閑老人のつぶやき 思想について 5

     1 七つのR

     2 アメリカ合衆国の一断面

     3 個別化について

     4 平和ボランティア

     5 現実嵌入型言語 その1

     6 現実嵌入型言語 その2

     7 現実嵌入型言語 その3

     8 現実嵌入型言語 その4

     9 現実嵌入型言語 その5

    10 自由権・社会権・生存権

T 七つのR

かつてアメリカのYMCAが刊行した『ボランティア開発マニュアル  7Rsの視点から』という手引書の翻訳に翻訳者のひとりとして携わったことがあります。「組織と人間」の項で書いた3つのRは、その7つのRの中の基本的に重要な部分の摘出です。この手引書はボランティア開発のためであるばかりでなく、一般的な人事管理のためにも使用することができます。要するに、組織の中での人事管理は、有給か無給かの違いを越えた問題です。この7つのRということも、TH図(「哲学の区分」など参照)で示すことができますので、それによって7R全部を、私の観点から翻案して紹介したいと思います。

7Rsとは、G Reflection、A Recognition、B Retention、C Recruitment、D Readiness、E Research、F Resources の7つのことです。

Reflection(省察):組織にはそれぞれ固有の理念と歴史とがあります。人事管理の基本にあるものは、その組織の使命と伝統であって、それが業務上の判断を方向づけ、またこれからその組織に加わりたいという人々や、外部の人たちへのアピールとなります。従って理念的なものについて省察し、現状をその観点から吟味し続けることは、組織の中心的な課題であると言うべきです。いわば組織には組織の憲法とも言うべきものが存在します。家であれば「家訓」です。それは決して不変であるというわけではありませんが、それが不明確であったり、いつも動揺したりしているようでは、その組織の存立が危ぶまれます。だから省察とは組織の憲法学であり、教会であればそれは教義学に相当します。

Recognition(認証):これは前にも書いたように人の働きを認め、その功績を顕彰することです。それによって組織にとっていかなる行動が模範的であり、評価されるべきことであるかが明かにされます。しかし認証は必ずしも儀式的になされる必要はなく、上司が部下をねぎらうような、日常のささいな行動に於いて示されることの方が大切です。人はその働きが認められることによって仕事にやりがいを感じ、また組織への帰属意識を高めます。認証は仕事へのインセンティブ(刺激、動機)となります。大きいところではノーベル賞や文化勲章などがありますが、それらは認証が人間の名誉心に関わることでもあることを示しています。どの社会にもそれはあって、天皇制が長続きしている理由のひとつはそこにあるのではないかと思われます。天皇は日本社会の名誉の体系の頂点に位置しています。それが良いか悪いかは別の問題です。

Retention(管理):組織の維持管理には、働く人の権利と責任(義務)の明確化、配置、研修、スーパービジョン、評価、解雇などの業務が含まれます。それは組織運営の経常の業務に関わることで、組織図(チャート)を実際に適用し、それを円滑に運用するために不可欠の課題です。しかし組織は資金(資本)によって運営されます。経営環境が厳しくなれば、組織図は文字通り「絵に描いた餅」となって、実際への適用が困難になります。当然のことですが、組織の運営は収益性(資金力)によって保証されており、またそれをさらに高めるためにこそ必要とされる業務です。成果(パフォーマンス)を上げない組織は存続することができません。ここに「経営圧力」というべきものが働いて、不況時には働く人へのしわ寄せとなって、賃金のカット、研修費の削減(「自己啓発=自己責任!」の強調)などの多くの困難が生じてきます。

Recruitment(募集):よい人を採用できるか否かは組織の死命を制します。組織に於ける個々の職務が明確に記述され、また昇進のステップがモデルとして提示されて、それが応募者に魅力的なものであることが求められます。しかしこれまで日本の社会では、特にホワイトカラーの場合には、「専門職」ではなく「総合職」に応える人材が要求され、職務の魅力ではなく、組織そのものの魅力に訴える傾向が強かったと思います。組織への帰属が第一であって、その組織で何をするかは二の次にされる傾向がありました。その場合には専門能力ではなく、総合能力(要するに資質)が採用の基準となります。しかしそのような企業風土が、今日大きく変化しつつあるように思われます。中途採用者の増加は専門性の評価を意味していて、その傾向が強まっているように思われます。総合性よりも専門性に比重が移るということは、特定の組織への帰属を第一義とする日本の社会が少しずつ変化しつつあることを意味しているのかも知れません。しかし人心を統一するために企業への帰属に代って、国家への帰属を強調し、それによって社会のバランスを取ろうとする傾向も強まっていて、その全体の動きが視野に入れられなくてはならないでしょう。

Readiness(準備):ある特定のプロジェクトを成功させるためには、それを担う人材の配置と採用の計画ができあがっていなければなりません。組織中枢の意思決定がなされ、責任者が任命され、準備万端の布陣が整えられているということが、この場合のレディネスです。そのような準備がなければ、たとえばチェーン店が特定の場所に支店を開設することはできません。それは当然Recruitment(募集)と併行してなされるべき事柄です。何かのプロジェクトを成功させるには、そのための準備の過程がひとつひとつ検証され、実施されて、あとは実行(営業開始)を待つばかりの状態にまで達しなくてはなりません。あらゆるプロジェクト(サルトルの言う「投企」)にはこの準備の過程が伴います。

Research(調査):レディネス(準備万端整っている状態)に到達するためには、調査の実施と、次の項目のResources(資源)の調達が必要になります。組織の内部と外部の環境・力量(許容力)・ニーズについて知らなければ、たとえ「ボランティア開発」あるいは「人材開発」の目標を立てても効果的に実践することは難しくなります。あるプロジェクトを立ち上げたら、組織全体の理解と支持、およびそのプロジェクトが実践される場所となるコミュニティの理解と支持とを獲得することができるか、また組織の内外のニーズは本当にマッチするかを知る必要があります。組織とコミュニティの双方の力量も問われるでしょう。そのような調査によって何をクリアしなくてはならないかが明らかになります。ここでの調査はいわゆるマーケティングに相当します。

Resources(資源):資源とは、一般的に言って、ヒト(人的資源)・モノ(物的資源)・カネ(財的資源)・コト(情報資源)・トキ(時間資源)・トコロ(空間資源)のことです。ここでは特に情報資源が問題になります。どこにどうアプローチしたら、情報を入手することができるかを知らなくてはなりません。官公署の該当部署、組織の上部団体、各種の調査研究機関、図書館やインターネットなど、必要な情報を迅速に入手するためのルート、あるいは情報源は様々です。この情報が調査の基礎をなします。

このように見てくると7Rsとは、人の集まりとしての組織を成り立たせるために必要な項目あるいは要素であると言うことができます。しかしボランティア開発のためにそれが利用されるということは、ボランティアも有給スタッフと同様に人事管理の対象であって、ボランティアが自分たちで何かを実践するというレベルの問題ではなくなっていることに気づかされます。つまり既成の組織がボランティアをいかに活用するかの問題であって、ボランティア自身による手づくりの運動は視野の外にあります。エスタブリッシュされた既成組織とボランティアリズムの関係ということが、ここで改めて問題になるでしょう。それは、組織に於ける官僚主義(有給スタッフ主導の組織運営)と、その内部に組み込まれたボランティア組織との関係の問題でもあります。あたかもそれは代議士と官僚(行政機関)との関係の問題に似ています。機構と情報が高度になり複雑化すれば、たてまえはいくら代議制民主主義であっても、議会は結局、官僚がお膳立てした政策をオーソライズするだけの形式的な承認機関になってしまう傾向があります。このたてまえとしての民主主義、あるいはたてまえとしてのボランティアリズム(大きな生協組織などにその一例を見ることができるでしょう)の問題こそが、今日我々が直面している事柄であると思われます。サルトル的に言えば、組織が惰性態(inert)となってしまうと、それを変えることは極めて困難になります。そうなると状況の変化にも対応できなくなります。

今日、どの組織に於いても7Rsを根本的に追求することが求められているように思われます。それが政党であろうと、大学であろうと、企業であろうと、労働組合であろうと、単に惰性的に存続することは許されない時代となりつつあります。既成組織を組み替え、リセットすることは困難でしょう。しかしそれを行なわなければ、その組織の使命は達成されないのではないでしょうか。「構造改革」を新自由主義者の手に委ねられないとすれば、それに代わるいかなる改革の方法があるでしょうか。それを代置できないところに今日の革新勢力の混迷があります。


U アメリカ合衆国の一断面

はじめに

私は昨年(1976年)4月から10月にかけて渡米研修の機会を与えられ、アメリカの社会事業、学生事業、YMCA事業などにつき、多少なりと学習し見聞することを得た。昨年来『キリスト新聞』の依頼で、その経験を、かなり断片的に、3回にわたって綴ったのが、本文である。内容も乏しく、お恥ずかしい限りだが、何かのご参考に供しうれば、幸いである(『別冊東京青年』1977年2月号に転載)。

(1)ホスト・ファミリー 無知と裏腹の優越感 「屈辱の原体験」を味わう

カルチャー・ギャップ

今年の4月から10月まで、半年ばかり、アメリカに行ってきました。以前はクリーブランド計画といわれたそうですが、毎年世界各国の青少年指導者や社会事業家を受け入れる、CIPという研修プログラムがあり、それに参加しました。今年は全部で160名の参加者があり、私は26名の仲間と共に、ミネソタのトゥイン・シティーズで研修を受けました。それは4ヶ月のプログラムでしたが、そのあとニューヨークYMCAで研修を続けることになり、前後半年をアメリカで過ごしたという次第です。

CIPでは、初めに概括的な講義や討論、見学旅行などが続き、その後10週間近く、今度は参加者の専門に応じて、色々の施設・団体・病院・学校に配属され、それぞれ実習を受けることになっており、私はミネソタ大学の留学生課に派遣されました。しかしこれらの研修もさることながら、私にとって何といっても圧巻だったのは、この間一緒に暮らすことになっていた、ホスト・ファミリーのことだったと思います。

初めてのアメリカで、しかもよわい36になんなんとする私が、期間中5軒のホスト・ファミリーを泊り歩くという経験は、多分多くの留学生諸君がそうであった以上に、楽しくもあり、かつ大変にきつい試練でもありました。日本の留学生が初めに直面するのは、言葉の問題であり、そしてカルチャー・ギャップをいかに超えるかという問題でありますが、私もいきなりホスト・ファミリーの生活に巻き込まれることによって、おそまきながらそれを体験することになりました。

アメリカ人とつきあう法

一般的にいって、アメリカ人とうまくやっていくためには、外向的かつ社交的であること、すなわちものおじせず、いつも明るく冗舌であることが、要求されるように思います。それに、アイルランド人に由来するという、例の茶目っ気を加え、またスポーツや音楽など、生活をエンジョイする方法に秀でていれば、アメリカ人に愛される申し分のない人間ができ上るというものです。何か人を圧倒するような、大げさな身振りも、アメリカ人が得意とするところです。

私は自分が非社交的だとは決して思いませんが、アメリカ人の目から見れば大変奇異に映ることは、否定しようもありません。最後に行った家で、私はその時ほとほと疲れていたのですが、お前はどうしていつもそう深刻そうな顔をして黙っているのか、アメリカではそういう人間は嫌われると、ずばり忠告を受け、それでも精一杯つとめていた私としては、大いに弱ったことがあります。アメリカ人は大変親切ですが、このようにおしつけがましいところがあります。

A・A諸国を心の底で軽蔑

その上少しつきあえばわかることですが、アメリカ人というのは評判通りの田舎者で、何でも自分たちが一番だと思いたがり、しかもアジア・アフリカなどの諸国を、心の底では軽蔑しているように思われます。もちろんこんなことは、日本人としての自己反省なしに、軽々しく指摘できることではなく、またあくまでも一般的な傾向を述べたにすぎません。しかし私は、ある家で、たとえば「日本製」のテレビやステレオの使い方を教えてもらいましたし、飛んでいるヘリコプターを指さして、あれがヘリコプターというもんだよと、わざわざ教わったこともあります。

これに類した話を他国の参加者からも色々と聞かされると、いくらここが中西部のミネソタとはいえ、あまりにもひどすぎるという気がしてきます。こういう無知と裏腹の優越感には、私も大いに不快な思いをしたものです。

ホスト・ファミリーについては、まだ書くべきことが沢山あります。特にどこでも手厚いもてなしを受けたこと、ある家庭については、今も本当の家族の一員のような気持を抱いていることを書き添えなければ、片手落ちというものでしょう。

しかし私がそこで、アメリカでの「屈辱の原体験」を味わわされたということも、また事実なのです。

(2)少数者の自己主張 深刻な諸問題に直面するアメリカ 人種構成の問題に留まらず

マイノリティーズの権利

たまたま建国200年の米国に居合わせ、ミネソタでいくつかの記念行事に参加したりしました。7月4日を境に、全米に慶祝ムードがただよっていたことは事実です。しかしお祭りそのものは、各地でくりひろげられたパレードや、花火大会、高校や大学での記念祭や講演、各種の展示などといったものが中心で、色々な団体がこの日のために活動していたことは事実ですが、その割には静かで、拍子抜けするほどのものでした。

ベトナムやウォーターゲートで挫折を経験した上、このところ失業者の数もふえるといった具合で、心から慶祝気分にひたれないという事情もあったでしょう。その上アメリカ・インディアン(ネイティブ・アメリカン)や黒人(アフロ・アメリカン)など、いわゆるマイノリティーズといわれる人たちには、自分たちは白人が享受する独立宣言以来の諸権利から、ずっとはずされてきたという認識があり、この機会に活発な体性批判もなされました。

今でこそ公民権法が公布され、また男女同権に関する条文が、新たに憲法に追加されるなど、少数者および女性の権利が、制度的に保障されるようになり、各事業所から大学に至るまで、これらの人たちの登用が目立ちますが、まだそれは表面的な解決以上のものではないようです。

インディアンに囲まれる

私がいたミネアポリスでも、ある街で、白人による黒人への暴行事件などが相継いだり、200年祭記念行事で、現体制に批判的なプログラムを計画実施した担当者が、連日の強迫電話に悩まされたりするなど、反動的な傾向も目立ちます。

前に申し上げたCIPのプログラムのひとつとして、私たちはセント・ポールの下町に出かけ、そこの安酒場にたむろする人たちを、それとなく観察したことがあります。その時私は、スーだのチプワだの、数人のアメリカ・インディアンに囲まれ、酒をねだられました。彼らは昔からの居留地や、街中の安アパートに住み、ある人たちはこうして昼間から酒を飲んでいるというわけです。その中にひとりのおばさんがいましたが、彼女は涙ながらに私に過去の苦労話をし、自分は白人を憎むと、腹の底からしぼり出すような声でいいました。彼らは飢えればフード・スタンプを与えられ、医療などの社会保障制度もある、そのために自分たちは多額の税金を払わされているというのが、いわゆる中産階級以上の人たちの言い分でしょう。おまけに昼間から、時にはフード・スタンプと替えてまで、酒を飲む「貧乏人」がどこにあるかというわけです。しかしここには、超えられない深い溝があるように思われます。

変わらぬ白人優位の社会

特に19世紀以降、人種のるつぼと化したアメリカですが、未だにそれが白人優位の社会であることに変わりありません。チカノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人、日系人などのアジア系アメリカ人を含め、今や少数者の権利獲得運動、また自己の民族性の示威運動が盛んに行なわれるようになりました。これは今まで白人中心に形づくられた、いわゆるアメリカ的なもの、アメリカ的価値観に対する重大な挑戦であるでしょう。

その成果は目に見えてあがっているようにも見えます。

時には就職などで、白人が「逆差別」だとなげくような例も見られます。そこにはたしかにアメリカ民主主義の偉大さというものもあるでしょう。しかし、視点をかえれば、根本的な価値観がゆらぎ、事柄が複雑になっただけで、事実上白人優位の社会がくつがえったわけではありません。この間、大いに得をしたのは、ユダヤ人ぐらいのものといわれるゆえんです。

アル中や麻薬患者がはびこり、犯罪が多発し、離婚が日常茶飯事となり、青少年の非行・自殺が増え、ポルノが横行するなど、人種構成の問題に留まらず、アメリカ社会は、今深刻な問題に直面しているように思われます。一方では青年たちを含む保守的なゆり返しがある中で、アメリカが今後どうなっていくのか、暫く見守っていく他はありません。

(3)在留邦人の不安 駐在員家族の暮らし 商品だけ国際化した日本のひずみ

在留日本人についての調査

アメリカでの最後の6週間余りをニューヨークで過ごしました。ニューヨークに5万人はいるといわれる在留邦人のために、ニューヨークYMCAがどんなサービス。プログラムを提供できるかをさぐる、というのが、私に与えられた研修課題で、そのために多少の調査をしました。

ニューヨークにはたして何人の日本人が住んでいるか、正確にはわかりません。日本総領事館に問い合わせたところ、届けが出ている数は1万6千人に過ぎませんでしたが、色々の人の話を総合すると、少なくともその三倍はいるように思われます。商社などの仕事で駐在している人の数は4千人余りとのことです。どういう種類の人たちがいるかというと、これら官公庁関係を含めた駐在員の他に、学生、芸術家、それから全市に2百近くあるといわれる日本料理店の従業員、およびこれらの人々の家族といったところでしょう。日本人相手の新聞・雑誌・ラジオ・テレビなど、マスコミ関係のサービスもいくつかあり、日本の旅行社や本屋、食料品店などもあります。高島屋デパートは二つの店を持っていました。ひとつは日本人が多く居住するフラッシングというところにあります。なおこれら日本人の中には、ひところ話題になった、正規のビザなしで、レストランなどで働いている若い人たちも含まれます。

駐在員家族の生活と教育

日本および日本人に関する諸団体には以下のようなものがあります。日本クラブ、教育審議会、ジェトロ、商工会議所、ジャパン・ソサイエティ、日系人会、日米市民教会、ジャパニーズ・アーチスト・アソシエーション……。宗教関係では、ブディスト・アカデミー、日米合同教会などがあります。

日本人が多く居住する地域は限られていて、先程のフラッシング(クウィーンズ)のほか、5、6ヶ所あります。海外に生活する日本人の問題として、よく群居性ということが指摘されますが、ニューヨークも例外ではありません。特に2〜3年、あるいは3〜4年、日本の本社から派遣されてくる駐在員は、たいていそのような地域に住んでいます。これらの人たちにとって、家族の生活および教育が一番問題でしょう。重役級の人たちを除けば、若夫婦が多く、従って子どもたちの年齢も低いのが、これら駐在員家族の特徴です。先日新聞に出ていましたが、ニューヨークでこういう主婦のひとりが、ノイローゼで子どもを殺してしまいました。日本人主婦が自殺するというケースも、過去にいくつかあったようです。

家にとり残される奥さん

ご主人がいきなり海外転勤を命じられ、予期もしない外国暮らしをすることになれば、ことばの問題や、子どもの教育のことなどで、誰でも大変不安になることでしょう。それに駐在員の生活は、日本における以上に忙しく、おまけにマージャン、つきあい酒(カラオケならぬピアノ・バーが流行っていました)、接待ゴルフという日本のビジネスマンの行動様式は、ニューヨークでは一層拍車がかかるという有様です。自然奥さんがとり残されるということが多くなります。日本人どうしの近所づきあいは盛んですが、何かの事情でそれができないと、奥さんは大変つらい立場に置かれることになります。その上、子どもの教育のことでも、頭を痛めなければなりません。

昨年日本クラブから独立した教育審議会は、クウィーンズで日本人学校をひとつ経営していますが、生徒数は小学3年から中学2年まで210名余にすぎず、残りの2千人余の子どもたちは、アメリカの公立学校などに通い、土曜日だけ土曜学校に行って、日本語の教育を受けています(その後全学年、全日制の学校が開設されたようです)。世界に冠たる日本の教育ママがこれで心配しないわけがありません。

というわけで、ニューヨークでも色々の経験をし、書きたいこともまだたくさんありますが、日本の生活を大写しにしたような、駐在員とその家族の暮らしぶりが、やはり一番気にかかることでした。商品だけが国際化した日本の、これは大きなひずみであるといえるでしょう。


V 個別化について

木村と檜垣の対談(『生命と現実』)、あるいは先に「自覚・自知・自立の自由」で取り上げたことに関連して、個別化(individuation)という語について辞書に当ってみました。手元のWebster’s New Collegiate Dictionary には次のようにあります。

individuation: 1: the act or process of individuating: as a (1): the development of the individual from the universal (2): the determination of the individual in the general  b: the process by which individuals in society become differentiated from one another  c: regional differentiation along a primary embryonic axis  2: the state of being individuated; specif: INDIVIDUALITY

これを敢えて訳せば、1:a(1)普遍的なものからの個別的なもの(個物)の発展としての〔個別化の作動あるいは過程〕、(2)一般的なもの(一般者)における個別的なもの(個物)の限定としての〔個別化の作動あるいは過程〕、b 社会における諸個人が互いに特殊化(区別)されてくる過程としての〔個別化の作動あるいは過程〕、c 胎児の最初の頚椎/脊椎骨(の発生)に続く局部的分化(派生)としての〔個別化の作動あるいは過程〕、2:個別化されている状態、特に、個性、ということになるでしょう。

こうして見ると、「一般者における個物の限定」を論じた西田幾多郎の思想は、まさにこの「インディヴィデュエーション」の問題に関わっていたということができます。その限りでは、その思想が特に日本的あるいは東洋的であったということではないでしょう。深層心理学者ユングも「インディヴィデュエーション」を問題にしていたのではなかったかと思います。その現象を科学的「表象的」に捉えるのではなく、哲学的「論理的」に把握しようとしたところに、西田の思想の特質があったと言うべきでしょう。「私」として、またひとりの人間として生かされてしまって「いる」(presence)という、いかんともしがたい事実を離れないで思索することが、特に近代(デカルト)以降の哲学の課題であるとするなら、西田もまた正面からその問題に取り組んだ人だったのだと思います。

木村と檜垣の対談においては、この「私」の成立が「生命論的差異」の問題として議論されています。ゾーエーとしての普遍的生命がビオスとしての個々の生命体として存続してきたというところに、生命の不思議さがあります。そしてどういうわけか、この私がこの世の中に存在しています。科学がいかに発展しても、この基本的事実がすべて解明されてしまうわけではないでしょう。我々としてはこの世界の現象をできる限り可知的にしようとする努力を怠らないと共に、考えてもどうしようもない事実に対してはひたすら謙虚に受け入れること以外に、なすすべはありません。世の中には説明できることと、説明できないこととがあります。あるいは変えることができる現実と変えることができない現実とがあります。その間でバランスをとって生きるところに「良識」があるのだとも言えます。個別化(言い換えれば私が私であることを引き受ける)ということは、まさに良識がその都度テストされる機会なのではないでしょうか。


W 平和ボランティア

「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9)。

日本でもボランティアという言葉が盛んに使われるようになって久しいものがあります。しかし誰もが今すぐなることができ、しかもその実行がなかなか困難であるボランティア活動に「平和ボランティア(ピース・ボランティア)」の活動があります。平和をつくろうとする意志は人間の常態に逆らっていて、ほかならぬこの自分の中にも平和に逆らおうとする傾向が見出されるからです。

日本の「平和憲法」は敗戦という塗炭の苦しみの中で生れてきました。人間は、とことん痛めつけられなければ、平和を心底願うところまでは行かないのだと考えるべきかもしれません。しかしそのほとぼりが冷めると、人間はまたぞろ戦争の準備を始めます。いつになっても、人間は殺しあわなければ気がすまない存在で、憎しみを煽ることによってしか自分が生きていることを実感できないのではないかとさえ思わされます。

三宅晶子さんが、ファシズムに抵抗する生き方として、ドイツの教科書に出てくる「抵抗の階段」ということを紹介しています。『季刊ピープルズ・プラン37』(2007年冬号)に三宅さんの発言の記録が掲載されています。先ずそれを紹介したいと思います。

《この国では、新自由主義そのものに反対するという運動はまだまだ難しい状況ではないかと思います。そのなかで、教育基本法改悪をはじめ、臨時国会でファシズムをつくり出す法律が次々に出てきて、参院選の結果次第では、もう憲法改悪に行ってしまうぎりぎりのところまで来ていると思うんです。まずはファシズムを止めるというところで、ごく普通の人たちが日常的な場面で意思を表示できるのかが問われていると思うんです。

「抵抗の階段」というものがあります。ドイツの歴史教科書に加害の事実が書かれているということはよく知られていますが、もうひとつ重要なのは「抵抗」について必ず書かれているということです。国家が個人に対して暴力を加えたときには「不服従の権利」がある、良心的兵役拒否だけではなくて市民的な不服従が必要なのだ、不服従をやった人は政権が変わればきちんと名誉回復するのだ、ということまで書かれている。

九月二一日の国旗・国歌の強制に関する東京地裁の判決も、校長の職務命令には基本的には従う義務があるのだけれど、その「命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合には、これに従う義務がない」とはっきり述べています。まさに個人の尊厳、あるいは基本的人権に関わる場合には命令に従う義務がない、むしろ抗命する権利、不服従の権利があるというところまで踏み込んだ判決だったと思います。それが、いまの日本の状況のなかではすごく大事です。

「抵抗の階段」というのは、ナチス支配下に抵抗が段階を追って困難になるという意味での階段なのです。一番下の階段が「同調しない」ことです。若い世代がヒトラーユーゲントに入らないという選択です。次の階段は「拒否」です。これは職をかけた拒否です。ある女性秘書は「ハイル・ヒトラー」の挨拶をしなかったので解雇されたんですが、その後に正当だと認められた。実際に、日本の教育現場はそうなっている。国旗に起立することを拒否することに職をかけていて、すでに停職三ヶ月まで出ていて、このまま進むと懲戒免職までいきます。

その次の段階は、「プロテスト」です。これは、命がけのプロテストです。ユダヤ人を夫にしているドイツ人の妻たちが、夫が連行されたことに対して、ゲシュタポの前に連日連夜集まって「人殺し。夫を返せ」と叫び続けた。ゲシュタポは機関銃を持ってやってきたが、夫たちはみんな帰ってきた。プロテストが成功した例ですが、命がけだった。

一番上の抵抗の階段は、政府を転覆するしかない。そのためのヒトラー暗殺未遂事件です。行きつくところまでいったら、人を殺すことまでやらなければいけない。逆に言うと、一番下の段階は「不服従」で、職を賭けるところまではいっていません。それをみんなでやっていれば、次の階段に登る必要はない。私たちが置かれている状況は、職を賭けた人たち、あるいはビラまきだけで逮捕された人たちも出てきているのですが、まだ「共謀罪」は通っていないし、「治安維持法」はない。そういう状況の中で、最初の「同調しない」階段で、まだかなりのことができるはずです。それを「忙しいから」といってやらないと、その次の段階になったら、これはしんどいですよね。もっと「楽しくできる」ということを、逆に「でも、今やっておかないと大変だよ」ということを、いま私は伝えています。まずは教育基本法改悪を止めましょう、と訴えたいと思います。》

