サルスベリの花(前橋市にて)

『大和』編集者付記ーーーサルスベリが咲くときーーー















 五井先生の詩集の中に、サルスベリが咲くときと云う美しい詩があるのですが、これは広島に落ちた原爆についてを詩にしたもので、五井先生らしい美しさと意味合いの深さが感じられます。戦争は人類にとっての最悪の消えてゆく姿であると云えるでしょう。
いったん戦争状態となるならば、あらゆる残虐がそこで行なわれることになります。
 その最悪の形が核戦争であり、ましてや全面核戦争ともなれば、人類は絶滅の危険性さえあります。
五井先生のこの詩は、そう云う戦争の被害を、そして核がもう二度と戦争に使われることがないようにとの祈りが込められているように思われます。核が戦争に使われる可能性は、現時点でも充分有り得ますが、しかしそれは地域的な戦争であり部分的な争いの中だけでありましょう。世界を破滅させるような核の誤用は、つまり全面的な核戦争である第3次世界大戦は、アメリカ主導の経済システムであるグローバリゼーション(商業至上主義による世界の統一)の中だけに、その可能性が隠されております。
 これがキリスト・マイトレーヤが、つまり世界教師が人類の未来に関して予測している中で最重要な予測であり、またその予測の数々の中で一番恐ろしいものであります。このような予測を耳にしても、多分多くの者たちは笑って相手にしないのではないかと思いますが、しかし、マイトレーヤ以上の予測をはじき出せる人が人間の中に存在するわけがありません。そのため原因と結果の法則から割り出されるその予測は、同じ原因を始動させつづけている以上はキリストの予測通りの結果となって現われることでしょう。このようなことから、今の人類の最大の危機は、現行の経済システムである商業至上主義の中にこそあると云えるのです。
しかし、人類の最大の危機最大の危機と云いますけれど、実に第3世界の国々においては、核爆発以上の悲劇がもたらされつづけていると云うことを、多くの人たちは知らないのではないのでしょうか。それは貧困による飢餓です。
 ある参考文献によると、子供達だけでも一日に3万人から5万人が餓死しているといいます。そしてそれは広島型の原爆を2日毎に一づつ落としても、これほどの死者数には達しないと述べております。まさに核爆発以上の悲劇を被り続けてきたと云っても過言ではないでありましょう。そしてその原因は先進諸国が第3諸国をつねに貧困へと追いこみつづけているというその事実に他ならないのです。
例えば一つ例をあげるならば、援助の名のもとに為されている金銭の流れは事実上の高利貸しと同じでありまして、第3諸国の国々はその利子分をはらうだけで精一杯であります。参考資料によりますと『南(第3諸国)の国々の輸出による収入の殆どは、そのまま北(先進諸国)の国々の銀行に戻っている。実際、南から北への金額の流れは、北から南への金額を上回る。更に悪いことには、国際通貨基金(IMF)は要約すれば、まず第一に最貧国が生活をもっと切り詰めるべきである、という処方箋をかいた。この処方箋は目指しているものと逆の効果を与えることになるという論理的議論は、無頓着にも払いのけられてしまった。ところが債務国は現在、かつてないほどの悪い状態に落ち込んでいる。(中略)IMFの処方箋がどの国をも救うことが出来ないということは明らかである。』これは13、4年前くらいの論文からの抜粋なのですが、現在も当てはまると思います。
 大本の教祖であられた出口王仁三郎聖師は、戦後その教えの中で『次の立替建て直しは経済が主体になる』と教えておられました。
これは他の真理の教えでも同じで、経済と云うものが新しい時代へ移行する際の重要な要素とされている場合が多いのです。
このような経済の変革は、新しい時代を迎える為の最初に為されねばならないステップであり、大きく重要な第一歩目であるのです。それはまさに黎明期である黄金時代への扉を押し開けることに等しいことなのです。
 日本の神道には元来雛型原理の教えと云うものがありまして、世界において基本的に良いものも悪いものも、日本が最初に受けることになっておりまして、その為に核の洗礼も日本が最初に受けたわけであります。また世界に類例をみない平和憲法も日本に最初に出来たわけであります。
 先に経済の変革が新しい時代の為の最初のステップになると申しましたが、このような日本の雛型原理から、経済に革命が起こるとするならば、それは日本以外にはありえないでしょう。その為に現行の経済システムの崩壊が、日本より世界に波及してゆくことが予想されるわけであります。
 その為、キリストが出されている予測の中に『日本から始まる株式市場の崩壊が、連鎖的に世界の株式市場のシステムの崩壊をもたらし、現行の商業主義至上経済の終わりをもたらすであろう』と世界にメッセージを与えてくださっておられるわけですが、これは古神道の雛型原理と考え合わせる時非常に興味深い関連性があるのがわかります。
 これは多分に個人的な見解になりますが、今後の日本経済の行く末、運命は『明』か『暗』かの二つに一つの道を選択してゆくことになると思われます。それは正に天国と地獄の二つに分かれるものと思います。『明』の道を取るならば、日本経済は必ずや力強く復活することになると思われます。そしてやがて来る世界恐慌の嵐の中を、しぶとくくぐり抜けてゆくことが出来るようになると思われます。
そしてその『明』の道から更に発展して行く経済システムは、他の先進諸国の青写真となり、実質的に世界経済のシステムを救ってゆくことになることでしょう。



王仁三郎聖師も

『今の政治家のやっていることは、みな間違いだらけである。緊縮政策というのは、当然一石の籾の種を蒔いてしかるべき地所に、五斗の種をしか蒔かないという政策だ。
  また積極政策というのは、一石しか種を蒔き得ないところに、前後周囲の考えもなく、川原や石の見さかえもなく、むちゃくちゃに一石五斗の種を蒔くというやりかただ。
あれでは、どちらにしても助からない。
今の政治家や学者は経済学ということを知らない。もっとも正しい方法は、一石の種を蒔くところに一石蒔いて、そのすべてを稔らし効果をえることなのだ。これが本当の経済である。
 それにみな気がつかないで、経済と会計とを混同して考え、金銭の収支ばかりに頭を悩ませている。収入が不足だとて、その額を公債や増税によって収支の数字を合わせようとする。

