閑老人のつぶやき 本について3
「一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」(ルカ10:38〜42)。
かつて上田閑照の名著『エックハルト 異端と正統の間で』(講談社学術文庫、1998年)を読み、このマリヤとマルタの物語について「常識を覆す」解釈に触れたことがあります。通例は、実践よりも観想、あるいは礼拝を重視すべき教訓として、このテキストが用いられてきましたが、エックハルトはその逆を行っていたからです。そこで、そのことが論述されている、この本の「T エックハルトの生涯と思想の形成」の「13 非宗教の宗教――無神における実践的敬虔」を丸ごと引用してみます。なお、エックハルト独自の言葉(日本語訳)に原語(古ドイツ語)が挿入されていますが、ここでは省略します。
〈エックハルトの言葉を直接聞く前に(引用者注:この本の後半は「U エックハルトの論述と説教」になっています)、以上第T部の叙述を通してみてきたエックハルトの実存思想の構造と質について、その根本動向の向かうところをもう一つ最終的に見ておきたい。それはまた、この無神の現代におけるエックハルトの意義への示唆にもなりうると思われる。
「脱却して自由」はエックハルトが強調してしばしば用いる根本語であるが、その実存遂行として「魂のうちにおける神の子の誕生」、「離脱」、「神性の無への突破」を繰り返し説いている。そして、その際の自覚における思索は思弁的には徹底的に「一」(「一の一なる一」)、ただちに「無」と言い換えられるほどの無相の純「一」に導かれている。このようなエックハルトの実存思想は、キリスト教内においてそのキリスト教性という観点から問題になりうるであろうが(当時のエックハルトに対する異端審問が示すように)、また基本的一般的に、人間の現存在の事実性を無視し有限な時空的現実を忘れた思弁的高翔のように見られるかもしれない。そこに所謂神秘主義の非現実性がまさに実証されていると見られるかもしれない。事実当時はエックハルトの神学的概念の使用における思弁の危険な行き過ぎが非難され(「異端宣告勅書」には「分をわきまえず、知る必要のないことを知ろうとした」という言葉がある)、現代の神学では往々神秘主義は空想的ないし欺瞞的な自己救済の空しい試みとして批判されている。エックハルトの思想をあそこまでつきつめさせた「一」自体の考えにしても、そのような「一」が果して宗教的生の現実的基礎になり得るものかどうかという疑念も起こってくるであろう。
エックハルトはそもそも「現実の生」ということをどのように考えていたか。「何故なし」に生きる根源的生はエックハルト実存思想の淳々たる源泉であるが、それと、その都度の「……のため」の遂行を含む「現実の生活」との結びつきはどのように生きられるのであろうか。無相無形の「神の根底」即「魂の根底」に徹するとき、そもそも肉身をもって現実世界に働くこの現身の人間はどのようになるのであろうか。
この問は具体的に答えられなければならない。まさに人間がいかに生きるかの事柄だからである。この問題に関して大局的に太い線で示唆になるのは、ある説教(本書第U部第2章説教九)で「神から離れるのは、友のために且つ神のために」(ロマ書九・三*のヴァリエーション)というパウロの言葉にエックハルトが注目していることである。その説教では、この句をてがかりにして独特な「神の捨離放下」が「突破」の方向で説かれているが、「友のために且つ神のために」というところには、元来二つの方向の結びつきがこめられており、大切な連関を読み取ることができる。「神のために、神から離れる」というのは、神を去って神性の無に徹底した魂、即ちそのような仕方でそれ自身の根底に還った魂が、同時に、本質に還った神の証になるからである。一方、「友のために、神を離れる」というのは、神を去って自他共存の現実世界に帰り、他者のために働くことが、働く神の証になるからである。前者の方向が神をも超脱してゆく大憤志による徹底とすると、それと逆対応的に、後者の方向は日常現実における働きとしての徳の修練であり利他の限りなき努力である。両方向を結ぶ「且つ」には、はじめから、「神のために」向上に転じ去る方向と「友のために」向下に転じ去る方向との相即の動性がこめられていると見ることが可能であろう。エックハルトはこの「且つ」の動性そのものを主題化してはいないが、「神のために、神を去る」方向をふまえていると解される仕方で「友のために、神を離れる」に相当するあり方を具体的に展開している独特な説教があり、第T部の叙述の最後に、この説教をとりあげてみたい。
* 「実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない」(ローマ9:3)。
ルカ伝第十章三十八―四十二節の「マリアとマルタ」の話を義解した説教「イエス或る村に入り給えば、マルタと名づくる女おのが家に迎え入れる……」(DWV説教八六、Q説教二八)においてエックハルトは「一人の真なる人間(一真人/シンニン)」についての独特の思想を展開している。「魂における神の子の誕生」「神性の無」「突破」などによって示される「魂の根底」における根源的出来事が、肉身をもって現実世界に生きる実人生にとって何を意味するかという大きな問題に対するエックハルトの実存思想をこの説教から読み取ることが出来るであろう。これは、エックハルトの全ドイツ語説教の中で最も特色のある説教の一つであり、エックハルトの思想の全連関の理解にとって重要な説教の一つである。エックハルトの聖句解釈の仕方と説教の進め方もよくあらわれている。そのようなわけで、少し詳しく見てゆきたい。長文でもありまた行文に錯綜している個所も含まれているので、筋を忠実に追いながら引用文をつないでゆき、理解に必要な限りの最小限の説明を挿入しつつ、再話する仕方をとってみる。エックハルトの説教本文に密着して、そこに内在する動的な構成を見出しつつ行文のその都度の論旨をきわ立たせて説教全体の方向と根本趣旨がはっきりするように、また、この説教がどれほどの射程と問題性を含んでいるかが浮き出てくるように留意したい。
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よく知られているこの「マリアとマルタ」の話は次のようである。先ず概観のためにその全体を、現在の口語訳新約聖書(日本聖書協会)に従って引用してみよう(上掲)。
この話は、文章上自然な理解からすると、「なくてはならぬ唯一のもの」のために一切を放擲して主のみもとに坐し御言/ミコトバに聞き入っているマリアのあり方がイエスによって義認されたことになる。ところがこの説教におけるエックハルトの義解は逆に、接待のために忙しく労し多くのことを思い煩うマルタの方に完全性を見るのである。先ずエックハルトの説教の大筋をたどってみよう。説教の常軌に従って、冒頭に聖句が引用挙示される。「聖ルカは福音書に次のように記している。我らの主イエス・キリストが或る小さな町に入り給うた時、そこでマルタという名の女がイエスを迎え入れた。彼女にマリアという名の妹があったが、この妹は主の足下に坐し御言に聞き入った。然しマルタは忙しく立ち働き、愛するキリストに仕えた」。(エックハルトが依拠している福音書テクストの文面は、本文校訂者のJ. Quintによると、当時のドミニカンのミサ典書からとられている)。エックハルトは、聖句の引用を一旦そこで切り、直ちに、この状況におけるマリアとマルタのあり方の根本的対照をもって説教を始める。
マリアをして主の足下に坐し御言に聞き入らしめたものとして二つの事があげられる。第一に、「神の慈愛が彼女の魂を包んだこと」。第二に「言いあらわし難い憧れ。彼女は、何物へと知らずに憧れ、何物をと知らずに欲し求めた」。第三に、「キリストの御口より流れ出る永遠の御言から彼女が汲みとる慰めと法悦」。これに対して、マルタをして接待のために立ち働かしめキリストに仕えしめたものとしてあげられるのは、第一に「円熟せる年齢と徹底的に修練された根底」、第二に「愛の命ずる究極に向って外的働きを正しくととのえつつ遂行する智慧の心得」、第三に「愛する客人/マロウドの高貴さ」の三つである。このように、マリアの境地が神との直接の内的触れ合いであるのに対して、マルタの境地は、現実世界での実生活の経歴としての年齢、修練、外的働きなどによって決定的に特徴づけられている。このことは、マルタの境地が単に「神へ」という方向だけとは異なった質を含んでいることを既に予示しているであろう。マリアとマルタのエックハルトによる以上の対照は既にその義解の独特の方向を予感せしめる。
マリアをキリストのもとに坐らしめているもの、マルタを立ち働かしめているもの、それぞれ三つがあげられているが、相互に照らし合せてみると、いくつかの大きな相違が照らし出されてくる。先ず、マリアの方で第一にあげられるのが「神の慈愛」であるのに対して、マルタの方で第一にあげられるのは「円熟した年齢」であること。即ち前者においては神から始められているのに対して後者では実生活からはじめられていること。次に、マリアのあり方が「魂」――ここで神の慈愛に包まれる――というところからきめられているのに対して、マルタのあり方は「根底」というところからきめられていること。この「根底」をクヴィントは「存在の根底」と補訳し、ミートは「魂の根底」と補訳しているが、いずれにしても、実生活のうちで「よく修練された根底」と言われているところに、エックハルトが通常しばしば挙揚する「魂と、魂の根底」という連関に尽きない新しい観点が含まれていると考えなければならない。第三に、マリアの「憧れ」に対してマルタの「智慧の心得」。前者は、神の慈愛に包まれた魂が神に吸引されるあり方であり。而も魂自身は何に憧れているかを知らない。この不知は、一方神の慈愛に浸り切っている合一性を積極的にあらわしていると共に他方或る種の無知を否定的にあらわしていると言えよう。それに対して後者は、修練された根底から出てくるあり方であって、それは愛と外的働きと智とによって特徴づけられている。他者への愛によって動かされ、他者のために外的働きをなすが、その働きは、具体的に且つ真に他者のためになるように、事柄の連関と時の要求とを弁別しつつ而も究極に向って方向づけてゆく智に導かれている。この面での際立った特徴は然し、マリアの場合キリストの足下に坐り神との触れ合いが魂の内面で行われているのに対して特に「外的働き」と言われている点であろう。この点については後であらためて考えてみたい。最後に、キリストは、マリアにとっては「永遠の御言」であり神としてのキリストであるのに対して、マルタにとっては、「愛する客人」であること。従って、マリアはキリストから慰めと歓喜法悦という「得るところのもの」があるのに対して、マルタはただキリストのもてなしに尽すのみであること。
以上いくつかの相違点があらわれて来たがそれらを貫くものを求めるとすると、マリアの側では神との触れ合いであろう。それに対してマルタの側では文面上神とのかかわりはあらわれてこない(エックハルトは少し後では表明的に「神なき」生という)。然しここでは、またこの限りでは、マルタの「神なき」は形式的には未だ二義性を残している。一切を放擲して神に自己を専注するマリアの宗教的あり方に対して、如何に実人生の経験を経ているにしても立場としては世俗のあり方ともみられ得るであろう。然しまた、説明の言葉にこめられている重みと強調からすると、この「神なき」はむしろ、エックハルトが神を突破して神性の無に徹底すると言う場合の、神とのかかわりをもう一つ突きつめ突き抜けたあり方と結びつく可能性をも開いていると思われる。
それに続く段落においてエックハルトは、神の与え給う満足について学匠たちがあげている理性的満足と感性的満足ということをとりあげ、両者の間に大きな相違のあることを説く。「感性の面で満足するということは、神が我々に慰めと歓喜法悦と安堵を与え給うということである。それに甘えるということは、我が愛する神の友たちの脱却したところである」。「他方理性的満足とは精神における満足である。魂の最高の梢が如何なる歓喜によっても下方へと折り曲げられず歓喜に溺れることなく、歓喜を超えて力強く立っている時、それを私は理性的満足という」。この段ではマリアとマルタの名前はあげられていない。然し直前にマリアのあり方についてマルタとの対照で言われた「慰め」と「歓喜法悦」という言葉がそのままここで感性的満足の説明に使われているところからすると、この感性的満足はマリアのあり方に比定され得る。他方理性的満足がそのままマルタのあり方を示すとエックハルトが考えて説明しているのかどうかは疑問であろう。ここでの問題は、神が与えるものとしての二つの満足であるところの理性的満足と感性的満足ということだからである。この意味で上述のように説明されている理性的満足は、最初に挙揚されたマルタの境地と直接に同じとは言えない。この段ではっきり言えることは、神との触れ合いのうちにあるマリアのあり方は、神から与えられる満足という観点からも未だ感性的満足であって、「それを脱却した」理性的満足には至っていないということである。この段の趣旨は、学匠たちによって一般になされている理性的満足と感性的満足という区別に沿ってマリアのあり方を再説することであろう。そしてそれは、更に次の段でなされるマルタのあり方をきわだたせる準備になっているのである。この段でエックハルト自身が、マルタを理性的満足に配して一方感性的満足に配されたマリアと対比し、そのような仕方で、上述のマリアとマルタの対照を反覆しているというのではないと思われる。マルタに関して言えば、この段は、むしろエックハルトがマルタにここで言われる理性的満足以上の境地をみようとするその伏線になっているといえよう。説教においてエックハルトが学匠たちを引用し援用する場合、それは、一応それに沿った上で実はもう一つ進んだことを提示してゆく跳躍板となっていることが多いが、この場合もそうであることが次の段落で示されるであろう。
以上の準備の上でエックハルトは聖句の逐次義解に移る。先ず「さてマルタは言う、『主よ、彼女(マリア)に命じて我を助けしめ給え』」。これは、冒頭に提示され一旦切られた聖句の続きの言葉である。これについてエックハルトは言う。マルタはこの言葉を、マリアへの不興からではなく、却って愛に動かされて発したのである。それは「愛の叱責」の言葉である。ここまで説いてエックハルトは、「どうしてそうなのか? よく注意して聞いてほしい!」と特に挿入する。「注意せよ」――エックハルトの説教においてこれはしばしば、ある独特な考えを提唱する前触れになる。「マルタは、マリアがその魂の満足において歓喜法悦に包まれ浸っているのを見て取った。マルタは、マリアがマルタを知っているよりも、一層よくマリアを知っていた。何故なら、マルタは長くそして善く生きて来た(実生活を経歴して来た)からである。というのは生きるということ(実生活)は、最も高貴な認識を与えるからである」。説教冒頭のマリアとマルタの対照において、文面上では二義性を残しながら然し方向としては予示されていたこと――聴衆の側から言えば予感されていたこと――が、今や、このようにして明白に大胆に語られてゆく。
マルタは、マリアがキリストの足下において法悦に溺れる危険を見て取った。この危険は神との合一に含まれている問題性である。そのように見抜き得るのは、マルタが長くそして善く生きて来たからと言われている。「長く」とは問題につぐ問題である実人生の経歴にかかわり、「善く」とは、単に実際的乃至倫理的観点からではなく、生そのものの求めるところによく応じてということであろう。同時に、それが(エックハルトにとっては)一層つきつめられた神との一/イツであるという意味がそこにこめられているであろう。そのようなマルタにはマリアの境地が見えるが、マリアにはマルタの境地は見えない。ここに、対照の際には伏せられていた「マリアとマルタ」のかかわりがあらわれはじめる。マルタとマリアは姉妹として親しみのうちで相互によく識り合っているはずである。然し、主体の境地、実存の境位に関してはおのずから高低があらざるを得ない。しかもそれは、自らが超え出てはじめてより高い境地が真に知られ、従って高低の差も如実に知られるという構造においてである。低い境地に即して言えば、それは低さではなくその都度の高さである。より高いところが見えないというそのことが低さに属している。然し、その都度の高さである低さは、生の現実の中で問題化せざるを得ないであろう。その問題の究明に自らの生を尽してゆくということが「善く」と言われたことの根本義である。そして実際の経歴のうちでより高い境地がリアルに開かれてくる。その時高低を如実に知る智が開け、同時に低きに居る他者を彼のために引き上げようとする愛の課題が受けとられる。このようにして、マルタが「長くそして善く」生きて来たとエックハルトが言う時、そこには実に重い意味がこめられているといわなければならない。その際、「長く」と「善く」とが結びつけられていることが大切である。長く生きる「長さ」そのものが「善さ」なのではない。逆に、「善さ」だけとれば「長さ」を必要とするものではない。両者が結びつけられることによって、長さは充実した経歴となり、善さは具体的にしかも智を含んだものになる。そしてそのように両者を結びつけるものが他ならぬ「生きること」(生にして実人生)なのである。それは、「長さ」が問題になるようなものとして単に「生」ではなく、生=人生=実生活である。
しかし、以上見たところだけでは、或いは、所謂経験を積んだ人生智としても可能であると考えられるかも知れない。マルタが長くそして善く生きた「生=実人生」には、エックハルトにとってそれに尽きないもう一つの深義がこめられているのである。「というのは生=実人生は、最も高貴な認識を与えるからである」。「高貴な」といわれている点注目せざるを得ない。単に人生経験の事柄ではない。「高貴」という言葉はエックハルトの場合元来は魂の神性――神の似像/ニスガタという教義に沿ってであれ、魂の内における神の子の誕生という神秘主義的教説によるにせよ、更にまた、合一経験の直接的表現としてであれ、いずれにしても魂の神性に関して特に用いられているそれ自身高貴な言葉である。それがここで生=実人生について言われ、しかも「最も高貴な認識」を与えると言われているのである。どういうことであろうか。「生(=人生=実生活)は歓喜や光よりもよりよく認識する。或る意味では、永遠の光が与え得るよりも一層明らかに認識する」。歓喜とは今までの連関からして、神の慈愛に包まれた魂の法悦のことであり、光とは歓喜の感情より覚めて神の内に照らし入る知性の観照のことであろう。神との触れ合いにおけるそのいずれよりも生=実人生の方がよりよく認識せしめるとエックハルトは言う。
エックハルトがここで見ていることは、しかし「永遠の光よりも一層明らかに」と言われるとき鋭く出てくる。永遠の光とは神そのものの光、魂が神を見るのは神自身の自己認識の光によってであると言われる時の神の光そのものである。その神の光よりも生=実人生がより明らかに認識せしめるとはどういうことであろうか。「というのは、永遠の光は(我々をして)常に自己自身と神を認識せしめるが、自己自身を神なしに認識せしめるものではない。然るに生=実人生は自己自身を神なしに認識せしめる。自己自身を(神なしに)ひとり見る場合、何が等しいか、或いは等しくないかを一層よく認めるのである」。生=実人生が永遠の光よりも一層明らかに認識せしめると言われた「明らか」はこの脈絡では引用最後の等不等を弁別せしめるということに関していると解せられる。そしてそれは、「神なしに」認識せしめるからである。それに対して、神を認識し神によって認識することは同時に一切を神において一つに認識することである。神の永遠の光は「自己自身と神」を認識せしめるとここで言われている、この脈絡では、二を認識せしめるという意味ではなくて、「自己と神」を神において神によって認識せしめるということであり、それは即ち一切を神の光のうちに無差別性において認識せしめるという意味に解される。「すべては神のうちにおいては神である」とエックハルトは言う。そのように神の光による認識が一切を一つにその平等相を認識せしめるのに対して、生=実人生は「神なき」あり方において等不等を弁別せしめ、個々の具体に即してその差別相を形象的に認識せしめる。この連簡においてエックハルトは更に、神の光のうちにあった恍惚のパウロに対比して、生活の只中で徳を行ずることによって高くしかも具体的形象的な認識に達した異教の教師たちを賞揚している。
ところで、等不等を差別し具体相を形象的に認識するあり方は、エックハルト自身において別の連関では、超えらるべきあり方とされており、その際には一切の差別なき平等性と一性/イッセイ及び非形象性――この場合の形象は表象性と結びついている――が究極とされている。前述の、生が神の光より一層「明らかな」認識を与えるというそのリューター(ラウター)という言葉は、実はそのような非形象的な一の自体について繰返し用いられている言葉なのである。見るに一物も無き夢相の純一性を示す言葉である。それが、今の連関では却って差別相を弁別し得る故にリューターと言われているのである。そしてそれが高貴な認識と言われているのである。ここから見ると、今問題になっている生=人生=実生活の智は、永遠の光による認識以下ではないと言わなければならない。一切を平等相において認識せしめる神の光を未だ知らない分別知の立場ではなく、むしろ自己がそれによって包まれた神の光を逆に自己の内に収め消して外に出て――「外的働き」となるような仕方で――差別に応ずる、そのようなあり方と言い得るであろう。永遠の光のうちでは「自己自身と神」が見られ、しかもそれが永遠の光のうちに一味平等におさめられたが、その光が、今度は、自己自身の方におさめられたあり方である。永遠の光の受肉としての生(=人生=実生活)と言えるであろう。しかも神的性格が全き仕方で――生になり切るという仕方で――消され、受肉という跡もない生である。エックハルトは、永遠の光のうちにあった恍惚のパウロを対比として引合いに出しているが、そのパウロで言えば、恍惚から醒めて「神のために且つ友のために神から離れる」と言う時のあり方――とエックハルトが理解するパウロのあり方がここでの生(=人生=実生活)と結びつき得るであろう(第U部第2章説教九「放下――神のために神を捨てること」参照)。
従って、「神なき」生、「神なくして」認識すると言われたことも。未だ神を知らないあり方ではなく、或いは、神的領域とさし当っては並んで二重をなすような――然し結局は神の統一に含まれるような――自然的領域おいてではなく、神に包まれ神の内にあるあり方をつきつめつつ抜けたところで言われていると解され得るであろう。いずれにしても、この段落では、キリスト教において必ずしも自明ではない仕方で、わざわざ「神なき」「神なしに」と言われる生に永遠の光との対比の上で固有に重い意味が与えられていることが特に注目される。そのような「生」の意味で、「マルタは長くそして善く生きて来たからである」と言われたのである。そのような「生」からして、具体的な差別相を弁別し得る生きた認識(智)によってマリアの境地を見抜き、その境地を破ってマリアを真にマリアたらしめようとする愛に動かされて、「愛の叱責」の言葉が発せられたとエックハルトは見るのである。
次の段は、「マルタもまた正しく/マサシクそのようなあり方に立っていた」で始まる。即ち、前段で見られた「生」がマルタの立脚地であることをあらためて挙示した上で義解を進める。「マルタもまた」と言われるのは、その立脚地がマルタ個人の立場というのではなく、すべて人生=実生活を生きるものの立脚地だからである。生自体から要求されまた可能になってくるものだからである。そのような生の自覚からマルタがマリアへの愛の叱責として「主よ、彼女に命じて我を助けしめ給え」と言ったのは、自分だけが働いていることに対する不満からではなく、「私の妹は、あなた様のもとに慰めに満たされて坐っているだけで既に自分の欲するところをなし得るものになったかのように思っております。果してそうであるかどうか彼女に悟らせてやって下さい。彼女に、立ってあなた様の御そばから離れるように言ってやって下さい」という意味だったのである。マリアが神のもとでの歓喜法悦から立ち上がって、神から離れ去ることをマリアのために求めたのである。神に包まれた「自己自身と神」のあり方から、「神なしに」生から生を学ぶあり方に歩み出ることを求めたのである。マリアが法悦のうちに浸り停まってそこから更に進むことがないのをマルタは心配したのであった。「立ち上がって汝から去る」はこうしてエックハルトの根本的立場の特質を際立たせる一つの根本句となってくる。
キリストはマルタに答えて言い給うた、「マルタよ、マルタよ、汝さまざまのことにより思い煩いて心労す。無くてならぬものは唯一つのみ。マリアは善きかたを選びたり。これは彼女より取り去られざるなり」。「キリストはこの言葉をマルタに対して叱責の調子で言われたのではない」とエックハルトは言う。叱責ではないとわざわざエックハルトが言うのは、文面の自然な理解にとっては叱責に響くからである。然し、叱責ではなく、キリストはむしろ「彼女に答えて、マリアは彼女(マルタ)の望むようになるであろうと慰め給うたのである」。
キリストのマルタへの言葉にエックハルトはこのように方向をあらかじめ与えておいて、説教の中心テーマをなすこの聖句を義解してゆく。先ず何故にキリストがマルタ、マルタと名を呼び、しかも二度名を呼び給うたのであるかと問い、自ら答えて言う、「キリストに名を呼ばれるということは、キリストに永遠に知られているということ、即ち、一切の被造物の創造以前からして父―子―聖霊の生命の書/イノチのフミに永遠にその名が記されているという意味であると私は言う。……愛するキリストが永遠の御言からその人間としての御口を通して名を呼び給うた人は、決して失われ滅びることはなかったし、失われることはない」と。さらに、キリストがマルタの名を二度呼び給うたのは、「一切の時間的な善及び永遠なる善」、被造物に具わり得る一切の善がマルタに完全に具足していることを意味する。即ち、「一度目のマルタという呼びかけによってキリストは、マルタの時間的な働きにおける完全性を証し、二度目のマルタという呼びかけによって、永遠の淨福に属する如何なるものも彼女に欠けていないことを証されたのである。だからこそ(従って、その故に)キリストは、『汝、思い煩えり』と言われたのである」。キリストがマルタの「二重の完全性」を証されたという、此処に至って、エックハルトがマルタをどのようなあり方として挙示しようとしているかが、一切の曖昧さを残さずにあらわになる。前にキリストの言葉はマルタへの叱責ではないと言われた。既にこれも稀有な見方と言わなければならないであろう。エックハルトの精神をうけついだタウラーさえ文面に従って叱責を読み取っている。ただ何が叱責されたかがタウラーの問題である。「我らの主がマルタを叱責し給うたのは、しかし、彼女の働きの故ではなく、彼女の思い煩いの故であった」(Tauler, Vetter版一七八ページ)。タウラーが「働きの故ではなく」と言うのは、この「マリアとマルタ」テクストが所謂観想的(観照的)生(vita contemplativa)と活動的(実践的)生(vita activa)という問題に重ね合わせて解釈されて来た背景があるからである。エックハルトはキリストの言葉に叱責を見ないのみならず、積極的に、しかも単に自分の解釈としてではなく、キリストが証したこととして、マルタに二重の完全性、すなわち時間上の善と永遠の善、時間のうちでの働きの完全性と永遠の淨福への完全性を見るのである。
ここで特に時間上の善乃至時間のうちでの完全性ということが永遠性の観点とは別に、これと二重をなすような仕方で言われていることは注目に価することであろう。何故ならば、時間的な善は永遠性の観点からは無意味であるという考え方、また、そもそも時間的ということと完全性とは矛盾すると見る考え方があるからであり、エックハルト自身も他の場合別の連関では、完全性のために一切の時間的なるものから離れるべきことをしばしば説いているからである。それに対して今の場合は時間的ということがむしろ、永遠性の観点に何か決定的な事柄をつけ加える趣旨がこめられているように響く。果してそうであるか、また、そうであるとすれば、どのような事態であろうか。すぐ次につづく言葉へのかかり具合が手がかりを与えるであろう。マルタの二重の完全性を証したキリストが、ダー・フォン(即ち、「その故に」「従って」「この意味において」)「汝、思い煩いて心労す」と言われたとエックハルトは説くのである。完全であるからして思い煩うということになる。不完全であるからして思い煩うというのではないのである。さきに引用したタウラーにおいてさえ、思い煩うことがキリストによって叱責されており、思い煩うことは不完全性に属している。エックハルトは然しここで逆に、思い煩う心労が完全性に属するという。そういわれる時の完全性は二重の完全性である。ということは、時間的ということに永遠性に尽きない意味が与えられているということであろう。ここでエックハルトは或る独特な立場に立っているように思われる。
同じような問題は、キリストにマルタと名を呼ばれたことは創造以前の永遠なる生命の書に名が記されているということであるとエックハルトが言う時にも、実は既に伏在していた。一/イツなる神との一/イツであるところの「魂の根底」における無名性を繰返し強調しているエックハルトがここでは、現世界におけるマルタという名がその名のままで永遠性、或いは永遠性が永遠性のままで現実の名になっていることを説いている。マルタのあり方として時間上の及び永遠性への完全性と二重に言われるのは、単に永遠的と時間的との静的な二重構造ではなく(この二重構造的考え方は必ずしも珍しくないが、この考え方では、時間的なるものとのかかわりにおける「思い煩う心労」が、完全性の証になるような仕方で積極的な意味をもつことは出来ない)、恐らく、時間を去って永遠性にという方向が成就され前提された上で、しかも永遠性を離れることなしに時間のうちに帰ったようなあり方が見られていると思われる。非時間的な永遠というよりもより進んだあり方として、永遠にして同時に時間的であるようなそのような現実的な永遠性のあり方においてはじめて思い煩い心労し得る、そこにマルタは立っているというようにエックハルトは見ていると思われる。「無くてはならぬものは唯一つのみ」についてのエックハルトの義解にあらかじめあわせて言えば、「一/イツ」である神との永遠の一が達せられた上で、そこからはじめて、第二の完全性として時間のうちにおける「多」事に心労し得る――それによって礙げられることなしに――のである。
ではそのような「思い煩う心労」とはどのようなあり方であろうか。さきの引用の最後のところからあらためて引用をつづけると、「その故にキリストは、『汝思い煩いて心労す』と言い給うたのである。そしてそれは、汝はさまざまな事物のもとに立っているが、それらの事物は汝の中に入り込んでいないという意味である」。或いは「事物のもとに立っているが、事物の中に立っているのではない」。汝は事物のもとに立って積極的に仕事にたずさわりつつ、しかし汝は事物の中に引き込まれずまた事物は汝の中に入り込まないという、事物から離れて障礙/ショウゲなきあり方において事物にかかわる。その時、事物にかかわる「心労をもって」(mit der sorge)あるのであって、思い煩いにとらわれて「心労のうちに」(in der sorge)あるのではない。「心労をもって」ではあるが、しかし「心労のうちに」あるのではない。これがエックハルトがマルタに見た「思い煩い心労す」るあり方である。それは、時間のうちにある事物に「極めて近く」接しながら同時に「永遠性の天輪に」立っているように離れている。離れていながら事物に極めて近く接している。仕事にあってしかもそれが永遠性の障礙にならず、事物とかかわりつつ心を労しながらしかもわずらわされることのない――わずらわされない故に逆に事物に極めて近くあり得るというあり方、このような仕方で事物にかかわり得るのは、非時間的永遠性よりより進んだあり方である。ここに時間における完全性と永遠性における完全性との二重の完全性が語られる所以があるのである。それは時間性と永遠性との両方に張り渡されてそこで両方が相入されているようなあり方と言えよう。外的な事物にたずさわりながらそれを内から行う。内から神に脱自しながらそのまま外で事物のもと近くにある。エックハルトは言う、「何たる妙、内にあり外にある」と。その時、時間のうちでなされる外的な仕事は、神の内への沈潜と同じ意味で、高貴と言われる。そのような仕事の主体においては、「彼の光は彼の仕事であり、彼の仕事は彼の光である」。このような仕方で時間性と永遠性とが具体的な仕事のうちで一つになるのである。
以上のような意味でキリストは、接待のために心を労しつつ忙しく働き同時にマリアのあり方に心を配っているマルタの完全性を証したのである。説教の冒頭においてマルタの境地として「円熟せる年齢と徹底的に修練された根底」、「愛の命ずる究極に向って外的働きを正しくととのえつつ遂行する智恵の心得」をエックハルトが挙揚した所以である。
そのような仕方でなされる仕事についてエックハルトは三つの肝要な性格をあげている。秩序と洞察(思慮)と智。第一に、事の緩急軽重を究極に向って秩序づけつつ、その都度の緊急事に応じてゆく。第二に、その時としてはそれ以上は考えられないような最善事を「理性的に洞察して」遂行する。そして第三に、その仕事のうちに生きた真理が現前することを感知しその真理の現前を楽しむ智(知ると楽しむを一つに含めて智――もともと中世的智には真理を味わう意味がある)。時間性と永遠性を一つに結びつけるような仕事はこの三要を具していなければならない。
