閑老人のつぶやき 宗教について 3

     1 いのちと神の国

     2 プロテスタント原理

     3 三つの秩序

     4 本行の菩薩道

     5 戒・定・慧の三学

     6 六区分のキリスト教史

     7 PAULの生き方

     8 蜂の巣と蜘蛛の巣

     9 梵我一如

    10 場の中にいる

T いのちと神の国

「それに、もしもあなたの一方の手があなたを躓かせるならば、それを切り落としてしまえ。両の手を持ってゲヘナに、すなわち消えない火の中に入り込んでしまうよりも、片手を欠いて生命(いのち、ゾーエー)に入る方があなたにはまだましだ。また、もしもあなたの一方の足があなたを躓かせるならば、それを切り落としてしまえ。両の足を持ってゲヘナに投げ込まれるよりも、片足なしで生命(いのち、ゾーエー)に入る方があなたにはまだましだ。またもしも、あなたの一方の目があなたを躓かせるならば、それを抜き捨ててしまえ。両の目を持ってゲヘナに投げ込まれるよりも、片目で神の王国に入る方があなたにはまだましだ」(岩波版新約聖書、マルコ9:43〜47)。

大貫隆は近著『イエスの時』(岩波書店、2006年5月)において、「イエスもまた繰り返し「いのち」について語る人であった」と、マルコとマタイの福音書から5箇所の記事を引用し、特に初めに掲げたマルコ9:43〜47に注意を促して、ここでは「生命(いのち)」は「神の国」と全く同義であると言い、次のように書いています。

〈すでに前著『イエスという経験』でも述べたことだが、「イエスが宣べ伝えた『神の国』は詰まるところ、『いのち』のことであった」(二六二頁)。「復活信仰」成立以後の原始キリスト教においては、生前のイエスが「神の国」について抱いていた「イメージ・ネットワーク」の組み換え(リセット)が進んだ。その中で、イエスの「神の国」はまもなく「(永遠の)生命(いのち)」と言い換えられていった(特にヨハネ福音書)。それは非神話化の一部である。前著でのこの見方に、私は今ここで、こう付け加えたい。その言い換えは、すでに生前のイエス自身において始まっていたのである。この点で、生前のイエスはすでに非神話化の一歩手前まで、非神話化の臨界点に到達していたのである。〉(p.288)

そして「人間は自分の「いのち」の真の意味を「遅れて」はじめて経験する」のではないかと言い、「子を持って知る親の恩」という諺を引き合いに出します。そしてこの本の結論的な部分を次のように続けます。

〈「遅れてはじめて真に経験されるいのち」は、はじめからそこになければならない。そうでなければ、それは「遅れて」経験され得ない。それはすでにそこにある命と同じものである。生前のイエスも新約聖書全体も、この消息を「いのち」に「ゾーエー」と「プシュケー」という、二つの異なるギリシャ語を当てることによって、表現している。原則としてだが、「プシュケー」は人間誰もが衣食住によって今現に生きている「命」を指す(マルコ2:4、8:35〜37、マタイ6:25/ルカ12:22〜23参照)のに対して、「ゾーエー」は人間が「狭い門」を通って入るべき「生命」(いのち、マルコ9:43〜45、マタイ7:13〜14参照)を指す。だが、それはあくまで原則であって、二つの単語は相互に交代可能である。そのもっとも良い例は、ヨハネ福音書十二章25節である。「自分の命」に愛着する者は、それを滅ぼし、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の生命(いのち)に至るであろう」。現下の日常における「命」が「永遠の生命(いのち)」に連続していることを、これ以上鮮明に述べる発言はほかにない。「ゾーエー」は「プシュケー」としてすでにそこにあるのであって、現下の日常的「プシュケー」と別のものではない。しかし、その「プシュケー」は「ゾーエー」として発見され直さなければならない。「それぞれの人生の日常性が破れ、宙づりとなるような瞬間」と私が言うのは、その発見の瞬間のことである。私がイエスの「全時的今」と呼んだもの、そして、ベンヤミンの「現在時」も同じだと思う。〉

生前のイエスが「ギリシャ語」でゾーエーとプシュケーの区別をしていたか否かについては疑問を持ちます。しかしここには重要な指摘がなされています。これを読んで、私が「キリスト教後のキリスト教」になお与えられている使命と考えている「いのちを取り戻し、いのちを回復する使命」、Life Recovering Missionの「いのち」とは、ゾーエーのことであると気づかされました。ゾーエーとプシュケーは確かに「連続している」かも知れません。しかしプシュケーを「憎む」と表現されているように、そこには不連続の側面もあるのではないでしょうか。私流に言えば、現存在=権力意志(プシュケー)を否定して、実存=平和意志(ゾーエー)に生きるということは、「発見の瞬間」以上のことではないかとも思います。なお大貫が言う「非神話化」は私が宗教的象徴の「実存化・普遍化」と呼んできたものに符合します。特殊宗教的な象徴のうちに「いのち」の実存的な具体相を見、同時にそこに人間にとっての普遍的な意味を見出して行こうとするところに、実存化・普遍化の課題があります。西田幾多郎風に言えば、「特殊即普遍」ということになるでしょう。それはキリスト教として実体化・差別化された象徴(教会として制度的に物象化されてしまった象徴)を、もう一度、普遍人類的な課題として取り戻そうとする試みでもあります。大貫はさらに続けます。

〈「いのち」がそういうものでしかありえないことから見れば、イエスの「神の国」が「現にそこにある」(ルカ17:21、マタイ12:28/ルカ11:20)と同時になお来たるべきものであること、つまり、「神に国」の現在性と未来性の並存という周知の問題も、事柄上そうでしかありえないものなのである。これまでのイエス研究が厖大な議論を費やしてきたこの問題は、実は仮象に過ぎなかったのではないか。〉

ネグリ・ハートは、マルチチュードは〈つねに―すでに〉と〈いまだ―ない〉という奇妙な二重性を帯びた時間を生きると言いました。またマルチチュードは複数形ではなく、単数形で表現されるとも言いました。それはマルチチュードが多様であって、同時に一つの「いのち」を生きる運動であることを示しているのではないでしょうか。生政治的であるとは、ゾーエーに促され、ゾーエーによって呼び起こされる「神の国」運動に参画することを意味しているのではないでしょうか。しかしそこにはいのちの現状(プシュケー)に対する強烈な拒否(renunciation)があります。冒頭に掲げたイエスの言葉がそれを示しています。


U プロテスタント原理

アメリカにおける「キリスト教原理主義」の弊害が取り沙汰されています。それは主にプロテスタントの原理主義のことです。(ただしアメリカのカトリック教会に問題がないということではありません。)そこで先ず、そもそもプロテスタントの「原理」とは何かということを、現代「カトリック」の神学者、カール・ラーナーの『キリスト教とは何か 現代カトリック神学基礎論』(百瀬文晃訳、エンデルレ書店、1981)によって考えてみます。

ラーナーは、「信仰の根本本質の維持の基準――宗教改革における論争」という項目(p.474-483)において、元来の宗教改革の心髄をなすものとして、「恩恵のみ」(sola gratia)、「信仰のみ」(sola fide)、「聖書のみ」(sola scriptura)の三点を挙げます。その「触りの部分」だけを以下に引用してみます。

「恩恵のみ」 しかしながら(プロテスタント諸教会の内部においても意見の一致がないが…ということ、引用者)、「恩恵のみ」という言葉が意味しているのは次のことであると言うとしよう。すなわち、人間が真に自由かつ絶対至高の神の恵みによって救いを見いだし、それゆえにこの意味で神と人間との間に決して「神人共働説」Synergismusのごときものが有りえず、人間は神の自由な恵みによらずには、自ら救いに対して何ら貢献をなしえぬということである(訳注・神人共働説=救いが神と人間との共働の業とする説。これに対して伝統的教義は、神の恵みに対する人間の協力を言うが、この協力すら神の恵みによるとしている)。もしそのように言うとすれば、これはただ単にカトリック教義の中で問題なく教えうるものであるばかりではなく、また人間の神に対するかかわりについてのカトリック教義に絶対的に所属するものである、と言わねばならない。

