7・薔薇の花のように大切な人


夢の世界をなぞるように、百日紅の花と睡蓮の花に口づけてから、ミチルは家に戻った。
玄関から直接食堂に行くと、すでにテーブルにはシオンとスルガの姿があった。

「どこに行ってたんだよ? また逃げ出したのかって心配したんだからな!」
言いながらシオンはゆで卵を片手に持っている。

「とても逃げ出したって、心配していたようには見えないんだけど」
向かいに座っているスルガも手にはパンを掴んでいる。

「心配なんかしてないよ。俺達は薔薇の気配が分かるんだ。
ミチルがすぐ側にいるのは分かり切っていたから、だからこうやって朝食を食べてるんだよ」
「僕の気配が分かるの?」
スルガは頷く。
自分の居所が彼等に知れてしまうというのは、なんだか複雑な気分だった。

「僕もご飯食べる」
ミチルはキッチンまで行くと、用意されていた朝食をテーブルまで運んだ。

「父上は先程外出されたよ」
「え、うん、いつも早いんだ、父さんは」
スルガに答えながら、そう言えばスルガは少し父親に似ていると思った。
シオンは真郷に似ているし、もしかすると他の星に、やっぱり自分と同じような顔をした人間が
いるのではないかと思った。
世の中、自分に似た人間は何人かいるという。
それが他の星に存在していてもおかしくはないだろう。

(やっぱり、僕に似た薔薇って人がいるのかなぁ、しかも二人も)

考えているうちに時間がすぎている事に気付いた。

「やば、もう出かけないと」
ミチルは半分ほど食事を残して立ち上がった。

「あ、ミチル」
呼ばれて振り返った。するとシオンがゆで卵を掴みながら言った。

「残すならもらうからね」
「どれだけゆで卵が好きなんだよ?」
呆れるように呟いたミチルに、スルガはクールな顔を向ける。

「いってらっしゃい」
「え、ああ、うん、行ってきます」
「それとこれ」
「え?」
スルガは小包を渡してきた。

「君のお弁当」
「あ、ありがとう」
ちょっと照れてドキドキしながら、ミチルは廊下に向かった。



登校途中、バスに揺られながらミチルは考えていた。
彼等の言う薔薇というのは、つまり職業や役職ではないかと思った。

彼等が王子というのであれば、代官、神官、宮廷画家、音楽家とかと同列に、
薔薇という職業が入っているのだろう。
こちらで言う教師とか、占い師とか、歌手のような、そういう区分だ。

薔薇とか分からない事を言っていたが、要は薔薇とは彼等の召使の事なのだろう。
召使の中でも特別な、より大事な存在、もしかしたら恋人に近い存在。
そう考えるとミチルの体が熱くなった。
恋人に間違えられているのだと思うと、とんでもない事だ。

絶対に自分は彼等の薔薇ではないという自信がある。
けれどあんな風に接されると心が翻弄されてしまう。
一緒に眠った人肌の心地良さだとか、食事の楽しさだとかはもちろん、
あの二人の言い争いですら、何か楽しいものだった気がしてくる。

(ダメだよ! 僕にはマシロがいるんだから!)
ミチルは心の中で叫んだ。そう、自分には真郷がいる。
美しく聡明で、少し冷たい達観した雰囲気の少年。
どんなに魅力的な人間が現れても、それは真郷には敵わない。比べるべくもなく。
それ程真郷はミチルにとって特別だった。
まるでそう、彼等の言う薔薇の花のように。



教室に入ると真郷は本を読んでいた。今日は昨日とは違う本のようだった。

「おはよ、今日は何を読んでいるの?」
「ああ、これ? 簡単に言うと聖典かな」
「聖典? 宗教の本?」
「まぁ、そう捉えてもらって良いよ」
本に視線をむけたまま真郷は答えた。
今までそんな物を読んでいる姿を見た事がなかったが、真郷は何か宗教に入っていただろうか? 
じっと見つめていると真郷は本を閉じた。

