2.夕暮れの図書室
月曜日の放課後。
静久は図書室のカウンターに座っていた。放課後、週の半分は図書委員の仕事で図書室にいた。
静久は子供の頃から本が好きで中学からずっと図書委員をしていた。
委員がある日は朝人と一緒には帰らない。
今後の事を考えるのにも図書室は打ってつけだと思った。
静久は仕事をしながら自分たちの事を考えていた。


いつからだったろうか。
自分が順一郎の事を好きになったのは。
そう、静久はずっと順一郎の事が好きだった。
それは失恋をした今でも変わらずに。


それをはっきりと自覚したのは中三の夏だった。
夏休みももう終わろうという頃に順一郎が家にやってきた。
夏休みの宿題を写させてあげたり手伝ったりしていた。
静久自身は7月のうちに朝人とほとんですませてしまっていた。
順一郎はテストも宿題も一夜漬けタイプだ。優等生タイプの朝人と静久とは正反対といっていい。
この頃から内心順一郎と同じ高校には行けないのだろうと諦めが入っていた。


一通りの宿題が終わると二人で麦茶を飲みながら話していた。
当時クーラーのなかった静久の部屋は蒸し暑かった。
窓を全開にして順一郎は暑そうに下敷きでパタパタとあおいでいた。
その風に当たってやろうと静久は窓辺のベッドに座る順一郎に近づいていった。
仰いで出来る風が顔に当たる。気持ちよかった。暫く二人でその風に当たった。

その時ふいにその風がやんだ。静久は閉じていた目を開けた。近づく順一郎の顔が見えた。
その次の瞬間には唇に生暖かい感触があった。それがキスである事に半瞬後に気がついた。
嫌ではなかった。黙って目を閉じた。

暫くして唇が離れた。順一郎と目があった。
何を言われるだろうかと身構えたがそんな静久に順一郎は言った。

「お前キスした事あった?」
急に質問で驚いたが黙って首を振った。

「今のは練習だよ。練習。俺達もそろそろ恋愛とかするような年頃じゃん。
初めての時に恥かかないようにさ。練習しといた方が良いと思ったんだよ。」

その言葉にがっかりした自分に静久は気がついた。
その時に自分は順一郎の事が好きだったのだとはっきり自覚した。
練習と言われた事は悲しかったがキスをしたという事実が嬉しくて静久はそのキスの事をずっと忘れないでいた。





あっという間に季節はすぎて秋になり冬も近づいた頃だった。
あれから静久と順一郎の関係には何の発展もなかった。
ただ益々静久は順一郎の事が好きになっていた。


なんでもないある日だった。
静久は教室に一人でいた。築40年という校舎はすきま風がビュンビュンと吹いていた。
少し寒いなと感じながら図書委員だった静久は図書室へ向かう準備をしていた。
歴史ある中学だがおもしろい事にその図書室は校舎の外にあった。
敷地内の一角に木造の古い平屋がありそこが図書室だった。
古すぎる建物で地盤沈下もしていたし、隙間風は校舎の比ではなかった。
けれどその図書室は静久のお気に入りの場所だった。
古い本も大切に保管されているし何よりその隔離された別空間のような立地場所が好きだった。
図書当番の仕事としては貸し出し返却作業の他に閉館後、図書室すべての鍵を閉めて帰るというのが
仕事としてあった。いつも静久は閉室作業までしっかり終えてから帰っていた。



教室で静久は机の中から一冊の本を取り出す。
「星の王子さま」
静久の1番好きな本だ。
図書室から借りて静久が順一郎に貸した本だ。先程休み時間に順一郎が返しにきた。
自分の好きな本を好きな人に見てもらいたかった。
それだけだが順一郎も読んでくれたのだというだけで嬉しかった。
その本をマジマジと見つめる。そしてそれを鞄に入れる。
その本の返却も含めそろそろ図書室へ向かおうとした時だった。


誰もいなかった教室に朝人が現れた。その様子に静久は何か違和感を感じた。
何かいつもと様子が違って見えた。

「どうかしたの?俺が委員の日は朝人さっさと帰るのに。」
そう言う静久に朝人は一歩づつ近づいてくる。
時計をチラリと見た、そろそろ行かないと委員の仕事に遅れちゃうなと思った。
その時目の前の朝人が一枚の封筒を取り出した。
自分に向かって差し出すそれを無意識に静久は受け取っていた。宛名も何も書いていない封筒。

