閑老人のつぶやき 本について
T ネグリ ハート『マルチチュード(上・下)』(NHKブックス)
1) 政治的な愛の復活
『マルチチュード』にはキリスト教あるいは聖書についての記述が散見されます。たとえば、上巻の230ページには「悪魔的マルチチュード―ドストエフスキー、聖書を読む」という囲みの記事があります。下に引用した部分もその一つです(以下引用、下巻 p.254-255)。
今日の人びとにとって、愛を政治的な概念として理解することなど思いも及ばないだろう。だが、まさに愛の概念こそ、私たちがマルチチュードの構成的権力を理解するために必要なのである。近代の愛の概念はほとんどといっていいほどブルジョアのカップルや、核家族という息の詰まるような閉鎖空間に限定されている。愛はあくまでも私的な事柄になってしまった。私たちは近代以前の伝統に共通して見られる公共的で政治的な愛の概念を回復しなければならない。
この個所を取り上げた理由は、今の私の宗教観に通じるものがあると思ったからです。それについては追々書いていくつもりですが、私は現在、「宗教は世界に脱入・脱融すべきである」という考えを持っています。教団の中で自足している宗教には明日がないと思っています。それでは、宗教が世界に溶け込んでしまうとはどういうことか言えば、それを理解する手がかりになるものが、上の文章の中にあるのではないかと思います。
2) セキュリティおよび私的所有権
「思想について」のページ(「出入り自由な空間はない」)に注記した『マルチチュード(下)』の関連箇所を、少し長くなりますが、以下に引用いたします。この箇所を含む章節の標題は「〈私〉と〈公〉の対立を超えて」となっています。(以下引用、p.35〜37)
セキュリティと民営化
…(略)…
さらにプライバシーに対する攻撃は、テロリズムに対する戦争との関連で急激に増加している。アメリカ愛国法をはじめとする合衆国やヨーロッパにおける新たな法律は、自国民か外国人かを問わず、政府が住民を監視する権利を大幅に拡大するものだ。こうした監視能力増強のもうひとつの例に、合衆国やその他の国々の諜報機関が電話、Eメール、衛星通信などのグローバルな電子コミュニケーションを監視するために非公式に運営している、エシュロンのような新しい技術システムがある。
これらはすべて個人のプライバシーを保護する〈私〉と〈公〉の境界線を曖昧にするものだ。それどころか反テロリズムや反乱鎮圧の論理においては、最終的にセキュリティが何よりも優先されなければならないため、〈私〉というものはそもそも存在しない。セキュリティは〈共〉の絶対論理であり、あるいはもっと正確に言えば、〈共〉全体を管理の対象とみなす倒錯なのだ。
他方、経済の領域における〈公〉への法的な攻勢については、すでに例をあげて論じてきた。民営化は、グローバル経済を支配する主要大国の戦略を決定する新自由主義イデオロギーの中心的要素である。新自由主義によって民営化される〈公〉とは一般に、鉄道や刑務所、公園など、従来は国家によって管理されていた土地・財産や事業体を指す。第二部ではまた、特許や著作権その他の法的手段によって、かつては〈共〉のものとされていたさまざまな生の領域において、私的所有権が大幅に拡大していることについても論じた。この論理の行き着く先として、すべての財は生産的な利用価値を最大限に高めるために私的に所有されるべきだとまで主張する経済学者もいる。簡単に言えば、社会的領域ではすべてを〈公〉にして政府が自由に監視し管理できるようにする傾向があり、経済的領域ではすべてを〈私〉にして所有権の対象にする傾向があるということだ。
〈共〉にもとづく法的戦略
この状況を理解するには、術語の使い方によって生じた混乱を解消することが必要である。〈私〉という語は社会的主体の権利や自由だけでなく、私的に所有する権利を含むと理解されており、その結果両者の区別は曖昧になっている。この混乱は近代法理論、とりわけその英米版における「所有的個人主義」というイデオロギーに起因する。これは利害関心や欲望から魂にいたるまでの主体のすべての側面や属性を、その個人が所有する「所有物」と位置づけ、主体のもつあらゆる側面を経済的領域に押し込めようとする立場である。こうして〈私〉の概念は、主体的なものも物質的なものも含めて人間のあらゆる「持ち物」を十把一からげにしてしまうのだ。一方の〈公〉もまた、国家による管理と、〈共〉として維持され〈共〉によって管理運営されるものとの重要な区別を曖昧にしてしまう。
だからこそ私たちは、これに代わるオルタナティヴな法的戦略と枠組――すなわち、さまざまな社会的主体性の特異性(私的所有権ではなく)を表現する〈私〉の構想と、(国家による管理ではなく)〈共〉にもとづいた〈公〉の構想――、言ってみればポスト自由主義的かつポスト社会主義的な法理論を考え出す必要がある。〈私〉と〈公〉に関する従来の法的構想では到底その役目を果たせない。
…(略)…
U 柄谷行人 『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を越えて』(岩波新書)
柄谷の歴史哲学
この本『世界共和国へ』は柄谷行人の「歴史哲学骨子」とでも言うべきものです。一言で言えば、古代から現代までの世界史の流れを、人間社会の「交換様式」、すなわちA.「互酬」、B.「再分配(略取と再分配)」、C.「商品交換」、D.「X(互酬的交換の回復)」の観点から整理したものです。すなわちマルクスの「生産様式」を「交換様式」(マルクスがその初期に「交通様式」という言葉で考えていたもの)として捉え返し、歴史的に生成した五つの社会構成体をその支配的交換様式から、1.氏族的⇒互酬、2.アジア的⇒略取―再分配、3.古典古代的⇒略取―再分配、4.封建的⇒略取―再分配、5.資本主義的⇒商品交換と分類しています。
世界帝国と世界経済
柄谷の「歴史哲学」のもう一つの柱は、アジア的専制国家、世界帝国の「周辺・亜周辺」に古典古代的社会、封建的社会が生じてきたとする点です。アジア的世界帝国が最初に出現したのはエジプトやメソポタミア、中国ですが、そこには専制的な皇帝と官僚機構・常備軍が存在していて、既に近代国家と類似する国家の特性が見られると述べています。そしてその帝国の「周辺・亜周辺」で、たとえばエジプトなどオリエントの帝国の亜周辺に位置していたギリシャに古典古代的な特性が生まれ、ローマ帝国の周辺に西ヨーロッパの封建制が生じてきたとしています。日本の封建制も中国の帝国の亜周辺に位置していたことから説明されます。
近代以前の政治的・経済的形態である「世界帝国」が、「世界経済」の誕生によって連結されるようになったのが、15・16世紀です。そこから柄谷の近代資本主義社会の歴史的分析が始まります。
資本主義的社会構成体
柄谷は資本主義的な社会構成体をA.ネーション(互酬)、B.国家(略取―再分配)、C.資本(商品交換)、D.アソシエーション(互酬的交換の回復)の接合(複合)から見ています。このアソシエーションとは、柄谷によれば、資本主義的な社会構成体から逆に出ようとする運動のことで、「商品交換(C)という位相において開かれた自由な個人の上に、互酬的交換(A)を回復しようとするもの」だと述べています。それをアソシエーションと呼ぶのは、社会主義とかコミュニズムとか言うと、国家社会主義(歴史的に成立した社会主義諸国家の思想と現実)と混同されるので、それを避けるためだとも言っています。
アソシエーション
アソシエーショニズムは柄谷の基本的な立場で、かつてプルードンやマルクスによって抱かれていた思想のことです。具体的には「生産者協同組合」のことです。なおマルクスがアソシエーションをどのように考えていたかについては田端稔『マルクスとアソシエーション マルクス再読の試み』(新泉社、1994年)に詳しく論じられています。
ネーション―想像されたもの
面白いのは、柄谷がネーションを「商品交換の経済によって解体されていった共同体の『想像的』な回復にほかならない」と考えている点です。そしてカント哲学の悟性と感性の分裂をロマン派が想像力によって超えようとしたように、「ネーションは、国家と資本主義経済という異なる交換原理に立つものを想像的に総合する」と述べています。「それは、いわば、市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)によって結ばれている」ということだと言っています。そしてこれらの三つのものは、「どれか一つをとると、壊れてしまうような」ボロメオの環をなしているとしています。
普遍宗教
柄谷は、キリスト教、イスラム教、仏教などの普遍宗教について、「普遍宗教(世界宗教)は、共同体でも国家でもなく、市場的空間(都市)において出現し、さらに、かつて存在しなかったような空間、すなわち新たな交換様式を開示したのです。たとえば、新約聖書では、たんに祭司階級=国家への拒否があるだけではなく、家族・共同体への拒否があります」と述べ、マタイによる福音書からイエスの言葉を三つ引用しています。
また「このように、普遍宗教は、商人資本主義・共同体・国家に対抗し、互酬的(相互的)な共同体、つまりアソシエーションを志向するものとしてあらわれた」と書き、同じことが仏教やイスラム教についても言えるとしています。
柄谷の宗教哲学
柄谷の宗教観は次の言葉で表わされています。「普遍宗教は別に、超越的な人格神あるいは唯一神を不可欠とするものではありません。たとえば、仏教も普遍宗教です。このことを考える上で、示唆的なのは、先に述べたマルクスの「価値形態論」です。マルクスの考えでは、重要なのは一般的等価形態(貨幣形態)であって、そこに位置する物ではない。たとえば、金は、金だから貨幣となるのではなく、一般的等価形態という場所におかれるがゆえに貨幣なのです。同様に、超越的なのは神ではなく、神がおかれる「場所」(一般的等価形態)です。仏教が人格神を否定し「無の場所」を強調したのはそのためです。」
柄谷は、宗教の国家化と宗教改革、ピューリタン革命と社会運動などについて述べ、結論として「普遍宗教がもたらしたのは、自由の互酬性(相互性)という倫理的な理念です。それが政治・経済的平等を含意するにいたったとはいえ、後者が至上目的ではなかった、ということを忘れてはならない」と書いています。そしてカントの「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱え」という格率において、カントが普遍的な道徳法則として見いだしたのはまさに自由の相互性であったとしています。そしてカント的な倫理が普遍宗教に由来していると言い、最後に「カント自身がそうしたように、宗教を批判してもよいし、また批判すべきですが、そのことが、宗教によって開示された倫理=交換様式を否定してしまうことになってはなりません」と書いています。
柄谷のマルクス批判
マルクスは、プルードンの経済学の甘さを批判しました。柄谷は「産業資本が1860年以後、巨大な資本あるいは国家的な資本による重工業的生産に移行したとき、(プルードンの)生産協同組合はもはやそれに対抗できなかった」と書きます。「ところが、プルードンの経済学の甘さを批判したマルクスは、国家に関しては甘い見方をしていた」と述べ、柄谷のマルクス批判の骨子がその国家観にあることを表明しています。
「国家は内部からだけでは揚棄できない。だから、革命は『主要な諸民族が《一挙に》、かつ同時に遂行することによってのみ可能』(ドイツ・イデオロギー)だと、マルクスは考えたのです。そして、のちのマルクス主義者も『世界同時革命』を唱えました。」「しかし、一挙かつ同時的な世界革命はありえない。実際、1848年に彼が期待した『同時的世界革命』の結果は、国家の死滅どころか、国家による産業資本主義の興隆をもたらした。」
そこで柄谷は言います。「では、一国だけの社会主義革命も、同時的世界革命もありえないとしたら、どうすればよいのでしょうか。ここで鍵となるのは、19世紀のあいだずっと無視されてきた、カントの『世界共和国』という理念です。」こうしてこの本は第W部の「世界共和国」へと移ります。
世界共和国
最後に柄谷は帝国主義を論じます。そしてネグリとハートの『帝国』(2000年)を、国家という位相を無視するものとして批判します。彼らの思想は、「マルチチュードの自己疎外としてある諸国家は、マルチチュードが自己統治することによって揚棄されるだろう、というアナキズの論理です。ここでは、国家の自立性が無視されています。こうしたマルチチュードの反乱は、国家の揚棄よりも、国家の強化に帰結するほかはないでしょう。」
柄谷は、人類がいま直面している緊急に解決しなければならない課題として、「1.戦争、2.環境破壊、3.経済的格差」を挙げ、「これらは切り離せない問題です。ここに、人間と自然との関係、人間と人間の関係が集約されているからです。そして、これらは国家と資本の問題に帰着します。国家と資本を統御しないならば、われわれはこのまま、破局への道をたどるほかはありません」と言い、しかし、グローバルな非国家組織やネットワークが数多く作り出されているにも拘わらず、それらの、資本に対抗する各国の運動が有効に機能しないのは、結局は諸国家の妨害に出会い、つねに国家によって分断されてしまうからだと述べています。
それでは、「どのように国家に対抗すればよいのか」という問題に対して、柄谷が書いていることは原則論の域を出ません。「われわれに可能なのは、各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、それによって国際連合を強化・再編成するということです。たとえば、日本の憲法第九条における戦争放棄とは、軍事的主権を国際連合に譲渡するものです。各国でこのように主権の放棄がなされる以外に、諸国家を揚棄する方法はありません。」そして「各国における『下から』の運動は、諸国家を『上から』封じ込めることによってのみ、分断をまぬかれます。『下から』と『上から』の運動の連携によって、新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニケーション(アソシエーション)が徐々に実現される」と、カント的な世界共和国の理念の実現を訴えます。
補遺と感想
かつて賀川豊彦は世界平和のために「世界の協同組合化」を構想し、「世界連邦」の運動を推進しました。賀川もまた基本的にはヘーゲルの思想を斥けるカント主義者でした。彼はまたマルクス主義の病理学(現状分析)としての正しさを認めながら、その治療学(問題解決の方法)に疑問を呈しました。マルクスの「交換価値」をより広義に解釈しようとした点でも、柄谷と似ているところがあります。「神の国」運動を多面的に展開した賀川は、また、「神」でもなく、「国」でもない、「神の国」に事柄の真実があると言いました。すなわち「神」が置かれている「場」に着目していたわけです。柄谷の新著を読んで、私がふと賀川豊彦を思い出したとしても、あながち牽強付会とは言い切れないでしょう。賀川は「神学はいらない」と言い切った人でもあります。
しかし、自戒を込めて言うことですが、今日の国家主義的な「バックラッシュ」の時代に、「理念」はいかにも無力であると思わされます。最近の私は、戦争を阻止するために、「現場」で果敢に闘っている人たちの戦列から、少し距離を置きつつあります。私にまだ覚悟ができていない、readinessが十分ではないということを知ったからです。同時に「世界同時革命」の信念を未だに強固に抱いている人たちの「周辺」にいることに、息苦しさを感じたからでもあります。
戦争に向かってひた走る国家の策動に同調しないだけでなく、それに抵抗することは、益々困難になりつつあります。「閑老人」に果して何ができるのか、これからも私の「つぶやき」は続くことでしょう。
V 渋谷要『国家とマルチチュード 廣松哲学と主権の現象学』(社会評論社)
既に他のページで言及している『国家とマルチチュード 廣松哲学と主権の現象学』は現代の「時務」(三木清の言葉)に真正面から向き合った好著です。私はその一つ一つの論説から多くのことを学びましたが、特に第二部(日本ナショナリズムと共同体)の第三章「日中を軸とした東亜の新体制を」論――廣松渉の「東北アジアが歴史の主役に」のエッセイをめぐって――を「面白く」読みました。朝日新聞の1994年3月16日の夕刊に掲載された廣松の標記のエッセイは(以下エッセイと表記)、「発表直後、大きな衝撃とともに話題を呼」びました。
この「物議をかもした」エッセイについて、著者は、柄谷行人、今村仁司、子安宣邦、天野恵一、荒岱介という5人の人たちの反応を取り上げつつ、自分の見解を述べています。廣松のエッセイで特に問題とされた部分は以下のところです。「東亜共同体の思想はかつては右翼の専売特許であった。日本の帝国主義はそのままにして、欧米との対立のみが強調された。だが、今では歴史の舞台が大きく回転している。日中を軸とした東亜の新体制を! それを前提にした世界の新秩序を! これが今では、日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう」。
柄谷行人は、このエッセイを「廣松渉の思考を総体的に知るために不可欠のものだ。これはけっして唐突な『東洋回帰』ではない。北九州で敗戦を十二歳で迎えた廣松氏は、それ以後ずっと一人で欧米との戦争を続けていたかもしれないのである」と述べ、「廣松氏が遺書めいたエッセイとして、『日中を軸にした東亜の新体制を! それを前提にした世界の新秩序を!』を『反体制左翼のスローガン』として唱えたとき、私は一向におどろかなかった」と書きます。柄谷は、京都学派などの諸論を論じた廣松の『〈近代の超克〉論』(講談社学術文庫)での解説を書き、そこで「京都学派への批判も重要だが、それにもまして重要なのは、廣松氏のような哲学者が、京都学派、というより、近代日本の哲学の系譜を意識し、自身の仕事をその批判的継承において見ようとしたということである。廣松渉がオリジナルな思想家であるのは、まさにオリジンに立とうとしているからにほかならない。その意味で、本書は『廣松哲学』を考える上でも不可欠な書物である」と言います。そこで、渋谷は「このように廣松と京都学派の廣松的なスタンスでの継承関係をあらかじめ意識していた、だから柄谷はおどろかなかったということだろう」と述べます。
今村仁司は、「彼が言いたかったことは、二十世紀後半の世界史の軸が東アジアに移動したこと、西欧中心の世界史像はいまでは歴史的使命を終えたこと、そしてまさにそのゆえに日本と中国との新しい関係の構築が政治面でも思想面でも緊急課題になること、などである。必ずしも新奇な発言ではなく、ある意味では誰もがすでに何らかの形で述べていることでもある。ただ廣松としては、この新しい世界史的段階を厳格に自覚するならば、歴史的現在の境地を世界観レベルで基礎固めするべきであり、その世界観とは『ワシの哲学じゃ』と言いたかったのだ」と言います。渋谷は、今村のこの見解は廣松の『〈近代の超克〉論』を〈実存的に読む〉限り納得できるものとし、三木清の「協同主義」に関する廣松の言説を拾います。廣松は三木の『新日本の思想原理』を批評して、「この『協同主義』に哲学的な基礎づけを与えるべく、三木清はテオリア(観想――引用者)の立場を超越する『実践』の立場に立つ新しい哲学を模索する。……社会観においては『個人主義と全体主義とを止揚する協同主義』、歴史観においては『観念史観と唯物史観』との相補的対立を超える新しい史観を標榜する“雄大な”構想になっている」。だが、「三木のこの構想は、しかし、所詮は志向性の表明にとどまっており、およそ哲学体系としての実質を備えていない……これはもとより、三木哲学一個の破産を示すものという境域を超えて……戦時下日本の『近代超克論』の総体に関わる一事実である」と言います。渋谷は、「まさにだから、この『志向性の表明』を突破し哲学体系を構築しえたのが唯一、『ワシの哲学じゃ』、共同主観性の哲学だと、いいたかったのだということではないか」と、今村の言い分を支持します。
それを裏づけるものとして、渋谷は、廣松がそのエッセイで次のように書いていたと注意を促します。廣松は、欧米中心の世界が終わり、「新しい世界観、新しい価値観が求められている」として、「『実体主義』に代わって『関係主義』が基調になる」と言い、「実体主義といっても……社会とは名目のみで実体は諸個人だけだとする社会唯名論もあれば、社会こそが実体で諸個人は枝節にすぎないという社会有機体論もある。が、実体こそが真に存在するもので、関係はたかだか第二次的な存在にすぎないと見なす点で共通している。これに対して、現代数学や現代物理学によって準備され、構造論的発想で主流になってきた関係主義では、関係こそを第一次的存在とみなすようになってきている。しかしながら、主観的なものと客観的なものとを分断したうえで、客体の側における関係の第一次性を主張する域をいくばくも出ていない。さらに一歩を進めて、主観と客観との分断を止揚しなければなるまい」と言い、そして「私としては、そのことを『意識対象―意識内容―意識作用』の三項図式の克服と『事的世界観』と呼んでいるのだが、私の言い分の当否は別として」そういう世界像が「大きな流れであることは確かだと思われる」と書いています。そこで、渋谷は、「つまりこれは、欧米中心の世界からの転換においては、自分の哲学が主流になるのだという自己主張にほかならない」と受け止めます。
子安宣邦は、前の二人が肯定的、あるいは好意的に捉えていたのに対して、『「アジア」はどう語られてきたか』(藤原書店)で、「さまざまなアジア主義的な言説が、この政治的『東亜』概念をもたらしたというように考えるのは正しくない。むしろ逆なのである。中国そしてアジアにおける日本の帝国主義的意志とその実行としての戦争が、既成の諸イデオロギーを呼び集めながら新たな『東亜』『大東亜』概念を構築していくのである」という分析視角を提起しました。従って「東亜の新体制」を廣松は「右翼の専売特許」と言ったが、そうではない。子安は「『右翼の専売特許』であったわけではない。『東亜の新体制』と『世界の新秩序』の主張とは、三十年代に政治的・軍事的事実として顕在化してくる帝国日本の世界戦略、すなわち欧米帝国主義による世界支配に対するアジアの主張という形をとった帝国日本の世界戦略の表現」だと廣松を批判します。
子安の廣松批判のもう一つのポイントは、東亜共同体に象徴される「近代の超克」という概念はただ、この日本帝国主義の侵略思想として形成されただけであるのに、廣松は「近代の超克」という概念をこの日本帝国主義の行動から自立化させているというものです。廣松が『〈近代の超克〉論』で、「戦前・戦時の我が国の論壇における『近代超克論』は、日本帝国主義の東亜政策、ひいては世界政策をイデオローギッシュに追認しつつ、それを合理化するものという性格を色濃く帯びていた」、その「根本的な性格は払拭さるべくもなかった」と書いたことに対して、子安は「廣松の論では日本帝国主義の東亜政策ないし世界政策がすでに一定の言説構成をもったイデオロギーであるとはみなされていない。そして他方一定の言説構成をもった『近代超克論』が日本帝国主義の粉飾的イデオロギーに堕してしまったことの非がいわれている」、「ここで抜け落ちてしまうのは、日本帝国主義の世界戦略と『近代超克論』とが四十年代日本の世界認識・世界政策的な言説構成の共有関係にあることへの視点である」と反論します。これを渋谷は「つまり子安としては『近代超克論』は日本帝国主義の行動が生み出したその身体の一部である。だが廣松は一対一的に別のものが対応しているように論じていると批判したいのだろう」と受け止めます。
子安は、1938年の武漢占領後、近衛首相によってなされた「東亜新秩序」の声明によって、「さらにこの声明の後にしたがうようにして『世界新秩序』としての『東亜共同体』の理念が急速に日本で構成されていく」、つまりそれは「日本帝国主義そのものが生み出し、要請した読み替え作業」であったと分析します。この子安の見解に即して、渋谷は、三木清が1938年6月、『知識階級に与ふ』(『中央公論』)で書いた、「大事件はすでに起こっている。すべての好悪を超えてすでに起こっている。これをどう導いてゆくかが問題だ」、「すでに起こっている事件のうちに何らかの歴史の理性を発見することに努めること、……新たに意味を賦与することに努めることが大切である」という言葉を取り上げ、近衛文麿の「昭和研究会」の公認イデオロギーとなった三木の「協同主義」の哲学は、このような問題意識においてライティングされていることを認めます。つまり「このことは子安が『日本帝国主義そのものが生み出し、要請した読み替え作業』という位置づけを論証するものにほかならない」と言います。
しかし渋谷はエッセイの中の次の言葉を引用して廣松を「擁護」します。「商品経済の自由奔放な発達には歯止めをかけねばならず、そのためには、社会主義的な、少なくとも修正資本主義的な統御が必要である。がしかし、官僚主義的な圧制と腐敗と硬直化をも防がねばならない。だが、ポスト資本主義の二十一世紀の世界は、人民主権のもとにこの呪縛の輪から脱出せねばならない」。渋谷はこの「人民主権のもとに」というポイントが、戦前の「東亜共同体論」「近代の超克論」者と決定的に相違すると言い、(人民主権という概念自体を問題にすることはひとまず置いて)、民衆が主人公、主体となって、近代資本主義世界を変革するという意味で、この「近代の超克」という言説を支持したいと言います。
天野恵一も、『共産主義(マルキシズム)と「東亜の新体制」――「最後の廣松渉」をめぐって』という論文(『無党派運動の思想』所収、インパクト出版会)で、廣松のエッセイを根本的に批判します。「(廣松は――引用者)自分の『帝国主義』を『そのままにして』の欧米との対決を主張したかつての右翼とちがって、『反体制左翼』の『東亜の新体制』運動は、『日本資本主義の抜本的問い直し』を含んであるべきだというのだ。しかし、ここには現在の日本社会・国家の『帝国主義』性への具体的批判などなにもない。多国籍化している日本資本の動きにのって、『ポスト資本主義』を叫んでいるだけである」と論じ、「商品経済の自由奔放な発達には歯止めをかけねばならず、そのためには、社会主義的な、少なくとも修正資本主義的な統御が必要である。がしかし、官僚主義的な圧制と腐敗と硬直化をも防がねばならない。だが、ポスト資本主義の二十一世紀の世界は、人民主権のもとにこの呪縛の輪から脱出せねばならない」(既出)という廣松の主張に対しても、天野は「『人民主権』の理念を廣松はここで未来へ向けて積極的なものと論じているわけであるが、彼が超えるべしとしている『近代』の『判別的特徴』は『人民主権主義とやらが国是とされ、民主主義が基本的な政治理念と“成った”こと』と、廣松自身がこの論文(エッセイのこと――引用者)が書かれる直前に出版された『近代世界を剥ぐ』で述べている」と批判しています。渋谷は、この「判別的特徴」について、現実の世界においては「たとい“建前”であっても、どこまで現実化しているか大いに疑わしい」ものとしているところにポイントがあると廣松を「擁護」しつつ、「この天野の批判は、廣松は近代の超克といっているのに、近代世界の政治理念である・国民国家の理念である『人民主権』概念をなぜ廣松は、近代的世界観を超克する理念、あるいは、近代の生み出した矛盾を解決する装置として位置づけるのか、矛盾しているではないかといっているわけである」と、天野の言っていることをまとめています。
そこから天野は「日本資本主義のありようを激しく批判し、それの『革新』と『新体制』づくりを叫んで、『欧米との対決』を主張した『アジア主義右翼』や『天皇主義ファシスト』のかつての『大東亜共栄圏の思想』や『東亜新体制論』と、それはどこが根本的に違うのかはよく示されていない」、「かつてのそうした『日本(天皇制)イデオロギー』とひどく共通した論理とムードがそこには露呈している」……「『世界革命』と『プロレタリア独裁』のアジテーターとして九〇年頃急に時流に抗して復活した廣松の最後のアジテーションは、何と権力者ごのみの、右翼まがいのものになってしまったのである」と批判します。
では、廣松は何ゆえ、このようなエッセイを書いたのか。天野は「階級主義者廣松は、ナショナリズムを無神経に『戦略的利用』することに、さして抵抗感を感じないというレベルの『ナショナリスト』でありつづけたのだと思う」と述べ、「『東亜の新体制論』はおそらく主観的には日本の『大国ナショナリズム』の『戦略的利用で』であったのではないか。生涯、『暁鐘』(夜明けをつげるカネ)という先駆者の役割を演ずる義務感が彼にはあったのだろう」と述べています。渋谷は、「つまり天野は、廣松は終生マルクス主義者であり、『武装闘争・暴力革命のイデオローグであった』、その革命のためにナショナリズムを『利用』したのであると分析するのである」とまとめています。
