プラウトと呼ばれる理論を皆さんはご存知でしょうか。今日は時間がないのでプラウトに関する論文を紹介させていただくだけにしますが、率直に云いまして、このプラウトと呼ばれる原理は、現在世界を支配している純粋な資本主義に代わって、そのシステムが終焉した後に、世界に定着するものであります。
それは霊的と呼ばれている高次の世界に既に描かれている姿であり、時間の経過と共に必ずこの現象界にその姿を写しだしはじめるものであります。
五井先生は『神界には世界平和の原型がすでに完成している』と教えておられました。
又、共産主義と資本主義が終焉した後に、地上天国が出来ると教えてくださっておりますが、これはプラウト理論の提唱者であられるP・Rサーカー先生の、1970年代頃より常々説かれていた『共産主義は早死にするだろう。資本主義は爆竹のように弾けて終焉するだろう』という教えと当然ですが一致しております。
サーカー先生の説かれたこのプラウトは、社会のあらゆる分野の問題を網羅していると云っていいのですが、特に現在世界にとって最も重要な問題は経済の分野に集中しているといってもいいでしょう。
プラウトには現在の瀕死の重傷を負っている世界経済を再建するための方法があります。
それは今までの商業至上主義経済とは違うものですが、しかし世界経済の再建は、このプラウトの中にしかありません。
特にその処方箋を、10年以上前から世界に呼びかけている方があります。
それはサーカー先生の直弟子であり、世界的にも高名な経済学者であられる、アメリカのサザンメソジスト大学の教授であるラビ・バトラ先生です。
ラビ・バトラ先生は東側諸国が崩れて、共産主義陣営が消滅するかなり以前に、『共産主義と資本主義の崩壊』と云うテーマで本を出版しようとしたのですが、どの出版社もそれを信じようとはせず、本の出版には協力してはくれませんでした。又,他の経済学者はその『共産主義と資本主義の崩壊』に関する論文には、ただ笑い飛ばすだけでそれを相手にはしてくれませんでした。仕方なくラビ先生は自費でその本を出版したのですが,しかしどうでしょうか、プラウト理論から正確にはじき出された先生の世界予測は次々と的中してゆくことになったのです。
その予測について一寸紹介してみましょう。
『ラビ・バトラ教授は,最近ではマスコミに大きく取り上げられ,著書もベストセラーになるなど,世間の注目を大変に集めている人物です。
彼の人気の秘密は,その経済予測の大胆さと、その的中率の高さにあると思います。
実に今から17年前の1978年,バトラ教授は一冊の本を著しました。
それが『ラビ・バトラの世界経済大崩壊』(徳間書店)でした。同書の中で氏は、共産主義は西暦2000年までに,資本主義は,2010年までに崩壊すると云う事を予測していましたが,当時、この原稿を出版してみようかという出版社はありませんでした。ですから氏は,自費でこの原稿を本にし,出版するしかなかったのです。そうした氏の予測に対して,世間は冷笑と罵倒を浴びせました。なかには、「頭がおかしくなったんじゃないか」と云ってきた人もいたそうです。
それも無理からぬことなのかも知れません。この著書が刊行された頃というのは、1979年にソビエトが突如として10万もの兵力を持ってアフガニスタンに軍事介入するなど、未だスーパーパワーの地位に君臨していた時代です。米ソ主導による東西冷戦構造は半永久的なものと思われていました。共産主義が崩壊する,しかも今世紀中に崩壊するなどとは,誰も信じなかったのです。
ところが,1989年、「ベルリンの壁」に振り下ろされるハンマーの音と共に,共産主義の崩壊は一挙に進みました。そして91年8月には,ソ連共産党体制が瓦解し,同年末ソビエト社会主義共和国連邦が,地上から消滅してしまいました。
バトラ教授の予測が的中したのは,それだけではありません。氏はすでに1978年12月5日のオクラホマ大学の講演で、イラン革命とパーレビ国王の退位を予告,加えて,80年からはイランとイラクは戦争状態に突入し,それが7,8年にわたり続くだろうと予測しました。この講演から間もない翌79年1月,シャー・パーレビは国外に去り,ホメイニ氏を長とするイスラム僧侶達が政権の座につきました。そして80年9月には、イラク軍がイラン領内に侵攻、以後8年に及ぶイラン,イラク戦争が始まったのです。
また,バトラ教授は、1980年に出版された、「1990年の大恐慌」という著書の中で,日本のバブル経済の崩壊についても,明確に予測しています。それは、1990年1月から3月の第1四半期の間に東京市場で株価の大暴落が起こるというものでした。ご存知の通り,この予測は時期的にもピタリと的中し,90年2月頃から東京株式市場は暴落局面に入りました。以後、「バブル経済は崩壊した」ことが,ようやく事実として誰の目にも明らかになっていったのです。
そしてバトラ教授に残された,最後にして最大の予測とでもいうべきものが、資本主義の崩壊です。2010年までに消滅するという当初の予測を,氏は撤回はおろか,修正するつもりもないと言い切っておられます。
確かに,昨今の日本及び世界の金融市場の動向や,歯止めがかからずに蔓延する環境破壊の現状を見るにつけ,この予測もまた的中することは火を見るよりも明らかという気がしてきます。』――日月神示とプラウト光輝の書(徳間書店)――
