10・美化委員の依頼
今日のアリスはやけに機嫌が良かった。
僕の顔を見てニコニコと笑い、そして僕の頬にそっと手を触れてきた。
「えっと、この手は何?」
「うん、モモがかわいいから。本当にどうしてこう、モモは罪作りにかわいいんだろうね、
俺がちょっとクラクラしちゃって手を出しちゃっても仕方ない感じだ」
今日はいつにも増して機嫌が良いというより、いつにも増しておかしいが正しいかもしれない。
「アリスに襲われたら舌噛んで死ぬからね」
「酷いな、そんな風に言わなくても良いのに……」
アリスが子犬のようにシュンと項垂れた。こんな様子のアリスはかわいいから、僕はフォローをいれる。
「冗談だよ」
アリスの顔がぱーっと明るくなった。
「そうだよね、モモは俺の事が好きなんだもんね!」
「いや、言ってないし」
僕の言葉を無視してアリスは笑顔で言う。
「今日はね、モモの為にある事をしたんだ」
「あること?何それ」
良くない事じゃないだろうかと僕はドキリとした。けれどアリスは微笑んでいる。
「ふふふ、後で部活の時にね、楽しみに待っててよ」
僕は楽しみというか心配になった。どうか変な事ではありませんように。お祈り。
放課後の部活の時間となった。
僕はご機嫌なアリスに腕を引かれてアリスの部屋へと向かった。
中に入ると今日はすでに咲哉と鬼怒川の姿があった。
「なんで今日に限ってみんないるかな?!」
「部活だからね」
と咲哉がさわやかなのか腹黒いのか分からない笑みで答えた。
「お前らにはやらないからな!」
そう言うとアリスは保冷バックを取り出した。僕はそれに面食らう。
「え、まさかそれってアリスが作ったとかじゃないよね?」
「俺が作ったんだよ」
言うとアリスはカップを取り出して、僕に差し出した。
「はい、モモ。モモが好きだって言ったレアチーズだよ」
「ええ?!」
僕は仰け反って驚いてしまった。
だってあのアリスがお菓子を手作りだなんて、しかも昨日さんざん美味しかったって言った
レアチーズだなんて、それって僕の為に作ったって事だよね?!
見るとアリスは小首を傾げて言った。
「食べて」
僕はドキドキしながらそのカップを受け取った。するとアリスはクスリと笑う。
「ここでレアチーズじゃなくて『アリスを食べたいよ、愛してる』って告白してきてくれて良かったのに」
「しません……」
そう答えつつも、僕はアリスからもらったレアチーズに感動していた。
だって見た目普通だったんだもん。
あのアリスが作るモノだ、花崗岩のようになっていてもおかしくないと思ってたのにすごく普通だ。
いや待ってくれ、食べたらすんごいのかもしれない。僕はゴクリと唾をのみこんだ。
「お茶の用意はもう出来ているよ」
そう言うと咲哉は僕にナルミのカップを差し出す。
僕はレアチーズと紅茶を前に席についた。そしてドキドキしながらレアチーズを口に運ぶ。
「あ、美味しい……」
呟いたらアリスが満足げに微笑んだ。そして胸を張って言う。
「どう? レアチーズ位俺にだって簡単に作れるんだから。モモはいつだって俺の嫁に来たら良いよ」
「嫁には行きません」
言いながらも僕はレアチーズを口に運ぶ。
いや、本当、このレアチーズも昨日の咲哉のに負けない位に美味しいよ。
