米国出張2B (写真が多いので少し重いかもしれません)

 2002/7/8(月)から21日(日)まで米国出張でした。

2002/7/14(日)

 Newark空港16時20分の便で、オハイオ州クリーブランドへ向かう。

 クリーブランド空港からホテルまでは、タクシーを利用。

 ドライバーはインド人で無愛想!

 夕食は、ホテルの近くのイタリア料理の店へ。

 量もほどほどで、おいしくいただけました。

ホテル
イタリア料理のレストラン

 

2002/7/15(月)

 フリーウェイを通って、30分ほどで工場に着くはずがかなり渋滞して少し遅くなる。

 きれいな工業団地の中の工場である。

 従業員駐車場に、新しいCBR600が駐車している。

 バイク好きの私、気になる。

 今日は前段の話が長引いて、後半は時間不足になってしまった。

 しかし、こちらの人は終業時間が来ると帰りたがる!!

 少し我慢をしてもらって、6時過ぎまで話をする。

 ホテルに戻り、夕食は昨日の隣のメキシコ料理のレストランへ。

 メキシコビールを飲んだ後、巨大なグラスに入った”マルガリータ”を飲む。これは一杯で十分!!

 料理はどんなものだったか思い出せない、ということは「可もなく不可もなく」と言うところだったのだろう。

 明日はまた早朝の出発である。

2002/7/16(火)

 3時に起床。

 4時45分にホテルを出発。

 6時50分発のシカゴ行きに乗る。

 クリーブランド空港のセキュリティチェックで、メガネ用の小さなドライバーを没収されました!

 鼻毛切りのはさみも、先が丸くなっていないと没収されます。

 しかし、誰が鼻毛切りのはさみをもって、操縦室に押し入ろうとしますか???

 そんなことをしたら、『お笑い』じゃないですか!

 睡眠不足のせいか、過剰なセキュリティチェックにだんだん腹が立ってきました!

 搭乗券と一緒に身分証明書を提示するのですが、米国人は免許証を提示し、我々はパスポートを提示します。

 そうすると必ず、厳重にチェックされるのです。

 これは絶対、人種差別ですよ!!  『怒髪天!!』

 搭乗直前のゲートでまた同じセキュリティチェック!、靴まで脱がされ・・・・・もう、いい加減にせんかい!!

 シカゴからは約1時間のドライブで、目的の工場に到着。

 挨拶の後、さっそく打合せ開始。

 昼食は工場で手配してくれた『ピザ』。

 このピザ、パン生地がものすごく厚い。まぁ、写真を見てください。

 飲み物は、いろいろ準備してくれていましたが、「ルート・ビア」を飲んでみろと言う。(名前はビアになっていますが、ビールではありません)

 一口飲んだら、これは即、吐き出したくなるほどまずい。

 コーラに、サロメチールを入れたような味とニオイ。

 彼らはこれが癖になっておいしいと言うのです。(日本でも売っていますので、試してみたらいかが? おいしいですよ!!??)

 もともと「ルート」の意味は、『根』という意味ですから、何かの個性豊かな木の根の成分が入っているようです。

 チェリー・コークというのも、似たようなもの、とても全部は飲めませんでした。

 『あんたたちが日本に来たら、”納豆”、”梅干”、”くさや”、”赤だし”、”とろろめし”の5点セットを出してあげるからね!』と内心、そう思いました。

 夕食は工場の人達と7名で、ステーキハウスへ。

 ここのウェイトレス、なかなか愛想が良い!

 この店の駐車場に、「ロールスロイス」が停めてありました!

 そんな高級な店ではないんだけどなぁ。

 今日は眠い。

シカゴ空港からJolietに向かうフリーウェイを

併走するトレーラー。

長尺リムジン

シカゴ・ピザ

この厚さ!

チーズもたっぷりで、とてもおいしかったですよ。

レストランの駐車場に停めてあった

ロールスロイス。

 

2002/7/17(水)

 午前中は打合せを行なった。

 残る工場は一箇所であり、ここで持参した大部分の書類を会社へ返送するようお願いした。(これで荷物が軽くなる!)

