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6−
 だが、それは唐突にやってきた。
 
「そこまで」
 
 全く不意のことだが、その声が空間全体を震わせた。
 魔王の動きが固まる。璃音達との間に割って入るように、ローブ姿の人間が空間に浮かんでいた。
「貴様…」
 呻く魔王。新たな闖入者はおもむろにローブを脱ぐ。真空中にも関わらず長い黒髪が揺れ、白いイブニングドレスの裾が翻る。髪をかきあげると、流れる光沢の向こうに白い背中が垣間見えた。ルージュを引いた唇と、それと同じくらい赤く艶やかな瞳が周囲を射すくめた。
「ミルシャルトゥ…!」
「式子さん!?」
 魔王と璃音が、同時に驚きの声を上げた。目の前の存在は、確かに璃音が知っている藤宮式子に良く似ていた。その式子は、まず璃音に微笑を向けた。
「ふふ。よく頑張りましたね、璃音。本当は早々に止めるつもりだったのだけど、貴方の成長が見たくて…。無茶をさせてしまったのなら、謝ります。許してくださいね」
 璃音と蛍太郎は半ば呆気に取られつつ揃って頭を下げた。どうやら、裏山の氏神をしているときの式子とは若干パーソナリティが異なっているようだ。あの宇宙にあわせスペックダウンした姿しか知らない彼女らには、どうにも違和感のある口調と表情である。
 式子はもう一度微笑んで、それからカーンデウスへと鋭い眼差しをぶつけた。
「私が何をしに顕現したか、もうご存知ですね? ではこれより、連続帯の決定を伝えます。
『自称"魔王"、カーンデウスおよび第五九八二宇宙の消去。これを可及的速やかに実行せよ』
 以上。
 もちろん、貴方には抵抗する権利があります。存分に足掻いていただいてけっこうです」
 式子の言い分は、つまりは『これからやっつけてやるから覚悟しやがれ』ということである。当然、カーンデウスにとっては頷ける内容ではない。
「そんな、横暴だ! 貴様らの一存で、宇宙を一つ消去するなどッ」
 激昂するカーンデウスだが、式子は涼しい顔だ。
「何をおっしゃいますやら。この宇宙にはもはや、一切の星も生命体も存在しないではありませんか。それも全て貴方の、肥大した征服欲を満たすためだけに行なわれたことです。よって、この宇宙は一度消去し、新たに創造し直すことになります。今度は、貴方抜きでね」
「おのれェッ!!」
 魔王は怒りも露わに絶叫し、タールのような全身を煮え立たせる。
「死ねぇッ!!」
 大口を開き、ビームを発射する。だが、その光芒は式子の指先で押さえ込まれ、堰き止められてしまった。
「こんなものですか」
 式子は涼しい顔で、璃音達のほうへ振り向く。
「すぐ終わるから、待っててくださいね」
 今度は完全に呆気に取られ、璃音と蛍太郎は何度も頷いた。
「では…」
 式子が指先でビームを押してやる。すると、逆流したビームがカーンデウスを襲った。
「ぐおおおおおっ」
 呻く魔王。その間に、式子は全身から白い発光体を放出した。璃音が使うエンハンサーと同様、それは式子を包んで新たな身体を作り出した。
 その全高は二十メートルほど。輝く神体は赤と白で彩られ、狐面を思わせる頭部の奥には中心核が赤く輝き、黒い髪がなびく。これが、藤宮式子の周全相である。
 魔王は、相手が自身より遥かに小さいことに安堵すると、全身の触手を式子に殺到させる。だが、式子が歌舞伎の見得きりのように首を動かし髪を振るうと、それが鞭のようにしなって触手を弾き、魔王を撃つ。さらに伸びた髪は槍のように魔王の額を貫いた。
「ぬおおおおおおおッ!!」
「これで、おしまいね」
 式子の言葉が終わるのも待てず、魔王の体が崩壊していく。そして再び、宇宙に静謐が戻った。
「さて、と」
 元の姿に戻った式子が振り向く。
 いつの間にかフォースシールドのようなもので保護されていたようで、璃音たちは床でもあるかのように、何もないはずの空間に立つことができた
 式子は蛍太郎に抱きかかえられていた璃音に歩み寄り、額に手を触れる。すると、空っぽになりかけていた璃音のパワーが最大まで回復した。
「これでよし。立派に成長したようね」
 微笑む式子。今ので璃音のパワーを測ったのだ。璃音は蛍太郎の支えを辞して自分の足で立ち、そして式子に丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。助けていただいて」
 相手が自分の知っている式子と違うことから勝手が判らず、少々ぎこちない口調で璃音が言うと、式子は微笑を崩さずに答えた。
「それはね、璃音。貴方に一緒に来てもらいたいからよ」
「え…!?」
 息を呑む璃音。式子が続ける。
「けど、私の一存で勝手に連れて行くことは出来ませんから、あくまで貴方自身に決めていただかなければなりません」
 少し間を置いて、璃音は言った。
「いいんですか? そういうの、規則違反だって聞きましたけど…」
「確かに。低次元宇宙と、その宇宙に存在するモノへの過度の干渉は規則違反です。ですが貴方はもう、そうじゃありません。まだまだ位階は低いですが、私の妹として迎え入れるに相応しく成長したのですから」
 そして、また式子は微笑んだ。
(そうか…)
 璃音は俯く。
 かねてから、力を上手く使えるようになればなるほどヒトから離れてしまうという忠告はうけていた。
 それが今回ついに、自ら踏み出した一歩とはいえ、魔王の束縛から逃れるために完全なる変容を迎えてしまったのだ。つまり、生物学的に人類と言い張るには難しい存在になったというワケだ。
 それはある意味予測された未来ではあったが、今回の式子の提案は違う。その真意を問いただそうと、式子の顔色を伺いながら、璃音は口を開いた。
「でも、その話は…。地球での生活を終えてからでいいっていうことだったじゃないですか。時間はまだまだあるからって、言ってくれましたよね?」
「そうね。確かに言った。けど、事情が変わったの」
 式子が眉根を寄せる。
「いい子だから、黙ってついてきて。悪いようにはしないから」
「そんな…」
 しばし、空気が凍りつく。
 それを蛍太郎の声が打ち破った。
「ちょっと待った!」
 そして蛍太郎は、璃音と式子の間に割って入った。
「璃音ちゃんは僕のものだ! …いや、僕の妻だ。勝手に連れて行かないでください!」
 式子はこめかみに指を当てて、感情を抑えながら言った。
「いえ。その子は私の妹よ。気が遠くなるほどの時間をかけて相応しい器を作り出し、宿らせた…」
「でも、この子は"藤宮璃音"です! 他の誰でもありません!」
 だが式子は強く首を振る。蛍太郎が更に言葉を重ねた。
「もし、もしですよ。璃音ちゃんが貴方の妹で、記憶を無くして僕のところに迷いこんだのだとしたら…それなら確かに、この子の帰る場所は貴方のところです。けど、璃音ちゃんは地球で生まれ、育って、僕と出会ったんです。だから、璃音ちゃんの居るべき場所は僕の隣なんです。それを、奪おうだなんて、納得できません!」
 その言葉に、璃音は胸を熱くした。潤む視界で蛍太郎を見つめ、知らず声を洩らす。
「けーちゃん…」
 式子はタメ息を吐いた。
「困ったわ。こんなに愛されてしまって。あの子が心を持って生まれたなら、こんな風だったんでしょうね…」
 どこか遠くを見るような、式子の眼差し。璃音は反射的に問う。
「それって、どういう…こと?」
 顔を上げ、式子は答えた。
「あの子は…私の妹は、心を持たずに生まれたの。動かず、話さず、ただ巨大なパワーだけを持って…それだけの、本当に空っぽだったの。だから名前は無いの。王家の衣装を着せられ、宮殿の奥にただ座っているだけ。でも、私の話を聞いてくれたのは、あの子だけだったわ。
 星が滅んだ時、あの子は私と一緒に地球まで来たけど…そんな状態だったから、あっけなく死んでしまったわ」
 式子の赤い瞳に悲しみが浮かぶ。
 彼女が妹に深い愛着を持つに至った理由は、璃音には判らない。異星の王族だった彼女には兄がいたというが、それに関する話は終ぞ聞いたことは無無かったことから察するに、もしかしたら王家という特殊な環境にいて、酷く孤独な状況だったのかもしれない。それで、名も与えられなかった物言わぬ妹に慰めを求めたのか。
 式子の話は続いた。
「私が高次元へと転生した時、最初にしようとしたことは妹の蘇生だった。でも、すぐにダメだって気付いたわ。だって、元通りになるだけだものね。だから私は考えた。あの子が普通の女の子になれる方法をね。その結果は、言わなくてもいいわね」
 璃音と蛍太郎は静かに頷いた。
 今までは断片的にしか聞かされていなかった情報が、これで明確に繋がった。
 はるかな昔、式子が用意した血脈。それは彼女の妹に地球製の素材で再構成された身体を用意し、そして人間としての心を与え再生させた。そこまでしてでも、式子は妹と語らいたかったのだ。
 だから、藤宮家の氏神として姿を現した式子は、いつも子供のようにはしゃいでいた。
 そのことに思い至った璃音の口から、その言葉が漏れた。
