先日ネットサーフィンをしていたら、またまた面白い情報に出会ってしまいました。とにかく紹介しますのでお読みください(すぐれものですよ!!)。
だいぶ前の落合信彦氏の著書に、アップル・コンピューターの創始者の一人(たしかウィズニアックという名の人だったと思う)にインタビューしようと自宅を訪ねたときのエピソードがあった。カリフォルニア州サンフランシスコ郊外にあるその邸宅は、空前絶後の広大な土地にあった。門を入ってから延々と車で運転するとやっと家が見えてきた。だがその家は、その邸宅専門の庭師の家だったという。それでもアメリカの一般的な中流階級より上のクラスの家だったという。
さらにこれはある人の講演で聞いた話だが、アメリカの(自動車関係だったと思う)会社の社長が、日本の会社とビジネスの交渉にやってきたときの話である。親睦を深めようと、アメリカの会社の社長さんを日本の会社の社長さんの自宅に招いたときの話である。しばらくしてアメリカの会社の社長さんは、真顔でこう言い出したという。
「庭師の家はもういいから、あなたの自宅に案内して下さい」
これは実話らしい。
ではこんどは全く逆の話をしよう。
私も期間は長くないがアメリカに住んだ経験がある。ロサンジェルス郊外の町に住んでいたが、ロサンジェルスのダウンタウン(中心街は高層ビルだがそれをちょっとはずれると貧民層のスラム街がある)には、余程の用がない限りは絶対に近寄らないことにしていた。治安の悪さが原因だが、その荒み方は日本人の私の想像を越えていた。アメリカに来た当初、一度だけダウンタウンを車で通ったことがあったが、それはすごいものだった。建物の荒廃ぶりだけでなく、道端にたむろする(ほとんどが黒人の)ホームレスの人々のかもし出す、言いようのない重く停滞した空気は、日本のスラム街というと東京の山谷くらいしか知らなかった私に大きなカルチャーショックを与えた。現地の地理に詳しい日本人からは、ダウンタウンを車で走るときは、信号が赤でも止まらないで下さい、止まると車の窓を割られて襲われる危険がありますから、と言われていたのだ。ダウンタウンの近くに(家賃が安いという理由で)住んでいた日本人から聞いた話だが、夜中になると銃声が聞こえてくるという。ホームレスの人は、ほとんど毎日の割合で亡くなっているという。治安の悪さは日本の比ではなく、彼は3ヶ月の間2回空き巣に入られたという。せっかくアルバイトをしてこつこつ貯めて買ったテレビやビデオをそっくり盗まれてしまったと言っていた。その話を聞いて私が言ったのは同情の言葉ではなく次のようなものだった。
「よかったですねえ〜。殺されなくて」
物が盗まれるなんて日常茶飯事で、あんな場所に住んで命があるだけでもめっけものというのが現地に住んでいた私の感覚であった。日本人の多くがカリフォルニアのロサンジェルスやサンフランシスコに観光旅行に行くが、ビバリーヒルズやハリウッド、ディズニーランドに行ってアメリカを見た気になっても片手落ちだ。ロンドンには、怪奇スポット巡りをするツワーがあるらしいが、ロサンジェルスでダウンタウン巡りツワーをやったら、さぞかしスリル満点だろう。徒歩でダウンタウンを一人づつ歩いたとしたら、10人中8,9人は襲われると思う。そのうち数人は生きて返ってこれないかもしれない。恐怖のツワーという意味ならアフリカの猛獣の地を旅するツワーよりすごいかもしれない。
さて今度は逆の話。
そのロサンジェルス・カウンティ(郡)の南にオレンジ・カウンティがある。私はそこに住んでいた(ディズニーランドがあるので、ここを訪れた日本人は多いはずだ)。ここは新しい町が多く、比較的治安が良い。とはいえ夜に一人歩きなんてする人はいない(治安が良いといっても日本とは比較にならない)。そこに日本の工作機械メーカーの現地法人があって、私はそこで働いていた。ある日その会社の日本人マネージャーの家での夕食に招待されたことがあった。夜だったせいだが、その美しくライトアップされた家並みに息を呑んだ。山の中腹に造成された家並みはどれも新しく、大きな家が並んでいたが、家と家の間の小道の周りは多くの花が植えられ、夜はそれが映えるように見事にライトアップされているのである。