「マルタよ、マルタよ、汝さまざまのことによりて思い煩い心労す。無くてならぬものは唯一つのみ。マリアは善きかたを選びたり。これは彼女より取り去られざるなり」。「思い煩い心労す」までのエックハルトの義解を上に見た。次の聖句「無くてならぬものは唯一つのみ」をエックハルトはここでは神とするが――「離脱について」では離脱でもあった――、もう一度前句に戻ってそこから独特な連関をつけ直して来る。即ち、「汝さまざまのことによりて思い煩い心労す。ひとつのことによりてではなく」。汝が思い煩うのは「多」事の故にであって、「一」事の故にではない(少し自由に言い直してみると――「キリストは言い給うた、『汝、さまざまのことによりて思い煩う』と。即ち、『唯一つのことによりて思い煩う』とは言い給わなかった」)。唯一つのことの故に思い煩うとはどのようなことであろうか。「魂が純粋に永遠の天輪に高められてある場合、もし永遠性と魂をひき離すような何らかのことによって、歓喜のうちにそのような高所に留まることが出来ないように礙げられたならば、魂は(その礙げられた唯一のことの故に)思い煩うのである。マルタは然しすぐれた堅実な徳と自由な心において一切の事物によって礙げられることなしにある」。「然しマルタはまことに本質的に在る」。これによってみると、エックハルトが「汝さまざまのことによりて思い煩い心労す」につづけて「一/イツの故にではなく」と附け加えて次句の「無くてはならぬものは唯一つ」と直接に連関づけたのは、マルタは既に唯一事において堅固であり、最早その唯一事の故に思い煩う必要はなかった、その故にこそ多事に心労し得たのであるという筋を表明化するためであった。
以上のようにマルタの境地が究明された上で、はじめのマルタの言葉「主よ、彼女(マリア)に命じて立たせ給え」も、マルタの成就された完全性からマリアの成就さるべき完全性に向けて言われた言葉としてあらためて具体的に理解される。即ち、「主よ、私は、彼女が歓喜法悦に浸りつつそこに坐ってばかり居ないで、生活することを学び、生活を本質的に堅持するようになること願います。彼女が完きものとなるように、彼女に立てと御命じ下さい」という意味だったのである。
それに対してキリストがマルタに答え給うた言葉の最後、即ち「無くてならぬものは唯一つのみ。マリアは善きかたを選びたり。これは彼女より取り去られざるなり」もエックハルトにとっては次のような意味になる。これはキリストが、マリアはマルタの望むところのものになるはずだとマルタを安心せしめ給うた言葉である。マリアもまた最上の分を選んだのであって、それはマリアから決して失われることはない。即ち、彼女は未だ「無くてはならぬ唯一のもの」において堅固ではないが、彼女が今浸っている法悦もやがて止み、彼女は、マルタと同じく完きものになるはずであると答え給うたわけである。エックハルトの義解の脈絡では、「無くてならぬものは唯一つのみ」は、マルタについて語られているその直前の文章との関係においては、既にマルタの成就しているところとして、また、その直後のマリアについて語られる文章との関係においては、マリアが今後にはじめて成就するところとして、マルタの現在を証しマリアの将来を約束するという仕方で前後両方にかかっている。キリストの「マリアは善きかたを選びたり。これは彼女より取り去られざるなり」という言葉にエックハルトはマリアにおける完全性の成就のこの約束を聞くのである。エックハルトにとっては、キリストの足下に跪いて坐っている限り、「マリアは未だ真にマリア自身ではなかった」のである。「よく身体が修練され、思慮の命ずるところを意志が素直に充分遂行し得るようになったとき、私はそれをマリアと呼ぶ」。そしてエックハルトはマリアのその後の経歴をふまえて、マリアがそのように真にマリアになる前にマルタ(というあり方)を学ばなければならなかったと附け加える。「マリアがマリアになる前に、マリアは先ずマルタであった」。即ち、キリストの足下にあって法悦を楽しんでいた時未だ真に自己自身ではなかったマリアは、やがて、生(=人生=実生活)という学校に入って生きることを学びつつマルタの如くなることを通して真にマリアとなり得たと見るのである。このようにしてエックハルトの見るマリアとマルタのかかわりが完結する。
最後にエックハルトは、「マルタ」として展開したあり方の証であるような具体的模範をイエスに見て、説教を結ぶ。
「神が人となり、人が神となったそもそもの始めから、キリストはわれわれの淨福のために、終りに至るまで働き給い、十字架上に息絶え給うた。その御身体/オンカラダのどこにも具体的に徳を修し給わなかったようなところはなかった。
われわれが真の徳の実修において真にキリストにまねび従い得ますよう神が我々を援け給わんことを。アーメン」。
以上のようにエックハルトは、「マリアとマルタ」の話を主題として義解する説教において、文面上は「突破」と緊密に連関づけることなしに、しかしその連関を予想させながら、神から去って「多と身体と時間」の現実世界において他者を顧慮しつつ他者のために具体的に働くマルタのあり方を完全性として証明している(*)。マルタはイエスの接待に心を配り、マリアのあり方を心配しながら、台所で働いている。ここにエックハルトは完全性を見る。そしてこのような見方の「キリスト教性」の実証として、「その御身体のどこにも具体的に徳を修し給わなかったようなところはなかった」キリストに真の徳の実修の模範を見るのである。
エックハルトがマルタに「一人の真なる人間」(一にして真なる「人間」)を見るとき、そこには「魂(霊)」、「魂(霊)の根底」という観点だけではない実生活としての現身性が含意されていると考えられる。エルフルト修道院長時代の『教導講話』にも既に「竈/カマドの火のもとや厩/ウマヤの中」での、神の姿をとらない神との一体性を説いている。今や、マルタに即して見れば、マルタが台所で働いている、そのことがマルタにおいては神性の無への徹底にほかならないと言えるであろう。マルタはイエスの接待に心を配り、マリアのあり方を心配しながら、台所で働いている。このこと自体が神性の無の現身性と言えるであろう。それは、神との内的な合一を内に向って破って却って真に外に出たあり方(その外は内よりもさらに内)、神との合一の恍惚から真にさめたあり方、すなわち神性の無へと覚めると同時に現世界へと醒めたあり方である。ここに、神秘主義の伝統の中から神秘主義の身心脱落態、あるいは非神秘主義とでも言うべき一つの新しい境地が開かれていると見ることができる。
このように「マルタ」としてエックハルトが挙揚した「一真人」のあり方は、神秘的合一と合一体験からの虚脱、あるいは、観想的生と活動的生、あるいはまた、内的人間と外的人間、あるいはまた、有神論と無神論、あるいはまた宗教と世俗化、などなど様々な二元的境位を破り超えて一真実を生きる方向を現代のわれわれにも示しているであろう。
……
* 「マリアとマルタ」を焦点にするこの説教にはD・ミートの詳細な研究がある(以下、ドイツ語参照文献省略)。D・ミートは、「マリアとマルタ」の解釈史や所謂「活動的生と観想的生」という問題枠のキリスト教霊性史における背景にも照明をあてながら、またエックハルトの著作や説教を広く探査してその思想の全体構造を構想しつつ、この説教の「マリアとマルタ」に関して結論的に、「エックハルトがここでイエスの言葉を意識して逆倒したとするのは完全な誤りである」としている。この見方をめぐって様々な議論もなされた。伝統的な枠内でマリアを観想的生に、マルタを活動的生に一義的に配することはミートの言うように問題であるが、完全性に関しては筆者の上述の解釈が説教テクストそのものの脈絡に沿って維持出来ると考えている。長文のテクストにおけるあのような連関を辿ってみると、エックハルトがマルタの方に完全性を見ていることは、偶然とは考えられない。それに、他の場合(全集版『ラテン語著作集』第三巻、一一二ページ)には、エックハルトもルカ伝原テクストの自然なコンテクストに従ってマリアの方に完全性を見ているのであるから(「神の子の誕生」という魂の出来事をめぐって、マルタに「生む」苦しみを、マリアに神の子が「生まれた」成就の完全性を)、そしてなによりも、ルカ伝の当該テクストの明瞭な文意からして、それとは異なってマルタに完全性を見てゆくエックハルトの釈義ははっきりそれと意識した自覚的な遂行と受け取らざるを得ない。自然な文意を通りこして全脈絡の連関をつないで一句一句をマルタの完全性に向けて解釈し通してゆくその強力な仕方は、無自覚にとは考えられない。
真理の言葉として聖書・聖句が根本的に与えられてあり、聖書解釈・聖句釈義という仕方でのみ信仰の自己理解が遂行されるキリスト教において、その枠内で、エックハルトの釈義が言葉通りの文意を超えてどこ迄ゆくかを如実に示す例と言いうるであろう。そのことがまた、エックハルト自身は自分の釈義の仕方を自覚的に表明して「神の言葉を父の内奥で受け取る」と言うが、聖句の釈義の枠に停まらず聖句そのものを超えてゆく勢いを感ぜしめ、異端の危惧をいだかせたのであろう。すべては解釈の地平にかかわる問題であり、現代では積極的な理解も可能であろう。なお、この説教全文の和訳は、文献案内にあげる相原訳(a)、植田訳(b)、田島訳(c)の『エックハルト集』にそれぞれ含まれている。
a 相原信作訳『神の慰めの書』講談社学術文庫、1985年
b 植田兼義訳『キリスト教神秘主義著作集六 エックハルトT』教文館、1989年
c 田島照久訳『エックハルト説教集』岩波文庫、1977年 〉
入念で「ネチッコイ」文体が上田閑照の特徴であると思われますが、それだけ詳細にエックハルトの思考の動きが捉えられている論述だと思います。先に田辺元の『キリスト教とマルクシズムと日本仏教』という論文を紹介しました。そこでの田辺の言葉を用いれば、エックハルトは、この説教で「往相」(マリア)と「還相」(マルタ)とを論じているのだとみなすこともできるでしょう。トマス・アクィナスの後継者であり、ドミニコ会の高位聖職者として異端を正統に導く立場にあったエックハルトが、このように自由に聖書テキストを論じていることに感銘を受けます。上田閑照がこの章に「非宗教の宗教――無神における実践的敬虔」という見出しをつけたほど直接には、ここで「非宗教の宗教」が論じられているわけではありません。しかし私自身の「脱して生きる」というテーマに何ほどかの指針を与えてくれることは確かです。そもそも「魂の根底」に根ざして生きるとは、はたしてどういうことであるかを把握する(往相)のはとても難しく、また、翻ってこの現実世界で「善く生きる」こと(還相)も困難です。しかしその課題を担い続けることが、人が生きるということでしょう。差別なき世界へと向かい(往相)、またそこから他者と共に生きる、具体的で現実的なこの世界に還帰すること(還相)に人の生き方の基本があるのでしょう。エックハルトは正面からその課題に取り組んでいます。
朝日新聞で柄谷行人による書評を読み、この本を手にしました。最近、佐藤氏の事件に関して二審判決があり、朝日新聞夕刊(2007年1月31日)に「外務省の背任事件 佐藤被告2審も有罪」という記事が掲載されました。その記事のすぐわきに囲み記事があって、「『国策捜査』主張、言論界で活動」という見出しがついています。
この本を読むまで鈴木宗男議員の逮捕にも関連する外務省元主任分析官、佐藤優氏に関わる事件について、私はほとんど何の関心も払わずに過ごしてきました。従って佐藤氏が獄中に512日間も居たこと、氏が同志社神学部出身で、そのあと牧師にならず外務省に就職した人であることなどについて、何の知識も持ち合わせていませんでした。朝日の囲み記事には「保釈後は、ノートをもとに『国家の罠』などの著書を相次いで出版。評論や対談でも活躍し、一躍、言論界のスターとなっている」とありますが、気ままな「閑老人」とはいえ、そんなことも知りませんでした。しかしこの本を一読して私の不明を恥じるとともに、「国策捜査」の由々しい実態を知りました。
もしあなたが外交官で、時の政府の意向を体し、国家の機密に関わる情報活動に関わっていて、政権が変わった途端、その活動が一転して犯罪として摘発されたら、それをどのように受け止めるでしょうか。しかも犯罪を構成するとされた案件には、どこにも刑事事件としての違法性がなかったとしたら、そのまま黙って引き下がるでしょうか。かつての同僚は、「国策捜査」として検察の作った犯罪のシナリオを、保身あるいは組織の擁護のために容認し、あなたを犯罪者に仕立てることに手を貸しています。国益のために働いた外交官として、裁判で国家の外交機密がそれ以上暴かれることがないように配慮し、しかし自分の正当性の主張は決して曲げないように検察と闘うことが、佐藤氏が置かれている状況であると、この本には書かれています。しかも裁判所は司法の中立性を主張できるような場所ではなく、国策遂行の一機関に過ぎません。もしそうだとしたら、有罪を覚悟しつつ、法廷で自分が単に公金の違法な使用で裁かれているのではなく(そもそもそのような違法性はなく、当時の政策担当者、責任者の承認のもとになされたものです)、その裁判自体が国策捜査の一環であるという自分の主張(証言と証拠)を、のちの史料として裁判記録にできるだけ詳細に残し、また同時にそれを「考える世論」に訴えることが、佐藤氏に残された唯一の闘い方であるということになります。
ここに「国益」とは何であるかについての現政権との理解の相違が浮き上がってきます。あるいは小泉政権によって体制がどのように変わったかの問題です。その変化が根底にあって、鈴木宗男の事件が起ったというのが、この本の基本的主張です。その変化を著者自身に語らせれば、次の通りです、「過去二、三年の日本国家の政策には二つの柱からなる顕著な特徴がある。一つの柱は、競争原理を強化し、日本経済を活性化し、国力を強化することである。もう一つの柱は、日本人の国家意識、民族意識の強化である。(改行)この二つの柱は従来の日本の国のあり方を大きく変化させるものである。それと同時に、私の見立てでは、この二つの柱は異なる方向を指向しているので、このような形での路線転換を進めることが構造的に大きな軋轢を生み出す。この路線転換を完遂するためにはパラダイム転換が必要とされることになるであろう」(p.497、付録「塀の中で考えたこと」)。
いわゆる新自由主義と国家主義との同時進行という事態が進んでいることに、著者はこの間の政策の根本的な変化を見ています。それを別のところで著者は「絶対矛盾の自己同一」と呼んでいます。この「パラダイム転換」ということは、教育基本法を「改正」し、次には新憲法を制定しようとする動きとして顕在化していると言えるでしょう。アメリカの圧力のもとに、新自由主義的な経済体制を促進し、同時にナショナリズムを煽って、日本を戦争ができる「普通の国家」、「手を汚す国家」に切り替えていこうとする、強引な動きがそこにあります。その二つの「柱」はたしかに矛盾しています。格差を拡大し、底辺層の貧困化を進めながら、その国を愛するように国民に強要するからです。
前の「柱」に著者が見ているものは「公平配分から傾斜配分へ」ということです。著者はそれを「新自由主義」とは言わず、「ハイエク型自由主義モデル」と呼んでいます。要するにそれは、強いものを益々強くすることにより、そのおこぼれにあずかることによって、いずれは弱い者の生活水準も向上するであろうという考え方です。しかしそれは「持続的経済成長が可能であるという前提」に立って、初めて可能になります。著者は「地球温暖化問題をはじめ生態系の現状を考えるならば、このような前提を維持することが適当かどうかについてこそ問われなくてはならない」(p.498)と言います。――「鈴木宗男さんは、ひとことで言えば、『政治権力をカネに変える腐敗政治家』として断罪された。(改行)これは、ケインズ型の公平分配の論理からハイエク型の傾斜配分の論理への転換を実現する上で好都合の『物語』なのである。鈴木さんの機能は、構造的に経済的に弱い地域の声を汲み上げ、それを政治に反映させ、公平配分を担保することだった」(p.498)。
次の「柱」に著者が見ているものは「国際協調的愛国主義から自国中心的ナショナリズムへ」ということです。ナショナリズムの非合理的要因として著者は次のような例をあげます、「例えば、『自国・自民族の受けた痛みは強く感じ、いつまでも忘れないが、他国・他国民に対して与えた痛みについてはあまり強く感じず、またすぐに忘れてしまう』という認識の非対称的構造である。また、『より過激な主張がより正しい』という法則である。国際協調主義と両立する健全な愛国主義と自国中心のナショナリズムの境界線はひじょうに脆い」(p.498)。そして言います、「国際協調を考慮し、時には自国中心のナショナリズムを抑えることが日本の国益を増進することもある。真に国を愛する政治家、外交官はこのことをよくわかっている」(p.499)。――その上で、鈴木宗男、東郷和彦、著者たちの北方領土問題へのそれまでの取り組みが、世論によって「二島先行返還」という「私的外交」を展開したと非難されたが、それは完全な事実誤認に基づくと主張し、次のように言います、「しかし、事実誤認に基づく非難がこれほどまでに国民世論を掻き立てたことについては冷静に分析する必要がある。北方領土問題について妥協的姿勢を示したとして、鈴木さんや私が糾弾された背景には、日本のナショナリズムの昂揚がある。換言するならば、国際協調的愛国主義から自国中心的ナショナリズムへの外交路線の転換がこの背景にある。(改行)鈴木バッシングの過程で昂揚したナショナリズムは、その後の日朝国交正常化交渉にも大きな影を落としている。このようなナショナリズムの昂揚が、日本の国益に合致するかどうかについても冷静に検討しなくてはならないのだが、そのような声は現下の状況では聞き入れられないであろう」(p.499)。
これ以上「塀の中で考えたこと」の文章を追うことはやめます。しかしこの分厚い『獄中記』を読んで、著者が述べていることは真実であるという「心証」を得ました。同時に、「疑惑の総合商社」などという国会での追及を痛快に感じていた自分の不明を恥じるものです。「コミュニケーションの偏向」が自分の中に巣食っていることの証左です。
この本の本体は、日誌と弁護団への手紙、友人や外務省の後輩への手紙からなっています。著者は大変な勉強家で、獄中読書リストも相当数にのぼります。獄内で所持できる冊数が限られている中で、よくもこれだけ読みかつ勉強したものだと感心します。旧新約聖書、語学の辞書参考書、神学書、哲学書、仏教書、文学作品、歴史書、社会思想関係の古典、数学、動物学など、外国語の本が読めないという制約の中で、その範囲は多岐にわたります。著者の議論も広範にわたり、その論点はバルト、フロマートカ、ユンゲル、モルトマンなどの神学、イスラーム思想から唯識思想、(マルクス、レーニンはもとより)宇野弘蔵から廣松渉、またハーバーマスからヴィトゲンシュタイン等々に及びます。特にヘーゲルの哲学に自分の拠り所を見出しているようです。察するに著者は、大学に残って研究者になりたかったけれども、家庭の事情などで外務省に入省する道を選んだのでしょう。モスクワ大学や東京大学で教鞭を取ったりしていて、著者の外交などの知識が生半可ではない(つまりプロフェッショナルである)ことを示しています。
その人となりを表わす文章が(2002年)11月9日、獄中180日目の「弁護団への手紙(100通目)」にありますので、最後にそれを引用します。
「私のインテグリティーが崩れないのは、そもそも私の『視座』が『複眼的』だからだと思うのです。このことについては獄中生活をするなかで初めて気付きました。この『複眼性』が検察の目からすると私が「変わり者」として見えるところなのでしょう。
私自身が心がけているのは、
(一)よきクリスチャンでありたい。
(二)よき官僚でありたい。
(三)よき知識人でありたい。
ということです。現在、私を支持してくれる人たちも、神学部出身者・牧師、外務省の仕事で知り合った人々、学者仲間の三つのグループより構成されているのも、私の行動原理に対応しているのだと思います。
この三つの行動原理に対応する価値観は、
(一)神に対して誠実でありたい。
(二)日本国家(国益)に対して誠実でありたい。
(三)知に対して誠実でありたい。
ということです。
私はこの三つの価値観を外交の世界(より正確には諜報の世界)で維持することができると考えていました。諜報の世界は汚い世界であるからこそ、神あるいは自らの超越的な理念が必要になります。国益観が強いのは文字通り生命を賭して国のために仕事をするので当然です。また、諜報の世界では、正確な知識を持って活動しないと工作が失敗する可能性が高いので、諜報機関員はいずれも知(真理)に対しては畏敬の念を抱いています。
残念ながら小泉政権の外交政策の下では、私がこの三つの価値観を維持することはできないということを二〇〇一年五月から痛烈に感じていました。(後略)」
手もとに『古典の祈り』(G・マッキャヴェッリ、D・ビアンコ監修、佐藤三夫訳、中央出版社、1979年)という美しい装丁の本があります。古代の教父たちの祈りの言葉に、主として中世期のカラーの聖画が挿絵として添えられています。時にこれをひも解くと、いつの世も人間て変わらないのだなと思わされます。詩人がイタリア語から翻訳したその本の祈りを、いくつか紹介いたします。
ある世界の姿
君は ある大きな山の頂にいて
下界で起こることをながめていると、
しばらくの間 想像してみたまえ。
君のまなざしを あらゆる方向に向け、
君の地上のきずなから解き放されて、
嵐の中で災害を受けている
ある世界の有様を観察してみたまえ。
見てごらん、道という道は おいはぎのものとなり、
海は海賊の手に帰した。
戦争のいまわしい恐怖が そこにある。
大地は 人々がたがいに流しあった
血を浴びて ことごとくぬれている。
人殺しは犯罪であるのに、
国家の名において犯されると
美徳となり 名誉となる。
もし 都市の方を見ようとしてふり向くならば、
なお いっそう孤独の悲しみをあたえる
悲惨な群衆を 自分の前に見いだす。
そのとき君は この世界にあわれをもよおすだろう、
主が君を その外に引き出したがゆえに、
君の喜びは 大きいことだろう。
カルタゴのキプリアヌス〔三世紀〕
そして 貧しい者は働く
世界は みんなのために創られた。
そして 君たち少数の金持ちは
自分らのために 世界の権利を要求する!
個人的な利用のために 少数の者たちが
大地や空や空気や海等々を欲する。
君たちが 大地に境界を画するために
おそらく 天使たちが天空を分割したのだろうか。
洗者ヨハネの首を
切らせた者は 金持ちだった。
踊った女に支払うために かれは
貧しい者を死刑に処する以外の
方法を見いだせなかったのだ。
決して所有されなかった富を所有するために
貧しい者が必要だ。
決して所有しないであろうものを
生み出すために 貧しい者は働く。
ミラノのアンブロシウス〔四世紀〕
記録保管所
こう語るいく人かの声を わたしは聞いた。
「記録保管所の中に証拠を見つけられないのなら、
わたしは福音書など信じない」と。
わたしは かれらに答えて言った、
「真理が書かれているのだ」。
すると、「それは証明されるべきだ」
とかれらは言い返す。
わたしにとって記録保管所は イエズス・キリストだ。
わたしの確固たる記録保管所とは、
かれの十字架、かれの死、
かれのよみがえり、かれより来たる信仰。
アンティオキアのイグナティウス〔二世紀〕
英雄たちは 役に立たない
生活のありふれた課題を
いつも果たすことができるとは限らない。
一定の慣習に従うことが
いつも わたしたちに許されているとは限らない。
いつも 規則が機会と
うまく一致するとは限らない。
めいめいが 自分の能力の範囲内で
事情を考慮し、
できることをしなければならない。
わたしたちが できることをしているのに、
悪は不可能なことをするようにしむける。
こうしてたとえば、悪は病人たちをそそのかして
病気において神に感謝しないようにし、
かれらの身体的障害において かれらを助ける者を
辛抱して堪忍しないようにする。
悪は健康の虚弱な人に
苦行や断食をすすめ、
たいそう疲れている人に
徹夜の祈りをすすめる。
エヴァグリウス〔四世紀〕
はい、わたしたちは
みもとにおります
かつて わたしたちは
他の人々の所有物でありました。
それから あなたがわたしたちを召し出されました、
「子供たちよ 来なさい、
あなたたちの不幸をなおしてあげよう」と。
わたしたちは 答えて申しました、
「はい、あなたのみもとにおります」。
主よ、あなたはわたしたちの神ですので、
わたしたちは あなたにのみ従うことを
事実でもって示したいと思います。
多くの者たちがするように
他のどんなものをも
神として敬うことはいたしません。
あなたは すべてのものにまさって
すべてのものにとって
すべてにおいて主です。
わたしたちは 慈悲で結ばれております。
まことに、慈悲こそは わたしたちを
あなたに結びつけます。
オリゲネス〔三世紀〕
夕暮れなき平和
ああ 主よ、わたしたちに平和をあたえたまえ
――すべては まことにあなたの賜物です――
いこいの平和を、
祭りの平和を、
夕暮れなき平和を。
アウグスティヌス〔四世紀〕
W 木村敏・檜垣立哉『生命と現実 木村敏との対話』(河出書房新社、2006年) その1
木村敏 『時間と自己』(中公新書、1982年)を5回にわたって紹介したとき、その最後に、「大貫隆が『イエスの時』、あるいは『パウロの時』を解明しようと試みたことと、この本に書かれていることとは通底するものがあるのではないかと、私は考えています。大貫の言う『全時的今』と、著者がルソーや、著者が診察した癲癇患者に事寄せて論じた、現在と過去との二重化、あるいは現在と未来との二重化ということは、本質的に関連する事柄なのではないかと思われます」と書きました。また「いのちと神の国」の項目で、大貫が「ゾーエー」(永遠の生命)としてのいのちと「プシュケー」(自分の命)としてのいのちについて論じていることを紹介しました。そのことと関連して、木村・檜垣の対談『生命と現実』の「4 他者」の章の「逆対応」と題された部分(p.110-121)を引用いたします。そこではゾーエー(いのちそれ自身)とビオス(個々のいのち)について論じられているからです。なお檜垣立哉は1964年生まれ、ベルクソン、ドゥルーズ、西田幾多郎などを研究する気鋭の哲学者で、大阪大学人間科学研究科の助教授です。(以下、――で始まる発言は檜垣のもの、「 」で括られた発言は木村のものです。)なお、引用者のコメントの部分がわかりにくいので、(注)をつけることにしました。
逆対応
――たとえばそのときに、自己と非自己の〈あいだ〉のはなしで、前回も例として出ましたけれども、合奏とかの事例があるわけですよね。あるいは、生物的な群生という例もある。そうした場合は自己と非自己の〈あいだ〉なり、そのつつぬけさ(筒抜けさ)というのは、もちろん葛藤は存在するのでしょうが、総体としては調和的というか、それ自体が問題視されることはないですよね。
「ある意味ではけっして病的でない、ごく自然なあり方です。自己の主体性の成立に先立つ非自己は、自己と他者という水平の〈あいだ〉の相手方ではなくて、自己と自己との垂直の〈あいだ〉の片方なんですね。だからそれは非自己とはいっても、自己の根底にある非自己、それの生み出す差異が自己として生起してくるような、だから構造上、つねに自己に先立っているような非自己です。」
――それはようするに、括弧つきの「自然な」という状況ですよね。ところが分裂病になっていくと、他者の形象が、ともあれ先だって感じられる、自己と非自己のあいだの現象に、非自己性が強く感じられる。そこで、いわば自己の成立と同時に、本来はそこに織り込まれているはずの他者の主体性が、自己の主体性を脅かすような機制として立ってしまうと。そうしたバランスの悪さとして生じてくるということなのですかね。
「その自然さが崩れたというか、潰れたというか、その自明性が成り立たなくなったら、その場合にはこの非自己が、自己の主体性を簒奪するような他者として立っちゃうんじゃないかな。僕はそこのところをいつも、自己の個別化の問題として考えているんです。最初の分裂病論文(「精神分裂病症状の背後にあるもの」*1)からずっと個別化の原理ということを言っていて、あれは直接にはニーチェのいうディオニューソスとアポロンの二つの原理(*2)が念頭にあったんだと思うんですけど。ディオニューソスというのは、自己と他者が渾然一体となったあり方ですよね。それがアポロン的なものでもって自己という個別が立ちますよね。形のあるものができますね。分裂病というのは、さっきから自己が立たないなんていう言い方をしてきたけれども、言ってみればノエマ的な意味での個別化ができていないなんていうことではなくて、問題はやっぱりアポロン的なものとディオニューソス的なものとの関係だと思います。ディオニューソス的なものというのは渾然一体でしょ。それがどうして自己とか他者、あるいは他人というふうに個別化されるかという、その立ち上がりの問題だと思うんですよ。前に言った、メタノエシスの自己限定としてのノエシス的自己の問題。そこのところに僕は分裂病の根本的な障害があると思うんですね。だからさっきから他者が立たなきゃ自己が立たないというような、あるいは自己と他者の共役性(共軛 conjugate )というような言い方をしたのも、みんなそこの問題ですね。」
*1 木村敏「精神分裂病の背後にあるもの」(1965年)『木村敏著作集』一巻、弘文堂、2001年
*2 ニーチェが『悲劇の誕生』(岩波文庫等)のなかで対比的に描き出した対概念。ディオニューソスは情念的・動的なものを示し、アポロンは理性的・静的なものを示している。
――自己と他者との逆対応として、応答できるような場面になっていく。逆対応が成立すると、ある意味で非対称によって形成される対称的な関係が生まれるわけですよね。でも普通、自己と他者というのは、もともとは圧倒的に非対称だったりするわけで。
「その圧倒的な非対称というのは、それはやっぱり「生きる」という問題に帰着するのではないでしょうか。われわれが生きるというのは、自分が自分の身体でもって、個別としての、ビオスとしての自分を生きるということを一応は指すでしょ。ところが、その個別としてのビオスの根っこ探していくと、やっぱりこれは個別ではもはやない次元に行き着くのです。ヴァイツゼッカーが見事にそれを言っているんですけど、「生命自身は決して死なない。死ぬのは個々の生きものだけである」とね。これに尽きると思うんです。
生命自身というのはディオニューソスのことです。ゾーエーと言ってもいい。アポロン的なビオス以前の、ゾーエー的な生命それ自身というようなものが、それ自身を限定し、個別化して、いわば私の身体を通路としてビオスとして生きる。あるいは進化論的というか生命論的に言うと、数十億年前にこの地球上に発生した生命というものは、なぜかは分かりませんけれども、多くの個々の個体に分かれて生きるようになっているんですね。」
――それは生命そのものを考える時に大きなテーマですよね。ベルクソンの創造的進化でのエラン・ヴィタールでも、ある意味ではそこが大問題になるはずです。生命って、もともと一者であってもよかったはずなのにどうして個体化するのか。個体化させているものとはそもそも何なのか。何故われわれは個体ではない部分を抱えているのに、結局個体として人格性が付与されたつもりになっているのか。そういうことですよね。
「どうしてだか分からないんだけど、ゾーエーはとにかく個体に分かれて、ビオスとして生きるんですよ。だから、私は私のいのちを何十年かのあいだ生きていると思っているわけだけれども、本当は生きているのはゾーエー的な生命、個別的なビオスではない生命が生きている。個別的ではない生命が、私の身体で、私の身体を生きている。西田の言う逆対応というのはそういうことでしょう。私は個別的ではない生命のほうを中心においてものを考えたかったんです。
しかし普通に言っている自他関係のときには、自と他のあいだに絶対的な非対称が生じているわけでしょう。この非対称が分裂病の場合には成り立たないというか、逆転するというか、これは安永浩さんが、イギリスのウォーコップという哲学者の「パターン」という概念を使って最初に着目されたことです(*)。」
* 安永浩「分裂病の基本障害について」(1960年)(安永浩『分裂病の論理学的精神病理――「ファントム空間」論』医学書院、1977年収録)
――分裂病ですか。
「分裂病の場合ですね。われわれにとってはどうしてか、自己と他者、自と他という概念が対称的になっていない。自明なものとして与えられているのは自のほうであって、他のほうは、自ではないもの、いわゆる非自己としてしか成り立たない。普通の常識ではその逆は成り立たないんだというわけです。つまり、自己というのは他者ではないもののことだなんていったって、自己のことを言えたことにはならない。実はウォーコップはその前に、生と死のあいだにもそれと同じ非対称のパターンがあって、生は自明なものとして与えられていて、死は生きていない状態だと定義できるけれども、逆に生を死んでない状態として定義することはできないということも言っています。生と死の非対称については、安永さんはあまり触れていませんが、私自身はこれこそ自他の非対称の根源だろうと思っているわけです。
自己と他者には不等号がついていて非対称である。その不等号の逆転が起こるのが分裂病なんだという意味のことを安永さんはおっしゃっている。まったくその通りなんです。その論文が発表されたのは、まだ私がほとんど論文を書いていない頃で、分裂病を自己の自明性の傷害として、あるいは自他関係の病理として見ていこうとする着眼点というか切り口を、私はすごく重要だと思いました。日本だけでなく、世界的に見ても、私にもっとも強い衝撃を与えた分裂病論の一つですね。
しかし、ちょっと待てよと思ったのは、分裂病が自他の逆転だというのはその通りなんだけど、安永さんはこれは分裂病以外では決して起こらない事態だと書いているんです。私はそうではないんじゃないかと思った。たとえば宗教体験というのは、おそらく自と他が逆転して、その場合「他」というのは神のような超越者ですが、自己と神との関係でもパターンが逆転しているのではないかと思ったわけです。」
――他から自へと。