しかもなんかフルーツみたいのも入ってるし。
「アリス君、俺の分は?」
鬼怒川が笑顔で聞いた。
「ないよ。お前やサクヤになんかあげる分はないね。俺はモモの為に作ったんだから」
「俺にもないのか?」
咲哉が訊ねた。
「あげないよ、モモの為だけに愛情込めて作ったんだから」
「酷いな、せっかくアリス向きのレシピを伝授したっていうのに」
「え、これってサクヤが教えたの?」
僕の問いに咲哉は頷く。
「ああ、アリス向きに裏技を教えてあげたんだよ」
「裏ワザ?」
僕がそれを聞きたいなと思ってたら、アリスが厳しく言った。
「教えるなよ」
その言葉に咲哉は肩をすくめて見せた。僕の横では鬼怒川は今も騒いでいる。
「いいなー、いいなー、アリス君の手作り」
恨めしそうな目で見られてしまった。すごく気分が悪い。
そう思ってアリスを見たら、アリスは保冷バックからカップを取り出した。
「うるさい犬だな、拾ってこい!」
言うとアリスはレアチーズのカップを投げた。
「きゃいーん」と鳴きながら鬼怒川が拾いに行った。いや、良いのかよ、犬プレイ。
「仕方ないな、サクヤにもあげるよ」
「ありがとう」
差し出されたカップを受け取り、咲哉は微笑んだ。
アリスも席について自分の分を取り出した。僕はその光景を見て思った。
アリスはちゃんと全員分のお菓子を持ってきてたんだなと。
口では意地悪を言うけれど、でもそれはポーズなんだ。
本当は全員分を公平に用意する。アリスはそんな人間なんだ。そう思うと僕の頬は自然と緩んでいた。
全員でアリスのレアチーズを食べた後、鬼怒川がいきなり立ち上がって口を開いた。
「昨日言ってた依頼の件だけどさ」
「依頼?」
訊ねるアリスに鬼怒川は笑顔で答えた。
「そう、例の美化委員の依頼の草むしり」
アリスが無言でナルミのティーカップを投げた。
鬼怒川は笑顔でそれを受け取る。アリスはソーサーも投げた。鬼怒川はまだ笑顔でそれも受け止める。
アリスは隣の咲哉のカップも投げた。ソーサーも投げた。次々受け止める鬼怒川。
アリスはフォークを投げる、受け取る鬼怒川。だが次の瞬間もう一本のフォークが額に命中した。
「フ、この俺の攻撃が軽くよけられると思わないでもらいたいね」
勝ち誇るアリス。
「いや、ちょっとこれ、殺人ですから!」
僕が叫ぶと笑い声と共に鬼怒川が起き上がった。
「あはは、アリス君はやんちゃだなー」
「やんちゃって問題?!」
僕の突っ込みを無視して、額にフォーク型の痕をつけた鬼怒川は笑顔で続ける。
「その美化委員の草むしりは、明日の決行なんだ。参加は美化委員と
この部活のメンバーって事になってるから」
「俺はやらないよ」
アリスは即答した。
「いや、でもちゃんと報酬が出るんだよ」
「お金の為にこの部活をやってるわけじゃない。俺は面白い出来事に出合いたいからこの部活をやってるんだよ」
アリスは取りつく島がない感じだった。すると鬼怒川が僕の肩に手を乗せた。
「お前はやるよな?」
「え?」
正直やりたくない。そう思ったら小声で言われた。
「桐塔と二人での受け持ち作ってやるからさ」
その言葉に僕の胸がドキっとした。
咲哉と二人ですごす時間、それは良いかもしれないと、僕は思ってしまった。
