であると見なされています。

われわれは始原的体験、もしくは基礎経験への考察を試みることによってこの生の根源的事実を明らかにしてみたい。そのさい、われわれはディルタイの方法に従いながらも、彼の解釈学の第一の契機である「体験」を補足もしくは修正し、沈黙の隠れの中に存在している事態を実存的に把握し直し、始原的体験の意義を明らかにし、人間的生の可能的体験の豊かさ、その深さ、広さを解明してみたいと考える。このことこそ彼が主張する「可能性の広範な領域」に導く歴史研究の課題にほかならないといえよう(*)。

* W. Dilthey, Gesammmelte Schriften, Bd. 7, S. 215

第二節 基礎経験における否定的契機の重要性、「始原的体験」の定義

哲学におけるのと同様、宗教においてもその「始原」(Anfang)を問うことは、われわれが宗教を理解するに当たって決定的意義をもっている。すでにシュライエルマッハーも『宗教論』(Über die Religion)の中で、有限的人間の現存在の直中に突如として生じる「無限者と有限者との婚姻を精神生活の誕生日となし、宗教生活の起源を重んじて次のように言う。「おのおのの宗教的人格もまたまとまった全体であり、これを理解するにはその最初の啓示を探究することに努めなければならない(*1)」と。われわれもアウグスティヌスとルターとをその宗教生活の発端となっている体験にまでさかのぼって、宗教的生もしくは思想を形成している根拠となっているものを解明しようと思う。かくして、この体験への反省によって、この体験の中に現存する神・絶対者・永遠者と、これに結びつく宗教――ラテン語でreligioとはreligare(結合する)に由来する――の所有すべき根拠、キルケゴールのいう「最初の始原根拠」(die ersten Anfangsgründe)が明らかにされ、そこからして宗教に固有な領域をわれわれは指示することができるであろう(*2、▽)。

*1 F. Schleiermacher, Über die Religion, (Phil. Bibl.) S. 166f.

*2 S. Kierkegaard, Abschliessende Unwissenshaftliche Nachschrift zu den philosophischen Brocken II, Teil, S. 255

△ 「聖書の神話に枠づけられた思惟」(神学)の根本的帰結は、「絶対者・永遠者」なる「神」という思想です。その神が「体験の中に現存する」とき、人間心理に恐るべき事態が生じることは想像に難くありません。キリスト教という宗教の「始原」にあるものは、この神観以外のものではありません。著者もその限りでのキリスト教という宗教を論じているのであって、それ以外の宗教のことではありません。

現在では「原体験」(Urerlebnis)という語はあまり使用されていないようである。ディルタイは理解に必要な追体験の前にある先行する体験を原体験と呼んでいる。しかるにルターの研究でエラートがこの語を用い、エーリッヒ・ゼーベルクがそれを継承しているが、そこには特殊な意味が加わっている(*1)。エラートは『ルター教会の形態学』(Morphologie des Luthertums)という書物の中で、神の怒りの下に立つルター的な特殊な実存形態における最も陰惨な暗黒面をこの語で表現している。「始原的体験とは自然のままの人間(natürlicher Mensch)が神に対する関係として理解されるであろう。それは実存的矛盾に満ちたものである」と彼は言う(*2)。またシュルツェ=マイツェルはエックハルトの現代語訳につけた序文の中で「霊の怒り」(irascibilis)という巨人的な衝迫にかられて、神性を直接に体験しようとするエックハルトの立場を「宗教的原体験」(religiöses Urerlebnis)なる言葉で語り、かかる宗教的原体験からすれば創造主と被造物との対立は暫定的で克服されるべきものとみなされる(*3)。また、ペーターソンは神秘主義とルターにおける罪責意識との弁証法的関連を追求し、ルターの始原的体験の神秘主義に対する関係の問題性を指摘している(*4、▽)。

*1 W. Elert, Morpholigie des Luthertums, 1931, Bd. 1. S. 15ff., Erich Seeberg, Luthers Theologie, Bd. II, Christus. Wirklichkeit und Urbild, 1937, S. 4ff.

*2 W. Elert, op. cit., S. 25 エラートはルターの始原的体験を『詩篇第九〇篇の講解』(一五三四−五年)の記述の中に先ず求めている。この詩篇講解はルターの晩年の大著『創世記講解』の序説という形で行なわれたものであって、晩年においてもこの体験の勢位が衰えず、ますます高まっていることを示している。この講解を特に考察した研究にはC. Stange, Luthers Gedanken uber die Todesfruchtがある。エラートはカール・ホル以来強調されてきたルターの倫理的側面を重視している。始原的体験における死の体験は人間の倫理的人格性の終息という意味での死が考えられているという。他方、われわれはルドルフ・オットーのルター研究が『奴隷意志論』から出発している点を無視できない。オットーはDas Heilige, West-ostliche Mystik, Sünde und Urschuld 等においてルターと神秘主義との密接な関連を終始追求している。問題はホルが立てたように神秘主義的要素と倫理的要素とはルターの中で対立するものではなく、むしろ倫理的なるものを如何に位置づけるかにある。ルターと神秘主義とは始原的体験における実存理解という点で類似と親近性とをもつが、ルターの場合、この体験が倫理的道徳の場で宗教的信仰へと移行し、そこに固有の弁証法的思惟を形成しているといえよう。

*3 Schulze=Maizier, Meister Eckharts deutsche Predigten und Traktate, S. 27

*4 Erik Peterson, Zur Theorie der Mystik, in; Zeit. f. syst. Theol., 1924, S. 147ff.

△ トラウマという言葉があります。辞書によれば、精神的外傷(精神に永続的に影響を与えるもの)という心理学用語で、心の傷を意味しています。医学的には外傷の意味です。しかしパウロの言い方では、この身に「焼き印(ガラテヤ6:17)」を帯びているとでも言うべき事柄です。神と人との出会い(関係)において、人間の心に消し難い霊の刻印が押されるという「原体験」は、人間の罪の自覚とも深く関連しています。それは、いわばトラウマとなって、その人の生涯に永続的な影響を与えることになります。西洋人の思想形成において、聖書に由来する神観念が根本的な影響力を持ったことは、ルターの場合、激越に表現されています。しかしそれはキリスト者の経験の極致というべきものでしょう。キリスト教はその意味で神との格闘(精神的葛藤)のドラマです。

このように「原体験」という言葉が多様な意味をもつゆえに、「基礎経験」の方が事態を一層正確に表現していると思われる。しかるに原体験が前綴 ur が始原、根源を意味するにとどまらず神秘主義的な神の直接体験を表わし、さらにそれがルターの場合に神の怒りの下なる否定的暗黒面を表わすためにも用いられている点を考慮するならば、始原的体験は基礎経験の否定的契機を表現するものと考えられよう。なぜなら、基礎経験は多くの場合、基底の危機の自覚であって、これまで育てられてきた環境世界なる地盤の喪失の感得であり、そこから世界も自己も問題化してくるからである。アウグスティヌスとルターではかかる基底の危機の意識が神との関係の中で生じているゆえに、「基礎経験の中なる始原的体験とは、神もしくは神性(Gottheit)との直接的出会いの体験であって、単に宗教生活の発端となるのみならず、同時に、思想の弁証法的根拠である問いとしての実存を形成するものである」と総括的に定義できるであろう。われわれはアウグスティヌスとルターのテキストからこの点を立証し、宗教的生の始原としての体験から如何に思想が形成されてきているかを論証してみたいと思う。それゆえ、われわれは単に始原的体験の事実を指摘するにとどまらず、そこから形成されてきている宗教的経験の全体的構造と固有の論理を把握しなければならない。本論文はアウグスティヌスとルターとの比較という視点から考察されるので、両者の共通点と相違点に問題を局限し、しかも固有の特殊的体験を取り扱うという制限をもつのであるが、まず両者の始原的体験の記述を検討してから、次に、思想がかかる体験に即した論理、または法則性を形成する過程を問題とし、両者の相違点に触れてから、最後に宗教的基礎経験の意義を解明することにしたい(▽)。

△ 「原体験(始原的体験)」という言葉の代わりに「基礎経験」という言葉が用いられるということが、ここで確認されます。そして始原的体験は「基礎経験の否定的契機を表現する」という点に注意が促され、その重要性が指摘されます。人生の重大事が「肯定的」なものであってもいい筈なのに、始原的体験が「否定的」、危機的であると言われているのは、人間について何事かを告げるものでしょう。

第三節 伝記的観点からの比較考察

アウグスティヌスとルターの始原的体験についてまず伝記的観点からごく短く触れてみたい。始原的な宗教体験についての記述をわれわれが彼らの著作に求めて知られることは、われわれの期待と予想に反して、初期の著作には殆んどそれらしきものが見いだされないといっても決して過言ではない。回心後十五年も経て書かれたアウグスティヌスの『告白』(Confession)の中でわれわれは初めて彼の回心以前のたましいの深刻な苦闘が何んであったかを理解することができる(*1)。『告白』の著述の動機そのものが、「如何に深き淵から汝に向かって呼び求めるべきか」(de quam profundo clamandum sit ad te. Conf., II, c. 3, n. 5)を考察するにあったのである。同様に、ルターにおいても若き青年時代の彼を襲っていた恐るべき内的危機の現実について記述がなされているのは、おそらく二十数年後の一五三〇年以後の文書からである(*2)。このように長い年月を経てはじめて語ることができる始原的体験の事実は、救済の深くかつ強固なる確信なくしては語り得ないほど深刻無比な体験であることを示している。また、それとともに始原的体験はそれ自身で完結し得るものではなくて、救済こそこの体験で出会う聖なる実在、永遠者なる神に対する認識根拠となっていて、宗教的基礎経験は始原的体験と救済体験とから成立しているといえるであろう(▽)。

*1 カッシキアクムでの初期の哲学的諸対話篇のみを問題にするなら、アウグスティヌスの回心は新プラトン主義への回心としか考えられないとの疑念が一応成立するとみても、それだからといって回心後十五年を経て書かれた『告白』の回心の記事が詩的捏造であると見ることは明らかに不当である。むしろ長い年月にわたる研鑽と思索によって内面の苦悩に打ち勝つ確信を立て、かくして初めて神を賛美するためにアウグスティヌスは回心以前のたましいの苦闘の跡を周知のような内省分析を駆使し、一定の法則性をもった思想の導きのもとに書かれたとすべきである。したがって始原的体験という視点から見ると、初期の著作には懐疑論やマニ教に対する論駁が彼の中心的関心事であっても、それらとの対決のうちに救済が思想的に法則性をもって自覚されてきて、そこから以前に陥っていた深淵的危機の理解も次第に体得されてくるという思想的発展の経過が明らかになる。

*2 一五三〇年以前の文書でも断片的にはルターの内的危機の叙述が見いだされる。最も初期に近いものは一五一八年の九十五ヶ条の提題の説明にある叙述である。ここではタウラーのような地獄苦をなめた人として三人称で自分のことを語って言う、「だが、私はこのような苦しみを極めて短時間の間隔をおいてではあるが、しばしば蒙った一人の人を知っている……」(WA. 1. 557, 15ff.)と。

△ 始原的体験が深刻であればある程、それを克服したのちに、初めてそれについて語りうるということは、十分に理解できることです。

次に、体験内容に関していうと、始原的体験は一般的には罪・悪・不安・不満・懐疑・挫折・絶望・憂愁・死の恐怖など人間の現存在それ自身のうちに存在する限界状況もしくは矛盾として記述されているものである。それは思想的境位にもとづいて様々な形態をとって現象するものであるが、ここでは一例としてアウグスティヌスとルターとの共通の現象となっている「友人の死」という体験について考えてみよう(▽)。

△ 「始原的体験は一般的には……など人間の現存在それ自身のうちに存在する限界状況もしくは矛盾として記述されているもの」と、一般的な規定が与えられているのは、それが、程度の差はあれ、人間の誰しもが直面する問題であるということを意味するでしょう。そこに人間学の人間学たる所以があります。

『告白』第四巻に述べられている友人の死の体験はアウグスティヌスにとって憂愁を伴う「恐ろしい苦悩」(cruciatus inmanis)となり、「死の恐怖」(moriendi metus)という「経験」(experientia)となっている。彼は告白して次のように言う、「私自身が私にとって大きな謎(magna quaestio)となり、私のたましいに何故このように悲しみ、このように大きく不安にするのかと尋ねたが、私のたましいは如何なる答えを私に与えるべきか知らなかった」(Conf. IV, c. 4, n.9)と。ここからわれわれは始原的体験とは人間の現存在を徹底的に問題的(謎)なるものとなし、人間存在をその根底まで震撼せしめる出来事の体験であって、人間の全体を一つの問いとなすものであると解することができる。またアウグスティヌスは同じところでこの点について「人間そのものが大きな深淵である」(grande profundum est ipse homo.Conf., IV, c. 14, n. 22)とも語っているが、それは人間そのものが底無き(abgründig)ものとして脱底的に突破される体験を背後にもっているからこそ、かく語られているのではなかろうか。人生はかかる「試煉」からなっている。この試煉は問いとしての人間の実存を形成している。「汝は汝の中にとどまり給うて、われわれは種々の試煉の中に輾転しているのであるか。しかも、われわれは汝の耳に向かって嘆き訴えることができなければ、何の希望も残らないであろう」(Conf. IV, c. 5, n. 10)(▽)。

△ 現存在の苦悩は、アウグスティヌスにあっては、汝なる神への嘆き訴えであるとき、初めて解決の緒を見出すことができるものでした。「人間そのものが底無き(abgründig)ものとして脱底的に突破される体験」と著者は言います。その言い方は、しかし、どこかエックハルトを思わせるものがあります。

これとよく似た現象がルターにおいて見いだされる。ルターが修道院に入る動機となったものは友人の死であるとされている。彼は当時を回想して『修道の誓願について』(De votis monasticis)の中で、「好んでまた憧れてではなく、突発的な死の恐怖と苦悶に取り巻かれて(terrore et agone mortis subitae circumallatus)修道院に入った」(WA. 8, 573, 30f.)と語っている。また修道院に入った当初「恐ろしい立ちすくむ想念」(horrens et terriffica cogitatio)に悩まされていたとも言う(WA. Br. 5, 519, 27ff.)。『若きルター』の著者ベーマーはルターの宗教生活の発端をなしていて、修道院に入る動機となった体験を、その当時ルターの心を襲っていた「憂愁の試煉」(tentatio tristitiae)が突発的出来事を契機として結晶したものであると見ている(*1)。このルターが好んで用いる「試煉」(tentatio, Anfechtung)という概念はルターの思想にとって重要な意義をもち、シューマンはこれを「人間的実存の問い」(die Frage der menschlichen Existenz)と呼んでいる(*2)。レーベニッヒは「信仰の実存的要素は試煉において最も明証的になる」と言う(*3)。われわれはこの「試煉」においてルターの始原的体験の形態を見ることができよう(*4)。

*1 H. Boehmer, Der junge Luther, 1925, S. 46

*2 F. Schumann, Gottes Glaube und Anfechtung, S. 18 ; H. Beintker, Die Überwindung der Anfechtung bei Luther, S. 53からの引用。

*3 W. v. Loewenich, Luthers thologia crucis, S. 183

*4 われわれが注目しなければならないことは従来伝記的興味の対象にすぎなかった始原的体験の現象がカール・ホル以来重視されるようになり(K. Holl, Gesammelte Aufsätze I. Luther, S. 67f.)、最近ではルター神学の出発点とされるようになっているのみならず、「試煉の神学」(Theologie der Anfechtung)としてその中心に位置してきていることである。私が見たものを一例としてあげると、G. Jacob, Der Gewissensbegriff in der Theologie Luthers, 1929; E. Vogelsang, Die Aufänge von Luthers Christologie, 1929; ders, Der angefochtene Christus, 1923; G. Rupp, The Righteousness of GodLuther’s Studies, 1947; R. Prenter, Spiritus Creator, 1953; H. Beintker, Die Überwindung der Anfechtung bei Luther, 1954などがある。始原的体験はここに試煉として現在神学的考察の対象となっているともいえよう。元来、試煉とは教義(Dogma)とわれわれの生(Leben)との裂け目に生じる現象で、例えば間違った教義の中でキリストが審判者として現われるとか、その姿が見失われるとかいう現象である。それゆえ試煉とは仲保者を媒介としない直接的神体験という意味で始原的体験と事実上一致するといえよう。さらに「試煉」(tentatio)という言葉には外部から迫りくる何らかの手段となるという意義と、その力が内的に良心における憂愁(tristitia)不安(angustia)絶望(desperatio)としての体験(Erlebnis)ともなり、さらにそこから神と人間との間の戦い(pugna)の意味がある(H. Beintker, op. cit., S. 66)。それゆえ「試煉」はわれわれの考察している体験と全く同一の現象を指しているとみなすことができる。そしてこの現象はカトリックの学者たち、例えばジャック・マリタンなどが非難するような病的心理学的アブノーマルな状態では決してなく、人間が神から離反している真の実存状況、カール・シュタンゲによればこの離反は人間の側からは罪として、神の側からは死として現われるところの状況であり、神の怒りの下で死と地獄と全被造物までもが人間を攻撃してくる状況として示される(C. Stange, Luthers Gedanken über die Todesfurcht, S. 21)。ルターの場合にはわれわれの推測も及ばないほど異常な激しさをもって記述されているのを忘れてはならないのである(▽)。

△ ここで著者は「試煉とは教義(Dogma)とわれわれの生(Leben)との裂け目に生じる現象」であるという見解を、そのまま肯定しているように見受けられます。教義が人間の正しいあり方を導く規範であるという思想が、私がこれまで考えてきたように「聖書の神話に枠づけられた思惟」であって、あくまでもキリスト教的に限定されたものであるとすれば、著者はそのような考えを拒否し、聖書に神の啓示を見る「キリスト者」として、教義学と人間学との根本的な一致を主張していることになります。しかし教義の正しさとは何であるかについて、あるいは人間の救いとは何であるかについて、さらに深く検討を加える必要があると思われます。さもなければ、人間学とは単に教義学の補完物(神学の奴婢)に過ぎないものとなるでしょう。カトリックが何を言っているかなどということは、この際、問題にすべきではないでしょう(ルターの「人相」が年を取るにつれて段々悪くなってきていると言ったのは、たしかマリタンではなかったかと思います)。

付論の紹介の作業はここで中断します。


Y ルターの人間学 付論2

第四節 基礎経験の対極的構造

伝記的観点から始原的体験の記述を一考してみたのにすぎないが、さらに伝記的考察もしくは精神の発展的考察によって発見される驚くべき事実をわれわれは指摘することができる。それは初めには感得(fühlen, aware)されているに過ぎない始原的体験の否定的勢力が生涯を通じてその「勢位」(Potenz)を次第に高めるということである。始原的体験のもっている深淵的性格は安易な止揚を許すには余りにも深刻な体験であることを示し、その深淵性は救済の地平からのみ初めて認識可能となり、かつ生涯を通じて自覚が深められている。このことをヤーコブがルターの良心概念を通して解明しているが(*)、実はこのことを最も典型的に証示しているのは、ローマ書第七章後半の解釈をめぐるアウグスティヌスの解釈の転換という出来事である。

* G. Jacob, Der Gewissenbegriff in der Theologie Luthers, S. 3ff.

ペラギウス論争の途上、四一九年にアウグスティヌスは突然従来とってきた解釈を捨てて、律法の下に立つ人間のみならず、恩恵の下にあるキリスト者においても罪との戦いが存在するという解釈へと明らかに転換している。この転換は単に論争の結果生じたとすべきではなく、ディンクラーが力説しているように、「宗教的深化」(religiöse Vertiefung)によると見るべきであり、仲保者による神と人間との和歌にもかかわらず、なお認めなければならない神と人間との間に存在する亀裂と懸隔、もしくは絶対的異質性の認識から生じ、それは「欲情の克服し難いこと」(Unüberwindbarkeit der Concupiscenz)に起因するということができる(*1)。このアウグスティヌスの解釈の転換をルターは継承し、キリスト教理解の本質にかかわる問題とみなしている。それゆえ、われわれはパウロのローマ書第七章からルターが捉えたキリスト者の実存形態の基本的定式「義人にして同時に罪人」(simul iustus et peccator)がアウグスティヌスにおいても明らかに示されると推測することができる。しかし、ニーグレンが主張しているように、アウグスティヌスにおけるこの同時存在は「理性」と「感性」との戦いから主張されているにすぎず、人間が全体的にかつ逆説的に同時的であると説くルターとは意味内容において相違している点は認められなければならない(*2)。とはいえ、アウグスティヌスにおいてこの同時性が「欲情の克服し難いこと」に起因するごとく、ルターにおいてもこの同時性が「罪の根絶し難いこと」(Unausrottbarkeit der Sünde)に起因するのであるからして、少なくともそこには共通した事態をわれわれは見ることができよう。すなわち、そこには欲情や罪が安易な止揚を決して赦さないということの徹底した実存的自覚が看取されるのである(▽)。

*1 E. Dinkler, Die Anthropologie Augustins, S. 271

*2 A. Nygren, Simul iustus et peccator bei Augstin und Luther in: Augstin und Luther, S. 28ff.

