閑老人のつぶやき 思想について 4
先に「社会の三層化」という項目において触れたルドルフ・シュタイナーの、「社会の三層化」運動について論述されている本を見つけましたので、正確を期するため、その部分を紹介したいと思います。その本はヨハネス・ヘムレーベン/アンドレイ・ベールィ著『シュタイナー入門 ルドルフ・シュタイナーの生涯と人間像』(川合・定方・鈴木訳、人智学出版社、1982年)です。以下は「第11章『社会の三層化』運動(1918−1921)」からの引用(p.149-151)です。
〈この《三層化運動》の根本思想は、人間の社会生活は意識的に分割される場合にのみ、健全なものになることができる、ということである。自立的存在となった人格は、もはや国家の全能を承認することができない。労働者の労働力は商品化されてはならず、国家や経済のあらゆる機構は、働く人間の尊厳を侵害してはならないのである。シュタイナーによれば、こうした目的を現実に達成するためには、国家と経済と精神的生活を互いに分離する必要がある。
1.過去の国家は、(1919年以降に生まれ、その一部はすでに消滅してしまったすべての全体主義国家はとりわけ)国家に与えられた限界を踏み越えてしまったし、今も踏み越えている。公法に基づく法治国家が力を及ぼす範囲は、本来の性質からして、政治的な生活や市民を対内的にも対外的にも守るという課題に限定されるべきである。生活保護法、労働権法から、その機能を果たすのに必要な制度(警察、軍隊)を持つ刑法までは、国家の手によって管理されるべきであろう。しかし、その範囲を越えてはならない。国家においては、すべての人間に平等が適用される。
2.しかし、国家自体が経済活動の統括者であってはならない。経済活動は、多くの人々が、究極的にはすべての国民が携わる、ますます大きくなる広範にわたる業務活動なのである。国家が経済活動の運営を統括するのは、必要やむをえざる場合に限られる。つねにそうあってはならない。国家は経済活動に関与してはならないだけにそれだけ一層経済のプロセスに参加する「すべて」の者が、生産者と消費者によって構成される組織を通じて、共同して活動しなければならない。この分野では、感傷的ではないような友愛が必要である。
3.そして最後に国家は国民の精神生活を監督指導してはならない(この点に関しては、ヨーロッパよりもアメリカの方がはるかに進歩している)。あらゆる種類の芸術、学問(学校を含む)、宗教に対して、自由が保証されなければならない。
精神の自由、法の前での平等、経済活動における友愛、これによってルドルフ・シュタイナーはフランス革命の古い理念に、新たな現実的な内容を注入した。
彼はこの三層化の理念を、綱領通りに、必要な場合は暴力によって世界に実現させようとするイデオロギーとは決してみなさなかった。
そうではなく、現実の事態そのものが、このような形での社会機構のシステムの相互分離を必要としていたのだ。それゆえ、シュタイナーにとっては、人々が事態をこうした意味で正確に理解するか否かは、自覚にかかわる問題であった。〉
石田春夫という精神科医が書いた『「ふり」の自己分析 他者と根源自己』(講談社現代新書、1989年)は、「本について」のページで取り上げている木村敏の『時間と自己』と並んで、大変ユニークな本です。表紙には『仮面としての化粧・衣装。詐欺としての「よい子のふり」。情動表現としての身振り・手振り。他者の視線を受け、自己の表層に浮かび上がる「ふり」の本性を探り、自己の統合を図る』とあります。この本は、乳児期の「根源の自己」が「見る自己」へと育ち、次第に「見られる自己」へと、自己が分節されてくるということを基本に据えて書かれています。自己の統合に関しては、著者は道元禅師などの仏教の伝統にその解決を見出そうとしています。
「根源の自己」(根源的な生のエネルギーと言うべき自己)が「見る自己(木村敏の言う「主語的自己」)」と「見られる自己(同じく「述語的自己」)」に分節してくるということは、見やすい道理です。それは自己自身の内部に「見る自己」と「見られる自己」とが生じてくるということでもあります。(木村敏の言う「自己の述語作用」という言いかたには、もう一つ釈然としないものが残ります。)
この石田春夫の本を読んだのとほぼ同じ頃だったと記憶していますが、私は「三相の自己」ということを考えたことがあります。それについて、これも既にある小さな集会で発表したことのある文章に補筆して以下に転記します。
「自己」は常に「他者」との関わりで「自己」であるということができます。他者がなければ自己もありません。そこで自己を他者との関わりにおける三つのアスペクト(三つの相)から考えてみます。すなわち、自己を「自己としての自己」、「他者としての自己」、「自己としての他者」という三つの観点から考えてみます。
a 自己としての自己
