――推薦文――
私は世界中で「教育」と呼ばれているものの大部分は21世紀における地上の生のために本当に必要とされるものではない、と感じています。学校や大学で教えられる学科は、しばしば時代遅れであり、ますます複雑化しながら危機的様相を帯びてきている今日の世界に生きるために適切なものではありません。カリキュラムには、気づき、生きること、生への畏敬、愛を込めて関わること、疑問を解いていくこと、機智、創造性、「今に応じる能力」、瞑想、同調、あるいは客観性、と言ったような課目を含んではいません。大部分の人々はこういうことを知らないか、あるいはどういうものかさえも知りません。
そして両親や、教師や、聖職者(宗教家)や政治家達は、懸命に子供達から生を搾りとってきました。
「中略」
私はこの本が大好きです!これがあなたの人生と仕事の上での啓示になりますように。
アメリカ マサチューセッツ ケンブリッジ大学教授
教育学博士 ウェンディ・クリス
問:私は創造的になりたいと思います。どうしたらいいでしょうか?
答:もう一度、子供になりなさいそれであなたは創造的になれる子供はみんな創造的だ創造性には自由が必要だ
―――頭からの自由
知識からの自由
偏見からの自由が………
創造的な人とは
新しいことを試みることの出来る人だ
創造的な人間はロボットではない
ロボットは決して創造的にならない
彼等は繰り返すだけだ
だから、もう一度、子供になりなさい
そうすれば
あらゆる子供が、創造的であることに驚くだろう
どこで生まれようと、子供はみんな創造的だ
だが、私達は子供達の創造性を許さない
子供達の創造性を押しつぶし、殺し
激しく非難する
私達は彼等に、ものごとの正しいやり方を教え始める
いいかね
創造的な人は、いつも間違ったやり方を試しつづける
いつも正しいやり方にしたがってやっていたのでは
決して創造的にはならない
正しいやり方とは、他人が発見したやり方だからだ
その正しいやり方をすれば
無論、それで何かをつくることは出来るだろう
生産者、製造者にはなれるだろう
技術者にはなれるだろう
だが、決して創造者にはなれない
生産者と創造者の違いとは何か?
生産者はものごとの正しいやり方
ものごとの最も効率のよいやり方を知っている
最小の努力で、より多くの結果を生み出すことが出来る
彼は生産する人だ
創造者は寄り道をする
ものごとをやるための正しい方法など知らない
だから彼は何度も何度もいろいろな方向を探求し
探し求め続ける
何度となく誤った方向に進むが
どこに動いても、そのたびに彼は何かを学ぶ
彼はどんどん豊かになる
彼はそれまで誰もやったことがないことをする
ものごとの正しいやり方にしたがっていたら
そんなことは出来なかっただろう
こんな小話がある………・
日曜学校の先生が生徒達に聖家族の絵を描かせた
手元に集まってきた子供達の絵の中には
何枚かのお決まりの絵があった
馬小屋の聖家族、ロバに乗る聖家族、といった具合だ
先生は一人の小さな男の子を呼んで
自分の絵を説明させた
その絵は窓から四つの頭が飛び出した飛行機の絵だった
先生は言った
「あなたが描いた頭の三つまではわかるわ
ヨゼフとマリアとイエスでしょ
でもこの四つ目の頭は誰なの?」
「ああ、これはポンティウス・ピラトだよ!」
と男の子は答えた
さて、これは素晴らしい
これこそが創造性というものだ
彼は何かを発見したのだ
だが、子供にしかこんなことは出来ない
あなた達には、恐ろしくてそんなことはできない
それでは馬鹿みたいだ
創造者には、必ず馬鹿みたいに見えるところがある
創造者は
いわゆる体面を危険にさらさなければならない
詩人、画家、舞踊家、音楽家が
あまり尊敬すべき人々にしか見えないのはそのためだ
そして、彼等が尊敬されるようになった時には
ノーベル賞が与えられた時には
もうその人は創造的ではない
その瞬間から創造性は消える
何が起こるのか?
これまでのノーベル賞の受賞者で
受賞後価値のある作品を書いた者を知っているかね?
名声を得た者が何か創造的なことをしたのを
これまで見たことがあるだろうか?