「そうか。だから、わたしとお話してるときの式子さん、あんなに楽しそうだったんだね…」
 璃音が我知らず涙をこぼすと、式子は目を丸くし、それから瞳を潤ませた。
「判ってくれたのですね」
 そして、式子は手をさし伸ばす。璃音の瞳が揺れた。
「でも式子さん、わたしは…」
 璃音は声を詰まらせてしまった。式子の顔を見ると、その先の言葉を口にするのは躊躇われた。その様子を見て、蛍太郎は決然と前に進み出た。
 そのときだ。
「ちょっと待った!」
 その声とともに、璃音と式子の間の空間にポッカリと"穴"が開いた。そこから光が漏れ、そしてもう一度、声が響く。
「待った! ダメ、ダメだよ!」
 どうやら若い女の声のようだ。
 案の定、穴からニョッキリと出てきた足は黒いタイツと白いロングブーツをつけた、女の脚だった。そして次に、白いミニスカートに半分隠れたお尻が、細い腰が、さらに璃音と同等かそれ以上かというバストと、穴を潜り抜けて順繰りに姿を現す。細い腕が穴からマントを引っ張り出すと、長い黒髪がなびき、そして美しく整った顔が露わになった。
 それを見て、式子は舌打ちした。
「…やっぱり、来てしまいましたか」
「それはもう。まさか、貴方がいるとは思わなかったから」
 女がニッコリと、だがどこか不敵に笑うと、穴が閉じた。式子も笑ってはいるが、そこにはただならぬ雰囲気があった。
 二人の関係が判らない璃音は、とりあえず目の前に現れた女を凝視した。
 年の頃は、おそらく璃音と同じくらいなので、少女といったほうが適切だろう。身長は璃音より頭一つ分上で、斐美花と同じ程度。長身を充分に生かした見事なボディラインを包むのは、璃音のパワーシェルによく似た衣装だ。ブーツが膝上まであるのと、上着の代わりにマントを羽織っていること、そして色が白であることが相違点である。そして、頭の後ろで二つに結んだ黒髪は艶やかに腰の下まで流れ、肌は衣服の代に負けないほど透き通っていた。顔立ちは見事に整っていて、薄桃色の頬と鮮やかな目鼻立ちは文句無く美しい。
 だが、璃音は首を傾げる。その顔立ちは、見覚えがあるような無いような、不思議な感覚だったからだ。最初は蛍太郎に似ているように見えたが、よく見ると違うようにも見え、他の身近な誰かの面影も含まれているような気がした。
 蛍太郎が呟く。
「あの子、目が…」
 そう言われて初めて璃音は、その少女の瞳が自分と同じ真紅であることに気付いた。本来は珍しい形質だが式子もそうだから、すっかり感覚が麻痺していたらしい。なら、少女は藤宮家と何らかの繋がりをもっている可能性があるということだ。
 少女は璃音たちの視線に気付くと、先ほどとはうって変わり柔らかく微笑んで、自己紹介をした。大きな目をめいっぱい丸くして、湧き上がる感情を抑えているようにも見えた。
「ふ…、うわっ! えー、ユウリです。あ、そうそう、人呼んで"クロノ・スキラー"ユウリ。初めまして、ですね。璃音…さん、蛍太郎…さん」
 何か段取りに間違いがあったらしく、たどたどしい自己紹介だった。
 ユウリと名乗った少女が自分たちの名前を知っていたことに驚いた璃音たちだったが、まずは揃ってお辞儀した。
「どうも」
「はい。どうもです」
 同じくお辞儀するユウリ。その後ろから、不機嫌に式子が声をかけた。
「何しに来たの?」
 ユウリは全く動ずることなく、キッパリと答えた。
「未来を守りにきました」
「ほう…」
 何か言いたげな式子を無視して、ユウリは璃音に歩み寄り、手を握った。
「璃音さん。ついて行っちゃダメです。式子さんはもう過去の人だけど、貴方はそうじゃないんですからね。それに…」
 と、式子を一瞥してから続けた。
「あの人はいつでも貴方に会いに来れるから、気にすること無いんです。璃音さんには地球での生活が待ってるんですから」
 そう、ユウリは言い切る。横で聞いていた蛍太郎は目を丸くした。自分が言おうとしていたことを、そのまま言われてしまったからだ。
(何者なんだ、この子…)
 だが、今はその疑問の答えが出るときでは無いらしい。眉間にしわを寄せていた式子が、一転して柔らかい笑顔で言った。
「それじゃあ、こうしましょう。…蛍太郎も連れてきなさい。今さら、貴方たちを別つ必要なんてないわ。こっちで暮らした方がずっと平和で快適よ」
 二人が顔を見合わせると、式子は穏やかに、だが強い口調で続けた。
「考えるまでもないよね?」
 と、式子。
 独りならともかく、蛍太郎と一緒なら悪い話ではないかもしれない。と、璃音は考えた。思い返せば、蛍太郎が璃音のお願いを断ったことはない。この話だって、彼なら笑って頷いてくれるだろう。
 でも…。
 璃音は顔を上げ、言った。
「でも、ダメです。けーちゃんは、わたしのいうことなら何でもきいてくれるけど、だからって何やってもいいワケじゃないです。けーちゃんには仕事があって、友達もいて、色々な人たちとの繋がりがあります。それを、わたしのためだけに捨てさせるなんて、出来ないです。それに、わたしにだって…」
 その言葉に、式子は声を詰まらせ、俯いた。そして搾り出すように呟く。
「そうね。貴方は正しいわ」
 それを聞いて思わず、蛍太郎は歓声を上げた。
「…璃音ちゃん!」
 感激を露わに璃音に抱きつこうとしたのだが、しかし瞬発力の差かユウリに先を越されてしまう。ユウリは璃音をキツく抱きしめ、胸に顔を押し付ける。
「あの、苦しいんだけど…」
 呻く璃音を振り回す勢いで、ユウリは歓喜の声を上げた。
「やったぁ! 凄い、さすがユウリのおばあちゃんです!!」
 その言葉に璃音と蛍太郎は硬直して目をパチクリさせ、式子は頭を抱えた。
「…貴方ねぇ」
 式子が説教口調で捲くし立てる。
「確かに、豊かな感情は魔力の源泉です。でもね、貴方みたいに表現がストレートすぎるのはどうかと思いますよ! 自分の能力がどんなものなのか、真剣に考えたことってあるわけ?」
 ユウリは何度か瞬きして、璃音に抱きついたままで答えた。
「ありますけど」
「嘘おっしゃい」
 だが厳しい式子の眼差しを受け流すように、ユウリは悪びれずに言う。
「でも、こっちのおじいちゃんとおばあちゃんには、ユウリのこと話しても大丈夫だと思いますよ。却って話やすくなって結果オーライです」
 式子は深々とタメ息を吐き、諦めの表情を浮かべた。
「そうね…。確かにそうよ、結果オーライね。それじゃあユウリ、ちゃんと自己紹介しなさいな。貴方の解説なんて、私は嫌よ」
「はい」
 ユウリは素直に返事をした。このあたりは璃音に似ていると、蛍太郎は思った。居住まいを正し、ユウリは改めて自己紹介を始めた。
「藤宮ユウリ、十七歳。バビロン魔術師協会所属の魔術師です。お二人から受け継いだ血筋のお蔭で、そこそこのポジションでやらせてもらってます。
 それから"クロノ・スキル"っていう時空を操るディヴァインパワーが使えるんです。これを魔術で強化して、今みたいにここまで来たりとか、そういうことができます」
「ほぉーっ」
 璃音と蛍太郎は揃って感嘆の声を上げた。
 これで、ユウリの顔を見たときの感覚に説明がつく。なるほど、見たことがあるような顔をしているわけだと、璃音は感心した。鼻筋は蛍太郎のものだし、瞳の色は勿論のこと顔の輪郭や髪質は璃音に似ている。ただし、目元は二人のどちらにも似ていない。見覚えのある形をしているが、どうしても記憶の中にある友人知人の顔と結びついてくれない。どうにも居心地の悪い感覚である。
 そのユウリは、感心する二人の間に飛び込んで、それぞれに手を回して抱きつく。そしてまず、
「はーん、若い、可愛いっ」
 と、鼻息も荒く璃音に頬擦りする。それから、
「すっごい、こんなカッコよかったなんて!」
 と、蛍太郎の顔を見上げて瞳を輝かせた。蛍太郎は思わず苦笑した。
「なんか、未来の僕がどうなっているか、非常に不安を誘う一言だね」
 ユウリは首を振った。
「ううん。四十一年経っても、おじいちゃんは素敵ですよ」
「そう? なんか照れるなぁ」
 頭を掻く蛍太郎。正直、そんな先のことは想像も出来ないが、褒められて悪い気はしない。それよりも、重要なことがある。
「璃音ちゃん!」
 蛍太郎は、キョトンとしている璃音にそれを告げた。
「ユウリちゃんが僕らの孫ってことは…、この子がいるってことはさ!」
 その言葉で、この状況の意味するところに思い至った璃音は、歓声を上げた。
「そうだよ! わたし、けーちゃんの子ども…産めるんだ…」
 最後の方は涙声になってしまい、そして璃音は嬉しさのあまり、そのまま泣き出してしまった。
「よかったぁ、よかったよぉ…」
 こんな風に泣きじゃくる璃音を見たのは初めてだったから、蛍太郎は一瞬戸惑ったが、すぐに璃音を抱き寄せた。それから少し離れて、ユウリが呟く。
「良かったね、おばあちゃん…」
 すると、蛍太郎がハッと顔を上げ、ユウリのほうを見た。
「ありがとう。なんていうか、これで安心だ。ときに…」
 ユウリが首を傾げる。
「なんですか?」