「信仰のみ」 「信仰のみ」という教義、すなわち人間がただ信仰によってのみ義とされるという教義は、以上述べた「恩恵のみ」という事柄の主観的な側面にほかならない。救いとは、何の理由によって説明されることもなく、また何ものにも強制されない神の恵みの自由な賜物であるから、この救いが受け止められるという行為そのものも、神がこの自由に対して賜わる行為でなければならない。この行為は、この意味において人間が自分の独自の能力によって神に対してなす自律的な功徳ではない。いわば神の恵み、神の愛、救いの賜物を強いて獲得しうるような功徳ではない。この意味で神の恵みのみが人間を聖化するのであり、この恵みに対して答える行為は人間の「業」ではなく――パウロ的に語れば――「信仰」以外にはない。この信仰はただ単に教義学的な理論ではない。この信仰は神の純粋な恵みに対する希望によって内的に担われなければならず、また聖書が人間を義とし、聖化する愛と呼んでいるものによって、内的に光を与えられ完成されなければならない。これがカトリックの教えである。プロテスタントのキリスト者も、根本的にはこれに対して何ら異論を唱えることができないであろう。

「聖書のみ」 宗教改革のキリスト教信仰を根本的に特徴づけ、信仰と教会理解の根本原理をなしている第三のものは、「聖書のみ」という原理である。ここではプロテスタント信仰とカトリック信仰との間の教義の相違を、よりやさしく、ただ単に用語の上の相違のみならず、内容的であり真に事柄に即した相違として認識することができる。なぜなら、カトリックの教義は、伝承とカトリックの教導職の必然性と妥当性を強調するからである。

まず第一に、今日のプロテスタント・キリスト者は、近代のまさしくプロテスタント教会の中で起こった正当で史的な聖書学の結論として、次のことを認めるであろう。すなわち、聖書は本質的に教会の生み出したものであり、しかも非常に異種雑多なものから形成され、一つの内的な正典に統合することはかなり困難である、ということである。聖書は歴史的に見て、原始キリスト教団の信仰の歴史を書き記したものである。したがって、聖書がひとまずは生きた教会の生きた具体的説教によって担われ、そこから成立したということも当然である。そしてその限りにおいて、聖書は伝統、伝承の結果なのである。

「聖書のみ」という原理は、究極的には自己を止揚する行為である。少なくともそれが無分別に理解されたときにはそうである。このことは「聖書のみ」という宗教改革の教えが、聖書のいわゆる「逐字霊感論」Verbalinspirationの構想と内的かつ必然的に結ばれていたため、歴史的には維持しえぬものであり、今日のプロテスタント神学においてももはや教えられない、ということからも伺い知れる(訳注・逐字霊感論=聖書の言葉が、その文字面の一字一句、神からの霊感を受けているとみなす説)。なぜなら、聖書が歴史的で非常に分化された形での生成からいわば独立して、それのみでいわば神から直接に招来した産物のごとく理解されるときに限って、人は聖書に教会の生きた証言に全く依存しないような権威を与えうるからである。しかし結局のところ、そのような聖書の絶対的な逐字霊感論の原理を実際に放棄しておきながら、しかもなお当時の宗教改革時代の意味で「聖書のみ」という原理を固持することはできない。それは自ら自己矛盾に陥るか、もしくは結局のところ、ただ「聖書のみ」ではなく、第二のもの、人間の不可避で実存的な霊の体験を唯一の信仰の原理としてしまうことになるであろう。しかし、そのとき人はもはや聖書において、すなわち具体的な書物において、単に一つの書を有しているのではなくなるであろう。そうではなくて、一つの原理、すなわち、せいぜい聖書においてきっかけを与えられた原理、究極的で聖書を築く原理というものを有していることになるであろう。それならば教会は、むしろキリスト者の集団から事後に出来上がった存在ではあっても、もはや一人ひとりのキリスト者を真に義務づけるような権威的存在ではなくなってしまうであろう。(引用終わり)

現代のカトリックを代表する神学者だけにラーナーの舌鋒はさすがに鋭いものがあります。しかしラーナーによって「理想化」されたカトリックの立場が歴史的に一貫して貫かれてきたと考えることには無理があります。また私はプロテスタンティズムの行き詰まりがローマ・カトリックに復帰することによって解決するとも考えません。ラーナーの言うように「権威的(伝統的)存在」がどうしても必要だとは思いません。カトリックもプロテスタントも含めて「伝統的教会」が行き詰まっていると考えています(「伝統的な教会の七つの標識」参照)。そうでなければラーナーのこの本自体が書かれなかったことでしょう。しかし「プロテスタント原理」を浮かび上がらせるために便利だと思い、その言葉を少し長く引用しました。

ラーナーは触れていませんが、上の三つのプロテスタント原理は、結局「キリストのみ」に行き着きます。それを定式化すれば「キリストのみ=聖書のみ・信仰のみ・恩恵のみ」となります。ラーナーの言う「究極的で聖書を築く原理」とは、従って、キリストであるということになります。この「プロテスタント原理」を「宙づり」にするために、かつて私は以下のようなことを考えました。

先ず、鈴木大拙の言葉を借用して、「即非の原理」なるものを考えました。それは何かと言うと、「キリストのみ、かつ然らず/聖書のみ、かつ然らず/信仰のみ、かつ然らず/恩恵のみ、かつ然らず」という具合に、「…のみ、かつ然らず」という論法を取り入れることを意味します。プロテスタント原理は真実であると同時に、ある種の狭隘さ、排他性を伴っています。私の言う「象徴の実体化・差別化」に陥る傾向から自由ではありません。それはどの宗教にも見られる傾向です。だから事柄そのものに直面するためには、その原理を肯定すると同時に、否定するという精神の柔軟さが求められます。そしてそのような柔軟さによって、たとえばキリストとは〈共(共なること)〉ではないか、「いのち」ではないか、イエスが説いた「神の国」ではないかという問い直しが可能になります。原理は大切ですが、それに呪縛されてしまうと、それが元来持っていたはずの、人を自由にする働きとは反対のものに転化してしまいます。今日のプロテスタントは「プロテスタント原理」からさらに自由になることを求められています。

次に、「プロテスタント原理」を他宗教と重ね合わせて考えてみました。それは以下のようなことを意味しています。

福音的唱題 これは「南無旧新約聖経」と唱えつつ聖書を読むことを意味しています。経典が法華経であるか、コーランであるか、旧新約聖書であるかということ自体に、何か絶対的な区別があるのではありません。それに「南無(帰命帰来)」の心を傾けるところにこそ意味があります。こう言うと仏教徒や、イスラム教徒や、キリスト教徒の怒りを買ってしまうでしょうが、私はそこに事柄の真実があると思っています。

福音的称名 戦前、橋本鑑という人が「福音的称名」を実践しました。木魚を叩きながら「インマヌエル、アーメン」と唱えました。秋山憲兄という人はこれに「マラナタ」を加えて、「インマヌエル・アーメン、マラナタ」(神われらと共にいます、然り、主よ来たりませ、という意味)と唱えていると、何かで読んだ記憶があります。アンセルムスの研究者、印具徹も福音的称名の実践者でした。信仰とは、自己を越えたあるもの(超越的実在)の自己との共在(という信念)に、自分が生きる意味を見出すことです。それが阿弥陀仏であるか、キリストであるかということに、絶対的な相違があるわけではありません。なお「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせ給え」で始まる「主の祈り」は、それ自体が福音的称名と言われるべき祈りです。

福音的接心 接心とは、禅で導師が修行者を個人的に教導することを意味しています。だからそれと区別して「摂心」という言葉を用いるべきかも知れません。私が考えているのは「とりなしの祈り」のことです。とりなしの祈りとは、キリスト教では、「主よ、願わくは〜のために祈らせ給え」「主よ、憐れみ給え(キリエ、エレイソン)」と祈ることです。神が「恵み深く」あることへの信頼と、他者にその恩恵が及ぼされることへの祈願が、とりなしの祈りであると言えます。私はそれこそが接心(摂心)であると考えています。以前、春日佑芳著『道元とヴィトゲンシュタイン』(ぺりかん社、1989年)によって道元禅師の次の二首を教えられ、これ以上の「とりなしの祈り」はないと感じました。

