インターネット探訪/日米の光と影



先日ネットサーフィンをしていたら、またまた面白い情報に出会ってしまいました。とにかく紹介しますのでお読みください(すぐれものですよ!!)。


むしられ続ける日本







  ◇出版禁止となったマイケル・ハドソンの著書

 政治、経済、時事問題と出版されている著書は数多い。新聞や雑誌、テレビやラジオなども時云々刻々と最新のニュースを伝えている。我々は自分を取り巻く環境や自然、社会に関してより深い理解を求めようと努力する。かくゆう私もその一人であるが、長年にわたり努力してきたつもりだが、あまり成果があがっているような気がしない。書店にならぶ数多くの本にも目を通してきたつもりだが、この社会に対してわかったような、わからないような、といったところである。
 最近気づいてきた事がある。それは我々の回りには、膨大な量の情報が氾濫しており、そのどれも事実ではあるが、’真実’はその奥に隠されており注意深くみないと決してわからないということだ。経済に関しても、学者やジャーナリストの書く本は、驚くほど多い。書店での回転も速く1,2ヶ月もたつとすでに入れ替わってしまっている。その多くが焦点がボケた解説をしていて、事実は多いがその奥の真実が掴めない。そんな中で、「おお、これは!」という本に出会うことがある。目からうろこが落ちるような感覚だ。だが、そんな著書は数少ない。だから見つけると泥のなかに砂金を発見したような気分になる。
 経済の分野において、私にそんな目からうろこが落ちる感覚を味あわせてくれたのが、ビル・トッテン氏の一連の著書である。この人はアメリカで経済学博士号をとり、日本に来日し、そこで会社を起こしたという風変わりな経歴を持つ。コンピューターソフトの販売会社アシストを経営している企業人である。ゼロから出発して現在700人程の規模になっているというから、たいしたものである。経済、金融の専門家であるはずの多くの学者や、ジャーナリストのボケた解説と違い、この人の解説はズバリ核心をついている(と私は思っている)。専門家でなく、むしろ企業人だからそうなのかも知れない。机上の空論でなく、現場の感覚だからこそ真実が見えるのかも知れない。
 ビル・トッテン氏は日本社会に対して様々な意見、提言をしているが、ここでは、日本がアメリカからいかにむしられているかといった事に焦点を当ててみようと思う。それに関しトッテン氏は、1972年に出版されたマイケル・ハドソン博士の著書を紹介している。
「Super Imperialism:Economic Strategy of American Empire」
と題したこの本は、アメリカで出版されるとすぐ売り切れたという。ベストセラーになったわけではない、買ったのは一般庶民ではなくアメリカ政府機関で、彼らにそのほとんどを買い占められたのである。彼らはそれを政府の職員の教育用マニュアルとして使用したのだった。事実、米国防省は、その後マイケル・ハドソン氏を講師として雇い入れたのだった。日本の出版社も、この本の版権を買い取り、日本語に翻訳して出版しようとした。しかしアメリカはこの出版社に圧力をかけ、本の出版を中止させたのである。言論の自由などうわべだけのことだ。読むなと言われれば読みたくなるのが人間の心情というものだが出版されていないのでどうしようもない。ビル・トッテン氏によると、この本は、金本位制に代わる「財務省証券(米国債)」本位制を確立することによって、アメリカがどのように他の諸国を搾取しようとしているかを諸外国に説明するために書かれたものであるという。つまりそれまでドルと金(キン)を交換することにより、行ってきた貿易赤字の穴埋めを財務省証券によって、外国に流れたドルをアメリカに環流する仕組みを作ったのである。例えて言うと、日本人が経営する料理屋で、ヨタ者のアメリカ人が、つけで豪勢に飲み食いして、溜まりに溜まったつけを踏み倒すということである。
 では、具体的にアメリカがいかに日本をくいものにしてきたか見てみよう。