「子供は何人出来るのかな?」
 口を開きかけたユウリだったが、式子が猛烈な勢いで咳払いを始めたので、方針を切り替えた。
「止めておきます。あまり言い過ぎないほうが、楽しみが残っていいじゃないですか」
「はは、それもそうだね」
 蛍太郎が笑うと、璃音は涙でぼろぼろになった顔を上げ、ユウリに精一杯の笑みを向けた。
「ありがと、ユウリちゃん」
 するとユウリは、照れ笑いを浮かべた。
「そんな。ユウリは何もしていません」
 式子が口を尖らせる。
「何言ってるの。まるっきり失言じゃないの。それにさ、貴方のせいで私の説得がふいになったの、判ってる?」
 だがユウリは悪びれずに言い切った。
「判ってます。だって、ユウリの存在がかかってますから。必要とあれば、もっともっともぉ〜〜〜〜っと、邪魔しますよ? だいたい、ドサクサに紛れてユウリのこと始末しようだなんて、連続帯はやることがセコいんです。だいたい、この手の干渉にユウリが気付かないワケ無いじゃないですか」
「貴方ねぇ…。平時にしたら協定違反だから、今やってるってこと、判ってますよね?」
 式子の目が釣りあがる。璃音は息を呑んだ。彼女は本気だ。だが、ユウリは涼しい顔をして、マントの裏地に手を入れ抜き放つ。その手には、いつの間にか細身の剣が握られていた。
「お仲間を斬ったレディアントフェンサー、その身で試してみますか?」
 式子は眉根を寄せたまま、言った。
「よろしい。まずは貴方を黙らせる必要があるみたいね。もちろん、力ずくでね」
 まさに一触即発。その空気を破ったのは、式子でもユウリでもなく、
「ふははははっ! 愚か者めがぁッ!! 我は不滅なのだ! この宇宙ある限りなぁ!!」
 魔王カーンデウスだった。
 すっかり元通りになった魔王は、大きく振りかぶって拳をうち下ろした。
「なにやら揉めてるようだが、我が調停してやろう。全員死んでしまえば、もう諍いは起きないからなァーッ!!」
「きゃあ!」
 悲鳴を上げる璃音を蛍太郎が抱き寄せ庇う。視界いっぱいに迫った拳は、しかし、そこで止まっていた。ユウリが剣の切っ先で、それを受け止めていたのだ。
「ぬう。なんだ、これは!?」
 魔王が呻く。いくら力を込めても、自身よりはるかに小さい少女の剣を押しのけることが出来ない。イライラし始めた魔王を煽るように、式子がユウリに声をかけた。
「ユウリ。めんどくさいから、そいつ片付けちゃってよ」
「OKです」
 頷くユウリ。
「おのれ! この魔王カーンデウスに対し、めんどくさいとは何事かッ!」
 屈辱的な扱いを受けた魔王が叫び、口からビームを吐く。だがユウリは眉一つ動かさず、そのまま剣をつきだした。
「クロノ・ミュート」
 魔王のビームは、またしても剣の切っ先で受け止められた。いや、その切っ先の周囲に見えない壁があり、それがビームを遮っているのだ。
 この光景に、蛍太郎は驚きの声を洩らす。
「凄い。クロノ・ミュートってことは…その空間の時間を停止させているのか?」
 するとユウリは、首だけで振り向き、微笑んだ。
「ご名答。さすが、おじいちゃん。時間が停止した空間は、何モノも通過できないですからね」
「へぇ…」
 璃音が舌を巻く。
「あの子、わたしより凄いかも」
 その言葉に、ユウリは照れ笑いを浮かべ、
「ユウリなんて、おばあちゃんに比べればまだまだです」
 それから、再び魔王に視線を向けた。
 レディアントフェンサーを頭上にかざすと、ユウリは声を張り上げ、朗々と呪文を唱えた。
「行け! 我が思い。金色の翼に乗って! 其はかつてあり、今あり、そしてこれからもあり続ける。常に! "レジーナ・ドーロ"!!」
 金色の光が奔流となって迸り、魔王を撃つ。半身を消し飛ばされたカーンデウスが次に目にしたものは、黄金の翼を広げ黄金の髪をなびかせた、優美な女神像だった。
 全高は十五メートル程。その名に相応しく金色に輝く装甲には魔術式を意匠化した文様が刻まれ、湧き上がる魔力がさらなる輝きを与えている。そして右手には装飾を施された大剣が握られていた。これこそが藤宮ユウリの象徴機械、刻の女王"レジーナ・ドーロ"だ。
 黄金に輝く羽ばたきを残し、レジーナ・ドーロが舞い上がった。魔王は再生を完了させると腕と触手を伸ばし、迎撃する。だが、金色の象徴機械は瞬間移動に等しいムチャクチャな軌道でそれを掻い潜る。
 頭部に内蔵されたコックピット、インサニティエンプレスの中心核に似た赤い球体の中で、アンダースーツ姿のユウリは眉を吊り上げ魔王を睨んだ。
「家族会議の途中なんだから、邪魔者にはさっさと消えてもらいますよ!」
 そしてレジーナ・ドーロは、輝きが増した剣を大上段に構えた。
「降魔不動剣・レディアントザンバー!!」
 魔王の中心核がある額へ、剣を突き出して一気に突っ込む。だが、何度も同じ手を食らう魔王ではなかった。仮にも十一次元人、いくらなんでも四次元宇宙人並の知能は備えている。
「そうはいくかぁ!!」
 魔王の顔面全体が光り、巨大な砲門になる。
「くたばれェッ!!」
 レジーナ・ドーロに向かい、膨大なエネルギーの奔流が放たれた。だが、
「ぐぎゃあああああああああッ!!」
 悲鳴を上げたのは魔王の方だった。
 いつの間にか背後へ回っていたレジーナドーロが、魔王の中心核へ剣を深々と突き立てていたのだ。
「こっちが上手だったみたいですね」
 ユウリが不敵に笑う。
「おおおおお、おのれぇ…ッ!! こんな小娘に…人間の、魔術師ごときにィィ…ッ」
 力を失った魔王カーンデウスは、またしても崩れ落ちた。
「さてと」
 早々に戻ってきたユウリは、眉一つ動かさずに言う。
「続きしましょう」
 呆気に取られて固まったままの璃音と蛍太郎は、その声で我に帰った。
「ああ、そうだね」
 蛍太郎が頷けば、
「わたしたちの孫って凄いんだね」
 と、璃音は未だに驚きの余韻を引き摺っていた。そのまま沈黙が続いたので、
「ほら、家族会議」
 ユウリが促すと、式子は思い出したように口を開いた。
「なんだったっけ。忘れちゃったわ」
 璃音と蛍太郎と、そして今度はユウリも口をポカンと開けて、顔を見合わせた。少しの沈黙の後、代表して璃音が言った。
「あの、式子さん? どうしちゃったんですか?」
 すると、式子はとぼけたように首を振った。
「どうもこうもないわ。上が煩いからちょっと小細工しようとしたけど、やっぱり運命は変わらないみたいだし。ただね、璃音。貴方がどうしたいかだけは聴きたいわ。自分より蛍太郎のことが先にでてきたのは偉いと思うけど、私は貴方の心が知りたいの」
 今度は長い沈黙。
 全ての視線が自分に向くのを感じながら、璃音はゆっくりと口を開いた。
 だが、そのとき。
「ふはははははは!」
 魔王の高笑いが響いた。
「何度も言わせるな! 我は不滅なのだ!!」
 見ると、すっかり元通りになった魔王がパックリと大口を開けて笑っていた。
 式子はこめかみに手を当て、呻く。
「ユウリ…貴方ね…。簡単に甦れないように徹底的に破壊しなきゃダメでしょ。クロノテンペストはどうしたの? あらゆる物質の存在を許さないとか何とか、大見得切ってたじゃない」
 だが、ユウリは平気な顔でそっぽを向いた。
「だってー。あんなの使ったら、ユウリが帰るエネルギー無くなっちゃうじゃないですか」
「…うるさい。貴方なんか、この宇宙と一緒に消えちゃえばいいのよ!」
「ひどーい! こんなにも可愛くて聡明な子孫への物言いが、これ? それでもご先祖様ですか!? いいえ、貴方なんてご先祖様失格です!」
「あのね。私は別に子孫なんか欲しくなかったんだってば!」
 魔王がビームを発射する体勢に入っているにも関わらず口ゲンカが止まらないので、蛍太郎が間に割って入った。
「やめてくださいよ! そんなことしてる場合じゃありません!」
 そんな蛍太郎を見て、式子とユウリは目を丸くした。
「貴方、私が怖くないの?」
 ごもっともなことを訊く式子。だが蛍太郎は毅然と答えた。
「そんなことありません。だって貴方は、むやみに人を傷つけるような人じゃないでしょう」
「あ、ああ。まあそうですね」
 戸惑いながらも頷く式子。その隣で、ユウリは胸の前で手を合わせて喜ぶ。
「おじいちゃん、カッコイイ!」
「そうかな?」
 照れ笑いしてから、蛍太郎はユウリの顔を覗き込んだ。
「ところでユウリちゃん」
「はい」
「クロノテンペストって何?」
 蛍太郎の目は好奇心で輝かせていた。璃音は膝から力が抜けて、よろめいてしまった。
「けーちゃん…」
 だがユウリは嬉々として解説を始めた。
「レジーナ・ドーロの最強技です。剣に圧縮した時間と空間を籠めて敵に叩きこみ、その反作用が生み出すブラックホール並のエネルギーで大破壊をもたらします」
「ほう…」
 感心しきりという様子の蛍太郎。そのとき既に、魔王のビームが目前に迫っていた。
「がははははは! 今度こそ、死ねぃ!!」
「うるさい!!」
 式子が怒鳴った。次の瞬間、逆立った髪から湧き上がった赤色の波動がビームを掻き消し、魔王の中心核を吹き飛ばしていた。