草庵(くさのいお)に起きてもねても祈ること 我れより先に人を渡さん

草の庵にねてもさめても申す事 南無釈迦牟尼仏憐み給へ

始めに述べたこと(「…のみ、かつ然らず」の論法)が「宙づり」戦法であるとすれば、次に述べたことは「ずらし」戦法であると言えるかも知れません。自分の属する教団の優位性を主張することが今日の宗教がなすべきことではありません。それが元来持っていたはずの活き活きとした生命を取り戻すためには、「お家大事」の発想を脱却すべきだと思います。それこそが今日の宗教に求められていることのように思われます。


V 三つの秩序

「心情にはそれ自身の秩序がある。精神にはそれ自身の秩序があり、それは原理と証明とであるが、心情にはそれとは別のものがある。人は愛の理由を順序よくならべてみたところで、自分の愛せられるべきことを証明するわけにはいかない。それは笑うべきことであろう。
イエス・キリスト、聖パウロは、愛(シャリテ)の秩序を持っている。精神のそれではない。かれらは暖めようとして、教えようとはしないからだ。
聖アウグスティヌスも同様である。この秩序は、個々の点では主として枝葉のものから成り立っているが、この枝葉のものがつねに目的を示すように目的に関連しているのである」(由木康訳、ブランシュヴィック版『パンセ』断章283)。

「身体から精神への無限の距離は、精神から愛(シャリテ)への無限大に無限な距離を表徴する。なぜなら、愛は超自然であるから。
この世の偉大のあらゆる光輝は、精神の探求にたずさわる人々には光彩を失う。
精神的な人々の偉大は、王や富者や将軍やすべて肉において偉大な人々には見えない。
神から来るのでなければ無に等しい知恵(愛)の偉大は、肉的な人々にも精神的な人々にも見えない。これらは類を異にする三つの秩序である。……(中略)……
あらゆる物体の総和も、あらゆる精神の総和も、またそれらのすべての業績も、愛の最も小さい動作にもおよばない。これは無限に高い秩序に属するものである」(同793)。

「すべて愛(シャリテ)にまでいたらぬものは表徴である。
聖書の唯一の目的は愛である」(同670)。

「人は真理をすら偶像にする。なぜなら、愛(シャリテ)を離れた真理は神ではないからである。それは神の影像であり、偶像であって、愛すべきものでも、拝すべきものでもない」(同582)。

由木康は『パスカルとの出会い』(日本YMCA同盟出版部、1968年)において、『パンセ』の言葉を引用しつつ、パスカルの三つの秩序について次のように述べます。
「…シャリテは、人間生活に浸潤してそれを内側からささえている三つの秩序のうち最高のものである。パスカルはすべての人は三つの異なる秩序に属して生活していると考えた。第一は身体(コール、corps)の秩序である。これに属する人は肉的なもの、感性的なもの、権力的なものなどを目的として生活する。王公、軍人、金持などの生活が、それである。第二は精神(エスプリ)の秩序である。これに属する人は知識欲、好奇心、表現力などに動かされて生活する。学者、発明家、芸術家などの生活が、それである。第三は愛(シャリテ)の秩序である。これに属する人は神を愛し人を愛することを最高の喜びとして生活する。キリスト、パウロ、アウグスティヌスなどの生活が、それである。これらの三つの秩序は上昇的には非連続であって、より低い秩序に属する人は、より高い秩序に属する人を理解することができない。しかし、それらは下降的には連続していて、より高い秩序に属する人は、より低い秩序に属する人を理解することができるのである」。

三木清は『パスカルにおける人間の研究』(岩波書店、1968年改版)において、「三つの秩序」を独立した章として取り上げています。上の記述で由木が影響を受けたと思われる三木の言葉は次の通りです。(パスカルと出会ったばかりの由木は、大正15年に刊行さらたこの書を数年おくれて読み、これによって大いに啓発され、パスカルとの結びつきをいっそう決定的なものにすることができたと書いています。)
「三つの秩序の銘々の理解の仕方は、上昇的には(原文傍点)、右に述べたように、あらゆる連続を拒むに拘らず、下降的には(原文傍点)、ひとつの連続が成り立っている。高次の秩序は低次の秩序に対して超越的であり、そこには昇りゆくべき梯子がない。しかし低次の秩序は高次の秩序にとって内在的であり、そこには降り得る階段がある。高次のものは低次のものを綜合する一層広くして深き見方である。かくて、一方では理性によって慈悲を理解し尽すことは不可能であるが、他方では理性的ならぬ慈悲は真の慈悲ではないのである。そこでパスカルは記している、「もしひとがすべてのものを理性に屈せしめるならば、我々の宗教は神秘的なるそして超自然的なる何ものももたぬであろう。もしひとが理性の原理に背くならば、我々の宗教は無稽でそして滑稽であろう」(273)。感性についても同様である。「信仰はもとより感性の言わぬことを言う、けれどそれは感性の見るところのものに矛盾することを言わない。信仰は感性の上にあり、そしてそれに矛盾するものではない」(265)。宗教は感性と理性とに反するものでなく、かえってこれらのものを包含し統一する一層高くして寛かなる立場である。人間の存在の全体(原文傍点)を残りなく理解することはただ宗教の秩序においてのみ可能である。しかるにこの秩序における理解の仕方の特性は観想的なると共に実践的なることにあった。生の全き理解は知ることと行うこととが相合し相擁する生にとってのみ可能である。この意味で生を完全に理解し得る如何なる哲学もない。生の哲学はただちに宗教の生活でなければならぬ」(p.114-115)。

なお内田弘は『三木清』において「三つの秩序」を次のように要約しています。
「三木清は、直観的にとらえた全体を分析するというパスカルの方法でもって、人間を分析します。人間をまず「中間者」としてとらえ、人間存在を「三つの秩序」に分析します。すなわち、人間には、「身体(コール)」→「精神(エスプリ)」→「慈悲(シャリテ)」というように、より上位の秩序に、それぞれ「感性」、「理性」、「信仰」をもって生きる可能性があります。下位から上位へ移行するのはむずかしく、特に「理性の秩序」から「慈悲の秩序」には、非連続的に超越をもって移るほかありません。「精神の真理は身体の人には見えず、慈悲の真理は精神の人には隠されている」(全集1:155)のです。人間が感性的生活から理性的生活に移行し、さらに理性的生活における人間の論理が終息し、それを越えた存在を知る(愛する)宗教的生活に移るのは、超越によります。逆に上位から下位への移行は連続的・非超越的です。この過程は神が人間を慈しむ方向性を象徴しています」(p.208)。

「キリスト教弁証論」として執筆され、未完に終わった『パンセ』は、「愛の秩序」を証示しています。心情(クール、ハート)としての愛(シャリテ、ラブ)に、パスカルはキリスト教の核心を見ます。人を「暖める」愛が、地上を覆うことに誰が反対するでしょうか。しかし愛は地上の悲惨さを大写しにします。「かくの如く、生がその存在の仕方に応じてそれぞれ固有なる理解の仕方をもつところに、――むしろその理解の仕方に応じて生の各々特殊なる存在の仕方が規定されるところに、――しかもその低次のものは高次のものに対して全然無能力であるところに、人生における悲劇の原因は宿されている。その故にソクラテスは毒を飲み、キリストは磔刑にあわねばならなかったのであった」(『パスカルにおける人間の研究』p.113)。


W 本行の菩薩道

「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」(マタイ7:24〜27)。

人は、親や兄弟や友人、あるいは教師や先輩の言うことを聞き、それをその通りに行なうことによって、人となって行きます。ひととなり(パーソナリティ)の基礎は、聞いて行なうことによって築かれます。どんなリベラリストや、個人主義者も、幼児期に形成された自分のパーソナリティから自由になることはできません。精々、それに気づき、不都合な点があれば、改めようと努力することができるだけです。だから教育において何が模範として与えられるかということは、決定的に重要な意味を持ちます。国家が「期待される人間像」を提示し、学習指導要領を法的に義務づけるということは、教育の主導権は親や教師や地域社会にあるのではない、それは国家にあるということを意味しています。教育基本法を根底から覆すそのような政策が、行政の手によって今強力に推進されつつあります。まるで憲法と教育基本法は既に変えられてしまったかのようです。