以上ですが,日本のバブル経済の崩壊の予測に関しては,世界のエコノミストは勿論日本のエコノミストもおそらく笑って相手にしなかったのではないかと思います。
現在ではラビ先生の著作は世界的なベストセラーを続けており,日本にも愛読者が多いのではないでしょうか。又,今では誰にも相手にされなかった昔とは違い,数々の有識者から非常に高い評価を得ています。エコノミストとしてのランクにしてもアメリカとカナダにおける『経済学のスーパースター46選』の中で第3位にも選ばれております。
そして自費出版をした『1990年の大恐慌』はニューヨークタイムズのベストセラーの第1位にまでなりました。このようにラビ・バトラさんは異色の存在ではありますが、文字道理世界有数の経済学者のお一人なのです。
では何故それだけ高い評価を勝ち得ているラビ先生のプラウト理論が受けいれられないのかですが、それは純粋な資本主義経済が存在するために,そのシステムの中で莫大な利益を享受している人達がいるためにです。つまり資本主義がそのまま既得権益につながるごく少数の人達がいるためにです。その為、ラビ先生は生命の安全を脅かすような脅迫もかなり受けていると聞いております。
ラビ先生は学生時代,その師であるサーカー先生に云いました。『私はインドから貧困を無くす為に経済学を学びたいのです』と。するとそれに応えてサーカー先生は云われました。『お前はインドから貧困を無くす為だけに経済学を学んではいけない。世界中から貧困を無くす為にこそ経済学を学びなさい』と。このサーカー先生の答えこそ,世界のすべての経済学者が肝に銘じなければならない言葉ではないでしょうか。
今こそ世界の経済学者は,自身の心の貧しさに気付き、その良心に立ち帰るべき時がきています。経済学の根本はその語源の通り経世済民でありまして、全ての人類の生活を保証するものでなければなりません。又,この様な人間を第1番に大切にする経済が,今全世界で一番求められているものでありまして,金儲けを優先させる商業至上主義経済は,本来の真の経済学にもう道を譲らなければならないでしょう。
先進諸国の人達は民主的と云う事を誰もが強調されますが、今これだけ世界経済が資本主義で統一されている現在,人類にとってそれは本当に民主的な経済システムと云えるでしょうか。先進諸国の人達は民主主義を大事にしながらも、その生活の根本である経済システムが全体主義的であることに気づかないのです。今、国民投票ならぬ人類投票があったとしたならば現今のような経済システムは必ず廃棄しなければならないことになることでしょう。
つまり何が云いたいかといいますと、今こそ経済に民主主義が導入されるべき時代なのです。そしてそれがプラウトが示している経済理論なのであります。
経済民主主義、これこそポスト資本主義の指針であり,これから人類が選択しなければならない唯一の道です。その道は勿論霊性に基盤をおいたものであることは当然です。
祈りによる世界平和運動とプラウトとの関連については,経済は勿論,政治にもその他のあらゆる問題についても密接に関連しております。簡単にいってしまうならば,プラウトのシステムは祈りによる平和運動の中から障りなく開けてくるといっても過言ではないと思われます。この五井先生のみ教えとプラウトとの関連については又次回に譲りたいと思いますが、P・Rサーカー先生はご生前に云われました『プラウトは近い将来日本から必ず始まることになるだろう』と。
これは日本が霊的使命として,世界の雛型である為でありまして、その日本から生まれた調和の経済は、やがて先進諸国の他の国々にとっての、新しい時代の経済の青写真となり,そして世界の全ての国々に波及してゆくことになります。これが唯一人類世界を大調和させてゆく経済システムになることでありましょう。つまり日本の天命であるところの大和へと世界をもたらしてゆくことになるのであります。
2001年10月15日プラウトの紹介文として記す
共産主義が崩壊し、資本主義が崩壊した後は、どのような社会になっていくのでしょうか。
この点について、ラビ・バトラ教授は、次の時代には「プラウト」と呼ばれる理論に基づく"黄金の世紀"がくると予言しておられます。
では、プラウトとはいったい、どのようなものなのでしょうか。このことについて、本章では紙面の許す限り明らかにしてゆきたいと想います。
プラウトに関する説明に入る前に、まず、プラバット・ランジャン・サーカー氏というインド生まれの指導者のことを簡単にご紹介しておきます。
既に、バトラ教授の著書においても触れられておりますが、この方こそ、バトラ教授の思想的・霊的な師であり、プラウト哲学を構築された方です。また、全世界で精力的な活動を行なっている人道団体、アナンダ・マルガの創設者でもあります。
P・R・サーカー氏は、1921年、北インドに生まれました。鉄道の事務職員として働いていた1955年、ビハール州のジャマルプールという小さな町の瞑想グループとしてアナンダ・マルガを創設、間もなくその活動範囲は、インド全土に広がったのです。
1979年、サーカー氏は世界ツアーを行ない、ヨーロッパ、台湾、フィリピンなどを訪れました。人類に奉仕するその不屈の精神により、彼は生涯を通じアナンダ・マルガの人道主義的な活動の普及に余念がありませんでした。