「そう。それが宗教体験だろうと。それから芸術における美の体験にもそれがあるだろうと。だからこそリルケが「美は恐るべきものの始まり」なんてことを言ったと思うんです。だから宗教とか美の世界には、かならずそれが出てくる。自他の逆転というのは、それ自体は決して病的な状態ではなくて、いってみれば人間にとって、宗教とか芸術とかそういう極限的な状態では瞬間的に表に出てきうるし、あるいは分裂病のような場合にはむしろそれのほうが持続的な状態になりうるのだけれども、普段は、一般の常識的な健常者の日常生活では、完全に隠されているだけではないか、ということですね。健常者ではどうしてそれが隠されているのか。健常者は、これはやっぱり個別ということに立たなきゃそもそも生きていくのが難しい。健全な日常性というのは、この隠蔽の上に築かれたものなんですね。」
――そうですね。しかしそれは、自他のパラドックスを内に抱えているということになりますよね。個別というのはつねに安定している存在ではないわけで、いわば誰もが、逆対応を、あるいは、まったく異質な他が私のうちに入ってしまうのを、時折はみてしまう。
「だから哲学者のなかには、西田みたいにそれを見てしまう人がいるわけですよ。ある意味、レヴィナスもそれを見た。」
――レヴィナスは、それを言表化するときに、どちらかといえば対称性を確保しうるノエマ的なかたちを設定しておいて、そこでの決定的な破れというか不可知性というかたちで他者を外部として考えるのでしょうね。ラカン的な論じ方をするなら、そこでは記号的なシニフィアンの動きといったものを、どこかで自己を支える虚点として成立させてしまって、こうした圧倒的な非対称を回収していく。シニフィアンの、つまりは言語を可能にする命令を発するものの中身は何かと言ったら、これは空虚でしかないんですよね。では、他者の中身は何かと聞いたら、それがいえちゃうと自己になってしまうから、それは空虚だといわざるをえないことと同じだと思います。レヴィナスにせよ、デリダにせよ、西田の逆対応的な議論が行為論として成立する部分を、全部言語や法の――アガンペン的にいえばビオスの――視角から考えちゃうから、結局他者は、自己なりシニフィアンなりから隔絶されて、不可避に命法を述べてくるものとしてしか設定できない。逆説的ですが、そこでは、他者は何もないことによってきわめて強い中心化作用といったバイアスがかけられるんですよね。
行為的自己において逆対応というパラドックス的な入れ込みを語る西田は、そうして他者を外部に放置するだけの発想とはまったく視界が異なると思います。が、そうするとやはり、そこで逆対応というのが成立してしまうと、それがはらむ異質性とは何かということ、そうした議論が、水平的な自他関係にそのまま投影されることの問題は実際に残ります。そうして描かれる他者とは、結局は自己の他者なんじゃないかという疑念は、ずっと解消されないんですよね。また、決定的に反論するというのも難しい。
「いやいや、残るのはしょうがないというのは、その場合自己といわれているのが、ごく普通の常識的な意味での日常的な自己ではない、ということをはっきりさせた上でのことですよ。それをはっきりさせた上でなら、もうそれはしょうがないと言ってもいい。
それで僕はヨーロッパの人の非常に個別化された自己概念に、大きな問題を感じているのです。この前お話した鬱病の罪の意識の問題で、ヨーロッパの人はそれを大変個別的に自分が悪いんだと捉える。それに対して日本人はみんなに申し訳ないという捉え方するという大きな違いがありました。それが僕の〈あいだ〉論のひとつの出発点なんですが、この違いにも現れているように、ヨーロッパ人というのはいつも個別化された自己から出発するんです。これはおそらく、また話を広げて申し訳ないんだけど、ヨーロッパ文明の発端であるギリシアで、ものの本質を言いあらわすのに、エイドスとかイデアとかの言葉を使ったこととも関係していると思うんです。エイドスやイデアというのは形のことでしょう。可視的な形をもって本質とみなしている。個別化された自己も形をもっていますから。個別化された生命であるビオスも形をもっている。」
――ある意味、西田では形なきものの形が強調されますからね。まさにエイドスで語るある種の文化とは異質なものを思考しようとしている。
「日本人だと、本質というものは形のないところになければいけないと思うでしょう。ところがヨーロッパでは形が本質なんですね。あるいは別の言い方をすると、「存在」を表すヨーロッパの言葉には、ビー be やザイン sein やエートル etre(eのアクサン‐シルコンフレクス入力不可…引用者)があるわけですが、これは日本語でいえば「である」と「がある」の両方を指すわけですね。そして「である」の方を、むこうの人は本質と言い、「がある」の方を実存という。そういう振り分けでしょ。ところが日本人は、「である」が本質だなんていわれても、すんなり分からないでしょう。そう思いませんか? 哲学の世界ではそういうことになっているから、そう思っているけどね。「これは机である」というのが本質なんだと言われても、そうかなあと日本人としては思ってしまうわけです。
つまり「である」というものは、「これは何々である」と、やっぱり西田的に言うと主語的な論理なんです。アリストテレス的な主語の論理が成立するのは、個別というものを中心に置くからだと思います。だからさっきの他者論でいうと、レヴィナスもラカンも、それからサルトルも、個別に本質を見るという発想から抜けだしていない。」
――サルトルはとくにそうですね。まさに他者に眼差されることですから、きわめて個別的な発想が根にありますね。
「だから僕は、個別をいっぺんぜんぶとり払っちゃって、個別を成立させるのは何かという問い、そこから出発してみたいと考えているのです。日本人はその感覚をもっているのではないかと……。」
――最後に伺っておきたいのは、他者というテーマを考えたときに、セクシュアリティというか、性的なことの関わりというのは、実際には症例とか考えても非常に大きいはずですよね。これは本質的に考えた場合、他者になってしまう非自己というのは、もともと生命的なもの・ディオニューソス的なものとして想定されますから、ようするに「生殖」という問題性が前面にでてくる。身体は生殖するものであるということ自体が、他者の他者性に対して、重要な意味あいをもっているのではないか。レヴィナスは、実は『全体性と無限』においては、顔によって示される責任性としての他者を超えた場面で、この主題にはかなり敏感に反応しているのですが。でも日本のほとんどのレヴィナス読みは、この問題をまったく無視するか、何かの間違いとでもいった対応しかできていないんですけどね。レヴィナスは、あまりフェミニズムには詳しくなかったから、変なことを言っているとでもいうように。でもそんなことはないと思いますね。
「レヴィナスのそのあたりの議論はまったく知りません。しかし身体は生殖する道具ですけど、自分ひとりでは生殖できませんからね。他者が必要ですからね。」
――素朴に考えても、セクシュアリティという問題は、フロイトが無意識を思考した際の中心的な問題ですよね。
「フロイトはリビドーという形でセクシュアリティを中心に置いたのに、実は生殖のことはなんにも言ってないのです。これは大きい問題です。このことをはっきり指摘したのはヴァイツゼッカーです(出典省略…引用者)。フロイトの性理論には生殖の問題が出てこない。子どもをつくるという問題ね。それとフロイトの性理論にはオーガズムについての議論がないんです。オーガズムがなければ生殖ができないわけでしょ、少なくとも男性の場合は。生殖というのは非常に大きい問題だと思います。」
――その場合フロイトにあるのは、ある種のフェティシズム的な対象、ラカン的にいえば対象aの問題ですよね。そうした幻想としての性的対象に投影された形でのセクシュアリティしか問われなくて、性そのものについては語っていない。図式的に語れないということでしょうか。
「どうなんでしょうね。そこは踏み込まなかったということなんだろうと思います。せっかくだから踏み込んでほしかったと僕は思います。僕自身まだ不勉強で、これから勉強しなければいけないんだけど、バタイユ(*)から最近ではナンシーなんかが言っているような、ああいうエロティシズム、たぶんあれはディオニューソスの世界でしょうね。」
* フランスの二十世紀初期の思想家。侵犯や贈与の議論などで現代哲学への視界を開く。『エロティシズム』酒井健訳、ちくま学芸文庫、2004年等
――バタイユですか。いま哲学屋がバタイユを使おうとすると、ものすごく杜撰で素朴な超越の議論に見えちゃうんで、そのままでは使えないという感じで捉えられがちですね。なんといってもフランス思想は、現象学と精神分析が入ってきて、言説の水準は極端に高水準化されましたから、どうもベルクソンも含めてそれ以前の思考が議論のレヴェルとして危うく見えるのは仕方がないのですが。けれども、実は生命の理論を立てるときに、バタイユがある種素朴に言っていたことを、構造主義以降の議論の洗練のなかで、どう把え直すかは大きなテーマだと思います。
バタイユは、本当に低劣というか下劣な物質性としての身体水準を思考しながら、そこから一気に超越が聖性として噴出してくる場面を既述しますよね。それを真面目に考えなければならない部分はどこかで出てくるのではないかとおもっています。それもやはり内在から発してくる他者性のひとつのモデルですからね。
「僕はバタイユの読み直しは絶対必要だと思っています。」
(注)キリスト教においては、神人関係、すなわち自己と自己成立の根底である神(非自己)との垂直の関係と、自他の社会的関係、すなわち自己の対他関係(対隣人関係)という水平の関係とは互に切り離しがたいものと考えられてきました。それがどういうことであるのかを「非神学的」に考えようとするとき、ここでのふたりの議論は示唆するところが大きいのではないかと思われます。それを非神学的と言わずに、敢えてメタセオロジー(神学の神学、「神学」を対象化する神学)、あるいはエコセオロジー(全宗教の神学、歴史的・社会的・自然的環界における宗教の成立と機能を考察する神学)と呼ぶとすれば、ふたりが論じている「生命の理論」ないし「生命(ゾーエー)論」は、その問題を考えるときの重要な手がかりになるのではないでしょうか。それは西田の言う「万有在神論」の基底に「ゾーエー」を見てゆこうとする立場であるとも言えるでしょう。またそれは賀川豊彦が既に視野に収めていたことではないかとも思われます。次回からは、対談の最後の部分を3回くらいに分けて取り上げていく予定です。
木村敏・檜垣立哉『生命と現実 木村敏との対話』(河出書房新社、2006年) その2
七 生命論的差異
〈もの〉と〈こと〉――レアリテ/アクチュアリテ/ヴィルチュアリテ
――今日は対談の最後なので、議論を哲学的な方向に戻して、とくに九〇年代以降の木村先生の思考の展開に焦点を当てていきたいと思います。
九〇年代以降の場面になってくると、木村先生のお話は、おそらく二つの方向に分かれて深められていくと思います。
一つは、先生が生命論的差異と名指されているものを前面にだされてきたことです。それは主題的には、対象と行為、〈もの〉と〈こと〉、自己と非自己の問題系のなかで、行為的世界を存在論的にどう捉えるかという流れの展開なのですが、明らかに生命というテーマがそこで前面に出てくる。すると、そこで語られる生命という事象がもつ含みは何なのか、それが備えているいろいろな問題を、どのように評価していけばよいのか、これを考える必要が出てきます。
もう一つは、以前からの先生のお仕事を考えれば、いわばこれも当然の成り行きなのですが、生命論的差異を論じられる際に、さまざまな哲学者のアイデアがとりこまれていますね。それがどのようなものかということがある。
もちろん、ヴァイツゼッカーや西田は、もとから先生の思考を規定するような役割を担ってきているし、彼ら自身が生命という問題系に繋がってもいる。だけど九十年代以降では、ドゥルーズのヴィルチュアリテの問題や、ミシェル・アンリのコギト論とかが積極的に論述にとり入れられて、議論が構成されはじめている部分がある。それは、西田やハイデガーという、哲学的にいって少し前世代の問題系の、抜本的な見直しという意義も含んでいますね。生命という主題も、そこで際だってくる部分がある。
生命論的差異ということと、そこでのさまざまな現代哲学の発想との関わりということで大きく二点ですが、まあこの二つの主題ははっきり分けられるものではないのですが、一応そういう段取りでお話を伺えればと思います。
まず、生命論的差異ということに関してなんですけれども、先生は最近、ヴィルチュアリテ(潜在性)・アクチュアリテ(現実性)・レアリテ(実在性)という三つの述語をもちだされてくる。それはかつて、ノエマ的なものとノエシス的なものというもの、つまりは〈もの〉と〈こと〉、対象的な意識と行為的な身体という区分がなされていたものの変容だとおもうのです。そこで一番注目されるのは、やはりヴィルチュアリテということですよね。生命という主題は、こうした潜在性と、それにまつわる内包的な存在の処理を引き受けるようなかたちで、いわばハイデガー的な存在概念にとって代わるような役割を担っていると思います。まず、そこらあたりのことから、お話を願えればとおもうのですが……。
「ずっと以前はノエシス・ノエマという言い方を、これは前にも話が出てきたことだけど、フッサールそのままではなく、いっぺん西田を通った概念として使っていました。でも、ノエマはいいんです。対象化されているもの、あるいは表象されているものと言ってもいいんですが、われわれがそれを見たり聞いたり、感じたり考えたりしているものですよね。これを見たり聞いたり感じたり考えたりしている〈こと〉としての、ノエシスの方をどう捉えたらいいのか、それがずっと気になっていました。うっかり対象的に捉えたら、ノエシスという〈もの〉ということになって、ノエシスというノエマになってしまいますから。ノエマとノエシスはペアにならない、対称形には絶対にならない。ノエマは意識された〈もの〉ですが、ノエシスは意識しているという動きですから。とくに西田の場合はそうです。フッサールの場合はどちらかというと、意識の志向性というかたちで、ノエシスまでややもするとスタティックというか、意識というもののあり方として記述されているような気がしてならない。僕のフッサールに対する不満のひとつはそこにあるんです。まるでノエシスとノエマがペアになって相関しているかのように読めてしまうので。私はそうではないだろうと思うのです。ノエシスというのはそれ自体が、ノエマを生み出し続けているひとつの動きそのものであって、なんとかそれをうまく言えないだろうかと、前から思っていたんです。
そんなことを考えていたら、そこへヴィルチュアリテ・アクチュアリテ・レアリテの問題系が現れた。潜在と、顕在ないし現実と、そして実在ということですね。実在であるレアリテがノエマのところに重なるのは割合ぴったりするんだけど、ノエシスのところがすんなり顕在とか現実とかの意味でのアクチュアリテに重なるかどうか。顕在というと、当然それがそこから顕在化され、アクチュアリゼされてくる源泉というか、それが顕在化され現実化される前があるはずで、それが潜在、ヴィルチュアリテであるはずだというのを、いつの頃からかそういうことを考えるようになりました。いまから思えば、精神科医になったごく初期、離人症のことを考えていたときに、すでにその問題は頭にあったんです。離人症の状態ではレアリテとアクチュアリテがずれる。ふつうはぴったり貼りついている実在と顕在、レアリテとアクチュアリテのあいだに隙間が空く。哲学者のなかには、ドゥルーズを含めてそうなんだけど、レアリテとアクチュアリテの隙間ということを言っている人はあまりいないのではないでしょうか。これはある意味、離人症という状態を知っている精神科医の役得みたいなところがありますけれど。」
――逆に対象化された後のことについて、あまりドゥルーズは分析していないということですか。僕のドゥルーズに対する大きな不満はそこにあるんです。
「離人症というのは、たとえばここに机があって、机はちゃんと見えているし、色も形も大きさも正しく認識されているのに、この机がここにあるということが感じられないというわけですね。私はそれをまず、日本語の〈もの〉と〈こと〉という言い方で考えたわけです。机という〈もの〉は見えている。完全に知覚している。そこは健常者とぜんぜん変わらないと思うんです。ところが机がここにあるという〈こと〉が感じられないという。私はそのときまず、ハイデガーの存在論的差異、ザイエンデス Seiendes とザイン Sein、あるところの〈もの〉とあるという〈こと〉との差異として理解できるだろうと思ったんですよね。しかし、〈もの〉はそれでいいとして、〈こと〉のほうはやはりそんなに一筋縄では説明できない。
離人症のことをフランス語でデペルソナリザシオンと言うんです。つまり personne が失われるというか、離れるというか。personne は日本語で言えば人ということだから、「離人症」という訳語が作られた。しかし personne というのは、決して単純に人ということではない。この場合には自己とか自分とかのことですね。離人症では、自己がなくなった、自分というものが感じられないという訴えが多いから、そんな名前がついたのです。それはともかくとして、離人症では事物の現実感も失われます。それでそちらの面を強調した別名として、デレアリザシオン(デ・レアリザシオン)ともいわれています。こちらのほうの翻訳は、日本語の精神医学用語にはないんだけど、ようするにレアリテ、実在性が失われるという意味です。しかしその場合のレアリテというのは、われわれが現実性とか現実感と言っているもののことですね。たしかに、ものの実在感が失われるという言い方をしても別におかしくはないけれども、しかし私は、ここで失われるのは果たして本当の意味での実在性、レアリテなんだろうかという疑問をもったわけです。
というのは、レアリテという言葉は、レス res という、ラテン語で「物」を意味する言葉から来ているので、元来〈もの〉的な実在を指す言葉です。そういう〈もの〉的な実在は、離人症の状態でもきちんと保たれているんじゃないかと思うのです。離人症の人でも、ごく普通の日常生活は十分にできているわけですから。だから厳密な意味でのレアリテは失われていない。」
――日常的にものを掴んだりはできる。
「知覚障害があるということではないのです。実在についてのレアリテは保たれている。じゃあ失われているのは何だろうということですね。ドイツ語では実在のことをレアリテートというんだけど、この言葉のほかに、ヴィルクリヒカイト Wirklichkeit という言葉もあります。ほとんどのドイツ人はそれをあまり区別せずに使っているんですけど、しかしよく考えてみると、ヴィルクリヒカイトというのは働く wirken からきていて、働きとか動きとかを含んだ、〈こと〉的な現実のことを言っているわけですよね。これは〈もの〉的な実在とは違う。離人症で世界の〈もの〉的な姿形はきちんと認識できているのに、そこに生き生きした現実感が感じられないというのは、レアリテは保たれているのに、ヴィルクリヒカイトが失われているんだろうと考えたわけです。そのとき、それを書こうと思ったんだけど、まだ全然勉強不足で書けなかった。ヴィルクリヒカイトに「活在性」なんていう自分流の変な訳語を考えて、「実在性と活在性」というタイトルだけ書いて、論文は結局書けずじまいになりました。ヴィルクリヒカイトというのは、英語でいえばアクチュアリティだろうと思うんだけど、「リアリティとアクチュアリティ(*)」という論文を書いたのは、もっとずっと後のことです。」
* 木村敏「リアリティとアクチュアリティ」『木村敏著作集』七巻、弘文堂、2001年
――アクチュアリティというのは、もともと行為ということを含んでいるものでしょうからね。
「行為 act ということなんです。西田の立場というのは、認識ではなくて行為の立場でしょ。僕自身も行為の立場でものを考えるものだから、このことが気になったのですね。認識の立場から見れば実在に見えるものが、行為の立場から見れば実在ではなく、アクチュアリテになる。そんなことを考えていて、それとさっき言ったノエマ・ノエシスの問題とを重ねて考えていたところがあるんです。
そうだもんですから、さっきの話にまた戻るんですけど、その場合、レアリテというのは一応対象化されて表象された〈もの〉として考えていいんだけれど、アクチュアリテというのは、言葉で言ってしまえばそうなるけど、実はもっとたいへんなものだろう、言葉でアクチュアリテと名づけてしまえば、何かしら対象化されてしまうけど、ほんとうは決して対象化できない、動きそのもの、働きそのもののことだろうと思うんですね。
化学で、ある元素が化合物から遊離される瞬間に、原子が一瞬それまでの安定したあり方を失って不安定な活動状態にはいるでしょう。それを、発生期状態という言い方をしますでしょう。つまりたえず生成していて安定しない活動状態、アクチュアリテというのもそういう状態にあるんだと思ったんです。
そうなると、いまそれをアクチュアリテだと言いましたけど、それは一瞬の静止もない生成ですから、それを絶えず生み出し続けている次元というのか、そんなエレメントを考えざるをえない。顕在としてのアクチュアリテがそこから顕在化してくる、そのもとにある潜在性、つまりヴィルチュアリテというものを考える必要がある。アクチュアリテとヴィルチュアリテ、僕はこのふたつは、どこまでがヴィルチュアリテでどこからがアクチュアリテだというように分けられるものではなくて、ひと続きのものだと思っているんです。動きですから分けられない。ところがドゥルーズは、それを分けるんですね。」
――分けるんですけど、多分そこでは、アクチュアリテとヴィルチュアリテとの関係のプロセスというか運動性が、ドゥルーズのいう実在だという話になるのだと思います。逆に、そのアクチュアリテから表象されたものはどう規定されるのかという問いは、ドゥルーズは『差異と反覆』以降あんまりやってないでしょうけれど。そうした問いを考えてしまうこと自身、ヴィルチュアリテの領域がもつパラドックスを原動力とした、哲学的な思考に反するという感じもしますよね。ドゥルーズは、あくまでも常識=共通感覚 sens commun を疑って、ヴィルチュアリテの方から思考を転倒させる方が、哲学的言説にとっては重要だという立場だと思いますね。
「もうひとつの問題は、フランス人は、ドイツ人もそうかな、レアリテとかレールとかの言葉で、真実のというか真理というか、本物という意味を表すでしょう。それだと僕の使っている〈もの〉的な実在としてのレアリテとはずれてきます。だけどドゥルーズは、ヴィルチュアリテは、ヴィルチュアリテなりのレアリテをもっているなんて言い方もする。」
――というか、ドゥルーズではヴィルチュアリテがまさに実在という意味でのレアリテをもつということになると思います。それは、先生の使われている文脈ではないですね。もちろん、ヴィルチュエル―アクチュエルという軸と、ポッシブル(可能的なもの)―レアルという軸とは、きちんと考えてみる必要があるのでしょうが。
「ドゥルーズがヴィルチュアリテのレアリテということを言うときのレアリテは、僕が考えているようなノエマ的に対象化されたものという意味ではないはずなんです。そのへんの言葉の使い方は大変注意しなければいけませんね。」
――ドゥルーズも、まさに真理という概念を、シミュラークルの概念で解体したと一時期までは考えていたでしょうし、また後年になると、『シネマ』で論じられますけど、偽物の力(puissance du faux)のようなこと、ニーチェ的な偽物性みたいなことを強調しますよね。ヴィルチュエルなものというのは、リアリティがあるが、それ自身は真理といった概念を支えるものではない存在で、ましてそうした背景の力は、真理という規準によっては把捉されないということだと思います。だから、先生がおっしゃっている意味でのリアリティの、まさにものが成立するという領域での分析というのは、むしろ現象学の志向性とか言語哲学によって展開されるもので、それはそれでまさにドクサ的な前提をもちつづけているんだから、哲学としてはダメなんだという、逆にいえばそれで終わってしまう側面もありますよね。その点に不満が向けられるのも分かります。
それと、いまのお話でお伺いしたいんですが、そこでの二番目のテーマと関わっていきますが、こうした生命=ヴィルチュアリテの思考と、ハイデガーの論じる存在論的差異との違いというのは、やっぱりかなり重大な話になると思うんです。ハイデガーですと、『存在と時間』のはじめの方でも、とくに生物学がやり玉にあがりますが、いわゆる生命論的な議論を存在論的な場面に重ねあわせることに、きわめて拒絶的ですよね。それはオンティッシュ=存在的な議論にすぎなくて、論ずべきであるものは、まさに存在論的なものなんだからと。だから、ザイン(存在)とザイエンデス(存在者)の差異の問題でいえば、そこでザインの方を生命と語ってしまうことには、非常に強い抵抗感というか嫌悪感があるとおもうのですよね。ハイデガー自身も、あるいはハイデガーに続く現象学者たちも。もちろん、それは一面よく分かって、科学主義になりたくないと。でも生命はもともと科学主義的な主題などではありえないはずだし。そういう嫌悪感がどういう症候の現れなのかを考えた方がいいっていう側面もありますね。生命科学的なものは、どうあっても生成を考えるときの範型になりますよ。
西田・ドゥルーズ的にいえば、あえてそれは生命だと言ってしまうことが重要だとおもうんですよ。むしろそれが生命だと言いはなつ。生成するものは生命体ですからね。ハイデガーは、あくまでも自分の存在論的差異を論じるときには、生命とは言わない。生命と言ってしまえば、それは存在的=オンティッシュな話の議論であって、存在論ではないということになる。そこで、ハイデガーはまさに隠されたものの覆いをとるというロジックを使って、真理としての存在を考えてしまう。しかし、ドゥルーズはそうした存在の領域を力だと論じるときに、まさに問題になっているのは、真理ではない偽の力なのだというわけです。生命の発想の根底には、こうした論脈が強く効いているとおもうのですが、どうでしょうか。
「この前お話ししたことなんだけど、僕は辻村先生の私的なゼミで『存在と時間』をかなりじっくり読んだわけでしょ。あれは未完ではあるにしても存在論の本なので、結局「あるという〈こと〉」Seinとは何か問うために書き始められた本ですね。ところが、すでに出来上がってわれわれの目に触れる部分には、存在とは何かについて書いてあるというよりは、現存在Daseinつまり人間存在とは何か、人間であるというのはどういうことかについてしか書いていない。ハイデガー自身はこの本で、これは人間学ではないんだと書いているけれども、あれはやはり人間論ですよ。いったいなぜ存在そのもの、〈ある〉ということそれ自体を問うのに、そのさしあたりの通路としてかもしれないけど、人間のことを問わなければいけないのか、あの本を読んでいてそのことをしきりに考えていたんです。人間が自らの現存在をある、現にいまここでさまざまな存在者に関心を向けながら、とくにそれを道具として使いながら存在しているというのは、人間が生きているということに他ならない。生きるということ、生命ということがなければ、人間存在は存在論への通路にはなりません。
それから、その当時は主題的にはまったく扱っていなかったのですが、Seinという言葉、フランス語でエートルですが、これを日本では「存在」と訳している。私が『存在と時間』を教わった辻村先生は〈もの〉的な響きのある「存在」という言葉を嫌って、〈ある〉という意味をそのまま出すために「有」と訳しています。『有と時』です。しかし有でも、存在よりましかもしれないけど、僕は不満なんです。ザインというのは動詞なんです。あるという〈こと〉であって、存在とか有という名詞でいえるような〈もの〉ではないんです。ドイツ語やフランス語では、動詞をそのまま名詞として使うことができますね。ザインモエートルも、「ある」という動詞でもあるし、「あること」を表す名詞にもなりうる。英語ではそうは行きませんが、日本語でも駄目ですね。ただ日本語には、動詞的な動きをいうための、「こと」というユニークな言葉がありますけれど。
それと、日本語でザインやエートルにあたる言葉としては、〈ある〉のほかに〈いる〉もありますね。これもユニークです。」
――先生も、〈ある〉と〈いる〉については、いろいろと書かれていますね。
「人間は〈ある〉んじゃなくて〈いる〉んです。しかもこれは人間だけじゃない、動物でも虫でもなんでも、生きているものは生命体として〈ある〉んじゃなくて生きて〈いる〉。〈いる〉という言葉を西洋語に訳せば、やはりザインとかエートルとか言わざるをえない。だからザインと〈いる〉は同義語だし、生きているということと、現にある、ダーザインということは同じことではないのかと。
ハイデガーは、存在者、あるものと、存在それ自身、あるということそれ自身との存在論的差異について、この差異それ自身が真の意味でのザインだということをいうわけです。その場合、普通に存在者の存在というという意味で理解されるようなザインと区別するために、Seinのiのところをyで書くSeynという古い書き方を使ったり、Seinに×印をつけたりしてこれを表現していく。このSeynというのはもはや、現存在が関心を向けて関わってゆくような存在者が〈ある〉ということではないですね。むしろそれは現存在といわれる人間のがわの問題、生きて〈いる〉現存在が、生きてゆくために道具的なものと関わって〈いる〉、この〈いる〉のことではないのかと思います。
存在者と存在それ自身との存在論的差異が真の意味での存在であり、しかもそれはこの差異を見とどけている現存在それ自身が生きていることとしての存在である、という解釈は大変おもしろくて、それはさっきのノエマ・ノエシスの話ともどこかでひっかかってくる。さっきも言ったんだけど、ノエシスというのは意識している側に生じる動きですね。だから、表象の向こう側に構成されるノエマと、それを構成しているノエシスの側との差異は、このノエシスそのものの働きによって作り出されています。ノエマとノエシスの差異それ自体がノエシスだ、と言っておかしくはない。さらにたとえばドゥルーズのベルクソン論で言うと、ドゥルーズは時間と空間の本性の差異はもっぱら時間の側が担っているという言い方をしていますね。ということは時間と空間の差異それ自身が時間なんだということですね。」
(注…以下、この章の文末まで)ここでこの対談は一区切りとなります。先に木村敏の『時間と自己』の紹介(その5)の最後のところで、「こととものとの存在論的差異」という著者の主張がもう一つ釈然としないと書きました。ここで木村敏が意識のノエシス(志向作用)に「こと」を見、ノエマ(志向対象)に「もの」を見ようとしていることは明らかです。しかしそれだけでは木村も満足しないで、新たに生命論的な文脈の中で、潜在性・顕在性・実在性ということを持ち出してきます。そこで議論はさらに錯綜してきます。
私なりの整理を試みれば、ここには「なす―なる」(行為と生成)という行為論的系列と、「ある―もつ」(存在と現存在)という存在論的系列の組み合わせが見られます。そこからドゥルーズの用語を借りてきて、潜在性・顕在性・実在性と言うとき、次のようなことが考えられるでしょう。すなわち、潜在性(なる)・顕在性(いる)・実在性(ある)という図式が成り立つのではないかと思われます。それは生命によって与えられる世界の成立ち、あるいは現象であって、ノエシス・ノエマもその文脈の中に位置づけられるということでしょう。生命のエレメント(原基)は潜在的であって、そこから人間にとって顕在的で、かつ実在的な世界が現出してきます。おおもとのところに潜在的な生命の働きがあります。生命の「なりゆく」勢い、潜勢力がなければ存在を論ずることもできません。
ただしここでの議論には、「ある」を西洋語の場合のように「いる」を含むものとして理解するのか、あるいは木村が言うように、「もの」があるという意味で、実在性を狭く限定して捉えるのかという違いが介在しています。実在性を前者の意味で「現実性」として捉えることもありえます。リアリティがres(もの)から来たという言葉の原義の問題が、木村のこだわり(用語法)を生んでいるように思われます。存在Seinについても同様のことが言えます。なお、ハイデガーがSeynとSeinをそれぞれどう理解していたのかということについては、私の手に余る問題です。
これにさらに時間・空間論を組み合わせれば、潜在性(永遠あるいは生命それ自体の永続性)・顕在性(現に生きて「いる」ということの時間性)・実在性(もろもろのものが配置されて「ある」ということの空間性、広がり)ということになるでしょう。
これは、檜垣が示唆するように、ドゥルーズの元来の議論であるというよりは、木村自身がそのような概念構成で世界を見ているということでしょう。しかし潜在的かつ顕在的な生命の働きがなければ、「こと」は成り立たず、そこにはただ実在性(デカルトの延長物体、res extensa)だけの殺伐とした世界、「もの」が転変するだけの世界、または離人症患者が見ている世界が現われてくる、というのは確かなことではないでしょうか。
今日の「唯物論的」な世相は、すべてが「モノ化」されてしまう傾向と無関係ではないと思われます。精神病も神経の回路に働く物質の問題として、薬で治せば事足りるとされているようです。そのような物質文明の恩恵に浴する一方で、人間が生きて「いる」ということの意味を問い続けるところに、「現象学的精神医学」の課題があるのでしょう。それは「癒し」とは何であるのかという問題に関わっています。
この章には後半があります。しかし長くなりますのでここで一旦小休止します。なお私がひねり出した「歌」を一首かかげます。
「ある、もつ、なす、なる世の中の、なべては無常と観ずべきかな」
木村敏・檜垣立哉『生命と現実 木村敏との対話』(河出書房新社、2006年) その3
生命それ自身は死なない――生命論的差異―― 一元論と二元論
――時間は、空間から差異化されるものだけど、時間の方が固有に差異をもっているわけですね。時間は差異化するシステムであって、自ら差異をつくるもので、そこでつくられたものが空間だということになる。