「なに?」
「え、うん、マシロって宗教とか興味あるのかなって」
「ああ、この本は特別だよ。聖典なんて言ったけど、本当は僕の知り合いが書いた本なんだ」
「マシロの知りあい?」
本を書くなんて、そんな有名人の知り合いがいるなんて、流石真郷だと思った。

「ふーん、すごいね、どんな事が書いてあるの?」
「この本には世界のルールが書かれているんだよ」
「世界のルール? もしかして政治の本?」
「ああ、そういう言い方も間違いではないね。ただ政治の本ほど分かりやすくはないかな」
真郷の話はやっぱりちょっと難しいとミチルは思った。

「それより、これを君にあげるよ」
真郷は鞄の中から包みを取り出した。手に持つとずっしりと重い。
「なに?」
「ああ、ラムケーキが入ってるんだよ」
「ラムケーキ?!」
ミチルは瞳を輝かせた。

「くれるの?」
「ああ、昨日作ったんだ。一日経って、今日は食べごろだよ」
「うわー、すごい嬉しい!」
笑顔のミチルを見つめながら、真郷は机に片肘をついた。

「いっぱい作ったからね、大勢で食べるのに丁度良いよ」
「ありがと、助かるよ!」
答えて気付いた。大勢で食べるのに丁度良い? 
確かに今、家には居候の二人がいて、普段より人が多い。でも何故真郷はそれを知っているのだろう? 
シオンとは面識はあるが、スルガとは面識はない。
なのに何故、大勢だと分かったのだろう? 偶然? それとも……。
その時、チャイムが鳴った。ミチルは自分の席へとケーキを持って移動した。



昼休み、真郷の席に行こうとするとシュウと目が合った。ミチルはふと思いついて立ち止まる。

「ねぇ、シュウは王子と薔薇のいる星の事、知ってる?」
「は?」
シュウは思い切り眉を顰めた。

「なにそれ? というか絵本か何かであったよな、そういう話」
「うん、絵本もあるけど、そうじゃなく…・…いや、良いよ。ごめん、気にしないで」
ミチルは恥ずかしくなって、その場を早足で立ち去った。

(思わずバカな事を言ってしまった。あの二人がおかしな事を言うから、
僕以外の人間はみんな知っている事柄なのかと思っちゃった)

ミチルは真郷に聞こうと思っていたのだが、これは聞かない方が良いだろうと判断した。
真郷にはバカにされるどころか、冷ややかに無視されてしまうに決まっている。

「マシロ、お昼はどこで食べる?」
「ああ、そうだね、じゃあ温室にでも行こうか」
「温室か、久しぶりだね」
「もう暫くして暑くなってきたら、あそこでお昼を取ろうと思わないだろうからね。
今のうちに行っておこう」

二人は学校の敷地内にある温室にむかった。
ガラスで覆われた建物の中には、熱帯性の植物が植えられていた。
入ってすぐにシダの森。さらに行くとベゴニア。
小道を辿り次の部屋に行くと、ツル性の植物があり、その先にブーゲンビリアに囲まれたベンチがあった。
二人はそのベンチでお弁当を広げる。

「今日は、彼が作ったサンドイッチじゃないんだ?」
「え?」
ミチルは自分の食べていたそれを見つめた。

「あ、うん、今日は違う」
「また違う誰かが作ったんだね」
「な! どうしてマシロには分かるの?!」
ミチルはつい叫んでいた。真郷は自分のサインドイッチを口にしながら答える。

「それは分かるよ。作る人によって、パンの切り方から、材料の挟み方まで、違うものだからね」
「そっか……そうなのか……」
真郷は超能力でも持っているのかと思っていたが、鋭い観察のせいだったのかと納得した。

「これはね、今うちにいるもう一人の居候が作ってくれたんだよ」
「もう一人の居候?」
「うん。スルガ・サイチ。知らないよね?」
「知らないよ」
短く答え、真郷はパンを頬張る。

