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 ばら カーネーション  かすみ草 ゆり 他花    

      花ものがたり                                      ―――始めに――  ここでは、それぞれの花達での思い出やそれにまつわる話とかを思い付くままに書いて行こうと思うので、きっと話の順序などには系統が無い事になってしまうだろう。
しかし、ここには今までの私の人生での見聞きした事や経験した事などが多分に出ているので読み進んで行くには面白いのでは無かろうかと思う。今後の続きは暇を見つけてつれづれに書くので、順次につながっては行く事であろうから気長に読んで下さるようお願いする。
                 
             の話――
バラ科バラ属。
この漢字は今では辞書だけに見られるくらいで、いざ書けと言われても間違いなく書く事は出来ないだろう。
漢字だから中国でも使われているかと言うと、あちらではこの漢字は今では辞書だけに見られるくらいで、いざ書けと言われても間違いなく書く事は出来ないだろう。
漢字だから中国でも使われているかと言うと、あちらで 瑰(メイクイ)と言う字を使っている。この字の本来はハマナスの名前なのだが、どうもバラの原種がこの種から来ている為か、それとも茎に棘があると言う理由かどうか解らない、しかし、棘の為ならばピラカンサがバラ科は解るが茎に同じ棘が有ってもサンキライはユリ科である、それはさて置き、サルトリイバラは実名での漢字は山帰来と書くが、中国では火棘の字を使っている。ところがこの品は近年日本で人気が出た為に中国でも山帰来を使うようになっているのが面白い現象と言える。
 この種類(バラ)に関して薀蓄を傾けるとすると一冊の本でも少ないくらいであるが、ここではまず栽培の事からにしよう。
そもそも、バラの原種は庚申バラや野バラなどで、現在の品種はこの改良から出発していて、今の園芸種が出来上がった訳である、だからその性質は丈夫でなければならないが、あまりの激しい改良の為に極めて抵抗力が弱くなり過ぎてしまっている。それでもまあ近年、もとにに帰って庚申バラなどが見なおされてきているのは良い事で有ろうが。
 品種改良も近年のメリクロンやDNAなどの方法が発達して割合に簡単になったが、昔は品種が固定するまでには数年もかかったものである。
新種を作るにも花粉で受粉させ、種から増殖するか、畑で枝変わりが出ると、それを固定して数を増やしそれを新種として登録品種にしたものである。
それから見るとメリクロンだと一つの成長点を分割する事で同一の性質を持つ物が一虚に数万本にも増殖出来るのだから科学の力は恐ろしいくらいである。
 Meristem clone(略してメリクロン)とは同じ性質の細胞の分裂組織を言い、この方法を簡単に説明すると、まず、植物の成長点を刃物で小さくカットする方法と、もう一つは植物の若い組織であればどの部分でもよいが、その少量をミキサーで細胞近くまで粉砕する方法で、前者はそれを、後者はそれを又、銀の網を通して組織を揃えた上で、培養液(この液がポイント)を加えた寒天上で温度や光線を調節しながら培養するので必ず部屋の中で栽培しなければならない。
それが或る一定まで成長すると、今度は外に出して外部に順応出来るような苗になる様に調整しながら育てる、それがメリク苗として畑で植栽されるのである。
 この方法は始めは野菜だけであつたが、近年の花卉栽培に於いても大部分の品種がこの方法で品種改良や増殖が行われているので品質が一定になってきている。
 実際の栽培に於いて、バラの改良種は余りに花にばかり重点が置かれて作られているので、木全体のバランスから見ると根の方の力が極端に弱い、そこで丈夫な野バラを台木として使ってバランスを取るのである。
 その方法は、指の太さの野バラを十五センチほどに切り、砂などに挿して発根させたものを台木とし、割接ぎや芽接ぎと言う方法で苗木を作りそれを栽培する事で木が丈夫になるので良い花が咲くのである。
