白光の同志へ





      こ れ か ら だ



                五井昌久






     ーーー序文に代えてーーー





新しい世界が展けてきそうな


そんな気配を近頃あなた方は感じないだろうか


神に離反の心が戦塵となり戦後の混乱となって消えつつある日本から


ほのかに立ち昇っている救世の光が


時に紫金に時に白光に


あなた方の周囲を照らし始めているのを


あなた方はまだ知らない




勝利に驕る心はやがて砕かれ


戦力に頼る国々は自ら滅び


愛を権力に売る人々からは神の恵みは去り

怯懦(きょうだ)なる心は光を隠す




あらゆる飾りを払って毅然と天空に向かう


あの裸木のように


厳冬を越ゆる決意を堅め


生命を蔽うすべての虚飾を捨て


光を隠す雑多な衣をぬげ


日本の新生はそこからはじまり


あなた方の幸せはそこから芽吹く




日本よ  日本人よ


お互いにしっかり愛国の手を握り


無構えの裸身でただ天空を見よう


裸身には敵はない


天空には暗はない


ものほしそうに左右を見るな


物質界の声を聞くな


あなた方は心の眸をみひらき


天から真直ぐに下りている


白光の柱を見出すのだ


深い生命のひびきは


その柱を通って地上にひろがり


あなた方の真我と融合し


人類真実の生き方を


はっきり世界に指し示すのだ








         お 茶 を 頂 く  


                      五 井 昌 久




 私はいつも夜半の祈りで起きているので、三時ごろになるときまってお茶を頂く。
ところがこの夜半のお茶のおいしさは何ともいえないものなのである。
  「あゝうまい」思わず声に出して賛嘆し感謝する。お茶はすべて会員さん方からの頂戴もので、いづれもその国一の銘茶である。それに水は聖ヶ丘道場の浄まりきった銘?水である。うまいのはきまっているが、夜半に飲むお茶は私の楽しみにさえなっている。お茶を飲むと眠れないなどという話をきくが、私などには考えられもしないことである。
  お酒を飲まないので私にはわからないが、酒飲みが、ぐっと一杯飲み干して、あゝうまい、といっているのをよく見かけるが、あゝいう気持ちかも知れない。私は二十四時間こうしてお祈りを通しているけれど、こんなにしなくとも、みんなで、このお茶はうまいねえ、と、顔見合わせてニコニコする日がつづくように、一日も早くしたいものである。
  皆さんは私のまねをして、夜中に起きている必要など毛頭ないけれど、朝は少し早く起きて、暁の祈りからその日の祈りの生活をはじめて貰ったら、その日の生活もしっかりしてくるし、世界人類の平和のひびきも益々広がってゆくことになるので、暁の祈りをし、朝茶をおいしく頂いて、勇気凛々として、その日の生活をはじめて頂きたいものである。
  私たち同志の生活は、祈りにはじまって、祈りに終わるのであるが、この祈りの生活の素晴らしさは、次第に世界中に浸透していって、今にどこへ行っても、世界人類が平和でありますように、の声がきかれるようになるのである。
  これは、もうすでに神界において出来あがっている図面なのであるから、皆さんは、それを信じて、うまず、たゆまず、祈りつづけていって貰いたいものである。







「掲載者付記」
白光の同志へ。
――三年、五年、十年先を見据えてこのメッセージを送ります。―

今は白光会の方達に何を言っても理解してもらうことは出来ないでしょう。
ですが、今は理解されなくともこれから何年か先には真実に気付く人達が少しずつでも増えてくるようになるのではないかと考えこのメッセージを送らせて頂きます。



五井先生は教えておりますが、
「――そうした人の最大の人を仏陀といいキリストというのでありまして、宇宙人と私たちが呼んでいる人々も、そうした境界の人たちであるのです。そうした人々の協力による地上天国が、私達の世界平和の祈りの実生活に波長を合わせて、やがて、近いうちにその実際活動がこの地球上においてなされてゆくのであります。
守護の神霊団体と宇宙人と、世界平和の祈りを行じている地球人との3者が一体となっての地上天国開現の日のために、私達は日々世界平和の祈りを根底にした日常生活をしているのであり、この生き方こそ、何人にも勝る宗教的生き方なのであります。むずかしい宗教理論やご利益宗教は私達の活動とは無関係でさえあるのであります。」