1990年に彼が他界した頃には、アナンダ・マルガは世界のほとんどの国で社会奉仕活動や無料の瞑想指導を行なう組織に成長していました。
サーカー氏は、存命中に哲学、心理学、社会学、歴史学、経済学、政治、農業、言語学、芸術、科学、音楽といった広範囲なテーマについて講義を行ない、それを書き取った書物は数百巻にのぼっています。
サーカー氏によるプラウト理論は、全宇宙的であり、物質的、精神的、霊的の三界までをも対象とするものです。また人間のみならず、動物や植物の"いのち"と、その進歩的発展まで考慮に入れたものとなっています。
プラウトはインドという国の精神的風土、あるいは霊的磁場といったものから生まれた哲学であることは間違いありません。しかしてその内容は、特定の宗教や民族性に偏るものではなく、極めて普遍的であり、人類共通の価値観として受け入れられる要素を持っています。
プラウトのご説明をするにあたり、10年以上の長きにわたりプラウトの研究と普及活動に身を投じて来られた、(株)リビング・ミュージック・ジャパン代表の宮本貞雄氏のお書きになられた小論文、「プラウトの原理――ポスト資本主義時代の指針」をそのまま掲載させて戴きたいと想います。
これを読めば、プラウトのおおよその理念や、具体的構想を知ることが出来ると想います(なお、この論文の中の「社会周期説」の項目のみ、第3章と重複するために、省略させて頂きました)。
そしてその後で、プラウトの経済政策の特徴について、私の方から若干の補足をしてみたいと想います。
プラウト(PROUT)は、インドの哲学者プラバット・ランジャン・サーカー氏によって1959年に提唱された総括的な社会経済理論です。
これは、進歩的(Progressive)活用(Utilization)論(Theory)の頭文字をとったもので、世界中のすべての資源とそれの持つ可能性を最大限に活用し、それを合理的に分配することを主張するものです。プラウトは、資本主義と共産主義によって理想的な人間社会を作ることが出来ないことがすでに立証されている現在、これに代わるべき新しい経済理論です。
現代の資本主義諸国では富が一部の人達によって独占され、これらの人達は政治面でも多大な影響力を持っています。資本家は無制限に富を蓄積することができ、資本家の富をさらに増やすために無産階級は労働力を搾取されるようになります。これは非道徳的であるばかりでなく、多くの資源が少数の人達によって独占され、蓄積されたまま活用されないので、非能率的でもあります。
その反面、共産主義諸国の人達は国家による厳しい独裁政治という統制の中で、思想の自由を奪われ、人権を侵害されています。共産主義といえども指導者の腐敗は絶えず、民衆の意思とはまったくかけ離れたところで政治が行なわれています。
これに対しプラウトが提唱する新しい社会制度は道徳と霊性(スピリチュアリティ)にもとづくものです。プラウトは人々がより想像的な活動に携われるように、すべての人に衣食住、教育、医療を保証する必要があると考えています。また人間社会は一心同体であるという信念のもとに世界連邦政府を樹立し、腐敗することのない道徳実践家による人間社会の実現を考えています。
プラウトの根底にあるのは、道徳精神に基づいた霊性の本質です。ここでいう霊性とは、超越意識を意味するもので、俗に言う宗教とは無縁のものです。
プラウトは、この霊性が人々の意識を拡大し、そしてこの霊性によって人類平等や博愛の精神に目覚めた人々が原動力になって人類が一体となる社会作りが行なわれると確信しています。この霊性に重点をおくプラウトの哲学は、これまで発表されてきた他の唯物論的な社会哲学とは根本的に質を異にするものであるといえるでしょう。
プラウトは、社会の一人一人の霊的意識が高まることによって社会全体が進化していくと考えています。人生の目標は、これまでのように富や地位を得ることから、より高い意識を得ることに変わり、この超越意識はそれらの人々に人間社会の一体性を直感させ、最終的には全宇宙の一体性に目覚めさせるのです。
このようなことから、プラウトはすべての人に衣食住、教育、医療を保証し、世界連邦を樹立することを提唱するのです。全人類が自分の家族であることを直感した人々は、他の人々が最低限の生活必需品すら入手できずに苦しんでいるのを放置することはできません。この考えはサーカー氏が提唱する社会と社会の進歩の概念に明確に表れています。
『道徳的実践の萌芽から宇宙的人間の誕生までの間の溝を埋めるために人々が力を合わせて努力すること、それが社会の進歩にほかなりません。そしてこの溝を埋めるために共に努力している人たちの集団を私は「社会」と呼びます』(サーカー、以下同)
プラウトは一般とは幾分異なる「進歩」の概念を持っています。
現在一般的に考えられている進歩は、その進歩自体によって発生するマイナスの面を考慮に入れていません。例えば、自動車の発明によって人間は行動範囲の拡大に成功しましたが、その反面それに付随して公害や交通事故のような新たな問題を引き起こしています。
サーカー氏は「本当の進歩とは相対性を超越した霊性の分野においてのみ可能である」と主張しています。しかし、これは相対的な分野である物質の世界における進歩を否定しているわけではなく、それに伴うマイナスの面を認識し、マイナスの面を最小限にとどめる努力が必要であることを説くものなのです。
