日時:1999年8月12日から14日
目的地:江の川(島根県)、JR三江線
目的:ペルセウス座流星群観測
主な交通手段:青春18きっぷ
ペルセウス座流星群は、毎年8月13日前後をピークとして活動する流星群で、月明かりや街明かりがなければピーク時には1時間あたり約50個程度の流れ星が見られます。98年99年はしし座流星群に主役の座を明け渡した格好になっていますが、普段は比較的天気が安定した時期で、学生にとっては夏休みの真っ只中ということもあり、見る人が最も多い流星群です。帰省の前に寄り道して、ペルセウス座流星群を見に行こう、というのが今回の旅行の目的で、98年に四万十川へ出かけた旅の続編です。
前回は「四万十川」という目的地を最初に決めていたけれど、今年は西日本は各地ともあまり天気が良くない。そこで、
1。北東の空が見えそうなところ
2。京都から半日で行けるところ
3。香川へ一日で帰れるところ
という条件で候補地を選んで、 あとは出発当日の天気予報で行き先を決めることにした。
候補地には、私の独断と偏見で、中国山地、能登半島東海岸、紀伊半島東海岸、徳島県南部の海岸、の4ヶ所を選んだ。後半の2ヶ所へはすでに星を見に行ったことがあった。ちなみに徳島なら香川へ帰る途中に阿波踊りが見られるというオプション付きだ(えっ、踊れって?)。あとは、神のみぞ知る、である。
星を見に行くとき、天気予報や天気図を眺めながら出発直前に行き先を決めたりすることはよくある。しかし、車なら別に予定時間より出発が遅れても目的地には行けるが、列車を使うとなると、星がよく見えるようなところは、ローカル線なのだから、下手すると目的地にたどり着けない。そもそも出発日の午前中の用事がいつごろ終わるかもわからない。自由に行程を組み立てられるのが青春18切符の旅のいいところとは言え、出発時刻も目的地も経路も決めないまま旅の出発日を迎えるのは初めてだったような気がする。
下宿に戻って、実家に宅配便で荷物を送り、荷物をまとめて、11時40分ごろに下宿を出発した。京都駅へ向かう市バスの中は混雑していて時刻表を開く余裕はなかったので、姫路行き新快速に乗ってから行程を組み立てて(新快速も大阪まで座れなかったけど)、目的地を島根県・広島県の江の川(ごうのかわ)沿い、JRの 路線名でいうところの三江(さんこう)線へ設定した。
山陽本線を福山まで進んで、福山から福塩線に入り、府中で1時間余り時間を取って風呂と食料を調達する。三次(みよし)で三江線に乗り換えると、途中駅の口羽(くちば)までの最終列車しかないので、列車内から外を見まわしながら、終点口羽まで乗る。口羽駅を出て、星が見えそうなら口羽でストップ、だめだと思ったらただちに折り返しの三次行きのやはり最終の列車に乗り、目をつけておいた途中の駅で降りる。
…という行程を大阪から明石海峡大橋の下をくぐるまでに組み立ててしまうのだから、我ながら手慣れたものである。府中から先の列車があまりにも少なくて選択肢がほとんどないというのもあるのだけれど。
しかし、「行き当たりばったり」の代償を早くも姫路で払うことになった。山陽本線の姫路〜岡山間を直通する電車は昼間は1時間に1本しかないのだが、姫路で48分待ちという最悪のパターンとなってしまった(市バスが遅れたのが一番の原因だけど)。しかし、不幸中の幸いというほどでもないけど、ラジオで高校野球の香川代表の尽誠学園の試合を中継していたのでいい時間つぶしになった。岡山行き電車に乗ってからもラジオを聞いていたけど、残念なことに最終回になってから電波が届かないところに入って、ラジオが聞けなくなってしまった。驚いたのは、上郡(かみごおり)駅で乗ってくる乗客が多かったこと。姫路〜岡山直通列車は1時間1本だけど、それとは別に姫路から1時間に1本上郡どまりの区間運転の列車があるのだ。たいてい青春18切符利用者だと思うが、ホームに電車が着たらとりあえず乗って、とにかく行ける所まで行くという人が多いようだ。どうせ途中の駅までしか行けないのなら、次の列車に始発駅から乗ったほうがいいと思うけどなあ。
