『オアシスだより第3号発行にあたり』  清野鍼灸整骨院 院長 清野充典

 はやいもので立冬(十一月七日)も過ぎ、今年も残りわずかとなってまいりました。

寒さが本格化してきます。
会員の皆様にはお風邪をひかないようにご留意いただきたいと存じます。

 そこで冬の養生法のワンポイントを申し述べます。
寒くなると人間の皮膚は縮まり、体温の放出を防ごうとします。
家の中で汗を掻くほどの暖房の中にいますと皮膚が開き、夏の状態になります。
そこで暑いからと窓を開けたり外へ出ますと、冷たい風などが身体の中へ入り込み、風邪をひきやすくなります。
冬にハワイなどへ旅行し日本へ帰ってくると体調をくずしやすくなるのはそのためです。
衣服をよくまとい、室温を一定に保つことが大事でしょう。

 十二月十八日(木)には会員の皆様の体力測定を実施したいと企画しました。

お時間がございましたら是非おでかけ下さい。皆様の会に対するご質問、ご要望、ご意見をお待ちしております。

■ 目 次 ■
 ‥‥……第3回 日本での鍼灸治療の発展……‥‥
 ‥‥……第三話 お灸法……‥‥
 ‥‥……その3 血液のあらまし……‥‥
 ‥‥……Part2 こむらがえり……‥‥
 ‥‥……3の巻 養生訓〜貝原益軒……‥‥
 ‥‥……(3)食生活と長寿……‥‥
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 第3回    『日本での鍼灸治療の発展』  文責 今田開久

 中国で二千数百年前に完成したと言われる鍼治療ですが、日本にはいつ頃伝わりどのように発展したのでしょうか?
 西暦400年頃に朝鮮から中国医学が伝えられたのが始めと言われています。
やがて遣隋使、遣唐使とともに医学留学生が出かけるようになり、随唐の医学がたくさん持ち込まれるようになったのです。
文武天皇の大宝令で初めて医事制度ができ、医師、医博士、医生とともに、鍼師、鍼博士、鍼生が定められました。
平安時代の中ごろには鍼博士の丹波康頼が、中国の医書200巻をまとめ、日本で初めての医学書「医心方」30巻を著わしています。
東洋医学の全盛期です。
しかし、平安時代も後半になると、病気のときに医師が呼ばれるより僧侶や祈祷師が呼ばれている方が圧倒的に多かったそうです。
  これは、当時の医師たちの実力が低かったためか、または僧侶たちが医師の身分を低くおさえるために政治的に仕組んだのではないかと言われています。

 鎌倉時代になると、仏教活動が盛んになるにつれ医療も僧医によって行なわれるようになりました。
そして、医学も日本人に合ったものに作り変えられるようになり、医療はいっそう庶民のため、病気の人すべてを救うためのものになったのです。

 鍼灸治療の発展で一番重要なのは江戸時代です。
それまでわが国の医学を支えてきた僧たちは、特権階級となり庶民から離されました。
医学は仏教徒から、儒家の手に移ることとなったのです。
この頃に金や銀の鍼、日本独自の細い鍼などの日本人に合った鍼具や技術が開発され、治療効果 を上げるようになりました。
  また、江戸時代初期に盲目の鍼医である杉山和一が細い管を通して鍼を刺す方法(現在、日本のほとんどの鍼治療がこの方法です)をあみだしました。
この事が視力障害者に今日のような鍼灸治療の道を開いたと言われています。
  また、この時代までは、現在の鍼灸治療・漢方薬のようには別れておらず漢方医学として一つのものでした。
  しかし、新しい鍼具や技術の開発によって、治療技術の習得が難しくなったために、鍼灸と漢方薬が別 れることになったと考えられています。  
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 第3話 『お灸法』   文責 眞野 仁

 前回、家伝灸『峰の灸』をネタにした落語「強情灸」をご紹介しましたが、昔のお灸はごそっとモグサを摘んですえ、恐ろしく熱い、背中に大きな跡が残る、そんなイメ−ジがあるかもしれません。
確かに、民間のお灸治療法として、この大きなお灸はずいぶん広まったようです。
お灸のすえ方には幾つか種類がありますが、こういった背中に大きな跡が残るのは『打膿灸』と言われるお灸のすえ方です。
小指、もしくは親指の頭くらいの大きさのお灸を1〜3回すえ、その後お灸跡に膏薬を貼ってそこから血漿リンパ、膿などの液を出させるお灸法です。
とにかく有名なものは、東京下町の「弘法様のお灸」でしょう。
その名前からよほど昔から行われているものと思いきや、意外や意外、弘法様のお灸どころか打膿灸自体がオランダの医学(外科)の治療法の影響を大きく受けて確立されたもののようです。
もっとも、似たものはオランダ医学のはいる前にもあったようですが。
お灸の刺激によって体(内臓)を丈夫にすると同時に、お灸の跡から液が出ることによって、神経の中の毒を抜くと考えていたようです。
昔は盛んに行われていた打膿灸も今は下火となり、一般の鍼灸院ではほとんどされ無くなってしまいました。