「実は居候が増えたんだ。なんかシオンと同じような事を言う、ヘンな人なんだけど……」
「どちらが気に入ったの?」
「え?」
真郷は食べながら淡々と訊ねた。ミチルの顔が熱くなる。

「ち、違うよ! どっちも好みじゃない!」
「そうなんだ? てっきり君はその二人の事、好きなんだと思ったんだけど」
「ぼ、僕は、僕が好きなのは、マシロだよ……!」
「うん、そんなのは分かっているよ」
「え?」
呆けているミチルの口に、マシロは自分のサンドイッチを入れた。

「僕の事が好きなら、僕のサンドイッチを食べると良いよ」
ミチルは入れられたパンを咀嚼する。
「美味しい……」
「当然だろう。僕は料理が得意なんだ。それに君の好みなら、僕の方がよく理解している。
君は誰の作ったモノよりも、僕のモノを気に入るはずさ」
「うん……そんな気がする」
呟くミチルの膝から、真郷はスルガのサンドイッチを掴んで口にする。

「ふーん、なる程ね」
サンドイッチを食べる真郷の顔を、ミチルは覗きこむ。
「それはそれで美味しくない?」
「うん、まぁ遠くはない味だね。だけどレタスを小さくちぎりすぎ。
これじゃ不器用な君はすぐに食べこぼすよ」
「失礼だな」
「それにマスタードも入れすぎ、君は辛い物はそこまで好きじゃないからね」
自分よりも、真郷の方が自分を理解していると思った。
ちょっと照れくさいような嬉しい気持になる。

食事が終わりブーゲンビリアを眺めていると、真郷が立ち上がった。
そっとブーゲンビリアに触れると唇を寄せる。その光景にミチルは見惚れた。
花の中にいる真郷は美しかった。

「そろそろメインを食べようか?」
聞かれて首を傾げる。
「メイン?」
「そう、デザート」
真郷は手を伸ばし、ミチルの頬を包み込む。触れる唇。心地良さにミチルは目を閉じる。
ゆっくりと真郷の体が自分の上に乗る。ミチルはベンチの背もたれに、体を預ける。
真郷の白く美しい手が、魚のように肌の上を泳ぐ。
ミチルはそれを心地良く感じていた。



ふと気付くと、真郷がミチルの制服のリボンを結んでいた。
「あれ、紐とれてた?」
「……とれてたんじゃなくて、解いてたんだけどね。はい、結び終わったよ」
「うん、ありがとう」
「さ、午後の授業に戻ろうか?」
「うん、でも眠い」
ミチルが言うと、真郷は微笑を浮かべる。

「たった今まで眠っていたのに」
「そうだっけ?」
「そうだよ、デザートを食べてお腹がいっぱいになって、君は暫く眠っていた」
「覚えてないなぁ」
「ああ、君はいつもそうだからね。でも良いよ。全部僕が覚えているから。さ、戻るよ」
「うん」
真郷はミチルの手を掴んで温室の小道を進んだ。繋がれた手が嬉しかった。




家に帰ると、シオンが抱きついてキスしてきた。
「ん……!」
ミチルはバンバンとシオンの胸を叩き、ようやく解放される。

「君はなんなんだよ! お帰りの言葉もなく、いきなりキスとかさ!」
叫んでいるミチルの腕を、スルガが掴んで顔を寄せた。
またもキスされる。しかも今度は手を押さえられていて、胸を叩く事もできない。

「なんだよ、腕を拘束して、無理やりじゃないか」
「お前に言われたくない」
唇を離すとスルガがシオンに文句を言う。

「つーか君達二人ともどっちもどっちだよ! というか同罪!」
「だって仕方ないだろ、お腹空いてたんだから。僕達は君の蜜がないと、満たされないからね」
「お前は俺に蜜を与えるのが仕事だ」
「だから、君達のルールを勝手に僕に適用しないでよ」
ミチルは部屋に向かって歩き出した。


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