24時間入れる露天のジャグジー風呂はひときわ美しくライトアップされていた。その区画内に夜間照明付きのテニスコートがあって、もちろんいつでも自由に使える。そういった施設は全部ただである。田舎者の私には、各家に付いている大きなガレージがリモコンで開閉できることすら驚きだった。思えば私は東京足立区の一刻館というあだ名の、ぼろぼろのアパートに長年住んでいたわけでこれはカルチャーショックだった(一刻館とは漫画「めぞん一刻」から借用したもの。要するにボロボロの安アパートという意味)。まさに別天地に迷い込んだ気分だったのである。
ロサンジェルスのダウンタウンのような人間の掃き溜めと、別天地のような美しく整備された快適な住環境が同時に存在するのがアメリカらしい。同じ人間なのに、天地の差の住環境の違いをわけるものは”金”である。金がなければ、ダンボールに包まって路上で寝るしかないのである。金があれば翌日から王侯貴族のような暮らしができる。アメリカでは金はパワーそのものであり、金を持っているのが正義といっても過言ではない。アメリカでは貧困は敗北を意味している。逆に言うとアメリカでは金さえあれば、実に暮らし易いところだと言える。日本人でアメリカは暮らし易いと言う人がいたら、その人がリッチかどうか見てみるとよい。そう言う人は100%リッチな人である。
同じ資本主義の国だから日本だって同じじゃないかと言う人もいるかも知れない。確かに日本でも大金持ちは良い暮らしをしているだろうし、逆にホームレスも増えてきた。だが日本とアメリカでは根本的に違うというのが私の意見である。
そこで増田俊男氏の講演でのエピソードを紹介しよう。
日本と違いアメリカは国民皆保険ではない。病院に行くと保険に入っているか聞かれる。金がないから保険に入れないわけで、保険に入っておらず現金でも払えないとわかると治療してくれないどころか、病院から追い出されるはめになる。病院側もそのためのガードマンを雇っている。たとえば瀕死の人間が病院に入ろうとしても、金の払えない人は病院の敷地から追い払われることになる。法律で病院の敷地内で死んだら(死体の靴の位置が敷地内なら)、その死体の始末は病院側に義務付けられているからだ。つまりガードマンは、死にそうな人間でも金の払えない人は、容赦なく追い出すのである。それが仕事なのだ。
仮にガードマンの目を盗んで、瀕死の患者が病院内に倒れこみ、たまたま出くわした医者が、人道主義に目覚め金の問題を度外視して、その患者を手術して命を救ったとしよう。病院側がどうするかというと、患者に手術代が払えない以上、手術を行ったその医者に請求するのである。仮に15万ドルの手術代だったとすると、その医者の今後5年間のボーナス代をそれに当てるということになる。そんな事態になったら奥さんに離婚訴訟を起こされかねないわけで、それゆえそんなことをする医者はアメリカにはいない。
では日本だったらどうだろう。おそらく当然のことをしたと誰しも思うだろう。あるいは迅速な処理をしたと表彰状の一つももらっておかしくない。アメリカでは、間抜けと言われるだろうが、日本では逆に評価されるだろう。治療代は、病院側でなんとかするのか、行政機関に請求するかどうかわからないが、少なくとも治療した医者に払わせることはないだろう。
このようにアメリカと日本は全く違う価値観というか、体質というか、文化というべきものを持っている。
ニューヨーク工科大学の元教授で馬野周二という人がいた。この人が書いた本に、アメリカとは不要品を捨てる国であるという記述があった。その不要品の最たるものが、”人”であるという。ロサンジェルスだけでなく、ニューヨークやシカゴのような大都会のダウンタウンでダンボールや新聞紙にくるまれて寝ている人は、捨てられた人々である。捨てられた人は死ぬしかない。増田俊男氏によると全米で年間数百万人ものホームレスが死んでいくという。アメリカンドリームというと聞こえはいいが、その数を遥かに越える人々が社会の不要品としてホームレスに落ちていく現実がある。不要になった物(人)は、捨てられる(死んでいく)。物質文明が極まった姿をアメリカに見ることができる。