彼は恐れるようになる
もし何か間違ったことをしたら
あるいは何かがうまくいかなかったら
自分の名声はどうなる、と
彼にはそんなことはできない
だから尊敬されるようになったら、芸術家は死ぬ
自分の名声を、プライドを、世間体を
何度でも危険にさらす用意のある者だけが
誰も価値あるとは思わないようなことを
深く追求することが出来る……・・
創造者は常に狂人だと思われる
世界は彼を認めはするが
それは、ずっと後になってからのことだ
世間は何かおかしいと考え続ける
創造者とは、常軌を逸した人たちだ
そして、子供は一人一人
創造者になるための、あらゆる能力を持って生まれて来る
このことを、もう一度思い出しなさい
例外なく、あらゆる子供は創造者になろうとする
だが、私達がそれを許さない
私達は、たちまち
子供達に正しいものごとのやり方を教えはじめる
そして、一度ものごとの正しいやり方を覚えたら
子供達はロボットになる
そして彼等は何度も、何度も
何度も正しいことをやりつづけ
また、そうすればするほど上手くなる
そして上手くなればなるほど、彼らは尊敬される
7歳から14歳までのどこかで
子供に大きな変化が起こる
心理学者達は、その現象を研究しつづけている
……なぜそれが起こるのか、何が起こるのか、を
人には二つの頭脳、二つの脳半球がある
脳の左半球は非創造的だ
それは技術的には非常に有能だが
創造性に関する限り、まったく無力だ
それは自分が一度学んだことしか出来ない
そして、それなら非常に巧みに、完璧に出来る
それは機械的だ
この左脳は、推理の、論理の、数学の半球だ
それは計算の、巧みさの、訓練の、秩序の半球だ
右半球はまさにその反対だ
それは秩序ではなく、混沌の半球だ
それは散文ではなく、詩の半球だ
それは論理ではなく、愛の半球だ
そこには美に対する大いなる感受性
独創性に対する大いなる洞察力がある
だがそれは能率的ではない、能率的ではあり得ない
創造者は能率的ではあり得ない
彼は実験しつづけなければならない
創造者はどこにも落ち着くことが出来ない
創造者は放浪者だ
彼は肩にテントを担いでいる
確かに一夜の宿をとることはある
だが、朝になれば彼はまた出て行く
私が彼を放浪者と呼ぶのはそのためだ
彼は決して家を持たない
落ち着くことは出来ない
落ち着くことは、彼にとっては死を意味する
彼は常に、危険を冒す用意がある
危険が彼の恋愛となる
だが、これこそが右半球だ
子供が生まれたときは、右半球が機能している
左半球は機能していない
それから、私達は子供に教え始める
―――それと知らずに、非科学的に
いくつもの世代を通じて、私達は
右半球から左半球へのエネルギーの移行のさせ方
右半球の止め方と左半球の始動のさせ方の
巧妙なやり方、トリックを学んできた
それが、私達の学校教育の何たるかだ
それが、幼稚園から大学まで
私達が訓練しているすべて
いわゆる教育というもののすべてだ
それは右脳を破壊し、左脳を支援するための努力だ
7歳から14歳までのどこかで、私達は成功し
かくて子供は殺され、子供は破壊される
そうして、子供はもはや野生ではなくなる
―――彼は市民になる
そうして、彼は規律の、言語の、論理の
散文のやり方を覚える
彼は学校で競争を始め
エゴイストになり
社会に蔓延している、あらゆる神経症的なものごとを
学び始める
権力や金に興味を持ち始め
自分がより強力になるために
どうすれば、もっと高い教育を受けられるのか
どうすれば、もっと金が得られるのか
どうすれば、大きな家を持てるのか
そういったことすべてを考え始める
子供は変わる
そうなると、右脳はますます機能しなくなる
夢の中で、ぐっすり眠りこけているときにしか機能しない
あるいはドラッグをやっているときにしか―――
西洋世界でドラッグが非常に魅力を持っているのは
西洋が義務教育によって
右脳を完全に破壊することに成功したからに他ならない
西洋人はあまりにも教育を受けすぎた
―――つまり度を越した
片側に寄りすぎてしまったということだ
それは極端になってしまった
もうどんな可能性も残されていないようだ
小学校、中学校、高校、大学で
もう一度、右脳を復活させる何等かの方法が導入されない限り
ドラッグは消えないだろう
法律だけでドラッグを禁止できる可能性はない
内なるバランスが再び正常に戻らない限り
強制的にやめさせる方法はない
ドラッグの魅力は
それが直ちにギアを切り換えるということ
―――エネルギーが左脳から右脳へと移動するということだ
ドラッグに出来るのはそれだけだ
何世紀にもわたってアルコールがそれをやってきたが
今やはるかにましなドラッグ
―――LSDやマリワナやシロシビン―――
が、手に入るようになった
そして将来は、もっといいドラッグが手に入るだろう
そして、悪いのはドラッグをやる人々ではない
政治家や教育者こそが犯罪者だ
悪いのは彼等だ
彼等が人間の心を一方の極端に押しやった
―――それはあまりにも極端で、今や反逆が必要だ
しかもその必要性は極めて大きい
人々の生から詩は完全に消え失せた………・
美が消え失せ、愛が消え失せた……
金と権力とコネ、そういうものが唯一の神となった
愛がなくて、詩がなくて、歓びがなくて
そして祝祭がなくて
どうして人間が生き続けることができるだろうか?