自己としての自己は、自我としての自己、私的自己、欲求の主体と見なされます。いわば自己の欠如態です。欲求は欠如より生じますし、自己は他者ではないものとして、常に否定を介して自覚されるからです。(自己でないもの、すなわち他者の)障害や抵抗がなければ自己の意識も生じてきません。(私はこの「自己としての自己」に「自我同一性」を見ます。それが「欠如態」と呼ばれるのは、privateの語源であるラテン語のprivatioには簒奪・欠如という意味があるからです。「自我同一性」は「見る自己」、「主語的自己」のうちにあります。日本語には「我を張る」などという言い方があって、自我同一性の主張を控える傾向があります。しかし自我同一性を「欠如態」として見ることは、「私」という主語なしで表現が成り立つ日本人には通じても、西洋人には通じにくいことかもしれません。)
b 他者としての自己
他者としての自己は、役割としての自己、公的自己、義務の主体とみなされます。いわば自己の構成態です。つまり社会的に構成された自己です。父親として、夫として、市民として、教師として、部下として、上司としてなど、役割としての自己は、何らかの義務の主体であると共に、他者と取替えが可能なところに特徴があります。父子(母子)関係は自然のものかもしれませんが、役割としての父親(母親)は取替えが可能です(世の中には第二の父親、第二の母親の例はいくらでもあります)。(ここに自己の「役割同一性」があります。帰属とアイデンティティに関する事柄は、自我同一性ではなく、役割同一性として考えられるべきものです。同一人格のうちに複数の役割同一性があります。「見られる自己」、「述語的自己」において自己の構成態が成立します。それは他者性を帯びた自己、他者によってそれとして同定される自己です。)
c 自己としての他者
自己としての他者は、良心としての自己、全的自己、共感の主体とみなされます。いわば自己の充溢態です。まるで自己であるかのような他者とは、たとえば母親の我が子に対する感覚を考えてみればわかりやすいと思います。宗教的自己もここに位置づけられると思います。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ2:20)というパウロの言葉が思い起こされます。しかしこの「全的自己」、「宗教的自己」には怖いところがあります。「自己としての他者」の「他者」のところに、「天皇」や「国家」が来た場合どうなるでしょうか。戦前の全体主義的で、超国家主義的な体制が想起されます。(自己としての他者は、「根源の自己」への復帰です。そこにパウロの言葉のように「梵我一如」の主体が成立します。いわばそこに「自我同一性」、「役割同一性」とは区別された「良心同一性」とでも言うべき主体が成立します。国家は人間のその領域にまで支配の手を伸ばすべきではありません。)
「自己」の現象は複雑であって、私の「三相の自己」論は、言うまでもなくそれへの一つの手掛かりに過ぎません。なお「自己」についてもっと考えてみたいと思う向きには、上田閑照著『私とは何か』(岩波新書、2000年)があります。
いつだったか、退職の前後、新聞で尾崎放哉(ほうさい)の「咳をしても一人」という「日本一短い俳句」のことを教えられ、妙に心に沁みたことがあります。上田閑照著『私とは何か』(岩波新書)にこの句が取り上げられています。
〈「咳をしても一人」。部屋に籠もってほとんど動けない放哉晩年の病身にとって、苦しい生死の咳であったにちがいない。「ごほん」、咳をする。虚空にひびく。その咳は放哉に虚空を開く。虚空中の唯一人。看病してくれる人もない空室での孤独感は、その余韻である。唯一人なるがゆえに、孤独に堪えることができる。そして孤独なるがゆえに、他者への目立たない優しさがにじみ出てくる。傲慢奇矯であった放哉にも、晩年の優しさがある。この句には「私」という言葉はあらわれていない。「私一人」があらわし得る孤・独の極致に立ったところ、すなわち「私」と言う「私一人」も居なくなるところまで「ごほん」と咳をしながら通じてゆく、そこまで感じられての純粋な「一人」。「死にゆくも一人なり」と言われる「一人」である。「ごほん」、「私」なき死への「一人」。海近き小豆島南郷庵での焼米と水だけの独居無言の生活のなかで、この句から数ヶ月、放哉は逝く。〉
放哉の句に呼応した、種田山頭火の「鴉啼いてわたしもひとり」があることを、どこかで教えられました。『私とは何か』でも山頭火の「どうしようもないわたしが歩いている」という句が取り上げられています。しかし「鴉啼いて……」は出てきません。どこかほかで知ったのでしょう。諸国行脚の旅を続ける山頭火が、夕暮れ時の山中で、お堂か何かに腰掛けている姿を想像してみます。そのとき鴉が「カー」と一声啼いて、あたりはまたシーンと静まり返る。この句からそんな情景が浮かんできます。これもまた何とも言えない寂寥感が漂った句です。
「なにくそ」と私がひねり出した「句」が、標題に掲げた「ひとりひとり、ひとり」です。「有限の自己」は群れ集うことによって、賑やかさに自己を忘れます。しかしそれも一時のことであって、必ず孤独の時が訪れます。その繰り返しが人生であるような気がします。この「ひとり」をどのように引き受けるかが、人の生き方を決めるのではないでしょうか。西郷南洲は島流しにされたとき、自分の人生観をつくったと言われます。西郷はひとりになって「天」に真向かったのでしょう。イエスもまた山の中でひとり祈る人でした。
