大和
“見知らぬ街の見知らぬ人よ。今日も同じ空の下で生きているのか。”
これはある有名な歌手のアルバムの中にある、ある曲の一節ですが、いつもこの歌を思い出すたびに、五井先生御帰神後に西園寺会長の間違った教えとその方針の中で、会を離れていった人達のその姿が自然と重なって想いの中に浮かんでくるのです。
今まで、西園寺会長の間違った教えとその方針の中で、白光を離れねばならなかったその方達は、これからいったいどうすればいいのでしょうか。その方達に云いたいのは、五井先生のお弟子としての自負があるならば、白光の再生の為に起ち上がるべきであると云うことです。
現在の白光真宏会は、脱線に脱線を重ねつづけて行くところを知らぬ状況に陥っていると云っていいでしょう。
この脱線を正常な道へと変革してゆくことは、白光会という組織として考えるならば、不可能に近いことであり、おそらくは無駄な努力でありまして、それは徒労に終わるだけとなることでしょう。
では、いかにすればよいのか。それには光のネットワークの構築です。
つまり光のネットワークを形成してゆき、現在の白光会に対抗するのではなくて、現在の会の在り方とは争わず、調和のうちに押し進めひろめてゆく、そのネットワーク構築の中で、現在の会じたいを包みこんでしまうことです。
数年前の情報によれば、白光会においては年間に1,000人の退会者が出ていたようで、(最もそれと同じに1,000人の入会者がいたようですが)、恐らくは、古い五井先生時代からの会員さんたちも多くおられることでしょう。これは光のネットワークを形成し作り上げてゆく側から云えば、非常に有利な状況であるとも云えるのです。
過去世から続く、五井先生のグループのその潜在力は、おそらくものすごいものがあると思うのです。ですから、この五井先生のグループのその潜在力を信じ、地道に活動を続けてゆくことです。
では、光のネットワークとは何か? これは五井先生の御教え(西園寺会長のどのような教えも含みません)を、唯一自分の根本の道と定め、そして、五井先生のお弟子であることに自負を持っている方たちですが、このような方たちは、まず間違いなく過去世から五井先生に深い御縁のある方たちです。このような五井先生のお弟子であり、信徒である方達が、日本全国に数多く存在しているわけですが、まずこの様な方たちが集会と云う形を通して、一つになることが大切であり、それは初期的にはオンライン上、つまりインターネット上でもかまわないのですが、このような純粋な五井先生のお弟子たちが、全国に集会を復活させてゆくことです。
この集会が各地に点在している平和の祈りの使徒が起こす、つまり光の点を一つに結ぶ何十倍、何百倍も大きな光の点となり、この大きな光の柱が日本全国の各地に、隈なく常時立ち昇るようになるならば、それは光のネットワークとなり、日本国を包んでゆくことになることでしょう。この様な、光のネットワークの構築が可能であるならば、日本の運命は徐々に明るいものへと変わってゆくことでしょう。
又、そのような日本の運命を光明化するような、光のネットワークが日本国に形成されてゆくならば、日本列島が持つ霊的磁場が発動され、この惑星じたいが救世主神の大光明の中へと包みこまれてゆくことになるのです。それは当然、世界全体の運命の光明化につながるわけです。
これは、この様な霊的原理が各天体にはあるわけでありまして、日本列島のような働きをする場所が、地球以外の各星々にも同じようにあるわけであります。
これは、日本の天命であり、日本民族の使命であるのです。その先駆として五井先生のグループがあるのであり、彼等こそがその土台を作り、その中心として祈りによる世界平和運動を発展させてゆくことが出来るのであります。
ですから、心有る五井先生のお弟子たちに(私はこれを白光の残党と呼んでいるのですが(笑))、この『光のネットワーク構築』の構想を、白光真宏会の再生だけではなくて、日本国の再生と、世界完全平和確立の為のプロットとして、白光の残党の皆さんに提案し呼びかけるものであります。
