3・監視者


真野シンジは朝から鏡を見ていた。
教室の椅子ではなく机の上に無雑作に座り、手鏡を左手に持って、右手で前髪の位置を整えている。

登校するなりそれに気づいたリオは、机の上に手をついてシンジの顔を覗き込む。
「なんだよ?」
眉を顰めて言うシンジにリオは微笑む。
「いや、すごく鏡を眺めてるけど、シンジは今日も変わらず綺麗だよって思って」
リオの頭の上に手を乗せて、シンジは髪をかきまぜる。
「お前に言われるとフクザツな心境だよ、えい、ぐしゃぐしゃにしてやる」
「ちょ、セットした髪を乱すな」
二人がじゃれついていると、登校してきた月春がそれを見て固まる。

「リオ」
「あ、おはよ、月ちゃん」
微笑むリオの腕を掴んで、月春はシンジから引き離す。
「髪、乱れてるよ」
「うん、シンジに意地悪された」

答えるリオの髪を月春は整える。
恍惚といった表情でそうする月春を見て、シンジは眉を寄せる。
そして机から下りると、リオの肩に手を乗せて横を通り抜ける。
「甘やかしすぎだぞ」

「え?」
通りすぎるシンジをリオは見つめる。
甘やかしすぎ。
月春に甘えすぎ、ではなく、甘やかしすぎだとシンジは言った。
その言葉の意味を考えながら、リオはシンジの背中を見つめていた。


「昨日、蒼井シュウとは会えたの?」
訊ねる月春にリオは頷く。
「ああ、うん、会えたよ。それに思った以上に格好良かった!」
「格好いい?綺麗じゃなくて?」
聞かれてリオは嬉しそうに微笑む。
「ああ、アレは格好良いって言葉が合うと思うよ。綺麗なのはもちろんだけど、性格がすごい格好良い」
「ふーん」
視線をそらして月春は呟く。

「今度、月ちゃんにも紹介するよ」
笑顔で言うリオを、月春は見つめる。
「いいよ、紹介なんて、だって僕が内気で小心者だってリオだって知ってるでしょう?
知らない人とは話なんかできないよ」
「んーでもほら、シンジとは友達になれたじゃん」
「それはリオが居たからだよ。それにシンジはああいう性格だからね、こんな僕でも友達になれたけど
でも普通の人は無理だよ。だいたい、相手の方が僕の事暗くて嫌だって思うよ」
「そんな事ないよ」
言うとリオは月春の頬に軽く手を添えた。

「月ちゃんはすごく素直で真面目で、それに本当はすっごい美人さんだから、そんな風に言っちゃダメだよ」
リオの言葉に月春の頬が赤くなる。
「・・・リオって本当、魔法みたいな言葉を僕に言うよね」
「魔法?」
首を傾げるリオに、月春は赤くなった顔を隠すように俯いた。
「簡単に僕を幸せにするってこと」




放課後。
秋の所へ行こうかとリオが考えていると、月春が声をかけてきた。
「今日も蒼井シュウに会いに行くの?」
「うん、月ちゃんも行く?」
「僕は図書委員があるから」
「ああ、そっか」
リオは月春の日課を思い出し頷く。
真面目でおとなしい月春は読書が趣味で、委員会も図書委員をしていた。
「じゃあ仕方ないから今度紹介するね」
「・・・うん」
あんまり嬉しくなさそうに月春は頷いた。


リオは月春と別れ、廊下を歩きだした。
するとすぐにまた声をかけられた。

「どこに向かってんの?」
リオの肩に腕を乗せてシンジが言った。
「シュウ君の所に向かおうと思ってさ」
「ふーん、月は?」
「委員会」
「ああ、そう言えばそうだったな。ところでさ、」
シンジは腕をリオの首に絡ませ、顔を寄せた。

「お前、昨日、月にキスした?」

聞かれてリオはシンジを見つめ、平然と答える。
「したよ。なんで?シンジもして欲しい?」

まったく邪気もなく言うリオに、シンジは苦笑する。
「今日は遠慮しとく。そんな頻繁にチューしてもドキドキしないしね」
そんな会話をしながらも二人は歩き続ける。

「つーかさ、お前、本当に月を甘やかしすぎだって」
「それ、さっきも言ってたね。俺が月ちゃんを甘やかしてる?」
「ああ、そうだよ」
「どうして?」
まったく意味が分からないと首を傾げるリオを、シンジは仕方なくひきとめる。
廊下に立ち止まったシンジは、多少人目を気にしたのか隅に移動して柱の陰で言う。

「月はお前に異常に執着してるのが分かんないのかよ?」
「好かれているのは分かるけど」
シンジは茶色い自分の髪をかきまぜる。
「好かれているの意味が違うよ」
「意味?」
首を傾げるリオにシンジは真顔で言う。

「月は本気でお前が好きなんだよ。お前そんな月を受け止められるのか?」
「俺も月ちゃんが好きだよ」
「だから!」
苛立たしそうにシンジは声を荒げた。
「あいつ、お前に抱かれたいと思ってんだよ、それを受け入れられるかって、聞いてんの!」
「え」
流石のリオもその言葉には驚いた。
顔を赤らめて慌てて言う。
「ちょ、待って、そういう話?つーかそれは困るよ?だって、俺そんな風に月ちゃんを見てないし
月ちゃんを抱くとかそんなの出来ないよ」
「・・・だろう?」
シンジはため息をついた。