これらは実に重大なことを説かれておりまして、平和の祈りのグループがもしも無くなってしまうとか縮小してしまうとかの状態になってしまうならば、世界平和完成は遅々として進まずということになってしまうのではないかと考えられるからです。
  祈りによる世界平和運動というのは、霊性開発を土台にした世界平和運動でありまして、守護の神霊団体(ヨガや神智学ではハイラーキーと呼ばれているが、これについては五井先生は常々説かれていることです。)や宇宙人は世界平和の祈りに感応してその光明波動を結集して注ぎ込んでおられます。それによって世界の波動調整を成しているのであり、三界の物質波動を霊化しているのです。
  世界が霊質化すればするほど守護の神霊団体や宇宙人はその活動をまっとうしやすくなるのであり、より活発に活動することが可能になるのです。また肉体人間として生活しており、各分野で働かれている諸々の天命を持っている人達もその使命を完うしやすくなるのであります。
  そのように、世界平和を祈るグループというのは、つまり白光の人達の働きというのは非常に重要なわけですが、現在の白光会の状態では、その使命を果たしてゆくのはとても無理なのではないかと考えられます。それは何故かといいますと、五井先生の御帰神の後その後を継ぎました西園寺会長が本道を外れてしまい脱線してしまっているからです。
  西園寺会長は五井先生の御教えに、自ら考え出した行法を組み込んで会の人達に行じさせております。これは実に間違った行為でありまして、そもそも「祈りによる平和運動」というのは、救世の大光明の媒体となり受場となる人達を増やしてゆく運動であるのです。
救世の大光明の働きとその光明力により、祈る人達の運命の開発と人類の運命の開発を同時に成してゆこうというのが、この運動の主旨でありまして、その救世の大光明につながる祈り言は「世界平和の祈り」と「五井先生」という称名の二つしかないのです。
この二つの祈り言が五井先生が創設された光のエレベーターに乗る方法なのであって、それ以外では不可能です。
  ということは、現在の白光会のあり方のように平和の祈りの他に様々な行法を行じさせているわけですから、祈りによる平和運動の本来の働きは半分になり、3分の1になり4分の1になり5分の1にと、どんどんどんどん縮小されてしまうことになります。
これは大神様の経綸である大計画にとりまして、大きな大きな、とても大きなマイナスとなるのであります。これについてこれから危惧されることは、当然のことながら五井先生の御教えの消滅であり、五井霊団の働きの完全消滅へと向かうのではないかと想われるということです。それはいつものことながら、西園寺会長が今までの自身の立場を利用した、「五井先生の御心により」とか「五井先生の命令により」等という言葉で、さも五井先生から神示があった為に成すのであるという常套手段です。この常套手段を使って、表面的には五井先生という名前を使うが、実際には五井先生の御教えや働きは消滅をしていってしまうということです。この先五井先生の御著書や五井先生の御法話テープ等、五井先生関連の書物やテープ等が販売中止になり手に入らなくなる危険性がありますので忠告をさせていただきます。ちなみに十年くらい前になりますが、ある白光の会員さんにやはり忠告をしたことがありまして、それは西園寺会長がこれから五井先生の名前を使って五井先生の信者さんたちを五井先生から引き離す方法を取ってくるはずですというようなものでしたが、実際に今振り返って見ましてもそのようになっておりますし、情報によりますと五井先生が「救世の大光明の中心体であり、私の体」と教えておりました聖ヶ丘道場も閉鎖になってしまったということです。
  そして閉鎖ならまだしも、五井先生の一番のにおいの残っておりかつ五井先生の御帰神されたc修庵も宇宙子科学の研究所もそして祈りによる平和運動が本格的に始まった道場もすべて売却処分にしてしまったというのです。
こんなことが西園寺会長の独断によってゆるされるのでしょうか。考えられないことです。




五井先生とその弟子達

 確かに、西園寺会長が組み入れている行法の一つ一つを見るならば、決して悪いものばかりではないと想います。(もっとも中には馬鹿げた行法もあり、それの方が多いのですが)
しかしそれは祈りによる平和運動とは関係のない行法でありまして、それによって救世の大光明とつながることは出来ません。五井先生がその御著書「人類の未来」の中で説いておりますように、世界平和の祈りは救世の大光明波動として、宇宙にみちみちているのでありまして、本来、救世の大光明波動は平和の祈りの運動に結ばれて、全人類の業想念波動を着々と浄めつづけているはずなのです。ですから救世の大光明とつながらない祈りによる平和運動などはまったくの笑止の沙汰でありまして、それは夜明観音である五井先生、つまり救世の大光明霊団とは一切関係のないものなのです。
五井先生の主催されていた団体で、五井先生とは関係のない行法にエネルギーと時間を費やさなければならないのは、およそ滑稽なことであり、又悲しい出来事ではないでしょうか。
  五井先生を師と仰ぎ、自らの生命であると自覚している白光の方々は、今生において、それぞれあらゆるきっかけから平和の祈りを祈るようになったのではありますが、しかしそれは何千年も前からの決まり事であり天命であったのです。その何千年も前から定まっていた天命を、今祈りによる平和運動として完うしてゆこうとしているわけです。その何千年もの長きに亘り五井先生の下で生まれ変わり死に変わりして修行をつづけてきたのは、それすべて祈りによる平和運動の使命を完成させる為になされてきた努力であったのです。今生において五井先生につながり、平和の祈りを祈るようになったのはこれすべてその修行のたまものであったのです。
  私はこれを強調しても強調しすぎることはないと想っております。このまま白光会が脱線をつづけてゆくならば、白光の方達の過去世からの努力が報われないことになり、その天命を果たすことが出来なくなってしまうからです。
そして更に又重要なことは、白光の方達の背負っている天命には、日本の天命を完うさせるための先駆けとしての使命があり、土台作りの働きがあるということです。土台がしっかりしていなければどのような家も建てることは出来ません。その土台こそ五井先生の主催されている祈りによる平和運動であり世界平和の祈りなのです。
  本当は白光会の方達にこのような重要なことに気付いていただきたいのですが、しかし現在のところはどのような説明をしても理解してもらうことは出来ないと想っております。ですが重要なことですので敢えてこのようにメッセージを送らせて頂いているわけです。