◎お灸法の種類

大きく分けて2つ  
(1)跡の残る『有痕灸』
  この中には先にあげた「打膿灸」のほかに、チクッと熱いけれどお灸の跡の小さな「透熱灸」、「いぼ」や「魚の目」を取るためにすえる「焦灼灸」があります。
(2)跡の残らない『無痕灸』
  ショウガやニンニクを薄く切った上にお灸をのせてすえたり、タバコ灸のように燃えているものを触れさせず、近づけて熱くなったら離す方法、漆のように皮膚に刺激のあるものをちょっとぬ ってやる方法などがあります。
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その3 『血液のあらまし』  清野鍼灸整骨院 院長 清野充典

■血液とは?
血管の中を流れる赤色の液体を血液といい、血球とよばれる小さい粒と、血漿と呼ばれる液体からなりたっています。

■血液のはたらきは?
(1)ガス交換…からだの末端の細胞に酸素を運び、代わりに二酸化炭素を持ち帰ります。→《赤血球》  
(2) 栄養分の運搬…細胞に栄養分を運んで、新陳代謝で生じた老廃物を持ち帰ります。→《血漿》
(3) 水分・塩分などの調節…からだの細胞が必要な水分・塩分・カルシウム・リンなどを調節します。→《血漿》
(4) ホルモンなどの運搬…からだの細胞や内臓の活動を促すホルモンやビタミンなどを運びます。→《血漿》
(5) 有毒微生物の防御…外部から侵入してくる細菌・ウイルスなどを攻撃し、体を守ります。→《白血球》
(6) 止血作用…血管が損傷したとき、血液が凝固して管内に血栓を作り、血流を止めます。→《血小板》
(7) 体温の調節…主として、からだの中心部で発生する熱を、全身をめぐる血管で放散し、体温を調節します。→《血漿》

■血液に関係する器官は?
心臓・肺臓・脾臓・肝臓・腎臓などのほか、骨髄・血管やリンパ系の器官が血液に密接に関係しています。日本人の死因の第1位 は悪性新生物(ガン)ですが、21世紀には循環器系の疾患が圧倒的に多くなると考えられています。
このことから血液に関係する臓器・器官は要注意が必要です。

■はり・きゅうをすると…?
血液の流れが滞ったりする症状が改善されます。
治療中または治療後に手足や体が暖かく感じることを経験することは多いと思います。
俗にいう「血行がよくなった」ためです。
これはサ−モグラフィ−という画像でも確認されています。
血液の寿命は90〜120日です。血球が老化してくると、動きが悪くなり、酸素をはじめとしたいろんな栄養素を運べなくなり、血管の内側にくっついたりして、ほかの新しい(若い)血液を妨げたり、流れを止めてしまったり(血栓)します。
こういう血液を漢方では「血(おけつ)」といいます。はりやおきゅう、また特に吸玉 療法は、この血を取り除くには最も有効な治療法です。当院では世界で最も独自な『血吸圧法』を用いてこれにあたっております。循環器系の病気に有効な西洋医療は現在見当たりません。21世紀の医療としてはり・きゅうが注目されているのもこのことが1つの大きな理由でもあります。
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その2 『誰にでもできる救急法』 清野鍼灸整骨院 院長 清野充典

『こむらがえり』〜足の先をつかんで手前にひっぱる
土踏まずやふくらはぎがひきつったようになり、激しい痛みとともに動けなくなることがあります。
これを「こむらがえり」といいますが、しばしば水泳中に起こることがあります。
このため泳ぎが不可能となり、溺死する事故も少なくありません。
発生する場所によっては恐ろしい結果となりますので処置のしかたを覚えておく必要があるでしょう。

 もし水泳中にこむらがえりが起きた場合にはあわてずに、まず息をたくさん吸い込んで、顔を深く水中につけましょう。
背中だけ浮かぶ「くらげ泳ぎ」をしながら、足の先をつかんで、反らすように手前に引っぱります。
一度でだめなら、これを何回もなおるまで繰り返して下さい。
もし治らなければ泳ぐことができず溺死してしまいますから、とにかく何回もこの方法を繰り返すことです。

 こむらがえりは、急に激しい運動をしたり、足を冷やしたりした時に、筋肉への血液循環が悪くなって起こります。
水泳前の睡眠不足や朝食を抜くことは、こむらがえりの誘因になりますので、充分に休養と栄養をとることが必要です。

