閑老人のつぶやき 宗教について 7
宗教改革以来、プロテスタント教会では「見える教会(visible church)」と「見えない教会(invisible church)」という区別がなされてきました。教理と政治形態との多様性を抱え、区々に存在している既成教会は「見える教会」であり、その背後にあって、教会を教会として存立させている、決して分かたれない霊的で一なる教会が「見えない教会」と呼ばれてきたのでしょう。ローマ・カトリック教会は、教皇制ならびに使徒権の継承という教義によって、その唯一不可分の正統性を主張しました。そこから分離したプロテスタントが「見える教会」と「見えない教会」の区別を持ち出したのは、自らの正統性(orthodoxy)と正当性(legitimacy)とを擁護するために、どうしても避けられないことだったと思われます。見える教会(罪びとの集まり)と見えない教会(聖徒の交わり)との区別は、対抗原理として生まれてきたと言えます。プロテスタント教会に聖人がいないのは、現実存在(堕落した世界)を、たとえそれが教会であっても、そのものとして聖化する機構を捨て去ったからであり、そこから救いについての独自の逼迫した希求が生じてくることになりました。カトリックから見れば、それは信仰主義fideismという異端にほかならないものでした。しかし今日の目で見れば、それは既に「古典的な対立」と言うべきもので、よほど熱心な人、あるいは神父や牧師という「当事者」でなければ、どちらかの立場を意固地に言い張ることはないでしょう。そのような対立そのものが、無意味になり、過去のものとなりつつあります。一方を教権主義clericalism(聖職者の過度な影響力の行使)と言い、他方を聖書主義biblicism(聖書の文字への厳格な固執)と言ってよければ、どちらもが、歴史的現実の中で批判に曝され、その権威を失墜してきたからです(なお私は聖書主義も結局は裏返しの教権主義であると見ています)。
しかし今日の時点で振り返ってみて、上の「見える教会」と「見えない教会」との区別には、見逃せない真理契機が含まれていると思います。教会はカトリックとプロテスタントの区別を問わず「霊的現実」に根差すものであって、その「霊的現実」なるものは、目に見えるものだけによって判断することができないと考えられるからです。だから問題は、「見えない教会」の霊的現実をどのようなものとして考えるかということです。私が言いたいのは、その霊的現実なるものを果して教会にだけ限定して考えることに、どこまでの妥当性があるかということです。「教会」という血脈の中にだけ流れる血流のようなものとしてそれを捉えるならば、霊的現実は「見える教会」のみに開かれ、教会に属する信徒にだけ現臨する、何かあるものであるということになります。たとえば、その霊的現実なるものをキリストと言ってよければ、キリストは司祭がつかさどるミサ(聖餐式)のうちに、牧師がとりつぐ神のことば(説教)のうちに、またはその名によってつどう礼拝の集まりそのもののうちに、霊的に現臨(現存)すると見なされます。従って、キリストなる霊的現実の「現成」が、「キリストの体」としての教会であるという理解が成り立ちます。この根本思想が、今日までキリスト教という宗教を成り立たせてきたのだとすれば、キリストと呼ばれる霊的現実について、それがなぜ「教会」の占有物とされなくてはならないのかと、敢て問う必要があるのではないでしょうか。これを言い換えて、天地万物の創造者とされる神の霊(聖霊)が、なぜ教会の中でだけ働くのかと問うべきではないでしょうか。神の救いの業は、なぜ教会を通してだけ働くと言うことができるのでしょうか。
この「見えない教会」を、仮に「霊における普遍的教会(the universal church in spirit)」としてみます。単にそれを「心の中の一つの普遍的教会(a universal church in spirit)」としてではなく、つまり心の中で(in spirit)考えられただけの一個の普遍的教会の理念としてではなく、文字通り、霊において(in spirit)成り立っている普遍的教会の真実であるとしてみた場合、どうやらそれは通例考えられる教会という限定それ自体を越えたものではないかと、考えることも可能ではないでしょうか。この考えを敷衍して、諸宗教の原像としての「霊における普遍的宗教(the universal religion in spirit)」なるものがあって、それが諸宗教を成り立たせている当のものであるとしてみます。するとキリスト教という宗教も、その真理を分け持っている諸宗教の中の一つであり、その限りで真実であるが、決して真理を独占しているわけではないという結論が導き出されます。私がこれまでメタセオロジー(生命論的神学)とかエコセオロジー(全宗教の神学、神の場の神学)という言葉で考えてきたことは、諸宗教の原像としての「霊における普遍的宗教」というものに関わっています。それはもちろん目に見えないものであって、人は現実の諸宗教しか観察することができないとしても、それらの根底にこの原像が働いていると考えることが可能なのではないでしょうか。つまりすべての「見える宗教」の背後には「見えない宗教」があるのではないでしょうか。そして「見えない教会」も実はその一部であると考えられるのではないでしょうか。しかし「霊における普遍的宗教(the universal religion in spirit)」の英語の部分を訳し換えて、「宇宙心霊教」としてみた場合、そのような宗教が現実に存在するわけではありません。仮にそのような宗教が存在したとしても、それもまた局所的に限定された「見える宗教」でしかありません。諸宗教の原像はいわば深層構造であって、それとして見える形で存在するものではありません。しかしそのような「見えない宗教」を想定して、初めて「見える宗教」の意味を解読することができます。
井筒俊彦氏は諸宗教の深層構造の解明に取り組みました。私は未だ詳しく参照していませんが、高田信良氏に、浄土真宗の立場から書かれた『見える真宗・見えない真宗−宗教研究・キリスト教に学んで−』 という著書があったと思います。テイヤール・ド・シャルダンの『宇宙のなかの神の場』も見逃せない文献の一つではないかと思われます。また西田幾多郎は「宗教は心霊上の事実」であると言い、宗教の「論理的」解明にその生涯をささげました。私の言う「宇宙心霊教」という宗教の原像に迫るという課題は、今日漸く人びとの意識にのぼり始めたのではないでしょうか。しかしこの「見えない宗教」への感覚ということでは、日本人は昔からその資質を発揮してきたとも言えます。それを単なる「多神教的」感覚と言って済ませることはできないでしょう。そこにも宗教の原像が働き出ているからです。
『さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。ザアカイは立って主に言った、「わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」』(ルカ19:1−10)。
ここには二つのことが書かれています。一つは、イエスが、ザアカイの存在に気づいたということ(awareness)、そして次にそのザアカイの置かれている状況を察知し、その家に客となることによって、彼を気遣ったということ(caring)です。
ザアカイは、そのような形でイエスに受け容れられることによって、本来あるべき自分を取り戻しました。喜びが彼を包みました。そしてこれまで自分がしてきたことが、一体、何であったかを知りました。それは彼自身が、実は、心の底で求めていたことであって、いちじく桑の木にのぼってでも、切にイエスの姿を見たいと思ったのも、イエスと出会うことが何かの解決になるかもしれないという、彼自身の潜在的欲求によるものだったのでしょう。イエスはその彼の客となり、家に泊まることによって、孤立した彼の苦境を切り開きました。そのときザアカイに回心(conversion)が生じました。自分自身を取り戻して、今までしがみついていた財産を進んで放棄するほどに、根本から解放されました。それをもたらしたのは、イエスとの出会いであり、また、イエスの気づきと気遣いだったのです。それによってザアカイは自分が本来あるべき場所に居ることが可能になったのです。自分の本当の居場所を見つけることができたのです。
パウロの時代の原始キリスト教団は愛餐共同体(agapeic community)であったと聞いたことがあります。ギリシャ人もユダヤ人もなく、男も女もなく、食事を共にするということは、互いに心の底から受け容れ合うということを意味していたでしょう。それは解放されていることの徴(しるし)であり、互いに気づき気遣うという関係を象徴するものだったのでしょう。そのような愛餐共同体の成立はイエスの生き様を反映していたのではないかと思われます。
菱木政晴氏は真宗大谷派の「近代教学」の「境地主義」を批判しました(菱木政晴『非戦と仏教 「批判原理としての浄土」からの問い』発行白澤社、発売現代書館、2005年)。宗教的な悟り(awareness)を一種の「絶対的な境地」として祭り上げてしまうのではなく、それを普段の生き様の中で問われる「気づき」として、また他者に対する「気遣い」へと転成する、一個の生き方の「原理」として捉え直したとき、宗教のあり方は確かに大きく変わってくるでしょう。そこから宗教者の「世俗内修行」と言うべきあり方が生じてくるでしょう。私は「気づき」と「気遣い」とに万人の生き方を見出したいと思っています。宗教は何か特別なものであってはならないと思います。
《汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰ってみると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう》(マタイ12:43−45)。
《また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」》(マタイ13:24−30)。
前の方の譬は、私に、20世紀の革命後の社会主義諸国家を思い起こさせます。社会悪、あるいは資本主義社会の害悪を根本から取り除こうとして、その後スターリニズムが跳梁した歴史的教訓は、人間社会は一朝にして改まらないということを示すもののように思われるからです。きれいにした筈の家に、前よりもっと悪い霊が住み込むことになるという譬は、人間の悪は簡単には取り除けないという洞察を示すものではないでしょうか。自分の中の悪に正面から向き合わないで、科学的理性だけで社会悪を根本から取り除くことができるという「信念」にすべてを賭してしまうのは、人間に対するリアルな洞察が欠けているからはないでしょうか。「よこしまな今の時代」から悪を根本的に取り除くことはできません。人間には根源悪というべきものがつきまとっていて、宗教がなくならない理由もそこにあるのではないかと思われます。「科学教育」を徹底すれば宗教はなくなるであろうという社会主義的信念は、事実によって裏切られています。
もちろん迷信俗説をそのまま肯定してよいわけではなく、国家主義的な「神話」に民族の命運を賭けてしまうのも甚だ危険であって、理性は正しく行使されなくてはなりません。しかしその合理主義が根源悪を見据えるところまで深化されなくては、社会変革の事業は所詮「絵空事(空想)」であって、ラディカルな社会変革には必ず反動が伴うということを避けて通ることはできません。また社会変革を強行しようとすれば必ずスターリニズムを呼び込むことになります。権力を守るために粛清を正当化することになります。それが悪であるという自覚がない権力の正当化は「悪魔的」ですらあります。
後の方の譬は、我々に何を示すでしょうか。「収穫の時」が来るまでは、毒麦を生えるままにしておくという教えは、そのときまで「待つしかない」と言っているように思われます。世界にはよい麦と毒麦とが生えていて、それぞれ生長を続けます。しかし必ず収穫の時がやってきます。そのときこそ、麦と毒麦とを選別して刈り取るときだと言われています。それではいつがその時なのでしょうか。時が熟するまでは待つしかない。しかし必ず刈り入れの時がやって来る。その刈り入れの時を「終末の時」だと考える必要はありません。歴史には、一般的な「とき(クロノス)」の流れとは区別される、「そのとき(カイロス)」というものがあります。「そのとき」とは一回限りのものではなく、歴史の中で絶えず繰り返して到来してくるもので、それは各人にとっての「そのとき」です。客観的な時の流れのある時点が「そのとき」なのではありません。そのときがいつであるかは各人の判断に委ねられるという側面があります。そのとき、覚めている人もいれば、眠っている人もいます。そのときを知ることが、そしてそのときまで待つことが、人間の生き方というものでしょう。しかしそのとき「世界が一変する」ということではありません。そのとき立ち上がっても、無残な敗北に終るかも知れません。毒麦が麦を征することもあるでしょう。それでもなおそれは「そのとき」なのです。