「何、これ?」
静久はワケがわからずに聞く。透き通るような白い肌の朝人が薄く微笑む。
とても美しい顔だが切羽詰まって見えた。

「それを、町田順一郎君に何も言わず渡して欲しいんだ。」

その言葉を聞いた途端胸がザワついた。それはどういう意味?黙って静久は朝人を見た。

「ガラでもないかもしれないけどラブレターなんだ。
彼の事が好きだから付き合ってほしいって書いてある。」

体が震えた。手にした手紙が細かく揺れる。
「何で?だって今まで朝人は順一郎の事嫌いだって言ってたのに。何で急に...。
俺わけわかんないよ..。」

そう言う静久に朝人は微笑む。今度は先程より強い笑みで。

「今までは意識しすぎて嫌いだって思っていただけだったんだ。けど..きっかけがあってさ自分の気持ちに気付いたんだ。」
「..きっかけ?」

静久は朝人をじっと見つめた。美しい美しい朝人。その顔から視線を外せない。

「この前、急に彼にキスされたんだ。驚いたけど嫌じゃなくて自分でも彼の事好きだったんだって自覚したんだ。」
 
その朝人の言葉に頭の中が真っ白になった。
美しい朝人が微笑む。美しい美しい朝人。そう、順一郎が好きになってもおかしくない位に朝人は美しい。

あの夏の日の事を思い出した。
あのキスの後で確かに順一郎は練習だと言った。
自分はただの練習で本命は朝人だったのだと理解した。
その後は何も考えられなかった。事務的に言葉が出た。

「...これを渡したら良いんだね。」
そう言うと朝人はまた魅力的に笑った。

「彼を図書室に呼び出してあるんだ。
彼部活が終わったらそっちに行くと思うから鍵閉めないで待っていてあげてね。」

そう言うと朝人は教室を出ていった。


気分が悪かった。
吐きたいような気分になったがそれを堪える。黙って図書室へと静久は歩いた。
舗装された小道の両脇は植え込みで春には桜が綺麗に咲く道だった。
その先にある図書室を目指す。

夢を見ているようにフラフラと歩いた。
図書室でいつもと同じように仕事をする。

やがて閉館までまだ時間があるのに誰もいなくなった。見渡す限りガランとしている。
カウンター右手側と正面に窓がはめてありそこから光が射し込む。
気が付いて窓の外を見ると今まで見た事がない位の美しい夕焼けだった。
西の空に日が沈んでいく。
オレンジ色の日差しが窓から差し込んで自分を赤く染める。長く伸びる木枠の窓の影も美しかった。
静久は胸がいっぱいになった。
こんな綺麗な夕日の射し込む中、失恋する為に待っている自分。
無意識にズボンのポケットにしまった手紙を取り出す。それを黙ってじっと見つめた。
頭の中は嵐だった。吹き荒れる感情が渦巻く。
何かが壊れたんだ。
そう壊れたんだ。


静久はその手紙を二つに裂いた。四つに六つに。数えられない位粉々に破いた。
涙は次から次へと流れ落ちた。
粉々になった手紙の屑をゴミ箱へと捨てると窓の鍵を全部かけていった。
涙でぼやけた夕焼けが見えた。
今の行為を唯一見ていた証人だった。
すべての鍵とカーテンを閉めると慌てて外に出てドアに鍵をかけて走った。
順一郎が来る前に帰らないといけなかった。





それ以来順一郎の顔がまともに見れなかった。
たまに話す時はいつもギクシャクした。朝人には翌日嘘をついた。手紙は渡したと。


数日後朝人に言われた。『何の返事もないから失恋した』と。
それ以来朝人は順一郎の事はもう忘れたいと言った。静久の望んだ通りの結果となった。


本来両思いだった二人が静久の行った行為でくっつく事がなくなったのだ。願った通りになった。
けれどその為に自分は許されない罪を犯したんだ。誰にも言えない秘密を抱えてずっと苦しんできた。
けれどそれは犯した罪の罰にしてはまだ足りないだろう。






