閑老人のつぶやき 信徒運動としてのYMCA
信徒運動としてのYMCA
〈以下の文章は『福音と世界』(新教出版社、1985年11月号)に掲載された拙論です。ここで述べたことは単にYMCAだけのことでなく、「七つのR」で少し触れたように、他のすべての社会組織と運動にも当てはまるのではないかと思います。というのも、それは組織が制度化する(惰性態と化していく)流れの中で、これを如何に改革していくことができるのかという問題に関わるものだからです。なお、元の文章に多少字句の修正や補筆などを行なっています。〉
制度化とYMCA
昨年10月、京都の関西セミナーハウスで、アジアYMCA同盟主催の、「現代アジアにおけるYMCAの新しいヴィジョンに関する、アジアYMCAセミナー」という会議が開催された。私はこの会議に東京YMCAから派遣されて、「信徒運動としてのYMCA」について、改めて考えさせられる機会を与えられた。この会議で日本のナショナル・レポートを発表するよう要請されたことが、私の参加意識を高めたということもあろう。そんなこともあって、私が日頃心中に温めてきたことを、思い切って吐き出すような結果となった。私はこの夏、ナショナル・レポートのもともとの草稿を書き改め、「YMCA運動再考」と題して、何人かの先輩知友に配った(『季刊開拓者』日本YMCA同盟学生部、第3号、1985年夏号所収)。また最近、この会議で韓国YMCAのカン・ムンキュウ氏が行なった、「YMCA―教会関係についての展望」という発題の、翻訳を試みたりもしてみた(『アジアにおけるYMCAのキリスト教使命』日本YMCA同盟出版部、1988年所収)。その間、幾人かのひととこの主題について話し合う機会があった。
そうこうしているうちに、私の心にますます動かしようのない事実として定着してきたのは、YMCAという、もともとは信徒運動として始められたこの組織の、特に日本とアメリカにおける、強められこそすれ、決して弱まることのない「制度化」の趨勢である。この制度化というのは、特に日本においては、教育事業・体育事業を中心とする、事業主体としてのYMCAという側面が強まり、また、財団法人・学校法人・準学校法人・社会福祉法人という、それぞれのYMCAが取得する法人組織としての側面が前面に出て、かつては重視されていた会員組織としての側面が、極端に形式化される傾向のことであると言ってよかろう。会員組織としてのYMCAは会則によって規定されている。それに対して財団法人としてのYMCAは、当然主務官庁によって認可された寄付行為に基づくものである。それぞれのYMCAは、もともと任意団体である会員組織を規定するものとしての会則を、寄付行為細則とすることにより、法人との調和を図っている。かつてはその任意団体こそがYMCAの生命であり、法人はそれを下から支えるものであるとの理解が、成り立っていたと思う。だから会則を寄付行為細則とするというのは、「運動」としてのYMCAを守るための方便とみなされていたと思う。
しかし今や「制度化」の流れは、その任意団体としての、あるいは会員組織としてのYMCAの生命を問うところまで来ているのである。現象的には、YMCAが行なう諸事業が、いわゆる会員活動に取って代わり、法人の財政的基盤を支えることが、YMCAの主目的であるかのような観を呈することとなる。それはここ十数年来の、もはや決して引き返すことのできない、YMCAの決定的な変化であった。それはまた「高度経済成長期」以後の、日本社会の変化に呼応するものであったとみなして、差支えあるまい。
もちろんYMCAが行なう諸授業は、社会的に有意義な活動である。専従職も献身的な働きをしている。だから私は、それ自体を疑っているのではない。しかしひとたびYMCAの運動的側面を考える段になると、たちまち答えに窮することとなる。このような文脈において、読者は、日本のYMCAの専従職としての私が、現在CCA(アジア教会協議会)路線とささやかれている、アジアYMCA同盟の会議に出席し、勇ましいかけ声に接して、どんなに当惑したかをお察しいただけるものと思う。ここYMCAにあっても、日本の現実とアジア諸国の現実との乖離は大きい。そのズレは簡単に解消できるようなものではない。そのような手詰まり状態の中で、日本のYMCAがなお何をなしうるのかを問うこと、それが私に課せられた宿題である。そして私はひそかに、このような問いは、日本のキリスト教主義学校、あるいは教会にとってすらも、決して無縁な問いではないと信じている。
昨年のアジアYMCAセミナーでは、事前に送付された、各国のナショナル・レポートで必ず触れられるべき四つの質問事項のひとつとして、「YMCAの世界教会的課題を追求するに当たって、その国でYMCAが直面する諸問題」という項目があった。これを手にしたとき、質問も漠としてはいたが、はたして日本のYMCAではいかなる課題に取り組んでいるのかと、思いめぐらさざるをえなかった。それは、少なからぬYMCAがYWCAや諸教会と合同で行なう、市民クリスマスのことであろうか。各地で盛んに行なわれている国際協力募金のことであろうか。かつて横浜で実施された開発教育シンポジウムのことなどに触れたら良いのか。平和教育に関して行なわれてきた、種々のプログラムや行事なども、この質問に関わらせるべきなのであろうか。そんなことを考えてみたあげく、私としては、YMCAが国際団体であるということの、特に日本のYMCAにとっての意義そのものに言及することのほか、いい知恵は浮かばなかった。いささか突飛な比喩であるが、中曽根首相や閣僚の靖国神社公式参拝の持つ事の重大性が、中国政府高官の警告によって、改めて大きく浮かび上がって来たように、日本のYMCAが世界YMCA同盟に加盟し、今後一層の国際協力が期待されていることそれ自体のうちに、日本のYMCAの現実を撃つ、不可避の視点があるように思われてきたのである。