――神霊文化の始まり――
  
  これから始まる新しい時代は、神霊文化ともいわれる時代が開いていくわけですが、それについて五井先生の御著書「人類の未来」より少し抜粋してみましょう。
「ここまで考えを進めますと、もはや今日の世界では、今日までのような文明文化の進展を、そのままの状態で放って置くわけにはゆかない時になっているということになってくるのです。それではどういう方向に今日までの文明文化が道を変えてゆかねばならぬかという問題になってまいります。
  それは人間の側の考えによって変わってゆくというのではなく、必然的にすでに道が変りつつあるのです。その道とは、物質科学から精神科学へ、精神科学から心霊科学への進展という道なのであります。そして最後には、神霊の出現による神霊文化ともいうべき文化の発展ということになってくるのであります。これは肉体人間の知恵、知識によるのではなく、私共肉体人間に常に見えざる指導をしておられる守護の神霊の力によるものであって、宇宙神の自然の動きの現れなのであります。」(人類の未来より)
このように物質科学から精神科学へ、精神科学から心霊科学へと、物質文化から心霊文化への移行を説いておりまして、最終的には神霊の出現による神霊文化ともいうべき文
明の発展がなされるのであると教えてくださっております。
  この神霊の出現というのは、ヨガや神智学で説くハイラーキーの外的顕現のことでありまして、ここでいわれている神霊というのはヨガや神智学で教えている大師と呼ばれている存在のことで、これを覚者とも呼びますがこの大師と呼ばれる存在については五井先生も度々説いて下さっており、かつ常に交流をなさっておられました。
  五井先生はことある毎にヨガの方で説いているハイラーキーと救世の大光明とは同じであると教えてくださっておりますが、西園寺会長はこれについても残念ながら信徒の方達に間違った教えを信じ込ませているようです。それは数年前に白光誌の中で(故)瀬木理事長が次のような事を書いている事実でわかります。
白光誌(五百号)の中の「白光五百号をありがとう」の中で、
「白光は白光真宏会が救世の大光明をひろめ、地球人類救済のために行なっている、祈りによる世界平和運動の中心的機関誌です。
  人間の本体が本来神であるのと同じように、白光真宏会にも本体が存在することはいうまでもありません。その本体は、救世の大光明霊団であると想います。
  するとこの「白光」は、会の機関誌であると同時に、その霊団(本体)本部からの通信連絡文書でもあるといえましょう。
  そして、五井先生、神々をはじめ救世の大光明霊団からの通信は、すべてこの「白光」に発表されるきまりになっているのです。他のいかなる団体や、個人をも媒体とすることはありません。
  また宇宙子生命物理学に関する情報連絡は、エンジェラスカラーさんを中心とする宇宙天使群より、すべて昌美先生主宰のCWLP五井研究所へ降ろされています。
  昔も今も地球世界には、多くの聖者賢者がおられ、それぞれに神意を伝え現わしておられます。これはそれぞれの本体や、霊団や、星々からのものでありまして、五井先生(神界の)とその霊団、またエンジェラスカラーさん中心の宇宙天使群からのものとは、別系統のものであります。
 白光真宏会では、他の霊系統や宇宙人方を、誹謗したり否定したりするようなことは一切いたしませんが、同時に、関心を抱いたり、提携をしたりすることもありません。
これは五井先生以来の会の基本方針であります。
 この会は、大宇宙神、五井先生、救世の大光明霊団、エンジェラスカラーさん中心の宇宙天使群、これらの霊系統にのみ従って活動しているのです。」

この中で瀬木理事長は、白光会の本体は救世の大光明霊団であると云いながら、
「昔も今も地球世界には、多くの聖者賢者がおられ、それぞれに神意を伝え現わしておられます。これはそれぞれの本体や、霊団や、星々からのものでありまして、五井先生(神界の)とその霊団、またエンジェラスカラーさん中心の宇宙天使群からのものとは、別系統のものであります。」と書いているのですが、これは五井先生が常々説いているハイラーキーと救世の大光明とは同じであるという教えと矛盾していることがわかります。
 
 かつ五井先生以来の会の基本方針として「白光真宏会では、他の霊系統や宇宙人方を、誹謗したり否定したりするようなことは一切いたしませんが、同時に、関心を抱いたり、提携をしたりすることもありません。これは五井先生以来の会の基本方針であります。」と書いていますが、実際にはそんなことはありません。
例えば五井先生と合気道の植芝盛平翁とは深い親交がありまして、五井先生はその御法話において、「世界平和の祈りと合気道とこういうものが合体して日本を立派にしてゆく」と教えてくださっておりますし、又五井先生は道院紅卍会とも提携をしておりまして、神示によりc修という名前ももらっております。それが皆さんの良く知っている聖ヶ丘道場のc修庵の名前の由来なのです。又私が聞いた話によると、この様な間違った教えを教え込んでいる西園寺会長にしても、その若かりしころ宇宙子科学の使命に耐えかねて脱線しかかったことがあるらしく、その時に五井先生から紅卍会に行ってきなさいといわれたというのです。そして紅卍会に行ったところフーチと呼ばれる神示により「白光」という名前を授かったのです。これにより改めて自分の天命を深く自覚することが出来、その使命に邁進することができるようになったということなのであります。
  この様な話もあるくらいですから、五井先生以来の会の基本方針云々というのが全くの嘘偽りであることがわかります。だいたいハイラーキーの他に別に神霊の団体が存在するということはありえませんで、五井先生は勿論あらゆる聖者賢者がそこから来ているのです。