ところで、道元禅師の「本行の菩薩道」を私はauthentic discipleship through asceticismという英語に直してみました。修行(実践)を通しての真正の弟子道(菩薩道)というほどの意味です。道元であれば、それは「只管打坐(しかんたざ)」、仏弟子としてひたすら坐り抜くことを意味するでしょう。それでは、イエスに従う者たち(followers of Jesus)にとって、「聞いて行なう」とは何を意味しうるでしょうか。古来、修道院ではora et labora(祈り、かつ働け)という標語のもとに、清貧・貞潔・従順の生涯を送ることが、イエスに従う者の道であるとされてきました。宗教改革によって、それは世俗内禁欲(世俗内修行)として方向転換され、「信徒」として社会生活の只中でイエスに従うことの内実が示されるべきものとされました。しかしそれは近代市民社会(資本主義社会)の中で足を掬われ、キリスト教の教義的限界にも逢着して、現在大きな困難を抱え込んでいます。

私としては、もう一度、follower-ship(従うこと)の意味を問い直すこと、「キリスト者」としてではなく、文字通りfollowers of Jesusの一人として、この社会で生きることの意味を問い返したいと考えています。それはとても困難な課題であって、ひとりで担いきれるようなことではありません。このホームページに色々と書き込んでいることも、その模索の現われに過ぎません。しかしfollowers of Jesusとは、follower-ship(従うこと)が結局は「国家の命令に従って死ぬこと(滅私奉公)」に帰着してしまう人間社会のあり方に対して、ほかの人たちと連帯しつつ、「もうひとつの世界」を切り開いて行こうとすることと別のことではありません。

最後に、なお宗教的に限定された意味でfollowers of Jesusのあり方に言及するとすれば、先に「プロテスタント原理」で触れた「聖書を読み、主の祈りを唱え、とりなしの祈りをする」ということは、事柄の本質的理解において、また唱題・称名・摂心(接心)の本願に生きることとして、修行(祈り、学び、かつ働くこと)の根幹をなすものであると言うことができます。また清貧・貞潔・従順という修道院内の規律も事柄の本質的理解において保たれるべきものでしょう。私としては、それを祈願・謙遜・廉直・友情と言い換えたいと思います。そのようにして敬虔(piety)の内実を取り戻すことは、「脱宗教的宗教」においてもなお重要な意味を持ち続けると思われます。


X 戒・定・慧の三学

先に「キリスト教的思考法」について書きました。それは聖書に基づいた思考法というべきもので、キリスト教が「聖書の宗教」と言われるゆえんです。ここでは、宗教としてのキリスト教について、もう少し別の角度から、すなわち仏教で言う「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」の三学の観点から考えてみたいと思います。

キリスト教の「戒」の基本にあるものは、もちろんシナイ山上でモーセに啓示された「十戒」です。これを簡略に示せば以下の通りです。

第一戒 わたしはあなたの神、主であって、あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
第二戒 あなたは刻んだ像をつくってはならない。
第三戒 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
第四戒 安息日をおぼえて、これを聖とせよ。
第五戒 あなたの父と母を敬え。
第六戒 あなたは殺してはならない。
第七戒 あなたは姦淫してはならない。
第八戒 あなたは盗んではならない。
第九戒 あなたは隣人について、偽証してはならない。
第十戒 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

仏教にも十戒があります。辞書によれは、十戒とは、特に沙弥(しゃみ、仏門にはいったばかりで、まだ修行を積んでいない僧)が修行上絶対に守らなければならない10の戒めで、大乗仏教・小乗仏教で共通に説くものは、殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)、妄語(もうご)、飲酒(おんじゅ)、食肉(じきにく)、邪見、毀(き)、謗(ぼう)、欺誑(ききょう)のことです。十善戒とも言います。なお五戒とは、俗世間にいる信者が守るべき5つの戒めで、殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒の五悪を慎むことを言います。一見してわかることは、仏教にはモーセの十戒の第一戒から第四戒がないということです。仏教は神を立てない宗教だから当然のことでしょう。しかし父と母とを敬えという戒めが特に定められていないのは、なぜでしょうか。飲酒については旧約聖書にも「強い酒を飲むな」という規定はありますが、ワインは普通に飲まれていたと思います。食肉については、「ひづめの割れた、反芻する動物」などの細かい規定はありますが、遊牧民、あるいは半遊牧民に食肉を禁ずることは不可能です。

戒めが戒めとして与えられているのは共同体の秩序を保つためです。しかし今日問題になっているのは、資本主義社会において戒めが空洞化している、あるいは特定の宗教的に熱心な人たちによってだけ守られているということだけではなく、共同体を越えたところでは、そもそも戒めが働く余地がないということです。戒めが倫理と法律に分節したと言ってよければ、共同体内で辛うじて保たれているかに見える倫理と法律は、たとえば国家共同体を越えた国際関係においては、国際倫理(エコエティカ…今道友信)も国際法もほとんどなきに等しい状態が続いているということです。あるいは強者(帝国)が定めた正義が力づくで弱者に押しつけられているという現実があることです。

グローバル化した世界で、戒め・倫理・法律の総連関の道筋をつけていくことは、もはや特定の宗教やイデオロギーによって達成できることではありません。キリスト教の「福音」がやがて世界を制覇するという思想も、(そのユダヤ・キリスト教的神観の根底にモーセの一神教があります)、今日ではそれが西欧の帝国主義的なイデオロギーにほかならなかったことが歴然としています。この時代に国家神道を復活させようという時代錯誤も、帝国主義の日本的な焼き直しに過ぎません。「国を愛する」ことが至上命題であり、国家(元首)は「神」として生殺与奪の権を持つという思想は、人民統治の究極的手法ではあっても、そこには正義(法権利)のかけらもありません。人間にとって戒め(倫理と法律)とは何であるかを、もう一度、根底から(人民の側から)問い直す必要があります。

定(梵語のサマディ、三昧、ジャヤナ、禅那)とは瞑想のことです。禅定とも言われます。神を立てるキリスト教においては、瞑想はどうしても神に祈るという形を取ります。神と言う「観念」をキリスト者の頭から取り除くことは極めて困難です。修道院でも瞑想がなされますが、やはりそのような限界から自由ではありません。一頃、西洋の修道院で禅道場をつくることが流行りましたが、それは西洋の瞑想の限界を物語っています。たとえばベネディクト会で実践されてきたレクティオ・メディタティオ・オラティオがあります。聖書や宗教書を読み(レクティオ)、心に留まった章句から瞑想(メディタティオ)に導かれ、やがて祈り(オラティオ)へと至るというもので、ある意味で当然ですが根底に神(あるいはキリスト、聖母マリアなど)があります。そのような伝統に慣らされた西洋人には、瞑想そのものに入る(入定する)、あるいは無に徹するということを理解することは困難です。神(あるいはそれに付随するもの)のイメージが心に張り付いているからです。

そのキリスト教的祈りの原型と言うべきものは「主の祈り」です。イエスが自らそのように祈れと教えた祈りであるということからキリスト教世界で尊ばれてきました(その起源としてカディシュというアラム語の祈りがあったことが知られています…J・エレミアス)。念のために記せば、「天にまします、われらの父よ、願わくは、み名をあがめさせたまえ、み国を来たらせたまえ、み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ。われらの日用の(日ごとの)かてを、きょうも与えたまえ。われらに罪を犯す者をわれらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ。われらを試みに会わせず、悪(悪しきもの)より救い出したまえ」というものです。プロテスタント教会では、最後に「国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり」とつけ加えます。これは礼拝で「主の祈り」のあと、そのように詠唱(頌栄)したことが、いつしか習慣化したためと思われます。

人はなぜ祈るのか、あるいは瞑想するのかということは、根本的な問いです。「非神話化」して言えば、それは人を人たらしめている根本的な「いのち」の働きに与るためではないかと思います。「いのる」という古語も、おそらく「いのち」や「いき」に通じる語義を持っているのではないかと思われます。今日、「祈り」や「瞑想」の価値を再発見することは、極めて重大な意味を持つことではないかと思います。「平和な文明」は物質主義的な欲望の追求によっては決してもたらされることはないからです。