「それらはすべて、同じパターンじゃないですか。僕はそのあたりを当時考えて、とくにドゥルーズのいまの話を知ったりして、これはいろいろ問題が広がるなと思ったんです。で、次にでてくるのがヴァイツゼッカーなんですよ。前にも言いましたが、ヴァイツゼッカーがレーベンLeben、生きるとか生命とかいうことを、それ自体は決して死なないという。死ぬのは個々の生きもの、個々のレーベヴェーゼン Lebewesen なんだと言います。普通僕らは、生きるとか生命とかいう言葉でもって、個々の生きものが生きているか死んでいるかということを考えているわけです。先ほどのお話で、ハイデガーが生物学と言ったときも、生物学なんて個々の生きものの生命を扱っているとしかおそらく思っていないでしょう。しかしヴァイツゼッカーが考えていた生物学はそうじゃなくて、生命それ自身、レーベン・ゼルプスト Leben selbst を問題にしようとする。個別的な個体の生死を超えた生、そういうものをヴァイツゼッカーは持ちだしてくるわけです。これもやっぱり、さきほどからの差異のパターンと同じ構造なんです。絶対死なないというのもおかしな話ですけど、とにかく個々の生命体が死ぬような意味では死なない生命。」
――ベルクソン的にいえば、たとえば人類が滅びた後でも、あるラインの生命は生き残っているだろうし、地球がなくなったところで、どこかで酸素をエネルギー源とするのではないかたちで、まったく異質な生命は残りつづけるだろうという話で、まさに存在とは何かですよね。〈ある〉ものそのものは繋がっていて〈もの〉になるけれど、時間とは、そこで展開していくプロセスなんじゃないかと、そういうことだと思います。それは重要なテーマなんですが、ただそこで死なない生命ということを、どう論じればいいのか。素朴に語ると、たいていの人は存在者の方に落としてしまいますよね。ベルクソンの論じているものも、一者的な傾きが強いから、あまり巧くいってもいない。
「うっかりするとDNAとかRNAの話になりますよね。」
――それに対抗して何かをいおうとすると、ある種の生命論的ホーリズムの方に引き付けられてしまう。それは言説の水準として、もう維持できないですよ。そこの危なっかしさをどう整理したらいいのか。
「いや、生命一般というようなものをホーリズム的に構築しようということではないと思います。ハイデガーの存在論的差異も、結局はそれを見てとっている現存在自身が生きて〈いる〉ことに帰着するんだと言いましたでしょう。僕はヴァイツゼッカーを論じたときに、ハイデガーの存在論的差異をもじったかたちで生命論的差異という言葉をつくったわけですけど、これもやはり私自身が生きて〈いる〉という意味での生命それ自身が作り出す差異です。個々の生きもの、医学的にいえば患者ひとりひとりが、私自身も含めたひとりひとりの人間が、生きている。この生きているということが、生命それ自身と繋がっている。生命それ自身というのは、個体の生命の直下にあるのだろうと思います。
ヴァイツゼッカーは、主体性というのは生命それ自身との繋がりのことだと言います。前に言った垂直の〈あいだ〉のことですよね。もちろん主体性というのは、主体としての個々の生命体についていわれるわけですけど、主体が主体性もつのは、生命に繋がっているということなんだというのは、非常に重要な捉えかたです。それとパラレルにハイデガーも、存在論的差異を現存在の超越ということで捉えて、この差異が自己の自己性を構成するということを言っている。生きているものが生きて〈いる〉ということ、それがその生きものの主体性であり、自己性なんですね。」
――ただ、『存在と時間』のハイデガーの場合は、現象学的解釈学という方法論をとって、解釈学的に現存在の存在構造を押さえることによって、そこから存在了解への道を開いていくという道を辿る。あの本は先生もおっしゃられた通り未完のもので、三分の一くらいですよね。後半は哲学史解釈です。だからハイデガーにとっては、いずれにせよ解釈学的な観点が非常に大きかったんじゃないですかね。
そういう発想は、根本的には、言語という水準で思考しつづける系譜ですよね。アガンペン的にいえば、ゾーエーを見るのではなく、ビオス的な水準から存在を捉えてしまおうとするものだと。だからそこで存在や差異ということを言い立てようとすると、やっぱり存在者、つまりさしあたりは特権的な存在者である現存在を、まさにそれが使う言語によって解釈していきながら、その記述を逃れるもの、その記述自身が前提としているものを問うということしかできない。そういうことだったとのではないですかね。そういう意味で、ハイデガーや現象学の視角からは、おそらくレーベンということをうかつに言うこと自身、方法論的に危ういとおもわれるのでしょうね。
「ただハイデガーには、関心とか配慮とか気遣いとか訳されるゾルゲ Sorge という概念や、最終的には現存在が生きてゆくためというところに収斂する「のため」um zu の意味連関を担う、道具存在 Zuhandensein の話が出てきます。やっぱりあれは生きるということへの着目ですよ。人間が生きるということがなかったら配慮も道具も必要ない。」
――道具的存在者ですよね。
「単に目の前にあるだけの存在 Vorhandensein と違う。どこが違うかというと、フォアハンデンザインの方は生きるということと関係がない。ただ僕は、純粋なフォアハンデンザインなんてものはこの世の中に存在しないと思いますけど。科学的に客観化された対象だって、科学というものがそもそも人間の生きるための営為であることを考えれば、立派に道具的な、ツーハンデンなありかたをもっていますから。」
――ちょっと話がずれるかもしれませんが、フッサールのもとに現象学が戻っていくと、フッサールは志向性の構造をあくまでも突き詰めるということをやり続けますが、その先は結局時間論ということになっていって、レベンディヒ lebendig という表現を多用するわけですよね。「生き生きとした」、と訳されるものですが。あれはもちろんレーベンですよね。対象がありありと現れてという。
「それは、それを体験している主観の側が生きているからこそなんでしょうが。だけどフッサールの「生き生きした現在」は、現在という時間様態のことだとすると、正直言ってそこから生命との生き生きした繋がりはあまり感じないんですけどね。しかしもちろん、こっちが生きてそれを経験しているからこそ、「生き生きした」という表現がされることになる。それは間違いないですね。
――そうですね。まさに現在ということの存在論的な意義を考えないといけませんね。時間論ですからね。それはヌンク・スタンス(nunc stans)、つまり流れつつ留まる今という、そっちの現在の、いわば非人称の領域の底のような議論になってきます。
「その話というのは、ほんとに網の目にようにつながるので。」
――そういうフッサール的なものを、ハイデガー的なものが批判している側面もある。でもそこではハイデガーも、後半では、ギリシア哲学解釈者でいいんだということになってしまう。まさに解釈史という方向に関心が向かっていく。事象そのものではありませんよね。事象への接近の仕方の歴史性だということになる。
「後期のハイデガーのことは、僕はあまり関心がないんですよね。どうしたものか、あまり関心が向かなかった。」
――前にも話題になりましたが、最近『哲学への寄与論考』の翻訳が出ました。
「あれはそんなに後期じゃないんじゃないですか。あれには Seyn の問題が書いてあるようだから、きちんと読まなければいけないと思っているんですが。」
――草稿ですから、後期のというわけではないですね。でも、まさに「差異」の問題が、『存在と時間』を超えた場面として描かれているようです。
「僕は職業哲学者ではないから、ハイデガーもかなり自分勝手に読んでいる。ここは僕にとって大事な点だとめぼしをつけたらきちんと読む。とても全部なんて読めないし。」
――話の流れを戻しますが、生命ということを前面に出してしまうことについて、ある部分でひっかかりをもつ人はいるだろうし、もちろん方法論的に問題は残ると思います。よく言われることですが、現象学の人たちだと、それこそドゥルーズやベルクソンに対して方法論が無いじゃないかと。なんでこうした言説が哲学として確保されているのかわからないと。
現象学者だったら、エポケーなりなんなりを経て、志向性の構造を取りだすという手続きがあるわけですよね。ハイデガーだと、解釈学的な仕方をやることによってそこから脱け出そうとした。ベルクソンだと、まああとからつけたような部分もあるのですが、直観というのが方法論化されている。ところがドゥルーズだと、あくまでも差異化の方法論と差異の存在論とが一体化していて、そこで生命=Vieがダイレクトで出てくる。それではやっぱり方法論が欠落しているのではないかと。
「そういう人がいるんですか。」
――いますね。なんでドゥルーズがそういうことを語れるのかと。語れるというそのこと自身が問題じゃないかと。それは解釈学的な問題性に引き戻さないといけないのではないかと。
たとえばデリダも後期に『触覚』(*)というナンシー論を出しましたけど、あそこでメルロ・ポンティとかドゥルーズ=ガダリについて語っている。それはある種の触角の直接性ということ、つまりデリダ的にいえばヨーロッパのロゴス中心主義的なものが、結局メルロ・ポンティやドゥルーズ=ガダリにも介在しているはずだという批判があると思うんですよ。そういうように、直接的な生命を語ってしまうことは、結局は不可能なことではないかと。語っているかのごとく論じている人たちは、ある種の方法論的前提をごまかし、ある種の枠組みのなかにいるのではないかと。おそらく、ハイデガー、デリダ、現象学のラインからは一貫してそう言われるでしょうね。
でも僕は、ドゥルーズ的な差異の存在論を語っていくためには、あえてそれを生命とか、ニーチェ的なディオニューソスでも力でもいいんですが、そうしたもので語ってしまうことの意義があるのではないかと思います。何しろ生命は現前の不在ではなくて、現前が溢れかえることなのですから。
* デリダ『触覚』松葉祥一・榊原達哉・加国尚志訳、青土社、2006年
「それはほんと哲学畑の問題ですよね。」
――木村先生に引き付けて言うと、存在論的差異を生命論的差異ということに言い変えてしまうと、哲学的な議論として考えるならば、それはまさにハイデガーが『存在と時間』の最初で批判した生物学の話にいってしまうのではないかと。だけど逆に、ハイデガー的な存在論の言葉の方が、ある種の力動的な存在についての把握ができないのではないかと。解釈学的な言語の議論で、存在へと接近する方向がそんなに有効な装置なのか、それがひっくるめて問われる。
ドゥルーズとは文脈は異なりますが、アンリは、結局ハイデガーやそのエピゴーネンによっては記述できなかった部分を、やっぱりあえて生命と言いますよね。それは重要な内容をもっているのではないかと。
「そこはぜんぜんかまわないわけで、ハイデガーのいう存在論的差異がイコール生命論的差異だと言っているわけではないですから。生命論的差異ということを考えるときに、もちろんハイデガーの存在論的差異からヒントをもらって、そういうことを言っているだけのことなんだけど、しかし私自身の感覚で言うと、存在論的差異は生命論的差異があってこそ生み出された思想だろうと思ってますが。」
――もう少し話を拡げますと、やっぱり先生のお話は精神医学であって、普通にいえば心の問題を扱っておられるわけですよね。僕は、心の問題というのを、たんなる意識の問題や、あるいは意識のモデルが機能している言語=認知系の問題に解消してしまうのではなく、それを身体とか生命といったテーマに繋げていくとか、あるいは生命の方から心の問題を思考し直すというのは大変納得のいくことだし、また生産性もあるのではないかと思います。ただその場合でも、一般的にいえば、いわゆる心の問題を、身体性とか生命とかの方向から包括することは、果たして可能なんだろうかと、そういうことは考えられませんか。
「現在、デカルト以来の心身二元論を、唯物論的な一元論のほうへ解消してしまおうという動きが強いですね。とくに英語圏の分析哲学では、ニューロフィロソフィー、神経哲学なんて言葉すら出てきています。だからこの頃の語り口で言うと、一元論とはとりもなおさず唯物論のことなんですけど、僕らが育った頃は、一元論すなわち唯物論では決してなかった。とくに西田の影響のあるところでは、一元論というのは心と身体の二つよりももっと深いところにある一つのもの、この二つの根っこのところのことだったと思うんですけど、この頃は一元論というと完全に物質としての身体だけが実在で、心はその随伴現象だということになってしまいます。しかし、ポパーとエクルスがいっしょに書いた『自我と脳』(*)という本では、哲学者のポパーのほうが物質一元論で、生理学者のエクルスのほうが心に独自の領域を認める二元論を展開しています。
* ポパー/エクルス『自我と脳』上・下、西脇与作・大村裕訳、思索社、1986年
しかしデカルトは、いみじくもというか、延長をもつもの、レス・エクステンサ res extensa と、考えるもの、レス・コギタンス res cogitans というように、両方ともレス res つまり〈もの〉と書いていますよね。〈もの〉として考えれば、デカルトの言う通り二元論でしかありえない。身体という空間的で具体的な〈もの〉が一方にあって、他方には心という、得体のしれないものだけど、心理学の研究対象になりうるような〈もの〉としての心があると考えるとね。しかし心というのはやっぱり〈もの〉ではないんじゃないか。身体は一応目に見えるから〈もの〉でいいとしても、心は対象化できる〈もの〉ではない。心は、考えること、思うこと、感じることだから、〈もの〉と〈こと〉でいえば〈こと〉なんだろうと思うんです。あるいは、謎をかけて「そのこころは?」なんて言いますけど、その場合のこころというのは意味のことだと思うんです。この前もお話ししたんですけど、何かを言おうとすること、vouloir dire、それが心だろうと思うんですね。
この場合、「意味」といっても言語論的な意味に捉えられると困るんだけど、私なら私という人間が、「何かをしたい」とか「こう生きたい」とか、人間はかならず行動しているわけですけど、その行動を動かしているノエシス的な意味が、心ということだと思うんです。それを対象化して、心理学的に研究できるような〈もの〉にしてしまったら、考えるもの res cogitans にしてしまったら、もうそれは心ではない。本当の心というのは、やっぱりそれは生きるということの直接の現れとして、考えたり感じたりする〈こと〉じゃないか。しかしその場合、もちろん身体がなければ個別的な生命は維持できませんから、だから当然身体も生命に直結しているけど、その生命の形の面が身体で、動きの面が心だと思っているんですけどね。西田は「ノエマ面」「ノエシス面」という言い方をしますでしょう。生命という一つの現実に二つの面がある、そういう一元論もあっていいと思います。」
――その場合生命というのは、ヴィルチュエルなものであって、アクチュアリテというのはリアリティでもない発生状態として捉えると、そうなりますか。その、発生状態の現れというところで心を捉えるさまざまな場面を定位していかなければならないし、逆にいえばいわゆる精神医学の諸知見、フロイト以降の知、あるいはきわめて言語系の発想であるラカンについても、基本的にはそこへと返さなければならないと。
「そう思います。だけどどうしてもそこを言葉にして語ろうとすると、どうしても対象化して〈もの〉として語らざるをえない。たとえば意識と無意識でもいいんですが、僕は意識というのはベヴストザイン、つまりSeinですから、これも絶対に〈もの〉ではない、動詞的に〈こと〉として捉えないといけないと思うんですが、だから当然、それのもとにある無意識も、これはダス・ウンベヴステと否定の完了形を名詞化した言い方でいうけれど、それも、意識されていないような働き、さっき述べたような、意味としての心を生み出す行為としての働きとして見ていかないと、それを本当に捉えることは無理だろうと思います。」
――そこで、いまの臨床的な医学のあり方、臨床心裡ですとか、先生も最初におっしゃったように、まあ一種の空疎な行動主義(ビヘイヴィアリズム)の類に回収されてしまう心理学の分野とか、それらはどこまでいっても表象の学でしかありえないわけですよね。サイエンスですから。
「サイエンスというのは、これは客観的な〈もの〉の学ですから。」
――それに対して、先生が考えておられる行為的な位相を考えていくことは、それこそ、実践的な議論としてはどうなるのでしょうか。現実には、たとえばクリニックとか臨床の場面とかいうのは、まさに客観化できない一回性とかタイミングとか、その場かぎりの話とか、そういう要素においてしか語りえないものだとおもうのですが、結局そういったかたちで臨床的な知を立ち上げるというのは、ある意味で非常に強く求められていると思います。しかしいまの現場は、アメリカ流の行動主義みたいなものが蔓延している部分は非常に強いわけですよね。
「私なんかは、サイエンスを拒否する精神科医ということで希少価値はあるんでしょうが、みんなが真似をしてくれるなんて到底思っていないし、全体の流れをどう変えようなんていう野心ももっていない。私のやっていることは、私なりに学だとは思いますけれど、客観的な科学ではないことをやってきたつもりなんです。そういうスタンスだからこそ見えてくること、科学というところに身を置いてしまうと絶対に見えないことがあるんじゃないでしょうか。」
――ただ大阪大学の鷲田清一さんがやっている臨床哲学プロジェクトのように、「臨床」という言葉が時代的にもキーワードになっているところがありますよね。臨床とはそれ自身クルニカルということで、まさに三人称的な表象の知には解消されない二人称的な行為の場面が重要だということですが、それで何が問題になっているのかを規定していかないと、何かまったく実践的ではないものが実践実践ていうかけ声だけで世の中にはびこっているということが、ものすごくありますよね。それをどうするかは、それこそ制度設計とかの問題も絡みますので、難しいけど重要だと思いますね。
(注)医療という実践の現場では、いわゆる三人称的な表象の知で片づけることができない生身の人間が浮かび上がってきます。医師として客観的な知識や技術を行使しながら、同時に生身の人間の現実を離れないという姿勢を保つことは、特に精神科医の場合には、医学という学知それ自体のあり方に直接関わるものでしょう。ガブリエル・マルセルが指摘した、まるで自動車修理工場のような医療のあり方が大勢となっている限りは、木村敏のようにあるべき医師の姿勢を保つことができるということは、ある意味では大学教授という特権的な立場でしか追求できないことである、つまりそのように恵まれた状況にあるからだという皮肉な見方も可能でしょう。それは要するにエリートの学問であって、誰もが真似をできるというものではありません。しかしそのような孤高な姿勢から紡ぎ出される洞察が人間の真実を抉り出しているということも認めなければならないでしょう。心は〈もの〉ではなく〈こと〉である、それは動きであって、生命の働きそのものであるという指摘は、そのような「洞察」の一例です。対談は次に「集団としての主体」の章に移ります。
木村敏・檜垣立哉『生命と現実 木村敏との対話』(河出書房新社、2006年) その4
八 集団としての主体
境界――即の論理
――また脱線しましたので、もう少し哲学との絡み合いに話を戻して進めていきたいと思います。まず西田からいきます。最近先生の本を読み返してみまして、とくにヴァイツゼッカーの「ゲシュタルトクライス」Gestaltkreis 概念は、先生の〈あいだ〉論とかタイミング論と密接に繋がるとおもうのですが、それはさっきの話だと〈境界〉の話ですよね。ようするに〈境界〉が生じることと、主体性ができあがることとがパラレルになっている。境界の外に引きずられるのではないし、内に籠もるのでもない。その境界性の議論が、空間的にも時間的にも非常に大切なんだろうと思います。ゲシュタルトクライスとしての、生命の主体の議論というのは、まさにかたちが危機に陥りつつ形成されるということで、こうした内と外との界面的現象そのものですよね。
そこで思うのは、ひとつには西田幾多郎が「絶対無」を論じたあとで、ある種の個体論を展開し始めている場面との類似性です。いわゆる「非連続の連続」の議論です。そこで西田は、内即外とか、内包即外延だとか、相異なる二つのものが、即というかたちで結びつくロジックを構想する。あれはある種の境界的な〈あいだ〉というのを考えているのではないかと。それは、ヴァイツゼッカー的な議論や、先生の生命論的差異とダイレクトに繋がる部分ではないかと思います。
それに加えて、西田の生命論との連関でいうならば、まさに「行為的直観」「自覚」「場所」「無」というかたちでどんどんと進行してきた思考のトポロジーを、西田自身がどこでひっくり返すのかという話だとおもうんですよ。ここまで、西田当人が、内包的な存在論を、いわばベルクソン的な質的存在論としてどんどん垂直に深化させていったのに対し、この場面では、そうしてとり出された「無底」としての「絶対無」は、いわば水平的な次元にまでせり上げられて、「水平」にたたみ込まれていくとおもうんですよね。個体や個物の話が、西田の議論で前面に出てくるのは、まさにここからですよね。それが「非連続の連続」ということなんでしょうけど。
「「自己限定」という言い方があるでしょう。かなり初期からありますよね。無の自己限定あるいは永遠の自己限定としての現在というような。あれは個物を出してくるひとつの仕方ではないかと思いますね。」
――それは「自覚」論において(『自覚における直観と反省』)、いわゆる微分の議論をもちだしてきて、新カント派の論じる生産点というかたちで議論を展開していくことですよね。前にも触れましたが、そこは大きなポイントだと思いますね。そうした西田の議論というのは、まさにドゥルーズと重なっていて、内包的なものと描かれるヴィルチュエルな存在が、アクチュエルなものになっていく構図をどう描くかということです。それが「自覚」としての「自己限定」ですよね。それは、ドゥルーズやベルクソンとの連関を語りうるという意味でも、重要な部分だと思います。
しかし問題は、やっぱり「絶対無」以降の西田になると、語り方が一面でがらっとかわる。その前の段階の西田だと、ヴィルチュエルな存在があって、それがアクチュエルになるという一方向的な仕方でしかものが考えられていなかったし、思考を深化させていくのは、ひたすらヴィルチュエルなものへと入っていくことであったと思います。
「どの場合ですか?」
――とくに西田の「自覚」論の場合です。だけど西田後期の議論になると、そうした方向性が、いわば双方向的になる。まさに内包と外延とが、あるいはヴィルチュエルなものとアクチュエルなものとが、即というかたちで、境界面を形成しながら結びついてしまうということだと思います。
「即というのがつくと、ちょうどメルロ・ポンティのキアスム(*)みたいに、必ず表と裏の両方向を言うでしょ。伝統的には、色即是空・空即是色とか、生即死・死即生とか。裏が言えなければ即は使えないわけですね。」
* メルロ・ポンティが晩年の『見えるものと見えないもの』(滝浦静雄・木田元訳、みすず書房、1989年)などで展開した概念。身体概念を肉として書き換え、他者や世界との相互反転性をこの言葉で表現している。
――方向性が一方向から双方向になって、双方向の揺らぎみたいなものにおいてしか、主体や個体、あるいは身体の問題性は語れないと、西田の議論はそうなっているのではないかと思うんですよ。その議論は、生命論的差異というときに、それがハイデガー的なモデルを下敷きにしながらもそこから抜けだしていく場合での、ひとつのポイントではないかなと。とくに後期西田ということについてですが。
「西田は境界ということを主題的に語っていますか?」
――境界とは言っていませんが、それはまさに個物のことですよね。でも個物というのは、さっき先生が死即生とおっしゃいましたけど、まさに他者と私とが反転し、死と生とが反転する矛盾の統一という場面ですから、個物論は境界論だと見るのが正しいのではと思います。身体や行為というテーマも、もちろん有機的な運動性としての身体ということは、すでにそれ以前の西田においてもさまざまに述べられていますが、リアルな実践体としての身体が語られるのは、わりあい後になってからですよね。どうして身体が主題化されるべきだったのかといえば、やっぱりそこで、一方的にヴィルチュエルなものを垂直的に深めていくことで存在論を構想することでは立ち行かなくなって、結局ヴィルチュエルなものとアクチュエルなものが反転していく、双方向的なプロセスですよね、それを見ないと現実は見いだせないという。
「あまりそこを意識して西田を読まなかったものだから、おっしゃっていることにうまく対応できませんが、それは非常に面白いと思います。私は差異を動きのなかで見ていこうとしているわけですが、それを双方向的に見ればどうなるか、これはよく考えてみます。
それと、境界というのは昔からやはり気になっていたことなんです。境界の不思議さということは何かで書いたことがある。時間的な境界で言うと、たとえば大晦日から新年になる一瞬。カウントダウンなんていう騒ぎも、それが一種神秘的な特異点だからですね。空間的な境界でいうと、僕らの子どもの頃は、部屋の敷居や畳のへりは踏んではいけないと教えられました。境界という場所には、何か呪術的な不思議な力があるという感じがあります。だから私も以前から、境界のことは非常に気にしていました。境界としての個物ということに重ねていうと、人と人との〈あいだ〉の付き合いも、結局は境界の問題で、私がその人との境界である〈あいだ〉を生きていた親しい人が死んだとしても、この境界自体は絶対に死なないわけで、私にとって境界が残っている以上、境界というかたちでその人がいるというのと同じことですね。単にふつうの意味でその人が記憶の中に生きているというのとは違って。私にとっての誰かというのは、私とそのだれかとの境界のことだと思います。
即の論理というか即非の論理が、どういう場合に成立するかというのは、たいへん面白いですね。即でもってキアスムをつくれるものとつくれないものがある。たとえば生即死・死即生は完全に言えるわけですけど、男即女・女即男というのはいえない。これはどうしていえないのか考えてみますと、男と女というのは相対的な対立でしょ。生即死・死即生の場合でも、死と生を個体の生と個体の死という意味で考えたら、これは即では結べないんです。私が生きているということと、私が死ぬということは、相対的な反対だから即では結べない。一即多・多即一、これはいえるわけです。しかし、二即三・三即二なんてことはいえない。即で結べない差異と、結べる差異とがある。西田が絶対矛盾的自己同一と言って「絶対」という形容をつけたのは、その意味でしょうね。「相対矛盾的自己同一」なんてものはありえないんですよ。」
――二と三だと、数学的に言えば、まさに自然数化されたひとつの平面の上での二つのものだから、相対的な違いに過ぎないということですかね。ところが内と外というのは絶対的に違う。あえて絶対的に違うもの自身の「きわ」に居てしまうという意味において、主体とか個物とかが発生してしまうという議論、それがまさに西田の絶対の矛盾というものですね。
「それは大変なことだと思うんです。たとえば個物ということが出てくると、それに対して、これは田辺との関係もあるとは思いますが、西田の場合、かならず種ということが出てくる。今西進化論のなかにそれが引き継がれるんだけど、個と種というのは、即で結べるか結べないか。生物学で普通に個体と種という場合だと、この二つは即で結べないでしょうね。今西が「個は種であり種は個である」(*)という、即で結んだこの言い方は普通は思いつかない。そんな言い方ができるような個と種は、普通の生物学的な意味での個と種というのとはレヴェルが違う。絶対に違ったものでありながら、どこか通底しているところがなければいけないんです。」
* 『今西錦司全集』一巻、講談社、1974年、123頁
――いま田辺の批判の話が出てきたので、そちらの方にも話を広げてみます。おそらく西田が行為的直観の個物という概念を出してきた背景には、例の田辺の西田批判というのが結構強く効いているのではないかとおもうんですよ。
田辺の批判(ここでは「西田先生の教を仰ぐ」(*)という、代表的な西田批判を考えます)というのは、簡単にいえば、「絶対無」は体験不可能な無の境域で、そこに接する方法論もないのだから、哲学的には使えない話だということだとおもうんですよ。それはある意味では、ヴィルチュアリテの深みである、差異そのものの世界に降りていく存在論の構想が可能なのかという問いを含んでいるとおもうんですよね。生の直接性など体験できるのかと。そうすると、現実には私の身体があり、社会的文化的な秩序もありというときに、潜在的なものの直接性という場面は、どう捉えられるのか、それをあたかもそのまま掴まえるように言うのはおかしいではないかと、こういうことだとおもうんですよ。
* 『田邊元全集』四巻、筑摩書房、1963年
田辺はそこで、種だとか国家だとか、何らかの媒体装置みたいなものを考えることによってしか、そうした内包的な存在が〈ある〉ということは言表できないのではないか、だから西田の、ダイレクトに絶対無の直接性を示してしまう議論ではダメなのではないかと、そう考えたと思うんです。「絶対無」の西田は、無底の底へとどんどん降りていくけど、そんなこと本当にあるのかということを指摘したと思うんです。
ところがそれに対して、西田はかなり鋭敏な反応を示しているんです。そこでさっきいったような境界の場面が語り出されると思います。つまり、深みに降りていくことだけで見いだされる内包性のヴィルチュエルではなく、アクチュアリテと相互に交錯する場面ですね。そうした双方向的な運動によって、個物を語っていかなければならないということで、一面では田辺の議論をとり入れている部分がある。
「譲歩はしていないと思いますけど。」
――そうですね。譲歩はしていないですね。西田はそこでも、媒介者を実在と考える田辺のあり方を、あくまで否定し続ける。
田辺では、境界が一面では実体化されるという議論になってしまうと思うんですよね。言語にせよ、種にせよ、国家にせよ、媒介者が実在するということに定位すべきであるという田辺の立場に対して、西田はあくまでも揺れ動く境界が重要であって、そこで種を語るときも、揺れ動きのなかでの生成という位相から捉えるべきだという。そこには、出来上がった種を語っているだけではないかという、西田の側からの田辺への当てこすりがありますよね(『無の自覚的限定』の冒頭など)。この対立は、先ほど議論された、解釈学的に哲学を語る立場と、ある種のダイレクトな生成の直観を論じなければならないという立場との、最終的な対立点として残ってしまうのではないかと思います。
「そうかもしれませんね。でも僕はあまり田辺を知らないし。全集は持っていて、読もうとしたんだけど、読んでみても西田のときのように引きずりこまれないんです。やっぱり論理の勝った人だからでしょうか。」
――生命の論理を考えるんじゃなくて、論理が生成するところを考えたいんだと。そう西だが語っているのはまさに田辺に対する皮肉ですよね。できあがった論理について考えるんじゃなくて、自分は論理ができあがるというその現場について考えたいんだと。
「まったくそうだと思います。」
――それは合理と非合理というものが混ざり合ってしまう、まさに境界の議論ですよね。
「田辺の存在というのは、ある意味で西田を触発して、いまお話ししている後期西田のいろいろな思想を引っ張り出したという点で、たいへん大きかったと思うんです。田辺がいなかったら、ひょっとしたら出てこなかったような西田の思想というものもある。」
――いまのお話を、さらに生命という主題で続けていくと、個体と集団というか、個体と群れに関する議論になりますよね。群れのなかにいる私と、私があくまでも群れから浮き上がってくるという、その両面をもたなければいけないということでしょうか。これはまさに、個と種との双方を、生成のあり方で捉える境界的な議論そのものではないかと思うのですが。
「僕が集団的主体性と言ったとき、それはもちろん今西の種の主体性ともどっかでつながるんだけど、それは全体主義の思想だとかファシズムの思想になるとかいう人がいるわけです。今西についてもそう言われるわけだし、当然そうもいえるでしょう。しかし、さっきの西田と田辺の話とつながるんだけど、それはまったく見当はずれなんですけどね。それは個と集団をどのレヴェルで捉えるか、さっき言ったような、即で結べるレヴェルで捉えるか、それとも即で結べない、ノエマ的なレヴェルで捉えるか、ということと関係があるんだけど。普通の全体主義では、即で結べないような個別主体と集団主体の相対的な関係になるわけです。即で結べるような個と全体ということではなくてね。」
(注…以下、「個が種を生む」までは引用者による挿入部分))ここで論じられている「即」というのは、人類学などで言う「融即(participation)」、すなわち神話的な思考に通ずるようなことではないでしょうか。もしも集団的主体性において一即多、内即外の融合が成り立つとすれば、それは「絶対」などということではなく、個々のビオスがゾーエーに参入して一体となる、「祭り」の出来事ではないかとも思われます。それはサルトルの言う〈溶融状態にある集団(融合集団)〉un groupe en fusion 、パリ・コミューンにおいて見られた民衆の一体性のようなものではないかと思われます。それは現象的には全体主義的な体制を支える民衆の運動にも見られるものであって、「階級闘争」という史観以前の問題ではないでしょうか。木村は「即で結べないような個別主体と集団主体の相対的な関係」が「全体主義」であると言います。しかしそれは強権による独裁的支配がなくては維持不可能な体制であり、それだけでは全体主義は成り立たないでしょう。政治的な立場には関わりなく、ある危機的な状況において特定の目標が人々を強力に方向づけ、それが共有されることによって一体感が醸成され強められるということは、歴史においてしばしば目撃されてきたことです。「即」で結ばれた全体主義こそ、「全体主義」の名に値するのではないでしょうか。ただし通常の生活においては「生命論的差異」(潜在的普遍と顕在的個別の差異)はなかなか気づかれません。ただ西田のような思想家の研鑽を俟って、平常底の事柄として論理的にそれを摘出することができるのでしょう。その思想が戦時中青年たちの心を捉えたのは、人間の生死の問題を真正面から見据えたものだったからでしょう。ここで「生命論」は危険な水域に突入しているように思われます。しかしそれは単に生命論という「思想」の危険性を示すものではなく、人間という「存在者」の危険性を示すものでもあるでしょう。