 次は剪定で、これは極めて大事な作業で、この技術が花の良否や開花時期を左右し花にに多分に影響して来る。
 因みに周年開花のバラを剪定することで開花時期を或る程度調節することが出来るので、この方法がバラの営利栽培に利用されている訳である。
 一般の人でも剪定(剪定は休眠と同じ)する事で自分が望む時期に開花させる事はさして困難ではないが、それには思い切り深く切り込む事が大事な技術であるが普通の人どうしても木を大切に思ってしまい、深くは切れなくなってしまい思う様にならないのである
 この剪定での中国の話であるが、それも近年はようやくこの技術について認識して来たけれど、昔からの栽培方法で剪定をして休ませると言う習慣がなく、年間を通じてだらだらと咲かせてその品を切花として販売しているので、バラの木がだんだんに丈が短くなり、それで花も小さくなってしまう、それがどの花店にも良い品が無いと言う事にもつながっているのである。
 過去の栽培では最初にドイツが技術と施設を持ってきて合弁農園などを造ったけれど結局失敗、次はオランダ、台湾と入ってきたけれど、かれら中国の意識や習性を根底から変える事が出来ず、今だに中国での完全な栽培の成功者はいないようだ――私もその点では人事では無いけれど――。
 品種にしても十年一日で同じ品種を栽培している(これも、そんな品物でも売れる事によるのだが)ので品種の性質が完全に退化してしまっているのでこれではとても良い花など咲く訳が無いのである。
 過日、上海近辺では一番と言うバラの国営農場を、朋友の自慢話を聞きながらの案内で見に行って来たけれど(シンガポール資本でオランダの技術)ここは設備だけは立派だけで中身が何ともお粗末で観光バラ園にも劣るようでお世辞も言えなかった。
そこは開園五年目だと言うから、確かに最初は品種も良いものが入って来ていたらしいのが判るが見る限りでは剪定の失敗であろうか木型がまるで見る影もなくなっていて、花立ちは既に中国の形になってしまっている。
 これは中国の、人とか公共のものと言うと、どうしても大事にしない風習から来るのだろうが、上海、馬橋の或る農場などでは合弁が引き上げた後は設備(暖房機材や付属機材)を順次売りして農場の資金にしていた所も有ったくらいで、一旦、始めさえすれば後はあまり気にしないようであるから、それが栽培にも現れているのだろう。
 北京でも日本の或る大企業がバラの栽培農園を始めたと言うので見学したけれど厳しい気候の為に相当苦労している様子であったが、その後の情勢を知りたいものである。
 切り前しても一定ではなく、蕾から咲いてしまったものまで混じっている、これは使う側からはその時に応じて利用出来るので重宝と言えるかも知れないが商品価値としたら基準の取りようが無く相場の設定が難しい事であろうと思う。
 市場での商品の扱いも粗雑であり売り場にバラの束をうずたかく積み上げて売っているこれは韓国の市場でも同様に扱っていたが、私が市場での指導などでは特にその点を厳しく教えて来た関係で殊更にそれが目に付いたのかも知れないが。
 一昔前の日本でも、露天で水上げもしないで束のまま並べ、そこに水をかけて売っていたのを見かけたが、いまだにあれに近い光景を目前にする時、ここが前進途上であるのが実感として伝わる。
 どうしてかと言うと、植物は生きて刻々と成長している訳で、それらは葉裏の気孔で呼吸をしていて、それをふさぐ事は細胞の壊死を意味しているのだからである。
特にひど酷い例では前述の上海のバラ園では切花にした物を頭の先まで水につけて水上げだと言っていたがこれでは直ぐに枯れてしまうのは間違いない。
水上げに葉の裏側からの打ち水による方法も無い訳ではないが、長時間に渡って気孔を塞いでしまうと、その後での日保ちが各段に悪くなる。だから生産者が雨に濡れた物は切らないとか、水上げをするのでも、生け花でも葉が水の中にはいるのは嫌うのである。
ただ、ここで誤解されると困るのは雨に当たると全て枯れてしまう様に聞こえるが、植物は自然では上手く雨が流れるような形の葉や姿に進化しているのでその点は心配する事がない訳で、ただ大雨で水に全部が漬かってしまったような状態になる事を言うのである。