天野はこれらの分析を裏づけるように、廣松の天皇制、ナショナリズムに対する態度などの問題を扱っています。渋谷は次の指摘は重要であると言います。戦前、治安維持法などを通じた弾圧により、共産党が壊滅した後、左翼運動からの転向組が大挙して近衛文麿の「昭和研究会」に入会しました。三木清もその一人でした。そのことを廣松が『〈近代の超克〉論』で次のように分析、主張しているところを、天野は問題にしています。「左翼大衆運動が手も足も出ない当時の状況下にあって、緊迫した政治情勢にコミットしようとするかぎり、近衛とその人脈による政治力学に介入することがリアル・ポリティクスとしては殆ど唯一残された途であったことは認めるに吝かであってはなるまい(ここでは暫く、原則的見地からの批判的討究は措く)」。天野はこれを次のように批判します。「廣松の主張は奇妙なものである。『左翼大衆運動が手も足も出ない』状況になったら、権力者のグループに介入して、国策イデオローグになるのが『リアル・ポリティクス』の『唯一残された途だ』なんていう論理を認めるわけにはいかない。これは前衛主義者らしいおかしな主張である。どれだけ抵抗できるかはともかく、翼賛活動のイデオローグになるような愚行はすべきではない、そう考えて当然ではないか。……廣松も『原則的見地』からは批判されるべきであると思わせることも書いているが、原則的にはおかしいが、『唯一残された途』だなどという論理があるのか。原則的には批判されるべきだが、しかたがない選択と認めるのなら、それは原則などといえまい」。渋谷は、この天野の批判のスタンスは原則的であり、認める以外ないと言います。
そして天野が次のように展開していることを引用し、その分析に賛成しています。「これはナショナリズムの戦術的利用を『リアル・ポリティクス』として採用した前衛主義者廣松らしい主張であるともいえる。そして、ソ連社会主義崩壊後という状況で『東亜の新体制』論を彼が書いてしまう根拠が、ここにしめされているというふうに読めるかもしれない。主観的には、彼にとっては戦中のようにではないとしても左翼大衆運動が『手も足も出ない』状況と認識されつつあったのかもしれないのだから」。上空飛翔的体系の緻密化の努力、同時に権力者の『リアル・ポリティクス』へのコミットへの意思表明としての『東亜の新体制』が廣松の頭の中にあったことではないか、天野は「『〈近代の超克〉論』を読み直すと、そんなふうに読めないわけではない」というニュアンスで述べます。
渋谷は、この天野の言説に基づくならば、このように廣松が自己の主張するものの実現のために、より実現が可能な広場を設定(利用)することはあるだろうと考える以外ないと言いつつ、「わたしは廣松のエッセイはすべてその内容が間違ってしまっているとは考えない」と書き添えます。
荒岱介は、朝日新聞でこのエッセイを読むと共に、廣松がエッセイをコピーして入院先の虎ノ門病院から荒宛に郵送したものを受け取りました。廣松はそのコピーの「東亜共栄圏の思想はかつては右翼の専売特許であった。……反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう」までをマルで囲み、そこに「広汎な統一戦線を提案しておられる貴殿方には真剣に検討して頂けるものと期待いたします」と書き添えてあったそうです。その後間もなくして廣松が亡くなり、そんな遺書を残されて、当初、荒にはとまどいだけが残ったと言います。
しかし、渋谷によれば、荒は一九九〇年代をかけて、彼自身が共産主義から環境革命派にパラダイム・チェンジする中で、廣松がエッセイで言っていたことを、彼の思想的脈絡において理解したと言います。つまり〈ソ連・東欧の共産主義も、マルクス・エンゲルスも生産力主義であり、それは欧米物質主義の中の一つの潮流である〉というのが荒のスタンスになった。そこから考えたとき、廣松が「近代の超克」にこだわった意味を荒は主体的にとらえるようになったのだと。
荒は『廣松渉理解』(夏目書房)において、「晩年廣松は、共産主義を歴史的概念としては捨象してしまい、共産主義なるものが正義であるにはどうするべきか、人類史的危機からの救済をなせる思想にどうしたら換骨奪胎できるのかと、そればかり考えていたのである。その結果唯物史観を生態史観として読むということを思いつき、改釈につぐ改釈を繰り広げたのだ」。廣松はそこで次のようなトリックを使ったと荒は言います。「マルクスではなく人間生態学と言いつつ、食糧は算術級数的にしか増えないが、人口は幾何級数的に増加するというマルサスのようなことを言ったのだ。となれば、まさにマルクス・エンゲルス主義の意義の継承は、その唯物史観の内容を否定するという意味においてしかできないではないか。そしてこの作業こそが、われわれがなすべき近代の超克の一階梯であると筆者は思う。二〇世紀共産主義こそ近代思想の権化であったのだから」。
荒は京都学派の高山岩男が『世界史の哲学』において論じた一説を引用して言います。「『人間の生命は、いわゆるエクメーネ(=風土〔引用者注〕)というような、一定の自然的制御を有する水土的環境の内部で維持している』……と論じた。『自然と人間との呼応的合致』の結果、『文化』というものが成立する。『人間の自然制御』という『自我哲学』にもとづいた『西洋近代』は、『人間中心主義』でしかないと批判していたのである」。「私は廣松はマルクス・エンゲルスがエコロジーの元祖だなどと強弁せずに、京都学派の主張にはエコロジカルなものがあると言うべきだったと思う。それを廣松は『計画経済は市場経済そのものの止揚に立脚するものであって、社会的運営に関して生態学的な価値基準を規矩とすることが可能である』などと、ソ連・東ヨーロッパの崩壊後もあくまでも共産主義を擁護しつづけて、この世を去っていった」。
このような問題意識を基底として、荒はエッセイを次のように評価しました。「しかし廣松は、戦前=悪・戦前=軍国帝国主義オンリーという図式に対して、果たしてそのように言い切れるのかと問いかけたのである。京都学派など戦前の思想を考えていけば、彼らが言っていた『近代の超克』ということは見直す必要があると問うたのだ。それが『東亜の新体制』ということになる」。渋谷は、荒が主張しているように、アメリカとソ連に代表される物質文明・近代生産力主義批判の脈絡においてエッセイを理解することは可能であると言います。また荒は京都学派が侵略戦争に加担したことなどはもちろん批判してきたとも書き添えています。
渋谷要自身は、1994年当時発表した文章(『三木清の東亜共同体論と〈多元的世界観〉の陥穽』)において、京都学派の思想を次のように検討したと回想し、今日においてもそれは変わらないことを表明します。〈三木清の「協同主義」などの戦前「近代の超克」論は、「(協同主義は)個人主義と全体主義とを止揚していっそう高い立場に立つ」とか、「個人は社会から作られるものであり、作られたものでありながら、独立であって逆に社会をつくっていくものである」、このような原理から「内に向かっては国民協同主義、外に向かっては民族協同主義として新たに発展すべき全体の立場からの」「革新の為の協同主義」(三木清が昭和研究会の公式文書として書いた『新日本の思想原理』)という論理など、個人主義・全体主義という近代的世界観への批判の問題意識を持っていたことは妥当性をもつものだと肯定しつつ、だがその「近代を突き抜けた」ところが、なぜ天皇親政なのか、天皇制全体主義は協同主義の哲学(などの「近代の超克」論)のプラス面を「全面的に否定するものにほかならない」と論じている。その例証として京都学派が一九四一年〜四二年にかけて行った三つの座談会をまとめた『世界史的立場と日本』における京都学派の言説を批判的に検討した。例えば座談会でいわれている「日本の立場からそれら民族を大東亜共栄圏の民族というものに形成していく」(西谷啓治)などの言説をとりあげ、「日本的帝国主義史観」としかいえないと京都学派を批判しているのである。〉渋谷は、近代の超克を徹底するという意味で、廣松や荒の主張を支持し、自らも「環境革命」を目指す者でありたいと述べています。
以上、少しはしょりながらも渋谷の著書をやや詳しく引用しました。1930年代の再来と言われる今日、ここには熟考すべき課題が示されていると考えたからです。私には廣松の「商品経済の自由奔放な発達には歯止めをかけねばならず、そのためには、社会主義的な、少なくとも修正資本主義的な統御が必要である。がしかし、官僚主義的な圧制と腐敗と硬直化をも防がねばならない。だが、ポスト資本主義の二十一世紀の世界は、人民主権のもとにこの呪縛の輪から脱出せねばならない」という言葉は、今日の世界と日本の状況を的確に把握しているものと思われます。「商品経済の自由奔放な発達」という言葉の前に「帝国主義的」という言葉を添え、「官僚主義的な圧制と腐敗と硬直化」という言葉の前に「スターリン主義的」という言葉を添えれば、文意はより一層明確になるでしょう。三木清の「協同主義」を柄谷行人などが言うアソシエーショニズムに結びつけて考えてよいとすれば、今日、戦争が常態化しつつあるこの世界で、再びグローバルかつローカルな民衆の協同(cooperation)あるいは連合(association)が求められています。そしてそれこそは「人民主権」の今日なおあるべき表現形態ではないかと思われます。
大貫隆『イエスの時』を読んで、もう一度読み返してみたくなった本があります。それは木村敏という精神科医が書いた『時間と自己』です。時間と精神病理との関わりについて現象学的・人間学的考察を試みた独創的な書物です。以下は「第一部 こととしての時間」についてのかなり詳細な紹介です。
「もの」と「こと」
著者は「もの」と「こと」という日本語についての考察から始めます。著者は注で、日本語の「もの」と「こと」との存在論的な差異について最初に哲学的考察を行なったのは和辻哲郎である(『続日本精神史研究』岩波書店、417頁以下)。また最近では廣松渉がこの問題をめぐって高い水準の議論を展開している(『事的世界観への前哨』、『もの・こと・ことば』、ともに勁草書房)と言い、両者の影響を受けていることを記しています。
細かい議論に立ち入ることはできませんが、その主眼点は次の記述にあります。「ことは、もののように内部や外部の空間を占めないが、私のいまを構成しているという意味において、私の時間を占めている」。「…内部的あるいは外部的に対象化されたものが時間を占めるという場合、そこで考えられている「時間」とは、時計やカレンダーで数的に表されうるような時間量のことである。長いとか短いとかいう計測の可能な時間、あるいは空間化された目に見える時間のことである」。「もの的ではないような時間、あるいはこと的な時間とはどのようなことを意味するのか、……ここですでに言えることは、さまざまなことが私のいまを構成しているという意味で「ことが私の時間を占める」という場合、ここで時間という言葉で言われている事柄が、もの的・対象的な時間とは本質的に違ったなにかを意味しているということだけである」。
しかし著者は「ものとしてのありかたとこととしてのありかたとのあいだに決定的な本性上の差異があるということは、現実の世界において、ものとこととが二つの全く別種の現象様式として混り合うことがない、ということを意味しない」と言い、「ものとことの共生関係」について論じます。そして「ことばはそれ自体一種のものでありながら、その中に生き生きとしてことを住まわせている」と、「ことのは」としてのことばについて論及し、ことばに限らず、絵画や音楽などの芸術を含めて、「人間の表現行為に属するものならどのようなものでも、ものに即してことを感じとるという構造をもっている」と言います。
離人症におけることの欠落
このような議論を踏まえて著者は「離人症におけることの欠落」を問題にします。
「私がさきほど、われわれのいまはことによって構成されていると書いた際の「いま」は、このような豊かなひろがりとしてのいまのことであった。こととしてのいまは、未来と過去のあいだに切れ目を作らない。というよりもむしろ、われわれの自然な体験に即していうならば、このいまのひろがりを「いまから」と「いままで」との両方向に展開してみたときに、そこではじめて未来と過去のイメージが浮かび上ってくる。いまは、未来と過去、いまからといままでとをそれ自身から分泌するような、未来と過去とのあいだなのである。未来と過去とがまずあって、そのあいだにいまがはさみ込まれるのではない。あいだとしてのいまが、未来と過去を創り出すのである。こととしてのいまは、こうして時間の流れ全体の源泉となる。「時と時とのあいだ」から時間が生まれてくる」。
「ことの世界を失った離人症患者においては、このような意味でのあいだとしてのいまが成立しない。患者が「てんでばらばらでつながりのない無数のいまが、いま、いま、いま、と無茶苦茶に出てくるだけで、なんの規則もまとまりもない」と語っている真意は、実はいまの不成立ということである。患者のいう「いま」は、もの的な刹那点の非連続の継起にすぎない。そのために「時間がばらばらになってしまって、ちっとも先へ進んで行かない」のである。刹那的ないまが一瞬も止まらずに消え失せるのは時間が進行するからだ、と考えるのは錯覚である。時間が未来から過去へと連続的に流れるというわれわれの体験は、むしろいまの豊かなひろがりが、いまからといままでの両方向への極性をもちながら、われわれのもとにとどまっていることから生まれる」。
物理学的な時間計測
著者は次に哲学的な時間論を論じます。初めに物理学的な時間計測に触れ、「物理学が時間とみなしているものは、本性上、前後対称的であって可逆的な連続量のようなものだと考えざるをえない。そこで、物理学の時間に前後非対称な不可逆性が、いいかえれば過去と未来との非互換性が導入されるのは、またそれによってエントロピー増大の法則が成立するようになるのは、けっして計測量そのものの一次的な性質によるのではなく、観測という行為が二次的に加えた操作によるものなのである。ニ回の観測が前の観測と後の観測という順序をもっているという、ただその理由だけのために、そこで観測される「時間」にも不可逆的な前後の方向が与えられてしまう」と言います。
「しかし、われわれの日常生活の大部分において、われわれが時間を気にして時計に眼をやるときの意識は、この種の物理学的な、あるいはスポーツ競技における時間計測とはかなり違った種類のものであるように思われる」と、著者はデジタル時計とアナログ時計の違いに目を向けます。「(デジタル時計についての)この独特の違和感の本質をよく考えてみると、そこから次のようなことがわかってくる。われわれが日常、時計を用いて時間を読み取る場合、われわれは決して物理学者が時間を観測するのと同じ態度では振舞っていない。われわれが時間を知りたいと思う大部分の場合に、われわれは現在の正確な時刻それ自体を知りたいと思っているのではなくて、ある定められた時刻までに、まだどれだけの時間が残されているのか、あるいは逆にある定められた時刻から、もうどれだけの時間が過ぎたのかを知りたいのである。……デジタル時計だと現在の時刻しか表示されないから、あらかじめ決められている時刻を示す数値とのあいだで引き算をしなくてはならない。アナログ時計の場合だと、二本の針によってそのつど作られる扇形の空間的な形状とその変化から、この「まだどれだけ」と「もうどれだけ」とを、いわば直観的に見てとることができる」。そこから著者はベルグソンの時間論に移ります。
ベルグソンの純粋持続
「ベルグソンは、通常の時間観念は空間的に表象された時間観念であって、真の時間、つまり数量化不可能な「持続」とは本性的に異なったものであると考えた。時間の本質はあくまでことであってものではなく、もののようにわれわれの外部空間や内部空間を占めるものではないという意味でなら、彼の意見は文句なしに正しい。しかし、時間を空間的に表示するアナログ型時計と、そのような意味での空間性を排除したデジタル型時計とを較べてみた場合に、前者がまさにその空間性の故に、われわれに真実の時間を――ものとしての時間ではなく、「まだどれだけ」、「もうどれだけ」ということとしての時間を――知らせてくれるとするならば、これはベルグソンの時間論に対する大変な皮肉であるように思われる」。
著者は「ベルグソンの時間論にはまだどこか不徹底なところがあるのではないか」という疑問を提起します。「…ベルグソンのいう純粋持続が真の時間として生きられるためには、つまりわれわれにとってのこととして生きられるためには、それは実際にはいっさいの空間性を免れた「純粋」なありかたにとどまっているわけには行かない。純粋持続がある種の空間性、もの性のうちに投影されて「不純」になったときにはじめて、そこから時間の実感が生まれてくる。いいかえれば、ことがこと自身においてではなく、ものとの存在論的差異を構成しながら現れ出るときにのみ、そこから時間ということが成立してくる」。著者はここでハイデッガーの「存在論的差異」という用語を、ものとこととの間に適用して、「ものとこととのあいだの存在論的差異そのものが、時間の本質を構成し、時間を生み出す源泉となっているのだ」と理解しなければならないと言います。
アリストテレスの時間論
次に著者はハイデッガーの時間論に移りますが、その前置きとしてアリストテレスの時間論を取り上げます。その結論の部分だけを引用します。「以上のように、アリストテレスは時間を徹底的にものと見る立場に立って議論を進めている。そして、時間は存在するものか存在しないものかという――時間をこととして見るわれわれの立場からは最初から不可能な――第一の問いからは、当然のこととして解決不可能なアポリアへと導かれざるをえなかった。また第二の、時間の本性は何かという問いに関しては、それは運動そのものではなくて運動の何かであり、結局時間とは、「より先およびより後という観点から見られた運動の数である」という彼の有名な定義を引き出している」。
ハイデッガーのアリストテレス解釈
「この徹底してもの的なアリストテレスの時間論を、いわばこと的な次元にまで引き上げて、われわれの考察にとってもこの上なく示唆的な議論を展開したのはハイデッガーであった」として、著者は『現象学の根本的諸問題』におけるハイデッガーのアリストテレス解釈に移ります。ここでハイデッガーのやや煩瑣な議論が少し長く続きます。
〈ハイデッガーは、さきにあげたアリストテレスの時間定義を自分自身の言葉に置きかえて、これを「時間とはとりもなおさず、以前(フリューヤー)と以後(シュペーター)の地平において(前/フォーアと後/ナーハ への着目にとって)出会ってくる運動について数えられるものである」(『現象学の根本的諸問題』337頁)と読む。……時間というようなものが時計の装置の内部にあったり、太陽や天空にあったりするのではない以上、われわれは時間を知るためには、前と後に着目し、以前と以後の地平に眼を向けてそれらの運動に出会わなくてはならない。
ところが、ここで一つの矛盾が持ち上る。アリストテレスのいう「より先(プロテロン)」と「より後(ヒュステロン)」、つまり以前と以後は、元来すでに時間規定ではないのか。アリストテレスは確かに「より先とより後の区別は、本来、場所のなかで成立するものである」(『自然学』第4巻、11章、219a14)と言ってはいるが、別のところでは「より先とかより後ということを、われわれは今との間に見られる距離に応じて語る」(同、14章、223a5)とも述べている。もしそれを時間の規定ととるならば、アリストテレスの時間定義は要するに、「時間とは時間の地平で出会ってくるもの」という、なんの変哲もないトートロジーになってしまうのではないか。
しかし――ここにハイデッガーの議論の核心があるのだが――ここで二回出てくる「時間」という語は、はたして同じ一つの現象を指しているのだろうか。ことによると、この後の方の「時間」は、アリストテレスが定義しようとした時間とは別種の、もっと根源的ななにかのことを言っているのではあるまいか。時計の針や天体の運動を数えることによって読み取られる通俗的時間がそこから出てくる源泉として、より先とより後、以前と以後の地平としての、より根源的な時間性がある、と考えることはできないだろうか(『現象学の根本的諸問題』341〜342頁)。
運動とは「なにかから何かへの」移行である。それはある場所から他の場所への移動であってもよいし、ある性質から別の性質への変化であってもよい。この「……から……へ」という一般的性格をもつ運動ないし変化の構造を、ハイデッガーは「拡がり」(Dimension)と呼ぶ。この語は通常は「次元」と訳され、三次元空間、多次元世界などという用いられかたをする。しかしそれは元来、ラテン語のディメチオール(測量する)に由来していて、ある方向への伸展、拡がりを意味している。時間において数えられる運動は「……から……へ」という拡がりの性格をもっている(同、343頁)。
拡がりには、まとまりあるいは連続の意味も含まれている。「……から……へ」の拡がりは、断絶のないまとまった連続的な伸展である。アリストテレスは「運動は拡がりに即する」と言っているが、これは運動がその本性上、拡がりと連続性を前提としていること、拡がりと連続性が運動の存在論的根拠となっていることの意味に解されなければならない。通俗的時間の根底には「……から……へ」の拡がりがある(同、344頁)。
われわれは運動しているものを眼で追いながら、いまはここにある、いまはここにある、と言う。われわれは時計の針を見て、いま何時何分だと言う。この「いま」ということを言うことによって、われわれは運動に即して時間を読み取っている。時間が時計それ自体の中にあるのではなくて、「いま」ということを言うことによって、われわれは時計に向って時間を与えているのである。運動を追う場合に、そこで運動と一緒に見てとられている「いま」、これが実は時間の正体である(同、347〜348頁)。
われわれが「いま」と言うとき、それはつねに「いまはもう……でない」および「いまはまだ……でない」の両方向に向って開かれている。このことは、時間において数えられる運動や変化が「……から……へ」という拡がりの性格をもっているということと同じことである。「……から……へ」の移行を成立させる場所としてのいまは、それ自体のうちに移行的性格を含んでいる。いまそれ自身が拡がりの性格をもっている。われわれは日常、「いま」という言葉で秒単位の短い持続を表現することもあるし、時間単位の長い期間を表現することもある。このようなことが可能なのは、いまそれ自身が拡がりであるからにほかならない。いまは一見、時間の一部を区切ったものを指しているように思われるが、実は決してそうではない。いまの伸び幅は、着目の仕方によってどのようにも変えられる。いまは、それ自身「……から……へ」の移行である。そのようないまは、時間の一区切りではなくて時間そのものである(同、351〜352頁)。
アリストテレスは、「精神が存在していないとしたら、はたして時間は存在するだろうか」と問うている(『自然学』第4巻、223a34)。精神のはたらきである「数える」ということがなかったならば、「運動の数」として数えられる時間も考えられないからである。一方、ハイデッガーはいまということに着目して次のように言う。われわれが日常、時計を見て「いま何時だ」というとき、われわれはそこに「時間」というようななにものかを知覚しているのではない。われわれがそこから見てとっているのは、「これこれのことをするためにまだどれだけの時間があるか」ということである。われわれにとって時間とは、いつもなにかをするための時間である。われわれが「いま」と言うとき、それはいつも「いまはこれこれをするときだ」、「いまはまだいついつまで時間がある」などの意味でのいまである。
このようないまは、なにかあるものではない。それはむしろ、そのつどの私自身のことである。なにをするにも時間を必要とし、時間を見込んでいるわれわれの現存在自身が、「いま」ということばで自分自身を言い表しているのである。いまが時間の一区切りではなくて時間それ自身だとするならば、時間とは要するにわれわれ自身、私自身のことでなくてはならない。同じことが、いまの別様のありかたとしての「かつては」とか「こんどは」などについてもいえる。それらはすべて、現存在が自分自身のことを言い表すさまざまな言いまわしにほかならない(『現象学の根本的諸問題』362〜367頁)。〉
「これに続いてハイデッガーはさらに、時間のもっている客観的・主観的な二重性格のために、時間が現存在の超越の根拠となるという点に関して深く問題を掘り下げている。しかし、その詳細は専門書にゆずって」、著者はハイデッガーのアリストテレス解釈(時間論)の紹介を終えます。
あいだとしてのいまの拡がり
著者はもう一度、ことの感覚が消失している離人症の問題に立ち返ります。「このような時間感覚の異常について報告してくれる離人症患者が、それと同時にかならず自己の非存在感、自己の喪失感にも悩んでいることを考えるとき、離人症の世界においては、ハイデッガーがその思索を通じて到達した現存在の存在構造に関する認識が、いわば裏返しになって実現されているのをまのあたりに見るような気がして、少なからず驚かされる」。
「離人症の体験においては、いまが以前と以後への拡がりを失い、「……から……へ」の性格を失うのにともなって、そのようないまは私自身であることをやめてしまう。いまがいまとして成立しないところでは私も私として成り立たず、逆に言って私が私たりえないところではいまもいまであることができない。そしてそのような私の不成立、いまの不成立は、時間というものを――あるいはむしろ、時間ということを――根本から不可能にしてしまう。離人症患者は時間を感じられない、という言いかたは正確さを欠いている。時間が存在するのにそれが感じられないということではないのであって、そこには端的に言って時間は存在しないのだと言わなくてはならないだろう。われわれがふだん時間について語り、あたかも時間というようなものがこの世界に存在しているかのように考えているのは、大多数の人が離人症にかかっていないという、ただそれだけの理由からにすぎないのではないだろうか」。
ここで著者はハイデッガーに対して独自の見解と思われるものをつけ加えます。「いまが以前と以後への両方向に向って拡がっているということは、それが未来と過去をそれ自身から生み出す根源という意味で未来と過去のあいだであるということを意味する。未来と過去がまずあって、そしてその両者の「あいだ」にいまが位置しているというのではない。いまはそれ自身あいだというありかたを示すのであって、それがあいだであるからこそ、その両方向に未来と過去が考えられるのである。あいだとしてのいまは、それがそれ自身のうちから未来と過去を析出することによってのみ時間性をおびる」。
この「あいだ」ということをさらに明確にするために、著者はベルグソンの純粋持続に関わらせて、次のように言い直します。「ベルグソンのいう純粋持続がそれだけではまだ時間と言いえないのは、そこにあいだ的な性格が認められないからである。空間から区別された純粋持続は、空間でないだけではなく、時間でもありえない。純粋持続が時間となりうるためには、それは空間と単に区別されるのではなく、むしろ空間を自己のうちに含むことによって、空間とのあいだの緊張関係のうちに保たれているのでなくてはならない。いまがあいだであることによって自身から未来と過去を生み出すというのは、純粋持続と空間との緊張関係ということである。われわれは時計の文字盤の上にこの緊張関係を目撃して、そこで時間というものを感じとっているのである」。
なお著者は注において、「ベルグソンのいう持続の概念を時間論にとって実りあるものとするためには、持続と空間との差異を相互外在的な差異と考えるのではなく、ドゥルーズが試みているように、その差異構造のすべてを持続の側に受け持たせて、差異それ自身であるもの(持続)と、差異によって差別されるのみでそれ自身は差異構造をもたないもの(空間)とのあいだの差異と考えなくてはならない。持続はそれ自身が差異化の動きなのであって、持続が持続として成立するためには、持続は差異のもう一方の側である空間を必要とする。しかしこのことは、持続は持続として成立する限り、決して純粋ではありえないということを意味する。……」と述べ、「これと全く同一の関係は、こととものとのあいだにも一般に言える。ことがこととして成立しうるためには、ことはそのつどすでに、あらかじめものによる「汚染」を蒙っているのでなくてはならない」と言います。
共同体時間について
これまで著者は「時間の推移ということは私的・個人的な自己存在の時間性と密接な関係をもっている」ということを論じてきました。時間の推移とは、「それぞれのいまが以前と以後、いままでといまからの両方向へと開かれた拡がりとしての私自身であることによって、時間の推移というよりは私自身の推移として理解しなくてはならない」、「それは「時間」という眼に見えないなにものかが私の外部のどこかで流れ去っているという意味ではない」ということを示そうとしてきました。しかし第一部の最後で著者は、それを補うように、「共同体時間」を取り上げます。
「昔からある、学校や職場での始業終業の合図、テレビやラジオの時報、列車の発車のベル、教会や寺の鐘など、「さまざまな形での時刻の合図には、二つの共通点が見られるようである。まず、これらの合図には概して大きな音が用いられていて、多くの人がそれを同時に知覚しうるようになっている。そして第二に、これらの合図は元来、その音を聞く人たちをなんらかの共通の行動に向ってうながすという意味をもっている。この二つの特徴は、時計による、あるいは時計を基準にした現在の時刻の告示が、個人に向けられるよりもむしろ、なんらかの意味での共同体に向けられることをその本質としているということと、密接な関係をもっている。つまり、ここで告示される時間は、私的・個人的な時間ではなくて、いわば制度的時間ともいうべき公共の時間なのである」。