食料を調達して、府中駅に戻り、三次行きの列車に乗り込む。ここからは当分ディーゼルカーになる。途中長いトンネル区間があり、よほどトンネル内の湿度が高いのか、しばらく窓が曇ってしまった。曇りが取れてきたころ、今度は小雨が降り出した。雨はすぐ止んだが、今夜の天気が心配になる。三次のふた駅手前の神杉という駅で、運転手が急に後ろにやってきた。悪ガキ二人が降りる手前の駅で整理券を取り直したからだ。ワンマン列車だから、当然発車は遅れる。まったく困った連中である。
三次駅で乗り換えの時のこと、乗り換えの放送が聞こえなかったけど、まあいいや、と思って飛び出すと、3番のりば…自分が乗って来た列車、2番のりば…備後落合行き、1番のりば…広島から到着したばかりの急行みよし…もうホームがないぞ!5分乗り換え、しかも最終なのに、三江線の列車はどこにいるんだ??? 焦っていたら、1番のりばの端の端のほうの「忘れ去られた」ところに「0番のりば」があった。実は、トイレに行こうと思ってそっちへ走って行ったら、その視線の先に、列車らしき灯りを見つけたのだ。そんなわけで、あわてて乗った列車から外を見ると、山腹に、「I LOVE 三次(LOVEのところは ハートマーク)」の電飾あり。なかなか侮れぬ街のようです(笑)。機会があったらまた来よう。
京都を出てから途中下車を含めて9時間、とりあえずの目的地、口羽へ。列車の終点だから、ちょっと町中かも、と思っていたのだが、駅を出てみると、天気、街明かりの点から見て問題なし。列車の終点…といっても、1日4〜7本というローカル線だけのことはある。ついでに無人駅のくせに結構立派な待合室がある。蛍光灯がすでに消えていて虫も心配ない。ペルセウス座流星群は、日付が変わるころから数が増える(ようするにペルセウス座が日付が変わるころ空に上ってくる)ので、それまでしばらく待合室で寝ていた。
天気が回復したのと、浪人生も眠くなってきたということで、私は26時半から流星群の観測を開始した。少し雲は残っていたが、1時間あたり44個の流星を見ることができた。このあと、また駅の待合室に戻って寝た。浪人生と話し込んでいたときに待合室の隅に座布団があるのを発見していたので、先程よりもよく眠れた。…と言っても、睡眠時間は2時間余り。
浪人生とお別れして、最初に下車した駅は宇都井(うづい)。駅の入口からホームまで116段の階段があるという高架上の駅である。次の列車が2時間先なので、用もないのに2往復してしまった。(写真くらいは撮ったが。)次に乗る列車が来る20分くらい前に反対方向の三次行きの列車があったが、階段を上ってやって来たのはおじいさん2人におばあさん1人。「旅ノート」があったので読んでみたが、列車本数が少ないせいか、車やバイクで来た人も多いみたいである。1日4往復の時刻表を見て、「バスみたい」と思っていたのだが、近くにあったバス停の時刻表を見ると、1日1往復だった。しかも両方向とも14時台で休日運休。誰が使うんだそれ。さらに張り紙がしてある。「8月14日および15日は休日ダイヤで運転します」…つまり運休するって事だろ!