  また、高齢者や妊婦さんは日中のみならず、夜間、特に睡眠中にこむらがえりが起こることがよくあります。
これは、睡眠中は運動性が小さいため、特に明け方に足元が冷え、血液循環が悪くなるために起きると考えられます。
また妊婦さんは胎児に相当の血液をとられますので同様のことが起こるわけです。
眠いからといって足先を引っ張らずに放っておくと、朝目覚めたときにふくらはぎに痛みが残っていて、それが日中もとれなかったり、また立ち上がったときに立てずにひっくり返ることも考えられます。
痛みが残っていたらあまりもまずに暖かい蒸しタオルをふくらはぎに五〜十分あてて下さい。

 こむらがえりがたびたび起こる場合は、鍼灸治療をおすすめします。
妊婦さんの場合などはお腹がつかえて足先をひっぱることが困難で、どうしたら治るのか悩んでいる人が多いようですが、一〜二回の鍼灸治療で良くなる場合がほとんどなので是非お試し下さい。
 また、痛みがひかない場合も放っておくと膝や腰などに痛みが波及していきますので、なるべく早いうちに治療をうけたほうがよいでしょう。
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 3の巻  『養生訓〜貝原益軒』   文責 伊賀裕一  

 我が国で養生に関する書といえば、貝原益軒の「養生訓」を第一に推すのに、ためらいが何もない程有名になっています。
誰もが理解できるように、繰り返しの文章が多く、一人でも多くの者に養生に関する教えを残したいという彼の願いがにじみ出ているといっていいでしょう。

八十四歳の時(正徳三年、一七一三年)の筆とは思えない気力に充ちたものです。
実はこの以前に「頤生輯要」(天和二年、一六八二年、五三歳)を出しています。
これは「養生訓」の下書きの性格があり、従来の医書から養生格言を撰したものです。
その説くところは、どちらかというと「体」についての養生であったが、約三十年たった「養生訓」では、その第一は「心」の養生について書いてあります。
つまり彼はこの三十年ばかりの間に、養生の根幹としての心の持ち方、心の生かし方を会得したといってよいでしょう。

 「養生訓・巻二」で病は気からということをいい、気を調え、呼吸を静かに調え、臍下丹田に気を集めることをいっていますが、今でもよく使われる言葉がこの書にはたくさん書かれています。

 今回からしばらくこの書の中で皆さんのお役に立てそうな部分をご紹介させていただきたいと思います。


 人間の貴さ、天地・父母の一環として、人の体というものは、父母を本とし、その父母をたどっていけば天地の始まりである。
それだから天地父母の恵を受けて生まれて、また育って養って下さった身体だから、自分のもののようであって、自分だけのものではないことをまず知らなければならない。
天地の賜物、父母の残された身体だから、慎んでよく養い、損ったりせず、天寿を全うするよう心がけるべきで、これが天地や父母に仕える孝の本である。
死んでしまったら、父母に孝養もできなくなる。

 しかし、多くの人々は身体を養うということを知らないで、欲のおもむくままに暮らし、身を亡ぼし、命を失ってしまうのはまったく馬鹿げたことだ。
身体と私欲との軽重をよく考え、毎日毎日慎むことを第一とし、私欲の恐ろしさは、深い淵に臨むよう、また薄氷をふむような慎重さで生活すれば命長らえ、災難もふりかからないだろう。
もし命が短かかったら巨万の富も益するところはなく、財宝を目の前に積んでも用いることができない。
だから、道に従って身を保ち、長生きするに越した福(さいわい)はない。
それでかの「尚書」(孔子が編した虞夏商時代の政道を記したもの。
宋代では「書経」という)には、長寿を五福(長寿・金持ち・無病息災・道徳を楽しむ・天命を全うすることをいう。

 他にも五福があるがいずれも長寿をあげている)の第一としている。
これはあらゆる幸福の根本だからである。

●養生の衛の効果…何事も一生懸命して止めずに努力すれば、きっと効果 がでてくるものである。
たとえば、春に種をまき、夏によく養えば、必ず秋には収穫があるといったものである。

●養生には若い頃から励め…養生の衛を知って実践するには、まず天地父母に仕え孝行し、次に自分の長生きと安楽のために行うのであるから、急を要しないことはさておいて、若い頃から養生法を学ぶべきである。

●内欲を慎むこと…およそ養生の道は、内欲(体の内から生ずる欲望)と外から入る邪気を除去し、防御することにつきる。内欲とは飲食・色欲・睡眠・言葉をほしいままにすることと、七情、すなわち怒・喜・思・憂・悲・恐・驚に注意して、外邪の風・寒・暑・湿などに当たらぬ ように心がける。