長くは生き延びられない
そして、新しい世代は世界中で
あなた達のいわゆる教育の愚かしさを示すことによって
大変な貢献をしている
ドラッグをやるものがほとんど例外なく
ドロップアウトになるのは偶然ではない
彼等は大学から姿を消す
これは偶然ではない、これは同じ反逆の一部だ
そして、一度ドラッグの楽しみを覚えたら
それを捨てるのは非常に難しくなる
その人の中の詩を解放することの出来る
もっといい方法が発見されない限り
ドラッグを捨てることは出来ない
瞑想はより良い方法だ
―――他のどんな科学物質より、破壊性がなく害が少ない
それどころか、それにはまったく害はなく、益がある
瞑想も同じ働きをする
それはあなた達の思考を
左脳から右脳へとシフトする
それは、あなた達の内なる創造的能力を解放する
現在世界中で
ドラッグによって発生しようとしている大変な災厄を
避けることの出来るものは、たった一つしかない
―――それが瞑想だ
他に方法はない
瞑想がもっともっと頻繁に行なわれるようになり
人々の生にもっともっと浸透していけば
ドラッグはなくなるだろう
そして教育は、右脳とその機能の全面的な否定を
止めなければならない
もし子供達が
その両方がマインドなのだと云う事を教えられ
また、その両方の使い方を教えられたなら
どちらの脳をいつ使うべきかを教えられたなら・……
左脳だけが、必要とされる状況というものがある
それは市場で、毎日の仕事の中で計算をするのに必要だ
また右脳が、必要になるときもある
そして、右脳こそが目的で
左脳は手段だということを、いつも覚えておきなさい
左脳は、右脳に使えなければならない
右脳が主人だ―――
なぜなら金を稼ぐのは
自分の生を楽しみ
生を祝うために過ぎないからだ
ある程度の預金を望むのは
ただ愛せるようになるためだ
働くのは、ただ遊べるようになるため
―――遊びがゴールだ
働くのは、くつろげるようになるためにすぎない
あくまでくつろぎがゴールだ
仕事はゴールではない
労働倫理とは、過去の遺物だ
それは捨てられねばならない
そして、教育界は真の革命を通り抜けなければならない
人は強制されるべきではない
子供達は、反復練習を強制されるべきではない
あなた達の教育とは何か?
それを調べてみたことがあるかね?
それについて、じっくりと考えてみたことがあるだろうか?
それは単なる記憶の訓練に過ぎない
それによっては賢くはならない
ますます非知性的になるだけだ
人は愚かになる
子供は一人一人
非常に知的な存在として学校に入る
だが大学を出るときにもなお知的である者は、極めて稀だ
―――それは非常に稀なことだ
大学はほとんど常に成功する
確かに、あなた達は学位をもらって卒業する
だが、あなたは
そういう学位を大変なコストで買い取っている
あなたは自分の知性を失う
自分の歓びを失う
自分の生を失う
―――それは、あなたが右脳の働きを失うからだ
そして、あなたが学んだものとは何か?
情報だ
あなたの頭は記憶でいっぱいになる
あなたは、それを復唱し
それを再生産することは出来る
―――それが、あなた達の試験の何たるかだ
自分の中に投げ込まれたものを
すべて吐き出すことが出来れば
その人間は非常に知的だと思われる
まず彼は、のみこむように
のみこみつづけるように強制されなければならない
それからテスト用紙が与えられ、それに吐き出す
うまく吐き出すことが出来れば、その人は賢い
与えられたものを
正確にそのまま吐き出すことが出来れば
その人は知性がある、というわけだ
さて、これは理解すべきことだが
その人が消化していないからこそ
同じものを吐き出すことができる、ということだ
いいかね
消化していれば、同じものを吐き出すわけにはいかない
何か違うものが出てくるだろう
血が出て来ることはあるかもしれないが
パンが、そのまま出て来ることはない
そうはならない
パンは消えてしまう
あなたは、それを未消化のままに
ただ、胃の中に止めておかねばならないことになる
そうすれば、非常に賢いというわけだ
最も愚かな人間が、もっとも知性的だと考えられる
これは非常に悲しいこと、悲しむべきことだ
聡明な者は、適応できないかもしれない
アルバート・アインシュタインが
大学入学資格試験に受からなかったことを知っているかね?