三宅さんのこの話を整理すれば、「抵抗の階段」として四つのことが挙げられています。@同調しない、A拒否する、B抗議する(プロテストする)、C抵抗する(レジストする)の四つです。@からBまでも「抵抗する」ことですが、Cの「抵抗」は、抵抗が最も露わになった形、すなわち暴力に訴えてでも理不尽な国策に抗うということを意味しています。最終的な抵抗の手段として権力に対する暴力の行使という局面が現われてきます。

平和を求める運動が最後は暴力に行き着くということについては、意見が分かれるところでしょう。務台理作、飯沼二郎といった人たちが、最終的には暴力を行使することも容認せざるをえないと言っていたことが思い出されます。しかしマハトマ・ガンジーのように最後まで非暴力の抵抗を貫くという立場もありえます。

ここではその判断を保留するとして、抵抗がそのような最終局面に至らない初めの段階で、「同調しない」、すなわち大勢に順応しないと決意することが、人が「平和ボランティア」となる第一歩であるということができます。それは私の言う「脱して生きる」という決断です。それ自体がとても困難なことで、孤独を強いられ、変人扱い(非国民扱い)される危険性を伴っています。家庭、地域、職場、自分が所属する団体などが社会の大勢に順応して、批判的には何も考えないような状態であるとき、自ら国家の動向に異を唱えることはそれだけで勇気のいることです。しかし新聞の投書欄などをみると、事の是非を自分で判断する人たちが、たとえ一部であっても、まだ健在であることを知ることができます。

平和をつくる、あるいは平和を実現するということは人類の悲願です。人間の歴史を振り返れば、それがいかに困難なことであるかを思い知らされます。しかし、私たちは当面の事柄として、国家がこのまま戦争ができる体制へと突き進むのを、仕方がないこととして認めるのか、それとも、それを阻止する方向に一歩を踏み出すのかを考えるべきでしょう。戦争をするために必要とされる愛国心や排外主義、あるいは規律への順応や国民の義務の強調などには、非合理な要求が含まれています。それを見分ける冷静な目を持つならば、合理的な選択の問題として戦争を肯定することはできなくなるはずです。

しかもこの日本で進行しつつあるのは極端から極端への揺り戻しです。憲法で非戦を誓う国家がかつての軍国主義に舞い戻るようなものです。ドイツのように戦争責任、戦争犯罪が自らの判断で明確にされることもなく、冷戦中は日米安保体制の「庇護」の下に置かれ、冷戦終結後、日本の平和国家としての主体性と力量が発揮されなくてはならないときに、「日米軍事同盟」がさらに強化され、アメリカの世界戦略に乗って一挙に日本の軍国主義化、復古主義化が強行されようとしています。

この時代にひとりの「平和ボランティア」となること、平和をつくり出す人たちの隊列に加わることの厳しさと難しさとを思いつつ、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」という冒頭に掲げた聖書の言葉の意味を、改めて思いめぐらしています。


X 現実嵌入型言語 その1

なぜ主語が隠されたのか

417日の朝日新聞の文化欄に大江健三郎の「書き直された文章を書き直す なぜ主語が隠されたのか」と題する文章が掲載されています。大江が37年前に書いた『沖縄ノート』の記述をめぐって、大江と岩波書店が二年前から告訴されている件についての大江の見解が示されています。第二次大戦末期の沖縄における「集団自決」が軍の命令によるものであったか否かを争う裁判です。既にお読みになった方も多いと思いますが、その文章の後半の部分を引用してみます。

「さて、私は裁判の開始前からそれを危惧する根拠を持っていましたが、文部科学省が06年度教科書検定で、日本史教科書から、「集団自決」が「日本軍によって強制された」という記述を取り去らせました。

この修正を報じるメディアで、私が政府の意図にあらためて直面したのは、文部科学省教科書課が次の説明をした、という「琉球新報」の記事によってです。《『沖縄ノート』(岩波書店)をめぐる裁判で「命令はなかった」とする原告の意見陳述を参考としたことについて「現時点で司法判断は下っていないが、当事者本人が公の場で証言しており、全く参考にしないというわけにはいかない」》

私は、その司法判断が下る時点で、慶良間諸島での「集団自決」が日本軍の指示、強制によってなされたと確認されることを信じています。しかし高校生たちは永い日々、修正された教科書で学ぶのです。私はこの四月、高校生となり、また高校教師になる人たちに、文章を読みとることについて、こういう手紙を書きたいと思います、あなたは明年からの教科書の、次の点に注意して下さい。

《「集団自決」においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった。》(東京書籍)

追いつめられて「集団自決」した人や……》(三省堂)

《県民が日本軍の戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり、日本軍により幼児を殺されたり、スパイ容疑などの理由で殺害されたりする事件が多発した。》(実教出版)

《なかには集団自決に追い込まれた人々もいた。》(清水書院)

これらの文例で、私が傍点(引用では下線)を打ったところを、誰が・なにが、追いやり・追いつめ・追いこんだか考えてください。また、れるられるという助動詞を取り去って能動態にしてください、

文章から主語を隠す(井上ひさしさんが指摘する通り)、そして受身の文章にしてツジツマを合わす。そうすることで、文章の意味(とくにそれが明らかにする責任)をあいまいにする。

それが日本語を使う私らのおちいりやすい過ち、時には意識的にやられる確信犯のゴマカシです。あなたはこれらの文例を書き直すことで自分を鍛えてください。」

井上ひさしは、日本語は主語なしで済ますことができるということをモチーフにして戯曲を書いたようです。大江はここで文部科学省の教科書検定で書き直された文章を、主語を置いて、さらに書き直すことを提案しています。

外国人に日本語を教えて

それで思い出したのは、森有正の晩年の著作『経験と思想』(岩波書店、1977年)です。雑誌『思想』に連載されたもの(未完)の単行本化で、辻邦生が解題を書いています。森はそこで「二十年近くも外人に日本語を教えて気付いたことを中心として、若干の考察を行って」います。この稿の主たる目的は、実は森の考察をどこまで参考にできるかということを検討することにあるので、例によって『経験と思想』あるいは他の著者による本からやや長い引用を行い、必要に応じて私のコメントを加えたいと思います。

「フランスの大学生に日本語を教えることは非常に困難である。普通それは記載法の相違、例えばアルファベットの代りに、シラブルの符号である仮名を使用すること、特に音読み訓読みという二通りの読み方のある千何百という漢字があること、のせいにされているが、それは決して最大の困難ではない。

私は、一番大きい困難は、日本語は、文法的言語、すなわちそれ自体の中に自己を組織する原理をもっている言語ではない、という事実にあると考えている。もちろん現実との関連において、完全に論理的に組織されている言語は存在しないのであるから、これは相対的なことであるかも知れないが、日本語では、その非文法的である度合が甚だしいのである。事実日本語に関しては、英語やフランス語におけるように、実用的規範文法(下線部分は原文では傍点、以下同様)が存在していないではないか。人は中等教育用の文法の教科書が存在することをもって反対の論拠としようとするかも知れないが、この種の文法の教科書は、英語やフランス語における実用的規範文法とは全くちがったものであり、それは日本語の機能を帰納的に整理したものではあっても、そこから逆に日本文を再構成することは全く不可能なのである。私は、外国における日本語教育に対して、日本人教師の役割は作文(外国文和訳を含む)と会話(発音を含む)に尽きると考えているので、二十年近くもこういう意味の作文を教えて来た。そしてその場合、文法の規則は全く役に立たず、すでに書かれている日本文の真似をすることだけが、多少とも役に立つ方法であることを確認した。理屈としては、役に立つ文法の規則を作ることは不可能ではないであろう。しかしその場合は、規則は極端に煩瑣となり、もうそれは規則というものでなくなり、実際の文例を真似することとそれほどちがわなくなってしまうのである。事実、外人でもかなりの程度に日本文がかける人はいるけれども、そういう人は必ず非常に多くの読書をしているものである。ごく簡単な例をとってみると、“Le cheval court.”という仏文を日本語にする場合、「馬は走る」という風に「馬」を主格にし、それに動詞「走る」を加えてみても、文法的に全く正しいけれども、日本語としてはどうしても変である。それが、「牛はゆっくり歩むが、馬は走る」と言えば少しもおかしくはなくなる。殊に助詞の「は」のニュアンスが非常に微妙であって、その微妙さに対応する何かを加えなければ、どうしてもそれだけでは安定しない。「馬走るものである」、「馬走ってくる」、「馬走っていく」、「馬走る」、「馬走る」、「馬走っている」、「この馬はよく走る」、その他無数のヴァリエーションがあるであろうが、それを規則化することは不可能ではないにしても、それはもう殆ど無意味に近い。勿論「馬走る」と言うことは出来る。しかしそれはもう明らかに“Le cheval court.”の訳ではなく、“Un cheval court.”の訳であり、現実との関連はずっと密接である。それは一頭の馬が走っている光景と結びつく文章であって、現実が文章の中にその影を明らかに落している。ところが「馬は走る」では、この現実射影の度が弱く、どうしてもそれを補強するために、それを言表する情況を映す助詞、助動詞、限定詞を加える必要が出て来る。すなわち「……ものである」、「……が……てくる」、「……さ」、「……よ」、「この……よく……」などの類である。たとえば「私は行く」などという文でも、それだけ独立させると非常に変になって来る。変でないのはそれが勅語の中に置かれた時ぐらいであろう。しかしそれも「勅語」という例外的に特殊な框の中に嵌められていて、読者はそれを理解しているからである」(p.117-120)。

「は」と「が」

ここでのっけから「は」と「が」の問題が出てきます。森の観察はたしかに鋭いのですが、日本語のために多少の弁明をすれば、森は西洋の規範文法と、それに基づいて作られ、未だに教えられている日本語の「学校文法」を念頭に置いているように見えます。しかし明治以降の文法研究史というものがあって、山田孝雄(ヤマダヨシオ)、時枝誠記(トキエダモトキ)など、日本語研究者の長年の研究によって、日本語を西洋の文法に当てはめて分析することには限界があることが、研究者の間ではつとに知られています。日本語の特性を知るための好著として、今私の手もとには小池清治著『日本語はどんな言語か』(ちくま新書、1994年)、同『日本語はいかにつくられたか?』(ちくま学芸文庫、1995年)があります。森の論述との関連でその内容に触れる前に、先ず「は」と「が」の問題について、言語学者の千野栄一が『外国語上達法』(岩波新書、1986年)で論じていることを引用してみます。千野は初めにマテジウスの「文の基礎と核の理論」を紹介します。

「外国語に接したとき、母語(この本を読んで下さる人の大部分にとっては日本語)と外国語ではどこが違うかに細かく気を配れる人にとっては、文法はとても面白い分野である。文法に書かれたことを鵜のみにし、やみくもに外国語を理解しようとする人にとっては、文法は退屈である。

英語のようにもうかなり研究しつくされている言語であっても、語感のいい優れた言語分析者の手にかかれば、今まで気がつかれなかった一面があざやかに浮かび上がってくる。その一例を、ここでお目にかけることにしよう。

チェコの有名な言語学者V・マテジウスが、その人である。マテジウスは一八八二年に生まれ一九四五年に死んだ英語・英文学者で、一般言語学者でもある。このマテジウスは一九二〇年代には目を、三十年代には背骨を病に冒され、ほぼ失明のうえ、ベッドに横たわったままの生活を続けながら研究を続け、輝かしい業績を残したのである。そして現在のことばでいえば、「対照言語学」にあたる言語性格学の一般理論を作りあげ、また言語研究における機能主義的取り扱いの重要さを主張したのである。特に、統語論における機能主義的取り扱いにより発見されたのが「文の基礎と核の理論」と呼ばれる理論である。

マテジウスの理論を『若い文献学研究者のための百科事典』(モスクワ、一九八四年)の中で要約したI・I・コフトゥノーバによれば「これは、文をことばの題目を示す部分と、その題目について述べている部分の二つに、意味の上から分析するものである。ことばの発話は、話されたものであろうと書かれたものであろうと、既に知られているもの、話し手により命名されているか、あるいは対話者の目前にあるものから、読者あるいは聴き手にまだ知られていないものへの思考の動きをそこに反映している。話し手の思考は既知のものから離れ、話し手がその既知のものについて述べたいと思うものの方へと移行する。既知のものから未知のものへというこの過程は、人間の思考方法のユニバーサルな特質である」。

マテジウスは自分の母語であるチェコ語と英語を丁寧に比較していくうちに、チェコ語では主として語順により示されている発話の基礎(既知のもの)と発話の(未知のもの)の違いが、英語では冠詞の使用や、受身などにより示されていることに気がついたのである。すなわち、文を分析する場合にこれまで行われていた主語・述語、他動詞・目的語……というような文法的分析のほかに、基礎と核による分析があり、この二つの分析方法の間の関係についても考察を重ねている」(p.75-77)。

このように前置きして千野は、日本語の「は」と「が」について論じます。

「この「文の基礎と核の理論」がわれわれにとって特に興味をひくのは、日本語でこの区別をする手段は、チェコ語のように語順でもなければ、英語のように冠詞や受身構文によるのでもなく、「は」と「が」の区別が似たような区別を担っていることである。

Once upon a time there was an emperor.

昔あるところに一人の王様がいました。

という三つの文を比べてみると(引用者注、入力の関係でチェコ語の文は省略)、この文は既知のものがない昔話の始まりのところなので、「王様」という新情報がいきなり出てくる場面である。ここでチェコ語では王様(引用者注、クラルと読めます)という語は新情報としての約束通り文末に出てくるし、英語のemperorは不定冠詞を伴い、日本語の「王様」は「が」に伴われている(引用者注、ここで英語のemperorも文末に来ているし、チェコ語の「王様」も「一人の」を表わす語に修飾されているが、それは必然ではない、なお、チェコ語には冠詞がないと指摘されています)。

He had three daughters.

その王様は三人の娘を持っていました。

この前の文に続くと思われる部分を比べてみると、王様にあたる語は、チェコ語では(王様という語に)tenそのを意味する指示代名詞)が付されるか(引用者注、チェコ語の文は省略)、それ(ten)だけで使われ、英語では人称代名詞heにとって替えられ(代名詞は指し示すだけの語なので、それが誰であるか、前に情報を与えられていないと使えない)、日本語では「は」が出てきて、もう新情報ではないことが示されている。「その王様は三人の娘を持っていました」とは何たる日本語、「その王様には三人の娘がいました」といえ、といわれても、そこにはやはり「は」がしのび込んでいて、そのうえ娘は「が」で新情報であることが示される仕組みになっている」(p.77-79)。

一語文

「は」と「が」の区別は、もちろん千野が説明していることに尽きるわけではなくても、ある示唆を与えてくれることは確かです。「は」と「が」についてはあとで触れることにして、ここで、森が言っている「…『馬は走る』では、この現実射影の度が弱く、どうしてもそれを補強するために、それを言表する情況を映す助詞、助動詞、限定詞を加える必要が出て来る」(下線は引用者)と言っていることに関して、先ず、小池清治が『日本語はどんな言語か』で非自律的文について述べていることを引用してみます。

非自律的文の典型は一語分です。小池は幼児語としての一語文を例示したあと、次のように述べます。「ところで、おそらく世界の全ての言語においても、原初的文型は一語文であろうと推測される。英語でも「Mama.」「Daddy.」などの、one-word-sentenceから幼児は発話を始めることであろう。そして、やがて、二語文、多語文に発展していく。日本の幼児も、一歳半頃から二語文期に入り、いわゆる文法を獲得していくことになる。そういう意味においては、一語文は日本語の特徴ということはできない。(改行)では、日本語の特徴はどこにあるかというと、一語文が大人になっても使用され続ける主要な文型であることにある」(p.028-029)。

小池は「一語文という単純過ぎる文型でコミュニケーションが成立するには文脈の助けを前提とするが、文脈にも次元を異にする幾つかの種類がある」として、「言語的文脈・場面的文脈・言語文化的文脈」について論じます。場面的文脈は次の要素から成り立っているとされます(p.029)。ただしこれは日本語に限ったことではありません。

言語主体(話し手・書き手)

受容者(聞き手・読み手)

時(言語表現、発話がなされる時期・時間・折り柄)

所(言語表現、発話がなされる場所・場面)

媒体(話しことば・書き言葉・電話・手紙等)

言語文化的文脈については、先ず次の例文が挙げられます(p.030)。

 表層                 深層

奥さん、雨ですよ。(報告)     奥さん、雨ですよ。だから、早く洗濯物をお取り込

                 みになったほうがよろしいでしょう。(忠告)

お母さん、おなかが空いた。(報告) お母さん、おなかが空いた。だから、何か食べる物

                 をください。(要求)

利子は年一割です。(報告)     利子は年一割です。断然有利ですから、加入しては

                 いかがですか。(勧誘)

そして以下のように指摘します。

「日本人の言語表現の基本型は右の表の表層の表現である。深層の表現にいたることはめったにない。日本人による日本語の表現は、言わば、氷山の一角を表現しているのである。そして、受容者(聞き手・読み手)は、言われていない部分、書かれていない部分まで理解する必要がある。日本人による日本語の表現はこのようなものなのだという言語表現の型についての認識、一言で言えば言語観、これが言語文化的文脈である。(改行)一語文という、単純な文型を支えているものは、このような文脈なのである。英語では言語的文脈、場面的文脈の支えはあるが、省略表現をよしとする言語文化的文脈の支えがない。したがって、one-word-sentenceは未熟な子どもっぽいものとして、言語発達の過程のなかで、応答詞などの僅かな表現を除いて、多くは消滅していくのである」(p.031)。

何か(忠告、要求、勧誘など)を間接的に示唆する、すなわち言葉では直接表現しないという婉曲的な言い方は、日本語に限られたものではないでしょう。しかし一語文に象徴されるような極端に文脈依存的な傾向は、日本語の「言語文化的文脈」であるということはできるでしょう。それは森の指摘するところと重なってきます。

小池は次に、「お茶!」、「めし!」、「風呂!」の三語ですませる「サンゴ族」について触れたあと、一語文の構造を分析します。先ず次の会話が出てきます。

妻 お茶。 (お茶が飲みたい。用意してちょうだい。)

夫 お茶? (普段は、酒なのに、本当にお茶でいいの?)

妻 お茶。 (そう、お茶が飲みたいの。今晩は。)

夫 お茶? (意外だな。本気なのか?)

妻 お茶。 (お茶といったら、お茶なの。早く用意してちょうだい。)

これらを分析すると次のようになります(p.034)。

お茶 + 。(? !)

語句 + イントネーション

叙述 + 陳述

ここで叙述と陳述という用語が出てきます。小池によれば文の「?」「。」「!」「…」の符号が加えられている部分は、音声言語のイントネーションを表す記号であり、話し手の感情や判断の種類を表すもので、文法用語を用いて言えば、「陳述」を表すもの(文終止マーク)です。それに対して、素材となる言語表現を「叙述」と言います。従って文とは、上に掲げたように、「語句 + イントネーション」、すなわち「叙述 + 陳述」のことであるということになります(p.023)。

だから、小池は「男が 本を 買った」という表現は文ではないと言います。つまり次のような表現の一部をなし、叙述だけを表す「語句」であると言います(p.023-024)。

男が本を買ったのが 物語の発端だった。

男が本を買ったのを 見た人がいる。

その店で 男が本を買った

男が本を買った

ただし「男が 本を 買った。」は、文終止マークがあるので、文となります。それは「叙述文」と言われます。森の言う「馬が 走る。」に当ります。

ここで一語文に戻れば、小池は次のように締めくくります。

「一語文の構造とは、まず文となる資格を構成する、「叙述」と「陳述」の二要素を有し、「叙述+陳述」の構造を持つ言語表現ということになる。

また日本語では、特別なことわりがない限り、原則として言語主体・発話者が言語表現の主題または主語になるという言語規則に関する構造がある。こういう原則のもとでは、一語文、「お茶!」という表現は、「私は、お茶。」という表現と等価ということになる。

表層 お茶!   

深層 私は お茶!

このように、一語文は見掛け上、すなわち表層的には一語文であるのだが、深層では、表現者と語句によって示される事柄とがなんらかの関係にあることを示すものになる。深層に現れる「私は」と「お茶」との関係を文法用語では近接関係にあるといい、こういう文型を近接文(次節でのべる「ウナギ文」と同義)という。近接文を図式的に示すと次のようになる。

私は → お茶 !

「→」によって表される近接関係は、ある関係の存在を示すだけであるから、文脈的には様々な関係がありうる。

私は、お茶(が飲みたいので、すぐ出してくれ)。

私は、お茶(が嫌いなので、すぐ片付けてくれ)。

私は、お茶(の銘柄にこだわる。酒の銘柄はどうでもよい)。

こういう訳で一語文、「お茶!」という表現は多義的なのであるが、聞き手は言語化されていない文脈などから、その場にふさわしい意味を選び取る。

一語文は、文脈と日本語の表現原則とに支えられて、二語文以上に相当する表現となる。これが一語文の構造の第二の特徴である。

以上の考察により、日本語においては、一語文は幼児期だけの未熟な文型ではないことが理解されたことと思う。一語文は、日本語の文の規則により生成された立派な文型なのである。そして、それは、文脈の助けを前提とする多義的文であるという意味において、非自律的文の典型である」(p.035-037)。

ウナギ文

小池は非自律的文のもう一つの代表として、奥津敬一郎の『「ボクハ ウナギダ」の文法――ダとノ』(一九七八年)により一躍有名になった、「ウナギ文」を取り上げます。

「ぼくは うなぎだ。」という文は文脈によって、以下のように実に様々な意味を表します(p.038-039)。

    文脈            ボクハ          ウナギダ。 

注文を確認された場合      ぼくが注文したのは、     うなぎだ。

好物を尋ねられた場合      僕が好きな物は、       うなぎだ。

嫌いな食べ物を尋ねられた場合  僕が嫌いな物は、       うなぎだ。

釣りの対象を尋ねられた場合   ぼくが釣ろうとしているのは、 うなぎだ。

研究の対象を尋ねられた場合   僕が研究しているのは、    うなぎだ。

このウナギ文の解明には諸説があり、未だ定説がないようです。小池は先ず奥津説を取り上げて、それを批判します。

「ウナギ文の特徴は、このような多義性と「非論理性」にあるのだが、奥津は、ウナギ文が、なぜ多義的となるかについて、生成文法の観点から次のような仮説を提出している。

ボクハ ウナギ   ダ  

ボクハ ウナギ ヲ 食ベル

ボクハ ウナギ ヲ 釣ル 

奥津は右の対比を用いて、「だ」が助詞(ヲ)と動詞(食ベル、釣ル…)による表現を代行していると考える。そして、「だ」は代行であるので、例示されたもの以外をも表すから、ウナギ文は結果として多義になるという。また、代行されるものは、表現の表面に現れず潜在しているので、結果として、一見非論理的になるのであると説く。

すっきりとした解釈で魅力的ではあるが、素朴な言語感覚では納得できない。注文を確認されて、「ぼくはうなぎだ。」と言った場合、「ぼくが注文したのはうなぎだ。」の省略表現とするのが普通の言語感覚ではなかろうか。また、メニューを選ぶという文脈であるとすれば、「ぼくが今日食べたいのはうなぎだ。」の省略表現であろう。奥津は「君は何を食べるのか。」と尋ねられたという文脈に限定して、「ぼくはうなぎを食べる。」の変換としているが、このように文脈を限定する根拠はない。ウナギ文の文脈は奥津も指摘しているように、無限に近いからである」(p.039-040)。

小池はここで「題説構文と叙述構文」の構文上の相違ということを持ち出して、奥津説をさらに批判します。

「「ぼくはうなぎだ。」と「ぼくはうなぎを食べる。」とでは構文が異なるのである。ここでは、そのことを簡単に述べておく。

a ぼくは うなぎだ。     題説構文 ぼくは=題目部 うなぎだ。=解説部

b ぼくは うなぎを 食べる。 叙述構文 ぼくは=叙部  うなぎを食べる。=述部

aの「ぼくは」は、文で述べ伝えるメッセージの題目を表す。したがって、文脈により、「ぼくの注文したのは」「ぼくの食べたいのは」「ぼくの研究対象は」等々になりうる。すなわち、ウナギ文の多義性の由来の一つは「ぼくは」という題目表現の多義性によるものである。また、この場合の「は」を「が」に変えて、「ぼくがうなぎだ。」にすると、題目部を強調した強調表現になるか、後述する同定文(ぼく=うなぎ)に変化してしまう。

一方、bの「ぼくは」は述語動詞「食べる」の動作主を表し、主語となる。「ぼくは」の「は」は対比の意を表す働きをする。この「は」を「が」に変えて、「ぼくがうなぎを食べる。」にすると、きわめて平凡な平叙文になる。したがって、「ぼくはうなぎを食べる。」は強調文なのである。そして、「は」は「が」を兼務しているのである。aのウナギ文の「は」は、「が」の兼務をあえて想定する必要はない。

以上は簡単な説明であるが、aとbの構文上の相違は理解できたことと思う。構文的に異質なものが、変形・生成の規則により生み出されるはずがない。変形・生成の基本原則は、深層表現から表層表現への変換であって、構文構造の異質化ではないからである。このような理由で奥津説には与しがたい」(p.040-041)。

この題説文(題説構文)と叙述文(叙述構文)の区別が、小池のこの本の主眼をなしています。これに続いて小池は、奥津説を「述語代用説」と名づけて、「部分分裂文省略説」と称すべき説を展開した北原保雄の主張も斥けます。ただし北原の次のような奥津説批判は首肯できるものであると思われます。

「北原は、まず次の例を示して、「だ」が述語を代用しているとすれば、終助詞の「さ・よ・か」なども、述語を代用していることになるとし、奥津説を退ける。

ぼくは、うなぎ

私は、うなぎ

君は、うなぎ

さらに、奥津説の要となる「だ」を欠いた、

ぼくは、うなぎ。

の文もウナギ文であり、「だ」の変換・生成によりウナギ文が成立するという奥津説にとどめを刺」す(p.041-042)。

次いで小池はウナギ文の解釈として、この他に三上章、池上嘉彦、尾上圭介らの説があると言い、小池の説は尾上のもの(「『ぼくはうなぎだ』の文はなぜ成り立つのか」『国文学 解釈と教材の研究』一九八二年十二月号)に最も近いとします。

尾上は次のように考えます。それは「ウナギ文、モンタージュ説」と言うべきものです。

「「ぼくは うなぎ(だ)」は、「ぼく」というショットと「うなぎ」というショットとをモンタージュしただけのもので、二つの断片的ショットを受容者(聞き手・読み手)に提示する働きをするだけのものである。二つのショットの関係、これらを提示した表現者の意図(ウナギ文の意味)の解釈は受容者に委ねられる。このような素材投げだしに近い表現がウナギ文を多義にする。

また、「は」の働きを「二分結合」とし、表現を二つの部分に分割する機能と分割されたものを結合するという機能とをあわせもつ助詞とする。この「二分結合」の機能は、「は」の取り立てという意味的側面が「二分」に、陳述に係るという文法的側面が「結合」に現れたものであるとする。