世界は一遍には変わりません。悪は歴史の終わりまで存在し続けるでしょう。しかしそのときを待ちつつ、そのときに向かって生きることが、人間の積極的な生き方というものでしょう。メシヤニズム(世の終わりに必ずメシヤ=救世主が到来するという思想)がもし真実であるとしたら、それは人間のそのような積極的な生き方の象徴だからなのでしょう。「マラナタ(主よ、来りませ)」と唱えることは、人がなお生きてゆくことができるということの、その根底を示すものであるように思われます。
中根専正師の『修証義の講話―道元禅師のお言葉』(三宝に帰依する参照)を読んでいて、仏教の「同事」という言葉にキリスト教の「受肉(托身、incarnation)」と共通する意味があるのを知りました。そこで第五章(行持報恩)の第二十六節(見佛)に出てくるその部分を、先ず引用してみます。
《仏・ボサツの出現は、大乗仏教になると、吾等凡夫がこの地上に生れてくるのとは異なって、苦悩の衆生を哀愍して済度摂受するために天上より天下(あまくだ)って、願ってこの娑婆国土(しゃばこくど)に生まれて来られるとするに至った。吾等一般凡夫衆生は、三世の業(ごう)によって六道に輪廻(りんね)し、種々な苦を受け、生死をくりかえす。これを、「業生(ごうしょう)」といい、仏・ボサツはかかる業生を解脱し、久遠の寿命を保たれているのであるが、大慈悲心から自ら吾等衆生に同事して、此の土に「願生(がんしょう)」(願って生まれる)するのであるとする。
釈尊は久遠成仏の聖者であったが、南洲インドの衆生の苦悩の現実を哀愍(あいみん)されて、トソツ天より天下(あまくだ)られ、カビラ城主の妃(きさき)マーヤー夫人に托胎(たくたい)され、われら人間の姿に同事されて、共に悩み、苦しまれ、発心、修行され、菩提樹下に端坐(たんざ)されて大悟(涅槃寂静、ねはんじゃくじょう)を開顕(かいけん)され、その功徳によって吾等有情非情も同時成道したと説かれてくる。法華経第十法師品に、
「まさに知るべし、この人は大菩薩(だいぼさつ)にして、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、無上の正等覚、さとり)を成就(じょうじゅ)し、衆生を哀愍(あいみん)して、此(こ)の間(かん)(娑婆国土、しゃばこくど)に願生(がんしょう)す」
とある。「願生」というのは、一般には、念仏(ねんぶつ)の衆生が、「願って弥陀(みだ)の浄土に生れん」とすることをいう。後略(下線、引用者)。》
ここに書かれていることは、受肉・復活・贖罪・永遠というキリスト神話がなぜ生まれてきたのかということと考え合わせてみると、とても興味深いものがあります。キリストもまた我ら衆生の救済のために天より天下った方とされているからです。
しかし「同事」というのは、「禅定において修習すべきボサツの自利利他の徳目」の一つであって、もちろん受肉と全く同じ意味ではありません。第四章(発願利生)の第二十一節(四攝法、ししょうほう)に書かれていることを引用してみます。
《大乗経典、維摩経(ゆいまきょう)などには、禅定において修習すべき徳目として「四無量(心)」を説く。
(一)慈無量(心) 無辺の衆生に無量の楽を与える(サンスクリット語表記略、以下同様)。
(二)悲無量 無辺の衆生の無量の苦を抜く。
(三)喜無量 無辺の衆生の幸福を随喜すること無量である。
(四)捨無量 無辺の衆生を無執着の心で怨親平等(おんしんびょうどう)に利益すること無量である(利益は「りやく」と読む、引用者)。
この慈悲喜捨は無量無辺であるから、「大悲は倦(う)むことなく常に我を照したまう」というように、吾等は常に仏ボサツの大慈悲の中につつまれているので、吾々は深く信じて報恩の誠をささぐべきである。
この四無量心を具体的に示せば、いわゆる「四摂法(ししょうほう)」になる。四摂法は四摂事(ししょうじ)とも訳し、大乗経典(大般若経第四六九など)にしばしば説かれている。原語では、チャツル‐サムグラハ‐ヴァストゥ(四摂事又は四摂行とも訳す)という。「ボサツがあまねく衆生を摂受し、利益する行願、方便としての四種の綱要(こうよう)」のことである。
(一)布施摂法(ダーナ‐サムグラハ‐ヴァストゥ)、(二)愛語摂法(プリヤヴァーディタ‐サム・ヴァ)、利行摂法(アルタチャリヤー‐サム・ヴァ)、(四)同事摂法(サマーナアルタター‐サム・ヴァ)である。
道元禅師は特にこの四摂法の一々について、ボサツのすぐれた衆生を摂受する願行として「菩提薩?四摂法(ぼだいさったししょうほう)」の巻をお説きになっている。》
この四摂法の一つとしての「同事」については第四章(発願利生)の第二十四節(同事)で取り上げられています。そこでその初めの部分を引用します。
《原文 同事といふは不違なり、自にも不違なり、他にも不違なり。たとへは(譬へば)人間の如来は人間に同せるかこと(如、ごと)し。
佗(た)をして自(じ)同せしめてのちに(後に)、自をして佗に同せしむる道理あるへし。自佗はとき(時)にしたかふ(随う)て無窮なり。
海の水を辭(じ)せさるは同事なり。この(是)ゆゑ(故)によく(能く)水あつまり(聚り)て海と(なり、土かさなりて山と)なるなり。 (四摂法の巻)
講話 四摂法の第四は同事摂法である。同事の事とは、禅師は同巻に「事とは儀なり、威なり、態なり」とのべられている。即ち、威儀(いいぎ)、態度(たいど)で、西洋の言葉で言えば、エチケットやマナーで、行儀(ぎょうぎ)、振舞い(ふるまい)、姿態(ポーズ)などをいう。ボサツは衆生を仏道に引摂する場合に、その衆生の行動(威儀)や、姿態(すがたかたち、態度)を同じにして、即ち善巧方便(ぜんぎょうほうべん)をもって、親しみやすくし、老子のいうように「和光同塵(わこうどうじん)」(光りをやわらげ俗塵に交る)して、仏道に導くのである。故に「同事といふは不違なり、自にも不違なり、他にも不違なり、たとへば人間の如来は人間に同ぜるがごとし」と説かれた。不違とは違わないということで同じということである。それは、わざとそうするのではなく、自己にも不違であり、他己にも不違なので、自他一等無我平等なのである。たとえば、釈尊は(人間の如来は)、人の子として生まれ、結婚し、一子をもうけ、衆生とともに悩み苦しみ、修行し苦行されて、有情非情と同時成道された。これが観世音ボサツの三十三身を現じて一切の衆生、六道輪廻の衆生身に同事して仏道に同じく信入せしめるので、禅師は「人界に同ずるをもて、しりぬ同餘界(地獄・餓鬼・畜生・天上界にも同事)なるべし。同事をしるとき、自他一如なり」ともうされている。》
私が同事という言葉に受肉と共通する意味を読み取ったというのは、上に述べられているようなことです。しかし同事には東洋的な融通無礙の精神が躍動していて、西洋的な受肉の理解とは、当然異なるところがあります。この節には道元禅師が詠まれた歌が二首掲げられています。
《道元禅師は「本来の面目」と題して、
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さへて 冷(すず)しかりけり
「鏡清雨滴聲」と題し、
聞くままに また心なき 身にしあれば おのれなりけり 軒(のき)の玉水
とお詠みになっている。》
こうなると「同事」はもはや受肉の教義とは無縁であると言うほかはありません。
その昔、高木幹太牧師から初めて「四弘誓願文(しぐせいがんもん)」のことを聞き、心を打たれたことがあります。それ以来ずっとそのことが気にかかっていたので、この機会にそれについて考えてみます。ここでも中根専正師の『修証義の講話―道元禅師のお言葉』から引用します。引用する言葉は第四章(発願利生)の第二十節(大悲闡提、だいひせんだい)に出てくる文章です。本題のやや前の方から引用を始めます(三宝に帰依する、受肉と同事参照)。
《前にものべたが、禅師の発願の文に、
「ねがはくばわれと一切衆生と、今生より乃至(ないし)生生をつくして正法をきくことあらん。きくことあらんとき正法を疑着(ぎちゃく)せじ。不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて佛法を受持(じゅじ)せん。ついに大地有情(だいちうじょう)とともに成道することをえん」と。
長阿含(じょうあごん)経第八「散陀那(さんだな)経」に、
「ゴータマ沙門(釈尊のこと)は、よく菩提を説く。自らよく調伏(自制・克己)して、よく人をして調伏(ちょうぶく)せしめ、自らよく止息(禅定)を得て、よく人をして止息(しそく)せしめ、自ら彼岸に度(わた)り、よく人をして彼岸に度らしめ、自ら解脱(げだつ)を得て、よく人をして解脱せしめ、自ら滅度(めつど、涅槃寂滅)を得て、よく人をして滅度せしむ」と。
釈尊やボサツの発願は、
「たとい、佛になる(悟る)べき功徳が熟成して圓満し、佛になることが出来る身となっても、なおその功徳を他にめぐらし、衆生、生きとし生けるもの(大地有情)すべての、成佛得道(とくどう)に回向(えこう、ふりむける)するなり」と禅師は「発菩提心の巻」に述べられている。
法華経、「化城喩品(けじょうゆぼん)に、大通智勝ボサツは、釈尊の教えに随喜し、
「願わくはこの功徳をもって普(あまね)く一切に及ぼし、吾等と衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを」(普回向、ふえこうと称す)とのべている。
かかる仏・ボサツの普く弘い発願(誓願)は、四弘誓願文にまとめられている。
法華経「薬草喩品(やくそうゆぼん)」に、
「未だ度(わた)らざるものをして度らしめん。未だ解脱せざるものをして解脱せしめん。未だ安んぜざるものをして安んぜしめん。未だ涅槃(ねはん)を得ざるものをして涅槃を得しめん」と。
祖師ボサツの誓願は、己れ未だ度らざる先に一切衆生を度さんと発願しいとなむものであるが、その衆生を度す目的としては、釈尊ボサツの説かれた、四つの聖諦(しょうたい、縁起観)を体得させることであるから、「菩薩瓔珞本業経(ようらくほんごうきょう、巻上)」には、まず第一に、衆生をして、一切は無常で皆苦であることわり(苦諦、くたい)を自覚せしめ、次に第二に、その苦悩の原因は、貪(むさぼ)り、怒り、邪見(貪・瞋・痴の三毒)等の執着心、無明、貪愛にあることを知らしめ(集諦、しゅうたい)、さらに、第三にこの根本執着心から遠離し、解脱し寂滅涅槃せしめるようにする(滅諦、めったい)。さらに第四にこの涅槃寂滅に導く八つの道(正見、正思惟 シユイ、正語、正業 ゴウ、正命 ミョウ、正精進 ショウジン、正念 ネン、正定 ジョウ)に入らしめんとする。この様な四つの弘い誓願を立てるのであるとのべている。この意味で、現在、各宗派等で唱えられる、四弘誓願文は、
一、衆生無辺誓願度(衆生は無辺なれど、誓って度さんと願う)
二、煩悩無尽誓願断(衆生の煩悩は無尽なれども、誓って断ぜしめんと願う)
三、法門無量誓願学(法門は無量なれども、誓って学ばしめんと願う)
四、仏道無上誓願成(仏道は無上なれど、誓って成(ジョウ)ぜしめんと願う)
というのがボサツの利他四弘誓願文であった。後略。》
宗派によってこの誓願文に異同があるようですが、初めの「衆生無辺誓願度」に変わりはないようです。舟の船頭のように、自分は舟に留まり、客を向う岸に渡すことが、菩薩、あるいは仏弟子の使命であるということでしょう。そこに四弘誓願文のすべてが言い尽くされていると思われます。いわば仏果(悟り)をわがものとせず、衆生の成佛得道に回向する(道元の言葉)ことが、菩薩の誓願であるということでしょう。
これは甚だラディカルな生き方というものです。イエスは弟子の足を洗いましたが、その後のキリスト教の歴史はその精神を裏切ってきたように、仏教の現状を見れば、この仏・菩薩の「普く弘い誓願」がどこまで実践されているのかと疑うこともできます。しかし、一たび地上に現われた菩薩の誓願は、泥沼に咲く蓮の花のように、たとえ稀有であっても途絶することなく、いつかどこかで必ず花開くものだと考えることも可能です。
ここで留意すべきもう一つのことは、四弘誓願文のすべてが、ただ「心」の問題を扱っているように見えることです。宗教は心の問題であって、社会の諸問題に直接取り組むことは期待されていないと、よく言われます。宗教は彼岸の問題に関わり、此岸の問題は世俗のこととして、俗人の手にゆだねられているというわけです。しかし人間の心は、社会的現実と「同事」であって、その二つを器用に切り分けることはできません。初期仏教には様々な社会的変革が伴ったことは、よく知られています。道元禅師も、たとえば、「たとひ(設ひ)七歳(しちさい)の女流(にょりゅう)なりとも、すなはち(即ち)四衆の導師なり、衆生の慈父なり。男女(なんにょ)を論ずることなかれ(勿れ)、これ(此れ)佛道極妙(ごくみょう)の法則なり(禮拝得髄 ライハイトクズイ の巻)」(上掲書第四章、発願利生、第十九節、男女を論ぜず)と述べています。当時としては、きわめて先進的な思想だったのではないでしょうか。
さらに観点を変えて言えば、人間の心は世界に「遍通」しているという「仮説」を立てることも可能ではないでしょうか。釈尊ひとりが「成佛得道」すれば、それはやがて「普く弘く」世界に広がってゆきます。ひとりの人の祈りに行動が伴わず、その人にできるのは、ひたすら祈ることであったとしても、その祈りは全く無意味であると言い切れるでしょうか。道元禅師の言葉を読んでいて、禅師には、何かそのような確信があったのではないかと思わされることがあります。ひとりの人の「発明発見」が必ずと言ってよいほど、世界に普及するように、人間の心は、そして宇宙にあるすべてのもの(有情・非情)は、深いところでつながっていると考えてみることも、決して無駄ではないと思います。