  ◇禁じられた金保有

 ご存じのようにアメリカは1971年まで金本位制を採用していた。米ドル1オンス(31.103g)を35ドルで交換していたのである。それまで米国はベトナム戦争による膨大な戦費をまかなうため、大量のドルを刷っていた。当時日本製品はアメリカ市場で競争力を持つようになっており、日本企業は輸出で得た米ドルを円に換え、その円を設備投資や住宅、その他の投資に使った。当然日銀には膨大なドルが滞留しており、日銀はその使い道を決めねばならなかった。
 例えばフランスでは、ドゴールが余剰ドルを毎月金に換えていたという。まともな独立国なら当然の行為である。紙幣はいつなんどき紙クズになるかわからない。紙幣を発行する国が、おかしくなってしまうと、その国の紙幣はあっという間に価値を急減させる。最近の例でいえば、ロシアがそうである。1991年ソ連解体時1ドル=100ルーブルが、現在では1ドル=1300ルーブルである。その価値がドルに対して13分の1になってしまったわけだ。それゆえ各国は、いざというときに備えて、普遍性や希少性もあり、工業製品や美術装飾品の原料として実質的価値を持つ金を保有しようとするのである。だが下の図をみてほしい。IMFの1997年12月の資料である。各国の外貨準備高と、その内訳である。一番下の日本はその経済力に相応して先進国一の2200億ドルの外貨準備高をほこっている。異様なのはその中身だ。外国為替が全体の94%を占めているが、そのほとんどが米国債だという。金(キン)にいたっては、なんと全体の1%に過ぎない。
 経済力に反比例して日本は異常に金の保有量が少ないことに気づかれると思う。これは日本がアメリカの属国であることの一つの証明である。アメリカは日本に、普通の先進国並の金の保有を禁じているらしいのである。

各国の外貨準備高(1997年12月現在/単位:100万米ドル)

国名 合計 外国為替 その他 金の割合
フランス 55,929 25,002 27,097 3,830 45%
イタリア 77,545 21,806 55,431 308 28%
米国 69、960 11,050 30,810 28,100 16%
イギリス 38,250 4,810 30,800 28,100 13%
ドイツ 85,349 7,762 69,853 7,734 9%
カナダ 17,969 146 15,122 2,701 1%
日本 220,792 1,144 207,866 11,782 1%

 金が買えないこと、大量のドルを抱えていることで日銀は、米国債を買わなければならない状況に追い込まれたわけである。もちろん、米国は米国債を日本に買わせるために、日本の金保有を禁じたのである。2200億ドルというと1ドル=120円として、26兆円を超える莫大な金額だ。こんなに貢がされていたのかと思っていたら、事態はそんななまやさしいものではないことがわかってきた。

  ◇日本政府、日本企業が所有する米国債の実体

 インターネットで米国債のことを調べているうちに、驚くべき資料を見つけてしまった。どうやら日銀が保有する外貨準備高とは、米国債のうちの短期のもので、市場で売り買い出来るものに限られているようなのだ。例えば日銀が為替の円買い介入をする場合は、この短期の財務省証券を売って円を買い、円高へ誘導するとうことをするわけだ。だが米国債は10年、20年、30年と長期のものもある。それらも政府日銀は毎年大量に購入し続けていたのである。
 下図を見ていただきたい。これは1990年からの資料であるが、日銀が保有する短期、中期、長期すべての米国債の残高である。右側のかっこ内が前年度から増えた分である。日本政府は、確実に米国債を毎年買い増しして、1997年には1兆1990億ドル、1ドル120円としてなんと約144兆円もの膨大な米国債を保有してしまっているのだ。

米国債残高
1990年 4220億ドル
1991年 4640億ドル(+420億ドル)
1992年 5080億ドル(+440億ドル)
1993年 5640億ドル(+560億ドル)
1994年 6330億ドル(+690億ドル)
1995年 7290億ドル(+960億ドル)
1996年 9320億ドル(+2030億ドル)
1997年 11990億ドル(+2670億ドル)

 読者は、それだったらその溜まりに溜まった中長期の米国債を市場で売ればいいと思うかもしれない。もちろんそんなことは米国は日本に許可していない。その国債が満期になるまで売らないと日銀は約束させられているというジャーナリストもいる。『日本国破産』の著者、森木亮(あきら)氏は、途中で売るようなことを日本が強行しようとすれば、アメリカは日本の所有するアメリカの資産の凍結を行うとまで言っている。これは戦争に近い状態を意味している。
 では米国債は、全体でどの位あるのだろうか。実のところ私はこの数字を捜すのに苦労した。こういう本当に大事な数字は日本人の著書に載ってないのだ。これもインターネットで捜した数字である。アメリカの累積赤字は99年会計年度末で5兆6149億ドル、このうち年金基金などが購入した政府保有分を除いて3兆6697億ドルが市中に流通している。日本国及び日本企業は米国債の落札でだいたい全体の3割程度を常に落札していた実績から、米国債の3割は日本が購入したというのが常識になっているようだ。これは驚くべき数字である。本来ならアメリカ政府の借金なのだから、アメリカ国内で賄うべきものなのに、その3分の1を日本一国に肩代わりさせているというのである。3分の1は1兆8770億ドル。そうち政府日銀の保有分1兆1990億ドルを引いた残りの6780億ドルを、日本の銀行、生命保険会社、企業及び投資家が保有していると思われる。

