米国出張2A (写真が多いので少し重いかもしれません)
2002/7/8(月)から21日(日)まで米国出張でした。
今回の出張は、3月の米国出張に続き、第2弾でした。
訪問先は、
@ジョージア州アトランタ
Aテネシー州ナッシュビル
Bニューヨーク州ニューヨーク
Cオハイオ州クリーブランド
Dイリノイ州シカゴ
Eカルフォルニア州サンノゼ
Fカルフォルニア州サンフランシスコ(おまけの立ち寄り!)
2週間で7ケ所を移動、同じホテルに2泊以上しないという強行軍でした。
まずは順を追って報告いたしましょう。
緑の点が訪問した場所です。 |
2002/7/8(月) |
成田からアトランタへの直行便はデルタ航空しかありません。
最近は会社も経費節減が厳しく、往復ともに同じ航空会社を利用するほうが安いので、JALを使ってシカゴ乗換えではどうか?との案も
ありましたが、「(面倒くさいから)イヤだ!」とお断り。
時差が13時間あるところへ、13時間の飛行で到着! つまり出発時刻と同じ日の同じ時刻に到着したわけです。
この日は、一日が37時間もありました。
アトランタ空港は巨大なハブ空港。
入国審査、通関が終わると、再度荷物を預けます!
そうして地下鉄に乗って4〜5駅、地上に上がるとそこが最終手荷物受け取り場です。
3月に経験したデンバー空港と同じようなシステムです。
ここで当地に出向しているH氏と合流。
ホテルは10日早朝の出発に備えて、市内ではなく空港のすぐそばに取ってもらっています。
夕食は近くのレストランへ。
最初に頼むのはもちろんビールですが、必ず銘柄を聞かれます。
私、知っているのは「バドワイザー」「ハイネケン」「ギネス」くらい。
お奨めもあって、今日はメキシコビール(銘柄は覚えていません)に。
アッサリしていて物足りないのですぐまたお代わり!
私は、いろんなビールを飲んだけどエビスビールが一番おいしいと思っています。
現在、サマータイム中。夜9時前まで明るいので時計を見て「えっ?」と思います。
部屋に戻って、PCの接続を確認。
ホテルより
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2002/7/9(火) |
朝4時に起床。
良く眠れない。
ホテルから車で30分ほどの、最初の訪問先Morrowへ。
こじんまりとした工場。
国道を挟んで向かい側には、ニッサンとトヨタの販売店が並んでいます。
夕方、6時前に仕事は終了。みんなで夕食に行くことになりました。
私の大好きなステーキの店。
レストランに入ると、黒人が多い。
小錦が口紅をつけたような、巨大な黒人女性が注文を取りに来ました。
客が残したお皿を下げるときにつまみ食いをしているのではないかと疑いたくなるほど、異常に太っています。
後ろから見ると、お尻は『テーブルサンゴ』のよう!!
2002/7/10(水) |
朝4時起床。
ホテルを6時に出て空港へ。
相変わらず、空港のセキュリティチェックは厳しい。
テネシー州ナッシュビルに午前8時頃到着。アトランタとは時差1時間あり。(日本とは14時間遅れ)
空港でレンタカーを借り、約2時間のドライブでNew Johnsonvilleへ到着。
ここはモルモン教徒の多い町で、レストラン等では酒類を出さない、とのこと。
これは困ったぞ!!
ここの工場は、林の中に囲まれ、周りには何も無い。
アライグマのような毛皮が、道路にこびりついていましたが、轢かれたのでしょう。
午前11時から夕方6時前まで打合せ。
ここは田舎町で、ホテルがなく、ロッジ(モーテル)が1軒あるのみ。
モーテルといっても、日本のような『紫色の看板』があるのではなく、旅行者用のきちんとした宿です。
もちろん、ベッドが電動で回転したり、波打ったり、浴槽がガラス張りだったりというようなことは無いそうです。
私も日本のモーテルの話は聞いただけですが・・・・・
今日と明日は、ロッジよりも一軒家のアパート(ロッジより設備は整っている)のほうが良いから、というのでそこへ泊まることになりました。
一旦、荷物を置いてから、小さなレストランに食事に行くことになりましたが酒類は・・・・一切無し!!!