 特にバラの場合は葉の厚みが無く薄いので、この水での影響は特に顕著と言えよう。
 花の形での話は学術的分類にすると判り難いので見た目で分けてみる、まずは鑑賞用の大きく咲く種類がある。このようにバラ園や公園で見掛ける様に大きな花を咲かせるには種類もよるが、これには剪定によって花の数を少なくしなければならない、もし自然のままにして置くと小さな蕾が沢山て全て咲いてしまい、どんな種類でもスプレーの様になってしまう事になる。
 近年、人気が有るスプレーバラはこの面から見ると簡単に栽培出来る様に思えるが、営利栽培ではシュート(花の咲く茎)から数本は採花出来る、しかしスプレー咲きだとそれらを一本として切ってしまうので本数が出来ない。
 大きな花では平均に花弁の枚数が多く、多い物では七八十枚も有る種類もあり、花弁にも先の巻いた物や平たい物など多彩で、通称、形で前者などはアメリカ型などといろいろな呼び名も有るが、これらは花壇用品種が主で切花には余り適さないから、もし欲しいと思っても一般の花店には切花として無いと言ってよいだろう。
 切花に使うのには中輪が多く、営利栽培用に改良された品種が主に使われ、生産者は高価格維持の為、常に新品種を追いかけている傾向が有り、今の人気品種でも数年も経たずに廃れて入れ替わってしまう事もある、しかし中には年が過ぎても趣向が落ちない品種は数多く残っている。
 色も基本色は別として、その年毎に流行色があり、単色毎でも濃い薄い鮮やかとかの傾向が有るが、これらは服飾界からの影響によって変わって来るらしい。
 花束でも贈られて一番うれしいのはバラの花らしいが、需要から見ると西洋ではバラが一位らしいが日本では相変わらず一位は菊であるが、これだけ生活様式が西洋化して来ると近いうちにこれも変わってしまうかも知れない 。
   
カーネーション 
オランダ石竹
ナデシコ科ヨーロッパ、西アジア原産。日本の一時代前の花屋の店頭では貴重な商品で、 その頃は菊類の他はダリヤとかグラジオとかが殆どで、その中にあってカーネーションは特に主要な花材で有った
 その当時は今の田園調布近辺が主産地で、市場では売る為の品を電車で農園まで取りに行き、抱えて電車で帰ったと言うくらい貴重であった、それも次第に横浜方面などに産地が広がり、戦後には全国に産地が出来て一世をふうび風靡するに至った訳であるが、十数年前には消費者の趣向もあたまうち頭打ちとなり一時は生産者の存亡とまで言われるくらいになったけれどスプレー種の導入によって近年ようやく需要も回復したような経過を持っている。
 近頃では種類が増え過ぎて分類するのにも苦労するくらい多種目であるが、一般にはスタンダードとスプレーとボーダーとかナデシコ系ぐらいにはわけた方が判り易い。
 始めの頃の種類は主にピーターと言うピンクの温室物が殆どで、その後に長野で田んぼの稲の転作にローズピーターと言われるような丈の短い物が作られる様になり、温室栽培物と平行して露地栽培物として年間の需要に間に合う事が出来る体制となって始めてカーネーションの時代えと移って来た。
 その上、戦後はアメリカに影響されて母の日やクリスマスなどが盛んになり、特に赤い色のコーラルが全盛の時代となったけれど、中輪の為衰退したが近年は再認識されつつあるようである。
 数年前の事、私が中国でやっていた農場にオランダのスプレー苗を導入しようとしたところ、中国の関係者は皆が栽培に反対で、これは絶対に売れないと言う。しかしそれを押し切って十数種類の苗を植え付け、翌年上海の市場に出した所、最初はそれまで認知が無いので売れ方も悪かったが、その後は一度買って行った者にはその良さが解り、2年目には驚くほどに人気が出て、新種の苗も更に十五種ほども輸入するようになり、それがスプレーでは上海の市場でトップの農園になった事もある。