単に収支の決算くらいだったら、別に政治家や経済学者でなくても、店の番頭で結構できることなのだ。』(昭和七年三月・玉鏡)


以上のように説いておられます。
今の経済システムはあまりにも複雑化してしまい、多くのエコノミストの方達は実質的に何をどうしたらいいのか判らなくなってしまっているのではないかと思います。王仁三郎聖師が教えているように、経済と会計とを多分に混同して考えており、虚構の経済へと脱線して久しい感があります。特にマネーがマネーを生むというシステムは本来の経済学から考えれば真に馬鹿げたことでありまして、これが世界の経済をカジノと化しており、欲望の渦巻くところとなしてしまっているのです。新しし経済システムの中には、このような経済におけるギャンブルともいえる現象、即ちマネーゲームを行なえる場所は少しも残されてはいないでしょう。人類に残されるのは娯楽としてのギャンブルであり、そういう意味で競馬や競輪等、勿論カジノもありつづけますが、経済市場の中におけるギャンブル、経済のカジノ化はもう止めなければならないのです。
 また、今までの日本の経済対策にしても、戦後の高度経済成長時代から有効に成功してきた方法の繰り返しでありまして、過去において有効に作用した方法だからといって、現在も同じように有効な方法であるとは限らないわけです。
特に現在の世界経済は、未踏の領域へと入ってきているわけでありまして、全く新しい方法とシステムが作り出されねばならないわけなのであります。
 それでは、今後の日本経済にとって『明の道』とは何なのかなのですが、ずばりそれは“名医を連れてくる”の一言に尽きると思います。
その名医に経済民主主義の実現を指導してもらうのです。
世の中のすべての問題は、病気とその治療に例えることが出来まして、今の日本経済を病気に例えるなら余命幾ばくもない末期の癌患者と同じでありまして、その西洋的な治療の為に体のあらゆる個所は切除され、抗癌剤の副作用の為に肉体はボロボロになり、日々その為の痛みに苛まれただ死を待っている毎日ということが出来るでしょう。
 大変な重病であり難病なのです。実に現在はこれほどの国難が国家を襲っているのが実状でありまして、多くの国民がその事態に気付いた時には、つまりその痛みを直接味わう頃には時すでに遅しの状態になっているのではないかと考えられます。
この為『明の道』を取りたいならば、出来るだけ早急に“名医を連れてくる”、それ以外の方法はありません。
医学にしても医師のレベルによりまして、出来る手術と出来ない手術とがありまして、それこそ世界に数人しか出来ないような手術をこなされる先生方もおられるわけです。そのような名医を引っ張ってこなければならないわけです。
 日本経済においては、今の経済上の重病であり難病を治療し完治できる医師は、即ちエコノミストは世界にただ一人しかおりません。



異端の経済学者

 その方はいわゆる現在のグローバリゼーションと呼ばれている商業至上主義の経済支配の中では異端児扱いされております。
私も何度か小論で紹介してきたのですが、そのお方はアメリカのサザンメソジスト大学の教授で、ラビ・バトラ博士と云われるお方です。
ラビ博士はそのデビューから異端児そのものでした。あまりにも常識外れな予測と、富裕者や大資本家が眉をひそめたくなるような経済理論の為に、最初の著作も自費出版するしかなかったのでした。しかしその後その著作はアメリカで大ベストセラーとなりました。
 それがあの有名な『資本主義と共産主義の崩壊』でありました。そしてその後につづいて出版しようとした著書『1990年の大恐慌』もやはりアメリカの50以上の出版社に受けつけてもらえず、やはりこれも自費出版するしかなかったとのことです。しかも前著の予測が的中しているにも関わらずにです。しかしやはりこれもアメリカだけではなくて日本においても大ベストセーラーとなりました。このような信じられない過程を通してラビ博士は一躍世界に名をとどろかせることになったのでした。
 その後出版された数多くの著作は、最初と同様に世界でベストセラーになっていると思いますが、では何故それだけ世界で大衆に受け入れられているラビ博士の経済理論が、積極的にマスコミに取りあがられないかなのですが、実にここにこそ世界が抱えている主要な問題点が潜んでいるのではないかと思います。
 これについて端的に真実を云いますと、世界の経済とマスコミというのはアメリカの大資本家が自分達に都合のいいようにコントロールしているからなのです。私はアメリカの大資本家の方達に敵意も何もありませんが、しかし深層を指摘すればそう云う事なのです。
 現在のグローバリゼーションの実体とは、巧妙に世界に仕掛けられている経済を媒体とした全体主義(ファシズム)に他ならないのです。
実にマネー経済の名の下に、巧妙なトリックが仕掛けられているのであります。
このようなわけで現在の大資本家や富裕者層の利権を侵すような経済理論や思想は巧みにマスコミから排除されてしまうのであります。
 現在の世の中は、思想と表現の自由が認められており、様々な情報が行き交い濁流のように流れております。しかしそんな中においても、巧みに情報操作が行われており、彼等にとって都合の悪い情報というのは、その都度芽の段階でおさえてしまっているもののように思われます。例えばマスコミの中では、決定的な影響力を持っているメディアであるテレビ等では一切取り上げようとはしません。
 初期的に取り上げたとしても、芽の段階で上層部からの圧力によりおさえられてしまっているのが実状でありましょう。
これはあにラビ博士だけではありませんで、ロンドンに再臨を果たされているキリスト・マイトレーヤについても同様であります。
ロンドンのアジア人地区に実在しているキリストのアシュラム、そこでは多くのスワミ等が働いておられるのですが、アメリカのある主要なテレビ局はキリストにインタビューの申し込みをして承諾をされました。しかし権力者層に抑えられてしまい未だに実現をしておりません。
これは日本のテレビ局も同じなのです。日本のある主要テレビ局は、すでに何年も前にキリストからテレビインタビューの約束を取りつけております。これはアメリカでの放送が実現した後に放送する予定だったらしいのですが、アメリカのテレビ局が駄目なので必然的に放送は流れてしまっているようです。
 以上のように、世界の経済とマスコミはアメリカの大資本家がコントロールしているわけでありまして、人類が新しい時代に至るためには、このような経済的な権力者層とその既得権と云う巨大な壁を突き破らないと駄目なのです。
それでは、異端の経済学者と思われているラビ博士が、日本に向けて述べられているメッセージから抜粋して紹介致します。