さらに、ウナギ文における文末の「だ」は必ずしも必須の要素とは言えないが、「だ」には名詞を述語化する働きがあり、「伝達上の焦点の要素に下接して、特にそれを強調する」という用法を認め、ウナギ文を成立させる重要な要素としている。

最後に、尾上は、文構造と意味構造としての論理的格関係とは、別次元のこととして峻別すべきものであると主張する。

この主張は尊重すべきものであろう。うっかりすると、文の分析をしているつもりで、意味関係、論理関係を分析していることが多いからである。これは明治期に大槻文彦(一八四七年〜一九二八年)が『広日本文典』(一八九七年)で実演した「文の解剖」(文は主語と説明語=述語を必須とするという前提に立ち、実際には存在しない主語を仮定し、その上で文の解剖を行う)以来、国文法で陥りやすい通弊を突いた主張でもあるからだ」(p.045-046)。

大槻流の「文の解剖」が未だに学校文法を規定しています。ここから小池はまとめにかかり、「AはBだ。」の文型は意味的に四つに分類されると言います(p.047)。

a ぼくは山田太郎だ。 ぼく=山田太郎 同定関係  同定文  一義 論理的

b ぼくは日本人だ。  ぼく<日本人  包摂関係  包摂文  一義 論理的

c 山は富士山だ。   山 >富士山  逆包摂関係 逆包摂文 一義 「非論理的」

d ぼくは富士山だ。  ぼく→富士山  近接関係  近接文  多義 「非論理的」

ウナギ文はこのdにあたります。

「aは主辞(「ぼく」)と賓辞(「山田」)とが同一であるという判断を示すもので、同定文という。きわめて論理的な表現で、どの国の言語にも存在するものである。

bは主辞(「ぼく」)が賓辞(「日本人」)の表す範疇に所属するという判断を表すもので、普通の表現である。これも論理的であり、日本語固有のものではない。

cはbの裏返しの表現になる。bが普通の表現であるから、当然cは普通ではない表現になる。そして、「非論理的」ということがマークとなって、cの表現はレトリカルなものであることを明らかにする。「山といえば、最高の山は富士山だ。」と同義となり、一種の強調表現になるのである」(p.047-048)。

この章の最後に小池は、英語やフランス語、中国語などでも、「ウナギ文」に相当する表現があるというが、留学生に確かめたところでは、仮に日常会話ではウナギ文が使用されることがあるとしても、日本語ほど頻繁に用いられる文型でないことは間違いあるまいと結んでいます(p.048-049)。

小池の本から学ぶ作業はなお続けてゆくつもりです。しかし一語文とウナギ文とによって日本語の「文脈依存的」な傾向が明らかになってきたところで、一旦、森有正の著述に戻ろうと思います。文脈依存的な傾向と対照される西洋語の特徴を、仮に「構文自律的」と呼ぶとすれば、その区別はあくまでも相対的であることは確かです。「文脈」に依存しない構文はなく、また人間が言葉を話す存在(ホモ・ロキエンス)である以上、構文(文法)と全く無関係な「文脈」もないからです。しかし日本語のその特性がどういう問題をはらんでいるかということを、この機会に考えてみようと思います。なお、作業はここで中断し、あとは次回以降にまわします。


Y 現実嵌入型言語 その2

現実の映しとしての助詞

森有正は『経験と思想』の前回引用した文章の直ぐあとで、次のように述べます。

「そういうわけで、日本語に規則を樹て、変でない日本語を書きうるようにしようとすると、規則は現実と同じように複雑になり、規則の規則としての特性が失われてしまう恐れがあるのである。助詞は、その数は限定されてはいるが、あるいは独立して、あるいは互に組合せられて、殆ど無限に複雑で予料できない現実のニュアンスを映す作用をもち、またそういう無限の可能性を含みうるものとしてのみ観念されることが出来るのである。ただしかし、その「無限の可能性」は「現実」のそれであって、助詞に内在するものではない。助詞はそのもつ方向性のみによって分類されうるもので、その内容としては無限定の現実を映すという規定できない性質をもつのみである。だからそれは、英仏語などにおける前置詞、前置句、あるいは後置句などと違って、言葉の内部の一部であるよりも、言葉と「現実」とを結びつける靭帯の如きものである、と言った方がよいように思う。しかしこの点は更に詳細に考察する必要があるであろう。しかし、今からすでに言えることは、この靭帯が言葉と現実とを結びつけるものである、ということの意味である。それは、この靭帯によって、現実と言葉とが関係をもつということではない。現実と言葉とは始めから関係していて、それを更めて言うのは無意味である。ここで言う靭帯とは、それによって「現実」が「言葉の世界」に嵌入するという意味である。換言すれば、「現実」が「言葉」の一部になる、ということである。私はそれを日本語における「現実嵌入」と呼びたいと思う。私はこれが、日本語を非文法的言語にしている一番大きい理由であると考えている」(p.121-122)。

小池清治に従って言えば、言語には言語的文脈、場面的文脈、言語文化的文脈があります。一語文、ウナギ文の例によって知られるように、日本語のある表現が場面的文脈によって、多様にあるいは多義的に理解されるということは、既に確認された通りです。しかし日本語が「現実嵌入」的で非文法的であるということは、どういうことなのでしょうか。森の言う「現実嵌入」とは、場面的文脈に拘束される度合が強い(すなわち「文脈依存的」である)ということなのでしょうか。また「現実が言葉の一部になる」ということは、どういう事態なのでしょうか。たとえば、現実の事物がそのまま「主語」になって、その上に「述語」が言葉として添えられるというように理解してもよいのでしょうか。ここで小池の『日本語はどんな言語か』に戻って、さらに検討を加えてみたいと思います。

小池のこの本は、初めに序章で「堅い規則と柔らかな規則」を取り上げます。これも重要な観点です。「日本語は、SOV型言語(「主語+目的語+述語」の語順で文が構成される言語のこと)といわれ、「私がこの本を書いた。」という表現が標準的なのであるが、「この本を私が書いた。」という、OSVの語順の表現も立派な日本語なのである。また、至極まれではあるが、「書いた、私が、この本を。」「書いた、この本を、私が。」というVSOやVOSという語順の表現さえ、日常会話などでは出現する。SOV型という文法規則は、例外を許容する文法規則であり、「柔らかな規則」なのである。(改行)日本語の奥の深さを形成するものは、もっぱら、この「柔らかな規則」に由来する」(p.011)。森が言う日本語は「非文法的」であるという理由の一端はこの辺にもあるのでしょう。

叙述構文の分析

この本の第一章は「日本語の文はどのようにできているのか」で、例の一語文やウナギ文はこの章で取り上げられています。第二章は「題説構文とはどのような構文か――ハとガの相違」、第三章は「叙述構文とはどのような構文か」、第四章は「述部の構造」となっています。ここでは先ず、森が「助詞」を論じている関係で、それが出てくる第三章の内容に入ってみたいと思います。

先ず「叙述構文の種類」が、その特質と共に論じられます。

「叙述構文は、原則的に事柄を言語主体(話し手・書き手)の主観的判断ではなく、客観的事象として叙述しようとする時に採用する文型である。「叙部」(補足部・修飾部)と「述部」とからなり、述部の核となる用言を包むような「玉葱型構造」と称すべき構造をもっている。英語などと違い、叙部に含まれる主語ではなく、述部の用言が核となるところが日本語の大きな特徴だといえる。」(p.100)。

ここに大江健三郎などが問題にしている、主語なしに済ませることができるという日本語の特徴が、「英語などと違い、叙部に含まれる主語ではなく、述部の用言が核となるところが日本語の大きな特徴だといえる」という形で示されています。

そして叙述構文は次のように分類されます。

「叙述構文は、述部の核となる用言の違いにより下位分類される。題説構文にあった、名詞を述語の核とする名詞文やハ・ガ構文(「象は鼻が長い」…引用者)は存在しない。

a 桜の花が 一度に 開く。   叙述動詞文

b 裏庭に 桜の木が ある。   叙述存在詞文

c 桜が 実に 美しい。     叙述形容詞文

d 桜が 本当に 見事だ。    叙述形容動詞文」(p.100-101)。

日本語の叙述構文においては「述部の用言が核となる」ということに関して、次に「情報の核――用言と補足部」が論じられます。

「叙述構文は、原則的に事柄を客観的事象として叙述しようとする時に採用する文型である。言い換えると情報をできるだけ主観抜きにして表現するのがこの文型である。主観抜きの情報の核になるものは、いつ・どこで・誰が・何を・どうしたという、いわゆる5W1Hに関する情報で、日本語では、用言が「どうした」に関する情報を提供し、文末に置かれる。また、「いつ」以下の情報は、用言の上に置かれ、体言または体言相当の語句に格助詞が付いたひとまとまりの表現によって提供される。このひとまとまりの表現を、本書では「補足部」という」(p.101)。

叙述構文の構造が次の会話によって例示されます。

a 夫 遊んでいるよ。

  妻 誰が?

  夫 太郎が。

b 夫 太郎が遊んでいるよ。

  妻 どこで?

  夫 中央公園で。

c 夫 太郎が中央公園で遊んでいるよ。

  妻 一人で?

  夫 まゆみちゃんと。

d 夫 太郎が中央公園でまゆみちゃんと遊んでいるよ。

  妻 あら、そう。

  夫 ……………。 (p.102

以下はその解説です。

「aの夫の「遊んでいるよ。」という表現は情報としてはこの場合不完全である。「遊ぶ」行為には当然遊ぶ主体があり、夫の表現には主体に関する情報が欠けているからである。そこで、妻は、「誰が?」と尋ねることになる。「遊ぶ」行為の主体に関する情報を求めているのである。行為、動作、状態の主体に関する情報を補足する文の成分を「主格補足部」といい、主格補足部が表す「格」(体言と用言との意味的関係の類型)を「主格」という。主格は通常ガで表される。

動詞、存在詞、形容詞、形容動詞、すなわち全ての用言は主格による補足を必要とする。bの夫の「太郎が遊んでいるよ。」という表現も情報としてはこの場合不完全である。誰かが遊ぶには一般に遊ぶ場所が必要であり、夫の表現は場所に関する情報が欠けているからである。そこで、妻は、「どこで?」と尋ねることになる。「遊ぶ」行為が実現している場所に関する情報を求めているのである。行為、動作、状態が実現している場所に関する情報を補足する文の成分を「場所格補足部」といい、場所格補足部が表す格を「場所格」という。

動詞には「動態動詞」と「情態(状態)動詞」がある。原則として動態動詞は場所格による補足を必要とする。動態動詞の場所格はデで表される。「ある・いる」などの存在詞や情態動詞も場所格を必要とするが、存在詞や情態動詞の場所格はニで表される。

cの夫の「太郎が中央公園で遊んでいるよ。」という表現も情報としては不完全である。「遊ぶ」行為には一人遊びを除いて普通は一緒に遊ぶ人が必要であり、夫の表現には遊び相手に関する情報が欠けているからである。そこで、妻は、「一人で?」と尋ねることになる。行為、動作、情態をともに行う人に関する情報を補足する文の成分を「共格補足部」といい、共格補足部が表す格を「共格」という。共格はトで表される。

動態動詞の中には、その行為、動作を行うには相手を必要とする動詞がある。そのうち対等の資格で共同することによって成立する場合の動詞を「共同動詞」(「結婚する・約束する・話し合う」など)といい、共同動詞は共格による補足を必要とする。

因みに、相手を必要とするが、一方的行為でも成立する動詞を「依拠動詞」(「頼る・すがる・尋ねる」など)といい、依拠する相手に関する情報は「依拠格補足部」によって補足される。「依拠格」はニで表される。

dの夫の「太郎が公園でまゆみちゃんと遊んでいるよ。」の報告に接した妻は、「ああ、そう。」と応答するだけで、a〜cと異なり質問をしていない。文としての情報が取りあえず完全で、質問の必要を感じないからである。この話題に関してはこれで対話は閉じられることになる。「遊ぶ」という動態動詞においては、主格、場所格、共格の情報が揃えば完全な情報となる。

叙述構文における情報の核となるものは、用言である。次に核となるものは、用言が必要とする格に関する情報である。格に関する情報を補足して、完全な情報にする働きをする文の成分が「補足部」である。用言と補足部が情報の核であり、叙述構文の骨格となる。

このように、用言は、比喩的に表現すると、情報をより完全にするために上方向に階層的に伸びて行く。一つ一つの階層となるものが補足部なのである。補足部は述部の核となる用言が潜在的にもっている格に関する情報を顕在化させたものとみることができる。したがって、格は用言の多様性に応じた多様性を示すことになる。補足部に現れる格の多様性については「補足部の種類」の項で述べることにする」(p.102-105)。

以上の記述によっても、森が「助詞は、その数は限定されてはいるが、あるいは独立して、あるいは互に組合せられて、殆ど無限に複雑で予料できない現実のニュアンスを映す作用をもち、またそういう無限の可能性を含みうるものとしてのみ観念されることが出来るのである。ただしかし、その「無限の可能性」は「現実」のそれであって、助詞に内在するものではない。助詞はそのもつ方向性のみによって分類されうるもので、その内容としては無限定の現実を映すという規定できない性質をもつのみである。だからそれは、英仏語などにおける前置詞、前置句、あるいは後置句などと違って、言葉の内部の一部であるよりも、言葉と「現実」とを結びつける靭帯の如きものである」と言っていることに対して、それは「言い過ぎ」ではないかと考えてみる必要がありそうです。助詞の使用には、「格」との関連で、明らかに法則性があると思われるからです。

「現実嵌入」とは?

なお日本が主語なしで済ませることができるということに関して、たとえば以下の会話を考えてみます。

a 妻 太郎はどうしているの?

b 夫 公園で遊んでいるよ。

この場合、夫の返事には主格が出てきません。英語なら必ずheという代名詞が出てくるはずです。妻の質問に既に「太郎は」という主格が示されているので、夫は敢えてそれを繰り返す必要がないということなのでしょうか。それとも「叙述構文における情報の核となるものは、用言である」という日本語の特質から来るものなのでしょうか。また、その場合、夫の返事においては、「太郎」という現実の存在が(隠れた)主語となって、それに述語が言葉として添えられているとみなすことができるでしょうか。小池は「補足部は述部の核となる用言が潜在的にもっている格に関する情報を顕在化させたものとみることができる」と言います。この「述部の核となる用言が潜在的にもっている格」ということは、「現実」との関わりでどう理解すべきでしょうか。

小池は言語には、言語的文脈、場面的文脈、言語文化的文脈があると言います。夫の脳裏には太郎が遊んでいる「場面」全体が浮かんでいるはずです。しかし会話の焦点になっているものは、太郎が「遊んでいること」であって、あとは付加的情報とされるのが「日本語」の特質であるということでしょう。たしかにそれは「(場面的)文脈依存的」であって、「構文自律的」ではありません。それを「現実嵌入」と表現することは適切でしょうか。また言葉は場面的文脈(状況)を離れて、どこまで「構文自律的」でありうるでしょうか。一語文が許容されるという日本語の言語文化的特質とあわせて、ここにはなお検討すべきことがありそうです(「日本語に主語はあるのか」ということについては、あとで取り上げる予定です)。

補足部と修飾部

次に小池は「補足部と修飾部」という項で、修飾部の説明に入ります。

「ところで、夫はさらに、こうも言いたかったかもしれない。

e 夫 太郎が公園でまゆみちゃんと楽しそうに遊んでいたよ。

  夫 太郎が公園でまゆみちゃんと仲良く遊んでいたよ。

しかし、妻は、「どのように?」「それで、二人の具合はどうなの?」とは尋ねなかった。「楽しそうに」(形容動詞連用形)や「仲良く」(形容詞連用形)などは、情報に関する評価である。事実に対する評価は主観的なもので、評価的情報は文としてはさしあたり必要な情報ではない。「楽しそうに」や「仲良く」のような評価的情報を表す文の成分を「修飾部」という。修飾部は特殊な場合を除いて、通常情報の核にはならない。叙述構文の骨格とはならないのである。

特殊な場合とは、評価が問題となる場合である。

f 夫 山田さんを見舞って来たよ。

  妻 山田さん、どうだった?

  夫 だいぶ元気になっていた。

  妻 そう。良かったわね。

「だいぶ元気になっていた。」では、修飾部の「元気に」(形容動詞連用形)が情報の核心になっている。ただし、これだけでは、情報の核にはなれない。「なる」という、中身をもたない、言わば「空白動詞」の中身を補充することによって、情報の核となるのである。修飾部は補足部という階層のなかに取り込まれてしまうと考えられる。こういうわけで、修飾部は原則として、叙述構文の骨格とはならないのである」(p.105-106)。

叙部と述部の階層

なお叙述構文の叙部の階層性が次のように図示されています。

叙部                        述部

補足部               修飾部

主格  場所格   共格

太郎が 中央公園で まゆみちゃんと (楽しそうに) 遊んでいたよ。 (p.107

また叙部に階層性が見られるように、「述部の階層」についても論じられています。

述部

中核用言 アスペクト テンス ムード 陳述

遊ん   で い   た   よ   。

さらに、「(外国へ)行かせられていたらしいよ。」という複雑な述部の構造は、以下のように示されます(p.109-110)。

述部

中核用言 ヴォイス アスペクト テンス ムード   陳述

行か   せ・られ て い   た   らしい・よ 。

行か(用言)+せ(使役/ヴォイス@)+られ(受身/ヴォイスA)+て・い(アスペクト)+た(テンス)+らしい(推量/ムード@)+よ(働きかけ/ムードA)+。(陳述)

そして「述部では叙部とは逆に、用言の下方向へ各要素が伸びるように繋がって複雑さを増して行くのである」(p.110)と指摘されています。

補足部の格による分類

次に出てくる「叙部の構造」の「補足部の種類」は、森が「助詞は、その数は限定されてはいるが、あるいは独立して、あるいは互に組合せられて、殆ど無限に複雑で予料できない現実のニュアンスを映す作用をもち、またそういう無限の可能性を含みうるものとしてのみ観念されることが出来るのである」と述べていることに関連してきます。

「補足部は基本的には名詞と格助詞で構成される。原則として用言のすぐ上に置かれ、用言と一体化して情報を明示する働きをする。補足部は用言の潜在的格要求に答えて顕在化したものであるから、用言の多様性に応じて、補足部も多様となる。

体言と用言との意味的関係の在り方を類型化したものを「格」という。補足部を格によって下位分類すると次のようになる。

T時格補足      (六時に駅で会おう。六月四日に源氏物語の講演会がある。)

U場所格補足・位格補足(公園に桜の木がある。池に沢山の金魚がいる。妹に恋人がいる。私に考えがある。文化会館で音楽会がある。公園で遊ぼう。)

V主格補足      (桜が咲く。水が流れる。蝉が鳴いている。山田が結婚した。)

W使役格補足     (弟が兄に本を買いに行かせられた。)

 被使役格補足    (兄が弟に本を買いに行かせた。)

 能動格補足     (子供の頃、父によく叱られました。)

 与格補足      (猫に餌をやる。)

X起点格補足     (京都から急行に乗った。)

 着点格補足     (京都まで新幹線で行った。やっと頂上に着いた。)

 方向格補足     (京都へバスで行った。)

Y依拠格補足     (父に相談してから決めるつもりです。)

 道具・手段格補足  (珊瑚でこさえた指輪。フライパンで炒める。)

 状態格補足     (一人で散歩する。皆で歌った。)

Z対格補足      (図書館で本を読む。購買部で本を買う。)

 共格補足      (来月の十五日に鈴木さんと結婚します。)

 原因・理由格補足  (先週、風邪で学校を休みました。若い頃、貧乏に苦しんだ。)

 付着格補足     (一人でバスに乗る。ポスターを壁に貼る。)

[内容格補足     (人は私をデクノボウと言う。佐藤が医者になったそうだ。)

* ローマ数字は共存する場合の基本配列順序。Tは文頭、[は中核動詞に最も近いところに位置づけられる」(p.111-113)。

なお、国立国語研究所の調査分析(一九六四年)によると、補足部の配列順序は、統計的結果として、次のようになっているとされます(p.113)。

時格+場所格+主格+与格+対格+動詞

小池は、Tから[までの「補足部の基本的配列順序」に関して、以下のコメントを添えています。

「T〜Vは全ての動詞に関与するもので、動態的事象の基本的条件に関する情報を提示するもの。場所格・主格の働きは原則として中核用言が受け止めるが、時格の働きはテンスにまで及ぶ。Wはヴォイスに関与するもの。X、Yは動態的事態が生ずる状況に関する情報を提示するもの。Z、[は動詞の自動詞他動詞や語彙的な意味に直接的に関与するものである」(p.115)。

森は、「助詞は、その数は限定されてはいるが、あるいは独立して、あるいは互に組合せられて、殆ど無限に複雑で予料できない現実のニュアンスを映す作用をもち」と言います。しかし、こと「格助詞」に関する限り、日本語は非文法的言語であると言い切るほど「無原則」ではないように思われます(「連体助詞」の「の」についてはあとで取り上げます)。

小池は、補足部の配列順序に触れたあと、特に「レトリカルな日本語――柔らかな規則」という項目を設けています。

レトリカルな日本語

「レトリックとは、いくつかの可能性として存在する表現形式の中から、ひとつの特異な表現形式を選択することである。表現の形式が一つしかないところではレトリックは生じようがない。また、レトリックには、基準が必要である。基準がなければ、普通の表現とレトリカルな表現との区別がつかないからである。日本語の補足部の配列については、この二つが兼ね備わっている。さらに、補足部は日常的に多用される。そこでいきおい、日本語はレトリカルな言語になる。

A 綜合文化センターで音楽会がある。

b 音楽会が、綜合文化センターである。

「ある」などを中核用言とする存在詞文においては、「場所格+主格」が基本配列順序である。したがって、Aは平凡な表現、事実を事実として表現しているだけの中立的、ニュートラルな表現となる。一方、aは基本配列順序を逆転させたもので、強調表現となる。「音楽会」を強調したレトリカルな表現なのである。ここでは、その強調を明示的に読点で表しておいた。読点は区切り符号である。自然な流れを一瞬断ち切る。その断絶が強調の存在を示すことになる。この場合の読点は、プロミネンス(卓立強調)を意味している。

時格は、いつの場合にも文頭に現れるのが基本配列順序である。

B 七月二日に音楽会がある。

b 音楽会が、七月二日にある。

Bは基本配列順序にしたがったものでニュートラルな表現である。これに対してbは基本配列順序を逆転させたもので、レトリカルな表現になっている。

C 父が私に本を買ってくれた。

c 私に父が本を買ってくれた。

c´本を父が私に買ってくれた。

「主格・与格・対格」が共存する場合の基本配列順序は「主格」「与格」「対格」である。Cはこの順序に配列されているので中立の表現、c、c´は「私に」「本を」の強調表現となる。基本配列順序から外れた場合、一般に文頭に位置するものが強調される。

日本語においては、このようなことが多い。文法的か否かの判定よりも、基本から離れているか否かがより重要なことになるのである。前章で言及した「ハとガ」の相違のうち、「具体的事実の叙述に聴き手の目撃しない事物を初出する時にガを用いてハを用いない」という規則は、いわば例外を許す「柔らかな規則」であった。この柔らかさが、小説の冒頭でのハの使用を許し、レトリカルな表現を生み出していた。これと同様に、補足部の基本的配列順序も柔らかな規則なのである。

ハとガという基本的な助詞の使い分けに関する柔らかな規則、そして日常的に多用される、叙述構文の骨格をなす補足部の配列に関する柔らかな規則は、日本語をレトリカルな言語にする根源的要因と言ってよい。そしてまた、別の観点から言えば、これらの柔らかさが日本語を曖昧なものにもしていることになる」(p.115-118)。

小池によれば、日本語の柔らかな規則と曖昧さということに、日本語の「非文法的」な特質があります。それが森の指摘する「現実嵌入」ということと、どう関わってくるのかということが、なお問われなくてはならないでしょう。

連体助詞の「の」

連体助詞の「の」は同じ章(「叙述構文とはどのような構文か」)の「修飾部」を解説する項目で取り上げられています。先ず次の例文が挙げられ、語順の自由性が論じられます。

赤い薔薇が 公園に たくさん 咲いている 。

この「赤い薔薇が」「公園に」「たくさん」の語順は自由に入れ替えることができ、六通りの語順が示されます。しかし「文字通りの意味で、語の順序が自由という意味ではない。助詞や助動詞は常に名詞や動詞などの後に付けて使用されるのであり、語のレベルでは自由性はないのである。文節のレベル(たとえば、例文の「赤い」薔薇)でも自由性は限定される。真に自由なのは、右に示したように、主格補足部(赤い薔薇が)、場所格補足部(公園に)などの補足部と、「連用修飾成分」(「たくさん」という副詞)および述部という「文の成分」(述部及び述部に直接係っていく語のまとまり)のレベルでのことなのである」(p.131-132)。「ところで、「赤い」は学校文法では「連体修飾語」と称され、「連用修飾語」と並び立つものとされているのであるが、実は、構文的には次元を異にするものである(つまり「赤い」と「薔薇」を切り離すことはできず、まとまって初めて意味をなすということ…引用者)」(p.132)。

そこで修飾部は「連体修飾成分素と連用修飾成分」の二類に分かれることになります。

「修飾部とは、叙述構文の核となる補足部の体言や述部の核となる用言などを修飾したり、それに係ったりして、これらの表す事柄的側面を詳しくしたり、ムードの在り方を予告したりするものである。

修飾部に属する言語単位は大きく二類に分かれる。一つは「連体修飾成分素」(学校文法の「連体修飾語」)であり、他の一つは「連用修飾成分」(同じく「連用修飾語」)である。

連体修飾成分素の働きは叙部にある補足部の体言が受け止めてしまい、述部に及ぶことがない。補足部の核である体言とのみ関係し、補足部(文の成分)の一部としてしか述部と関係することができない。そこで、これを「連体修飾成分素」という。

これに対して、連用修飾成分の働きは述部にまで及び、その機能には補足部と類似するものがある。また、単独で述部と関係しうるので、「連用修飾成分」という。

このように、「連体修飾成分素」と「連用修飾成分」は、修飾部に属するものでありながら、構文的機能において、根本的な相違がある」(p.134-135)。

ここから小池は「連体修飾成分素」と「連用修飾成分」の説明に入ります。ただしここでは連体助詞の「の」に関わる部分だけを取り上げます。

「連体修飾成分素となるものを下位分類すると次の三種類になる。

a 語によるもの(連体詞、動詞・存在詞・形容詞・形容動詞の連体形、及びこれらに助動詞が付加したもの)

b 句によるもの(名詞+の)

c 節によるもの(叙述節によるもの)

これらは形態を異にするが、構文的機能は等しい。補足部の核となる体言と一体化して補足部の一部となるのである。したがって、連体修飾成分素は「より大きな語」(体言)をつくる働きをして、文の内容について詳しい情報を提供するが、文構造には直接的関与はしない」(p.135)。