「そんな…!!」
 二度あることは三度ある。
 魔王は三たび崩れ去った。
 呼吸を整え、式子は再び璃音たちのほうを向いた。
「はい、璃音」
 式子に促され、璃音は真剣な面持ちで口を開いた。
「わたしは…」
 だがそれは、三度目の高笑いに遮られる。復活した魔王カーンデウスだ。
「ふはははははははは! だから我は不滅だと言っておろうがッ!!」
 そうは言いながらも、魔王は急いで復活したためか今までの半分程度の大きさしかない。それを璃音たちは哀れみさえ混じったまなざしで見上げたが、魔王は萎んだ身体で精一杯胸を張った。
「ふふふ、どうした。我の不死身ぶりに恐れおののいたか! 確かに、我は貴様らには敵わぬやも知れぬ。だがッ、だがしかしッ、それでもッ!! 無限に復活し続ければ、いつかは勝つッ! 少なくとも負けはしないッ! いや…勝つッ、勝つのだッ!! そして全宇宙は我のものに…ッ」
 だが。せっかくの長台詞を遮り、魔王の額にラディカルベインが突き立っていた。
「うそっ!? 口上だけで終わりだなんて…ッ!! 酷い、酷すぎるゥ…」
 なにやら泣き言を漏らしながら、魔王はまたしても崩れ去っていった。
 こうして四たび邪悪は去ったが、気まずい沈黙があたりを支配する。
 インサニティークイーンの実体化を解いた璃音は咳払いをして、それから式子を真っ直ぐに見つめた。
「なんか邪魔ばっかりで気分出ないけど…いきますね。
 わたし、まだ十七歳だから…。やっぱりもっともっと、けーちゃんと一緒にいたいし、子どもだって欲しいし…。したいことだって、いっぱいあるんです。だから、ゴメンなさい。一緒には行けません」
 その言葉を言い終えた璃音の目が潤んでいた。気分が出ないとはいっても、言葉を重ねるごとに何かがこみあげてきたのだ。式子は璃音の言葉をかみ締めるように、大きく頷いた。
「そうね…。私は、あの子にちゃんと生きて欲しかった。普通に生まれて、そして故郷が滅ばなければ送れるはずだった、人としての生活をね。それが元々の私の意志だった。長いこと経って色々あったから…」
 そこでチラリとユウリを見る。頬を膨らませたユウリに微笑みかけ、それから式子は璃音へと視線を戻した。
「…初志を忘れてたわ。まあ、貴方がこんなに我の強い子だったのは予想外でしたけど」
「す、すいません…」
 璃音が肩を丸めると、式子は首を振った。
「いいえ。あの子の心がちゃんと機能してたら、こうだったということでしょう。正味な話、私たちみたいなパワーを持って生まれたのが大人しい性格で引っ込み思案だったら、逆に気持ち悪いわ」
 その言葉に蛍太郎とユウリが揃って大きく頷いた。それを、璃音と式子が同時に睨む。
「けーちゃん…。どういうつもり?」
「ユウリ…。貴方、自重って言葉を千回書いて提出しなさい!」
 だが蛍太郎とユウリは涼しい顔で、笑ってごまかしていた。式子はタメ息を吐いて、それから今まで出一番穏やかな微笑を浮かべた。
「それでは、帰りましょう。この宇宙を消去すれば魔王カーンデウスは二度と復活することはありません」
 するとユウリが璃音と蛍太郎の間に入って、それぞれの腕に自分の腕を絡めた。
「見送りはユウリがやります。後はよろしくお願いしますね」
 言うが早いか、ユウリは再びレジーナ・ドーロを実体化させていた。それを見て式子は、
「はいはい。じゃあ、そのうちまた会いましょうね」
 と、にこやかに手を振った。
「はい。またお社に伺います」
 璃音は深く一礼し、ユウリに手を引かれた蛍太郎に続いてレジーナ・ドーロのコックピットに乗り込んだ。主を乗せたレジーナ・ドーロは剣をかざし、虚空に円を描く。それがそのまま空間の裂け目、すなわち門となった。
「バイバーイ!」
 ユウリのやたら元気な声とともにレジーナ・ドーロは門の中へと姿を消した。
「ふふ。またね」
 笑みで妹とその孫を見送ると、式子は周全相へと変じる。そしてパワーを放出しながら合掌した。
 次の瞬間、第五九八二宇宙は無へと帰した。
 
 
7−
 そこには、見渡す限り白く塗り潰された空間がどこまでも広がっていた。
 この空間は"神の回廊"と呼ばれ、多次元人が時空を渡る際に利用する宇宙の狭間である。道標など無い白い世界を、金色の翼が確信を持って飛翔する。レジーナ・ドーロには進むべき道が見えているのだ。
 そのコックピットの赤い球体の中で、璃音は孫娘の横顔を見つめた。
 四十一年後の世界から来た少女は力強い眼差しで前を見据えていた。その姿こそが自分と蛍太郎の未来なのだと思うと、嬉しくもあり誇らしくもあり、そして責任感から身が引き締まる思いがした。これから先、自分自身の人生をしっかり生きなければ、より良い未来を孫娘へと託すことなど出来ないからだ。
 そんな思いをかみ締めていると、不意に蛍太郎と目が合う。彼も同じ思いなのだろう、璃音に微笑を返した。
 それから少しして、コックピット内にユウリのものではない声が響いた。
「マスター。まもなく目的の時空です」
 レジーナ・ドーロに搭載された超AIだ。ロボヘッドの声とよく似ているが、より自然で滑らかな口調である。どちらかといえばディアマンテのそれに近いだろうか。
「ありがと、D3」
 ユウリが親しげに声をかけると、レジーナ・ドーロはその場に停止した。そして、コックピットハッチが開く。ユウリが振り向いて、名残惜しげに口を開いた。
「着きました。…これで、当分お別れです」
 璃音は笑顔で、ユウリの頭を撫でた。
「また会えるまで、待ってるからね」
「はい。そのときはユウリのこと、いっぱい可愛がってください」
「うん」
 頷いて、璃音はユウリを抱きしめた。抱擁が終わるのを待って、今度は蛍太郎がユウリを抱きしめる。
「おじいちゃん…」
 瞳を潤ませたユウリの頭を撫で、蛍太郎は微笑んだ。
「元気でね。また会うのを楽しみにしてるよ。君とは話が合いそうだから」
 するとユウリは満面の笑みを返した。
「はい。でも…それまでは、おばあちゃんを一番大事にしてあげてね」
「あはは。そうだね」
 蛍太郎が笑うので、璃音は頬を膨らませた。
「ねえ。それまではって何よ、それまではって」
 ユウリが楽しげに笑う。
「妬かないの。おばあちゃん、そういうの相変わらずですね」
 さらに頬を膨らませ、そっぽを向いてしまった璃音の頭を蛍太郎が撫でる。それを眺めて目を細めていたユウリだったが、
「じゃあ、そろそろ」
 と、二人を促した。
 璃音たちがコックピットを出てレジーナ・ドーロの掌に乗ると、目の前に門が出来ていた。
 ユウリは笑顔を浮かべ、
「それじゃ、ばいばい。またね」
 と、手を振り、そしてパワーシェルを解除した。
 その姿を見て璃音は目を丸くする。
 ユウリはセーラーカラーのワンピースを着ていた。紫の濃淡二色で、おそらくは璃音の制服を意識してるのだろう。その服は非常に良く似合っているのだが、それよりも璃音を驚かせたのは、ユウリがメガネをかけていたことだった。
「あーっ!」
 璃音の頭に引っかかっていたものが、今ここで氷解した。ユウリの中にある、蛍太郎と自分以外の誰かの面影。メガネをかけたことで、ようやくそれに思い至ったからだ。
(そっか。それで"悠璃"か…)
 するとユウリは悪戯っぽく笑い、自分の唇に人差し指を当てた。
「もう一人のおばあちゃんには、内緒ですよ」
 蛍太郎は目を丸くするだけだったが、璃音は満面の笑みで頷いた。
「判った。あの子、不器用なとこあるからね」
 ユウリも微笑みながら頷く。そしてその姿は黄金の女神とともに、白い空間に溶けて霞んでいった。
 
−−−−−−−−
 
 アイボリータワーが元通りの輝きを取り戻すと、空間は急速に安定し始めた。傾いていた"地面"は水平になり、歪んで消失しかけていた家や部屋は元の姿に戻る。魔王が棲む異空間への門が閉じたため、この空間と魔術式への干渉が途切れたのである。ロンドン魔術師協会は壊滅を免れたのだ。
 マックスウェルはホッと一息吐き、手近な壁にもたれかかった。団体行動に不慣れな魔術師たちの避難誘導は非常に手間取り、おそらくは避難の完了を待たずにタワーは崩壊しただろう。そして今、フロアは逃げ遅れた者と引き返そうとする者で身動きが取れないほどの混雑になっている。
「ま、どういう偶然かは知らねぇが、感謝だな。引き受けたはいいが、正直言って手に余る状況だったからな。おかげで、俺のせいってことにならねぇですむぜ」
 すると、頭上からストレンジXの声が聞こえてきた。
「マックスウェルよ。なんだ、この状況は。全然ダメではないか。しかも、その言い草。勇んでやって来たから任せてみれば…私は失望したぞッ」
 マックスウェルは慌ててストレンジXをふり仰いだ。
「ち、違うんです! アカデミーのピンチに何かしなければとオレを駆りたてた使命感は本物です。ただ、実力が伴わなかっただけで…」
「ほう…」
「本当です、信じてくださいよ! 俺が言いつけを聞かなかったことがありましたか?」
 ストレンジXはしばし考え、口を開いた。