人には「自覚・自知・自立の自由」が与えられています。しかしそれは孤独の中で鍛えられてこそ与えられるものでしょう。「ひとりひとり、ひとり」の人生をクリエイティブに過ごすために、人は孤独という関門を通り抜けなくてはならないのでしょう。
思想は英語でthoughtと言われます。つまり「考えられたこと」という意味で、何か特別のことではありません。過去の偉大な思想家が形成した「思想」を思想として特化し、自分の思想を脇に押しやる必要はどこにもありません。現在も我々の「思想」にとって助けとなる限りで、それを利用すればよいだけの話です。権威を持った思想にいたずらに盲従することは危険ですらあります。しかしそれは自分勝手に考えてよいということではなく、思想にも修練が必要です。その修練の場は、ごく身近なところにあります。それを「思想の四つの場面」として取り出してみたいと思います。
1)仕事を通して考える
仕事を通して考えるとは、「働き、学び、かつ考える」ことです。いわゆる「ラーニング・バイ・ドゥーイング」です。人はなすことを通して、なしうる者となります。日々の働きの中に、思想の大元があります。仕事の中に思想があると言ってもよいでしょう。だから人が置かれた場所によって思想は多様な展開を見せます。それは決して一様ではありません。思想の出発点はそこにあります。仕事が変れば、思想も変ります。
2)見聞を通して考える
見聞を通して考えるとは「見、聞き、かつ考える」ことです。見聞が広がることによって、狭い自分の仕事に限定された思想に広がりが与えられます。この意味での体験の深まりや広がりは、自分をより広い文脈に置き直すことを可能にします。当初、思想は自分の仕事(自分がすること)に限定されています。しかし見聞を通して考えることによって、それをより広い視野から把え直すことができるようになります。
3)対話を通して考える
対話を通して考えるとは、「聞き、話し、かつ考える」ことです。人の話を聞き、かつ自分の考えを述べることによって、自分が考えていることの確実性が増してきます。思想は単に自分にとって真実なものとしてではなく、ほかの人にも通じる事柄として確証されるようになります。思想が「ひとりよがり」に陥らないためには、対話という試練を経なくてはなりません。思想はこの段階で、はっきり言葉で表現できるものとなります。
4)思索を通して考える
思索を通して考えるとは、「読み、書き、かつ考える」ことです。この意味での思索は対話の延長です。「書かれたもの」としての、人が考えたことを読み、その上で自分の考えを書くことは、思想が思想として形成されるための最終的な形です。思想には、書かなければ考えたことにならないという側面があります。思想は、字に書くという「もの化」された表現を通して、初めて思想として完成するとも言えます。しかしソクラテスやイエスのように、自分自身は何も書き残さなかった「思想家」もいます。だからその人たちの「思索」は書かずに考えること、対話を通して状況的に考えること、あるいは生きることが考えることであるような、思想の原点に立ち尽くすことでした。思索がthinkingの域を超えて、contemplation、あるいはmeditationのレベルにあったと言うべきでしょう。
記号論理学の入門レベルで記号論(semeiology, semiology)の立体的構造についての解説がなされることがあります。サイコロのような四角い立方体を描いて、一つの角から伸びる三つの辺を実線で描き、他は破線で描きます。実線の一個の辺は直線を、二個の辺は平面を、三個の辺は立体を表わします。この直線にあたるのが構文論(syntactics, syntax)で、実線の角に「語」を置き、直線の他の端にも「語」を置いて、語と語との関係を表わします。平面にあたるのが意味論(semantics)で、実線のもう一つの端に「もの」を置いて、語と語が指示するものとの関係を表わします。立体にあたるのが語用論(pragmatics)で、実線の最後の端に「人」を置いて、語とそれを使用する人との関係を表わします。
この図は、構文論(直線)はそれ自体で成り立つが、意味論(平面)は構文論(直線)を前提としてのみ成り立ち、最後の語用論(立体)は意味論(平面)を前提としなければ成り立たないということを意味しています。
先に「理性・体験・功績・啓発」の項で、理性(言葉の秩序)としたのは構文論のレベル、体験(存在の伝統)としたのは意味論のレベル、功績(自己の実存)としたのは語用論のレベルにあたります。いわば「類比的」に記号論の立体的秩序にあてはめて、理性・体験・功績について考えたものです。最後の啓発(真理の自証)は、その立体的秩序の、さらにその奥にある事柄として思念されています。