 カーネーションは日保ちがしないと言うイメージを持っている事と、今は余りにも一般化しすぎてしまって希少価値的要素が薄れてしまっている、しかし日保ちの問題は近年殊更に発達した処理剤や鮮度保持剤の効果のお陰で、この問題はそれなりには払拭出来たと思われるが、価値観については今一つ人気が出ないが、最近にはバイオで出来た青い色の物などが出始めているが、これでも何処まで需要が挽回出来るかは疑問である。
 苗作りはわき芽の発根で簡単に出来る、しかし近年の新種にはパテントが付いている物が多いのでそれも規制されてしまっている。又、自家採苗に頼る事は品種の劣化に繋がるので、ここでも必然的に主役はメリク苗の登場となる。
 今、カーネーションの産地は世界中に出来ていて確かな輸送手段が確立出来れば全体の単価は急速に下がると思えるが、現時点では些かこの輸送が難点になっているので国内生産品の価格安定が続いている事になっている。
 カーネーションはエチレンに非常に弱く、自身でも成長過程でこのガスを出し、これが又自分の老化、熟成度を早めていることが原因で日保ちが悪いと言う現象なるのである。
そこで考えられた方法として、エチレンの発生を押さえる事と、出てしまったガスを吸い取ってしまうと言う原理になり、それを押さえる物質が銀(Ag)であるが、この元素は単体では植物は吸収しないと言う性質があるので、それをどうするかと各社が研究して吸収出来る物にしたものが市販のSTSと言われているような花の保持剤であり、これが花の需要を押し上げるこ効果を齎している。 つづく


の話――
キク科、ヨモギ属の多年草
今では日本の国の花のようであるが、原種の発生源は今も確定していないようであるが、八世紀ごろ(奈良時代)中国宋の時代に渡ってきた栽培種で、永年の間に日本や西洋で品種改良され今のような形が出来上がり、今では世界中で栽培されている。
菊と言う呼び名は中国でも菊華として使っているので、日本に渡来した時の名前をそのまま使っていることになるのだろう。
日本で本格的に鑑賞用に改良されたのは徳川時代から明治にかけてで、既にその頃は多数の品種が出来ていたこの頃はよくマムと言う呼び方をするが、これは英語のChrysanthemum(クリサンセマム)(クワ属の葉のようなと言う意味)のマムだけを使っているが本当はこの仲間は数十種類も有り、我々が日常、菊と言っている種目はChrysanthemumの中のmorifolium RAMなのである。
私と菊との縁は古く、実家が菊の生産者であり、子供の頃から菊畑の仕事を手伝わされていたので花の中では特に馴染みがあり、この事がこの業界にはいるきっかけとなっており、今でも中国の農園で菊作りの指導などをしているのであるが根底は自分の思う様に菊を栽培して見たい事から出ている。
菊栽培の進歩は日進月歩以上の速さと言うより、時間との戦いと言えるかも知れないくらいで新品種など春先に市場などで少量見た物が一年後には大量に出まわってしまうくらいで、パテント付き品種でも外国から別の名前などで入って来たりするくらいである。
これも他の品目に比べて割合に増やすのが容易である事にもよるが市場側や消費者が新しい物を欲しがり過ぎるのに起因しているのだろう。
―――栽培や品種、分類に関する薀蓄は別のページを作って見ようと思うので詳しくはそちらで―――
菊の咲き方と言うか切り前であるが、日本では蕾で切り(咲き方に一から十まで十段階のランクが有り、この場合はランク三乃至四)それを活けてから咲いて来るのを鑑賞するが、西洋や中国ではいっぱいに咲かないと切らない。
本来、花は満開になった時が色も美しく、木に力も有るのだから、この方法が自然ではあるけれど、これでは運搬や持ち運びには不便である。
 花を飾る、活けると言うのは中国から仏教と一緒に伝わってきて変化し、武家の床飾りになり、お茶の作法に合体して流儀となったのだから、基を正せば花は仏に飾るのが正道と言う事になる。
最初は仏花として蓮の花が使われた、その名残は今でもお寺などの仏像の脇で見ることができる、それがその後はいろいろな花が使われる様になって立て花の形式が生まれ、その形式を小型にした物が今の仏花と言えよう。