このような「仮説」に基づいて、先に「受肉と同事」のところで、最初に引用した文章に続く部分を読んでみると、そこには必ずしも荒唐無稽なことが書かれているわけではないという気がしてきます。そこには次のように書かれています。
《「願生」というのは、一般には、念仏の衆生が、「願って弥陀(みだ)の浄土に生まれん」とすることをいう(既出)。即ち、もろもろの生きとし生けるものがこの六道に生死し輪廻する穢土(えど)を厭離(おんり)して、阿弥陀仏の住する不死涅槃の楽浄土に往生(おうじょう、ゆきうまれる)せんと欣求(ごんぐ、ねがいもとめる)ことで、太平記(二十)に「厭離穢土の心は日々にすすみ。欣求浄土の念時々(じじ)にまさりければ…」とある。衆生のこの至心信楽(ししんしんぎょう)の心(往相回向心、おうそうえこうしん)は、仏(弥陀)ボサツ(観音)の無量無辺無倦(むけん)の摂受不捨(しょうじゅふしゃ)の大慈悲心(還相回向心、げんそうえこうしん)と感応道交(かんのうどうこう)し、同事円融(どうじえんゆう)し、往還即通(おうげんそくつう)し、弥陀来迎(みだらいごう)し、同時成道して、この世、かの世、三世「十方の法界、三途六道(さんずろくどう)の群類(ぐんるい)、みなともに一時に身心明浄(みょうじょう)にして、大解脱(だいげだつ)を證し、本来の面目現ずるとき、諸法みな正覺を證會(しょうえ)し、萬物ともに佛身を使用して、…究竟無為(くぎょうむい)の深般若(じんはんにゃ)を開演す。…みな甚妙不可思議の佛化に冥資(みょうし)せられて、ちかきさとりをあらわす。…」(「 」内は正法眼蔵、辧道話の巻より引用)。
「己心の浄土、己身の弥陀」という。この業生(ごうしょう)の身心も、本来の面目(仏心・仏性)が現ずるとき、即ち菩提心を発(おこ)すときは、願生の身心となり、阿弥陀仏・諸仏・諸ボサツの甚妙不可思議の仏化、大慈悲心に冥資(みょうし)せられ、感応道交し、往相回向即通(そくつう)還相回向となって、一切衆生、われも人も十方法界みな仏事をなし、究竟無為(きゅうきょうむい)の深般若を開演し、開顕(かいけん)するのである。ここに、衆生の身心も願生の身心となり、一切の諸仏、諸ボサツは来迎し、此の娑婆国土に願生し、一切の諸仏ボサツ即ち釈迦牟尼仏ボサツを見たてまつり、親しく法を聴(き)き、至心に信解し、自然法爾(じねんほうに)、諸法実相の楽浄土に往生し、寂光寂静の涅槃を証得するのである(第五章、行持報恩、第二十六節、見佛より)。》
この間、メタセオロジー(生命論的神学)、エコセオロジー(全宗教の神学、神の場の神学)なるものを考えてきました。それもまだ至って不十分なのですが、このメタセオロジーを考えるに当たっては、当然、オブジェクティブ・セオロジー(対象神学)を想定しているということになります。それはキリスト教の「既成神学」と言うべきものです。既成神学とは、キリスト教の教義に「呪縛」された旧来の神学のことで、それを離れたら「断罪」されるという意味で、極めて権威主義的な神学を意味しています。私が既にその立場には立っていないということは、この間の論述で明らかであるという前提に立って、その既成神学の構成について、以前から考えていることを述べたいと思います。
なお旧来の神学(オブジェクティブ・セオロジー)も、意識的あるいは無意識的に、哲学的基礎づけのもとに存立してきたという意味では、既に一種のメタセオロジーを前提していたのであって、その既成神学をより普遍的で、より自由な立場から論しるために、私は敢えてメタセオロジーという言葉を用いることにしたまでのことです。それを言い換えるとエコセオロジー(全宗教の神学、神の場の神学)になるであろうというのが、私のやや先走った見通しです。すなわちメタセオロジーとは、キリスト教を「より開かれた」宗教にするための私の方便であって、旧来の「閉ざされた」、あるいは自律し完結しているかに見えるキリスト教を、新しく見直すためにこそ導き入れられたものです。旧来の「正統的な」立場からすれば、憤激のもとに葬り去られるような「いかがわしい」ことを私は考えているわけです。その「いかがわしさ」の意味を理解するためには、「正統的な」弁証法的唯物論、または唯物史観、およびその思想から演繹され、科学的に必然的な法則とされる「革命」の観点に立たないかつてのマルクス主義者が、「修正主義者」、「日和見主義者」として糾弾されたことを思い出してみるのも無駄ではないでしょう。
さて、そのような前置きをした上で、既成神学(対象神学)なるものを考えるに当たって、かつて「哲学の区分」で行なった哲学の「分類法」(TH図)を、ここでも導入してみたいと思います。そうすると以下のような区分が考えられるでしょう。
A聖書神学(聖書解釈学)、B教理神学(教会教理史)、C典礼神学(共同礼拝論)、D実践神学(牧会心理学)、E注釈神学(聖書注解学)、F基礎神学(信仰弁証論)、G摂理神学(世界宣教論)。キリスト教的思考法、伝統的な教会の七つの標識参照。
ニ千年の蓄積のある神学をこのように分類してみたところで、仏教の教学同様、その全体にやや詳しく目を通すことは、非専門家たる私のよくするところではありません。しかし神学なるものの課題を整理するために、一つの便法としてこれを考えてみたいと思います。そこから一個の「全体像」が浮かんでくると思われるからです。以下、メタセオロジカルな観点から、簡単にその説明を試みたいと思います。
A 聖書神学(聖書解釈学)
歴史学的文献学的な「聖書学」とは区別されて、「神学」的な聖書解釈が可能であるという前提があってこそ、講壇(パルピット)での「説教」が可能になります。またそれが教義の土台にもなっています。しかし聖書が神の言葉であるという「正典」論は、逐語霊感説的に聖書を読解する道を採らないのであれば、実のところ旧来の聖書解釈の歴史を踏まえて、その今日的意味を考えるという以外のことではないでしょう。アウグスティヌスは、ルターは、カルヴァンは、あるいは誰それはこう解釈したということに基づいて、今日の聴衆に意味のある言葉として、聖書を読み解くということが課題となります。しかし現在は、歴史学や文献学の知識も一応前提とした上で、なお神学的読解が可能であるという、やや錯綜した状況を呈しています。そこに今日の「聖書神学」の困難があります。聖書には旧約聖書と新約聖書とがあって、文書ごとにそれぞれの専門家がいて、その研究を集約して、「旧約聖書神学」、「新約聖書神学」なる研究書を書くことができるのは、余程の大家です。しかもそこでの「神学」の意味は、聖書のテキストそれ自体が包蔵している神学ということであって、今日あるべきキリスト教神学という意味での「キリスト教教理の体系」とは直接に結びついてはいません。すると、牧師が講壇で語る説教(聖書の釈義に基づく神の言葉の取り次ぎ)はいかなる意味で「神学」的であるのかと、よくよく吟味する必要があります。通例は、その教会が所属する教派の神学的伝統に基づいて「神学」的であるとされるでしょう。しかしその神学的伝統なるものは、そう信じられてきたということであって、何かそれ以上の根拠があるわけではありません。それ以上遡及することは許されない構造のもとで、その通り信じますと言われているに過ぎません。宗教とは、そもそもそういうものだという側面があります。しかし聖書についての歴史学的文献学的な知識が、専門家だけではなく、一般読者にも浸透している今日では、信徒を教会の権威に縛りつけ、言われた通り信じろというだけの論法では、多くの人はついて来ないでしょう。そこには遺産の食い潰しはあっても、創造的な働きはありません。
聖書についての歴史学的文献学的知識を抑圧しないで、しかも説教が可能であるとしたら、それはどんなものになるでしょうか。そこで成り立つ信仰とはいかなるものでしょうか。そのような問いこそ、まさにメタセオロジカルな問いであって、今日キリスト教はそこにまで押し出されているのではないでしょうか。
B 教理神学(教会教理史)
カルヴィニストの教会(すなわち改革派の教会、長老主義の教会)では、聖書は「教理」に基づいて読まれなくてはならないとされています。その場合の教理とはハイデルベルク信仰問答、もしくはウェストミンスター信仰問答という、かつての教会の信仰告白のことを指しています。聖書は勝手に読まれてはならず、教理に基づいて正しく読まれなくてはならないとされます。成文化された信条を持たないバプテスト教会にあっても、使徒信条などの基本信条は暗黙のうちに前提されているという側面があって、聖書の読み方は実際には拘束されています。教理とはキリスト教からの逸脱を防ぐための拘束であるからには、このような縛りは不可避であるとも言えます。
教会は東方教会(ギリシア正教)と西方教会に大別されます。両者が分かれた理由には、種々の理由があると思われますが、大本のところに聖霊は父から出るのか、子を通してかという三位一体をめぐる教理的理解の相違があったように思われます。西方教会はさらに宗教改革によってカトリックとプロテスタントに分かれ、そのプロテスタントはルター派とカルヴァン派に分かれ、カルヴィニズムが英国に渡ってピューリタンとなり、長老派、組合派(会衆派)、バプテストなどの諸派が生まれ、また英国教会(聖公会)がカトリックから独立すると、そこからメソジストが分かれ、またそこからホーリネス教団が生まれるなど、教会に諸派、諸教派が陸続と生まれてきました。その他にメノナイト派というアナバプテストの流れに属する教会や、上の分類では括りにくい教会なども存在しています。それらの教会は個々に教理が異なるのですから、教理に従ってこそ聖書を正しく読むことができると言っても、それはその教派に属する信徒として、その教会の教理に忠実に従ってこそ、聖書に正しく接することができるという主張が、それぞれ別個になされているという結果を将来します。たとえば、カトリックとプロテスタントの違いとしては、女性聖職者の存在を認めるか、産児制限をどこまで容認するか、聖職者の独身制を堅持すべきかなどの、具体的な諸点があります。これも聖書をどのように読むかということに関わっています。
教理神学は、必然的に教会教理史の研究となるという面があります。歴史神学と呼ばれている神学の分野は、従って教理神学と重なる部分があります。しかし教派横断的に教理の研究を行なうことは、H.リチャード・ニーバーの『教派主義の社会的源泉』という著作はありますが、これまであまりなされて来なかったのではないかと思われます。ヤロスラフ・ペリカンなどは、例外的な存在でしょう。今後の課題としては、キリスト教を総覧するという意味でも、またキリスト教という人類の精神史(intellectual history)の重要な部分を明らかにする意味でも、キリスト教諸派を通観する「教会教理史」の研究が必要になるでしょう。それは特に、私の言うメタセオロジカルな神学研究にとって、欠かすことのできない部分を構成します。キリスト教という名前で、人々が実際には何を考え、行なってきたのかということを調べるのは、とても興味深いことです。
C 典礼神学(共同礼拝論)
キリスト教徒は、当初は、ユダヤ教のシナゴグで集まりを持ちました。キリスト教の礼拝は、そもそもそれがユダヤ教の分派として成立したという歴史的事情からも、ユダヤ教の集会と密接な関わりをもっています。しかし洗礼の儀式などは、クムラン教団には存在しましたが、ユダヤ教の伝統的儀式であったとは言えない面があります。聖餐式についても、ユダヤ教的な犠牲奉献の儀式として理解されてきた面はありますが、独自の性格を持っています。聖餐は、原始教団で行なわれていた愛餐(agapeic feast)とどういう相関関係にあったか、詳らかでないところもあります。いずれにしても、安息日(ユダヤ教と異なり、土曜日ではなく、復活の日曜日)に、週ごとに集まりを持ち、神を讃え、礼拝するということが、この二千年間行なわれてきたということは、極めて顕著なキリスト教の特徴です。その間、礼拝の儀式は様々に変容し、改革されてきました。特に宗教改革以来、プロテスタントの礼拝は、簡素化され、聖餐式よりも説教を中心に置くものに変わってきました。プロテスタントの礼拝は、修道院内での「聖務」(時課、定められた時間ごとに詩篇を朗誦する)とも関わりがあるようです。しかし「主日」に教会に集まるという「クリスチャン気質」(たしか島崎藤村の言葉)は、きわめて強固なものとして存続してきました。そこには言い知れない磁力があって、キリスト者の間で、まさに神の召集というべき力が働いてきました。キリスト者がキリスト者であるのは、ほかのことはともかく、毎週礼拝に出席するからであるという面もあります。牧師の話がわからなくても、礼拝にだけはきちんと出席するという「気質」がクリスチャンにはあります。