ハイラーキーの長マイトレーヤ

  ハイラーキーと呼ばれるこの様な神界の構造のゆえに、五井先生のみ教えである祈りによる平和運動はあらゆる真の宗教団体や霊的グループを包含してゆくことができるのです。
つまり本来は一なる源から来ているものが、三界の世界においてはあらゆる多様性を持って働いている姿なのであります。
  五井先生はその御著書「愛すること」の中で、
「人間は本来神の分生命です。神と一つのものです。ですから、人間が本来の姿にかえれば大きな力が発揮されるわけなのです。あの山に向かって海に入れといえば動くのだ、とキリストがいいますが、そういう強い信念があればそうなるのです。しかし、大体の人にはそういう奇跡をおこなうことは出来ません。私がいうのはそういう大きな力ではなくとも、神の子である本来の姿を蔽い隠す想いを少なくすれば、それだけその人は光明力を発揮する、ということです。そこで、寝ている病人でも、八十過ぎの老人でも、小さな子供でも、たゆみなく、世界人類の平和を祈る、世界平和の祈りをしていれば、しだいにその想いは神の世界、本心の世界につながって、その人の心身が光明化してゆき、世界を平和にしてゆく、光明の伝導体になってゆくのである、というのであります。
  これは正しく大愛の行為なのです。誰にも易しく出来る人類愛の行為なのです。人類を愛する想いと神への感謝、この想いが一つに祈りにまで高めあげられている世界平和の祈りなのですから、是非皆さんに実行して御覧なさい、というのです。
  自分が救われると同時に人類の平和に役立つ、この祈りの同志が一人でも増えることはそれだけ人類の平和が近づくことになるのです。祈りなどで平和がくるものか、などとおっしゃる方は、そのまま自分の好きなことをしていればよいでしょうが、祈りを根底にしない運動で、世界を平和にする運動など絶対にないことを私は明言します。
  この世が現在は闇のような状態でありますが、これはまだ神の光明がはっきり現れきらぬための現象で、やがて時がたつにつれ、しだいに神の光明が広がってゆくのであります。これは必然的にそうなるようになっている。闇が深ければ暁が近いと同じ理なのです。そういたしますと、おのずと神の心に目覚める人々が多くなり、真実に世界の平和を願う人々が寄り集まってくるのです。
  その時には数多の奇跡が行なわれ、仏教もキリスト教も、新しい宗教も、そうした宗教宗派の別は一掃され、ただ「宇宙神の御前に」一つになった、神の子の集団が新しい世界を作るために、それぞれの能力才能を発揮して活動をつづけるのです。そういう日の為に、私どもは、世界平和の祈りを祈りつづけ、地球上に起こらんとしつつある、天変地異や、戦争の波を、浄めつづけてゆくのであります。
  この地球人類の災害が少なからむことを常に祈りつづける同志は、各地で真剣に平和の祈りをしているのです。」
と以上のように教えてくださっておりますが、ここでいう「宇宙神の御前に」と云う「宇宙神」というのは個人的な推測になりますがマイトレーヤのことではないかと考えております。
  マイトレーヤというのは五井先生も説いておりますように、最後の救世主として各宗教でその出現を待望されておられるおかたであります。マイトレーヤは五井先生が説いている神霊の出現による神霊文化の始まりとその発展において数々の物質化(肉体化)して出現される神霊方の中心に位置する御方であります。人類はこのマイトレーヤを中心に物質化して出現される神霊方(覚者/大師)の導きにより神霊文明を築き発展させていくわけですがが、そうなる為にこそ祈りによる世界平和運動が大事なのです。
  祈りによる平和運動はマイトレーヤを始めとする神霊方のバックアップの下に、世界に本格的に認められる時が来ることでしょう。その時は人類による世界平和の大合唱が起こることになると想われますが、これこそは世界完全平和達成へのパスポートとなることと想われます。なぜこれがパスポートになるのかと申しますと、世界が平和になるためには神霊方の援助が絶対に必要でありまして、この神霊方の援助、つまり宇宙神の救済の働きがなければ世界はカルマの法則のもとに自滅していってしまうのです。
  この様な神霊を五井先生は守護神守護霊と教えてくださっておりますが、常に人類のカルマをその身に受けて浄めつづけておられるのです。その中心の大神霊がマイトレーヤとお呼びしている御方で、この御方が世界の中心に君臨することが出来なければ神霊文明は始まらないのです。世界が神霊文明への移行が出来なければそれは滅亡しかありません。
何故なら現在は物質文明の最盛期と云っても云いのですが、物質というのはあくまで部分でありまして生命の全体からみますと一番末端の現れであり一番愚鈍なひびきの現われなのです。霊性こそが実在であり物質は夢幻のように消え去ってゆく仮の姿の現われなのであります。霊性とはすべてを存在させ成り立たさしめている本体であるのです。
  世界平和の祈りには人類救済の神々が結集して働かれておられまして、その大光明を人類の上に注ぎ込んでおられるのです。ですから平和の祈りを祈る人が多くなればなるほど人類の背負っている闇黒のカルマ想念波動はさわりなく浄められて人類の霊性は開発され神霊文明にさわりなく移行してゆくことができるようになるのです。
神霊文明に移行する際には、物質化される神霊方から現在の地球科学をはるかに超えた聖なる科学とも云える新しい科学等々を授けていただくことが出来まして、人類の社会システムと人類自身は想像を絶するほどの変貌をとげてゆくことになるのであります。
  それは別の云い方から云いますと、この現象界に神界の姿が写ってくる過程とも云えるのです。神界が本住の座でありこの現象界は神界の姿が投影されてきている階層とも云えるのです。その神界の完全な姿を写し出すのを邪魔しているのが人類の業(カルマ)想念波動であります。神界から現界までの中間の階層に幽界という階層がありまして、ここに人類が過去世から蓄積しつづけてきた間違った業想念波動がたまっているのです。
幽界は深層心理学的に云えば人類の潜在意識層のことですから、この潜在意識層にたまっている様々な間違った争いや不調和な想念波動を浄化して神霊の階層の波に合わせなければいけないわけです。そうすることによって神界の完全な姿が投影されるようになるわけです。
  世界平和が完成される過程において、マイトレーヤが人類の中心に君臨されるようになるということは、神界におけるマイトレーヤの立場がこの現象界に投影されることに他ならないのです。
五井先生はその御著書「宗教と平和」の中において次のようにお説きになっておられます。
「今日こそ、大神の至上命令が、地球世界に厳然とひびきわたって、大神(救世主)の命のままの世界の組み立てが始まらぬ以上は、地球世界は滅亡のほかはありません。
世界平和の祈りこそ、大神の姿が、救世主として地球界に君臨する日を、はらい浄めてお待ちする祈りであるのです。」(宗教と平和より)






この神霊の物質化現象におけるマイトレーヤの出現に関しては、世界にその情報を伝えている人がおります。その方はロンドンに在住されているお方でベンジャミン・クレームさんといわれるお方であります。
この情報を知りたい方はインターネットで次のアドレスにアクセスしてください。
*【 http://sharejapan.org/maitreya/syutukat.html】
このクレームさんの情報を研究されるのは結構なことでありますが、しかし決して五井先生関連の質問をしないようにお願いいたします。クレームさんの師であります神霊である覚者は五井先生についてはお認めになってはおりません。ですから、五井先生関連の質問をしてもクレームさんからの五井先生についての見解は変る術はなく、ましてやクレームさんの賛同者であるグループの人達の考えが変るわけがありません。したがっていろいろとクレームさんのグループに迷惑をかけてしまう恐れがありますので注意をお願いしたいのです。このグループは白光の使命とは違う使命を持っているグループですのでこれでよいのでありまして、このグループへのあまりしつこいアクセスはクレームさんの師である覚者(大師)への迷惑となります。覚者のお仕事の邪魔となってしまうわけです。
又、それとは反対にクレームさんのグループの人たちが白光の働きに関わる必要はもうとうないのです。それがクレームさんを指導しておられる覚者のお考えだと想われますので充分なる注意をしていただきたいものです。




