「迷子のお知らせを申し上げます。ブルーのシャツをお召しの…」
 喧騒に包まれた校舎に校内放送が響く。
 文化祭当日。英春学院は大賑わいだ。
 この学校でも一般的な文化祭の例に漏れず、各教室の出し物や部活動の実演、喫茶店に屋台などなど、人の興味を引く材料には事欠かないうえ、一般解放DAYということで地域の方々お客様としてお迎えしている。お蔭で校庭は見渡す限り人だらけという有様で、そうなると必然的に現れるのが迷子である。
 廿六木大志刑事は裏門に横付けしたパトカーの助手席に深くにもたれたまま、何気なしにその放送を聴いていた。これに、運転席の若い巡査が首を傾げる。ここ数年、文化祭の日は警察官が駐留することになっており、今年は廿六木達の担当だ。
「廿六木さん、いいんですか?」
「なにがだよ?」
「こんな所にいて。迷子ですよ」
「そういや、今日五人目だなぁ。まあ、その辺りはあっちの裁量だろ。幸い、何とかなってるみたいだし」
「そっすねぇ…」
 職務に忠実ゆえか心配気な巡査をおちょくるように、廿六木は笑った。
「この迷子がいつぞやの地底人の仕業ってこたぁ無いと思うぞ。…どれ、もうちょっとしたら見回りにいくか?」
 それを聞いた巡査の顔が一瞬緩んだので、廿六木は苦笑した。
「見たいなら見たいって言えよなぁ」
 
 
「…お母様がお待ちです。お心当たりの方は至急職員室までお越しくださいませ」
 その放送が終わるや否や、生徒会室の窓からパワーシェル姿の藤宮璃音が飛び出し、眼下に広がる前庭とグラウンドを凝視する。屋台やらイベントやらでごった返すこのどこかに、迷子になった子どもが居るということらしい。
「先輩、後は任せてー!」
 一年生の声を背中に聞いて軽く手を振ると、璃音は赤い瞳のパワーを総動員して迷子を捜す。それから一分としないうちに、璃音は校庭の一角へと真っ直ぐに飛んだ。そこは間もなく始まる"バンドコロシアム"と称する演奏会の会場で、そのステージの片隅にて出場者と思われる四人ほどの男子生徒が泣いている男の子を必死に宥めていた。その子は、年恰好からして件の迷子に間違いないと思われた。
「どうも、生徒会でーす」
 璃音が下降しながら声をかけるとバンドマンたちが一斉に振り向き、まさに地獄に仏を得たような安堵の表情を浮かべた。
「ああ、良かった…。この子、頼むわ。オレらじゃどうしようもなくってよぉ」
 リーダーと思われる男が肩をすくめるが、その格好を見て、璃音はさもありなんと得心する。彼らはアメリカの元祖ヴィジュアル系バンド、あの世紀の美女と世紀の殺人鬼から名をとったグループへのリスペクトを前面に押し出したスタイルをしていたからだ。衣装からメイクからなかなかに秀逸ではあるが、しかしルックス面における幾つかの過不足のせいで不気味かつコミカルな様相になってしまい、カッコ良さとは縁遠くなっているような気がしないでもない。恐らくは見る者の七割は『アダムスファミリー』を想起しそうで、そのあたりは素人さんの限界であろう。
「そのメイクは…子供が見たら普通に泣くと思う」
「そうか? ってことは上出来だってこったな」
「うん。良い感じだよ」
 璃音はバンドマンたちに笑みを向けて、それから身を屈めて男の子に手を差し伸べた。
「ほらボク、おいで」
 すると男の子は、しがみつくように璃音の胸に飛び込んだ。
「よしよし」
 子供を抱き上げた璃音が立ち上がると、ケータイカメラの撮影音が幾つも響く。今日は外部からの客が多いから仕方のないところだ。璃音は無愛想にならない程度に笑みをふりまいてから、腕のなかで首をかしげている男の子に声をかける。
「ほら、あのお兄ちゃんたちにバイバイして。こわくないから」