プラウトのもう一つの特徴は、その包括性にあります。
世界のさまざまな問題の解決を試みた多くの学説は、断片的であったがゆえに社会の根本的な構造を変えるまでには至りませんでした。これに対しプラウトは、政治、社会、文化、歴史を含む総合的な視野にたった理論として大きな効果をもたらすことができます。
科学技術の進歩、特にコミュニケーションと交通の分野における技術の進歩は世界中の人々が他の文化に接する機会を増やし、世界を徐々に小さくしています。
そして現在、これによって世界中の人々が偏狭的な地域主義や国家主義の殻を打ち破り、世界主義(グローバリズム)に目覚めようとしています。これは人間社会にとって避けることの出来ない進化の過程であるということができます。
プラウトは、これまで人類に分裂的傾向を強いてきたありとあらゆる主義を捨て去り、世界主義に基づいて単一の人間社会を築き上げることを目標としています。サーカー氏はこれについて次のように述べています。
『一見したところ地域的な違いがあるように見えても、人間社会の根本的な文化は皆同じです。その違いは外見的なものであって、本質的なものではありません。
世界全体が一つの文化を持っています。全人類の文化に共通している要素は常に奨励しなければなりませんが、外見上だけの違いは無視しなければなりません』
これは地域的な伝統や文化の廃絶を意味するものではありません。逆にそれらの地域文化は、その地域に住む人々のアイデンティティとして尊重されなければなりません。
つまり人類の連帯意識の妨げになるような地域主義的な感情に執着し、他の地域を無視して自分の地域のみの繁栄を図ろうとしてはならないということです。
例えば食事や衣服の違いは、その地域の人々の環境への順応の結果生まれたものであり、世界主義の発展の妨げにはならないので問題はありません。しかしそれも世界規模の文化交流が深まるにつれて変化してゆくでしょう。
世界中の人々がこの世界主義の理念に目覚め、調和して生きて行く為に満たされなければならない条件として、サーカー氏は次のような項目を挙げています。
人間の存在には肉体、精神、霊性という三つの側面があります。プラウトは、地球主義を実現し、これを維持してゆくためには、この中でも特に霊性の面において人々が日常の意識を超越することによって全人類の一体性を直感することが必要であると考え、人類をこの霊的な目覚めへと導く共通の哲学が必要だと主張します。
サーカー氏は、霊性について次のように説明しています。
『霊性とはユートピア的理想ではなく、それがいかに世俗的であろうと、毎日の実生活の中で実践し、認識できるものです。霊性とは進化と向上を意味し、迷信や悲観主義とは無縁のものです。それは、偏狭的な思想の原因となる派閥的な考えや排他的な傾向とも一切関係がなく、逆にこのような考えや傾向を否定するものです。すべてを調和させる寛大さのみが受け入れられるべきです。霊性の哲学は、人と人との間に不自然に作りあがられた区別を排除し、全人類が兄弟姉妹であると説きます』
人類が一体となるには、霊性に基づいたこのような共通の哲学によって全人類が結びつかなければなりません。また、この共通の哲学も、詳細に関しては地域間の文化の差異に応じて調整する必要があります。
前にも述べたように、科学技術の進歩によって世界中の文化が交流する機会が増え、これからもその傾向はますます強まるでしょう。しかし文化が交わるだけでは人類の連帯は生まれません。人類全体で連邦政府を樹立し、共通の憲法のもとにその連帯を維持して行く必要があるのです。
現在の国連などはいわば各国の利益代表の集合体に過ぎず、そこでは超大国の利害関係が大きく対立するのみで、人類の代表機関とはなり得ていません。世界の人々が国境によって分断されている限り、国家間の対立は絶えることはなく、人類共存の夢が叶うことはありません。
現代社会では、社会における善悪の概念に基づいて国ごとに刑法が制定されていますが、この善悪の概念は地域によってまちまちです。
例えば世界には政府の政策に批判的であるために政治犯として捕らえられている人が多くいます。本当の意味で人類の連帯を実現する為にはこうした千差万別の刑法の変わりに、正しい善悪の概念に基づいた世界共通の刑法を制定しなければなりません。
サーカー氏は善悪の概念を次のように定義しています。
『一般民衆の霊的、精神的、物質的成長を促す行為は善業であり、その妨げになるのは悪業です』
世界中のふべての人々が食料、衣服、医療、教育、住居といった人間が生活してゆくために欠かすことのできないものを獲得できるようにすることは、地球主義を実現する上でどうしても必要なことです。
一部の国では物資が有り余っているのに、人類の過半数がこれらの物資を得られずに苦しんでいる現状を放置したままでは、人類社会の一体化は期待できません。このためには人々が全人類への同胞愛に目覚めて助け合わなければなりません。
これについてサーカー氏は次のように述べています。
『この宇宙のすべての財産はすべての生物によって受け継がれているはずなのに、あるものが巨額の富を持ちながら、そのかたわらで一握りの穀物を得ることができずに多くの人々が餓死するような制度を正しいと言うことができるでしょうか?
