【人間の想念と天地自然の在り方との関係を五井先生のご著書から抜粋してみましょう】 (阿難物語―ー第一部天象儀の謎からP79〜P80)
『ここに掲載されているお話は、何も宗教の押し売りをしているわけではありません。ここに載せられている話の数々を見れば、五井先生が人間の心と天変地異について教えていた事がよくわかると思うのです。ですから、宗教信仰を信じられない人達も四つ目の柱として仕掛けられているパラドックスの罠の一つの裏付けとして確認して頂けたらいいと思います。』




そうした悪徳行為の場には、いい合わせたように必ず魔界の生物の哄笑があった。
『魔性の姿と見えるものは、その人、その人の想念の波、業(カルマ)の波が、形となって見えているだけで、真実そうした形を持って存在するものではない。人間の誤てる想念が、魔界を創り、魔性の生物を形作っているのである。
しかし、一度形作られた魔性は、その悪想念の波を持って、人間世界を覆うとして来るのである。人間はそうした悪想念の波を打消す光明を自己のうちに持ちながら、いたずらにその波に踊らされ、引きずり込まれ、遂には、この人の世を魔界そのものとしてゆこうとしているのである。衆生はその事実に気づかず、人間自体を、卑下し、自嘲している。自ら出した想念に、自ら縛されている人間像なのである。その自縄自縛を解きほぐさなければならぬのが沙門の務めである。
 沙門は先ず自己がその無明(まよい)から覚めねばならぬ。そうした妄念を浄めねばならぬ。
 阿難よ、そうした妄念がこの世にみつると、その様な業(カルマ)はいつしか自ら崩れ壊れてゆかねばならぬ定まりになっているのである。その自壊の様相が、個人的に働く時、個々人の不幸、不運となり、大きく集積して崩れてゆく時に次々と観らるるような事態を起こしてゆくのである。心を凝らして、よくよくこの理(ことわり)を認識すべきである。』
とまたも世尊の御言葉が心に聞こえて来た。
 阿難の心眼には、あらゆる人間の悪想念が作り出した暗黒雲が一杯に拡がってゆくのが観えはじめ、その暗雲が天地に充満するかと思われた瞬間、雹(ひょう)かとも思われる大粒の雨が一滴二滴、降り出したかと見るや、その雨につれて猛然たる風が巻き起こり、忽ち猛烈なる暴風雨となり、その風雨が、天地をもゆり崩すばかりの大きな地震をともなって、さながらこの世の終末を思わせる天変地異の様相を呈しはじめた。
 それは真実そのままに、阿難の心眼に観じられているのであったが、阿難の心は、その天変地異の境外にいるらしく、畏怖の思いが少しも起こっては来ないのである。
『阿難よ、そなたの疑問としていた天地の変異は、すべてこのように、人間の想念の波、行為のひびきが集積して起こされるものであって、人間以外の何者が起こし得るものではない。
 阿難よ、人間交互の間に起こる不運も不幸も、自然界に起こる諸々の変異も、人間界に及ぼすあらゆる災害は、これみな人間自身の誤てる想念行為によって起こされるものであることを銘記したことであろう。人間世界に満ちている悪想念が浄まらぬ以上は、自然界が起こすごとく見える災害も消ゆることはない。
 もし、人間世界の悪想念が浄まり、人間の心内に真であり、善であり、美である想念のみが流れつづけているならば、自然界は、人間世界に幸する大調和の状態のみを提供するであろう。』



『五井昌久先生御法話録』−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



          神様の御心に入りきる

                       五 井 昌 久



−−『天変地異は想いが作り出す』−−

祈りで天変地異は防げるか、という質問を受ける事があります。天変地異というのは人間の想いが作り出すものなのです。過去世からの長い想いの集積が作り出すのです。
戦争は自分たちの考え方とか、政治力で防げたり、止めたり出来ますが(実際はなかなかむずかしいですけれど)天変地異はどうしようもない。現代の科学の力をもってしても、政治の力をもってしても治せない。治しえるのは何かというと、人間の想いを変えること以外にないんです。では人間の想いをどうしたらいいか、というと、人間の想念波動を、一度完全調和している神様の御心の中に入れてしまう。神様の御心の中に入ってしまわない限りは、天変地異はなくなりません。ですから、我々の祈りの運動がなくて、祈っているのは我々ばかりじゃなく、本当に祈りをしている人もありますが、そういう祈りがなくて、唯物論的に生きていたならば、天変地異も戦争も必ず起こって、人類はほとんど壊滅に瀕してしまうと思うのです。一変やり直しになると思うんです。
ということは、地球には地球霊王というのがいらっしゃるわけです。その霊王が物質化してこの大地になっているわけです。この大地を人間が穢しに穢しているわけです。
原水爆で穢し、科学薬品で穢しているわけです。
人間というのは天地の恩恵、神様の恩恵等思わないで、自分勝手の想いで、自分達だけの幸せを願っている。そういう想いで地球の波動圏、地球霊王の光の波動があります、
その波動を穢しに穢しているわけです。あまりよごされますと、地球霊王はそれを洗い浄めなければなりません。体をブルッとひとふるえさせて、穢れをおとそうとするわけです。それが天変地異になる、大地の中に断層が出来たり、地殻の変動という形になったりするわけです。大地のアンバランスを調整するために地震がおこるわけです。
そのアンバランスがどうして起こるかというと、人間の不調和波動、乱れた念いがそういうものを起こしてしまうわけなんです。