 すると男の子は素直に、だが少々首をすくめながらバンドマンたちに手を振った。それに返ってきたバンドマンたちの笑顔は少々イビツだったが、男の子は頬を緩めて頷いた。璃音も微笑み、
「行くよ。しっかりつかまってて」
 と、声をかけると男の子を抱きかかえたまま、ゆっくりと宙へと舞い上がる。思いがけない空中散歩に男の子が先ほどまで泣いていたのはどこへやら、歓声を上げてはしゃぎだす。
「わあ、すげーっ。おねえちゃん、もっとー」
 だが璃音は優しく、それでいて厳しさをこめた眼差しで男の子をたしなめた。
「ダメだよ。お母さん、心配してるんだから」
 その瞳から男の子は何かを感じたのだろう。
「はーい」
 と、素直に頷いた。璃音は満面の笑みで男の子の頭を撫でると、一回サービスで宙返りをしてから元来たように生徒会室の窓をくぐる。それからその足で職員室へと向かう璃音の後姿を、法眼悠は目を細めながら見送った。
「いやいや、大したもんだね。ありゃ、良いお母さんになるわ」
 部屋に居た一年の女生徒が頷く。
「うんうん、保育士さんとか向いてそうですよね」
 すると、悠は小さく笑った。
「それはないよ。なんか、ダンナと同じ仕事したいらしいし。ってか、子供は五人欲しいとか言ってたから、そうなったら家が保育園だな」
 悠の脳裏に子供たちに囲まれた璃音の姿が浮かぶ。それが現実になれば良いと、心から思う。が、そんな感傷に水を注したのは貴洛院基親だった。
「ちょっと待て。なんだよ、この空気。彼女、副会長の仕事なんぞしてないじゃないか!」
 憤然とする貴洛院に、悠が送る視線は冷たい。
「…そんなの、アンタひとりで充分じゃん。それとも、『できないもん』でちゅかぁ?」
 あまりに挑発的な物言いに激昂して喚く貴洛院。
「黙れ! 僕の能力を以ってすればこの程度、児戯に等しい! あー…そうだ、あれだ。写真撮ってくださいだのサインくれだのってのがしょっちゅう来るだろ。ありゃどうにかならんのか? ここは生徒会室だぞ。コスプレ撮影会なら他のところでやってるだろ!」
 途中で話をずらしつつも、とりあえずは勢いを維持する。それを聞いていた一年生がわざと聞こえるように言った。
「ぶっちゃけ、コスプレ喫茶よりこっちの方が需要あるんですけどー」
「あのな。需要があるからって供給する必要なんかないんだよ! だいたいな…」
 正論ではある。だが、それを遮るようにドアが開き、璃音が戻ってきた。顔には苦笑を浮かべている。
「ただいま…」
「おつかれ」
 肩をすくめる悠。様子見と称して居座っている三年の男子生徒がタメ息を吐いた。
「今年はお客さん多いからね。しょうがないさ」
 椅子にドッカリと座っていた貴洛院が苛立ちを露わに口を開く。
「いいえ。これは親に監督能力と注意力が欠如しているのが原因です。そもそも、こんな人混みにガキなんか連れて来るんじゃあないッ。迷惑千万だ!」
 それを聞いた悠は目を丸くして頷いた。
「お。珍しく同意見だね」
「フン。お前と意見が合ったとて、面白くも無い」
 そっぽを向く貴洛院。悠も同様である。
「私だって」
 だが璃音は二人をたしなめるような口調で言った。
「そりゃそうだけど、文化祭の運営は生徒会なんだし。こんなに迷子が出るくらい来客があるなんて予想外だったとはいえ、責任は果たさないと」
 貴洛院はなおも口を尖らせる。
「無責任な大人の尻拭いなんてなぁ…」
 それには悠も同調した。何せ、貴洛院が放課後にマスクをつけて何をやっているのかなど、誰も知らないのだから。
「そうそう。さっきのなんか、子供見つけて連れてっても礼一つ言わなかったからね。まるで不幸な事故にでも遭ったような顔してさ。オメーのせいだろっつーのぉー」
「今のも、そんな感じだった…」
 璃音は肩を落とした。
「わたしはいいんだよ、感謝されなくてもさ。でも可哀想だよね…あの子。子供は親を選べないから」
