インターネット探訪/アメリカの明暗




先日ネットサーフィンをしていたら、またまた面白い情報に出会ってしまいました。とにかく紹介しますのでお読みください(すぐれものですよ!!)。





ヤセル・アラファト氏の死を悼む

ベンジャミン・クレーム

この時代の偉大な人物でありながら、敵から迫害を受け、味方にすら誤解を受けた人物が死去した。彼はビジョンと、飛切りの勇気と、楽観性で半世紀にわたってパレスチナの抑圧された民族にとってインスピレーションとなり、父親的な存在であり続けた。
彼は何十年もの間、シャロン氏の宿怨の標的であった。またイスラエルのプロパガンダ・マシーンは平和のチャンスに対するあらゆる失策、拙さ、過ちを彼のせいにし非難してきた。泥をかぶらされて、長年の味方からすらも“傷を持つ大統領”と見なされてきた。
彼は決してそのような人物ではない。彼は、ヨルダンの故フセイン国王同様、1990年4月にロンドンで開かれた3日間のマイトレーヤ主催の会議に招待された列席者の一人であった。それ以来、マイトレーヤの直接的なインスピレーションと指導の下で働いてきた。マイトレーヤは、繰り返し繰り返し、彼に不公正な協定には同意しないようにと助言した。提案された協定はすべて不公平なもので、不公正であるがゆえに長続きはしなかっただろう。
2002年5月の本誌に掲載された私の師である覚者からの記事をここに引用する。
「・・・他方、イスラエルは自爆行為に悩まされて、『テロリズムに対する戦い』という言い訳を利用して、いつもの如く過剰反応する。アラファト氏に対する恥知らずな迫害と屈辱的な行為の中に、イスラエルの指導者と軍隊は何も誇るべきものはない。イスラエルの国民は、他の誰よりも、抑圧された人々の苦悩を理解すべきである」

ベンジャミン・クレームとの質疑応答

ヤセル・アラファト(1929―2004)、パレスチナ自治政府大統領
魂6、パーソナリティー:4(6)、メンタル体:1(4)、アストラル体:6(6)、肉体:3(7)。進化段階:2.4

Q アラファト氏は毒殺されたのですか。
A いいえ、彼は胸が張り裂けるような悲痛な思いのために死んだのです。

Q ヤセル・アラファト氏が、イスラエルのエド・バラク元大統領によって提案された和平案を受け入れなかったのは愚かなことでしたか。
A いいえ。それは公正な正しい案ではありませんでした。バラク氏はパレスチナがウェストバンク地区の90%以上を提供されていると主張しましたが、実際には、ウェストバンクの42%にガザ地区を加えたものを与えたにすぎません。そうであってさえ、ウェスト・バンクにはイスラエルの施設がたくさんあり、それがイスラエルの守備隊によって警備されています。施設を結ぶ道のためにイスラエル軍は迅速に交流でき、いわゆるパレスチナ地域をそれぞれ隔離された地区に分断しています。その案は「非常に寛大なもの」、「あまりに寛大すぎる」とイスラエルのプロパガンダ・マシーンによって喧伝されましたが、実際には正義の戯画でしかありません。
(2003/3)

Q アラファト議長は拘束の間も意気盛んであったと伝えられています。彼の医師が彼を訪れ、彼のような高齢にあって、とてつもないストレスにもかかわらず、彼の健康状態は良好だと宣言しました。(1)マイトレーヤは、議長や司令部に囚われた同僚たちを特別に保護する祝福を与えましたか。(2)マイトレーヤは、1988年以来アラファト議長と交流していますか。(3)マイトレーヤは最近、議長の前に姿を現されましたか。
(2002/6)
A (1)はい。(2)はい。(3)はい。

“勇者の平和”

偉大で善良なアラファト氏に自ら語ってもらいましょう。
2002年2月に「私は平和について語りたい」という題のアラファト氏の声明がニューヨーク・タイムズ紙に掲載された。その抜粋を以下に掲載する。
「われわれは真の独立と完全な主権、つまり、自分たちの空域、水資源、国境を完全にコントロールする権利、近隣諸国との自由な通商関係を持つ権利、それに自由に通行する権利を望む。要するに、われわれが求めるのは、自由な世界が今享受しているものだけであり、イスラエルが自分たちのために主張しているもの、われわれが自らの運命をコントロールし、自由世界の中に自分の位置を見いだす権利を求めているにすぎない」
「平和は個々の人間の間で調印された協定ではなく、諸国民の間の和解である。一つの国民が他国民の支配を要求するとき、また一方が他方を平和の相手として処遇することを拒否するとき、また一方が論理の力を用いる代わりに力の論理を用いるときには、二つの国民は和解することはできない。イスラエルは正義を否定する限り平和は得られないことを理解しなければならない。パレスチナの領土に対する占領が続く限り、そしてパレスチナ国民が自由を拒否されている限り、私がイツハク・ラビン氏とたどり始めた『勇者の平和』への道は障害だらけの道となるだろう」
「パレスチナ人は平和のビジョンを持っている。そのビジョンとは、占領の完全な終止と1967年当時のイスラエル国境線への復帰、そしてエルサレムを一つの開放都市として、二国つまりイスラエルとパレスチナ両国の首都として共有することである。それは二国が対等に双方にとって利益となる経済的社会的な協力を楽しむことである。過去40年にわたる残虐なパレスチナ国民の抑圧にもかかわらず、イスラエルがパレスチナを自国の意思を押し付けることのできる属国としてではなく、対等な相手と認めるとき、そのようなビジョンは実現するだろう。実際そうならなければならない」
「パレスチナ国民は紛争を終わらせる用意がある。われわれはその過去が何であれ、いかなるイスラエルの指導者であれ、彼と共に席につき、パレスチナの自由について、占領の完全終止について、イスラエルの安全について、避難民の惨状に対する解決策について、イスラエルの人口統計的な懸念に配慮しつつ話し合う用意がある。ただし、われわれは嘆願者としてではなく、対等な相手としてでなければ話し合いには応じない。投げてよこされる残飯を有り難がる敗戦国としてではなく、正しい平和的な解決を求める者としてでなければ話し合いには応じない。なぜなら、イスラエルの圧倒的な軍事的優性にもかかわらず、われわれはそれより大きなもの、つまり正義の力を持っているのであるから」
(ニューヨーク・タイムズ)

(*)‘パーリア’:パライア、最下層民、不可触民□