YMCAでは「共に生きる」とか、「分ち合う」という標語がよく用いられる。これらの表現は、1976年に制定された日本YMCA基本原則、およびその翌年に採択された日本YMCA綱領にも、次のような形で出てくる。「共に生きる社会の環境を作り出すために(綱領)」、「キリストに示された愛と奉仕の生き方を多くの人にわかちあい(基本原則)」。このふたつの言葉は、YMCAの中でおのずから醸成された一個の倫理を表現するものとして、私は無視できない重みを持つものと考えている。私にとって「共に生きる」という言葉は、1960年代、学生YMCAに関わっていた時代以来、なじみの表現でもある。問題は、国際的な環境における日本人の生き方として、その精神がいかに生かされるかということにある。「制度化」された日本のYMCAが、自らの国際協力事業を単なるおつきあい以上のものとして、内面化する視点がそこにあるのではなかろうか。国際団体としてのYMCAということに思い至ったときに、私に課題として意識されたのは、そのことであった。
セミナーでそのような発表をしたとき、案の定、「いい発表だった。しかしお前はそれで十分だと思うのか」という問いにぶつかった。たしかに一向に具体的ではない。その先が問題であることは、本人が百も承知している。そして今のところ、それ以上のことは何も言えないことも。しかしこの会議に出席し、ひとつの方向性を与えられたと思えることがあった。グループ・ディスカッションで私は、多少言い訳じみていたが、第三世界の民衆の自己教育運動として、パウロ・フレーレの言う意識化が必要であるのと同様に、いわゆる先進国の民衆にとっても意識化が必要とされると述べた。それがきっかけであったと思う。YMCAの中にコア・グループを作るべきであるという意見が出てきた。あとで報告書を読んだら、YMCAでインタレスト・グループ(趣味関心によって集うグループ)のほかに、ベース・グループ(YMCAの基本的な問題を考え担うグループ)を、YMCAのコア・グループ(核になる集団)として組織すべきであると、提言めいたまとめとして書かれていた。私自身、前々から別の文脈で、コア・グループなるものを考えていたこともあり、これには意を強くしたのであった。制度化されたYMCAの中にあって、とかく「精神なき専門人」となりがちの専従職にとって、特にこのことが必要とされるのではなかろうか。
自立した個として
今まで述べたところをまとめると、制度化したYMCAが、国際団体として不可避的に蒙る「外圧」を、「共に生きる」という視点から、自己自身の事柄として内在化し、そしてYMCAの中核にそれを課題とする集団を形成する、ということになるであろう。しかしそれは、日本のYMCAにとって固有の課題と考えられるものに加えて、もうひとつの課題が提起されるということにはならないであろう。私がいやいやながらもたどり着いた結論は、YMCAの国際性という視点のみが、YMCA運動の活路をひらくという性質のものであった。今日、国際関係を欠落した運動論は、そもそも成立しないと認識することが大切である。それはベトナム戦争のときにも、日本人がしたたか味わわされたはずのことであった。しかしそれは運動の死活問題ではあっても、組織の死活問題ではないと考えざるをえないところに、われわれ自身の根本的な弱さが存在するであろう。
思うに制度化とは、われわれの自己防御体制のことではなかろうか。われわれの存在を維持するために必要とされるものではなかろうか。したがって、どうしても自己中心的とならざるをえない。京都のお寺さんも、観光税に対しては結束して闘う。そのようにして制度の網の目が張りめぐらされていく。国家はそれらを集約するものなのであろう。制度化は不可避の過程である。誰も自然と社会の脅威に対して、無防備であることを望む者はいない。それどころか、より安全で快適であることを求めるのである。しかし、そこに何か欠落したものがあるのではなかろうか。それは制度の持つ閉鎖性、自己完結性、まるで機械のような仕組みに関わっている。それによって人間を守るはずの制度が、人間性を排除するという皮肉な結果が生ずるのである。
仮に人間を、自己・仲間・社会という三層において秩序づけられているものとしよう。すると制度化は、人間の他の側面を捨象して、もっぱら社会的位相において生起する事柄である。そこでは人間は抽象化・虚構化された存在である。ある役割を課せられた人間は、いつでも代替可能でなくてはならない。たとえそのために儀式が必要であるとしても。したがって制度化が進むと、人間がひとりひとりかけがえのない自己であり、自分を受け容れる仲間を必要とするということが忘れられ、組織の維持存続、あるいは発展が自己目的化される。そして人間はそれを正当化する神話に事欠きはしない。