『はじめに』
私は1978年以来、世界の経済活動とそれに伴う政治の変革などに関して、33項目の予測を行なってきました。そのうち31項目が的中し、2項目は未だ成就していません。的中した項目の中には、“ソビエト共産主義の崩壊”“イラン・イラク戦争”、そして“東京株式市場の暴落”などがあります。これらの予測は発表当時、多くの人達から「そんな馬鹿なことが・・・・・」と嘲笑を受けたものでしたが、見事に現実のものとなりました。
 実現していないのは、“略奪的資本主義の崩壊”と“世界恐慌の発生”です。いずれも私の予測ではもっと早く実現するはずでしたが、神のシナリオだけはさすがの私にも予測し得ません。しかし、これらの予測の実現が先延ばしにされてきたのは、“神のシナリオ“以外のなにものでもないと考えています。火山大噴火前のマグマと同様、実現が遅くなればなるほど、それだけ強烈なパワーを秘めるのです。






『いま舵を取りなおせば、最悪の事態は回避出来るだろう』

富裕者が富みを搾取し、他の誰もが損をするような経済政策は、いたるところにある。
日本が理想的国家を確立しようとするなら、まず、その富裕者達の誘惑と圧力を断ち切らなければならない。
 私は日本が経済的停滞から脱し、迫り来る恐慌に耐えぬくための幾つかの方法を提案しようと思う。
それらはすべて実際的で単純で、しかも従来の経済学者やエコノミストのする提案とかけ離れていると感じられるかもしれない。しかし、明らかに事態の核心を突いているはずである。
 私の提案する方法を採用すれば、日本はこの新世紀を、絶望の始まりから希望の始まりへと逆転できるはずなのである。
 長いあいだ世界の経済政策は、アメリカの経済政策立案者の利己主義的な動機によって牛耳られてきた。そして、この富裕者の利己主義による資本主義は、いま音を立てて崩れ落ち様としている。
 この時期に、日本がもし私の提案を受け入れて実行に移すならば、日本はもちろん世界全体が、繁栄への道を歩むことが出来るのである。
いま問題とすべきは、新しいアイディアがどこにも見当たらないということではなく、古いアイディアが多すぎると云うことだ。そしてその古いアイディアを、富裕者お抱えの知識人が絶対に手放そうとしないことにある。何故なら彼等にとって、古いアイディアを守ることが自分の利益を守ることになるからである。
 いま、この時点で日本が何もしなければ、その代償は将来いささか高くつくことになるだろう。事態はもうすでに絶望に向かって刻々と進んでいるのである。新たな政策が導入されなければ、恐慌の嵐を座して待つより方法は無くなるだろう。
これまでのところ、荒廃の淵へと向かう日本経済を指一本で支えているのは、労働者の解雇を出来るかぎり避けようとする『日本的経営文化の存在』であり、日本人の持つ伝統に支えられた『慈悲の心』である。
 これこそが、日本が誇れる日本的経営の「徳」のひとつで、他の国にはほとんど見られない美質である。この「徳」が、日本の失業率を、世界各国と比較して比較していまだ低い水準に留めている理由なのである。
 しかしそれでも、1990年の恐慌j以来、日本は高い失業率の中にあり、低下の兆しは待ったく見られない状況である。
 もし、日本企業が国内の労働者に対して、アメリカの現地法人が行なっているような政策を採っていたとしたら、失業率は一気に跳ね上がり、日本社会は無政府状態の中に突き落とされていただろう。
 日本は精一杯同胞たちを守り、労働者達を保護しようとした。しかし、収益率をますます悪化させている日本企業が、いつまでもレイオフを行なわず持ちこたえることが出来るものだろうか。
 日本の大企業は、例えばソニーも三菱電気も日本鋼管も日産自動車も、すべて大幅な赤字経営を余儀なくされている。
日産自動車に云ったっては、フランスの自動車メーカー、ルノーに買収されてしまい、ニ万人のリストラと大規模な工場閉鎖が予定されている。当局が日本経済のこの実態を無視しつづけるようなら、市場圧力はますます倒産を増加させることになるだろう。世界に類をみないほどの素晴らしい家族的な企業文化がありながらも、ついには大量のレイオフを避けられない状況に追いやられるだろう。日本の大きな家族が崩壊の危機に頻しているのである
 いま、日本はたちあがらなくてはならない。日出ずる国の威信を取り戻すのだ。逆境に喘ぐ家族を助け出さなければならないときはもう来ている。
新たな政策が大胆に行なわなければならない時だ。
難破しそうな船の中で、思いきって舵を取る勇気を失えば、待ちうけるのは破滅のみだ。
大胆な経済政策の断行によって、新世紀は絶望の始まりではなく、希望にあふれた経済再生への転換をもたらした年として記憶されることになるはずだ。
私は切にそれを願っている。