ウーロン茶も無いので、しようがなく水とダイエットコーク。
「なまず」(Catfish)もありますよ、とのことでしたが、私は「自家製のハムステーキ」を注文。
これは塩分がきつかった! 余計にビールが飲みたくなって・・・・・
帰り道、まだスーパーが開いていたので、ジュース、ミネラルウォーター等を買う。
アパートの周辺は、夜になると『蛍』がたくさん飛んでいました。
一般のホテルよりも広くて快適でした。 | |
朝、野生の鹿が・・・・・・・
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2002/7/11(木) |
5時起床。
早朝から、小鳥の声がうるさいくらい。
天気は曇り、夕方になって晴れ、蒸し暑くなってくる。
今日の夕食は工場の人達も含めて8名で、昨日とは違うレストランへ。
ここも酒類は無し。
ここの料理はまずかった!
かなりの席数があり、シェフが出てきて離れた席の人の誕生祝に「Happy Birthday」を一緒に歌わされた・・・・・
「味の店」ではなく「パフォーマンスの店」だったんだね、きっと!!
毎週土曜日に、町の中心の広場で夕方から「音楽の集い」があるそうで、開拓時代からの音楽好きの風土があるようです。
ナッシュビルから比較的近いメンフィスはあの有名なエルビス・プレスリーの出身地です。
空港のお土産のキーホルダーはほとんどが楽器をデザインしたものです。
2002/7/12(木) |
5時20分起床。
今日は腕時計のアラームで目が覚めた。
今日は夕方、ナッシュビルの空港そばのホテルに移動する。
ところで工場のトイレ、小便器の位置が高い。
爪先立ちで用を足す必要がある。
「よいしょ」っと、”おいなりさん”を便器の縁に乗っけて”する”感じです、わかるかな?、わかんねぇだろうなぁ!!
今度来るときまでに、『日本人専用の踏み台』を準備しておいて欲しい!
午後2時過ぎに打合せを終わらせて、ナッシュビルに向かう。
約2時間でホテルに到着。
一休みして、近くのレストランへ向かう。
ここも黒人が多い。
レストランに入って感じることは、店員がやたらに多いということです。
それで、最初についたウェイトレスは最後まで面倒を見てくれます。
最初はもちろんビール。
モルモン教徒のおかげで、2日間飲んでいないので今日はうまいだろうな!
私はギネス(黒ビール)と、リブ・ステーキを注文。
サラダとスープはどうするか?
ドレッシングは何がいいか?
ポテトはどれにするか?
食事のたびに毎回、毎回聞かれて面倒くさくなります。
その点、日本の『定食』というのはいいですねぇ、すべてセットで出てきますから。注文は一言でいい!
客のいろいろな注文を聞くことが、サービスであるというような面があります。
以前、一緒に行った米国人がステーキのレアを頼み、出てきたところで、真中から二つに切り、焼け具合を確認!!
『焼き過ぎだ!』と言って、取り替えさせていました。
なかなか難しい人もいるようです。
サラダもポテトもどれも量が多くて、持て余します。
最初に出てくるパンはどこの店のものも総じて『おいしい』、しかし、食べ過ぎてはいけません。
さて出てきた料理は、すごいボリューム。
ナイフは『ナタ』のようなものが出されてきました。骨まで切れそう!
ジャガイモ(今日は”ベークド”を注文)は、子犬の頭ほどもある!!
その上に、でっかくカットしたバターを乗せてある! バターは乗せなくていい、と言ったはずなのに・・・・・・・・
肉やソースの味はなかなか良かったですよ。
ギネスをお代わりした後は、ウィスキーをロックで2杯。
ウェイトレスも親切で、この店は『◎』!!
このホテルでは、こんな大きな猫を飼っていました!
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この週刊誌、表紙はイチローでした。 松井(G) 松井(L) 中村(B) の記事が・・・・・・イチローの次の選手? |
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ベークドポテトがでかい! ブロッコリーも茎は相当硬かった! |
2002/7/13(土) |
3時30分起床。
ホテル発5時のシャトルバスに乗る。
今日はこれからニューヨークに向かいます。飛行時間は2時間半くらい。また時差があり1時間進むことになります。
シャトルバスには他に日本人が3名。シカゴへ出て乗り換え夕方の便で帰国するそうです。
セキュリティチェックが厳しく、機内に持ち込まない大きなカバンも中を開けて詳細にチェックされる。
チェック後乱雑に入れるものだから、フタが閉まらなくなり、私が入れ直そうとすると『規則だから触ってはいけない』という。
チェックが済んだカバンに手品師よろしく危険物を入れる輩がいるからだそうな。
こういうチェックに時間がかかるので、国内線でも出発の2時間前にチェックインしないと乗り遅れる可能性があるとのこと。
搭乗直前にも、靴やベルトまで脱がされる厳しいチェックがありますので、これだけでもうイヤになります。
まだ何回も国内線に乗らなくてはいけないのに・・・・・・
10時頃、Newark空港に到着。
荷物がなかなかBaggage Claimに上がってきません!