「確かに。やろうとして出来なかったことはあっても、最初から反故にしたことは無かったな」
「でしょう?」
 背を反らし得意げに胸を張るマックスウェル。少々釈然としないものを残しつつも、ストレンジXは頷くしか無かった。
「ぬう…。では、復旧作業も手伝ってもらうぞ」
「任せてくださいっ!」
 マックスウェルは威勢良く、厚い胸をドンと叩いた。
 
 
 バビロンも安堵に包まれていた。
 すでに通常モードへ変形していた空中庭園に、観測結果と斥候からの報告が次々と舞いこんで来る。その全てが、事態の収拾を告げるものだった。
 ヘカテは大きくタメ息を吐き、玉座へともたれかかった。
「危機は去ったようです。これより空中庭園は通常運行で実空間より退避します」
 クリシュナとパズスが揃って歓声を上げ、抱きあって飛び跳ねる。だが、我に帰った瞬間、クリシュナは、
「うわ、キモっ!」
 と、パズスは、
「ぬおおっ、男に抱きついてしもうた!」
 と、お互いを突き飛ばして離れ、睨みあいを始めた。
「お主! 三巨頭たるワシに対し、キモイとは何事だ!」
「黙れスケベジジイがッ!」
 そして遂に開戦。アリスは取っ組み合いを始める二人の前でオロオロしている。それを眺めながら、ヘカテは穏やかに微笑んだ。
「はぁ。やっぱり平和って良いわねぇ」
 
 
8−
 酉野市警察署では、酉野紫の面々が手錠をかけられ、駐車場で晒し者にされていた。
 バーナー、アクアダッシャー、マンビーフ、そしてボルタはブルーシート上に横たわり、呻いている。今までは身体に密着していたタイツにはシワがより、どこにでもあるただのタイツと化している。さらに、バーナーの傍らにはライターとガスバーナーが、アクアダッシャーにはダイバーキットと水中モーターが、そして横たわるマンビーフの腹の上には生のステーキ肉が乗っていて、ボルタは自動車用バッテリーを抱き石のように膝に載せて正座していた。サーバントクーインのパワーが消滅したことで、彼らのスーツはパワーソースと分離されて元に戻ってしまった。つまり、酉野紫はスーパーパワーを失ったのである。だが、それを知る由も無い警官たちは遠巻きにして酉野紫を監視していた。さらに署を覆う塀の外には野次馬たちも集まっている。
 斐美花とムーンセイバー、そしてミロも警官隊に混じり気を配っていたが、酉野紫の変調を察知してはいたので、こちらはリラックスした表情である。
 けたたましいサイレンとともにパトカーが六台が戻ってきて、慌しく警官たちが降りる。その中に混じり、侑希音と蔵太亜沙美の姿があった。少し遅れて、Mr.グラヴィティが空から舞い降りてくる。
 侑希音たちはクーインとクイックゼファーを引き摺ってきて、仲間たちがいるブルーシートに放り出した。クーインは生きる力まで失ったようにその場に崩れ落ち、クイックゼファーは大げさに暴れながらブルーシート越しのアスファルトに叩きつけられた。その手から、ミニ四駆用のブラックモーターとニッカド電池が零れ落ちる。
 もはやただのタイツ男集団と化した酉野紫を見下ろし、侑希音は眉を吊り上げ、鬼の形相で宣言した。
「いまから、お前らのマスクを順番に剥いで素顔を晒す。二度と娑婆の空気吸えないようにしてやるから、覚悟しやがれ!」
「あのぅ、侑希音さん。それは司法がすることですから…」
 と、駆けつけたミロが大きな身体を小さくして恐る恐る進言するが、意に介さずに侑希音はシートを踏みつけ、クーインの襟首を吊り上げる。
「まずは、貴様からだ」
 周囲を取り巻く警官たちが色めき立つ。
「やっちまえ!」
 と、彼らの表情が言っていた。公開リンチのムードに耐えられず、斐美花が侑希音の肩を掴む。
「どうしたのさ、侑希ねぇ。こんなの、らしくないよ」
 だが侑希音は視線をクーインから外さず、言った。
「うるさい! こいつのせいで璃音は…蛍太郎君は…」
 それ以上は言葉にならなかった。代わりにグラヴィが斐美花の肩に手を置いて、ゆっくりと口を開いた。
「落ち着いて聴いてくれ。ふたりは、魔王からクーインを救うために時空の穴に消えたんだ」
「そんな…」
 崩れかけた斐美花の肩をムーンセイバーが支える。その後ろで、亜沙美が無責任に言い放った。
「そういうわけだから。ま、殴りたきゃ殴りゃいいんじゃないの?」
 その言葉で、さらに場が殺気立つ。ただならぬ雰囲気にクイックゼファーとバーナーが立ち上がり、ボスを救おうと侑希音に飛びかかった。
「やめろ!」
「ボスに手を出すんじゃねぇ!」
 しかし、パワーを失った彼らが歯向かえる相手ではない。侑希音は空いている片腕だけで二人を張り倒してしまった。
「黙ってろ。次は、お前らの番だからな」
 侑希音の眼光にボルタとアクアダッシャーは震え上がって動けない。
 そしてクーインはなすがままの状態で、光を失った目で部下たちを見つめていた。バーナーとクイックゼファーの行動に僅かながら心が動くが、今はどうしようもない。
(これで、こんなことで僕の人生は終わりなのか…)
 と、クーインは内心呟いた。
 侑希音は憎しみに燃える眼差しで無抵抗のクーインを睨み、マスクに手をかける。そのとき、彼女にとっては思いがけない声が聞こえてきた。
「侑希ねぇ! ただいまー!」
「なっ!?」
 声の方向を見上げ、侑希音は言葉を失った。署の正面門のところで、私服姿の璃音が手を振っていたからである。
「璃音!?」
 クーインを放り出すと、侑希音は猛烈な勢いで璃音に駆け寄り、抱きしめた。
「璃音…よかった、無事だったんだね!」 
「うん。心配かけてゴメンね」
 その後ろから、蛍太郎が声をかける。
「やあ。色々あったけど、帰ってきたよ」
「蛍太郎君! 心配させんじゃないよ!」
 侑希音が拳を突き出し、それを蛍太郎は掌で受け止めた。
「ははは、ゴメン。でもその甲斐あって、魔王は滅んだよ。二度と甦ることは無いんだ」
「そうか…」
 安堵のタメ息を吐く侑希音を見上げ、璃音は微笑んだ。
「そうだよ。話したいことがいっぱいあるから、早く帰ろうよ」
 すると侑希音は満面の笑みを浮かべた。
「よ〜し。じゃあ、コイツらを警察に引き渡したことだし、私らは帰ろっかななぁ」
 それを見て、ミロが苦笑する。
「憑物が落ちたような顔してるな、お前」
「そうかなぁ、はははっ」
 本当に、先ほどのが嘘のような晴れ晴れとした表情で、侑希音は笑った。そして、璃音の手を引いて酉野紫たちのところへ連れて行った。
「見てくれ。酉野紫の連中は全員捕まえた」
 そこに廿六木刑事が駆けてくる。
「病院から連絡が入りました! 怪我人は無し、可能と判断される子から順次家に送り帰すとのことです!」
 警官隊から歓声が上がる。璃音は侑希音と顔を見合わせて微笑むと、斐美花が駆け寄り、二人に抱きつく。蛍太郎はムーンセイバーやミロとハイタッチを交わしていた。自然と人の輪が出来る中、端に寄って斜に構えていた亜沙美だったが、グラヴィに押されて輪の中に加えられた。
「なにすんだよ、いいってば」
 口を尖らす亜沙美に、グラヴィは白い歯を見せた。
「貴方には助けられました。是非、この歓喜の輪に加わっていただきたいのです」
 亜沙美は目を丸くして、そっぽを向きながら答えた。
「ま、まあ…いいけどさ」
 そこに京本部長刑事が現れる。
「よし、一件落着だ。三本締めいくぞー!」
 歓声が上がる。そんななか、侑希音は璃音と蛍太郎の手を引いて、酉野紫のところへ連れて行った。ブルーシートに横たわるタイツ男たちの無残な姿に璃音は表情を曇らせる。一方、蛍太郎はバーナーの側に落ちていた五センチ四方の樹脂片を目を留め、息を呑んだ。
(あれは、もしかしたら脳波受信素子じゃないのか?)
 頭に電極を当て、脳波をコンピューターで読み取るというガジェットはSFでは一般的だ。それを現実の物としようという研究は三城大学の地下研究室でも行なわれており、目の前に落ちているものはサンプルとして見せられたものと酷似していた。
(でも、どうしてこれが、ヤツらのスーツに?)
 どうして、というのは素子の入手ルートに対する疑問だ。
 用途は想像がつく。酉野紫スーツがバイオニックコンバインの力で作られたものであるなら、それはタイツとそこいらに転がっているガラクタを合体させて作られたものに相違ないからだ。素子は着用者の脳波を読み取り、スーツに伝えていたのだろう。
 だが、蛍太郎の思索は侑希音に遮られた。侑希音が、璃音と蛍太郎の背中を押したからだ。二人をブルーシートに近づけて、侑希音は言った。
「ほら、クイーン。助けてもらったんだから、礼くらい言いな」
 それを、クーインは虚ろな目で見上げた。
 璃音が真っ赤な瞳で顔を覗き込んでいる。それは貴洛院基親にとってはいつか見た光景とよく似ていた。うずくまったままで璃音と視線を合わせると、ひまわり幼稚園での記憶が甦ってくる。
(あのとき、コイツに何か言えてたら…僕は今と違う人間になっていたのだろうか…。いや…こんなことは、終わったヤツの考えることだ。僕はまだ、違う!)
