入場料の高い美術館 20世紀に書いたおはなし。『20世紀の忘れ物』をとってきた!といえばキザに聞こえるかもしれませんが、本当のところは『うさぎさんたちのおはなし』の「寝台特急『出雲』に乗って」と競合して敗れたおはなし。やはり、あのころが自分とって一番油がのっていた時かもしれません。 モーリス・ユトリロ(1833-1955) ユトリロは若いころケンカに明け暮れたり、アル中に罹ったりと、相当荒れた生活を送っていました。アル中の治療に絵を描きはじめたということで、殆んど独学だったとのことです。その後、絵画が認められ、50歳を過ぎてからユトリロのファンの未亡人(年上?)と結婚して、静かな晩年を過ごしたということです。ユトリロの人生(生き方)に憧れてしまいます。15年後、未亡人の方、バツイチさん、募集します。ってなにいっているんだか…。 ポール・セザンヌ(1839-1906) セザンヌの静物画は後のキュビズムに影響を与えたということで、物を円錐や球などの幾何学的に捉えた画風が特徴とのことです。 クロード・モネ(1840-1926) “光の画家”といわれるモネは日本では「睡蓮」が馴染み深いのではないでしょうか?光をいかにして描くか?に力を注いだというか苦労した、ということをいやというほど感じ取ることができる作品を残したと思います。 アメデオ・モディリアーニ(1884-1920) モディリアーニの描いた絵や彫刻は一目見てそれと分かる作品です。果たして彼が描いた肖像画のモデルになった女性たちは、自分の肖像画を見て素直に喜べる人が何人いたでしょうか? ヨハネス・フェルメール(1632-1675) 昨年(2004年)は日本ではフェルメールの年といっても過言ではなかったのかな?と思います。絵画「アトリエ」が日本の美術館で公開され、映画「真珠の耳飾りの少女」が公開されました。ちなみに筆者は両方見ました。自身、絵のほうは「恋文」に続いてフェルメールの原画を見るのは「アトリエ」で2作品目です。日本にいたら、彼の原画を見ることができるのは数年に一度でしょう。本文にもあるように、彼の絵にはソフトフォーカスというか“やわらかさ”があると思います。写術的でありながら所々ウソをつく手法?を用いています。3次元の空間を2次元(絵)に押し込めようとするときに生じる“いびつ”感を取り除くために、わざと透視法を無視(通常は焦点はひとつの絵につきひとつであるが、画面の中心に焦点がある場合、四隅に描かれたものほどかたちが“いびつ”に見えてくる)するといったことをさりげなくやっています。フェルメールは贋作(盗作)にあったり、盗難やテロの対象になったりと話題に事欠きません。生涯に残した絵画が30点余りとその数が少なく、なんと言っても質の高さが前述のような事件・話題を引き起こすといわれています。筆者は肖像画や人物画は余り好きではないのですが、フェルメールは別格です。死ぬ前に一度、「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」の原画を見てみたいものです。 ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919) 概してルノワールの作品はやわらかすぎて好きではないのですが、「テラスにて」は別です。「テラスにて」ほど画集などの写真と原画が異なって見えた(もちろん原画のほうが心地よく見えた)絵はありません。 エドワード・ホッパー(1882-1967) ホッパーが残した風景画は思わずその場所に行ってみたくなる様な日差しや暖かさを感じるものが多いいと思います。「踏み切り」もそんな絵のひとつだと思います。 佐伯祐三(1898-1928) 佐伯祐三はユトリロ展を生涯で二度見たと何かに書いてあったので筆者はユトリロ展を三度見たいと思っています。 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890) 南仏アルル時代の作品が好きです。晩年に描いたものはゴーギャンの耳を切るほどの精神状態だったのでしょうか?何か苦々しいというべきか?危機迫るものが絵の中に現れているようで好きになれません。 