このような前置きのもとに、先ずはこの本の「連体修飾成分素3――名詞+の」の部分を引用します。

「連体助詞の「の」は学校文法では格助詞の一つとされるが、先にも述べたように、「の」はガ・ヲ・ニなどの連用格助詞と異なり、体言と用言との関係を規定するものではない。また、格的意味関係においても、主格的用法、対格的用法、与格的用法などがあり、格関係を規定する働きを持たない。「の」は体言と体言とを結びつけ、「より大きな語」(体言)をつくる働きをするだけなのである。ただし、「雨の降る日」のような場合の「の」はガに置き換えることができるので、格助詞とすることも可能である。もっとも、この場合でも、主格は意味的・結果的側面であり、構文的には連体修飾の働きをしている。「の」とガの働きの相違を視覚化すると次のようになる。

[[雨の][降る日]]  [[雨が降る][日]] 」(p.139

このあと小池は「「の」の多義性――「の」は近接関係を表す」という項目を設けて、次のように指摘しています。

「「の」の多義性は第一章で言及したウナギ文の多義性に匹敵する。

金の秤     [金ヲ量る秤、金デできた秤、金さんガ所有している秤]

東京の家    [東京ニある家屋、東京ニ私が所有している家屋、東京都ガ所有する家屋]

父の手紙    [父カラ来た手紙、父ノ所へ来た手紙、父ガ書いた手紙]

医者の恋人   [医者ガ交際している恋人、医者ト交際している恋人、医者デある恋人]

黄昏のロンドン [黄昏時ニあるロンドン]

「の」は二つの名詞がなんらかの関係にあることを示すだけで、二つの名詞の関係がどのようなものであるかは、名詞相互の意味や文脈に委ねられているのである」(p.140)。

なお「の」について、小池は「美しい日本の私――複雑怪奇な「の」」という項目も設け、上に述べられたことをさらに補強しています。

「連体修飾成分素は体言を修飾するという構文的機能をもっているだけで、被修飾語を選択する機能はない。このため、被修飾語となりうる体言が複数存在する場合、その表現は多義となる。

川端康成がノーベル賞を受賞した時の記念講演のタイトルは「美しい日本の私」であった。自らを「美しい」と言うわけはないので、「美しい」という連体修飾成分素は「日本」を修飾していることがわかるのだが、この表現は、「曖昧性」を特徴とする日本文学の旗手の講演のタイトルとして、いかにもふさわしいものである。

草稿には「日本の美と私」とあったという。これを日本の線で消し、新しく「美しい日本の私」を題にしたそうだ。そして、この推敲の意味を尋ねられて、川端は次のように答えている。「あつかましい題をつけてしまいましたが、のはまことに複雑怪奇なことばでして、まあ、日本のことをしゃべれば、それはすべて自分のこと、といった意味です」(朝日新聞・天声人語、一九九四年七月二十五日)。

「の」が複雑怪奇なことばであるというのは、おそらく、前述の多義性とここで述べた被修飾語を選択しないという無限定性を意味するものと思われる。

難しい子供の教育    [難しい子供の 教育、 難しい 子供の教育]

有名なA大学のB選手  [有名なA大学の B選手、 有名な A大学のB選手]

優秀な山田君の弟    [優秀な山田君の 弟、 優秀な 山田君の弟]

これらの両義性、曖昧性は、言語的文脈、場面的文脈、文化的文脈の助けをかりないと解決できないものである。これは、日本語が有する構造的欠陥の一つということができるが、川端康成のように積極的にこの曖昧性を利用することもできる」(p.147-148)。

なお助詞には、「か」「さ」「わ」「ぞ(ぜ)」「な(禁止)」「よ(い)」「ね(な)」の、終助詞間投助詞があって、日常会話や詩歌にニュアンスを添えています。これもまた日本語が曖昧であるという印象を与えるもとになっているとも言えます。

ここまで辿ってきて、森が「助詞はそのもつ方向性のみによって分類されうるもので、無限定の現実を映すという規定できない性質をもつ」と言っていることは、特に連体助詞の「の」に関して、小池が指摘する「多義性」、「曖昧性(両義性)」のことであると、言い換えることができるかもしれません。それらは「言語的文脈、場面的文脈、文化的文脈の助けをかりないと解決できないものである」からです。しかし格助詞にしても、その分類は多岐にわたっており、森の指摘する通りであると言えなくもありません。ここで稿を改めることにして、いったん森の論述に戻ります。


Z 現実嵌入型言語 その3

森有正の議論は愈々核心に迫ります。

「このことは助詞以外の品詞をとっても、説明することができる。例えば、代名詞、あるいは指示詞である。所謂コ―ソ―ア―ドの体系である。「これ」という言葉一つを取ってみても、それは指示代名詞と呼ばれていても、すこしも代名詞ではない。「これ」は話し手の近くにあるものを、直接に指しているので、何か他の名詞、すでに文中に現れた、あるいは少なくとも文中に含意された名詞に代るものではない。「これは本だ」と言う場合、「これ」は現にそこにある本そのものである。だから、その本が極めて判っきりしていれば、「これは」というのを省いても一向差し支えがない。現実にそこにある本と「本である」という言葉とで一つの文章になっている。だから現実が言葉の中に嵌入していると言ってもよい。また「これ」は「それ」、「あれ」などに対して、話者の近くにあるもの、あるいはこれから話者が言及しようとするものを指しており、話者とその話し相手が判っきりと対話の展開する「空間」を、その対話そのものの構成自体としてそこにあらしめるのであって、言葉はそこから抽象されていない。それは、今ここでは直接触れないけれども、逆に、言葉が現実と同じ強さをもって来る理由にもなっている。これは亦別のところで展開してみなければならない。ただ一つだけ言っておきたいことは、この「現実嵌入」は、言葉に対する現実との照合による批判を非常に弱めているということだけを言って置きたいと思う。こういう「現実嵌入」は、感覚の理性への嵌入と一般的に言い換えてもよい。それは今問題になった指示詞だけではなく、他の語についても、程度の差こそあれ言えることなのである。著しい例は固有名詞についてもみられる。ある文中に例えば「田中さん」という固有名詞が現れると、その田中さんが何回でも繰り返され、「かれは」となることは普通はない。「その方は」、「その人は」という言い方は、代名詞であるかどうか非常に疑わしく、それらは一度文中に現れた「田中さん」という名詞を代表するのではなく、その都度、田中さんという人自体のことなのである。だから文章によっては、単純に省略されてしまうが、そのために文章が不完全になることはない。田中さんその人が文章の構成要素として、そこにいるからである。この「田中さん」というのは、凡ゆる限定を受ける以前の、感覚に直接入って来るその人そのものであり、それは一つの現実として、陳述そのものに凡ゆる仕方で影響を及ぼすのである。このように現実を生のまま荷なっている文章に批判的性格が甚だ乏しいことは言うまでもないであろう。

もちろんこの論議に多くの異論が提起されるであろうことは予想していないわけではない。例えば「これは」に当る英語のthisあるいはit、フランス語のceあるいはceciは、その場合の「これは」と同じような性格をもつものではないか、というような反論もその一つであろう。しかし英語あるいはフランス語におけるそういう指示代名詞は、すでに限定されている他の語を含意していると考えることができる。少なくとも語感そのものから言って、現実をそこに導入するものとは考えにくい。のみならず、それが先行の文章(表現されているかいないかに拘りなく)によって限定されている場合が多いのである」(p.122-125)。

ここで森が、「「これ」は「それ」、「あれ」などに対して、話者の近くにあるもの、あるいはこれから話者が言及しようとするものを指しており、話者とその話し相手が判っきりと対話の展開する「空間」を、その対話そのものの構成自体としてそこにあらしめるのであって、言葉はそこから抽象されていない」と述べるとき、その「空間」とは、小池の言う「場面的文脈」と理解してもよいのではないでしょうか。つまり日本語は場面的文脈から「抽離」されていないということでしょう。だから話者と聴者とが場面的に共有し、共通の話題としている事物については、敢えて言葉として表現する必要がないということなのでしょう。言い換えれば、日本語は「状況埋没的」であるということになります。

「文脈依存的」でない言語はありません。問題は、言語はどこまで「構文自律的」でありうるかにあります。小池の言う「非自律的文」(一語文、ウナギ文、連体助詞「の」の多義性、「主語」なしに成り立つ「文」など)が許容されるという、言語文化的文脈において、場面的文脈に大きく依存せざるをえないというところに、日本語の「構造的欠陥」があるのだと言えるかもしれません。「言語的文脈」の自律的拘束力が強ければ、場面的文脈との間に乖離が生じ、そこに言語使用の「批判的性格」が生まれてくるのに、日本語にはそれが乏しいという森の指摘は検討に値します。それは「日本語は文法的言語であるのか」という森の問いかけにもつながってきます。

言語には、一般的に言って、生活言語(生まれ育った環境の中で「母語」として身につけ、日常生活において使用される言語、親密性を帯びた言語)と情報言語・学習言語(学校で習い覚える、書き言葉に媒介された抽象度の高い言語、公共性を帯びた言語)との区別があります。情報言語は「改まった言い方」をする言語で、スピーチ(またはパブリック・スピーキング)を可能にします。日本語でも教科書の言葉、報道の言葉は情報言語のはずですし、そこに曖昧さを残すことは許されないことです。政治家の使う言葉も情に訴えるだけでは、パブリックな言説であるとは言えないでしょう。だから森が指摘することは、単に言語の問題ではなくて、日本の社会にはパブリックな空間がまだ十分に育っていないという、社会的な問題として捉えるべき側面があります。それはあとで取り上げることにして、ここで再び小池の本に戻って「日本語に主語はあるのか」を検討することにします。この項の最初に掲げた大江健三郎の問題提起にも関連する事柄です。

小池はこの節を「学校文法で主語と称されているものを、本書では、これまで、補足部の一種の主格補足、あるいは単に主格と称してきた。次に、いわゆる主語について、どう扱うか考えておこう」(p.118)と切り出します。

初めに「subjectの訳語として形成された「主語」」が論じられます。

大槻文彦が『広日本文典』(一八九七年刊)において、近代的日本文法を構築して以来、「主語」は、構文論の重要な要素として位置し続けた。

「花、咲く。」「志、堅し。」ナドイフニ(中略)「花、」又「志、」ハ、其作用ヲ起シ、又ハ、其性質ヲ呈スル主タル語ナレバ、主語(又ハ文主)ト称シ、「咲く」又ハ、「堅し」ハ、其ノ主ノ作用性質ヲ説明スル語ナレバ、説明語ト称ス。(中略)主語ト説明語トヲ具シタルハ、文ナリ、文ニハ、必ズ、主語ト説明語トアルヲ要ス。

大槻文法において、主語は説明語(述語)とともに文の必須要素であった。このように「文」と「主語」との関係をみれば、大槻文法が欧米文典の影響を色濃く受けたものであることは明白である。主語は先ず「subject」の訳語として、近代日本文法の世界に取り入れられたものである。大槻文法においては、主語は「文の定義」と密接に関係しており、なくてはならぬ重要な文の成分なのであった。

しかし、日本語には、「二に二を足すと四になる。」「これで、放送を終わります。」「酒は米から作る。」などのように、大槻のいう主語なしでも「文」となるものが多数ある。大槻はこれらについては、主語が省略されたものと苦しい判断をしたのである。「既にして、略語を種々に補うことを考えて、端緒を得て」(『広日本文典別記』「自跋」)という述懐は、欧米文典の枠組みで日本語の文法を構築することの無理を承知したものであることを明らかにしたものと考えられる」(p.119-120)。

今につながる学校文法の枠組はこうして大槻文彦によってつくられました。しかしこれとは異なる学説を唱えた文法学者の説を、小池は順次紹介しています。

意味的関係としての「主格」という概念

「大槻の無理を的確に指摘したのは山田孝雄であった。

主格とは何か。従来は之を文の主体なりといへり。然るに吾人の研究する所によれば、文は必ずしも主格述格の対立する形をとるものにあらずして、主格述格の区別を認むること能はざる形式の文も存するなり。この故に文の主体即ち主格なりといふことは事実の上に於いて普通性を有せず、又説明の上にも通ぜざる所あるなり。(『日本文法学概論』)

山田は、「文主」としての「主語」(subject)は日本語には不適当だと断言する。日本語においては、「主語」(山田のいう「主格」)は文の必須要素ではないのである。

そして、さらに次のように述べる。

されば、主格といふものは実に体言が他の語、主として用言に対して実地に用ゐらるる場合の関係の一の範疇にして語の運用論の範囲に属すべきものたること明らかにして、句論の範囲に於いて説くべき性質のものにあらざるなり。

「主格」は「運用論」(一種の「意味論」)の概念であり、「句論」(構文論)の概念ではないと断定する。

山田は、「主格」に立つ語を「主語」と名付けているので、山田文法においては、同義語のようなものであるが、その「主格」「主語」の概念規定は大槻のものとは大きく異なることになる。彼の「主格」は、「体言」と「主として用言」との意味的関係の一種なのである。

ところで、山田は、「主格述格」の区別がない文の存在を理由にして、「主格」は「句論」(構文論)の問題ではないと主張する。確かに、日本語の「文」のなかには、「主格」(主語)のないものもあるのだが、一方、「風が吹く。」のように、「主格」(主語)があるものもある。この場合の「風が」は、「運用論」上、「主格」であることは、山田の言うとおりなのであるが、「句論」では、どうなるのか。山田の所論でははっきりしない。ここに、山田文法の「主格」「主語」の論の不備があるように思われる。「主格」と「主語」は文法的なカテゴリーを異にする概念として規定すべきだったのではなかろうか」(p.120-122)。

文の成分としての「主語」

「言語の単位を、談話(文章)・断句(文)・詞(文の成分)・原辞(形態素)の段階とし、文の成分を構文論の単位として、画然と定位したのは松下大三郎であった。彼は、成分関係を、「主体関係…主語と叙述語」「客体関係…客語と帰着語」「実質関係…補語と形式語」「修用関係…修用語と被修用語」「連体関係…連体語と被連体語」の五種に分け、「主体関係」の定義を次のように下している。

或る事柄の観念が主体の概念と作用の概念との二つに分解され再び同一意識内に統合された場合に、二者の関係を主体関係といふ。前者を表す成分を主語と云ひ、後者を表す成分を叙述語といふ。

咲く 出づ 高し 小なり 花が咲く 月が出る 山が高い 月が小い

  は主語であって  に従属し、  は叙述語であって  を統率する。(『改撰標準日本文法』

この定義は、山田の「主格」の定義に極めて類似している。松下は、「詞」(文の成分)における関係を論じながら、実は、意味的関係(事柄と事柄との関係)を抽象的に観念的に把握し、論じているものと判断される。

松下文法の優れている点は、構文論の単位を「詞」として画然と立てたことなのであるが、その「主語」の定義を見ると、大槻のそれとは全く異なる。松下は、「主語」を「叙述語」(大槻の「説明語」、いわゆる「述語」)に「従属」するものと記述している。これは、次に述べる、「主語=連用修飾語」説、「主語=主格補充成分」説に近似した考え方であろう。松下の「主語」も「文主」(subject)ではない。

なお、「主語」「主格」に関連する「主題」という概念を「題目語」という用語で、構文論に初めて導入したのも松下である」(p.122-123)。

主語否定論・「主語=連用修飾語」説

「橋本進吉は「主語」を文の成分の一つにして構文論を構築しているが、「文主」としての「主語」を認めているわけではない。橋本は、「お寺の 鐘が かすかに 鳴る。」の「鐘が」も「かすかに」も、「鳴る」の意味を「委しく定める」働きをしており、「主語」と「連用修飾語」との間には「根本的の相違があるとは考へない」(『改制 新文典別記口語篇』)と述べている。「主語」と「連用修飾語」とは本質的に変わらないが、便宜的に「主語」を立てておくというのが、橋本文法の「主語」の扱いである。

時枝誠記は「主語格」を立てているが、「述語から抽出されたもの」(『日本文法 口語篇』)という独特の把握法のもとに「主語」の「文主」性を否定している」(p.123-124)。

「主語廃止論」

「結局のところ、「文主」としての「主語」(subject)を立てて、構文論を構築しているのは大槻文法ただ一つであるのだが、国語学会の大勢が「主語」を認めているかのような勢いに対して、「主語廃止論」を提唱したのは、三上章であった。

陳述を決定する述語は、定動詞(finite verb)であり、普通は前方に、これと一意的にタイアップする主格(nominative case)の代名詞または名詞がある。これが文法上の主語であって、@動作・作用のにない手を、あるいは性質・関係の帰属する当の事物を表わしている。主語と述語との一意的つながりは、A述語たる定動詞が主語と人称的に呼応する(例えばI am, You are, He is)という制約の上に成り立っている。(『国語学大辞典』)

ここで論じられている「主語」は明らかに英文法の「主語」(subject)であるのだが、このような意味での「主語」は日本語にはないというのが、三上の主張である。これは全くそのとおりである。英語と日本語は異なる言語であり、一方の言語現象を基準にして、他の言語に全く同じ言語現象を求めることは、本来不可能なのだから当然なのである。また、この論理に立てば日本語には「述語」(predicate)も同様に存在しないはずなのだが、三上は「述語廃止論」は唱えていない。これは不思議な論法と言うべきだろう。三上文法の真価は、「主語廃止論」にはなく、左に紹介する「主格の優位性」という文法上の言語現象を明らかにしたことにある。

一、主格はほとんどあらゆる用言に係るが、他の格は狭く限られている。

二、命令文で振り落される。

三、受身は主格を軸とする変換である。

四、敬語法上で最上位に立つ。

五、用言の形式化に最も強く抵抗する。  (『現代語法序説』)

これらの他に、体言を修飾する連体従属節において「主格の『ガ』だけは『ノ』に変えられるが、『ヲ』以下の格助詞にはこのような可変性はない」(『続・現代語法序説 主語廃止論』)という「ガノ可変」現象を「主格の絶対的優位」を示すものとして指摘している」(p.124-126)。

「主語=主格補充成分」

「三上文法のプラス面を積極的に評価し、発展させたのは北原保雄である。彼は、三上が言うとおり、日本語には、述語と独占的に関係する成分はないとし、「主語」とされているものは、「主格補充成分」であると主張する。

日本の場合、たとえば、「明日は雨が降るだろう。」の「雨が」は、

雨が 降る だろう

のように、「降る」とだけしか関係しない。(中略)むしろ、「明日は」のほうが、

明日は 雨がふるだろう

のように述語全体と大きく関係すると解釈されるが、「明日は」は主語ではない。かくして、日本語には主語があるかという問いの答えは、ない、ということになる。(『日本語の焦点』)

山田、三上と同様に「主語」を否定し、主格(補充成分)を立てた北原は、これを次のように下位分類する。

主観的主格と客観的主格 (私が リンゴが 好きだ。)

能動主体と所動主格   (私が リンゴが 食べられる。)

全体主格と部分主格   (象が 鼻が 長い。)

北原は、用言・体言を一方的に修飾する「修飾成分」と、用言の統括する機能と相互的に関係し「補充」と「統括」という関係を結ぶ「補充成分」とを峻別する。「主語」は、その「補充成分」の一種と位置付けたわけである」(p.126-127)。

「主語」設定論

「三上文法の「主格の優位性」を拡充しつつ、三上とは逆に、日本語の文法に「主語」を認めようとする主張が、久野ワ・柴谷方良らにより展開されている。

@ 格助詞「が」で示される。

A 基本語順で文頭に起こる。

B 尊敬語化を引き起こす

C 再帰代名詞の先行詞として働く。

D 等位構文においてΦ(小池注、「省略される名詞句」のこと。以下同じ)となったり、Φの先行詞として働く。

E 主文と補文において同一名詞が要求される構文では、補文のΦとなる。

F 「の」「が」の交替を許す。

G 恣意的なゼロの代名詞がその位置に起こる。(柴谷方良「主語プロトタイプ論」『日本語学』一九八五年十月号)

要するに、主格は他の格に見られぬ多くの「統語的特性」をもっているのであるから、「主語」を設定したほうが、日本語の構文論としては便利だというのが彼らの主張である。

主語設定派の問題点は、彼等の挙げる例および例の解釈がご都合主義に陥る傾向にあるという点である。例えば、柴谷の「G恣意的なゼロの代名詞がその位置に起こる」は、次のような言語事実に基づく立論である。

「本を読むことはいいことだ。」という、「人々が」や「どのような人でも」が省略された、即ちゼロ代名詞の主格の表現は可能だが、「子供が尊敬することはいいことだ。」や「僕は一生を捧げたい。」のような、対格や与格がゼロ代名詞となると考えられるような表現は「非文」であると主張する。

しかし、「ピアノ、教えます。」「安く売ります。」のような与格や対格が省略されてゼロ代名詞化したと考えられる表現は極めて日常的な日本語である。「ゼロの代名詞がその位置に起こる」のは主格に限ったことではなく、対格や与格にもあるのである。「主語設定」派の所論は吟味、再検討を要する」(p.128-129)。

文の成分としての「主語」

A 風が 吹く。

 B 風が 吹く日。

「主語=連用修飾語」説、「主語=主格補充成分」説、どちらの説でも、ABの「風が」の区別がつけられない。前者に従えば、Aの「風が」もBの「風が」も、「連用修飾語」になり、後者では「主格補充成分」になってしまう。「主語設定」派でも同様である。どちらの「風が」も「主語」であり、ABの差はないということになる。要するに既存の説では、Aの「風が」とBの「風が」は構文的に同じものと認定することになるだろう。しかし、これらの「風が」が構文的に異なることは明瞭である。

Aの「風が」は、述語(文の成分)「吹く」(終止形)と関係し、文を構成している。また、「風は」に置き換えられるが、「風の」にはおきかえられない。

一方、Bの「風が」は、述語的用言(文の成分素)「吹く」(連体形)と関係し、連体従属節(文の成分素)を構成している。また、「風の」に置き換えられるが、「風は」には置き換えられない。

このように、明らかに異なるものを、同一のものとしか認定できない構文論は無力というほかない。

Aの「風が」は、意味的関係においては「主格」であるが、構文論的には、「主語」(文の成分)である。

Bの「風が」は、意味的関係においては「主格」であり、構文論的には「主格成分素」(文の成分素)なのである。

日本語の構文論においても、「主格」と「主語」の区別は必要である。ただし、この「主語」は「文主」としての「主語」(subject)ではない」(p.130-131)。

小池の「日本語に主語はあるのか」についての論述はこれで終わります。ここからは森が指摘するような問題点は直ぐには見えてきません。英語にあるような主語と述語の関係は日本語にはないということは明らかですが、日本語の構文論的特徴については専門家の間でも議論が錯綜しているようです。しかし、仮に「主語=連用修飾語」説が正しいとした場合、「お寺の鐘がかすかに鳴る。」という表現の中核にあるものは「鳴る」という用言であるということになります。「鳴っている」という事態が先ずそこにあって、その焦点的な現象を補足的に説明する表現として、「鐘が」→「お寺の(鐘が)」→「かすかに」という修飾語が、場面に即して付加されてきます。そこでは、「私は聞く」とか「鐘が鳴る」とかいう主語‐述語関係に規定された英語の「センテンス」とは異質な形で、「鳴る」という原初的事態がそのまま先行的に把握されていると言うことができます。もし「現実嵌入」という言葉を使ってよければ、それは現実の事物が「主語」になっているということではなく、現象を先ず以て「鳴っている」こととして把握する日本語の特徴にこそ求められるべきものではないでしょうか。そこには現実と言語表現との間の距離が初めから存在しないと言ってもよいでしょう。日本語の成り立ちがもしそのようなものであるとすれば、「このように現実を生のまま荷なっている文章に批判的性格が甚だ乏しいことは言うまでもないであろう」という森の主張は正当であるということになります。

この問題に関連して、小池がなぜか簡単に済ませている時枝誠記の説を、「日本語の論理と〈場面〉の支配」というテーマで詳しく論じている中村雄二郎の文章を引用してみたいと思います(『場所 トポス』弘文堂、1989年)。

日本語の論理と〈場面〉の支配

「言語によってものを考えようとするとき、われわれは誰でも否応なしに、或る自然言語が形づくる体系、つまりなんらかの国語(ラング)のうちで、また、それによって考えないわけにはいかない。そのことは、おのずと身につける母国語だけでなく、その後に習得した外国語についてもそうである。そして国語とはそのまま文化の体系であるから、それぞれの国語によって人々をとり巻く世界の捉え方も違ってくる。

国語による世界の切りとり方の違いについて、日本語と英語の間でよく言われるのは、青いとブルー、兄とブラザーなどの意味のずれであるが、フランス語と英語のように文化的にもっと近い国語間にも見られる。たとえば、フランス語では牛、仔牛、羊、豚はそれぞれ一つの語で表わされるが、英語では食肉の場合と生きた動物の場合とでは違い、二つの語で表わされる(一例を挙げれば、牛はフランス語ではブフ…仏語入力不可…、英語ではbeefcow)。

国語と世界観との間に密接な関係があることをはっきり主張したのは、E・サピーアとBL・ウォーフである。サピア/ウォーフの仮説によれば、一般に人々は、言語的な背景が同じであるか似ているのでなければ、経験によって同一の世界像に導かれることはない。サピア/ウォーフによれば、ヨーロッパ人は言語によって形のないものに形を与え限定したり、非空間的なものを空間化して捉えたりする傾向が強い。それに対して、アメリカ・インディアンのホピ語では、現実を生起するものとして、また、さまざまな継続として捉える傾向が強い。

このような見地からヨーロッパ人の言語活動を捉え直してみると、それは強い実体化の傾向を持ち、すべての事象を《SP》つまり《S is P》によって捉えようとしたことがわかる。その点について、もう少し立ち入っておこう。

たとえば《A bird sings.》という文は、繋辞(is)を欠いているが、伝統的な形式論理学では、これを《A bird is singing.》あるいは《A bird is in the state of singing.》というふうに、《S is P》のかたちに書き換えて、その論理構造を問題にする。あらゆる文あるいは命題を《S is P》のかたちに還元して考えるこのような形式論理学の思考、およびそれと表裏一体をなす伝統的形而上学の思考にあっては、坂部恵(『仮面の解釈学』一九七六年、第三章)が明確に捉えているように、次のような三つの基本的な特徴が見出される。

(1) 思考がSPの異同や帰属の在り様を問う結果、〈同一律〉とその反面たる〈矛盾律〉が思考の最高原則になること。

(2) 思考が主語を軸としてなされる結果、最高の普遍者を〈主語となって述語とならない〉〈基体〉あるいは〈主体〉(hypokeimenon, subjectum)として捉えるいわば〈主語中心的〉な思考が成立すること。

(3) 繋辞になる存在の動詞(たとえばis)が、あらゆる命題に潜在していると見なされるので、〈存在〉についての思考つまり〈存在論〉が哲学のもっとも基本的な部門とされること。

述語論理学が批判し、是正しようとしたのは、このような西欧の伝統的論理学(アリストテレス論理学)に対してであった。たとえば《彼は人々を食事に招く》という命題について、これを述語論理学のやり方で表わすとG(x、y)となるわけだ(Gは食事に招くであり、xは彼、yは人々である)。