この「礼拝」(仏教とは違ってレイハイと読みます)について研究する神学が典礼神学です。言い換えれば「共同礼拝論」です。典礼、あるいは礼拝式は、キリスト教の宗教的実践の焦点であって、これを外しては信仰生活が成立しないと考えられています。繰り返せば、それはキリスト教信仰の顕著な特質です。それはまたユダヤ教徒が安息日ごとにシナゴグに集まるのと、ある意味で共通のことでもあります。しかし、キリスト教にはユダヤ教の祭日とは異なる、独自の「教会暦」(カレンダー)があって、信仰生活はそれによって仕切られ、年毎に循環します。この場合も、プロテスタントでは大分簡素化されて、受難週、イースター(復活日)、クリスマス(降誕日)などに特化されています。
キリスト教の礼拝を仔細に検討することは、キリスト教そのものを理解することに通じています。教派によるその異同だけではなく、他宗教の種々の儀礼と比較してみることも、メタセオロジカルには重要な意味を持ちます。人間が公式に集まるとき、その集会はどのように儀式化されるのか。そこでの役職や役割分担はどのように決められるのか、そこにどんな理由づけが働くのかなど、礼拝も人間の集まりとして、基本的な観点からの考察も可能ですし、またそうしなければならないと思います。古代以来の人間の宗教的儀式との比較も重要な意味を持つでしょう。イニシエーション(入会)の儀礼、葬儀や婚礼などの特別な儀式についても、同様に考察されるべきでしょう。
D 実践神学(牧会心理学)
実践神学と言っても、社会的実践の神学のことではありません。ここではトゥルナイゼンが『牧会学』で論じたようなことが実践神学として想定されています。つまり従来は牧師の固有の務めとして理解されてきたpastoral care、Seelsorge(魂の配慮)のことを指しています。トゥルナイゼンは神学的牧会学と牧会心理学とを区別して論じています。しかしメタセオロジカルな立場からすれば、両者を決定的に区別すべき理由は見当たりません。ひとりの人が「キリスト」において救いを見出し、教会生活の意義を見出すということは、確かに教会にとっては重大なことでしょう。悩める魂は「救われ」なくてはなりませんし、そしてそれは主日の礼拝において究極的な解決を見出すということも、神学的に言えば、まさに正当なことです。そして信徒はそこに導かれなくてはならないということも、牧師の立場からすれば当然です。しかし今日の教会で、それが十分には機能していないように見えるのは、その神学的命題が信徒の生活から浮いてしまっているからではないでしょうか。教会生活と日常生活が乖離していて、両者がマッチしていないからではないでしょうか。ボンヘッファーは「秘義訓練 arcane discipline」という言葉を使いましたが、いわば教会生活と日常生活とをつなぐ通路には扉が閉まっていて、その鍵は簡単には見出せないという状況があるのではないでしょうか。神学的であればすべてよし、ということにならないところに、今日の教会の困難があります。牧師は神学だけではなく、心理学も勉強しなくてはならないということではなく、両者の区別を取り払ってしまったところに、真の解決を見出すべきなのではないでしょうか。
アメリカでは、司祭のところへ告解に行くかわりに、人々はカウンセラーのもとを訪ねると言われます。両者には明らかに平行関係があるのですが、教会は余りにも神学的であるために、人々の悩みに真に応えることができないでいます。それに比べれば立正佼成会、その他の教団で見受けられる、信徒同士でなされる一種のグループ・カウンセリング(法座)の方がはるかに効果的であると言うべきでしょう。神学的狭窄衣を着込んでしまった教会は、悩む者の友であるというよりは、「悩める羊」をただ囲い込むだけの「拘置所」になっているとさえ思えてきます。神学が人々の心に解決を与え、人々を自立させる学問となるためには、教会(神学的造形物)という垣根を一旦取り払う必要があるのではないでしょうか。敢えて牧会心理学という言葉を使ったのは、そのような理由によります。
E 注釈神学(聖書注解学)
聖書のテキストに注釈を加えるということは、写本の異同に始まって、時代的考証、作者の置かれた状況、他の文書との比較、言葉の意味、その歴史的背景、地理的判断、訳語の適否などなど、全く専門家の仕事であって、一般人(非専門家)はその成果の恩恵に与ることができるだけです。その作業を「神学」と呼ぶ必然性はどこにもありません。しかし従来は自己の神学的立場からその注釈を行なうことが、神の言葉たる聖書の注解としては、当然のこととしてなされてきました。つまり聖書の注解に神学的バイアスがかかっていたわけです。そして厄介なことに聖書本文を自分で理解しようとする者は、原語の習得から始まって、数え切れないほどの研究書の参照も行なわなければならず、そのヒマと能力のない者は、自分で原語の聖書テキストを読み、また内外の研究者の諸説を参照するという作業の多くを断念せざるを得ません。精々、日本語の研究書に目を通すことができるだけです。しかも研究者によって、言うことがかなりまちまちであるので、どうしても自分の推定に頼るという部分が出てきます。
この事態は信徒にとって大きな壁のようなものです。そこから牧師や専門研究者の権威が出てくるのではないかと言いたくなるほど、外国の宗教であるキリスト教の信者になるということは、負荷が大きいと言わなければなりません。しかしそれは仏教にも当てはまることであって、キリスト教に限ったことではないのですが…。いずれにしても聖書を読む場合には、一般人は注解書(の翻訳)に依存するということになります。しかしそういう事情があるとしても、私が言いたいのはキリスト教についてのある事柄を、自分で適否が判断できるように最大限の努力を払うべきであるということです。これまで教会は個々の信徒を自立させる方向ではなく、教職に依存する方向に傾いていました。それこそが望ましい状態であると言われるかも知れません。それに対してはあの神学者カール・バルトがハンガリーの青年たちに語った言葉を、本題とは直接関係がありませんが、以下に引用してみたいと思います。
『古い時代にはいつも、独立的に考えることの出来た人々、考えることを欲した人々がいた。そのような人々が、もし諸君のジェネレーションにもはやいないとすれば、それは宜しくないことであろう。老カントの「啓蒙とは何か」という論文中の数節を、聞いていただきたい。それは次のような文章である。「啓蒙とは、人間がその自己責任である未成年状態から脱出することである。未成年状態とは、自分の悟性(understanding、理解力、知力、引用者)を他のものの先導なしには用いることの出来ない無能力さのことである。この未成年状態の原因が、悟性の不足のためでなく、他のものの先導なしには悟性を用い得ないという決意と勇気の不足のためである以上は、この未成年状態は自己責任である。賢者たるに憚ることなけれ(Sapere aude !)、自分の悟性を用いる勇気を持てという言葉が、従って、啓蒙の標語である」。もし今日の青年が、これらの文章の中から語っている精神に対して、もはや何の感覚も持たないとしたならば、よろしくないであろう。二十世紀の前半が、思いもかけずわれわれに、このように多くの暗黒な狂気をもたらした後で、もしその後半が、最上の意味で、そのような「啓蒙」の一時代になるならば、むしろ良いことであろう。そのために心を用いるということは、諸君の問題である(バルト『モーツァルト』小塩節訳、新教出版社、1957年、所収、「ハンガリアの若き友へ」より)。』
F 基礎神学(信仰弁証論)
基礎神学というのはカトリックの用語であり、それに対してプロテスタントでは弁証論(apologetics)という言葉が用いられます。辞書によれば「キリスト教の神的起源および権威の弁護に傾注される神学の一分科」(Webster’s New Collegiate Dictionary)とあります。これを「信仰弁証論」としたのは、私としては、キリスト教信仰の哲学的基礎づけという意味を持たせたかったからです。私は学生の時から、この意味でのキリスト教哲学に関心を寄せてきました。カール・バルトはそのような努力を基本的に拒否し、神学は自律的に神学でなければならず、啓示に拠って立つ、神の言(コトバ)の神学が成り立つという立場に立っていました。いわばキリスト教は即事的(ザッハリッヒ)にキリスト教なのであって、その弁証なるものはキリスト教に余計なものを持ち込むだけであるという見解を、戦闘的に堅持しました。それはボンヘッファーによって「啓示実証主義(積極主義)」として批判されました。バルトの立場は信仰のある局面を明確に言い表わしています。しかしそれは独断的であること(dogmatic !)と紙一重なのであり、頑迷な保守主義者にいいように利用されるという弱点を持っています。カール・バルトと同じ時期、共にバーゼル大学で教鞭を取ったカール・ヤスパースは、バルト神学に危惧の念を表明しました。
今日、キリスト教信仰が危機的状況に置かれていることは明らかであり、それに対して、バルトのような「(啓示実証主義的な)居直り」が魅力的に映ることは確かなことなのですが、それに対してあくまでも「留保」を突きつけることが、「啓蒙」の立場に立つ哲学者の役割というものでしょう。私の言うメタセオロジーとは、キリスト教を相対化するための一つの方策であって、それには批判的キリスト教哲学の帰結という側面があります。今日、なお、「暗黒の狂気」が世界を覆っているとき、「自分の悟性を用いる勇気」を持つことがどこまでの射程距離を持つのか、大変おぼつかない思いをしながら、なおもその道を歩み続けていくほかはないでしょう。
G 摂理神学(世界宣教論)
19世紀から20世紀にかけて、西欧キリスト教による怒涛のような「世界伝道」の時代がありました。私という存在も、その流れによって作り出された一現象というべきもので、その流れの中で、内村鑑三などにもあった「世界のキリスト教化」という「摂理(providence)」の観念も生じてきました。今日、漸くその反省期に差し掛かっているとも言えますが、ここで改めて人間には果たして普遍的使命(universal mission)と言うべきものが与えられているのか、神の摂理と言われるものがあるとしたら、それはどんな意味においてであるのかと問うことが求められていると思われます。
仏教徒の「四弘誓願文」は明らかに仏教の普遍的使命に関わっており、マルクス主義者の「世界同時革命」もマルクス主義的な普遍的使命というべきものでしょう。今日の時代的趨勢の中で、人間にいかなる普遍的使命が与えられているのかと問うことは、哲学的には「歴史哲学」の課題です。これを神学的課題として受け止め直せば、「摂理神学(世界宣教論)」という神学の一分科が成立するでしょう。しかしその課題はかつての世界伝道の時代とは異なり、平和・人権・福祉・環境という、今日の世界の困窮に関わるテーマに、人間はどのように取り組んだら良いのかを考える学問となるでしょう。しかしもちろんそれはキリスト教ひとりが解決できる問題ではなく、多種多様な人々との連帯を視野に入れた、「エキュメニカル(世界教会論的)」な課題として再定義されることになるでしょう。また進化論的な意味で、人間がこの世界に現出してきたということの意味を、この危機の時代に改めて問い直すということとも、それは不可分に結びついていると思われます。生態系が破壊され、文明が歯止めのない暴走を続ける時代に、人間にどのような向き直りが可能であるのかと問うことこそ、摂理(歴史法則)についての根本的な考察であると言うべきでしょう。それはまた市場原理主義や新自由主義的な資本主義の暴走についての根本的な問い直しを含意することにもなるでしょう。
世界宣教論(universal missiology)は、そのような形で、かつての「世界伝道」の時代とは違って、キリスト教自身への根本的な反省を含む、より普遍的な使命の探求という形を取ることになるでしょう。臨終の床で「宇宙の完成」を祈った内村鑑三の祈りが、人類の悲願として、今この時代にこだますることが、切実に求められています。
以前「社会のゆがみ」で取り上げたようなこと、すなわち「コミュニケーションの偏向」、「社会的相互作用の収束」、「文脈化の権能」が、なぜ常に生起してしまうかということに関して、もう少しその先を考えてみたいと思います。
コミュニケーションの偏向、たとえばマスコミはなぜ権力に迎合した報道しかしないのか、社会的相互作用の収束、たとえばアメリカのイラク侵攻のような不法行為がなぜ容認されてしまうのか、なぜ強者の行為がそのように常に正当化されてしまうのか、文脈化の権能、たとえば「新しい歴史教科書をつくる会」のような攻撃が、なぜ文部科学省に認可されて執拗に仕掛けられて来るのか、なぜ歴史的文脈が権力者に都合がよいように書き換えられてしまうのかということを考えると、なぜならそれは人間存在それ自体が「歪んでいる」からではないかという想念に行き当たります。社会がそのように歪んでいるのはそもそも人間のあり方が歪んでいるからであるという、いわば当然の結論に導かれます。