「ごく限られた数の人間が単一の生活様式で集団生活をいとなんでいる原始的な共同体においては、おそらく時計などの手段で時間を制度化する必要はまったくなかっただろう。そのような集団では、せいぜい太陽の動き、鳥の啼き声、家畜その他の身近な動物の習性などを共同体全体の目安としていればよかったはずである。このような原始共同体が、自分たち以外の共同体と接触をもつようになったとき、あるいは共同体内部で分業が生じて全体の生活様式が単一性を失い、複数の部分共同体をなんらかの形で統合する必要が生じたとき、倫理的な意味での行動のルールが制定されたり、縄張りとしての固有空間が画定されたりするだけではなく、生活の時間的秩序の枠組としての共通の時刻が制度化されなくてはならなかったであろうことは、容易に考えられる。古代国家においては統一的時間の制定が重要な統治行為の一つになっていた。それぞれの共同体成員や部分共同体は、この統一的な制度時間を自らの行動の基準として内面化することを強く要請されたはずである。国際標準時を基準にして調整された現代の時計や、それに依拠する時刻の告示が、その延長線上にあることはいうまでもない」。
「目覚し時計のような完全に私的な時計による現在時刻の告示でも、すこし考えてみればわかるように、結局は学校や職場などの公共の時間やそれに基づく統一的な行動に自己の時間や行動を統合するという目的をもっている。……」
「真木悠介氏は、原始共同体の無限反復的な時間から、ヘブライズムにおける線分的な(つまり始めと終わりのある)時間とヘレニズムにおける円環的な時間という二つの回路を経て、近代社会における計量的な直線的時間へと収斂する時間観念の変遷を、「自然からの人間の自立と疎外、それによる自然との〈生きられる共時性〉の解体」と、「共働態からの個の自立と疎外、それによる共働態の〈生きられる共時性〉の解体」との二つの契機を軸にして明快に解釈している(『時間の比較社会学』、岩波書店、とくに序章と第三章)。人間と自然との、そして原始共同体内部での「生きられる共時性」が解体して、「知られる共時制」が析出してくるところに時計が成立する。その意味では、時計化され制度化された時間は、そのまま、物象化され客体化された時間だということになる」。
それはそうだとしながら、著者は「生きられる共時性」とは、要するにベルグソンのいう「純粋持続」と同じものであって、まだあまりにも純粋すぎて「時間」というような観念を許さないような状態ではないのかと言います。「物象化と客体化を免れたままの、純粋なこととしての「原時間」とでもいうべき状態は、このすでに物象化されたもの性をおびた時間の側から回顧的に表象された場合にのみ、換言すれば時間のもの性がいったん成立してしまってから事後的にこれを還元するという手続きをとることによってのみ、そこではじめて時間の本質として存在可能になるようなものなのである。楽園は、楽園からの追放以前には、楽園として存在してはいなかったのだ」。
「同じことをこう表現してもよいだろう。「生きられる共時性」は、それが解体への傾斜を示すことによってはじめて個々のいまに分節してくるのであって、それが純粋さを損なわれることなく保たれている状態においては、全体が一つの大きないまだということはいえても、「いまからいまへ」の「拡がりにおける運動」はまだ生じていないのである。なによりもまず、そこではまだ「いまとは私自身のことだ」という認識が萌芽的にすら成立していないであろう。いまの成立に立ち会うべき私自身が、そこではまだ共同体から析出してきていないからである。時間の誕生と個我の誕生とは厳密に同時的であって、両者はともに人間の自然状態からの疎外の症状とみなさなくてはならない」。
「時計とは、このように考えてみるとき、時間の成立をその必須症状として伴うような個我の自立と疎外の過程が、失われた「生きられる時間」を「知られる共時制」の形態で埋め合わせようとしている代補現象とでもみるべきであろうか。直接的自覚において原始共同体から独立した自己は、せめてもの間接的役割行動を通じて共同体との連累を保とうとする。時計はこの役割行動にとって不可欠の道具となるのである」。
「だから、われわれが時計の針の動きから実感として感じとっている時間の推移の感覚は、実は時計にとって本質的な現象でも、時計だけに特異的な現象でもない。しばらくの放心状態からふとわれに返ったときにも、一葉の落ちるのを見るときにも、あるいは美しい音楽に耳を傾けているときにも、いまの拡がりが以前と以後との極性をおびていて、そこから未来と過去が実感として析出してくるという場面に立ち会うことはいくらでもできるのである。このような時間の推移感がつねに必然的に未来と過去の両方向の不可逆性においてのみ感じとられるということは、これが私自身の推移感以外のなにものでもないということと無関係ではない。つまりそれは、詮じつめれば人間が有限の死すべき存在であることの、一つの反映に過ぎないのである。……」
これで『時間と自己』の第一部の紹介が終わります。「第二部 時間と精神病理」において、愈々著者は本格的かつ独創的に、「この個別的自己の有限な自己存在の別名であるような時間、共同体内部における自己の役割的存在を保証するような時間、そして「生きられる共時性」あるいは純粋持続にきわめて近い、一種の無時間性における永遠の現在などの種々の時間様態について、精神病理学的な観点からもう少し立ち入った検討を」加えることになります。
1)分裂病者の時間
著者は「第二部 時間と精神病理」を精神分裂病(今は統合失調症と言うようですが…)の考察から始めます。ここでは、序論的な部分と、分裂病の症例がどういうものであるかについての最初の記述は省略し、その後の、より「哲学的」な考察をやや詳しく紹介し、それから本題に進みます。
自己の自己性
「分裂病という病的事態は、発病前、というよりはすでにずっと昔の幼児期のありかたから、精神症状そのものの内容に至るまで、一貫して自己の自己性の不確実さという主要動機をめぐって展開している。この主要動機のさまざまな変奏のうちでも、未来の先取りや未知なるものへの親和性といった特徴は、分裂病を手掛かりにして時間の問題を考えて行こうとするわれわれにとって特に重要である。」
「もちろんこの(自己の自己性という)事態は、さしあたっては自己の自己自身との同一性のことを指している。しかし、自己の同一性という言いかたをしたときすぐに思い出される有名なエリクソンの「自我同一性(エゴ・アイデンティティ)」の概念は、その最初の問いの立てかたにおいてわれわれの概念とは異なっている。」
「エリクソンのいう自我同一性は、周知の通りある集団への帰属性として規定されるような自我の特性のことであって、例えば私が日本人として、男性として、昭和一桁生まれとして、木村家の一員としての私自身であるというような場合に問題になっているような同一性のことである。このような「……として」という規定は、当然ながら自己自身からのある種の外部性と間接性を前提としている。それは私について言われる同一性ではあるけれども、私自身にとっての対自的な同一性ではない。それはむしろ、私というものを即自的に外部の枠組によって捉えた規定である。エリクソン自身も言っているように、そのような自我同一性は必然的に他者による認知を必要とする。」
「分裂病者が被影響体験やつつぬけ体験を実際に体験する場合、それは確かに一応は外部の他者からの暗示や指令、外部の他者への秘密の漏洩という形をとる。しかし、患者とすこし話をしてみれば、そこで問題になっているのが現実の他者の現実の行為でないことはすぐにはっきりする。他者は外部から患者の内面をうかがっているのではない。むしろ患者の自己が、そのもっとも中心的な部分において、つまりそこで自己が自己自身でありうるはずの場所において、その自己性を奪われ、他者化されているのである。患者は自己を自己として自覚した上で、これに対する他者の干渉を訴えているのではない。患者は、すでにそのつど他者性の手に帰したものとしての自己を自覚しているのである。」
「しかし、自己の自己性を、一切の外部性や間接性を欠いた純粋無垢の内部性・直接性と理解するのもやはり正しくない。そのような純粋の内部性からは、分裂病者が行なっているような二次的な外部的他者への投影ということも不可能であろう。私が私であるという場合、そこにはすでに私としての私という形で、ある種の外部性と間接性がはいり込んでいる。ここで二度出てくる「私」は決して無意味な同語反復ではないし、同じ語を二回言わなければ私の自分自身との同一性を表現できないのは、単なる言語的表現の不如意さのみから来ることでもない。そうではなくて実際に、自己の自己性は二つの互いに異なった私のあいだの同一としてのみ成立しうるのである。自己の自己性は、いわば差異の同一、同一の差異としてしか現れてこない。その場合、一方の私はもう一方の私にとって他者の立場に立ちうることになり、自己の自己性についてのこの内部的他者による認知ということも当然言えることになる。自己の自己性とは、言いかえれば自己自身による自己認知のことだといってもよい。」
著者はここで分裂病者においてはこの自己認知がうまく行っていないのだと指摘し、「患者が現在の自己を拒否して未来の可能性に憧れるのは、自己が自己自身を認知できていないことの端的な現れ」であり、「自らの過去を絶望的に悔やんだり、それを自分の出生にまでさかのぼって根本から変更しようとしたりするのは、彼の自己が自己としての自己として十分に成立していないからにほかならない」と言います。また「ビンスヴァンガーは、分裂病に特有の存在様式の一つとして、現実からかけ離れた実現不可能な理想の追求ということを挙げている。……この「無謀な理想形成」について、ビンスヴァンガー自身はこれを「理想の高さ」とそれに必要な「経験的基盤の広さ」とのあいだの「人間学的不均衡」として捉えているけれども、われわれの観点から見れば、むしろいままでといまとの自己に対する認知不可能によってひき起されたいまからの未知の自己への憧れとして理解しなくてはならないだろう」と書き添えます。
主語的自己と自己の述語作用
ここで著者は分裂病の問題から離れて、自己の自己性ということについてさらに考察を進めます。「私としての私の自己性を二つの互いに異なった私のあいだの同一として把えるという言いかたは、もちろんきわめて不正確である。私が一つだとか二つだとかいう発想は、すでに私ということをものとして思い浮かべている。私とはいかなる仕方であれものとみなすことができない。私がいまここにいるということ、字を書いているということ、窓の外の景色を見ているということ、そしてそういったことを意識しているということだけが私ということにほかならないのであって、それ以外にいくつと数えられるような私というものがあるわけではない。」
しかし著者は、「ことはものの姿を借りた比喩としてしか言語化できない。正確にいえば、自己の自己性のことを「私」という語で呼ぶこと自体がすでに比喩的な行為である」と言い、「自己性がもともと差異でもあると同時に同一でもあるような、それ自身の内部に矛盾と緊張をはらんだ事態であるからこそ、それはこのような(自己の同一性が「私」の語を二回用いた比喩でしか表現できないという)比喩形態をとるにいたったのであろう」と推断します。そして「『二つの互いに異なった私のあいだの自己同一』という暫定的な比喩の構図を当面その(言語的な思索の努力の)導きの糸とせざるをえない」ことを認めます。
「問題となるのは、それが何と何とのあいだの、どのような差異なのかということである。同一平面上に並列しうるような二つのもののあいだの差異や、同じ性質の内部での程度の差異は、最初から問題になりえない。そのような差異は本質的に同一とは相容れないからである。われわれが見ようとしている差異は、差異が同一を基礎づけ、同一が差異を基礎づけているような、そんな差異であったはずである。」
そこで著者は主語的自己と自己の述語作用について話を進めます。主語的自己については次のように言われます。「私が私と呼びうるものとしては、まず第一に、私がこれまでそれであり続けてきたもの、これまでつねに私とみなし続けてきたものがある。それはある意味でつねに私の身体に住みついていて、身体と一緒にどこへでも移動する。それは身体という場所で自己を外部に向って表現し、この表現を通して他者が私を認知することになる。それはまた、私がこれまでたどってきた歴史の中で、つねに変ることなく主役を演じ続けてきたものでもある。私の歴史の舞台には、これまで数多くの人物が入れ替り立ち替り登場してきたのに、私という主人公だけは一度も舞台を下りることがない。この主役のいない舞台というものは考えられないだろう。一般に「私は……である」という言表の主語になりうるような「私」は、つねにこのような私のことを指していると考えてよいから、まずこの私のことを主語的自己と呼んでおこう。」
自己の述語作用については次のように述べられます。「そうすると、これに対するもう一方の私は、「……は私である」というように述語的に指定される方の私だということになるだろう。しかしこの述語的な私の正体は、主語的な私のように単純ではない。主語的な私は一応はものとして対象的に捉えうるように思われるのに対して、述語的な私は単なる「私」ではなくて「私である」という形をとり、その限りにおいてもの的な対象としては捉えららないからである。つまりこの私は、ことばの上では主語的な私と同じ代名詞を用いて語られているけれども、その実態はむしろ「私である」という動詞的なはたらきの方にある。」
ここで著者は、同窓会か何かで旧友たちと話をしていて、当時の誰かのことが話題となり、「あ、それはぼくのことだ」と思い出すこと、また音楽に聞きほれていて、突然われに返るときのことを例に出して、述語的な自己と主語的な自己との関係を論じます。
「この二つの例からわかるように、述語面での私は、「それは私である」という形で直接的に私を認知する仕方であれ、私にとっての対象(この場合は音楽)を「それは私でない」と認知することによって間接的に私を認知する仕方であれ、いずれにしても私の意識の舞台を開いてそこに主語的な私を登場させ、それによって主語的な私の同一性を継続するというはたらきをいとなんでいる。主語的な私は、一見きわめて安定した不変の同一性を有しているように思われるけれども、実はその存在を私ということの述語的な認知作用に負うているということになる。私の述語的な認知がなされなかったならば、主語的な私は私の同一性としては成立しえないのである。」
「主語的な私の同一性は、もちろん生まれつき与えられているものではない。それはいずれは私の身体と行動を共にし、身体の死とともに終ることになるものではあっても、身体の誕生と同時に始まるものではない。その端緒は、おそらく幼児が自分であるものと自分でないものとを最初に弁別したその瞬間にあるのだろう。最初の、もちろん言語以前の述語作用が、自己をこちら側へ引き寄せ、非自己を向う側へ押しやることによって、主語的な自己の発端を開いたのであろう。このとき以来、こどもは次第に確実な述語作用を反復することによって、次々と新しい自己を認知してそれを主語的自己の歴史に書き加え、その同一性の確かな軌跡を「自己」の名のもとに所有することになる。ここでも、主語的な自己の同一性は、その成立をもっぱら自己の述語的な認知作用に負うている。」
しかし、「述語的な私が私以前の何かを私として私として認定するのだという場合、この私という規定はそれではいったいどこから来るのだろう。述語作用は、それが私を認知しているのだということを、どこからどうして知りうるのだろう。」
「そのつど遂行される述語作用が、表明的にであれ非表明的にであれ、つねに同一の私を生み出し続け、私の同一性といわれるものに収斂し続けるためには、そこには前もって明確な方向づけが必要となるはずである。私の同一性が成立しうるためには、そのつどの述語作用がつねに同一の目標に向っての反復的な復帰でなくてはならない。述語作用は、自らの反復的な遂行の軌跡として自分の手で樹立した主語的同一性の側から明確な方向を与えられない限り、主語的同一性を継続するような仕方で私を産出することができない。つまり主語的な自己と自己の述語作用とは、互いに一方が他方の成立の根拠となっているような関係のうちにある。そして、われわれが自己の自己性と呼ぶ事態、つまり私はこれまでずっと私であり続けてきたし、これからも私としてしか自己を見出さないという事態は、まさにこの主語的自己と自己の述語作用とのあいだの関係そのもののことなのである。キルケゴールが『死に至る病』をそれによって書きはじめた、「自己とは、関係が関係それ自身に関係するような関係のことである」という有名ではあるが難解なことばの意味するところは、ほかならぬこの事態にあるのだろう。」
ここで著者は、『存在と無』においてサルトルが自己の自己性を「対自」の概念で把える記述を引用し、サルトルが同じ事態を見ていることを評価しつつも、「自我は、一つの超越的な即自として、人間的世界の一存在者としてあらわれるのであって、意識に属するものとしてあらわれるのではない」というその自我観を批判します。「それ(自我)は、それ自身との一致であらぬ「意識(についての)意識」という対自的な差異構造からそのつど生み出される、それ自身対自的なありかたをもつ特別な関係それ自体のことなのである。」
分裂病者のアンテ・フェストゥム意識
ここまで来て、著者は漸く「分裂病者の時間」という本題に入ります。「分裂病の患者は、つねに未来を先取りし、現在よりも一歩先を読もうとしている。彼らは現実の所与の世界によりも、より多く兆候の世界に生きているといってよい。中井久夫氏の表現をかりれば、彼らは「もっとも遠くもっとも杳かな(かすかな)兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」(『分裂病と人類』東京大学出版会、8頁)。この表現にささやかな修正を試みるとすれば、分裂病者は未知なる未来の兆候を「あたかもその事態が現前するごとく」恐怖し憧憬するというよりは、むしろその事態がまだ現前していないということに恐怖と憧憬を抱くのだと言うべきだろう。すでに現前している事態に対しては、それが更なる未来の兆候として読まれるのでない限り、分裂病者はむしろ驚くべき無関心さを示す。」
ここで著者は、なぜ「アンテ・フェストゥム」という語を用いるようになったかについて、その経緯に触れます。「分裂病特有のこの未来先取的なありかたを、私自身は従来から「アンテ・フェストゥム的」と呼んできた(『自己・あいだ・時間』第5、第6章参照)。アンテ・フェストゥムというラテン語はもともと「祭の前」という意味で、フランスの社会学者で精神科医でもあるJ・ガベルがプロレタリアートの未来希求的なユートピア意識をそう名づけて、ルカーチがかつてブルジョアジーの保守的な意識に与えた「ポスト・フェストゥム的」という形容と対比させたものである(木村洋二訳『虚偽意識』、人文書院、70頁)。日本語でいえば「前夜祭的」とでもいうことになろうか。プロレタリアートが自由と革命を希求する強烈な未来意識は、新しい時代の到来という祝祭的な気分をすでに先取的に予感している点で、「前夜祭(アンテ・フェストゥム)的」というにふさわしい。」
「ただし、分裂病者の意識と革命意識とを単純に同一視しえないことはいうまでもない。「諸事物を?覆させようとする革命家すら、否かえってそのような革命家こそ、それら諸事物のもとに直かに静かに逗留することにより、その中へはいり込むことができなければならぬ」(ビンスヴァンガー『精神分裂病』T、新海安彦他訳、みすず書房、7頁)。そして分裂病者を分裂病者たらしめているのは、まさにこの「諸事物のもとに静かに逗留すること」ができないという点にあるからである。」
「われわれの自己存在とその意味方向としての時間との関連について、だれよりも深く掘り下げて思索したハイデッガーは、「われわれのひとりひとりがそれであるところの現存在」は「各自が他のだれのものでもない自己自身の可能性としての自己の存在と関わっているような存在者」であり、したがって「現存在はそれぞれに各人の可能性を存在している」という(『存在と時間』原著41〜42頁)。「自己自身の存在可能へと向かってあるということは、存在論的にいえば、現存在がみずからの存在においてそのつど自己自身に先立っているということである」(同、191頁)。そして、「自己性とは、実存論的には《本来的に自己自身でありうること》」(同、322頁)であり、「現存在が自己自身で《ありうる》という仕方で自己自身へと到来する、その到来」(同、325頁)が、「将来」という時間様態の意味なのである。ドイツ語で「将来」、「未来」を表すZukunftの語は、「自己自身へ到来する」(auf sich zukommen)ことの意味なのだ、と彼はいう。」
「つまり、分裂病者でなくても、われわれ人間のすべてにとって、将に来るべき未来という時間様態は、自己の実存的な自己実現を可能ならしめる現存在の意味方向として、ほとんど特権的ともいえる重要性をもっている。自己は自己であり続けるためには、そのつど新たに自己にならねばならぬ。この「自己になる」という契機を可能にしているのは、将来的未来ともいうべきこの時間様態なのである。」
「しかし、未来がこのようにして将来的未来でありうるためには、つまり未来が「自己自身へ到来すること」の意味をもちうるためには、そのような自己への到来に先立って、つねにあらかじめ自己が自己でなくてはならないだろう。これは、さきに自己の述語作用が主語的自己の同一性からの方向づけを必要とすると述べておいたのと同じ事態を指している。ハイデッガー的にいえば、これは「現存在がそのつどすでにそのようにあった仕方で本来的に存在すること……いいかえれば自己の《既存》を存在すること」としての「被投的投企」だということになる(同、325〜326頁)。」
「分裂病者においてうまく行っていないのは、「そのつどすでにそのようにあった」被投性ないし事実性を引き受けるということなのである。だから分裂病者においては、「自己自身に先立つこと」が十分に「自己自身に到来すること」としての将来的な意味をもってこない。分裂病者のアンテ・フェストゥム的未来が真の実存的自己実現に結実しえないのは、それが将来性を失った未来にとどまるからだ、といってもよいだろう。」
「……つまり分裂病者においては、いままでが既存性という確実な根拠を失って、過ぎ去って帰らぬ可能性として、アンテ・フェストゥム的な未来先取の積み残しとしての過去としてしか意識されない。」
「……アンテ・フェストゥム的な過去意識には、自己の存在全体を過去にさかのぼって根本から変更したいという願望がこめられている場合が多いのである。」
ここで著者は分裂病者における他者性の問題に眼を転じます。「分裂病者が自己自身であろうとして必死に努力しながら遂に自己自身でありえないという絶望感を抱くとき、そこにはつねに他者性の影が落ちている。さきにも例を挙げて述べておいたように、分裂病性の事態とは、例外なく他者性による自己の主権簒奪の事態だといってよい。」
「この他者性は現実のだれそれとして患者を外部から迫害する他者ではない。たとえ患者がそのような外部的迫害の妄想を抱いているとしても、それはあくまで二次的な加工の産物であって、体験の原事態としては、すでに患者の意識の内部で自己性が他者性にとってかわられているのである。分裂病性の事態においては、現存在はそのつど自己自身へと到来するかわりに、自己の他者性へと到来するのであり、自己を実現するかわりに自己の他者性を実現しているのだと言ってよい。この事態は、分裂病者がいままでの自己の歴史や現在の自己のありかたを自己自身の根拠として引き受けていないということと対応している。いままでの自己の同一性の歴史は、分裂病者にとってはよそよそしいもの、他者性をおびたものとして経験されている。」
「分裂病者の自己性を脅かし、これを簒奪する他者性は、このような(すでにある意味で自己の自己性によって取り込まれた、既知性を帯びた)日常的他者とは似ても似つかぬものである。日常的他者は、それとの出会いを通じて自己が自己自身に到来するという意味で、またそれが自己の同一性を認知してくれるという意味で、自己の自己性にとってあくまで肯定的・補強的に作用するものであるのに対して、分裂病者のアンテ・フェストゥム意識の中で出現してくる他者性は、それが既知の他者経験にとって絶対的に未知なるものであるという意味で、自己性にとって徹頭徹尾否定的・破壊的な作用しか及ぼさない。それは非自己であるだけにはとどまらず、反自己性の原理ですらある。」
「この反自己的な未知性をおびた他者性は、外部から出会ってくる他者のうちによりも、むしろ自己性の構造自体の内部から出現してくる、自己の内部的な一契機である。自己がそのつどの述語作用を通じて自己自身に繰り返し到来することによってしか自己自身の同一性でありえないという、この自己内部の内的差異の構造の中にこそ、他ならぬ自己自身が自己にとって未知の他者性をおび、自己自身が自己にとって反自己的にはたらきうるという危険な可能性が隠れている。自己の述語作用がそのつど自己自身を認知するという、元来いかなる根拠によっても保障されていない、したがってまことに当てにならない僥倖によってしか、自己の主語的同一性、自己の既存性は存続しえない。われわれのひとりひとりが現に分裂病者でないのは、ひとえにこの僥倖のたまものでしかない。裏を返せば、われわれのだれもが分裂病者となりうる可能性をもっていたのだということになるだろう。」
ここまで書き進んで著者は、「真に反自己的なるものとしての未来」すなわち「死」の問題を取り上げます。「真に未知なるもの、真に反自己的なるものとしての未来とは、究極的には死のことであるだろう。われわれひとりひとりの個別的生にとって、死は絶対の他者性をおびたものであるだろう。死は絶対の未来、いささかの将来性をも有しない未来であるだろう。分裂病者のアンテ・フェストゥム的な絶望の中に影を落している他者性と言ったのは、実はわれわれの生を徹底的に無化する死の影ではなかったのだろうか。」
「ハイデッガーは、自己自身への到来としての自己存在可能性への先駆を語るその同じ文脈で、比類なく自己固有的な存在可能性としての死について語り、自己自身に先立つという仕方で死に対して覚悟を定めるという実存論的なありかたとしての「死に向ってあること」について語っている(『存在と時間』、原著262頁その他)。しかし、このようないわば将来的な死は、それがいかにそのつどの現存在の存在可能性に深くかかわっていようとも、所詮は自己存在の肯定的な構成契機にすぎないのではないのか。ハイデッガーのいう死は、真に自己存在否定的な、将来性なき未来としての未知なるものではありえない。死について語る場合のハイデッガーの存在論は、まだ十分に世界観的な実存主義から免れているとは言いがたいのではないだろうか。」
ここで著者は人間存在の有限性によって必然的に課せられている時間の不可逆性について論及し、その結論として次のように述べます。「未来が「まだ来ない」ものであり、過去が「過ぎ去って帰らない」ものであるのは、時間の本性に根差したことではなくて、むしろわれわれ人間が死すべきものであるという有限性の反映であるにすぎない。われわれが自己と呼んでいるものも、時間と呼んでいるものも、実はわれわれの死とのかかわりかたの様態にすぎない。そして分裂病者とは、一般の人とは違った仕方で、しかし死本来の意味から当然予想しうる特定の仕方で、死とかかわっている人のことにほかならないのであろう。」
未来先取的な人たち
「分裂病者の時間」というこの章の最後に、著者はもう一度「未来が未知なるもの、極限的には死そのものの代名詞として、憧憬と恐怖を誘うということは、分裂病者のみでなく、有限な個別的生命を生きている人間のすべてについて語りうることなのである」と確認し、「われわれの多数が正常で健康な日常生活をいとなんでいるのは、この未知なるもの、反自己的・反生命的なるものに対する有効な対応策がとられている限りのことにすぎない」と書きます。「つまり、自己の述語作用が反復的に自己自身のもとに立ち戻って自己を認知し続けてきたという自己の確実な事実性が、主語的自己の歴史的同一性として保持され、そのつどの述語的自己生成の背後にある反自己的な死の原理が、この同一性の歴史によって、いわばあらかじめ保護膜をかぶせられて遮光されている場合に限られるのである。」
「この保護膜の材質や強度は、われわれのひとりひとりにおいて千差万別であるだろう。他者との信頼関係のうちにこの保護膜を見出している人もあれば、他者からひたすら愛されることのうちにそれを求めている人もあるだろうし、誠実さや勤勉さによって他者から評価されることを通じてそれを確保している人もあるだろう。保護膜があまりに鞏固であるために、未来がほとんど画定的な既知性のもとにしか到来せず、従前の路線の予定通りの延長である以上の新しい意味をほとんど持ちえないような人もいるだろうし、一方では保護膜が脆弱すぎて、ことあるごとに最初から自己を発見しなおさなければ自己の自己性を保ちえない人もいるだろう。」