もう一度、《彼は人々を食事に招く》という言い方を振り返ってみると、これは一応日本語のように見える。が、日本語としてもっとふさわしい表現には、《彼の家で一席設ける》や《彼の家で宴会が開かれる》などがある。それは主体や主語ではなく場所を明示する言い方である。また、《後鳥羽上皇におかせられては吉野に行幸された》と言うとき、それは上皇が行幸という移動行為を行なったように見えるが、実は、〈おかせられては〉という日本語の表現では、上皇という場所で行幸という行為が行なわれたことになっているのである。

このように敬語について考えてみると、とくにはっきりするが、実は《彼は》の〈は〉も、ふつう言われているように、主語を示す格助詞、主格の助詞というよりは、佐久間鼎(『日本語の言語理解』一九五九年)が提唱したように〈提題の助詞〉と言うべきなのである。すなわち、それは、話し手、聞き手の置かれた場とは別の〈課題の場〉を設定し、〈主―述〉の分節以前の文の導入部を形成する役割を持った助詞であるとされたのである。

この考え方を受け継ぎ、発展させた三上章(『日本語の論理』一九七七年)は、英語のsubjectが主語とともにthemeあるいはtopicつまり主題の意味を持つことに着目した上、英語(広くは印欧語)の基本的構文の〈主語―述語〉(〈SP〉)に対して日本語のそれはむしろ〈主題―述語〉(〈TP〉)で表わされるとした。三上自身は、この主題を修辞学的なトポスや存在論的な基体と結び付けてはいないけれども、そこには当然結び付きがあるわけである。

さらに、日本語における場所的なものの支配は、国語学者の時枝誠記によって〈場面の支配〉というかたちで捉えられた。すなわち彼はその立場を〈言語過程説〉と名付けているが、その理論のもっとも核心的なところに位置するのは、言語の存在条件としての〈場面〉の捉え方である。すなわち、『国語学原論(上)』(『同(下)』)(一九四一年)において、時枝は書いている。

場面は、主体や素材とともに具体的な言語経験の存在条件を形づくっている。そして場面の意味は、たとえば《場面が変る》、《不愉快な場面》などと言うように、場所の概念とも通じるが、場所の概念が単に空間的、位置的であるのに対して、場面の方は場所を充たすものを含んでいる。しかも場面は、《場所を充たす事物、情景と相通ずる》だけでなく、《これらの事物、情景を志向する主体の態度、気分、感情をも含んで》いる。

したがって、《場面は純客体的世界でもなく、又純主体的作用でもなく、いわば主客の融合した世界である》。そのような意味で、われわれは常になんらかの場面に生きており、われわれの具体的な言語体験はこの場面において見られるのである。つまり、言語は単なる主体の内部的なものの発動ではなくて、これを制約する場面において表現されることで、はじめて完成する。そのことをよく示すのは敬語であり、《暑いね》と《暑うございますね》という二つの表現が異なるのは、場面の違いによる。

時枝はこの〈場面〉の考え方を、わが国の伝統的な〈事としての言語〉観の上に立った〈てにをは〉論と結びつけて、言語をその客観的表現としての〈詞〉と主観的表現としての〈辞〉との統一として捉え、日本語の基礎構造に鮮やかな照明を当てた。すなわち、彼は言う。語には、ものごとを概念化、客観化して表わす〈詞〉と概念化、客観化を経ない直接的表現としての〈辞〉とがある。山・川・犬・走るなどはもちろん、主観的な感情を客体化、概念化した嬉し・悲し・喜ぶ・怒るなども〈詞〉に属する。それに対して、否定をあらわす、推量をあらわすなどが、主体の直接的表現としての〈辞〉である。

この〈詞〉と〈辞〉との区別は、国語学のうちに伝統的に見られるものであるが、とりわけ、本居宣長門下の鈴木朖(アキラ)の〈詞〉と〈てにをは〉(つまりは辞)という区別には、前者を《ものごとを指し表はすもの》、後者を《それを働かす心の声》を意味するということがすでに示されている。だからこそ、たとえば嬉しは、主観的な情動に関わるけれど、概念化、客体化されているので、第三者についても《彼は嬉し》と言いうるのである。それに対して、推量を表わすは主体的なものの直接的表現であるので、《花咲かん》というふうに発話主体の推量には使えても、第三者の推量には使えないのである。

この詞的表現と辞的表現とは、ヨーロッパの言語ではしばしば合体して一語として表現される。ところが日本語では、分かれて使われている。というより、日本語では文は詞と辞とによって構成されている。その上、詞は辞によって包まれ、統一されている。たとえば《花よ》というとき、詞である花は辞であるによって包まれ、この関係は、花よというかたちで示される。また、《匂の高い花が咲いた》という文は、

[[[[匂]+の 高い]■花]+が 咲い]+た

というかたちで表わされる(図形を変えました…引用者)。この場合、はいずれも辞であり、高いのあとの■の部分は、そこで辞がゼロ記号のかたちをとっていることを示している。そして、が匂を、が匂の高い花を、が匂の高い花が咲くを包み、統一していることを表わしている。

このように捉えられた日本語の統辞論(=構文論…引用者)の仕組みは、われわれが日本語の論理を考える上で、いくつかの有力な手掛かりを与えてくれる。すなわち、

(1) 日本語では、文の全体が幾重にも最後に来る辞=主体的表現によって包まれるかたちで成り立っているから、大なり小なり主観性を帯びた文が常態になる。

(2) 日本語では、文は辞によって語る主体とつながり、ひいてはその主体の置かれた状況=場面とつながる。だから、場面による拘束が大きい。そのことは、前述の敬語の例がよく示している。

(3) 日本語の文は、詞+辞という主客の融合を重層的に含んでいるから、体験的にことばを深めるには好都合であるが、その反面、客観的・概念的な観念の世界を構築するのには不利である。

(4) 日本語の文では、詞+辞というその構造によって、第二人称はおろか第一人称の主語も、客体化され概念化された詞となり、真の主体は辞のうちに働きとしてだけ見出されることになる。したがって、文法上での形式的な主語の存在はあまり重要ではない。

これらの諸点は、日本語の基本的な特徴をよく示しているだけでなく、西田がその〈場所の論理〉で説いたことと明らかに相通じるものを持っている。とくに第四の点は、西田の述語主義にはっきり対応する考え方を示している。西田は論文「場所」のなかで、あたかも時枝による日本語の統辞論に呼応するかのように、次のように書いている。

《所謂主客合一とは主語面に於て見られたる自己同一であって、更に述語面に於て見られる自己同一といふものがなければならぬ。前者は単なる自己同一であって、真の自己同一は却って後者にあるのである。直観とは一つの場面がそれが於てある場所の面に合一することであるが、斯く二つの面が合一すると云ふことは単に主語面と述語面とが合一すると云ふことではなく、主語面が深く述語面の底に落ち込んで行くことである。》(全集第四巻、傍点→下線、中村)

《働くと云ふのは主語面が述語面に近づくと考へられる如く、又述語面が主語面に近づくことである、述語面が主語面を包んで余地あるかぎり働くものとなる。》(同第四巻、傍点→下線、中村)

したがって時枝の所説は、期せずして西田の〈場所の論理〉を日本語の統辞論において明らかにしたことになる。いま期せずしてと言ったが、時枝が〈場面の支配〉を説いたとき、西田の〈場所の論理〉がその念頭にあったのではなかった。それだけにこの符合は注目に値する。

もっとも、だからと言ってもちろん、述語本位の思考方法は〈日本語の論理〉の専売特許ではない。そのことは、すでに記号論理学の一つである〈述語論理学〉について見た通りであるが、さらに、述語的な論理は、アリエティのいう〈パレオロジック〉のうちに見出されるのである」(p.182-193)。

小池清治が「時枝誠記は「主語格」を立てているが、「述語から抽出されたもの」(『日本文法 口語篇』)という独特の把握法のもとに「主語」の「文主」性を否定している」と指摘しただけで、それ以上「独特の把握法」の内容に触れていないのは、三上章が「主格の絶対的優位」を主張したように、日本語の構文はそれだけで片づけられないという「判断の保留」が働いたためかもしれません。しかし時枝文法が日本語のある一面を鮮やかに取り出しているということは、確かなことであるように思われます。

なお、西田の述語主義、あるいは〈場所の論理〉と、時枝文法との「符合」ということについては、さらに検討を要するところでしょう。中村は『西田哲学の脱構築』(岩波書店、1987年)においても、二箇所にわたって両者の「共通性」を論じています(p.52, 83)。しかし我々の文脈において特に注目すべき点は、「日本語では、文は辞によって語る主体とつながり、ひいてはその主体の置かれた状況=場面とつながる。だから、場面による拘束が大きい」とされているところでしょう。それは森有正が「それ(助詞)は、英仏語などにおける前置詞、前置句、あるいは後置句などと違って、言葉の内部の一部であるよりも、言葉と「現実」とを結びつける靭帯の如きものである、と言った方がよいように思う」と述べていることに通じるからです。


現実嵌入型言語 その4

敬語法の問題

森有正の論述に戻ります。

「ここから問題が色々な方向に分岐発展することが明らかであるが、日本語における敬語法の問題、人称の問題、命題の問題に限って少しく所見を述べてみたい。

私はこの日本語のコ―ソ―ア―ドの体系を外国人の学生に判らせるのに大変苦労したが、これは私だけの個人的経験ではなく、同僚の教師達も同じ困難を語っていた。そのことは、以上私の述べたところを裏書きしているように思われる。しかしそれに劣らず苦労したのは敬語の問題である。日本語の敬語が複雑極まりないことは周知の事実である。しかも、日本人である以上、原則として敬語法を決して間違えないことも亦事実である。我々には敬語法を無視して話す方がずっと意識的努力を要する。これには二つのことが言えると思う。敬語法(貶語法も含む)が日本語全体のノーマルな性格であり、敬語法を離れた言い方はむしろ例外的なのである。これが一つと、もう一つは、以上のことと関連しているが、これ亦「現実嵌入」の顕著な例だということである。日本の社会が、上下的、直接的二項関係の連鎖・集合から構成されていることは、すでに述べたところであるが、敬語法こそは、そういう社会構成そのものを内容としているのである。だからその社会の中に生きていることと敬語法を駆使するのとは全く同じことなのである。今日、敬語法が乱れて来たと言われるが、それは現代における二項関係の在り方が変化して来たのであって、二項関係そのものが解消するとか、敬語法そのものが些かでも弱まって来たということを少しでも意味しているのではない。こういう種類の誤解は、戦後の日本文化の到るところで見られるように思われる。この点を絶えず注意しなければ、千万の文化論も、本質的には甚だ皮相なものになってしまうであろう。

私は、近く刊行する予定である仏文の『日本語教科書』(仏語省略…引用者)の中で次のように敬語法について述べた、

「日本語において、敬語は、特に重要な、特権的でさえある位置を占めている。正にこの特殊な相の下に、日本人の現実の社会生活とその言語空間とが内密に触れ合うのである。その情動的/エモーティフであることにおいて本質的に日本的である社会構造は、直接に敬語の中に流入し(あるいは敬語において日本語の中に嵌入し、と言っても同じである)、それによって、この共同体(日本の社会)の人間関係を言葉の中に忠実に実現しているのである。

敬語は、従って、日本語の単なる一部分ではない。それは日本語のもっとも内奥の機構に根ざしているのである。敬意の積極的、消極的な様々な度合は、緊密に階層化/イェラルシゼされた共同体にすっぽり浸っているこの言葉の表現に具体的生命を与え、それの運用を決定しているのである。こういう条件の下において、[敬語に対して]中性的な言表は、この言葉にとってはむしろ例外なのである。

敬語は幾つかの観点から扱うことが出来る。語彙(接頭語、接尾語による語形の変化をも含む)、動詞における敬譲のアスペクト、敬譲の助動詞の使用」(レッスン12、§34、訳は筆者のもの)。

そして大切なことは敬意がどこに向けられているか、直接相手に対してか、自己の謙譲を通して間接に相手へか、第三者へか、それも直接か、あるいはある他の者(相手、自己あるいは他の第三者)への敬意の度合を媒介として間接的にか、あるいは、その何れでもなく、ある語によって表わされている当体に関してか。それは現実が複雑なだけそれだけ複雑になるようにみえるが、その現実の中に生きている者にとってはそれだけ自然で、簡単でやさしいのである。すでに使用している言葉を理解するために、それを整理することは興味あることであろうが、そこから言語実践のための規則を引き出そうとすると必ず失敗する。現実の組合せは現実から外に出てみると、無限に複雑だからである。ここでも日本語が甚だ非文法的言語であることが明らかとなる。敬語を作るには、以上の三つがあると言ってみたところで、それは実践上には何の役にも立たない。外人がそれを使って正しい日本語を書いたり、言ったりしたとしたら、それは全くのまぐれ当りなのである。真似をする以外には手のつけようがないのである」(p.125-129)。

森独自の用語、「二項関係」についてはあとで触れる予定です。助詞と同じく、敬語に関しても、森は「言語実践のための規則を引き出そうとすると必ず失敗する。現実の組合せは現実から外に出てみると、無限に複雑だからである」と述べます。「構文自律的」に規則を立てることができないと言う意味で、日本語は非文法的な言語であると、ここでも指摘されます。森の言う「現実嵌入」とは、日本語は「場面的文脈」に依存的である(あるいは拘束される)という具合に理解できるのではないかということは、これまで見てきた通りです。敬語は「日本語のもっとも内奥の機構に根ざしている」と言われのは、まさにそうした事態を指しているのだと考えられます。

しかし「日本人である以上、原則として敬語法を決して間違えないことも亦事実である」と述べているのは、少し言い過ぎではないかと思われます。森も指摘する敬語の乱れは、今日かなりのところまで進行しているように見えるからです。その背景には言われる通り社会の急速な変化があります。一方ではそれを是正しようとする動きもあります。森は、上下関係に根ざす敬語の使用を特段に必要としない人間関係が、日本の社会に形成されてくるという点については、かなり悲観的であるように思われます。すなわち「日本の社会が、上下的、直接的二項関係の連鎖・集合から構成されている」という点については何の変化も見られない、日本の社会の変化は表層的であって、見た目には大きな変化のようであっても、本質的には何も変っていないと考えているように思われます。

ここで日本語の敬語の現状について考えるために、朝日新聞朝刊(2007年5月4日)の「ののちゃんの自由研究」という子ども向けの紙面で特集された「敬語、使えますか」という記事を参照してみます。そこに次のような解説が書かれています。

思いやる心 伝える表現

敬語の歴史は古く、8世紀の『古事記』や『日本書紀』に出てきます。敬語はほかの国の言葉にもありますが、日本語では主に、身分の上の人と下の人とが円滑に言葉を交わすための表現として発達してきました。

国語学者の大野晋(ススム)さんは50年ほど前、学習院大学で教えていた時、旧華族出身の学生が手のことを「御御御手」と言うのに驚いたそうです。尊敬・丁寧の意味を表す「御」を三つ重ねて「おみおて」。敬語の使いすぎですね。

戦後になって、敬語は封建時代の遺物だから民主主義社会ではなくすべきだという意見もありました。国語審議会が1952年にまとめた「これからの敬語」では、敬語は各人の基本的人格を尊重する相互尊敬の上に立たなければならない、と言っています。

ののちゃんがニュースで見たのは、文化審議会が今年2月にまとめた「敬語の指針」です。コミュニケーションをうまくとれるようにし、確かな人間関係を築くために敬語は不可欠だと説き、具体的な使い方を示しています。特に話題になったのが分類です。

敬語は今まで、尊敬語、謙譲語、丁寧語という3分類がよく知られていました。「敬語の指針」では、謙譲語を謙譲語Tと謙譲語U、丁寧語を丁寧語と美化語に分けて5分類にしました(別掲)。社会生活で敬語をより的確に使うためには、5分類の方がよいという意見が学者を中心に強かったのです。

しかし、「敬語の指針」を読んだだけでは、謙譲語Tと謙譲語Uの区別は大人でもなかなか理解できません。敬語の中で最も難しい謙譲語を細かく分けるのは混乱のもとだ、という反対意見もありました。

小学5年、6年の国語科の学習指導要領には「日常よく使われる敬語の使い方に慣れること」とありますが、十分に時間をかけて教えている学校は少ないのが現状です。

4月に行われた全国学力調査の小学・国語Bに、敬語の問題がありました。スーパーマーケットが配ったお客様感謝セールのちらしに「みなさん、おいで」という表現があり、店長がお客に使う表現としてはふさわしくないので、書き直す問題です。解答の一例は「みなさん、ぜひ、おいでください」です。

「水をあげる」 違和感ある?

敬語の使い方は時代とともに変わってきます。例えば、あなたは「植木に水をやる」と言いますか、それとも「植木に水をあげる」ですか?

「あげる」は本来、謙譲語なので、目上の人に対して「差し上げる」という意味を持っていました。それが今では単に「やる」という意味で、人以外の植物や動物にも使われるようになってきました。

昨年行われた文化庁の「国語に関する世論調査」によると、「植木に水をあげる」と答えた男性は、60代以上の世代で5%だったのに対して、10代は40%でした。「敬語の指針」は「『植木』をいつくしみ育てる気持ちは、『あげる』『やる』のいずれによっても表現される」と、説明しています。

敬語の使い方は大人でも難しいのです。書店にガイドブックが並び、敬語講習会も開かれています。敬語を使う時に大切なのは相手を思いやる気持ちです。分類にばかりとらわれず、身近な人に、優しい敬語を使ってみましょう。(編集委員・白石明彦)

敬語の新しい5分類は以下の通りです。

従来の分類→ 新分類

尊敬語  → 尊敬語(相手を立てて述べる)

       「なさる」、「読まれる」、「ご出席」

謙譲語  → 謙譲語T

       (自分から相手への行為について相手を立てて述べる)

       「伺う」「お届けする」

     → 謙譲語U(丁重語)

       (自分の行為を相手に丁重に述べる)

       「参る」、「申す」、「拙者」

丁寧語  → 丁寧語(相手に丁寧に述べる)

       「です」、「ます」、「ございます」

     → 美化語(物事を美化して述べる)

       「お酒」、「お料理」

なお同じ紙面に七つのクイズとその答えが掲載されています。

Q1 お母さんが「おコーヒー」とか、何にでも「お」をつけたがるのは、いいのかな?

Q2 お父さんが友人に出す手紙で、息子のことを「愚息」と書くのは、いいのかな?

Q3 よその人に「父は来週、海外へいらっしゃいます」と言うのは、いいのかな?

Q4 食堂で「ご注文の品はおそろいになりましたでしょうか」と聞かれたけれど、いいのかな?

Q5 改まった場面で家族について話す時は「父・母」と呼んだ方が、いいのかな?

Q6 「僕」と「わたし」は使い分けた方が、いいのかな?

Q7 駅のアナウンスで「ご乗車できません」と流れるのは、いいのかな?

クイズの答えは以下の通りです。

Q1 ×

美化語の「お」がなじまない言葉もあるから。「お」のつけすぎは不自然

Q2 ○

自分にかかわるものを小さく表すことによって、友人に対する配慮を示しているから

Q3 ×

「いらっしゃる」という尊敬語で自分の父親を立てているから。「父は来週、海外へ行きます」が正しい

Q4 ×

「ご注文の品」という物に尊敬語「おそろいになる」を使っているから。「ご注文の品はそろいましたでしょうか」が正しい

Q5 ○

会合など改まった場面では「父・母」の方がよい

Q6 ○

男の人が日常生活で使うのは基本的に「僕」ですが、会議や面接試験の時は「わたし」の方が適当

Q7 ×

「ご……」だけなら尊敬語だが、「ご……できる」は謙譲語Tになる。乗客の行動には尊敬語を使うべきなので、「ご乗車になれません」「ご乗車いただけません」が正しい

なお紙面の端に「文化庁のHPhttp://www.bunka.go.jp/)の「敬語の指針」をおうちの人とのぞいてみよう」とあります。

言語使用が対人関係、あるいは「場面」に規定されるという点で、敬語は確かに日本語の顕著な特徴であると言うことができます。しかしそれを「正しく」使用するのが、今日、日本人にとっても決してやさしくはないということは、一体何を意味しているのでしょうか。どこか殺伐とした世相が脳裏に浮かんできます。

人称の問題

次に論じられるのは「人称」の問題です。森の論述がやや長くなるので、必要に応じて、段落ごとにコメントを差し挟んで行きます。

「次に「人称」の問題に入るが、これは最後の「命題」の問題と共に決定的に重要である。

日本語の言表は、各々の体言に、原則として、助詞がつくと共に、文章全体には(特に現代語においては)助動詞がついて全体の締めくくりをする。助動詞は陳述全体に対する主観的限定を加えるもので、本質的に一人称的である。例えば「これは本です」と言えば、意味から言えば、「これは本である」、「これは本だ」と全然同じであるが、この二者に比較してより丁寧に言うという態度を示している。もっと丁寧になると「これは本でございます」という風になる。話し手の態度を示す意味で一人称的と言ったが、もとより文法的に一人称的であるとは簡単に言い切れない。そうかと言って、二人称や三人称では無論ない。また非人称と言うのもおかしい。私は、これも亦日本語における「現実嵌入」の顕著な例であって、話し手と話し相手との、その場合の「二項関係」の中に、社会的階層が現れているものであると考える。それでは、話の内容、例えば「これは本[である]」という内容とは次元のちがう別のものかと言うと、そうではなく、この場合、この助動詞は両者の関係を示すと共に、話の内容を肯定し、断定し、確言するという意味合を含んでいる。しかしこの意味合は、話し手が独立に賦与するものではなく、あくまで話し相手を意識の中に置き、それとの共在の上で下す意味合なのである。であるから、「ABだ」ということが、「ABである」、「ABです」、「ABでございます」、「ABでございましょう」、「ABでございましょうか」、などという色々の形をとることになる。この最後のものは、疑問文の形をしているが、本当の疑問文ではなく、相手にも判断の余地をのこすという意味で丁寧な言い方なのである。こういう風に助動詞は、単独で、あるいは複合して、話し手の陳述の内容に対する主観の関係を述べるのであるが、それは同時に自分が相手にとっての相手であること、つまり二人称にとっての二人称であるという建て前から使用されるのである。会話、一般に言語活動は「私と汝」、第一人称と第二人称との間に成立するのが基本的であると考えられるが、この「私」と「汝」は相互置換が常に成立しているものなので、「私」は「汝」にとっては「汝」であり、その時第一の「汝」は「私に」なっている。ところで助動詞はこの両方向性を同時に含んでいるものなので、それは「二項関係」そのものである。それは、本質的には「汝」と「汝」との関係なのである。「私」が発言する時、その「私」は「汝」にとっての「汝」であるという建て前から発言しているのである。日本人は相手のことを気にしながら発言するという時、それは単に心理的なものである以上に、人間関係そのもの、言語構成そのものがそういう構造をもっているのである」(p.129-132)。

この段落の初めに「助動詞は陳述全体に対する主観的限定を加えるもので、本質的に一人称的である」と述べられていることは、中村雄二郎が時枝誠記の説を次のようにまとめたことと深く関連するものでしょう(「現実嵌入型言語その3」参照、下線は引用者)。

(1) 日本語では、文の全体が幾重にも最後に来る辞=主体的表現によって包まれるかたちで成り立っているから、大なり小なり主観性を帯びた文が常態になる

(2) 日本語では、文は辞によって語る主体とつながり、ひいてはその主体の置かれた状況=場面とつながる。だから、場面による拘束が大きい。そのことは、前述の敬語の例がよく示している。

(3) 日本語の文は、詞+辞という主客の融合を重層的に含んでいるから、体験的にことばを深めるには好都合であるが、その反面、客観的・概念的な観念の世界を構築するのには不利である。

(4) 日本語の文では、詞+辞というその構造によって、第二人称はおろか第一人称の主語も、客体化され概念化された詞となり、真の主体は辞のうちに働きとしてだけ見出されることになる。したがって、文法上での形式的な主語の存在はあまり重要ではない。

森はその「場面的文脈」のうちに「二項関係」を見出しています。二項関係については、改めて取り上げる予定ですが、ここで日本語の「私」は「汝」にとっての「汝」であると言われていることが重要です。日本語の「わたし」は「あなたのあなた」であると言われています。私は子どもにとっては父親だから、自分のことを「お父さん」と言い、生徒にとっては先生だから、自分のことを「先生」と言うということは、この「あなたのあなた」を例証するものではないでしょうか。また喧嘩していて相手のことを「テメー(手前)」と言うときには、「この「私」と「汝」は相互置換が常に成立している」ということなのではないでしょうか。つまり「私」と「汝」の「共役(軛)性」ということが「二項関係」を成立させているということでしょう。そうすると日本語における「真の主体」は二項関係という「場面」であるということにならないでしょうか。

「そういうわけであるから、日本語においては、一人称が真に一人称として、独立に発言することが、不可能ではないとしても極度に困難である。一人称が真に一人称として発言するということ、「二項関係」の外に立って発言するということは、換言すれば、他にとっては、三人称になるということである。そういう意味で私は、三人称と一人称とは相関的であると考えている。「二項関係」においては、相互が二人称になり切るという意味において、一人称は三人称と相関的であると考える。ここのところは非常に大切であって、詳述しなければならないところであるが、あとにもう一つ大切な問題を控えているから、今は簡単に要約しておく外はない。ただここで是非言っておかなければならないことは、ここで言う一人称、二人称、三人称ということは、規範文法におけるそれらと同じではないということである」(p.132-133)。

日本語において「我を張る」ということは、「二項関係」を抜け出してしまうということを意味します。それは自分が相手にとって「他人(三人称)」になってしまうということです。もしこの事態(「二項関係」)が日本人の人間関係を規定しているとしたら、日本の社会にはパブリックな空間は存在しえないということになります。相手との間に絶えず協調性が求められて、もしそれが成り立たないとしたら、「赤の他人」として排除されてしまうことになります。森が言おうとしていることはそういうことではないでしょうか。他者感覚の不在という問題がそこから生じてきます。

「日本語においては、一応三人称を文法的主格にしている文章でも、「汝‐汝」の構造の中に包み込まれて陳述される。それは助動詞(これを動助詞という人もあるらしいが、そしてここで助動詞あるいは動助詞というのはverbe auxiliaire のことではなく、フランスの日本学者のいうsuffixe fonctionnelであることは言うまでもない)が凡ゆる陳述に伴っていることからも理解される。そういうわけで、日本語が本質的に二項関係の内閉性をもっており、そういう意味で閉鎖的な会話語であるのに対してヨーロッパ語は、会話の場合でも、その二人称は、いつでも、一人称‐三人称に変貌することの出来る開放的超越的会話語であるということが出来る。そしてそれが、言葉だけの抽象的な関係ではなく、それと一体になっている人間関係、実在する個人である主体とそれを超越する三人称の集合である社会たる客体(主体と客体とは相互に超越する)とに分極する人間関係と離すことの出来ない関係に立っている」(p.133-134)。

森の言うことが、単なるヨーロッパ語礼讃、西洋個人主義の礼讃の言辞であるとするなら、それだけで問題が片づかないことは明らかです。しかし長い滞欧経験と日本語の教育とによって可能となった「二項関係」についての洞察は、我々日本人が聞くべきものを持っていると言うべきでしょう。電話の「内線(内に引き込むこと)」を、英語では「エクステンション(線を伸ばすこと)」と捉えるという、彼我の「内閉性」と「開放性」との相違は、「外交に弱い」日本の社会の問題として、今日なお重くのしかかっています。