人間の「本来の面目」(仏心・仏性)ということを考えた場合、つまり歪んでいないあり方というものを考えた場合、そのあり方は(いのちの)「原複合」とでも言うべきものです。このことは既にどこかで取り上げたように思いますが、現実社会では人間は「優劣複合」(superiority=inferiority complex)とでも言うべきあり方をしていて、絶えず競争という条件のもとに置かれています。協力は競争という条件のもとで、競合するもの、あるいは敵対者に勝つためにこそなされるのであって、そこでは自己の優劣、他者の優劣が、常に意識されることになります。そしてそのようなあり方は、人間からその「本来の面目」を奪い取ってしまいます。人間はそこからしかこの世界を見ないようになります。それだけが世界であると思い込んでしまいます。しかしもしも人間がそのようなあり方から脱して、「本来の面目」においてこの世界を見ることができるとすれば、世界はおそらくこれまでとは違って見えてくるのではないでしょうか。私はこれを、宇宙飛行士が青くて丸い地球をはるかかなたから観察したあと、やがてその地球に帰還して自分の住んでいる街に戻り、改めてそれを眺めたときの心境に譬えたことがあります。同じ街の景色なのですが、以前とは違って見えてくるということが起こります。釈尊やイエスには何かそのような「眼」があったような気がしています。
私がこれまで仏教(宗教)の「修行」ということに着目してきたのは、それが人間のそのような二つのあり方に関わるものなのではないかという想定があったからです。そこで、ここでも中根専正師の『修証義の講話』から、上に述べたことと関わりがあると思われる部分を、やや長くなりますが引用してみたいと思います(第五章「行持報恩」、第二十八節「仏祖単伝の恩」からの引用、下線は引用者、旧漢字は新漢字に改めます)。三宝に帰依する、受肉と同事、四弘誓願文参照。
『禅師は「威儀即仏法、作法是宗旨」と述べられて、日々の威儀作法を清規(しんぎ)に示されている(永平清規)。これ等をもとにして、日分、月分、年分などの行持をまとめて、「曹洞宗行持規範」が宗務庁より出されている。今もこれに準拠して日々の行持が行なわれている。
ここにいう「行持」は、一般に使われる「行事」という、お祭行事とか、年間や正月、などの民間行事や、冠婚葬祭の種々の行事よりも深い意味があり、修行護持とか、仏行、行仏、道行の行、実相総持の持続を意味している。故に禅師は「行持」の巻(上・下)において、行持を強調し、仏祖の行持を多く例証し、行持の大切なことをのべていられる。
「仏祖の大道、かならず無上の行持あり。道環して断絶せず。発心修行菩提涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。このゆゑに、みづからの強為(ごうい)にあらず(自らおしつけた行持でない)、他の強為にあらず(他からおしつけられたものでもない)、不曽染汚(ふぞうぜんな)の行持なり(いまだ曽(かつ)て、少しのしみけがれ、とらわれのない行持である)」とのべられている。いはば、戒、定、慧三学の一体となった祗(只)管打坐(しかんたざ)の行持といえよう。それはしばらくの懈怠間隙(けたいかんげき)のない環(たまき)の端なく円(まど)かな如き行持である、と。
「その宗旨は、わが行持、すなはち十方の?地(そうち)満天(すべての天地)、みなその功徳をかうぶる。
これによりて、仏仏祖祖、仏住し仏非(ぶっぴ)し、仏心し仏成して断絶せざるなり。この行持によりて、日月星辰(せいしん)あり、行持によりて大地虚空あり、行持によりて依正(えしょう)身心あり。行持によりて四大五薀(ごうん)あり。行持これ世人の愛処にあらざれども、諸人の実帰(じっき)なるべし」(一切はこの行持に依帰するとのこと)
「その行持の功徳、ときにかくれず、かるがゆゑに発心修行す。その功徳ときにあらはれず、かるがゆゑに見聞覚知せず。あらはれざれどもかくれずと参学すべし」
「かの行持の見成(けんじょう)する行持は、すなはちこれ、われらがいまの行持なり。行持現成するをいま(いま)といふ。一日の行持これ、諸仏の種子なり、諸仏の行持なり」
「このゆゑに行持はしばらく懈倦(げけん、おこたりうむ)なき法なり」
とのべられている。後略。』
「この行持によりて、日月星辰あり」という言葉は人を驚かせます。行持がなければこの世界がないと言っているからです。どんなことをしていても、この世界は現に存在するではないか、という反論が予想されます。しかし禅師は証悟(さとり)においてこの言葉を発していると思われます。いわば帰還した宇宙飛行士の「眼」からこの世界を見ていると言っても良いでしょう。「実相総持の持続」を説く立場からすれば、世界の実相はこの行持に極まるのであって、世界は徹底してそこから見られることになります。かの行持(仏祖の行持)は、「われらがいまの行持」であるということは、仏仏祖祖、すなわちそこに連綿たる行持の持続があるということでしょう。そしてそこに真実の生き方があるということでしょう。道元禅師は、ひたすらそのことに専念せよと言っているのでしょう。
仮にこの行持を「いのちの原複合」と言ってよければ、そこに成り立つ世界は、原複合・基礎集団・生活圏といったものになるでしょう。「基礎集団」とは、サンガ(僧伽)であり、またキリスト教的に言えば、エクレシア(教会)です。そして、証悟の実相において成り立つ世界が「生活圏」です。それは「生活世界」(Lebenswelt)と言い換えることもできるでしょう。しかしこの現実世界は、優劣複合・利益集団・市場圏というあり方をしていて、人間の「本来の面目」を裏切っています。いわば歪んだあり方をしています。以前から、私はこれを「世界観的原図式」と呼んで、社会的現実を見るときの参考としてきました。しかし我が身も含めて、この世界が「本来の面目」に立ち帰るということは、極めて困難であって、私としてはただそこにそのような問題があると指摘することができるだけです。おそらく人間は、現実にはその二つの世界のせめぎ合いの中で、自らの歪みを自覚しつつ、闘いながら生きるほかはない存在ではないのかと思います。
道元禅師は「その行持の功徳、ときにかくれず、かるがゆゑに発心修行す。その功徳ときにあらはれず、かるがゆゑに見聞覚知せず。あらはれざれどもかくれずと参学すべし」と述べています。たとえこの世界が修羅場であっても、人がなお絶望せずに生きてゆくことができるのは、人を「発心修行」へと促す「行持の功徳」、すなわち、人類の先達の連綿とした、果敢な闘いがあったためでしょう。私は、仏教徒ではないので、禅師の言葉をそのように拡大解釈しています。「あらはれざれどもかくれず」、たとえ、その功徳が現われていなくても、消えてなくなってしまったのではないと、ひたすら「参学」するところに、人間の人間らしい生き方が見出されてくるでしょう。
八木誠一氏の『イエスの宗教』(岩波書店、2009年3月)を一読しました。この本の出版に相ついで、荒井献氏の『初期キリスト教の霊性 宣教・女性・異端』(岩波書店、2009年4月)が出版されたことに、かつて未だ若い頃にこのお二人の謦咳に接したことのある者として、いささかの感慨を覚えました。共に東京大学の西洋古典学科で、前田護郎教授のもとで学ばれ、聖書学者として半世紀の歳月を歩んで来られました。八木氏は1932年生れ、荒井氏は1930年生れで、ほぼ同世代です。
八木氏は、『新約思想の成立』(新教出版社、1963年)を出版されたあと、滝沢克己氏との長い間の論争を経て、聖書学者であると共に、宗教哲学者としての一面を発揮して来られました。また禅者牧師吉田清太郎から受洗した禅学者、故秋月龍a師との長い間の対話を重ね、キリスト教と仏教との相互理解の可能性を探究して来られました。その八木氏が、この度『イエスの宗教』を上梓されたことは、これまでの研鑽の一つの帰結を示すものとして、注目されます。伝統的な意味での「キリスト者」であることよりは、「イエスの弟子」たることの可能性を探究する本書は、「脱キリスト者」として「イエスに従う者たちの一人」でありたいと願ってきた私のような者にとって、とりわけ重要な意味を持ちます。
「擬人的神観と場所的神観」のところで述べたように、本書でも根底にある思想は、自己・自我の「仮説」です。改めて気づかされたことですが、八木氏の場合、滝沢氏とは違って、「神人の原関係」が、神の場における「自己・自我」の関係として捉え直されていることです(「根本的作業仮説」参照)。イエスにおける「人の子」、パウロにおける「キリスト」とは、まさにこの「自己」であるというのが、八木氏の主張の根幹をなしています。神の場において「自己・自我」の関係が成立するということは、人間が「単なる自我」であることを脱して、本来の「自己」に目覚めるということを意味しています。そのとき「自己・自我」の関係が、「自己→自我→」として、すなわち「統合体」として成り立ってきます。「自己・自我」の実存が、単なる自我の現存在を越えて、成り立ってくると言い換えてもよいでしょう(「カール・ヤスパース」参照)。それは「神のはたらき」(神の場)において成立することです。「イエスの宗教」は、まさにその事態の発現として理解されています。いわば「覚の現成(げんじょう)」です。
そして、神の場における「自己・自我」の関係にこそ、滝沢が力説した「不可分・不可同・不可逆」の関係があると主張されます。滝沢克己の「インマヌエル」と異なるのは、まさにこの点です。神人の原関係が、神と人との直接の関係としてではなく、神の場(神の国、神のはたらき)における「自己・自我」の関係として捉え直されるということに、八木氏の思想の根幹があると言えます。八木氏は、この「神のはたらき」をあたかも自明(*)であるかのように語るので、当然反発も予想されます。それは一体何だという反問は大いにありうることです。しかし「自己・自我」の関係を場所論的に把握し、「インマヌエル」という直接的擬人的な神表現を避けたというところに、滝沢とは異なる八木氏の思想の独自性があります。私はそれを前進と見なしたいと思います。むしろそれこそがインマヌエルだと、言いたいと思います。一般的に言って、人は、何らかの「中間者」(ロゴス、キリスト、人の子などと表現される、「本来的自己」の覚知)なしに、あるいは夢や幻覚を通すことなしに、直接、神と接することができないと考えられるからです(「神を見た者は死ぬ」)。
* 八木氏は、「自己」において、神のはたらきとの「作用的一」が成り立つと言います。それは「単なる自我」が破られる出来事であり、また「自己」がそれとして開示される出来事であると解してよいでしょう。しかし、実は、そこに最も困難な問題があります。それもまた、多くの人にとって、自明であると見なすことは出来ません。それをさらりと言い表わすところに、八木氏の思想の特徴があると言ってよいでしょう。
八木氏は自分の思想はグノーシス主義的ではないと言います。「本来の自己」などと言えば、単なる自我に宿る「種子」としての「自己・自我」の自力による実現の可能性を肯定し、キリスト論的救済の思想(根源悪に染まる人間の救済はキリストの「贖罪」によってのみ可能であるという思想)に反する、グノーシス主義であると見なされるのは、ある意味で当然のことです。しかし、あまりそれを気にする必要はないでしょう。「イエスの弟子」であろうとすることは、既にキリスト教とかグノーシス主義であるとかの、既成宗教の対立を越えて進むことを意味しているからです。「ユングとキリスト教1〜7」で取り上げたように、むしろ、グノーシス主義の真理契機を率直に認めなければ、キリスト教の「再生」もあり得ないと考えるべきです。キリスト教と仏教との対話もグノーシス主義の「批判的吟味」を媒介にして可能になるとさえ言うことができるでしょう。
八木氏はこの本で、「プログラム・フリー」、「コード・フリー」という新しい考え方を導入し、またさまざまな「圏」(生活圏、医療介護圏、経済圏、政治圏、文化圏、宗教圏など)を場所論的に取り上げています。「生活圏」を「市場圏」に対比させる私の考え方(「本来の面目(世界観的原図式)」、「社会空間論から見た宗教」など参照)とは違って、ここでの「圏」は、明確に「現存在」にのみ定位されていて、その歪みが分析されています。また「配慮する自我」についても論じられ、配慮は消極的でハイデガー的な意味を持たされています。この点も「ケア」をポジティブなものとして捉えようとする私の考えとは違っています(「場の中にいる」、「アクティブ・ケアリング」、「気づきと気遣い」参照)。しかしそれも「配慮」を現存在に定位して考えるか、それとも実存に定位して考えるかの違いであって、実存において(「本来の面目」において)、ケアは、思い煩いとしての配慮から、八木氏が説いているような「よきサマリア人」の生き方へと、ポジティブに「転換」すべきものでしょう。いずれにしても、かつて八木誠一氏の著作に大いに触発された者として、及ばずながら似たようなことを考えてきたのだなと、改めて感じた次第です。問題はそれを「実生活にどう生かしていくか」でしょう。
この本の最後(「エピローグ」の終わり)の文章を引用して、この短い感想文を閉じることにします。そこには、ここでは取り上げなかった「身体/人格としての人間は、神の国を居場所とするコミュニカントである」という、八木氏のもう一つの中心的な思想が述べられています(そこにもまた人間の「罪」とはコミュニケーションの「欠如・欠陥」であるという、私の考えに似たものを感じています)。