「分裂病者というのはこの最後にあげたタイプの、つまり自分自身を内部から否定しようとする未知性に対する保護膜が弱すぎて有効な遮光がえられないタイプの、もっとも極端な場合だと考えることができる。同じタイプに属しながら分裂病の発病にまでは至らなかった人の数は、現実の分裂病者の何倍にも及ぶだろう。こういう「分裂病親和的」な人たちは、なんら病的な分裂病性の特徴を示すことはないけれども、分裂病者とのあいだに一つの共通点をもっている。それは、この人たちにとっては世界がそのつどの自己の自覚を促す未知性をおびて現前し、したがって彼らはそのつど未来の可能性を先取りすることによって、いわば未来の先を越すという仕方で自己実現を達成しようとするということであり、要するにアンテ・フェストゥム的な意識や行動の様式を身につけているということである。」
この本はなお「鬱病者の時間」、「祝祭の精神病理」と続きますが、今回はここまでにして再び小休止します。私は、通例、本は一度だけ、メモも取らずに通読し、内容については忘却に委ねるという乱暴な読み方をします。しかし「紹介」という形で、書きながら再読することは、おのずから精読を強いられ、また内容を再確認することになり、「閑老人」の学習法としては有用ではないかと思われます。
2 鬱病者の時間
著者は続いて「分裂病者」の時間とは対照的な「鬱病者」の時間の考察に移ります。
鬱病の精神病理
「精神分裂病の精神病理を考えて行く上で中心的な役割をはたす時間が、自己の自己性の成立から切り離すことのできない時間であり、われわれが個別的自己の存在を生きているということそれ自体の別名に他ならないような時間であったとするならば、分裂病と並ぶいまひとつの主要な精神疾患である鬱病の精神病理で問題となるような時間は、同じ「時間」という名で呼ばれていても、それとは非常に異なった顔をもった時間である。しかし、ここでもやはり時間と自己は不可分の関係にあるし、時間や自己が問題となるかぎりにおいて、人間の有限性ということが問題全体に影を落している。」
「気分が沈む、憂鬱で楽しめない、意欲が湧かない」という「気分の低下」は、「人間である以上、われわれのだれもが程度の差はあれかならず経験することである」。「憂鬱、あるいは専門用語でいうと抑鬱気分/デプレッシオン」は、「きわめて広範囲に見出すことのできる、人間にとってきわめてありふれた精神状態である」。「われわれがここで取り上げる鬱病という病的事態は、それとは違って、多くの角度からその輪郭をはっきり限定することができ、おそらくあらゆる精神病の中でも純粋度のもっとも高い病気に属している。鬱病/デプレッシオンという病名があまりにも多義的であるために、精神科医の中にはこの純型の鬱病のことを特に「メランコリー」という古い病名で呼ぶ人もいる。……本書では以後「鬱病」という名称を用いる場合には、一貫してこの純型の「メランコリー」を指すことにしたい。」
「一般に、鬱病は躁病と結びつけられて「躁鬱病」という形で理解されることが多い。躁病というのは、病的に陽気で爽快な気分の高揚を特徴とする病態であって、その点だけを見れば鬱病と正反対の姿を示す。典型的な躁鬱病とは躁と鬱との両方を交互に繰り返す病型であるが、実際にはそれほど多いものではない。躁を伴わない鬱だけの病型の方がそれよりもはるかに多い。」
ここで著者は、躁と鬱の二つの時期をもつ「両極型」と、鬱だけの「単極型」とを臨床的に6点にわたって比較します。そして「単極型の鬱病と両極型の躁鬱病とのあいだには、典型例どうしではかなりはっきりした差異が認められるが、実際には両者の移行型もありうるし、一回の病相を見ただけではどちらであるかの判別が困難であるような場合も多い」とし、さしあたってこの章では「典型的な単極型鬱病のみを念頭において話を進める」ことを確認します。そして次のように言います。
「分裂病の好発年齢が青年期であったのに対して、鬱病は原則として中年以降の病気である。この発病年齢の違いは、生物学的な年齢依存性というだけでは片づかない重要な人間学的な意味をもっている。分裂病者は社会人になる入り口のところで発病してしまうので、真の意味での社会経験といえるものをもっていない。一方鬱病者は、社会人としての活動の最盛期に、しかもほかならぬこの社会的活動と密接な関係をもった仕方で発病する。だから、発病に関与する対人関係も、自己自身への眼の向け方も、分裂病者と鬱病者では非常に違っている。」
「……重症の鬱病では、自分はどうしても償うことのできない重罪を犯したと信じこむ罪責妄想、不治の業病にかかってしまったと思い込む心気妄想、家庭の経済状態が回復不能の打撃をうけたと思い込む貧困妄想の、いわゆる「鬱病の三大妄想」が出現するけれども、このような重症鬱病は近年めだって減少している。しかし、これらの妄想において特に顕著に見てとることのできる「とりかえしのつかぬことになった」という共通の意味方向は、最軽症のものまで含めて、鬱病者のすべてに例外なく見出すことのできる基本的特徴であって、精神病理学的には多くの臨床症状よりもはるかに重要である。」
「鬱病に陥りやすい特定の性格類型が存在するということを、多数の症例を用いてはじめて明確に指摘したのはテレンバッハである(木村敏訳『メランコリー』、みすず書房、115頁以下)。彼はこの性格類型を「メランコリー親和型」と呼ぶが、われわれがここで問題にする単極型鬱病の患者はすべて、この性格類型に属している。……テレンバッハによると、この類型の重要な特徴は秩序への特別なかかわりかたにあって、これを彼は秩序愛好性と呼ぶ。日本語でいえば、「几帳面」ということばがもっとも近いだろう。……鬱病の病前特徴として意味があるのは、独特の仕方で秩序の中にはまり込んでしまっていて、そこから抜け出せないという、特別な形の几帳面さなのである。」
「この種の人の几帳面さは、なによりも仕事の世界によく現れている。「働くということが生きがい」で、「いつもよい仕事、きちんとした仕事」を心がける。「いいかげんなことで済ます」ことができず、仕事に「自分自身納得が行かない」ときにははじめからやり直す。今日の予定を翌日にまわすということができない。なにごとも日課通りに運ばないと気持が悪い。彼らにとっては休暇すら、予定表に組み込まれた仕事の一部である(同、146〜149頁)。」
「対人関係の面では、他人との衝突や摩擦を避けること、他人に迷惑をかけないことに全力を尽す。彼らの対人関係の特徴を一言でいえば「他人のために尽す」ことだ、とテレンバッハはいう(同、154〜157)。「具体的な尽力を伴わないでただ純粋に他人のために存在する、というようなありかたは彼には考えられない」(同、156頁)。相手の有難迷惑などということは、彼らには想像もできない。そしてその反面、彼らはいつも、相手も同じように自分のために尽してくれるものという期待をもっている。」
「このような性格特徴は、それが破綻を来さない場合には、社会的に――とくにドイツや日本のような勤勉さと義務感を重視する社会においては――非常に高い評価を受ける。しかし、…この「美徳」のうらには大きな危険が隠されている。周囲の状況が万事彼らの予定通りに進んでいるかぎりは、なにひとつ問題は生じない。しかし、世の中は、あるいは人生は、つねに予定通りに動いてくれるとは限らない。人生には当然つきものの各種の状況の変化が、メランコリー親和型の人にとって、思わぬ落し穴となる。」
「……鬱病誘発状況としては(代表的な例としての転勤、転居のほかに)、例えば、こどもの出産や家族の死亡、結婚、進学などによる家族成員の異動、身体的な病気、怪我、手術などによる毎日の日課の変化、停年、失業、隠居などによる仕事の喪失などがある。」
「テレンバッハは、メランコリー親和型の人が生きる生きかたを、インクルデンツとレマネンツという二つの標識で捉えている(同、248頁以下)。インクルデンツは彼らの秩序の空間性の標識であって、「みずからを秩序の中に閉じ込めること」を意味する。彼らは職場、家庭、仕事、日課などという秩序の中に自らを閉じ込めた形で、はじめて気楽な生活を送れるのであって、この秩序の壁を乗り越えることは彼らには不可能である。もうひとつのレマネンツは、同じ事態の時間性の標識で、従ってわれわれの考察にとって重要な概念である。」
「レマネンツとは「自己自身におくれをとること」を意味し、その本質は「負いめを負うこと」にある。メランコリー親和型の人の几帳面な秩序愛は、自己自身への過大な要求水準によって保持されている。このような秩序保持の仕方の背後には、いつも自己自身におくれをとらないように、負いめを負わないようにという、けなげな努力が隠されている。外部状況の思わぬ変化のためにこの努力が目標を失うようなことがあると、そこから、自己自身に決定的におくれをとり、負いめを負うという、とりかえしのつかない内面状況が出現することになり、これが鬱病の発病状況を構成する。重症鬱病に出現する罪責妄想、心気妄想、貧困妄想は、この「とりかえしのつかない負いめ」が極端な形でもの的に経験された結果にすぎず、実はこの「とりかえしのつかない」ということ的な意味方向は、すべての鬱病の根底にみられるものである。」
鬱病者のポスト・フェストゥム意識
「分裂病者で問題になった時間は、自己自身に先立つことによって未来を先取りするような方向をもつ時間であった。これに対して、鬱病者のレマネンツ的な秩序とのかかわりかたを支配していつ時間は、自己自身におくれをとらないように、とりかえしのつかない事態にならないように、これまでの住み慣れた秩序の外に出ないでおくという、いわばきわめて保守的な、ハイデッガー的にいえば既存性を存在の唯一の根拠にしているような時間である。」
「われわれは分裂病親和的な時間をプロレタリアートの革命意識との類比から「前夜祭/アンテ・フェストゥム的」と呼んでおいたが、鬱病親和的な時間については、ルカーチが資本主義の「現在が過去によって支配される」意識を形容して用いた「ポスト・フェストゥム」の規定をそのまま借用することができるだろう(城塚登他訳『歴史と階級意識』、ルカーチ著作集9、白水社、408頁――邦訳では、「事後的」となっている)。」
「ポスト・フェストゥムとは、ラテン語で「祭のあと」の意味である。欧米各国語に外来語として取り入れられて、ふつうに「遅ればせ、手おくれ、事後的」などの意味で用いられている。日本語でいえば、むしろ「あとのまつり」という表現がふさわしいだろう。なにかが起ってしまってからそれを悔やんでみても「あとのまつり」だし、そんな事態にならないように用心してかかる意識も、一見将来に備えての先走った姿勢に見えるけれども、実は「あとのまつり」になることを予想しての保守的なポスト・フェストゥム的な意識なのである。」
「われわれは時間を過去・現在・未来の三つの部分からなるすべての人に共通な単純な一本の直線のようには考えないで、いまの自分がいままでの自分やいまからの自分に関して、自分自身とどのようにかかわり、自分自身をどのように見出しているかということの、一言でいえば自己の自己自身との関係の、ひとりひとりにおいて異なったありかたとして捉えようとしている。そのかぎりにおいて、「過去」や「未来」といった通俗的に使い古されている普遍的な概念に対しては、最大限の警戒が必要である。すでに分裂病のところで見ておいたように、ふつうに「未来」といわれているものに関しても、これをいままでの自己を基礎に置いた自己実現の場としての将来的な未来として捉えるか、いままでの自己に対しては否定的にはたらいて、新しい自己の生成を促す未知なる未来として捉えるかは、そのつどの自己自身をどう理解しているかによって根本的に違ってくる。」
「アンテ・フェストゥム意識における未来は、圧倒的に未知なるものとしての未来であった。しかも、未来だけではなく、過去も、そして当然のことながら現在も、それぞれ「過ぎ去った未知なる未来」および「まだ来ていない未知なる未来」として、アンテ・フェストゥム的未知性によって深く侵蝕されていた。ここでは、過去はハイデッガーのいう既存性へと集約されず、むしろかつての未知性をそのまま残した形で、現在において再び賦活されようとする。分裂病者が自らの過去を回想するときには、かつて果たされなかった夢が夢としてまだ生き続けている。その意味では過去と現在、あるいは過去と未来とのあいだはいわば一足とびなのであって、その間に歴史の歩みはない。分裂病者の時間体験において、しばしば数年、数十年にわたって時間が停止しているように見えることがあるのは、そのためだろう。」
「鬱病者のポスト・フェストゥム意識においては、過去も現在も未来も、これとは完全に様相を異にしている。彼らは未知なる未来を見ようとしない。「未知なる未来」という観念さえ持ち合わせていないかに見える。彼らにとってあるべき未来とは、これまでのつつがない延長にほかならないのであって、彼らがときとしてあるべからざる未来に対して極端に用心深くなるのも、これまでの経験に照らして当然起りうるかもしれない災厄を恐れるからである。」
「不幸が不幸として、失敗が失敗としてすでにプログラムの中に書き込まれているからこそ、彼らはそれに対して万全の予防措置をとろうとする。彼らが石橋を叩いてしか渡ろうとしないのは、石橋の設計の中に万分の一でも崩壊の可能性がふくまれていることを懸念するからなのであって、石橋を渡っている途中で自分が消えてなくなるかもしれないというような、プログラム外の椿事を恐れてのことではない。メランコリー親和型の人がとりかえしのつかない事態を避けようとするのは、とりかえしのつかないという形で自己自身におくれをとるというレマネンツ的なありかたが、彼らの持前の人生設計の中にすでに確実にプログラムされているからなのである。」
「ポスト・フェストゥム的な過去も、アンテ・フェストゥム的な過去とは似ても似つかぬものである。それは決して過ぎ去って帰らぬものではなく、つねに現在の奥深くに蓄積されている。それは過去というよりは、つねに現在完了としてしか語れないものである。多くの外国語において、現在完了を表すのに、所有の助動詞が用いられるのは、決して偶然ではない。have doneといわれるのは、なされたという形で現在そのことが所有されているからであり、have beenとは、自己がすでにしかじかであったことが現在にまで影響を残しているからである。国語によって、また動詞の種類によって、所有の助動詞のかわりに存在の助動詞が完了型を表すのに用いられることはあっても、事態の本質に差異はない。いままでにそうであったことを、いま一種の蓄積として所有しているか、それをいまの自分の状態として存在しているかの見方の差異があるだけである。」
「このことと関連して、鬱病の発病状況がすべて「所有の喪失」としても理解できるのは興味深い。メランコリー親和型の人が深刻な危機に直面して鬱病に陥るのは、つねに自己の存在をそれまでしっかりと支えてきた秩序が失われたときである。それは場合場合によって、職場や、住み慣れた家や、家族の一員や、献身的な奉仕の対象など、さまざまなものの喪失という形をとる。ある期間の苦労から解放されてほっとしたときに発病する「荷おろし鬱病」と呼ばれる鬱病もあるけれども、これなども自分が努力を傾ける対象を喪失したという意味で「所有の喪失」とみなして差し支えない。つまり鬱病を誘発する状況というのは、現在完了の時制を構成しているような所有の契機が喪失したときだと言うことができる。」
「鬱病者のポスト・フェストゥム意識がもっとも如実に現れるのは、「とりかえしのつかないことになった」という後悔の形においてだろう。重症鬱病ではこれが罪責妄想の形をとって「とんでもないことをしでかした」という内容になるが、前述のようにこの罪の経験、負いめの経験は実はすべての鬱病の根底に隠れている。非常に多くの鬱病者が、妄想まで行かないまでも「済まないことをした」という自責感を抱いているという事実は、このことを物語っている。この「済まない」という意識は、本来は済むべきはずの事柄が、未済のまま完了してしまっている事態を指している。未済のままでも、それが完了していないのならば、「まだ済んでいない」だけであって、そこから「済まないことをしてしまった」という復原不能性は生じてこない。ポスト・フェストゥム的な過去は、所有の内実が失われたまま、空虚で否定的な所有の形骸だけが残った現在完了型の形をとるのだと言ってもよい。」
このあと著者はビンスヴァンガーの最晩年の著作『メランコリーと躁病』における鬱病者の時間性の問題の取り上げ方を、「ビンスヴァンガーが「未来」とか「過去」とかいう概念を、普遍妥当的な客観性を有する概念としてしか語っていない」と批判し、鬱病者と分裂病者の時間意識についての著者の考えを再確認し、次のように言います。
「だから、分裂病者のアンテ・フェストゥム的な「前夜祭」意識と、鬱病者のポスト・フェストゥム的な「あとの祭り」意識とを、「祭」の前と後ということばの上の対称性や、プロレタリアートの革新性とブルジョアジーの保守性についての通俗的な理解の上での対称性から、等質的な時間軸の上で前後対称的な両方向に表象するのは正しくない。アンテ・フェストゥムの反対がポスト・フェストゥムだとは言えないのである。そもそもアンテ・フェストゥムの逆とかポスト・フェストゥムの逆とかいうようなことは考えにくい。」
「この両者はちょうど、ビンスヴァンガーが(分裂病者について)理想追求の高さと経験的基盤の広さとのあいだに考えた「人間学的均衡」(の欠如)と同じような関係にあるのだろう。高さの逆は広さではないし、広さの逆は高さではない。にもかかわらず、この高さと広さのあいだには一種の均衡が成り立っている。……健康な社会生活をいとなんでいる人は、さまざまな比率でもってこの両種の意識のあいだの均衡を保っているのだろう。」
自己の役割同一性
「アンテ・フェストゥム的な時間とポスト・フェストゥム的な時間の違いが、自己の自己自身とのかかわりの違いであるとするならば、鬱病者にとっての自己は分裂病者にとっての自己とは本質的に異なったものとして自覚されているのに違いない。ただ、鬱病においては、分裂病の場合のように、自己のありかたが患者自身によって直接に話題とされることは稀である。そのために、従来の精神病理学の研究においても、鬱病者における自己の自己性について正面から論じている人はきわめて少ない。」
「その中で注目されるのは、テレンバッハ門下のアルフレート・クラウスが展開している鬱病者の役割同一性についての議論である(岡本進訳『躁うつ病と対人行動』、みすず書房、近刊/この本を執筆当時近刊予定であった)。」
「私は何であるのか、という問いに対してはさまざまな角度からの答が可能だろう。私はなによりもまず私自身であるのだけれども、それと同時に私は臆病者であったり正直者であったりもするし、日本人であったり男性であったり、木村家の一員であったりもする。それだけではなく、私はまた妻にとっては夫であり、こどもたちにとっては父であり、学生たちにとっては教師であり、大学にとっては職員である。患者にとっては医者だし、門下生にとっては師匠である。このようにして、私が何であるかの規定の中には、「だれそれにとっての」何者かであるという形での自己規定が幾重にも含まれている。このような自己規定の内容をなす自己のありかたを、役割同一性と呼んでおいてもよいだろう。エリクソンのいう「自我同一性」とは違って、この役割同一性はそのつどの関係の相手がだれであるかによって絶えず取り換えてゆかなくてはならないものである。」
「役割同一性とは要するに、私にとって特定の立場にいる他者から、私がかくかくしかじかの役割行動をはたすことを期待され、私がその期待にこたえて遂行する役割行動に応じて当の他者から認知されることによって、はじめて成立するような自己のありかたである。私に妻がいなければ私は夫であることはできないし、こどもがいなければ父であることはできない。患者から医者として期待されなければ、弟子から師匠として認められなければ、医者であったり師匠であったりすることはできない。」
「われわれはふつう、このような幾重もの役割同一性によって自分自身をそのつど規定しながら、そうかといってそれぞれの役割同一性に自己を完全に同一化させるようなことは決してない。夫であることと父であることとは、ときとして互いに矛盾する行動を私に課することがある。教師であることと医者であることは、必ずしも摩擦なく両立するとは限らない。」
「これらの多様な役割の遂行者として私が私の中心的な同一性を失わないでおこうとすれば、私は私自身に属しているどの役割同一性からもなんらかの距離をとり、いわば役割の外部に立つことができるのでなくてはならない。私が私自身であるという私の中心的な同一性(これをクラウスは「自我同一性」と呼ぶ)は、私にそのつどの役割同一性から距離をとらせ、私に役割とのある種の非同一性を保証するような機能を果す。」
「クラウスは躁鬱病者を(彼は両極型躁鬱病と単極型鬱病とのあいだにこの点で本質的な差はないと考えている)、役割同一性と過度に同一化していて、役割との距離を持てない人、換言すれば役割同一性が自我同一性の肩代りをしているような人だと考える。自己の役割同一性は他者の側からの役割期待を通じてはじめて成立しうるものなのであるから、テレンバッハが「他人のために尽す」という標語で捉えた特有な対人秩序へのかかわりかたは、実は他者からの期待にこたえて自己の役割同一性を安全に保持しようとする鬱病者の姿勢の現れである。彼らは「他者を媒介として存在する」という形で、他者に主導権を譲り渡している。」
「役割概念の導入は、鬱病の精神病理を考えて行く上で大きな寄与を果しうるものであった。例えば、テレンバッハがメランコリー親和型の人の基本的特徴として取り出した「几帳面さ」ということを取り上げてみても、鬱病者の示す几帳面な秩序への固執が、分裂病者のいわゆる「病的合理主義」による秩序愛好、ある種の強迫神経症にみられる秩序強迫、さらには一部の癲癇患者が示す些事拘泥的な秩序癖などと本質的に異なっている点は、それがもっぱら自己の役割行動の面での几帳面さだという点にある。サラリーマンとしての職務において、主婦としての日課において、善き隣人としての対人関係において、彼らはこの上なく律義で良心的であるけれども、自分のそのつどの役割遂行と関係のない部分でまで強迫的に秩序を追求するようなことはしない。純粋に自己の世界に関する事柄においては、彼らは意外なほどルーズであることがすくなくないのである。」
「鬱病の発病状況として述べておいたさまざまの状況秩序の変化も、これを役割同一性という観点から眺めると、はるかにわかりやすくなる。鬱病をひき起しやすい状況というのは、要するに自己の役割同一性の保持が困難になるような状況である。……」
「新しい概念の導入がもたらす発見的効果の一例として、クラウスがあげている「役割間葛藤」および「役割内葛藤」の二つの鬱病誘発状況をあげることができるだろう。」
「役割間葛藤というのは、例えば職業上の役割行動と家庭人としての役割行動、教師としての役割行動と医者としての役割行動などのあいだに矛盾が生じて、その調整がうまく行かないような状況である。「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」というのがその典型例といえるだろう。一方、役割内葛藤というのは、一つの役割の内部でのいくつかの側面のあいだの矛盾である。例えば中間管理職にある人が、自分の職務遂行をめぐって上司と部下の板ばさみになるといった状況を考えればよい。」
「クラウスは、鬱病の誘発状況としてはこの役割内葛藤のほうが役割間葛藤よりも多いと言っているが、見方によっては、中間管理職は上司と部下に対してそれぞれ別個の役割同一性をもっていると考えられるわけであって、そう考えればこれも一種の役割間葛藤だということになるだろう。とくに役割というものを地位や身分のように固定したレッテルとしてではなく、自己がそのつどの他者に対して示す同一性の構成契機として理解する以上は、そのようの考える方が自然である。」
「こういった役割概念の有効性にもかかわらず、やはり役割概念だけで鬱病の精神病理を説明しつくすことには、まだ無理があるように思われる。一例をあげれば、分裂病親和的な人がその脆弱な自己性を保護する一つの手段として、なんらかの役割同一性を強固に身にまとうことによって、分裂病の発病を免れている、というような可能性も十分に考えられるからである(「遅発分裂病」)。」
「そもそもこの役割概念というものは、その社会学的な出自を見てもわかるように、元来人間の社会生活一般に妥当するきわめて普遍的な概念であって、これを鬱病の精神病理にとって特異的な概念にまで限定するためには、なんらかの別の観点を導入して、これを補完してやることがどうしても必要になる。」
役割的自己のポスト・フェストゥム性
「役割同一性は、かならず他者からの役割期待に対応した形で形成される。だから、役割同一性の構造を問題にする場合には、なによりもまず、その人の自己にとって他者がいかなるものとして出現するかを考えてみなくてはならない。」
「精神科医が患者とのあいだに治療関係を作り出している場合、彼は患者にとっての一人の他者として患者と出会っている。このような治療関係において、分裂病者を相手にする場合と鬱病者を相手にする場合とでは、精神科医の側での内面的な態度の取りかたは基本的に異なっている。」
「分裂病者は、前にも書いたように、自分に出会ってくる他者の中に未知の未来性を見てとっている。というよりはむしろ、彼はそのつどの他者との出会いの場としてのあいだを、つねに未知性、未来性の相のもとに経験している、という方が正しいだろう。彼にとって、人と人とのあいだとはそのつど新たな、一回きりの自己実現の場なのであって、しかもこの自己実現は、彼をつねに脅かしている他者化の危険に抗って遂行しなくてはならない真剣な課題なのである。……分裂病者と真に出会うためには、精神科医の側でも自己のアンテ・フェストゥム的意識の窓を開けなくてはならないのであろう。」
「鬱病者の診察場面においては、様相がまるで違う。何回かの診察を通じて顔見知りになった鬱病者は、もちろんそれなりの親しさを示してくれる。分裂病者のように、接近を拒否する姿勢を示すようなことはまずない。しかし、根本的なところでは彼は精神科医から、自分の病気を治す医者という以上のなにものも期待していない。医者の中にもあるはずの未知のもの、未来的なもの、一回的なものに対して、鬱病者は恐怖感も示さないかわりに、呼びかけてくることも決してない。だから、精神科医の方で一方的に世間の慣習を超えた出会いを開こうとしても、それは滑稽な一人相撲に終るか、治療関係を悪化させるかのいずれかでしかない。鬱病者を前にしたときには、精神科医は自分の医者としての役割同一性の枠内にとどまることを強いられる。つまり、患者がそこで安心して自己の役割同一性を保持しうるような、世間に通用するような医者患者関係を作り出してやることを要請されているのである。」
「鬱病者にとって親和的な対人関係は、このようにして、一回性、未知性の要素をできるかぎり排除した世間的、慣習的な役割関係である。彼は他者のうちに未来的なもの、個性的なものを求めない。彼の自己はこれまで世間的他者からの期待に副って作り上げられてきた役割同一性の中で自足していて、これからの自己のありかたも、この同一性の延長線上でしか考えない。だから他者についても、自己のこれまでの役割同一性の継続を認知してくれるような人物しか期待しないのである。彼の対人関係は、他者の中に既知性と既存性を見てとっているかぎりにおいて、その安全が確保されているといってよいだろう。そしてこのような構造は、われわれがさきに取り出したポスト・フェストゥム意識の構造そのものにほかならない。」
「……テレンバッハは、メランコリー親和者は流行の尖端を行く新奇な服装を身に着けない、と言ったが、彼らはまた、時流に逆行してまで古風な服装を身に着けることもしないだろう。彼らの自己同一性は、共同体の慣習や常識の中に埋没した形で、もっとも安全に保持されうるのである。」
現在完了の不成立
「鬱病者ないしメランコリー親和型の人が、既知の役割同一性に埋没してそのつど一回的な未知性の相における自己実現を回避するということは、さきに述べた主語的自己と自己の述語作用とのあいだの対自的な構造という点に関してはどのように理解できるのだろうか。」
「もちろん、どのような場合にも自己は即自的なものではありえないのであるから、彼らにおいても対自的な自己自身への現前はつねに遂行されている。ただ、彼らが分裂病者や分裂病親和的な人と違っている点は、彼らのあまりにも自明な役割同一性がなによりもまず主語的自己の同一性をほとんど吸収しつくして、述語作用によるそのつどの自己現前が、つねにこのあらかじめ確立された役割同一性の反復的再確認という形でしか遂行されないという点である。時間論的に言うならば、分裂病者や分裂病親和者の場合とは違って、いままでの自己がそのつどの「自己への到来」によってはじめて自己の歴史として再生されるのではなく、そのつどの「自己への到来」が、すでに動かしがたい自明性を獲得した役割同一性の基本路線に合致した形でしか生じないのである。つまり、ある意味での既存性がその人の将来をほとんど一方的に規定しつくしていると言ってよい。」