(注)私は米国債の総額を1997年度で5兆6149億ドルとしたが、9兆ドルとみる人々もいる。そして日本の保有分は3兆ドル、日本円で300〜400兆円に達するというのである。どちらにしても恐ろしい額であることは間違いないが・・・

  ◇橋本元首相のブラフ

 1997年6月、当時の橋本首相が、「米国債を売りに出したいという誘惑にかられたことがある」と発言したとたん、NYダウが暴落した。もちろん橋本元首相は米国債を売ることなどアメリカが許さないことは百も承知である。ブラフをかけたのである。日本ではその潜在的なパワーが認識されていないが、日本が本気で米国債を売り始めたら、米国経済はあっという間に破滅である。アメリカの市場関係者はそれをよく知っているから、こんなブラフにも過剰反応を示したのである。
 石原慎太郎氏によると中国の米国債保有は500億ドルだという。それをアメリカは非常に警戒しているというのだ。日本の保有額1兆8770億ドルに比べたら微々たるものだが、日本なら完全にアメリカの支配下だからいいが、中国はなにをするかわからない。もし市場で売り浴びせられたらたちまちアメリカ経済に大打撃を与えてしまうと警戒しているというのだ。もしそうだとしたら日本も随分なめられたものだと思う。
 橋本発言でおもしろい論評をしたジャーナリストがいた。橋本発言に対しクリントン大統領は、それを容認する発言をした。本来なら家来であるはずの日本が主人のアメリカにたてついた発言をしたのだから、アメリカ政府は怒っていいはずだが、あえてそうしなかった。それは、この件で騒いで日本国民が米国債の実体を知ってしまうのはまずいと思って黙ってほこを収めたというのである。ほんとかどうか知らないが、おもしろい意見である。

  ◇米国債購入による金額の目減りは親方(アメリカ)に渡す上納金!?

 金(キン)は金利はつかないが、米国債なら金利がつくからいいじゃないかという意見もある。だが下の円ドル相場の推移を見て頂きたい。ニクソンショックといわれた1971年は1ドル=360円であった。それが図を見ればわかるように延々とドル安が続き1995年4月には1ドル=80円までいった。2001年1月の現在は118円で、1971年と比べると30年後の今ドルは円に対してその価値を3分の1にまで減らしているのである。仮に1971年に30年ものの米国債を買ったらその価値は今や3分の1だ。

円高の歴史のグラフ

 金利がつくから多少ましという意見もあるが、それもインフレ率とのかね合いである。わずかな金利をもらっても元本が3分の1になったら大損ということだ。ではどの位の損が出ているかということになるが、この正確な計算は不可能に近い。毎年毎年買い増しているのと、金利が変動することと、10年、20年、30年と様々な満期があるからである。80年代は米ソ冷戦の最終段階になり、減税と軍拡というレーガノミックスの時代で、その穴埋めとして米国債を日本が日銀を含め民間にも大量に買わされた時期であった。この平均レートを1ドル240円とすると、その時の米国債は今や半分の価値しかない。この30年間の途中で満期を迎えた米国債もたくさんあると思われるが満期到来とともに繰り延べて又買うということが行われたと推測される。そこから極めて乱暴だが一例を示すと、1997年の残高の半分の価値が失われたと計算すると、政府と民間あわせて110兆円の損失となる。実際は数十兆円か数百兆円かはわからない。どちらにしろ日本の損失はアメリカの利益である。これこそ日本がアメリカに収めた上納金ではないだろうか。
 政府日銀が米国債を買う原資は日本国民の税金である。銀行、生保が買う原資は日本国民の預貯金や生保に払った金である。皆さんが、米国債を買ったつもりはないと言っても間接的に買っていたのだ。そして、その損失は日銀や民間金融機関の不良債権として日々増殖しているのである。そしてその損失の穴埋めは結局、増税という形で我々が払うことになるのだ。日本国民の大多数はアメリカに上納金を支払うことを了解した覚えなどないのにである。
 おそらく数年以内に増税の話が出てくるだろう。私の情報だと、現在の自民党中枢部は消費税の10%は容認したというのである。それから15%になるのは比較的早いと思われる。彼らは、日本の財政破綻を回避するため増税は仕方ないとか、安定した年金の確保の為に増税は必至であるという説明をするはずである。この文章を読んで、もしそんな政府関係者に質問をする機会のある人がいたら、ぜひ質問してほしいことがある。それは、

「国の財政が破綻寸前であるというのなら、何故今まで長期の米国債を買い続けてきたのか、又これからも買い続ける必要があるのか」

ということである。おそらく彼らはこれからも買い続けるだろう。

(2001年1月14日)