△ 「神と人間との間に存在する亀裂と懸隔、もしくは絶対的異質性の認識」ということは、万人にとって決して自明のことではありません。しかしまさにこの「認識」こそが、キリスト教をキリスト教たらしめているのであり、そこから極めて尖鋭な自己意識が生じてきます。アウグスティヌスとルターはその典型と言うべきものでしょう。

われわれはここにおいて人間存在を全体として一個の問いとなしていて、それゆえに宗教への端緒となっている始原的体験が倫理の領域において自覚的にその勢位を高めてきていることを理解する。したがって、それは人間の自然性を絶対的に否定し、神と人間との間に生じる絶対的隔絶の体験として(▽1)単に感得されるにとどまらないで、倫理的自覚にまで至っていると見ることができる。このことからわれわれは始原的体験が救済体験により止揚されるとはいえ、ヘーゲルのアウフヘーベンのごとく、救済の中でのいわば否定的契機として自覚的・対自的に自らのうちに媒介包摂され、そこから生ける基礎経験を構成していると理解すべきである(▽2)。それゆえ始原的体験と救済体験とは二元的に立てられるべきものではなく、不断に止揚すべく目差されている宗教的基礎経験の包含している「対極性」(Polarität)として問題にされるべきである(*)。

* 始原的体験を救済から分離して考えることは全く虚偽であるとルターは強調する。たとえばルターは神の怒りの体験によりこの体験を物語っているが、その際、神の怒りそのものだけを問題にすることの誤りについて「神の怒りの思想はそれ自体では誤りである」(WA. 40, II, 342, 37)と語り、また『奴隷意志論』でこの体験が恩恵に結びつかない場合は絶望・神嫌悪・?神という宗教的ニヒリズムに陥ると言う。「私自身一度ならずこの最も深い絶望の深淵に落ちた。そのためこの絶望が如何に有益であり、恩恵に近いかを体験するまでは、生まれなかったことを願ったほどであった」(WA. 18, 719, 9ff.)。

△1 「人間の自然性を絶対的に否定し、神と人間との間に生じる絶対的隔絶の体験として」という言い方は、尋常のものではありません。聖書に由来する神観念であると言えるでしょうが、それを自らのものとして「体験」するということが、人間の心理に恐るべき事態を引き起こすであろうことは、先述した通りです。

△2 「救済の中でのいわば否定的契機として自覚的・対自的に自らのうちに媒介包摂され」という文の主語が明確ではありません。だから「自らのうちに」が、始原的体験それ「自らのうちに」ということなのか、それとも、救済それ「自らのうちに」ということなのか、はっきりしません。否定的体験が、それ「自らのうちに」、救済という肯定的体験を潜在させていると受け取るべきなのでしょうか。そうすると「神の怒り」の体験のうちに、神の恵み(恩恵)が潜んでいるという理解になります。いずれにしても、否定(的体験)から肯定(的体験)への転換に、キリスト教信仰の核心があると言われているのでしょう。しかし「救済」とはそもそも何なのでしょうか。それは単に「こころの出来事(体験)」を言い表わしているに過ぎない、のではないでしょうか。

第五節 対極的構造から由来する実存の弁証法的論理

われわれが探求すべき第二の課題は基礎経験の中にある否定的契機たる始原的体験が宗教的体験に即した論理を形成するプロセスを把握することである。体験に即した論理もしくは法則性とはさきに述べた宗教的体験のうちに自覚的に媒介包摂された始原的体験のもつ否定的契機が生み出す否定媒介の論理たる「弁証法」(Dialektik)といえよう。この論理形勢のプロセスは宗教的体験が包含している対極性が如何に形成されてくるかを解明することによって把握される(▽)。

△ 否定媒介の論理たる「弁証法」に著者の思考法の骨格があるようです。

宗教的体験が包含している対極性は次の三つの契機からなるプロセスをとって形成される。

(1) 始原的体験における否定的威力は神観に最も明瞭に表出されている。ここでは仲保者(▽1)を媒介としない「直接的」(unmittelbar)な神体験という特徴を始原的体験は示し、そこに証示されている聖にして尊厳なる神と人間とを隔てる深淵、絶対的隔絶に現出している否定的勢位は、アウグスティヌスの「不等なる」(dissimilis)神、ルターの「怒りの・裸の・絶対的な神、神自身、神の尊厳」(Deus iratus, nudus, absolutus; Deus ipse, maiestas divinae)という神観に反映している。アウグスティヌスやルターのごとき宗教的人格の秘密は、この怖るべき畏怖の根源、神性の尊厳の神秘を感知していた点に求められる。そしてこの絶対的否定の契機こそ対極性を形成する全関係のエレメントをなしている(▽2)。

△1 仲保者とは言うまでもなく「キリスト」のことです。しかしこれを仏教の「仏心・仏性」に倣って、「基心(きしん)・基性(きしょう)」と言い換えてみたらどうでしょうか。それは基督(キリスト)の心、基督の性を意味すると同時に、基(もと)の心、基の性をも意味しています。仲保者を「対象化」しないためには、そのような工夫が必要になるのではないかと思われます。ルターはキリストを自分から切り離して(対象化して)考えることを戒めています(「ルターの信仰論」参照)。

△2 その神観は再三述べているように「聖書の神話」に由来します。それ自体は普遍的思想と言うものではありません。「ヘブライズム」は地域的に限定された思想です。

(2) これらの神観に表出された否定性は人間の自然性と直接性を突破し、破壊するものであり、ルターはかかる神を「否定的本質」(negativa essentia)と呼んでいる(WA. 56, 393, 1)。しかし、この否定の深淵性は「深淵が深淵を呼ぶ」(Abysus abysum invocat.Ps. 42, 7)とあるように救済との深淵的対応関係を創りだす。否定を通して全く無となったものから有を呼び起こす神の創造的救済の恵みがここに示される(▽)。

△ 「神は無から…」ということと、「神は無である」ということとの間には、紙一重の差しかありません。無(否定)の深淵から「基心・基性」(救い主)が立ち現われます。

(3) しかし、この対応関係にはそれを惹起せしめる原―関係(Ur-relation)ともいうべきものがなければならない。それは人間の実存のうちに、生そのもののうちに、存在の深層に見いだされる中核であるが、しかもこの中核自身が根源的に分裂し分岐しているところにわれわれの求める対極性が形成されているということができよう(▽)。

△ 「(神の前に)私がいる」ということは「根源的に分裂し分岐している」ということを意味しているのではないでしょうか。そこに人間の「対極性」が形成されてきます。

このように見てくると対極性というものがそれ自身完結したものでも、肯定的なものでもなくて、自己の内に分裂した意識であるため、ヘーゲルが『精神現象学』の中でキリスト教の三位一体の教義から意識の在り方へと読みとった「不幸な意識」(das ungluckliche Bewußtsein)と形態的に似ているといえよう。というのは形態上から見ると対極性も不幸な意識と同様「自らのうちに分裂した意識」(das in sich entzweite Bewußtsein)といえるからである(*)。かかる構造をもつ対極性をアウグスティヌスは「等―不等」(similis-dissimilis)という形で、ルターは「生―死」(vita-mors)という形で把握していると思われる(▽)。

* Hegel, Phänomenologie des Geistes (Phil. Bibl.) S. 158

△ 人間は、聖なる神を前にして、その有限なあり方自体において、「自己の内に分裂した意識」を持つことになります。「不幸な意識」はそこから不可避的生じてくる結論であるということになるでしょう。いわば「生れて来なければよかった」という感懐(自意識)も、その「不幸な意識」の一つの局面として立ち現われてきます。

アウグスティヌスの「等―不等」(similis- dissimilis)の対極性は彼の著作のいたるところで見いだされ、後に中世の存在論におけるアナロギアの論理にまで発展する萌芽をもってはいるが、彼自身にはかかる意図はなかった。アウグスティヌス自身アナロギア(analogia)という語を用いず、similis, similitudeを用いていることからも、この語の重要性は大きい。たとえば彼は『告白』第十一巻でこの対極性を最も明瞭に述べている。「私は恐れ戦き、燃え立つのであるが、私はそのもの〔神の言〕にdissimilisである限り、恐れ戦き、そのものにsimilisである限り、燃え立つのである」(Conf., XI, c. 9, n. 11)。ここで私という一個の実存のうちに戦慄と歓喜とを矛盾的に激成している事態の本質は、人間の神に対するsimilis-dissimilisの対極性に根ざしていることが示されている。そしてこの対極性の内実は神に対する人間の存在自体の不等性(dissimilitudo)の自覚から形成されているものである。これは存在論的体験から結果したものであって、神と人間との間の「存在の同等性」(aequalitas naturae)を主張するマニ教の影響の下での悲惨な神体験に際して、また新プラトン主義の下での神秘的脱自体験に際して現存在の有限性を自覚したときに、体得したものとして語られている。「私は愛しかつ畏れて戦慄した。そして私は不等性の境地にあって汝から隔絶していることを知った」(contremui amore et horrore: et inveni longe me esse a te in regione deissimilitudinis.Conf., VII. c. 10, n. 16)と神秘的脱自体験の直中で彼は語っている。われわれはここで神の認識が、同時に神と人間との間に介在する存在の不等性、つまり神からの隔絶の自覚と結びついていることに注意しなければならない。神は「全く他」(aliud, aliud valdeConf., ibid.)として現われている。かかる全く他なる異質性の自覚から形成されてくる「等―不等」の対極性は救済にもとづく愛によっての神との合一の直中にも認められている。『カトリック教会の道徳』(De moribus ecclesiae Catholicae)の中で彼は愛による神秘的合一体験を記したのちに言う。「そしてたとえ精神がそれによって似た(similis)ものになるかの〔愛による〕帰服によって神に最も近い状態に達しているとしても、さらに似た(similior)ものになろうと欲する高慢によって、神から遠く隔てられている(longe ab eo fieri)としなければならない」(Demor. ecc. cah., c. 12, n. 20)と。ここでの高慢(audacia)とは創造者と被造物との間の存在の不等性を忘れ、精神が神にまで至らんとする大胆不敵さ意味する。かくして神に最も近い所にあっても、神と人間とを隔てる絶対的隔絶が見失われているのではないといえよう。さらにアウグスティヌスは主著『三位一体論』(De trinitate)で人間の精神のうちに「神の像」(imago Dei)を探求しているが、そこではsimilis-dissimilisの対極性は、dissimilis in similiすなわち等性における不等性という形にまで徹底されている。ここでは第十五巻からテキストを引用するだけにとどめたい。「したがって現在このような不透明さの中で、勿論ここでもある似姿(simi-litude)は見いだされたのであるが、神と神の言に対する大きな非類似性(dissimilitudo)が存在するからして、……われわれが本性(natura)において神と同等に(aequalis)なるのではないということが認められなければならない」(De trin., XV, c. 16, n. 26)(▽)。

△ アウグスティヌスは、当然のことながら、教会において、聖書を通して神に出会っています。そのコンテキストがなければ、思想のリアリティは失われます。「汝から隔絶している」私が、そこで初めて自覚されます。「全く他」なる神は宙空に浮かんでいるわけではありません。その神に向き合っているということが成り立つには、そのような場に自分が置かれてしまっているという、大枠の前提(信仰共同体としての教会)があります。「神の似姿」という思想に意味があるのは、そのコンテキストにおいてであって、そこを離れてしまったら、それは創世記の一神話に過ぎません。しかし「等―不等」の弁証法(等性における不等性)は、構造的には仏教にも見られることです(「受肉と同事」参照)。信仰における超越的契機(「全く他」なる神)は現存在の有限性の自覚をもたらします。神はそのような者として、対極性において人間に対峙しています。今日的な言い方をすれば、神は信仰の「非対称性」において人間に対立すると言うべきかも知れません。

このようにアウグスティヌスにおいて対極性が神と人間、創造者と被造物との間に介在する存在の不等性にもとづいて存在論的に、したがって神の永遠性と人間の時間的有限性、恒常不変なる神と可変的人間との形而上学的に対立せる意識によって形成されているのに対し、ルターは「生―死」(vita-mors)の対極に立って極めて実存的に対極性を把握しているということができる。たとえばルターが神と人間との関係を「最高の非類似性と動かし難い矛盾」(summa dissimilitudo et contradictio immutabilisWA. 40, II, 331, 15f.)と言い、「両立し難い二者を結合する」(coniungere duo incompatibiliaibid., 332, 25f.)というごとき鋭い表現をもって語る場合でも、アウグスティヌスにおけるような存在論的な意味からではなく、実存的意味から言われているのである。それゆえ、ルターの対極性を「生―死」から解明してゆくことにしたい(▽)。

△ 信仰の人、ルターは、同時に鋭い「弁証法的論理性」を兼ね備えていたということを、著者は見逃していません。それは「最高の非類似性と動かし難い矛盾」、「両立し難い二者を結合する」というルターの言葉の引用によって示されます。その着眼(哲学的洞察)によって著者は優れた学問的貢献をなし得ています。

ルターは生と死を福音と律法との実存的相関の中で把握している。このことを端的に語っているのは『詩篇第九十篇の講解』(Enarratio Psalmi XC, 1534-35)である。「律法の声は畏れを知らない者の耳に不吉な言葉を響かせ、〈われわれは生の直中で死の中にいる〉(Media vita in morte sumus)と語って戦慄させる。だが、福音の声は〔恐れ戦く者〕を援け起こし、〈われわれは死の直中で生の中にいる〉と歌う」(WA. 40, III, 496, 16ff.)。このようにルターでは福音と生、律法と死がそれぞれ実存的に相関し、かつ福音―律法、生―死がそれぞれ対極を構成している。しかるに福音と律法はともに神の言葉であり、この神の言葉は「矛盾的対立の相の下に」(sub contraria specie)働くと説かれている(WA. 56, 376, 32)。ルターはこれを神の言葉の「対立的作用関係」(antiperistasis)と呼び、破壊と創造とを交替しつつ働く神の業は「造られたものを毀ち、毀たれたるものを造る(brechen was do ist gemacht, und machen was zu brochen ist)」(WA. 7, 546, 33f.)のである。この神の業にたいし「生の信仰が死の中で訓練をうける」(fides vitae in morte exerceturWA. 18, 633, 23)と語られる。かくて、生―死(vita-mors)の対極性は「死における生」(vita in morte)という形にまで徹底されている。かつ、「死の中での生」とは「最も本来的な意味における死」(propriissime mors)ともいわれる「死の死」(mors mortis)なる死の脱自的超越の運動にもとづく生と死の弁証法を形成している(WA. 56, 322, 18; 323, 1)(*)。このような死生観がルターの実存的な弁証法の思惟の核心を形成しているとみなすことができる(▽)。

* 「死の死」の思想にはルターのキリスト論的死生観が認められる。「キリストの死が死を呑み込んだ」(Mors Christi…mortem momordit.WA. 9, 18, 27f.)とあり、キリストを喰い尽くそうとした死が果たせず、逆にキリストの復活により、つまり死の死によって克服されると説かれている。

△ ルターは、神の言葉それ自体のうちに創造と破壊の弁証法(福音と律法)を見、また「死の中での生」が「死の死」(キリストの復活)にまで徹底されることによって、死から解放されるという「生と死の弁証法」を展開していると指摘されています。それはルターが見出した「聖書的信仰の論理」というべきものでしょう。「死の死」とは「最も本来的な意味における死」であると言われるところに、ルターの思想の徹底性があります。それは死からその棘が奪われてしまうことを意味するからです。

ルターのかかる「生―死」の対極性から初めて『ローマ書講解』(一五一五〜一六年)の神学的根本思想の一つである「罪を大きくすること」(magnificare peccatum)の意義も理解される。これは「神の恩恵を大きくする(崇める)」(magnificare gratiam Dei)と相呼応している。たとえば、この呼応について彼は次のように言う、「使徒は彼らが神の恩恵を崇めるように導かんとする。神の恩恵はまずそれによって赦されるところの罪が認識され大きくされないなら、崇められることはできない」(WA. 56, 33, 16ff.)と(▽)。ここで明らかに語られているように、罪の認識と恩恵とが相呼応しつつ深淵的に深まってきているのは、「生―死」の対極性が存在しているからである。このことは彼の思想の構造を顧みることによって理解できよう。まず、罪の対立概念である信仰は彼にとって義認への第一根拠であるが、信仰と並んで罪の認識は「第二根拠」(causa secundae)また一層厳密には「共に要求されているもの」(correquisitum)とも言われ(WA. 40, II, 360, 13)、結局自己に死することを意味し、他方信仰が「生を転換する」(mutare vitamWA. 8. 109, 21)のであるからして、生―死の対極性の上に信仰―罪の対応関係が成立していることになる。さらに「われわれは罪に対する神の怒りのゆえに死に屈服させられた」(Sumus subjecti morti propter iram Dei ob peccatum.WA. 40, III, 519, 15f.)とあるからルターの思想の構成は次のような二元的対立から成ることになる。

神の怒り(ira Dei)―――律法(lex)――――――罪(peccatum)――死(mors

神の恩恵(gratia Dei)――福音(evangelium)――信仰(fides)―――生(vita

これら相呼応する諸関係と系列の根底には「生―死」の対極性があり、これを中心としてルターの全思想は形成されかつ展開しているといえよう(*)。

* このような思想の構造を最もよく示している書物は『ラトムス論駁』(Rationes Latomianae Confutatio, 1521)である。この書物で展開された思想は『奴隷意志論』で尖鋭化され、神とサタンとの絶対的二元論となり、自由意志の領域である中間の立場が徹底的に否定されている。しかし神とサタンなる表象とは人間的地平では絶対的二元論として現象しても、サタンとは神の怒りの手先であり、神の他なるわざであって、ここで神は「隠れたる神」という信仰の対象であり、信仰は死において生をとらえ、他なる世界への転換を行なうのであるから、単に二元論とも言い切れないものである。

△ 「神の恩恵はまずそれによって赦されるところの罪が認識され大きくされないなら、崇められることはできない」という言葉は、親鸞の「悪人正機説」を思い出させるものがあります。逆に言えば、人間はそれ程救い難い存在であるということになります。宗教を信じないから、世界が今あるようでしかないのではなく、何かを信じなくては生きていけない人間が、その信仰によって約束されている「生の転換」にも拘らず、実際には、自らの手で暗澹たる世界をつくり出してきたし、また現にそうあるという、その現実の総体が問題なのだと思われます。付論の紹介はあと1回を残しています。


Z ルターの人間学 付論3

第六節 神観・罪の理解・人間学から見たアウグスティヌスとルター

宗教的経験の中なる始原的体験が弁証法を形成する中核となっていることをわれわれはアウグスティヌスとルターの宗教体験の構造分析から解明してみたのであるが、次に、このような始原的体験から見て彼らの間に如何なる相違点もしくは差異があるかを考察してみたい。すでに述べたところから知られるように、アウグスティヌス的思惟の根底には宗教的な存在論的体験があり、ルターのそれには宗教的実存的体験がある。ところでルターは彼の学問的最高水準を示す『奴隷意志論』(De servo arbitrio, 1525)の中で「アウグスティヌスは私の全体である」(Augustinus......meus totus est.WA. 18, 640, 9)と断言している。それゆえ、われわれは宗教的生の体験において彼らは同じであったが、その生を自覚的に把握する媒体をなす表現において、したがって彼らに影響を及ぼした世界観において相違が生じてきていると見るべきであろう。彼らの間に介在する千年の時代の経過は社会情勢のみならず、思惟の方法にも相当の開きがあり、思想的境位の相違は決定的である。しかし、われわれは彼らの体験の共通的性格を追求してきたのであるが、体験の共通点にもかかわらず相違が生じてきている点を問題にしなければならないのである(▽)。

△ アウグスティヌスとルターの比較は、パウロとルターの比較に並んで、神学の重要なテーマです。著者は「宗教的生の体験において彼らは同じであった」と言います。どこが違うかということと共に、先に論じられた両者の類同性の根拠(なぜ同じと言われるのか)も、さらに問われなくてはならないでしょう。

事実、アウグスティヌスが自己の宗教的生の哲学的理解のために用いた新プラトン主義の存在論が、一方において恒常不変(incommutabilitas)なる神という静的な神観となり、他方善もしくは存在の欠如(privatio boni)という消極的悪の教説が罪の規定にも影響しており、形而上学的意識の背後にある実存の根底に至るまで震撼する始原的体験の貫徹を阻んでいるということができよう。また、ルターに関しても、あるいはイヴァント言うように、ルター神学の始原が実体的形而上学を人格的なものに再形成した点に求められるとしても(*1)、またルターにおいて神学の哲学からの自由と神学の自立性が主張されているけれども(*2)、人間性の全体にゆきわたる宗教哲学考察は著しく弱められ狭められていると考えられる。実際、西欧精神史上アウグスティヌスほどキリスト教を哲学的思索によって深め、かつそれに表現を与えた思想家はかつてなかったとシェーラーが言っているが(*3)、それは正当であろう。だが、そこにはアウグスティヌスが新プラトン主義を克服し得なかったという問題性がわれわれには残されているのである。この問題に立ち入って詳しく論じることは現在できないが、結局このことがわれわれの問題である始原的体験の貫徹を阻むことになっていると思われるので、ルターとの比較により始原的体験の光の下にこの問題に接近し解明してみたい(▽)。

*1 H. J. Iwand, Rechtfertigung und Christusglaube, S. 122f.(『ルターの信仰論』の原著者)

*2 W. Link, Das Ringen Luthers um die Freiheit der Theologie von der Philosophie, 1955がその代表としてあげられよう。

*3 M. Scheler, Moralia, S. 130

△ 著者の宗教哲学的関心からすれば、「始原的体験の貫徹」ということに注意が向けられます。しかしそれはとても恐ろしい精神的危機を意味しています。

A 神観の問題

まず始原的体験で表出されている神観を比較することからアウグスティヌスとルターとの相違を解明してみよう。そのさい問題点を限定してルターによって特に重視されている神の観念である「怒りの神」(Deus iratus)をアウグスティヌスが如何に把握しているかにわれわれの考察を集中してみたい。

優れた教義史家カール・ホルは神の怒りという教説が西洋においては主としてアウグスティヌスの影響によって背後に押しやられたと主張している(*1)。この見解ははたして妥当するものであろうか。なぜなら、アウグスティヌスは『神の国』(De civitate Dei)や『三位一体論』という主著のみならず、多くの書物で神の怒りについて語っているからである(De civ. Dei, XV, c. 25, De trin., XIII, c. 16, n. 21; En., in Ps., VI, c.3 など)。たとえば『エンキリディオン』(Enchiridion ad Laurentium, De fide, spe, charitate)の中で彼は次のように言う。「しかし、ここに神の怒りと言われているのは、怒れる人間の心中にあるような心の動揺(perturbatio)を指しているのではなく、人間の感情から転用されて、神の全く正しい懲罰(vindicta)が怒りという名で呼ばれているのである」(Ench., c. 10, n. 33)と。したがって神の怒りとはここでは正しい懲罰を意味し、怒り(ira)という表象は人間の感情を神に移入したものに過ぎないとされている。しかし、旧約聖書のヤハウェの怒りとは単に応報的な懲罰というような合理的なものに解されるに過ぎないものではなく、ルドルフ・オットーが説いているような非合理的ヌーメン的怒り、つまり激情を意味するものである(*2)。怒りは神のAffektを表わす。したがって懲罰としての神の怒りの理解はヌーメン的怒りの合理化の過程に示されてくるものであって、この合理化は旧約聖書自身のうちにも現われている。それゆえ、アウグスティヌスは神の怒りの合理的側面しかとらえていないと考えられ得るであろう(▽)。

*1 K. Holl, op. cit., S. 40(前出のGesammete Aufsätze I. Lutherのことか)

*2 R. Otto, Das Heilige, S. 96f.