慧とは悟りのことです。仏教では悟り(覚り)が言われます。しかしキリスト教では「信仰」という言葉が使われても、悟りという言葉はあまり使われません。その極めて当然視されてきたキリスト教の「思想」に、実は「キリスト教信仰」の罠があります。

キリスト教信仰の原型とされる「使徒信条」は、当初は洗礼のときの式文として用いられ、第三世紀と第四世紀の間に今の形に定式化された文書のようです。信条は古来、象徴(symbolium)と言われて来たように、それを通して何事かを指し示すものです。その指し示されているあるものは、そこに書かれていること(文字面)を超越しています。それを文字通りに理解しようとすることは、「象徴の実体化・差別化」であって、かえってその真意から逸れてしまう危険性を持ちます。それは言葉によって表現されていることの物象化であって、西洋思想に特に根強い傾向です。私は「使徒信条」はキリスト教的悟りの表現であるとみなしています。現代人に向かってそれを文字通りに「信じろ」ということは、何も考えるなということに等しいことです。しかしもしそれが「悟り」の表現であるとすれば、一考の価値があります。

そのように前置きして、念のためにこれも全文を掲げれば、以下の通りです。「われは天地のつくり主(創造主)、全能の父なる神を信ず。われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりたまいて、生ける人と死にたる人とを、さばきたまわん。われは聖霊を信ず。また聖なる公同の教会・聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず」。このような信仰が持たれるようになった「文脈」を知らなければ、たとえそれが「悟り」の表現であると言われても、全く意味不明のままに留まるでしょう。

そこで、私の言う「キリスト教的悟り」なるものに多少なりと接近可能なものとするために、大貫隆著『イエスの時』の一節を引用したいと思います(p123-124)。

〈前著『イエスという経験』で私は、原始キリスト教の成立を一つの覚醒体験、あるいは目覚めの体験から説明した。ペトロを筆頭として、イエスの処刑後に残された者たちは、いずことは知れず逃亡した先に蟄居しながら、神不在の暗黒の極みの中で、イエス自身にも「謎」であった十字架の出来事の意味を必死に問い続けた。その中で、イザヤ書五三章(「苦難の僕」の歌)をはじめとする旧約聖書の光に照らされて、「謎」と見えたイエスの刑死が、実は神の永遠の救済計画の中にはじめから含まれ、旧約聖書の中でも予言されていた出来事として了解し直されたのである。旧約聖書そのものの新しい読解としての「謎」の解明、それを私は解釈学的な出来事とも呼んだ。

生の内側に収まらない深刻な問いを抱えてしまった人間が、それまで自分がその中で育ち、教育されてきた民族の古来の伝承に立ち帰り、答えを求めて、それを繰り返し読み直す。問う者が答えを発見したと思う瞬間は、その伝承に対する全く新たな読解が成立する瞬間と同じなのである。その瞬間、世界全体が変貌する。自己と世界についての新しい了解が出現するからである。(『イエスという経験』二二一頁)〉

カルヴィニスト加藤常昭牧師はマルチン・ルターの『小教理問答書』をルターの「三要文(さんようもん)」と言って、高く評価しました。そこでは「十戒」と「使徒信条」と「主の祈り」についての、問答形式の平易な解説がなされているからです。そののち、それは諸教会によるあまたの「教理問答書」(「信仰問答書」、カテキズム)の模範となりました。私だったら、それをルターの「三学」と言うでしょう。それはキリスト教的な「戒・定・慧の三学」を取り上げているからです。しかしそのように言うとき、キリスト教は既に相対化されています。(なおルターの『小教理問答書』では、上に掲げた「十戒」の第二戒がなく、その代わり第十戒が細かく二つに分かれています。)


Y 六区分のキリスト教史

私がまだ「キリスト者」として振舞っていた最後の時期、2001年8月、あるキリスト者の集会で、「公共性と多元主義」をめぐって、ある方の「発題」にコメントをしたことがあります。その前置きとして私は「六区分のキリスト教史」についての話をしました。先ずその部分を転記し、若干の注と補足をつけ加えたいと思います。

〈キリスト者としてこの時代をいかに展望したらよいでしょうか。それを考えるために、先ずキリスト教の歴史を、主にどんな言葉が使われていたかによって、六つに区分してみたいと思います。ただしこれは西洋のキリスト教を中心にして考えた場合のことです。

初めは「ヘブライ語」です。イスラエルで旧約聖書が編纂されていった時代のことですが(注:旧約聖書学の発展により、そこには度重なる編集の過程があったことが知られています)、これはキリスト教の前史(プリ・ヒストリー)に当たります。次は「アラム語」です。イエスと弟子たちはアラム語を話していたと思われます(注:ヤロスラフ・ペリカンは『イエス像のニ千年(小田垣雅也訳、講談社学術文庫)』で、「新約聖書はギリシャ語で書かれているが、イエスや弟子たちが話していた言葉はアラム語で、これはヘブル語ではないけれども、ヘブル語と関連のあるセム語の一つである。この頃までには、ヘブル語は大体、礼拝や学者の間でのみ使われるようになっていて、パレスチナのユダヤ人の間で話されていた言葉はアラム語であり、それに加えてギリシャ語が多くの場合に使われていた」と書いています)。だからこれはキリスト教の原歴史(ウア・ヒストリー)に当たります。しかし新約聖書の諸文書はすべて「ギリシャ語」で書かれています。キリスト教が成立して、それがヘレニズムの植民都市にギリシャ語で伝播していったことを物語ります。この時代はギリシャ教父が活躍する時代まで続きます。次いでキリスト教がローマ帝国から公認され、国教となるに及んで、「ラテン語」の時代になり、中世を通じて継続します。そのあとは「近代語・諸国語」の時代が続きます。(宗教改革の時代に)ルターの独訳聖書、ティンダルの英訳聖書などが生まれ、西洋近代語が成立します。そして西洋化・近代化の過程で、やがてそれが非西洋世界の国語政策に影響を与えます。西洋化・近代化の過程で、日本語なるものが初めて自覚的に形成されてきたと言えます(酒井直樹著『死産される日本語・日本人 「日本」の歴史――地政的配置』新曜社、1996年など参照)。

この近代語・諸国語の時代にあっては、非西洋世界において「対形象化(configuration)」という方向づけが強力に働きます。言語・文化・思想・学問・制度など社会のあらゆる領域で、西洋のものを基準にして、自国の文物を新たに形づくることが課題となります(酒井直樹著『日本思想という問題 翻訳と主体』岩波書店、1997年参照)。日本では「翻訳語・翻訳文化」が強力に形成されてきました。日本のキリスト教も例外ではありません。むしろ典型的な事例であると言えるでしょう。

しかし最近、鈴木宗男という自民党代議士(当時)が「日本は単一言語・単一民族・単一国家である(だからアイヌ民族なるものは、既に日本に帰化してしまっているので、存在しない)」と発言して、北海道のアイヌの人たちから批判を受けました。日本は「単一言語・単一民族」の国家であるというのは「近代的国家の神話」であって、決して事実ではありません(注:小熊英二は、単一民族神話は「第二次大戦後に一般化した」もので、戦前の「大日本帝国」の時代にはむしろ多民族混合・混血論の立場が主流であったと指摘しています。後述)。オーストラリアの文化的多元主義の政策に示されるように、今日では多言語主義、文化的多元主義(多文化主義)、そして宗教(的)多元主義ということが、新たに人々の意識に上ってきました。日本でも在日外国人、あるいは日本国籍を取得した外国人の存在が意識されるようになりました。今後予測される人口減の趨勢の中で、日本に在留する外国人の数はさらに増え続けるものと思われます。いわばこの日本でも「諸言語 various languages」の時代、あるいは多言語社会(multi-linguistic society)が到来しつつあると言えるでしょう。