僕は美化委員と共同の草むしりをする事になった。
真面目な咲哉は一回引き受けた(鬼怒川がだが)依頼を断る事はしなかった。
そんなわけで当日、僕達はジャージに着替え、首にはタオルなんか巻いて放課後の草むしり参戦となった。
「じゃー、君達はこの裏庭が受け持ちだから」
鬼怒川が笑顔で言った。いや、その笑顔は良いけど。
「どうしてお前は制服姿なんだ?」
「え、俺は連絡係りだから」
「おい!」
「そういう訳で、後はよろしくね、また連絡事項があったら寄るよ」
そう言うと鬼怒川は逃げるように立ち去った。僕は呆然とそれを見送った。なんか殴ってやりたい。
「仕方ない、さっさと作業を終わらせちゃおうか」
そう言った咲哉を振り返ってみた。咲哉はどこからゲットしたのか、麦わら帽子までかぶっている。
まるで農家だ。いや、でも麦わら帽子位じゃ少しも咲哉の美貌は損なわれないんだけどさ。
僕達は庭の隅から草むしりをする事にする。
裏庭と言っても実際は舗装された小道の左右に土の部分があるだけで、そこまで草ぼうぼうというわけではなかった。
植えられた花の脇にある雑草を引っこ抜くだけなので、まあ、楽そうだなとは思った。
僕は咲哉と二人で少しワクワクしていた。草を抜きながら僕は咲哉に話しかける。
「美化委員て思ったより大変な仕事してるんだな」
「大変じゃない委員会なんてないよ」
「そう言えばサクヤは何委員だっけ?」
「風紀委員だよ」
「風紀委員て何やってるの?」
「そうだな、朝早く起きて、校門の前で生徒会と一緒に服装チェックとか」
「うーん、それも確かに大変そうな仕事だな」
僕は咲哉の言った大変じゃない委員会はないという言葉に納得した。
つーかやっぱ、大人な発言だなって思う。
「そう言えば昨日のアリスの作ったレアチーズすごく美味しかったね。流石、サクヤの伝授だけある。
僕はあのアリスがあんなに美味しいデザートを作るなんて思ってもみなかったよ」
僕がそう言うと咲哉はクスクスと笑った。
「なに?」
「ん、いや、アリスには内緒って言われたけどさ、本当に簡単な裏ワザだったんだよ」
「どうやって作るの?」
僕は手を休めて咲哉を見た。すると咲哉は微笑しながら言った。
「フルーチェに生クリームを入れただけだよ」
「え? フルーチェって牛乳入れて冷蔵庫に入れるだけってやつ?」
「そう、だから作ったってほどのものでもないんだよ」
「でもあんなに美味しいのが出来るんだよね? それ、すごいよ」
僕は簡単すぎて逆に感動してしまった。それなら僕にも作れそうだ。
「でもアリスの心意気は買ってやってくれないか。アリスはこの前、君が寝ている間に
必死にレアチーズのレシピを聞いてきたんだ。俺がこっちの方が簡単だよって、教えたんだけどさ、
アリスの君に対する真摯な思いは本当だからね」
僕は頷いた。確かにアリスは僕の為にお菓子を作ってくれたんだ。
簡単だろうが難しかろうが、その気持ちに変わりはない。僕は咲哉に向かって微笑んだ。
僕達は時々会話をしながら草むしりをした。
草むしりは思ったより重労働だった。しゃがみ込んでいるから腰が痛くなるし、土を返すとミミズが出てきたりと大変だ。
思うにアリスはこんなミミズを見たら怒ったんじゃないか?