あれほどの創造的な知性が、だ
彼には他のみんながやっているような
愚劣な振る舞いは難しかったのだ
いわゆる学校時代の、大学の優等生達はすべて姿を消す
彼等は決して、何の役にも立たない
彼等の栄光は金メダルで終わりだ
それ以後、決して姿を現わすことはない
彼等は生に何の貢献もしていない
こういう人たちはどうなるのか?
この人たちは破壊されたのだ
彼等は卒業証書を買い取り、そして、すべてを失った
今や彼等は、その免状と学位を持ち運び続けることになる
こういう教育は全面的に改革されなければならない
教室には、もっと歓びが持ちこまれなければならない
大学には、もっと混沌が持ちこまれなければならない
―――もっとダンスが、もっと歌が、もっと詩が
もっと創造性が
もっと知性が持ちこまれなければならない
記憶力に対する、これほどの偏重は
捨てられなければならない
人間は、もっと知性的になれるように
見守られ、援助されるべきだ
新しい方法で応答したときに
その人は評価されるべきだ
正解など、あるべきではない
そんなものは、ありはしない
愚かな解答と、知性的な解答があるだけだ
正しいとか、間違っているとかいう
分類そのものが間違っている
正しい解答も、間違った解答もない
それまでの繰り返しの愚かな解答か
あるいは創意に満ち
打てば響くような、知性あふれる解答があるだけだ
たとえ、過去の繰り返しの解答が正しいものに思えても
それまでの解答の反復なのだから
あまり評価されるべきではない
そして知性に満ちた解答が
完全に正しいものではないとしても
従来の考えと適合しないようでも
それは、新しいということで評価されるべきだ
それは知性を明かしている
あなたは「私は創造的になりたいと思います
どうしたらいいでしょうか?」と尋ねている
社会があなたにしたことを、すべて取り去りなさい
両親や教師たちがあなたにしたことを
すべて取り消すのだ
警察や政治家や聖職者があなたにしたことを
全部はずしなさい
―――そうすれば、あなたは再び創造的になる
再び最初の最初に持っていたあのスリルを
取り戻すことになる
それは抑圧されたまま、まだそこにある
それは、解き放つことができるのだ
そして、創造的がエネルギーが
自分の中に解き放たれたとき
その人は宗教的になる
私に言わせるなら
宗教的な人とは、創造的な人間のことだ
誰もが創造的に生まれてくるのに
創造的なままの人間はごくわずかしかいない
その罠から出るのは、あなたの仕事だ
あなたにはそれが出来る!
もちろん、大変な勇気がいるだろう
なぜなら、社会がしたことをぬぐい去り始めれば
あなたは尊敬を失うことになるからだ
あなたは立派な人とは思われなくなる
変わり者になり始めるだろう
あなたは人々には奇人に見えてくる
変人に見えてくる
人々は
「かわいそうに、あの男はどうかしてしまった」
と思うだろう
他人が奇人だと思うような生の中に
入っていくことこそが、最大の勇気だ
そこには困難が待ちうけている
創造的でありたかったら
人はすべてをかけなければならない
だが、それだけの価値はある
小さな創造性には
全世界とその王国以上の価値がある
何か新しいものを創造することから来る歓びは……・・
それが何であろうと
―――小さな歌、ちょっとした絵
どんなものであろうと……・
何か新しいものを創造するとき
人は創造主に参加している
神こそ創造者だからだ
創造するとき、あなたは神と同調している
本当に創造するとき
あなたを通して神が創造している
――――大いなる歓びが沸き起こるのはそのためだ
過去のものを繰り返すとき
あなたは一人で繰り返している
そこには神はいない
あなたは砂漠だ、あなたは機械だ
あなたが創造するとき
神はただ、あなたのハートの中に入ってくる
あなたは中空の竹になり
神があなたを演奏しはじめ
そして、あなたは笛になる
大いなる歌が沸き起こる
誰もがその歌を持ち運んでおり
その歌が歌われない限り
人は決して充足を感じることはない
私のサニヤスとは、創造性への参入、危険への参入
かつて教えられたことのない
それどころか、これまで教えられてきたすべてと反対の
新しい生への参入に他ならない
私の戦いのすべては
このいわゆる神経症的な社会に反逆するものだ
私は、あなた達にもう一度、無学になってもらいたい