経済民主主義を実現する

さて、これから陥る日本の大混乱を回復させる有効な方法はなんだろうか。
それは、この逆境を好機として、経済民主主義を実現させることだ。日本に経済民主主義を実現させる上で、この逆境がかえって絶好のチャンスをもたらすと私は考えている。
 日本の1950年から1975年までの経済政策を見てみよう。
当時の日本は開発途上の国で、企業も小さく、労働組合が大きな力を持っていた。企業と労働組合とがほぼ対等の実力を維持していたのである。
 新しいテクノロジーがもたらす技術、つまり生産性の拡大発展がもたらす技術、つまり生産性が拡大発展が生み出す利益は企業と労働者によって公正に配分された。
 しかし今や、トヨタ、ソニーを始めとして世界有数の超巨大企業にまで成長した日本企業の実力は、労働組合の実力を遥かにしのぐものになっている。企業が生産性を向上させても、それに比例させる形で賃金を上げるような実力を、もはや労働組合はもっていない。
では、いったいどうしたらいいだろうか。
1950年から1975年までの日本企業なみに企業の実力を削ぎ落とすべく、企業の分割を進めるべきだろうか。
これは明らかに得策ではない。何故なら、企業を小単位に分割すれば生産コストが増大するからだ。
この場合、なすべきことはただ一つだ。
経済民主主義の実現がそれだ。労働者が企業の株を所有して自らの企業の所有者となり、企業の経営に責任を持つべきなのである。
生産に関わるテクノロジーが新たな段階に入った今こそ、それは可能だ。
 労働者が企業の持ち主になれば、収益は公平に分配され、収益が上がればそれに比例して賃金も上げることも可能だ。
こうして賃金が上がれば、国内需要は必ず息を吹き返す。
ずいぶん過激な主張だと思われるかもしれないが、率直に言って、こうしたシステムは世界のどこでも成立するわけではなく、現在の日本だからこそ実現可能だと私は考えている。



日本再生のための道はどこにあるのか

住宅の国内需要を高めることが、日本経済を再生させる第二の方法である。
それは従来の常識を覆すような広さの住宅を供給することである。
各戸(4人家族平均)で居住面積二百平米以上の住宅を建設し、国民に安い価格で供給し、税制面でも持ち家を奨励するのである。
 この政策によって住宅産業がまず潤うことになるが、それだけではない。
1950年、日本が経済成長を開始した時点では、発展途上国の例にもれず、住宅産業は見る影もない状態だった。
発展途上の国家では、国民は住宅以外に買わなければならないものが沢山ある。自転車に始まり、家電製品、自動車、日用品、カーペット、家具その他がまず必要で、住宅の狭さや貧しさはそれほど気にならないのが通例である。
 つまり住宅以外の潜在的需要で一国の経済は充分成り立つわけで、作れば売れると言う状態がつづく。
しかし、ある程度の経済成長を達成されると、より広く豊かな住宅への願望が湧き起こってくる。買いためた物の所蔵の為にも広い住宅が必要になるのである。
 いったん広大な住宅を手に入れれば人々の消費は自動的に拡大する。そして、この様な思いきった政策を取るなら、日本はアジア各国やアメリカの需要をもはや当てにする必要はなくなるのである。
 一国内での需要と供給のバランスは取れ、同じに経済民主主義の進展によって、来るべき恐慌の時代を耐えぬいた日本は、新たな再生への道を歩むことが出来るのである。



日本には魅力的な住環境が必要だ

 日本では現在、政府主導で住宅を大量に供給するという新住宅政策が積極的に進められている。
しかし、問題は広さなのである。
従来と同じか少しは広いという程度では、国内需要の回復など望むべくもない。
 アメリカの国内需要が巨大なのは、ひとことで言って彼等の家が広いからである。前庭があり、広い今があり、裏庭がある。物を貯蔵できる空間も充分にある。もう一度言おう。従来の常識的な広さの家では需要喚起は望めない。
供給のレベル、つまり企業の生産性を公的に支援する必要性はない。現代の世界資本主義は、製造側とその資金の供給者の意向によって動かされすぎているのが問題なのである。彼等は需要の問題を最優先課題としてはいない。しかし、健全な経済にとって、需要と供給のバランスを求めることは不可欠なのである。
 身体が弱っている人に必要なのは、食事ではなく食欲だろう。日本にとって最優先すべきは、需要と供給のバランスの追求なのである。
これを、働くことで良い生活を求める労働者の側から言い直せば、収入が上がり、現在の水準の少なくとも2倍の広さの家を持ち、快適な生活をおくるための物資をそこに充分に蓄えるということになる。
 現在の時点で、ことに日本においては、政府が公共投資を行なうべきなのは、住宅産業以外に有り得ないのである。日本の税制は、現在の2倍の広さの空間にすべての日本国民が住めるようにする、この一点に集中すべきであろう。