「ところが、ひとたび転勤や転居などのような不測の事態が出来して、新しい状況においてそれまで自明であった自己の役割同一性のそのつどの再確認が自明性を失うと、彼らの人生設計は根本から動揺にさらされることになる。彼らはこの危機を、分裂病者のように自己の自己性の危機としては意識しない。それは、彼らにとって自己の自己性ということ自体が、特に他者との絶えざる緊張関係における自己性という形では、これまで一度も問題となったことがないからだろう。彼らの存在を脅かすのは役割期待者としての個々の具体的他者や共同体全体なのであって、自己性に対する否定的原理としての他者性ではない。」
「鬱病者やメランコリー親和者は、このような彼らの人生設計にとって危機的な事態に直面したとき、これを他者に固有な未知性による自己性の脅威としてアンテ・フェストゥム的に意識するのではなく、既知の自明性の復原不能な喪失として、つまり「とりかえしのつかない」手おくれとして、ポスト・フェストゥム的に体験する。すべてはあとのまつりとなり、自己は自己自身の背後に決定的に取り残されて「自己自身におくれをとる」(テレンバッハ)のだと言ってもよいだろう。
「しかし、テレンバッハが受け容れて彼の著書にも引用している、私の彼に対する批判(『メランコリー』、388頁)にも書いたことだが、「自己自身におくれをとること」は必ず「他者におくれをとること」である。さらにそれは、ここでつけ加えていうならば、「共同体の規範におくれをとること」にもなる。彼らにとって、自分への役割期待を通じて自己の役割同一性を補完してくれる他者は、単に自分にとって既知のものというだけではなくて、だれにとっても既知のものである。そしてこのような他者の集合としての共同体は、まさにこの既知性の源泉である。彼ら自身が自らの自己を、この共同体の規範の内部で他者と共にこの規範を体現すべきものとして理解している以上、彼らにとっては自らの自己も共同体の既知性を分有しているという意味で既知のものとなる。「自己自身におくれをとること」は、こうして「既知のものにおくれをとること」として現在完了の不成立を意味し、未完了の未済のままの停滞を意味することになる。」
鬱病の共同体時間
「このような鬱病者の自己構造からみて、彼が自己自身の一回的な存在の時間性よりも、共同体に共有の時間により多くの注意を向けるのであろうことは、容易に予想できることである。実際、メランコリー親和型の人は、一般に時計の時刻やカレンダーの日付に対して特別な気の配りかたをする。他人とのあいだに交した日時の約束は、驚くべき正確さで守られる。毎日の日課も分単位で精密に立てられ、厳格に実行される。誕生日や命日、盆や正月、クリスマス、記念日などの特別な日は、規格外れに重大な意味をもつ。以前から、こういう特別な日に関連して発病する「記念日鬱病」の存在が云々されているけれども、メランコリー親和型の人の意識において共同体時間が占める特別な重要性のことを考えれば、この種の鬱病が実際に存在しても不思議はない。」
「第一部の終わりで共同体時間について述べたとき、われわれは真木悠介氏の考えを引用して、時計やカレンダーのような制度化された時間は、自然共働態からの人間の自立と疎外の過程が、失われた「生きられる共時性」を「知られる共時制」の形態で埋め合わせようとしている代補現象ではないのか、と書いておいた。一切の個我意識成立以前の、自然の懐に抱かれたままの「生きられる共時性」においては、個々のいまはまだいまとして独立していないのであるから、時間について語ることがそもそも無意味であろう。それは時間以前の「純粋持続」の状態である。この状態からの時間の目覚めと個我意識の成立とは、厳密に同時的である。それは同時に、個体的自己の有限性が最初に自覚される瞬間でもあるだろう。自らを有限な個としてようやく自覚しはじめた自己の端緒が、はじめて個々のいまを別々のいまとして分離し、そこに不可逆的な新旧の別を設けることによって時間の生成に立ち会うことになる。」
「この原初の時間においては、一瞬一瞬のいまはことごとく新しく、未知のいまであるに違いない。しかもこの一瞬一瞬は、次々と過去へと過ぎ去りながら、まだまとまった自己の歴史のようなものを形成するにはいたらない。未知のいまは未知のままで置き去りにされる。この永遠の未知性は、よるべない幼弱な自己を深い孤独と不安に陥れるに違いない。この不安な個別化の過程において見出される唯一の救いは、自己がそのつどのいまを身近な他者たちと共有しているという経験だろう。いまは、そのつど新たに自己を震撼し、既成の自己を否定するという側面と、他者との共有や他者からの是認を通じて既成の自己を肯定するという側面との両極性をもっている。このいまの自己肯定的な側面だけを組織化したものが共同体時間だということになるのではなかろうか。」
「だから、共同体時間はその成立の事情からして、すでにポスト・フェストゥム的な性格を帯びている。それは個別的生命の存在を肯定し、それを継続しようとする意志の上に成り立っている。それは、そのつどのいまが元来もっている創造的・革新的な生産力を去勢し、無害化することによって、すべてのいまを平均化し、等質化しようとする。この等質化によって未来は未知性を失って予定可能なものになり、将来の姿をとりうるようになる。また、この等質化によって時間は計量可能なものになり、時計やカレンダーの上に直線的に配置しうるものとなる。」
「われわれは時計やカレンダーの背後に、あるいは太陽の運行や川の流れの背後に、なにかしら客観的な時間の動きがあるように感じているし、この感じを極限までつきつめれば、ニュートンが「絶対時間」と呼んだところの、個々の事物の運動や変化とは無関係な、それ自体で流れる時間のようなものに到達するかのように考えている。しかし、一見われわれの主観的意志を超越しているように見える、いわゆる「客観的」な時間というものは、実は個人の生存に対して集団的安全保障を与えるものとしての共同体時間にその源をもつ人為的な所産なのではないのだろうか。」
「それはともかくとして、このように平均化され等質化された個々のいまが制度的に再組織され、時計やカレンダーの上に時刻や日付として配置されたとき、こんどはこのそれぞれの時刻や日付に、共同体時間の枠組全体の中での、それぞれ特定の役割が与えられるようになる。起床の時刻、出勤の時刻、帰宅の時刻などというのは時計時間の各時点に割り当てられた役割だし、正月に始まって大晦日に終る一年の間のいろいろな記念日、祝祭日、行事の日などもカレンダーの上での役割配分である。肉親の死亡がひきおこした耐え難い悲嘆は、初七日、四十九日、一周忌、三回忌……というように次第に間隔をあけて反復される喪の役割日に集中されることによって、それ以外の日への波及をまぬがれる。」
「メランコリー親和型の人が共同体時間を重要視し、その中でも特に記念日などの特別な日に対して重大な関心を示すのは、ひとつには彼らが共同体の制度的な規範をそのまま内面化して、自己自身の内面的制度としているような人たちだからであろう。彼らはこの制度への違反を極度におそれる。そこでもたらされる無秩序は、彼らの存在の根拠を根底から疑問に付することになる。彼らにとっては、無秩序は死の同義語にほかならない。」
「しかし、祝祭日や記念日は、単に制度上の役割を負うた日であるだけにとどまらない。それはやはり、特別な一日、一回的な独自性をもった一日であり、日常的共同体時間の中の非日常的な時間である。そこでは、鬱病者がこの上なく恐れる非日常性が、予定された役割日という性格によって厳重に封じ込められているにもかかわらず、その荒々しい秩序解体的なエネルギーを失うことなく、この特別な日の裏面に蝟集して機を窺っている。祝祭日や記念日に割り当てられた役割的特権性は、生の原理、秩序の原理によって徹底的に支配された共同体の日常性が、自らの圧殺した死の原理、反秩序の原理を慰撫するための鎮魂の意味をもっていると考えてよい。このような両義性をおびた一日は、鬱病者にとってはそれだけいっそう危険な一日だということになるだろう。」
「祝祭日などをめぐって発生しやすい精神病理的な事態は鬱病だけではない。なによりもまず躁病が、そういった特別な日の前後に多発する。祝祭日特有の華やいだ解放的な気分が、すでに躁病への方向をはっきりと示しているだろう。精神病理学的にみて、躁病は決して鬱病の対極に位置する病態ではない。実際に躁病と鬱病とは、常識では考えられないほど近い関係にある。ひどく疲れているのに眠りそびれたこどもがよく示す手のつけようのない躁状態を考えてみるだけで、躁が鬱と同じ方向から派生する現象だということがわかるだろう。メランコリー親和型の基本姿勢が日常性の秩序の遵守であり、鬱病がこの要請に応えられない悔みであるとするならば、躁病はこの秩序によって圧服されていた非日常性の噴出であると言ってもよい。」
「前章の終りに述べておいたように、狂気の形態においてもっとも純粋な姿を見せる人間存在の意味方向は、ふだんは多かれ少なかれ折衷的な不純化を蒙ることによって無害化され、われわれの健全な日常生活の構成契機として収まっている。このことは、鬱病者のポスト・フェストゥム的な意味方向についてもそのままあてはまる。人類に分裂病親和的なアンテ・フェストゥム意識がなかったならば、文明の進歩も真理の発見もありえなかっただろうし、鬱病親和的なポスト・フェストゥム意識なしには社会の安寧な秩序は保たれず、伝統や慣習の形式も不可能だろう。この二つの意味方向は、互いに相補的に作用しあうことによって、われわれの健全な日常性の構成要件となっている。」
「しかし、われわれの存在の豊かさの全体は健全な日常性のみからできあがっているものではない。日常性に深みと輝きを与えている非日常性をその時間構造において理解するという課題が、われわれにはまだ残されている。日常的時間の中では未来と過去の両方向に引き裂かれた「束の間の幻影」にすぎなかったいまの瞬間が、そこではその本来の輝きと深みを一挙に回復することになるだろう。」
こうして著者は第二部第3章の「祝祭の精神病理」へと話を進めて行きます。その部分は次回に「紹介」します。
3 祝祭の精神病理
『時間と自己』は、愈々「第二部 時間と精神病理」の第3章「祝祭の精神病理」に入ります。ここでもかなり詳細な「紹介」を行なっていきます。
第三の非日常性
「前二章では、われわれが「アンテ・フェストゥム」および「ポスト・フェストゥム」と名づけた二種類の時間構造が、それぞれ精神分裂病および単極型鬱病という二大精神病の中心的な特徴となっていることを見てきた。この二つの精神病は、その出現頻度が群を抜いて高いという意味で精神医学の代表的疾患とみなされるだけではない。そこには、近代以降の西欧型文明社会に住む個人が、彼自身の自己とか関わり、世界や他者と関わる関わりかたの、二つの本質的に異なった可能性がそれぞれ極限的な形態で現れている。正常人の日常性を構成している二つの互いに相容れない意味方向――未知なる未来における自己の可能性の追求と、既知の慣習や経験への保守的な埋没――が、それぞれ両者間の均衡を破った極端な形で突出し、そのために日常的な常識の範囲を越えた非日常・非常識の狂気に立ち至ったのが、この二つの病態だとみなしてもよいだろう。」
「しかし、精神医学が扱う非日常性には、この二つの形態とは根本的に異なった意味をもつ、もうひとつの種類の非日常性がある。分裂病と鬱病が、ともに日常性の外部境界を異なった二つの方向に逸脱したところで成立する非日常性であるとするならば、第三の種類の狂気は、いわば日常性の内部構造それ自体の解体によって姿を現す非日常性であり、換言すれば、日常性の存立の基盤それ自体が解体するという形で顕現する非日常性である。第一と第二の狂気がいわば水平方向での日常性の危機であったとするならば、第三の狂気は垂直方向での日常性の危機だと言ってもよい。第一と第二の狂気が、日常性一般を構成する二つの意味方向の極限への延長として、それぞれ単一の純粋形態をもちえたのに対して、第三の狂気はいわば日常性全体の基底面にかかわる「底抜け」の事態であって、一つの純粋形態に収斂しうるような単一の方向を持たない。」
「だから、本章においては分裂病や鬱病のような単一の病態を範例として呈示することはあまり意味がない。というよりはむしろ、この第三の狂気は、人生の大半を理性的な日常性の中で過ごしているどんな健康人のもとにもときどき訪れる非理性の瞬間として、愛の恍惚、死との直面、自然との一体感、宗教や芸術の世界における超越性の体験、災害や旅における日常的秩序からの離脱、呪術的な感応などの形で出現しうるものであるし、精神医学の領域においては、分裂病、躁鬱病、非定型精神病など、ほとんどすべての精神病にみられる急性錯乱状態において、また癲癇の発作症状において、病気の種類にかかわりなく広く出現しうるものである。」
「これらの多種多様な様相を呈するこの第三の狂気の特徴をひとことで言えば、それは日常性を保証する理性的認識の座としての意識の解体としてまとめることができるだろう。ここで「意識」といったのは、むろん単なる生理学的な意味での覚醒意識のことではない。意識の解体というのは、決してそのまま昏睡や無意識を意味しない。」
「アンリ・エーは「意識しているということは、自己の経験の特殊性を生きながら、この経験を自己の知識の普遍性に移すことである」と言った(大橋博司訳『意識』、みすず書房、23頁、太字/原文傍点筆者)。しかしわれわれの立場から見ると、この考えの根拠には、自己の個別的な内在がまず直接に与えられていて、普遍性は二次的な反省的知識によってはじめて到達しうるものだという、西洋的独我論の伝統が深く根を張っている。われわれの立場では、直接無媒介的に与えられるのは個別的内在ではない。自他の区別や自己の個別性がまだ成立していない純粋持続のような事態がまず与えられて、これが意識されることによってそこではじめて個別的存在というようなことが問題になりうるのである。」
「われわれは本書の第一部で、こととものとの共生関係ということを見てきた。純粋無垢のことそれ自身は意識を超えている。意識は志向作用によってことにもの的な対象性と個別性を与え、それによって、ものとことのあいだの緊張をはらんだ共生関係を作り出すことをもってその職分としている。意識されたかぎりにおいて、ことはすでにものによる汚染を蒙っている。エーが言う通り、意識とは内在と超越とのあいだの、特殊性ないし個別性と普遍性とのあいだの関係ではあろう。ただし、われわれはこの両項の順序を、エーの主張とは逆に入れ替えなくてはならない。意識は個別性・特殊性を普遍性に移すはたらきをするものではなくて、むしろ普遍性を個別性に移すはたらきをするのである。その上でさらに、この意識された個別性が高次の反省の作用によって知識の普遍性にまで移されるかどうかは、意識本来の仕事とは無関係な、副次的な理性的加工にかかわる問題にすぎない。」
「意識をこのようなものとして理解するなら、それはまた、近代個人主義社会における日常性の基盤となっている合理的思考の成立の場でもあるということになる。われわれの日常性は、自他や生死の区別、個体の個別性と自己同一性などを確かな標識とする合理的思考によって徹底的に支配されている。いいかえると、もの的論理によってこと的現実が完全に制御されている。だから意識のこの統制力が減弱するときには、日常性はその成立の基盤から危機に曝されることになり、日常性の真只中に非合理性という形での非日常性が姿を現すことになる。」
「意識の最終的な消滅としての死は一応別として、臨床医学では種々の程度の、そして種々の種類の意識の解体が知られている。意識の完全な停止を意味する昏睡にも不可逆的なものと可逆的なものがあり、なかには両眼をあけて覚醒しているのに意識は昏睡状態にあるといった「覚醒昏睡」と呼ばれる状態もある。また、一見まとまった行動ができるのに意識は睡眠状態に近い、夢遊症や催眠状態もある。多重人格では、同一個体に、それぞれかなりまとまった自己同一性を有する複数の意識の流れが、交代して出現する。分裂病などの種々の精神病の急性期には、意識の部分的できわめて変化に富む解体が認められ、それが知覚や行動の多彩な異常の原因となる。」
「これらの多様な意識の病理の中から、ここでは解体の程度のもっとも強いものに属している癲癇と、解体の程度が比較的軽い躁病とを取り出して、その時間様態を見ておきたいと思う。」
睡眠癲癇と覚醒癲癇
「癲癇とは何であるかの専門医学的な定義はまだ確定していない。一応のところ、原因不明の発作を慢性に反復し、その発作が脳波によって記録されうる脳の突発性律動異常によって生じているような疾患を、まとめて癲癇と呼んでいる。発作の種類も千差万別だが、ここではそのもっとも代表的なものとして、全身の痙攣と意識の喪失を主徴とするいわゆる「大発作/グラン・マル」に限っておこう。」
「大発作癲癇の中には、過去の脳疾患や脳外傷の後遺症がかなり含まれているが、それ以外のもの、つまり外的な原因のまったく認められないものは昔から「真性癲癇」と呼ばれてきた。だから当然、その原因として遺伝や体質が問題にされている。しかし、真性癲癇が実際に発症して発作が出現するようになるのは、ふつう学童期から思春期であって、この好発年齢には、脳の成熟という要因のほかに、種々の心理的要因が関与している可能性も考えられる。また発症以後の個々の発作も、身体的条件だけではなく、心理的条件によっても誘発されることが知られている。」
「大発作癲癇の中心症状である大発作というのは、意識が突然失われ、患者は両眼を見開いて全身を硬直させ、数秒から十数秒後に今度は全身のリズミカルな屈曲伸展の痙攣に移行し、これが十秒から二十秒ぐらい続いて急に停止し、その後数分間の昏睡状態や朦朧状態を経て深い睡眠に入るという全経過をまとめて指す概念である。睡眠から醒めると意識は回復するが、発作時の記憶はまったく残らない。ただ、病型によっては意識消失の直前に、患者自身が一瞬のあいだ意識の強い変容を経験しうる場合があって、この異常体験は昔からアウラと呼ばれてきた。アウラの内容は幻覚や錯覚、離人症様の現実疎隔感、不安・恐怖・エクスタシーといった強い感情などで、これは発作終結後に想起することができる。」
「真性癲癇の大発作は、一日のうちでも決まった時間帯に起りやすいことが確かめられている。この発作好発時刻には二種類あって、それぞれ一応別個の病型に対応しているものと考えられている。その一つは、大体決まって夜間睡眠中に発作を起すもので、これにはさらに入眠後間もなくのものと早朝の覚醒直前のものとの二つの亜型が含まれるけれども、これをいっしょにして「睡眠癲癇」と呼ぶ。もう一つの病型は、発作が朝方の覚醒後だいたい二時間以内に起るもので、これは「覚醒癲癇」と呼ばれる。覚醒癲癇は朝方のほか、夕方、一日の仕事を終えて緊張が弛んだようなときにも発作を起しやすい。」
「真性癲癇にこのような夜型と朝型の二種類があるということは以前からわかっていたけれども、この両型の細かな特徴を逐一対比して、これを真性癲癇の二つの基本型としてはっきり位置づけたのは、V・フォン・ヴァイツゼッカー門下のドイツの神経学者ディーター・ヤンツである。彼によると、この二つの病型は、遺伝、誘発要因、発作の頻度、脳波像、内分泌系や自律神経系の動き、治療法などの種々の点で対照的な相違を示すが、なかでももっとも顕著な違いはそれぞれの患者の性格像と行動様式に見られる。」
「睡眠癲癇者の人間像は昔から「癲癇性格」と呼ばれていたものに相当し、細事に拘泥する特有の几帳面さと入念さ、思考や会話の周到さと廻りくどさ、独特の粘っこさ、飛躍のない整合性、他人との距離をとらない、ときにはなれなれしいまでの社交性、突然の爆発的な激怒などをその特徴としている。生活態度もきわめて秩序正しく、とくに早寝早起きの睡眠パターンが大きな特徴となっている。」
「これに対して覚醒癲癇者の人間像は、情緒的に不安定で几帳面さがなく、幼児的な依存的外向性を示す。わがままで、その場かぎりの無計画な考え方をもっているが、善良で他意のない憎めなさを感じさせる人が多く、特にこどもの場合は愛くるしい印象を与えるために皆から好かれる。生活態度は一般にルーズで、遅寝遅起き型の人が多い。」
「ヤンツはこの二つの異なった人間像、ないしそれに対応する癲癇の病型相互間の関係について、覚醒癲癇から睡眠癲癇への移行はありうるがその逆の移行は認められないことから、覚醒癲癇の方がより基本的な病型であって、睡眠癲癇はそれになんらかの(発作の反復による二次的な)脳の変化がつけ加わったものだろうと考えている。事実、発作回数が増えるにしたがって次第にはっきりと認められるようになる癲癇性の人格変化は、ほとんど例外なく睡眠癲癇型の粘着と固執の方向に進むものである。」
「癲癇者の性格に一見正反対の二つのタイプがあることは、昔から記載されていた。ヤンツに大きな影響を与えたマウツという精神科医の調査によると、これらの性格特徴は癲癇者自身だけでなく、その血縁者にも広く見出されるという。つまりそれは、発作の有無とは直接の関係はなく、むしろ発作親和的な類型とみなすべきものである。ヤンツはこの見解をさらに進めて、健康者も含めてあらゆる人間は、その行動様式や生活態度から、睡眠癲癇型と覚醒癲癇型に大別できるという。癲癇という一般にはごく特殊な脳疾患と考えられている病気が、こうして意外なことに人間一般の行動様式の対極的な二つの特徴と深いつながりをもつことがわかってきた。臨床的な発作症状や脳波の異常の有無にかかわらず、われわれのすべてがどちらかの型の癲癇と親和的な関係にあると考えてもよいのである。」
永遠の現在
「癲癇/エピレプシアの語源はギリシャ語で「不意を襲う、ひっ捕える」の意味である。突然なにかに襲われたように意識を失って、全身を痙攣させるこの病気は、古来「聖なる病/モルブス・サーケル」とも呼ばれて人々の畏怖の対象となっていた。この「聖なる」という形容は、単に崇高な神聖さを表すだけではない。ヤンツによれば、それは同時に悪魔的な呪いをも意味しえたという。いずれにしても、近代医学以前の人々は、癲癇発作の中になにか尋常でない超自然的な力の介入を見てとっていたのだろう。現代においても、U・H・ペータースが報告している癲癇者の家族についての調査によると、患者の家族たちは発作症状をなにか霊的な現象、あるいは一種の狂気とみなしていて、それを名指しで「癲癇」」とか「発作」とか呼ぶことを避け、「いつものあれ」とか「例のやつ」とかの代名詞でしか口にしたがらないという。癲癇発作は、それを眼のあたりにする人にとっては、なにかしらタブーを感じさせるだけの超現実的な威力の顕現なのである。」
「ところが、日常性の中に住む人びとをこれほどまでに畏怖させるヌミノーゼ的・超自然的な力の襲来も、癲癇患者自身にとっては、多くの場合、それほど深刻に受けとられているようには思われない。患者の多くは自分で自分の発作を意識できないとはいえ、第三者を通じて、彼らのひきおこすただならぬ事態について十分に承知しているはずである。それなのに、彼らは自分の発作をさほど重大視しないばかりか、いろいろな口実を設けて服薬や受診を怠けようとする。この奇妙な事実に着目したW・シュルテは、癲癇者はむしろ発作を必要としているかに思える、という感想を述べている。実際、患者の中には自分で発見した確実な発作誘発法を用いて、ひそかに発作を楽しんでいるような人もいて、性的自慰行為との類似が問題にされることもある。」
「発作の襲来と終結はきわめて突然であって、日常性内部での時間の流れは完全に寸断される。患者はもとより、発作を目撃した第三者ですら、発作がはたして秒単位で経過したものなのか、それとも数分を要したものなのかについての的確な報告をしてくれない。一般には、時間は実際よりもかなり長く見積もられる。この事実は、発作中の時間が日常性内部での時間とはまったく異質な構造を有していて、これがその事態にまきこまれている傍観者の時間にまで影響を及ぼしているということを物語っている。いってみれば、日常の時間は発作中完全に停止して、無時間の空白が忽然として出現する。時間の見積もりは、時間の連続性を前提にしてはじめて可能になる。時間が突然とだえて、再び出現したような場合に、この途絶の間の時間を見積もるということは本来不可能なことなのだろう。」
「H・ブリュッゲは「発作とクリーゼ」と題する美しい論文の中で、発作による時間の断絶をヴァイツゼッカーのいう意味での主体の連続性の断絶として捉えている。ヴァイツゼッカーのいう主体とは、生物学的統一体としての「自我の概念から、それと環界との対置の根底をなす原理を取り出し」たもの(木村敏他訳『ゲシュタルトクライス』、みすず書房、275頁)であって、要するに有機体と環界とのあいだの相即関係/コヘレンツの原理あるいはその存在論的根拠である。このような主体は、当然実体的なものではありえず、こと的なありかたを示すと考えなくてはならない。それは、私が個別的自我として、有限な有機体の形をとって、与えられた環界との絶えざる相即関係を通じて私自身でありうる可能性の根拠なのである。ヴァイツゼッカーがこの根拠としての主体を、有機体と環界とのあいだの相即の原理として捉えているのは、きわめて深い洞察だといわなくてはならない。」
「癲癇の発作においては、環界との相即関係を保障している時間の連続性が唐突に中断され、短時間ののちに再び回復される。これは主体にとっては一つの重大な転機/クリーゼであり、存続の危機/クリーゼである。しかし、発作が終了したのちに患者は稀ならず気分の一新、さらには一種の高揚感を体験する。発作という「死と再生」のドラマにおいて、「大死一番乾坤新なり」という禅的な境地が現成したのだといってよい。このクリーゼにおいては、時間の中に永遠が稲妻のように侵入してくる。永遠は彼岸的なものとしてでなく、現世的生の真只中で生きられるものとして姿を現す。癲癇発作は、生の只中での死の顕現である。もちろんこの死は、個別的生命の終焉としての個別的な死ではない。それは、いかなる個別的生もそこから生まれそこへ向って死んで行く、個別の生死を超えた一つの次元である。それは発作患者自身にとっては意識の瞬時的な解体を通じて身をもって到達する永遠の次元であるけれども、日常性の側からそれを眺める者にとっては怖るべき死の原理のときならぬ出現を意味することになるだろう。」
「大多数の癲癇患者は、この永遠を自ら意識的に体験することができず、彼が意識の彼方で触れたに違いない無限なありかたを有限な日常性の側へ持ち帰ることができない。ただ、意識の完全な消失の前に数秒間のアウラ体験を有する一部の患者の口から、われわれはこの此岸から彼岸に至る境界線上の風景を垣間見ることができるにすぎない。」
「だがわれわれは、歴史上もっとも偉大な作家の一人が、たまたまこのアウラ体験を有する癲癇患者であり、しかも彼自身のなまなましいアウラ体験を作品の中に克明に再現してくれているという思いがけない偶然のおかげで、この境界線上の風景についてのこの上なく美しい描写を活字で読むことができる。いうまでもなく、この癲癇患者とはドストエフスキーのことである。」
ここで著者はドストエフスキーの『白痴』のムイシュキン公爵、また『悪霊』のキリーロフの口を通して語られるアウラ体験の描写を引用します。ここではキリーロフの口から語られる体験を引用してみます。
「ある数秒間があるのだ、――それは一度に五秒か、六秒しか続かないが、そのとき忽然として、完全に獲得されたる永久調和の存在を、直感するのだ。これはもはや地上のものではない。といって、何も天上のものだというわけじゃない。つまり、現在のままの人間には、とうていもちきれないという意味なんだ。どうしても生理的に変化するか、それとも死んでしまうか、二つに一つだ。それは論駁の余地のないほど明白な心持ちなんだ。まるで、とつぜん全宇宙を直感して、「しかり、そは正し」といったような心持ちなんだ。……何よりも恐ろしいのは、それが素敵にはっきりしていて、なんともいえないよろこびが溢れていることなんだ。もし十秒以上つづいたら、魂はもう持ち切れなくて、消滅してしまわなければならない。ぼくはこの五秒間に一つの生を生きるのだ。そのためには、一生を投げ出しても惜しくはない。それだけの価値があるんだからね! ところで、十秒以上もちこたえるためには、生理的に変化しなくちゃ駄目だ」(米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』十巻、河出書房新社、133〜134頁)。
「この此岸から彼岸への、現世から天上への境界線上の輝かしい光景は、注目すべきことに、ドストエフスキー自身がかつて体験した死刑執行直前の死刑囚の体験とも酷似している。彼はムイシュキンの口を借りて、それをこう描写する。」