人称についての考察の最後に森は、自分のこのような考えとそれを可能にした自分の経験について述懐します。

「以上ごく図式的に述べたのみで十分に論じ尽されていない点が多く、説得力を欠くことを恐れるものであるが、要は、二項関係という稍々単純すぎる形で日本人の人間関係を要約したことが、単に主観的、直観的、恣意的なものではなく、「日本語」という実在する言語の中に《客観的》に析出出来ることを指摘したかったのである。「思想」とか「経験」とかいうことは、そして殊に「思想」は、普遍的価値を荷なう筈のものであり、「日本人の思想、経験」ということはナンセンスであると考えられるかも知れないが、それが、少くとも過程的には、必ずしもそうではないことが、「言語」の問題を通して理解されれば幸甚であると思う。

話は少し余談になるが、また私自身の経験に関することなので少し憚られるが、私は滞仏二十年を経過した今日、次のような質問をうけることがしばしばある。「あなたは長く向うにおられて、生活も考えもすっかり向うの人のようになり、日本の生活や日本人の考え方に調和しにくくなると考えることはありませんか」、と。まあざっとこういう趣旨の質問である。ヨーロッパの生活や思想が日本人に本当に判ることは極度に困難であり、私は究極的に不可能ではないかと思っているが、しかし私なりに理解しえたと思うことが増してくるにつれて、日本という、私自身であるものを痛ましい思いで強烈に意識するようになる。「痛ましい」というのは必ずしも貶下的意味においてではない。そして所謂「判る」、「理解する」ということが、それだけではどんなにつまらないものであるかということも痛切に思われて来るのである。「判る」ということは、すぐ「真似をする」ことへ連なる。「判らないこと」を真似るのは猿真似だが、判って真似するのは人真似である。何れも悪い意味の真似である。そうならばどうすればよいのであろうか。私には正直のところよく判らない。判っているのは、こうすればよいということが自分の中に出来てくるまで自分に耐えつつ待つことだと思っている」(p.134-135)。

森が渡仏して経験したことは、要するに留学生なら誰でもぶつかるカルチャー・ギャップの類の問題であって、森はその問題にこだわり過ぎたのだと皮肉な見方をする人がいます。しかし森はマルセイユに上陸したその日から何かある根本的な問題にぶつかり、いわゆるいっぱしの学者、研究者になる道を断念して、彼我のギャップの間で思索し続けました。今まで自分が携わっていた西洋の学問の研究が「人真似」に過ぎなかったということに気づいたからだと、言えるかもしれません。そして「そうならばどうすればよいのであろうか」と問い続け、「こうすればよいということが自分の中に出来てくるまで自分に耐えつつ待つ」生き方を最後まで手放さなかったと言えるでしょう。

次に森は「命題の問題」に移ります。しかし、その前にここで、「二項関係」について直接論じられている部分を引用したいと思います。「言語」の問題からは少し外れます。

二項関係の予備的考察

この『経験と思想』という未完の著作は「序にかえて」、「出発点 日本人とその経験(a)」、「出発点 日本人とその経験(b)」、「出発点 日本人とその経験(c)」から成っています。外国人に日本語を教えてというところから引用が始まった森の日本語についての論述は、「出発点 日本人とその経験(b)」に出てきます。その直前の部分にこの「二項関係」についての論述がなされています。文脈をたどればさらにその先があり、結局この本を始めから読むことになってしまいます。しかし前に引用したことを補足する意味で、「二項関係」に直接関連するところだけ適宜拾い出してみたいと思います。

森は自分のバッハのオルガン演奏の練習から得た教訓について語り、その結論として次のように述べます。

「私は、音楽について、自分の練習過程の中で、こういう考えに逢着していった。そしてこのことは、本稿を書くにあたってある光明をもたらしてくれたと思っている。人間的真理、それが美であっても、善であっても、そういうものは本質的に三人称的なものであり、換言すれば、公共的で万人に向って開かれている。しかしその三人称的、客観的なものは、それ自体、一人称的なもの、主観的なものを中核として、それによって成立している。そしてそこでは二人称的なものが本質的に欠如ないし排除されている。もし二人称的なものが現れるとすれば、それは上に述べて来たような事柄の周辺を繞るものであって、その内部には入って来ない。来てはならない」(p.92-93)。

ここには「二項関係」と対極にあるものが示されています。それは森がヨーロッパに滞在することによって獲得した認識です。しかし「二項関係」に拘束された日本人の経験は、そういう形にはなりません。

「前に私は、日本人においては、「経験」は一人の個人をではなく、複数を、具体的には二人の人間の構成する関係を定義すると言った。二人ということを特に強調するのは、その「経験」が二人称の世界を内容とするからである。こういう一般と特殊とが複雑に入り組んでいる問題において、「日本人においては」という大上段にみえる限定をつける理由はあとで述べる」(p.93)。

ここで森独自の経験についての考えが示されます。

「経験こそ思想の源泉であり、この「経験」という「定義」するものこそ、「思想」という、言葉によって組織されたものに対する基底をなすものである。そして「経験」は、人間が幾億いようと一つである、ということが私の確信である。それは現実(それは私にとっては経験と同義語である)はただ一つしかないからである。この問題に関しては、先へ行って、詳述する機会があると思う。とにかくこのことは経験と思想を考える際の大前提であり、人間のもつ良識そのものであって、この点について疑問があるならば、「経験」も「思想」も無意味になってしまう。しかしそのことは決して事柄を簡単化して考えているのではない。それはこの道を行こうとする者に限りない自己批判と実践とを要求するものである。そこにはいかなる自己満足も許されない。容赦のない苛烈な一路があるのみである。それは「思想」とは、「経験」が組織されて現実と等価値になるところまでその密度が高まることだからである」(p.93-94)。

森はこのことを「キリスト者」として語っているのではないかと思われます。そのように考えなければ、「経験」は、人間が幾億いようと一つであるという言い方は、直ぐには納得いかないでしょう。しかし下手をすれば、このような物言いは、キリスト教的ヨーロッパの普遍性を信じる欧化主義者の言説と紙一重のところまで行ってしまいます。

ただし問題は、森がそこに立ったとき見えてきた「日本人」の姿です。

「扨て私は、日本人において「経験」は複数を、更に端的には二人の人間(あるいはその関係)を定義する、と言った。それは一体何を意味しているのであろうか。二人の人間を定義する、ということは、我々の経験と呼ぶものが、自分一箇の経験にまで分析されえない、ということである。換言すれば、凡での経験において、それをもつ主体がどうしても「自己」というものを定義しない、ということである。肉体的に見る限り、一人一人の人間は離れている。常識的にはそこに一人の主体、すなわち自己というものを考えようとする誘惑を感ずるが、事態はそのように簡単ではない。それは我々において、「汝」との関係がどれほど深刻であるかを考えてみればある程度納得が行くであろう。もちろん「汝」ということは、日本人のみならず、凡ゆる人間にとって問題となる。要はその問題になり方である。本質的な点だけに限って言うと、「日本人」においては、「汝」に対立するのは「我」ではないということ、対立するものも亦相手にとっての「汝」なのだ、ということである。私は決して言葉の綾をもてあそんでいるのではない。それは本質的なことなのである。「我と汝」ということが自明のことのように、ある場合には凡ての前提となる合言葉のように言われるが、それはこの場合あて嵌らない。親子の場合をとってみると、親を「汝」として取ると、子が「我」であるのは自明のことのように思われる。しかしそれはそうではない。子は自分の中に存在の根拠をもつ「我」ではなく、当面「汝」である親の「汝」として自分を経験しているのである。それは子がその親に従順であるか、反抗するかに関係なくそうなのである。肯定的であるか、否定的であるかに関係なく、凡ては「我と汝」ではなく、「汝と汝」との関係の中に推移するのである。子は自分の自己に忠実であることによって親に反抗するのだと思うであろう。心理的には確かにそう言うことが出来るであろう。しかしその「反抗」は、親の存在を必然的要素として含むのである。親と成人した子が真に個人として成立するとするならば、そこには分離と無関心とのみが本質的事態としてはある筈である。現象面においては闘争と反抗とがあろうとも、根本には単純な分離と、それ自体における無関心とがある筈である。一足とびに言ってしまえば、こういう事態が、近代の日本における「家」からの解放、「自我」の確立、「革命」の不在の深い理由となっているのではないであろうか」(p.94-97)。

森はここで最後に述べたことを補足し、またヨーロッパと日本における「歴史的発展」について論じて、次のように言います。

「……ただごく大ざっぱに言えば、ヨーロッパの社会が古代から中世、近世、近代、更に現代へと質的発展と変貌とを遂げたのに対し、日本は、古代氏姓制度から、最近の天皇絶対制に到るまで、その根本においては、古代の制度の内部的合理化にすぎず、その内閉性を超越する組織転換が甚だ不十分にしか、あるいは全く形式的にしか行われなかった、ということである。それは、歴史的発展の全体を通じて何か根本的な問題がそこにあることを察知させずにはおかない。千数百年の間いわゆる変化を通じて持続された天皇制はその標徴である。それは「経験」の質(という言葉は適当ではないが)の問題であり、それ以外ではありえないと思う。……」(p.99)。

二項関係

そして漸く「二項関係」について論じます。「二人の人の間の関係ということを言ったが、それを便宜上「二項結合方式」(COMBINATION BINAIREまたはRAPPORT BINAIRE)あるいは略して「二項関係」あるいは「二項方式」と呼ぶことにする。これは固有の意味においては、二人の人間が内密な関係を経験において構成し、その関係そのものが二人の人間の一人一人を基礎づけるという結合の仕方である。

この「関係」には幾つかの特徴が見出される。と言っても、この特徴という言葉を誤解してはならない。普通、特徴と言うと観察される対象の特徴を意味し、観察するものはそれを超越している。しかしここでは観察する者と観察されるものとが一つである。その意味で、その観察は観想的には不可能である。ただこの不可能なことを敢えて行おうとするように我々は事態によって強制されている。現代の我々日本人がおかれた情況は、この一見不可能にみえるところにあえて踏み入ることを我々に要求している。現代の日本の社会と文化とがいかに病んでいるかは、少し真剣に生き、また実践しようとする人々が、少くとも一様に感じとっているところである。この感じはもちろん判っきりした知識ではない。しかしその事態の重大さは現前している結果で明らかである。さらに外部から日本へ入って来たものによる観察と証言とがある。それにはもちろん誤りがあるかも知れないし、また外人の日本観は色々な意味で十分慎重に扱わなければならないであろう。しかし、それらがある点で符合するとしたら、それは十分に考慮の余地があると考える。かれらの意見は日本の社会には何か根本的な点が欠けている、という点で一致している。それが何かは人によって異同があるのは当然であるし、またかれらは日本の客になっているという特殊な立場から、思っている通り表現していない、と見る方が安全である。それにも拘らず、以上のような点でかれらの証言は一致している。そういうわけで、我々がこの感じや外部からの証言(今のようなわけで蓋然性を脱しきれないとは言え)から反省を進めて行くことは、今の場合正しいと私は考えている。

そういうわけであるから、ここに「関係」の特徴と言っても、単に外から観察してそれを数え上げるのではなく、むしろ我々自身の不安と外部の証言との一致から事態を模索しつつ理解しようとすることなのであり、本質的にはそれは理論のことではなく、実践上のことなのである。と言うのは、実践のみが問題点を析出して来るからである」(p.100-102)。

何か根本的なものが欠けているということは、我々ひとりひとりのあり方に関わっていて、それを理論的に取り出すことはできない。「実践のみが問題点を析出して来る」と言われています。だから「二項関係」とは森によって試みられる「作業仮説」であると言うべきでしょう。自分の過去を自ら暴くことを「自虐的」と言って批判し、またその過去の事実を「隠蔽」して、外からその態度が批判されると、「内政干渉」と言って反撥したり、力関係で仕方なく「謝罪」したりするのは、たしかに「何か根本的な点が欠けている」からではないでしょうか。それは「病んでいる」としか言いようのないことではないでしょうか。その態度は内閉的であって、外に開かれていません。

「「二項方式」は少くとも二つの特徴をもっている、一はその関係の親密性、相互嵌入性であり、二はその関係の垂直性である。

一について述べる。日本語の表現に「心の底をうちあける」、「腹を割って話をする」、「信を人の腹中に置く」などというのがある。「心の底」とか「はら」という言葉は、この親密性の内容をよく示している。それは、まごころとか正直とかいう徳によって総括できるものであるが、具体的にはそれは二人の人間の関係の中に現れるものである。「さし向いになる」ことはこの特徴が現れるための必須の条件であると言える。和辻哲郎氏は、日本人において、もっとも著しい私的存在の形は、[孤独な実存ではなく]「間柄的存在」であると言い、それはただ一人の相手以外の凡ゆる他の人の参与を拒む存在である、と言う。一人になるという「経験」を日本人は殆どもつことがない。和辻氏はそれが不可能であると言う。何れにしても「二項関係」(これはそういう関係に対する命名なのであるが)に入った自他は、互に相手に対して秘密のない関係を構成する。それは、そういうものとして、親密性と呼ぶことが出来るであろう。そしてそれは和辻氏の言うように、あらゆる他人の参与を排除し、唯一人だけが「汝」として入って来る。そしてこの二人の間では、互にその「わたくし」(他人の入ることの出来ない自分だけの領分)を消去してしまうが、そういう関係自体は、同時に、外部に向っては、私的存在の性格をもつと言う。この和辻氏の分析は正しいと言わざるをえない。二人が――秘密を共有するのである。勿論それは、二人自体以外の何かを二人が共有すると言うのではない。二人に共通な秘密な何ものかではなく、二人の関係そのものが秘密なのである。不動産に対して共同所有権の設定されるのとは、それは全く異る。共同所有者同士が、その存在の中核において融合するのである。それは文字通り「無私」であり、その無私であることが他に対して、「私的存在の性格」を示すことになる。二者の間には秘密なく、凡てを許し合い、また要求し合う。だからそれは「真心」とか、「心の底」とか、「腹の底」とか、とにかく全存在の呈示を意味する言葉で指示される――

それから、この第一の点に関連して、そしてそれはすでに触れたところであるが、こういう二項方式は、二人が相互に浸透しつつも、一つの共同のものを作り出すのではない、という点に注意しなくてはならない。二人の間に共同のものは何もない。二人があるだけである。特殊があるだけであり、共同のものは、二人の相互浸透を妨げるものとして、むしろ排除されなければならない。すなわち、二項方式においては、関係は直接的、無媒介的でなければならない。と言うのは共同の所有は、必然的に第三人称であって、「汝」にとっては異物であり、あとで述べるように、第三人称に対応しうるのは、汝ではなく、第一人称だけだからである」(p.102-105)。

ものによって媒介されない、直接的、無媒介的な関係ということを、日本人の間柄の問題として具体的に想像すると、どういうことなのでしょうか。上の記述だけでは、もう一つ判然としないといったところがあります。

「以上の第一の特徴をもう少し立ち入って考えてみなくてはならない。

この親密性、あるいは直接性は、その直接性にも拘らず、誤解され易い表現を用いれば、問題別的に起って来るものである。言い換えれば、本質的に「部分的」である、ということである。この場合、問題と言うのは、両者の間に設定された共通の問題ではない問題が共通になればそれは直ちに二項関係の停止を意味する。問題は本質的に一方に内在しており、その存在そのものと一つになっている。その存在が自己を開被して他との接触に入るのであり、ある意味で問題はそのための口実ですらある。だから、この部分的な性格は、一人の人間が、矛盾した言い方だが、複数の二項関係に入ることを可能にし、事実その通りなのである。共同体の各人はこのような二項関係を相互に複雑にまた多角的に結びあうのである。この無数の関係は、「汝‐汝」の私的関係であり、その性質上排他的であるから、社会の社会としての組織を不可能にする。それは根本的には社会の否定である」(p.105-106)。

自分の問題(弱み)を相手に開被することによって、日本人は互いに親密な関係に入るということでしょう。「思いあたるふし」がなくはありませんが、それだけで「二項関係」を説明したことになるでしょうか。少し疑問を感じます。例えば愚痴や陰口などは「赤提灯」や「会社の更衣室」や「井戸端」での「共通」の話題です。その話題は自分の問題であるというよりは、上司や隣人などの「他人」のことなのではないでしょうか。

仮に「汝‐汝」の二項関係とは、「仲間意識(帰属の共有)」における人間関係の焦点的なあり方であると考えてみたらどうでしょうか。そこでは第一人称を浮き上がらせることは仲間関係を破壊するものと受け取られます。自分の弱みをさらけ出すことも、帰属の平板化の力学が働くからであって、突出した行為(出る釘となること)を避けるためでしょう。広い意味での社会が、「自己」、「仲間」、(森が言う意味での)「社会」の三層によって秩序づけられているとするなら、日本の社会は「仲間」の力学が強く働く社会であって、「自己」の突出を許さない傾向を持つのではないでしょうか。そして仲間内では「汝‐汝」の二項関係が成り立つということなのではないでしょうか。慣れ親しんだ関係においては、一々「自己」を立てる必要はなくなります。しかしその関係は、根本的には(公共的な空間、赤の他人同士の集まりとしての)「社会」を否定します。日本人には「仲間意識」はあっても、「社会意識」はないに等しいと言うべきではないでしょうか。

「それからもう一つ、第一の特徴について言っておかなければならないのは、この親密性、直接性は、その本質において自然的現象ではなく、意志の問題だということである。すなわち、二項関係は、人間が孤独の自我になることを妨げると共に、孤独に伴う苦悩と不安を和らげる作用を果すのである。また二人の人間が融合することによって、責任の所在が不明確になるのである。これは内容的には孤独の苦悩を和らげることと同じである。もちろん苦痛を避け、安全を求めようとすることは、それ自体自然である。その限りそういうものを内容とする二項関係は自然的であると言える。しかし、それを共同体形成の原理としてそのままそれに従うかどうかという問題が残っている。結論的に言えば、「社会」というものは、「自我」と同様にこの点に関する限り反自然的であると言わなければならない。そしてそれは凡ての道徳の源泉である。「自我」と「社会」とがその内部から不断に構成されて来る共同体は、本質的に道徳的である。道徳というのは、単に規範的であるばかりではなく、不断に自我と社会に分極しようとする「人間存在」の運動そのものの理法である。それはたえず「自然」に頽落しようとする人間を、「人間」へ向って、すなわち「自我」と「社会」とへ向って支えるものである」(p.106-107)。

「仲間関係」を「共同体構成の原理」とするとき、たとえば「日本人」と「三国人」とを区別するというような発想が生れてきます。またお互いの関係が「二項関係」に焦点化されるために(「貴様と俺とは同期の桜」)、責任の所在は雲散霧消します。「仲間内」では、道徳は必要ではありません。「死なば諸共」であり、「赤信号みんなで渡ればこわくない」です。しかし仲間に入ることは、孤独を和らげることであると同時に、自分を失うことでもあります。また仲間の外にいる人たちのことが視野に入らなくなってしまいます。森の言うことを、そのように言い換えることも可能ではないでしょうか。今日為政者によって強調されている「道徳」とは、「国と郷土を愛する」という「帰属の共有」に基づく道徳であって、結局のところ仲間意識(=国民意識)の強化を目指しています。それは森の言う「道徳」とは正反対のものです。その規範は国益にあって、正義(あるいは公共の福祉という「共通善」)にあるのではありません。だから人間の「自然的傾向」への歯止めを欠いています。しかし仲間のことしか考えない道徳は道徳ではありません。

このあと森はヨーロッパと日本の「子供の躾」を比較して、かなりの紙幅を割きます。というよりは日本における躾の欠如を論じます。これも家族という仲間内(=身内)に位置づけられた子供観しか持たず、子供をやがては社会という公的空間に適合すべき存在として見ない、日本人の子供観から来るものでしょう。そもそも子供を客観視する視点が欠落しているのです。そして日本の社会の混乱と深い混迷とを論じ、「現にアジアに新しい秩序の曙光が見え始めた現在、日本は孤児のごとくそれから排除される危険が予感されているではないか。我々は、我々の問題を忍耐して掘り起し、それを自分達の生活を通して解決の方向に導かなければならない。所謂先進国から、思想や観念をとって来て、それを日本の現実にあて嵌めようとしてみたり、あるいはそれで日本の現実を解釈しようとしてみたりしたそういう時期はもう過ぎ去ったのである。我々は我々自身の経験、それがどんなに痛ましいものであろうと、その中から思想を構築して行かなくてはならない」と言います。ここでの「経験」という言葉は、「経験」は人間が幾億いようと一つであると言ったときの「経験」とは、少しニュアンスが違ってきているのではないでしょうか。あるいはそれは、我々自身の経験が、どんなに痛ましくても、最後にはそのような普遍的経験へと繋がっていくのだという、希望の表明であると理解すべきことなのかもしれません。

「扨て、我々の経験の中にある二項関係の第二の特徴は、この関係が決して対等者間の水平な関係ではなく、上下的な垂直的な関係だという点である。すなわち二項関係は、その直接性、無私、他者の排除、その私的性格だけで尽きるものではない。この関係は水平ではなく、上下に傾斜している。極端な場合をとれば、それは垂直の方向をもっている。親子、君臣、上役と下のもの、雇傭者と使用人、先生と生徒、教授と学生、師匠と弟子、例はいくらでも挙げることが出来るが、そういう上下関係をもち、その中に二項関係が成立する。しかもこの上下関係は、単に年長者と若者、有能な者と無能な者、強者と弱者、優者と劣者、征服者と被征服者、という自然の秩序そのものを反映するのではなく、一定の既成の社会秩序を繞って結ばれるのである。内容のみでなく、関係の両項そのものが既成の社会秩序に規定されているのである。そういう框の中での関係なのである。朋輩と言っても、先輩、後輩の区別があり、この区別そのものが二項関係成立の本質的要因になっているのである。二人の人間の間の対等な二項関係はむろん考えることが出来るが、こういう一般的上下関係の中では、それは一つの抽象とは言えなくても、例外的なものであり、しかもその内実に立ち入ってみるとそこに何らかの上下関係が成立しているのが普通である。それは後に述べるように、敬語法(貶語法を含む)が隅々まで行き渡っている日本語において、中立的言表がむしろ例外的であるのとよい対照をなしている」(p.112-113)。

日本の社会の形成原理である「二項関係」は、私の言う「仲間的共同体、身内共同体」の焦点に位置づけられるものであって、そこには上下的な垂直関係があるという森の指摘は我々が日常的に接している現実です。日本の社会は、自己、仲間、社会という形で三層化されているのではなく、仲間内の論理が全体を覆っています。だからそれは公的な意味での社会の形成原理になることはありません。今日そこに大きな亀裂が生じつつあるのですが、それを再び仲間意識=国民意識を強化することによって解決しようとする動きが前面に出てきています。事柄を三人称的に客観化して取扱うのではなく、身内意識だけが幅を利かせています。それは独りよがりの解決法であって、問題の真の解決にはなりません。このままであれば日本はアメリカという親分に弱みを握られ、属国の身内意識に自閉する、虎の威を借る狐のような存在であるほかはありません。とりも直さずそれは日本のアジアからの益々の孤立を意味することになるでしょう。

この先、森はさらに「二項関係」の内容、その社会的意味について論じます。しかしここでは、森が天皇制について論究している箇所だけを引用します。

「何れにしても、以上のような事態が、日本人の「経験」の中核を形成しているのであって、問題は極度に深刻である。例えば天皇制の問題にしても、それを表面的に批判するのは容易であろう。しかし上に述べたように「二項関係」がすでに在る秩序に規定され、かつそれを内容とする、直接的、上下的関係であるとすると、その上下関係を規定する最高の項である「天皇」が連綿として継続したことは当然であると言わなければならない。封建制度下の将軍達も、この最高の項には触れなかったばかりではなく、逆に天皇は究極においてかれらの権力の源泉であり、かれらは天皇というすでに在る秩序に認定され、それを代表することによって支配することが出来たのである。そしてその天皇の意義は二十世紀後半の今日まで続いて来た。今日、新憲法によって規定された「日本国民統合の象徴」という名称は、事態の本質を衝いている。それは統治者というヨーロッパ的概念の上に立つ絶対主義的な旧憲法よりも、より深刻に事態の中核に迫る表現であると言うことが出来る。実際、かつて天皇は「象徴」以上ではなかったのである。しかも象徴としては限りなく強かったのである。憲法起草者の意図はどうであっても、この事態に変化はない」(p.114-115)。

こうして森は「二項関係」についての論述の最後に、「経験」と「言語」との切り離し難い関係を確認し、その上でこれまで取り上げてきた日本語の考察に移ることになります。


現実嵌入型言語 その5

命題の問題

森有正の日本語論に戻って、残された「命題の問題」を取り上げます。

「扨て最後にもう一つの問題が残っている。それは「言語」の問題に属するが、その他の色々な問題に触れてくる。それは「命題」ということである。今私は、この「命題」をむつかしい、論理学で定義されるような厳密な意味においてではなく、「判断を言語であらわしたもの」(岩波『広辞苑』)というごく普通の意味に解する。一つの命題には、主語と賓辞があり、それが繋辞によって関係づけられて結合されている。その各項は、完全に表明された概念あるいは表象で、その関係を肯定したり、否定したりする。その作用にも色々様態がある。しかし何にしても、この命題の形をとることは、主語が三人称として客体化され、それに対して主体が判断を下すということになる。判断には肯定、否定、条件などがあるが、それらの可能性の間から主体は選ぶことが出来る。こうしてあるもの、あるいは事柄に関して命題が建てられる。あるいは観念が確保され、その観念相互の間の論理的な関係も次第に明らかにされて、一つの思想が形成されて来る。ただその際必要なことは、そういう操作は、凡て言葉が命題を構成することによって行われるのであるが、その言葉は、それ自体の中に意味を荷なう概念であって、その言葉の中に「現実嵌入」が絶対に起ってはならないのである。それが起ると精神はその自由な操作を行うことが出来なくなり、現実との接触から起る「情動」に左右されて精神であることを止めてしまうのである。「精神」といっても、何もそういう実体が存在するというわけではなく、そういう概念の操作を行う主体をそう名づけるのである。そしてこの命題性はヨーロッパ語の基本的性格をなしている。「現実嵌入」が言語の一部となってしまっている日本語、更にそれと一体になっている経験が、こういう次第であるのは、思想というものに対して殆ど致命的であるように思われる。というのは、「思想」というものはそういうものである。すなわち現実嵌入を徹底的に排除することより外のことではないからである」(p.136-137)。

森が西洋の思想を規範的なものと見なしていることは明らかです。しかしそこには、先に見た中村雄二郎の指摘にあったような、西洋思想の形而上学的な構造があります。それをどこまで普遍的なものと見なしうるかが問題となるでしょう。念のためにもう一度それを引用すれば、以下の通りです。