立て花も、お寺の僧侶がその花を飾るのに形式を作り、それが室町時代の武家屋敷の床に――その時代には今のような床間がなく、そのくらいの大きさの板に鎧や香炉を置いた――、その脇に飾った花が基になっている
その上、その頃渡来した茶の湯が僧侶の間に広まり、茶の湯の作法に合わせた生け花の作法と流儀とになり、仏花とは別な道として発達してきた訳である。
だから、同時に渡来した菊の花が仏花として使われるのは至極自然と言えよう。
日本では菊の花を部屋に飾っても忌諱はないが、西洋では菊は喪の花と考えて、部屋飾りにするには今でも抵抗が有るようだが、現代風に改良されたスプレーションなどは菊と言うより洋風花と言った方が合っているくらいで、今ではマムと呼んでアレンジなどにも盛んに利用されている。
 ついでに前に少し書いけれどここで仏花に付いて話して見よう。
     かすみ草(霞 )  ががいも科、通常にかすみ草と言っているこの花には、古くから有った一年草の草カスミと所謂宿根カスミとの二種類があり、現在盛んに使われている宿根カスミは1759年に紹介された物で、代表的な八重咲品種のブリストル・フェアリーは1925年に作出されたくらい新しいし、本格的に使われ出したのはこの十数年前からで、それまでは草かすみがほとんどであった。
一般に宿根カスミ草も混同しての使われている名前としてのGypsophilaは草カスミの属名前で、宿根カスミではPaniculataと呼ばなければ偽りと言う事になるが、今では逆にジプソフィラが宿根カスミに変わってしまったのが面白い。
草カスミは畑に実生栽培出来るし、密植の方が使い易い物が出来て価格も手頃なのであるが、露地栽培が主なので開花期が限定してしまうので、需要が五月の母の日などに片よってしまっている。
その点、宿根では殆どの調節栽培が可能なのと、地域の気候などで特色を出せる事で多収益が上がり、一時期は営利栽培の花形となった事もあった。
苗作りは、現代は全てがメリク苗である、本来この種の八重咲では結実せず、種が取れないので当初の生産者は一重種のマンギニィーに初夏割接ぎしたものを栽培していたので大変な高価格になってしまい、販路が余り広がらなかったがM種苗がメリク苗を大量に販売した事で一挙に生産が拡大し、誰の手にでも入り易くなった事で消費者への認知が出来あがった。
年毎に新品種も作出され目新しい物もあるが、もともとが飾り花としては主になる品目ではなく、主の花を引きたてる為の物である事は間違いない。
今では、どんな花にでも添え花として使われるくらいに庶民化しているがそれなりのには歴史は持っている。
中国の花市場での光景で、カスミ草やスターチ―スは目方(竿秤でぶら下げて計る)売り買いしている、それも一抱えほどもある稲束の様な大束で無造作に積み上げて売っている、日本での良品では一箱が40から60本の物も有るのを見ている目には何とも形容し難い事であった。
生産地育成での苦労話やエピソートなどはべつの機会に。

    の話      
 ユリ科の多年球根草の総称。百合の字を使う。仮に"この花はどんな花"と聞かれた場合の説明方法として一番簡潔な表現は――六枚の花びら(花被片)を持つ両性花――と言う事くらいが適切だろう。
 何しろ、現代では日本在来種、外来種と品種や品名が次々に世に出て来るので業者でも記憶するのが追いつかないくらいである。
だからここで専門的に分離、解説する事には何ら意味がないだろうからここでは一応概念で分けて見てみようと思う。
 この種は現在切花として使われている物の中では比較的在来種とそれらの改良種が比較的に多い品目と言えよう。中でも山ゆり、笹ユリ、乙女ユリ、鬼百合、などは在来種のままでも今も多数使われているが、それ以外では在来種でもヨーロッパの品種などとの交配や改良によってまったく違った別の品種になって帰ってきたような物も数多く有る。
 テッポ−ユリ系やアジアンテック系とかオリエンタル系とか今では分けられているが、基を辿ればこれらの原種に繋がっているのである。
例えば、いま人気がある品種でカサブランカと言うような大型花も、実は為朝ユリの系列と山ユリ系を交配する事などで作り出されてきているのである。