△ 旧約聖書のヤハウェは「擬人的神観」の最たるものです。宇宙の創造者であり、律法の付与者であり、かつそれがキリスト教に引き継がれて、救済者となり、また終末論的な審判者として、この世界に終わりを来たらせるものと信じられてきたからです。その旧約の神は「怒る神」であるばかりでなく、「妬む神」、また「痛む神」(北森嘉蔵『神の傷みの神学』)でもあります。ヌーメン的な怒りの神が合理化されて、懲罰を下す神とされても、神が擬人的に把握されていることには違いがありません。その聖書の神が永く西欧精神史を支配してきました(「擬人的神観と場所的神観」参照)。

勿論、われわれはアウグスティヌスが『詩篇講解』(Enarrationes in Psalmos)の中で述べている神の怒りへの深い心理学的洞察を、つまり神の怒りとは義人における心の動揺であり、神の律法を犯した者を襲う心の暗黒化(mentis obscuratio)であるという思想的深さを看過してはならない(En. in Ps., II, c. 4)。しかし神ではなく人間の方へ全く方向を逆にして深まった神の怒りについての解釈を生ぜしめている源泉は、神および神の意志を恒常不変性とみなす神観、したがって新プラトン主義の影響による静的な神観にあるのではなかろうか。このことは、激情として神の怒りを考えることを退けるための聖書的権威としてソロモンの知慧の言葉、「御力に富み給う主よ、汝は静厳をもって裁き給う」(Tu autem, Domine virtutum, cum tranquillitate judicas.Sap. XII, 81)を、彼が常に引用することからも察知することができる。これらのことからわれわれは前に述べたホルの見解、西洋ではアウグスティヌスの影響により神の怒りなる教説が背後に押しやられたという見解は、静的な神観の優位によって神の怒りの理解が弱められていることから見ても、妥当すると結論できる(▽)。

△ 先に指摘された「アウグスティヌスは神の怒りの合理的側面しかとらえていない」ということが確認されます。擬人的神観から距離を置くということが、ここでは静的な神観の優位として、否定的に捉えられています。

アウグスティヌスの神が「恒常不変的」(incommutabilis)であるのと全くの正反対に、ルターは「神は極度に変わり易い」(Deus est mutabilis quam maxime.WA. 56, 234, 2)(*1)とまで言い切っている。かかるルターにとって神の怒りは来たるべき審判、またそれと関連する配分的正義(iustitia distributiva)にかかわるものではなく、神の激情や憤怒として良心に直接的にかつ現在的に恐怖と戦慄をともなって現象し、しかも神の愛とのアンチノミーにおいて、アウレンが言うごとき「逆説的鋭さ」(a paradoxical sharpness)を示している(*2)。この人間的カテゴリーを全く超出している生ける神に対応する人間の唯一の態度は服従と謙虚である。したがってギリシア哲学に帰せられる思惟方法によって神の怒りという教説が廃棄されようとしているにもかかわらず、アウグスティヌスや中世カトリシズムの敬虔が服従と謙虚をキリスト教的徳として重んじたことは、神の怒りという教説を理論的に捨てたとしても、宗教的生に即して常に保っていたことを意味している(*3、▽)。

*1 この言葉は背理のように見えるが、ついでルターが語っているように、この変化は神の本質の外部での人間に対する態度である。エーリッヒ・ゼーベルクはラインホルト・ゼーベルクの「宗教的超越論主義」(religiöser Transzendentalismus)を批判修正して、このテキストにもとづいて「真正な超越論」(echter Transzendentalismus)を提唱している(E. Seeberg, Luthers Theologie in ihren Grundzügen, S. 49f.)。

*2 G. Aulèn, Christus Victor, p. 130 (邦訳『勝利者キリスト 贖罪思想の主要な三類型の歴史的研究』佐藤敏夫・内海革訳、教文館、1982年)

*3 L. Pinomas, Der Zorn Gottes. Eine dogmengeschichtliche Übersicht, (Zeit. f. syst. Theol. 1940) S. 603ff.

△ ルターは聖書の神に固着し、そこに「生ける神」を見出していたということでしょう。その「真正な超越論」によれば、神はたとえ「擬人的」に表象されても、それはあくまでも「神の本質の外部での人間に対する態度」であるとされます。神の人間に対する現われであって、神そのものは表象されないということなのでしょう。著者は服従と謙虚というキリスト教的徳の源泉に「神の怒り」があると指摘します。しかし、私の関心は、「真正な超越論」がキリスト教をも「超出」する可能性はないのかという点にあります。

B 罪の問題

アウグスティヌスとルターとの相違点をわれわれは始原的体験で表出されている神観、とくに怒りの神の理解から解明したのであるが、次にこの体験の担い手である人間の自己理解、したがって彼らの神観と密接に関連している罪の認識から彼らの相違点を指摘してみたい。エラートはルターの始原的体験から帰結している人間の根本的自己理解の中で、とくに罪を不信仰として規定し、罪の反逆的敵対的性格(Feindshaft)をもたらしている点を指摘している(*1)。さて、罪を積極的なものと規定するか、あるいは単に消極的なものと規定するかは二つの相反した態度である。キルケゴールが言うように罪における積極的なものは罪が神の前に(vor Gott)起こる場合に生じ、罪を概念的思弁的に把握する場合、弱さ、感性、有限性、無知などの消極的な規定が生じる(*2)。ところでアウグスティヌスによる罪の理解は個別的もしくは部分的な行為としてではなく、人間性の全体に及ぶ、またその根本に内在する原罪として深められている。だが、罪の原因と根拠を彼が理性的存在論的に把握しようとした結果、徹底的に神との人格的関係にもとづく理解にとどまったルターとの相違が歴然としてくる。問題は新プラトン主義の存在論が罪の理解に及ぼしている影響にあると思われる。この点を解明してみたい(▽)。

*1 W. Elert, op. cit., S. 28

*2 S. Kierkegaard, Krankheit zum Tode, übersetzt von Hirsch, S. 96, 100

△ 神との人格的関係とは、信仰において、聖書を通して、聖書の神に直面するという、解釈学的な事態であって、そこでは哲学的な人間理解は背後に退き、神と私との実存的な関係が問われることになるということでしょう。罪が積極的な相貌を呈するのは、まさにそこに於てであると言われています。私の理解するところでは、人間はコミュニカティブな存在であるにも拘らず、根本(性根)のところでそれを裏切っており、事柄が「私有化(appropriate)」されてしまうという事態が、「神の前に」起る「罪」であると言われています。しかしどうして人間は、聖書の物語を通してだけ、そのような自己理解に達するというのでしょうか。逆に聖書は、人間のそのようなあり方を、神話の形で正直に映し出していると言うべきことなのではないでしょうか。

悪を形而上学的実体として説いたマニ教を論駁するため、アウグスティヌスは悪を善もしくは存在の欠如態(privatio boni)と規定している新プラトン主義の存在論を採用した。『告白』述べられているように青年時代のアウグスティヌスをとくに苦しめた問題が悪の起源であった。新プラトン主義の存在論により、悪とは実体なきもの、存在の全き欠如である、だから悪は実体(subustantia)からではなく、意志の倒錯せる歪曲(voluntatis perversitas)から生じるとの理解に彼は達した(Conf., VII, c. 16, n. 22)。このように彼が悪を意志において正しく捉えていながらも、かかる悪の根拠を単に「欠如因」(causa deficiens)にしか求めることができなかった理由はどこに存するのであろうか。アウグスティヌスの哲学はジルソンが「回心の形而上学」と明瞭に規定しているごとく、回心の経験から一切の事物を認識しようとするものである(*1)。そこにはディルタイ自身も認めているように救済の体験からすべてを解釈しようとする解釈学的手法が示されている(*2)。したがって哲学的認識の対象である存在(natura)の規定にも宗教的救済論的規定が当然織り込まれている。そこには無から創造(creare)された存在が神により生まれ(genare)た存在(natura)、つまり御言(Verbum)を分有しているという宗教的性格が見いだされる(De civ. Dei, XVI, c. 11)。それゆえ、アウグスティヌスの存在の本性(natura)の規定には神から創られた限り存在において善であり、創り給うた神に対向している限り意志においても善であるというふうに存在論的規定が意志的規定と重なっている。悪はこの存在の秩序を破壊するものであり、善の欠如(privatio boni)とはこの秩序を剥奪する(privare)意志の邪曲から生じている(*3)。その結果、意志は当為実現の能力を欠き、そこに欠陥をもつものとなり、この欠陥(vitium)こそ現実の罪の根拠である。だが、かかる悪しき意志も「欠陥が属するその同じ自然本性に属する」(eius naturae est, cuius vitium estibid.)とみなされ、神のように絶対的存在ではない有限な存在が存在の秩序から離れ行く「欠如因」(causa deficiens)に罪の最終的根拠が求められている(De civ. Dei, XII, c. 7)。このことはアウグスティヌスが倫理的悪としての罪を存在論的に理性的に考察しているために現われたものであると考えられよう。理論的にはこれ以上解明できないゆえに、彼は現象的に罪を「弱さ」(infirmitas)として語り、感性と身体性とを有する人間の在り方を問題にせざるを得なくなるのである。とはいえ、われわれは彼が「弱さ」を実存的に把握し、「弱さによる試煉」(tentationes infirmitateDe correptione et gratia, c. 12, n. 38)という思想に達していることを看過すべきではなかろう。だが、それにもかかわらず、そこには、「その弱さとはわれわれ自身である(infirmitas illa nos ipsi sumus)」(WA. 56, 351. 14)とまで言い切っているルター的実存の徹底さが見られない。なぜであろうか。その理由は彼らの人間学の相違に見いだせるであろう(▽)。

*1 E. Gilson, The Christian Philosophy of Saint Augustin, p. 240

*2 W. Dilthey, Gesammelte Schriften Bd. 7, S. 198

*3 privatioの意味についてDe vera religione, c. 19, n. 37およびDe natura boniを参照。privareは「害する」(nocere)という積極的規定とともに用いられている。

△ 「聖書というコンテキストに於ける思惟」、「聖書の神話に枠づけられた思惟」としての神学(キリスト教哲学)がギリシア哲学との折衝の中で形成され、アウグスティヌスに於て一つの完成を見るに至ったということは、同時に、キリスト教という宗教の理論化が進展したということでもあるでしょう。時代を隔ててルターは、キリスト教哲学とは区別される「神学」を活性化し、聖書の実存的意義を鮮明にしたと言えます。プロテスタントの聖書原理がそこから生れてきました。それは西欧の精神世界に激震が走ったと言うべき事態だったでしょう。しかしその余震も次第に小さくなり、今日の我々は、聖書原理それ自体に疑問の目を向けるようになっています。今日、ルターの時代とは別の意味で教会の体制が問われ、教会のあり方が再吟味されるべき時に来ています。勿論これについては、様々な意見があることでしょう。なお「善の欠如」、「無からの創造」については、「ユングとキリスト教 その4」と「同その5」を参照して下さい。

C 人間学の問題

アウグスティヌスの人間学は、哲学的人間学を基礎としているゆえに、自然的な人間存在から成立している。「何によりわれわれは構成されているか。たましいと身体からなっている」(Unde constamus. Ex anima et corporeEpist. 3, n. 4)。「人間はたましいと身体とから成る理性的実体である」(Homo est substantia rationalis constans ex anima et corpore.De trin. XV, c. 7, n. 11)。しかるにルターでは自然本性(Natur)による「霊・たましい・身体」(Geist, Seele, Leib)の三区分という哲学的人間学の上に属性(Eigenschaft)による「霊と肉」(Geist und Fleisch)という神学的人間学による区別が決定的意義をもっている(WA. 7, 550, 23ff.)。ところで、アウグスティヌスが高慢(superbia)に罪の根源を見、高慢は、「精神がみずからの根元(principium)として内属すべきはずのものを見捨てて、ある仕方で自己が自己の根元となり、また根元たろうとすることである。それは精神があまりに自分で自分が気に入るときに起こる」(De civ. Dei, XIV, c. 13)と言うとき、彼はルター的自己中心主義としての罪の理解、「自己自身への歪曲」(incurvatio in se ipsamWA. 56, 304, 25f.)に全く似ており近づいているように思われる。しかし、アウグスティヌスがさらに高慢としての罪の原因を問うとき、彼は不変なる善から脱落し、可変的な被造物への愛へと傾く意志の邪曲に罪の根があるとし、それ以上問うことができないとしている。アウグスティヌスもルターもともに「歪曲性」(curvatus)に罪を認めているが、彼らの人間学から相違が生じ、アウグスティヌスでは不変的善(存在)から可変的善(存在)への歪曲が問題であるのに反し、ルターでは不変の善へむかっていても、それが自己中心的不純な動機でなされている場合には、ニーグレンが言うように、「二重の罪」(doppelte Sünde)、「勢位の高まった形での罪」(Sünde in potenzierter Form)とされ、強調点は「自己自身のうちへ」(in se ipsam)に置かれているといえよう(*)。そしてかかる相違は彼らの人間学から由来しているのである。ルターの「肉」(Fleisch)の規定は「身体」(corpus, Leib)とは全く異なる次元で生じ、「たましい」(anima)も「身体」もふくんだ人間の全体が「肉」として性格づけられている。したがって、先の「自己自身のうちへ」こそ罪の反逆的性格を示し、罪はここで不信仰と不従順とされている。しかも、ルターにおける罪の反逆的性格は、人間を徹底的に破滅させる実に暴君とも呼ばれる。神の攻撃に始原的体験で出会うとき、もし信仰により福音と結びつかない場合には、かたくなに自己自身にとじこもり、絶望、神嫌悪、涜神、神呪詛、神からの逃走以外のなにものも生じないことから帰結しているものである。アウグスティヌス的人間学はこのようにルターと比較すると、罪の理解に問題が見られるのであるが、その理由は彼が古代的世界観、とくに新プラトン主義の存在論の枠の中になお立っていて、矛盾を感じることなくこれとキリスト教を結合させていたからではなかろうか(▽)。

* A. Nygren, op. cit., S. 25

△ 罪を「歪曲性」に見るという点については「社会のゆがみ」を参照して下さい。なお、ルターおける「罪の反逆的性格」ということについては、人間性の深部に光を当てるものだと思われますが、それが徹底して「神」との関わりにおいて論じられるところに、「神学」の特性があると言うべきでしょう。

われわれは始原的体験からアウグスティヌスとルターとの相違点を考察してきたが、このような相違が生じている源泉はすでに繰り返し述べたように時代の世界観的前提に求められる。アウグスティヌスが自己の宗教的生の哲学的理解のために用いた新プラトン主義の存在論が、一方静的神観をもたらし、他方消極的な罪の規定を立て、神の怒りや罪などに全き表現を与えるに至らせず、その結果、それらの自覚も弱められていると少なくともいうことができるであろう。ルターはアウグスティヌスの決定的影響の下に当時のスコラ神学と対決しながらアウグスティヌス的前提を踏み越えて行くに至っているのである(▽)。

△ ルターが「神の怒り」や「罪」に、神学的に真っ向から対峙し得たのは、それまでの「世界観的」前提が崩落し、物事を根本から問い直さざるを得ないという、ルター自身の実存的危機(始原的体験)によるものでしょう。しかしそこから「神学」が「哲学」とは異なるものとして自己展開を始めるという、のちのプロテスタントの趨勢が生み出されることにもなりました。それはユングの言う「キリスト教がキリスト教的になりすぎた」という結果をもたらすものでもありました。

第七節 宗教的基礎経験の意義

われわれは宗教的基礎経験の中なる原初的体験をまず伝記的観点から考察し、それが宗教生活の発端となる始原的体験となっている点を指摘した。次に、われわれはこの体験の勢位が生涯を通じて高揚し、それが救済体験の中で否定的契機として自覚的に救済のうちへ媒介され生ける宗教経験を形成し、さらに、この否定的契機が弁証法を生ぜしめる根源的要素とまでなっていることを明らかにした。しかし固有の意味での弁証法とその展開は信仰の立場から初めて全き解明を期待できるゆえにそれは信仰論に譲らなければならないであろう。われわれは特殊的な個人的体験に問題を限定し、しかも歴史的にかなり隔たっている二人の宗教的基礎体験の共通点と相違点に問題を局限して考察してきた。しかし、このように考察対象が制限されているとはいえ、始原的体験が個人の特殊的伝記的考察の対象と考えられていたように、それは時代的なものであり、かつそれが思想の根源的要素として不断に実存の中に生かされ、体験に即した法則性と論理を形成する中核をなしていることも明らかにされた。ところで歴史の転換期に立つ思想の画期的意義が、思想形成途上での時代的なるものと論理性との強固なる統合に求められるとすれば、始原的体験の意義は信仰論をまたなくても、それ自体においておのずから明らかになるであろう(▽)。

△ 著者はここでこの付論のまとめに取りかかります。

優れた意味で時代的なものである基礎経験は始原的体験において時代の特殊な精神状況と深く結合している。そしてわれわれの眼には異常な体験としか考えられないとしても、その時代に内在している時代特有の世界苦(Weltschmerz)を問いの形で担っているということができる。アウグスティヌスやルターのごとき宗教的人格はかかる世界苦を一身に負い、自ら時代に内在する問いそのものになるという歴史的世界の体験者であった。そのことは彼らの生涯が明らかに示すところである。彼らは繊細で真実な心情の持主であり、世界の苦悩の全震動を全身的に感得し、かかる時代のうちに内在する問いの背後に、またそれを契機として、永遠にして聖なる実在者の意志を感知し、神自身は変わらないとしても、伝承せる固定化した神観をあらたなる神観を樹立し、そこから生き生きとした思想を語りだし、新しい歴史的世界を形成する指導的人物となったのである。歴史的世界と個人とは深くかつ強固な作用連関の中にあり、個人の実存的体験を媒介として歴史は転換して行くといえるであろう(▽)。

△ 著者は、アウグスティヌスとルターという歴史的人物を、プロテスタントの立場から理想化し過ぎていると言えるかも知れません。しかし時代特有の「世界苦」を一身に担うところに、のちに影響力を持つ思想家が生まれて来るということは真実でしょう。

ではかかる意義をもつ宗教的基礎経験は哲学および宗教にたいし一般的に如何なる有意義性をもっているのであろうか。その意義は総括的にいえば真正な宗教の所有すべき固有の領域を開示する点に求められるであろう。なぜなら基礎経験の中なる始原的体験は人間的現存在の徹底的否定に導くものであり、人間が一般に生まれながら有する世界と神についての知識、つまり神についての哲学的認識を含む原啓示(Uroffenbarung)を崩壊させ(*1)、救済の啓示に至る契機となるからである。かかる現存在の否定にまで導く、「否定的本質」(negativa essentia)として現存在に対立的に顕現する、全く他なる神の存在に根拠をもたない一切の宗教は、たとえ主体性の根源から要請されていようとも、真正な宗教とみなすことは許されない。したがって始原的体験が単に現存在の不満・憂愁・不安・絶望という人間的実存の内世界的経験であるならば、そこからは宗教の立場は開示されてこない。宗教における始原的体験は人間における「超越」の範疇に属する。だから問題は人間に対する否定性の強度である。否定性が全存在の転換を強いるほどに高まるとき、宗教的始原的体験といわれ得るものとなっている。ルターにおける「隠れたる神」(Deus absconditus)とは否定の働きにさいしての「他なるわざ」(opus alienum)において同時に「本来のわざ」(opus proprium)をなすところの、破壊と創造とを同時的に意志する神を意味する。始原的体験は「隠れたる神」において初めてその全意義が見いだされるのであって、エラートがいうように終焉するのではない(*2)。このようにしてこの体験は啓示の救済史的前提という意味での原啓示を静的に固定せず、流動的プロセスの中にあるものとなし、原啓示と啓示とを弁証法的に結合媒介するものとしての意義をもつのである(▽)。

*1 原啓示について P. Althaus, Grundriß der Dogmatik, Bd. I, S. 144ff. ; Die Christliche Wahrheit, S. 37ff. を参照。

*2 W. Elert, op. cit., S. 31

△ 著者はここで「全く他なる神」、「隠れたる神」のわざを問題にしています。その神の体験は「超越」の範疇に属しているので、人間があらかじめ持つ原啓示を崩壊させます。そしてその真正性はただ「否定性の強度」によってはかられます。「否定性が全存在の転換を強いるほどに高まるとき、宗教的始原的体験といわれ得る」と言われます。ここに著者の宗教観が示されています。そして、その観点から、アウグスティヌスとルターの思想の真実性を見出そうとしています。