(人類という)家族の一員として、すべての人がその家族が持っている経済資源に相応する食料、教育、医療などを受けられるようにすることが必要です』
1958年に行なった講義の中で、サーカー氏は真の意味での「進歩的な社会」を作り上げる指針として「プラウトの5原則」を発表しました。
人間には肉体、精神、霊性という三つの側面があるという考えを基に、人類全体がこれらすべての側面を伸ばすことのできるような社会作りの指針として提示されたのがこのプラウトの5原則です。
@『いかなる個人も、共同体からの明確な承認なしに物質的財産を蓄積することはできない』この原則は私有財産に関するものです、資本主義諸国では個人の物質的財産の蓄積に対する制限はなく、大きな貧富の差が生じます。富を得る機会は同等にあるといっても、地球の物質資源は有限であるため、必然的に一部の人たちがこれらの資源を独占するようになります。
サーカー氏はこれを次のように批判しています。
『この地球上のすべての財産は、誰の所有物でもありません。すべてのものはすべての人の世襲財産であり、全宇宙が私たちの父です。家族が父から与えられた権利によって財産を相続できるのと同様に、この地球上に存在するすべての財産をすべての人が分かち合わなければなりません』
その反面、共産主義諸国ではすべての物質的財産が国家によって管理され、その分配は有力者にゆだねられています。
一方、才能のある人はその才能を社会の為に生かすチャンスを十分に得られない傾向があります。その結果、労働意欲の不足が大きな問題となっています。
共産主義国といえども貧富の差はあり、有力者は巨額の財産を持っています。
そこでプラウトが提唱するのは、共同体からの承認によって個人の財産所有を可能にする制度です。ここでの共同体とは立法府を意味し、法律によってこの権利を認可する仕組みになっています。
またこの制度の適用は物質的財産に限られています。精神的、そして霊的な財産は無限にあるため、少数者によって独占されることはないので、これらの領域において制限を課す必要はないのです。
A『この宇宙に存在する世俗的、超俗的、霊的ポテンシャル(可能性)は最大限に活用され、かつ合理的に分配されなければならない』――(ここに言う超俗的ポテンシャルとは、技術、知識、文化のような無形のものを意味し、霊的ポテンシャルとは至高意識に目覚めるためのアプローチを意味します。この2つのポテンシャルをすべての人に保証するのはプラウトの特徴の一つです。)――
この原則は、社会における物質的、精神的、霊的資源を最長期間にわたって最大限に活用することを提唱するものです。この最大限の活用とは、単に利益や消費を増やすことを目的とする現在の経済機構における活用とは根本的に異なっています。
プラウトがいう活用とは、限られた物質的資源を人類全体の幸福の為に利用することを意味します。プラウトは、現在のように一部の先進国が地球上の資源のほとんどを独占している状態を支持しません。
2つの要素があり、その双方を最大限に活用することが物理的に不可能な場合は、人的価値が優先されなければなりません。
例えば雇用と機械化が対立した場合、機械を導入しても労働者の労働時間を減少させることによって労働者を解雇せずにすみます。しかし現在の資本主義及び共産主義社会では、このような生産性の向上による利益の増加は資本家や国家に吸収されてしまい、労働者にはほとんど還元されません。
プラウトが主張する最大限の活用とは、このように科学技術の進歩においても人類への貢献を最優先させることを意味しています。
すべての人々に前述の生活必需品を提供した後の余剰を社会に貢献する種々の才能を持った人たちへの報酬に回すことも、プラウトの考える合理的な資源の分配の一部です。
この報酬によって、それらの人たちの社会への貢献度は一段と高まることになります。
例えば、科学者には実験器具を、意志には往診用の車を与えることによって、彼等の社会への貢献度はさらにに高まるでしょう。それと平行して一般市民の生活水準を向上させる努力を続け、貧富の差が開きすぎないようにすることも重要です。
このように社会全体の生活水準を向上させるような資源の分配が、プラウトのいう「合理的な分配」なのです。
B『人間社会の個人、あるいは集団としての物質的、超自然的、霊的可能性は最大限に活用されなければならない』
集団の繁栄は個人に依存し、個人の繁栄は集団に依存するという、個人と集団とのあいだの相互関係に基づき、この原則は、社会が真の進歩を遂げるためにはその社会の個人個人の物質面、精神面、霊性面における進歩が必要であり、同様にそれを促進するような環境を社会が作り上げていかなければならないことを説いています。
人が社会の一員としての役割を認識し、その可能性を最大限に追及して活用することによって社会は進歩していきます。そのためには、社会はそれを可能にするような教育を行ない、社会全体の進歩を目指さなければいけません。