 在来種の中では特に昔から知られている物に通常鬼百合と言われている車ユリ系で赤黄色の花弁が丸く反り返った物がある。近頃は他の品種に押されて割合に少なくなってしまったが私たちの子供の頃は村のどの家の庭先などでもこれの群生しているのを見る事が出来たし、この球根は料理に使われ栗の様にホクホクしていてにが味の有る料理と共にこの品種に付いては取り分け思いいれが有るような気がする。
夏の初めのにカンナやグラジオラスなどに混じってこの花の咲いている所に、カラスアゲハ蝶がぶら下がり、ゆっくりと羽根を動かしながら蜜を吸っている光景などは、過ぎ去った子供の頃の思い出のページの一部品と言える。
この球根も今は八百屋などでは山ユリの物が売られているけれど、昔の祭日などの家庭でも料理には欠かせなかった材料なので鑑賞用と言うより野菜のように各家庭で栽培していたのであろう。
茎の細長い葉の脇に出来るムカゴ(珠芽)の黒い玉などもゴムデッポ―や竹デッポーの弾として子供の遊びの必需品でもあった。
このムカゴは栄養を蓄えていてここから芽が出るから種とも言える、もしこの方法で増やそうと思うと発芽しても球根の肥大に三年以上も時間が掛かる、昔はこの方法でやっていたがその後はユリ類の増殖には鱗片繁殖と言う方法を取っていた時代もあった。
これは球根の鱗片を一枚づつはがして、それを挿し芽の様に土に挿して発根と発芽をさせて増やしたものであるが、それも現代のメリクロンの発達などで今ではそれも昔話のようになっている
 開花させるにしても、植物なのにまるで商品を製造する様に精密に計算された処理によって栽培され、今ではこれらの本当の自然の開花時期が皆に忘れられてしまった気配さえするし私自身でもそう思えてしまうこともある。
 これはユリに限った事ではなく、特に球根類は概ね同じであるが、花の栽培
全体の方向がそうなってきてしまっている。
処理は――何度Cで何日間冷凍して外に出し、植え付けから幼苗の間は何度C、その後は日照が幾日で何度の高温にし、ジベレリンなどの薬剤の添加等とで何日目に開花する等――最終的に誤差が一週間ぐらいであると言う。
このいろいろな処理による栽培の調節は、今では花卉の全般に行われていて、球根類では冷蔵処理、バラは剪定、カーネ、菊などはピンチ(成長点のカット)
加温、電照、被覆(シェード)、冷房(コチョウラン)など多岐に渡り、それらの自然開花の性質さえ忘れられてしまっているのは確実であろう。
 しかし、花は自然で咲いている姿が最も美しい、だから反動としてか天然物の良さは年年見なおされて来ているようなのは至極当然と言えよう。
女性の美しさを称えるのにも"野の花の様""谷間のユリの花の様"などと言われているのは鹿の子ユリや乙女ユリ(これは笹ゆりの別名)などが山野に咲いている姿からの連想であって、これがカサブランカやマルコポーロの開花からは美しさは有ってもどうしても清楚な気配などは感じる事は出来ないだろう。
私などはガン黒と言われている子供達では黒ユリや変わった服装の女性からはアジアンティックのユリ達を思い浮かべてしまう様である。
 テッポーユリも変わった。以前、松本の小井戸微笑園さんが作り出した青軸の品種を見た時の情勢から今は一変し、佐伯一号から永良部とか日の本とかジョウヂャ、新テッポーとかまったく姿が変わって来ている。
これらは人為的に作られた故に咲いた姿は美しいかも知れないが、これを天然に置いた姿は自然の景観から見るとミスマッチな部品に見えよう。
もし、これを自然に置くならば笹ゆりなどの対象物としてウバユリの様に豪快に咲かせた方がこのゆりらしく思われるのは私の独善だろうか。
 その点では山ゆりは飽くまでも自然の姿と言えよう、しかし彼らにも生活範囲規制と言うハンデがあり何処でも栽培する事が出来ず、近畿以北でないと品種の特性が維持出来らしいが一般には箱根がその限界ラインとも言われている。
 この種の天然物は球根を食用にする為商売人たちに乱獲されてしまい、現在では逆に保護する為に自然に植え込んでいる所さえあるのを見る。

ライン

 終わり 戻ります