け・・・汚れとは悪しき習慣

も・・・文字とは記号の襲来

の・・・軒並みを見下ろしては

の・・・咽の渇きを感じる

こ・・・凍える手足をさすって

の・・・のこのこと、

こ・・・この闇の中に姿を隠す

かみくだくために、ちかづいたのではない。
あたためあうために、よりそったのだ。

“獣”と呼ばれる子の話。人であるのに獣と呼ばれる。 そうして人から“のけもの”にされ・・・
昔話のように理解できない者を獣と呼ぶことは、人が人であることを分別できるためか。
魔女も鬼もそう呼ばれた裏側を覗いてみれば、何も特別な力を持たないただの人間なのに。

だとすれば、今はもう隣が人なのか獣なのか分からない。
人は食べたい物を選んで食べる。獣と呼ばれる者は食べられれば何でもいい。

そのさまをひとは“くらう”と言う。

人には教養がなければならない。獣には生き延びる教育がなければならない。
人は恒温動物。しかし“世の中”に対しては変温か?
人には思いやる言葉がある。獣にはそれはただの絵文字。
人は言葉でも問題を起こす。
けれど取り繕う為には言葉は無意味。やがて武力。

教育はどこで武力に変わったのか。それが人として生き延びる教育なのか?
だとすれば、人と獣、どちらがケモノでどちらがケモノでないのだろう。

人はのこのこ歩くソレをノケモノにして、ひと安心。



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