このやり方で、「思弁・解釈・実証」について考えるとすれば、思弁(speculation)は構文論のレベルで成り立つ事柄です。つまりもっぱら理性の使用に関わる事柄です。思弁的であることがしばしば揶揄されるのは、それが体験と実践の裏づけがないためです。しかし思想の一番基礎には思弁があって、これがなければそもそも考えるということが成り立ちません。その上で意味論的レベルにあるものとして解釈がなされます。そして実証というのは、思弁と解釈を行なう主体が自覚されてくる語用論のレベルで初めて成り立つ事柄ではないかと思われます。知識はすべからく「人称的知識(M・ポラニー)」であると言われるのは、このことを指していると思います。
マルクスは万事を解釈のレベルに止める哲学を批判して、実践を強調しました。しかしそれは思弁と解釈を切り捨てて、ただ実践するという意味であれば、底の浅い直接行動主義を説いたということに過ぎません。そういう側面が全くなくはなかったとも言えますが、マルクスの真意は第三のレベル、語用論・実践論の強調にあったと思われます。そこでこそ具体的実証的に社会問題に関わることが可能になるからです。
賀川豊彦は「神学」に対してすら「実証的」であることを要求しました。「良心同一性」としての主体のかからない神学的思弁や解釈は「観念の遊戯」に過ぎないからです。
私は自らプラグマティストでありたいと考えています。それはできるだけ語用論的かつ実践論的に考える者でありたいということであって、プラグマティズムという一つの排他的イデオロギーを表明するためではありません。
かつてある大学の先生の論文によって、20世紀の後半(年号を記憶していません)、ユネスコが北京で行ったシンポジウムで、「ケアリング」が21世紀の教育の柱に据えられなくてはならないと議論しているのを知りました。その内容は以下のようなことではなかったかと思います。
1. 自分自身をケアする。
2. 家族や友人をケアする。
3. 近隣社会をケアする。
4. 自然や環境をケアする。
5. 学問芸術をケアする。
6. 国家社会をケアする。
7. その他
つまり自分を含めてすべてのものをケアするところに、人間の生き方の基本があるということだったと思います。その場合、ケア(配慮、気遣い、心配り、世話、介護……)は、思い煩い、取り越し苦労という意味での心配ではなく、自己と他者の安全や成長などを願って積極的に配慮するということを意味するでしょう。そのように自己と他者を活かすケアリングをアクティブ・ケアリングと呼ぶとすれば、人間の社会ではそのような生き方を促すのではなく、むしろそれを阻むものが存在することに気づかされます。それは個人主義だったり、競争社会だったり、管理社会だったり、私有財産の制度だったり、戦争だったりします。だから、ケアリングは、人がアクティブに生きようとすることを阻むものとの、そしてその中に生きている自分自身との闘いを伴うと言うべきでしょう。
カール・ヤスパースは、愛しながらの闘い、闘いながらの愛と言いました。ストラッグル(苦闘、葛藤)のないドラマも人生もありません。その闘いに負けないで、積極的に生き抜く力の行使がアクティブ・ケアリングだと言うべきでしょう。
「たとえ明日が世界の終わりの日であろうと、今日私は一本のリンゴの木を植える」という言葉が知られています。マルチン・ルターの言葉として流布して来ましたが、宮田光雄氏がルター著作集のどこを探しても見つからなかったということです。絶望にも負けないそのような生き方こそ、究極のアクティブ・ケアリングであるでしょう。
以前「ディープ・エコロジー」について書かれた本を読んだことがあります。人にあげたため手許にありませんが、提唱者の二人のアメリカ人が書いたものだったと記憶しています。私はその本に書かれていることを、「エコロジーの七つの原理」として、「TH図」にまとめてみました。TH図は「概念の布置」のための一つの方法であって、なかなか便利な面を持っています。私がまとめた「エコロジーの七つの原理」は以下の通りです。これについて素人判断ですが、理解するところを書いてみます。(「哲学の区分」など参照)
A共進化(共栄)・B持続可能性(共存)・C相互依存(共生)・G生態学的循環(生成)・D柔軟性(揺動)・E多様性(補完)・F資源(エネルギー)
A 共進化(共栄) 小倉利丸氏は最近マーシャル・サリンズという人類学者の説に基づいて、二百万年と言われる人類史のうち、一万五千年前ぐらいまでは旧石器時代であったということを強調しています(最近の例としては、『季刊ピープルズ・プラン35号』ラウンドテーブル「マルチチュードかピープルか、それともプレカリアートか――グローバリゼーションに対抗する主体は?」における「討論」での発言)。人類を含む地上の生物の共進化ということを考えた場合、それは旧石器時代までのことではなかったかと考えてみることも可能ではないでしょうか。新石器時代以降「野蛮な文明」が出現してからは、文明は急速に(幾何級数的に)発達し、人類の一人勝ちという局面が現われてきたのではないでしょうか。多様な生物種の共栄ということが無くなり、地上において滅亡する種の数は増大する一方という傾向が生じてきたと思われます。人類は自らが属する生態系を破壊しながら、今日まで生き延びてきました。その結果、今日の人口の爆発・資源の枯渇・環境の破壊という危機的な状況が生じてきました。