−−『まず波動があって、物質が出来る』−−

なんで人間の想いと大地の想いとが関係あるか、と思う人もあるでしょうけども、波動というものがまず先にあって、それで物質が出来ているんです。いつも申しますけども、この机、これは固い物質に見えるけれども、これをズ−ッと分析してゆくと、これは原子の集まりでしょう。原子は電子や原子核や中間子等の集まりで出来ています。
だから固いものに見えているけれど、実は穴だらけなわけです。空に星がありますね、星と星との間の空間のような隙間が原子と原子との間にあるのです。
それをつないでいるのは波動の力なのです。波動の力がすべてを支えている。それで波動が動いたときに粒子になる。元はみんな波動なんです。物質も波動であり、人間の想
いも波なのです。想いは伝わります。それは波だからです。それで想念波動というわけです。物質も波動なんです。地軸が傾いている、あるいは大地に断層が出来ている、というのも、波動がアンバランスになっているのが、形に現れてそうなっているわけです。その大地の歪みを当たり前で直そうとすれば、地震になりますから、そうさせないで直すには、人間の波動の方を変えてゆく。人間の波動のバランスをとってゆけば、そのひびきが大地に伝わりまして、歪み、断層が知らないうちに直ってゆくわけなんです。
一変に直そうとするから地震になるんで、少しづつ少しづつ歪みが直れば、大きな地震にならなくてすみます。小さな地震はあるかも知れないけども、大きな地震にはならない。ですから人間の念(おもい)を、人間の想いを平和にして、神の御心に近づけて、天変地異を防がなければならないし、其以外に天変地異を防ぐ方法はないんですよ。
それは我々は昔から知ってますから、皆さんとともにズ−ッと平和の祈りをしつづけてきております。私などは現在、夜中ズ−ッと祈りつづけているんですよ。
そうすると光がズ−ッと地球にふりまかれてゆく、そうして波動の穢れを浄めているわけです。皆さんも自分では気がつきませんけども、皆さんの日々瞬々の世界平和の祈りというものは、光の波動をこの穢れた波動圏にふりまいているわけです。大掃除をしているわけです。これがズ−ッとつづけられてゆくと、穢れた想念がみんな浄まって、土地の断層も自然に直るということになるのです。だから地球の天変地異など恐れないで恐れるよりまず、平和の祈りをつづけてゆくということが大事なわけです。

−−『祈りが大事なんだと思うこと』−−

祈り以外にこの世を救うことはありません。祈りを根底にして日常茶飯事の仕事をしていく。そうすることによって戦争も天変地異も防げることになるんです。そのうちに大調和科学が生まれます。そうすれば天変地異も戦争も科学的に処理することが出来るわけです。現在のところは、科学的には何にも手をうつことができない。台風一つでもそうです。だから我々は祈りをもって、波動を変えてゆかなければいけないわけです。
それを心に深く銘記していただきたい。祈りが大事なんだ−−そう思うんですよ。自分たちは肉体にこういるけれども、実は自分は高−い神様の御心の中にいるんだ、光輝く太陽の様なもので、その光のひびきが一つの場である肉体に宿って、肉体人間としてこうやって活動しているんだ、ということを知るように努めなければいけませんね。
統一しているとそれがよくわかります。統一してズ−ッと静かになりますと、肉体があるかないかになりますね、そして想いは澄み切ってゆく−−そういう状態になります。
そうならなくても、肉体と心というのが別のものであることがよくわかってきます。
心というのは肉体にもありますけれど、それは想いとしてあります。しかし、肉体を支える力として、肉体をここに派遣している力として大きく存在することが、統一していると段々わかってくるのです。そうしますとだんだん生活するのに自信が強くなります。ああ私は神と共にあるんだ、私の本体は神様の御心の中にあるんだ、ということが実にハッキリわかってきまして、大きな大きな自分の自信となってくるわけです。