なお、木村は「相対矛盾的自己同一」などありえないと言います。しかし矛盾的自己同一ということを、自我同一性(私的自己)と役割同一性(公的自己)との分裂における同一性の危機の問題として理解するならば、それは誰のうちにもある「相対的な」問題です。その矛盾的自己同一の問題を「絶対的に」解決することなど、人間にはできない相談です。矛盾的自己同一、contradictory identityということは人間の現実的な生を特徴づけるものであって、その解決は与えられた条件の中で「相対的に」獲得されるべきものです。宗教は絶対的な解決を与えるべきものと思念されてきました。しかしそれは当事者にとっての「絶対性」であって、他の人にとっては別の解決が絶対的とみなされるでしょう。
なお田辺の西田批判に触れて、永井均『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』(NHK出版、2006年)の第三章の該当部分を引用してみます。田辺が「論理の勝った人」であるとはどういうことであるかを理解するのに役立ちます。
〈2 田辺元の西田批判
種の論理と場所の論理
『一般者の自覚的体系』が一月に出版された1930年(昭和5年)の5月、田辺元の西田批判「西田先生の教を仰ぐ」が発表された。田辺元は、西田を中心として形成されたいわゆる京都学派の若手の中心人物であった(京都学派についての注記、引用省略)。
ウィトゲンシュタインを確信犯と評した意味では、田辺元もじつは確信犯である。田辺は、概念による媒介を経ない直接的なものの存在をいっさい認めない。それは、ウィトゲンシュタインでいえば、あの「E」が意味のある記号であることはありえないということにあたる。概念によって媒介されない直接的なもの、生/ナマの事実は、それ自体で直接的には存在することはできず、ただ媒介の否定を通じて、間接的に存在を認められる。たとえば「言語では表現できないこと」は、そう言語で表現できることによって、ただそのことによってのみ、意味を持つことができる、というわけである。
ヘーゲルの論理学は、個―種―類という組が繰り返し適用されることによって展開していく。ここで田辺が重視する媒介的な位置を占めるのは、もちろん真ん中の「種」である。だから、西田哲学が場所の論理であるのに対して、田辺哲学は種の論理であるといわれる。田辺によれば、個や類を直接的に捉えることはできない。個は種を前提にして(何らかの種の一例として)しか捉えられないし、類はその類をそれ以外のものから区別する場所が想定できない限り、把握のしようがない。したがって、田辺哲学においては、種の水準においてしか有意味な判断を構成することができない、ということになる。
「これはこれである」という個の「これ性」の水準だけでは、判断になんの内容もない。が、しかし、逆の極端である「これは物である」という水準にも、やはり内容がない。それが「何であるか」(何性=本質)は、これではわからないからである。「西田幾多郎は西田幾多郎である」と言っても、何も言ったことにならないが、かといって、「西田幾多郎は人間である」と言ってみても、何か付け加えたことにはならない。これだけでは、彼がどのような種類の人間で、どのような人間性を持って生きているかはわからないからだ。(「あれはきわめて物らしい物だな」といわれても、どんな物だかさっぱりわからないのと同様、「あの人はすごく人間的な(人間っぽい)人だよ」と言われても、どういう人なのか、ちっともわからないだろう。)
これだけの紹介でも、田辺哲学が西田哲学に対するある種のリアクションによって成り立っていることは明白だろう。しかし、田辺の場合、この抽象的な論理思想が直接的に社会思想的含意を持つことになる。すなわち、個は個人を意味し、類は人類を意味するのに対して、種は国家あるいは民族を意味する。「西田幾多郎は西田幾多郎である」や「西田幾多郎は人間である」ではなく「西田幾多郎は日本人である」という判断こそが、「西田幾多郎」をはじめて有意味に本質的に規定し、西田自身にとってもそれだけが有意味な「自覚」たりうるというわけである。田辺によれば、個が類としての人類に貢献できるのは、ただ種である国への献身を媒介にしてのみであり、個は種を否定的な媒介にしてのみ、その特殊性を普遍性へと開くことができるのである。
田辺に反して、種が国家や民族でなければならない理由はない。「西田幾多郎」の例でいえば、「西田幾多郎は日本人である」ではなく、「西田幾多郎は哲学者である」でも、じゅうぶん媒介的役割を果たしうるだろう。しかし、そう考えれば、田辺のこの認識自体には確かに聞くべきところがあることがわかる。人がどのような種に属しているかということが、その人の何たるかを定め、そして、それへの献身を通じて、人は類への貢献もできるというわけである。ここからわかることは、田辺哲学が西田哲学より通俗的な意味で倫理的であることである。
「西田先生の教を仰ぐ」
田辺の批判論文「西田先生の教を仰ぐ」のポイントは、次の引用文に要約されている。
西田先生が自覚を以て意識の本質とせられ、而うして自覚とは自己が自己のうちに自己を限定することであるが、斯かる自覚の真義は自己を無にして自己を観るに至って完成すると考え、自己を失うことが却て真に自己を得る所以であり、無にして観る自己の本然に還ることが自己を愛する所以にして、自愛すなわち自己の存在なることを説かれた深き教説は、先生の独自なる体験を披瀝せられたものとして、私はただその比類稀なる高遠深邃/シンスイの思想を仰ぐばかりである。併しながら哲学は果して斯かる宗教的自覚を体系化することが出来るものであろうか。(『KAWADE道の手帳 西田幾多郎』河出書房新社、148−149ページ。この論文の引用は、現在最も入手しやすいこの本からおこなうことにする。)
田辺は、西田の哲学を彼の「独自なる体験」から得られた「宗教的自覚」の体系化であると見なしている。西田の間近にいてその著作を熟読していたであろう田辺の解釈に反して、私にはどうしてもそうは思えない。逆にいえば、ここで「独自なる体験」から得られた「宗教的自覚」だとされているものが、「独自なる体験」を欠き「宗教的自覚」を持たない者にとっては無縁な世界だとは思えない。いや、それはむしろ実は知っているはずの、あまりにも卑近なことを語っている、としか思えないのだ。自覚の真義が自己を無にして自己を観るに至って完成すること、あるいは、自己を失うことによってのみ真に自己を得られること、これらは「比類稀なる高遠深邃の思想」というよりはむしろ、概念的探求の鋤が打ち込めないほど、あまりにも単純で卑近な事実を指し示そうとしているように思う。なぜなら、自己がもし単なる有(存在者)であったら、どうして自己を自己として捉えることができようか。それは種々なる性質を持つ一つの物(ただの一人の人間)になってしまうではないか。
「私は何か?」という問いに対する田辺の答えは、「それは私が実際に何であるかによる」というものになるだろう。田辺の答がそうであることは、それでかまわない。だが、そういう観点から西田の哲学を批判できると思うなら、それは西田哲学の肝をまったく理解していない批判だと言わざるをえない。(*)
* とはいえ、これは田辺が大天才(超弩級の哲学的な化け物)ではないというだけのことであって、彼の見解はあくまでも通常の知性にふさわしくきちんと整備された立派なものではある。たとえば、「これは何か?」という問いに対する田辺の答えは、「それはそれが実際に何であるかによる」というものになるだろうが、この答えに反対する――「これはまさにこれでしかないので、どんなに種による限定を重ねても到達不可能だ」と言い張る――ことは、本文で述べたような議論を経た後でなければ、常識的にはただ馬鹿げているだけだろう。
西田と田辺の対立の意味
西田の「場所」という考え方に対する田辺の批判は以下のようなものである。
――場所は、自発的に自己を限定するのではなく、われわれが限定することによってはじめて場所として現れる。たしかに、われわれにとって先のものが本質上は後であり、われわれに対して後となるものが本質上は先であるという意味では、場所は限定によって場所として現れながらも本質上は限定に先立つ、ということはありうる。しかし、そのとき限定に先立つといわれるのは単に場所の実存(それが「ある」ということ)であって、場所の本質(それが「何である」か)ではない。本質(何であるか)に関しては、場所は限定によってはじめて場所になる。しかし、場所が場所自身を限定する自覚の哲学が問題にしているのは、単に場所があること(場所の実存)ではなく、その場所がどのような場所であるか(場所の本質)であるはずだ。そのようなものを、限定に先立って想定することはできない。これに対して、西田哲学の場所は有の場所ではなく無の場所なので、実存の外に本質はなく、実存それ自体がそのまま本質なのだ、といわれるかもしれない。宗教的自覚においてはそのような最後の一般者が現前するかもしれない。そういう場合には、
柳緑花紅/リュウリョクカコウの特殊なるノエマに即して絶対無の我が躍動し、これが特殊のノエマを包みて一切を我に化するのであろう。(前掲書149ページ)
しかし、このとき体験される最後の一般者は禅の悟りのような場合にだけ体験されるまったく特殊なものであって、哲学的議論が要求するようなものではない。
以上が、西田の場所の哲学に対する田辺の批判である。引用文中の「柳緑花紅」とは、柳は緑で花は紅であるように、物が自然のままであることを意味し、「ノエマ」とは意識の対象を意味する。したがって、「柳緑花紅の特殊なるノエマ」とは、一切の人工的な加工が取り払われて、ただ与えられたあるがままの経験そのもの、を意味する。同じことは、別の箇所では「全く自己が無くなるが故に一切の有が自己なる如き境地」(前掲書151ページ)とも言い換えられている。ここで、西田哲学は、第二章(57ページ)で使った表現で言うなら、提起されたはずの問題そのものはすでに解決ずみとされたうえで、何か特殊な境地のようなものが語られているかのように理解されてしまっている。
だが、そうではない。宗教的な「境地」などとは何の関係もない、「私は日本人である」「私は哲学者である」といった単純な「自覚」が成り立つためにも、すでに前提されなければならないこと――すなわち、私は主体ではなく場所であり、しかも絶対無の場所であること――こそが西田の問題なのである。
だから、西田と田辺がきれいに対立していると思うなら、それは誤認である。そうではなく、西田の側は田辺の言わんとすることがよく分かる――はじめから分かっている――のに対して、田辺の側は西田の言わんとすることがそもそも分かっていない。これは、田辺が間違っているということではない。田辺は正しいのだ。それどころか、西田の言わんとするところを(言わずに)実行しているのは田辺の方だとさえいえる。だが、そうであることを、田辺はおそらく知らない。(いや、ひょっとすると、知っていたのかもしれない。もしそうだとすれば、悟りの境地にあったのはむしろ田辺のほうである。しかし、たとえそうだとしても、この議論の土俵はどこまでも西田の側にある。)
おそらく、西田は田辺の論文を読んで、落胆したであろう。こいつは本当は何も分かっていない! そして同時に、困ったな、と思ったであろう。田辺の側は、西田先生が自分の批判に答えてくれないことを不思議に思ったであろう。西田が困った理由は、この論文に答えることは不可能だからである。答えたとしても、字面の意味をすべて田辺的に解釈されてしまえば、結局同じことである。同じ言葉を使って議論をしても、西田はつねにそのとき通じているその言語の成立の手前で考えているのに対し、田辺はすでに立派に通用している言語の上に立って、そこからあらゆるものごとを考えている――そしてその「あらゆるものごと」のなかにはこのことも含まれる――からだ。(*)
* ここでも田辺の見解は通常の知性にふさわしいものである。彼は、西田の「無の場所」はどこまでも無規定で、それが「何であるか」はついに語りえないはずだと言う。もちろん、西田の側からすれば、これは話が逆である(すべてはその「無の場所」から始まるのだから)。問題は、西田のそのような哲学を西田現象学と呼ぶとすれば、西田現象学は西田論理学によって捉えられているか、という点に関係している。たとえば、超越的述語面に向かうあのような論理学的議論は無の場所に向かう現象学的議論と本当に相即的だろうか。私は、実はそうではないと思う。以下の議論は、そのことに関係している。
3 存在する私への死
私と汝は絶対に他なるものである
田辺の論文は二つの点で西田に影響を与えたと見ることができる。一つは、西田の「場所の哲学」が「一切に対する諦観」を帰結するという批判である。私自身は、それの何がいけないのかわからないが、西田はそうは考えなかった(もともとそうは考えていなかった)。『働くものから見るものへ』を書いた西田だが、後期の西田は、場所の哲学を、「働く」と「見る」の区別がない、それらが一体である方向へ発展させた。後期の「行為的直観」をめぐる議論は、『善の研究』の「知即行」以来の西田哲学の本来の姿に戻ったともいえ、興味深いものではあるが、その辺りの事情については、残念ながら、本書で論じることはできない。
もう一つは、「場所は自発的に自己を限定するものではない」という批判である。西田哲学においては、個物は無である場所の自己限定によって成立することになっている。しかし、どうしてそんなことがありえようか。無である場所が、どうして自ら自己限定などをすることができようか。田辺にはそれが理解できなかった。われわれは第二章でこの問いにある程度は答えたつもりではあるが、あれではまだ不十分なのだ。
西田は、「私と汝」という論文で、少なくとも個人(あるいは「人物」とか「人格」とか訳される英語でいうperson)の成立に関する限り、この問いに正面から答えたとみなすことができる。そして、そのことを通じてしか、個物――客観的個物――の成立について語ることはできないのである。
西田の答えは、ある意味(いわば田辺的意味)では、場所は自発的に自己を限定するわけではないということであり、別の意味(いわば西田的意味)では、だからこそやはり、場所は自発的に自己を限定するということであった。決定的なのは、他者(汝)の存在である。(後略)〉
ここで永井からの引用を終え、本題に戻ります。対談は8章の後半の「個が種を生む」という部分に入ります。
個が種を生む
――重要なのは、絶対矛盾みたいなものが、即で結びえないものを結んでしまうことによって現出するということですよね。だから集団の主体性はファシズムではないかと言ってしまう立場というのは、逆にいえば相対的な矛盾の議論をしているにすぎない。繋ぐ双方が危機に陥って、何かが生じてくるような生成の絶対性は、そこでは視界に収められていない。種と個体、全体と個物というのは、実際には双方向的なプロセスであって、どっちがどっちを決定しているか、そもそもがよく分からないわけですよね。リアルポリティックスに通じる意味でも。
「どういえばそこをうまく言えるのか、僕もまだうまく言えないで困っているんですけどね。
昔から西洋にも、個と普遍、あるいは特殊と一般の関係についての議論がありますよね。ベルクソンやドゥルーズもそこを問題にしますよね。西田には、個のなかに普遍を見るという考え方がある。普通は、普遍が個を含むわけなんだけど、個が普遍を含むというわけですね。個が普遍を含むという立場が成立しうるとしたら、これは普遍が個を含むという分かりやすい話とは水準がすっかり違う。」
――でもそれだけだと、ある種のライプニッツ主義と言われてしまって……。
「そういうことになるのかなあ。でもモナドということともちょっと違うんです。たとえば松の木というものを知るために、世界中の一本一本の松を全部調べなければいけないなんてことはないわけで、あるいは相当数の松を調べなければいけないということもないわけで、松を知ろうとすれば、じっと一本の松を見つめていればそれで松のことは分かるという、そういう考え方はありうると思うんです。
われわれは臨床の医者でしょ。分裂病でも鬱病でもいいんですが、ある患者さんを知るために、非常に多数の患者さんのことを普遍的、一般的に知った上で、その普遍の一個別例としてある一人の患者を見るという立場、それが科学の立場でしょうね。最近のエビデンス・ベースト・メディスン evidence based medicine というのはその立場で、個別例についても多数例の統計でしかものを言わない。しかし僕とか、現象学的、人間学的と呼ばれる精神医学のやっているのは、じつはひとりの人とつきあうわけですよ。それでその人のなかに、何か普遍的なものを見ようとするわけですね。だいたいビンスヴァンガーがそうだし、ブランケンブルクもそうだし、私もそうなんだけど、分裂病なら分裂病について普遍的に成り立つことを議論するのに、一人の症例だけでものをいおうとするわけですね。そんなことは科学的な精神医学では許されません。科学的な精神医学では、多数例の統計をとらなければ一般的なことはいえない。ひとりの患者に深く沈潜ことから何かをいおうとする立場は、やっぱり個別と普遍のあいだに、科学とは違う関係を見ているのだと思うんです。それを僕は西田から学んだんじゃないかという気がします。」
――それはまさに西田的な実践という感じがします。
「だからいまの個別的な主体性と、種の主体性、集団の主体性という話でも、これは西田よりもむしろ今西だと思うんだけど、個のなかに種があるということですよね。普通だとそうは言わないわけでしょう。種のなかに個があるわけですから。だからもちろん物理的にはというか、レアリテの次元では、私は個として生きているわけなんだけれども、個としての主体性を生きているわけなんだけども、そのなかに含まれたかたちで、種の主体性、あるいは集団の主体性をも生きているということを言っていいんじゃないか。これは前に合奏を持ちだして言った、自己と非自己との垂直の〈あいだ〉という問題とも重なってきます。」
――あえていえばリゾーム rhizome (*)とか、それに近いと思いますよ。
* ドゥルーズ後期に、ガダリとの共著において用いられる概念。ツリー状のヒエラルキー装置に対して、他種多様の接続されるネットワークを指し示している。『千のプラトー』宇野邦一他訳、河出書房新社、1994年参照
「そういったことと近いのかな。」
――リゾームも、それが垂直的な内包の備えている横断性を織り込んで、そうした動的展開において把握すればいまだ使える概念だと思います。リゾームを、たんに様々な触手が伸びるネットワークだと考えてしまうと、何か話が平板であんまり面白くはならなくて。あれはだから、ヴィルチュアリテとアクチュアリテが相互交錯しているという意味で、まさに集団と個との双方向そのもののことですよね。横断性というのも、たんに横に繋がりましょうなんていう、異領域を繋げばそれでいいやという乱暴な話ではなくて、むしろ個の中を探っていくと、突然他なるものがそこにたたみ込まれていて、それが無限に発動されてしまうことに驚くとか、そういう方向で考えないと生かされない。それはむしろ数学とか、生物学とか、そういう実例で語りうるものでしょうけれど。
だけどリゾームの議論に触発されている一般的なネットワーク論は、だいたいは相対的な水準でのネットワークの論議でしかないわけですよね。リゾームというのは、ヴィルチュアリテとアクチュアリテ、個と集団、生と死といった、絶対的な差異を反転させるような働きがあって、それが内側から外に繋がっていくようなネットワークとして描けてこそ、はじめて使えるのではないかと思います。これは現在的なネットワーク論を論じるときにも、根幹になることだと思いますけどね。
「それを言語化してというか、理論化してうまく言うことはできませんが、感覚としては僕もそのように思っています。個別というのはそういうものだろうと。つまり生命というものが地球上に何十億年か前に発生して以来、なぜか不思議なことに生命というのは個体に分かれて、多くの個体を生んできたわけですよね。何故かというのはいえないのですけど。生命は個々の個体としてしか生きていないし、個々の個体としてしか死なない。」
――それもまた重要な論点ですね(笑)。個体以外は、生命はどこにも実在してないわけですからね。種という問題を考えても、マルクスでよく言われますが、馬「そのもの」というのはどこにあるわけでもない。個別があるだけなんですが、個別があるということにおいて、種だとか普遍だとかが、やはり存在させられている。
「ただ、さっきのヴァイツゼッカーの話で、無数の個体が生れて死ぬ、それの繰り返しが何十億年か続いているけど、その場合、生命それ自身みたいなものが、抽象的な一般概念ではないかたちで、実際に活動していると考えるわけですね。だから僕らが一個の個体として生まれてくるというのは、生命の自己限定として、生命それ自身から生まれてくる。たまたまいまここにいる私の物理的な身体としての、生命それ自身の自己限定が起こって、何十年かそれが存続して、そこでまたその自己限定が解除されるというか、再び生命それ自身に戻っていく。個体の生死というのはそういうものだと思うんです。いまの論題とは関係ないんだけど、フロイトは死の欲動を考えたとき、そこのところまでは考えなかったというか、個体が生まれてくる前の無機物の世界に戻るというかたちで、個別化の解除、限定の解除のところだけを死として捉えています。
でも個体が死んでいく先から、また別の個体が生まれてくるわけで、それがまたそこに向かって死んでいく。それが生命それ自身、ゾーエーというものだろうと思っているわけですけどね。前にも言ったように、ビオスは個別化され限定された生命で、それ以前あるいはそれ以後の、つまりビオスがそこから限定されてきて、またそこへ向かって限定を解除されるような、そんな生命のことを、ギリシア人はゾーエーと呼んだんだと思っているんですが、このゾーエーのレヴェルでいうと、個別も何もないわけです。」
――逆にそこでドゥルーズの話に繋がっていくかもしれないですが、ゾーエーはすごく唯物的なものですよね。この唯物性というのは、まさに生み出す唯物性なわけで、この点が鍵になると思いますね。生命を論じるときには、自己生成する物質であるという、ある種の唯物性に戻っていかなければならないという側面があって、おそらくドゥルーズは、ドゥルーズなりにタナトスの議論をとり入れながらそこを強調している。
さっきのタナトス論を、反復論として引きつけていえば、タナトスは自分が生まれる前の反復だという驚くべきことまでフロイトでは言われるわけですよね。そこでのタナトスと反復というのは、いわば未生の反復です。決して生の反復もないわけではなくて、生の反復としてエロスがあるわけですが、タナトスの反復というのは、生まれるよりももっと前の、父母未生の反復ですよね。それはまさにゾーエーの話ですし、ある意味で産出機械であり続けなければならないわれわれの個体としての生や、その唯物的な身体性の本質がどこにあるのかの、重要な部分に届いている。
「僕はそう思います。僕らが何十年か生きているというのは、自分の生命を生きているんじゃないんだというところがある。言ってみれば、かりそめのビオスとして、ゾーエーを生きているところがあると思うんです。個別的なビオスのアクチュエルな生が、ヴィルチュエルなゾーエーによって生きられているというのか。」
(注…以下、この章の終わりまで)ゾーエーを「潜勢態」、ビオスを「現勢態」として理解してよければ、二人の議論は基本的なところでアリストテレス的な世界観に接近していると見ることも可能です。アリストテレスはデュナミス(可能態)とエネルゲイア(現実態)という一対の概念によって生成を説明したからです(なお「ヒロ・モルフィズム」の項参照)。その説明には確かに唯物的な側面があります。しかしそこを離れてはいかなる現実的な議論も成り立たないのではないでしょうか。それは物象化的唯物論(物象化的錯視)ではなく、事象をゾーエー(潜勢態)の側から根本的に把握するための「唯物論」であると言ってよいでしょう。
なお、先に引用したところで、永井均は西田哲学に触れて、「自覚の真義が自己を無にして自己を観るに至って完成すること、あるいは、自己を失うことによってのみ真に自己を得られること、これらは「比類稀なる高遠深邃の思想」というよりはむしろ、概念的探求の鋤が打ち込めないほど、あまりにも単純で卑近な事実を指し示そうとしているように思う」と述べています。従来、キリスト教の側から、西田はキリスト教をよく勉強していたから、その思想がキリスト教的なのだという見方がされてきました。しかし、それはあくまでもキリスト教中心的な見方であって、むしろキリスト教も生命の現象を反映している限りで普遍的であり、すべての人に理解される側面があると言うべきことなのではないでしょうか。「自己を失うことによってのみ真に自己を得られること(「自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう」マタイ10:39)、これらは……概念的探求の鋤が打ち込めないほど、あまりにも単純で卑近な事実」なのではないでしょうか。
二人の対談は、このあと「アクチュアリテとヴィルチュアリテ」という最後の論題に移ります。
木村敏・檜垣立哉『生命と現実 木村敏との対話』(河出書房新社、2006年) その5
九 アクチュアリテとヴィルチュアリテ
タイミングと偶然――「思われる」こととしてのコギト
――さっき伺い損なったのはタイミング論です。境界の内と外というお話を、時間的な場面において考えると、タイミングというのが重要になりますよね。
個体がヴィルチュエルなものとアクチュエルなものという双方向的な交錯において生じるというのを、まさに発生状態という時間性のあり方のなかで捉えていくとどうなるのか。先生が重視されておられるのは、コミュニケーションが可能になるような場面、つまりは他人に話しかけるような場面ですよね。そうしたかたちで、何かの行為をするというのは、まさにタイミングの問題なんじゃないかとも思うんです。タイミングが巧く繋げれば何かが生まれる。私という主体もまた、タイミングのとり方によって、境界としてのあり方がはっきりしてくる。
西田から考えられるタイミングの議論と重なるのは、九鬼周造の偶然論ですよね。あれはいわば「賭け」の問題でもありますよね。賽の一振りのようなものとして、あいだの非定型を、定型化していくような部分がある。そうした賭けだとか偶然だとかの議論は、集団が個体になり、個体が集団になるという構造を分析するときに、欠かし得ないものではないかと思います。こういった、タイミングや偶然性の話ということでいかがでしょうか。
先生のタイミング論は、具体的には、やっぱり話しかけるタイミングが掴めないとか、何をやっても時機を逸しているような気がするとか?
「そうです。分裂病の患者が語ってくれた、自分の父親にタイミングで負けているという話です。だれかにタイミングで負けているということは、その人との〈あいだ〉を居場所として現にそこに〈いる〉という意味での存在、その存在で負けているということだと思うんです。日本語化されたタイミングという言い方が使われるのは、あくまでも相手のある場面です。相撲でも野球でも合奏で音を合わせる場面でも、いつも相手があります。自分ひとりだけの場面では、タイミングなどということはおそらく言わない。
タイミングという言葉自体は和製英語ですよね。英和辞典を引いてみても、そんな意味は書いてありません。向こうの人もグッド・タイミングなんていうことは言うんだろうけれど、どうも感じが違う。いってみれば時計の上での時間が予想とうまくぴったりあったという、ちょうど駅に着いたところへ電車がきたという、そういうのがグッド・タイミングなのでしょう。野球でピッチャーとバッターがタイミングをはずし合うとか、合奏でタイミングを合わせるとか、ああいう言葉の使い方は日本人が発明したんじゃないでしょうか。いわゆる純粋な日本語で言えば「間/ま」ということになるんでしょうね。
武満徹さんと対談(*)をしたことがあって、私の著作集のいちばん最後のところに入れておきましたが、武満さんとすっかり意見が一致したのは、普通に間というと、ある音が鳴ったあと、しばらく沈黙の時間が流れて次の音が鳴る、そのインターヴァルをいうことが多いんだけど、ほんとうの間というのはそんなものじゃないという点でした。音そのもののなかに間があるんだと武満さんは言われる。私もまったくそうだと思います。だからタイミングは、時間のなかでどこか空間化された、インターヴァル的なものではないということです。ある存在の、もちろん〈ある〉よりも〈いる〉という意味での存在ですが、その存在そのもののなかにあるような時間性。どこかに書きましたけど、ベルクソンの持続(デュレ)という用語は、空間化されていない純粋な時間を表す言葉としては、まだなんとなく不十分だと思うんです。持続には幅がある、日本語で持続と訳すからそう感じるのかもしれませんが、続いているという半ば空間的な語感があって、むしろ和製英語のタイミングの方が、純粋な時間を表すのにはいいんじゃないかと思っているくらいです。
* 「間――人間存在の核心」(武満徹との対談)『木村敏著作集』八巻、弘文堂、2001年
これに連関して、またちょっと話がずれるかもしれませんが、さっき〈ある〉と〈いる〉の話をしましたよね。これもやはり論文(*)に書いたことなんだけど、ある分裂病の患者さんが、自分の存在を徹底的に〈ある〉の観点で捉えようとするわけです。かなり知能の高い患者さんでしたが、その人は自分の存在は「確率論的」なものだと言うのです。確率論的な問題だとすると、ここに何かがあるということも偶然だということになる。ところが、自分が生きて〈いる〉というあり方だと、偶然は偶然でも、ある意味必然的な偶然になる。偶然にしても、コンタンジャンス contingence という言い方がありますよね。」
* 木村敏「偶然性の精神病理」『木村敏著作集』七巻、弘文堂、2001年
――九鬼の議論(*)だと、原始偶然という話がありますね。まさに私がいるのかいないか、それそのものを決している偶然みたいなものですよね。それは、私という個が、生命なのに私であってしまう偶然性というか。
* 九鬼周造『偶然性の問題』(『九鬼周造全集』二巻、岩波書店、1980年)
「コンタンジャンスという言葉は、フランス語で言うと、やはり偶然を表すアザール hazard という言葉がありますが、それとはちょっと違うと思うんです。コンタンジャンスには接触という含意があるわけでしょう。」
――原義は、ともに触れるということですかね。それは系列の交錯として示される偶然性ということなのでしょうか。
そうすると、九鬼の話とも繋がりますね。因果系列として辿れるのだけど、普段は交錯しない二つの系列が重なってしまうという偶然のあり方を九鬼は論じています。そこでは何か奇妙な感じがする。そうしてあることは、因果を説明すると必然なんだけど、それがどこかで折り重なってしまうことは、やっぱり偶然的な格率としてしか捉えられないと。
「触れ合いなんです。だからコンタンジャンスという偶然は、どこかで必然を含んでいる。タイミングというのは、そっちの偶然じゃないかという気がします。そういう意味でも、タイミングというのは非常におもしろい言葉だと思います。」
――たとえば先ほどの話だと、集団的な主体性みたいなものがあって、個である私といったものがある。それが個として浮かび上がって戻ってくるプロセスがあるわけなんですけど、どうやって個が個として自らを浮かび上がらせて、つまりある全体の流れのなかに自分を含ませつつ、その局面でたち振る舞うべきかを選択せざるをえないということだと思うんです。個体が成立するということは。
ドゥルーズは『プルーストとシーニュ』のなかで、こうした議論をしていますね。ある娘達の集団のなかで、特定の顔をもった人が恋人になるという。それは誰かが特異な存在として浮き上がってきるけれども、それはものすごくタイミング的なものですよね。
「僕は、それは完全に三人称的に見てしまえば単なる偶然でしかないと思うんです。たまたま私が生まれてきたという確率論的な問題だと思うんです。しかしいったん私という主体が成立した以上、そこで生命が個としてそれを自覚した以上、これはもはや単なる偶然ではすまない。もちろんハイデガー的にいえば投げられて〈ある〉被投性なんだけど、その投げられてしまって〈いる〉というところを、どこか自分の責任として引き受けて〈いる〉ところがある。こうなると〈ある〉から〈いる〉に変わる。私として生きて〈いる〉ということになるんです。そこではじめて、タイミングということばも生きてくるんじゃないかな。」
――そうですね。そうした〈ある〉から〈いる〉への移行において、まさに生命論的差異の問題が際だってくるのかもしれないですね。
そうした生命論的差異の問題に関して、ドゥルーズとアンリというところに移りたいと思います。
〈注)偶然と必然の問題については、私が「範疇論」の項で、実然性(必然性・偶然性)、蓋然性(決定性・可能性)について述べたことを参照して下さい。「私として生きて〈いる〉」ということを、範疇論として私は「実然性」(すなわち〈いる〉を含意する実在性)として捉えています。「判断論」の問題としては、「信念(依拠)」と「言明(推定)」のレベルを区別することが重要になります。〈いる〉ということは「信念(依拠)」に関わる事柄です。多くの人が「離人症」に罹らないですんでいるのは、「信念(依拠)」があるためです。生を生きて〈いる〉という感覚が「信念(依拠)」であると言えます。あるいはそれは自分が生かされて〈いる〉という感覚であるとも言えます。それは宗教的信仰以前の問題であって、誰にもあるはずのものです。
ドゥルーズとアンリ
「ドゥルーズだって、そんなに読んでいるわけじゃないですよ。僕はどうしてドゥルーズを読み始めたんだろう。」
――やはりベルクソン論からでしょうか?