「たとえば《A bird sings.》という文は、繋辞(is)を欠いているが、伝統的な形式論理学では、これを《A bird is singing.》あるいは《A bird is in the state of singing.》というふうに、《S is P》のかたちに書き換えて、その論理構造を問題にする。あらゆる文あるいは命題を《S is P》のかたちに還元して考えるこのような形式論理学の思考、およびそれと表裏一体をなす伝統的形而上学の思考にあっては、坂部恵(『仮面の解釈学』一九七六年、第三章)が明確に捉えているように、次のような三つの基本的な特徴が見出される。

(1) 思考がSPの異同や帰属の在り様を問う結果、〈同一律〉とその反面たる〈矛盾律〉が思考の最高原則になること。
(2) 思考が主語を軸としてなされる結果、最高の普遍者を〈主語となって述語とならない〉〈基体〉あるいは〈主体〉(hypokeimenon, subjectum)として捉えるいわば〈主語中心的〉な思考が成立すること。
(3) 繋辞になる存在の動詞(たとえばis)が、あらゆる命題に潜在していると見なされるので、〈存在〉についての思考つまり〈存在論〉が哲学のもっとも基本的な部門とされること。」

しかし森の言う「現実嵌入」を、日本語は場面によって拘束される度合が大きく、自己の判断に相方の判断が介入してくる可能性が高いという風に理解すれば、それは思想の形成にとって「致命的」であるということはできるでしょう。仲間内で合意されている事柄は必ずしも普遍的、あるいは一般的であるとは言えず、時として第三者の批判に耐ええないからです。「従軍慰安婦」問題などはその好例です。

「それから、判断はその都度主体が下すものであり、その意味で一人称であるにも拘らず、三人称の文章になっていることである。「私は、AはBだと思います」と言うのはなるほど一人称かも知れないが、助動詞、あるいは動助詞の本質から、「汝‐汝」の関係を脱することが出来ず、「AはB」“A is B”というのは三人称の文章であるが、その中核に本当の一人称、二人称に転落しない一人称を含んでいると言えないだろうか。とにかく、表現において一人称‐三人称が超越的に、弁証法的に結合していることは、どうしても「思想」の要件であると思われる。何となれば、それでなければ思想にとって欠くことの出来ない真理性と普遍性及び体系性の問題は起りようがないからである。また思想にとって不可欠の公開性、一般的論議の可能性、進歩性、発展性は喪われてしまい、「汝‐汝」の間で遂行される秘伝的性格が濃厚になって来るであろう。あるいは凡ては永遠に始めからのやり直しの繰り返しになってしまうであろう。かつて丸山真男氏はその『日本の思想』において、我国の歴史に思想の連続的発展がないこと、一つ一つの問題の時代を通じての深化の過程がないことを指摘されたが、私としては、それは日本人のこのような経験そのものの傾向に原因が求められるように思われるのである」(p.137-139)。

ここで森が「「AはB」“A is B”というのは三人称の文章であるが、その中核に本当の一人称、二人称に転落しない一人称を含んでいると言えないだろうか。とにかく、表現において一人称‐三人称が超越的に、弁証法的に結合していることは、どうしても「思想」の要件であると思われる」と述べていることは、相方あるいは他者に制約されないで自分で考えることが思想の要件であると言い換えることも可能でしょう。それは、独りよがりになるということではなく、「AはB」という三人称的な判断が成り立つためには、その判断の主体はあくまで「二人称に転落しない一人称」でなくてはならないということでしょう。その判断の主体が不明確になりがちなところに、日本語を使う我々の弱点があると言われているのでしょう。仲間内という「親密圏」で交わされる会話は確かに「思想」にはならないでしょう。しかしこの日本では、三人称的な「公共圏」に位置づけられた思想が育ちにくいというところに、今日の思想の「混迷」があるのでしょう。そのような傾向は欧米には見られないと言って、ただ日本を糾弾するのであればそれは欧化主義者の思想です。問題はそんなに単純ではありません。しかし我々自身の弱点が弱点として自覚されなくては、いつまで経っても問題は解決しないでしょう。それどころか、事態は深刻さの度合を深めています。ほとんど絶望的な状態になりつつあります。今や自閉症的な「自慢史観」が世の中を闊歩しています。「AはB」という単純な判断が「自虐的」と見なされています。権力という「現実」が人々の判断に「嵌入」しつつあります。

題説構文

ここで森有正の論述の紹介を終わらせ、頭を少し冷やしたいと思います。小池清治によれば、日本語の「AはB」という構文は「題説構文」と言われています。これまで参照してきた『日本語はどんな言語か』の第二章は「題説構文とはどのような構文か――ハとガの相違」と名うたれています。私の日本語学習の取り敢えずの仕上げとして、次にこの部分を取り上げます。

先ず「題説構文の種類」が紹介されます。

「題説構文は、言語主体(話し手・書き手)が、表現しようとする事柄を題目部と解説部の二つに分け、言表内容が一般的恒常的なものであるということを、あるいは個人的意見や一時的意向を、自己の責任のもとに表現しようとする際に採用する文型である。同等の重さを有する二部構成の表現ということから、これを天秤型構造という。題目部であることを示すためには多くの形式があるが、基本的に係助詞ハで提示される。題説構文を下位分類すると次のようになる。

題目部     解説部
a 桜は    春の花だ。       題説名詞文
b 桜は    庭に咲いている。    題説動詞文
c 桜は    裏庭にある。      題説存在詞文
d 桜は    美しい。        題説形容詞文
e 桜は    綺麗だ。        題説形容動詞文
f 桜は    散り際が素晴らしい。  ハガ構文   」(p.060-061)。

ここに「自己の責任のもとに表現しようとする」と書かれているのは面白いところです。次に題説構文は「自問自答形式」であることが指摘されます。

「「桜は 春の花だ。」を言い換えると、「桜の花は何かといえば、それは春の花だ。」となる。題目部「桜は」は問いであり、「春の花だ。」は答えなのである。問いがあり、答えがなされれば、一つの対話は完了する。

題説構文は一文の中に、問いと答えを備えている、ダイアローグ的形式なのである。したがって、題説構文の場合、一文を二人で完成させるという離れ業が日常的に容易に行われているのである。

夫 桜は (どうだった)?
妻 八分咲きというところだったわ。
夫 道路は (どうだった)?
妻 ひどい渋滞だった。

「桜は?」「八分咲きというところだったわ。」というそれぞれの文は自律していない。省略があり、省略の部分を相手が補ってくれることを前提にしている。それぞれ、相手に頼っているのである。そして二人の発話を合わせた、「桜は 八分咲きというところだったわ。」で完結した、自律的文になる。日本人の対話はこのように、相手と一文を作り合いながら進行することが多い。この在り方は、蕉風の「座の文芸」の精神と一致するものである。

右の対話を叙述構文で行おうとすると、どういうことになるか。

夫 桜が……。
妻 桜が どうしたの ?
夫 散っちゃってた……。
夫 道が……。
妻 道が どうだったの ?
夫 こんでた……。 フゥ……。

叙述構文では、「桜が」という主語のあとに述語の存在が予告される。その述語は「桜が」の発話をした者によってしか充足されえない。「桜が」は省略表現である。この意味では「桜は」と等しい。相違点は、題説構文の「桜は」の場合は聞き手が補うことができるのに対して、叙述構文の場合は聞き手がこれを補うことが難しい点にある。したがって、聞き手は、言いさしになった部分を、促して尋ねるほかはない。このような対話は長く続けられない。聞き手の方がイライラしてくるからである。叙述構文はモノローグ的形式であるので、二人で協力して一文を作り上げていくということは不可能なのである。

ところで、「桜は ?」の問いに対する答えは、文脈(言語主体・時・所など)により様々である。「顕花植物だ。」「在来種だ。」は分類としての答えであり、「吉野だ。」「上野だ。」は名所についての答えであり、「八分咲きだ。」「満開だ。」は状況についての判断としての答えである。「桜は」の問いに内在する含みは多様であり、それに応じて答えも多様となる。前節で論じたウナギ文はこのような多様さの一つの現れに過ぎない」(p.061-063)。

題説構文はダイアローグ的形式であり、叙述構文はモノローグ的形式であるという指摘にも興味深いものがあります。この説明によると「AはBである」という題説構文は、森の言う「命題」とは随分異なる面があると言わなくてはなりません。実体が主語として与えられ、その属性が述語となるというのではなく、主語はあくまでも題目であって、述語は文脈によって様々に変異します。ダイアローグ的形式というのは、いわば掛け合い漫才のようなものです。洒落て言えば「座の文芸」です。ただし「桜は顕花植物だ」という文は「命題」であると言えますが、それは題説構文の一部であるに過ぎず、A is B の訳語として日本語の中であとから重要な位置を占めるようになったということでしょう。

こうしてみると、森が「「AはB」“A is B”というのは三人称の文章であるが、その中核に本当の一人称、二人称に転落しない一人称を含んでいる」と言ったような判断主体は、日本語ではもともと想定されていなかったとも言えます。省略した主語や述語を補うことが相手に期待されているということは、初めから相手の了解を当て込んでいるということです。判断を「自己の責任のもとに表現」するのが「題説構文」であるとしたら、それがダイアローグ的形式のもとにあるということは、少なくとも責任の分散を意味することになります。それは単に助動詞(動助詞)だけの問題ではありません。

次に題説構文を多用している「枕草子の題説構文」が取り上げられます(p.063-065)。

例の「春は あけぼの」に始まる文章です。「係助詞ハによる題目表示の形式をとらないが、「すさまじきもの」「たゆまるるもの」「人にあなづらるもの」「にくきもの」なども、題説構文である」とした上で、次の文が引用されます。

近うて遠きもの 宮の前の祭。思はぬはらから、親族(しぞく)の仲。鞍馬のつづらをりといふ道。十二月(しはす)のつごもりの日、正月のついたちの日のほど。

遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。

[近いようで遠いもの 宮の前の祭。薄情な兄弟や親類の間柄。鞍馬のつづらおりという道。十二月の末日と、正月の一日との間。遠いようで近いもの 極楽。舟の道中。人と人との仲。]

そして次のように指摘します。「これは謎掛け遊びの一種である。一見矛盾するもの、存在しそうにないものを掲げ、洒落た答えを競い合うという趣向のものである。『枕草子』は、清少納言の一人舞台であるが、題説構文の特徴として、謎を掛ける人と答える人との合作でもありえた。」

こうして題説構文は「命題」であるどころか「(謎掛け)遊び」に転化してしまいます。

「題説構文の解説部、すなわち、答えの部分が平凡であれば、それは坦々とした文章になるが、答えが個性的であれば、感覚や趣味の良さを問う、面白い読み物になる。『枕草子』は清少納言の才気により、興味深い読み物になっている。」

「ただし、時代を隔てた今日では、理解し難くなっている章段もある。たとえば、

受領(ずりょう)は 伊予の守。紀伊の守。和泉の守。大和の守。
権(ごん)の守は 甲斐。越後。筑後。阿波。

これらの章段の面白さを理解するには大層な知識を必要とする。「伊予・紀伊・和泉・大和」の各国が大国であり、受領としてはうまみがあるということなのであろうが、それだけなのかと不安になる。「権の守」の章段に至ってはさっぱり理解できない。時事、風俗に関する情報が欠けているためなのだろう。この題説構文は、いわば、名詞と名詞とを係助詞ハで結び付けただけのものであるから、それぞれの名詞が指示する意味と内包する含みとが理解されない限り、表現者の意図を完全に理解することは難しいのである。題説構文は、自律的文といいながらも、全ての言語表現がそうであるように、大きく文化的、時代的文脈の助けを得て自律した表現になるということに変わりはない。」

「自律的文」である筈の題説構文に「掛け合いの妙」を感じ取ってしまうところに「日本語」の特質があると言うべきでしょう。それは「現実嵌入」というよりは、話し手(書き手)と聞き手(読み手)との間の「相互嵌入」と言うべきものです。

なおここで小池が「時事、風俗に関する情報が欠けているためなのだろう。この題説構文は、いわば、名詞と名詞とを係助詞ハで結び付けただけのものであるから、それぞれの名詞が指示する意味と内包する含みとが理解されない限り、表現者の意図を完全に理解することは難しい」と述べていることは、この文章の「現実嵌入型言語その1」で引用した、千野栄一の『外国語上達法』では「レアリア」と言われています。この言葉については、その本の11章「レアリア」で詳しく取り上げられています。

「「レアリア」という語を辞書でみると、チェコ語ではレアリエ(チェコ語表記略)とあり、この章の冒頭にかかげた「ある時期の生活や文芸作品などに特徴的な細かい事実や具体的なデータ」という定義がついている。そのあと、「現実的な知識や情報」とあって、次に例として、「ギリシャやローマのレアリア、近代的なレアリアの知識」という用例があがっている(参照原典名略)。この定義の最初の部分に関していえば、ポーランドで出た『文芸術語辞典』(原典名略)でもポーランド語のrealiaの意味は同じで、そもそも生活なり作品の中の細かい具体的な事実のことを指し示している。(中略)そして注意すべきはチェコ語の例であがっている「ギリシャのレアリア、ローマのレアリア」という組合せで、本来ギリシャやラテンの古典語を読むのに、このレアリアの知識が必要であったことを示している」(p.183-184)。

そして、ほんの一例ですが、外国語習得のための心得として、次のように書いています。

「風俗・習慣も、言語の与える情報を支えている。チェコスロバキアなどいくつかの国では「これ持っていない?」といいながらこぶしを軽く握り、親指と人差し指の先を軽くこすり合わせるのを見て「お金」のことと理解しなければならない。またブルガリアなどで知られているように、頭を上下に振るのが「いいえ」で、左右に振るのが「はい」というようなことも、知らないと理解し合えない。

さらに、ことばそのものの中にも、直接伝達される以外の情報がある。普通の日本人であれば、更科・やぶ・松月庵と、来来軒・幸楽飯店・万珍楼ではどちらが日本そばでどちらが中華そばを扱っているか分からない人はいない。また、ポチ・チビ・タロと、ミケ・タマ・トラでは、これがそれぞれ何の動物か分からない人もいないと思われる。「ところで英語を何年も学んできた読者の皆さん、英語で犬や猫の名前をいくつご存知ですか?」――その答えは簡単である。この語学上達法では不必要なものは覚えない主義なので、「イギリスやアメリカへ行って、犬や猫を飼うとき調べればいい」と答えればいい。それに、犬や猫なら日本の名をつけてもかまわない。しかし、英語を母語として話す人なら当然知っていることを、外国語として英語を使う人は知らないものがあるのもまた事実で、レアリアはこういう両者の差を補っていこうとするものなのである。人名にせよ地名にせよ、固有名詞はその最たるもので、それらを知っているか知らないかは、全体の理解に大きな影響を持っている」(p.186-187)。

我々が日本の古典を読むときにも、この「レアリア」の知識が必要とされるということでしょう。少し脱線しましたが、小池の本に戻ります。以下、順を追って項目別に取り上げて行きます。

係助詞ハの貫通力

「主格助詞ガの力が及ぶ範囲は、文の中にある述語までである。

二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のやうな犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたところを、こんなことを云ひながらあるいてをりました。(宮澤賢治『注文の多い料理店』)

右の例文において、主語「二人の若い紳士が」は、以下に続く、「して」「かついで」「つれて」「云ひながら」「あるいてをりました」に係っている。この例はガとしては頑張った方である。ところで、頑張ったとはいえ、その力が及ぶ範囲は文の内部にとどまり、文を越えて働くという貫通力をガは有していない。これは、主語は述語を前提として存在し、述語は文の内部に存在するという性質に規定された必然なのである。

これに対して、係助詞ハの力は文の範囲を突き抜けて働く貫通力を持つ。そのことは、前項で例示した『枕草子』の「受領は」「権の守は」の文章を見れば容易に推測されよう。「受領は 伊予の守。」の題目部「受領は」は、次に続く、「紀伊の守。」「和泉の守。」「大和の守。」などの一語文の題目にもなっているのである。係助詞ハは題目を提示するものであるから、次の題目が現れるまでは、当然、題目としての力を保ち続けるのである。

このように、文を越えて働くハの働きを、三上章は「ハのピリオド越え」と称して、ハの特徴の一つに数えている(『象ハ鼻ガ長イ』1960年)」(p.066-067)。

係助詞ハはいわば「接続(係り関係)の連鎖性」を持つと言えます。主語が文主としてではなく、題目として提示されるのが題説構文の特徴であるとすれば、一文が一文としての完結性を持たず、次々に他の一語文に連鎖していくということになります。同一律、矛盾律に基づく「命題」が言い切り型であるとすれば、題説構文は題目部の「意味と内包する含み」に連鎖して拡散していくネビュラ(星雲)型であると言えます。ハがピリオド越えを許すとすれば、そこに日本語の曖昧さ、意味の不確定性があります。「一つの命題には、主語と賓辞があり、それが繋辞によって関係づけられて結合されている。その各項は、完全に表明された概念あるいは表象で、その関係を肯定したり、否定したりする」と、森が言ったような意味での、明晰な判断を題説構文一般に求めることはできないということになります。日本語の著しい特徴の一つがそこにあります。

小池はここで上記のハとガの知識によって、『伊豆の踊子』の一節の解釈を試みた上で、次に進みます。

題目化とハの格助詞兼務

「題説構文では、表現しようとする事柄を題目部と解説部とに二分する。題目部としてとりあげることを「題目化」という。「昨日 私が 娘たちと 中禅寺湖で ボートに 乗った。」という叙述構文の文の各要素について、それぞれ題目化を行ってみると、次のようになる。

a 昨日は    私が 娘たちと 中禅寺湖で ボートに  乗った。
b 私は     昨日 娘たちと 中禅寺湖で ボートに  乗った。
c 娘たちとは  昨日 私が   中禅寺湖で ボートに  乗った。
d 中禅寺湖では 昨日 私が   娘たちと  ボートに  乗った。
e ボートには  昨日 私が   娘たちと  中禅寺湖で 乗った。

aの「昨日」には名詞的用法と副詞的用法とがある。「明日・今日・昔」など時間に関する語や「一つ・二個・三月(みつき)」などの数詞も同様の性質を持ち、これらを、時数詞という。時数詞の場合は、ハをつけるだけで題目化される。時間に関する事柄が、「日曜日・夏休み」など、名詞性の強い語で示される場合は、「夏休みには」のように、格助詞ニを付けたニハの形でも題目化される。

bのように、主格助詞ガによって提示された主語を題目化する場合は、ガを削除しハを代入する。ガは表現の表層からは消えるが、働きは残り、「私は」は「乗った」の動作主であることには変わりがない。ハは係助詞として題目化の働きをすると同時にガの働きも兼務していることになる。三上章は、これを「ハの兼務」と名づけている。ハにより兼務される格助詞はガのほかにヲがある。

「昨日 本を 買った。」の「本を」を題目化すると、「本は 昨日 買った。」となる。「本は」のハは、ヲを兼務しているのである。学校文法の場合、「本は」をも主語とするが、これが主語(動作・状態の主体)でないことは明らかであろう。

話し言葉の場合、ガやヲは、「その本 私 買うわ。」などのように省略される。これは、「本」「私」という語の意味と「買うわ。」が表す意味から主語や目的語が容易に推察されるからである。

このように考えると、「私は 昨日 娘たちと 中禅寺湖で ボートに 乗った。」は、「私ガは 昨日 娘たちと 中禅寺湖で ボートに 乗った。」の省略形、「本は 昨日 買った。」は「本ヲは 昨日 買った。」の省略形とみなすべきものかも知れない。

ところで格助詞は、題目化に際して、すべて省略され、ハにより兼務されるかというと、そうではない。

cのト(共格)、dのデ(場所格)は省略されない。トやデを省略すると日本語として不自然になり、意味的にもわかりにくくなる。

eの「ボートには」は、「ボートは」でも可能である。格助詞ニの場合、ハにより兼務されるもの(省略されるもの)と兼務されないもの(省略されないもの)とがある。「ボートに」の例のような目的格の場合は省略でき、ハによる兼務も可能であるが、左に示すような受身格のニは省略されない。省略すると意味がまったく異なってしまうからである。したがって、ハの兼務は不可能となる。

父には よく叱られたものです。  〔父ニ叱ラレタ〕
父は  よく叱られたものです。  〔父ガ叱ラレタ〕

ところで、使役格のニの場合は、

子供には 苦労させるべきだ。  〔子供ニ苦労サセルベキダ〕
子供は  苦労させるべきだ。  〔子供ニ苦労サセルベキダ〕

のように、どちらもほぼ同じ意味となり、省略可能となる。受身格は目的格のニとは別種のニであり、使役格は目的格の一種ということになる」(p.069-072)。

題説構文は係助詞ハによって題目化された題目部と、それが解説される解説部とからなるという、この基本的構造から再確認されるのは、題説構文は、欧米語の「主語‐述語」という形での文、センテンスではないということです。動作や状態の主体(=主語)以外のものも題目化されるからです。森有正は、日本語は「非文法的」であると言いましたが、もちろん文法がないわけではなく、グラマー(文法)とレトリック(修辞)の境目が近接した言語であるとは言えるのではないでしょうか。そこから日本語は「論理的」であるかという別の問いも生れてきます。これもまた、日本語には日本語の「論理」があるのですが、それはアリストテレス的な意味での「論理」ではないと言うべきことなのかも知れません。日本人が状況に押し流されやすいのは、このような日本語の「柔構造」にも原因があると思われます。だから日本語は確固とした「思想」が生れにくい言語であるとも言えるでしょう。それが日本語の「致命的」欠陥であるか否かということは、それを使う我々がどこまでその日本語の性質を「対自化」しているかということにかかっています。日本語の「文法」を研究することには、そのような意味があります。

この本の第二章「題説構文とはどのような構文か――ハとガの相違」は「一、題説構文」、「二、題目化とハの格助詞兼務」、「三、題目の種類」の三つの部分から構成されています。次にその「三、題目の種類」の各項に入ります。

松下大三郎の発見

「題説構文を日本語の文法の中に位置付け、ハとガの相違についても、山田孝雄とは別の観点を提示したのは松下大三郎(一八七八〜一九三五年)であった。松下は昭和三年(一九二八)四月十日に『改撰標準日本文法』を、昭和五年(一九三〇)二月十一日に『標準日本口語法』を刊行している。

松下は、「断句」(いわゆる「文」)を「断定」の性質によって次のように分類する。

思惟断句

有題的   今宵は十五夜なり。
 無題的   花咲きたり。

直感断句

 概念的   君よ。
 主観的   否。

松下の「有題的思惟断句」は本書の題説構文に、「無題的思惟断句」は「叙述構文」に相当する。

松下は、有題的思惟断句を以下の三種類に下位分類する(一行目の「平説」は無題的)。

平説     私が幹事です。  御飯を食べますか。

題目  分説 私は幹事です。  御飯は食べますか。
     合説 私も幹事です。  御飯も食べますか。
     単説 私、幹事です。  御飯、食べますか。

「分説」はハの他と区分する意に基づく名称、「合説(ごうせつ)」はモの累加の意に基づく名称、「単説」は提題の助詞がなく、単に題目として提示する意に基づく名称で、これらは意味的相違である。したがって松下の分類で重要なものは、「平説」(無題的思惟断句)と「題目」との相違である。そして、これはハとガの相違でもある。松下は次のように述べる。

題目語と平説語との別は、吾々が判断を立てる場合に於ける思惟の範疇である。此の区別は文法上論理上非常に大切なるものである。単に語形上の区別とのみ考へてはならない。

凡そ吾々が判断を立てるに於てその中に働く概念には、既定不可変で選択不自由なものと、未定可変で選択自由なものとある。題目は前者であって解説は後者である。(中略)題目語は既定不可変不自由であって解説の圏外にある。然るに平説語は解説の一材料(一部分)である。故に未定可変自由である。二者の間には侵すべからざる区別が有る。

私は〔題目語 既定、不可変、不自由〕 本会の理事です。

この命題の目的は「私」といふものに就いて或る判断を下すのである。「私」といふ概念は最初から決まってゐるので改めることは出来ない。これを改めては別の談になってしまふ。

私が〔平説語 未定、可変、自由〕 本会の理事です。

と云った場合は「私」が平説であるから「私が」も解説の一部である。従って「私」という概念は既定不可変ではない。解説者が自由に決めるのである。この命題に在っては「私が本会の理事です」の全体が解説である。題目を挙げない解説である。題目たるべきものは直感のままで概念に上ってゐない。その概念に上った場合は次の様な場合である。

本会の理事は〔題目語〕 私が専務理事で某君が常務理事です。〔解説語〕

(『標準日本口語法』)

右は、文の性質、構造に関する松下の解説であるが、これは、そのままハとガの相違の解説でもある。松下の説くところをハとガの相違を際立たせるために図式化すると次のようになる。

〔既定・不可変・不自由〕+ハ+〔未定・ 可変・ 自由〕

〔未定・ 可変・ 自由〕+ガ+〔既定・不可変・不自由〕

ハの上には、〔既定・不可変・不自由〕の事柄が述べられ、ガの上には、〔未定・可変・自由〕の事柄が述べられるとする松下のこの説は、驚くことに、アメリカの言語学者ウォレス・チェイフが“Meaning and the Structure of Language”(University of Chicago 1971. 青木晴夫訳『意味と言語構造』)で指摘した「old information(旧情報・既知)」「new information(新情報・未知)」の考え方に基づく、「既知情報」はハの上に、「未知情報」はガの上にという現在の考え方(たとえば、大野晋『日本語の文法を考える』一九七八年、など)とそっくりで、これらの諸説の淵源とみなしうるものとなっている。

ガには、文全体で新しい情報を伝える、「駅前が火事なのです。」(「だいぶ騒がしいが、一体何が起こったのですか。」という問いに対する答え)という用法もあり、

〔未定・ 可変・ 自由〕+ガ+〔未定・ 可変・ 自由〕

の型も認めるのが今日の常識であり、松下説を改定したものになっているが、松下の所説が、ハとガの相違の核心を喝破したものであることに変わりはない。

松下の説は、春日政治の『尋常小学校国語読本の研究』(一九一八年)や松村明の「主格表現における助詞『が』と『は』の問題」(国語学振興会編『現代日本語の研究』一九四二年)などで明らかにされている、ハとガに関する対照的現象を見事に説明するものになっている。ただし、以下の引用のcの現象は山田説での説明の方がわかりやすい。

a 具体的事実の叙述に聴き手の目撃しない事物を初出する時にはガを用いてハを用いない。

例 昔むかし、おじいさんとおばあさんガありました。おじいさんハ山へ柴刈りに、おばあさんハ川へ洗濯にゆきました。    (春日政治)

b ハの上には「誰、何、いつ」などの疑問詞が使用されず下に使用され、一方、ガの上には疑問詞が使用され下には使用されない。

例 誰ガ  居ますか。  何ガ   見えますか。  どれガ私のですか。
  居るのハ誰ですか。  見えるのハ何ですか。   私のハどれですか。
  どこガ大阪ですか。  どの犬ガあなたのですか。
  大阪はどこですか。  あなたのはどの犬ですか。    (松村明)

c 従属節中の主格にはガが付き、ハは付かない。

例 あなたガ来なかったのがいけなかった。海ガ一番穏やかなのは七月でしょう。私ガ出かけようとする時に彼がやってきた。私たちは落ち葉ガ散っている道を歩いた。    (松村明)」(p.072-078)。