小倉氏も言うように、今さら旧石器時代に帰ることはできない。地球上における生物種の共進化(共栄)ということが人類のサブシステンスの条件であったとしても、そのような地球環境を取り戻すことは最早絶望的に困難である。我々はそういう時代に生きているのではないでしょうか。余りにも進歩した文明が人類の自らの生存の基盤を掘り崩していくという大変に困難な事態が、現在我々が直面していることなのではないかと思われます。しかも「京都議定書」ですら批准しないという大国のエゴがまかり通っています。
B 持続可能性(共存) 人類社会の持続可能性ということが、単に多人種・多民族・多文化の共存の可能性にかかっているだけではなく、人類の他の多彩な生物種との共存の可能性にもかかっているとしたら、現にこの地上で人間が行いつつあることは、持続不可能な条件を益々増大させているのではないかと思われてきます。今やこの世界は地球温暖化の弊害が肌で感じられるところまで来ています。「地球にやさしい」などという言葉が商品のコマーシャルに使われることがあっても、実際に人間が行っていることは共存不可能、すなわち持続不可能な条件の倍化であって、その削減ではありません。実際に行っていることは精々その不可能性の条件のある程度の抑制に過ぎないのではないでしょうか。
C 相互依存(共生) ある特定の生物種どうしの共生(たとえばヤドリギ)というよく知られた現象だけではなく、地球上のあらゆる生物種の相互依存としての共生ということを考えた場合、一人勝ちした人類、その中で一人勝ちした国家(帝国)という人間社会のあり方は、他者に依存しつつこれを支配するという人間の傲慢さの反映です。キリスト教文明なるものが世界を解放するという思想はその典型です。他者に依存しながらこれを支配し、略奪するという人間社会のあり方を克服して、他者と共生する社会をつくっていくことが、果たして本当に可能なのでしょうか。
G 生態学的循環(生成) この世界を生態学的に循環するシステムとして捉えた場合、人類の文明はこのシステムに強力に干渉してきました。自然の生成に人工的な変更を加えることによって、人類は自分たちにとって住みやすい環境を形成してきました。しかしそれは大局からのシステムへの干渉ではなく、部分的によいと思われることの積み上げでしかありませんでした。全体としては生態学的循環に重大な影響を与えることによって、人類は遂に自分たちの生存の条件を破壊するところまで来てしまいました。
D 柔軟性(揺動) エコシステムは一個所に固定していません。つまり環境の変化に応じて揺れ動きます。柔軟性にこのシステムの特質があります。しかし人間の社会は一度つくり上げてしまったシステムにいつまでも固執する傾向を持っています。そしてまだそのシステムに参画していない部分にこれを強制する傾向があります。そのようにして、たとえば市場原理主義や規制緩和などをまだそれを採用していない地域や社会に拡大して行こうとします。強大な権力によってそれを実現しようとします。それは柔軟性の対極にあるものであって、日本では今や教育の世界にまでそれが及ぼされようとしています。
E 多様性(補完) 生物種は多様であることによって、環境の激変の中でも全体としての生物の存続を可能にしています。多様性は補完機能を持っています。しかし人間の社会では往々にしてこの多様性が切り捨てられます。同化(assimilation)が強制されます。公務員は行政の命令に一律に服さなければならない。公立学校の教員や生徒は入学式や卒業式など学校の公式行事での国歌斉唱時には起立して、威儀を正し、大きな声で歌わなければならないという行政指導が行われています。これは権力の自己維持(現有のシステムの維持・拡大・強化)の欲求から来るものであって、それは今や現行法規にも先行するものとなっています。権力の自己維持の欲求は今や超法規的です。
F 資源(エネルギー) どんな生き物であっても生命を存続させるためにはエネルギー源(換言すれば資源)を必要としています。人間はこの世界に存在するものをすべて自己の生存のための資源と見なしてきました。利用できるものは何でも利用してきました。特に化石燃料の利用が現代文明の飛躍的な進歩を可能にしてきました。原子力も盛んに利用されるようになりました。その結果、人類の生存環境は極めて危険なものと化してきました。文明の発達が人類の滅亡の条件となりつつあるという皮肉な結果が生じてきました。しかし大国のエゴと経済成長の「必要性」がその抑制を阻んでいます。文明の発達が資源を枯渇させ、環境を破壊するという人間社会の矛盾が今や極大化しつつあります。
「エコロジーの七つの原理」をこのように捉えた場合、人類にはなお希望が残されているのでしょうか。一万五千年の人類の文明史は、今や終焉の時を迎えているのでしょうか。人類はなおこの地上に生き延びていくことができるのでしょうか。戦争が問題の解決策と見なされている間は、この世界に明日はないと言うべきではないでしょうか。