キリスト教も、この諸言語の時代、あるいは諸言語を使用する人たちの言語主体の回復に関わる、第六番目の新しい時代に、突入しつつあると言えないでしょうか。これは使用する言語の問題ではなく、言語環境の変化に関わる問題です。そしてこのような時代に、新しい意味での「公共性」が問われるようになってきたということなのではないでしょうか。たとえば在日外国人の人権に関わる問題があります。日本のカトリック教会における外国人信者の急増というキリスト教に直接関わる問題もあります。宗教多元主義も、実はこの「諸言語」の時代と深くつながる問題なのだと思います。〉

キリスト教の歴史において「主に」何語が使われてきたかを示すことによって、私はキリスト教の相対化を試みました。特に現在の「諸言語の時代」においては、キリスト教も様々な言語によって多様に展開することとなり、根底から変貌を遂げることになるという予想を語りました。いわば世界宗教としての正統性の規範が薄らぐことになるという見通しを語ったつもりです。そういう「感覚」の延長線上に現在の私があります。しかしそのような位置取り(ポジショニング)は、下手をすると、かつての「日本的キリスト教」と同じ轍を踏んでしまうという危険性を持っています。現にそのような路線を明確にたどっているセクト(「キリストの幕屋」)があります。だからただ日本人として、「日本語で」神学する、「日本語で」哲学するということ、すなわち日本人としての主体性だけが強調されてはならないでしょう。(異質の)他者との共在という契機が欠落してしまった「自言語主義」は独りよがり(自国・自民族中心主義)に過ぎません。

また現在が多言語の時代であるということは、しかし同時に「英語」が世界語として通用しているという現実に目をつぶるものであってはならないでしょう。言語・通貨・軍隊のグローバルな展開に「帝国」の特徴があります。世界中で英語が通用し、ドルが世界の基軸通貨となり、また世界中至るところに米軍基地が存在するという現実が一方にあり、日本はその支配のもとにありながら、同時に国体・国柄が強調されるという愛国主義がもう片方に存在しています。この日本国家の「位置取り」は極東の安全に寄与しないばかりか、世界平和の実現にも逆らっています。だから、多元主義(多言語主義・多文化主義・宗教多元主義)が「帝国」の支配という現実に逆らう戦略として立てられるためには、異なる立場にある者同士の相互理解と協力が不可欠となります。多元的現実を認めつつ、他とは異なる者としての自分の中に閉じこもること、あるいはひたすら自己の優位性(自己の立場の排他的真理性)を主張することは、多元主義ではありません。多元主義とは、自己が自己でありながら、同時に他者に対して開かれているあり方を意味しています。そこから「宗教と国家を開く」という課題も生じてきます。「帝国」の支配に抗するという共通の土俵が、そのような多元主義的言説を可能にします。だから多元主義は統一戦線の論理です。しかし自己を相対化する視点がないところでは統一戦線の実現は困難です。

なお「単一民族論」については、渋谷要の『国家とマルチチュード』によって、小熊英二の『単一民族神話の起源』(新曜社)があることを教えられました。(以下は渋谷の本の「〔注解〕日本人多民族混合混血説と大アジア主義の分節」(p.177-181)という節からのかいつまんだ――ところどころはしょった引用です。)

〈小熊英二は戦前は日本=多民族国家論が通用的真理としてあったと分析している。「総じていえば、地理教科書は、日本が多民族帝国であることをはっきりと打ちだしていた。歴史教科書では、考古学的な民族起源論はないものの、渡来人や蝦夷・熊襲などの記述はなされている。日本を純血の日本民族のみから成る単一民族国家と主張するような記述はいずれにもみられない」。そして「民族的に混合したとはいっても、天皇統治は支配・被支配関係ではなく、君臣が家族の情でむすばれているものだと主張していた」のである。「日鮮同祖論」などである。

ファシストとして東京裁判でも訴追された大川周明は1939年、50万部を売り上げた『日本二千六百年史』(第一書房)で次のように書いている。「我国は応神天皇以来、儒教並びに支那文明を摂取するにあたりて、主として帰化朝鮮人の力を借りた。爾来、ほとんど三百年間、朝鮮人が我国における文化の指導者であったことは、吾らの看過してはならぬ事柄である。……次いで支那人もまた、三国以来乱離を極めし故国を去りて、我国に帰化するものが多くなった」。「これらの帰化人は、工芸技術の教師として、ことに秦漢帰化人は養蚕および機織の教師として我国の文化に貢献」したと。

高田保馬は『民族耐乏』(甲鳥書院、1942年)で次のように言う。「東亜の諸民族の血はほとんどすべてわれらの大地に向かって流れ、それらにおいて相融合している……東亜のすべての血を集成し同時にそれらの文化を集成している意味においてわれら日本民族は東亜民族の中心に位する。それとともにすべての民族にきわめて親近なる関係にあるといいえる」。そして日本のアジア進出を「人と文化とがかつての郷里に帰還することである。……民族の帰郷といはれ得ぬものはない」。それは「白人帝国主義の建物の中に日本帝国主義が入り込むことであるか」と問い、「八紘一宇」はそういう帝国主義ではないという論陣を張っているのである。まさに大東亜共栄思想はこのように多民族国家論を日本的侵略主義・領土拡張主義を正当化する意味的所識でもって通用的真理としたのである。

これに対して小熊英二が言っているように戦後は一転して、右翼も左翼も「単一民族論」に転換した。だから客観的に「単一か、混血か」ということで、右翼とか左翼とかに分節はできないのである。問題はそういう「事実とされているもの」をどのような意味的所識として認識するかという意味論になってくるのである。

以下の文章はだれが書いたかイメージしてほしい。

(第一文)「縄文の文化が突然変化し、弥生の文化に切りかわったのではない。ちょうど明治時代の日本人が和服から洋服にだんだん変わったように、外から入ってきた人々の伝えた新しい技術や知識が、西日本から東日本へとしだいに伝わり、もともと日本列島に住んでいた人々の生活をかえていったのである」。

(第二文)「(縄文時代に)日本人の原型が成立した……朝鮮方面から……弥生式土器の文化がはいってきて、それがたちまち支配的になり、その際新しい人種も多少は渡来したが、その人種が縄文時代を滅ぼし、あるいはこれと混血してその人種的特徴を消滅させたのではなく、反対に、新渡来人種が縄文人種に吸収されたというのが人類学者の通説である」。

これは、現在、われわれが書店で買える戦後の二つの代表的な文献から引用したものだ。同じ単一民族説である。(第一文)は『新しい歴史教科書』(扶桑社)からの引用。(第二文)は戦後歴史学の代表者のひとりであり、わたしなどの関わってきた反体制運動にも間接的な支援をしてくださったこともある井上清の岩波新書『日本史』(上、21頁。1961年)からの引用である。このように戦後は広汎に単一民族論が広がったのである。

これらの「通説」はいまやまったく過去のものとなっている。渡来弥生人の「ルートには、日本へ渡来してから後の『変容プロセス』の意味もある。遺伝子の証拠からみて本土日本人は混血によって生じたことは明らかで、縄文人がそのまま弥生人になったという考え方はもはや通用しない」(尾本恵市『日本人はるかな旅』@、NHK出版、119頁)のである。

小熊英二は次のように言っている。「第二次大戦後に一般化した」単一民族神話は「日本は太古から単一の民族が住み、異民族抗争などのない、農業民の平和的な国家であった」、「天皇家は外来の征服者ではなく、この平和的民族の文化共同体の統合の象徴であった」などを特徴としている。帝国主義的な同化の論理とは対照的なこの論理は、「戦後の象徴天皇制や敗戦による国際関係への自信の喪失、そして戦争につかれ、『まきこまれるのはご免だ』という『一国平和主義』の心理と合致していた」のであると。

ここから日本国家は国家が弱体化したときは単一民族論で「身を守り」、強くなると「混血民族論で外部のものをとりこむ」という動きがある。だから「国際化しさえすれば、純血意識を打破しさえすれば……天皇制や日本社会の欠点が解消できるなどという考えは、大日本帝国への誤解にもとづくものであり、たんにまちがいであるばかりでなく、危険である」と展開する。