マルク・シャガール(1887-1985) ユダヤ人の彼は第2次世界大戦中、アメリカに亡命するなど、苦労の多い人生だったようです。シャガールの描く動物たちの目(羊や牛など)には、ハッとさせられるものがあります。筆者はパブロ・ピカソよりもシャガールのほうが好きです。 サルバドール・ダリ(1904-1989) ジョルジュ・デ・キリコやルネ・マグリットやダリが描いたシュールレアリズム(超現実主義)の絵には感服してしまいます。いったいどこからああいう絵が生まれてくるのか?その技法や発想力には舌を巻きます。彼らのことを真の天才と呼ぶにふさわしいでしょう。 エドヴァルト・ムンク(1863-1944) 昨年オスロの美術館所蔵のムンク作「叫び」が強奪にあいました。このおはなしを書いた当時、こんなことが起こるとは思っても見なかったことです。 と、まあ言いたいことを言ってきましたが、実はこのおはなしの出発点は宮沢賢治著『注文の多い料理店』です。『注文の多い料理店』のパロディから始まったのですが、最初の構想とはかなり違ったものになってしまいました。参考文献については、20世紀に書いたおはなしなので、なにを参考にしたのか?分からなくなってしまいました。もしも、パクリがあったらごめんなさい! 早春にて・その1
“事実は小説よりもきなり”と、よく言われます。この場合それが当てはまるかどうか?はわかりませんが、早春にて・その1は事実をもとにしたお話です。事実をもとにしたというだけであって、もちろんすべてが事実ではありません。どこまでが実際に起こった出来事で、どこからがフィクションかは読者の想像に委ねたいと思います。 “パイプの青年”がハーモニカで吹く曲目について… 1. アクロス・ザ・ユニバース ジョン・レノンが作った曲。この曲は4つのヴァージョンが出回っていると思われます。アルバム、レット・イット・ビーに収められているものはオリジナルテープの回転速度を落としたために、E♭若しくはDからD♭に曲のキーが下がっています。楽譜も少なくともDとD♭が出回っており、そのためにDの譜面どおりにハーモニカを吹いてもレット・イット・ビーのヴァージョンに合わない事態が発生し悩んだことがありました。シングルヴァージョン(因みにこちらはE♭)では、冒頭と終わりに鳥のさえずりや羽ばたく音がサンプリングされています。 2. シー・ラヴズ・ユー 1フレーズ目のヤー・ヤー・ヤーが印象的な曲です。ハーモニカの独奏でも絵になる楽曲であると思います。 今を溯ること7,8年前の出来事です。筆者が井の頭公園のベンチにひとりで座っていると、アメリカ人の高校生に時間を尋ねられました。そのアメリカ人は自分がデンバーからやってきたことや高校生であること、また、自分は進学するつもりであるけれど、大学とはどんなところであるか?(アメリカ人の彼は筆者を学生と思っていた?もちろん当時の筆者は学校を卒業してかなり経っていました!)などを矢継ぎ早に話しました。結構流暢な日本語だったように記憶しています。するとそこにもうひとり日本人、こちらは大学を休学中、がやってきて今の日本の状況、経済が低迷してるとか犯罪が増えているなどをどう思うか?などを聞かれました。で、結局のところ宗教の勧誘?で腕を引っぱられて拉致されそうになりました。筆者はオウム真理教をオウム真理(まり)と読み、日系二世のアイドルだと思い込み、ファンクラブ感覚で入信していたかもしれない!という過去を持つので、腕を引っぱられたときに精神的にまいっていたらそのまま彼らと一緒に教会へ行っていたかもしれません。あぶない、あぶない!彼らの宗教がどんなものであったのか?全く知らないし、もちろんまじめに?宗教をしている人は多いし、世の中エセ宗教ばかりではないので、一概に悪いとは言えませんが…。 “パイプの青年”がハーモニカで吹く曲目について… 1.
ラヴ・ミー・ドゥ ジョンが吹くハーモニカが印象的な曲です。ビートルズのなかでは一番ブルージーな曲であるといわれています。 2.
ゲッテイング・ベター ポールの一度聴いたら忘れられないメロディアスなポップスです。筆者が一番好きな曲のひとつです。 |