日本の天命と白光の使命


 白光の皆さんは日本の天命の重大さと白光の使命が密接に関係していることをご存知だと想いますが、確かに今のままの白光会のあり方では日本の天命を完うするための働きを成してゆくことは出来ないと想われます。
それはそのまま、日本と云う国のそして民族の天命の喪失を意味するのでありまして実に重大なことなのです。
  五井先生はその御著書「愛・平和・祈り」の中で、日本人つまり日本民族の天命は世界平和の祈りを祈ることであるとまで言及されているのですが、ご承知のように現在の白光会は世界平和の祈りのほかに様々な行法を信徒に押し付けておりまして、救世の大光明波動顕現の働きを狭め縮小させてしまっているのです。これでは日本の天命完うの先駆けとしてその運動を推進してゆくことは出来ません。
  日本の天命を完うする為、そして日本民族の天命を完うする為の先駆けとして、その基盤と土台を築いてゆくことこそ、あなた達五井先生のお弟子たちの天命なのです。
ですから、是非ともというよりも何が何でもあなた方白光会の方々には、現在の白光会の間違いに気付いて頂かなければいけないのです。
このまま西園寺昌美という亡国の先導者のもとに日本の天命喪失の一役をかってしまうのでしょうか。それはあなた方の過去世からの努力とその天命を失ってしまうということなのですからとても大事なことなのです。この為にも今こそ五井先生のみ教えの原点に帰り、そこから再出発することが求められているのです。
  信徒の皆さんは一度想い切って、今まで信じつづけて来た「昌美先生」という色眼鏡をはずしてみてください。勇気を出して、短時間でもいいでしょう。その間に本来の五井先生のみ教えという原点に帰り、冷静に覚めた目で客観的に現在の白光会の現状を見回してみるとよいのです。こころある人達はきっと数々のおかしな点に気付きはじめるのではないかとおもいます。しかし、その度ごとに「昌美先生だから大丈夫だ」という想いが必ずわいてくることでしょう。じつにこの「昌美先生だから大丈夫だ」という色眼鏡こそがくせものなのでありまして、宗教のカルマなのです。このカルマを超えるためには何か皆さんにとってショッキングな事件が起きなければ無理かも知れません。
それは西園寺会長が犯罪者として世間に明らかになったときかも知れません。しかし私が望むのはそう云う大きな事件が発覚し騒ぎになる前に信徒の皆さんが自ら西園寺会長の過ちに気付き自ら歩む道を正すことなのです。
  どうぞ皆さん自らが信じるものこそを客観的に観なければならないことを学ぼうではありませんか。「昌美先生だから大丈夫だ」という色眼鏡をはずしてみようではありませんか。
これが出来るならば白光会の現状と問題点に気付き始めるのは時間の問題となることでしょう。私はこの日が一日も早くやってくることを願っております。






白光の将来

日本の天命を完うする為の土台である白光会は、大神様の経綸の中で世界で一番大きな組織へと発展するように運命付けられております。
それについて五井先生の直弟子である(故)斎藤秀雄先生の体験記から抜粋してみましょう。



≪先生、暁の祈りを、例の高原の丘でやってきましたが、金星が雲間から現れた瞬間!あの星は私達の故郷の星だと理屈抜きに、そう感じたのです。しかもそれを3人が同じように感じたのです。」
と申し上げた。すると、先生が深く、深く頷きながらお聞きになられていたが「あなた方が、そこまで分かったら、では、その先の大切なことを教えてあげましょう。
私達はこの地球上で生まれ変わり、死に変わりして今日に至った地球人ではありません。私達は太陽系の他の天体の星々を巡って、その星々を、愛と平和の神の心を顕現した理想の星々にまで指導してきた救世の大光明霊団に属している人間です。そして、大神様からの使命を受け、最後に金星に移動し、その星を、愛と平和の理想の星にまで完成した時、再び大神様から次に、地球という星が太陽系の星の中では一番進化の遅れている星です。これより地球に移動して、愛と平和の戦争も病人も貧困もない立派な理想社会を建設するようにとの指令を受け、私の指導の下に、あなた方も私と一緒に地球世界に天孫降臨して来たのです。
そのような縁に結ばれて、私が師となり、あなた方が、私のお弟子になったのです。そうした縁に結ばれている人々が、これからも、皆さんのように、どんどん集まってきますからね。私達の会は、あせったり、無理してまでも、人々を集める必要はありませんよ。深い深い救世主にご縁のある人々が自然に縁を得て集まり、世界で一番大きな組織にまで発展して行くのですからね。あなた方は、その先達として、選ばれた人です。」と、淡々としておっしゃっておられた。
 初めて知った、私達のご先祖が太古の時代に展開された宇宙的な人類救済の大事業に参加した高貴な歴史を偲び、古いお弟子達は勿論、これからのお弟子達も、皆、先生のお弟子達は、魂の奥の奥処には一様に、尊い救世主霊団に参加した歴史を持った人々なのだと深く深く考えさせられた。
  そして、今、その故郷の星の光芒を全身に浴びつつ、心を新たにして、金星を懐かしく眺めた。
空気の澄み切った南海の孤島の上空に輝く金星!ああ、あの星は私達のご先祖様が五井先生の下に働いていた故郷の星だ!≫(白光誌より)


  以上ですが、五井先生のお弟子達はこの体験記にあるように五井先生との御縁の深さとその御縁に結ばれた天命の重大さを噛み締めなければいけないと想います。
現段階のように基盤となる組織がその軌道を外れているようでは、祈りによる平和運動の発展はありえませんから、少しでも間違いに気付いた方々は、現在の組織の軌道を修正する為のあらゆる努力をしてみる必要があるのではないでしょうか。
そのための活動は各人の立場の違いによって臨機応変に対処してゆくことが必要だと想います。例えば会の職員レベルの人達が公然と西園寺会長の批判をするならば恐らくいずれ職員としての立場を解雇されてしまうのではないかと想います。こうなってしまっては失業することになるわけですから、生活が出来なくなってしまう恐れがあるわけです。
  この様な場合は、会の方針に無理に逆らう必要はなく、あくまでも会の方針に同調する姿勢を見せながら、それとは全く別に純粋な五井先生のみ教えと祈りの研究グループを作っていけばよろしいかと想います。そしてその輪を広げてゆけばいいのではないでしょうか。しかしこれは無理かも知れませんので、その場合はあくまで個人のレベルにおいて純粋に五井先生のみ教えを深めていけば云いかと想います。隠れキリシタンならぬ隠れ五井先生でしょうか。(笑)
とは云いましても、やはり職員の方々の給料にしても、五井先生の出版物等の売上や全国の五井先生の信徒の人達の維持会費や献金などにより賄われているわけですから、それなりの責任を感じていただきたいものであります。またこのままでは時期が来たら何らかの責任を取らなければならなくなるかもしれません。よく考えていただきたい。
  また立場的に問題のない方は、この様な五井先生の純粋な研究グループと祈りのグループを作ることは比較的容易ではないかと想います。ですから無理のない範囲でどんどん活動して輪を広げてゆけば云いと想います。一般の会員さんなら会に対しては同調しているような意志を見せていればいいだけで、他のレベルにおいていくらでも活動を活発にしてゆくことは出来るわけです。要するにうまく知恵を働かせてグループを広げてゆけばいいわけです。






