インターネット探訪/アメリカ型経済の光と影


先日ネットサーフィンをしていたら、面白い情報に出会ってしまいました。とにかく紹介しますのでお読みください(すぐれものですよ!!)。

◇米国民の貧しい生活






 グリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長は2001年1月25日に行われた、米上院予算委員会の証言で、「(米経済成長は)2001年1〜3月期はほぼゼロ成長になるかもしれない」と述べた。10年続いた米国の景気拡大もようやく終わりに近づいたようだ。これから米国経済の減速を示す指標が多く現れてくるだろう。一方我が日本の経済は、一部回復の兆しが見えると言われるものの株価は極めて低水準にとどまったままだし、ダイナミックな回復軌道にのったはおよそ言えないようだ。それどころか、この三月決算期を迎えて、又金融不安が再燃すると予測するジャーナリストさえいる始末だ。
 思えば89年のバブル崩壊以来、日本経済は戦後初めて経験する資産デフレと、それによる不良債権の増加、不況の長期化と雇用不安に悩まされてきた。政府の打った数十兆円もの経済対策と、ゼロ金利という財政政策にもかかわらずいっこうにドロ沼から抜け切れていない。90年代の十年間は経済繁栄を謳歌するアメリカと、経済停滞に悩む日本という図式であった。

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 さて、この文章を読まれて読者はどう感じられただろうか。これは、今現在日本に住んで(一応は)普通の生活をしている私が、普通に接する新聞やテレビ、雑誌を通じて得た情報を元にし、おそらく国民の大多数が感じている日本経済に対する見方を代弁したら、こうなるだろうと書いてみたものだ。多少のニュアンスの違いはあっても、多くの人はこれと似た感覚を持たれているのではないだろうか。
 個々の内容は確かに’事実’であると思う。しかし’真実’なのだろうか。私は常々、日本において意図的な情報操作がされていると主張してきた。この十年間アメリカは繁栄し、日本は停滞したというのは確かに事実である。だがこの事実から連想するイメージは、豊かに暮らすアメリカ国民と、不況にあえぎ生活を切りつめる日本国民ということになってしまう。
 そこでこれから紹介する次の様々な情報を見て頂きたいと思う。



  <1997年9月、米労働省が発表したレポート>

 アメリカの労働人口の半分がパートであり、50万人の労働者を抱えるアメリカ最大の民間雇用主は人材派遣会社である。

  <1997年9月1日付けの『ビジネスウィーク』誌>

 アメリカのパートの実質賃金(時給)は過去25年間減少し続け、1973年には11.2ドルだったのが、現在では10.2ドルである。

  <1997年9月25日付けの『ジャパンタイムズ』誌>

 1996年の日本人サラリーマンの平均年収は、460万円であったのに対し、アメリカ人の平均年収は(日本円に換算して)192万円である。これは平均的な日本の労働者は、平均的なアメリカ人労働者の2.4倍の年収を稼いでいることを意味する。
 日本国民一人当たりの1997年のGDPは、365万円である、これはバブル開始前の89年と比べると56パーセントの増加である。一方アメリカの1997年の一人当たりのGDPは(日本円に換算して)284万円であり、89年からの伸び率は24パーセントである。

  <ワーキング・パートナーシップUSAと経済研究所のレポート>

 アメリカでは、多くの貧困者や中流家庭が好景気の波から見捨てられている。
 シリコンバレーでは、所得格差と経済的な不安が劇的に増加している。シリコンバレーのエレクトロニクス業界の経営者の1997年の報酬は、平均的な労働者の約220倍であり、91年から比べると42倍になっているのに対して、シリコンバレーで働く労働者の75パーセントは、時間給にして89年より96年のほうが低い。25パーセントを占める最下位労働者に至っては、インフレ調整後の賃金で約13パーセントの減少している。
 この6年間で、シリコンバレーの生産労働者の平均年収は6パーセント減少したが、大手企業の経営者上位100人の報酬は390パーセント増加した。また、労働者の時間給が10ドル未満である職種も多く、シリコンバレーの労働者の大半は、その所得で家族四人を養っていくのは無理だと答えている。さらに、個人破産の申請は、過去6年間で65パーセント増加した。