私は2001年2月の末、ある小さなグループによる韓国ツアーに参加しました。その報告が、日本基督教団「社会委員会・伝道委員会」の機関紙『働く人』の5月号に、『銃剣と処容の舞い ソウル観劇の旅』という題で掲載されました。旅をしたのはもう6年近くも前のことになります。それから日本の社会はどう変わってきたかを振返るために、その記事を固有名詞の一部を匿名化して紹介したいと思います。
銃剣と処容の舞い ソウル観劇の旅
「“銃剣と処容の舞い”ソウル観劇の旅」(2月27日〜3月1日、2泊3日)というツアーに参加した。
参加者は総勢13名であった。団長は元日本YMCA同盟主事のO氏、メンバーは下谷教会の女性たちや、「たねの会」の会員などで、朝日新聞の「こころ」編集長S氏も加わった。(早速、3月12日の夕刊「こころ」の欄に、「表現できたか、村人の痛み」という記事が掲載された。)
事前に早稲田の日本クリスチャンアカデミーで、参加者の打ち合わせ会があり、台本を執筆された高堂要氏から、韓国上演に至ったいきさつをうかがうことができた。
O氏からこのツアーへのお誘いを受け、直ぐに参加のお返事をした。1919年、韓国三・一独立運動下の堤岩里(チェアムリ)事件を素材にしたこの劇が昨年の3月、東京の在日韓国YMCAで上演されたときには、私は折角の機会を見逃してしまっていたからである。
訪韓初日、三・一独立宣言文が読み上げられたソウルのパゴダ公園などを見物し、夕刻、国立文芸会館(移転したソウル大学の跡地)で、日本人の俳優や裏方が手弁当で出演、参加したという、日本語によるこの芝居を見た。かなり大きな劇場には空席が目立った。韓国の観客は舞台上方の電光掲示板でハングルを読む仕組みになっていた。
ソウルでは、2月26日からの五日間で8回上演、開演時間が午後4時からと午後7時からという一日2回上演の日が多く、役者さんたちにはかなりタフなスケジュールであったようだ。
この芝居は、ソウルの南、水原(スーオン)市に程近い堤岩(チェアム)教会で、1919年4月15日、村の21名の男性と二人の女性が日本軍憲兵によって虐殺された歴史的事実に基づきながら、やや複雑な劇中劇の構成をもつ。そして大団円では、夫をこのとき殺されたチョン・ドンネおばあさんが、謝罪を乞う日本の尾山令仁牧師などを前にして、処容(チョヨン)の面をかぶり、「処容の舞い」を大音量の楽曲に合わせて踊る。
観劇後、ある参加者が述べていたように、この劇の「説得力」は、この「舞い」がいかにこの芝居にフィットしているか否かにかかっているという印象を私ももった。
閉演してから、劇場のスナック・コーナーで、原作者の李盤(イ・バン)氏を囲み、我々参加者のほか、高堂要氏、在韓中のM氏などを交えて、しばらく語り合う機会が与えられた。李盤氏は、ベトナム戦争への韓国の出兵にも触れ、韓国は単に被害者なのではないと指摘された。人間の歴史がもつ過酷さ、残酷さ、あるいは犯罪性を直視してものを考えておられるのだなと思った。あるいはそれは、償いきれない負い目をもつ、我々日本人へのいたわりの言葉であったのかもしれない。
ツアーの二日目、堤岩里を訪れた。翌3月1日から新しい礼拝堂と記念館が与えられる堤岩教会の、これまで使われてきた礼拝堂で、参加者一同礼拝のときをもった。同教会の姜信範(カン・シンボム)牧師の、歴史的事実を追憶し、真の和解を説く説教があった。うしろの壁には、教会に火をつけ、銃をうつ日本軍憲兵たちの絵が掛けられていた。高堂要氏とO氏が、それぞれ開会と献金の祈りをささげた。説教とお祈りの通訳は、芝居の原作を翻訳したチョ・サオク女史が務めて下さった。我々は下谷教会の方々が用意してきた「讃美歌21」の韓国の歌を二曲歌った。
礼拝のあと、近隣の犠牲者を含む29名の遺体が眠る新しい、立派な韓国式の墓地で、再び謝罪の祈りのときをもった。また明日開館という新しい記念館と礼拝堂を姜牧師の特別のはからいで見学させていただいた。聞けばこの新しい建物があるところに、尾山令仁牧師が中心になって、日本からの献金で建てられた前の教会堂があったようだ。この日はテレビ局と新聞社が取材に来ていて、それぞれ翌日報道された。日本人が謝罪の祈りをささげに来たという趣旨のものだったようだ。
翌朝のテレビの放送では、お祈りのときの、私の顔が映っていたらしく、「たねの会」の、旧知のN女史から「そのときだけまじめな顔をして」とからかわれた。
最終日、三日目の3月1日は、まさに三・一独立運動の記念日であった。記念の式典では、金大中大統領が、現下の日本の教科書問題(「新しい歴史教科書をつくる会」が編纂中の例の教科書をめぐる問題)について間接的に言及したということを、日本に帰ってから知った。