いや、どうかな、キャーとかかわいく悲鳴でも上げたかな。僕はそんな想像をしていた。
「それにしても日射しが厳しいなー」
僕は汗をぬぐいながら言った。すると咲哉が立ち上がって僕の頭に麦わら帽子を乗せた。
「サクヤ?」
「5月の陽射しは真夏並みに厳しいよ。貸してあげるから被っていなよ」
「でもサクヤが暑いんじゃない?」
「俺の方は日陰に入ったから良いよ」
僕はその言葉に素直に借りておく事にした。
咲哉はやはり良い人だ。それにしても草むしりは辛い。
まだまだ延々とある草を見ると泣きたくなる。心が折れそうだ。
隣に憧れの咲哉がいてもぜんぜんテンションは上がらない。
もっと楽しくなるような草むしりの方法はないだろうか、そう思っていた時だった。
「ぜんぜん進んでないね」
「え?」
聞こえた言葉に振り向くと、アリスが仁王立ちしていた。
「アリス?」
問いかけるとアリスはそっぽを向きながら言った。
「ちょっと様子を見にきたんだよ」
「手伝ってくれるのか?」
咲哉の言葉にアリスは怒鳴る。
「なんでこの俺が手伝わないといけないんだよ?! 肉体労働なんて嫌だよ」
「じゃあなんでアリス、ジャージ姿なの?」
僕は突っ込んだ。するとアリスは少し顔を赤らめる。
「そ、それは」
アリスは僕に向かってやってきた。
「モモが俺に手伝って欲しい、一緒に作業やりたい、アリスが好きだ、愛してる、抱いて欲しいって言ってくれたら
手伝わなくもないよ」
「普通に手伝ってよ」
僕の言葉にアリスは腰に手をあてる。
「仕方ないな、モモが愛してるって言うから手伝ってあげるよ」
僕は愛してるなんて言ってない。アリスは勝手に僕の言葉を解釈した後で、裏庭を見渡すと息を吐いた。
「ちゃっちゃとやってお茶でも飲みに行こう」
アリスは乱暴に、ハイスピードで草を抜いていった。
いや、流石途中参加だけあって元気いっぱいだ。つーか予想以上にアリスが加わったらこの場の空気が変わった。
「げ、ミミズてできたよ!」
アリスは叫ぶでも怯えるでもなく淡々としていた。
「うりゃうりゃ、どっか行かないと踏んじゃうぞ」
いじめ発言だ。ミミズ君早く逃げてくれ。
なんていうか、潰された君達を見たら僕がダメージを受けてしまう。
「なんか腰が痛い! 椎間板ヘルニアとかなりそう! ガンとかなっちゃうかも」
草むしりでガンにはならないと思う。
「暑いなー、なんかこう言う単調作業の時は妄想が良いかな? 俺をベッドで待ってるモモなんか想像してみるとかどうかな?
もちろん裸で官能的なポーズのモモ」
「その想像やめてくれる?!」
僕が振り返るとアリスは楽しそうに笑っていた。
その笑顔になんでだかドキっとした。見るとアリスは順調に草むしりをしている。
話しながら能天気に作業する方が効率が良いんだろうか?
僕は汗を流すアリスを見て立ちあがった。
「ん?」
見上げてくるアリスの上に、咲哉に借りた麦わら帽子を乗せた。
「サクヤのだけど貸すよ。僕のトコよりこっちの方が陽が当たってるからね」
「ありがと、モモ」
麦わら帽子に汚れた軍手という姿で笑ったアリスは、ドキっとする位かわいかった。
僕はちょっと動揺しながら自分の受け持ちの方に戻った。
見ると咲哉はこっちを見て微笑していた。僕はまた作業に戻った。
「あれ、アリス君も草むしりしてるの?」
鬼怒川が現れた。するとアリスは立ち上がって鬼怒川を指差す。
「お前なんで作業してないんだよ?! この俺だって作業してるんだよ! マジで殴るよ?!」
「す、すみません!」
鬼怒川は平身低頭して草むしりに参戦した。制服姿だって言うのに地面に膝をついている。
でもアリスの一声のお陰で作業は格段に進んだ。
四人でやったら作業は早く終わった。
「ふん、俺がいればざっとこんなもんだね」
アリスは満足気に微笑んだ。土に汚れているのにアリスはとても綺麗だった。
咲哉を見てみると、カケラも汚れていない。一体どんな草むしりをしたんだ?!
鬼怒川は……うーん、かわいそうな感じになっていた。
このまま河原の住民に混ぜてあげても違和感がないだろう。僕もまあ汚れてるんだけど、ジャージだから気にしまい。
作業を終えた僕達は部費をくれるという報酬の他に、冷えたジュースを御馳走になった。
今の僕達からしたら、報酬なんかよりもこのジュースが何よりも嬉しかった。
綺麗になった庭を眺めながら僕達はジュースを飲んだ。
青い空はもう夏なんだなと僕に思わせた。
僕は横にいる友人たちを見渡した。
咲哉に鬼怒川にそしてアリス。
僕はこの瞬間をすごく満たされた思いで過ごしていた。