C『これらの物質的、超自然的、世俗的、超俗的、そして霊的ポテンシャルの活用の間には、適切な調整が行なわれなければならない』
この原則は、個人レベルまたは社会レベルにおけるこれらの活用が、それが適用される対象に適応し、バランスのとれたものでなければならないことを説いたものです。
社会レベルにおける資源活用の不均衡の例は、先進国にも開発途上国にも見ることが出来ます。インドは長い歴史を持ち、霊的なポテンシャルが高度に開発されて多くの聖者を生んでいるにも関わらず、物質的には裕福ではありません。その反対に、日本、アメリカ、ヨーロッパなどの先進国では科学技術の進歩により物質的には恵まれていながら、精神的な問題を数多く抱え、霊的にも遅れをとっているのです。
個人レベルにおいても、円満な人格を形成する為には肉体面、精神面、霊性面の調和のとれた発達が必要です。またこの原則は、個人の才能を社会で最大限に生かすため、その人の持つ能力のうち最も社会に貢献できる能力を優先して活用することも示唆しています。つまり、全員が農業に従事するよりも、科学者は研究に、芸術化は芸術に専念した方が社会全体の進歩は早くなるということをこの原則は説いているのです。
D『活用の方法は、時、場所、人の変化に対応し、本質的に進歩的でなければならない』
最後の原則は、前述の四つの原則の相対的変化に対する適応性と順応性の必要を説いたものです。
例えば、北極圏に住む人たちと熱帯に住む人たちでは生活必需品は著しく異なります。また、時間の推移と共に宇宙は常に変化しているため、これに適応することも重要です。
科学の進歩も人々の日常生活に大きな影響を与えるため、これが本当に有益であるためには、時、場所、人の違いに適応したものでなければなりません。
この原則のもう一つの要点は、その活用が進歩的でなければならないということです。
人類を危険にさらす兵器の製造や効率の悪い機械に頼って資源を無駄にすることは進歩的活用とはいえません。
サーカー氏は、相対性に対応することの重要性を次のように説いています。
『人間社会の本当の幸福は、唯物主義によって達成することは出来ません。ある時代にはそれが人間社会に役立つことはあっても、次の時代にはそれが搾取や破壊の道具ともなり得るのです。プラウトは、時間、場所、人の変化性と多様性を認識しているため、相対的変化に常に対応することが出来ます。ある時、ある国に住む、ある人に対するプラウト原則の適用はそれぞれ異なった形態をとるのです』
民主主義の概念は、これまで人類が編み出した社会制度の中で最も優れた制度として多くの人に賞賛されてきました。それにもかかわらず、現在の民主主義は腐敗と搾取に蝕まれています。サーカー氏は現在の民主主義を次のように批判しています。
『国がその国の国民一人一人のものであるならば、特定の人だけに投票権があり、それ以外の人に投票権がないということがあってもよいものだろうかという疑問を持つ人がいます。この全宇宙が共有財産であることは事実ですし、誰もが世界のすべての世俗的、超俗的、霊的可能性を享受し、それを利用する権利を持っています。しかしだからといってすべての人が統治権を持つことが出来るわけではありません。人々のためにも、統治権は民衆の手に握られていないほうがよいのです。』
プラウトは、民主主義の原理そのものに反対しているわけではありません。しかし民主主義の現状を見ると、政治家の腐敗や民衆の政治に対する無関心など数々の構造的欠陥が目につきます。仮に政治化が民衆を代表しているとしても、民衆の意識が低ければ選ばれた代表者は必ずしも適切な指導者とは言えませんし、適切な選択肢が民衆に与えられているとも限りません。
民主主義が正常に機能する為には、その社会の選挙権を持つ人々の過半数が正しい判断力と政治意識を持ち合わせている必要があります。この前提条件が満たされない限り、人々は正しい指導者を選出することは出来ず、民主主義は衆愚政治に陥る危険があります。民衆を啓蒙して民主主義の理想を実現する努力をすべきだとの考えもありますが、これはあまりにも時間が掛かりすぎます。
そこでプラウトが提唱するのが「サドビープラ」と呼ばれている道徳実践家(モラリスト)による政治です。サーカー氏はサドビープラについて次のように説明しています。
『サドビープラとは、宇宙意識に目覚めるための努力をしている人たちのことです。彼等は正義感が強く、正義に反する行ないに対していつでも戦いを挑む用意が出来ています。道徳の原理に従い、常に献身的な奉仕活動を行ない、悪と戦う用意が出来ている人、それがサドビープラです』
つまりサドビープラとは、人類の発展の為に献身的な奉仕が出来るような道徳の道に長けた人のことをさすのです。そして自分個人の利益よりも人類全体の幸福を優先できるような人だけがサドビープラになる資格を持っているのです。
彼等はプラウトの社会周期説における四階級、クシャトリヤ、ビープラ、ヴァエシャ、シュードラのいずれにも属しません。したがってサドビープラの役割は、この社会周期を通して特定の階級が他の階級を搾取することがないように監視することにあります。