「だからあんまり罪作りな事はすんな。お前にとってキスは挨拶でも、あいつに取ったらぜんぜん違う。
あんまり残酷な事はすんなって意味」
そう言うとシンジは歩き去ろうとした。
そのシャツをリオは掴む。
「ねぇ、もしかしてシンジって月ちゃんの事を好きなの?」

リオはドキドキと緊張しながら訊ねた。
シンジは目を細めてリオを見ると、肩をすくめた。
「さあね、どうだろうね」

思わせぶりな返事をして、軽く手を上げると、シンジは立ち去っていった。



リオはシンジを見送った後で6組に向かった。
シンジと月春の事は気になったが、今は蒼井秋の存在の方が大きかった。
とにかく会いたいという気持ちが募る。

戸塚浩介に「惚れてる」んじゃないかと言われたが、そういう感情ではないとリオは思っている。
恋愛感情でいう好きとは違う。人間としての興味と好意だ。

初めて蒼井秋を廊下で見かけた時、世界が止まったような気がした。
つい側にいたクラスメイトに、アレは誰だ、いつからいるかと聞いてしまった。
もちろん入学した時から、同じ学年に秋は存在していたのだが、クラスが端と端と離れていたため
リオはその存在をそれまで知る事がなかった。
蒼井秋は黙って廊下を歩いていた。
たったそれだけの事でリオは秋に魅了された。
背の高さ、姿勢の良さ、顔の美しさ。
積極的な性格のリオが、つい見惚れて声をかけ忘れる程の人間だった。

そしてその日から、リオの頭の中は秋の事でいっぱいになった。
蒼井秋と友達になりたい。
今はその事に夢中だった。


リオは教室のドアを勢いよく開けた。
「シュウ君居る?」
声をかけたが6組の中に蒼井秋の姿はなかった。

「残念だったな」
そう言ったのは戸塚浩介だった。浩介はリオに視線を向ける事もなく、文庫の本を開いて見ている。
「シュウはもう帰ったよ」
「そうみたいだね、で、あんたは何してるの?」
リオは少し警戒するように浩介に訊ねた。
浩介は読んでいた文庫にしおりを挟むと顔を上げた。

「俺はお前を待ってたの」
「え?」

意外な言葉にリオは面くらった。
戸塚浩介は文庫をカバンにしまうとリオに向かって歩き出す。
リオはそんな浩介を呆然と見詰める。
教室の中には二人きり。
静けさに自分の心臓の音が大きく聞こえる気がした。

「シュウはさ、俺の大事な友人なんだよ。あいつはあの容姿だし性格だし、もてるっていうのもあるけど
結構逆恨みとか受けたりするんだよ。ヘタに人目を惹く分、無駄に火の粉が降りかかるっていうかさ」
「だから?」
リオが訊ねると浩介は微笑する。

「俺はお前をテストしようと思ってさ」
「テスト?」
「テストというと大げさか、ま、観察位が丁度良いかな?」
「なんだよ、観察って」
少し動揺しながら言うリオの前に、浩介は余裕の態度で立つ。
「お前がシュウの友人に相応しいかどうか、俺が監視するって事だよ」
「・・・・・・・」
「言っておくが、俺はお前のその顔に騙されないぞ。いくら顔が良くて外面が良くても
根性が悪い奴は俺の友人に近づけたくないからな」

リオはそれらの言葉に口角を上げる。
「俺の顔が良いのは認めるんだ?」
「別に褒めたワケじゃないよ!」
突っ込む浩介にリオは勝ち気な笑みを浮かべる。

「ムキになっちゃって。あ、もしかして俺があんたでなくてシュウ君に興味あるから妬いてるとか?」
「違うよ!バカかお前は!」
どなる浩介にリオはクスクスと笑う。

「冗談だよ、本気でそう思ってるわけないじゃん」
「このガキ・・・」
赤くなって呟く浩介にリオは目を細める。
「というか、俺に嫉妬してるのかな?戸塚コースケはシュウ君の事が好きでさ!」

浩介はその言葉に更に真っ赤になった。
「あはは、戸塚浩介、面白い顔」
「この!」
浩介はリオの体を掴もうとしたが、リオは軽々と避ける。

「テストとか観察とか、そういう風に言われるの、なんかムカつくって思ったけど、でも別に良いよ。
俺はあんたなんか相手にしないし。きっとシュウ君は俺を気にいると思うから、
戸塚コースケは側でそんな俺たちを見て悔しがればいいさ」

リオは教室のドアまで下がりながらそう言った。
浩介は追いかける事を諦め、笑うリオを見つめる。

「言っておくけど、俺はシュウ君にしか興味ないからね。俺のことじっと見てて惚れるなよ?」
「惚れるかバカ」

言うと二人は見つめ合った。
リオは微笑んで。浩介は憮然と。

恋はまだ始まってもいなかった。


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