帰国してかなりの日数がたった。あのときの旅は一体なんだったのだろう。観光の面もあったし、観光にしては、生真面目な面もあった。お世話になったバス・ガイドのキムさんは、我々のツアーを珍しがり、あの朝鮮戦争のときの惨事と比べれば、29人の人たちが犠牲になった堤岩里の事件は、それほどの大事件ではなく、多くの韓国の人たちは忘れてしまっていると言った。これもまた我々へのいたわりの言葉であったのかもしれない。しかし今日の在日朝鮮人・韓国人問題や、教科書問題につながる、歴史を逆行するような戦後の政治的「愚行」の数々を思えば、堤岩里事件は単に過去の話と済ませられない側面をもつ。
謝罪とは、当然、過ちは決して繰り返さないという、未来への決意を含意する。我々の前途の厳しさを思うものである。
教育基本法が改悪され、日本の将来に暗雲が立ち込めています。人間がまっとうに考え、行動することを抑圧するような状況がさらに進展しつつあるように思われます。日本のマスコミがこのような状況を批判的に取り上げるのではなく、その動きを加速させる役割しか果たしていないことが、今や明らかになりつつあります。学校もまた生徒の成長を助け、自己を実現する機会を提供する場ではなく、生徒をひたすら管理し、鋳型にはめることしか考えない「非育・失育」の機関と化しつつあることが、今や明白になりつつあります。権威・権利・権力の三権が人民から益々遊離し、国家という化け物が「美しく」厚化粧して、人々を「動員」の対象としつつあります。しかしこの日本の現実は、一方では、底辺層の加速する貧困化をもたらし、「ほっとけない日本の貧しさ」を露呈させつつある過程でもあります。危機が深まっています。
そもそも近代の産物である「学校」という存在が、人間の選別機関として、また産業予備軍として、児童生徒を選別的に訓育し、産業社会に送り出すことを主要な役割としてきたことは、つとに指摘されていたことです。今や学校に対するいかなる幻想も払拭されなくてはならない時に来ています。私の手許に『状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加』(ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー著、佐伯胖訳、産業図書、1993年)という本があります。これは原題の「Situated Learning, Legitimate Peripheral Learning」が示すように、「状況的学習 合理的周辺参加」と訳すべきものです。すなわち「理にかなった」周辺的参加によって、効果的な学習が成立つことを論じた本です。要するに、これは、学校教育がなぜ失敗することが多く、人類の古来の教育法である「徒弟教育」がなぜ殆んどの場合成功するのか、その理由を解明しようとした試みです。学校という人為的な構築物は、人間の現実的な状況を捨象したところで成立っていて、カリキュラムという抽象的な「学習計画」が学校全体を支配しています。そこにそもそも多くの生徒が脱落する理由があります。しかし徒弟教育においては、親方という模範が目の前に存在していて、弟子入りを許された者は、そのこと自体によって既に社会的プロセスの末端に位置づけられたことを意味しています。たとえそれが「周辺的参加」であり、手伝いの範囲を出ないとしても、その状況に巻き込まれて、次第に中心的な課題にアプローチすることが可能になります。それは教育の過程でもあります。なすべき模範的行為は常に目前に提示されています。それに対して、学校教育では、児童生徒がなぜそのことを学ばねばならないか、その目標が常に先送りされる状態に置かれていて、抽象的思考能力だけが求められます。学ぶために学ぶことが要求されます。それは殆んどの生徒にとっては極めて不自然な状況です。ただ競争に勝ち抜くことだけが学習の動機となりがちです。
かつて私はかなりの年数、英語学校の管理者として英語教育に関わったことがあります。そのとき、日本人はなぜ英語を話すことが苦手なのかということについて考え、三つのことに思い当たりました。それは学校教育の弊害と言うべきものですが、次の三点に行き着きました。@書き言葉偏重である、A何でも翻訳したがる、B完璧主義者でミスを極端に恐れる。明治以来、西洋の知識を日本語に翻訳することを優先させてきた結果、英語をあたかも漢文の「返り点送り仮名」にようにして読解し、正確な日本語に直すことを基本に据えてきました。それはそれで日本の近代化に貢献し、翻訳文化を成立たせてきたというプラスの面があったことを無視することはできません。しかし「英語を話す」ということは、アカデミックな課題ではなく、話す、あるいは聞くという、英語のスキル(技能)の習得に関わる実践的な課題です。それは実践されなくては、習得されません。ラーニング・バイ・ドゥーイングであって、屈辱的ではあっても、子どものレベルでの実践を繰返さなければ、英語を話す技能は決して身につきません。しかしそこに何か錯覚が働いて、技能と知識のレベルの取り違えが起ってしまったのでしょう。あるいは「恥をかく」という、その一歩を踏み出せないまま、英語を話すことに苦手意識を持つ日本人を輩出してきたのでしょう。しかし英語を話さなければならないという状況に置かれたら、何が何でもその関門を乗り越えなければならなくなります。