「最初にもお話しした通り、ミンコフスキーや西田を経由して、若いときからベルクソンに対する一種の親近感があったことは確かです。学生時代、分からないながら『物質と記憶』を読んで、おもしろいと思っていた。それでドゥルーズの『ベルクソンの哲学』という本の日本語訳が出て、それからかな。ずいぶん前の話ですけど、翻訳を読んでもちっとも分からなくて、これは原書を読まなくちゃあいけないと思いました。それで当時勤めていた名古屋市立大学で、若い医局員の諸君と哲学の原書講読をやっていたものですから、この本をテクストにしようということになったんです。フランス語で読んでみたところ、相変わらず難しいんだけれど、大変おもしろかった。それで、彼がもうすこし前に書いた「差異について」という論文も読みました。」
――あれはほんとに論旨が凝縮されている文章ですよね。しかもすごく若いときのドゥルーズなので、それだけを読んでも、何が言われているのか把握するのは難しいのではないでしょうか。
「さっきちょっと話に出た、時間と空間の差異は一方的に時間がぜんぶ引き受けているなんていうのは、たしかそこで読んだんじゃないかな。これはおもしろいと思ったんだけど。
ところが、その後出たガダリとの本はぜんぜん歯が立たなかった。というか、読み始めてはみたんだけど、続けて読もうという気が起きなかった。ちょうど反精神医学の時代になって、われわれの同僚のあいだでも『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』などの話題は出ていましたけど、食指は動かなかった。最近になって、これは檜垣さんのご本を拝見したからということも大きいんですけど、ドゥルーズをやっぱりきちんと読まなければという気になって、『差異と反復』を、やはり原書でたいへん苦労しながら(笑)読みました。ぜんぶきちんと読み切ったとはいえないんだけど。アクチュアリテとヴィルチュアリテの議論を自分なりになんとか責任をもった言い方にしなければいけないなと思ったので、あの本を読み出したんだけど、まだ何かを言えるほどきちんとは読めていません。
――ベルクソン論から『差異と反復』までは、ある意味でオーソドックスな哲学者としてのドゥルーズですね。生の哲学の延長上に思考を形成していって、まあ『意味の論理学』はセリーで形成されているにせよ、記述そのものは実に体系的です。
先生がいまおっしゃったように、ガダリが入ってくるころから、思考的な実践としていろいろなことをやり始めると、やはりスタイルの違いというのがでてきてしまう。先生は、ベルクソンの立場から、ドゥルーズの読解に入ったというところがありますよね。ガダリが入ってくる後期は、とりわけベルクソン的な枠組みから抜けていく側面を展開する部分があります。生命論的にいえば、ベルクソン的な一者と言いますか、そうした目的論的なテロスとして生命を語ってしまうことから、どう脱け出すのかが問題になる。それで機械だなんて言い方もする。ドゥルーズは、そうした一者に収斂するような存在論は拒絶して、それは西田後期もそうなのですが、そこから離接化された差異の空間をいかに描くのか、一者に統合されない存在の分散をどう言明していくのか、それを問題にする。そこの理解が難しいんですけど。そこでドゥルーズが援用するのがアルトーという人で。まあ一種の分裂病のイマージュですけどね。
「反精神病患者ですかね(笑)。」
――ベルクソン的な一者としての存在論から離れるという文脈で、アルトーが利用されていくのですが。ドゥルーズだと、アルトーの「器官なき身体」と、それにともなう機械概念が、『意味の論理学』を経ながら、後期のスタイルへと向かっていく中心になっていきます。
「アルトーのことはまったく知らないし、ドゥルーズのアルトーに関する言説も知らないのですが、ドゥルーズはアルトーについてどう言っているんですか?」
――アルトーについての語り方もいろいろあるので、一言でいうのは難しいんですが。
ひとつは『差異と反復』と、それと重なっている時期の『意味の論理学』がありますね。『差異と反復』は、簡単にいえばヴィルチュエルなものの存在論と、それがアクチュエルに展開されていく個体化の議論を扱っているものです。『意味の論理学』になると、若干あり方が変わってきて、『差異と反復』の個体化論は表層的な静的な発生の議論と限定され、それに対し、さらに深部の身体から発生を論じなければならないと。そこでアルトーや、分裂的な身体というのがテーマ化されます。ただ、この構図が『差異と反復』にはないかというとそうではなく、『差異と反復』でも、理念(イデー)から何かが発生してくることの根幹に、深部からまさに思考を強要するものとして、アルトー的な身体がテーマになっています。
これは江川隆男さんという研究者がよく主張されていることですが、ある側面のドゥルーズは、ヴィルチュエルなもののアクチュエル化という論脈が強い。ところが、それでは非常に限定された議論にしかなっていなくて、動的発生や出来事そのものを論じるときには、むしろアクチュエルなもののヴィルチュエル化も含んだ、まさに双方向的な働きが重要だと、そこはドゥルーズがある種のベルクソン主義から逃れていく部分が大事なのだと説明されています。後期になると、ヴィルチュエル・アクチュエルの相互反転が、まさにリゾームの内実として語られることになる。そこで記述のスタイルとしても崩れるので、ある意味で読みにくくなる部分はありますね。
「それは本としては何ですか?」
――『千のプラトー』ですかね。『アンチ・オイディプス』はコード化・超コード化・脱コード化という、ある種の存在論的世界史概念論みたいな話ですから。
そこでは、ヴィルチュエルなものの個体化という、西田的な微分の自覚論で説明できる発生の議論は消滅していく。そうした個体化的発生の図式をなくして、ある意味で生産一元論というか、まさにすべてを「器官なき身体」のもつ平滑的な力の空間のヴァリエーションで押さえようというのが後期への展開ですかね。
それは、さっきリゾームという言葉がでましたが、リゾームというのは、西田的な術後でいえば、まさに形から形へということだと思います。「形なきものの形」の段階では、まだヴィルチュエルからアクチュエルへ、という議論ですよね。だけど西田の個物の議論だと、「形から形」という仕方で、いつも形をもちながら動的に横断していくことがすべてなんだと思います。発生の話を押さえた上で、形があるということ自身がすべてを含みこんでいて、生成の連鎖を成していくことになる。それは、リゾームにきわめて近いイマージュではないでしょうか。
「私自身で言うと、自己というときに、ノエシス的自己とノエマ的自己という言い方を前から使っていたわけですけど、いってみればノエシス的自己というのは、それだけだとそれを自己だということはできないものなのですよ。それこそヴィルチュエルなもの、無名のものですから。ノエマ的自己という形のあるものができあがって、そこではじめて所属不明で無規定なノエシスが、ノエシス的な自己とか自我とかいえるものになるわけでしょ。にもかかわらず、どうして僕らはノエマ的自己とは違ったノエシス的自己という感覚をもてているのか。
僕はこれは、ノエマ的自己からのノエシスの逆限定だと思っているんです。生成としてはノエシス的自己がノエマ的自己を生むのだろうけど、自己身体という媒体を経由してノエマ的自己像ができあがって、個別化されて、ある意味でアイデンティファイされて、そこではじめて自己という働き、私という働きがノエシス的に感じられるようになる。それまで無名であったノエシスがノエシス的自己という形をとる。ノエマ的自己の側からの逆限定によってね。私はずっとそう思っているんだけど、逆運動の往復みたいな。それと関係があるのかな。」
――境界的なプロセスとしての自己とは、まさにそういうことだと思うんですよね。ヴィルチュアリテ―アクチュアリテの交錯というのは、先ほどの個のなかに普遍を見るという場合でもそうですが、言葉を変えれば、アクチュアリゼされた個体のなかからヴィルチュアリテが見えてきてしまう。つぎつぎと反転していくということになりますよね。
そこのところを言葉として表現するには、まさに精神医学とか生命科学とかいった、主体性や生命をテーマとせざるをえない科学を考えて、そこに実質的な図式を付与することが必要になりますよね。ドゥルーズも、そういう方向でやっていて、まあ成功しているかどうかは難しいですが、問題はそういうことだし、それは重要なことだと思います。
「ドゥルーズのいうヴィルチュアリテでちょっと気になっているのは、ヴィルチュアリテという言葉は、潜在的という意味以外に、「虚」という意味があるじゃないですか。鏡の像はヴァーチャル・イメージでしょ。虚像。このごろしょっちゅう耳にするヴァーチャル・リアリティ、仮想現実のヴァーチャルも虚ですよね。ドゥルーズはヴィルチュエルをその意味でも使っているでしょ。英語では潜在や潜勢をいうためにはポテンシャルという言葉を使うことが多くって、英語でヴァーチャルというと、だいたい虚とか仮想とかの意味ですね。同じ言葉でもフランス語やドイツ語では、潜在と虚との両方の意味が出てくる。僕がアクチュエルと対にして使うヴィルチュエルは、いうまでもなく潜在とか潜勢とかの意味です。そのつもりでドゥルーズを読んでいたら虚の意味も出てくるものだから、ちょっと面食らったりしたことがあるんです。
たとえばベルクソンの有名な「経験の決定的な曲がり角の向こう側」について論じているところ、あそこにヴィルチュアリテという言葉が出てくるんだけど、あれは潜在的という意味ではどうやらなくて、虚像の意味だろうと思うんです。」
――『物質と記憶』の第四章に出てくる「経験の曲がり角」というのは、差異化=微分化の議論の先に想定されるものですよね。経験である差異化に対して、「曲がり角」の向こう側は、差異化されたものが逆にアンテグラシオン、つまり積分化されなければならないことになる。差異化=微分と、統合=積分ですよね。
そうして積分されたものは、経験の向こう側の存在のイマージュになる。それは決して経験できない。でも経験できないものを、断片化された微分的な生から統合させなければならない。でも経験的に確証できないから、それはある意味では徹底して虚ですよね。というか、真偽という規準を明示できる場面を超えている。あくまでも虚としてイマージュ化されなければならない領域です。『シネマ』のドゥルーズは、映像論・情報論のレヴェルでこうしたことを考えている。
「だとするとそれは、潜勢的なものが現勢化される、ヴィルチュエルなものがアクチュアリゼされるという議論には乗っからない話ですよね。」
――その向こう側を、全体として捉えて語るためにはどうすればいいのか、それが生命論的な存在論の課題ではないだろうかと、そうなってきます。『シネマ』で出てくる偽物の力、虚の力というのは、もともとはニーチェの文脈なんですけれども、結局ヴィルチュエルなもののあり方をもちあげるというのは、こういう話になりますよね。虚なるものがつねに力をもっていて、力というのはその場面でしか語られないんだと。
「僕自身、虚としてのヴィルチュアリテについても考えなければいけないとは思っているんですが、まだ十分に考えていないんです。僕がヴィルチュアリテというときには、アクチュアリテの前段階というか、流れの方向で上流、下流という言い方をすれば上流になるんだけれど、根底からわき上がってくる生成のイメージで捉えれば、アクチュアリテがヴィルチュアリテに下半身を浸しているという言い方になるんですね。いずれにしても、アクチュアリテとヴィルチュアリテを一続きのものとして考えているものですから。どうしてアクチュアリテの上流、上手であるヴィルチュアリテが、仮想とか虚の意味をおびてくるのか、考えなければいけないとずっと思っているんですけどね。」
――結局ヴィルチュエルなものをアクチュエルな言葉で語ろうとすれば、必ず贋物の言葉にならざるをえない。贋物の言葉を積み重ねることによってしか、それは捉えられない。それは遂行的なパラドックスみたいなものだし、それこそ絶対矛盾の統一、矛盾を引き受けつつ偽装的に同一化してみせるといったような、そうしたものを考えないといけないのではと思います。
世界を捉えようとするとパラドックスに直面するというのは本質的なことですから。こうした事情を生きるというのは、まさに倫理的な問題だと思いますね。ごまかしてはいけないし、生命技術・情報技術・グローバル社会といった、ヴィルチュエルなものの存在論に支えられた社会は、こうした側面から言葉を与えられないともうどうしようもない。ある種の絶対的な揺れのなかにある言葉というのを考えなければならないと思います。
最後に、ミシェル・アンリのお話を伺いたいんですが。アンリにはじめに関心を持たれたのは? 長井真理さんとの議論の関わりでしょうか。コギトの自明性の議論ですよね。
「それは、直接は関係ないんです。彼女はアンリを引用していませんしね。アンリのことを意識していたかどうか分からないんだけど、たまたまアンリが注目したのと同じデカルトの言葉を引いて最後の論文を書いたわけです。ヴィデーレ・ヴィデオール videre videor、つまり「見ていると思われる」ことこそコギトなんだという言葉ですね。彼女は非常に勘のいい人でしたから、ほかの人があまり気づかないようなところをとりだしてくる。僕はその前に偶然この『精神分析の系譜』(*)というアンリの本は読んでいて、僕自身この箇所に非常に注目していました。ひょっとするとその当時、長井さんにその話をしたかもしれない。しかしまだ翻訳が出ていなかったときのことで、彼女がアンリの議論を参照して書いたとは思えないんです。」
* M.アンリ『精神分析の系譜』山形頼洋ほか訳、法政大学出版局、1993年(原書、1985年刊)
――それはアンリが大阪大学に来たときに講義したもので、阪大の山形頼洋先生(現在は同志社大学)に献呈されていますよね。
「その前にスイスで国際精神療法学会というのに招かれて、招待講演をしたことがあるんです(ローザンヌ、1988年)。精神療法の学会ですから言葉の話をしました。日本語だと〈ことば〉は〈ことのは〉、〈こと〉の端ということですから、〈こと〉の説明をしなければならない。そのときはドイツ語で話したんですが、〈もの〉のほうはいいとして、〈こと〉は向こうの言葉では絶対に表現できないでしょう。ひどく苦労しながら、なんとか〈こと〉の説明をしたんです。そうしたら、聴衆のなかにいたロルフ・キューンという若い哲学者、アンリをドイツ語に訳したりしている人ですが、その人が講演の後で僕のところへ来て、「あなたの考えはアンリとよく似ている」というんですね。それで気になって、読まなければいけないなと思って。
そこからパリにまわって本屋に行ったら、アンリの本がたくさんあった。彼の文章は読みやすくないないですよね(笑)。小説家でもあるんでしょ。文章に凝っていますからね。苦労して読んだんです。しかしはじめの方の、デカルトのコギトがvideor、つまり「……と思われる」Il me semble que ….だという話は、僕にとっては目からうろこが落ちる感じだったのです。日本だと、「我思うゆえに我あり」の「思う」というのは、「考える」という意味でとられているんじゃないですか。いまでもそうとっている人が大部分だと思うんですが、実はそうではなくて、「思われる」という意味の「思う」、言いかえれば感覚するということだということが分かって。」
――表象的な事態である何かを見る、ということに対して、「見ていると思われる」というもっと内面的な事態があって、それが表象に還元できない、ある絶対的な直接接触だという解釈ですよね。何々を志向的に見ていることに対して、見ているとおもっているという、情感的な内在的接触がなければ、見ているという事態は存在論的に基礎付けられないということだと思います。
「それがとても新鮮で、それ以降アンリのファンになったんです。かといって、他の本は実はあまり読んでないんですけど(笑)。とくに自己触発 autoaffection というところは大変面白いし、たとえばサンチマン sentiment つまり感情とか感覚とかの名詞を使わないで、サンティール sentir つまり感じるという動詞で語るでしょ。「感じることがそれ自身を感じること」se sentir du sentir というように。フランス語とドイツ語は、動詞の原形を名詞的に使える言葉ですよね。さっきも言ったように、ドイツ語では「ある」sein とか「生きる」leben とかの動詞を大文字で書いて、名詞的に使っているわけだけど。フランス語でもそれができる。これはまさに、〈もの〉ではない〈こと〉のありかたを言っているわけですね。
つまり〈もの〉だったら、机というものも、部屋というものも全部名詞なんです。〈こと〉のほうは、座っているということ、話しているということ、寒いということ、全部そこに動詞や助動詞が入るわけですよね。「机ということ」などというのは言えないわけです。それは非常に重要なことだと思うんです。名詞的ではなくて動詞的なものの捉えかたですね。英語ではそれはできない。英語では動詞を名詞的に使って〈こと〉を表すという語りかたは絶対にできない。ing をつけて動名詞にすれば似てくるかもしれないけど、それでもやっぱり違う。たとえばハイデガーを訳すとき、「あること」Sein は being ですが、これと区別するためには「あるもの」Seiendes のほうは beings と複数にしなくてはいけなくなって、変なことになります。」
――アンリは、メーヌ・ド・ビランという、西田もよく引用するフランスの十八世紀の哲学者を大変重視していて、ビランはですね、j’agis=我動くというのを、私の自己性が存在することを述べるための重要なテーマにするんですね。我思うというよりも、我動く。行為として動くものとしての私がいる、と。アンリは、そうしたビランの思考をかなり継承している部分があって、まあメーヌ・ド・ビラン自身は素朴な経験論的な心理学者でしかないとも言えるのですが、アンリはハイデガー的な存在論の洗練を経た上で、それを行為する自己の存在論に読み直そうとしますよね。アンリは、表象化されえない、内面の領域を自己触発の情感性として際だたせていくのですが、それは行為的な自己を可能にする原受動的な領域です。
こうした、行為としての自己を支えるものは何かという議論は、西田とよく似ている。この身体がある、ということは単に「絵がある」とかそういうことではなくて、対象に向かって身体を動かせることが大切だと。で、そうした動きが可能になるためには、そうした自己を支える、非表象的なものが問題化されるのだと思います。
「それは重要だと思うし、西田の行為の立場とまったく重なると思いますね。」
――デカルト解釈も面白いんですけど、おそらく背景としてはメーヌ・ド・ビラン的な行為の主体性という問題が一貫してあって、そこをどう継いでいくかということですね。
「そのこともまったく知らなくて申し訳ないんだけど。僕がアンリを引いたのはあの部分だけですから、もっとたくさん読まなければいけないんだけど。
ただ、いま動詞と言いましたよね。よく西田の立場を、アリストテレスの主語の論理に対して、述語の論理とか述語の立場と言いますよね。僕はむしろ、名詞的な論理に対して動詞的な論理という方が適切ではないかと思うんです。動詞といってももちろん助動詞や形容動詞も全部含めてですけど。「動詞」というのは、ドイツ語では Zeitwort、つまり時間語と言うんです。これも大変おもしろいです。英語の verb やフランス語の verbe という言葉には、時間の意味は入っていないと思います。ドイツ語ではZeitwort で、やっぱり時間だよなという気がします。動詞と行為と時間の問題というのは、たいへん重要な問題だと思います。」
――そうですね。行為と時間、時制と言語の問題は、結局こうした行為・生命論的哲学を構想しなければならないときに、大問題なのでしょうね。
ただ、アンリに対して少し留保しておくと、アンリは自己触発で示される絶対的な受動性において大文字の生命 Vie を見いだすんですよね。それは晩年になると、まさにキリストが無媒介に私に触れるというお話になってしまう。生命としての働きの議論が、テオロジー(神学)的なものに、まったく重なってしまう。ドゥルーズも生命=Vie という言い方をするのですが、そちらの方は、まったくの唯物論ですよね。神の影もない。
「それは『アンチ・オイディプス』の頃のことですか?」
――いつということは難しいんですが。基本的に超越という審級を排除する内在の思考ですから、まあずっとだと思いますが……。
「だけどベルクソンに乗っかっていたときはそんなに唯物論的でもない。」
――ベルクソンに乗っかっていた頃はそんなに唯物論的ではないですが、でもやはり『シネマ』の時期になると、『物質と記憶』の第一章、純粋知覚のイマージュ論を大変評価していて、むしろ『物質と記憶』の課題をスピリチュエル(精神的)ではなく、マテリエル(唯物論的)に突き抜けていくことが重要だとか書いていきますね。それは、先ほどのドゥルーズにおけるベルクソンの乗り越えの議論と関わりますが。潜在的な一者を回避して生命の哲学を語るというテーマだと思います。
「『シネマ』がそうですか。」
――そうですね。
生命を描くことを考えると、一方ではミシェル・アンリみたいに大文字の Vie というのがあって、これは最終的には完全にスピリチュエルなものになりますよね。それは、生命をまったく唯物論的に処理して、生成を考えようとするドゥルーズと、同様に生命を論じながらもズレる。
アンリも一面では、非常に強くハイデガーを批判しますね。ハイデガーは脱自的なものでしか時間を考えていないが、あれは地平性の現象学にしか過ぎないのだと。アンリ自身は地平の内側に徹底した内在の領域、言い換えれば身体の力そのものをとりだしたい。それは力の存在論ですから、まさにドゥルーズと議論の一面での重なりはあって、さらにいえばそれは西田にも通じているのですが。でもそこで、ドゥルーズのように唯物論的な力でいくのか、アンリのように最終的に精神性の領域を再び考え直すのか、それが問題になってしまう部分はありますね。
「アンリのコギト論のところでのハイデガー批判は、非常によく整理されている。」
――あれはハイデガーが『ニーチェ』講義で、デカルトはたんなる表象 Vor-stellung の形而上学だと述べていることに対して、まったく逆だと批判する。
「あれは非常に説得力がありましたね。」
――だから結局はハイデガーの方が表象に囚われているんだと。そうとしてしかテクストを読めない、西洋的伝統のなかにいるんだということですよね。
「たしかにそうだと思うんです。僕もずいぶんハイデガーを勉強しましたが、結局表象の思考なんだなと思いましたけどね。」
――そうした表象の思考を逃れていくところまではいいんですが、そこから先の生命論的展開に関して、アンリ的なスピリチュエルな方向と、ドゥルーズのあくまでも唯物的に物質である生を信頼するという方向と、そのはざまみたいなところでどう語っていけばいいのか。そこに全体の議論も集約されるのでしょうか。
いずれにせよ、先生の生命論的差異の議論が切り開かれた、新たな差異の思考と生命の思考を、従来の形而上学的な枠組みを超えたものとしてさらに引き継いでいくことが重要だと思います。ドゥルーズやアンリの問題系は、いまだ問いとして立てられているだけという部分があって、それは今後の技術や社会や情報の論脈のなかできちんと考え直していかなければならない。木村先生の精神医学と自己性についての議論も、こうした展開のなかで、さまざまな現代の原理的思考と絡みながら、ひとつの大きな指標として働くものだと思います。
長い時間お話を伺わせて頂きまして、どうもありがとうございました。
(注…最後まで)ドゥルーズとアンリというフランスの哲学者を論じて、大文字の「生命」が問題なのだと確認したところで、二人の対話は終わります。ここで指摘されている、ドゥルーズのマテリエルな方向での議論と、アンリのスピリチュエルな方向での議論とは、現代哲学においても依然として重要な問題であり続けているのだということは、大変面白いと思います。檜垣は「そのはざまみたいなところでどう語っていけばいいのか。そこに全体の議論も集約される」と言います。どうやら語りうることの「向こう側」に真実の問題が潜んでいるようです。生命論が、虚実(ヴィルチュエル=アクチュエル)の議論、すなわち「空即是色、色即是空」の議論に関わっているというのも面白いところです。檜垣はまた「それは今後の技術や社会や情報の論脈のなかできちんと考え直していかなければならない」とも言います。原理的思考はそれに留まることなく、現代の現実的な諸問題と密接に関わっているということでしょう。
檜垣は次のようにも述べています、「結局ヴィルチュエルなものをアクチュエルな言葉で語ろうとすれば、必ず贋物の言葉にならざるをえない。贋物の言葉を積み重ねることによってしか、それは捉えられない。それは遂行的なパラドックスみたいなものだし、それこそ絶対矛盾の統一、矛盾を引き受けつつ偽装的に同一化してみせるといったような、そうしたものを考えないといけないのではと思います。(改行)世界を捉えようとするとパラドックスに直面するというのは本質的なことですから。こうした事情を生きるというのは、まさに倫理的な問題だと思いますね。ごまかしてはいけないし、生命技術・情報技術・グローバル社会といった、ヴィルチュエルなものの存在論に支えられた社会は、こうした側面から言葉を与えられないともうどうしようもない。ある種の絶対的な揺れのなかにある言葉というのを考えなければならないと思います」。そのような事態は、宗教改革のときに、あのルターが直面したことのようにも思われます(「大胆に罪を犯せ」)。しかし現代世界を変革する言葉はまだ見出されていませんし、従って発せられてもいません。下手をすれば、ヒトラーのような「贋物」が再び「力」を獲得することだってありえないことではありません。「小泉」はその前触れのような存在だったのではないでしょうか。我々はそのような危うい状況を生きています。
なお、スピリチュエル(霊的)とマテリエル(質料的)とは絶対的な対立といったものではないでしょう。私としてはスピリチュエルなものを、西野晧三のようにバイオエナジー(生命エネルギー)として考えようとしてきました。それは日本語の「気」に相当します。そこにこそ「力」があるのではないでしょうか。しかしこれも、人間の潜在的な力はどのように発揮されるのかということに関わる、一つの問題提起でしかありません。
\ マイケル・ポラニー『個人的知識 脱批判哲学をめざして』(長尾史郎訳、ハーベスト社、1985年) その1
本書、Personal Knowledge: Towards a Post-Critical Philosophy は1958年にシカゴとロンドンで出版され、その改訂版が1962年、アメリカで出ています。この大分な書物の全体を紹介することは手に余るので、先ず人間の宗教的活動と他の精神的活動とを比較して論じている「棲み込みと脱出」という部分(p.182-189)を取り上げます。訳者の翻訳はかなり「生硬」な感じを与えるので、読みやすいように私の「趣味」で手直しすることにしました。ただし原書を手にしていないので、十分な正確さを期し難い面があります。必要に応じて私のコメントをつけ加えます。
棲み込みと脱出
「有効な分節的枠組みはある理論であっても、数学的発見であっても、あるいはシンフォニーであってもよい。それが何であろうと、それはその内部に棲み込む(dwell in)ことによって利用されるのであり、この棲み込み(indwelling)は自覚的に経験しうるものなのである。天文学的観測は天文学理論への棲み込みによってなされ、この天文学の内部的享受こそが天文学者をして星辰に興味を抱かせるところのものなのである。これが科学的価値の内部からの観想の仕方である。しかし、この歓びの意識は、天文学の定式が型にはまった仕方で利用されるようになると薄らいでしまう。天文学者は、天文学の理論的ヴィジョンを省察し、あるいはその知的な力を自覚的に経験しているそのときにのみ、天文学を観想しているのだと言えるのである。数学についても同様である。一方における退屈な演習の実行と、他方における孤独な発見者の発見的ヴィジョン――この二つの間に数学の主たる領域が樹立されるのであり、数学者はその偉大さの観想の中に自分を失うことによって、自覚的にこれを熟慮するのである。科学と数学の真の理解は、それらの観想的経験の能力を含み、これらの科学の教授は、この能力の生徒への分与を目標としなければならない。音楽と劇場空間の知的観想への誘導という課題もまた同じく、個人をして芸術作品に対して自己投与することを得さしめるのを狙いとしている。これは作品を観察することでも論ずることでもなく、その中に住むことである。かくて、外部世界の知的制御を獲得することの満足は、自分自身に対する制御を獲得する満足と繋がっているのである」。
分節知(articulate knowledge)と暗黙知(tacit knowing)というポラニー独自の用語法については前に少し取り上げたことがあります。簡単に言えば言葉ではっきり表現できる知識と、よくわかっていても言葉で表現しにくい知のことなのですが、ポラニーはここで「分節的枠組み」というものを、人間の知的精神的活動全般に押し広げて考えようとしています。理論や楽曲や戯曲など、人間の精神世界にある形をとって存在しているものに、ポラニーは「分節的枠組み」を見出しています。そしてそれらが人間にとって意味を持つようになるのは、人がその中に「棲み込む」ことによってであるという、これもポラニー独自の言葉が出てきます。人がそれに自己投与(コミット)しない限り、それらは、いつまでも疎遠なものに留まり続けるということでしょう。
「この相対する満足への衝動は執拗である。だがこれは自己破壊の諸局面によって作動する。経験を自分のためになるように取り扱うための枠組みの構築は幼時に始まり、科学者において頂点に達する。この努力は時として、これまで受容されていた構造、ないしその一部を破壊して、代わりにいっそう厳格で包握的なものを確立することによって作動しなければならない。科学的発見は、そうした枠組みの一つからそれに後続するものへと導くものであり、一過的であるにせよ、強力な発見的ヴィジョンの瞬間において、訓練された思考の限界を打ち破るのである。そして、このように脱出(break out)しつつ、心は、その瞬間、その内容を直接に経験しているのであり、前もって確立された解釈の仕方を使用することによる制御は停止され、――そして自分自身の情熱的活動に圧倒されてしまうのである」。
ここには破壊と創造のプロセスが語られています。そのプロセスは科学のように明確ではなくても、誰もが自分の精神的成長につれて経験しているものです。なお包握という言葉もポラニーの用語の一つで、comprehensionのことです。理解するということは、何事かを包括する(含み込む)ことであるという英語の語義から来る訳語です。日本語でも把握という言葉は、単に手に掴むことではなく、何かを理解し、会得することとしても使われます。なおホワイトヘッドの抱握(prehension)とは直接の関係はなさそうです。
「新たな問題を考え、その解決を求めつつ、新たな道を拓きたいという科学者の衝動は、人間の心に本質的な休みなさを示しているのであり、それこそが、自分がそれ以前に達成し得た満足を幾度でも疑問視させる当のものである。これは原初的には動物の水準にまで辿ることができるものである。確かに、問題状況によって活動へと励起された動物は、この状況に適合し、それ以上の知的努力を不要にするような新たな習慣を確立する傾向があるというのは本当だが、高等動物にあっては、この一般的な傾向は時として遊び心により中断され凌駕される。遊んでいる動物は興奮を求め、また遊び心を持つ年齢を過ぎても、活動は興奮を求める。人間はこの緊張の欲望を色々な形で発達させる。人間は、成人したあとも引き続き生活を通じて遊ぶ数少ない動物の一つである。人はまた冒険を求めて常に外に出かけ、また冒険談を楽しむ。われわれはみな狡猾さの離れ業やパズル解きを評価し、無数のやり方で、自分が巻き込まれていた――実際の参加か、単に想像上のものかを問わず――緊張の突然の弛緩を楽しむ。現代の巨大娯楽産業は、この欲望の馴染みの諸形式を示しているのだが、敢えて精神的困惑を求める志向もまた人間の自発的独創性の最高の形式に含まれるのである」。
知能が高度に発達した動物である人間は遊びと知的および感覚的興奮を求めます。感覚的刺激も想像力(という知性の働き)によって増幅されなければ、意味をなさないでしょう。科学的探究といえども高度の知的遊戯として見ることも可能です。しかしポラニーは人間のもっと根源的な衝動について語ります。
「すべての概念の固定的枠組みを打ち破りたいというこの衝動は、忘我のヴィジョンという行為によって、最も激越に開示される。われわれが星空の観想に自らを忘れるとき、われわれは天文学的観測とは別の仕方でそれに注目している。そのときわれわれは星を大きな興味をもって注目するが、それについて考えることはない。なぜなら、もし考えてしまったら、星の意識は単なる適切な概念の事例の意識にまで色褪せてしまうからである。そのときには、われわれの興味の焦点は星を越えて移動し、星の意識はこの焦点に対して従属的になり、目と心に対する星の生彩ある衝撃は失われてしまう(*)」。
* (原注、以下同様)頭を横にして風景を見ると色彩の強度が増す。この普通と異なる姿勢によって惹き起こされた意味の喪失が感覚の生彩の増加によって補われているのだ。
このような注がなぜ加えられたのでしょうか。「普通と異なる姿勢」ということによって、おそらく固定観念を脱したあり方が示唆されているのではないかと思われます。
「経験の観察者であり操作者としてのわれわれは、経験によって導かれ、経験を通り過ぎるが、経験をそれ自体として経験することはない。われわれが事物を観察し操作するための概念的枠組みは、われわれ自身とこれらの事物との間のスクリーンとして存在するので、これら事物の視覚や聴覚、匂いや触覚は、生じるにしてもこのスクリーンを通して弱々しく感じられるに過ぎない。このスクリーンはわれわれをそれらの感覚から超然とさせ続けるのだ。観想はこのスクリーンを解消し、経験を通してのわれわれの動きを止めさせて、われわれを直截に経験に注ぎ入れる。――われわれは事物を取り扱うことを止めて、それに浸される。観想には隠された意図も隠された意味もない――その中ではわれわれは事物を扱うことを止めて、自分の経験の内在的な質によって、それ自らのために、我を忘れる。そしてわれわれが観想に自分を失うとき、自分の観想の対象の中に一つの非個人的な生を受け取り、他方、この対象そのものは夢幻的な輝きにおおわれて、それがそれらの対象に新たな生彩ある、しかし夢のような実在性を付与する。それは夢のようである――それは無時間的で、限定的な空間的位置を持たないのだから(*)。それは客観的な実在ではない。なぜならそれは、可触的な事物による将来の確証を予期する知能的知覚の焦点ではなくて、単に、事物が目に提示する様々な形の色彩の斑点に存するだけなのだから。従って、強度な観想の非個人性は、〈個人〉の観想対象への完全な参加に存するのであって、それからの完全な超然性(理想的に客観的な観察ならそうであろうような)には存しないのだ。観想の非個人性は自己放棄であり、それは、観想者の幻視的(visionary)行為、あるいは彼という〈個人〉の沈潜のいずれに言及するかに応じて、自己忘失的(selfless)あるいは自己中心的(egocentric)と記述することができるであろう」。
* オルダス・ハクスレー(『知覚の扉』The Doors of Perception(London, 1954), p.14)はメスカリン(幻覚剤)の影響下での視覚経験について書いている――「……空間への無関心とともに、それよりもっと完全な時間への無関心が生じてきた。」次も参照、――W. Mayer-Gross, ‘Experimental psychoses and other mental abnormalities produced by drugs’ Brit. Med. Journ, 2 (1951), p.317.(『英国医学雑誌』1951年2号)
「宗教的神秘家は、祭儀に助けられた思考の念入りな努力の結果として観想的な交わりを達成する。神――あらゆる物的な現れを超えたもの――の在所に集中することによって神秘家は、彼の知覚力が直面する情景に対して本能的に行使する知的制御を弛めようと努める。彼の凝視はもはやこちらからは各対象を走査/スキャンしようとはせず、彼の心はその個別的要因を同定しようとはしない。彼が普通ならそれを用いて印象を査定する知能的理解の枠組み全体が停止状態に沈み込み、聖なる奇跡として、包握的でない仕方で経験される一世界が露わになる。この過程はキリスト教の神秘主義においてはvia negativa〔否定の道〕として知られているものであり、これを神に至る唯一の完全な道として指示する伝統は偽ディオニシオウス(Pseudo-Dionysius)の『神秘神学(Mystic Theology)』に端を発している。これは、われわれを招いて、一連の「離脱(detachment)」を通じて、全くの無知の中に、神――このあらゆる〈在ること〉とあらゆる知識を超えたもの――との合一を求めるよう勧める(*)」。
* ロスキー(V. Lossky)、『東方教会の神秘神学に関する試論』(仏語表記略)パリ、1944年、p.25。
「キリスト教神秘家による世界との交わりは、救済の方途の一部分である和解を追求する。それは、人間の神の愛への自己放棄であって、神の寛大さと神の在所への参入の許しを得ることを願うものである。via negativaの過激な反知性主義はわれわれの通常の概念的枠組みから脱出して、「幼児の如くなるための」努力を表出するものである。これは「神の愚かさ」への依拠に類縁のもので、後者は、聖アウグスティヌスが羨望をこめて、心の純朴な者には障碍なしだが、学識ある者には通行不能だと語ったあのキリスト教の理解への近道のことである。日毎の活動におけるキリスト教徒の信仰は、まさに、そうした脱出への持続的努力であって、それは神――この愛され得るが観察し得ないもの――への愛と欲望に支えられたものである。神への近接は観察できない――なぜならそれは礼拝者を圧倒し、彼の中に浸透するものだから。観察者は自分が観察する物から比較的に超然としていなければならないものだが、宗教的経験は礼拝者を転換するのである。それは、この点では、正確な観察よりは官能的な放逸に近づいている。神秘家は宗教的法悦をエロスのタームで語り、神ないしキリストとの交わりを花嫁と花婿の合一として描く。豊饒神崇拝のバッカス的酒神祭儀式では宗教と官能的熱狂とが公然と混合している。しかし宗教的法悦は分節的な情熱であって、それが官能的放逸に似ているのは、ただそれによって達成される自己放棄という点においてだけなのである」。
ポラニーは宗教をあくまでも人間の精神的活動のプロセスとして記述しようとしています。それは現代の宗教への関心のあり方を特徴づけるものです。その意味で神秘主義は我々に考察のための好個の材料を提供してくれます。一例として『一神教とは何か 公共哲学からの問い』(大貫隆・金泰昌・黒住真・宮本久雄編、東京大学出版会、2006年)から、宮本久雄の序文(『はじめに』)の最初の部分を引用してみます。
「「一神教とは何か」という問いが、つきつけられてある。その問いに対し本書は、一神教を外側からかつての「厳密な学」風に定義し再構成し叙述して答えようとするのではない。内側からその生きた現実を証し語ろうとする。それではその生きた現実とは何であろうか。「はじめに」にあたって、それを宗教的生命として理解し、その発露をいわゆる神秘主義的経験に求めてみよう。
イスラームにあってスーフィズム最大の神秘家ルーミー(一二七三年歿)は、その経験を先輩ハッラージュ(九二二年歿)に倣って「燈火に飛び込んで燃え死ぬ蛾」の譬えで語る。すなわち、人間理性は蛾のように燈火である神を認識しようとし神の焔に飛び込み自我は無と化されてしまう(『ルーミー語録』談話九)。この神認識の努力を止められずに人間が抱く堪えがたい思慕や焦燥は、美しい乙女を恋う若者の恋情に譬えられている。
君が面影はわが目に浮び
君が名はわが唇に浮び
君が憶いはわが心に浮ぶ。
どこに送ろう、恋の手紙を(談話十一)
続いてルーミーは、「わたしは神だ」というハッラージュの酔語(神秘的陶酔中の発語)を注釈して語る。つまり、「わたしは神だ」という言葉を世人は傲慢不遜の言葉としてハッラージュを処刑してしまったが、実はこれは謙虚さの極みの表現である。世人は「わたしこそ神の僕である」と謙虚をよそおうが、実は神に自分を対立させ自分を有として立てている。ところが「わたしは神」にあっては、逆に自分が全く無化され一切は神であることが証しされている。このような自己の非有の自覚こそ、謙虚さである、と。この自我の消滅経験を経てこそ、人は真の人となって生きることができるわけである。
次にキリスト教神秘家の経験として本書でもとり上げられるスペインの十字架のヨハネ(一六世紀の人)の詩歌を読んでみよう。
どこにお隠れになったのですか?
愛する方よ、わたしをとり残して、嘆くにまかせて…わたしを傷つけておいて。
叫びながらわたしはあなたを追った。 (『霊の賛歌』1)
ここでもやはりルーミーのいう蛾のように神を恋う人間の思慕、不安感、神の不在を感ずる嘆きが窺える。
他方で神の不在感は人間に巣食う罪業による。それゆえ「無(Nada)から全(Todo)への道行き」が人間に求められるわけである。
すべてを味わうに至るには、一切のものに嗜好をとどめてはならない。
すべてを所有するためには、一切の所有を放棄しなければならない。
すべてとなるに至るためには、一切において無きものとされることを望まなければならない。
すべてを知るに至るには、一切知ることの無いように望まなくてはならない。
………
未だ無き所に至りつくためには、無き所を通りすぎてゆかねばならない。 (『カルメル山登攀』)
このような霊魂の無化・「暗夜」こそ、恋人ならぬ神との一致に導く道である。今や神と一致した人間は、その喜びを「暗夜」の比喩的詩に託す。
おお 導いてくれた夜よ!
おお 黎明より愛すべき夜!