宇都井から乗った列車は18きっぷ利用者が多数乗っていると見え、三江線は普段は全列車ワンマンらしいが、車掌も乗務していた。次に降りる駅は、乗ってすぐ車掌が来てあまり考えるひまが無かったので、区間運転の列車が止まる駅である浜原とした。
浜原は5分停車だった。鉄道マニアと思われるカメラを持った人々が一斉に降り、駅や、駅前にある三江線全通記念碑を写真に収め、また列車に戻っていった。途中下車しようという奴はいないのか?意外と根性ねえなあ、マニアの皆さん:-p
そこはプールあり、キャンプ場あり、貸しカヌーあり、でちょっとひとり者が入れる雰囲気じゃなかった。でも、ここまで歩いてきたんだし、カヌー博物館はクーラーが利いているはず!と構わず突入した。入場料200円を払う。博物館は、梅田正明というカヌーイストの写真展をやっていた。そこで、しっかり涼ませてもらった(^^;。写真に添えたメッセージのひとつに、こんなのがあった。
本当にここにいるのだろうか。確かに、一昨日はザックに荷物を詰め込んでいたのだが。ゆったりと流れ去る見覚えのない景色のなかを漂いながら、ふと夢見心地になることもある。一昨日といえば…ゼミの準備してたな(^^;ユーコン川(カナダ)支流テズリン川にて
粕淵駅に戻って、大田市行きのバスに乗る。それにして初めて乗るバス路線で、終点でなく途中の停留所で降りるのって、すごく不安になりますね。よく乗ってる京都市バスでも案内のテープがよく聞こえなかったり、テープがバス停二つぶん進んだりするからねえ。バス停は湯抱温泉口、湯抱新湯と並んでいたが、×××口というのが、×××から遠かったりするのはよくある話なので、湯抱新湯で降りた。そこの並びで一番大きそうなところにいってみたが、受付に誰もいないので、引き返して湯抱温泉へ向かうことにした。
湯抱温泉へ入るT字路、まさに湯抱温泉口バス停のところに、斎藤茂吉鴨山記念館というのがあった。去年山形に行ったので、これも何かの縁だと思い(斎藤茂吉は山形県上山市出身)、正直なところまた涼めるぞと思ったので(失笑)、行ってみることにした。展示は…うーん、そういやあ、アララギって昔習ったよなあ、そんな感じ(それだけかい!)。あとはそこのおじさんと色々話しこんだ。わりと星に興味ある人のようだった。流星群の話をしたら、今日は曇ってるねえ、だって。うーむ、痛いところ突いてくるなあ(冷汗)。湯抱温泉で入浴だけの客を扱っているところがあるか聞くと、さっき私が覗いてみた所だけだと言う。という訳で、もと来た道を戻る。今度は受付に人がいたので、無事入浴を果たした。300円也。山吹色のお湯でした。このあと、コーヒー牛乳を飲んだり新聞を読んだりしながらくつろいでいた。帰りのバスは、粕淵駅まで行かずに少し手前で降り、スーパーで食料を調達した。
石見川本駅を出て、江の川の土手をしばらく歩き、本屋で立ち読みなどしたあと、食堂を探す。もともと小さい町で、お盆の時期だけにかなり難航したが、やっと見つけて、お好み焼き定食を注文。タウン誌「ウィンク山陰版」が置いてあり、トロッコ列車奥出雲おろち号の特集をしていたのでそれを読む。テレビでは、高校野球の島根代表浜田高校と水戸商業の中継をしていた。「お好み焼き定食」を食べている間に、5−0でリードしていた浜田が逆転されてしまった。途中までしか見てないけど、5−10で浜田が負けた試合でした。食堂を出ると、やはりお盆のため早仕舞いで、もう営業終了になっていた。危ない危ない。
石見川本駅に戻り、明日の行程を考えていたら、いきなり三次からの列車がやって来てびっくり。この駅で約30分も止まるらしい。改めて時刻表を見ると、粕淵から私が乗ってきた列車も石見川本で30分止まっていた。気を取り直して、明日の予定を立てる。江津に出たら、山陰本線を東へ、米子から伯備線で新見乗り換えをはさんで岡山へ。久し振りに宇野へ出て、フェリーで高松へ向かうことにする。…中国山地越えのルートは何の変哲もないけれど、このルートで中国山地を越えるのは初めてだったりする(^^;。
その後江津方面からやって来た列車はなんと乗客ゼロ。私を含め6人が乗り込んだ。江津を18時過ぎに出るのに…これはお盆だからだろうか?何より、どっちの列車も、もう終列車というのがなんとも言えない。今夜の観測地はカヌー博物館へ行く途中にロケハンした江の川の土手と決めたので、粕淵まで戻る。粕淵駅は駅、ホーム待合とも蛍光灯が点いていて、虫だらけだった。なので、観測地の土手まで行って、野宿することにした。空は雲が多く、何より困るのは、サーチライトを点けてる建物があったことだ。湯抱温泉の方からだろうか。これはうかつだった。日付が変わるまでには消えていることを願いつつ、また晴れることを願いつつ、眠りについた。
始発の江津行きの列車に乗る。昨日一往復した石見川本までは消化試合だが、江津の手前、江津本町あたりで河口が見えてきて、おおっ!という感じになる。江津での乗り換え時間が30分ほどあったので、駅を出て(このとき18きっぷに今日の日付を入れてもらう)、もう一度河口を拝んできた。
車内の冷房がいまいちもの足りないなと思っていたら、懐かしいことに、壁に扇風機のスイッチがある。スイッチをONにして涼んでいたら、通路反対側のボックスのオバサンに寒いと言われ、5分とたたないうちにスイッチOFF。オバサーン、海側(北側)座ってるから寒いんだって。山側(南側)に座っている私と席替わってくれー!(心の叫び)4年ぶりに来たのに、海が見られないとはむっちゃブルーである。それにしても沿線でカメラを構えている人の多いこと。出雲市までに2ダースはいた。みなさーん、三江線もいかが(笑)?