 自分の生い立ちを顧みて、自然と璃音の表情が暗くなる。だが、貴洛院がそれを冷たく笑い飛ばした。
「はいはい、不幸なこって。でもどうせ、そんな親に育てられた子供なんかロクな人間にならないだろ。だから本人は自分を可哀想だなんて思わないさ。問題ないね。ムシロ、ここで生き別れになった方が子供のためだったんだ。正味な話、そんな親なんて居ない方がマシだ。
 僕なんて両親とは年に数回会うか会わないかで育ってきたけど、このとおり立派なもんだぞ?」
 どうやったらここで生き別れになれるんだとツッコミを入れようとした悠だったが、さらなるツッコミどころを貴洛院が自ら提示してくれたので、思わずニヤケ顔になる。それに合わせたかのように璃音が一年生と顔を見合わせていたのも好都合だ。
「立派?」
 これに続けて、悠は待ってましたとばかりに口を開いた。 
「数字上ってか、能力だけならイケてるってことでしょーよ。実像はともかくさ。たとえば…ほら、『鶏肋』の人だってゲームだったら要らんことやって殺されたりなんかしないじゃん。あれは行動を反映してないから、能力のみを見たら普通に優秀なだけだもんね。そういう観点じゃあ、貴洛院基親生徒会副会長殿は充分に優秀だよ。…多分ね」
 当然、貴洛院は目を吊り上げる。
「なんだよ! 人を歴史シミュレーションの武将みたいに言うな。庭の門に落書きしてやるぞ」
 そんな貴洛院に、悠は穏やかながらも冷たい視線を投げかける。
「褒めてるんじゃないか。だから頑張れよ。アンタ、政治家…は無理か。人徳無いんじゃ誰も投票しやしねぇ。官僚には向いてると思うよ。能力"だけ"はあるから」
「けっ。お前らみたいな無能よりはマシだね」
 そっぽを向く貴洛院。生徒会室は刺々しい空気に包まれ、それを楽しんでいるのは悠だけである。こんな中で璃音は恐る恐る手を上げた。
「あの…ちょっと休憩しても良いかな?」
 すると、何か言いたげな貴洛院を制して、一年生たちが声を揃えた。
「もちろんです。いくらでも行ってきて下さい」
 
 
「あーあ。あの女、さっき撃ち落しゃ良かったんじゃね?」
 校舎の屋上。
 賑わう人の波を見下ろし、その少女は独り言を、わざと周りに聞こえるように言った。英春の制服を着てはいるが背丈は小さく、小学生かといった様相。長く伸びた髪は紫色をしているがあくまで自然な、染めたようには見えない色だ。それだけでも特異な外見だが、妖精のように長く伸びた耳がさらにその印象を決定付けていた。この少女、名をセラサという。
「バカを言うな」
 もう一人、灰色の肌と赤味がかった銀髪の少女が目を吊り上げる。こちらは背が高く、制服がイメージさせる年齢に合った姿形をしている。だが、その表情は氷のように冷たい。
「騒ぎを起こさないという条件でクーインから許可を貰ったのだぞ。そもそも、文化祭とやらを見たいと言い出したのはお前では無いか。なのに、お前が率先して約束を反故にしてどうするのだ!」
 この厳しい口調の少女はエレナ。彼女らこそが酉野紫の新メンバー、かつて魔王カーンデウスの従者だった六大サーバントの生き残りである"トライラヴェージ"だ。
 その名のとおり三人のチームである彼女らの第三のメンバー、ドルヴァはセラサの足元で丸くなっている。見た目は黒ネズミ、ただしコウモリのような羽がついているので多少は大きく見えるが、他の二人同様、かつての威容は見る影も無かった。
 魔王が消滅することでそのパワーの上乗せを失ったサーバントたちは、新たに魔王の力を受け継いだマスタークーインを頼って時空を超えてきたのである。クーインが強くなれば、彼らも元のレベルのパワーを取り戻すことが出来るからだ。
 だが、つるんでいるからといって三人は仲が良いというわけではない。今も、結局セラサとエレナは顔をしかめてそっぽを向き、ドルヴァは我関せずと眠りこけていた。