 午後、Jolietからシカゴ空港へ向かう。

 セキュリティチェックはクリーブランド空港ほど厳しくは無い。

 機内持ち込み以外の荷物は、CTXに通される。

 この機械はX線が強いので、フィルムに影響が出るためこれらは機内持ち込みにするよう注意書きがある。

 私はISO800までガードするというX−RAYガードバッグにフィルムをいれて機内持ち込みにしてきました。

 チェックインを済ませたところで、日本からの女子中学生の修学旅行らしき団体がやってきました。(男子生徒はいなかった)

 この地では制服姿に違和感がありましたが、総じてきちんとした態度でした。どこぞの有名私立中学なのでしょう。

 空港内で遅い昼食を済ませて、B20という搭乗ゲートで待っていたら、ゲートがB1に変更に。かなりの距離を移動。

 表示板は、時々確認しておく必要があります。

 場内放送を聞いてすぐわかる人は、立派です!! 

 私はまったく聞き取れませんでした。! 

 目的地のサンノゼまでは4時間半の飛行。時差は2時間。

 この空港は3月の出張時にも2回利用しているし、これから向かうホテルも同じ。

 空港に着くと、肌寒いくらいに気温が低い。アトランタの暑さがウソのようでした。

 時間が遅いので、チェックインの前に夕食をとることにして、日本料理の店に。

 エビスビールと”いいちこ”のお湯割りをお代わり。

 客は日本人だけでなく、韓国人や中国人もいてなかなか繁盛していました。

 ホテルにチェックイン後、飲み直しに近くのバーへ。

サンノゼのバー
サンノゼのバー

 

2002/7/18(木)

 いよいよ今日で今回の仕事は終了です。

 この工場は、3月訪問時のメインターゲットだったのですが、このときは時間が足りずに今回再度の訪問になったものです。

 夕方5時過ぎに、打合せ終了。

 この後、車でサンフランシスコに向かいます。

 途中、対向車線の交通事故の影響(見物渋滞?)か、フリーウェイが渋滞しており予定よりも遅れてホテルに到着。

 街並みが今まで見てきた都市とはかなり異なっています。

 このあたり、海流の影響か、7月8月の平均気温は22℃だそうで、朝夕の半袖姿では風邪を引きそう。

 特に朝方は霧の発生が多いようです。

 観光客の多くがここで、フリースのフード付きジャケットを買う必要に迫られます。

 私は、こういうこともあろうと、持参した薄いウィンドブレーカーのおかげでむだな出費を抑えることが出来ました!!

 夕食は、ロブスターに挑戦。→ 味は『日光の手前』でした!   

 ・・・・・・・知らない人にお教えしますが、日光の手前に「今市」という町があるのです。 今市 → いまいち → いまひとつ! オヤジギャグです。

2002/7/19(金)

 フィッシャーマンズワーフから出ている定期観光船で、アルカトラズ島(アルカポネが収監されていた離れ小島の刑務所)へ渡ろうとしたのですが

 観光シーズンのため、午後2時半まで予約で一杯。

 そこで、サンフランシスコ湾内クルーズに変更。

 ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)の下をくぐりぬけてUターン、アルカトラズ島(スペイン語でペリカンの意)のそばを通って戻る1時間のコースで、