『イエスの言葉は、神の国を居場所とするコミュニカントの言葉である。だからイエスは、ユダヤ教圏において、神のはたらきをさながらに自覚する「証人」となった。この意味で、イエスは事実、真正の宗教運動の創始者である。原始キリスト教は解釈を媒介して、イエスを継承したのである。しかし、イエスが神のはたらきを証しした以上、イエスの自覚と証しはもはやイエスだけのことではないし、イエスだけのことにしてはいけない。イエスは、「神→自己→自我→」として生きるという人の可能性を実現し、同時にこれがすべての人の可能性であることを示した。ゆえに人は、イエスの弟子となって、直接にイエスの宗教を継承することができる。このことが明瞭になったとき、「イエスの宗教」はキリスト教内外のあらゆる人にかかわる、独立で普遍的な宗教となるだろう。』
岩波書店は戦後何度か「哲学」の講座を刊行しているようです。私の手もとには1986年、第16回配本を以て完結した「新岩波講座哲学」があります。時代が変わり、研究者が世代交代する中で、新しい「講座」の発行の要求が生れてくるのでしょう。現在もまた「岩波講座哲学」の刊行中で、その第15巻(2009年)、すなわち最終巻のタイトルは「変貌する哲学」となっています。その中の『「東洋思想」の発見』(黒住真)という論文の抜き刷りを、このほど著者のご厚意で入手しました。内容が私の関心と重なるところがあるので、その論文の最後の節の紹介を行ないたいと思います。(原注には*、私が付したコメントには△がつけてあります。)
八 場所的論理と宗教性
この「場所的論理と宗教的世界観」で、西田幾多郎は、やはり鈴木大拙と同様に「自然法爾」を語っている。そこでの自然は、ただ自然そのままを説いたのではなく、よほど深みがある。また、そこでは、神と人との「不可逆」に近い論を展開している。だが、そこからどのような生が死が生活が出てくるのだろうか。
△ 著者(黒住真)は西田の「論理(哲学的表現)」にいかなる具体的な「生活」の裏づけが伴うべきか、あるいは哲学的思弁という「灰色の世界」にどんな「色彩」をほどこしたらよいのかと、西田とは逆向きの問いを発しているように見えます。
「否定即肯定の絶対矛盾的自己同一の世界は、何処までも逆限定の世界、逆対応の世界でなければならない。神と人間との対立は、何処までも逆対応的であるのである。故に我々の宗教心と云ふのは、我々の自己から起るのではなくして、神又は仏の呼声である。神又は仏の働きである。自己成立の根源からである(三二五頁)」(*)。
* 「場所的論理と宗教的世界観」西田幾多郎全集第一〇巻、岩波書店、二〇〇四年による。以下同様。
△ 私は「滝沢克己の世界・対話の部屋」などでも書いたように、西田の矛盾的自己同一は、文字通り、contradictory identityである考えてきました。ここに書かれていることを私なりに理解すれば、神は一切の限定を受け付けないという意味では、無限定であって、しかも我々の自己を限定するものとして、その限定によって限定される存在でもあります。自己が自己として成立するということは、限定されない神の自己限定という働きであって、我々は限定されるものとして逆限定的に神と対立しています。世界は、このように矛盾的自己同一的であって、自己成立の根源を自己自身のうちに持ちません。だからそこに神、または仏の呼声が聞かれ、宗教心が起ってきます。
「我々の自己は、何処までも絶対的一者と即ち神と、逆限定的に、逆対応的関係にあるのである。……一瞬も止まることなき時の瞬間は、永遠の現在と逆限定的に、逆対応的関係に於てあるのである。故に生死即涅槃である(三三五頁)」。
△ 一瞬一瞬の時は、時間的に限定されない「永遠の現在」の自己限定として、逆限定的に、逆対応的関係に「於てある」と言われています。一瞬一瞬の生死の時を離れて、涅槃=永遠の現在があるのではなく、生死はどこまでも涅槃の自己限定の相として逆限定的・逆対応的に把握されなくてはならないということでしょう。
ここには「絶対的一者」が語られており、まるでプロティノスがまとめたとされる新プラトン主義(Neoplatonism)に近い論だとさえいえる。が、そこからどのような生活が出てくるのかがやはり問題としてある。新儒教といわれる朱子学も、この新プラトン主義に似た構造をもつ。また、そこに向けての生活の形成を説く。が、その生活は、結局、「科挙」に入れ込まれてしまう。他方、プロティノスは、臨死的な忘我に向かったし、虚勢したとまでいわれる。西田は結局プロティノスに同感しはしない。
△ 西田の神観は「発出論的」、新プラトン主義的ではないかという指摘は、たしか田辺元によってなされていたかと思います。しかし「無即有」の「即」の論理は発出論ではないでしょう。それに近いものを人に感じさせるということはあるでしょうが、西田が絶対的一者と言うとき、宗教心に呼応する神、ここでは特にキリスト教的な神のことを想定しているのでしょう。つまり「実定宗教」を念頭に置いています。しかし並んで仏が出てくるところに、西田はあくまでも宗教を「論理的に」探究しようとしているということが示唆されているのだと思われます。つまりカラーでなく、モノクロの世界にいます。
西田は、「絶対的一者」についてさらにすぐ「逆限定」「逆対応」と述べている。これは滝沢克己(一九〇九〜八四)が彼に対して求めた「不可逆」にも似ている(*)。西田はなおも「神又は仏」「呼声」「働き」を語る。では、神人・仏人の根本的な在り方は何か。さらにまた次のようにも述べている。
* 滝沢克己『西田哲学の根本問題』社会哲学叢書、刀江書院、一九三六年。
△ 滝沢克己について、私は「根本的作業仮説」などで論及しています。なお西田が言う逆限定・逆対応には、務台理作の『場所の論理学』(こぶし文庫、1996年)で説かれる「つつみ・つつまれる関係」の「ひるがえり」があるように思われますが、私には滝沢の論理は静的で、動きに欠けているという印象があります。
「絶対者は何処までも自己自身を否定することによって、真に人をして人たらしめるのである、真に人を救うと云ふことができるのである。宗教家の方便とか奇蹟とか云ふことも、此の如く絶対者の絶対的自己否定の立場から理解せられるであろう。仏は自ら悪魔に堕して人を救ふと云はれる。キリスト教に於てでも、受肉と云ふことには、かゝる神の自己否定の意義を見出すことができるであろう。仏教的には、此の世界は仏の悲願の世界、方便の世界と云ふことができる」(同、三四五頁)。
△ 務台の言う「ひるがえり」がここに示されているのではないでしょうか。
ここには、明らかに「逆限定・逆対応」があり、さらにキリスト教における「受肉」(托身incarnatio)、仏教における「願」さえ指摘されている。が、そうであるにしても、西田は、翻ってさらに次のようにも述べる。
△ 受肉は神の「ひるがえり」(逆限定・逆対応)であると言えます。
「我々は自己否定的に、逆対応的に、いつも絶対的一者に接して居る。而して生即死、死即生的に、永遠の生命に入るということができる。宗教的であるのである」(三四〇頁)。
△ 我々は死んでから「永遠の生命に入る」のではなく、それは脚下の真理であるということでしょう。先に生死即涅槃と言われていることと同じです。
これは、先の悪魔・受肉・悲願の前の文章だが、ここでは、「我々は」「永遠の生命に入る」といっている。この世界は、大宇宙・小宇宙の照明というべきものであり、それを「霊性」として次のようにも語る。これは大拙『日本的霊性』(一九四四年一二月)が述べるものにも似ている。
△ 「大宇宙・小宇宙の照明」とはどういうことでしょうか。もしかしたら、この論文の前の方に出てくる、マクロコスモスとミクロコスモスの「照応」のことでしょうか。「照応」であれば理解できます。逆対応はある意味で照応の関係だからです。
「中世哲学に於て神を無限球に喩えた人は、周辺なくして到る所が中心なると云った。これは正しく私の所謂絶対現在の自己限定である。之を我々の自己の霊性上の事実に於て把握せないで、単に抽象論理的に解するならば、此等の語は無意義な矛盾概念に過ぎない」(三三五頁)。
△ 遍在する霊(神)は至るところが中心をなす無限球であり、あらゆるところが「此処」であるということでしょう。「私」は過去現在未来と無限個存在しています。しかしその私は、ここにしかいないという形で、個々に「私」であり続けています。その私とは「どこから来て、何者であって、どこへ行くのでしょうか」(ゴーギャン)。その私が、無限球の意識(大宇宙の暗在的意識)の一焦点(小宇宙の明在的意識)であるとすれば、意識とは人間の意識であって、同時に宇宙の自己意識であるということになります。しかしそれは霊的覚知というものであって、抽象的に説明できることではないと言われています。
「我々の自己は、周辺なくして、至る所が中心である無限球の無数の中心とも考へることができる」(三四一頁)。
△ 周辺がないとは境界で区切られないということでしょう。境界で区切ることができる存在は、有限であって、無限ではありません。その無限球の無数の中心が「我々の自己」であるということでしょう。
このあたりの「至る所が中心である無限・無数の中心」は、仏教でいえば、華厳経の根本にあるものだし、朱子学にも根本にそれがある。西洋哲学ならば、ボナヴェントゥラ(Bonaventura, 1221-74)などもそうである。ただ、大乗仏教には「菩薩」がいるし、ボナヴェントゥラには「キリスト」がいる。西田にはどんな「人」がいるのだろうか。
△ ここで言われる「菩薩」とは、大乗仏教における信仰の対象、例えば観世音・文殊・普賢・地蔵(広辞苑)のことを言うのでしょうか。しかし菩薩とは、もともと成道以前の釈迦牟尼仏及び前世のそれ、仏陀となることを理想として修行するもの(同)のことでもあるので、阿弥陀如来のような存在を考えた方がよいかも知れません。いずれにしても、著者は、信仰の対象となる、超越的に遍在する「人」を問題にしているようです。
西田はキリスト教およびキリストについてこう把握する。
「人格的なるキリスト教は極めて深刻に宗教の根源を人間の堕罪に置く。創造者たる神に叛いたアダムの子孫には原罪が伝はって居る。生まれながらにして罪人である。故に人間からしては、之を脱する途はない。唯、神の愛によって神から人間の世界へ送られた、神の一人子の犠牲によってのみ、之を脱することができる。我々はキリストの天啓を信ずることによって救はれると云ふのである」(三二五〜三二六頁)。
△ 西田は「人格的なるキリスト教」の本質をよく認識していると思います。しかしその教説(神話)をそのままで肯定しているわけではありません。その根柢にある「論理」を把えようとしていると言うべきでしょう。
そしてこれを、「生れながらにして罪人と云ふのは、道徳的には極めて不合理的と考へられるであろう。併し人間の根柢に堕罪を考へると云ふことは、極めて深い宗教的人生観と云はざるを得ない」と評価し、さらにこの「罪悪」を浄土真宗・親鸞に結び付ける。また救済にあたる「悟」として道元をも語る(三二六頁)。だが、この西田の「人間」にとって、神・仏は一体何なのだろうか。
△ 著者はここで西田の「神観」を問います。なお私は擬人的神観と場所的神観について、「自己・自我・インマヌエル」で、八木誠一氏の所説に触れて少し考えたことがありますので、それをご参照下さい。
西田は、「神」について、「私の云ふ所は、万有神教的ではなくして、寧、万有在神論的Panentheismusとも云ふべきであろう」といい、また「仏教は、西洋の学者の考へる如く、万有神教的ではない」(三一七頁)という。他方で西洋の「否定神学は、弁証法的ではない」(三一七頁、また三一〇頁)といい、さらに神自体について、「我々は真の文化の背後に、隠れた神を見るのである」(三六三頁)とも述べる。この「隠れた神」は『旧約』「イザヤ書」から引いてクザーヌスが述べる「隠れたる神」のようでもあり、あるいは『古事記』の「隠身」の神のようでもある(*)。
* ニコラス・クザーヌス「隠れたる神についての対話」『隠れたる神』(大出哲・坂本尭訳)創文社、一九七二年。
△ ルターなどにも見られる「隠れた神(Deus absconditus)」について、西田は果たしていかなる意味でこの語を用いているのかと、判断に迷わされるということでしょう。その意味するところを先の「無限球」に関わらせて考えれば、神はそもそも宇宙の「暗在系」として理知的には決して近づくことのできない隠れた実在であって、しかも人・物の存在(明在系)を根柢から成り立たせている当のものである、とすることもできるでしょう。すべてのものがその「神のうちにある」ということは、従って西田の「無即有」の弁証法から必然的に出てくる神観であるということができるのではないでしょうか。
このあたりの表現は、微妙であり、簡単には何ともいえない。ただ、「万有在神論」といい「隠れたる神」をいう西田は、本論文のほぼ終わりに、「内在的超越こそ新しい文化への途である」といい、『カラマーゾフの兄弟』を引きながら、「新しいキリスト教的世界は、内在的超越のキリストによって開かれるかもしれない」という。また、「自然法爾的に、我々は神なき所に真の神を見るのである」「私は将来の宗教としては、超越的内在より内在的超越の方向にあると考へるものである」と述べる(三六四〜三六六頁)。また最後の段落は「国家と宗教との関係について」であり、これは「私は此から浄土真宗的に国家と云ふものを考へ得るかと思ふ。国家とは、此土に於て浄土を映すものでなければならない」と結ばれる(三六七頁)。