したがってわれわれがアウグスティヌスから学ぶ事柄は哲学的な世界を媒介とする神認識自体の神と人間との間に介在する存在の質的差異性の認識が必然的に包含されているということである。なぜなら、世界からたましい、さらにたましいから神へと向かうアウグスティヌス的神認識においては、原啓示の認識そのもの中に対立の顕現である始原的体験が包摂されているからである。認識が認識する者の存在と切り離しては成立し得ないとする彼の実存的態度はこの体験に由来しているのである。アウグスティヌス的始原的体験の特色は神もしくは神の世界創造の理念(rationes aeternae)を認識するということが同時に神と人間との「不等性・非類似性」(dissimilitudo)の自覚でもあるところに存し、実に創造の秩序による神認識自体のうちに、したがって哲学的理性認識自身のうちに救済とキリスト啓示に至る必然的契機を含んでいるといえよう(▽)。

△ 著者の「否定媒介」の思想からすれば、アウグスティヌスの、神と人間との「不等性・非類似性」の自覚こそが、アウグスティヌスの始原的体験を示すものとなります。そして「創造の秩序」(原啓示、哲学的理性)による神認識自体のうちに、「対立の顕現である」始原的体験が包摂されているので、救済に至る必然的契機が含まれているとさえ言います。なぜなら既にそこに真実の神の顕現があるからでしょう。

同様、ルターも神についての「一般的認識」(cognitio generalis)としての原啓示を認めているが(WA. 40, I, 607, 20)、彼の原啓示の特徴は、『奴隷意志論』にみられるように、始原的体験における現存在の否定そのものにもとづく、またそのものにおける神認識、つまり神の全能の認識にあるといえる(WA. 18, 719, 17ff.)。したがって現存在を全く無とする(vernichten, zunichte machen)この体験は神のみが人間を無から創造する全能者であるという神認識と表裏をなしている。ルターは言う、「無から有を創造することは神の本性なのである。だから、いまだ無となっていない者から神もまた何ものも創り得ない」(ルターのドイツ語略、WA. 1, 183, 39ff.)と(▽)。

△ 始原的体験としての現存在を全く無とする体験がルターの原啓示であり、それは神の全能の認識であると言われます。するとルターの神学に於ては、「一般的認識」が入り込む余地はなかったとも言えるのではないでしょうか。

またそれゆえに彼らがともに好んで語る「無からの創造」(creatio ex nihilo)という創造思想は、アウグスティヌス的に、つまり存在論的に考察された場合にも、ルター的に、つまり神学的実存的に考察された場合にも、人間存在とは全く他なる神とその活動への参与、あるいはそれを分有するという宗教の領域なる高次の実在論を開示する。それゆえ始原的体験の積極的意義はこの全く他なる神の世界支配を実存のうちに主体化する転換(メタノイア)としての回心と悔い改めへの契機となり、かくて成立する宗教的基礎経験から精神的世界の構造は解明され得るのである(▽)。

△ 全く他なる神の活動への参与=分有(participation)は、始原的体験を契機とする回心と悔い改め(神の支配を実存のうちに主体化する転換)によって可能となり、そのようにして成立する宗教的基礎経験から精神的世界の構造も解明され、またそこに宗教の領域としての高次の実在論が開示されると言われています。それが著者の基礎経験論の見取図であるのでしょう。この本は1975年に書かれたもので、私はその後の著者の思想的展開を全く知りません。しかし現在の私自身の関心からすれば、神学的限定のうちにありつつ、同時にそれを越えるという「離れわざ」は果して可能であろうかという疑問が残ります。それを可能にするものこそ「基礎経験」の概念であり、著者の「宗教哲学」なのでしょうが、私には著者はまだ神学と哲学との「岐路」に立っているように見えます。宗教を生命論的、ないしは経験論的に捉え直したいという私の問題意識から見て、著者の論述は大変参考になります。しかしなおその先が問題であると思われます。

『ルターの人間学』の紹介の作業は取り敢えずこれで終ります。


[ 宗教の倒錯 その1

これまで私は、主としてキリスト教という宗教について、素人なりに様々な角度から論じてきました。長年キリスト教に関わってきた者の自己総括の意味もあったのですが、それはいわば「閑老人のつぶやき」であって、関心を共有してくれる人はさほど多くはないと思います。しかし似たようなことを考えている人はいるのであって、その一例を、上村静著『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』(岩波書店、2008年)にみることができます。ここではその序章と終章だけを取り上げ、例によって私の感想を随所に挟んでゆきたいと思います。私の感想の部分には頭に△を付けることにします。

序章

1 〈いのち〉を生かす宗教・〈いのち〉を殺す宗教

本書は次のような素朴な問いに答えることを目的としている。

〈宗教は人を幸せにするためにあるはずなのに、なにゆえその同じ宗教が宗教の名のもとに平然と人を殺してしまうのか?〉

「幸せ」という曖昧な言葉を用いた。人によって何を幸せと感じるかはさまざまであろうが、宗教が提供しようとする幸せとは、人の〈いのち〉にかかわるようなものである。〈いのち〉とは生物学的な生命を意味するだけでなく、その人の人格、生全体、その人らしく生きること、そういった〈生、生きること〉にかかわる総体を〈いのち〉と呼びたい。宗教は、人が充実した生、安心した、落ちついた生、社会的な地位や身分や役割とは無関係に根元的に存在する自立した生の在り方を示し、人がその人らしく、その人自身として〈いのち〉を生きることを可能にする。しかしながら、歴史を少しでも振り返ってみるならば、嫌というほど多くの〈いのち〉が宗教ゆえに殺されている。宗教戦争は歴史年表を埋め尽くしている。文字通り「殺される」ということだけではない。宗教の名のもとに人間としての尊厳を否定されている人は、今も後を絶たない。自らの人生すべてを宗教に捧げることは、表面的には信仰深く幸せそうに見えるかもしれないが、実際には自分の生の有り様を他人に依存し、自立した人間として生きることから逃げているに過ぎない場合も少なくない。信仰熱心な者となることを自らに課す人は、宗教指導者や組織の言いなりになってしまいがちである。それは決してその人に与えられた〈いのち〉を生きているとは言えず、むしろそれを失っているのである。自らの〈いのち〉を生きられない人が、他者の〈いのち〉を殺すことが信仰熱心の証となってしまうという悲劇は、いつの時代にも繰り返されている。しかも、宗教指導者こそが先頭に立って〈いのち〉を奪っているという事態は、決して稀なことではない。一般信徒の方がはるかにまっとうな感覚を具えているということはよくあることだ。

△ 一頃「疎外論」が盛んに論じられたことがあります。自分のいのちが宗教に外化され、宗教が自分を縛るものとして強力に作用するという「宗教的疎外」の現象は、著者が指摘するようによく見かけることです。そのような宗教は人の自立を妨げ、むしろ宗教組織に頑なに依存する「宗教的人格」をつくり上げます。

宗教には確かに多くの負の面がある。しかし、だからといって、宗教はもう要らない、なくなってしまった方がよいとも言えないだろう。宗教の提示する人が根元的に人として生きる在り方は、今なお必要なものであろう。いつか宗教のなくなる時代が来るのかもしれないが、しかしそれは、おそらく従来の「宗教」の有り様が変形するということであって、宗教の伝えてきた〈いのち〉についての洞察が不要になるということではないだろう。そうであればこそ、ないゆえ〈いのち〉を生かすはずの宗教が〈いのち〉を殺す宗教になってしまうのかという問いは、答えられる必要があるはずだ。本書は、世界を代表する宗教であるキリスト教――特にその成立史――をとおして、この問いに答えようとするひとつの試みである。

△ 私はこれまで「脱宗教的宗教」、メタセオロジー(生命論的神学)ということを考えてきました。それは宗教が今後どのように「変形」しなければならないかということを探求する試みでもありました。また、それは「いのちを取り戻す(いのちが回復する)」という使命(Life Recovering Mission)について考えることでもありました。

2 「神話」としての聖書・「聖書」という神話

聖書は神話である。これは二つの視点からそう言える。ひとつは、聖書は古代人の著作であるため、それは古代の神話論的表象に満ちているという意味においてそうである。古代人は世界や人間についての現実認識を神話論的世界観に基づいて表象化した。もうひとつは、聖書はユダヤ教およびキリスト教の聖典であるということにかかわる。両宗教は、聖書を「神の言(ことば)」としてそこに自分たちの信仰の起源を求め、それを実践の規範としてきた。それは人間の言葉を「神話化」することである。この二つの側面――神話としての聖書・聖書という神話――は相補的である。前者なしに後者はあり得ないし、後者がなければ、前者は有意味なものよして伝達されることがない。しかし、神の実在が現実味(リアリティ)を持ち得ない現代にあっては、もはや聖書を「神の言」としてその唯一絶対性・真理性を主張することは無益なだけでなく、有害でさえある。

△ 先に「ルターの人間学」のところで「聖書の神話に枠づけられた思惟」としての神学に言及しました。神学とは「聖書という神話」に基づいて、「神話としての聖書」を解釈しようとする試みであるということができます。そのことをはっきり自覚しない神学的思惟は、今日「有害」な作用を及ぼしています。

聖書が神話であるということは、聖書が空想に満ちたおとぎ話の寄せ集めであるということを意味しない。神話には、古代人の人間についての洞察が含まれている。人間とはなにものなのか、人はどうあるべきなのか。こういった人間の本質にかかわる問いは、直接に説明的な言語では、科学のレポートや新聞記事のような言語では十全に表現することはできない。古代人は、神話という象徴的な言語を用いてこうした問いに間接的な形で答えているのである。そこには現代人にとってもなお有意味な真実が含まれている。神話は史実の報告ではないし、直接的に真実を言葉にしたものでもない。それはあくまでも象徴的な言語で、間接的な仕方で人間についての真実を伝えようとするものなのである。古代人は神話を事実と信じ、それゆえそれを真実なものと理解した。しかし、現代人にはもはや神話をそのままで事実として受けとめることはできないし、無理にそうすることは知性を犠牲にするだけでなく、結局は神話の伝える真実を手に入れることもできない。聖書が神話であるということを認めるのは、決して聖書を侮辱することではない。むしろ、聖書の伝える人間についての洞察を現代においてなお有意味なものとして理解するために必要な前理解なのである。

△ 聖書は小説のようなフィクションであると考えてみます。するとそのフィクションを事実であると言い立てることが、どんなに無益であるかを理解することできます。しかしフィクションであるからといって、小説が無益であるということにはなりません。そこにはストーリーの面白さや人間についてのある洞察が示されているからです。神話は、小説と同様に人間の「物語能力(narrative competence)」に関わっています。象徴的な表現は直接的に事実を伝えるのではなく、間接的に人間に関わるある事柄を指し示しています。壊れた掘立て小屋が過ぎ去った嵐の激しさを象徴するように、象徴的表現はそれを通して何か別のものを指し示します。「たらいの水を捨てて、赤子を流す」と言いますが、たらいの水が神話で、赤子は神話が間接的に伝えようとしている事柄を意味しています。一般的な情報伝達の問題として言い直せば、情報の伝達には容器(たらい)、言い換えれば情報のキャリア(運ぶもの)が必要です。しかし「たらい」に執着し、掘立て小屋にこだわると、肝腎な意味を取り逃がしてしまいます。

古代であれ現代であれ、人間存在の本質的な在り方、対峙している現実はなんら変わってはいない。人は死すべきものとして生まれ、死するがゆえに生きようとする。独りで生まれてきた者はおらず、独りで生きられる者もいない。他者とのかかわり合いのなかで、喜び、怒り、悲しみ、楽しみつつ、与えられた〈いのち〉を全うするのである。われわれは、神話を通して、現実のなかでもがき苦しみながら生きる人間の悲哀を、なおそのなかにあっていきいきと生き抜く人間の希望を学ぶことができる。

△ 人間が進歩したと言っても、それは機械文明、科学技術の側面であって、人間性そのものは、残念ながら進歩していません。人間のこころは昔の人に比べて進んだなどとは、決して言えません。神話が表現している古代人の現実認識は、その意味を理解することができるならば、今日の我々の現実を照らすことにもなるでしょう。

神話論的表象によって表現された古代人の現実理解・使信を現代人に理解できるものへと抽象化することを〈非神話化〉、それを現代に向けて語り直すことを〈再神話化〉ということができる。聖書の非神話化は、神話をとおして表現された古代人の現実認識を現代人にとっても現実的(リアル)な事柄へと置き換え、その意味を再確認することであり、その再神話化は、再確認された意味を聖書の宗教の外部にいる多くの人にも共有することを可能にする。それは既成宗教の解体を促すかもしれないが、その内実をかえってより多くの人に知らしめることを可能にする。本書は聖書の再神話化を試みる。それは宗教の持つ〈いのち〉を生かす使信を、キリスト教を信じない人に信じないままで理解できるように提示する試みである――そしてそれは、キリスト教の信者にもその「信仰」を再度見つめ直す機会を提供するはずである。聖書は神についての物語である。しかしそれは人間と無関係に存在する神についての思弁ではない。むしろ、神について物語りながら、実際には人間存在について語っているのである。したがって、本書で聖書の使信を現代に向けて語り直す際には、「神」という言葉を使わずに言い換えることを試みる。このことは、無神論の立場を取るということを意味しない。有神論でもない。有神論も無神論も「神」を実体化する陥穽(かんせい)にはまっている。神を実体化し、人間から切り離してなされる神学ほど不毛な議論はない。聖書は「神」という存在を立てることによって、人間存在の在り方を表現しようとしている。すなわち、神学とはその本質において〈人間学〉なのである。「神」もまた神話論的表象のひとつなのであって、それゆえに非神話化および再神話化が可能なのである。そしてそれは、神なき時代といわれる現代に、「神」という表象がかつて持っていた現実味(リアリティ)――〈いのち〉の在り方――を取り戻すことでもあるのだ。

△1 ここで言われる「非神話化」、「再神話化」ということは、ブルトマンの「非神話化」やリクールの「非神話論化」の議論に関わるものであると思われます。著者の一見平易な論述の背後に、どのような学問的議論が控えているかを知るために、ここでやや長い引用ですが、久米博著『象徴の解釈学 リクール哲学の構成と展開』(新曜社、1978年)の「1 ポール・リクール研究」の中の「神話と解釈学」、「2 非神話化の二つの方向」の部分を書き写してみたいと思います。

ブルトマンの非神話化論

ルドルフ・ブルトマンによる新約聖書の非神話化(Entmythologisierung des Neuen Testaments)の提唱は、一九四一年の『啓示と救済の出来事』(Offenbarung und Heilsgeschehen)に端を発し、同じ年に発表された『新約聖書と神話論』(Neues Testament und Mythologie)によっていっそう組織化された。

ブルトマンのこの問題提起はまず、新約聖書の世界像は神話的表象をおびており、救済の出来事は神話的性格のものである、という認識に立脚している。事実、新約聖書には、キリスト教本来のものでない後期ユダヤ教的な黙示文学と、グノーシス的な贖罪神話という二元論的な神話論とに由来する、神話的な世界像がある。この世界像を、信仰の名のもとに盲目的に受けいれることを要求するのは、「知性の犠牲」(sacrificum intellectus)を強いることであり、厳密な意味では、かえって非聖書的である(*)。

* R. Bultmann, Neues Testament und Mythologie. 山岡喜久男訳、新教出版社、第三版、三〇頁。

この主張は、聖書を字義どおりに受け入れて、それを真理とするファンダメンタリスト的態度に対する反動であるばかりでなく、神話を“合理化”しようとする啓蒙主義的態度、あるいは十九世紀の非神話化論者たちの、神話を“削除”してしまう態度とも対立する。

ブルトマンによれば、神話的な表象様式においては「非世界的・神的なものは、世界的・人間的なものとして、彼岸的なものは此岸的なものとして現われ、たとえば、そこでは神の彼岸性は空間的距たりと考えられている」(*)。ところで、新約聖書の神話論が含む、この超自然的、彼岸的なものがケリュグマ(宣教の使信)であり、このケリュグマ理解のために、非神話化という操作が必要なのである。

* 山岡訳、四一頁。

ブルトマンは『ヨハネ福音書』(Das Evangelium des Johannes, 1941)における釈義的な研究をとおして、ヨハネ福音書が聖書のなかで、もっとも徹底した形で非神話化を実行していることを詳細に示した。そのように、非神話化とは、何よりもケリュグマを理解するために、神話を批判的に“解釈する”(interpretieren)こと(*)である。それゆえ、非神話化はこの解釈学的な課題の遂行を目的とする。

* 山岡訳、四三頁参照。

それならブルトマンは、いかなる解釈学的な立場をとるのか。かれによれば、神話本来の意義は、客観的世界像を人間に与えることではなく、世界における人間の自己理解の仕方を表明しようとすることにある。したがって、神話は宇宙論的にでなく、人間学的に、そのうちに横たわる実存理解によって、解釈されねばならない。何よりも聖書本文のケリュグマ的性格自体が、神話的表現の、非客観的、実存論的解釈を要求しているのである。

「いまや、新約聖書の二元論的神話論もまた、実存論的に解釈するということが課題である」(*)。

* 山岡訳、四八頁。

以上要約したところによって、われわれはブルトマンの提唱する非神話化(この用語については次に検討する)の本質が実存論的解釈であることを理解した。そしてこの実存論的解釈学は、ハイデッガーのいわゆる「現存在の実存論的分析」という、現存在の解釈学から多くをとりいれているのであり、その意味で、ブルトマンの解釈学を、シュライエルマッハーから、ディルタイ、ハイデッガーにいたる解釈学の流れのなかに位置づけることができよう。

リクールの非神話化論

ポール・リクールは「非神話化」の問題をさらに精密に検討し、その二重の機能を指摘する。ブルトマンは神話(Mythos)と神話論(Mythologie)を区別したが、リクールは一般に非神話化(Démythisation)といわれるものの内容を、DémystificationDémythologisationとに分ける。この区別は、後述する二つの解釈学に対応するわけである。

リクールは一九六五年の「非神話化と道徳」と題する、ローマでの哲学シンポジウムの中でこう述べている。

「一方において非神話化する(démythiser)とは、神話を神話として認めることだが、それは神話を放棄するためである。その意味において、それは非神秘化démystification)といわれるべきである。……他方において非神話化するとは、神話を神話として認めることだが、それはそこから象徴的な本質を解き放つためである。その意味でそれは、非神話論化(démythologisation)といわれるべきである」(*)。

* Paul Ricoeur, Démythiser l’accusation, in Démythisation et Morale, Paris, 1965, pp. 49-50.

Démystificationとしての非神話化とは、何世紀も支配しつづけてきたイドラから人間性を解放することをめざすものであり、六、七世紀における聖像破壊運動(イコノクラスム)によってすでに準備されていた動きにつながる。これはニーチェ、マルクス、フロイト、そして現代のレヴィ=ストロースにたる人びとによって追求されてきた。

Démythologisation(以後この語を非神話論化と訳して、Démythisationと区別する)によって破壊されるものは、神話自体というよりは、それがまとっている擬似ロゴス、擬似客観性である。それによって、仮面のもとに隠れている象徴の啓示的な力を獲得することである。つまり作り話をすて、象徴を再獲得、回復することである。その意味でこれはむしろ再神話化Remythisation)と呼ばれるべきであろう。この思想系列に、われわれはハイデッガー、ファン・デル・レーウ、エリアーデ、それにバシュラールを数えることができる。

以上はいずれも、神話という象徴表現を解読する方法にかかわっている。だからそのめざすところによって、それらは両極に分れる。リクールはその一方を、還元的解釈学(herméneutique réductive)、他方を、創始的あるいは回復的解釈学(herméneutique instaurative ou restaurative)と呼ぶ。還元的解釈学は、幻影を縮減し、象徴を単なる付帯現象、結果、上部構造にすぎなくしてしまう(*1)。たとえば精神分析はこの種の解釈学に属する。それに対し回復的解釈学は象徴を増幅し、象徴の基体を解放し、回復することをめざす。さらにいうならば、この解釈は、象徴をとおしてメッセージとして、ケリュグマとして語りかけられている意味を開示し、再獲得するのを目的とするのである(*2)。

*1 cf. G. Durand, L’imagination symbolique, Paris, 1964, p. 105.

*2 cf. P. Ricoeur, De l’interprétation, Paris, 1965, p.35.

リクールはこの二つの解釈学について、カントの「学部の争い」を想わせる、「解釈学の争い」(Conflit des hermeneutiques)と題する論文や章で何度か論じている。かれは両者のいずれにも正当な根拠を認める。いかなる象徴も、「意味するもの」(le signifian)と「意味されるもの」(le signifié)の二重性を帯びているからである。そしてそれらの二面はそれぞれ別の解釈学を必要としている。

リクール自身は回復的解釈学の立場をとる。近著『解釈について――フロイト論』(De l’iterpretationessai sur Freud)は回復的解釈学の立場からの還元的解釈学への挑戦とみられる。すなわちかれは、精神分析が借用しているエネルギー論的用語自体が隠喩的に用いられていると指摘し、それこそ非神話化の対象にされねばならないとする。フィアルコフスキーは、このフロイト論は「科学的“合理性”に固有の神話の非神話論化である」(*)と評している。

* A. Fialkowski, Paul Ricoeur et l’ herméneutique des myths, in Esprit, juillet-août, 1967, p. 77.