 そのとき、胸の奥で何かがうごめいた気がした。黒くてドロドロとした、禍々しくも懐かしい何かが。そしてクーインは、自分の周りに倒れている部下たちを見る。
(利用するつもりで力を与えた者たちだったが、さっきは僕のために身体を張ってくれた。僕はもう、独りじゃなかったのかも知れないな。ならば、ここで逃げるわけには…)
 万感の思いを込めて貴洛院基親は、いやクーインは、口を開いた。
「嫌だね」
 その言葉に、璃音たちは目を丸くする。クーインはヨロヨロと立ち上がり、さらに続けた。
「助けてくれなどと、頼んではいない!」
 侑希音が進み出て、クーインの襟首を掴んだ。
「お前、何言ってるんだ。あのまま異界に連れ去られれば、お前は魔王に取り込まれて死んでいたんだぞ」
 だが、クーインは意に介さない。侑希音の手首を掴み、言い返した。
「フン。この道を志した以上は進むも地獄、退くも地獄。覚悟はとっくの昔に出来ている! それに、私が魔王に取り込まれたままだと思うか? 今ごろは、逆に私がヤツを飲み込んでやっていたはずだ!」
「バカか、お前は!」
 侑希音はクーインを振り払い、腕を振り上げた。だが、璃音が間に入ってそれを制する。
「やめなよ。わたしは、感謝して欲しくてしたんじゃない。正しいと思ったから、助けただけなんだから」
「そうか…そうだよな」
 クーインの物言いが平気だったわけではないが、グッと感情を抑えた璃音の言葉に、侑希音は手を下ろした。するとクーインは璃音に視線を向け、嘲う。
「何を言っている。正しいも何も、貴様も魔王と同じバケモノだろうが! そいつらがいなければ、今ごろは貴様も私の同類さ」
「おい! なんてこと言うんだ!」
 今度は激昂した蛍太郎がクーインに詰め寄るが、また璃音が割って入った。
「やめて。けーちゃんがそんなことするの、嫌だよ」
 璃音が目を伏せるので、蛍太郎は我に返った。
「ごめん」
 それを見て、クーインはさらに笑った。
「くくく、美しいことで。だが、安心しろ。私も貴様らと同じモンスターさ。これから何があろうと、サーバントクーインとして…いや、今日からはマスタークイーンとして生きていく! 力を失ったなら、取り戻せばいい。魔王から与えられた力ではなく、私自身の力をな! そして、己の意志を貫くのだ! ふははははは!」
「コイツ、狂ってやがる…」
 侑希音は眉をひそめ、クーインの腕をつかんだ。
「現実を見ろ。お前はもう終わりだ」
「いや、そうでもないらしい…」
 クーインは驚きの表情を浮かべていた。
「力などなくても、私は我が道を行く決意を固めた。だが、その意志が…私の中に残っていたモノを呼び覚ましたようだ」
 そのとき、璃音が弾かれたように叫んだ。
「侑希ねぇ、逃げて! ソイツの中に魔王がいる!」
「なっ!」
 しかし間に合わず、侑希音は強烈な電撃のようなものを受けて弾き飛ばされた。クーインのマントがなびき、紫と黄色の二色だったスーツが、黄色の部分だけ黒に変わっていく。そして邪悪な波動が沸き起こる。それは、魔王カーンデウスが発していたものと同一だった。
「ふはははは!」
 マスタークーインはマントを翻し、高らかに宣言した。
「このクーイン、魔王カーンデウスの力を飲み込み、新生した! 今日からはサーバントではない。マスター、マスタークーインだ!!」
 そしてマスタークーインは、足元に横たわる部下たちへと振り向く。
「喜べ! 我が力は復活した。お前たちも甦るがいい。無敵のタイツ魔人としてな! バイオニックコンバインッ!!」
 クーインの額からビームが迸る。それを浴びた酉野紫達のスーツがそれぞれのパワーソースと融合合体、スーパーパワーが復活する。
 周囲にどよめきが走る。
「よっしゃあ!」
 真っ先に飛び上がったのはいつも通りにバーナーだった。それに続いて各々が立ち上がり、自らに再びパワーが宿っているのを確認するように何度か拳を握る。そして、ボルタが号令を発した。
「いくぜ野郎ども! 酉野紫復活だ!!」
 クイックゼファーが白い歯を見せ、クーインにサムズアップする。
「ボス、ご命令を!」
 一呼吸おいて、クーインは声を張り上げた。
「よし! まずは復活の挨拶といこうじゃないか。酉野紫アメージング5よ、邪魔者どもを始末するのだ!」
 一転して、警察署は騒然とした。パニックになりかけた警官たちを京本がまとめ、とりあえずはタイツ魔人たちと距離を開けさせる。すると、スペースが空いた駐車場に、マスタークーインと酉野紫、そして璃音と立ち上がった侑希音、斐美花、ムーンセイバー、ミロ、そしてグラヴィが対峙した。亜沙美はというと、渋々というそぶりを見せながらしっかりグラヴィの隣にいた。蛍太郎は廿六木に腕を引かれ後ろに下がり、状況を見守る。
 開戦の口火を切ったのは侑希音だった。
「舐めんな! マジックミサイル!」
 手始めにオーソドックスな攻撃魔術を放つ。以前ならこれだけで終わっていたところだが、ボルタが進みでて電撃を放つ。
「電磁バリア!」
 ボルタが作り出した電気エネルギーによる障壁に遮られ、マジックミサイルが霧散した。
「ちっ…」
 舌打ちする侑希音。彼女だけでなく、周囲全体が驚きに包まれる。それを待っていたように、クーインが高らかに笑った。
「ふはははははは! もはやその様な子供だましは通用しない。酉野紫は以前より強くなったのだ。二十二パーセントのパワーアップを遂げてなッ!!」
 それに続いて、酉野紫の五人も得意げに笑う。璃音たちは顔を見合わせ、そして口を揃えた。
「判った。じゃあ、二十二パーセント手加減やめる」
 次の瞬間。パワーボルトが、マジックミサイルが、巨大ツララが、爆破クナイが、バズーカが一斉にアクアダッシャーに叩き込まれ、さらに追い討ちとして重力操作で持ち上げられた炊き出し用の大鍋が、その上に落下した。景気の良い金属音を響かせ、ダイバー魔人は昏倒した。最後に、こう言い残して。
「やっぱ…局地戦用は辛い…もん…。…ガクッ」
「アクアダッシャーッ!」
 酉野紫の残り四人が仲間の名を叫ぶ。そして全員が拳を握る。
「許さねぇ! アクアダッシャーの仇だ!」
 そしてやはり、真っ先にバーナーが飛び出してきた。
「ぬおおおおおおおッ!!」
 全身に炎をまとい、バーナーが雄叫びとともに拳を振り上げる。火炎弾で一網打尽にするつもりだ。だが、その足元でムーンセイバーの手裏剣が爆発した。
「うおっ!」
 体勢を崩し転倒するバーナー。
「チクショーッ!」 
 歯軋りして身体を起そうとするバーナーだったが、すぐ目の前に斐美花がいることに気付き、目を剥いた。
「あ…っ」
 驚きの声は途中で途切れた。
「消火」
 斐美花の一言ともに、バーナーは完全に凍りついた。あらゆる運動を減速・停止させる"冬の王"によって、バーナーのタイツと周囲の炎が活動を停止してしまったのである。
 こうして、バーナーは沈黙した。クイックゼファーが叫ぶ。
「いきなり消火かよ!? 容赦なしじゃねぇか!」
 同様に、ボルタもうろたえきっている。
「ヤバいぜ! 手加減しないってのはこういうことかッ」
 マンビーフは冷や汗を流しながらも、冷静に相手の行動を分析する。
「我々の良さを消す戦術でござるな…。このままでは何も仕事が出来ないまま、真綿で首を絞められるがごとくしてやられてしまうは必定!」
 それを聞いて、クイックゼファーが噛みつかんばかりの勢いで怒鳴る。
「テメェらしょっぱいぞ! 対戦相手の技を受けきらんでどうするッ」
 その言葉に乗って、ボルタとマンビーフが声を揃える。
「塩っ! 塩っ!」
 癇に障る"塩コール"に耐えかね、侑希音と亜沙美が揃って叫んだ。
「やかましい! 私はいつもガチだ!! 邪魔するヤツは潰すんだよ!!」
 予想外なところで見解の一致を見た二人は、しかし意気投合するどころか睨みあいを始めた。
「お前のおかげで私が目立てないってこと、判ってるか?」
 と、亜沙美が眉を吊り上げれば、
「関係ないね。お前がやる気無い態度してるから、出会いが逃げてくんじゃねーか」
 と、侑希音も譲らない。それを見てボルタが叫ぶ。
「仲間割れを始めたぞ! 酉野紫、アターァックッ!!」
 だが酉野紫の三人は、
「うるさいッ!!」
 侑希音と亜沙美が同時に放った攻撃魔術によって空高くへと吹き飛ばされ、姿を消した。しかし、それで両者の関係が修復されたわけではなく、相変わらずの睨み合いが始まった。この有様に蛍太郎は思わず頭を抱える。
(ダメだ…人数が増せば増すほど協調性が…。誰もフォローしないし…)
 だが、今は力をあわせなければならないような難敵を前にしているわけでは無い。
(…まあ、いいか。必要になれば自然と団結するし)
 蛍太郎は、何も考えないことにした。
 かようにして最後のひとりとなったマスタークーインは、それでも余裕の笑みを崩さずに佇んでいる。
「残るはお前だけだ!」
 気合満点で侑希音が指を突きつけると、亜沙美も
「二十二パーセント強くなったところで、今までよりちょっとマシな程度じゃねーかよ!」
 と、腕組みをして前に進み出た。その後ろで、璃音と斐美花は隠れるように小さくなった。
「斐美お姉ちゃん。ここは、若い二人に任せようよ」
「そだね…」
 ムーンセイバーも苦笑する。
「忍は忍びらしく、忍ぶとするか」
 しかしミロだけは、空気を読まずに楽しげな笑顔でバズーカに次弾を装填していた。
「よーし、もう一丁いくぞぉ!」
 だが廿六木が苦言を呈する。
「あんま大っぴらに、そういうのはちょっと…」
 ミロは口を尖らせて、バズーカを放り出した。
「ちぇ。魔術は銃刀法関係ないから良いよな。法の抜け道だぜ、それ」
 思い切り不貞腐れているミロをよそに、クーインは両腕を胸の前でクロスさせ、パワーを集中させた。
「マスターフォーム!」