おお 愛する者(神)と愛された人を結んでくれた夜
愛された人を愛する者に変容(かえ)ながら……
ヨハネは、神と人間の一致を恋愛・婚姻の一致によって象徴し、象徴するだけでなく恋愛の詩歌こそ一致体験のリズムであり、逆に一致に人の魂を運ぶ宗教的生命のリズムであることを証している。そうした恋愛詩の源泉を辿れば、ユダヤ教の聖典にある「雅歌」(前四〜前三世紀頃成立)に求められるであろう。「雅歌」は男女の相聞歌とも、あるいは祝婚歌ともいわれ、元来世俗的な歌であった。
おとめの歌
恋しい人(若者)は言う。
「恋人よ、美しい女人(ひと)よ
さあ、立って出ておいで。
冬は去り、雨の季節は終った。
花は地に咲きいで、小鳥の歌う時が来た。……」
恋しいあの人はわたしのもの
わたしはあの人のもの
百合の中で群れを飼っている人のもの。 (「雅歌」二章)
ユダヤ教のラビ(教師)たちは、この乙女と若者との関係を、人間あるいはイスラエルと神との関係に見立て、両者を結ぶ力働をやはり情熱に見出したのである。次のように愛が歌い上げられるゆえんである。
愛は死のように強く
熱情は陰府(よみ)のように酷(むご)い。
火花を散らして燃える炎。
大水も愛を消すことはできない。
………
愛を支配しようと 財宝などを差し出せば、その人はさげすまれる。 (「雅歌」八章)
以上のように宗教的生命の発露のうちでも、神秘体験は典型的ともいえ、その体験自体が秘める神への飛翔のリズムは、それ自ら詩的情熱的リズムであり、そのリズムによって人間の心を飛翔にいざなう」(p. @〜D)。
かつて私は井筒俊彦の論文によって、神と自己とを同一視したため、二台の馬車による股裂きの刑によって処刑されたイスラームの神秘家がいたことを知り、イエスの処刑の根本的な理由もそこにあったのではないかと考えてきました。もしもその推測が正しいものであれば、イエスもまた「神秘家」であったということになります。なお宮本がここで述べていることは、多少なりとその方面の知識を持つものであれば「常識」に属することです。しかし、イスラム教とキリスト教とユダヤ教とを並べて論ずるということは、つい先ごろまでの宗教の世界では決して「常識」ではありませんでした。否、今なお、頑なに自分の宗教に固執することが「信心深さ」の証拠であると見なされています。W・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』あたりから、宗教思想界の様子はだいぶ変わってきていると思われますが、宗教の内部に踏み込めば、人間がいったん信じてしまった教義(分節的枠組み)から脱却することが、いかに困難であるかを思い知らされます。ポラニーの言い方を借りて人間がその世界にいったん「棲み込んで」しまったら、そこからなかなか離脱することができないと、言い直すべきかもしれません。しかし「神秘主義」は、その本性からして、離脱の契機を自らのうちに含んでいます。ここでポラニーの論述に戻ります。
「この自己放棄は、礼拝者が宗教儀式の内部に棲み込む程度に比例するのであるが、これは潜在的には考え得る最高度の棲み込みである。というのは、祭儀は言われるべき事柄と行われるべき仕草の一系列を含み、これらの事柄と仕草は全身体を巻き込み、われわれの全存在の注意を喚起するものだからである。これらのことを真剣に礼拝の場で言いかつ行う者は、誰でもそこに必ずや完全に我を忘れるであろう。彼は献身的に宗教生活に参加することになろう」。
礼拝式への参加が、人をその宗教の信者に育てます。それはその宗教に「棲み込む」ことを意味しています。しかし宗教への棲み込みは自己放棄の過程でもあります。
「だがキリスト教の礼拝者の礼拝の儀式への棲み込みは、内在的卓越性の枠組みへのどの棲み込みとも異なるが、それは前者の棲み込みは享受されるものではないということである。罪の告白、神の慈悲への自己放棄、恩寵を求める祈り、神の讃美、これらはいや高まる緊張をもたらす。これらの礼拝行為により、礼拝者は、自分独りの力では手の届かないものと知っていることを達成するという責務を引き受け、それに向けて、いと高きところからの慈悲深き恩寵を祈念しつつ努力するのである。礼拝の儀式は、明確に、この苦悶、自己放棄、希望の状態を活発にし維持するためにデザインされたものである。人あって、万一自分は自らの完成に達し、それを今や幸せに観照できると宣言したとすれば、その瞬間、彼は再び霊の空虚に投げ戻されるのだ」。
ポラニーがここで強調していることは、キリスト者の信仰は、礼拝への参加という行為と不可分であって、しかもそれは、事柄の性質上、完成に達することがないということです。それは「自分独りの力では手の届かないものと知っていることを達成するという責務を引き受け」る行為であって、神の恩恵に向けての自己放棄です。
「キリスト教の礼拝者の棲み込みは、それゆえ、脱出、人間の条件からの脱皮を引き続き試みることなのだ――しかも、これらの条件から逃れ難いことを謙遜に承認しつつ。こうした棲み込みが最も完全に実現するのは、それがこの努力を極点にまで押し進めるときである。それの類似物は、われわれがその完全な理解を享受する大理論への棲み込みでも、音楽の傑作のパターンへの耽溺でもなくて、沸き立つ発見の潮であって、後者は、受容された思考の枠組みを打ち破ろうと努め、まだ地平線上に現れない発見の予示に導かれる。キリスト教の礼拝は、いわば、永遠の、決して終局に達することのない直覚――その解消不能の緊張のゆえに受け容れられる発見的ヴィジョン――を維持するのだ。それはあたかも解けぬと知られている問題への専心の如くであり、しかもそれは、理性に抗して、確固として、発見的命令――「未知のものを注視せよ」――に従うのだ。キリスト教は、人間の精神的不満足への渇望を育み、またある意味でその渇望を恒久的に満足させるのだが、それは十字架にかけられた神の慰めを差し出すことによってである」。
ポラニーは自己の「棲み込み」理論を適用することによって、キリスト教を理解しようとしています。ひとりのユダヤ人(その姉はアウシュヴィッツで殺害されています)として、また科学者、哲学者として、人間の精神的活動としてのキリスト教に対する優れた理解を示していると言うべきでしょう。
「音楽、詩、絵画、つまり――抽象・具象を問わず――芸術は、科学と礼拝のどこか中間に存する棲み込みおよび脱出である。数学は詩と比較されている――「真の歓喜の精神、高揚、人間以上のものであるという感覚、これら最高の卓越性の試金石であるものが、数学に、詩におけると同じ程の確かさで見出される」、とバートランド・ラッセルは書いている(*1)。しかし、この歓喜には、その拡がりにおいて大なる差異がある。芸術作品はその感性的内容のお蔭で、数学の定理より遥かに包握的にわれわれに影響を与えることができる。そのうえ、芸術の創造と享受は、数学よりも宗教的交わりに近い観想的経験である。芸術は、神秘主義と同じく、客観性のスクリーンを打ち破り、われわれの観想的ヴィジョンの、前概念的諸能力に依拠する。詩は、「われわれの内奥の心の目から日常性の被膜を取り払ってしまう。この膜によってわれわれは自分が〈在ること〉の驚異から曖昧に遠ざけられていた」のであり、また詩は「それと比べれば日常世界が混沌であるような世界へ」と侵入する(シェリー、*2)」。
*1 B. Russell, Mysticism and Logic (London, 1918) p.62
*2 〔訳注〕P. B. Shelley, A Defense of
Poetry (Glover, A. S. B., ed., Shelley: Selected Poetry, Prose and Letters,
London, 1951. p.1052).〔上田和夫訳『シェリー詩集』、新潮文庫、1982年、258ページ参照。〕
「via negativaを唱導する否定神学が神の在所への接近の可能性を開くメカニズムは、ここで芸術的創造の過程にも適用できる。だが、日常的に〈意味すること〉の否定はこれを越えて進むこともできる。それはわれわれを促して無の在所へと連れて行くかもしれない。サルトルの『嘔吐(吐き気)』はこの過程の古典的な記述を含んでいる。これは、単語を多数回唱え続けることによって包握不能にしてしまうテクニークの一般化である。「テーブル、テーブル、テーブル……」と言い続けると終にはこの語は単なる無意味な音になってしまう。あらゆることをその解釈されない個別的要因に解消してしまうことによって、〈意味すること〉を破壊してしまうことができる。あるものを別のものに従属させたいという志向を麻痺させることによって、事物の他の事物に関する従属的意識を総て除去し、原子化され、完全に脱個人化された宇宙を創ることができる。この宇宙では手の中の小石、口中の唾液、耳朶をうつ言葉がみな外部的で不条理で敵意ある事物に変わってしまう。この宇宙は、調和的宇宙のヴィジョンの反対物であって、絶望が希望の地位を奪っている。これは、われわれが信念を抱くに際しての自分の参加を完全に撹乱したことの論理的帰結である。徹底的にそれ自体として放置された世界、そうした世界がこのような外観をとるのだ」。
棲み込むという人間の行為の根底にあるのは「信念」です。そのとき人はこの世界に参加しているという感覚に支えられています。しかし自分の参加が撹乱されているとき、人間は意味のある世界を喪失します。世界が「不条理で敵意ある事物」に囲まれているとき、人がなお信念を持って生きるのはとても難しいことです。
「現代芸術は実存主義哲学とともにますます根源的な否定の探求の方向に動いている。シュールレアリスムはあらゆる〈意味すること〉に不信の目を向けているし、現代詩もまた同様である。それは安逸を俗なもの、理解可能性を不誠実と見なす。そこで断片化のみに信が置かれる――断片の集塊のみが意味を伝えることができるとされるのだが、この意味たるや完全に超言語的で、従って自己‐懐疑から完全に保護されているのだ」。
最後の文は理解するのが困難です。「自己‐懐疑」という訳に問題がありそうです。これはもしかしたら「自分が嫌疑をかけられること」という意味かも知れません。
「既に述べたように、科学者を新発見に導いたヴィジョンを思い描く能力は、ひとたび発見が達成されると、その成果の静穏な観照の中に沈殿する――他方、宗教的営為は、その頂点として達成された企てを再び達成しようとする。芸術はこの中間に位置を占める。科学におけると同様の芸術の創始者の発見的情熱は、完成した作品から得られる感情を強度において遥かに凌駕する。だが芸術作品が、宗教的献身行為により近いのは、まさにその完成された形式において、より能動的かつ包握的な観照の用具であり続けるからである。確かに芸術家は、公衆が彼の創造的な時間を再び生きるようにすることはできないが、それでも彼は公衆が今まで見、聞き、感じたことがないような光景、音響、感情の広汎な世界に入り込ませてくれるのだ。マルセル・プルーストは書いている――
これを達成するために、創造的な画家、創造的な作家は眼科の専門医のようにする。治療は――その絵画や著作をもってするのだが――常に心地よいとは限らない。治療が済むと彼らはこう告げる――さあこれで見えますよ。こうして、ただ一度だけ創造されるのではなく、新たな芸術家が出現するたびごとに再創造される世界が、われわれに完全に理解可能なものとして――しかし古い世界とは余りに違うものとして――われわれに対して現れる。いまやわれわれはルノワールやジロドゥーの婦人を讃えるのだが、治療の前にはこれを婦人と認めることを拒否していたものなのだ。そして、森の中に散歩にでも行きたい気になるのだが、その森たるや、以前には、何に見えるにしても森にだけは見えなかったものなのだ――例えば、何千という色合いで織り上げてあるのに、森の色だけは欠けていた綴織のようなものなのだ。これが芸術家の創り出す一過的で新しい宇宙で、それは新しい芸術家が出現するまで生き延びるにすぎないのだ(*)。
* Marcel Proust, Preface to P. Morand, Tendres Stocks, Paris, 1921.
プルーストはここで、新しい芸術作品による目の治療によって生ずる不快感を余りに穏やかなものとして語っている。われわれは馴染みのない体系が意味を持つものとして呈示されるとショックを受ける。公衆が新たな枠組みに入り込んでその意味を発見するよう強いられると、その当惑は憤激に変わる。公衆は自分たちには軽蔑に価すると見えるものに払われた尊敬に対して激昂し、またそこに含意されている、卓越性についての彼ら自身の標準に対する軽蔑に腹を立てる。パリの初期印象派の展覧会の周りには暴力場面が見られたし、一九一三年のストラヴィンスキーのパリジャンの聴衆たちの間では乱闘があり(*)、ワグナーの若干のオペラの初演でも、各国で似たような騒ぎが持ち上がったのだ。そうした紛糾では、両方の側が実際に自分たちの生命を――少なくとも生命の一部を――賭けて戦っているのだ。というのは、各々の側の存在には一つの領域があって、これは、他の存在における領域の否定によってのみ存続させ得るからである。そしてこのような否定は他の側の信条にとってはショックであり、それは〈在ること〉に対する攻撃なのだが、この信条に生きる程度が強ければそれだけそのショックや攻撃の度も増すのである」。
* E. W. White, Stravinsky, London, 1947, p.42.
芸術家による目や耳の「治療」は時に人々を憤激させます。それは人々が既に「棲み込んで」いる世界(領域)があり、人々はそこで生活することに恒常的な価値と安定を見出しているのですが、「治療」はまさにそのあり方への挑戦にほかならないからです。このようなことは何も芸術の世界でだけ起ることではありません。
「既に見たように、科学における――数学および自然科学の両方における――大革命もまたそうした〈存在的な〉紛争を惹き起こしたのであった。かつての宗教戦争と今日のイデオロギー戦争は後世に到って同じ線上で語られることになるであろう。しかしここで私は次のことを想起しなければならない。すなわち、過去の科学上の論争を取り扱うに当ってわれわれは、不可避的に、その結果をわれわれ自身で、現在において判断しなければならないということである。われわれの文化的価値はみな引き続き生じてきた過去の騒動の収穫物なのだが、これらの騒動が何を意味したのか――勝利か災厄か――を言うのは、究極的にはわれわれなのだ。芸術的革新はそれほど包握的なものではなく、現代の新たな達成が、評価の変わらぬ以前の保有物に単に付け加わるだけだと考えられるかもしれない。だがそうではない。芸術の新しい運動は、その先行者の再評価と、これに対応する、過去の他のあらゆる芸術的達成の評価の変動とをもたらすのである。そしてこの必然性が、またもやあのパラドクス、つまり、私が、科学的な美の永遠の価値に対するわれわれの信念と、その継続的育成に関する恐れを対比したときに現れた逆説を、再び喚起することになるのだ。というのは、真と美は栄え得ない――あるいは長く栄えることができない――かもしれないということを認めなければならないからだ。われわれは、後世の判断がいかに怪物染みたものであり得るかを知っている。中世ローマでは、フォーラム(公開の広場)とマルスの広場に特殊な炉が置かれて、古代の美術作品を石灰に変えるために使用されていたし(*1)、また、いま私がこれを書いている瞬間にもソヴィエト・ロシアの最大の美術的宝物――マティス、セザンヌ、ピカソ、ルノワール等――が堕落したものと非難され、モスクワのある屋根裏部屋にしまい込まれているのだ(*2)。だが、いずれにせよ、新奇な作品の受容は後世の承認を前提しなければならないのだ。芸術の美は芸術的実在の証しであり、それは数学的な美が数学的実在の証しであるのと同じ意味であって、その感得は普遍的な意図を持ち、またそれを超えて、無尽蔵の意味の貯え――それを引き出すことは来るべき諸世紀に委ねられる――がそこに含まれることの証言となるのである。これが棲み込みへのわれわれの自己投与である」。
*1 H. Jordan, Topographie der Stadt Rom im Alterthum,
Berlin, 1878, 1, p.65.
*2 Helene and Pierre
Lazareff, L’URSS a L’Heure Malenkov
(Paris, 1954) には、屋根裏部屋に収められたこうした絵画の写真が載せてある。
我々はある世界に不可避的に棲み込んでいます。ハイデガー的に世界に「投げ出されて」いると言ってもよいでしょう。その世界で真や美に関する創造的な営みを敢行することは、つまり「被投的投企」は、いつもそれが拒否されるという危険につきまとわれています。この世界では「怪物染みた」判断が力を揮っていて、我々の真・美についての判断がいつもその通り通用するとは限りません。何が正義であるかという道徳的判断についても同様です。ポラニーは人間の文化的営みがいかにもろく、またはかないものであるかを知っています。しかし科学や芸術の世界に「棲み込む」という、我々の現在の行為だけが、それらの価値の証言となり、ひいてはそれらがのちの世に引き渡されてゆくことにつながるのだと言えるでしょう。だから「棲み込み」には、既にある世界(領域)に棲み込むということ(保守)と、その中で新しい価値を創り出すということ(革新)の二重の意味があるのだと、言えるのではないでしょうか。何も「保守」することのない「革新」は無意味であり、また「革新」されることのない「保守」は死んでいます。
「棲み込みによって受容される個人的知識は単に主観的なものに思われるかもしれない。この嫌疑に対しては、ここで詳細に弁護することはできない。しかし既にわれわれは、分節的な枠組み――理論であれ、宗教的儀式であれ、芸術作品であれ――の信認と、経験――そうした枠組みの内部のものであれ、幻視的観照としてであれ――の信認とを区別することができる。何も敢えて確言するものがないように見えるのに、何か信認するものがあるものかどうか、疑問に思われるかもしれない。われわれは、自分の見るものを見、嗅ぐものを嗅ぎ、感じるものを感じるのであり、それ以上のことは何もないように思われる。何ものをも主張することがないような経験はまさに矯正不能であろう。だが、われわれはまず、われわれが見たり感じたりするものは、それを意味づける仕方に大いに依存するという事実を考慮しなければならないのであり、この点でそれは矯正可能なのである。白い斑点も黒に変わるかもしれない――それが日光に曝された黒い布の一部であるという事実を考慮に入れるときに。子どもは空腹を感じても、食べ物が目の前に出されるまで自分が食べたいと思っているのに気づかないことがある。しかしこうしたことを別にしても、心の意図的な〈存在的〉使用はどれも、望んだ経験を達成するのに成功したとか失敗したとか言い得るのである。礼拝者は、神への献身を達成するために倦まず弛まず祈りに専心するが、彼は成功するかもしれず、失敗するかもしれない。修道士や修道女が‘acidia’〔無関心〕に悩むときには、心を専一に祈ることができずに懊悩する。経験はその深さについて比較することができ、それがわれわれに深い影響を与える分、それだけ本物(genuine)だと言えよう。それに加えて、経験の報告は、正しいとしても疑いを持たれ得る。ある人が多くの対象物の色を正しく報告したとしても、緑と赤の区別はつけられないかもしれず、そこで最終的に彼が赤緑色盲と判明したときには、彼の前の報告は正しかったが、本当(authentic)ではなかったと結論することになろう」。
この段落でポラニーは経験を吟味することの意義について語っています。それは「信認」の問題です。つまり、我々の判断には信念がからんでいます。言い換えれば、我々は既にある世界に「棲み込んで」しまっているのであって、決してそこから自由な判断を下しているわけではありません。要するにダニにはダニの世界があり、魚には魚の世界があり、人間には人間の世界があります。
「精神的棲み込みの場所としての色々な種類の分節的体系の受容は、逐次的な感得の過程によって到達するものであり、そうした受容は総て、何ほどかは、関連する経験の内容に依存する。しかし、自然科学と経験の事実との係わり合いは、数学や宗教や様々な芸術よりはずっと特殊である。従って、経験による科学の検証について語るのは正当化し得るものであって、それは他の分節的諸体系には妥当しない意味合いにおいてなのである。科学以外の体系がテストされ、最終的に受容される過程は、それとは対照的に、確証(validation)の過程と呼ぶことができよう」。
ポラニーは科学の検証とその他の経験の確証とを区別します。しかし真理は必ず検証されなくてはならないと主張しているわけではありません。そこにポラニーの思想の奥行きと幅があります。私はこれまで「確証」という言葉を使わず、「検証」とは区別される「験証」という言葉を用いてきました。しかし両者を音では区別できないという難点があります。ともあれ思想は「検証」されることはなくても、「験証」されなくてはなりません。それは「個人」のある事柄への関わり方の問題です。
「われわれの個人的参加は、一般に、検証におけるより確証における方の度合いが大きい。断言することの情動的な作用因は、科学から、近接の思考領域に移行するにつれて強くなる。しかし検証も確証もともに、どこまでも、一つの自己投与である――これは実在的であって、かつ話者の外にある何ものかの存在を主張するものだからである。この二つのものとは区別される意味での主観的な経験は、高々本当だと言い得るのみであって、この本当らしさには、検証および確証について言われる意味では、自己投与は含まれないのである」。
宗教や芸術や学問は、すべからく「自己投与」(コミットメント)であるというポラニーの指摘はとても面白いと思います。それはある領域に個人的に参加することです。主観的な経験にはそれがありません。精々本当らしく思われるだけです。ポラニーはおそらく人間の条件からの「脱出」をこのような「自己投与」の営みのうちに見出していたのでしょう。暴力の前にはどんなに脆くみえようとも、そこに希望を見出していたのでしょう。精神的棲み込みの場所としての様々な分節的体系が、彼にとってはいわば「脱空間」であったのでしょう。しかし、たとえば宗教に「現実逃避のアリバイ」を見るという立場からすれば、それは一人の知識人の弱々しい立場表明であると言えないでしょうか。実はそこにこの間の私自身の悩みがありました。ある種の政治的活動に参加すると、「精神的棲み込みの場所」が失われてしまうように感じられたのです。
ポラニー自身が「相互親和性(コンヴィヴィアリティ)」という項目で(訳書では「懇親性」)、特にこの問題を取り上げています。彼は「マルクス・レーニン主義の認識論」を批判した上で、「ポスト・マルクシアン・リベラリズム」の立場を模索しているように思われます。しかしそれについては次回以降に取り上げることにします。
マイケル・ポラニー『個人的知識 脱批判哲学をめざして』 その2
相互親和性(コンヴィヴィアリティ)
相互親和性(コンヴィヴィアリティ)と名打たれた項目はかなり長い章立て(41ページ)になっています。コンヴィヴィアルという言葉の意味は、もともと「共に生きる」ということで、ポラニーの思想の中で重要な位置を占めています。この訳書では「懇親性」と訳されています。しかしポラニーの別の本では、他の訳者によって「相互親和性」とされています。どちらも適切とは言えませんが、ここでは後者の訳を採用します。
1 序論
「知的情熱を育み、満足させる分節的諸体系は、その情熱によって確言される諸価値を尊敬する社会の支持を得てのみ生き延びることができるのであり、他方、社会が文化的生活を持つのは、ただ、こうした情熱の育成に力を貸すという責務を承認し、果たす限りにおいてである。科学、あるいは技術および数学の研究による知識の進歩と普及は、文化的生活の一部を構成する。従ってこうした分節的諸体系が理解され信認され、また事実に基づいた真理の形成と確認がごく一般的に支持されることは、暗黙的共同作用因(tacit coefficient)と言われるべきものであり、それはコミュニティが共有する文化的生活の共同作用因(係数)の一部である。」
文化を育むということが社会的に共有される「共同作用因」とならない限り、文化的生活はそもそも成り立ちようがありません。社会的に理解され支持されない文化的諸活動は、たとえそこにどんな価値が見出されようと、死に絶えるほかはありません。
「私がここで先ず示そうとするのは、この〈知ること〉の暗黙的共有が、分節的コミュニケーションのどの一つをとってもその基礎をなしているということである。次に私は、文化的生活の共有が依存している暗黙的ネットワークの全体を導入し、その上で、真理への忠誠は、この真理を尊重し、また現に尊重しているとわれわれが信頼し得るような社会への忠誠を含意しているのだと認識できる地点にまで進もうと思う。真理と知的価値一般への愛は、いまや、こうした価値を育むような社会への愛として再現し、知的基準への服従は、こうした基準に仕える文化的責務を受容する社会への参加を含意することが知られるであろう。」
知ることの価値を尊重することは、同時にその価値を尊重する社会への参加をも意味しています。しかしその価値を抑圧する社会に我々は忠誠を尽くすことはできません。
「ひとたびわれわれが知的情熱の市民的共同作用因(civic coefficient)を完全に承認するならば、次には、さらに危険が増大するのだが、われわれは自分の特定の育ちによって獲得された一組の確信を、それが普遍的であるという意識のもとに抱いているのだという自覚に直面することになる。しかし、われわれがこうした確信を抱くのはただそう教えられたからに過ぎないと信ずるならば、それはわれわれにとって外から押しつけられたものになる。またわれわれはそれを自ら能動的に受け容れようと決めたのだと承認するとすれば、その分、それらは恣意的なものに見えてしまう。そして、こうした決着のつかない省察はいまや社会の枠組みにも挑戦するようになる。権威の座にある人々が他の人々に、知的価値を(しかもよく考えてみれば偶発的なものに思われてくるものを)押しつけているところではどこでも、この権威の正当化が疑問視されてよい。権威の行使は、もしも実際には狭隘なものが普遍的だと断言される場合には、偏屈かつ偽善的な様相を帯びる傾向があることを否めない。」
ポラニーは、ナチス支配下のドイツを念頭に置いて、これを書いているのかもしれません。しかし我々にとってそれは、皇国臣民の教育を受けた過去の話であると同時に、今日再び直面しつつあることのように思われます。
「かくて、真理の形成へのわれわれ自身の普遍的参加という場面に生じてきた、自分自身の確信の撹乱は、市民的(立場の)苦境へと拡大してゆき、この哲学的状況において精神的安定を回復しようとする戦いは新たな意義を帯びることとなる。あとで理解することになろうが、その成功に、社会の知的および道徳的文化の維持の可能性がかかっているのである。」
敗戦後の日本で多くの人々が直面した市民的立場の苦境は、まさに「哲学的」でした。人々がその中で戦い取ってきたものにこそ「社会の知的および道徳的文化の維持の可能性がかかってい」たはずです。しかし、それが「戦後レジーム」であると一括されて、否定され脱却されるべき対象と見なされるときには、戦後の労働者や民衆の戦いはまるでなかったかのように消去されてしまいます。
「困ったことに、われわれの哲学的な目標の市民的有用性の自覚が、それへの興味を鋭くしてくれる一方で、それはまたわれわれの課題をさらに複雑なものにしてしまう。なぜなら、それによって、われわれ自身に対する嫌疑、すなわち、自分の確信をそれ自体として有効なものと考えるというのは、不誠実な振る舞いを意味するのではないかという嫌疑を、いっそう深いレベルまで拡大してしまうからである。この懐疑は次の章まで持ち越さなければならないであろう。なぜなら、そこで、そのような懐疑は、真理の概念の改革として呈示されるものの内部で解消され得るのではないかという、希望が抱かれることになるであろうからである。」
本書でのポラニーの構想は壮大で、すべての哲学的な課題を包含するようなものになっています。それは、我々の知的営みに最後まで希望を見出して行こうとする、哲学的使命感のようなものと結びついているからでしょう。しかし私としては今日の苦境を切り抜けるために、ポラニーから、その一例としてこの「相互親和性」の章から、何を学び取ることができるかを検討してみたいと思います。
2 コミュニケーション
「私は本書の分節化に関する章(U‐5)では、単独の個人が言語の使用から引き出すと考えることのできる知的利益に話を限定した。この限定はいまや放棄され、それとともに言語の言明的様態と記述的用法への限定も解除される。
私の議論は、もちろん、これまでにも言語の記述的用法から相互作用的および表現的用法の方に溢れ出てはいた。科学理論の確言はその美の感得を伝え、また数学の総ての陳述は微妙な美的感得の全領域を担うものと見られていた。さらに、技術の操作的原理や数学の形式的照明は、首尾一貫した活動のための規則と見られ、しかもこの規則は命令形に最もしっくり当てはまるものであった――ただし、その場合、まだ〔命令・被命令の区別のない〕孤立的用法の場合だけを考えていたのだが。
記述的言語の表現的および命令的要素がさらに際立つのは、事実の言明が個人間コミュニケーション〔伝達〕の目的で使用される場合である。コミュニケーションは話しかけの一形式で、誰かの注意をそのメッセージ〔使信〕と話し手に向けさせるものである。しかし、情報を他の人にコミュニケートする可能性は既に、言語の単なる記述能力にも予示されていたことである。無矛盾的に使用される一組の少数の記号であって、その独自の扱い易さのお蔭で、その記号的表出のタームによる方が、(他の表現と比べて)主題についてより速やかに考え得るようになっているのであれば、またもし他人がこの表出をわれわれと同じように使えるのなら、それを用いることによって、その人々への情報の伝達が可能になる。これが生じるのは、ただ話し手と聞き手がそれらの語が同じ状況で使われるのを聞いており、そうした経験から、記号と、記号によって表出される再現的な特徴(ないし機能)との間の同一の関係を導き出している場合に限られる。また、話し手も聞き手も、当の記号を扱い易いものと考えなければならない――さもなければ、その使用によって何ら流暢さを獲得したことにならないだろうから。
私は次のように信ずる――仮に人々が自分に話しかけられた言葉の何か特定の語を誤解するということがあったとしても、彼らは原則として、互に十分の信頼性をもって言葉によって情報を伝え合えるのだ。というのは、私の考えるに、表出の過程に含まれる暗黙的判断が、異なった人々の間で実際に一致する傾向があり、また、異なった人々が、一組の同一の記号を、自分の知識を技能的に再組織する目的にとって扱い易いと考えるからでもある(*)。私のこの信念を、今度はもっと広い文脈の中で展開してみよう。」
* 蜂は、記号によって互いにコミュニケートできるが、それを推論的思考に用いることはできない。だから、本文で断定した、孤立的用法と社会的用法との関係は、逆方向には妥当しないのだ。
ポラニーは先ず言語的コミュニケーションについて原理的考察を加えます。そしてそれをさらに広い文脈の中に置き直して考えようとします。
「暗黙的判断の個人間の一致は、原初的には強力な情動の無言の相互作用と連続的なものである。性的抱擁は言葉なしに強い相互的満足をコミュニケートする。子どもを育てる動物は、両親と子どもの間に相互満足――支配・従属の色彩を帯びる――を確立する。幼児は微笑む大人に微笑み返し、またしかめ面を見せられると、それに対応する感情を実際に経験していないのに、驚いて泣き出す(*)。ピアジェの観察から判断すると、遊びにおける子どもの仲間づきあいは余りに緊密で、彼らは自分自身と仲間との区別を十分に自覚していないように見える。彼らは「自閉的」に反応するようであるが、それを、彼らが自分を失っていると見るか、あるいは他人の〈個人〉を保有してしまっていると見るかということに応じて、自我喪失とも自我中心とも見られ得るものである。群棲動物の相互親和性もこれに類縁のもののようであるが、これについては後で述べる。」
* カッツは、この点をさらに次のように敷衍する――「他の個人の精神生活の理解は、何か非常に原始的なものに相違ない――時としてそれは個人の経験により改変され洗練されることはあるにしても」(D. Katz, Gestaltpsychologie, Basel, 1944, p.80)。
ポラニーは物理化学の研究者となる前に医学生だったことがあり、人間を見る目は極めて冷静です。人間を他の生物との類縁性のもとに考察するという観点を手放すことはありません。「相互親和性」もそこから生まれてきた概念なのでしょう。
「拡散した情動的相互親和性が気づかれずに融合して、特殊な経験の伝達となる。例えば、他人が鋭い苦痛を受けるのを見る傍観者をとらえるあの肉体的共感がそうである。外科手術の光景に耐えるには特殊な訓練が要るのであって、経験ある医者でも患者の眼球に深く切り込むのを見たりすると、気を失ったり気分が悪くなったりする。サディズムは、伝達された痛みが喜ばしい興奮に変性したものであり、それは他人の苦悶のマゾ的な共有であり、その問題はマゾヒズムと連合していることが知られている。最も冷酷な犯罪者も肉体的な憐憫に勝つことは難しい。これは記録に残ることだが、ゲシュタポの頭目ヒムラーは直接的な人種絶滅の技術をテストすべく、彼の目の前で一〇〇人のユダヤ人を殺すように命じたが、これを見るなり危うく気絶しそうになった。容赦ない残虐さに意図的に訓練され、その正しさの固い確信に支えられていたにもかかわらず、まさにこの〔心的負担(seelische Belastung)〕を減ずるために、終にガス室の手法が採用されたのであった(*)。」
* Edward Crankshaw, Gestapo, London, 1956, pp.30, 169.
この文章にはユダヤ人としてのポラニーの痛苦が秘められていると思われます。
「知識(単独の経験とは区別されたものとして)の伝達は、原初的レベルでは、動物の一世代から次世代へと、模倣の過程(imitative process, imitation)により伝えられる(後者を動物行動学者はmimesisと呼ぶ*1)。しかし、このレベルのコミュニケーションは、本能の遺伝により決定される活動と容易には区別できない。相互親和性に端を発する知識の真の伝達は、動物が、他の動物が自分の眼前で行っている知的努力に参与するときに生じる。ここにW・ケーラーの実に示唆的なチンパンジーの写真があって、仲間の猿が難しい技を実行しようと努めているのを注視し、その仕草により他者の努力に自分も参加していることを示しているのである。こうした〈個人〉間伝達は、動物が何かを事例によって学ぶときにはいつでも作動しているように思われるが、これが明らかに生じているのは、知能の優れたチンパンジーが発明した技が直ちに別の猿(これは自分では決して思い付けなかったであろう)によって採り上げられるときである。ケーラーはこの過程の事例をあげつつ、説得的に次のように断言する。すなわちこれは、決して盲目的な、オウムの物真似ではなくて、動物から動物への知的行為の純正な伝達――非分節的レベルでの真の知識伝達――である、と(*2)。」
*1 E. A. Armstrong,‘The Nature and Function of Animal Mimesis’Bull. of Animal Behavior, No. 9, 1951, p.46.