まさに象徴天皇制のもとで国民統合に乗り出した日本支配層、そして片や戦前帝国主義の轍を批判しつつ、アメリカへの日本の従属という事態に対して、「民族の主体性」をこの時期、確立せんとしていた日本共産党―戦後歴史学の反米民族主義にもとづく単一民族論という構図が成立していたのである。

ともかくこうして、国家共同体の物語は戦後の「平和と民主主義」へと突入していくのである。天皇制を国家権力の象徴としていただいたままに、である。〉

戦後民主主義の危機を迎えつつある今、「一国平和主義」を脱した平和論の可能性が問われています。再び「帝国主義的」言説にからめ取られない「多元主義的統一戦線論」の構築が求められていると言うべきでしょう。キリスト教という狭い文脈に即して言えば、それはエキュメニズム(世界教会主義)の今日的意義の探求ということになるでしょう。


Z PAULの生き方

「わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、私自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。」(Tコリント9:19〜23)

使徒パウロの生き方を論ずるのがここでの直接の目的ではありません。わざわざPAULの生き方としたのは、Participating in(参入)・Awakening(覚醒)・Understanding(理解)・Living(実存)の生について語って見たいと思ったからです。

何かに参入する、ある事柄に飛び込むということがなければ、何事も始まりません。ハイデッガーは被投的投企などと言いましたが、自分が自分になるために、何かに自分の身を投げ出すということが、人の生き方の基本です。M・ポラニーの言う「住み込む(dwell in)」ということがなければ、その事柄が自分に馴染んでくる、自分自身のものになってくるということにはなりません。その過程を通して、人は何ものかになっていきます。その結果人は料理人になったり、医師になったり、数学者になったりします。

しかし人が人として目覚めるのは、ある事柄に参入しつつ、同時にそこから引き剥がされるという経験を通してではないでしょうか。自分が日本人であるという自覚は、多くの場合、外国に住むことによって与えられます。日本という環境に埋没していたときには気づかなかったことが、そこから引き離された環境に身を置くことによって初めて鮮明に自覚されてきます。ある異質なものが契機となって、自分自身を対象化することが可能になります。参入が同化の過程であるとすれば、覚醒は異化の過程です。

この参入しつつ覚醒するという経験を積み重ねることによって、人は物事を理解するようになります。視野が次第に拡大していきます。入ることと出ることの繰り返しによって、人はその事柄を理解するようになります。人生には、入ったきりで出ることがない、あるいは出たきりで入ることがないということは、終身刑を言い渡された囚人や重い病気に罹った人などを除いては、ありえないことですし、あってはならないことです。その意味で出入り自由なところにこそ、人に真実の理解が与えられます。

人が生きるというとき、自己の「自我同一性」や「役割同一性」に固執して、物事への出入りが自由でなければ、そこにコミュニケーションの上での障害が生じてきます。融通の利かない役人根性が、どんなにいらだたしいものであるかは、多くの人が経験済みのことです。子どもには子どものように対し、大人には大人のように対するという柔軟な生き方は、自分のあり方が固定してしまっている人には不可能です。

パウロは「キリストにあって」そのような生き方を身につけたように思われます。しかしそのような生き方を実存的な生と言ってよければ、それはキリストにあって初めて獲得されることではありません。むしろ、パウロはそのような実存的な生き方を「キリストにある生」と呼んだのであって、それは弥陀の本願に生きる生と言っても一向に差し支えないことではないかと思います。

権力が日本人としての生き方を強制しようとするとき、そのような出入り自由な人間観が失われてしまいます。固定的で無内容な「伝統と文化」が押しつけられ、「愛国心」が一律に強要され、日本の習俗としての神社参拝を天皇や首相や閣僚などが公式に行ない、また行政が公式行事として神道行事を行なうことが、日本人のアイデンティティの「存在証明」として合法化されるというようなことは(そうなればそれは直ぐに国民の義務となります)、いわば日本人に終身刑を言い渡すことであり、重病人あつかいすることです。権力者は日本人にそれ以外の生き方をするなと言っているのです。そこには権力者は人の心を支配することができるという前提(思い上がり)があります。私たちは今そのようなとんでもない体制変革に直面しています。


[ 蜂の巣と蜘蛛の巣

「さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。」(マルコ3:13〜15)

組織の態様として派遣型と待機型の二つが考えられます。私は派遣型の組織を「蜂の巣モデルの組織」、待機型の組織を「蜘蛛の巣モデルの組織」と名づけたいと思います。

蜂の巣モデルの組織とは、働き蜂のように外に出て行って働くことを主眼とする組織ということで、いわば営業マンのように出て行って、人と会い、何かのセールスに携わることを目的とする組織のことです。それに対して、蜘蛛の巣モデルの組織とは、獲物が巣にかかってくるのをひたすら待機している蜘蛛のように、店を構えて客がやって来るのを待つタイプの組織のことです。当然のことながら両方を兼ね備えた組織もあります。

19世紀の西洋のキリスト教は大変な「伝道熱(missionary zeal)」に煽られていて、「この世代のうちに世界中に福音を宣べ伝えよう(evangelization of the world in this generation)」などという標語があったくらいです。宣教師が世界中に派遣されました。そのお蔭でこの日本にも多くの教会、学校、病院などが建てられました。(宣教/伝道を意味するmissionという言葉は、もともと派遣を意味しています。missio Dei/神の派遣などと言われます。)しかしその結果として今日なお日本に存続している諸教会は、どんな態様のうちにあるでしょうか。ひたすら獲物がかかるのを待っていて、しかも獲物はめったにかからない蜘蛛の巣のようなものではないでしょうか。

要するに、今日の教会はその使命(missionのもう一つの意味)を明確にすることができずにいます。かつては説得力を持った使信(メッセージ)が、今ではその力を失っています。だからその路線を蜘蛛の巣から蜂の巣に転換しようにも、働き手(働き蜂)は目標を見出せず、右往左往するだけでしょう。その右往左往の結果として今の私があると言うべきでしょう。かつて、その問題は、カトリック、ルター派、カルヴァン派、メソディスト、バプテストなどなどの路線の選択の問題であるように見えたこともありましたが、今では、私の目にキリスト教それ自体の問題として映ります。

しかし既成教会(伝統的な教会)が行き詰まっている、あるいは人々に目標を示すことできずにいると言っても、それはひとりキリスト教だけの問題ではないでしょう。いわば、それは「高度産業資本主義社会」自体が目標を見失い、浮遊し始めているということなのではないでしょうか。ある法学者が「今や何でもありの世の中になってしまった」と述懐したそうです。社会に歯止めがなくなり、なだれを打ってどこかに転がり落ちようとしていると言うべきかもしれません。

若いとき、私は「世の中から精神的価値が蒸発しつつある」という感懐にとらわれたことがあります。ニヒリスティックな感覚が私を襲ったと言うべきかもしれません。それは、もしかしたら、「悪霊」の働きかもしれません。しかし戦火に襲われる今日の中東情勢を見れば、誰しもそれは悪魔の仕業であると言いたくなるのではないでしょうか。

この剣呑な時代に、人間が正気を取り戻すようにと願わずにはいられません。最後に「アロンの祝福」の言葉を唱えます。

「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。
 願わくは主がみ顔をもってあなたを照らし、あなたを恵まれるように。
 願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。」(民数記6:24〜26)


\ 梵我一如

「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」(マタイ25:31〜46)。

福音書のこの有名な箇所で、「これらの最も小さい者」という三人称は、「わたし」という一人称と、いわば、ショートしています。個々の「いと小さき者」のいのちは、「わたし」のいのちと一つのものであると言われています。大貫隆が指摘した言葉使いを借りれば、個々の「いと小さき者」のいのちがプシュケーであるとすれば、「わたし」のいのちはゾーエーであると言えるでしょう。ここには「いのち」の連帯性と言うべきものが表現されています。現実には個々バラバラに存在している「いのち」が、根底において一つのものであるということが表明されています。