 クーインのタイツから黒い流動体が染み出て変化し、全身をプロテクターで覆ったような姿になる。マスクに露出した口元に笑みを浮かべ、クーインはジャンプすると手近なパトカーのボンネットの上に降りた。
「バイオニックハーモナイズ!」
 その掛け声とともにクーインはパトカーと融合し、ボンネットの中へ溶けるようにして消えていく。そして、変化はおきた。パトカーが光を発し、その光が他のパトカーへも伝染していく。合計十五台のパトカーが光に包まれ宙に浮かび上がり、合体を始めた。こうして、マスタークーインの力によって全高二十メートルの巨人がそこに誕生した。
「十五体合体、パトラガー15ワン・ファイヴ!!」
 巨人はクーインの声で、大仰なポーズとともに名乗りを挙げた。
 どよめきとともに警官たちが後退りする。
「みたか、新生魔王の力をッ!」
 粋がるクーインを前に、亜沙美は侑希音に嫌味たらしく笑みを向けた。
「デカブツなら、私が相手だな」
 だが、侑希音もただでは退かない。
「あんな木偶の坊を潰すのに、付き合ってデカブツ引っ張り出すこともないんじゃあないのか?」
 そのデカブツな木偶の坊ことパトラガー15は、足元で口げんかしている魔術師二人を悠然と見下ろした。
「随分と余裕だが、これはどうかなァ? ふははははは!」
 クーインが高笑いすると、十五台分のパトライトが一斉に鳴り響いた。その共振が警察署を震わせ、窓ガラスを割る。皆が一斉に耳を押える中、亜沙美が声を張り上げた。
「あー、やかましい! 璃音、お前に任すわ。鬱陶しいから、ちゃっちゃと解体しちまってくれ!」
 璃音は肩を落として、前に進み出た。
「やっぱ、後始末はわたしなんだ…」
 当然、クーインは逆上する。
「おのれ! 新生した魔王に対し、やかましいだの鬱陶しいだのと、どういう了見だ!」
 さらに、璃音を指差して怒鳴る。
「そして貴様! 渋々相手するくらいだったら、他と代わってくれて構わないんだぞ!」
 璃音は後ろを見たが皆が耳を押えたまま揃って首を振るので、諦めてパトラガー15を見上げた。
「交替拒否されたー」
 その言葉にパトラガー15は諦めたように首を振り、呻いた。
「…判った。さっさとかかってこいよ」
 璃音は頷くとエンハンサーを放出。形成した二体のアヴァターラが融合しインサニティエンプレスへと変化した。
「ヴェルヴェットフェザー!」
 暖色の光がパトラガー15を包む。だがパトラガー15は意に介さず、光の奔流を押しのけるように腕を突き出し、エンプレスに迫る。
「ククク…。私のパワーアップは二十二パーセントどころではないッ! その力、私を倒さない限りは通用しないと思え」
 クーインの高笑いを聞きながら、璃音は思案した。
(前まではあれで終わったのにな。後で直さなきゃいけないから、ラディカルベインは使えないし…)
 エンプレスは足元に損害を与えないように上昇しながら右腕を突き出し、カウンターで掌からパワーボルトを叩き込んだ。
「うおっ!」
 よろけるパトラガー15。どうしても重機の時よりは装甲が薄くなってしまうのだ。
「おのれ! サイレンバスター!!」
 再びサイレンが鳴り響く。先ほどを超える大音声で警察署どころか周囲の地面が揺れ始めた。璃音はパワーシールドを大きく張り巡らして、その振動を遮断して蛍太郎たちを守る。その間に、パトラガー15は空へと飛び去っていった。
「ふははははは! また会おう、諸君!」
 廿六木が叫ぶ。
「あいつら、逃げやがった!」
 見ると、倒れたはずのバーナーとアクアダッシャーの姿も無くなっていた。
「この!」
 跡を追おうと、エンプレスが飛ぶ。だが上空からの落下物に気付いて急ブレーキをかけた。慌ててキャッチすると、パトラガー15のボディを形成していたパトカーだった。
「これって…」
 目を丸くする璃音。そこへ、立て続けに別のパトカーが落ちてきた。真下は警官たちが大勢いる警察署の駐車場である。下手をすると大惨事になりかねない。
 エンプレスは最初に捕まえたパトカーを脇に押し込むと、まず一台キャッチし、腕を伸ばしてもう一台。その二台を大急ぎで肘と肋の間に挟みながら、足の先に一台引っ掛け、柔らかく蹴り上げて胸に落とす。それを左手で押え、真横に跳んでさらに落ちてきた一台を右手で受け止める。
「ふう…」
 都合五台、なんとか落下を免れた。扱いが扱いだけに車体は相当へこんではいるが、あとで修復すれば良いから問題は無い。
 璃音が胸を撫で下ろすと、さらに四台が真逆さまに落ちてきた。
「ひゃあっ!」
 もはや形振り構ってはいられない。エンプレスは落ちてくるパトカーを掻き集めるようにして飛びまわり、胸と腹で受け止る。合計九台のパトカーを腕で支えながら、璃音は上空を凝視した。だが、これ以上の落下物は無いようである。
「ふう。よかった…」
 璃音は今度こそ安堵のタメ息を吐き、そして、エンプレスはヴェルヴェットフェザーの光を降らせながらゆっくりと駐車場に着地した。
 周囲の建造物はすっかり元通りになり、新品同様になったパトカーが駐車場に並べられると警官たちから歓声が上がった。アヴァターラの実体化を解除した璃音が蛍太郎の元へと戻ると、一斉に拍手が起こる。
「おつかれさま」
 蛍太郎は璃音の頭を撫でた。嬉しさいっぱいに微笑んで、だがそれから、璃音は俯いた。
「ありがと。でも、逃がしちゃったね」
「まあ、そう簡単に片付くもんじゃないさ。連中の秘密も判ったし、前進はしたさ」
「そうなの?」
 蛍太郎が何のことを言っているのか判らなかった璃音は、少し思案して言った。
「あの、タイツのこと?」
「うん」
 蛍太郎は頷いたが、脳波受信素子のことは言わないでおく。
「いくら魔王の力だからって、タイツと…たとえばライターを合体させれば炎を操る能力を秘めたスーツが出来るなんて、凄いなぁって」
 璃音は頷いた。
「そうだね。なんでもありだよ、それじゃあ」
「ホント、困ったもんだよ。理屈も何もあったもんじゃない」
 蛍太郎が苦笑すると、璃音は思わず吹きだしてしまった。
「あはは。ホント、困ったもんだよね」
「そういうパワーなんだから、しょうがないけどね」
 蛍太郎が肩をすくめると、璃音は小さく笑った。
「パワー、ねぇ…」
 それから、璃音は空を仰ぎ見た。
 信じてきた魔王に裏切られながら、運命に屈せず自ら魔王として再出発したクーイン。進む方向こそ間違っているとはいえ、そこには頑強な意思があった。そして恐らく、彼は孤独で、その孤独を癒す手段を持ってはいない。彼が選んでしまった道において、それを得ることは困難であろう。少なくとも璃音には、そう思えた。
「どうしたの? 悲しそうな顔して」
 蛍太郎は璃音の顔を覗き込んで、そんなことを言う。璃音は首を振り、
「なんでもないよ」
 と、呟いた。すると蛍太郎は少女の頬を撫で、静かに言葉をかけた。
「君は君で、他の誰かの合わせ鏡じゃないし、その逆も然りだ。アイツはアイツで、恐らくは今の状況を善しとしているはずだ。自ら孤独を選ぶのもまた、生き方だよ。僕にも、なんとなく判る気はする」
「そう、なのかな?」
 璃音には判らなかった。
 人は失うものがあるからこそバカげた選択を回避できるというのも事実。実のところ璃音は、本当に独りでいたら自分がどうなっていたか、恐ろしくて想像もできないでいた。それを、改めてクーインの言葉で気付かされたのである。
 そんな璃音の内心を知ってか知らずか、蛍太郎は包み込むようにして愛する妻を抱きしめた。
「アイツは、僕らがいなければ君も同類になっていたはずだと言っていたけど、どんな境遇にあっても君なら道を誤ることは無かったさ。
 だって、君の力は強いだけじゃなくて、暖かくて優しいんだから。悪いことになんて使えっこないよ」
「けーちゃん…」
 零れ落ちる涙を抑えることなく、璃音は蛍太郎の胸へと顔を埋める。夫は約束どおり自分を守ってくれているのだと、璃音は大きな幸せとともに実感した。
 
 
9−
 翌日の朝は、雲ひとつ無い晴天だった。
 新しい寝室にもすっかり慣れた璃音と蛍太郎は、つい先ほどまでベッドの上で繰り広げられていた"お楽しみ"の余韻に浸っていた。
「けーちゃーん」
 猫が甘えるように、璃音は頬を蛍太郎の胸にすり寄せる。蛍太郎はその頭を撫でてやりながら、髪を指に絡めて弄んでみる。サラサラでクセ一つ無い髪が指先を素直に流れていく。
「なに? 子どものことなら、もう焦らなくて良いだろ」
 図星だった。璃音は頬を膨らませる。
「早くユウリちゃんに会いたくないの?」
「あの子と次に会うのは二十四年後って決まってるんだし、これはむしろ僕らより、僕らの子供たちの問題だよ」
 今までなら、これから蛍太郎がなだめすかす展開になったものだが、今日の璃音は素直に頷いた。
「そっか、そうだよね。でも、長いなぁ…」
 蛍太郎は微笑んだ。
「だけど多分、あっという間だよ。僕だって、璃音ちゃんと逢ってから十年待ったけど、思い返してみれば月日の流れの早さを実感するばかりだよ」
 すると璃音は、含み笑いを浮かべて蛍太郎の顔を見上げた。
「でもさ、待ってるときは長かったでしょー。わたしにえっちなことしたくても、できなかったもんねぇ」
「意地悪なこと言うなよぉ」
 と、口を尖らせた蛍太郎だったが、直後に、
「ひゃっ!」
 と、情けない悲鳴を上げてしまう。タオルケットの下で、璃音が敏感な部分を強く握ったからだ。
「だって、こんなになってるよ? 可愛い♪」
 璃音は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「くぅっ。それはだね…。昨日、散々死にそうな目に遭ったから、種族保存の本能が…」
 蛍太郎は言い訳するが、璃音の指が動き出したために途切れ途切れになってしまう。頭の部分を親指と人差し指で先端を挟んでグリグリとねぶるように責められて、痛みと快感がない混ぜになった妙な感覚に襲われる。しかも、痛みが増すというのにソレは正直にもどんどん大きくなる。身悶えする蛍太郎の顔を見て、璃音はまた微笑んだ。