日本が失いつつあるものは取り戻せる

 2倍の広さを持つ住宅は、今の日本が失いつつあるものを取り戻すに違いない。
家族の絆、あるいは家族を大切に思う心が失われつつある昨今である。
しかし広い居住空間が確保できれば、2世代、3世代家族が同居でき、これによって、日本の伝統的な家族のあり方は再び甦ることだろう。
人間にとっての居住空間は、物質的に広いとか、快適であるとかいう以上の価値がある。
住む場所、住む家が改善されれば、住む人の運気もまた向上するからである。
 日本という国家は、世界でもまれな豊かさを達成した。
素晴らしい高速道路、身の回りを埋め尽くす装飾品や贅沢貧の山、一家に一台を越え自動車の普及、しかし、これまで決定的に欠けていたのは、物質的にも精神的にも快適な居住空間に他ならなかった。
 日本が未曾有の経済的困難の中にある今こそ、この決定的に欠けていたものを獲得するチャンスだと考えるべきであろう。
まず、これまでの2倍の居住空間を国民に保証すること、そこから日本経済が健全さを取り戻すことが出来るのである。
あまりの単純さに吹き出す読者もいるかもしれないが、経済とは本来単純であるべきものなのである。人間にとっての重要な価値観、あるいは課題は、そこから復活してくると私は考えている。
 広い居住空間の中で数世代が共に生活する。親が子供を育て、子供が親の老後を世話し、そして祖父母が孫の面倒を見る。そうした人間の生活の原点が、ようやく見えてくるはずなのである。日本に古来から大切にされている安らぎのある住まいを実現し、日本の伝統的生活を楽しむ心のゆとりを持つ。そこに日本の最先端の科学とハイテクが用いられるのである。
 それは、なつかしく、快適で便利な、幸せに満ちた空間だろう。その中から、本当の安心感や信頼感、あるいは幸福感が生まれるのである。政府の取るべき道は富裕者達の欲を満たすことではない。労働者達の本当の幸せを実現することにある。
 日本は本来プラウト的な国家である。国家の威厳を取り戻し、今一度そのパワーを世界に示すことが、日本の大きな役割と云えるだろう。
恩師サーカーはいみじくも言った、日本は再び日出ずる国になるのだと。私は心から日本のこの復活を願わないではいられない。

                                     
                                                 『新世紀の大逆転』より






闇黒の道

 日本がもしももう一つの道である『暗の道』を取ったとするならば、これは暗と云うよりも闇黒と表現した方がいいかも知れません。
この場合日本経済は最悪の状況を迎えることになると思われます。
この道をたどった場合、先進諸国において日本は一番ひどい状況へと転落してしまうことになることでしょう。正に日本国民は世界恐慌が吹き荒れる最中に途端の苦しみを味合わされることになるわけです。
 この為日本政府は、これは海外の国々も同じなのですが、世界大恐慌への備えをしておくことが必要であると思います。
世界恐慌について予測しているエコノミストがどれだけいるかは知りませんが、日本に関しては恐慌前夜と云っても云い状態であると認識しているエコノミストや専門化はかなりいるのではないかと思います。可能性がある以上又はそれが高い以上は大恐慌への対策を練りに練っておく必要があります。でなければ、現在地球の裏側で繰り広げられている悲劇が、自分達や自分達の眼前に繰り広げられてゆくことになるかもしれないのです。
 自分だけが飢えるのであるならば、まだ耐えられるでしょう。(実際はこれだけでも耐えられるものではないのですが)
しかし、自分の家族が飢えの中に置かれるとするならば、自分の妻や子供、ましてや親だけではなくて祖父母まで背負っている方もおられるわけで、そのような身近な人達が飢餓の中におかれ、最悪の場合は餓死してしまうわけです。そしてそれをどうすることも出来ない。
 このような経済的苦境は、即治安の乱れを引き起こします。もしもあなたが飢えの中で苦しんでいたらどうするでしょうか。
当然他からとってくるしかないでしょう。ましてや自分の愛する家族が飢餓の中に置かれたらなおさらではないでしょうか。
社会が混乱と混沌の中に投げ入れられていくさまが目に見えるようであります。
 この為政府は、世界恐慌への備えを急ぐべきであり、あらゆるパターンを想定して恐慌対策のオペレーションを確立しておくべきであります。





キリストの予測と宇宙時代の始まり



 日本が世界恐慌時に先進諸国の中で一番ひどい状況下に陥るというのは、キリストの予測の一つでもあるのですが、これはラビ博士も予測しておられることであります。しかしこれは日本の経済システムをつぶさに調べてみれば、すぐ納得がいくものであります。
 特に国家として自給自足が出来ないというのは、日本の経済システム上の大きな欠陥の一つなのですが、これが世界恐慌時においては国家に大きなダメージをもたらすことになる最大の原因となることでしょう。
 また霊的な側面から観てみれば、日本やアメリカを始めとする各先進諸国は、今大変悪質なカルマを積み重ねつづけております。
それは先進国の人々が、自己満足の精神状態の中におり(キリストはこの先進国の人々の自己満足という精神状況を病気と表現しておりました)現行の経済システムである純粋な資本主義つまり商業主義至上経済が、非人道的な原則の上に成り立っていることに気付かないからなのです。その為に悪質なカルマを造りつづけているわけでありまして、いずれその代償を払うときがやってまいります。
 それが世界恐慌であるわけです。それはそれだけですむならば、人類にとっては最も小さな生みの苦しみですむのでありまして、人類にとってはより最善の道と云えるのかも知れません。もしもこれがおこらなかった場合には、現行の経済システムが変革されず継続した場合には、キリスト・マイトレーヤが予測されているように第3次世界大戦の危険性が未来の世界の運命として今は種のように宿されていることになります。
 また最近は、世界各地で本来の天候のパターンが極度に乱れ始めておりまして、ヨーロッパやアジアでの記録的な大洪水、ヨーロッパにおいては世紀に一度とも云われるような大洪水だったようです。また猛暑や寒波が多発しております。今年の夏にはフランスでは猛暑の為に数千人が亡くなられたようで今までこのようなことは聞いたことがありません。
 この原因は非人道的な経済システムが、この惑星の上で繰り広げられつづけているのがその原因でありまして、今後この様な世界的な異常気象や天変地異は、ますますその激しさを増してゆくはずであります。正にコマーシャルリズム(商業至上主義)こそが諸悪の根元と化してしまっているのです。因みに、この様な世界の異常気象や天変地異は、10数年以上前にロンドンにあるキリスト・マイトレーヤのアシュラムから、キリストの側近であるスワミを通して、世界へプレスリリースと云う形で予測が発信されておりました。今振り返ってみますと、キリストの予測の正確さを、改めて実感いたしている次第であります。
 ですから小さくは世界大恐慌であり、大きくは核戦争である第3次世界大戦と云えまして、その間に幾つかの人類の運命が描かれているのではないのではないでしょうか。いずれにしても、生みの苦しみが世界恐慌ですむならば、私たちはそれを歓迎するべきでありまして、恐れるのではなくて万全の備えをこそしておくことが必要であると思います。
 人類はその生みの苦しみの中から、新しい時代を生み成してゆくのであり、その時代は人類にとっての黄金時代であり、それは宇宙時代と名付けられることでしょう。何故なら、今まで人類の背後から守護と導きを与えてきた宇宙の兄弟との公の交流がついに始まるからなのであります。