以上、粗描してきたところによって、リクールの提唱する非神話化論が、ブルトマンのそれと同じ志向をもつことがわかるであろう。何よりもケリュグマ理解のために、非神話論化という操作を必要とするのである。それは表面的に解釈されるように、神話の破壊ではなく、真のミュトスの発見であり回復である。

「それゆえにわれわれがここで語るのは、けっして非神話化でなく、厳密に非神話論化である。なぜならそこで失われるものは、たとえば神話の起源説明的機能として表現されている神話の偽のロゴス、擬似知識だからである。しかし直接的ロゴスとしての神話を失うことは、それを神話として再発見することである。哲学的理解のための釈義という迂路をとおってのみ、ミュトスはロゴスの新しい運命を喚起することができる」(*)。

* Paul Ricoeur, La symbolique du mal, Paris, 1960, p. 154.(なおリクールの著作については『他者のような自己自身』のカスタマー・レビューなどを参照して下さい。)

リクールの非神話論化の作業は、象徴のもつあらゆる意味を解明することであり、それの解釈は哲学的理解に達しなければならない。解釈学から意味の哲学へ、それがかれの究極の目標である。

△2 本題に戻って、この段落で著者上村静氏が、「本書は聖書の再神話化を試みる。それは宗教の持つ〈いのち〉を生かす使信を、キリスト教を信じない人に信じないままで理解できるように提示する試みである――そしてそれは、キリスト教の信者にもその「信仰」を再度見つめ直す機会を提供するはずである」と書いていることは注目に値します。それこそは私が「脱宗教的宗教」という言葉で意図していることに通じるからです。

3 「歴史」との対話

本書は四部構成である。第T部は聖書が編纂されユダヤ教が成立するまでの古代イスラエル史、第U部はイエスが登場する時代までのユダヤ史、第V部はイエスの活動と思想、第W部はキリスト教が生まれ、ユダヤ教から分離するまでの歴史をそれぞれ概観する。本書は、これら歴史叙述をとおして、神信仰の内実とキリスト教に内包される諸問題の根源に接近する試みである。

ここでいう歴史とは、さしあたり政治史・社会史とのかかわりの中で展開していく思想史である(*)。その主たる資料は、聖書を含む古代ユダヤ教文献である。これら宗教文書を用いつつ思想史を描くという試みには、通時的に歴史を概観するとともに、共時的にテクストを読解する作業が要求される。本書は、全体としては通時的であるが、そのなかにいくつかのテクストの読解を織り込むという形式をとる。通時的であるとは、過去の出来事が今日と無関係ではないという認識を、共時的テクストの読解とは、古代人の思想が現代に於てもなお有意味なものでありうるという認識を意味する。

* 政治史・社会史については必要最小限の情報を提示するにとどめる。それについてはすでによい研究書が存在している。より詳細な議論に興味を持たれる向きは、山我(二〇〇三=山我哲雄『聖書時代史 旧約篇』岩波現代文庫)および佐藤(二〇〇三=佐藤研『聖書時代史 新約篇』岩波現代文庫)を参照されたい。本書の政治史・社会史の記述も両書に多く負っていることをここに明記しておく。

△ 「通時的(ディアクロニック)」(通時態)と「共時的(シンクロニック)」(共時態)という言葉は、構造主義の登場によって一般的に使用されるようになった言葉であると思われます。その場合、私の理解では、通時的とは時間系列に沿った出来事の連鎖、共時的とはシンクロナイズド・スウィミングのように、同じ時間に生起しているいくつもの出来事の間の構造連関のことを言っているように思います。平たく言えば、前者は歴史的、後者は社会的ということでしょう。著者は、ここではキェルケゴールが言うような意味での「同時性」、つまり過去の出来事(聖書の記述)が現在の私の出来事(私の信仰)になるというような、過去と現在との重ね合わせに「共時性」という言葉の意味を見出しているようです。その用語法は、従って適切であると思われません。しかしそのような意味での過去と現在との「共通性」の発見(類比的読解)がなければ、歴史を研究する意味がなくなってしまうということは、確かにその通りでしょう。その上、ほかに良い言葉も見当たりません。造語を敢て試みるならば、「交時的(クロスクロニック)」とでも言うべきでしょう。歴史小説や時代劇などは、クロスクロニックな現象でしょう。読者や観客はそこで、過去の出来事を、あたかも今起りつつある出来事であるかのように「追体験」します。つまり過去と現在とがクロス(交差)します。そしてそこに「影響史」的な史観が成立します。特定の出来事、たとえば「忠臣蔵」のあだ討ちは、時代を越えた影響力(クロスクロニックな影響作用)を持つからです。そこにはまた忠臣蔵に共鳴する人々のある傾向性(封建的な屈折した心情)も見出されるでしょう。イエスの十字架刑も、クロスクロニックな影響力を持った出来事の一つです。しかしなぜそれが後代に重要な影響力を持ったのでしょうか。

「歴史」とは単なる史実の積み重ねではない。歴史は語られなければ知られないが、すべての出来事を語ることは不可能である。歴史家は、常に過去の出来事を取捨選択し、選択した出来事を相互に関連づけて提示するのである。しかし、歴史上の出来事は本当に相互連関を有しているだろうか。「イエスは磔刑に処された」、「キリスト教が成立した」。この二つの出来事はどちらも史実であるが、「イエスが磔刑に処されたので、キリスト教が成立した」と言い得るだろうか。たしかに、イエスが磔刑に処されなければキリスト教は成立しなかったであろう。キリスト教の成立にとってイエスの磔刑死は不可欠な前提である。しかし、イエスが磔刑に処されたからといって、必ずしもキリスト教が成立しなければならなかったというわけではない。イエスの磔刑を目撃した多くのユダヤ人にとって、その死は特別の意味を持たなかった。キリスト教が成立しなかったならば、今日の世界史の教科書にイエスの名が載ることもなかっただろう。キリスト教の成立は、必然ではなく偶然である。偶然キリスト教が成立したために、イエスの磔刑死が有意味なものとなった。それが有意味であると判断されたので、それは「歴史」になったのである。すなわち「歴史」とは、それを語る人(歴史家)にとって意味があると判断された限りにおいて「歴史」となるのである。史実としての出来事は、偶然の積み重ねなのであり、それ自体が意味を発しているわけではない。出来事に意味を与えるのは、それを語り伝える者なのだ。「歴史」とは、歴史家にとって有意味な「物語」なのである。

△ ヨセフスの『ユダヤ戦記』によれば、当時、十字架刑(磔刑)に処されたユダヤ人の数は相当な数になります。それはローマへの反逆罪に対する極刑として執行されたもので、イエスの十字架だけを特別視する理由はありません。しかしキリスト教が成立したから、そしてキリスト教会がのちに大きな勢力を占めるようになったから、十字架はキリスト教のシンボルとして重要な意味を持つようになりました。その順序を逆にすると、神の子・イエスの死と復活が先ずあって、そのあとにキリスト教が必然的に成立したというような、「倒錯」した史観(救済史観)が、あたかも事実であるかのように主張されることになります。それはキリスト教的な史観であって、キリスト者にとって有意味な「物語」(神話)でしかありません。しかし著者の言い方に従えば、それもまた「歴史」であるということになります。キリスト教の「歴史家」にとって、それは有意味だからです。だから歴史家なるものを、何か孤立した主体として立てるのではなく、歴史家とは、歴史的判断を成り立たせる経験的な基盤、意味を意味たらしめる空間(意味空間)のうちに置かれていて、いわばその時代や場所の共通感覚(センスス・コムニス)に制約された存在であるということになります。今の時代には、今の時代に見出される有意味性があります。

歴史家はなぜ特定の過去の出来事を有意味なもの――それには肯定的ないし否定的価値判断が伴う――と考えるのか。それは歴史家が、自分自身や自分の時代がその出来事になんらかの形でかかわっていると考えるからである。すなわち、歴史家の関心は、実は過去の出来事そのものにあるのではなく、自分自身ないし自分の生きている時代にある。そして、自分自身ないし自分の生きている時代の意味を見定めるために、過去に意味連関を探し求める。歴史家は、自分が語ろうとする「歴史」のなかに、自分(の時代)を位置づけようとしているのである。歴史家は、自分の時代から時間の流れを遡って、過去のなかに意味を探求し、そこで見出した意味に即して、今度は樹幹軸にしたがって、過去の出来事を物語るのである。そして、過去の出来事が有意味なものとして現在を「歴史」のなかに位置づけるならば、未来もまたその「歴史」から展望されうる――古代イスラエルの預言者が未来を予言し得たのは、彼らがこの意味における「歴史家」だったからである。

△ 歴史が過去の出来事のクロスクロニックな追体験であるとすれば、そこから今度は、肯定的にしろ、否定的にしろ、未来を展望するということも起ってきます。戦前の事件の研究が現在を再び「戦前」と捉えることを可能にし、それが危機的な未来への警告となることもあります。そしてそれは預言者や歴史家だけに起ることではありません。

「歴史」がこのようなものである以上、「客観的な歴史」なるものはあり得ない。学問的な歴史研究は、これまで知られていなかった史実を発見したり、確認したりすることはできるし、それによって「歴史」を見直す機会を提供することもできるが、いかなる歴史学の専門家も「正しい歴史」なるものを提示することはできない。「正しい歴史認識」や「公正な歴史評価」なるものは存在しないのだ。では、「歴史」は無意味なのか。断じてそのようなことはない。「歴史」は過去をとおして現在を意味づけ、未来を展望するために必要なものである。「歴史認識」や「歴史評価」――歴史観――とは、現在を生きる者たちが、自分の時代の有り様を見定め、未来への希望を紡ぐための決断なのである。

△ ここには、いわゆる「歴史主義」、「歴史相対主義」が述べられているように見えます。しかし、たとえ「歴史学研究法」に書かれていたような歴史研究の方法と制約を踏まえた、学的な歴史研究がなされたとしても、どうしても「歴史観」の相違は生まれてきてしまうでしょう。「解釈学の争い」(リクール)に通じる「史観の争い」が生じることになります。だから特定の「正しい歴史観」なるものが主張されるときには、それはいかなる立場からの、誰にとって有利な史観であるのかをよく検討しなければならないと思います。そして歴史観が「自分の時代の有り様を見定め、未来への希望を紡ぐための決断」であるとしたら、それは自分の現在の生き方そのものと重なり合うものとなるでしょう。

本論において見るように、古代ユダヤ人は父祖たちの「歴史」を記し、それを聖書とした。そこに登場する人物たちは、決して栄光に満ちた姿で描かれてはいない。繰り返し繰り返し罪を犯し、神に罰せられる者たちの記録である。だが、その記録をこそ信仰の基盤たる聖書にしたのは、父祖たちの失敗から学び、現在の自分たちの歩むべき方向を見定め、将来の救済を展望するためであった。それは、ある意味で「自虐史的」記述に満ちてはいるが、その歴史観は〈救済史観〉なのである。彼らは亡国という困難のなかで「歴史」と対話し、自らの未来を切り開いていった。不都合な事実を隠蔽し、過去を美化することで同じ過ちを繰り返すのか、それとも過去の失敗に学んでこれから歩むべき方向を見定めていくのか、現代に生きるわれわれもまた決断を迫られている。

△ 「救済史観」はユダヤ人の神話であり、それは新しい装いのもとにキリスト教に引き継がれました。日本の「皇国史観」もまた神話です。問題はどちらの「神話」が正しいかという「神々の争い」にあるのではありません。「お国のために命を捨てる」という生き方が、アジアと日本に生きる人たちにどれだけの災禍をもたらしたかということを、率直に反省し、日本人として、我々はこれからどのような方向に歩み出して行くべきかを考えるために、歴史が研究されるべきなのです。なお「自虐史観」ということでは、学校で自分の親の悪いところを聞かれたときに、率直に親の欠点を指摘するのではなく、自分の親には何の欠点も見当たらないと頑なに主張する生徒ほど、その親子関係に深刻な問題を抱えているケースが多いと聞いたことがあります。融通の利かない、硬直した生き方をよしとする、上意下達の「軍隊的規律」に美徳を見出す生き方は、史観以前の、人間の生き方の問題として、深く反省されるべきことのように思われます。それはどの世界にも見られる権威主義の問題であって、支配―被支配というあり方に関わっています。

本書は狭義の学術書ではない。それは注をつけて他の研究所と対話するという体裁を取っていないことや、一般読者向けに書き下ろしたものであるということにとどまらない。本書もまたキリスト教成立をあつかう限り、先に記した「歴史」というものに伴う制約を受けている。本書は決して「客観的な歴史」――それはしばしば「学術書」に期待されるものである――を標榜しない。われわれは、古代ユダヤ教およびそこから生まれてきたキリスト教がわれわれの生きている現代という時代と有機的な連関を持っているという認識を前提とする。そして現代にいたる「歴史」のなかにわれわれの時代を位置づけ、未来を展望することを志向する。筆者はユダヤ教およびキリスト教信仰の基となっている聖書に、現代人にとっても有意義な洞察が含まれていることを積極的に承認する。事実それなしには、今日においてなおこれらの宗教を奉じる少なからぬ人びとの存在を説明できないであろう。しかしながら、現代世界の抱えるさまざまな諸問題の根源的な一因にキリスト教がかかわっているという事実も無視するわけにはいかない。それゆえ、本書はキリスト教に対する徹底した批判をも含む。キリスト教批判というと、訝しく思う向きもあるかもしれないが、批判は誹謗中傷、否定・断罪とは違う。批判は建設的であることを志向するものであって、それは本質的に批判対象に対する肯定を内包している。同時に、いかなる宗教もそれが人間の営みである限り、完全ということはなく、絶えざる自己批判が要求される。批判は肯定を前提し、肯定は批判を要求するのである。

△ その昔、ロリン・ウォーカー著『イエスと創造的保守主義』(岩波書店、1934年)という本を読んだことがあります。「創造的保守主義」という言葉は、マルセルの「創造的忠実(creative fidelity)」という言葉と並んで、私にある示唆を与えてくれました。それはポール・リクールの言う「創始的あるいは回復的解釈学(hérmeneutique instaurative ou restaurative)」にも通じる、人間の過去との向き合い方の一つでしょう。批判するということは、単に破壊するということを意味していません。そのものが本来持っていた肯定的な側面を、再び生かすためにこそ、批判がなされます。著者はそれを「再神話化」という言葉で言い表わしているのだと思われます。

本書は聖書の共時的読解をとおしてその負の体質――とりわけ、キリスト教の排他主義と反ユダヤ主義の根源――を浮き彫りにし、その相関関係を明らかにすることを目的とする。こうして、冒頭に掲げた〈いのち〉を生かすはずの宗教がどのようにして〈いのち〉を殺す宗教になってしまうのかという問いに答えることを試みる。それは、固定化されたキリスト教の在り方を解体し、新しくダイナミックな運動を再構築するための方向を展望する試みでもある。(後略)

△ 著者は、私の言う、聖書の交時的(クロスクロニック)な読解を通して、「いのち」を生かす筈の宗教が、なぜ「いのち」を殺す宗教になってしまうのかを考察しようとします。それはまさに私自身の問題意識に呼応するものです。キリスト教がそのあり方を解体して、新しくダイナミックな運動を再構築することができるかという問いかけは、かつて田邊元が言った「第二次宗教改革」が、果たして本当に起りうるのかという問いに通じるものがあるでしょう。現状を見れば、いささか絶望的な気持にもなるのですが、既にそこに押し出されてしまっている者のひとりとして、私は著者のその志を高く評価したいと思います。頑迷な保守主義から創造的保守主義への転換こそ、イエス自身の生き方に連なるものだと思います。そして我々は再びそのような生き方を迫られています。


\ 宗教の倒錯 その2

終章

1 キリスト教の根本問題――ユダヤ教の一セクトとしてのキリスト教

ユダヤ教は民族宗教である。そのユダヤ教の一セクトとして生まれたキリスト教は世界宗教となった。この間の事情は、次のように説明されることが多い。すなわち、古代イスラエルの預言者には普遍主義的傾向があったが、捕囚後のユダヤ教はそれを民族主義的宗教へと矮小してしまった。キリスト教が世界宗教になり得たのはユダヤ教の民族主義を否定・克服し、本来普遍主義的であった預言者の宗教を継承したからであり、また民族出自を問わない個人主義的宗教となったからである、と。このような説明は、自覚的であるか否かにかかわらず、キリスト教の〈交替主義神学〉――キリスト教がユダヤ教に取って代わったとする救済史観(*)――を前提とし、それゆえ、こうした文脈で用いられる「民族主義」という用語とそれに対置される「普遍主義」「個人主義」という用語は、前者を否定媒介として後者を肯定的に評価するというキリスト教の価値判断を前提している。しかしながら、キリスト教(学)の文脈で用いられる「普遍主義」や「個人主義」という表現は、その言葉の持つ本来的意義を真に体現しているとは言えない。

* または「置換神学」(英語ではsupersessionismまたはReplacement Theology)と呼ばれる。

△ 交替主義神学、置換神学という言葉に初めて触れました。たしかに「自覚的であるか否かにかかわらず」、そのような考え方に慣らされてしまっていた自分に気づかされます。過去二千年のキリスト教史が人々にそのように考えることを押し付けてきたと言うべきでしょう。しかし少しでもキリスト教史に接するならば、著者が言うように、その「普遍性」の主張を掘り崩すような雑多な要素がキリスト教に入り込んでいることを、誰もが認めるでしょう。プロテスタントになって、それが「純化」されたように考えられてきましたが、聖書の信仰(正典論)、基本信条、洗礼と聖餐の二大サクラメントなど、根本的なところでは、その「神話性」を脱却することなく、今日に至っています。なぜそれが「普遍的」であると言われるのか、キリスト教は自ら根本的な反省を加えたことはなかったのではないでしょうか。それは唯一絶対の神の名によって正当化されていたに過ぎません。

1・1 〈覇権主義〉と〈セクト主義〉

預言者の「普遍主義」と呼ばれている事柄は、イスラエルの民族神ヤハウェが世界の神であるという神観の発展形として生み出されてきたものである(本書第二章4・2、5・1、第三章2節)。肯定的に言えば、それは、ヤハウェが世界の唯一神であるからには、その救済はイスラエルの民に限定されるのではなく、世界の諸民族に遍く広くもたらされ、こうして世界平和が実現されるだろうという希望の表現と言えなくもない。しかしながら、いくらヤハウェは世界の神だと言ってみても、それがイスラエルの民族神であることに変わりはなく、そのイスラエル民族神を世界の諸民族が享け入れること、イスラエル民族神ヤハウェの世界支配貫徹という夢想は、詰まるところ「民族主義に基づく普遍主義」、すなわち〈覇権主義〉と呼ばれるべきものである。ここには言葉のあやの問題がある。「覇権主義」と呼べば否定的に評価されるはずのものを、「普遍主義」と称することで肯定的な価値を有するものであるかのように見せかけている。だが、それは欺瞞に過ぎない。この手の欺瞞ないし言葉の語用はしばしば起こっている。これは、前述したように、「民族主義」という言葉との対比において「普遍主義」という言葉を用いようとするところに起因する。この場合、イスラエル民族に限定されない、すなわち他の諸民族にもかかわるということが「普遍性」の根拠とされる。しかし、「民族主義」とはなにも同一民族内部にのみかかわるとは限られず、むしろしばしば他国への侵略という形態を取ることは周知のとおりである。

△ かつて主張された「八紘一宇」などは欺瞞的普遍主義の典型例であると言えます。

他方、預言者の「個人主義」と呼ばれる箇所は多くはないが、「残りの者」の思想や第三イザヤの異邦人改宗者に対する態度はそのように呼ばれ得るかもしれない(本書第三章3・3、3・4)。しかし、結局それはヤハウェ崇拝という唯一の価値を基準にして、人間を救われる者と滅びる者へと分断する二元論的人間論へと行き着くのであり、それは〈個別主義〉と呼ばれるべきものである。預言者の〈覇権主義〉志向と〈個別主義〉的傾向は、ギリシャ・ローマ時代のユダヤ教セクトによって結合され、〈セクト主義〉を生み出した。それは、世界を「この世」と「来るべき世」に二分し、人間を救済に値する「義人」と滅びゆく「罪人」に二分する。

△ 唯一神ヤハウェへの信仰が強固であればあるほど、それは絶対的価値を帯び、他民族に布教する熱心さ(覇権主義的・拡張主義的な情熱)に転化するであろうことは、容易に予想されます。そのとき人間は救われる者と滅びる者とに二分されています。

キリスト教の喧伝する「普遍主義」とは、キリスト(教徒)による世界支配を志向するものである。それは一つの価値観で世界を覆い尽くすことを目指すものであるから、〈覇権主義〉と呼ばれるべきものである。キリスト教が預言者、五書、他のユダヤ教諸セクトと異なるのは、世界支配を夢想するにとどまらず、「宣教」という名の改宗運動をとおしてそれを実践課題としたことにある。教会が、自らを迫害するローマ帝国に接近し、国教としての地位を得るにいたったのは、神学上の覇権主義体質によるのである。それゆえ教会は、異文化・他宗教に対し、共存ではなく服従を要求する。だがそれは、もはや〈福音(よき知らせ)〉ではない。

△ 特殊なものをそのまま普遍的であるとし、相対的に過ぎないものを絶対化することは、極端な自己正当化であって、それは「宣教」という名の同族拡張主義を神学的に弁明するものに過ぎません。その理屈が通れば、またそれが「国教」となるならば、人々は教会への服従を強いられます。