白光の真の祈りの使徒の方達は、すでにお気づきでしょうが、この光のネットワークは五井先生時代に着実に築かれていたものであり、今更私が提唱することじたいがおかしな話なのです。西園寺会長はそのお得意の派手な行事で、多くの信徒を未だに間違った方向に引っ張りこんでいるようですが、宗教の道というのは本来素朴なものなのです。
そこには、平凡な生活と地道な真の祈りの道が続いているだけなのです。まさにシンプル・イズ・ベストそのままの道なのです。
五井先生の道というのは、正にこの素朴な道そのままであり、平和の祈りの使徒のその根本的な天命は、平凡な生活をそのままに平和の祈りを実践し普及してゆくことによって、世界平和の為に貢献してゆくことにあるのです。基本的には、それ以外には有り得ませんで、実に地道な道なのであります。
五井先生も教えておりますが、天才は短い期間に大きな仕事を成し遂げてゆくが、私たち平和の祈りの同志はその平凡な生活をそのままに、一生かけて世界平和の祈りを祈ることにより、その人生の中で大きな仕事を成し遂げてゆくのであると教えてくださっております。
これが祈りによる平和運動を発展させてゆくうえでの根本であり、光のネットワーク構想の骨子であります。
西園寺会長は五井先生が築いてきた光のネットワークを意図的に壊そうとしているのです。
例えば五井先生の御教えはもう古いとして、十数年前から西園寺会長独自の行法を平和の祈りよりも最上の方法として、信徒に信じ込ませ行じさせていたのですが、ついに2000年頃に何を思ったか、「世界は平和になった」と信徒の前で宣言したというのです。
一体全体どう云う理由で「世界は平和になった」と宣言をしたのでしょうか。
この様な宣言を西園寺会長がすると、西園寺会長を絶対視し崇拝している信者の者たちは、「世界が平和になったのなら、五井先生の世界平和の祈りはもう本当に古いのね」等と、本当に信じ込んでしまうわけでありまして、皆、世界平和の祈りへのウェイトを軽くしてしまうことでしょう。
結局それは、西園寺会長の行法だけを行じてゆくことへとつながってゆくわけでありまして、長い間には世界平和の祈りはもとより、五井先生の御教えじたいを消滅させてゆくことが、その計画としてあるのがあきらかではないかと想います。
今の世界の状況の中で、「世界が平和になった」等と宣言できること事態が不思議な気がするのですが、それをそのまま信じ込んでしまう信者にも困り者なのです。だいたい西園寺会長は行事の度に自分かってで適当なことをいっているわけでありまして、その根底にあるのはすべて五井先生の教えから自分の教えへと巧みにすりかえようとしていることにほかなりません。
この様なことに信者がマインド・コントロールをされてしまうというのは、西園寺会長への崇拝からおこる現象で、これは宗教のカルマと呼ばれているものに起因しておこることなのであります。
実にこの宗教のカルマこそが、世界の歴史を不調和と争いで色取ってきた最大原因の内の一つなのですが、西園寺会長はこの宗教のカルマを巧みに操り、五井先生の信徒から五井先生自身を奪い去ろうとしているのです。つまり、五井先生は形だけ残し、その内実を西園寺会長自身の思想で入れ替えようとしているわけであります。
しかし、実際によく考えていただきたいのですが、現在の世界を見回してみた場合には、現実にはあまりにも悲惨な現状なのであります。
新しいミレニアムを迎えてから、03年の今年まで日本にも世界にもいったい何があったでしょうか。
ニューヨーク同時多発テロ、アフガン戦争、イラク戦争、そしてイスラエルとパレスチナの紛争の悪化等々、世界の至るところで起きている大地震、去年のヨーロッパなどでの記録的な大洪水、世界的な伝染病のSARSの発生、ましてや世界の貧困と飢餓の問題などは新しい世紀に入っても何の改善の兆候も見ることは出来ません。他にも問題は数え上げればきりがないほどあります。