 16ドル。

 ホテルに置いてある割引クーポンを渡すと料金割引の特典があります。

 海上は冷たい風が強く吹いて、長袖が無いと震え上がります。

 このあと、ケーブルカーで『坂の街』を楽しみます。

 お奨めは、『ケーブルカーの手すりに掴まって』景色を楽しむことだそうで、好奇心旺盛な私もそのように・・・・・・・しました。

 このケーブルカー、構造はいたって簡単。

 2本の線路の真中に溝があり、ここをケーブルが時速約15Kmで常時動いています。

 ケーブルカーの下部から「腕」が出ていて、このケーブルを徐々に掴むと、ケーブルカーは動き出します。

 停止するときは、ケーブルを離してブレーキをかけるだけ。

 運転手兼車掌が、観光案内をしながら時には冗談を言って乗客を笑わせながらレバー操作を行ないます。

 ケーブルカー本体に、駆動用のモーターがついているわけではないので、架線も必要ありません。

 ユニオンスクエアで降りて、街を散策。そうそう、乗車賃は2ドルでした。

 大きなフードストアを見つけて『お土産』を買う。

 こういう店ではチョコレートやキーホルダーなどは空港の半額かそれ以下で買えます。

 頼まれていたコーヒーを選んでいたら、横から白人の”あんちゃん”が来て、一袋を半分に分けて割り勘にしようと言うのです。

 その”あんちゃん”は一袋では多すぎるので、合理的な買い物をしたい、らしい。

 私は、「そんなことをしたらお土産にならない」ので、お断りしました!

 観光客の多い街なので、路上でのいろいろなパフォーマンスを見ることが出来ます。やっているのは黒人が多いようですね。

 中華街(チャイナタウン)へ行ってみることにしました。

 昼食は、中華料理の店でビールと「五目ヤキソバ」を。→ 普段の食生活がわかってしまいますね!

 ビールはドメスティックが3ドル、インポートが3.5ドル。但し小瓶です。

 「五目ヤキソバ」も量は多かった。

 横浜や神戸の中華街で食事をするとかなり高いのですが、ここはメニューを見る限り何を頼んでもお金の心配はしなくても良さそうです。

 このあと、イタリアンレストランが並んでいる通りを散策しながら、3時過ぎにホテルへもどり夕食まで休憩。

 さて、夕食は何を食べようかということになり、「寿司はどうか」との意見もありましたが、明日帰国するのに、何もここで日本料理を

 食べる必要もないだろうと私が主張。

 結局、イタリア料理に決定。→すごいボリュームでふうふういいながら平らげました。

 ビールはギネスとシエラネバダの生を大きなグラスで。

 ギネスはいつもの味ですが、シエラネバダはちょっと個性のある味と香りでした。

サンフランシスコ湾内クルーズ
アルカトラズ島

サンフランシスコ市街

ケーブルカーから撮影

このようなホットドッグの屋台を良く見かけます。

ダルメシアンとそのぬいぐるみを着たオジサン。

観光客相手に写真を。

お客が来るとこの犬が芸をするんです。

飼い主のオジサン、この犬たちに食べさせて

もらっているんですね。

なぜか瓦礫に絵を描いてあるものが

よく売れていました。

ユニオンスクエアでのパフォーマンス(タップ)
チャイナタウン
チャイナタウン
フィッシャーマンズワーフの土産物店

同上

マネキンの表情も面白い。

何だか良くわからない店でしたが

店内はコカコーラ関連のグッズばかりでした。

開拓時代の備品がたくさん。

ブーツやテンガロンハットも。

本物のガンベルトは44ドルで売っていました。

店内はかなり凝っていました。

ここでは、ベルトを買ってきました。

この店番のオッサン

すごく無口で話しかけても返事もしませんでした!

 

2002/7/20(土)

 帰国の日。

 昨日ホテルで予約していた空港行きの小型バスに乗り込み、約30分ほどで空港へ。

 JALなので、カウンターで日本語が通じると言うのは私のような英語が苦手な者には気が楽です。

 出国時は、国内線の厳しさに比べればセキュリティチェックは、無いも同然!

 出国便はどうでもいい、という考え方なんでしょうね。

 ここで買うお土産は、タバコだけ。(ある人から「ラッキーストライクのメンソール」という注文を受けていましたので探しました)

 ところで演歌歌手の北○三郎が同じ便に乗っていました。

 翌日(21日)、成田に到着したら暑いこと、暑いこと。

 2週間の出張がやっと終わりました。

 テロにも遭わず、事故も無くよかったよかった!

 現地でお世話になった、Hさん、ありがとうございました。

 

 米国出張2Bikeに続く

 

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