このあと小池は「小説の冒頭部のハとガ」について論じます。「ここで注意しておくべきことがある。ハとガに関する右の現象のうち、bとcの疑問詞、従属節に関する現象は日本語の文法的規則として例外を許さず、レトリックの介入の余地がないのであるが、aの「具体的事実の叙述に聴き手の目撃しない事物を初出する時にはガを用いてハを用いない」という現象はレトリックの介入を許すということである」と言い、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、志賀直哉、中島敦のそれぞれの作品の冒頭部を例示し、同一の作者たちが、Aの群として「聴き手の目撃しない事物を初出する時に」ガを用いている場合、Bの群として敢えてハを用いている場合があることを紹介します。そして「ハ・ガと既知・未知の関係は事実関係ではない。すなわち、事実として「未知」であるからガの上に、事実として「既知」であるからハの上にという機械的なものではない。ガで提示したものは未知のものとして、ハで提示したものは既知のものとして言語主体(書き手・話し手)は扱っているのだということを意味しているのである。この言語主体の「扱い」というところにレトリックの介入を許す余地が存在する理由がある」と述べます。

なおここで松下大三郎の説と関連して、アメリカの言語学者ウォレス・チェイフのことが取り上げられています。これは、千野栄一が紹介していた、チェコの有名な言語学者V・マテジウスの「文の基礎と核の理論」と一致します。

小池は「題目の種類」についてこの先さらに細かく論じます。あとでそのうちの「ハ・ガ構文(象は鼻が長い)」について触れることとして、ここで「以下の引用のcの現象は山田説での説明の方がわかりやすい」と書かれている点について、この本を溯って、そのことが論じられている第一章の「四、題説構文と叙述構文」を引用します。

日本人による、日本人のための、日本語の文法

「日本人による、日本人のための、日本語の文法が創案され、出版されたのは明治四十一年(一九〇八)九月十日のことであった。著者、山田孝雄(やまだよしお、一八七二〜一九五七)は文法研究をライフワークとした動機を次のように述べている。

今を去ること殆十二三年前の事なりき。著者は其以前よりして文法専攻の志を有せり。当時をこがましくも相応の知識ありと思へりき。当時某氏の文法書を以て教授に従事したりき。この文法書は即「は」を主語を示すものとせるなり。一日この条に及ぶや一生(いっせい、一人の学生、引用者)反問して「は」の主語以外のものを示すことを以てす。余は懺悔す。当時の狼狽赤面如何許りぞや。沈思熟考して、徐(おもむろ)に其の言の理あるをさとり、自ら其の生徒に陳謝したる事ありき。実にこれ著者が日本文法を以て自家の生命とまで思惟するに至りし最大動機にして(以下略、『日本文法論』)

山田孝雄の研究以前には、助詞のハとガの区別を明晰に説明することが日本人にはできなかった。山田の文法研究はこのハとガの区別を明らかにすることから始まったのである。ハとガの相違は日本語固有の問題であるから、山田の文法は日本語の必然に根差したものであった。そういう意味で欧米の言語研究を模範とする近代の言語研究とは異なる独自の研究がなされ、ハは係助詞、ガは格助詞という結論が出されると同時に、文を終結させる力を有するものとしての陳述が発見され、日本語独自の文の定義を可能にしたのである」(p.050-051)。

ハとガ

「ハとガの相違については後に詳述することとして、ここでは山田が明らかにした、係助詞としてのハと格助詞としてのガとの相違を簡単に述べておく。

a 鳥は飛ぶ。                  〔鳥ハ 飛ぶ〕
A 鳥が飛ぶ。                  〔鳥ガ 飛ぶ〕
b 鳥は飛ぶ時。                 〔鳥ハ 飛ぶ時〕
B 鳥が飛ぶ時。                 〔鳥ガ飛ぶ 時〕
c 鳥は飛ぶ時に軽く羽ばたく。          〔鳥ハ 羽ばたく〕
C 鳥が飛ぶ時に軽く羽ばたく。          〔鳥ガ飛ぶ 時〕
d 鳥は飛ぶ時に軽く羽ばたくと言われる。     〔鳥ハ 言われる〕
D 鳥が飛ぶ時に軽く羽ばたくと言われる。     〔鳥ガ飛ぶ 時〕
e 鳥は飛ぶ時に軽く羽ばたくと言われる動物です。 〔鳥ハ 動物です〕
E 鳥が飛ぶ時に軽く羽ばたくと言われる動物です。 〔鳥ガ飛ぶ 時〕

山田が示すa〜eの例文において、「鳥は」は常に、文の言い切りの部分(陳述)と関係し、言い切られる事柄の題目となっている、このようにハは陳述に係るものであるため、係助詞という。これに対して、A〜Eの「鳥が」は常に直後に用言と結び付き、「飛ぶ」という行為の主体となっている。ガは「鳥」という体言と「飛ぶ」という用言の意味的関係を規定しているので格助詞という。もっとも、C〜Eの「鳥が」を題目と見ることもできる。あるいは、そうとしか見えない。ただし、この場合は、「鳥」を強調した表現となり、ガは副助詞相当になる。

山田が明らかにしたことは、語としてのハとガの相違であるが、この相違は実は、文の性質の相違にも及ぶものであった」(p.051-053)。

ここでさらに「題説構文と叙述構文」との区別が論じられ、それと関連して、この区別が未だになされていない「学校文法の根本的欠陥」が批判されます。ここではそれを省略し、最後に「ハ・ガ構文」について取り上げます。

ハ・ガ構文――いわゆる「総主構文」の問題

「松下大三郎は、「複層的題目語」と名づけて、一文の中に、題目が複数存在する、次のような例を示し、「象は」を「大題目」、「鼻は」「目は」を「小題目」と名づけている。

 一   二       二
〔象は 〔鼻は 長く〕 〔目は 小さい。〕〕

さらに、「小題目」が多数重なるものとして、次の諸例を掲げている。

此靴ハ 革ハ 質ハ 善いが少し薄い。
私ハ 今日ハ 午前中ハ 貴方の所へモ 彼の所へモ行ってハ居れない。
竹ハ 草でモ 木でモありません。
私ハ 昨年ハ 夏ハ 遠き所ハ 汽車ではハ日光へ行き、船でハ大島へ行き、近き所ハ玉川房州などへ行ったが、冬ハ 何処へモ行かなかった。
           (『改撰標準日本文法』、振り仮名は小池)

やや不自然な例が多いが、ハを連続して用いて、「大題目」と「小題目」を共存させる表現法が存在することは事実である。

なお、「竹ハ 草でモ 木でモありません。」は不適切な例で、松下のミスであろう。「草で」「木で」は題目ではなく、解説部の核となる語句であり、モは副助詞である。同様に、第二例の「行ってハ居れない。」のハも副助詞であり、「行って」は題目(「小題目」)ではなく、解説部の核となる語句である。

ところで、「複層的題目語」は、松下が例示したような「…ハ…ハ…。」という形ばかりではない。「象は 鼻が 長い。」のように、「…ハ…ガ…。」の構造をもつ文もある。このように、大題目がハで提示され、小題目がガで提示される構文をハ・ガ構文、または、総主構文という。総主構文という名称は草野清民(一八六九〜一八九九年)が『日本文法』(一九〇一年)において、「象は体大なり。」の「象は」を「総主」と呼んだことに由来する」(p.086-088)。

「総主論争」

「草野の問題提起に応じて「総主論争」が生じ、以後文法界の争点の一つとなっている。「象は鼻が長い。」を例として、所説を簡略に紹介しておく。

総主説=「鼻が長い。」を主語述語を備えた文とし、「象は」を再度主語に立ったものとする。ただし、「酒は養生に害あり。」「机は木にて作る。」の「酒は」「机は」なども「総主」としているので、本書の題説構文と似た考え方をしていたかと思われる。草野清民。

複文説=「象は」を主語、「鼻が長い。」を述語とし、述語が主語(「鼻が」)と述語(「長い」)からできているとする説。三矢重松、新村出、橋本進吉など。

正副二格説=「象は」を本来の主格、「鼻が」を副主格とする説。山田孝雄、吉岡郷甫など。

提部・提示語説=「象は」を提部または提示語とし、話し手によって強調の置かれた「心理的主部」とする説。小林好日(よしはる)、吉沢義則など。

題目語・主語説=「象は」を題目語、「鼻が」を主語とする説。松下大三郎。松下は題目語を「論理的主語」とし、「文法的主語」とは異なるものとしている。

題目語・部分主格説=「象の鼻が長い。」という文の「象の」を題目化したものと見なし、「象は」を題目語、「鼻が」を部分主格とする説。三上章。

全体主格・部分主格説=「象の」は連体の働きをしており、一方、ハは連用の働きをする。「象の」を題目化することは無理であると三上説を批判し、「象が 鼻が 長い。」の題説構文化と見なし、「象は」を全体主格、「鼻が」を部分主格とする説。一文中に、同じ位格を認めるという点で、山田孝雄らの正副二格説と同様の考え方である。北原保雄。

本書では、大題目・小題目説を採る。「象は」を大題目とし、「鼻が」を小題目とする。松下の考えに従ったものであるが、松下自身は、ハとガを別種のものと考え、右に紹介したように、題目語・主語説をとっている。しかし、彼が例示した「象ハ 鼻ハ 長く 目ハ 小さい。」に少し手を加えれば、「象ハ 鼻ガ長く 目ガ小さい。」となることは明らかであろう。「鼻ハ」「目ハ」が小題目であるとすれば、「鼻ガ」「目ガ」が小題目であって悪いわけはない。松下はガを格助辞、ハを提題助辞としているために、このような柔軟な考え方を採用できないのである。名詞文、形容詞文、形容動詞文のガは、時にハと働きを同じくするという事実に気付いていれば、おそらく、松下はハ・ガ構文を大題目・小題目からなるものとしたに違いない」(p.088-090)。

議論はまだ続きます。しかしここで、小休止したくなりましたので、私の感想を差し挟んでみます。大題目・小題目という表現から直ぐ連想できることは、「大」と「小」との間には「包摂関係」があるのではないかということです。つまり「鼻」は「象」の体の一部であって、小題目は大題目で示された題目を、さらに特定し絞り込む役割をしているのではないかということです。しかし以下の例文には、字句の上では大と小との包摂関係は直ぐには見出されません。

a 春は雨の日が多い。
b 吉野は桜が美しい。
c 私は馬が好きだ。

従ってそこに「包摂関係」を見出すためには、不必要な表現が省略されているのではないかと考えてみる必要があります。たとえば以下のような具合です。

a´春(の天気について)は雨の日(という天気)が多い。
b´吉野(という場所について)は(その場所の)桜が美しい。
c´私(の好みについて)は(動物の中で)馬が好きだ。

つまり、aについては「(春の)天気(気候)」の絞り込みが、またbについては「(吉野という名所、すなわち)場所」の絞り込みが、またcについては「好きな動物」の絞り込みがなされていると考えてみます。ハ・ガ構文には、このような題目の特定化、絞り込みがあると考えることができないでしょうか。いわばハ・ガ構文「ズーム・インです。

またこれらの表現をさらに簡略化すれば、「春は雨が多い」、「吉野は桜だ(ウナギ文)」「私は馬だ(ウナギ文)」となります(いくら日本語でも「春は雨だ」という言い方には不自然さが伴います)。日本語には、このように不必要なものは省略されるという縮約化の傾向があって、その分、文脈に依存する、あるいは場面に拘束される度合いが強いと言いうるのではないでしょうか。あるいは聞き手、読み手の想像力による欠落した表現の補填が必要になります。だから俳句などはきわめて日本的な芸術であると言えます。

この先、小池は自説の論証に取り掛かります。

ハはノを代行するか

「三上章の『象ハ鼻ガ長イ』(一九六〇年)は、全巻、「題述文」(本書の題説構文)の研究成果で埋め尽くされている。童話の本を思わせるタイトルのユニークさは、内容のユニークさをも象徴していた。この本は、主語述語だけで日本語の文法を記述しようとしてきた日本文法界に革命的変革を要求するものであった。日本語では、題述文こそ主要構文であることを繰り返し主張し、これ以後展開される、日本語には「主語」がないという、三上のキャンペーンの始まりの著作ともなっている。

「第一章『ハ』の兼務」において、ハは、ガ・ヲ・ニを兼務し、これらの格助詞の働きを代行することを説き、「第二章『ハ』の本務」において、ハの「ピリオド越え」など、題目提示の働きを説き、「第三章『ハ』の周囲」において、ハ以外の形式による題目提示の方法について考察している。

これは、山田孝雄、松下大三郎、佐久間鼎らの研究の成果の上に立ったもので、さらなる発展をしめした名著である。

三上の研究で注目すべきものは、「象ハ鼻ガ長イ。」は、「象ノ鼻ガ長イkoto」の「象ノ」を題目化した題述文であるとし、ハはノをも代行するとしたところにある。この仮説により、たとえば、次のような文の題目化は「ノ」の代行ということで容易に説明できるようになる。

市町村長ガ市町村ノ代表者トナルkoto → 市町村ハ、市町村長ガ代表者トナル。

広島ガカキ料理ノ本場デアルkoto   → カキ料理ハ、広島ガ本場デス。 (前掲書)

北原保雄は、『日本語の世界6 日本語の文法』(一九八一年)で三上の所説を「犀利な洞察力」によってなされたものと評価し、三上の研究によって「題述関係」が明らかにされたと賞賛しつつも、「ハがノを代行する」という、三上説の根幹部については承認していない。その理由は、ガ・ヲ・ニは連用格助詞であり、ハも連用助詞であるから、これを代行することは可能であるが、ノは連体助詞で文法的性格を全く異にするものであるから、代行すると見なすことは不可能とするものである。そうして、「象ハ鼻ガ長イ。」は「象ガ鼻ガ長イkoto」の「象ガ」の「主題化」としたほうが、自然であるとして、「全体主格・部分主格」説を提唱している。

「代行する」ということを、文法的働きをも含めたものと見なせば、北原のいう通りである。ところが、三上のいう「代行」は、論理的・意味的関係の代行であり、文法的関係を含んでいないのではないか。

ところで、北原の「全体主格・部分主格」の説は、「象は鼻が長い。」というような文に限っては有効であるかも知れないが、ハ・ガ構文の全てを覆うものではない。近い所で例をとれば、右に三上が例示した、「市町村ハ市町村長ガ代表者トナル。」を全体主格・部分主格として、「市町村ガ市町村長ガ代表者トナルkoto」の「市町村ガ」を「主題化」したものと説明することには無理があろう。「市町村」は主格ではありえない。

また、「市町村ガ市町村長ガ代表者トナル。」が日本語の表現としてはありうるとしても、それが日本語として可能な場合は、「市町村」にプロミネンス(強調)が置かれる場合だけなのである。言い換えると、この表現は、「市町村ハ市町村長ガ代表者トナル。」の強調形なのである」(p.090-092)。

主格助詞ではないガの存在

「三上章の説で、真に問題にしなければならないのは、ガを「部分主格」としたことにある。結論から先に述べると、ハ・ガ構文のガは主格ではない。

「格」が何を意味するかについては、本書第三章の中の「叙部の構造」において、取り上げることになるが、ここで簡単に述べておけば、格とは体言と用言との論理的・意味的関係をいう。主格ガは体言が用言の表す事柄の動作主や状態主であることを、体格ヲは体言が用言が表す事柄の対象であることを、位格ニは体言が用言の表す事柄の実現する場所を示すものなのである。

これに対して、体言と体言との関係は「格」の関係ではない。体言と体言とを関係づけるノを例にして言えば、「ピカソの絵」という表現は、「ピカソガ描いた絵」(主格的)、「ピカソヲ描いた絵」(体格的)、「ピカソノ所持する絵」(所有格的)など、いろいろな格を表しうるのであり、格を積極的に表すものではないのである。ノは単に体言と体言とを結ぶ働きしかしていない。

ハ・ガ構文の名詞文に現れるガも体言と体言との関係に関するものであるから、格を表してはいないと判断すべきものなのである。具体的な用例で見ていこう。

桜は 吉野が   名所です。
鰹は 五月が   旬です。
私は 六月二日が 誕生日です。

これらのガが格を表すものでないことは明らかであろう。最初の例で言えば、「吉野」は「名所」の動作主でも、状態主でもない。この表現は「桜」の「名所」について言えば、それは「吉野」であると言語主体が判断を下すという趣きの表現なのである。「桜」が大題目であり、「吉野」は小題目である。ハもガも題目提示の働きをしている。ハが提題の助詞、係助詞であるとすれば、ガも提題の助詞ということになる。そして、名詞文では、ハが題目を、ガが対比・取り立ての意味を表すという役割分担をするので、ここでは、ハは係助詞として機能し、ガは副助詞として機能するものとなっている。いずれにせよ、ガは格助詞としては機能していない。

では、問題の「象は鼻が長い。」という形容詞文のガはどうであろうか。

a 花は 美しい。
b 花が 美しい。

aは「花」の凡時的一般的性質を述べたもので、題説構文である。一方、bは題説構文としてはその強調形で、ガは対比・取り立ての意を表す副助詞としての機能が表面化したものとなる。また、叙述構文としては、花が美しく咲き匂っている光景に接した時の、一時的個別的状況を描写的に述べたものである。「花が美しい。」を言い換えると、「今、花が美しくある。」「花が美しく咲いている。」という表現とほぼ等価なのである。この場合、ガは状態主を表しているので、主格助詞としてよい。

ところで、「象は鼻が長い。」は象の凡時的一般的性質を述べたものであるから題説構文である。したがって、「鼻が」のガは強調形で、対比・取り立ての働きをしていることになる。とすると、ガの働きは副助詞の働きをしていると判断するほかない。主格助詞ではない。

三上も、松下が犯したミスを繰り返してしまった。ガは格助詞という固定観念から逃れられなかったのである。「主語の廃止論」を展開する以前に、主格助詞ではないガの存在のキャンペーンを展開すべきであった」(p.093-095)。

私の「ズーム・イン」仮説の秘密は、どうやら副助詞としてのガの対比・取り立ての機能にあったようです。題目の大小の「包摂関係」については、当らずといえども遠からずといったところでしょうか。ただし縮約化については疑いの余地がありません。

対象語のガ

「時枝誠記(ときえだもとき、一九〇〇〜一九六七年)は、『国語学原論』(一九四一年)において、

a 水がほしい。母が恋しい。
b 飯が食いたい。
c 足が痛い。
d 私は金が要る。
e 鐘が聞える。山が見える。算術が出来る。

などの例を掲げ、次のように論じている。

「水」及び「母」は、夫々に主語「私」或は「彼」の感情を触発する機縁となるものであるから、これを「ほしい」「恋しい」に対する対象語と名付け、かゝる秩序を対象語と呼ばうと思ふのである。

c〜eの例は、「主語」と見る説も成り立つので除外するとして、a,bの例は、たしかに、時枝が主張するように、「水」や「母」「飯」は「ほしい」「恋しい」「食いたい」という状態の主体ではないから「主語」ではない。「ほしい」「恋しい」「食いたい」と感じている主体(状態主)は、「私」などの発話者である。「主語」にふさわしいのは、こちらである。とすると、ガは主格助詞ではありえない。

ところで、「私は水がほしい。」「私は飯が食いたい。」という文はハ・ガ構文である。ハがガを代行しているとすればガはヲを代行していることになる。「水がほしい。」「母が恋しい。」「飯が食いたい。」などの文は題説構文であった。これらの題説構文及び格関係を図式的に示すと次のようになる。

 一   二          一   二
〔私は 〔水が ほしい。〕〕 〔私は 〔飯が 食いたい。〕〕
  ガ   ヲ          ガ   ヲ         」(p.096-097

ここで小池のハ・ガ構文についての論述は終わっています。森有正が言うような意味で、日本語の題説構文が「命題」ではないことは明らかです。たとえそのような側面を含むとしても、それは学術的あるいは法律的な記述に限定されるでしょう。また、日本語は文脈依存的、場面拘束的で、「構文自律的」ではないということも、確認できたのではないかと思います(そもそも言語は状況を離れてどこまで自律的でありうるかということは、別の問題です)。文法学者を現に悩ませているほど曖昧な面もあります。ガが格助詞になったり、副助詞になったり、時には体言に対象語としての役割を負わせたりします。森が言うように、そのような日本語が、「思想」を形成する上で「致命的」な欠陥をもつかどうかということについて、私としては未だ断定しかねるところがあります。日本語でしか考えない者としては、そのような断定は自己否定を意味するからです。しかし国会での答弁が「人生いろいろ、会社もいろいろ」で済んでしまうような「日本語」使用の現状は、厳しく問い直されなくてはならないでしょう。それは誤魔化しであって答弁ではありません。縮約化の悪い例です。大江健三郎が指摘したように、日本語の問題は歴史の問題であり、政治の問題でもあります。政治の危険な曲がり角にあって、我々が自ら判断を下すこととしての日本語の使用が問われているのだと言うべきでしょう。

「現実嵌入」と「二項関係」という森有正の問題提起を検証してみたいという私の試みは一応これで終わります。その私の試みは、小池清治の著書の助けを借りて、日本語の構文に焦点を当てるという作業に止まるものでした。言語使用の主体としての自己を問い直すという作業は簡単には済まない問題です。私も日本人=日本語使用者の一人として今後もこの問題を考え続けてゆきたいと思います。


] 自由権・社会権・生存権

小森龍邦著『蓮如論 問いかける人権への視点』(明石書店、1998年)を読んでいて、「自由権」、「社会権」という言葉に出合いました。そこで先ずその部分を引用してみたいと思います。人間の基本権(基本的人権)を考えるときの参考になります。

「最近になって、つまり今日における高度に発達した資本主義経済のゆきづまりは、すぐる第一次、第二次世界大戦の後に、単純な自由競争経済では三たび、世界は市場確保、植民地支配の衝動にかられることとなり、必然的に戦争の惨禍が予想されるとして、ケインズ経済学的手法を講じ、「市場原理」に若干の人工的、計画的政策を導入することとなった。その結果ある程度、経済活動の無政府主義的欠陥は是正されてきた。

しかし、その計画的手法のゆえに必然的結果として、政府の許認可業務による管理主義がはびこることになった。だがこの手法も、半世紀もたつと、さらに生産力は肥大化し、国際競争は激化し、管理主義による許認可業務の非能率が指摘されるようになる。加えて政治権力の行なう許認可はどうしても、官僚との間を取り持つ政治家の腐敗を誘発することになる。

にわかに、「自由競争経済」という、この単純なテーマが、再び脚光を浴びることになってきた。これが、言われるところの規制緩和を求める行政改革である。

こういう行政改革をやるということになれば、それを実行しきる政治力が必要であるということで、政治改革と呼ばれる選挙制度改革を行ない、体制側の論理、それは熱病に侵されたような論理をも含めて、彼らの政治力を構築する必要を伴った。

これが今日言われているところの総保守化体制なるものである。

当然にも、各種制度の改革が、大企業などの支配者階級に有利にすすめられる。働く勤労階級は、究極の馘首についても、日頃の労働条件についても、不利な改革の前に曝されることになった。とりわけ女性の深夜労働の解禁など「母性保護」ということでさえ蝕まれるという状況となった。

部落差別というのは、『同対審』答申も指摘しているように、「市民的権利が行政的に不完全にしか保障されていない」ということである。市民的権利とは、社会学者の言う「自由権的基本権」のことである。

資本主義生産が成長するにしたがい、「強者と弱者」の矛盾が表面化してくることへの緩和措置を講じなければならなくなった。これがいわゆる「社会権的基本権」と言われるもので、歴史の発展過程にあって、基本的人権の初期的段階の「自由権的基本権」を出発点として、これを基礎としながら、「社会権的基本権」が歴史の舞台の前面に出てきたというわけである。

話は少し遠回りしすぎたようである。だがここを説明しなければ、中世の終わり頃の家父長制による管理主義としての賤民制度、今日で言うところの人権の視点について、これ以上に論がすすめられないからである。

つづいて「市民的権利=自由権的基本権」の定着なくしては、「社会権的基本権」もちょっとした風雨にさらされて、あえなくも後退してしまうという論理にすすむ。

概念化された言葉で簡単に説明させてもらえば「身分と階級の統一的把握」ということである。身分差別が色濃く温存されているようでは、階級闘争は多くの困難性に遭遇するということであり、だからこそ両者は統一的な連帯感のともなう運動として取り組まなければならないということである。

ところが部落解放運動が、総保守化体制になり、「階級史観」との訣別を言い出すに及んだ。その一つの論点として、日本における賤民制度、身分差別と、その時ときの支配権力の営為なるものとの関係をおおいかくそうとする動きが出てきたということである。

中世における家父長制度的な諸制度の萌芽というものは、やがて確たる女性差別を社会的に定着させることになり、人が人を差別するきわめて一般的な身分による差別も、次第に権力の手法として取り入れられるようになる。

ところが、このような歴史的動向を、総保守化体制に加担しようとして、頭から否認してかかろうとする御用学者が出てくるに及んだ。「一般行政への円滑な移行」を認めてしまった運動側は、それに「藁をもつかむ」の諺のとおり、しがみつこうとする」(p.29-31)。

ここで学び取れることは、身分差別に対して「自由権的基本権」が主張されるということと、それに加えて、階級対立に対しては「社会権的基本権」が主張されるということの二点です。そして小森は「身分と階級の統一的把握」の必要性ということを提示しています。これを踏まえて考えるべきことは、権力支配に対しては、もう一つの基本権としての「生存権」が立てられなくてはならないであろうということです。

戦争のことを考えてみればわかるように、政治権力は人民に死を要求することができます。また経営権力は労働者の雇用条件を劣悪にすることによって、労働者の生存を脅かすことができます。だから生存権の主張は対権力の問題なのではないでしょうか。

ここに基本権を自由権(身分)、社会権(階級)、生存権(権力)として立てることが考えられるのではないでしょうか。人民のその三つ巴の闘いの中で、何が目ざされているのでしょうか。それは「自由・平等・友愛」ではないでしょうか。つまり自由権は身分差別に関わる自由の問題であり、社会権は階級対立に関わる平等の問題であり、生存権は対権力の問題として人民の友愛(連帯)の実現に掛かっていると言えないでしょうか。

つまり身分(vs.自由)、階級(vs.平等)、権力(vs.友愛)ということを視野に収めて、初めて社会運動の目標と課題が明確にされてくるのではないでしょうか。

身分差別・階級対立・権力支配の構造は、その時々の社会に看取されるものです。それが人間の社会の現実です。その問題が「革命」によって一挙に解決されるということは望み難いかも知れません。しかし歴史がどの方向を目指して進むべきかを考えてみれば、身分差別が強化され、階級対立が激化し、権力支配が一層貫徹される方向に、人間の望ましい未来があると考えることはできません。

いつの時代も、自由権・社会権・生存権という三つの基本権は危機に曝されてきたということができます。しかしその三つの基本権を明確に踏まえることによって、あるべき未来を構想することが可能になるのではないでしょうか。


homepage