「なるほど〜。けーちゃんの本能が、わたしを孕ませたいって言ってるんだぁ」
「そんな、身も蓋も無い…」
 半ばベソをかきながら蛍太郎が呟くと、璃音はその頬を撫でながら微笑んだ。
「わたし、もう焦らないよ。自分の将来だって考えなきゃいけないし、これからはじっくり、十年分取り戻す勢いで…だよ。そしたら多分、授かると思うから」
「…えーと、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるですか、奥様」
 今現在、まさに生殺与奪の権を握られたに等しい状況だけあり、自然と言葉遣いが丁寧になる蛍太郎だった。璃音は首を傾げる。
「けーちゃん、下手じゃないじゃん」
「えーと、お褒めに預かり光栄ですが…ところで。さっきみたいなの、誰から教わったの?」
 璃音は得意げな笑みを浮かべながら答えた。
「誰にも。わたし、いじめられるの好きだから、そのツボをこう、人のネクタイを結んであげる要領で、適用してみたんだけど。よくなかった?」
 蛍太郎は躊躇いがちに頷く。
「…大変よろしゅうございました。新しい何かに目覚めそうな気がする…」
「そうなの?」
 それから少し逡巡して、蛍太郎はおずおずと口を開いた。
「…えーと…試しに、足で…していただいても…よろしいですかね?」
 思いもよらぬ言葉に、璃音は大きな目をさらに大きくして、呆気に取られてしまった。
「あ、足で?」
 驚いた璃音だったが、その提案の内容を吟味した結果、好奇心がムクムクと鎌首をもたげてきた。
「どうすればいいの?」
 璃音が身体を起すと、蛍太郎は嬉々としてタオルケットを跳ね除ける。
「じゃあ、そっちに座って」
「うん」
 言われたとおり璃音は、横たわったままの蛍太郎の膝の間に座る。
「足伸ばして、それで、こう…指で挟んで、握るみたいに…」
「こう?」
「あうっ…そう、そんな感じ。じゃあ、上下に動かして…。くっ、はぁ…。そうそう、それ…いいよっ」
「痛くない?」
「いや、その…ちょっと痛い感じが、いいなぁって…」
「歯が当たると痛いって泣いて怒るのに?」
「…君には判らないよ。あの痛みの辛さ、悲しさは」
「ふーん、そりゃそうか。…じゃあ、こういうのは、どう?」
「あっ、いいっ! それ、それ…いいよ、璃音ちゃんっ…」
「ホント? じゃあ、可愛いけーちゃんのために、頑張っちゃうよ〜」
「お、おおおっ! ちょ、激しっ…! あっあっ…ああっ…」
 色々と盛り上がってきた矢先、台所の方からけたたましい悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああああああああああああああっ!!」
「斐美お姉ちゃんだ!」
 璃音は即座にベッドから飛び降りた。部屋を出ようとして裸である事を思い出し、床に放り出してあったワイシャツを着ながらドアを開ける。お預けを食らった蛍太郎もスウェットの七分丈パンツを穿き、前を押えながら部屋を飛び出す。
 二人が台所の前に駆けつけると、エプロン姿の斐美花が廊下に立ち尽くしていた。
「斐美お姉ちゃん!」
 璃音の声に、斐美花は引きつった顔で応えた。
「あ、あ、あれ…あれっ!」
 指差した先、台所には奇妙な物体が浮遊していた。
 全高は五十センチ程度だろうか。まんじゅう型の頭と丸みを帯びた洋ナシ形の胴体。その膨らみの下に二本の突起が生えており、土偶の脚のように見える。腕はチューブ状になっていて、その先端に鍋掴みのような手がついている。この物体を形容しろと言われたら、クラシカルなロボットとしか言い様が無いだろう。
 おまけに、そのロボットの背後では冷蔵庫のドアが開いていて、そこで何かが蠢いている気配がある。
 璃音は身構えて、ロボットへ声をかけた。
「あの、どちらさまでしょうか?」
 するとロボットは首を回して璃音の方を見た。丸い目が光り、口のあたる部分にある細長いスリットを明滅つさせながら喋り出した。
「おお、璃音さま、お久しぶりです。後ろにいらっしゃる蛍太郎さまも。良いところにいらっさしゃいました。
 そちらの…斐美花さまですか。先ほどご挨拶申し上げたのですが悲鳴を上げられてしまって、ほとほと困り果てていたところだったのです」
 外観とは裏腹の流暢な物言いには、聞き覚えがあるような、ないような。璃音と蛍太郎が顔を見合わせていると、ロボットは自分を指差しながら言った。
「私です。D3、…レジーナ・ドーロのAIです。普段はこのボディで活動しているんですよ」
「ああ、思い出した」
 璃音と蛍太郎が同時に手を叩くと、D3は右手を何倍もの長さに伸ばして二人に握手を求めた。さらに斐美花にも手を伸ばす。おっかなビックリで斐美花が握手をすると、D3は首を冷蔵庫の方へ回し、咳払いをした。
「ゴホン」
 もっとも、呼吸をしていないロボットが実際に咳をするワケはなく、それらしい音声を発しただけである。
「マスター。おじい様とおばあ様がお見えですよ。ご挨拶なさったらいかがです?」
 その声に応え冷蔵庫のドアの影からひょっこりと現れたのは、誰あろう。藤宮ユウリだった。
「おじいちゃん、おばあちゃんっ!」
 ユウリは璃音たちの姿を確認するや否や、パタパタと走りよってきた。
「ひさしぶりーっ! 会いたかったです!」
 璃音と蛍太郎は顔を見合わせた。呆気に取られたまま、揃って呻く。
「久しぶりって…」
「はい。ニヶ月ぶりですっ」
 満面の笑みのユウリ。璃音は額を押えながら首を振った。
「わたしたちにとっては、昨日会ったばっかりだよ…」
「で、今日はどうしたの?」
 蛍太郎が尋ねると、ユウリはまた笑顔で答えた。
「はい。大学に提出するレポートを書くための、調べものをしに来ました」
 ハキハキと丁寧に、非常に模範的な回答を続けるユウリ。璃音と蛍太郎はそれで満足してしまっていて、重要な事実を忘れていた。蛍太郎などは満面の笑みで、
「そうかぁ。がんばれよ。判らないところがあったら、いつでも手伝うからね」
 と、言い出す始末である。この状況に、斐美花が疑問を投げかけた。
「あのねぇ二人とも。孫可愛さに目が曇るのはしょうがないかも知れないけど、この子がウチの冷蔵庫を荒らしていた事実はどうなるわけ?」
 と、主婦ぶりが板についてきた斐美花が台所への縄張り意識を剥き出しにする。ユウリはバツが悪そうな顔をして、深々と頭を下げた。
「ごめんなさいっ。お腹がすいてたから…。我慢できなくて、ハムとかカマボコとか…頂いてしまいました…」
 三人が冷蔵庫を覗いてみると、他にも玉子焼きやチャーシューなど調理しなくても食べられる物や、食べられないことはないが非加熱では少々微妙なベーコンやソーセージなどが、根こそぎ食べつくされていた。
「うーわ…」
 斐美花が口をポカンとさせて呻き、璃音も目を丸くする。蛍太郎が何かを諦めきったような表情で、その言葉を洩らした。
「…そっか。璃音ちゃんの孫だもんね」
 それを聞きとがめた璃音が蛍太郎を睨む。
「どういう意味?」
「なんでもございません」
 蛍太郎はガックリと項垂れた。
 すると、そのとき。
 今度は玄関の呼び鈴が鳴った。四人と一体が顔を見合わせ、お互いの格好や素性を瞬時に判断。斐美花が渋々ながら玄関へと向かう。
 それから二分後。
 魂が抜けたような顔で戻ってきた斐美花の隣で、白い着物を着た髪の長い女が手を振っていた。誰あろう、藤宮式子である。
「式子さんっ」
 目を丸くした璃音に、式子は笑顔で手を振った。
「久しいな。元気なようで何よりじゃ。此度、いろいろあって連続帯への出入りを少々控えることになったから、その間こっちに置いてくれ」
 すると、ユウリが嬉しそうな顔で式子に迫る。
「それって謹慎? 謹慎ですか?」
 思い当たる節がある璃音は謝罪の言葉を口にしかけたが、それを遮るように式子はユウリに向かって怒鳴った。
「主にお前のせいじゃ!!」
 それにはさすがのユウリも項垂れてしまったので、式子は咳払いをしてから言った。
「まあ…気にするな。誰も間違ったことをしたワケじゃないんじゃ。わらわには無限に等しい時間があるゆえ、この程度のことで帳尻合わせが出来るなら、いくらでもしてやるわ。
 そういうわけなんで、今のわらわはちゃんと腹が減るんじゃ。とりあえず、なんぞ食わせてくれい」
 その言葉で、沈みかけた雰囲気が明るくなった。璃音は顔を綻ばせて頷いた。
「はいっ。急いで作りますから、待っててくださいね」
 璃音が食器棚の脇にかけてあったエプロンを身につけると、孫娘も目を輝かせる。
「ユウリも、おばあちゃんのお手伝いします」
「待ってよ。私だって出来るんだからね」
 斐美花が大慌てで、その中に加わった。こうして女子三人がワイワイと台所に立つのを眺めていると、蛍太郎は顔が緩むのを止められなかった。コーヒーメイカーをいじりながら、呟く。
「しばらくは、賑やかになりそうだなぁ」
 すでにテーブルについていた式子が、それを聞いて苦笑する。
「それは良いとして、あの様子だといつになったら飯にありつけるのやら」
「まあ、ご飯は炊けてるでしょうし…」
 と、蛍太郎は炊飯ジャーに視線を送る。業務用のへヴィ級ボディからはご飯が炊ける芳しい香りがする…筈だった。嫌な予感がした蛍太郎は近くにいるはずのD3を睨むが、このロボットときたら式子の隣の椅子に乗ったまま、目を合わせようともしない。
 蛍太郎の予感は今、確信に変わった。
 だが、現時点では確証は無い。まずは真実を確かめるべきだろう。
 意を決した蛍太郎が炊飯ジャーに手を伸ばしたとき、ユウリの声が台所に響きわたった。
「あ、あのっ…ごめんなさいっ!」
 
 

…#11 is over.

モドル