  または、会の方針に対して真っ向から批判をして自分達のグループを広げてゆくのもいいかも知れません。しかしその場合は、会からの除名処分を受けるかも知れないということを覚悟しなければならないと想います。
  あるいはまた、非常に影響力のある立場で会を批判した為に、すでに会を除名されてしまった方もいるかも知れません。(あるいはこれから)この様な方は、是非とも引っ込んでしまわないで別にグループを作り突き進んでいただきたいのです。影響力のある立場であればあるほど、それだけ信用もあるわけですから、行動を共にしてくれる同志も大勢いるはずです。かなり大きなグループへと発展させることもできるでしょう。私は昔から考えていたのですが、本体の組織がこのように軌道を外れてしまった以上は、別のグループとして正しく純粋な五井先生の集団がなければならないのではないかと。何故かといいますと、古い会員さんでも西園寺会長の指導に嫌気がさして会を離れてゆく人もいることでしょう。ですが今までは、この様な白光の人達を受け入れる場がなかったわけです。
  また、五井先生に深い御縁のある方がこれからもたくさん集まって来ることでしょうが、この様な方達は西園寺会長のマインドコントロールにかかるか、西園寺会長に違和感を持って会を離れてしまうかとのどちらかだと想います。このように五井先生には深い御縁があるのに西園寺会長の教えに間違いがあるために会を離れてしまうという非常に祈りによる平和運動にとって残念な結果になってしまうわけです。
  情報によりますと、現在の白光会では年間に約1000人の会員さん達がやめっていってしまっているとのことです。これでは五井先生のみ教えに育まれてきた人たちがやめてしまい、西園寺会長の低次元の教えに引きつけられてくる人たちがそれに入れ替わるという、悪い意味での新陳代謝がおこなわれてしまっているのではないかと推察されます。
これでは五井先生の働きが消滅してしまいます。
ですからこのように純粋に五井先生のみ教えを求める人たちが安心して頼れるグループがあることがとても大事なことだと想うのです。この様な理由の為に、高い信頼とある程度の大きなグループが作れる人がいるとするならば、是非とも頑張っていただきたいと想っているわけです。
とにかく、白光会の本体がその働きを失ってしまっている今、五井先生のお弟子達の有志の人たちが協力しあい、本部とは関係なく全国の至る所に五井先生の真の教えと平和の祈りの集会を新しく復活させることです。五井先生の火を消してはいけません。それは日本の霊的使命の火を消すことにつながるのですから。

  これから先どのように白光会が分裂しましょうとも、五井先生のみ教えを忠実に実践しているグループは、これから公に物質化して出現されてくる神霊方(大師あるいは覚者)や宇宙天使の支持を得ることが出来ますので、将来的には何も心配する必要はないのです。
  その時は白と黒、本物と偽者がはっきりと立て分けられ示されますので、五井先生のみ教えをしっかりと把握し守っておられる方々は、大安心をしていてもいいのです。
またその時には、西園寺会長の悪運も尽きることになり終止符が打たれることになることでしょう。


平和世界誕生の源泉

五井昌久著「人類の未来」より


愛と調和が基本

 人と人とが愛し合うこと、国と国とが調和すること、愛と調和が現実の生活に実践されてゆかなければ、物質主義にしろ精神主義にしろ、世界を真実の平和世界にすることは出来ないのです。人間世界の基本的生き方は、あくまで、愛と調和でありまして、いかなる理由付けがありましょうとも、愛の行為、調和の波を乱すようなことがあっては、真実の平和世界を切り開く道ではないということになります。
  自国が利益を得るために、他国を不調和な状態に追い込むようなことがあってはならぬのは勿論のことですが、他国がその国の利益のため、こちらの調和を乱してきた場合、こちらが、それに応じて、武力や念力で、これに対抗するようなことになれば、これは不調和を更に拡大してしまって、他国の業(カルマ)の波の中にこちらも巻き込まれてしまうことになります。こういう姿が、現在までの歴史の姿でしたが、これからこれでは地球滅亡の方に近づいてしまいます。
  ここのところが非常にむずかしいところで、他国が侵略してくるのに、何も防備せず黙っているのか、という反問がくるわけです。自国防衛のための戦争であっても、戦争は戦争であって、原水爆時代の今日では、危険この上もないので、武力の抗議は絶対にしてはならぬことなのです。
  ということになると、ソ連式に国家予算で念力、テレパシーという超能力を開発して、武力を超える念力の戦いを展開するか、ということになります。国をあげての念力ならば、確かに武力以上の力があるに違いありません。相手に念力をかければ、相手がこちらの想う通りに動いてしまうのですから、相手の武力がかえってこちらの武力として使えるようになってしまいます。それでは、相手がいかに強大な武力の国でも、こちらが負けることはありません。念力というのは国をあげての総力的力として使えば、大変な力を持つことになります。しかしあくまでこれは相対的な力でありまして、相手側もまたすぐ念力開発、テレパシーの開発に力を入れてくるでしょう。
  武力にしろ、念力にしろ、相対的力関係は常に戦いにつながってしまうのです。そこでこうした物質的な力や、肉体に付属する精神の力というものでない、調和そのものの力が必要になってくるのです。
  そんな力がどこにあるか、と人々は問うでしょう。あるのです。私どもはその力を身に体して知っているのです。それが即ち神の力なのです。神の愛の力なのです。
  念力から起こってくる超能力、奇跡力は、肉体、幽体の範囲において働く力なので、どうしても相対的になってしまいますが、神力というのは、調和した力ですから、すべての人々の為に働く力となります。
  