このように発語する主体を、私は超人称的言説主体と呼びたいと思います。現実の生においては、彼は彼であって、私ではありません。それを取り違えれば、頭がおかしいと思われるだけでしょう。しかし栄光の中に到来する「人の子」にあっては、私は彼であり、彼は私です。宗教的発語においては、言説主体は彼我の分別を超えています。しかも「人の子」は虐げられた者たちと自己とを同一視する主体です。彼は、羊飼いが羊とやぎとを分けるように、「これらの最も小さい者のひとり」と連帯して生きたか、生きなかったかによって人を裁く、権威ある者(王)として、歴史の終わりにすべての国民の前に姿を現します。この「人の子」は、(大貫隆に従って)非神話化すれば、永遠の生命が人格化された表象、あるいはイメージであると言うべきでしょう。

インド哲学では個々のいのち(プシュケー)をアートマン(個人我、小我)と言い、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵、大我、真我)と区別されます。しかし同時に梵我一如などと言われます。イエスが「人の子」と言うとき、それはあくまでも自身から区別される存在でありながら、同時にそれが自分自身でもあるような存在ではなかったかと思われます。イエスはその意味で「梵我一如」の生を生きた人だったのでしょう。超人称的言説主体とは、そのような梵我一如の生を生きる人のことであるとも言えます。

滝沢克己がやかましく言ったように、そこには区別と同一の「ことわり」があるでしょう。しかしその「ことわり」をその通りに生きる人は「たぐいまれ」ではないでしょうか。しかもイエスの場合にはそこに高度の倫理性があります。どこまでも「いと小さき者」たちと連帯して生きる具体的な生があります。私としてはニーチェに従って次のように言うことができるだけです。「十字架で死んだその人が生き抜いたのと同じ生のみがキリスト教的なのである」。


] 場の中にいる

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、また私を信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおるところにあなたがたもおらせるためである。わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている。」(ヨハネ14:1〜4)

ミルトン・メイヤロフはその著『ケアの本質 生きることの意味』(田村・向野訳、ゆみる出版、1993年、原題 On Caring )において、次のように言います。

《私たちは全面的・包括的なケアによって、私たちの生を秩序だてることを通じて、この世界で“場の中にいる”(In-Place)のである。これは“自分にあわない場”から逃れ、自らの“場”を求めて“場の外にいる(Out-of-Place)”ことと対照をなすものであり、このとき、人は“場”に対して無関心、無感覚となっている。また前もって、ある“場”というものが私たちのために用意されているわけではない。私たちは、コインが箱にあるような具合に、ある場にいるのではない。むしろこういうべきだ。つまり、自らを“発見する”人が、自らを“創造する”ことについても大いに力をつくしたと同様なやり方で、私たちは自分たちの場を発見し、つくり出していくのである、と。》

《“場の中にいる”ということは、空間的であると同様に時間的でもある――これは現在が、時間的であると同様に空間的なことでもあるのと似ている。“その人はどこにもいない”という言葉に、他のどのような意味があろうとも、少なくとも次の意味のことを言っているのである。その人およびその人の生き方には、ある根本的なものが欠けており、その人は場を有していないということである。》

また、メイヤロフは信(Faith)について次のように言います。「信は狭義においても広義においても、“場の中にいる”ということの中に見出される。狭義における信を考えると、これは私たちが、ある人またはある物に信をおくと表現するときの意味あいと同様で、私の生の意味を生きることにおいて不可欠な要素である。たとえば、私は自分自身をケアする自分の力に信をおいている。そのときそのケアは、他者をケアするために私が必要とされるとき、その必要性に自分が応じることができることも意味している。あるいは、もっと一般的に言えば、私は経験から学ぶ自分の能力、また、ある植物が日光へ向かうのと同様に、成長することと経験の中で出会う人生を高めてくれるものに向かう自分の能力に、信をおいている。……自分自身に信をおくということは、盲目的なものでも、不合理なものでもない。これは私のケアの経験、またケアされた経験によって裏づけられているのである。それはちょうど、ある人が私の成長に関心を持っていることに私が信をおいていること――つまり私自身でありたいという私の要求を、彼はないがしろにしないだろうということ――が、私が彼にケアされた経験によって裏づけられているのと同様である。」

「さて広義の意味の信を考えると、信は“場の中にいる”こと自体と同じであると考えてよい。これは、私の総合的な態度としての信である。私は世界に立ち向かっていき、自分自身をゆだね、身をさらすのである。ある人について、その人が言葉どおりの人であるとか、行動どおりの人であるとかと言うことができるように、私は自分の辿る人生どおりの人間なのである。」

「この広義の意味における信があるかないかは、その人が自分の人生に対し責任をとる人か、あるいは責任を回避し、他人にその責任を転嫁してしまおうと思うような人かという違いになる、と考えることができるであろう。《自己存在のあり方としての信、人生に対する基本的な確信としての信は、私たち自身を実現し、私たちの対象をケアするその過程で、未知なるものに入っていける安心感と確信をともなっている。これはまさに、未知なるものに対してそれを恐れるあまり、自らを閉ざしてしまうのと全く正反対のことである。すなわち、私たちはこの信により、人生を避けてとおるのではなく、より人生の真相に近づき得るのである。》ときに、ある特定の人々や理想に対して、私の経験からどうしてもそれらに信をおけないことがある。先にのべた信は、もちろん、そういう場合と矛盾するわけではないのである。」

「信について、狭義の意味では、何者かに信をおくfaith in)ことであると私たちは話をすすめてきたが、一方、広義ではこれを、信のうちにin faith)生きることだと言ってもよいであろう。そうすると次のように言うことができる。人が自分と補充関係にある対象appropriate others)をケアしているとき、その包括的な対象が、それが成長していくものでその人を必要としているとき、そのときに、その人は信のうちにあり、信のうちにあるということによって、その人は世界に根ざしているのである。こうした信は、人生と意味深いかかわりを持つことによって生じてくる。これは、自分たちの持つ独自の才能を最大限に発揮してはじめて生まれてくる自信であり、安心である、といってよい。信のうちにある人にとって、世界は了解性を持っているのであるが、この了解性は、存在のはかり知れない性格について、より鋭敏に知覚することを必ずともなうのである。」

著書の最後でメイヤロフは言います。「人は自分の場を発見することによって自分自身を発見する。その人のケアを必要とし、また、その人がケアする必要があるような補充関係にある対象(appropriate others)を発見することによって、その人は自分の場というものを発見する。ケアすること、ケアされることを通じて、人は自分が存在全体(自然)の一部であると感じるのである。ある人やある考えが成長するのをたすけているときこそ、私たちは、その人やその考えの最も近くにいるのである。自己の生の意味を生きるということの根底的な性質は、くしくも、生の尽きせぬ深みを限りなく知ることに通じている。これは、人生の様相が極めて尋常でないときに、人生は尋常であり“特別なことは何もない”かのように見えるのと同様である。たしかに、私たちは人生の最も奥深いところにある了解性に気づいたのであるが、究極的に言えることは、そこに生きる私たちの存在は個々にはかり知れぬ性格を持っているということであり、これが音楽の通奏低音と同じく人生に浸透し、彩りを添えているのである。」

冒頭に掲げたヨハネによる福音書の「イエス」(永遠化されたイエス)の言葉は、イエスとイエスを信じる者たちとの間に、ケアしケアされる関係が生じているということ、それが、イエスが「場所を用意する」ということの意味であることを示しているのではないでしょうか。イエスは居場所のない者たちに居場所を用意する者、究極的に人をケアするものであると言われているのではないでしょうか。そのあと直ぐにイエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と述べます。しかしそれは、「道であり、真理であり、命である」者がイエスと呼ばれているということでもあるでしょう。「神を信じ、イエスを信じる」という、信のうちに生きる生き方は必ずしもキリスト教徒に特有のものではありません。その根底的な信(存在の原初肯定)において、人はそれぞれ、「自分の場を発見することによって自分自身を発見する」ことを求められています。そしてそれは「その人のケアを必要とし、また、その人がケアする必要があるような補充関係にある対象(appropriate others)を発見することによって、その人は自分の場というものを発見する」ことをも意味しています。なお、メイヤロフの言う「補充関係にある対象appropriate others)」は、私が「三相の自己」の項で述べた「自己としての他者」に相当すると思われます。

破壊と殺戮の戦争の世紀に、あるいはそうであるからこそ、人が人として生きるために、なおも「信に生きる生き方」が求められているということでしょう。


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