「いよいよ残り五分ばかりで、それ以上命はないというときになりました。当人のいうところによりますと、この五分間が果てしもなく長い期間で、莫大な財産のような思いがしたそうです。……刑場からほど遠からぬところに教会堂があって、その金色の屋根の頂きが明らかな日光に輝いていたそうです。彼はおそろしいほど執拗にこの屋根と、屋根に反射して輝く日光をながめていて、その光線から目を離すことができなかったと申します。この光線こそ自分の新しい自然である。いま幾分かたったら、なんらかの方法でこの光線と融合してしまうのだ、という気持ちがしたそうです」(同全集七巻、63〜64頁)。
「これは死の直前の、生から死への参入の体験というよりは、むしろ死の世界へ一歩足を踏み入れた人が、死の側から生を見ている体験だといってもよいだろう。アウラ体験もそれと同じく、すでに開始された発作によって否応なく永遠の非日常性へ拉致されようとしている人が、非日常性の側から日常性の世界を見ている光景である。つまりそこでは、日常の生の世界とはまったく別種の、それとは絶対に比量しえない「時間」が支配していて、この別種の「時間」の相のもとに生が照らし出された姿が、アウラ体験なのである。」
「永遠が日常性と重なって意識されるとき、それはかならず、永遠の瞬間、永遠の現在という姿をとる。未来永劫とか無窮の過去とかいうことも表象はできるけれども、それは単なる観念にすぎないか、さもなければ現在の直接的体験としての永遠を二次的に未来や過去に投影したものであるかのいずれかである。永遠が永遠としての実感を伴ってわれわれに直接に現前するのは、いまのこの一瞬において以外ではありえない。」
「前にも書いたように、いまが以前と以後、いままでといまから、ひいては過去と未来という互いに交換不可能な二つの方向に分極し、そのことによって絶えず走り去るものとして意識されるのは、いまを意識しているわれわれの個別的生命の有限性のためである。なんらかの事情によってこの有限性が止揚され、個別的生命が無限の普遍的生命に触れる瞬間には、いまはもはやそのような前後の方向性を失って、なにものも到来せずなにものも過ぎ去ることのない瞬間として、永遠の停止として意識されるに違いない。そのようないまは、もはやもの的に体験することはできない。いままでもいまからもない以上、それはもはやいまと言うことすらできないだろう。強いて言えば、無時間の無際限な拡がりのなかで宇宙大の自我が実感されているということがあるのみだろう。それは過去と未来にはさまれた一時間帯としての現在ではないけれども、日常的時間の上に定位するとすれば現在としか言いようのない状態である。癲癇患者がそのアウラ体験の中で生きている時間は、そのような意味で、過去と未来をもたぬ純粋な現在だといってよい。」
「癲癇の患者や癲癇に親和性をもつ人の意識が現在の体験と強く結びついていて、過去や未来の意識が相対的に弱まっているということは、アウラ体験のような特殊な病的状態についてだけではなく、その日常生活における意識のもちかたや行動のしかた一般についても言えることである。さきに挙げた発作親和的な二つの性格類型を見ても、それらは一見正反対の特徴を示しているように思われながら、現在の優位というこの一点に関する限り、同じ一つの方向線上にあるといわなくてはならない。」
「この点に関しても、われわれはドストエフスキーから多くのことを学ぶことができる。彼の作品に登場する多数の人物は、ムイシュキンやキリーロフのような癲癇患者だけでなく、全員がこの「現在の優位性」とでもいうべき特徴をそなえている。…(以下、具体例)…」
「一般に、ドストエフスキーの描く人物はいずれも他人に対して、ときには自分の生命を脅かすような危険な相手に対してすら不思議に無警戒で、分裂病親和者にみられるような他者の未知性に対する恐怖感は稀薄である。また、メランコリー親和者に特徴的な、既成の型の中での役割的対人関係も、彼の作品のどこを探しても見当らない。彼の描く対人関係は、すべて現在眼の前にいる人との現在の瞬間における直接的な深い連帯感によって支えられている。」
「ドストエフスキーの意識における現在のこの豊かさは、彼がアウラ体験において死の側から生を眺めたときの壮麗な光景と、どこかで深くつながっているのではあるまいか。死は、生の側から未知の可能性として眺められたときには、見も縮まるような恐怖の源となるだろう。しかしもし死を現在直接に生きることができるなら、それはこの上なく輝かしいものであるに違いない。現在と死と歓喜、この三つの等根源的な関係が、次に述べる躁病の基本主題である。」
躁病と祝祭
「前章でも書いたように、躁病は鬱病の単純な反対像ではない。しかし、躁病を一つの病相として含む両極型の躁鬱病と、躁的成分を欠く単極型の鬱病とは、純型どうしを較べればかなりはっきりした相違が見出される。その臨床的特徴の主要な相違点は一〇二頁に列記しておいたが、これを別の観点から見ると、両極型躁鬱病は単極型鬱病に較べて意識の解体の程度が高いということになるだろう。意識の脆さは、大脳、ことに「中心脳」と呼ばれる領域の機能的な弱さと関係していて、これはかなりの程度まで遺伝的に規定されており、しかも心理的・肉体的な影響に対して敏感に反応して均衡を失いやすい。両極型の遺伝傾向の高さ、心身両面の諸条件が誘因となりやすいこと、再発のしやすさなどは、この点からかなりよく説明がつく。」
「両極型躁鬱病の最大の特徴は、いうまでもなくそれが躁病の時期をもっている点である。躁病では、感情が高揚して気分が過度に爽快になり、意欲が亢進して何にでもすぐ手を出したがり、思考が促進して新しい着想が次々と湧き上って来る。抑制が弱まるので自分の高揚した誇大的な気分にまかせて行動し、他人との距離をとらないため、周囲との衝突も起きやすい。」
「特に躁病の発症と深い関係にある誘発状況として以前から注目されているのは、近親者の死とその葬式である。その他、比較的多く見られるものとしては地元の氏神の祭、地域の選挙、火事その他の災害などで、これらに共通して見られる特徴は、人が沢山寄って振舞酒が出され、当事者はともかくとして、集って来た人たちは一種のお祭気分にとりつかれる、ということだろう。」
「これは、単極型鬱病の病前状況が終始醒めた気分に支配されているのと、際立った対照をなしている。近親者の死は、メランコリー親和型の人にとっては自己の役割的秩序世界を構成する重要な他者の喪失という意味をおびていて、そこから単極型鬱病が出現してくるのに対して、躁病親和的な人では、死につきまとう一種名状し難い高揚感が直接にその人の気分に作用して躁病の発現を見ることになるのであろう。死は個別的生命の日常性が甘受せざるをえない有限性の定めからの徹底的な離脱である。われわれは自分自身の生存中の意識において、この有限性からの解放を体験することはできない。しかし、身近な他人の死は、われわれにこの解放感のいくばくかを頒け与えてくれるのだろう。」
「躁病の祝祭的な本質特徴について、人間学的・現象学的な立場から言及している最初の人はビンスヴァンガーである。」
「ビンスヴァンガーによると、「躁病者自身から見れば、現存在は軽薄な遊びなどではなくて、永続的な祝祭である。だから患者は、医者その他の他者がこの祝祭への参加者という役割を果さず、彼と祝祭的に交わらないで、逆に彼の祝祭を妨害しようとするとき、あれほどまでに怒るのである。祝祭とは、無問題的な〈現存在の歓喜〉、人生の諸問題から完全に離脱した無反省的で純粋な現存在の歓喜であり、ときに〈現存在の陶酔〉にまで亢揚しうるものである」(『講演・論文集』2、フランケ社、ベルン、1995年、258頁)。「通常の人生から知られているように、この種の祝祭的な現存在の陶酔、この種のふざけて破目を外した活動、歌、踊り、跳躍などにはデーモン的な性格が内在している。このことがとりわけ明瞭に見てとれるのは祝祭的な放肆さをもったカーニヴァルの仮面舞踏会だろう。仮面舞踏会と葬礼との関係はよく知られている。生がその祝祭を祝うのは、必ず死の間近においてである。生が高くすばやく荒々しく亢揚すればするほど、それだけ生は死に接近することになる。われわれが躁鬱病と呼ぶもの、それはこの普遍的な生と死の原理の――病的増大ないし病的発現にほかならない。……生に内在する生と死のアンチノミーが、躁鬱病においてはドラスティックに表現されている。このことから、われわれは躁鬱病者を勝義の反規範的/アンチノミー的人間と呼んでもよいだろう」(同、259頁)。」
「ここで、死が躁病の単なる誘発因子としてではなく、躁病者の歓喜の気分そのものの中に内在する本質契機として取り出されているのは、重要な指摘である。鬱病者が死を遠ざけるために日常性の秩序に執着し、失われた秩序への喪として深い絶望に陥るとするならば、躁病者は死を直下に生きることによって日常性の制縛を破り、無秩序の祝祭的な世界に舞い上る。しかし、鬱病者が遠ざけようとする死と、躁病者が直接に生きている死とは、同じ「死」ということばで語られながら、実は互いにまったく別個の意味をもつことに注意しなくてはならないだろう。一方は個別的な生に対立する原理、生の否定的原理としての死であるのに対して、他方はむしろ一切の個別的な生がそこから生まれ出て来る生の源泉としての大いなる死であろう。この大いなる死の側から見るときには、日常の個別的生命のごときものは、たかだか数十年間の持続を保証されている色褪せた幻影にすぎない。大いなる死とは、永遠の別名にほかならない。」
「われわれは癲癇のところで、永遠が日常性の中で意識されるとき、それがかならず永遠の現在という姿をとることを述べておいた。ところが、躁病者の行動はせわしなく、次から次へと目標を変えて一刻も静止するということがない。殻らはいつも大きな計画を立て、それを即刻実現に移したがり、あらゆる妨害を排除して前進しようとする。話題はつねに飛躍し、一点に注意を集中することができない。こういった躁病者の行動を見ていると、分裂病者について語った未来先取/アンテ・フェストゥム的な時間構造は、むしろ躁病者にこそふさわしいのではないかとすら思われてくる。」
「しかし、躁病者のこの「先走り」は、実はまったくの見かけにすぎない。躁病者の精神活動のテンポは、正常人に較べてはるかに加速されている。時間を一つの流れと見た場合には、躁病者の時間はきわめて速いスピードで流れているといえるかもしれない。しかし、時間が速く流れるということと、未来が優勢であるということとのあいだにはなんの関係もない。それに、実際には躁病者では時間が速く流れているとすら言うことができないのであって、彼の意識内容の変化がめまぐるしいために、それを周囲の人たちの意識内容の変化と較べた場合、相対的に「速い」という印象が生じるだけなのである。それはちょうど、時計の秒針の方が分針や時計よりも「速い」時間の流れを示しているわけではないのと同じことだし、まして秒針の方が分針や時計よりも「未来志向的」だなどとは言えないのと同じことなのである。」
「躁病者の生きている時間が圧倒的に現在優位の時間であるという重要な指摘を行なったのも、ビンスヴァンガーである。彼によると、躁病者の言語においては「会話や文書表現をいきいきしたものにするはずの動詞が減少していき、残っている動詞もほとんど現在形のみで、過去形は僅かに残っているものの、未来形はだんだん少なくなって行く。このことから如実に示されるように、患者はほとんど完全に現在に生きており、まだいくぶんかは過去にも生きているものの、未来へと向って生きるということはなくなってしまう。事物や人が身近な手許に現在的に存在して、距りというものがない世界には、未来ももはやなく、すべては単なる〈いまここに〉という現在の中で演じられることになる」(前掲書、255頁)。」
「直接的な現在を生きるというこの特徴は、躁病の病相期のみに見られるものではない。両極型躁鬱病者の病前性格と単極型鬱病者の病前性格との大きな違いは、前者が後者にみられない熱中性をふだんから持っていることである。両極型の患者は病前から、一つのことに夢中になるとわれを忘れてそれに没頭してしまう傾向が強い。彼らは、メランコリー親和者のように済んだことをくよくよ反芻しないし、先のことを取り越し苦労もしない。分裂病親和者のように未知なる未来を恐れたり憧れたりもしないし、自分の運命を悔やんだりもしない。「その日その日、皆と仲良くやって行ければ最高なのです」と、ある患者が語っている平凡な言葉が、躁病者の世界をそのまま物語っている。」
イントラ・フェストゥム的狂気
「現在の優位というこの一点で、臨床的にほとんど何の共通性も持たないように見える癲癇と躁鬱病を、一つにまとめて論じる基盤が開ける。アンリ・エーはその『精神医学研究』第三巻(567頁以下)でこの両疾患の関連に言及しているが、ごく一般的にはこれを一つの文脈で語ろうとするような試みは、由緒正しい精神医学からは恐らくこの上なく非常識なこととみなされるだろう。ことに脳波の発見以来、癲癇が脳出血や脳腫瘍などと同列の神経内科的疾患として扱われ、精神病理学者の臨床から次第に姿を消しつつある今日では、いっそうその感が強い。しかし、脳炎や脳外傷の後遺症としての痙攣発作はともかくとして、いわゆる真性癲癇を精神医学から除外することは、精神病理学の耐えがたい貧困化を意味することになるだろう。」
「分裂病や単極型鬱病とは別の次元にある第三の狂気として癲癇と躁鬱病をひとまとめにして論じようとするとき、同じくこの第三の狂気に属する臨床的に重要な精神病として、一般に非定型精神病と呼ばれている急性錯乱性の精神病像が問題になる。ここではこの病気について立ち入る余裕はないが、それが昔から、一方では躁鬱病との、他方では癲癇との連関が真剣に論じられてきた疾患であることだけは付言しておく必要があるだろう。だから癲癇と躁鬱病は、従来から、直接的にはともかく、すくなくとも非定型精神病を媒介項として、間接的にはその関係が問題になっていたと言っても差し支えない。」
「ところがこの非定型精神病は、一方で癲癇や躁鬱病との関係が論じられると同時に、もう一方では分裂病との異同がつねに激しい議論の的となってきた疾患でもある。非定型精神病の疾患分類上の位置づけについては、拙著『自己・あいだ・時間』(弘文堂)第九章(237〜249頁)に詳しく書いておいたので繰り返さないが、要するに精神疾患というものをもの的・症状論的レベルで捉えようとするかぎり、非定型精神病は今後も永久に帰属不明の疾患としてさまよい続けなくてはならないだろう。」
「この帰属論争に終止符をうつ唯一の可能性は、われわれが本章のはじめに述べておいたように、この非定型精神病を癲癇や両極型躁鬱病と共に含む第三の狂気を、分裂病および単極型鬱病と一平面上に並列するような考えかたをやめ、従ってこれを分裂病や単極型鬱病との間に相互排除的な関係にあるようないまひとつの単位疾患とは考えないという方向でのみ見出されうるだろう。第三の狂気というのは、分裂病者でも鬱病者でも、そして常時は健康で正常な人でも、なんらかの事情によって意識が解体した場合には、ひとしく経験しうるような普遍的な非理性なのである。」
「われわれは、分裂病者の未知なる未来との親近性を、「祭の前」を意味する「アンテ・フェストゥム」の概念で捉え、一方鬱病者における既存の役割的秩序との親近性を、「祭の後」を意味する「ポスト・フェストゥム」の概念で理解してきた。この「祭/フェストゥム」という語は、特別な意図もなく、いわば偶然に見出された表現であったけれども、ここで第三の狂気の本質的な特徴を「祝祭的な現在の優位」という形で取り出してみると、われわれはそこに、もはや偶然では済まされない一つの符合を見出すことになる。われわれはこの第三の狂気に、「祭のさなか」を意味する「イントラ・フェストゥム」の形容を与えようと思う。イントラ・フェストゥム的意識に特徴的な時間構造は、いうまでもなく、現在への密着ないしは永遠の現在の現前である。」
「イントラ・フェストゥム的な第三の狂気が、アンテ・フェストゥム的狂気とポスト・フェストゥム的狂気に対立するものでないことは、現在という時間契機が未来や過去(ないし既存)に対して占める位置を考えてみるだけでも明白だろう。未来や過去と同列に並置されうる、いまひとつの時間帯としての現在のごときものは、抽象的概念として考えられた現在にすぎない。真の現在は、未来と過去を自己自身の中から生み出す源泉点として、未来や過去よりも根源的な、独自の存在を保っている。現在とは、いわば垂直の次元、深さの次元である。このようにして、イントラ・フェストゥム的な事態は、アンテ・フェストゥム的およびポスト・フェストゥム的な両方の事態と、それに垂直な量的規定として関わっている。」
「いかなる分裂病者も、いかなる鬱病者も、そしていかなる健康者も、多かれ少なかれ、イントラ・フェストゥム的でありうる。実際の臨床においても、イントラ・フェストゥム性が最小であるような分裂病は、いわゆる「寡症状性分裂病」の形をとって非理性の徴候をほとんど示さず(たとえばブランケンブルクの症例アンネがそうである)、イントラ・フェストゥム性の増大に伴って幻覚妄想症状がこれに加わって、次第に急性の非定型型精神病像に近づいてくる。また単極型鬱病と両極型躁鬱病との違いも、決して二律背反的なものではなくて、単極型から両極型に移るに従ってイントラ・フェストゥム的構造がより顕著になるような、連続的移行系列と考えなくてはならない。」
「従来から一般に「狂気」、「非理性」と呼ばれているものは、実は人間存在に普遍的なこのイントラ・フェストゥム的契機のことを指しているのではないか、と私は思う。分裂病も鬱病も、それがもしイントラ・フェストゥム的契機を交えない純粋なアンテ・フェストゥム、ポスト・フェストゥムの構造だけで現れた場合には、当人はそれによっていかに苦しんでも、周囲の人から狂気とみなされることはほとんどないだろう。」
「一方これに対して、ふだんは健全な日常生活をいとなんでいる個人や集団が、ときとしてまねく狂気・非理性の事態のことも考えてみなくてはならないだろう。愛の法悦、自然との合体感、美や神秘への沈潜から、酒や麻薬への耽溺、ギャンブルへの熱中、放火や窃盗に伴う快感、理由のない凶暴な殺人に至るまで、われわれの周囲には至るところにこの種の良き狂気、悪しき狂気が見出せる。集団的な非理性としては音楽の合奏や合唱における自我意識の解消、ある種の宗教の集団催眠的な効果、デモや災害時の群集心理、そしてなによりも祭の心理と革命や戦争の心理を挙げなくてはならないだろう。これらはすべて、規模の大小はあっても祝祭的な気分と、イントラ・フェストゥム的な意識によって支配されている。」
「イントラ・フェストゥム的な狂気の代表例としてドストエフスキーのアウラ体験と躁病を選ぶことによって、われわれは恐らく祝祭のあまりにも輝かしい面だけを強調しすぎたきらいがあるだろう。この反面、これまでも繰り返し述べてきたように、祝祭はつねに死の原理によって支配されてもいる。死は、それ自体としてみれば美わしい永久調和を意味するであろうけれども、個別的生命に執着する日常性の意識にとっては恐怖の対象以外のなにものでもないだろう。殺人や犯罪、革命や戦争はそれなりに人類の祝祭なのである。祝祭を主宰する神的な存在は、聖なるものであると同時に畏怖すべきものでもある。祝祭に犠牲/いけにえは不可欠である。犠牲の死によって、はじめて祝祭は祝祭として完結する。ドストエフスキーの作品の暗黒の部分を考えてみるとよい。彼の作品も、そして彼の生涯も、陰惨であると同時に輝かしい一巻の祝祭であった。」
祝祭的自己の現在性
「祝祭において、そして生のイントラ・フェストゥム的契機において、個々の自己存在の個別性は根底から疑問に付される。
『ディオニュソス的なものの魔力のもとでは、単に人と人との靭帯が再び結び合わされるばかりではない。疎外され、敵視され、あるいは抑圧されていた自然さえも、家出息子である人間との和解の祭を再び祝うのである。……ベートーヴェンの歓喜の頌を一幅の絵に変えて、幾百万の人が怖れおののいて大地にひれ伏すさまを、ひるむことなく空想してみるがよい。そうすれば、ディオニュソス的なものに近づくことができる。……いまや一切の人がすべての隣人と結ばれ、和解し、融け合うだけでなく、完全に一つになる。まるでマーヤのヴェールが引き裂かれて、この神秘に充ちた根源的一者の前にぼろ切れのようにはためいているようだ。歌い、踊りながら、人間はより高次の共同体の一員として姿を見せる。歩くことも話すことも忘れ、踊りながら空高く舞い上って行く……』(ニーチェ『悲劇の誕生』、ハウザー版著作集第一巻、24〜25頁)。
このようなディオニュソス的陶酔の定期的な反復を、日常性はおそらくそれ自身の内部から必要としているのだろう。祝祭は、人類の歴史と共に、ということはその日常性の形成と共に、出現したものと思われる。しかし、このような陶酔における日常性の解体に、日常性は長時間耐えうるものではない。短期間の灼熱の後に、祝祭は再び健全な日常性にその場を明け渡す。」
「精神医学においても、イントラ・フェストゥム的な狂気は、そのイントラ・フェストゥム性が強ければ強いほど、それほど長くは続かない。秒単位の癲癇発作を筆頭として、非定型精神病も躁鬱病の躁状態も、その病相期間がきわめて短いという特徴をもっている。そして、シュルテもいうように、癲癇者はなにかしらその内面から発作という祝祭を必要としていて、ときには自らこれを求めさえする。賭博者や嗜癖者が悪癖から逃れられないように、癲癇者は彼らの発作によって平常時の息苦しい重圧から解放されることを求めているらしく思われるのである。」
「息苦しい重圧からの解放、それは有限な自己の個別性からの離脱ということである。ここでもう一度ドストエフスキーを読んでみよう。『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャは、ゾシマ長老の死という衝撃的な体験にひき続いて突然エクスタシーの体験に襲われる。彼は「自分でも知らない」うちに大地に身を投じて、泣きながら大地に接吻し、大地を涙でうるおす。」
「いったい彼は何を泣いているのだろう? おお、彼は無限の中より輝くこれらの星を見てさえ、歓喜のあまりに泣きたくなった。そうして『自分の興奮を恥じようともしなかった』。ちょうどこれら無数の神の世界から投げられた糸が、いっせいに彼の魂へ集まった思いであり、その魂は『他界との接触』にふるえているのであった。彼はいっさいにたいしてすべての人をゆるし、それと同時に、自分のほうからもゆるしをこいたくなった。おお! それは決して自分のためでなく、いっさいにたいし、すべての人のためにゆるしをこうのである。『自分の代わりには、またほかの人がゆるしをこうてくれるであろう』という声が、ふたたび彼の心に響いた」(米川正夫訳、全集12巻、429頁)。
「私のみた一人の躁鬱病患者が躁病期に書いた次の手記も、そのイントラ・フェストゥム的な脱個別化の一点に関するかぎり、ドストエフスキーの美しい体験と完全に同質のものである。」
「自然の中で何より気分良く、始めての土地にても一段と愛情を持って、自身の体は一人身ではなく、みんなのために生き、生かされていることが良く感じとれました。言葉で言いあらわしがたく、“吾唯知足”で本当に恵まれし我輩は幸せな男でありますことゆえ、自然の足進(ママ)を大切に致し候」。
「ディオニュソス的な自然との合一において、「一切の人がすべての隣人と結ばれ」、「完全に一つに」なり、「自身の体は一人身ではなく、みんなのために生き、生かされていること」が感じられ、「いっさいに対してすべての人をゆるし」、「すべての人のためにゆるしをこう」という、日常的な「言葉で言いあらわしがたい」この境地において、自己はもはや個別的自我としては成立しない。しかしそれによって自己が消滅してしまうのではない。「無数の神の世界から投げられた糸が、いっせいに彼の魂へ集まった思い」において、自己はいわば森羅万象が一点に集中する収斂点となる。この収斂点において、永遠の現在が現前する。ここでも、現在とはあくまで自己自身のことである。いままでといまからという有限な個別性の規定から解放された永遠のいまにおいて、宇宙大に拡大した自己が、根源的一者としての自然との和解の祝祭に酔いしれる。」
「ここで思い出されるのは、ジャン・ジャック・ルソーがその作品のそこここで、永遠の現在における自然との合一について、またそのような瞬間における自己存在の高揚について語っている叙述である。例えば『孤独な散歩者の夢想』の「第五の散歩」には、次のような個所がある。」
「しかし魂が十分に強固な地盤をみいだして、そこにすっかり安住し、そこに自らの全存在を集中して、過去を呼び起す必要もなく未来を思いわずらう必要もないような状態、時間が魂にとってなんの意義ももたないような状態、いつまでも現在がつづき、しかもその持続を感じさせず、継起の痕跡もとどめず……ただわたしたちが現存するという感情だけがあって、この感情だけで魂の全体を満たすことができる、こういう状態があるとするならば……そのような境地にある人はいったいなにを味わっているのか? それは自己の外部にあるなにものでもなく、自分自身と自分の存在以外のなにものでもない。この状態がつづくかぎり、人はあたかも神のように、自ら充足した状態にある」(今野一雄訳、岩波文庫、87〜88頁、一部改訳)。
「ルソーのこの体験が、ドストエフスキーのアウラ体験と完全に同質のものであることは、一目瞭然だろう。……」
「中川久定氏はその『自伝の文学』(岩波新書)の中で、ルソーにおける「意識の二重化作用」ということに注目している。これはルソー自身の口から、「受け取った印象の記憶と現在の感情とに同時に身をゆだねて、私は魂の状態を二重に、すなわち事件が私の身に起こった瞬間と、それを記述する瞬間の両時点において描くつもりだ」と語られている彼自身の回想を表現する手法のことなのだが(『自伝の文学』、45頁)、これは要するに、遠い昔の出来事が過ぎ去った過去におけることとしてではなく、現在のこととして、いま現に彼の身の上に起っていることとして意識されているという事態にほかならない。そしてこのような事態は、意識の連続性が一瞬止揚されなければ起りえないことだろう。」
「私が診察したある癲癇の患者は、会社でコンピューターを扱う仕事をしていて、ある日「これを操作すればコンピューターの機能が一瞬のうちに停止してしまう装置」を発明したという男の訪問を受け、その話を聞いている最中に大発作を起した。彼がいうには、その物騒な装置の説明を聞いているうちに、自分の扱っているコンピューターが現在すでに完全な麻痺状態になっているかのような気持に襲われて、その瞬間、意識を失ってしまったのだという。」
「ルソーの場合の過去との二重化においても、この患者の場合の未来との二重化においても、イントラ・フェストゥム的な意識における現在は、客観的時間軸上の過去や未来をも一挙に現在の直接的現前にひきずり込むという強大な吸引力をもっている。一切の時間状態を現在に変えるこの大きな力と、無限に拡大した自己を全宇宙の中心に据える力とは、同じ一つの力であるに違いない。この力は、有限な個別的自己の個別性を根底から否定して、人間の意識を神の無限性の近くにまで高める力であり、ディオニュソス的祝祭のあの高揚した気分を支えている力であり、日常性の側から見れば犯罪的ともいえるような非理性の力なのである。」
原始社会の時間と狂気
「個別的自我が自然との和解において復帰する永遠の現在は、個別的自我の誕生以前には、つまり自然と自己との完全な一体性が保存されていた原始的な状態においては、人間にとっての唯一の「時間」であったはずである。そのような時間は、以前と以後の方向も、過去と未来の区別も、時間の不可逆性の観念も知らぬような時間、万物がいまあるままの姿で無限に反復される永劫回帰の純粋持続であっただろう。個人が自己の一回限りの生と死を集団全体の生と死から区別することを学び、名前と職分を与えられて個人間の差異が自覚されるようになったとき、そこに未来と過去の観念が生まれ、以前と以後との不可逆な方向づけが始まる。こうして時間は、こと的なありかたの透明な混沌から、もの的な対象性をもつ不透明な秩序体へと「進化」する。」
「今日われわれは、人類学者たちの報告によって、西欧型個人主義文明に汚染されていない自然の中に住む原住民たちの時間意識について多くの知識を所有している。それらの報告が異口同音に述べているのは、原住民の意識が現在の圧倒的な支配下にあるということである。例えば、真木悠介氏(『時間の比較社会学』、岩波書店)も紹介しているケニアのカムバ族出身の宗教学者J・S・ムビティによると、アフリカ原住民にとって存在する時間様態はスワヒリ語でいう「ササ」と「ザマニ」の二種類のみであるという(大森元吉訳『アフリカの宗教と哲学』、法政大学出版局、第三章)。「ササ」は「まさに起ころうとしていること、現に起こっていること、あるいはたった今経験ずみのこと」(同、23〜24頁)、換言すれば生きられる現在の持続の中で捉えられた事象に与えられる時間様態である。これに対して「ザマニ」は「無窮の過去」として「あらゆるものを溶かし吸収する大洋、万物の貯蔵倉」(同、24頁)であって、時間の一領域というよりはむしろ恒久的な実体的存在の領域とみなすべきものである。たとえば、死者は肉親や友人に記憶されているかぎり「ササ」にとどまるが、「知己の最後の一人が死んだときに……ザマニに入って完全な死者になる」(同、27頁)。」