*2 W. Kohler, The Mentality of Apes, 2nd edn., London, 1927, ch. VII, pp. 185ff. ピアジェ(Piaget, Psychology of Intelligence, pp. 125-8)もまた思考発達における模倣の役割を確証している。
ポラニーは一転して非分節的レベル、すなわち暗黙的レベルでの、知識の伝達を論じます。個体間の相互親和性ということに知識伝達の根拠を見出しています。
「あらゆる技能は、学習者が信を置く他の個人の実行する仕方を知能的に模倣することにより学ばれる。言葉を知るのは技能であり、暗黙的な判断と、詳記不能の技能の実行により遂行される。子どもが自分の保護者である大人から話し方を学ぶ学び方は、だから、若い哺乳動物や若い鳥の、給餌・保護・指導する年長者への模倣的応答と近縁のものである。言葉の暗黙的作用因は、非分節的なコミュニケーションによって、権威ある個人から信頼する生徒へと伝達され、コミュニケーションを担う言葉の力は、この模倣的伝達の効果の大きさに依存している。」
言葉の学習は、聞く・話す・読む・書くという「四技能」の習得です。それは「詳記不能」の暗黙知に根差しています。自転車に乗る人は、そのバランスのとり方を、言葉で詳しく説明できなくても、からだでわかって(体得して)います。そして学習は模倣から始まります。ポラニーがここで述べていることは、学習は人間にだけ与えられた特権ではなく、動物もまた学習しているのであり、人間の学習はその延長上にあるということです。
「言葉によるコミュニケーションは、そうした徒弟制により獲得された言語知識および技能を、二人の人が、一人は情報を伝達し、一人は受け取ることを欲して、首尾よく適用した場合に当たる。各々が、学んだことに依拠しつつ、話し手は確信をもって発語し、聞き手は確信をもってそれを解釈する一方、両者は互いに、相手がこれらの語を正しく使用し、理解するものと信頼している。真のコミュニケーションが生じるのは、これらの権威と信頼の結合した仮説が実際に正当化されるとき、そしてそのときに限るのである。」
ポラニーは権威の存在を肯定しています。「徒弟制」という言葉によってそれが示されています。しかしその権威は当事者から遊離していません。話し手の権威と聞き手の信頼とが結合したものとされる「仮説」が、実際に正当化されたとき、そして、そのときに限って、コミュニケーションが成り立ちます。権威は無条件のものではなく、その意味で限定されています。コミュニケーションの基礎に当事者相互の権威と信頼があります。
「これらの条件が危ういものであることを意識するのは、それらが全く満たされない場合で、それは例えば子どもの会話で、ピアジェが言うように、彼らが「互いに理解し合えず――なぜなら彼らは互いに理解し合っていると思い込んでいるから――(*1)」、同時に、「話された言葉は、話しかけられた人の観点から考えられず、また後者は、……それらを自分自身の関心に合わせて選別し、それを以前に形成された観念に都合のよいように歪める(*2)」といった場合である。書き手、話し手、読み手、聞き手としてのわれわれは、そうした逸脱の危険を知っており、それに対して不断に警戒態勢にある。話すことと書くことは、適切でもあり知的でもあろうとする、幾度も更新される戦いであり、最終的に語られた言葉は、自分にそれ以上良くする能力の無いことの告白であるが、しかし、自分が何かを言い終わり、それを通用させる度ごとに、われわれは、これが自分の言いたいことを言ったのであり、従って、聞き手や読み手にもそう取られたいと暗黙的に含意することになるのだ。こうした、自分の言葉につきまとう暗黙的な裏づけは、常に誤りと判明し得るものではあるが、われわれは、もし何事かを言おうとするならば、この危険を受け容れなければならないのである。」
*1 Piaget, Language and Thought of the Child, London, 1932, p.101.
*2 Ibid., p.98.
コミュニケーションの条件の危うさということは、何も子どもの会話の例を持ち出さなくても、国会の党首討論を見ればわかります。そこにはほとんど絶望的な議論のやりとりがあります。我々はそのようなレベルの低い政治につきあわされています。
3 社会的伝承的知識の伝達
「言葉の学習と、メッセージの伝達のためのその使用の、両方の基礎にある権威と信頼とが結合した作用は、世代間の文化の伝達の全過程に入り込んでいる一つの過程が、単純に取り出された事例である。
われわれの現代文化は高度に分節化されたものである。もし大洪水がいま一度われわれを襲うならば、就航している最大の客船をもってしても、大洪水後の人類にわれわれが文明の最も大まかな痕跡でも伝達し得るような数百万巻の書物、何千という絵画、何百という種々の音楽・化学・技術用の機器、そしてこうした分節化の手段を使用すべく特に資格を与えられた専門家の大群を乗せるには十分ではないであろう。これらの知的な人工物の途方もない集塊の慣例化された世代間伝達は、成人から若者へと流れるコミュニケーションの過程において生起する。この種のコミュニケーションは、ある個人が別の個人に――弟子が師に、学生が教師に、一般大衆が著名な講師や作家に――例外的な信を置く場合に限って受け入れられるのだ。この分節的な伝承的知識の大体系を、程度は様々な弟子たちが同化するのだが、これを可能にするのは事前の加入行為(予め弟子入りしていること)のみであって、これによって、弟子は、この伝承的知識を育むコミュニティへの弟子入りを受け容れ、その価値を感得し、その基準によって行為するよう努めるのである。この加入は、子どもがコミュニティ内の教育に従うという事実に端を発し、やがてそれは、成人が同じコミュニティの知的指導者に例外的な信頼を抱き続ける限り、生涯を通じて確証されるのである。子どもは、目前で使用される言葉が何かを意味するものと仮定することによって話すことを学ぶが、これと全く同じように、文化的徒弟制の全領域にわたって、知的先導者が為すことと言うことを理解しようとしている知的後継者も、前者の為し、言うことには隠された意味があり、それが発見されれば、きっと何ほどかの満足を与えるものであることがわかると仮定するのである。」
ポラニーは人類の古来の教育法である徒弟教育の意義を理解し、それをすべての教育課程、あるいは教育の過程の基礎にあるものと見なしています。そして加入すること、入会すること(affiliation)こそが、教育の第一歩であると主張します。
「私は前に、問題解決における発見的予料のことを語り、それは、学習者が自分の理解しようとしていることは、実際に有効なことだと予想するのと近縁のものであることを示した。学習者は、発見者と同じく、知りうる前に信じなければならない。だが、問題解決をする人の予知は自分自身への信頼を表現するものであるのに対して、学習者に随伴する予料は、他の人への信頼を表現するのであり、それが権威の受容ということである。」
ポラニーは、「知解を求める信仰(知るためにこそ信じる)」というキリスト教的テーゼを、ここではさらに一般化して語っているように思われます。
「そうした個人的忠誠の投与は、――発見的予料と同じく――まだ試みたことのない存在形式への自分自身の情熱的な注ぎ込みである。分節的体系の不断の伝達により、われわれの知的充足が公的かつ持続的な性格を帯びることになるのであるが、それは徹頭徹尾そうした服従の行為に依存するのである。」
森有正はオルガン演奏におけるメカニカルな訓練について語っています。ここでの服従とはそうした意味であろうと思われます。規則を厳格に遵守するところに、かえって個性や自由が現れ出てくるということであって、たとえ理不尽な要求であっても我慢して従うということではないでしょう。しかしかつての徒弟教育には、まるで主従関係のような側面がありました。今またそのような復古主義がもてはやされようとしています。ハイファイ(hi-fi)という言葉は、音を「高度に忠実に」再現するということであって、もちろん上の人の言うことに無闇に忠実に従うという意味ではありません。忠誠とか服従という言葉には、ややもするとそのような意味が含まれてしまいます。だから、決して易しいことではありませんが、両者を混同しないことはきわめて大切なことであると思われます。権威についても同様です。権威の裏側には信頼があります。人々に信任され承認されない権威は権威ではありません。なお「私的情熱と公的情熱」という項目で、ポラニーは人間が動物とも共有する「その満足によって終息する」渇望や情動と、「その成就によって自己を永続化する」知的情熱とを区別し、「この区別は文化の存続にとって死活のものであって、もしこれが斥けられれば文化生活は総て原理的にわれわれの欲望と、物的福祉の増進に責任を持つ公的権力の要求に服従することになってしまう」と警告しています。
「この自己変革の過程は内在的であって、非形式的、非可塑的であり、その限りにおいて非批判的である。当然ながら、ひとたび発見が達成され、あるいは学習者がその問題を習得してしまえば、推測の緊張は低下する――すると、発見者は自分の成果を証示し、学習者は自分の獲得した知識を正当化できるようになる。しかし、直接に利用可能な証拠によって正当化し得る知識の量は決して大きいものではあり得ない。それゆえ、われわれの事実に基づいた信念の圧倒的な部分は引き続いて、信頼している他の人から二次的に得なければならないのであり、また圧倒的多数の場合、われわれの信が置かれるのは、広汎な認識を有している比較的少数の人々の権威に対してである。」
科学者や学習者を支えているのは権威、あるいは他の人々への信頼であるというポラニーの考えが示されています。科学者も、多くの科学的成果を一々自分で確かめているわけではなく、受け容れられている学説への信頼によって、広汎な科学の領域の中に自分を位置づけています。そこにはネビュラ(星雲)状態の知の拡がりがあります。
「そのうえ、知識の獲得に関して真であることは、他の知的満足の総てにも妥当する。社会における思考の慣例化した育成は、徹頭徹尾、世代間の社会的伝承的知識の伝達を確保する場合と、同じ種類の個人的信頼に依存するのだ。この点については、直ぐ後で、文化の管理について記すときに詳論することにする。
その前に、私はこの権威の原理にもう一つの限定を加えておかなければならない。権威の受容はどれも、ある程度はそれに対する反応、あるいは反抗すらもが生じて、それによって限定される。合意事項への服従は常に、ある程度は、自分が承服する合意事項に自分の見解を押し当てるものである。言葉を話したり、書いたりして使用する度ごとに、その用法に準拠すると同時に、いくらかは既存の用法に改善を加えるし、私がラジオの番組を選ぶ度ごとに、私は通有の文化的評価のバランスに若干の改変を加えるのであり、また通有の価格で買物をするときにすら、私はわずかながら全価格体系を改変する(つまり、ある商品の流通量に影響するという仕方で改変に手を貸す)のである。実際、私が通有の合意事項に服従するときにはいつでも、私は不可避的にその原理に改変を加えるのだ――なぜなら、私は、私自身がその原理だと考えるものに服従するのであり、そうしたものとしての合意事項に合流することによって、私はその内容に影響を与えるからである。他方、最も尖鋭な不同意者(反逆者)でさえ、やはり、既存の合意事項に部分的に服従することによって活動する――革命家は、人々の分かる言葉で話さなければならないのだから。そのうえ、どの不同意者も教える者である。アンティゴネや『ソクラテスの弁明』におけるソクラテスのような人物像は、立法者としての不同意者の記念碑であり、また旧約聖書の預言者たちもそうだし、それを言えば、ルターやカルヴァンのような人物もそうである。ジャコバン党以来の近代の革命家たちの総てもまた、不同意は公的権威を廃止するのではなく、それを独自に主張しようとするものであることを証示しているのだ。」
ここで言われる権威と服従ということは、当然のことながら、歴史的社会的拡がりの中に位置づけられています。また、我々は言葉の用法に従わなければ、言葉を使うことはできないという一般論としても、服従が語られます。そして我々が社会的合意事項に従うとき、その原理を我々自身が自らの理解と判断で受け容れることによって、不可避的にその原理に影響を与えるとも言われています。教会のドグマ(教義)も絶大な教会の権威によって庇護されているとしても、信徒ひとりひとりがそれを自らの理解と判断で受け入れているとすれば、長い目でみれば、それは教義自体に影響を与えずにはおきません。言語の用法も、歴史的経過によってわずかずつ変化を蒙ることは明らかです。そして日本語の古語は今から見ればまるで外国語のように違ってみえます。
「当然ながら、権威への服従は、一般に、不同意の行為よりは意図的な決断の程度が少ないと言えるが、常にそうとは限らないのであって、聖アウグスティヌスの啓示の信仰を守る戦いは、今日の宗教的に生い育った若者が(時至って)啓示を斥けるのよりずっと動的かつ独創的である。いずれにしても、確立した合意事項の中で生い育ち、引き続きそれに参加する過程において、われわれは、様々な程度の従順と不同意との間で、何らかの程度において選択を行使するし、どちらの選択もより受動的ないしより決断的な反応を意味し得るのである。」
今日の日本で問われているのは、もちろん、西洋の社会でこの数十年間、若者たちの間で見られた「啓示の信仰」からの離脱という問題ではありません。天皇制という国家主義的「信仰」が、教育制度の上からの改変によって公教育の原理になりつつあるという事態が、まさに我々の決断を迫る問題として突きつけられています。
「われわれはこれと同時に、こうした信任の決定がいかに不可避的で、不断かつ包握的であるかを覚らなければならない。私がある科学的事実、言葉、詩、ボクシングのチャンピオンについて語るとき、また先週の殺人事件、英国女王、つまらない・面白い・退屈な・スキャンダラスなものについて語るときには、必ず、私がそうしたものだと宣言する事柄を認知――ないしは否認――してくれる合意事項への参照を含意せざるを得ないのだ。私は不断に現存の合意事項を何らかの程度だけ裏書きするか、あるいはそれに不同意を示し続けなければならず、どちらの場合にも、私は、何についてであれ私が語るものに関しての合意事項はこれこれしかじかであると、私が信ずるところを表現することになる。この本で私は自分の流儀で、どの発話についても、それと公的合意事項との相互作用を記述してきたのである。従ってそれもまたここで述べたことの例外ではありえないということを意味する。本書全体を通じて、私は私の信念を確言し続けるのであり、そして、特に、ここでそうするように、そうした個人的な確言と選択は不可避であると主張するとき、また後でそうするように、それこそが私に要請され得ることの総てであると論ずるときには、私は、それについての合意事項はこれこれであると私が信ずるところに照らしてそうするのである。」
ここで言われる「合意事項(コンセンサス)」は、常識(コモン・センス)に近いものかも知れません。それは暗黙裡に自己の判断を規定しているものであり、人が何かを発言するときには、それに従うにせよ、抗うにせよ、絶えず参照せざるを得ないものであるということでしょう。どうやら「世間」を気にするのは日本人だけではなさそうです。しかし、ポラニーの言う「コンセンサス」と「世間」との間に違いがあるとすれば、コンセンサスにはそれに逆らう自由があるのに、世間はもっと強く日本人を縛っているというところにあるのではないでしょうか。だから「個人的な確言と選択は不可避である」ということにはなかなかならないところに、世間体を気にする日本人の弱さがあると言うべきでしょう。ただしそれは程度の問題であって、日本人にももちろん色々な人がいます。
なお、「天皇制」「愛国心」「靖国」などが「公的合意事項」とされてしまうかのような感のある今日、「個人的な確言と選択は不可避である」ということを強調するのは、この日本でもとても重要な意味を持っていると思います。
4 純粋な相互親和性
「信頼と説得的情熱によって、われわれの分節的遺産が流動的に保たれるのであるが、このことは、またもやわれわれを、あらゆる人間集団、あるいは動物すらもの間において分節化以前に存在する原始的な仲間感情に連れ戻す。そうした相互親和性、およびその相互作用により生まれ充足される生き生きした情動の原初的性格は、動物と人のどちらの経験からも証拠立てられる。
孵化したばかりの雛は、直ちに母鳥の回りの群に加わって、母の羽根の下に保護を求めることを学ぶ。この教育過程は非常に急速に進行するので、普通は注意を惹くことはないが、それでもそれは、雛を孤立させて成長させる実験で明瞭に顕示されるのである。単独で育った雛が二週間して放たれ、兄弟姉妹――これらは母鳥の回りで群をなしてきたのだ――と一緒にされると、狂気染みた振る舞いをし、朋輩たちをめちゃくちゃにつつき、おびえて逃げ惑うのである(*)。だから、雛同士の〈個人〉間相互作用がその感情を相互に向け合わせるように働くのだと言ってよかろう。雛たちは普通は合理的にバランスのとれた情動生活を首尾よく発達させるのだが、人為的な孤立化によってこれが阻止され撹乱されるのである。
* D. Katz, Animals and Men, London, 1937, p.216.
群の中で育った雛が享受するように見える情動的満足は、暖と保護とを共有することからくる身体的な満足と無関係ではないが、しかしそれは、動物が食餌と宿りを得て享受する単なる衝動の満足とは区別されるものである。空腹の犬は食餌が近づきつつあるとき跳び回り吠え、この興奮には情動的色彩があるが、犬が人に提供する仲間づきあいによって、前者は後者の存在の中に枢要な参加を果たし得るのであり、これはもっと豊かで無私の情熱に根ざしたものである。実際、犬は一緒に遊び、散歩し、一般に自分に関心を示す主人の方に、餌をくれる人によりも情愛を寄せるものである(*)。相互親和的関係の包握的な拡がりをW・ケーラーは次の警句で示している――いわく、孤独なチンパンジーはチンパンジーではない。その肉体的欲求は総て満たされていても、それは情動の飢えに悩む。それは朋輩との生の共有と相互作用を欠くのであるが、その多様な形式は様々な情動の全領域にわたって反映される、と。」
* Ibid., p.40.
ポラニーは先ず動物のうちに見られる相互親和性について一瞥し、次に人間の相互親和性についての考察に移ります。
「人と人との仲間づきあいはしばしば沈黙のうちに維持される。スティーヴンスンの『ジキル博士とハイド氏』の中のアタスン氏は、どんなに重要な仕事もそっちのけで友人のリチャード・エンフィールド氏との恒例の日曜散歩に出かけ、その間二人とも一言も発しなかったという。しかし、相互親和性は、普通は、もっと意図的な経験の共有、最も普通には会話により効果を現すものである。挨拶や常套句の交換は仲間づきあいの分節化であり、人と人との間の分節的な語りかけはどれもその相互親和性に何ほどかの寄与をするのだが、それは互いに手を伸ばしあい、互いの生を分かち合うという意味でそうなのだ。純粋な相互親和性、つまり、良き朋友関係の育成は、多くのコミュニケーション行為において支配的であり、事実、人々が互いに話し合う主たる理由は仲間を得たいという欲望である(*)。独房の責め苦は、情報が乏しいことではなく、会話が奪われることなのだ。
* これが、グラックマン(M. Gluckman)が1956年9月30日の放送番組「ゴシップの社会学」で描いたような、ゴシップの統合化作用の基礎にあるものであると思われる。
共に暮らす小集団、例えば、家族、学校仲間、船員仲間、教会の会衆、工場、事務所の仲間など、何であろうと、その人々の間で良き朋友関係を育むことは、社会的存在としての人間の目的と義務との達成への直接的な寄与となるのである。しかしこの過程にはまた、その集団の共同の活動をより効果的にするという、実際的な効用もあるのだ。海軍の指揮官ならば、互いに和気あいあいたる軍艦(a happy ship)の兵卒は、よく戦うということを知っているものだ。産業心理学者は、職工が互いに一緒にいるのを好むときに、工場の生産が増加することを観察している(*)。相互親和性の改善が、そうした有益な結果を導き出すために意図的に進められる事例は多く、これは、われわれが仲間感情に帰した実質的な特性をさらに確証するものである。」
* W. J. H. Sprott, Science and Social Action, London, 1954, ch.IV,‘The Small Group’, pp.64ff.を参照。またウェスタン・エレクトリック・カンパニーのホーソン工場の実験に関するロースリスバーガーおよびディクソンの説明(F. J. Roethlisberger and W. J. Dickson, Management and the Worker, Cambridge, Mass., 1939)、およびこの資料のホマンズによる利用(G. C. Homans, The Human Group, London, 1951)を参照。
ポラニーはどこか別のところで、科学者集団はその成員が互いにコンヴィヴィアルな関係にあるとき、知的生産性が高まるという趣旨のことを述べています。
「これはまた、もう一つの種類の純粋な相互親和性への――経験の共有から共同活動に参加することへの――推移を形成するものである。そうした協同は、共同で追求する目的に付随するものであるが、儀式の共同的遂行においては純粋に相互親和的なものになる。儀式に全面的に参加することによって、集団の成員たちはそのコミュニティの存在を確言し、また同時に自分たちの集団の生活と、その儀式によって受け継がれた先行の集団の生活とを一体視するのである。集団の儀式行為はどれも、この限りにおいて、集団内における融和、および集団としての自分たち自身の歴史の連続性の再確立である。それは、個人を超越するものとしての――現在においても過去を通じても――集団の相互親和的な存在を確言するものである。こうした情動的再確認の機会としては、記念日だとか、集団が繰り返し再構成される変動などがある。集団の一体性は、儀式を通じて、年々の季節のリズムに合わせて、あるいは死亡、出生、結婚、その他の身分の変化が伝統的な仕方で厳かに聖別されるときに更新されるのだ。」
* 以下の文献を参照のこと。Arnold van Gennep, Les Rites de Passage, Paris, 1909; M. Fortes,‘Ritual Festivals and Social Cohesion in the Hinterland of the Gold Coast’, American Anthropologist, N.S., 38(1936), pp.590ff,: M. Gluckman, Rituals of Rebellion in South-East Africa, The Frazer Lecture, 1952, Manchester, 1954.
ここに書かれていることが、参考文献にあるように、人類学的な知見に留まっている限りは「無難」です。しかしこの日本の現実に当て嵌めてみると、保守的な政治家が「国民的一体性」を演出するために、いかに祭礼・儀式を好み、国民的祝祭日の創設に熱心であるかということに思い至ります。かつて私は、ある内輪の講演会で、一人の自民党政治家が、日本の望ましい統治形態は「祭政一致」である、と語るのを聞いたことがあります。なお、ポラニーが前にキリスト教の礼拝について述べていたことも、立派な「文化人類学的」な研究テーマです。欧米で教会の「神学」がなお特権的な地位を占めているのは、キリスト教徒がそこまで自己を相対化するには至っていないということに過ぎません。黄金海岸や南東アフリカのことなら客観的に観察することができるということでしょう。
「儀式は相互親和的な存在の祝賀であるから、それは個人主義の側から敵意をもって迎えられる。後者は存在の形式としての集団的生命を、孤立した個人に手の届かぬものとして否認する。儀式はまた、功利主義者からも――具体的な目的に役立たないという理由で――、ロマン主義者(つまり、功利主義者の情動主義的兄弟)からも――人々の自然な純正の感情を抑圧し、人々が不誠実にも共有するふりをさせられる、標準化された公的情動を支持するという理由で――共にけなされている。伝統主義は、われわれが儀式を執り行うときに捧げる厳粛さは、実は人間が自分で作り上げたものだという事実の省察によって、もっと根本的な不信を浴びせられている。われわれは厳粛さを自分で作り出しておき、同時にそれが何かわれわれの外にあるもののようにして、それに屈服するように思われ、そうすることで自分自身を欺き、同朋をだましているように見えるのである。ここには自己設定した基準の内的不安定さが、その社会的立脚点を一層拡げて再現するのが見られるのである。」
ここで再び「日の丸・君が代」に代表される、我が日本の伝統主義的儀式について考えてみることは大切です。我々はいかなる理由でこれに反対するのでしょうか。問題は、相互親和的な存在の形式が、ポラニーは詳論していませんが、我々の場合には「国家」に収斂してしまうということにあるのではないでしょうか。先に「儀式に全面的に参加することによって、集団の成員たちはそのコミュニティの存在を確言し、また同時に自分たちの集団の生活と、その儀式によって受け継がれた先行の集団の生活とを一体視するのである」と語られていたことが、我々の場合には戦前の国家の復原に結びついてしまうところに、深刻な問題があります。そこで「自己設定」されている基準は、「祭政一致」という表現に極端に示されているように、戦後の民主主義的理念を根底から覆してしまう危険を孕んでいます。それはかつての全体主義の再現にほかなりません。
5 社会の組織化
「私がこれまでに概略を示した社会の図は、骨組みは出来たがまだ機関が入っていない新造船のごとくである。私はコミュニケーションの流れ、世代間の伝承的知識の伝達、分節的な合意事項の維持を可能にする暗黙的な個人的相互作用を辿ってきた。私はまた、この同じ相互作用が仲間づきあいの欲求を充足するのを示したが、それは純粋な相互親和性であって、共通の儀式への参加がその最も堅固な表現を与えるのである。これらの集団生活の諸様相は朋友関係の形成には十分であるが、組織化された社会を形成するには不十分である。後者を理解し得るのは、ただ、集団の社会的な伝承的知識によって課される個人間の関係的責務の枠組みを認識する場合だけである。」
ポラニーは社会の組織化を考察するに当って、以上に論じたことに加えて、「(集団の社会的な伝承的知識によって課される)個人間の関係的責務の枠組み」を新たに導入します。
「しかし、他の誰にも向けられない知的情熱の単なる共有だけでも、既に広汎な共通の諸価値を確立するのであって、それは道徳性、慣習、法によって規定される個人間の関係の評価と連続的なものである。そのうえ、そうした共有は、一定の知的および美的基準を維持する正統性と、そしてそうした基準に導かれた営みに従事しようとする企て(これは事実上、文化的責務の承認に帰着する)とを構成する。最後に、儀式において表出される情熱は集団生活の諸価値を確言するのであるから、それは、集団がその成員に順応を要求する権利があること、集団生活の利害が個人の利害と合法的に対立し、時には個人のそれを凌駕することがあり得ることを宣言することになる。これによって共通善(common good)が承認されることになるが、その利益のためには背反は抑圧され、個人は外からの転覆と破壊に対して集団を守るために、犠牲を払うよう要求されるようになる。」
ここに書かれていることも、何が「共通の諸価値」であるのか、また「一定の知的および美的基準」とは何であるのかということについての理解の仕方によっては、極めて保守的な言説であると受け取られる可能性が十分にあります。再び日本の現実に当て嵌めて見れば、国家という枠組みに「共通善」を見出そうとする「新国家主義」の動きには、まさに同じ論理が働いているとさえ言うことができます。
「この段階では、文化的および儀式的朋友関係は、原初的に社会の組織化の四つの作用因を顕示するが、これらの要因は共同して、固定的な社会関係を持つ特定のシステムを総て構成するものである。これらのうち、二つの作用因は、分節的レベルでの知的情熱を満足させる二つの仕方、つまり確言(affirmation)および棲み込みを想起させるものである――その第一のものは確信(信条、信念)の共有(sharing of conviction)であり、第二は朋友関係の共有(sharing of a fellowship)である。第三の作用因は協同(co-operation)、第四は権威あるいは強制(authority or coercion)の行使である。
これら四つの項目は、社会の四側面に言及するものであるが、これらは常に互いに結合しているのが見られなくてはならないものである――なぜなら、これらは、一緒になってだけ、社会的諸制度の安定的諸様相を構成し得るからである。しかし、現代社会は、精緻な分節的システムと高度な専門化に基づいており、ここでは、これら四つの作用因のそれぞれを圧倒的に体現している、一定の諸制度を順に見ておくことにする。すなわち、(1)大学、教会、劇場、美術館は、確信(私がここで使用しているような広義における)の共有に奉仕する。これらは文化の制度である。(2)社会的交際、集団的儀式、共通の防衛は圧倒的に相互親和的な制度であり、集団への忠誠(group loyalty)を育み要求する。(3)共同の物的利益のための協同は、経済システムとしての社会の支配的様相である。(4)権威の強制は公権力(公的パワー)を供給し、それは社会の文化的、相互親和的、経済的制度を防護し制御する。」
ここで挙げられている社会の四つの側面、文化の制度、集団への忠誠、経済システム、公権力は、あくまでも抽象的な概念として提示されています。それらが組み合わさって一つの社会が構成されるというとき、従って、どういう具体的な社会をイメージするかということは、人によって、また時と場合によって違ってきます。しかしポラニーが思い描いているのは、ヨーロッパのいわゆる「自由社会」です。
「原始的で無知な人々はこうした画然たる制度を運用することができず、従って至るところで、これら四つの社会的作用因全部の融合物を呈示する。この段階では、社会的権力と思想との間に根本的な緊張は存在し得ないし、また権力と思想が別々の制度に具体化された後でさえ、社会が自らの構造を恒久的に樹立されたものとして受容する限り、そうした緊張は生じないのであって、それが記録された歴史の大部分を通じての状態であった。なぜなら、ヨーロッパ史の初めの二三〇〇年間になされた多くの大改革――例えばソロンおよびクレイステネスのそれ、教皇グレゴリウス一世、ルター、リシュリューやピョートル大帝の改革――にもかかわらず、ヒエラルキー的な社会構造の大部分は政治体の存続そのものにとって本質的なものと見なされていたのである。ようやくアメリカ革命とフランス革命の後になって、世界は人民の政治的意思の行使によって無限定に改善することができ、従って人民が、理論上も事実上も、主権者であるべきだという確信が徐々に全世界に広まったのである。」
この段落に至って、日本の保守主義者とポラニーの言説との形式的な一致は、実は表面的なものに過ぎないということが明らかになったと言うべきでしょう。煎じ詰めて言えば、片方は「天皇主権」であり、もう片方は「人民主権」です。日本の社会では、未だに、「ヒエラルキー的な社会構造の大部分は政治体の存続そのものにとって本質的なものと見なされて」います。日本ではまだ市民革命すら起っていないのです。その芽は長い歴史を通じて処々に見出されるとしても、それらはすべて「踏みつぶされて」きました。そして、今また、戦後の民主主義的な諸成果が踏みつぶされようとしています。
「この運動は現代の動的な社会を生じさせたのであるが、これには二種類ある。ある社会が、突然の完全な自己更新を決意するとき、その動態は革命的なものであるが、社会が比較的に徐々に完成に近づくときには、その動態は改革(改良)的である。本章の残りの部分で私は、この二種類の社会における科学的真理およびその他の知的価値の身分について詳細に論じ、その際、既に暗示した区別立てを敷衍する。その区別とは、一方では全体主義(これは総ての思想を福祉に従属させることによってラプラス流のプログラムを達成しようとする)と、それに対する自由社会(これは、思想をその内在的基準に照らして育成する責務を原理として受容する)である。しかし、先ず、現代のこの両タイプの動的社会が、その思想に対する関係という点で、その母体である静的な社会からいかに異なっているかを、ほんの概略でも明瞭にしておかなければならない。」
ポラニーがこのとき立たされているのは、戦後の社会主義的諸国家と自由主義的諸国家の対立(いわゆる冷戦時代のイデオロギー的対立)という局面です。科学者としていわゆるスターリニズム的な「全体主義」にどうしても賛同できないという動機が、このとき強く働いているように見えます。
「この目的のためには、思想の自由と、現実的な力としての思想の承認との区別を認識しなければならない。どの静的な社会も思想の内在的な力と価値を否定したことはなかった――宗教、道徳、法、および総ての芸術はそれ自体として尊敬された。確かにそうした企ては、挑戦を禁じられた一組の特定の信念によって制約を受けてはいたが、文化的な営みはこの制限の内部では繁栄していた。そのうえ、確立した正統説を自らの導きとしても受容する支配者が、その正統説を押しつけてもいた。真理の探求は、一定の教説を無謬のものとして受容したことによって制約されていたが、こうした教説の権威への責務を伴った尊敬は、真理への深い尊敬を含意していたのだ(*)。
* ベルトラン・ドゥ・ジューヴネル(Bertrand de Jouvenel, Sovereignity, Cambridge, 1957, p.290)は、この時代の教義上の権威者についてこう語っている――「彼らにとっては真理は至高の価値を持つものであった」。私は私の多くの見解についてこの本に支持を見出している。
現代の革命政府の行使する知的制御はこれと原理的に異なっている。社会の支配者たちは、社会を、その思想も含めて、社会の福祉に奉仕するよう改造すべきであると提案する。その際、彼らは思想に対して独立の身分や自由な活動を全く拒絶する――常識への暗黙の譲歩として、しばしばその権威を認めることはあり得るにしても。
これは全体主義である。この全体主義と静的な社会との両方とは対照的に、自由社会は思想に対して独立の身分と、理論的には無制約の拡がりとを許容するのである――ただし、実際上は、それは特定の文化的伝統を育み、公教育を課し、現存の政治・経済制度を支持するような法律を押しつけるのではあるが。」
ここでも問われなくてはならないのは、日本という国家は、本当に「自由社会」の一員になろうとしているのか、という点にあります。イラク戦争によって、再び、「自由主義陣営」の「自由」の意味が厳しく問われていることはさし措くとして、日本の社会は、「自由社会は思想に対して独立の身分と、理論的には無制約の拡がりとを許容する」という意味で、自由な社会になろうとしているのか否かが問われるべきでしょう。学習指導要領の強制、検閲まがいの教科書検定、教育基本法の改悪など、今日の公教育の現状を見れば、日本は戦前型の「全体主義国家」を志向しているのではないかと思われてきます。
「原理的には、自由社会は現代革命体制と同じほど絶対的に、自己完成の目的のための自己決定の権利を要求するのである。事実、こうした思想は自由社会を生み出したもとの力の一部をなすものであり、それは中世の静的全体主義を転覆させた囚われない思想と寛容の感情に端を発するものであった。しかし同時に、この志向は、自らが創った自由社会の中に、それを脅かす矛盾を生み出してしまったのだ。独立の思想を求める偉大な運動は現代精神の中に、絶対的に非個人的でない(客観的に自律的ではないということでしょうか…引用者)あらゆる知識の激しい拒絶を植えつけたが、後者は、今度は人間の独立の思考能力を否定する機械的人間観を含意するに至ったのだ。そうした客観主義は、共通善を福祉および権力のタームで表示しなければならず、それによって自由の自己破壊が始動させられたのだ。というのは、自由社会を励起する偉大な道徳的情熱の公然たる告白が、欺瞞だとかユートピアだとか言われて不信任されるとき、この社会の動態は、政治機構の隠れた推進力に転換される傾向があり、後者は次いで内在的に正しいと宣せられ、思想に対する絶対的な支配が容認されることになるからである。
この市民的苦境は結局のところ、われわれの確信の内在的不安定さから結果するものなのだが、その深刻さは以下で幾らか探求する通りである。だがその前に先ず、展望を拡げるため、人間の道徳的志向を、人間のもっと固有の知的情熱の延長物として明示的に導入して置くことが必要である。」
社会主義的「全体主義」を斥けつつ、ポラニーは、自由社会が自ら墓穴を掘っている現実をも認めます。自由社会が不可避的に生み出した機械的人間観のシニシズムにおいては、福祉(あるいは物的生活の向上)と、権力(あるいは目的を達成する力)というタームでしか現実を処理することができず、結局は、それだけが共通善の目安であると見なされることになります。道徳的情熱を公然と告白することは、欺瞞であるかユートピアであるとしか見られなくなります。そこにこそ、現代「自由社会」の「市民的苦境」があります。それにしても最後には「思想に対する絶対的な支配が容認されることになる」と指摘されているところは、自由社会の「絶対的な」否定を意味するものではないでしょうか。自由社会がファシズムを内在させているということではないでしょうか。
紹介の作業はここで中断します。