●欲を慎む…養生の道の根本は、内欲を抑制し、我慢することが第一である。そうすれば元気が強くなり、外邪に侵されない。
この元気が弱ければ、外邪に侵され大病になり、天命はもたない。
内欲のうち最もこらえなければならないのは飲食で、ほどよくとり、脾胃をおかし病をおこすおそれのあるものはとらない。
また色欲をこらえ、精気を惜しみ、寝る時間がこないのにやたらと横になったり、長時間の睡眠をとることをいましめる。
長く坐っていないで、時々体を動かしては、気がめぐるようにする。
ことに食後では必ず数百歩歩いてみる。
そしてさらに七情のとりこにならないよう気を使い、心を平静に温和にし、楽しむべきである。

 多くの人は天寿とは長いもので、短い人は稀なのである。
生まれて元気が盛んで、体が強健な人でも、養生の道を知らないで、朝夕元気を損い、日夜精力を減らせば、生まれつき長寿を持っているはずの人でも、早死する人が多い。反対に、生まれつき体が虚弱で病気持ちの人でも、このため慎み保養すれば長生きできる人もこの世には多くいる。このことはいろいろ見聞するところだから、疑いのないことであろう。

●人の命は我にあり…老子は、「人の命は我にあり、天にあらず」といった。
人の命はもちろん、天から受けて生まれたのだが、養生すれば長くもつものだが、養生しないと短い。
それだから、長命とか短命というのも自分の心がけ次第といえる。

●外物によって身を損うな…人の元気は天地の万物を生む気であり、身体の根本である。
だから人はこの気を受けて生まれ、生まれた後では飲食・衣服・住居(衣・食・住)の外物の助けで元気は養われ、生を保つことができるのである。
この衣・食・住もまた天地から生まれたものである。
しかし、この外物の養いをひどく用いすぎると、体内の元気は外の気に負けて病気となってしまう。


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今回はここまでにしておきます。続きは次号でご紹介します。



Q 食生活と長寿  〜腹八分に医者いらず〜

Q…長生きの秘訣があったら教えてください。

A…ギネスブックが認定する世界最高齢者は、フランス人女性”「ジャンヌ・カルマン」さんで、122歳と164日生きたそうです。
日本人の最高で世界第2位の泉重千代さんは120歳まで生きました。
現在の世界最高齢は、115歳の米国人男性で、サンフランシスコ在住の「クリスチャン・モ−テンセン」さんです(9月1日現在)。
いずれも相当な長生きですが、それぞれ食事の注意も自然に行っていたようです。

 経済大国日本は、金さえ出せば何でも手に入るという、物質面 での豊かさを誇っています。

 食生活においても飽食の時代、グルメ指向などと贅をつくしています。
しかしこの恵まれすぎが健康面に影響ないのでしょうか。大いにあるのです。

 腹一杯のご馳走、夜おそくまで不規則な飲食、あるいは子どもや若者の我ままな偏食等々。これでは結果 オーライとはいきません。
ある医師の研究によると、獣肉食、脂肪、砂糖など炭水化物の摂取をひかえ、魚介類、カルシウムを多くとり、味はすべて薄味にすると、平均寿命が2倍になるとあります。
  そこで健康食品の主なものを挙げますと、玄米・小豆・大豆・胡麻・梅干し・人参・ショウガ・昆布・小魚・酢・ニンニク・レバ−・はちみつなど。
これらの組み合わせで、健康の保持増進ができるのです。家庭をあずかる主婦の責任は重く、『亭主殺すにゃ刃物はいらぬ 、どんどんご馳走出せばよい』という句もあるようです。
  食生活の改善とともに、やはり暴飲暴食は絶対に慎みましょう。
古人は『腹八分』といっていますが、長寿を全うされた方々は、みな理想的な食生活で腹八分を励行されていたそうです。
  食事は自分の体調に従い、程よく楽しく食べ、酒好きの人は適度にたしなんで、お前百までわたしゃ九十九までと、幸多き人生を満喫して下さい。

 ちなみに日本古来の長寿のお祝いについて補足しておきます。

◎還暦の祝い
六十一歳(六十歳)に行います。これはその人の生まれ年(えと)が再び還ってくるという意味からです。

◎古稀の祝い
七十歳の祝いで、「人生七十、古来稀なり」の言葉からつけられたものです。

◎喜寿の祝い
喜という字をくずして書くと七十七となります。つまり七十七歳のお祝いです。

◎傘寿の祝い
傘の略字は?と書きます。
これが八十とも見えるので、八十歳を傘寿の祝いといいます。

◎米寿の祝い
米という字を分解しますと、八十八となります。八十八の長寿をことほぐお祝いです。

◎卒寿の祝い
卒のくずし字は九と十を続け書きしたものです。
したがって九十歳のお祝いす。

◎白寿の祝い
百の字から一をとりますと白となります。
その意味から九十九歳のお祝いです。
  百歳になると国から祝ってもらえます。

皆様の長寿の手助けを少しでもさせていただけたらと思っております。
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