△ この論文の前の方で著者は「自己組織化」という言葉を使っています。内在的超越とは、いわば自己組織化であり、創発(emergence)です。西田は「超越的内在」という従来のキリスト教理解、すなわちトップダウンの天啓・啓示概念に挑戦して、ボトムアップのキリスト教理解の可能性に言及しているのではないかと思われます。自己組織化も創発も、歴史の外からの神の介入(超越的内在)という考えには副わない面があります。すなわち内在的超越的に新しい秩序が、「下から」発現してくること自体に、神の働きを見るべきであって、神を宇宙や歴史の外側に実体的に表象することは、なお神話的であると言えるのではないでしょうか。国家も歴史的に発現(創発)してきた一つの秩序であって、浄土の暗在系を映す限りで、その存在に意味が見出されるべきものでしょう。
このように、最晩年・西田の「場所」には、「神なき所に真の神」「内在的超越のキリスト」が、また「浄土真宗的」「国家」が語られる。が、この場所は、やはり「東洋」「日本」である。二一世紀の私たちにとって、さらに何が考えられるだろうか。私はいくつか基礎的な問題を指摘しておきたい。
△ 西田の場所は「無の場所」(浄土)であって、しかも直ちにそれが「有の場所」(此土、しど)に転換してくるような動的で、かつ「論理的な」概念であると思われます。そこを外して、「東洋」「日本」という「有の場所」だけを論ずるのであれば、それは西田自身の考えを捉え損なうことにつながりかねません。「神なき所に真の神」とはこの消息を伝えるものであって、「内在的超越のキリスト」も同様でしょう。キリストは神が天から遣わした神の子であるという思想は、「超越的内在」のキリスト論であって、そのような「対象論理」的思惟は、「場所的論理」的思惟、すなわち「内在的超越」のキリスト論に「逆転」されるべきものでしょう。これはキリスト教にとって実に革命的な思想です。
まず「場所」だが、この最晩年の西田において、場所はおそらく東洋をも西洋をも越える世界として求められている。すると、東洋思想・西洋思想という対比は、根本的にはもはやあまり意味をなさない。まして、当時の西田の世界把握を越えた現在、対「西洋」的な世界よりも、よりグローバルな地球的な場所が生まれ続け、のみならず、足元としてのより具体的な東アジア――韓・中・日等が問題として発生するだろう。そこにはまさに「東洋」を越えた多元的世界が捉え考えられるべきだろう。
△ 西田にとって、なぜ「一即多」であるかと言えば、この世界は一般者(無の場所)の自己限定として有の場所(東洋・西洋、日・中・韓……)だからです。西田は明治の人として、東洋と西洋との間で思索する者(個物)であり、その限り「矛盾的自己同一」的な個のあり方を自覚していたと思われます。近代日本人の自己同一性の危機(identity crisis)は、「国家的アイデンティティ(国体)」によって解決されるようなものではなく、国家もまた矛盾的自己同一的に、同じ危機的状況に置かれています。その意味で世界はいきなりグローバルなのではなく、相互限定の争い(他者との争いであり、同時に自己との争いであるような争い)の中にあります。世界の多元性は市場原理のグローバリズムによっても一に帰するわけではなく、国家主義と国際主義の相克が、国家が国家であろうとする限り、必ず起ってきます。だから無の場所(浄土、神の国)において、その対立は「根本的にはもはやあまり意味をなさない」と言えますが、同時に現実の世界のこととしては、そこには争いがあります。此土にある者は、闘いながらの愛、愛しながらの闘いに生きるほかはありません。人(有限の個物)がその葛藤を脱することはできないでしょう。そのような形で、西田もまた世界はグローバルに一であり、同時に多元的であると考えていたのではないでしょうか。根底に「無の場所」の自己限定の働きがあります。
また、問題はなぜ、「場所的論理」、宗教的「世界」でなければならないのか。西田も、神・仏の人称性を語るが、対象論を否定し、「場所」の一元論をこれに先立って語ろうとする。しかし、そもそも「場所」を越える、アウグスティヌスの「無からの創造」における「主体」(主宰者)のごとき「神又は仏」がない、といえるのだろうか。この問題は、西田が方向づける「内在的超越」だけでなく、「超越的内在」を考えることでもあろう。そもそも、なぜ西田は、(「裂け目」としての通路を語るにせよ)人格や神格を、「場所」を越えたものとして位置づけることを決してしないのだろうか。むしろ、その人格・神格・仏格こそ、場のために要請されるべきではないか。それなくしては、結局「場所」から「祈り」は消え、《当該の場所への収斂》さえ生ずるのではないか。また、魚木忠一たちキリスト者がとらえる受難・贖罪も西田においては本質を失ってくるだろう。この問題はまた、西洋思想における「恩寵」(grace)が、西田においていかにありうるか、ということにもなる(*)。
* 高橋亘(一九〇九〜二〇〇五)『倫理から宗教へ』南窓社、一九九〇年における、西田幾多郎論、仏教・キリスト教比較論を参照。
△ ここに問題の核心が提示されています。超越的「主体」を立てればこそ、超越的内在が可能になります。「無からの創造」も可能になります(「ユングとキリスト教 その5」参照)。しかし西田にとっては、述語的論理の帰結として、その「主体(主語)」が置かれている場所こそが基底的でした。三位一体の神も、その「於てある場所」こそが基底的であって(小野寺功)、対象論理的に思念された神は、「神話的表象」の延長に過ぎないとも言えるでしょう。創造は、内在的超越の方向から見れば、創発(自己組織化)であって、神が外から創り成すという意味での「無からの創造」ではありません。混沌に先んじて、神が存在し、秩序を形成したと考えればこそ、人格に特別の意味が見出されてくると言えますが、「内在的超越論」はその意味で「無神論」であるとさえ言えます。無の場所こそが「神の場」(浄土、彼岸)であって、世界は無の基底において「創造的進化」(ベルクソン)を遂げつつあります。西田にとって、絶対的一者(絶対有)は絶対無であると言えます。しかしそれは主語的に考えられた「一者」なのでしょうか。それは神的超越的「主体」とみなされるべきものなのでしょうか。仮に述語(無)が主語(有)に転換するというべき事態を想定することができれば、然りであると言えるでしょう。そのとき、主語は場所の焦点と言うべきものであって、場所(述語面)は主語に「収斂」します。
この問題は、「東洋思想」としての大乗仏教における菩薩論ととらえることもできる。すると、場所に収まらない主語・主体が、同時により問いとして浮き上がるだろう。先にみたように、西田の「場所」における自他関係は、「私と他者がお互いに一個の人格として認めあう」「相互承認の道筋」(加藤武)であった。が、その「場所」に留まらない自他関係が、さらにあるはずである。これは、滝沢克己の方向をさらに、という問題でもある。すなわち、西田の「場所」には、「私と汝」のみならず、さらに「汝」そのもの、すなわち「他者」そのものが、要請されるべきではないか。その時はじめて、「場所」もまた、「国体」を越え、そして世界はグローバルかつローカルな多元的世界になるに違いない。菩薩論はまた、「歴史」をも方向として懐いている。ならば、その世界史からこそ、普遍的な生活が導かれるだろう(*)。
* 主体、人格の問題を「霊魂」論また他者・他界の問題としてとくに戦後捉えた日本の神道思想家として折口信夫(一八八七〜一九五三)がいる。その神学の働きは重要である。また西洋での第一次大戦後の流れを踏まえながら山口一郎『人を生かす倫理――フッサール発生的倫理学の構築』知泉書館、二〇〇八年が東西の倫理をみずから再構築している。
△ 「場所に収まらない主語・主体」、「「場所」に留まらない自他関係」というときには、世界から超絶した主体が考えられているのではないでしょうか。「滝沢克己の方向をさらに」ということは、神人の「不可逆」の関係の、さらにその向うにということだと思われます。ここでも超絶的主体が考えられているように思われます。つまり戦中の西田の場所論が「国体論」に行き着いてしまったような、内在的な方向を、絶対的超越的「他者」の側に転換してということなのではないでしょうか。著者が考える菩薩、他界もそのような「彼岸」を指しているのでしょう。そのような「場所」においてこそ、「世界はグローバルかつローカルな多元的世界になる」と言われているのでしょう。それが著者の立場であるとすれば、その思想はやはり「超越的内在論」であると言うべきでしょう。
「場所」「論理」だけでは、人間の思想また生活は、根本的には活動できないだろう。晩年の西田がふれ始めたように、「霊性」の根底として「生命(気)」がある。これを背景・基礎にして、東洋思想であれ西洋思想であれ、近代以前において、神・仏に関与する人は、人格性をもちつつ誓願し、菩薩・キリストに向け、「修道」「修行」した。それが「聖人」(の道)・「菩薩」道にも、「キリストに倣う」にもなったのである(*)。ここからまた家庭、教会、また寺社が、さらに「社会」が形成されるのである。それだけではない。天地自然および「環境」がさらに問題となる。これらへの問いは、近代人としての西田とはちがった「東洋」の、また近代以前の東西の諸思想から、さらに学ぶ必要があるだろう。
* 注(31)(32)参照(△ 引用略)。三渡幸雄『カント宗教哲学の研究――キリスト教徒浄土仏教との接点』同朋舎出版、一九九四年は、東西両思想を深く類比させている。また、日本の諸思想家の「霊性」をキリスト教の側から捉えたのが小野寺功『聖霊の神学』春風社、二〇〇三年である。なお、浄土真宗・親鸞系統の、懺悔・反省、罪責の「身調べ」は、近代において「内観」となり、これはキリスト教系統における修行論にも繋がっている(藤原直達『心の内なる旅』教友社、二〇〇二年、同『心の深海の景色』教友社、二〇〇四年、同『ナムの道もアーメンの道も』教友社、二〇〇五年)。親鸞・道元・日蓮・神道等をも含む修行論は、キリスト道として形成されている(門脇佳吉『日本の宗教とキリストの道』岩波書店、一九九七年)。あるいは、仏教における『十牛図』は、ボナヴェントゥラ『魂の神への道程』にも比される(長倉久子解説「ボナヴェントゥラの生涯」『註解魂の神への道程』創文社、一九九三年)。これらは、修行論・道程論ととらえるとき、東西の対比を越える思想的次元に繋がることを示す。
△ 著者は近代の無神性の問題を、「近代以前の東西の諸思想」にさかのぼって克服しようとしているようです。修行、あるいは「魂の道程」(心の発展段階)については、私も関心を向けてきました。「生命」(気)、バイオエナジーとしての「気」についても大きな関心を持ってきました。しかし私はこれまで「内在的超越論」的に宗教を把え直そうとしてきたという点で、著者と立場を異にすると言えます。
以上、いくつかの思想家において「東洋思想」を発見して来た。二十一世紀、東洋という場所、あるいは思想という認知、これらを越える構造・組織が、今後より求められることになるだろう。本稿はそのための一環だと私は考えたい。
△ この世界にどういう形で普遍的共同体というべきものが立ち上がり、その構造・組織が究められていくのかということは、たしかに現代の重要な問題だと思われます。そして伝統的な宗教は、その問題を解明するために、大いに参照されるべきものでしょう。私は目下のところその構造・組織を「アソシエーショナル・コミュニティ」という形で考えています。ひとりがみんなを代表し、ひとりひとりが自立し、互に他を仲介し、絶えず刷新されていくような組織のことです。それはどちらかと言えば、プロテスタント教会の組織モデルに近いと言えるでしょう。あるいは思い切って飛躍した物の言い方をすれば、それは即興の曲を奏でるジャズ・バンドに近いとも言えるでしょう。しかしなぜか私は著者と似たようなことを考えてきたという側面もあります。この論文をいただいたことを多とし、今後も著者の研究の進展に注目してゆきたいと思います。
先に「象徴の解釈学」のところで「赦しと和解」が取り上げられているのを見ました。罪深い人間の現実にあって、「赦し」がなければ、人間は片時も生きていくことはできないでしょう。しかし枯葉剤のダイオキシンが原因で生まれつき障害のあるベトナムの子どもたちや、同様に、劣化ウラン弾の犠牲になったイラクの子どもたちにとって、「赦し」とは一体何でしょうか。彼らや、その親たちの重荷を前にして「赦し」を説くのは倣岸不遜であって、戦争の惨禍は人間のすべての善意を踏みにじり、言葉を失わせます。人間の罪は一回赦されれば、それで帳消しになるようなものではなく、限りなく底が深いと言うべきです。福音書には、「そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか』。イエスは彼に言われた、『わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい』」(マタイ18:21-22、並行ルカ17:4)と書かれています。裏返せば、その言葉は人間の罪には際限がないということを意味しているように思われます。それは「わたしに対して罪を犯した」と言い、まるで自分が義人であるかのように考えているペテロ自身を含めて、人間は限りなく罪深い存在であるということを意味するでしょう。