「ムビティによれば、アフリカ原住民にとって「未来は時間として存在しない」し、「未来の事柄は経験できないから、意味を持たない。未来の不確かな事柄についてアフリカ人はどう考えてよいか判らないのである」(同、18頁)。そしてキリスト教宣教師の説教、ヨーロッパ式教育、現代工業の侵入が原因となって、アフリカ人は未来を発見し始めた」(同、29頁)のだという。」
「しかし、アフリカの原住民に未来を発見させた真の原因は、実はキリスト教でもヨーロッパ式教育でも現代工業でもなく、むしろそれらと共にこっそりと、しかし抗い難い汚染力でもって輸入された「個我の自覚」という「原罪」であったはずである。そしてそれと同時に、アフリカ人は未来ばかりではなく、現在完了的な時制において意識される過去としての既存性をも発見しているはずである。」
「一方、比較文化精神医学は、アフリカ原住民における癲癇の罹患率が異常な高頻度にのぼることを報告している。長年タンザニアの奥地で原住民の癲癇の治療に従事していたカナダのジレック夫妻の調査によると、自発的受診者だけでも人口の約二パーセントであったという。これは、日本や西欧諸国における癲癇の有病率が人口のほぼ〇・二〜〇・五パーセントと推定されているのと較べると、驚くべき数値だといわなくてはならない。もちろん一般的な栄養状態の悪さや脳内寄生虫が癲癇発作の原因となっている可能性も考慮に入れる必要はあるだろう。しかしそれにしても、この高い数値はやはりタンザニア原住民の発作親和性のかなりの高さを物語っていると考えてよい。」
「多くの研究者が「アフリカ原住民の分裂病」として報告している病像の記載を見ても、これと同じ方向の特徴がはっきり見出せる。それによると、文字を持たない原住民が示す病像は、不安、抑鬱または多弁多動の躁状態、挿間性の朦朧・錯乱・興奮状態、情動不穏、断片的で一貫性のない妄想や幻覚(特に幻視)、時間空間の認知障碍、速やかな回復と頻回の再発などを特徴としているという。これは要するにわが国や西欧諸国なら非定型精神病ないし錯乱性の躁鬱病とみなされるだろうような、意識の解体に基づくイントラ・フェストゥム的な病態であって、典型的な分裂病とはかなり相違している。そして、ランボの調査によると、都市地域に住んで文字を知っているアフリカ人には、むしろ西欧人の分裂病に近い病像が出現するという。」
「「月が出ると全アフリカが踊る」(真木悠介氏の前掲書、90頁)。アフリカ人のこの祝祭親和的、イントラ・フェストゥム的な意識構造が生み出すのは、われわれが「第三の狂気」としてまとめた一連の意識解体事象にほかならない。「文字を知っている」アフリカ人にのみ西欧型の(アンテ・フェストゥム的な)分裂病像が見られるということは、彼らが文字とともに自己の個別性を知り、未来の未知性を知ったからではないのだろうか。」
ここで漸く「祝祭の精神病理」の「紹介」が終わり、本書の主要部分をカバーしたことになります。この本はまだ「第三部 時間と自己――結びにかえて」と、やや長い「あとがき」へと続きますが、その部分は次に回すことにして、今回はこれで終えます。宗教を、より自由な観点から「研究」してみたいと考える私にとって、この本は重要な手がかりを提供してくれます。それが何を意味するかということは、特にこの「祝祭の精神病理」によって明らかになったと思います。それ以上の感想を書く必要を感じれば、次回に書くことにします。
『時間と自己』は漸くまとめの部分に入ります。その「書き写し」による私の学習もこれが最後になります。
第三部 時間と自己――結びにかえて
「第二部の三つの章で扱ってきた精神病は、それぞれ特徴的な形で時間と自己に関する異常を示していた。これらの「異常」を、精神病という特別な事態のために、健全な正常者にとってはまるで無縁な、新奇な現象が発生したものと考えるのは、いうまでもなく間違いである。精神病という事態は、多くの身体疾患とは違って、われわれのだれもが持っているそれ自体異常でもなんでもない存在の意味方向が、種々の事情によって全体の均衡を破って極端に偏った事態にすぎない。一応健全な社会生活を送っているように思っているわれわれのだれもが、その潜在的な可能性においては、分裂病にも鬱病にも、躁鬱病にも癲癇にもなりうるということなのである。」
「だから、これらの精神病に特徴的な時間や自己のありかたは、それが全体として均衡のとれた組合せを作っているかぎり、そこに健全な日常的意識が形成されているようなありかたなのだ、と考えてもよいだろう。もちろん、それらはものの部分のようにばらばらに切り離した上でもう一度寄せ集めて復原できるようなものではない。時間ということ、自己ということが有限な個人によって直接に生きられる仕方には、いくつかの決った方向のようなものを取り出すことができて、健全な人というのは、そのどれかの方向を際立たせることによっておのおのの個性を出しながら、潜在的にはそのすべての方向を生きる可能性を身に着けている人のことなのだ、というだけのことにすぎない。」
「自分が自分であるということ、私が私自身であるということは、おそらく人間存在のもっとも基本的な条件だろう。一方、人間を動物から区別する標識としては、いろいろなことが考えられるだろうけれども、言語の使用という点がなんといっても最大の標識となるだろう。自己ということと言語とのあいだには、なんらかの本質的な関係が存在するのだろうか。」
「動物界一般に広く認められる記号の使用と、人間的言語との違いは、記号がものを指示する機能しかもたないのに対して、言語は「ことば」としてことを表現しうるという点にある、と言ってよい。ある記号が餌の存在を指示し、別の記号が危険の存在を指示するという場合、そこで指示されるのは餌となるもの、危険なものそのものである。そこで餌があるということや危険が潜んでいるということが指示されているように考えるのは、人間が勝手に考えた擬人法的な思い込みにすぎない。これに対して、例えば「同じ」という言葉は、それがたとえ二つの同じものを思い浮かべるという廻り道を通るとはいえ、結局のところそれが表現しようとしているのはその二つが同じだということなのであって、なんらかのものではない。」
「しかし、第一部にも書いたように、ことはことばで言い表されたその瞬間に、もの的な表象による汚染を蒙らざるをえない宿命にある。あるいは、ことは言語化に伴う汚染を蒙ることなしには、こととして意識されえないのだと言うべきなのかもしれない。この場合、言語はかならずしも音声言語として発音される必要も、まして文字言語として書き記される必要もない。われわれの意識それ自体が、すでに徹頭徹尾言語的な構造をもっている。なにかを意識することは、それをことばで表現することと権利上完全に等価である。言語をもたぬ赤ん坊や動物にも意識という概念を用いようとするならば、われわれはこの語に別個の定義を用意してやらなくてはならないだろう。」
「このようにして、ことは勝義における人間的意識の正当な相関者である。言語的構造を与えられた人間的意識は、ことをものによって汚染することを通じてことを蘇生させる。ことは、サルトル風に言うならば、それ自身ではないものにおいてそれ自身であり、それ自身であることにおいてそれ自身でないものであるという点において「対自的」な構造を示す。そしてこの対自性は、ことがもともと人間的意識における自己のことにほかならないという素性を証している。」
「人間的意識において、ことが対自構造をもった自己として現れなくてはならないということは、人間存在の、そして人間的意識の有限性の徴候である。神のごとき無限の意識にとっては、ことはいっさいものに汚染されることなく、純粋無垢なことそれ自体として永遠に成立していることだろう。つまり、無限な存在にとってのことは、即自的なありかたをもっていることだろう。しかしそのような即自としてのことは、もはやこととすら言えないものでしかないだろう。」
「カントは人間理性の有限性を、その認識が対象によって感性的に触発されなければ成立しないという点に見出した。神にとっては、ものを認識することとものを存在せしめることとは同義である。神はその認識によってものを創造することができる。しかし人間の有限な認識は、対象から受容的に触発されることを通じてでなければ、対象を産出することができない。認識の作用それ自体は創造的であるけれども、それが実現するためには感性の受容性が必要である。」
「カントは、感性の受容性と悟性の自発性とを統一して認識を可能ならしめる「両者の共通の根」として、超越論的構想力というものを考えた。そして、ハイデッガーは彼の『カントと形而上学の問題』(木場深定訳、理想社)において、この超越論的構想力の内に、ほかならぬ時間の源泉を見出した。」
「ハイデッガーにとって、時間とは「自己が自己自身にかかわる」ということを可能ならしめるものである。神のごとき無限な存在にとっては、自己であるということがなんらの媒介も必要とせずにそのまま自己自身と合致しているのであろう。しかし人間の有限な自己にとっては、自己が自己でありうるためには、自己は自己自身とかかわらねばならず、自己自身によって触発されなくてはならない。こうして時間の本質は、経験に先立つ純粋な自己触発にある。「純粋自己触発としての時間が主観性の本質構造を形成する」。「時間は根源的に有限な自己性を形成するが、しかも自己が自己意識というようなものでありうるような仕方でこれを形成する」(同、205頁)。」
「人間の意識は、ものに汚染された形でしかことを意識することができない。しかも、このものは、みずからの手で汚染するところのことと別のものではありえない。このものは、ことと同じものでありながら、ことではないものである。「それがそれであらぬところのものであり、それであるところのものであらぬ」というサルトルの有名な対自の定義は、この同一の非同一、同じもののあいだの差異を指していると解してよい。ことがこと自身ではないものとして意識されることによってのみ、こと自身でありうるのは、人間の意識が自己自身による触発をまってはじめて自己自身にかかわりうるようになるからである。このようにして、人間がことの自己実現の媒体としてのことばを有するということと、人間が自己自身を意識しているということとは、結局は同じ一つのことに、つまりハイデッガーが存在論的差異と呼んだ一つの存在構造に帰着する。」
「ことばのはたらきを言語論的・記号論的に考察することを通じて、自己の自己性と時間の問題に迫ろうとしたのは、ジャック・デリダである。」
「デリダは、一切の物質的記号(音声や文字)の指標作用による汚染から免れて、純粋な意味作用の透明な表現が可能となっているように思われる事態として、独りごとのモデルをフッサールの『論理学研究』から借りてくる(高橋允昭訳『声と現象学』、理想社)。自分の話す言葉を自分自身が聞くというこの事態においては、「主観は、自己の外を経る必要もなしに、自己の表現活動によって直接に触発される」(同、144頁)。「私の気息と意味作用とによって賦活された能記は、絶対的に私の近くにある」(同、147頁)。「このような自己‐触発は、いわゆる主観性もしくは対自の可能性」(同、150頁)であるが故に、「声は意識である」(同、151頁)。」
「しかし、この「自己への現前」は、分割不可能ないまとしての現在において起るのでなければ、純粋な「自己への現前」とはいえない。ところが「知覚された現在の現在性がそのようなものとして〔現在性として〕現われうるのは、それが或る非‐現在性および非‐知覚、つまり第一次記憶および第一次予期(過去把持および未来把持)と連続的に妥協するかぎりにおいてにほかならない」(同、121頁)。こうして「ひとは瞬間の自己同一性のなかに他のものを迎え入れることになる。……このような他性こそは、……現前作用の、したがって表象一般の、条件でさえある」(同、123頁)。」
「デリダにとって、独りごとにおいて「自分が自分の話すのを聞く」という現象は、「自分が自分自身を意識する」ことの、つまり自己への現前としての自己意識一般のモデルの役を果している。この純粋な自己触発の行われる分割不能ないまの瞬間は、「或る非‐現在性」、「或る他性」との「或る純粋な差異」によって根源的に分割されている。この「純粋な差異」のことを、デリダは「差異」と「時間的遅延」の二重の意味をもつ「差延」(アクサンを入力できないので、念のため英語で表記すれば、difference→differance)いう新造語で表記する。」
「差延のこの動きは、超越論的主観にあとから到来するのではない。差延のこの動きが超越論的主観を生じさせるのである。自己‐触発とは、すでに自分自身であるような存在者を特徴づける経験様態であるのではない。自己‐触発は、自己との差異における〈自己への関係〉としての同じものを、非‐同一的なものとしての同じものを、生み出すのである」(同、156頁)。
「自己触発によって自己が自己となるいまの瞬間が、ひとつのいまでありうるためには、いまはもうひとつの別のいまの中に自らを把持しなければならず、ひとつの新しい根源的な顕在性/アクチュアリティ――このアクチュアリティにおいて、当のいまは過ぎ去ったいまとしての非‐いまとなる――によってそれ自身を触発しなくてはならない。こうして「生ける現在は、自己との非‐同一性と過去把持的痕跡の可能性とから湧出する。生ける現在は、つねにすでにひとつの痕跡である」(同、159頁)。」
「自己が自己自身でありうる可能性の条件を、自己が将来的に自己自身へと到来することとしての自己触発に見たハイデッガーと、自己を過去把持的に痕跡として保持することとしての自己触発に見たデリダとの、この興味深い対比について論じることは、本書の範囲を越える作業であろう。しかし、われわれがここでどうしても問うておかなくてはならないのは、将来からの到来でもなく、過去の痕跡でもないような、時間以前の自己とでもいうべきものは果たして存在しないのであろうか、という問題である。自己ということばを個々の有限な私自身のためにのみ用いることにするならば、ハイデッガーやデリダが考えたように、自己の誕生と時間の誕生とは厳密に同時的であろう。そのような自己は、それが生み出されたその瞬間において、いままでといまから、以前と以後、過去と未来に引き裂かれている。しかし、それ以前の自己、生まれてくるよりも前の自己、禅でいう「父母未生以前」の自己といったものは、どうなっているのか。」
「そのような自己以前の自己を、自己と言うことはできないだろう。ことばで言えば、すでに自己は自己として限定され、自己への到来としてであれ、自己の痕跡としてであれ、時間を流れはじめさせてしまうだろう。禅は「不立文字」ということを言う。しかし、不立文字とは無意識ということではない。文字を立てない意識、自己とは言わない意識において、自己や時間はどのようなありかたを示すのであろうか。」
「このような原自己や原時間が見えるようになるためには、日常の自己意識や時間意識が破られて、現在が未来や過去とのつながりを失い、純粋な現在それ自身として出てこなくてはならない。もちろん、われわれは有限な生の相にとどまるかぎり、この永遠の現在に安住することはできない。それはわれわれにとって死を意味することになるだろう。しかしそれでも、われわれは元来はこの死から生まれ出てきた存在なのである。生への限定は、本来不自由で不如意な拘束にほかならないのであって、生としての日常性は、それ自身の制縛からの解放感を味わうために、自らの中にときどき自分自身の故郷である死への通路を開こうとする。日常性の厳しい監視の眼をかすめて、生はひそかに解放の祝祭に酔いしれようとする。仔細に見れば、われわれの日常性は大小のこのような祝祭によって、いわば穴だらけになっているのではないのだろうか。仕事のあとの一服の煙草が、音楽に心を奪われているひとときが、見知らぬ土地への旅情が、すでに日常性の中にまぎれこんだ祝祭的な非日常の性格をおびている。そこにはすくなくとも暗示的な形で永遠の現在が姿を現しているのではなかろうか。」
「デリダは、自己への根源的な現前の根底には、より根源的な非現前としての痕跡があり、この痕跡のために生じた時間的なずれとしての差延が現在を派生させるのだという構想に執拗に固執する。しかしこの構想は、究極のところ個別的生の有限性という制約を脱しきってはいないのではないだろうか。祝祭の瞬間においては、痕跡にひきずられない現前、差延を絶対的に免れた現在の自己が忽然と出現しうるのではないだろうか。」
「われわれが癲癇発作や躁病においてその正体を見きわめようとした永遠の現在は、そのような無痕跡、無差延の自己であったはずである。そこではまだ時間の推移は生じていない。しかしこの時間の死は、そこから生きた時間が生まれてくる真の源泉でもあるだろう。そして、どのような時間がそこから生まれてくるにせよ、この源泉としての永遠の現在は、つねに時間の根底にとどまっていて、われわれにいまの拡がりと自己の持続とを保障してくれるのである。」
「しかし、われわれ文明社会に住む人間は、すでにこの楽園から追放されたアダムとイヴの子孫である。原罪とともに時間が流れはじめ、人は個我としての自己を意識しなくてはならなくなる。自己自身の死が自己の存在の終結を限定し、他者の存在が自己の世界の外部境界を限定する。自己はあるがままのありかたでおのずから自己自身ではありえなくなる。自己が自己自身でありうるためには、自己はそのつどみずから自己自身にならねばならなくなる。自己は、自己自身となりうる可能性を、そのつどの未来から、そのつど出会う他者とのあいだから獲得しなくてはならなくなる。いままでに自己であった自己は、痕跡としていまの根底にまで伸びてきてはいるだろう。しかし、この痕跡がいまもなお他ならぬ自己の痕跡でありうるためには、自己はそのつどのいまにおいて新たに自己の相において自己自身へと現前し続けなくてはならない。そして、未知のいまからが自己の相のもとにいまの現前へと到来するという保証は、本来どこにもないのである。」
「この保証のなさが、分裂病者に課せられたいっさいの苦痛の根源だといってもよいだろう。分裂病という精神病理的事態の成立と、未来という時間様態の発生と、個別的自己の自覚とは、すべて同時的で等根源的な現象である。自己が他者から区別され、いまがいままでといまからの両方向へと引き裂かれ、不可逆的な時間の推移が意識されるのと同時に、分裂病という事態の発生が可能となる。ハイデッガーやデリダの見ている時間は、分裂病の時代の時間にほかならない。」
「しかし、人間の原始的自然状態からの疎外の過程は、個我の意識の成立によって完結するものではない。個人はみずからの個別的な生をより安全なものとし、より快適なものとするために、身近な他者との協調と分業を求めるようになる。その原型は、おそらく動物の分業にも見られるような本能的なものであったのだろう。しかし人間の場合には、動物には見られない意識的な役割分担の行為が認められる。この役割意識は、ときには個別的自己の論理や倫理と対立し、これを止揚するような強大な自律性を獲得することにもなるだろう。こうして第二段の自己疎外が、その論理と倫理を手に入れる。共同体内の役割同一性が、個別的自己の自己性にとって代って、個人の意識や行動の主導的原理となる。それぞれのいまは、もはや個々の自己の一面的な自己実現の場にはとどまらず、共同体成員全員の分業化された共同作業が遂行される公共の場となる。いままでの蓄積が慣習として制度化され、いまからの予定が共同体の合意のもとにプログラムされる。時間の流れは均質化され、標準化され、目盛りの可能な量となる。こうして、時計とカレンダーが時間の運搬者となる。」
「役割同一性の危機から発生する鬱病は、時計的時間、制度的時間と同時に人間社会の中にはいり込んできたものと考えてよいだろう。もちろん、憂鬱な気分が、ということではない。すでに書いておいたように、憂鬱さと鬱病とのあいだにはほとんど本質的な関連がない。憂鬱がではなくて、単極型鬱病という明確に定義可能な病的事態とその本質構造である旧状回復不能感とが、いまの共同体的・役割的な制度化に伴って成立可能になったのである。将来からやって来て過去へと流れ去るもの、所有したり消費したりしうるもの、他人に貸したり与えたりしうるものとしての数量的な時間は、鬱病の時代の申し子であると言えるのではないだろうか。」
「時間は、それとともにまた過去、現在、未来というような時間の諸様態は、これまであまりにも普遍的な概念として語られすぎてきたように思う。すべての人、すべての時代、すべての世界においてひとしく真でありうるような時間概念などというものは、もともとありえないのではなかろうか。時間とは何かという単純な問いが、そもそも不可能な問いだったのではあるまいか。時間ということと自己ということとが、本来切り離すことのできない一つの事態に属しているとするならば、自己が自己自身であるということの意味がその人の生きかたによって異なるのに従って、時間の意味も違ってくるのに違いない。さまざまな精神病理現象を、自己の病理であると同時に時間の病理でもあるような事態と見ることによって、時間という問題に対する新しい観点が開けるのではないかと思われるのは、そのためである。」
あとがき
「時間とはなんだろう、という疑問を、私はどうやら随分前から心の片隅に抱いていたのだと思う。『分裂病の現象学』の序論にも書いたことだが、学生時代から音楽の中に、そして詩の中にも時間を聴きとっていて、それをなんとなく自分の存在感のようなものと結びつけて感じていた。もとろんそのころは、まだそれをきちんとした問いの形で表現することはできなかったけれども、時間という問題が私の頭から離れなかったことは確かである。」
「精神科に入ってビンスヴァンガーの勉強をはじめ、ある程度哲学書を読むようになってから、時間を非連続の連続とみる西田幾多郎の思索と、存在の意味は時間であるというハイデッガーの考えとが、私自身の経験にもっとも近いように思われた。」
「精神科医になって最初に書いた離人症の論文で、私ははじめて時間と自己との関係について多少まとまった考えを持つようになった。時間が時間として流れているという感じと、自分が自分として存在しているという感じとは、実は同じ一つのことなのだと私に明確に意識させてくれたのは、この論文で扱った一人の女性患者だった。私はいまでもこの女性に深い感謝の気持をいだいている。」
「その後はしばらく鬱病者の罪責体験の仕事をしていたが、「すまない」、「とりかえしのつかないことをしてしまった」という患者の自責感について私なりに考えていた「現在完了の未済」とでもいうべき時間様態と、ちょうどそのころ識り合ったテレンバッハ氏が「自分自身の背後に取り残される」という形でまとめた鬱病者のレマネンツ構造とが同じ事態を指していることがわかって、精神病の時間構造を考えて行く上での一つの道が拓かれたように感じた。しかし、それだけのことならば、ゲープザッテル、シュトラウス、ミンコフスキーなどが昔から書いている鬱病者の時間構造から一歩も出るものではない。鬱病の時間論を私なりに仕上げるためには、鬱病とはあらゆる点で異なった人間的現実を基盤にして出現する分裂病についても時間構造の特性を発見して、これを鬱病の時間構造と対比する必要があった。」
「ところが、すべての分裂病者に共通の特徴的な時間構造を見出すという仕事は、それほど容易なことではなかった。ミンコフスキーやビンスヴァンガーをはじめ、多くの精神病理学者が分裂病の時間性について論じてきたけれども、そのどれひとつとして、私が実際に識っている多数の分裂病者から、私が直観的に感じとっていた印象を、ぴったりと言いあてているものはなかった。この不満は、従来の時間論が分裂病者の発病後に示す病的症状についての時間論であっても、それらの症状の背後にあって真に分裂病の特異性を示している基礎構造の時間論にはなっていないところから来ているように、私には思われた。」
「私にとって分裂病の基礎構造というのは、最初から、自己の個別的自己性の成立にかかわる問題であった。このような基礎構造は、そのままの形では症状に現れてこない。それは、精神病の症状というものがそのまま病気の外部への現れなのではなくて、患者の自己が不可視の病気と対決している姿の表現だからである。つまり症状とは、危機的な事態に対して患者が能動的に示す一つの応答にほかならないからである。」
「このような眼で見ると、分裂病性の基礎的事態に対する応答としては、臨床的な分裂病症状だけが唯一のものではないということになってくる。社会的にもっと有効な、あるいはすくなくとも無効ではない応答というものもありうるのであって、それは例えば詩人や芸術家、科学者などのような天才人たちのうちにも、私たちの周囲のいわゆる分裂気質者のうちにも見出せるような生きかたである。」
「分裂病の患者からそういった健常な分裂病親和者へと眼を広げるうちに、私はひとつのことに気がついた。それは、彼らの意識や行動が不釣合いに未来志向的だということである。苦境に立ったとき、彼らはきまって未来へ向って走ろうとする。どんな場合にも、いつも「次の一手」を探している。二手も三手も先を読もうとする。鬱病親和的な人もそれなりに将来を気遣って取り越し苦労をするけれども、分裂病親和的な人の先走りはそれとはどこか本質的に違っている。鬱病圏の人が現状を維持するために先を見ようとするのだとすれば、分裂病圏の人は現状から逃れるために先に走ろうとするのだといってよい。」
「私は、この一点にこそ分裂病者の時間構造の特徴があるのだと思った。たまたま読んでいたガベルの本に出てくる「アンテ・フェストゥム」という言葉が、この未来先取的な意識構造を表すのに恰好の表現のように思われた。そうすると、鬱病者の意識構造はその対語である「ポスト・フェストゥム」という表現で言えることになる。日本人のくせに、欧米の精神医学にも採用されていない術後を横文字で作ることには気恥ずかしさがあったが、あまりにも誤解を招きやすい「未来志向」、「過去志向」などの表現よりは使いやすいと考えたのである。」
「ところで、私が精神病理学的に関心を向けているのは、分裂病や鬱病だけではない。ずっと若いころに非定型精神病の脳波に現れる癲癇性の変化を調べていたときから、癲癇においてもっとも劇的に現れるような意識の不連続性が、多くの精神病の重要な構成契機になっているのではないかと思っていたし、この問題をつきつめるためには、まず癲癇そのものの構造を知らねばならないと考えていた。」
「従来、癲癇患者の精神構造を人間学的に考えて行くための手懸りになるような、まとまった性格構造としては、「類癲癇性格/エピレプトイード」というかなり偏った性格類型しか整理されていなかった。そこへ、やはり私が親交をもっているドイツのヤンツという癲癇学者が「覚醒癲癇型」という斬新な性格論を提出してくれて、私の考えは大きく広がった。この覚醒癲癇型の性格類型は、非定型精神病や両極型の躁鬱病など、意識の連続性の変動を特徴とする多くの精神病の患者に見られる性格的特徴と、本質的に近縁のものであることがすぐに見てとれたからである。」
「覚醒癲癇型の性格を基本において癲癇の患者を見て行くうちに、私は彼らの存在構造においてもっとも重要な時間契機が現在の一瞬であるということに気づくようになった。それと同時に、この現在の一瞬こそは、人間が永遠の死と真正面から向き合って存在の充溢を生きる輝かしい瞬間のことではないのか、とも考えるようになった。」
「若いころに京大の辻村公一教授の指導でハイデッガーを読んでいたころ、辻村さんがふと洩らされた「ハイデッガーと西田先生との違いは、ハイデッガーでは将来が中心になるのに西田先生では現在が中心になることだ」という言葉が、その後もずっと私の心を離れなかったが、癲癇に関係して「現在」という時間のことを考えているうちに、禅の考えはずいぶん癲癇的だと思うようになった。大疑現前から百尺竿頭一歩を進めて、大死一番乾坤新たなりという境地で父母未生以前の自己に出遭うなどという構造は、癲癇的な現在の生きかた以外では不可能である。」
「私は、このような意識構造のありかたを「イントラ・フェストゥム」と呼ぶことにした。この表現は、それまでに思いついていた「アンテ・フェストゥム」、「ポスト・フェストゥム」と揃えるために私自身が作り出した用語であるけれども、「祭のさなか」などという意味をもつこの用語を作った気持の背後には、どこか癲癇発作を一種の祝祭として見ようという考えが隠れていた。」
「私は専門外の本をあまり読まない方なので、文化人類学のことについてもまったく無知だけれども、それでも現在の文化人類学において、山口昌男氏らを中心として祝祭論が一つの大きなテーマになっていることぐらいは知っていた。それだけに、門外漢で知識のない私が祝祭のことで意見を述べるのは大それたことのように思われたが、精神科医というものは何事にも厚かましく口出しをするものだという、考えてみれば不名誉な既成観念を隠れ蓑にして、祝祭論としての癲癇論といったものを構想してみることにした。死を祝祭の不可欠の構成契機として考えるという最近の祝祭論の考えからが、私を力づけてくれたのだと思う。」
「私はつねづね、人間に関するいかなる思索も、死を真正面から見つめたものでなければ、生きた現実を捉えた思索にはなりえないのではないかと思っている。もちろん、この死というのは個人個人の有限な生と相対的に考えられた、個別的生の終焉としての死のことではない。生の源泉としての死、生が一定の軌跡を描いたのちに再びそこへ戻って行く故郷としての死、私たちの生にこれほとまでの輝かしさと、同時にまたこれほどまでの陰惨さを与えている包括者としての死のことである。私たちの生は、その一刻一刻がすべて、この大いなる死との絶えまない関わりとして生きられているのであろう。」