サルスベリが咲くとき

 現在の世界的な危険性は、商業主義至上経済という経済システムに集中されておりまして、この商業主義至上経済と云うシステムこそ、諸悪の根元と化してしまっているのです。これは冷戦時代に米ソの政治的対立である戦争へと向かわせていた背後のエネルギーが、キリストによってそのスイッチを切られてしまったが為に、新しく見つけ出された媒体と云えるのです。
 これをキリストは新しく見つけ出された子宮と呼ばれていたと思いますが、そこから生まれてくる子供は競争と比較であると教えてくださっております。そしてこの様な商業至上主義をマイトレーヤは、核爆弾よりも危険なものであり、この文明を滅亡の淵まで運び去って行ってしまうだろうと警告されております。
 ここにおいて世界の希望は、日本における経済の変革であります。もしも日本が、理想的な経済システムへと改革されて行くのならば、日本は世界の国々にとって救世国となってゆくことでしょう。



『近代日本の発達ほど、世界を驚かせたものはない

 この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない

 果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった

 この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが

 今日の日本をあらせしめたのである

 私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた

 何故なら世界の未来は進むだけ進み

 その間幾たびか戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる

 その時人類は真の平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない

 この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく

 あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄でなくてはならぬ

 世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る

 それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない

 我々は神に感謝する

 我々に日本という尊い国を、作っておいてくれたことを』


 これは戦前アインシュタインが来日された際に、日本に向けられたメッセージであるのですが、アインシュタインは日本のアイデンティティに関して相当深い洞察に達していたようでありまして、かなり日本の研究をされていたのではないでしょうか。
 五井先生もアインシュタインに関しては人類のうちでも最高級の部類に入るとその御著書に記されていたと思いますが、確かにかなり高い段階の悟りに達していた科学者であったようです。これは個人的な見解になりますが、経済民主主義を提唱されているラビ・バトラ博士もだいたいアインシュタインと同じ位の進化の段階にあるように考えられます。ですから、アインシュタインがニュートン以来の科学の世界において革命を起こしたように、ラビ博士も経済の分野で革命とも云えるシステムと理論を構築してゆくことが出来るでありましょう。
 この様な日本の経済における変革は、これから日本が『明の道』をたどろうと『暗の道』をたどろうと、どちらの道を取ろうとも何れはなされねばならない変革でありまして、季節が冬から春に変わるように自然の摂理が成さしめてしまうのであります。
これは法則でありまして、遅いか早いかの違いがあるだけなのであります。ただし遅ければそのダメージは大きくなるのであり、早ければそのダメージはそれだけ小さくすむのであります。
 私たちは正にその動乱の時代の瀬戸際にい合わせているのであり、誰もがここから逃れ出ることは出来ないのであります。
ここで更に付け加えておきたいことは、日本がこれから『明』『暗』どちらの道をたどろうとも、結局はラビ博士の智慧をお借りする時が来ると云うことです。
 ラビ博士の師である聖者サーカーは、この方がまた偉大な方であられまして、ヨガの高位の導師(グル)であられながら、あらゆる学問にも完璧に通じておられました。ラビ博士によると、師であるP・Rサーカーの予言がこれまではずれたことは一度もなかったと云うことであります。
 そして聖者サーカーは、ラビ博士に『お前は何れアメリカに行くことになるだろう』と云われ、その時学生であったラビ博士を大変に驚かせたそうですが、さらにつづけてゆわれるには、『お前の経済学の4割はインドの為に、後の6割は世界の為に役立てられることに定まっている』と述べられたとのことであります。私たちはそろそろラビ博士のその使命の6割を発揮して頂く時が来ているのではないでしょうか。
 五井先生の詩の中にあるサルスベリが咲く時という一節は、非常に深い味わいが感じられまして、私にはサルスベリが咲く時というサルスベリがサルベーションという言葉の響きと重なり合ってしかたがありません。この詩の全体像と根底を貫いているのは、サルベーションの花が咲く時への願いなのではないでしょうか。そしてその為の世界平和の祈りなのではないかと思うのです。
 現在世界の最大の危機は商業至上主義が一番の問題となっているのでありまして、これがまず最初に解決されなければならない大問題なのであります。それは実質上、アメリカ主導で進められているグローバリゼーションのことにほかなりませんが、先進諸国はこのグローバリゼーションを金科玉条のごとく考えているようで、何でも自由競争の原理の中、市場の原理の中に任せればうまくいくと市場のフォースを盲信しているようであります。
 現在の市場の原理の背後に働いている見えざる手は、悪魔の手と化しておりまして、それは正に財貨欲物の神そのものでありまして、人類の運命を破壊と云う脅威にさらしつづけているのであります。1960年代の初めに、アメリカのレイチェル・カーソンという女性が『沈黙の春』と云う本を書きましたが、それは農薬の大量使用によって、やがて生物は死に絶え、鳥のさえずりも聞こえない沈黙の春が来ると合成科学物質の危険性を警告していました。今、この科学物質の影響で絶滅していく野生生物がたくさんいまして、人間もこれらの野生生物と同じ運命をたどらないといえるのでしょうか。
 当時カーソンは農薬の製造販売をしていた化学企業からかなりの反発を受け、大変な対立状態にありました、当時の企業側はそのような害は無いと主張していたと思いますが、しかし現代においては合成科学物質の害は世界における最大の問題の一つになっております。このような当時の企業の主張は、現在の商業至上主義経済の原型のようなものをみせられているような気がしてなりません。カーソンはその沈黙の春の中で、最終章として別の道を主張しておりまして、人類が進むべきより正しき方向性を指し示しております。
 日本や世界の経済改革も同様でありまして、その最終章として今までとは別の道を選択しなければならないのであります。
結局、それまで紆余曲折があるだけでありまして、その最終的段階としては新しい道しか残されていないわけであります。
でなければ環境も人間も破壊しさってしまうのでありまして、とどのつまりこの惑星自体を破壊してしまうわけであります。

