日向薬師
(ひなたやくし)

元正天皇(716年)の頃、僧行基が開創したといわれている
日本三大薬師(他は土佐の柴折薬師、越後の米山薬師)の一つ。
この日向薬師には、源頼朝は娘の大姫の病気回復祈願に参詣したことがある。
幕府重臣50余名とその家来が従ったというから大変な行列だったろう。
いまは往年の繁栄はいずこにか、山里にひっそりたたずむ静かなお寺である。
本尊の薬師三像は、鉈彫りで有名、貴重な文化財です。
他に、阿弥陀如来、四天王、十二支を頭にいだいた十二神将像など、
23体もの仏像が、宝物殿に納められている。
本堂は今は珍しい茅葺屋根の建物で最盛期の七堂伽藍を有する
大寺を想像させるにはあまりにも鄙びたものである。
山門の仁王像は、鎌倉時代の仏師後藤運久作といわれ、とても大きな老杉木立の参道の中に睨みをきかしている。
そして池のある境内は、樹齢800年とも言われる幡かけ杉(天然記念物指定)と草葺の鐘楼もあり、四季を通して、心休まる森の路である。
浄発願廃寺
日向薬師を中心として、大山の東麓の日向渓谷は往時には
七堂伽藍を競っていた場所であったが、かっての伽藍群はうそのように消滅している。
そのなかで鎌倉の東慶寺は女人の「駆け込み寺」として,今も有名であるが、
ここ”浄発願寺”は男子で殺人及び放火以外の罪を犯した罪人がこの寺の門に入り、
石段積みなどの労役を一定期間済ますと放免される、「駆け込み寺」であった。
寺は弾誓上人の開山で、徳川家康の加護を受け、 多いに栄えてたが、現在は山津波により廃寺となり、埋もれた石段と石仏が うっそうとした杉林に残るのみ、苔むした遺跡はインドシナの密林廃墟を 彷彿とさせるたたずまいである。

現在は下流に三重塔がまばゆい新しいお寺が再建されている。


日向渓谷は何事もないように清らかに流れている
日向川にかかる古びた橋この奥が”浄発願廃寺”である



廃墟に残された石仏達、頭が欠けているのはこの谷が
衰退した原因である、廃仏毀釈の名残であろう。
御所の塔

壬申の乱の悲劇の皇子が何故こんなところに
2002年10月30日 COKER記