親切な米国人が、場所が変わったことを教えてくれました。(表示は変更されないままでした。)
昼前に、ニューヨーク市内のヒルトンホテルにチェックイン。
荷物は預かるがまだ部屋に入れないとの説明。
カメラと財布を持って、早速昼食、観光に!!
まずは、歩いて10分足らずのセントラルパークへ。
広い公園で、とても全部は廻りきれないし、その気もない。
芝生の上で、水着姿の若い女性が日光浴をしている姿がやけに目に入る。
入り口付近をぐるっと回って、5番街周辺へ。
ニューヨークは2度目、初回は21年前!!
この街の歩行者は、大阪と同じで『赤信号でも平気で渡る』!!
向こうから何やらおかしな青年がやってくる!!
ラジカセを下げて・・・・・・化粧をして・・・・・何と『紙おむつ』姿である。
みんなが振り返ってみているのですが、一向に気にしている気配がありません。
5番街以外の店で、いろいろとお土産を買い込み、ホテルへ戻る。
前回の出張では、一週間で途中に休みが無く、お土産を買う時間すらなかったが、今回は・・・・・・時間ありすぎ、お金なさすぎ・・・・・
今日の夕食は、こちらに出向している常務以下3名が『夕食をご馳走してくれる』とのことで、6時にロビーで合流。
日本料理の店へ。
正直言って、私はまだ一週間しか経っていなので日本食が食べたいとは思っていないのですが、「お付き合い」で・・・・・
(まさか、このHP、見ているようなことは無いよね)
部屋に戻ると、猛烈に眠くなり、10時過ぎには寝てしまったようです。
ジキルとハイド、と書いてありましたけど、 この呼び込みのおじさんが妙に愛想が良くて 気味が悪かった!! 中に入ると、激変するのか? |
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セントラルパークの中の観光馬車 この道路を歩くと、馬糞のニオイが漂っておりました。 |
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おまわりさん。 | |
観光バス 2階はオープン 1階は運転手のほかには、誰も座っていません! |
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紙おむつで歩いていたオニイサン!! 化粧をして、髪飾りをつけて。 後ろが妙に膨らんでいるのは・・・・・ナゼ? |
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こういう絵や写真を売っている人が多かったですよ。
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ホテルの前で。 21年前に、私はボルチモアでこのような リムジンで迎えに来てもらったことがあります。 今回は、イエローキャブにしか乗れませんでした! |
2002/7/14(日) |
7時に起床。
よく眠れた。いままで早朝に起床していたので特にそう思う。
今日は、『グラウンド・ゼロ』を見に行く予定。
『グラウンド・ゼロ』というのは、”爆心地”という意味らしいのですが、もちろんここでは、貿易センタービルの跡地のことを言います。
地下鉄で行くと途中の景色が見られないので、タクシーで。
ホテルからは、チップ込みで15ドル程度でした。
周辺にはまだたくさんの寄せ書きや、ヘルメット、帽子、Tシャツ、花、千羽鶴もたくさん置かれていました。
跡地は、地下深くまで掘り返され、日曜日だと言うのに盛んに工事が行われており、その様子をたくさんの観光客がフェンス越しに眺めています。
みんな、言葉少なに、真剣な表情です。
誰もが、何度も何度も流されたあの崩壊の瞬間の映像を思い浮かべているのでしょう・・・・・・・
周辺のビルではまだ復旧工事を行っているところもありました。
直近の地下鉄の駅はまだ閉鎖されたままです。
今日の夕方の便で、クリーブランド(オハイオ州)へ向かいます。
『グラウンド・ゼロ』 千羽鶴もおいてありました! |
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工事中の基礎部分。 向かいのビルの上部も損傷していて 改修中でした。 |
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今でも消防隊が来ています。
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米国人は、本当に星条旗が好きですねぇ! | |
先住民族(インディアン)の歴史を 見ることが出来ます。 |
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この牛の像が大人気!! 『お稲荷さん』のところを、若い女の子が キャーキャー言いながら撫で回すので、 青銅の像も色が変わっています!! 男性は触らないんですね、不思議と。 |
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正面から見るとこんな感じ。
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『お稲荷さん』を撫で回した後、 跨ろうとしている若い女性! この牛も傾いているような・・・・・・・ |