祈りの道の開発を
  
  こんなところで、大上段に神の力などと持ってこられては、どうにもならぬ、といってこられる人もあるかも知れませんが、神とか神の力とかいうのは、ただ単に言葉だけのものではありません。モーゼが紅海を切り開いたり、イエスが盲の眼を明け、いざりを立たせたりしたように、如実に現実世界に働きかける力なのです。
  相手を眠らせたり、自分の自由に行動させたりする、そういう相手の力を抑える念力のような力ではなく、こちらも相手も、共に平安になり幸せになる、そういう状態をつくりあげる力が神の力なのです。その力は愛のひびき、調和のひびきなのであります。
  その神の愛の力を、はっきりこの世に働かし得るのが、祈りなのです。祈りにつぐ祈りの行が、神の力をこの世に充分に発揮し得る唯一の方法なのであります。
  ソ連が国家の方針として、国の膨大な予算で、テレパシーや念力の開発に努めているように、日本なら日本が、国を挙げて、祈りの道の開発をしつづけたとしたら、国内は愛と調和のひびきで充ち満ちてゆくことでしょう。念力の開発が、武力に劣らぬ、国を守り相手国を抑え得る方法である、という事実が立証されようとしている現在、それ以上に絶対力というべき神力への祈りの道が真実に開けたならば、その国は安泰そのものとなりますし、他国にとっても実に幸せなこととなるのであります。

――「中略」――


祈りの実践こそ平和の源泉
 
  念力を研究し練磨すれば強くなり、上達してゆくと同じように、祈りも、祈りつづけ、実績を重ねつづけてゆきますと、上達してゆくもので、次第に短時間で、神の御心と一つになり得るようになるのです。
  達人になりますと、一瞬にして神との一体化がなされ、常人には及びもつかぬ、奇跡を行なうのであります。そしてその奇蹟は人に危惧感を抱かせたり、危険がともなったりすることのない、光明溢れた状態がともなうものなのです。
  真実の平和世界の誕生というのは、こうした神との一体化が、多くの人達になされた時にはじめて成就するのであります。戦争も転変地変も、すべて人類の神との一体化によって、未然に防ぎ得るのであり、人類の真の幸福もそこから生まれてくるのです。
  心焦って、危険のともなう念力の成果を得ようとしてはいけません。念力には常に自我欲望がともなうものです。人に勝ちたい、何々を得たい、そういう欲望は、真の世界平和のためには不要のものなのです。人に勝ちたい、何々を得たい、そういう欲望は、真の世界平和のためには不要のものです。人間世界を不調和にしている、人間各自の業想念、自我欲望というものを、神の御心の中で消滅していただいて、神の御心そのものの光明心でこの世を渡ってゆく、そういう生き方をすることによって、本来の神の子の姿が人類に顕現され、真実の平和世界は出来あがるのです。
  自分を愛し、人を愛し、社会を愛し、国を愛し、人類を愛する。そういう神の御心と一つに通う愛の心で生活することができるようになるのが祈りの道なのであります。
  私どもの提唱する消えてゆく姿で世界平和の祈りの実践は、最近急速に同志が増えていっております。
  世界人類が平和でありますように、という人類愛の言葉ではじまる、この祈りは、老若男女、誰にでも一読胸に沁みる言葉です。この祈りの中に、人間の希求をすべて託して、私どもは祈りつづけてゆくのであります。怒りの想いも妬みの想いも、気弱な想いも病気の想いも、恐怖の想いも、すべて祈り言葉の中に入れ切って守護の神霊への感謝の言葉で結ぶとき、その人の肉体はもはや単なる肉体ではなく、神の器として、神の御心の場として輝きわたっているのであります。
  霊眼でみれば、世界平和の祈りをする人の肉体は光で蔽われているということです。それはお互いどうしがいうのではなく、全くこの祈りとは関係のない、霊能者が言うのですから疑う余地はありません。私どもからみれば、やはりそのように見えるのです。  真に世界平和をつくらんとする者は、世界平和の祈りに徹して、祈りの実践をつづけながら、自己の置かれた立場で、働いてゆくことによって、大きく広く光明がひ
びきわたってゆくのです。それは念力で人を自由にするといった類のものではなく、人の知らないうちに、多くの人々が、光明のひびきにつつまれて、光明波動で、幽体、肉体を洗い浄められているのです。
  世界を救う最大の生き方、それは正に世界平和の祈りを根底にした生き方に他ならないのであります。



五井昌久先生著「霊性の開発」より



日本の天命は何か

  
 現在の日本も世界も大変な危機に立っています。この危機を防ぐ為には、人間各自も、各国家各民族も、自己に定められた天命のままに働くことが大切なのであります。国家民族が天命にはずれた行為をしている限りは、地球世界は滅亡の方に次第に追いやられていってしまうのです。
  それなら、日本の天命は一体何なのでしょう。それは実にはっきりしているのです。日本という名のごとく、日の本に還えることです。日の本とは、霊(ひ)の本であります。霊の本とは、つまり神霊の本ということです。ですから、個人個人が霊性に還えることと共に、日本の国そのものも霊の国として改めに出発することなのであります。
  神々の間には争いはありません。霊の世界は相対のように現れることは出来るが、相対ではなく、絶対の力が、単に分かれて働いているに過ぎません。そうした姿をこの現象界に現すための、先頭に立つべき国が日本なのであります。武器の力をもって、敵を想定して戦争の練習をしたりするのが、日本の真の姿ではありません。統一されたる神の絶対力、神霊の慈愛の光明力をして各国各民族を照り輝かすのが日本の真の使命です。ですから日本といい日の本というのです。大空に輝く太陽のごとく、みずから光り輝いていることによって、万物を生育せしめ、万物の働きを助けるのが、日本の真実の役目なのです。