  <『ビジネスウィーク』誌のレポート>

 CEO(最高経営責任者)の年収は年々増加する一方である。1995年のCEOの平均的な報酬は、給与の他にボーナス、ストック・オプションなどを含め30パーセント増加し、(日本円に換算して)3億7500万円となった。この他に、贅沢な出張やグルメの食事、会社もちの住居、休暇、ゴルフの会員権など、さまざまな特権がつく。

  <『Z magazine』に載ったホリー・スクラー氏の記事>

 CEOがチーフ・エグゼクティブ・オフィサー(最高経営責任者)だったという古い定義は忘れたほうがいい。CEOはチーフ・エゴ・オフィサー(最高利己主義役員)の略であると考えるべきだ。CEOは労働者が一生働いても稼げない金額を一年で手にし、それを誇りにしている。「貪欲はわれわれにとってよいこと」が彼らのモットーだ。「CEOとそのすぐ下の地位の者との報酬の差は、たった10年間でほぼ倍増した」とU.S.News & WorldReportも報じている。
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 1989〜94年に、中流家庭の実質年間所得は66パーセント減少して(日本円に換算して)322万円となった。この金額は平均的なCEOにとってはわずか数日分の報酬である。1990年〜95年に、CEOの給与は92パーセント(インフレ未調整)、企業利益は75パーセント上昇したのに対し、労働者のレイオフも39パーセント増加した。
 CEOのひねくれた理屈では、CEOが仕事にやる気を出すには、とにかくお金が必要だという。それは日本やドイツ、そしてどこの国のCEOよりも多額の報酬だ。その一方で、労働者には右肩上がりの報酬は必要なく、彼らに必要なのは脅しだという。
 次の職が運よく見つかったとしても給与は下がることが多く、失業手当などの安全網さえも縮小されたいま、職を失いたくはないだろうという脅しで十分だというのがCEOの論理なのである」

  <エコノミストのレスター・サロー氏>

 90年代初期までに、トップ1パーセントの国民の所有する富の割合は、実質的の70年代半ばの倍になり、累進課税導入前の1920年代後半と同等になった。

  <ビル・トッテン氏>

 1997年にはトップ1パーセントの米国家庭は、米国全体の富の42パーセントを所有している。

  <1996年、雑誌『ニューヨーカー』に掲載された「大企業424社の経営者に対するサンプル調査」>

 アメリカの1979年の大卒者以外の平均時給は、11.23ドルだったが1993年には、インフレ調整済で9.92ドルに下がった。大卒者も、同じく1979年の15.52ドルから、1993年には15.71ドルと、ほんの19セントの増加にとどまった。その一方でアメリカの大企業のCEOの平均報酬は1976年には社員の平均賃金の40倍だったが、20年後の1996年時点で90倍にまで跳ね上がった。




 このような情報は日本で一般の人々の目にあまり晒されることはない。だがこれらの情報は紛れもない’事実’なのだ。このアメリカが経済的繁栄を謳歌した90年代に、多くのアメリカ国民は逆に貧しくなっていったのである。繁栄を謳歌したのは、大企業とそのごく少数のトップエリート達だけである。この十年間ですさまじい貧富の差が生じたのだ。これがアメリカの経済繁栄の正体だ。規制を緩和(ないし撤廃)し、自由競争原理を徹底させると、そこには競争を勝ち残った極めて少数の勝者と、大多数の敗者が存在することになる。もし民主主義が最大多数の最大幸福を追求するものだとしたら、アメリカがとってきたシステムは完璧に間違っていたことになる。最大多数の不幸を生み出したのだから。
 今日本では、進められているのは、これと同一のものではないか。日本的慣習とされた、終身雇用、年功序列賃金制、系列取り引きなどは、不況の元凶として廃止されつつあり、アメリカ型自由競争原理を取り入れようとしている。

 私は日本国民の総意としてアメリカ型システムを取り入れると決意してそうするのなら仕方ないと思う。私個人はアメリカ型のような愚劣なシステムを取り入れるべきでないと運動するであろうが。問題は、自由競争原理がもたらす影の部分を日本国民に知らせないようにして、一部の人間だけが莫大な利益を得られるシステムを導入しようとする悪意の意図が存在することだ。
 私は改革に反対しているのではない。日本が未曾有の変革期の真っただ中にいることはまぎれもない事実だからだ。その困難な道のりを日本国民は必ず乗り越えると信じたい。そしてその方法は、アメリカ型自由競争システムでは決してないと私は確信している。

(2001年1月28日)