日本においても自然災害はもとより、経済の悪化による大不況から、倒産、リストラ、失業、就職難等々、様々な問題が起きておりまして、その大不況が原因で年間に3万人に上る人たちが自殺をしている現状なのです。そして犯罪発生数は戦後最悪にも達してしまっております。この様な不幸が充ちている世界においては「世界が平和になった」等とは決して言える言葉ではないのです。それは「霊的には世界が平和になった」と云う言葉でごまかせる問題ではありません。だいたい西園寺会長自身が正真正銘な犯罪者そのものなのですから。
この西園寺会長が起こしている事件については、いずれ裁判が行なわれ法の下に裁かれ実刑判決が下されるものと想われます。
現在の日本の現行法において、実刑判決がくだされるというのは、これは西園寺会長が偽者であることを如実に示しているものであります。
現在の西園寺会長は裁判になるのを恐れており、自身が築き上げてきた権力を盾にして、巧みに逃げ回っている状態なのです。
この様な行動が正しくないことは言うまでもありません。普通の一般人なら未だわかりますが、西園寺会長は一宗教団体の会長であり、世界的な平和運動のリーダーであります。法的な責任を取るのを恐れて、裁判から逃れようとしているのは実に恥ずべきことです。
この事件を知っている白光の残党の人たちは、西園寺会長の起こしているこの様な犯罪行為をもっと信徒達に知らしめて、西園寺会長が偽者であることをはっきりとさせてゆくべきなのです。
ですから、この様な西園寺会長自身がかかえている問題、それは当然現在の白光会の現状にも通じている問題であるわけですが、これと日本や世界のかかえている問題を合わせて考えてみるときに、いったい誰が「世界が平和になった」という宣言を肯定し得るのでしょうか。
これは無理やりにでも云いから、五井先生の御教えをつまり五井先生の霊的働きを消滅しさろうとする闇の勢力の所業であるのです。
五井先生の霊的働きは、エネルギーの次元においてあらゆる不調和と悪の根元を浄めさろうとするものですから、五井先生の霊的働きが著しく妨害されて久しい現在、日本と世界の運命が心配されるのです。
この為、現在日本全国に散在している白光の残党達に、光のネットワークの形成を呼びかけるものであります。
この光のネットワークの形成に際して大事なことは、それぞれのグループはそれぞれが独自の活動をするグループであり、それは各グループが小さな教えの解釈などの違いを気にせずに、祈りによる平和運動の再生の為に、小異を捨てて大同につくという心構えが大事ではないかと想われます。
私はこの「大同」という言葉を「大道」に変えたいと想うのですが、五井先生のお弟子さん達ならこの大道の意味は説明せずとももうおわかりだと想います。その考えは祈りによる平和運動の根本精神でありますし、それは五井先生の御教えであります。
ですから、各グループにおいて中心者がいてもいいと想いますし、又は中心者を作らずに五井先生の御教えだけを中心にすえてグループ活動をするのもよいと想います。それは、それぞれのやり方をそれぞれが尊重し合うべきであり、又、それぞれのグループ同士が交流を取り合うのもよいし、無理に交流をする必要もないと想います。
要は、それぞれのグループ活動に如何なる束縛も与え合ってはならない事が大事であり、自由な活動が行なわれてゆくべきであるという事です。根本は五井先生の御教えであり、世界平和の祈りなのです。
ここから外れていなければ、枝葉のことは問題ではありません。ここから外れてしまうと光のネットワークの形成はおぼつかなくなり、事実上不可能になってしまうことでしょう。
光のネットワークは純粋な五井先生の御教えと世界平和の祈りが根本であり骨子であります。それ以外には光のネットワークの構築は有り得ないのです。
“見知らぬ街の見知らぬ人よ。今日もこの空の下で生きているのか。”
とあるシンガーソングライターのこの歌にあるように、見知らぬ街の見知らぬ白光の残党達に期待をしております。
いずれ会うときが来ることでしょう。その時を楽しみにしております。
光のネットワーク確立への期待と、過去世からの同志に今生で再開できることへの喜びを込めて。
平成15年5月 平山 儀則
白光の残党へ