日本は武力に勝る大光明力を持っている


  武力に勝る力を、日本の国は、そのまま持っているのです。それを日本人は忘れ果てているのです。その力は何か、神からそのままくる力、慈愛の御光、救世の大光明の絶大なる力なのです。神は生き生きと働きつづけておられるのです。救世主はすでに天降っておられるのです。霊眼に観られる救世の大光明の光は、いかなる業想念をも敵と見ゆる存在をも、すべて融合して光一元にしえる絶大なる力をもっているのです。その事実を私達はよく知っているので、常に常にその大光明に帰一する世界平和の祈りを説きつづけ宣布しつづけているのであります。
  合気道の植芝盛平先生の無敵の姿は何処からくるかと申しますと、神と一体になったところからくるのです。人間が神と一体になった瞬間から、その人に敵は無くなるのです。大調和の姿になるのです。それが合気道であり、世界平和の祈りなのであります。そして、それが日本の真の姿を現わす真の道なのであります。
  まず世界人類に先駆けて、日本人の一人一人が神との一体化を実現することこそ、日本の使命が達せられる唯一の道であり、ひいては世界人類を恒久平和の道に導き入れる道でもあるのです。
  この地球界においては、力というものは絶対に必要なものです。しかし、この力というものが、普通いわれる武力による力関係というように思われているうちは、世界人類の平和は実現できえないし、日本の使命も永久に達せられないのです。
  その力とは、合気道の植芝盛平翁のもつ力であり、世界平和の祈りがもっている光明力なのであります。そうした力が、こうして現存的な力として示されているのです。
宗教の本質が現れれば何人も、こうした力をもちえるのですが、こうした神力を信ぜず、いまだに武力に頼ろうとしている宗教者が存在することは、実に嘆かわしいと思うのです。  武力と武力の力関係によってかもし出される不安恐怖の時代を、人類はまだまだつづけようというのですか。神力を信じつづけてもし仮に地球人類が滅びるならば、それも神意によることなので、致し方ないではありませんか。どうせ、神から来た私達の生命なのですから、神の御心のままでよいのではないのですか。肉体人間はみずからが生きているのではなく、神の御心によっていかされているものであり、御心によらねば、肉体に存在することも、肉体をさることも許されてはいないものなのです。人間はそうしたわかりきったことをもう一度じっくり考え直さねばなりません。
  そうして、その真理をはっきり悟った人こそ、生きるも死ぬるもない、永遠の生命を発現しつづけていきつづけ得る、真の人間、神人になり得るのです。その日の為にこそ私達は、世界平和の祈り一念で生きつづけることの大切なことを人類すべてに知らせようと活動しているのであります。



平和世界誕生の源泉

  いずれ時が来ると、白光は神霊方や大聖方のバックアップの下に新生し、その使命を果たしてゆくことになることでしょう。その時日本は、国家レベルにおいて祈りの道の開発に突き進んでゆくことになります。それは日本の天命完うのためであり、世界の恒久平和達成の為なのであります。
  日本は古より神国と呼ばれて来ました。また日(霊)の本とも呼ばれ大和とも呼ばれてきました。それは、日本の国土にそう呼ばれるだけの秘密があるからです。
日本の国土は単なる土くれや、石や岩の集合体ではありません。正に、日本列島こそ大神が、その姿を形として現わし顕現されている姿なのであります。
  ですから、日本の国土を霊的に観ますと、霊の根源に位置するのでありまして、その働きは大和、つまり神の御心である大調和力そのものなのであります。
その為に日本は古くから神国と呼ばれ、古代からの宗教や聖者方の予言等において、世界の救世国として示されてきているのであります。
  世界平和の祈りはこの日本列島の霊的働きを極度に発揮せしめるために生まれてきた祈りなのであります。世界平和の祈りをよく噛み締めてみてください。正に霊の本である宇宙神より発する大和の祈りではありませんか。この祈りが我が国に生まれたのはそれこそ並々ならない神意がそこにはあるためにほかならないでありましょう。
この平和の祈りのほかに日本の天命を完うせしめるための祈りはないのです。
  五井先生が説かれているように、世界平和の祈りは大救世主の光り輝く言葉なのであります。この祈り言葉に日本国民のすべてが結集するとき、救世の大光明は日本列島の霊的磁場に結ばれて、その大光明力を世界中のすみずみにまで顕現してゆくことが出来るのです。
  白光の皆さんは、あらためてその使命の重大さに気付いていただきたいのです。
五井先生のお弟子であるあなた方が、その先駆けとなり基盤とならなくて、いったい誰がその使命を果たしてゆくことが出来るというのでしょうか。よくよく考えていただきたいのであります。
  世界平和の祈りの運動は神界に画かれている図面なのですから、神々(覚者/大師)や宇宙天使たちは真の白光の働きに、必ずや歩調を合わせ始めるときがやって来ることでしょう。否、真実はすでに合わせはじめておられるのであります。
  この一連のメッセージを終えるにあたり、私は五井先生の真のお弟子達の働きに期待するものであります。




                           
白光の友へ
                               平成12年10月2日






    日本人よ  今こそ起て



日本よ  日本人よ  今こそ起たねばならん


今日起たねばいつ起つときがあるのか


日本よ  日本人よ  今こそ起たねばならぬ


だが日本は剣を持って起つのではない


一億の心を一つに


平和の祈りをもって起つのだ




日本は核爆弾の洗礼を受けた唯一の国


真実平和を絶叫できる唯一の国だ


何者だ今頃になって武器を持とうと言うのは


剣を持って防ぎ得るのは一時のこと


永遠の平和は剣を持つ手に来ることはない


日本の天命は大和の精神(こころ)を海外に示すにあるのだ


日本は今こそ世界平和の祈りによってのみ起ち得る


世界平和の祈りは


大救世主の光り輝く言葉だ


救世の大光明は日本国の平和の祈りに結ばれて


地球の隅々にまでその光明を顕現するのだ




サラリーマンの家庭から


農家の主婦の心から


機械に踊る職場から


世界平和の祈りは光りとなって


世界中にひろがってゆくのだ





                 
                         五井先生詩集より






☆ 世界人類が平和でありますように