キリスト教は、確かにユダヤ教の前提とする民族間差別をある意味で廃し、民族出自を問わない。それゆえ「個人主義的」と言われる。もっとも、ユダヤ教もまた個々の異邦人に対して開かれてはいる――改宗は認められている。ユダヤ教への改宗には割礼を含むトーラー遵守が要求されるのに対し、キリスト教は洗礼とキリストへの信仰を要求するという違いがあるに過ぎない。しかしながらこの儀礼上の違いは、「民族宗教」としてのユダヤ教と「世界宗教」へと発展するキリスト教の分岐点を象徴する意味合いを持つ。ユダヤ教が民族宗教であり続けているのは、ひとつにはユダヤ教への改宗とは「ユダヤ人」になること、すなわち、選民イスラエルたるユダヤ民族の成員となることを意味するからである。キリスト教は、改宗者にユダヤ民族の成員になることではなく、「クリスティアノス」という新しい選民イスラエルの「族」に加入することを要求し、その際、改宗者の民族アイデンティティの変更を求めなかった。換言すれば、ユダヤ教は既存の「民族」という枠を前提とし、改宗者にその枠の変更を求めるのに対し、キリスト教はその枠はそのままに、別の「族」へと参入することを求めるのである。既存の「民族」という枠に頓着しないという点で、キリスト教は民族間差別を廃したと言える。しかし、このことは、キリスト教がユダヤ教の偏狭な「民族主義」を克服した「普遍宗教」であることの証拠にはならない。確かにキリスト教は「民族」の帰属には頓着しないが、その代わりに「信仰」の有無によって人間観を二つに分断し、救われる信者と滅びる非信者という新しい二元論的人間間差別を生み出した。しかもこの二元論は、同時代のユダヤ教に由来する〈個別主義〉の一面なのであって、個々人の多様な価値観を尊重する(近代的)〈個人主義〉とはおよそ別物である。「民族」への帰属を基準とする人間間差別は批判されるべきであるが、それに対抗して特定の「信仰」という基準で新しい人間間差別をもたらすならば、同じことをしているに過ぎない。

△ 「帰属・所有・支配」(帰属・所有・支配帰属・所有・支配 その2参照)という人間のあり方(現存在)は、宗教においても克服されていません。その限りで、いかなる宗教も「普遍宗教」を名乗ることはできません。それが自覚にもたらされるようになったのは、現代の著しい特徴であると言えるでしょう。その意味でこの世界には「出入り自由な空間」はどこにも存在しません。特に民族主義という「枠」には強固なものがあって、それによる対立抗争が世界の至るところで生じています。信仰がその民族主義を乗り越える「普遍性」を持つと言われるとき、その信仰の「なかみ」が一体何であるかを、よく吟味しなくてはならないでしょう。

このことと関連するが、ユダヤ教は選民としての諸民族に対する使命を果たすこと――契約遵守――が選民の選民たる由縁なのであるから、異邦人に対する組織的かつ積極的な改宗運動は行なわなかった(本書第三章4・2)。それは、民族神を世界の神とすることに必然的に伴う民族主義的覇権主義志向を抑制する態度でもある。それゆえにユダヤ教は〈民族宗教〉であり続けるのである。ところが、ユダヤ教の一セクトとして始まったキリスト教は、そのセクト体質――宇宙大の終末論的救済をセクトメンバーに限定するセクト主義的覇権主義体質――を抱えたまま「民族」という枠をはずしたがゆえに、「すべての人」の救済を現実の実践課題として、改宗を目的とした宣教活動を組織的かつ積極的に、後には武力を手段として行なっていくことになる。キリスト教は、ユダヤ教の民族宗教としての枠を越えたと言えるが、それは同時に〈覇権主義〉志向を抑制するためにユダヤ教が自らに嵌めていたたがを外すことでもあったのだ。それゆえやがてローマ帝国を乗っ取り、さらには世界中を「宣教」の名のもとに植民地化していくのである。こうしてキリスト教は「世界宗教」になった――この美名のもとに自らの〈覇権主義〉を隠蔽しつつ。歴史的な結果としてキリスト教は「世界宗教」になったが、そのことは決してキリスト教が「普遍主義」や「個人主義」であることを意味しない。それはあくまでキリスト教の〈セクト主義的覇権主義〉の実践としてあらゆる手段を用いた改宗運動の結果に過ぎない。

△ キリスト教の世界宣教が、西欧列強の植民地主義と手を携えて進んだことは、歴史的事実です。著者はキリスト教そのものに「覇権主義」が伏在していることを強調します。そしてそもそもそれは「セクト主義」なのであると言われています。

さらに、強い終末意識を伴う二元論的歴史観――これもまた同時代のユダヤ教のセクトに由来する――を持つキリスト教には、中間時の倫理として個人倫理(信者個々人の徳と善行)と共同体倫理(教会の和)はあるが、史的イエスの活動に見られた社会倫理は徐々に希薄化していく。確かに福音書に残されたイエスの活動のわずかな痕跡にならい、慈善活動に献身する個人や団体は存在する。それらの活動は現実問題への対処として必要なものであるし、そうした人たちの貢献は高く評価されねばならない。けれども、対症療法的な慈善活動は、社会的被差別者を教会や既存の社会に取り込んでしまい、かえって社会問題を固定化させ、体制護持の役を果たしてしまうという危険性を併せ持つ。

△ 現代世界では、教会員が教会の中に自閉してしまうという傾向が強く存在しています。キリスト教を名乗る教会外の団体も、結局は体制内的な補完活動(教会と社会に不足する部分の補完)に終っていることも事実です。海外での奉仕活動も日本の企業の海外進出を部分的に補償する「宣撫工作」に終ってしまうということも、つとに指摘されています。しかしその限界を越えることはキリスト教にとって(実は、誰にとっても)至難のわざでしょう。今は誰もがその限界(壁)にぶつかっています。そしてそれを越え出ようとする活動は、キリスト教以外のところで始まっています。

キリスト教は「普遍主義宗教」でも「個人主義宗教」でもない。こうした表現は、キリスト教プロパガンダのための虚構に過ぎない。キリスト教とは、本家のユダヤ教以上に肥大化した巨大なセクト、覇権主義体質のセクト主義者集団なのである。セクトであるがゆえに、キリスト教は異文化・他宗教に対して否定的・排他的であり続け、かつ現実社会の構造的問題に正面から向き合うことができない(*)。

* ここでいう「キリスト教」とは総体としてのそれであって、クリスチャン個々人や、キリスト教系諸団体のなかにはすでに社会の構造問題に対峙している人たちがいることを無視するものではない。

△ キリスト者は常に「キリスト教」というフィルターを通してこの世界を見ています。だから現実社会の構造的諸問題に正面から向き合うことができません。そして自分以外の者に対して結局は「キリステ教的」(否定的・排他的)に向き合うことになります。まるで皆がキリスト者になれば、問題はすべて解決するかのようです。しかしそれこそがセクト主義というものでしょう。キリスト教以外にも、その事例には事欠きません。

1・2 克服できない反ユダヤ主義

ユダヤ教の一セクトである「キリスト教」は、しかし、「ユダヤ教」を否定する。キリスト教は、神とイスラエルの民の契約を構成する律法を救済のための「手段」と断定し、その手段としての有効性を否定した。律法の有効性の否定は、それと対をなす選民をも否定することになった。しかしながら、キリスト教はユダヤ教のセクトであるがゆえに、この契約をはじめから無効なものであったとするわけにはいかない。それがなくなると、キリスト教の存立基盤自体も失われてしまう。そこでこの契約に一定の役割を与え、それがキリストの出来事によって終焉を迎えたとするのである。こうしてユダヤ教の契約は、「旧(ふる)い契約」と呼ばれるようになる。キリストの出来事によって「新しい契約」を結んだこのセクトは、その契約を構成する信仰を、かつての律法との対比において、救済の「手段」とした。それゆえ、救済に有効なのは律法か信仰か、という二者択一の問いが出された。律法と信仰の二者択一は、ユダヤ教かキリスト教かという二者択一になった。キリスト教は、自らの正当性を主張するためにユダヤ教を否定し続けねばならない。しかしそのユダヤ教こそが、キリスト教の「新しい契約」の有効性を照明する「旧い契約」の保持者なのである。こうしてキリスト教は、ユダヤ教によって自らの正当性を保証してもらいながら、それを「旧約」として否定し続けねばならないのである。

△ キリスト教のユダヤ教に対するアンビヴァレントな感情は、ユダヤ教に成立の根拠を持ちながら、それを否定し続けるという、その成り立ちから説明されます。新しい契約は、その新しさを示すために、常に「旧い契約」を保持し続けなくてはなりません。

キリスト教の根本問題は、「キリスト教」がユダヤ教であるということにある。「キリスト」という言葉自体、ユダヤ教の概念である。ところが、ローマ帝国の「ユダヤ人」に対する政策の結果、偶然にも表面的に別の宗教として「ユダヤ教」から分離することになった。しかし、神学的にはユダヤ教であり続けているため、従来のユダヤ教と本家争いをせざるを得ない。ユダヤ教セクトとしてのキリスト教は、本家としてのユダヤ教を否定・克服しないと自己の正当性を示すことができない。それゆえ常になんらかの形で自己の優位を保とうとする。それは、パウロに始まり、弁証家たちに受け継がれ、教父たちの神学を通して今にいたっている。

△ 今日ではユダヤ教とキリスト教を総称してユダヤ=キリスト教(Judeo-Christianity)などと言われます。両者はそれほど不可分な関係にあります。

キリスト教は、今日においてなおユダヤ教の一セクトであり続けている。表面的にはユダヤ教から分離・独立したかに見えるが、それは単にユダヤ人クリスチャンの割合が低く、またユダヤ教徒よりも遥かに多くの信者を抱えているからに過ぎない。その中心をなす神学は、ユダヤ教から本来的な意味でいまだに独立・自立できていない。自立できないが故に、今なおユダヤ教を「旧約」として否定せずにはいられないのである。自己の価値を主張するために他者を否定し続けねばならない宗教、それは「呪われた宗教」と呼ばれることこそふさわしい。

△ ユダヤ教の聖書(著者は「ヘブライ語聖書」と言います)を「旧約聖書」として保持し続けなくてはならないというキリスト教の宿命を、著者は「呪われている」と言います。特定の他者を否定し続けることによって自己の存立が保証されるということは、たしかに尋常なあり方であるとは言えません。まだひとり立ちしていません。

キリスト教はユダヤ教のセクトであるから、もともとユダヤ教のみが正しい宗教で、他の諸宗教は問題外であるということが前提となっている。そのユダヤ教との比較によってキリスト教は自己の価値を主張する。それは〈相対的価値〉である。だが、キリスト教は、自らの〈絶対的価値〉、他者との比較における優位による価値ではなく、それ自体の有する価値を主張できないのか? 反ユダヤ的体質を完全に捨てて、なお自らの足で立つことはできないのか? 自立できない宗教、「呪われた宗教」に留まるのか?

△ ここには痛烈なアイロニーが書かれています。絶対者なる神に立てられた宗教であると主張するキリスト教が、実は他者との比較で自らを優位に置く宗教であるに過ぎないと言われているからです。キリスト教は依然としてヘブライ語聖書の懐の中にありながら、しかもそれを否定することによって自らの命脈を保っています。

2 神話の絶対化と宗教エゴ

古代ユダヤ人は、国家滅亡とバビロン捕囚という体験をとおして、自分たちの存在を神との関係において「選民」と「律法」という表象で象徴的に意味づけた。それは高次の社会正義を実現することで世界救済を展望する〈民〉という自己アイデンティティと使命を象徴していた。だが、象徴は、ひとたび表象を得ると実体化・絶対化される嫌いがある。祭司たちがモーセ五書の発布をとおして「預言の終わり」を宣言したのは、大祭司を頂点とするヒエラルキーを正当化し、自分たちの権威を確立するためであった。モーセ五書の権威が受け入れられて以降ユダヤ教内部に多様なセクト運動が展開したのは、この「選民」と「律法」の解釈をめぐってのことであった。セクトの問題は、これらの言葉についての自分たちの解釈を絶対化し、排外主義に陥ったところにある。それは表象を絶対化し、その絶対化された表象に固着することで、それに固着する自分を正当化しようとする〈エゴイズム〉に由来する。後一世紀のパレスティナではローマ支配という現実を背景に、「選民」が異民族差別を、「律法」がその遵守の度合いを基準としたユダヤ人内差別を正当化する口実として利用された。「選民」が世界救済のための自己というアイデンティティを表現している限り、「律法」が高次の社会正義の実現という使命を表現している限り、これらの表象は有効な象徴であり得たが、それが絶対化され、それを絶対化している者の自己正当化の手段とされると、〈民族主義〉〈律法主義〉というイデオロギーになる。それは表面的には宗教的敬虔に見えるし、本人もそのつもりになっているのだが、実際には人間間に差別をもたらす〈宗教エゴ〉に過ぎないのである。宗教エゴは差別を正当化する。自分と同じ信仰や生き方を共有しない者に「罪人」のレッテルを貼り付けることになる。

△ このホームページ上で、私は、象徴は共有されることによって活性化される(象徴の共同化・活性化)、しかし、人間が持っている傾向性によって、その象徴は容易に実体化・差別化されてしまう(象徴の「物象化」というべき傾向性)。従って、象徴の本来の意味を生かすためには、象徴の実存化・普遍化というべき課題が生まれてくるということを再三述べてきました(キリスト論の理論的骨格など参照)。言葉を話す人間の「業(ごう)」と言うべきこの傾向性を克服するには、大変な努力が要求されます。物事に「レッテル」を貼って済ませるという「思考の経済」を脱するには、人々の主張(大勢)に逆らうという苦渋が伴います。何かに帰属することに自分の利害がかかっているとき、人間はその帰属(地位、身分、門閥、性別、人種など、つまり、どんなレッテルが貼られるかということ)に拘らず平等に処遇されなくてはならないという主張は、既得権を持つ人たち、あるいは何かに帰属することによって既に恩恵を受けている人たちから危険視されるでしょう。平然と差別発言を行なう政治家が、何も咎められることなく、大手をふるっているという現実を見れば、著者がここで述べていることは、単に昔の話ではないということがわかります。また「世襲」政治家が「自己責任」を説くとき、その政治家は自分の世襲のことは既得権であるとして問題にしてはいません。自分の現在の立場からしか物を見ないのであれば、その矛盾に気づくこともないでしょう。だから自己責任論は、恵まれた者の自己正当化論の裏返しです。

イエスはこうした蔓延するセクト的価値観、宗教エゴに抗ったのであるが、それが表象の絶対化に起因することに気づいていたようである。それゆえイエスは、「律法」の本来的意義を回復することによって「義人」と「罪人」に二分されてしまった「選民」イスラエルの再統合を目指したのである。またイエスは「神の支配」について語ったが、それを実体化させないために譬えを用いた。当時、「神の支配」という言葉はローマ支配を終わらせるものとして、実体的な終末論的救済財として待望されていたのであった。イエスは特定の表象を絶対化して用いたのではなく、逆に絶対化されていた既存の表象を用いつつ、その意味内容を組み替えることで表象を相対化し、その本来的な内実の再生を試みたのである。

△ 先に「イエスの創造的保守主義」に言及しました。それはそのものが本来持っていた肯定的な側面を生かすためにこそ、その現状を批判するということを意味するでしょう。しかしそれは現状に「抗う」生き方であって、支配者、現状(status quo)の維持者からは 危険視されます。イエスは「矛盾的自己同一的」に自己とイスラエルとを同一化していたと言えるでしょう。現実のイスラエルを徹底批判することによって、その「内実の再生」を試みた人であると思われるからです。

イエスの弟子たちは、死んだはずのイエスを「見る」という体験をとおして、赦されて在る自己を認識し、その契機となったイエスにキリスト論的称号を当てはめた。弟子たちの体験の内実を象徴している限りにおいて、「イエス=キリスト」は有意義な表象であり得たが、彼らは自ら生み出したこの表象を実体化・絶対化してしまった。それは、イエスを見棄てた負い目を負い目のまま担いきれず、自己正当化の手段としてその表象を利用しようとする〈エゴ〉に囚われたからである。キリストの出来事は神の「歴史」への介入と見なされ、それゆえに真実であるとされた。その結果、「イエス=キリスト」への信仰が救済の条件となってしまった。こうしてイエスの活動を継承するはずの弟子たちの運動は、「信仰」を基準に人間を救われる者と滅びる者に二分するセクト運動になってしまった――それは生前のイエスが抗った価値観だったはずなのに。パウロも同様の陥穽(かんせい)にはまった。彼は律法遵守によって「義とされる」ことを願っていたのだが、そのことに内包された「罪」(=エゴイズム)に気づいて回心したはずであった。しかし「信による義」という表象を絶対化し、結果的に律法と信仰を取り替えただけで、再び同じ〈エゴイズム〉に陥ってしまった。それは「罪」あるがままに赦されて在る自分に堪えられず、「義認」に執着する〈エゴイズム〉である。その後のキリスト教は、聖書を「神の言(ことば)」として絶対化し、その受容を絶対条件として要求する。ユダヤ教はキリスト教に取って代わられたもの、終わったものとされ迫害の対象となった。

△ キリスト教は「否定媒介的」にユダヤ教に接合しています。それは「キリスト論的」にユダヤ教を再生した宗教であって、イエスの追随者たちによって生まれたユダヤ教の一セクトが、著者が言うように、歴史的条件の中でユダヤ教から分離し、自己展開を始めたものです。著者は「信仰義認」の教説に「宗教的エゴイズム」を見ます。すなわち、自分たちの信仰を「絶対化する」ことによって、旧いイスラエルから新しいイスラエルが生まれたとする宗教的イデオロギーを宣布することは、自分たちこそが本当の宗教の担い手であるという、イエスの教えとは逆向きの、まさにその「再ユダヤ教化」であったとも言えるでしょう。福音という名の「新しい律法主義=福音主義」が生れてきたと言うこともできます。

「キリスト神話」は、罪の自覚とそれにもかかわらず赦されて在る人間という洞察を象徴しつつ、同時にまたキリスト信仰を救済の条件とする〈エゴイズム〉をも内包している。それは「キリスト神話」成立時点ですでにそのようなものであり、今日においてなおそうであり続けている。これらはすべて表象を絶対化し、その絶対化された表象に固着する自分を正当化しようとする〈エゴイズム〉(=我執)である。人間の〈エゴイズムを〉を克服するために生まれたはずの宗教、〈いのち〉を生かすために在るはずの宗教は、それ自体が〈宗教エゴ〉と化して〈いのち〉を殺すようになった。

△ 著者は「罪の自覚とそれにもかかわらず赦されて在る人間という洞察」と、ここでは簡単に述べています。それについては「第十章 イエスの活動と思想」を見なくてはならないのですが、不十分ながら短く一個所だけ引用すれば、『(イエスは)それゆえ「罪人」に「罪の赦し」を宣言した。「罪の赦し」とは、その人たちになんらかの具体的な「罪」(律法違反)を認め、その特定の「罪」が赦されるという字義通りの意味ではなく、その人たちの〈いのち〉がそのままで――「悔い改め」や特別な仕方での律法遵守などの条件なしに――肯定されているということを示すものである。彼らとの会食も彼らの〈いのち〉の肯定を、またその〈いのち〉が関係のなかで生かされるものであることを示すための象徴行動である』とあります。「キリスト神話」は、イエスの思想とは異なり、「キリスト信仰を救済の条件とする」限り、宗教的「エゴイズム」を内包しているということでしょう。それならば、イエス自身のその行動はいかなる「神話的表象」を伴うものであるのかと、さらに問われなくてはならないでしょうが、ここで論及することはできません。

3 キリスト教の自立のために

神の実在がリアルなものと信じられていた時代には、キリスト神話を文字通りそのまま信じ込むことで個々の信徒は自己についての洞察にいたり得たかもしれないが、すでに神の現実味(リアリティ)が失われた現代にあっては、「歴史に介入する神」という神話、「神の言としての聖書」という神話はその役を終えたと言わねばならない。すでに述べたように、「歴史」とは歴史家が有意味なものとして意味づけた出来事なのであって、「歴史に介入する神」は「歴史」の語り手である歴史家の創造物でしかない。〈神〉は「歴史」に介入したりはしない。しかし、〈いのち〉を生かすために、日々、働き続けてはいる。「関係のなかで生かされて在る〈いのち〉」という象徴表現は、「神」という言葉を必要としないが、あえて〈神〉について語るならば、それは〈いのち〉を生かす働きなのである。

△ 著者は「ゾーエー(いのち)」と「ビオス(個々のいのち)」とを区別してはいないと思われます。しかし「ゾーエー」の働きに「神」を見ていると言えるのではないでしょうか。「関係のなかで生かされて在る」ということに、著者の「神」理解がかかっているようです(「いのちと神の国」、「生命と現実」、「つながりが人を生かす」参照)。

「神話」も「歴史」も史実の報告ではないが、だからと言ってそれは無意味なものだということにはならない。それは人間の生きている世界を意味づけようとする物語なのであり、その〈意味〉の真理性は、その物語の史実性とは無関係に容認されうるものである。『創世記』冒頭の天地創造物語は、それを史実の報告として読むならばただの非科学的な誤謬に過ぎないが、その象徴に含まれる現実認識は現代人にとってもなお有意味なものでありうる。「イエス=キリスト」という表象も、それを史実の報告とするならばもはや現代人の実存にかかわるものとして理解されることは困難であるが、それを「キリスト神話」として、イエスの弟子たちの体験の象徴として捉えるならば、その象徴に内包される現実認識は現代人にとっても有意味なものとして共有されうるのである。「神話」は文字通りに史実の報告として読まれることではなく、非神話化され、また再神話化されることで、その「神話」の伝える現実認識が常に新しく語り直されることを求めている。

△ 聖書の解釈は教会的教義的、すなわち神学的限定のもとになされてきました。しかし聖書の解釈は、教会の外にあって(「非神話化」されて)、「無の場所(いのち)」において、「いのちを生かす言葉」として「再神話化」されることが可能です(リクールの「創始的あるいは回復的解釈学」)。そのとき聖書は、誰にとっても、現実認識を新たにする言葉として語り直され、受けとめられるものとなるでしょう。