『私たちは、いまや分れ道にいる。――長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり<人も行かない>が、この分れ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。』ーーーーレイチェル・カーソンーーーー


      


 当時のアメリカの大統領J・Fケネディはこの『沈黙の春』の影響により化学諮問委員会を作り、いろいろ調べさせた結果、レイチェルの言っていることは正しいと評価され、農薬の使用を制限する法律の制定を促し、地球環境への人々の発想を大きく変えました。
その影響で日本でも環境庁ができ、農薬の取り締まり法もできたのです。
これは当時のアメリカの大統領J・Fケネディがすぐれた政治家であることをよく物語っておりますが、そろそろ世界の指導者達はこの純粋な資本主義である商業主義至上経済の大きな欠陥に気付くときが来ているのではないでしょうか。
今こそ誰もが子供時代に持っていたはずのあのセンス・オブ・ワンダーを取り戻すときが来ております。
 このまま市場のフォースへの盲信がつづくならば、サルも木から落ちるの例えのごとく、人類は世界恐慌へとそしてそれ以上の脅威へと転落していってしまう可能性が高いのです。文字通りのサルスベリそのままになってしまいます。確かにサルが木から落ちた後には、救世の花が咲くことになるわけではありますが。
レイチェル・カーソンは最近『20世紀の偉大な知性』として、唯一女性でただ一人だけ選ばれましたが、『沈黙の春』は大きな力を社会に与え「アメリカを変えた25冊の本」中の一冊にも選ばれています。この行き詰まった日本の経済改革にも、今こそこの様な『偉大な知性』こそが必要とされているのであります。

『子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない<センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を授けてほしいとたのむでしょう。』ーーーレイチェル・カーソンーーー






五井先生の道 

私たち五井先生の御弟子達の場合、この様な商業主義至上経済の脅威に対して何が出来るかなのですが、それについて五井先生のご法話より抜粋してみましょう。



ーー常住坐臥の祈りをーー

悪いものも現われなければ消えないとすると、これも大変です。どれだけ悪いことがあるかわからないですから。
「現われれば消えるというけれど、先生、私は今後どれだけ現われるんですか」と聞きに来る人もあります。それは現われる前に消すのです。幽界で消す方法が一番いい。肉体界に現われないうちに消す方法です。それはどうしたらいいかというと、世界平和の祈りを常住坐臥、寝ても起きても、便所へいっても、顔を洗っていても、電車の中でも、何処でもいいから、いつも声を出して、"世界人類が平和でありますように"とやらなくていいから、心の中に、いっぱい染み込むように、世界平和の祈りをやっていることです。
  やっていると、肉体界に現われるものも、幽界で消えてしまうのです。たとえば大怪我をして三月も四月も入院しなければならないようなものが、かすり傷で治ってしまう。そのようになるのです。だから、世界平和の祈りにすべてを切り換えるのです。
  いいとか悪いとか、向うと相対的に較べていてはだめです。相手を見てはだめ、敵であると、敵とみているうちは、敵になるからです。けれど一度は敵とみてしまいますね。
過去世からのクセで、自分と相手は他人だ、みんな他人だ、と思います。ところがさかのぼってご覧なさい。みんな兄弟姉妹なんです。もっとさかのぼれば、神様の中に入ってしまうのです。それなのに他人だと思う。
  ところがそれは長い間のクセで、また肉体の自分を守る方法として仕方がないんです。
自分の家族の方が他人の家族より可愛いのは当たり前です。自分を可愛がるように出来ているのでして、それはそれでいいのです。
  そういうものが肉体の生活です。とするとその愛情も消えてゆく姿なんです。真理の愛というものは、自分の子も他人の子も同じにみます。この理論をそのまま実行しようとすると、天と地がつながらない。真理がそのまま降りてくれば、「神の愛は平等である。お前の子供も隣の子供も、まわりの子供もみんな同じなんだ。平等に愛さなければいけない」とやられます。
 それはやってもできっこない。私も出来やしない。その為に個別に人間は現われているのです。この人間の常識の頭では出来ないけれど、神様の頭では出来るのです。 肉体の人間では、自分の身内の方が他人の身より可愛いいんだから、宗教家がどういおうと、私は私の子供が可愛いんだ、私の妻が可愛いんだ、私の弟が可愛いんだ、ということになります。そうすると理想というものは、この世界では、肉体の人間の頭では成就しないんです。他の国より自分の国の方が可愛い。自分の国より他人の国を可愛がって、他の国のことばかりやっていれば、自分の国はつぶれてしまいます。だから肉体としては自分の国を守り、自分は自分の家を守るように出来ています。だから肉体としてはいつも相対的なんです。いつも相手があるんです。相手と自分といつも競争をしなければならない。
自分の国と他の国とがいつも競争している。だから肉体の人間の頭では、自分の一家と他人とを区別するのだから、平等の愛にはならないのです。絶対に。日本人が日本をアメリカより愛するのは当たり前でしょ。それを理想としては、日本の如くアメリカを愛さなければならない、と思うかも知れないけれども、実際には出来やしない。それを私はよくわかっているのです。
 そこで天と地を、天の理想を地の現実に結ぶ方法を考えているのです。
肉体の人間の考え方でいけば、自分を守るのは当たり前、自分の家族を守るのも当たり前。けれどそれではどうしても世界はよくならない。みんなが平等の愛にならないんだから。ああ、これではもう肉体の人間じゃ駄目なんだ、と手を挙げてしまうんですよ。
「肉体の人間では世界なんか平和になりっこない。自分の心に照らしてみればわかる」と。
 たとえば同じ飢饉の時、自分の息子には食べさせても、隣の息子には食べさせないかも知れない。百万人が百万人そうだと思う。自分の子を捨てても、他人の子を救おうなんていうのは、人類二十何億人かのうち、百人もいません。昔、松王丸なんていうのがありました。主君のために自分の子供を犠牲にする。あんなことは出来やしません。またやったら世間がごうごうと非難します。そんなことめったにあるもんじゃない。
 だから肉体の人間では、自分と社会の、小さな範囲だけでも平等の愛情は通わないんです。出来ないんですよ。まして世界の人類ということになったら、それは出来っこない。
自分の国を愛し、自分の民族を愛するのは当たり前だから。それはそれでいいんです。
それが悪いと言うのではありません。理想家はそれが悪いと言うのです。しかし理想はそのままでは現実にはならない。