人間がそのように罪深い存在であるにも拘らず、もしその罪が赦され、加害者と被害者とが和解することがあるとすれば、それは人間にとって極めて重大な問題であると言うことができます。そして「赦しと和解」はキリスト教の中心的なテーマです。しかし、それはキリスト教という、いわば「神話的な空間」の中に位置づけられています。だがそれは、キリスト教という「神話の論理」が真実だから、「赦しと和解」のテーマが重要となるのでなく、「赦しと和解」というテーマが人間にとって根本的に重要だからこそ、キリスト教という神話的・神学的空間が、教会として永く生き続けてきたのだと考えるべきでしょう。キリスト者は未だそのような転倒した思考法に陥っていて、他宗教を蔑視すらしています。教会という場所が「赦しと和解」のコンテキストとなっていて、その外にある人間の生活が捨象されてしまうところに、キリスト教の根本的な問題があります。その結果、教会は信徒のためだけの「意味と慰めの孤島」(モルトマン)と化してしまいます。しかし、一歩教会の外に出れば、その使信はたちどころに困難に直面することになるでしょう。
現代において「赦しと和解」を論ずるということは、そのような困難に取り囲まれているということを意味しています。今私の手元に『日本版 インタープリテイション 聖書と神学と思想の雑誌』2000年11月、No.58という雑誌(ATD・NTD聖書註解刊行会)があって、「赦しと和解」が特集されています。その号では、ショアー(ホロコースト)以後の「ヘブライ語聖書における恵み」の読み方や、家庭内暴力の危機に対して赦しの新しいヴィジョンを以て対応することの実行可能性、ルワンダと南アフリカの紛争状況における和解の社会的意味、また南アフリカの「真実和解委員会(TRC)」におけるデスモンド・ツツ大主教の役割と働きといった、現代的状況における「赦しと和解」について考察した論文が掲載されています。その号の最初に、新約聖書の「ヤコブの手紙」の解釈に基づく、「赦しの共同体を作り上げる」というL・グレゴリー・ジョーンズの論文が載っています。「赦し」ということが従来どのように考えられてきたか、またそれはキリスト教的にどのように考えるべきかを示す神学の一例として、ここではその最初の論文を取り上げたいと思います。
赦しの共同体を作り上げる
削除。トップページに掲げる理由で、今回、引用された標記論文の全文を削除することにしました。「削除」とあるのは、引用された部分が削除されたことを意味しています。以下同様。
△ 赦し(forgiveness)が実際に生起する(赦しを本当に理解する)のは、第一に我々が「赦されることを学ぶことにおいてのみである」と言われています。しかし、先に述べたように、我々の現実の生活を少しでも顧みれば、「赦すこと」と同様に、「赦されることを学ぶことの困難さ」が厳然として立ちはだかっています。それが我々の生の現実であって、我々は他者の生を顧みず、執拗に自己主張を繰り返しています。換言すれば、我々は自らの罪(自己の加害性)に気づかず、自ら悔い改め(生き方を変え)、赦される(他者と和解する)こともしないで、今あるがままの生を生きています。
削除。
△ 赦しは歴史的現実の中で起るか、あるいは起らないことであって、もし起るとすれば、それには時間がかかります。赦しは、より大きく、より長いプロセスの中で見られるべきものであって、たとえ「回心」ということがありうるとしても、それには、時間的経過の中で複雑に絡み合った文脈があり、それだけを切り離して論ずることはできません。
削除。
△ この雑誌の特集のテーマ(赦しと和解)は、西洋の個人主義の反省に基づく「共同体」の捉え直しに焦点があるようです。しかしここでの著者の関心は、「教会」という共同体のことであって、その意味で限定的であると思われます。従って「共同体の様々な実践」という表現には、教会の多様な活動が念頭に置かれているのでしょう。
削除。
△ 赦し赦されることの困難な状況が赦しのパラダイムを形作ってはならないとすれば、根本的にいかなる「赦しのパラダイム」が提示されることになるのでしょうか。
削除。
△ ここでキリスト教の赦しのパラダイムとしての「神の恵み」、「神の赦しの愛」という「神の論理」が提起されます。赦し赦されることが困難な人間の状況に対して、ここでは「人にはできない事も、神にはできる」(ルカ18:27)ということが主張されているのだと思われます。そこでこそ和解を目指すことが可能になると言われているのでしょう。換言すれば、人間はそれほど絶望的な状況に置かれているということではないでしょうか。そしてキリスト教において初めて「赦され、赦す民の共同体」が作り上げられていくのだと言われているのでしょう。
削除。
△ ここでヤコブの手紙が持ち出されます。著者は「キリスト教共同体」における実践の意義について語ろうとしているからでしょう。
削除。
△ 以下、三つの段落に分けて、著者はこのヤコブの手紙の引用された箇所の実践的意義について語ろうとしていることが予告されます。
削除。
△ こうして著者は自らがキリスト教神学者であることを宣言します。「十字架に付けられ、甦らされたキリストの刻印」を帯びる者として、赦しの力を名づけ、特定し、維持する者がキリスト者であると言われます。キリスト者はそのような「対象論理的」な思惟のうちに、聖霊の終末論的な働きを感得し、証示します。しかしキリストの死・復活ということは「場所的論理的」には、自己自身の(霊的な)死・復活以外のものではないと言うべきでしょう。その「場所」は必ずしも教会に限定されるものではなく、「世界中の様々な状況、友情、そして人間関係の中に見出される」でしょう。しかし「赦しと和解」ということを正面から取り上げる「宗教」は、それをどのように実践してきたかということは別として、キリスト教以外に見出すことは困難であるということも事実です(なお「場所的論理的」、「対象論理的」ということについては、「東洋思想」の発見を参照して下さい)。
キリスト教の赦しの神学
削除。
△ どうしようもない人間の罪の現実にあって(イラクとアフガニスタンを見よ!)、人がなお希望に生きることができるのは、人間の生そのものが、いかなる破壊のうちにあってもなお生きようとする力だからであり、廃墟の中で立ち上がる建設のエネルギーだからでしょう。否、人間の生は、破壊と創造の両面から成ると言うべきでしょう。神の愛、神の赦しというものがあるとすれば、それは「全被造物」を包み込む宇宙意志としてであり、人間の希望の根拠は人間の所業を越えたところにあります。キリスト教の赦しは赦しそれ自体がキリスト教に属さないという意味で、その赦しを自己否定的に象徴するものでしかありません。キリスト教が赦しを独占しているわけではありません。もしこのようなものの言い方を否定する「キリスト者」がいれば、それは、キリスト教だけが神の名において人を殺戮する権利と赦罪の権利とを有すると主張していることになるでしょう。今日までのキリスト教の歴史を振り返れば、そう言うほかはありません。
削除。
△ 著者はここでキリスト教の教義を確認しています。それはキリスト教の「神話=神学」の中に真理があるという信仰の告白です。しかしその「射程距離」はキリスト教共同体の中に限られる命題であって、その象徴を共有する者の間でだけ真理として受入れられるに過ぎません。三位一体の教義の中心にあるのは「神が人になった」という受肉の教義です。西田幾多郎の言い方に従えば、それを文字通り神話論的に「超越的内在」のキリストとして捉えるか、それとも非神話論的に「内在的超越」のキリストとして理解するかによって、三位一体の教義の理解の仕方は大きく異なってくるでしょう(「東洋思想」の発見参照)。
削除。
△ 私は、罪はコミュニケーションの欠如・欠陥であると考えてきましたが、換言すれば、それは「交わり(コミュニオン)の現実(リアリティ)の崩壊」であると言うことができます。我々は著者の言う通りの崩壊した現実の中にあります(自己・自我・インマヌエル参照)。
削除。
△ 「加担・連累・結託・習性」において、私は罪が「習い性」となっている現実に言及したことがあります。それは他者を小さくし、自分自身をも小さくし、その結果、交わりにおいてあるべき、他者と自己とを見失わせる(必然化した)「体制」であると言うことができるでしょう。いわば悪が「体制化」してしまいます。そのとき自我は、自らを与える愛を喪失し、内向きに自分自身へ向かって行くことになります。
削除。
△ 聖徒(saints)の交わりとしての教会は、同時に罪人(sinners)の集団であるということができます。だから望みにおいて、教会は「聖なる民」となると言えます。神の赦しにおいてのみ、人は「交わりに入る」ことができるからです。それは信仰の表明ですが、同時に現実に生起すべきこととして主張されています。
削除。
△ キリスト神話(キリストの物語)を真理として受け入れることが、キリスト者であることの「担保」なのでしょう。神が自らvulnerable(傷つけられうる)な存在になったというこの命題は、しかし、人間がその弱さ(vulnerability)にも拘らず神性を宿しているということの、神話的な(転倒した)表現なのではないでしょうか。
削除。
△ イエスは「神の赦し」を如実に生きた人であるということができます。しかしそれはイエスが「神」だったからではなく、神の包括的な愛のうちに生きた人だったからです。そして人々にそのような生き方をするようにと招いたのでしょう。
削除。
△ イエスの十字架の刑死によって、その神の赦しの宣教が終わりを告げたのではなく、その死によって、かえって「赦し」の意味が鮮明になったと言うことができるでしょう。それは人々の新しい生き方として「戻って」くるべきものだからです。
削除。
△ イエスの宣べ伝えた「赦し」こそが、宗教的な犠牲の観念に代わる「人間的な、肉体を取った形」において、新しい人間関係を構築する文脈を提供します。「キリストの礼拝」はその宗教化であり、再ユダヤ教化であると言えるでしょう。
削除。
△ キリスト教の赦しは、同時に、(イエスによって示された)「神の恵み深い赦す愛」に応える、ひとつの生き方への態度決定の表現であり、個別具体的な罪の事例の直中で和解を探し求める「手段」であると言われます。しかし「罪を捨て去り悔い改めを通じて神のやり方を学ぶ十字架を担う聖なる生活」は、依然としてキリスト教という「神話的な空間」の中に位置づけられています。「十字架を担う聖なる生活」(「また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」マタイ10:38、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」マタイ16:24、並行ルカ9:23)は、神の赦しが、それに応える人間の生き方としては、同時に苦難の生であるということを意味しています。「報復と制裁」が具体的な罪の事例の文脈を形作っているとき、「赦し」に生きることは迫害を招く生き方であると言えるでしょう。しかし著者は、キリスト教こそそのよう具体的な生き方を指し示しているのだと言っていることになります。その前提として「罪を捨て去り悔い改めを」行なう我々の生き方の転換が示唆されています。著者は「歴史的現実」の重みをどこまで感得してこの言葉を発しているのでしょうか(アメリカ人である著者は、「戦争国家アメリカ」の現実にどのように向き合って「悔い改め」を説いているのでしょうか)。
削除。
△ 著者の関心は、共同体の生を強調しつつ、それが結局は、歴史的現実の捨象された、教会として生きられる空間における、「個人の生」であると言えるのではないでしょうか。だからこの文章はあくまでも「教会人」に向けられた閉鎖的な言説であると言えるのではないでしょうか。そこに「神学」の限界があります。
削除。
△ たとえ教会として限定された生ではあっても、「生き方としての赦しの訓練を受ける」ことは、それ自体意味があるということは否定できないでしょう。教会の外にそのような場所を見出すことは、心理療法士のもとにでも通わない限り困難だからです。しかしそれはあくまでも個人の日常的な生における生き方の問題であって、戦争のような、とてつもない不幸が襲いかかったときの対処の仕方ではないということに留意すべきです(アラン)。さらにその上、現実の教会は「裁きの共同体」であったりします。
削除。
△ ここで言われる技術とは、「なすすべを知る」というときの「すべ(術)」のことだと考えればわかりやすいでしょう。
削除。
△ ここで「イエスの信奉者」と訳された言葉は「イエスに従う者たち」(followers of Jesus)のことでしょう。家庭において、職場において、またその他の共同体において、イエスに従う者(イエスの弟子)として生きようとするとき、赦しは思いがけない形で到来すると言われているのだと思います。しかし著者の関心は「キリスト教共同体をキリストの身体として形成し維持する一連の活動」にあります。その観点から、先に引用されたヤコブの手紙に注意を向けることになります。次は「ヤコブと共同体の構築」という節に移りますが、その紹介は次回に回すことにします。