図書室で静久は長い回想から我に返った。
気がつくと読みかけの本は1ページも進んでいなかった。周りを見渡すと誰も生徒がいなくなっていた。まだ閉館まで時間があるというのに。
あの日と同じだなとボンヤリ思った。
けれどここは中学の図書室とは違う。新築の綺麗な壁、汚れのない床。
窓から見えるのは片側は廊下。片側は向かいの校舎の窓。
何もかも違っている風景。と、ドアが開く音がした。
振り向くと朝人が立っていた。


「お疲れ。差し入れ持ってきたよ。」
そう言う朝人の右手にはジュースが2本あった。

「ありがと。けどここ飲食禁止だよ。」

「零さなきゃ大丈夫だよ。それに今誰も居ないじゃん」
そう言って笑う朝人はあの日よりも美しかった。
自分の罪を知っても朝人は同じように笑ってくれるだろうか?思うと苦しくなった。
朝人の唯一の失恋。それは本来失恋ではなかったんだ。
自分の狭い心が生んだ架空の出来事なんだ。
静久は苦しげに顔を歪めた。
それを朝人はじっと見つめた。そしてカウンター越しに顔を近づける。
そっと静久の顎を取った。

「な.何...?」


そう言う静久の唇を朝人は塞いだ。暫く味わうように朝人は口づけた。
ようやく唇が離れた後も静久は何も言えなかった。視線を外して考える。


自分の犯した罪を償う為にも朝人と付き会うべきではないのかと考える。
けれどそうすると朝人の事が好きだった順一郎の事を裏切り続ける事となる。

静久は完全に行き詰まっていた。

「そんな顔しないでくれよ。静久は俺が必ず幸せにしてあげるからさ。
何も考えないで俺にすべてをまかせて..」


そう言ってカウンター越しに抱きしめられた。静久はただ黙ってその行為を受け入れた。






いつものように団地の階段を上る。
今日も誰にも会わずにホっとしていた。
家の前まできて鍵を出そうとする。けれど探しても鍵が見あたらない。
5分間探して鍵を忘れたのだと諦めた。ついていない。
共働きの両親はあと1時間位しないと帰ってこないだろう。家の前の階段に腰を下ろして空を見上げた。今日は曇っていて夕焼けは見えなかった。俯いて足の間に頭を埋める。
 


「何やってるんだ?」
眠ってしまっていたらしい。気が付くと目の前に順一郎が立っていた。

「えっと、鍵忘れちゃって...」
順一郎は目の前を通り過ぎて自宅のドアの鍵をあけた。ドアを大きく広げる。

「入れよ。おばさん会社だろ。ウチで待ってろよ。」
顔が熱くなった。胸がドキドキした。それを悟られないようにと思いながら静久は立ち上がった。

「ありがとう」
家には他に誰も居なかった。
静久が順一郎の部屋に入るのは久しぶりだった。部屋は昔と何も変わっていなかった。
家は静久の家と左右対称の作りだ。同じ玄関に1番近い部屋が順一郎の部屋だった。
窓に向かって両サイドにベッドと家具が置かれていてそれだけで部屋はいっぱいだった。
床に座る場所もなかった。静久は昔と同じようにベッドの上に座る。
あの朝人の手紙の件以来この部屋に来るのは初めての事だった。ドキドキと緊張していた。

「何か飲む?」

そう言いながらラジカセの音楽をかけてから順一郎は部屋を出ていった。
静久は落ち着かない気持ちで座っている。
昔と同じ順一郎の部屋の匂いに胸が痛くなった。
あの日から1年以上の月日がたっているのにこの部屋にいるとまるで昔に戻ったようだった。


暫くすると順一郎は麦茶の入ったコップを二つ持って戻ってきた。礼を言ってその一つを受け取った。
そのまま順一郎は静久の座るベッドに横並びに座った。ベッドが軋む。
順一郎の赤い髪がすぐ目の前にある。ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
静久ははっきりと自覚していた。今でも変わらず順一郎の事が好きなのだと。
ずっとずっと変わらずに。


その時ふいに順一郎が話し出した。
静久の方は見ないで中空を見ながら言う。

「昨日、俺あいつに会ったよ。ここの階段で。菅原朝人と。」


ドキリとした。
自分が変わらずに順一郎を思っているように順一郎も朝人を思っているのではないかと思い至った。