搾取された人々は、自己の意識を高める機会を奪われ、その結果、社会の進歩が阻まれるため、サドビープラはこのような状況を回避するために全力を尽くします。
そして社会周期の転換期には民衆を指導し、社会がなるべく円滑に次の時代へと移行できるようにするのです。
しかしそのような道徳的に優れた指導者が現代の社会に実在するかという疑問を持つ人もいるかもしれません。サーカー氏は、彼等が過去にも現在にも実在し、これからも出現すると断定しています。過去の道徳実践家の多くは、世間の見る目のなさ、支配階級からの圧力によって社会におけるその価値を認められることがあまりありませんでした。このような道徳実践家を今後数多く育て上げる手段として、サーカー氏は人々が霊的修行や人類への奉仕を通じて自らの意識を高め、その過程において道徳心を養っていくことを提唱しています。
この道徳実践家の指導体制による独裁を危惧される方もいるかもしれません。しかし、サドビープラには道徳心が旺盛で、自己の利益よりも全体の利益を優先する性質が求められるため、彼等が腐敗することはありえないのです。現代の多くの政治化に見られる腐敗体質は、サドビープラの指導のもと排除されなければなりません。
これらサドビープラはサドビープラ委員会を設立し、特定の階級が他の階級を搾取することのないように社会を指導します。この委員会は、立法権、司法権、行政権を直接保有することはないものの、憲法によって最高監視委員会としての実権は保証されます。
委員会の採決は常に委員全員によって行なわれ、特定の委員が特権を持つことはありません。
社会周期の過渡期において、一つの階級が他の階級を搾取する兆候が現れ始めるや、この委員会は民衆を指導して次の時代への移行を指揮します。これによって転換期の混乱を極力回避し、社会から搾取を排除してゆくのが彼等の仕事です。
サドビープラ委員会のメンバーは、他の立法府、司法府、行政府のメンバーと同様に「選抜選挙制」と呼ばれる制度によって選出されます。この制度は、次のような条件を満たす人々によって構成され、サドビープラ委員会を含む社会の代表者を選出することになります。
@ 選挙に出馬する人たちの公約を理解できるだけの教育を受けていること
A 責任感と社会意識を持っていること
B 正直であること
最終的な目標は社会のすべての人たちがこのような資格を持てるようにすることです。
したがって誰もが選挙人になれるような教育が施されなければなりません。
また、この教育機関が外部からの政治的影響を受けることのないようにすることも肝要です。これは、本当の意味での民主政治を実現するための一つのステップなのです。
プラウト哲学の根底にある世界主義は、世界連邦を樹立することの必要性を強調します。
単なる国際協力では、国家主義を超越した単一の人類社会を形成することはできず、国境が残っている限りは国家間の紛争は絶えることがありません。
マルクスは「国家は次第に消滅するだろう」と言いましたが、それぞれの国で実権を握っている実力者たちはそう簡単にその権力を手放そうとはせず、民衆の間でも自国の主権への執着は根強く残ります。これを克服して世界連邦を樹立するには、地球主義に基づいた総合的なシステムが必要です。
したがって前にも述べた共通の哲学、共通の憲法、共通の刑法、生活必需品の提供という四つの条件を満たすことによって世界主義を確立してゆく必要があります。
これほど大掛かりな統一を実現するには長い時間を要します。
世界連邦を実現する最初の一歩として、プラウトは上院と下院からなる世界立法議会を設立することを提唱します。
下院は人口に比例した定数からなる各国の代表によって構成され、上院は各国ごとに一人づつ選ばれた代表によって構成されます。すべての立法案は下院から上院へと進みますが、法案が成立するには下院と上院をいずれも通過する必要があります。
そして施行は、この移行期間に限って各国政府が代行することになります。また、これは前述の世界主義実現に必要な四つの条件のうち、最初の三つの条件を実現し、最後の生活必需品の提供を各国政府に委ねることも意味します。
この過渡期を経て世界連邦が実現した暁には、サマージと呼ばれる地域ごとの自治体が国家に取って代わり、世俗的および超俗的問題と取り組むことになります。
これら自治体の間の境界線は、その地域の経済事情、文化、人種構成、人口などによって定められ、これらの条件の変化に応じて調整されます。サマージは、経済的には時給自足を目指して地域文化を保存することに努めながら、世界連邦による人類の結束を維持するための努力をつづけるのです。
サドビープラ委員会、そして世界レベルの立法府、司法府、行政府によって構成されるこの世界連邦は、全人類の発展のための重大な責任を持つことになります。
資本主義国家では、富豪や多国籍企業によって経済が支配され、一方、共産主義国家では中央政府による計画経済の為に地域的な需要は無視され、現代の世界経済は極めて不安定な状態にあります。