「私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか。夢を見ている人が夢の中でときどきわれに返るように、私たちも人生の真只中で、ときとしてふとこの「だれか」に返ることができるのではないか。このような実感を抱いたことのある人は、おそらく私だけではないだろう。」
「夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じとっているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、去年と今年のあいだ、そういった「時と時のあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい。そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれか」が夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の主は、死という名をもっているのではないのか。」
「私たちが科学的真理とみなしているものも、合理的思考と呼んでいるものも、こう思えばすべて夢の中の迷妄にすぎないことになる。私たちが時間とか自己とかの名で語っているものも、夢の中以外にはどこを探しても存在しないまぼろしではないのだろうか。」
「しかし、たとえはかない夢でであってもまぼろしであっても、私たちはいったんこの「だれか」の夢に登場してしまった以上は、この夢の中で生き続けなくてはならないのだろう。そのためには夢の中の論理をも求めなくてはならないのだろう。ただ、私たちが普段確かな現実だと思いこんでいるこの人生をひとつの夢として夢見ているような、もうひとつ高次の現実が私たちのすぐ傍らに存在しているらしいということだけは、真理に対して謙虚であるためにも、ぜひとも知っておかなくてはならないように思う。」
ここで私の「書き写し」の作業は終わります。著者は1931年生まれで、この本を書いた当時は名古屋市立大学医学部教授でした。その後、母校の京都大学医学部に転出しています。著者の思想は、その「あいだ」の考えに見られるように、広い意味での「京都学派」の伝統に属しているように思われます。
先に「三相の自己」の項で、私は「自己の述語作用」という著者の言い方がもう一つ釈然としないと書きました。実は、著者の「こととものとの存在論的差異」という肝心な点についても、やはり同様の感をもちます。廣松渉の本などを読んで、さらに勉強を進めたいと考えています。今言えることは、意識は必ず何かについての意識であると言われるように、意識には志向作用(志向すること)と志向対象(志向されるもの)との二面性があって、それは記号(言語)のシニフィアン(意味すること)とシニフィエ(意味されるもの)とが不可分・不可同の関係にあることと密接に関連しているであろうということ、そして著者が「こと」というときには、どうやらこの意識の志向作用のことを言っているのではないのかという、おぼろげな感想を持ったということだけです。
ついでに言っておきたいのは、哲学史の上では、意識の志向作用には第一志向(intentio prima)と第二志向(intentio secunda)の区別があって、意識は第二志向として自己再帰的な働きを持つ(反省能力を持つ)ということが、自己の自己性に関わっているであろうということです。ショーペンハウアー流に言えば、「意志」と「表象」ということになります。しかしその機制がなぜ「自我同一性」を保証するのかという点に関しては、私も確かなことは何も言えません。精神分裂病(統合失調症)はどうやらこの自己再帰的機能に関わる病相ではないのかと言いうるだけです。
なお現象学的時間論においては、たとえば宇宙の誕生時におけるビッグ・バーンとか、恐竜が棲息していた時代とか、豊臣秀吉が天下を取った時代とか、私たちが客観的に実在したと見なしている過去の歴史(客観的な時間の流れ)が不問に付されています。私たちによって「生きられる時間」へと時間を還元するということと、科学的に測定、計量される時間とがどのように関わるのかという難しい問題がそこから生じてきます。著者は科学的な「時間の計測」について論じていますが、その点についてはなお熟考を要します。
このような留保をつけた上で、なお、この本が極めて独創的で、かつ示唆的であるということは、大方の読者が認めるところではないかと思います。著者が、哲学と医学という二つの領域にまたがって、いわばインターディシプリナリーに、二つの学問の「あいだ」で、誠実に思索し、また理論と臨床の「あいだ」で、整合性のある認識を獲得しようとして、貴重な成果を上げたことは誰しも認めるところであろうと思います。
この本の紹介の最初に述べたように、大貫隆が「イエスの時」、あるいは「パウロの時」を解明しようと試みたことと、この本に書かれていることとは通底するものがあるのではないかと、私は考えています。大貫の言う「全時的今」と、著者がルソーや、著者が診察した癲癇患者に事寄せて論じた、現在と過去との二重化、あるいは現在と未来との二重化ということは、本質的に関連する事柄なのではないかと思われます。著者はそこで「(それらの二重化においては)イントラ・フェストゥム的な意識における現在は、客観的時間軸上の過去や未来をも一挙に現在の直接的現前にひきずり込むという強大な吸引力をもっている。一切の時間様態を現在に変えるこの大きな力と、無限に拡大した自己を全宇宙の中心に据える力とは、同じ一つの力であるに違いない」と書いています。それこそは「全時的今」の出現であると言えるのではないでしょうか。
\ 山之内靖著『受苦者のまなざし 初期マルクス再興』(青土社、2004年)
かつてこの著者の『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書、1997年)を読み、感心したことがあります。この『受苦者のまなざし』では、「序章 マルクス主義以後のマルクス」の「三 残された問題 『受苦者の連帯』からコミュニティの再構築へ」で「場所」の問題が取り上げられていますので、その部分を簡単に紹介したいと思います。なおこの本の最後には、「ベンヤミンの『思想的遺書』と俗流マルクス主義批判」として、ベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」が取り上げられています。これは大貫隆の『イエスの時』に書かれているベンヤミン論とも重なるものがあるので、本題から外れますが、先ずその触りの部分(本書の最後の部分)を引用して見たいと思います。
「『歴史哲学テーゼ』のベンヤミンは、明らかに『ゴータ綱領』をめぐるマルクスの批判的評註を念頭において語っている。この批判的評註を基準として『俗流マルクス主義』と対峙している。ベンヤミンは、危機の時代に『瞬間的』に姿を現わす歴史的リアリティに注目するよう呼びかけた。その『瞬間』において構造を顕在化する『モナド的結晶』を捉えなければならない、と主張した。しかし、その『瞬間』に姿を現わす『構成的原理』は、同時に、地球における全生命系の時間という超人類史的観点と連なっていたという点で『メシア的な時間のモデル』と重なるものであった。この神秘主義的な響きをともなう『瞬間』と『永遠』のつながり――その『モナド的結晶』――において語られたのは、十七世紀いらい支配的であり続けた『世界像』の転換を求める声であった。そこで響いているのは、十七世紀に始まる近代という時代そのものの終焉を告げる音曲であった。
ベンヤミンにおける『俗流マルクス主義批判』は、マルクス主義内部の論争という形式をまとっているが、実のところ、そうした狭い形式性をはるかに超える射程を示していた。それは、『近代に成立した世界像』全体に対して終焉を告げる告別の言葉であった。それは、『新たな世界像』の構築が不可避であることを知らせる呼びかけの言葉であった。そこでは、『労働』すなわち『私的所有の主体的本質』を廃絶し、自然が宿している本源的な存在性を感じうる『まなざし』の回復が課題として提示されていた。ベンヤミンの『思想的遺書』は、まさしく、第三草稿(引用者注:『経済学・哲学草稿』第三草稿のこと)にみられるマルクスの着想に接するものだったのであり、『受苦者のまなざし』の復元を要請するものであった。
ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』は『科学的世界像』の更新を求める『宗教改革』の松明だったのである。」
さて、そこで「場所」の問題に戻ります。著者は次のように書いています。
〈人々の日常生活に直接かかわるローカルなコミュニティについて、私は研究仲間である伊豫谷登士翁、成田龍一両氏との間で「場所の再定義をめぐって」と題して検討を加える機会をもった(『再魔術化する世界』第二部、御茶の水書房、2004年)。そこでは、社会科学だけではなく歴史学においても、「場所」の問題が検討課題として新たに登場しつつあることが確認された。「場所」といった場合、そこで念頭に浮かぶのは、家族であり、地域コミュニティであり、国家であったりする。また、友人関係や教師と学生の関係、あるいは大人と子供の関係にみられる特有の相互了解の型であったりする。そうしたさまざまなケースのいずれにおいても、現代社会では「場所」性の著しい変形が生じており、場合によっては「場所」感覚そのものの消失をともなったりする。
とりわけネグリとハートの〈帝国〉について感じたことであるが、グローバリゼーションの時代がもたらすあらゆるものの流動化――資本であれ、労働主体であれ、知識の担い手であれ、あるいは情報資源や文化資源であれ、その流動化――を強調し、マルチチュードの名においてローカルな領域にかかわる諸問題をネガティヴに捉える観点が目立ってきていることに対しては、同意しかねるものを感じた。グローバリゼーションの時代においても、いや、グローバリゼーションの時代であるからこそ、あらためて自然環境に根ざした社会関係、自然環境に根ざした文化的アイデンティティの重要性に注目する必要があるのではなかろうか。
この点についての私の関心は、『再魔術化する世界』第二部の討議を終えた後になってますます強まっていった。そこには教育学者が記した一つのレポートが介在している。私は長年にわたる友人である井上吉保から小沢牧子「『居場所』の現在について考える」(『社会臨床雑誌』第一一巻第三号、二〇〇四年三月)の存在を知らされ、早速その内容を熟読したのであるが、そこで記されている問題は私の心をゆさぶるものがあった。
小沢の論文は、現在、かなりの子供たちが学校に行かない登校拒否児童となっていること、この問題を扱っている。一九八〇年代を見ると、文部省のこの問題に対する態度は、一方的に親が悪いと決めつけるものであった。しかし、一九九〇年代ともなると、もう、親が悪いとはとてもいえないほど多くの児童が学校に行かなくなっている。いや、行けなくなっている、といったほうが良いのかもしれない。文部省の冷たい態度もあって、親たちは不登校の子供たちを集めて自主的な「居場所」のセンターを作るほかなかった。小沢がこう言っているのは印象深い。「居場所性とは、人の集まるところどこにでも雑草のように自然発生する関係性」のことである。不登校の児童たちは、また、不登校の子供を抱えて途方に暮れた親たちは、やがて自然発生的に自分たちだけで運営する非公式の「居場所」を作るようになっていった。
小沢が紹介しているのは、このまことに苦しい選択が、結果として「反管理の場としての『居場所』」といってもよいある種の解放空間を形成するケースがでてきた、ということである。そこからは「管理社会を支える専門家の論理と役割への疑義」というべき観念が芽生え始めたのである。そして第二に、さすがに文部行政当局も、この不登校児童の数の異常な増大を前にして親が悪いという決め付けでは済まされないことに気づき始めたという状況が登場する。こうなってくると、あらたな問題が発生してくる。文部省認可の専門資格をもった教師だけが担ってきた領域の外側で、まったくの素人である親たちが「反管理の場」として営み始めた空間に、再び「管理の場」としての性格が導入されることとなった。こうして本来ならば制度外であるはずの「居場所センター」は、全面的ではないにせよ、再度、制度化の方向に向かうこととなった。
小沢は次のような言葉をもって論文を閉じている。「地域管理がいっそう進行し、人間関係の領域で誰もが何らかの資格の階段を昇ることが奨励されるいま、平地に足場を徹して暮らすただのおばさん力おじさん力について、ことさら自覚的に考えることが必要だと私は思う」。「素手のまま関係のなかで生きるおとなたちが、網の目のようにつながる力。その力と中身がわたしたちにいっそう強く問われる時代が、これからやってくる」。
マルチチュードがあらたな社会的主体として活動する時代がやってきた、といわれる。しかし、そのマルチチュードも、自由に移動するように見えたとしてもそれだけで済ますことはできない。とりわけ、自分だけでなく、子供たちが育っていく「居場所」については「網の目のようにつながる力」とそれを支えとする連帯が不可欠であろう。そのことを十分に考慮しないままマルチチュードの論理だけを振りかざすのはやめてもらいたい。ローカルなコミュニティの必要性は、グローバリゼーションが進行するにつれてかえって深刻な問題となって浮上してくる。とりわけ、外国からの移民労働者が増大していく過程では、彼らを受け入れる地域コミュニティの側での協力や援助が不可欠であるだろう。〉
ここから著者はヴェーバー宗教社会学における「苦難の神義論」と、初期マルクスの『経済学・哲学草稿』第三草稿とは、「人間存在の『受苦』的本質を避けることなく直視する視点に立ち、ここから学的認識を構築しようとする点で、通じ合う側面があった」ということを論じ、「受苦者の連帯」という立場を表明します。そして言います。
〈小沢が「『居場所』の現在について考える」で提起している問題も、この「受苦者の連帯」の一環であることは間違いない。そこでは、児童が公共機関によって提供される初等教育の「場所」に違和感を覚えるという「苦難」が考察の対象とされている。この予想を超えた「苦難」と取り組むなかで、「自然発生的な」関係性として「居場所」づくりが始められる。この新たな空間は、意図せずして「管理社会を支える専門家の論理と役割への疑義」を発生させ、ここから地域コミュニティの新たな役割と可能性を模索する運動が展開してゆく。このような可能性を視野に入れることなしには、「マルチチュードの文法」も具体性を欠くことになるだろう。ヴィルノがいう「哲学的人類学の理論」のなかには、そうした「受苦者の存在論」へとつながってゆく「まなざし」が読み取れる。〉
この考察の最後に著者は、社会学者のジェラード・デランティの『コミュニティ』という論文の次のような問題提起を取り上げます。
「現代社会は所属を求める傾向を次第に増大させ強化させてきた。そして、所属に関する新たな道を数多く生み出した。こうした所属の方法は、それらがますます対話的構成要素(communicative component)への傾斜を強めているという点で、過去に存在した集団的絆とは異なっている。個人は唯一のコミュニティに結び付けられているのではなく、数多くの、そして重複する絆を持っている。グループに加入したり脱退したりする可能性は増えており、グループは永続性をもたなくなっている。さらに決定的なのは、新たな社会的絆がその規模においてますますグローバルになっていることである。この原因は、メディアや間接的な社会関係によって媒介される機会が増大していることによっている。今日のコミュニティはネットワーク的であり抽象的であって、可視性や結束という点では希薄である。その結果、固定的な参照ポイントに依拠してシンボリックに形成されたリアリティというものではなく、むしろ、想像のなかの条件に依拠するものとなっている」。
そして次のように締めくくります。
〈デランティによれば、現代のコミュニティは想像されたキャパシティに依拠しているという点で、リアリティ(現実)というよりはヴァーチャリティ(仮想現実)にほかならない。この分析は考えさせるところが大きい。たしかにデランティの描き出す状況は、現代に見られるコミュニティ的活動の言語依存性(=対話的構成要素)を捉えていて、無視することはできない。しかし、このデランティの分析には、先に検討した小沢のレポートが伝えるような、関係者たちを襲った「苦難」とそのリアリティに関する「まなざし」が欠落しているのではなかろうか。現代社会においても、「苦難」はさまざまな形をとって、予想もされない条件を通して出現する。そうした新しい「苦難」の経験は、単に言語的コミュニケーションとして対話のなかで交わされるだけではなく、現代に生きる人々の日常生活のなかで現われる。そうした「苦難」の経験を共有しようとする真剣な取り組みこそが、現代においても、コミュニティの形成――あるいは再形成――を促す基本条件なのではなかろうか。
デランティのこの分析は、いささか過度に過去のコミュニティと現代のコミュニティの二元的対立を描き出しているのではなかろうか。しかし、デランティも最後の部分では現代のコミュニティも「想像されたものだからといって、リアルでないとは言えない」と議論を反転させている。「われわれはリアルなコミュニティと想像されたコミュニティの区分を放棄しなければならない」。なぜならば、「脱伝統的なコミュニティの新たな表現である仮想現実性、ニュー・エイジ・コミュニティ、ゲイ・コミュニティ、民族的ないしエスニックなコミュニティ、宗教的コミュニティ」も、それなりに「リアリティを創造する力」であるのだから。そういいながらも、そうした現代の「脱伝統的な」コミュニティは「地域に根ざすコミュニティ(territorial kinds of community)」ではあり得ない、とデランティは主張している。というのも、これらの新しいコミュニティは「所属に関する希求以外のものではなく、何らかの意味で場所(place)の代替物となることは、これまでのところ、あり得なかった」からである。
ここから次の問いが出される。「コミュニティは場所とのかかわりを構築することができるのか、あるいは想像された条件としてとどまり続けるのか。この点が、今後のコミュニティ研究における主要な論点となるであろう」。デランティの著作によっても、われわれは「場所の再定義」という課題が現代の社会科学や歴史学にとって見落とすことのできない新たな研究のポイントとなっていることを確認できるのである。〉
デランティの言う「場所」が何を意味するかということについては、著者の引用するところだけではなお不明な点があります。しかし社会科学においても「場所の再定義」が課題となっているという指摘には興味を覚えます。「場所」を多面的に探究していくことは、私自身の課題でもあるからです。
] J.M.ソスキース著『メタファーと宗教言語』(小松加代子訳、玉川大学出版部、1992年)
目下、「『基督教の哲学的理解』について」の項目で、中村獅雄の本の紹介を続けています。その理由は内容が極めて独創的であって、著者と同じくかつてはキリスト教哲学の研究を志し、今なお宗教についての批判的研究の必要を感じている私にとって、なお検討に値するものと感じられたからです。しかし事柄をメタファー(隠喩)と宗教ということに限定して言えば、今日では秀れた本が何冊も存在するのではないかと思います。
私の目に入ったものだけでも、ノーマン・ペリン著『新約聖書における象徴と隠喩』(高橋敬基訳、教文館、1981年)、J.M.ソスキース著『メタファーと宗教言語』(小松加代子訳、玉川大学出版部、1992年)、ポール・リクール著『聖書解釈学』(久米博・佐々木啓訳、ヨルダン社、1995年)などがあります。
どれも秀れた本ですが、特にソスキースの本は興味深いものがあります。ここでは、中村獅雄の本の紹介で私が書いたことを訂正/再考する意味でも、ソスキースが「類比」について取り上げているところを引用して見たいと思います。しかしその前に著者について簡単に紹介し、また内容紹介のために目次を掲げたいと思います。
著者ジャネット・マーチン・ソスキースは、訳者あとがきによると、1951年にカナダに生まれ、アメリカのコーネル大学で英語と哲学を専攻しました。同大学で、ノーマン・マルコムとマックス・ブラックの指導を受け、ウィトゲンシュタイン、言語哲学、そしてメタファーへの関心を育まれたということです。その後イギリスのシェフィールド大学で修士号を、オックスフォード大学で博士号を取得しました。この訳書の出版当時はケンブリッジ大学神学部の教授でした。学生時代に日本の短歌と初めて出会い、この本の中のアイデアのいくつかは、そのときに浮かんだものだそうです。日本語版へのまえがきや本文にも短歌などがいくつか登場します。目次は以下の通りです。
日本語版へのまえがき
序章
T メタファーの古典的説明
1 アリストテレスとクウィンティリアヌス
2 メタファー代替説の起源
U 定義の問題
1 メタファーは心的な事柄ではない
2 物理的対象はメタファーではない
3 メタファーは特別な構文形態をとらない
4 メタファーの構造
5 範囲
V メタファー理論
1 代替理論
2 感情理論
3 付加理論
(A)ビアズリーの「対立」理論
(B)ブラックの「相互作用」理論
(C)メタファーの「相互活性化」理論
4 辞書的意味、指示、メタファーの区分について
W 比喩のなかにおけるメタファーの位置
1 メタファーと比較的離れた関係
2 比喩のなかのメタファー
3 提喩と換喩
4 直喩
5 転化表現
6 類比
X メタファーと「正しい言葉」
1 通時的観点――死んだメタファー
2 共時的観点
(A)単語はメタファー的意味をもtっているか?
(B)それぞれのメタファーは二つの意味を持つのか?
(C)全てのメタファーは偽か?
3 還元不可能性
Y 科学と宗教におけるモデルとメタファー・批判的議論
1 科学言語のなかのメタファー
2 科学と宗教におけるモデルの比較
(A)科学のモデルは説明的で、宗教のモデルは感情的である
(B)科学のモデルはなくてもすむが、宗教のモデルはそうではない
Z メタファー、指示、リアリズム
[ メタファーと神学的リアリズム
このあと、注、参考文献、訳者あとがき、索引と続きます。
以下、Wの6、「類比(analogy)」の項の引用です。
〈既に述べたように類比という語は、いくつかのものを意味する。類比は、ある種の関係を示すことができる。たとえば、われわれは飛行機のモデルと本物との間の構造の類比を語る。あるいはまた構造を推定し、その類比に基づくような種類の議論を示すこともできる。また、言語学的類比と呼べるものもあり、ここではこれを説明しようと思う。
言語装置としての類比は新しい応用に合わせて伸張され、しかもその言語を話す者に想像する上での緊張を与えずに新しい状況に合うように言語を扱う。これは次の例によってよく示される。他の惑星(哲学者の例はいつも火星である)の知的生物と出会ったとしよう。その生命体はその体の繊維組織の配置によって意志の伝達をする。もしわれわれがこの伝達の新しい型を解釈できるなら、それが音をまったく含まないとしてもわれわれは自然に火星人はこれこれこう「話した」、あるいはこれや、あの「説明」をしたというであろう。われわれは多分これをメタファー的に話しているとは考えず、むしろ「話す」「説明する」等が普通に意味しているものの正当な延長だと見なすだろう。これはメタファーではないが、言語の「延長された」あるいは類比的使用法である。ネルソン・グッドマンの言葉を書き換えるならば、類比はメタファーよりも適切に「古い言葉に新しいトリックを教えることであり、古いラベルを新しい方法で応用することである」。
驚くことにわれわれが知っているメタファーの哲学的説明のどれもがこのカテゴリーを利用していない。これは歴史的言語学的に、言葉が意味の核を多分維持しつつ、より広い応用範囲をもつようになる例(「乗る」はかつては馬に適切なものであったが今や自転車にも適切なものとなっている)を分類するのに役立つのみならず、共時的にも直接的な言語とメタファー的な言語との間にカテゴリーを提供するのに役立つ。
『神学大全』が書かれて以来、しばしば神学書は類比を宗教言語との関わりで議論してきた。これらの議論は、不可解にも、アクィナスの類比の言語学的理論を、カジェタン(Cajetan)に溯る存在論的、認識論的な理論の変形と結び付けた。しかしアクィナスの理論は形而上学的であることを意図しながらも、論理言語学的で、有限物と無限の神との間の粗雑な存在論的結び付きを考えるよりは、どのようにわれわれは神を語ることができるのかを決めることに関心があったといえる。
アクィナスは彼の類比理論を、直接的でしかも一つの意味しかもたないように使われた語と、互いに何の関係もない一つ以上の意味で多義的に使われた語との間の中間の方法を示すために導入した。「川の岸」と「商業銀行」の両方とも「bank」を多義的に使うが、「トムは楽しいhappy」「この歌は楽しいhappy」は共通の語を類比的に使う。なぜならば正確にはこの両者は等しくはないが、それにもかかわらず、関係しているからである。
しかしアクィナスが厳密な意味で言語的関係に関心があったと言うことは間違いである。というのは、彼が用いた特殊な意味論のために、これらの言語的関係は存在論的でもあった。類比関係はすべておなじものを指し示す、つまりすべておなじres significata(被指示体)をもつが、それを違った方法で指し示すという。トムは楽しさをもつが、その楽しさの原因は歌であるという。厳密に言語学的観点を保つのがわれわれの目的であるため、アクィナスの類比の説明はここで止めよう。ただし、アクィナスは神についてわれわれが語ることすべてが類比的であるとは言っていないことに注意すべきである。たとえば、われわれは、神について、重いとか甘いとか楽しいとは(メタファーとしては言うかも知れないが)類比的には言わない。類比的に物を「名付ける」ことに伴う存在論的関係故に、選択された一かたまりの完全さを表す言葉(perfection terms)のみが神に適応される。たとえば、われわれは神については類比的に、神は唯一で、賢明で、善だという。
類比の使用はその初めから適切に見える事実によって、メタファーの使用とは区別できる。「私の犬は幸せだ」「私の犬は行きたがっている」「火星人は彼らの政策について話し合った」というとき、動揺も緊張も起こらない。われわれはこのような類比を言葉の適応領域の正当な拡張として見なし、ここから「自転車に乗る」というのがメタファーである、あるいは過去においてメタファーであったと直感的に言う気にならない理由が解明される。更に、このような類比の理解と使用は、潜在的モデルの認知に基づいているのではなく、単に、使われた言葉がこの新しい文脈で適切となるに充分一般的である認知に基づいている。類比は新しい図式を与えるというよりは、既に述べた他の転化表現の形のいくつかのように、想像を必要とするような緊張を伴わずに標準的な言葉に適合する。言語学的類比は言葉のあやの使用ではなく、拡張された使用に関わる。
メタファーは類比の「中間の方法」と同一視されるべきではないことは、メタファーが一義的あるいは多義的であることを意味するわけではない。多義性、一義性、そして類比は文字通りの言葉の類型で、記述的な力を広げることとは無関係である。一方メタファーは既に見たように、直接的な言葉とは関係しないが、新しい見通しを生み出す比喩的な「〜について語る」ことと関わる。一義的、多義的、類比的というカテゴリーは、メタファーのカテゴリーとは異なる種類のものである。
このようにわれわれが神は無限で完全、超越的だと語るとき、われわれは神を類比的に語るのだが(たとえば、ここでの「無限」は数学で用いる無限と関係するが、同一の使用法ではない)、しかし、しばしば言われるように甚だしく絵画的あるいはメタファー的な方法で語っているわけではない。
神について語る類比的叙述に関してかなり多くの問題がまだ残っている。ここでのわれわれの目的は、ただこの種の話法(discourse)を比喩的使用から区別することにある。人間の言葉を伸張することは、モデルに基づいてメタファー的に話すのとおなじではない。ただし、われわれが神について語ることのすべてがメタファー的あるいは比喩的であるわけではない一方、神は無限または完全だというようなもっとも無味乾燥な哲学的言明でさえも類比的地位にあると言えるかもしれない。アクィナスは上辺だけ反対者に譲って次のように答えている。語源的に「完全」は「完璧に作られた」を意味するので、われわれは神は完全だと言えない。すなわち、「作られないものを完全だと言うことは適切ではないが、グレゴリーのいうように、われわれは口ごもりながら、できるかぎり神の栄光をまねするのである。」(『神学大全』Ta・四、一)〉