米子で伯備線の電車…久し振りの電車に乗り換える。食料とお土産でも買おうかと思ったが、ホームに売店がない。隣のホームにはあるけど、時間がない。結局そのまま米子を出たが、生山(しょうやま)で12分停車ということで、キヨスクで「くずもち」「梨わらびもち」を購入、事なきを得た。残念ながら食料には恵まれず、アイスクリームを買ってお茶を濁したのであった。
新見に到着する直前、側線に「岡山」の方向幕を掲げた黄色に青帯の電車が見えた。最近岡山近辺に出没する2両3ドアロングシートの電車である。参ったなー。…で、乗り換えの時やっぱりその電車がやって来た。
せめて総社から吉備線にでも乗ろうか、と思ったら、そちらもロングシートだったので取りやめ。車内に、ここの駅はどこ?次の駅は?その次は?…と聞いている子供がいた。親も親で、岡山を越えて三石(みついし:山陽本線の兵庫県との県境にある駅)まで答えてしまった。岡山くらいまでで止めておいたほうが子供のためになるような気もするな(笑)。
宇野に着いたら着いたで、フェリー乗り場が移動している(それも宇野駅に近いほうへ)ことに気づかず、一本乗り遅れてしまった(まだ寝てるな)。おかげで高松から観音寺行き快速に乗るつもりだったのが、間に合わなくなってしまった。18分後の、次のフェリーに乗る。よく考えると、宇野〜高松のフェリーの本数がJRのマリンライナーの本数より多いというのも不思議である。まもなく高松からフェリーが到着。時刻表を見ると、再び高松行きとして出航するまでの時間は、わずか9分であることがわかる。この間に乗客も車も入れ替わるのだからずいぶん慌ただしい。
乗船したらまずは売店で天ぷらうどんを注文。丼を自分の席まで持っていって辺りを見渡すと、乗客は30人くらいか。なんとそのうち3分の1か4分の1はうどんを食っている。冬だったらもっと割合は高くなるのではないか。香川に帰ってきたと実感する瞬間である。もしかすると異様な光景なのかもしれないという気もどこかでするのだが(笑)。異様な光景といえば、高松が近づいてきたころ、少し先に宇野港を出た別の会社のフェリーを追い抜くというシーンが見られた。高松港はたくさんのフェリーが出入りするから、入港時間を調整する必要があったのだろうか。少なくとも私が乗っていたフェリーの方は定刻通りに高松に到着した。
高松はこの日は高松まつり「総おどり」で、高松駅に行く途中踊りの連らしき集団を見かけた。…が、おとなしく帰ることにする。そういえば去年四万十川からの帰りの阿波池田駅前も阿波踊りがもうすぐ始まるところだった。高松駅は現在仮駅になっており、2001年に完成予定になっている。のりばの番号が0、1、2、6、7、8、9と並んでいるのも仮駅だからだろうか?
高松を出てからは、丸亀で丸亀城を見たところまでは覚えているのだが、辺りが暗くなったからかその後また記憶が飛んでしまった。岡山から船上を除いて眠りっぱなしで、やはり疲れていたようだ。電車は観音寺止まりでなく伊予西条行きだったので危なかった。
高松行きのフェリーの船上で、玄倉川キャンプ水難事故のニュースを知りました。去年も今年も川のすぐそばで流星群を見、またそのまま眠りにつくことがあっただけに、気をつけようと思った次第です。(クマも怖いけど)
三江線で「鉄道マニアすら見かけない」状況を嘆いていますが、彼らの多くは2000年春に廃止されると言われている可部線非電化区間(可部〜三段峡)に向かったようです。
京都にUターンしてから八ヶ岳の様子を聞くと、12日の夜は曇っていたらしく、11日の夜に何個か流星が見えたそうです。去年に引き続いて、関東・関西とも天気には恵まれなかったようで、去年今年と続けてそれなりの数の流星を見た人はそうそういないはず。ちょっとした自慢です。:-)