制度化がおおむねこのようなものであるとすると、われわれのなすべきことは、人間をその三層の秩序において、もう一度正しく把え直す作業となるはずである。そして、もしその作業がわれわれ自身の国際化ということに関わっているとすれば、それは一にかかって、「自己」の把握の仕方によると言わなくてはならない。今日、ユングの心理学や、仏教とキリスト教との対話などを通して、次第に見えてきたことは、どうやらわれわれの個的自己(個我)の背後に、いわば「普遍的自己」、「類的自己」ともいうべきものを、想定すべきではないかということである。「あなたがたによく言っておく。わたし兄弟であるこれらの最も小さいもののひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ15:40)を、私はそのような文脈で理解したいという誘惑に勝てないでいる。
最近、私は1967年に出された市川白弦の『禅と現代思想』(徳間書店)という本を読んでいて、『増一阿含経』には「病める者をみとれば、すなわちわれ(釈迦・仏陀)をみとるとなし、いささかも異なることなし」と説かれていることを知った(市川自身がこれを先のマタイによる福音書の言葉と対比している。この本自体キリスト教との対話に満ちている)。私はこの「類的自己」を、「神人の不可侵の同一性」と呼んでみたり、「原複合」と名づけたりしている(ちなみに神人の不可侵の同一性とは、滝沢克己の私なりの再解釈で、神人の不可逆の二重性・不可分の両義性・不可同の相補性を一語で要約したものである。西田の絶対矛盾的自己同一に相当する)。ともあれそのような「自己」に生きるとき、われわれの「仲間」に対する見方も、また変わるであろう。類的自己(原複合)に根ざした仲間づくりによってこそ、人間の優劣複合に基づく、インタレスト・グループ(利益集団)を乗り越えることが可能となるのではなかろうか。私がそもそもコア・グループ(核集団)なるものを考え始めたのは、このような理由によっている。
YMCAの制度化、運動の行き詰まりというところから、だいぶ横道にそれてしまったように見える。しかしそれは打開を求めるための暗中模索としてお許し願いたい。それにしても、私の打開を求めるための方途は、余りにも非キリスト教的ではないかとお感じになる方もあろう。だからそれについていささかの釈明をさせていただくのも無駄ではあるまい。
少し大げさな言い方をすれば、キリスト教神学の展開のパターンとして、四つのモデルを提示することができる。@合成モデル、A切断モデル、B交差モデル、C変換モデルである(これをさらにリファインしたものについては、「目標管理的経営と教会の六つの変換モデル」の項参照)。私はキリスト教自体が、ユダヤ教やオリエントの諸思潮などとの合成の産物ではないかと考えている。しかしその多様な展開の中で、主導権争いが生じ、あるものを正統的原理とみなし、他者を切断するに至る。それが合成モデルと切断モデルの原型である。原型というのは、歴史上似たようなことが繰り返されるからである。交差モデルというのは、たとえば十三世紀のヨーロッパに起こったようなことである。当時、アラビアを通じて、アリストテレス哲学という最新の知識が流入してきた。教会は初めその影響を排除しようとしたが、やがてアリストテレス哲学を下から積み上げると共に、上からの神学との調和を図ろうとする試みが大勢を占めるに至った。だからアリストテリコ・トミズムは交差モデルである。変換モデルは合成モデルと同じであるとも言えるが、現代神学に特徴的なことで、私自身それ以外の方法は取り得ないのではないかと、次第に考えるようになった。政治神学、解釈学的神学、民衆の神学、解放の神学、プロセス神学などとかまびすしいが、伝統的教説を現代世界に適合させるべく、それを何らかの意味で新しい思潮に切り換え、交換するというところに特徴がある。考えて見れば、理神論やシュライエルマッハーの神学、ソーシャル・ゴスペルなども変換モデルであろう。変換ということは、解釈や翻訳という行為に必ず伴うものであるから、何も今に始まったことではない。しかし現代の学問の発達、情報量の増大によって、新しい「神学」が続々と登場するのは避け難いことである。
このような観点に立てば、原理的にして開放的な、常に対話の関係のうちに置かれているキリスト教が望ましいということになる。原理的というのは、それなしには認識が成立しないからからである。しかしそれは根本的作業仮説ともいうべきもので、たえず対話によって吟味され続けなくてはならないであろう(「現代の思考法」の項参照)。望むらくは、信徒が個々に自立して、もっと大胆に福音の真理を探究して欲しい。いたずらな正統意識にわずらわされることなく、それをもあえて相対化するところに、教会の活気が生まれてくるのではないか。それが私が考える開かれた教会形成である。だから期待されるものは、信徒の神学である。そして、そこにYMCA運動の新たな基盤も見出されるのではないかと思う。