ーー肉体の人間には何も出来ないーー

そこで天と地の真ん中、理想と現実を真ん中で成就させるためには、どうしたらいいかというと、この肉体人間は駄目なんだ、ということをまず思わなければいけない。
「肉体の人間というものは単なる器でもって、みんな消えてゆく姿なんだ、自分を守ろうとする想いも、人を憎もうとする想いも、相対的に考える想いも、みんな消えてゆく姿なんだ。ああ、みんな消えてゆく姿なんだ。世界人類が平和でありますように」と、自分の頭の中の想念行為を、全部なくすために、世界平和の祈りの中にみんな入れてしまうのです。そうすると、神様のほうから、守護霊、守護神の方から、その人の心を傷めず、相手を傷めず、うまい具合に調和して、うまくやってくれるのです。
 たとえば自分は一日に百円いるとします。どうしても百円なければ生きられない。向うは全然ないとします。向こうへ五十円やればいいんだけど、五十円やったら両方とも食べられなくなってしまう。そうするとやりようがない。全部百円向うにやるか、自分が百円で食べるか、どちらかでしょ。そうなったら、どうしても自分は生きなければならないから、隣を見過ごしても、自分は百円で生きます。
 そういう時に「これは自分じゃどうにもならないんだ。世界人類が平和でありますように。どうか隣の人をお救いください。どうぞ神様お願いいたします。守護霊さん守護神さんありがとうございます。私どもの天命を完うせしめ給え、隣の人たちの天命を完うせしめ給へ」というように祈るのです。そうすると、向うの何処からか、五百円も六百円も、一万円も十万円も持った人が助けてくれるわけです。
 なぜかというと、神様は無限だからです。無限の富、無限の愛、無限の智慧で、神様がいくら出しても絶対に減りゃしないのです。だから神様の中から出してあげればいいんです。神様の中から智慧を貸してあげ、神様の中から物質を出せばいいのです。そうする方法はどうしたらいいかというと、それは世界平和の祈りなのです。
 肉体の人間がどうやったって、本当の平和は出来っこない。本当の安心は出来っこない。
どうしたら自分も安心し、隣の人もお向かいの人も安心し、この国が安心され、あの国を安心させられるか、というと、世界平和の祈りの中へ自分の想いを全部入れこんでしまって、入りきりになると、神様の方から、あの人にもよくし、この人にもよくし、あの国にもよくし、この国にもよくする、というように、みんな富が分配されるのです。
そうすることによって地上天国が出来てくるのです。だからどうしても一度、この肉体人間は駄目なもんだ、ということを思わなければ駄目なんです。それを私は一生懸命といているのです。
 それを他力というのです。法然親鸞がやった南無阿弥陀仏なんです。それを私は、"世界平和の祈り"という現代で一番やさしい教えにしているのです。




 このように経済民主主義と云うものも、祈りによる世界平和運動が世界に拡大してゆく過程において無理無く現われてくるものなのであります。
 私たち五井先生の御弟子達は、先進諸国の政治や経済を司っている者達及び、人類全体の思想と価値観が光明化してゆくように、また世界におこる異常気象や天変地異の被害が最小限に済むように、世界平和の祈りで波動調整をなしてゆくことが重要なお役目なのであります。ですから、ますます日常生活の中で世界平和の祈りを深めてゆきたいものであります。
私たちの祈りの中から、いつの日にか必ずやサルベーションの花が、日本にも世界にも咲く時が来ることでありましょう。
 
 日本における経済の変革は、既得権益を持っている少数の者達の為であっては勿論無いし、また日本一国が経済的に繁栄すればそれでいいと云うものでもあってもいけません。それは世界各国のすべての国々の経済的繁栄へとつながる改革でなくてはいけないのです。
ラビ博士が常に強調されるように『政府の取るべき道は富裕者達の欲を満たすことではない。労働者達の本当の幸せを実現することにある。』この精神が日本にも世界にも定着する時に経済民主主義という美しく大きな花が世界に咲く時が必ずややってくることでしょう。
その時の為にこそ日本は率先して経済民主主義の姿を、世界に指し示してゆく役割があるのであります。




                 世界は崩壊の危機に瀕している

                いま、日本よ、立ち上がれ。

                日出ずる国の威信を

                取り戻すのだ。

                逆境にあえぐ家族を

                助け出すのだ。



                                −−−−ラビ・バトラーーーー


                          秋から冬に向かう季節の中で
                                        03/11/7記す





      『大和』編集者付記 ―――この空の下―――



                           白光の同志へ




☆世界人類が平和でありますように