歴史上の出来事が常にそうであるように、キリスト教の誕生は偶然の産物である。その存在にも存続にも必然性はない。キリスト教の使信は、多くの他宗教や哲学、文学、芸術が伝えるそれと本質において変わるものではない。キリスト教はこれらの出会いの場の一つなのであって、人類にとって必要不可欠というものではない。キリスト教がこれからも自らを絶対化し、異文化・他宗教を排斥し、直接・間接の暴力を行使し続けるならば、自ずと歴史から消え去るであろう。キリスト教は多くの〈いのち〉を殺してきたが、しかしまた少なからぬ〈いのち〉を生かすことにも役立ってきた。自己絶対化という宗教エゴを克服し、その本来の役割である〈いのち〉を生かす働きに専心するならば、キリスト教には現代世界のために大いに役立つ可能性がある。

△ キリスト教という「なまえ」が問題なのではありません。レッテルはどうでもよいのです。キリスト教は宗教の「なかま」ですが、今やその「なかみ」が問われていると言えます(「「なにぬねの」のストラテジー」参照)。キリスト教がその存在自体において暴力的なのは、神の名によって自己を絶対化するからです。しかしキリスト教には、「〈いのち〉を生かす」という、「本来の役割」が与えられている筈です。なお、「偶然性」、「必然性」ということについては、「範疇論」を参照して下さい。

キリスト教は自らの唯一絶対性、排他性を主張する。しかし、まさにこの絶対性の主張は他宗教との比較に、〈相対的価値〉に基づいている。それゆえにキリスト教は他宗教を否定し、とりわけ自らの生みの親であるユダヤ教を容認できないのである。しかし、キリスト神話には〈いのち〉についての洞察が含まれている。それは、他宗教との比較を必要としない〈絶対的価値〉である。しかもこの洞察は、多くの他宗教にも確認されるものであるし、キリスト教徒ひとりひとりの信仰にも内包されているものであろう。それはどの宗教であるかを問わない普遍的な〈宗教心〉なのである。人間ひとりひとりに内包される普遍的な〈宗教心〉を他宗教や他の諸文化と共有しているがゆえに、かえってキリスト教には絶対的価値、他宗教との優劣の比較なしにそれ自体が有する自立した価値があるのである。キリスト教は、自らに内包された自立的・絶対的価値があるのだから、もはや見せかけの唯一絶対性という主張に執着して、ユダヤ教を否定し続ける必要はないのである。「旧約」という呪いの象徴を廃棄しても失うものは何もないのだ。かえってそれによって自己絶対化という呪縛から解放され、むしろ今失われつつある〈いのち〉のために、諸宗教・諸運動と共闘することも可能となるだろう。

△ 著者の言う「絶対性」は吉本隆明の「関係の絶対性」のようなもので、今ここにあることの取り消し難さとでも言うべきものでしょう。はかなくも無常な「いのち」ですが、我々はそれでもここに生きていて、取り消し難く「他者との関係に生かされて」います。キリスト教もその存在様態の一つであって、かくなりて、かくありける姿を保っています。他者との優劣の比較で自己を絶対化する(それは「絶対」の意味に反しています)ということではなくて、今ある自己の「いのち」を生き切るところに、キリスト教がキリスト教であることの意味が再発見されてくるでしょう。それは他者との「共闘」を促すもので、排他的である必要はどこにもない筈のものです。

キリスト教宣教は、もはやキリスト神話の文字通りの受容を要請する改宗運動ではなく、その再神話化をとおして自らの使信を現代においてなお有意味なものとして再活性化させ、それを他宗教の信者および無宗教の人々をも含む新しい協働態――特定の信条によって固定化された共同体ではなく、〈いのち〉のために自由に協働するダイナミックな運動――を形成するゆるやかな靭帯にして、現実世界の諸問題解決のために貢献することになるだろう。そのときキリスト教は、現代において再び〈福音(よき知らせ)〉の担い手になりうるだろう。

△ 終章はこの言葉で結ばれています。著者が語っているのは「原理論」であって、そこからいかなる「組織論」、あるいは「運動論」が展開されてくるのかということについては、殆んど何も語っていません(植村正久参照)。しかしここにはキリスト教がキリスト教として自足している限り、その「暴力性」のゆえに、それはゆるやかな死を迎えることになるであろうという「洞察」の反面として、「再神話化」のヴィジョンが語られていると見なすべきでしょう。その先のことについては、実は、誰にも明確な見通しは与えられていません。


] 国学者の神信仰 その1

これまでキリスト教という宗教について、非専門家(素人=元信徒)として、大変不十分な考察を重ねてきました。人間の「情報世界」は実に膨大であって、専門的な研究とは、特定の領域に自己を限定することを意味しています。そこから身を引いて、様々な事柄についていくら素人談義を積み重ねても、それは上滑りの議論に過ぎないでしょう。しかしキリスト教について私が抱いてきた疑問がどういうものであるか、この間のホームページへの書き込みを通して、幾分かは示されたのではないかと思います。キリスト教は西洋人の自己理解に関わってきましたが、それは絶対的でも普遍的でもなくて、「聖書の神話に枠づけられた思惟」(神学)として、極めて限定的なものに過ぎないということが、今や私において明らかになりつつあります。上村静氏の言葉を借りれば、「〈神話〉としての聖書」に基づく「〈聖書〉という神話」が、キリスト教の本質的な部分を構成しています。神話は神話であって、一つの地域の神話が世界や個々の国家を覆いつくす特権を持つなどということは、あってはならないでしょう。そう考えてみると、近代日本において別の「神話」がわが国を覆い、近隣諸国にまで持ち込まれたという過去が、自ずと心に浮かんできます。再びその「神話」を活性化させ、それによって日本国民を「統合」しようとするかのような動きが目立っている今日、その神話を対象化する作業は、キリスト教批判と同時に行なわれなくてはならないことのように思われます。しかしそれもまた専門的で膨大な作業を予想させるものであって、素人は専門家の研究を瞥見することしかできません。

私の手許には、井上順孝編(伊藤聡・遠藤潤・森瑞枝著)『神道 日本生まれの宗教システム』(新曜社、1998年)、鎌田東二編著『神道用語の基礎知識』(角川選書、1999年)、神野志隆光『古事記 天皇の世界の物語』(NHKブックス、1995年)、斎川眞『天皇がわかれば日本がわかる』(ちくま新書、1999年)、山口昌男『天皇制の文化人類学』(岩波現代文庫、2000年)などがあります。また「宗教の倒錯 その1」のところでその一部を引用した、久米博『象徴の解釈学』にも、「神話研究」としてまとめられた論文の中に、「古代日本人における罪の観念――日本神話解釈の試み――」、「刑罰神話の解釈と古代法――日本神話解釈の試み――」という二つの論文が収まっています。これらの書物は、最後のものは除いて、私が日本人として何を気にしてきたかということを示すものであるように思われます。本当は記紀神話を東アジア全域の宗教史・精神史の中に位置づけて、その共通基盤と特性とを探り出さなくてはならないと思いますが、その方面の研究は専門的にもまだ十分になされていない状態にあるようです。以下に紹介する中野裕三『国学者の神信仰 神道神学に基づく考察』(弘文堂、2009年)は、たまたま著者に、二〜三度お目にかかったことがあるという個人的機縁と、それによって神道神学なるものの存在と、それを実際に研究している人がいることとを初めて知り、その内容に興味を持ったというだけのことで、それ以外の理由はありません。「聖書の神話に枠づけられた思惟」としてのキリスト教神学があるのですから、それに触発されたとは言え、日本の「神話的伝承」に基づく「神道神学」があるのは、考えてみれば当然のことです。その上、日本のキリスト教の「神、カミ」という言葉は、もともと「神道」からの借り物であると言えます。

初めに著者を知るために「あとがき」を引用し、そのあと、ここでも「序論」と「結論」のみを紹介したいと思います。なお著者は昭和38年生まれの働き盛りです。

あとがき

振り返って、平成三年に始めて拙稿を学会誌に発表して以来、此の度一冊の著書に纏め上げるまで、随分長い歳月が経過してしまった。もともと、気力を充実せしめ勇猛果敢に自己の研究を展開していく、といったタイプとは程遠い筆者ではある。それ故これまで御指導・御鞭撻を頂いた数人の先生方には、拙著を刊行するにあたり、是非とも一言御礼の言葉を申し上げたい。

△ この本は著者の処女出版のようです。

筆者が神道神学という学問に興味を抱いたのは、平成十五年三月に帰幽された故上田賢治國學院大學名誉教授の講義を拝聴したことを契機とするものである。キリスト教や仏教との信仰理論的な比較を通じて神道信仰の特質を明らかにし、本居宣長や平田篤胤の学説を批判的に検証しつつ、神道信仰に対する体系的な理解をお示しになった上田先生の講義は、当時学部生の筆者の神道に対する知的関心を大いに刺激した。その後、学部卒業論文や大学院前期・後期課程を通じて、上田先生のご指導を賜る機会を与えられた。しかし何分にも浅学非才の筆者は、学問的な議論を常に促された上田先生の御指導に、十分に応えられたとはとても言い難い。近世国学者同様、「師の説に泥む(▽)べからず」をモットーとされた上田先生に対して、終ぞ先生御存命中に、その学的姿勢に値する論文を書くことができなかったのは、上田先生に与えて頂いた学恩を思うと、悲しみに耐えない。

△ 泥む=なずむ(行きなやむ、とどこおる、こだわる)、ここでは「こだわる」(拘泥)の意。

上田先生亡き後、筆者の研究の展開を促してくださったのは、國學院大學教授阪本是丸先生である。博覧強記の阪本先生には、研究会といったやや緊張を強いられる場だけではなく、平素の雑談の間にも、数多くの研究のヒントを与えて頂いた。此の度、財団法人神道文化会の「神道文化叢書」の一冊として筆者に著書刊行の機会を与えてくださったのも阪本先生の御蔭であるが、そもそも、阪本先生との御縁がなかったならば、著書に纏め上げる程の論文も執筆できなかったであろう。

更に研究を続行する上で、何度となく挫折しかけた筆者ではあるが、その度ごとに励まして頂いたのは、他ならぬ阪本先生であった。

神道神学を構築するにあたり、上田先生は宗教学の重要性を常に力説しておられた。その薫陶を受けて、宗教学を学ぶにあたり、筆者に宗教学の基礎的な知識を授けて下さったのは、東京大学名誉教授田丸徳善先生である。田丸先生は、西洋宗教学のみならず日本の宗教学史に至る迄、オーソドックスな学説史の展開を解り易く説明してくださった。また本書に於いてその分析を加えたプロテスタントの組織神学者ルードルフ・オットーの原書を講読するにあたり、厳しい御指導を賜わったのは、慶応義塾大学教授樽井正義先生であった。更に短期間ではあったが、数度に及ぶマールブルグ大学への留学に際して、資料収集を助けて頂いたのみならず、筆者の研究上の問題点等をも指摘されたマーティン・クラーツ(Martin Kraatz)博士にもお世話になった。

△ 著者が「神道神学」を研究するに当たり、宗教学を学んだこと、また短期間とはいえ、ドイツに数度留学したということは注目に値します。通例、神道研究者が外国に留学するということは、あまり考えられないことではないでしょうか。

筆者は大学院を修了し、これまで研究一筋に生きてきたわけではない。途中三年間程横浜市金沢区に鎮座する瀬戸神社に於いて神明奉仕に従事した。宮司、國學院大學講師佐野和史先生の御指導の下、現実の神社信仰に接する機会を得たことは、その後の研究の展開に少なからず影響を与えたと思う。とりわけ、神道信仰を分析するにあたり、神祇祭祀の重要性を認識するに至ったのは、現場神職の経験を通じてのものであろう。(後略)

△ 著者は神職の家系の出ではないようです。「世襲社会」においては、それもまた異例のことと言えるでしょう。神職の家系から別の職業の者が出るという逆の例ならば、数多く存在すると思われます。なおこのあとの文章に、著者のご尊父が「西洋音楽史を専攻していた研究者」であると書かれています。著者のドイツ語の素養はご尊父の薫陶によるもののようです。その方が、何年も前ですが、日本クリスチャンアカデミーの集会で、ご子息の講演を熱心に聞いておられた姿が思い出されます。その講演のあと、李仁夏牧師を始めとするクリスチャンの人たちから、鋭い質問が次々に寄せられました。それより前のことですが、私も著者の話に同様の反応を示したことがあります。クリスチャンの戦前の経験からすれば、神道信仰を直接無媒介に肯定する主張が、なかなか受け入れ難いということは事実です。しかしそれは個人の信仰の問題であるというよりも、個人の信仰が国家体制に取り込まれてしまった戦前の「国家神道」のあり方が、当事者によって十分に反省されていないということと、未だにそれをよしとする人たちが、この国の指導的立場に居続けているということの問題であると思われます。また神社が地域の住民全員を氏子とみなしても当然とされる、「前近代的」な日本の社会のあり方にも問題があるでしょう。イスラム社会とは別の意味で、日本も「近代社会」にはなり切っていないというところに、問題の根があるようです。個人の信仰という点では、神道であろうと、仏教であろうと、信教の自由は保証されている筈なのですが、問題は、神道が習俗全体を含んで「日本人」の生き方であると「上から規定されてしまう」ところにあります。「神道神学」がそのような体制を肯定し、擁護するための学問であるとしたら、それは甚だ危険です。

以下、「序論」の紹介に移ります。この部分は、雑誌『神道宗教』第167号(神道宗教学会刊、平成9年9月)掲載の「戦後神道神学研究概観」という論文を書き改めたものです。この論文は公開シンポジウム「戦後五十年の神道学を考える」でなされた発表の一つです。このときには、雑誌の抜き刷りを見ると、歴史・祭祀領域、思想・神学領域、隣接諸学にわたって、合計11の発表があったようです。

序論 戦後神道神学研究史と本書の課題

はじめに

戦後の神道神学に関する業績を回顧し、且つそこで示された成果を分類・総括し、今後の展望を明らかにするという作業は、神道学を構成する他の諸学に比して、極めて困難であると思われる。なぜならば、神学の業績を持つ研究者相互において、神学を「護教学」とする認識の一致は指摘し得るにしても、「護教」という言葉の意味をどのように理解するのか、つまり神学という学問の性格をどのように規定するのか、あるいは神道神学することにおいて何を第一義の研究資料にするのか、これらの問題については、必ずしもいまだ研究者相互において明確なコンセンサスは得られていないのが現状なのではないかと思われるからである。

△ 神学を「護教学」とする認識の一致は指摘し得ると言われているのは注目に値します。それは戦後の「神道」が置かれた立場を反映するものでしょう。護教学、弁証論、apologeticsという神学の分科については、「神学の七分科」を参照して下さい。

従って、先学によって築かれてきた業績を回顧するにあたり、さしあたり「神道神学とは何か」、神道神学という学問をどのように理解するのか、という根本的な問題を分析することが肝要であるかと思われる。それ故に、これまでの業績を、その研究対象に従って分類することを避け、個々の研究者がどのような方法論に基づいて神道信仰を明らかにしてきたのか、この問題に視点を置いてみたいと思う。

△ 神道神学の研究者の業績を、その研究対象に従って分類するのではなく、その方法論を明らかにすることが、この論文の視点であると前置きされます。

一 小野神学

戦後、神道神学の第一人者と目される小野祖教氏は、昭和二十二年神社本庁の教化課長に就任された数年後に、昭和二十四年『神社神道講話』(神社新報社)及び昭和二十六年『神社神道神学入門』(神社新報社)において、自らの神学の基本的な構想を示された。すなわちGHQによる「神道指令」が発せられた後、全国神社を統括する神社本庁では、統一的な教義に対する関心が高まり、小野氏がそのような趨勢に対応する形で、本庁の教化資料として出版したものがこれらの業績なのである。従って、戦後の神社神道界の混乱期、すなわち神社神道が一宗教としての出発を余儀なくされるにあたり、教義・教学の樹立は喫緊の課題であったのであり、小野神学の目的も、正にその点にあったことが推測される。

△ 通例、神道にはキリスト教などの創唱宗教に見られる「教義」はないとされてきたと思います。しかし、戦後、神社神道が一宗教としての出発を「余儀なく」されて、神道の教義・教学の樹立が迫られたところに、神道神学なる学問が生れてきた理由があると指摘されています。しかし、この一宗教としての自己限定は、果たして明確に貫かれ得るものなのかいう点が、神道神学の難問としてのしかかってくると思われます。神道とは、そもそも習俗・民俗と切り離し難く存続してきた、教義的に限定することが難しい宗教だからです。ヒンドゥー教や道教などの土着的民衆的な信仰を考えてみれば、わかり易いと思います。教義なるものが先に存在しているわけではありません。

かかる神学の目的は、自らの神学を「祭の神学」と命名し、神道信仰は、「我々に残されてゐる神社や、神道の行事やを通して、我々みずからが神との対決によって与えられるべきだと思う」(「神話と信仰」『悠久』第三巻第一号、昭和二十六年九月)と主張しているように、現実に営まれている神社祭祀の信仰的な意味を明らかにすることに向けられていると思われる。従って、神道古典は、現在にまで至る祭祀を中心とする信仰伝統の「種子」として評価され、「祭の意味」を明らかにする典拠として認識されている。このような古典神話に対する理解は、上述の『神社神道講話』に具体的に示されており、そこでは、天照大御神の「天岩戸神話」、あるいは大国主神の「国譲り神話」、そして崇神天皇の条に見える大田田根子の伝承等に祭祀の理念を求めていることからも確認される。しかし、そのような「祭の意味」を明らかにする典拠として認識されてはいるが、必ずしも神学することに於いて、それ以上の意義は見出されてはいないと思われる。つまり小野氏の見解によれば、記紀神話は互いに矛盾した伝承を伝えている故に、神学する上で第一義の資料とするわけにはいかない。今日まで続く祭祀の信仰的な意味を明らかにする「種子」として考えるべきだという、そういう認識・理解であったといえよう。

△ 「旧新約聖書」がキリスト教の正典であると言われるような意味で、記紀神話を神道の第一義の典拠として認識することはできないと言われていることは、事実に即していると思われます。「現実に営まれている神社祭祀の信仰的な意味を明らかにする」という目的設定は、従って堅実な判断であると言えるでしょう。

小野氏によって、神道信仰の本質を指し示す原理として認識された有名な「まこと」という概念は、このような神道祭祀の信仰的・意味的な分析に基づいて、体験的に把握された行動原理であったといえよう。ちなみにここで「体験的」と記述したのは、小野氏自らが神道人の信仰体験を説明してまとまりをつけていく、そこのところに「まこと」という概念が把握されるのだ、と『神社神道講話』で述べているからに他ならない。その体験的に把握された行動原理である「まこと」は、神の本質を指し示すものでもあり、神と人との関係、人と人との関係を調和的に統一していく働きを意味し、究極的に神道信仰は「まこと」の実現にあると規定された。

△ 仮に「まこと」の「ま」を、「まごころ」の「ま」と理解してよければ、「まこと」とは「真実の柄=真実の葉」としての「ま・こと」という意味になります(事と言の、コトはもともと同義であるとされています)。この言葉は日本人の「心情倫理的」な生き方の心髄にあるものとして、重要ではないかと思われます。ちなみに広辞苑には「@事実の通りであること。うそでないこと。真実。ほんとう。A偽り飾らぬ情。人に対して親切にして欺かぬこと。誠意」とあります。

二 安津博士の神道理論

以上のように「祭り型神道」を、神道神学の中核に据えて分析した小野氏に対して、ほぼ同時期に活躍し、神道理論、神道思想史を専攻された安津素彦氏は、必ずしも自らの学を神道神学とは称してはいない。しかしながら、古典神話に対する厳密な語義論に基づいて、神道信仰を分析していることが確認できる。

主に昭和三十年代までの論文を概観してみると、記紀神話に示された孝徳天皇紀大化三年の条に記されている「惟神」を、その背後に「天壌無窮の神勅」の精神を見る立場から、これを「かんながら」とは読まずに、「おもうに神」と読むべきであると主張した、そういう論考(「惟神考」『明治聖徳記念学会紀要』第五十六巻、昭和十六年九月)を始めとして、「別天神」を「ことあまつかみ」ではなく「わけあまつかみ」(「別天神の訓と意義」)『國學院雑誌』第六十二巻第十号、昭和三十六年十月)、「拝祭(いつきまつる)」、そして「治天下(あめのしたをさむる)」(「古事記に於ける治天下の訓について」『神道宗教』第十一号、昭和三十一年三月)といった、教学と直接関わる要語の詳細な分析を通じて、皇祖神天照大御神の神格理解及び天皇の本質について議論されている。

△ 先の小野氏とは違って、安津氏においては、古事記が「正典」の位置に置かれているということがわかります。

このような古典神話に示された信仰を、古語の厳密な分析を通じて明らかにしようとする姿勢は、本居宣長の学問をして、「神道思想史上に於ける国学の位置付けを初めて可能にする」(「国学の基礎」『国学論叢』所収、昭和十七年)との認識以来一貫して確認される。その理由というのは、つまり「意・言・事の三一思想」、要するに「言」=古語を明らかにして、「意」=古意に通じ、そして「事」=古道を明らかにするという、宣長の文献学的方法を称して「三一思想」と命名しているわけであるが、「三一思想を以って宣長学の原型」と見做し、この「三一思想」に基づいて道の学が成立したということである。つまり「古伝説を素直にうけとり、その事実に(神代の)道理を発見」したこと、そしてその立場から「神代より万世一系連綿と相承相伝わる皇位の実在」を今にみる道の学を、本居宣長の学問の中核と評価しているのである。