プラウトは、政治面において世界連邦を樹立して人類の統合を目指しますが、経済面では地域別自治体の時給自足を推進することが必要だと考えています。サーカー氏は、経済の地方分権の必要性を次のように強調しています。
『私たちはこの世界のたとえ一つの生物、さらには一つの分子といえどもこれを無視することはできません。それゆえに産業を管理するにあたっては地方分権政策を推進することが望ましいと言えます。ある特定の地域の産業を促進することによって他の地域の貧困や失業を撲滅することはできません。したがって少なくとも農業と工業に関しては、人々の生活必需品を生産するために時給自足のユニットを一つづつ作り上げていくことが必要なのです』
産業が利潤だけの目的で運営されると、このような地方分権は地域間の経済摩擦を生じ、人類の調和の妨げになりかねません。しかし、産業がその地域の人々に生活必需品を供給する目的で運営されるならば、そのような拡張主義に陥ることはないはずです。
プラウトが提唱する経済制度では、大規模企業と小規模企業が共存し、人々の需要に応じてそれぞれの役割が分担されています。
大規模企業は、小規模化が不可能な産業を効率よく運営するために経済全体の発展に不可欠なものです。石油、原材料、重工業などの生産は、大きな規模で行なわれなければなりません。これらの産業は、地域別の需要に対応できるようにその地域の自治体が管理する必要があります。
この制度は、各地域産業の発展に欠かすことのできないこれらの重要な物資の安定した供給を確立する意味でも非常に重要です。プラウトの考える経済システムでは、人々に生活必需品を提供することが利益を追求するよりも優先されるため、これらの産業は、無利潤および無損失を前提として運営されることになります。交通施設のように多額の資本を必要とする産業も、同様に地方政府によって資本が調達されなければなりません。
その反面、小規模産業は大規模な運営を必要としない分野の生産を受け持ちます。
まずこれら小規模産業はそこで働く人々によって運営される協同組合でなければなりません。
労働者が自分達の代表を選出し、代表がこれを運営・管理することによって、搾取のない民主的な労働環境を作り上げることができます。不況に見舞われたり、新しい機械が導入された場合も、労働者は解雇されることなく労働時間を短縮することによってこのような状況に対応することができます。
労働者が自分の職場を自ら管理するこのようなシステムが確立されて、始めて完全雇用を実現することができます。またこのシステムは、現代社会の大きな問題の一つに数えられる職場での疎外感を排除し、生産性の向上に貢献します。
プラウトの経済においては、資本は地方自治体によって調達され、その地域の経済発展に最も寄与するように各産業に配分されます。個人投資は、共同組合としての経営が不可能な小規模の個人企業に限定され、その額にも上限が設けられます。
プラウトの経済における大規模産業と小規模産業の共存は、例えば次のような形で維持されます。
地方自治体において大規模の繊維工場が小規模の織物生産共同組合へ原料を供給し、織物が生産されます。そうすることによって、大規模生産による安定と効率を必要とする原材料の生産は、地方自治体の管理下にある大規模産業によって行なわれ、最終製品は小規模生産共同組合によりその地域の人々によって生産されることになります。
完成品の縦断的分散は、現在の多国籍企業や大企業に見られる原材料から完成品までの生産を独占する縦断的統合システムによって経済が独占的に企業に支配されることを防ぎ、人々が本当に必要としているものを生産するシステムなのです。
プラウトは、ソ連の消滅と共に共産主義が崩壊し、失業の増加や環境汚染など資本主義が多くの問題を抱える現在、これらのシステムにとって代わる新しい人間社会の形成を世界に呼びかける新しい理論です。
サーカー氏は、このプラウトを人類の進化のための全般的な構想として提唱し、各地域の文化的相違に対応してこの理論を適用してゆくことを説いています。しかし、プラウトの最終的な目的は、人類が一つの家族としての連帯感を持って互いに助けあいながら進歩的な社会を作り上げていくことにあります。
宇宙的な視点から見ると、現在の人類はさまざまな派閥に分断され、互いに傷つけあったり落とし入れあったりしている極めて原始的な段階にあるといえるでしょう。
全人類の調和は人類という種族が進化するための必須条件であり、その生存に欠かせないものなのです。
核戦争の脅威や環境汚染によって人類の生存そのものが危ぶまれている現状に鑑み、一刻も早くプラウトの提唱する進歩的人間社会を作り上げていくことは、この人類の危機に気がついた私たちに課せられた最大の義務なのです。
そしてこの重大な使命の達成を可能にする原動力は、私たち誰もが心の中に持っている「愛」の力ではないかと私は考えます。
1995年 宮本貞雄