学習は基本的に実践的な状況に置かれています。ここに紹介した本でも、学習における「実践共同体」の意義が強調されています。床屋でも、料理屋でも、産婆でも、実践的課題が目前にあって、そのために必要な技能や知識の習得が求められます。しかしそれは何も低次元の話をしているのではなく、科学者集団といえども「実践共同体」です。学習は常に状況的であって、抽象度のレベルに差があるだけのことです。しかし「学習指導要領」があたかも神の如く万能であると錯覚されているところでは、それを作成する国家の思惑だけが先行して、その他の、生徒が現実に置かれている状況は無視され、切り捨てられてしまいます。学習課題を鵜呑みに呑み込むことだけが求められます。この歪んだ学習環境が「いじめ」を発生させていると私は考えています。生徒は初めから競争的環境に置かれていて、与えられた学習課題をやみ雲に消化することだけが求められています。そうなれば、当然のことながら人間性も歪んできます。そこからは、寛ぐことを知らない、ただ命令に従うだけの人間が生まれて来るでしょう。既にそれは、絶えず硬直していて、力を抜くこと知らない、またいつも人の言う通りに動こうとする、学生の「体」の変化として、以前から指摘されてきました。
このような体制は、いつかは破綻するでしょう。なぜならそれは益々暴力的になることによってしか維持されないものだからです。
賀川豊彦は目的的世界(生命の世界)に七つの要素を見出していました。それが賀川の思想の骨格を形づくっています。たとえば賀川の『人格社会主義の本質』(賀川豊彦全集13、キリスト新聞社、1964年)によれば、次のように書かれています。
「価値と云うものは或る「目的」のために発生するものである。その目的は七つの要素が揃わないと達成できない。(一)生命、(二)力、(三)変化、(四)成長、或は行程、(五)選択、(六)法則、(七)合目的性の七つである。これは遊戯の場合でも、学校や停車場に出かける場合にでも、この七要素が必ず守られている。(一)生きていること、(二)生きているものが力を以って歩き出し、(三)或場所を出発して、変った場所へ出かけること。(四)そこに行くには、段々近くなる過程を取らねばならぬ。(五)それにはコースを選択せねばならぬ。(六)通行上の法律は勿論、生理的、心理的約束を守らなければ、自動車に轢き殺されてしまう。(七)こうして、やっと、出発時には目に見えなかった目的地の駅とか、学校に到着するのである」(p.158)。
この七つの要素を例のTH図(「哲学の区分」など参照)に当てはめると、G合目的性、A生命、B変化、C力、D成長、E選択、F法則となります。賀川はその著『宇宙の目的』(全集13)で宇宙には「目的」があると主張しています。その当否は暫く措くとして、生命の目的的活動については、たしかにこの七つの要素が働いていると言えるでしょう。
これを人間の社会生活に適用すれば、G文化目的の達成、A生活の安定、B変化の許容、C労働力の保全、D成長の保障、E選択の自由、F法的規制の遵守となります。社会生活の理想はこの七つの要素を実現することにあります。もちろんそれは理想であって、現実を見れば、そのどれもが著しく阻害されているのを認めざるを得ません。
今日の資本主義社会をそのまま放置して、賀川が理想とする社会を実現して行くことができないのは明らかです。戦争が体制維持の不可欠の手段と見なされているところでは、「文化目的」は破壊されることはあっても、決して達成されることはありません。賀川の言う「人格社会主義」とその達成の方法(それについて検討することは今後の課題です)が、はたして我々が目ざし実践すべき方向と手順を示しているか否かについては、なお議論が存するところでしょう。しかしいかなる社会を理想とするかということについて、賀川が示した七つの要素は一つの指針を提供していると言えるでしょう。
現実の重圧に押しひしがれて、我々はともすると社会生活の理想に思いを致すことができなくなります。国家権力が体制維持(「美しい国」としての国体の護持!)を名分として、その理想を抑圧するかに見えるときには、我々は極端に絶望的になりがちです。理想とは要するに頭の中に描かれた「観念」であって、現実は別の方向に動いています。しかし、それが「生命」を抑圧し、破壊する方向に動いているとしたら、生きている者たちがそれに唯々諾々と従うのは、あまりにも無残な光景であると言うべきでしょう。戦争はいつもそのような形でやってきましたし、またもやその危機が到来しつつあるように思われます。現実に逆らって理想を手放さない生き方は、いつの時代にも多数派を形成することはないでしょう。サルトル(『サルトルのマルクス主義』参照)の言う「稀少性」が人間の現実であるとしたら、そこには正義も法もありません。奪い合い、闘い合う現実があるだけです。言葉はその現実を糊塗し美化する役割しか果さなくなります。しかしそれだけが人間の生き方なのでしょうか。
教育基本法という理想が葬り去られ、次には「新憲法の制定」が、現職の総理大臣の口を通して語られるこの時代に、理想を掲げることの意味が厳しく問われています。