△ 古典神話を「正典」視するということは、それ以上遡及できない信仰の究極的典拠として受入れるということを意味するでしょう。そしてその中核に「祭祀王」としての天皇が位置づけられます。それが「今にみる道の学」であると言われます。その思想が現在の国家の成り立ちをも説明するものであるとされるなら、現行憲法がどのように評価されるかは自ら明らかでしょう。

とりわけ安津氏の業績において、神道神学史の視点からより注目される論考は、いずれも昭和四十年以降に発表された「古代思想の断想―カミの生成の場と他界―」(『國學院雑誌』第七十一巻第十一号、昭和四十五年十一月)及び「天照大御神アモリ考―神道教学の一つの問題―」(『神道教学論攷』所収、神道宗教学会、昭和五十年三月)であったと思われる。なぜならば、これらの論考には、「日本思想の原型」あるいは「歴史の底に流れる日本民族性(文化性)」という概念を確認できるからである。即ち「日本思想の原型」をして、安津氏は「ただ単に古い時代の思想という意味でなく、日本人に土着の思想であるという意味である」と規定しているように、当該概念は、神道信仰の一貫性という意味を内包し、従って、後の上田神学に於ける組織神学が明らかにする「信仰の基本構造」の分析を目指していると推察されるからである(▽1)。かかる視点に従い、これらの論考は、古典神話に依拠して他界の信仰、及び天照大御神の所在についての信仰の分析を通じて、神道信仰の特徴を、現実世界を中心とするもの(「現実主義的」)、つまり神(祖霊)と人との共在を中核とする点に見出している(▽2)。より具体的にいえば、神道の崇拝対象である神あるいは祖霊というものは、祭祀を通じてわれわれが生活する現実世界に訪れる、そしてそのような信仰を基盤として、後に時代が下ると常にそのような崇拝対象である神あるいは祖霊は、われわれと日常生活を通じていつも共在している、そのような信仰が成立するということを指摘している。

△1 この段落には二つのことが書かれています。一つは「日本思想の原型」ということ、あるいは「歴史の底に流れる日本民族性(文化性)」です。それが果たして「神道信仰」に帰着するかどうかは疑問のあるところですが、何かしら「日本思想の原型」と言えるようなものを想定すること自体は可能だと思われます。それについて思い出されるのは、『日本文化のかくれた形(かた)』(武田清子編、加藤周一・木下順二・丸山真男著、岩波書店、1984年)という本です。これは国際基督教大学での三氏の講演録ですが、その中で、特に加藤周一、丸山真男両氏の講演が参考になります。特に「原型」ということについては、丸山氏の「原型・古層・執拗低音――日本思想史方法論についての私の歩み――」という講演が大変参考になります。ここでは「原型」に関わる部分だけを、かなり長くなりますが、引用してみます。

『ここで私が使ったのは、「原型」という言葉であります。日本思想の「原型」ということを講義のはじめに論じました。外国語として念頭にあったのは、プロトタイプという言葉でした。そのころ私はもちろんユングはまったく読んでおりませんから、ユングのアーキタイプから暗示を受けたのではありません。たださっきのような、私の体内に発酵してきた「開国」とか文化接触の在り方とか、日本文化と日本社会の変容性と持続性との逆説的な結合といったことからだんだん問題を煮詰めてきて、どうしても日本政治思想史の冒頭に「原型」ということを論ずる次第になったわけです。そこで、江戸時代から始めていた講義を古代までさかのぼらせて、どうせ一学年ではやれないものですから毎年時代を変えました。たとえば、古代から始めると鎌倉仏教ぐらいで一学年が終わってしまうのです。そこで、その次の学年は、中世の末期ぐらいから始めてキリシタンの渡来までです。それから、また次の学年は、幕藩体制のはじめから明治維新までくる。しかし、毎学年、一番初めに必ず「日本思想の原型」という章を置いて、仏教という世界宗教が入ってきたときに「原型」によっていかにモディファイされるか、儒教が入ってきたときに、それが中国儒教をどういうふうに変容するのか、そういう観点から述べてきたわけです。したがって非常に不親切な講義で、三年ぐらい連続出席しないと、古代から明治維新までの日本政治思想史は聴けない。その点日本の大学はレール・フライハイト――教授の自由というのが伝統的にあって、どういう内容の講義をするかは、講座担当者に委ねられ、あまりカリキュラムの拘束がないのです。ですから私はそのおかげを大へんに被って感謝しているのですが、教科書的概論に慣れた学生には不親切な話です。

「プロトタイプ」という言葉を私はつかったのですが、外来思想が内容的に「原型」によってどう修正されたかということは今日は時間がないからやめて、方法論の問題に限ります。たとえば、三角形を書くと、一番底辺のところに原型が来ます。そのうえに儒教とか仏教とかマルクス主義に至るまでの「外来」の教義や「体系」が積み重なってくるわけです。そこで歴史的発展が同時に層を成してくる。そうした底辺の「原型」とそのうえに重なった外来思想との間に相互交渉がおこる。だからただ空間的に上に積み重なってくるだけではないのです。「原型」というものは一つのドクトリンとしてあるわけではないから、具体的に原型をとり出して来る方法としては消去法しかない。儒教とか仏教とか、民主主義とかキリスト教とか、そういう外来の教義や世界観を明らかに表現しているカテゴリーを消去していくのです。それ以外には「原型」にアプローチするしかたはない。これは、「神道」の歴史を見るとよく分ります。神道というのは、はじめは仏教と習合して両部神道のような教義が生れ、後には儒教と習合して、吉田神道とか吉川神道とかが出て来る。神道は、そういう他の世界観の助けを借りないと「教義」としての体系を持てないのです。それが神道の思想史的な宿命なのですが、しかし「原型」をとり出すという意味では、神道史は大変役に立ちます。とくにその直接の素材になっているのは日本神話です。

記紀神話は支配階級のイデオロギーであって、必ずしも日本の民衆思想を表現していない、という考えが戦前からあります。ここにはもっともな理由もあるのですが、その問題に立ち入ると具体的な神話内容の分析に入って行かねばならないので、いまは差しひかえます。ただ、方法論の問題としては、日本にかぎらずどこの思想史を研究する場合でも、古代にさかのぼるほど「ある時代の支配的な思想とは当時の支配階級の思想だ」という有名なマルクスの言葉があてはまるのです。そういう統治者及びそれにひきいられた知識層によって書かれた文献以外には具体的な思想史料が得られないだけでなく、そもそも「支配階級」と意識的に対決した「民衆の思想」というタームで思想史を語ること自体が「近代」になってはじめて登場した立場であり、そういう立場からのイメージを昔に投影するのはかえって非歴史的ではないか、ということだけ申し上げておきます。日本神話のなかに記紀編者の政治的意図を読みとるのはさして困難な事柄ではありません。そうしたイデオロギー性をこえて、そこには日本思想史の「個体性」をさぐる貴重な素材がある、と思われるのです。

前述のように、日本神話が形を整えた六、七世紀ごろには大陸のさまざまな文化の浸透を受けているわけですから、日本神話は原型そのものの表現ではありません。そこが大事な点です。消去法による以外にはない、といったのはそれです。日本神話のなかから明らかに中国的な観念――儒教だけではなくて道教とか諸子百家とかも入れてそういう古代中国の観念に基く考え方やカテゴリーを消去していくわけです。そして今度は、世界宗教としての仏教――むろん中国経由の大乗仏教ですが、そこに由来する観念も消去していく。同じような操作を「万葉集」とか、「霊異記」とか、重要な思想文献に即してつぎつぎとおこなう。そうすると、何もなくなるかというとなくならない。サムシングが残るのです。そのサムシングというものがつまり、原型――その断片をあらわしております。原型はそれ自身としては決して教義(トクトリン)にはなりません。教義として体系化しようとすると外来世界観の助けをかりねばならない。しかしその断片的な発想はおどろくべく執拗な持続力を持っていて、外から入って来る体系的な外来思想を変容させ、いわゆる「日本化」させる契機になる。この消去操作は一種の循環論法になるのですが、それは仕方がないことなのです。

講義の順序としては、純粋な「原型」の時代というのは実際にはないのですけれど、はじめに仮説として原型の問題をのべ、それから「普遍者の自覚」という章のもとに、日本が初めて普遍者を自覚した思想史的大事件として仏教を扱い、世界宗教としての仏教が日本へ入ってきて平安・鎌倉時代にどういうふうに変容されるかの足跡を追う。さらに、神道は本来教義ではないのですが、儒仏に対抗するために、神道思想としてイデオロギー化されてゆく。そこから中世以降の「神国」思想などが生れて来る。つぎには江戸時代に儒教がどういうふうに「原型」とまざりあって変容していくかを考察する。まあ大ざっぱにいえばこういう順序になったわけです。』

△2 神道信仰が「現実主義的」であるという点に関しては、日本文化のアーキタイプスとして、同じ本の加藤周一氏の講演「日本社会・文化の基本的特徴」に述べられています。ここでは「まえがき」の武田清子氏による以下の要約を引用するに留めます。

『このような執拗な持続性にみられる、感情生活、意識の深層に堅持する土着の世界観の特質、いいかえれば、日本の社会・文化の深層に内包された基本的特徴は何であるか?

加藤周一氏は、「日本文化のアーキタイプス」をテーマとするこの講演において、(1)競争的な集団主義、(2)現実主義、文化の此岸性、(3)時間の概念における現在主義、(4)集団内部の調整装置としての象徴の体系の極端な形式主義、および、極端な主観主義、(5)外に対する閉鎖的態度をあげている』。

以下、中野氏の本文に戻ります。なお、本文で安津氏が指摘している「神(祖霊)と人との共在を中核とする」という認識に関しては、古代以来の汎通的な意識のあり様として、広く宗教学的、文化人類学的な視野からの考察が求められるでしょう。

更に、かかる神道信仰の特徴を「他界」ではなく「この世」、現実世界を中心とするという見解は、神道と他宗教との比較における尺度となり、神道がウィリアム・ジェームズのいう「一度生まれ型」、生まれたままのこの世に満足して来世を求めない楽天的なタイプの宗教、健やかな心という、一度生まれ型に属するものであると指摘している。このような神の所在についての議論は、換言すれば神理解に関わる問題、すなわち安津氏が本居宣長の有名な「神の定義」(『古事記伝』三之巻)に示された「尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物」、この定義を基本に、崇拝対象に対する神秘の感情を分析したルードルフ・オットーのヌミノーゼとの比較を通じて追究した「カシコキもの」に対する理解・認識であり、その視点からも神学の業績として評価し得ると思われる。

△ 神道がキリスト教のような「二度生まれ(born again)」の宗教ではないと指摘されているのは、崇拝対象に対する「ヌミノーゼ」感情というオットーの概念の援用と併せて、大変興味深い点です。ここでも日本人の古来の宗教的感情は、果たして日本独自のものであるかという、基本的な問題を提起することになるからです。

三 上田神学と小野神学との比較

昭和五十年代の半ばより「神道神学」の講座を担当した上田賢治氏は、小野氏と同じく神道神学という学問分野を専攻されながらも、小野氏の方法論とは全く異なる方法論に従って、神道神学の体系化に尽力されたように推察される。

すなわち、まず第一の相違点として、『古事記』、『日本書紀』に代表される古典神話を、神道神学の最も重要な典拠として認識していることにあるかと思われる。神話は、古代人の事実を超えた意味世界を、イメージによって伝達しようとする宗教言語によって語られているものであり、「基本神道」、すなわち外来宗教としての仏教との接触を通じて自覚化された民族固有の信仰、ベーシックな神道の信仰形態を最もよく表出しているゆえに、神道信仰の基本構造を明らかにする組織神学は、神話を詳細に分析することから始められるのである。こうした方法論は、上田氏が神学とともにライフワークとして取り組まれた国学の研究と密接な関係があるかと思われる。なぜならば、他宗教との習合形態を示す国学以前の神道思想を、神道の自立的な立場から批判し、我が国の国典に肉薄し、純神道と呼称される領域を明らかにした近世の国学は、「神道神学の現代的展開とその組織化を考えようとする場合にも、最も有効な基礎資料の一つになる」(「釋契沖」『国学の研究―草創期の人と業績―』所収、大明堂、昭和五十六年九月、十三頁)からであるとする認識である。これは、宣長の学問をして「復元解釈学」とする認識(「宣長の国学と篤胤の国学」『國學院雑誌』第六十七巻第十一号、昭和四十一年十一月)、あるいは「国学とは何か」(『國學院大學日本文化研究所報』No.48誌、昭和四十七年四月)というエッセイの中での「古典の研究を通して正確であること、客観的に見て正しいことを国学は大切にする方向にあり、それは神学とは全く違う、神学とは信仰的に人を導いたり救ったり変化せしめたりする、そういう力が伴っているもの」という言明からもわかるように、本居宣長を単なる古典の註釈者と位置づける小野氏の認識とは、真っ向から対立しているものと推察される。

△ 小野氏とは違って上田氏においては、「記紀神話」を信仰の「正典(カノン)」とする方向性が見られると言うべきでしょう。その観点から「復元解釈学」を試みた宣長の業績も高く評価されることになります。しかし神学が信仰共同体に適用される実践的な学問であるなら、神道神学が適用される「教団」のコンスティテュエンシー(構成員)とされる人々とは、一体誰なのでしょうか。「日本民族」であるということにならないでしょうか。また日本民族なるものを想定してみても、既に記紀が編纂された段階で、日本民族は単一ではなく「ハイブリッド(異種混合)」であるということ、あるいは丸山真男氏が指摘するように、記紀の中に既に外来の思想が入り込んでいて、「基本神道」「純神道」なるものは消去法によってかろうじて把握される「サムシング」であるということを認識しなくてはならないでしょう。つまり神道信仰とは「否定神学」的に同定されるべき何かではあっても、積極的に提示できるような「教義」によって支えられているわけではないでしょう。するとそこからいかなる「組織神学」が構成されることになるでしょうか。

第二の相違点として、他宗教、とりわけ仏教・基督教両教との比較という視野を、神学することにおいてより明確に上田氏は保持していたことが挙げられよう。「外国人による日本文化研究の盲点」(『國學院大學日本文化研究所紀要』第十六輯、昭和四十年三月)――この論考は昭和三十一年から昭和三十三年まで、日本文化研究所に於いて外国人の神道研究を分析するために開かれた研究会の成果を報告するために書かれたものであり、上田氏が、それまでの宗教心理学から神道学の分野に入る契機となった論考である――において上田氏は、宗教学の発達史観を背景とした、いわゆる「祖先崇拝」、あるいは「自然崇拝」という概念に基づいて、神道信仰を規定する外国人の研究者の業績を批判的に検証している。いわゆる宗教現象学派のコーネリウス・ペトルス・ティーレの発達史観に基づいて神道信仰を規定しようとした加藤玄智の発達史観を批判した「神道研究の方法―加藤玄智博士の発達史観批判」(『神道研究紀要』第三輯、昭和五十三年五月)、及び南山大学東洋宗教研究所主催による神道とキリスト教との対話集会に提出された「神道における普遍と特殊」(『神道とキリスト教』所収、春秋社、昭和五十九年)は、それに連なる業績であり、これらの業績に見られる西洋キリスト教文化圏に生まれた宗教学の概念に基づいて神道信仰を規定する学説に対する批判、あるいは他宗教との比較の拠り所は、上田氏の古典神話に基づく神観念の分析や存在世界の理解そして人間理解に基づいている。その意味において、これら一連の業績は、組織神学を構成する一翼を担うものであるかと思われる。

△ 上田氏が、それまでの宗教心理学の研究から神道学の分野に入る契機となったのが、外国人による神道研究にあったと言われているのは示唆的です。外側からの概念的規定によっては何か大切なものが切り落とされてしまうという感覚は、内側にある人の誰しもが感じることですが、特に西洋中心的な「発達史観」は独断的です。確かに、それによって宗教現象が正しく把握されるということはないでしょう。しかし逆に神道神学を積極的に展開するとなると、そこから色々な問題が引き起こされてくるでしょう。キリスト教が既に同様の問題を抱えていたように、それは神道の神学的「自己限定」に関わる問題です。神道神学とは、誰によって、誰のため、何のためになされる学問なのでしょうか。

更に上田氏の組織神学樹立への過程を概観するとき、看過し得ない問題は、上田氏が神学に取り組む以前、哲学ではなく宗教心理学を専攻していたことであろうかと思われる。昭和三十七年に発表された「救い―その心理学的理解と宗教の立場―」(『國學院大學日本文化研究所紀要』第十輯、昭和三十七年三月)では、人格心理学が明らかにする「健康な心」を獲得せしめる働き、すなわち自己の人生に意味を見出さしめ、積極的・創造的に生を生きる力の源を、人格における宗教の本質的機能として認識しているように思われる。すなわち「人間は自己の個人的存在を超える価値への存在を賭けた決断と行為によって、自己の有限なる存在に存在としての意味を発見し、それによって有限な自己存在を自ら超越することは可能」なのであるとする。これはより簡略にいうならば、宗教の本質的な機能というのは、信仰者に対して、ただ単に心の安らぎあるいは精神的な安心を補償することにあるのではなく、より積極的・想像的に人生を生きるために、根源的な力を与えることにあるのだという主張であるかと思われる。そして「正常人格に於ける宗教信仰の機能」を明らかにしたオルポートの心理学は、上田氏のこのような宗教理解を補強するものであり、その理解は、後に神道の人間観や罪の問題を明らかにする基盤になっていると思われる。それはつまり、神の「命持ち」としての人間が有限な自己に内在する生命力を発揮して、生成発展の御業(ミワザ)、天津神諸々の命を受けて諾冊二神(▽1)によって始められた中津国を修理固成する御業に勤しむことを神道信仰の中核とするものであり、その人間に内在する生命力が、正しく生成発展の御業に向けられてあることに人間の罪と責任とが問われていると推察される。これは、人間の本性を「まこと」と認識し、善なるものと位置づけ、ゆえに罪、穢れは禍津日ノ神によって外からもたらされる、従って、人間の責任は「まこと」としての人間の本性を保つことにあると主張する小野氏の神学に比べて、人間の責任と自立性とをより明確にしている点で、神道神学の一つの発達であると考えられる(▽2)。

△1 諾冊二神 「いざなぎのみこと」と「いざなみのみこと」の夫婦の神。

△2 ここに書かれていることが「神学的言説」(「古典神話に枠づけられた思惟」としての「神学」的表現)である限り、その意義を肯定的に評価することはできます。問題は、二重の意味で、その神学的言説の射程範囲にあるでしょう。一つは「中津国を修理固成」するという「中核」的表象がどこまで一貫性をもって展開されうるのか、という神学固有の問題であり、もう一つはその言説が「誰」の生き方として主張されているのか、という信仰の担い手の問題です。特に後者に関しては、「日本人なら誰でも」という言い方に傾きやすいという点が注意されるべきでしょう。神道は近代的な意味での「教団」ではないという、神道の自己規定に関わる問題が、最後まで尾を引くことになるでしょう。

そして最後に、神学の方法論に関する問題として、「組織神学」、「歴史神学」そして「実践神学」に基づいて上田神学の体系化がなされていることが挙げられよう。これは神学を「護教学」と認識し、教学との相違を必ずしも明確にしなかった小野氏の神学との相違点として指摘されると思われる。上田氏は必ずしも神道神学が「護教学」であることを否定しているわけではない。しかし、「護教」という言葉の意味には、対外的に、他者からの批判を受けたときにこれを弁護するという意味と同時に、対内的に正しい信仰を護るという意味を見出しているのである。

このような上田神学に見られる神学の体系化は、神学をして「信仰検証の学」と認識していることと関連する。すなわち、信仰を構造的に捉える「組織神学」と、信仰の歴史的展開が示す諸相を組織神学の立場から信仰の正統性に基づいて検証する「歴史神学」とは、相互補正の形をとりつつ正しい神道信仰を明らかにし、そこで得られた信仰の原理に基づいて、現実が対応を迫るところの実践神学が展開されていくのである。

△ 聖書の神話からキリスト教神学が構築されてきたのですから、古典神話に基づいて、神道神学なるものを構築することも可能でしょう。しかし神道的な意味で「正しい信仰」を明らかにすると言うとき、その正しさの基準を定めることはそんなに簡単ではないのではないかと思われます。国学の存在がそのような見通しを与えたとしても、丸山真男が、先に引用した文章の前のところで、日本の神話には天孫降臨神話のように北方のアルタイ系の神話と共通しているものもあり、聖なるものが、はるか遠方の海上から来るという、東南アジアとか南太平洋諸島にあるものと共通している神話もあると言っているように、日本神話の「特殊性」などというものはありません。しかし『その個々の要素がある仕方で結びあわされて一つの「ゲシュタルト」――全体としての日本神話の構造をなしている点に着目すると、それはきわめて個性的なもの』であるとも言っています。そうすると、正しさの基準とは、その個性であるということになります。ある特定の神話に「正しさ」の基準があるというのではなく、個性としての組み合わせに「正しい信仰」があるということになるでしょう。その正しさとは「日本人らしさ」と言うときの「らしさ」であって、正しい信仰の検証とは、「らしさの検証」ということになるのではないでしょうか。つまり「似つかわしさ」が正しさの意味になります。それは日本の風土に馴染むか馴染まないかという判断であるとも言えるでしょう。はたしてそれは「神学」であると言えるでしょうか。仮にそれがあるとして、「らしさの神学」は「スタイルの神学」でもあります。日本人に特有のスタイルに、神道神学の基準があると言うべきでしょう。揶揄して言っているのではなく、丸山が言う「執拗低音(パッソ・オスティナート)」としての「変化のパターン」に、私自身もからめ取られているという意味で、「らしさの神学」こそ、自覚的に検証されていかなくてはならない当のものでしょう。

「序論」の紹介は未だ途中ですが、ここで一休みします。

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