 そんな険悪な空気を、まったく空気を読まない男たちが吹き飛ばす。
「姐御。買ってまいりやした!」
 先頭に立つボルタの声も威勢良く、酉野紫アメージング5の面々がゾロゾロとやってくる。彼らの格好はというと、いつものタイツの上に学生服を着ただけである。
「なんといっても、これからは中華まんが美味い季節ですよ」
 と、進み出たボルタを、バーナーが押しのける。
「ご注文の石焼き芋ですぜ〜。おおっと、お待ちになって。オレの炎で暖め直しやす」
 手に持った包みに着火しようとするボルタ。それをエレナがひったくる。
「いらない。汚れるから」
 この仕打ちにバーナーの顔が悲しみに歪む。マンビーフが場を取り繕うように、プラ容器に入った焼き鳥を差し出した。
「これは焼き鳥と申す料理にて、なかなかの風味にてござる。黒毛和牛ではないのが、ちと惜しゅうございますが…」
「バカか。それじゃあ鳥じゃねぇだろうが。やっぱ屋台といえば綿菓子だぜ」
 と、クイックゼファーが両手に持った綿菓子を誇示しながら割り込んでくる。それをアクアダッシャーが肘を入れて阻んだ。
「いやいや、焼きそばだもんねー」
 こんな風に張り切る彼ら、要は女子メンバーに気に入られようとしているのである。もちろん抜け駆けで。だが、彼らに対する女子二人の態度は平等に軽い。既に焼き芋を食べ始めたエレナは物も言わず、セラサは冷たく言い放った。
「能書き要らないし、さっさと食べ物さし出せば良いと思うよ」
「は、はい…」
 しょんぼりと買ってきた物を広げるタイツ男たち。それを品定めしながら、セラサはタメ息を吐いた。
「なんだよぉ…"ミンカチセカ"無いのかぁ」
 故郷の食べ物である。
「あるわけない。ここはアンタの宇宙じゃないんだからね」
 と、エレナ。そんなことを言いながらも口を休めることなく焼き芋を食べ続ける。セラサは芋の包みに興味を持ち、顔を近づけた。
「あ。エレナのそれ、なんかそれっぽい匂いするんだけど」
「あげない」
「まさかッ、全部一人で食べるつもり?」
 頬を膨らませたセラサに、エレナはそっけなく言った。
「代わりに、そっちのみんなあげるわ」
「えー。そんなのないよ! やだやだ、私もそれ食べたい!」
「どうせ一口で飽きるくせに」
「そう思ってるんだったら、一口くらいちょうだいよ!」
「やだ、勿体無い」
「ぐぬうううううっ」
 歯軋りし始めたセラサをボルタがなだめにかかる。
「まあまあセラサさん。オレが買ってまいりやすから…」
 それを、低く厚い男の声が遮った。
「甘やかすんじゃあない。放っておけ」
 声の元は、いつの間にか身を起こしていたドルヴァだった。外観とは異様なくらい裏腹の重厚な声が、さらに響く。
「本来、この場所は立ち入り禁止なのだろう? ならば、あまり頻繁にウロウロするものではない。…お前たち、よもや見つかってはおるまいな?」
「もちろんでさぁ」
 ボルタは胸をたたき、自信たっぷりに頷いた。
「ボスが用意してくださった制服のお蔭で、すっかり溶け込んでますぜぇ」
 前述のようにボルタたちの格好はいつもの酉野紫タイツの上に学生服を着ただけだが、それでなぜか誰にも見咎められないというのだから世の中とは不思議なものである。調子を合わせて、バーナーがサムズアップで爽やかに微笑む。
「ま、オレたちくらいの歳なら学校行ってるほうが自然だからな」
 それを聞いたドルヴァが冷たく嘲う。
「よく言うわ、落伍者めが。社会の爪弾き者が粋がるでない」
「なんだとテメェ! 意味はよく判らねぇが、オレをバカにしてるだろ! 絞めるぞ、ネズ公め!」
 激昂するバーナー。
「半端者の分際でオレ様に楯突こうなど五十六億七千万年早い!」
 それに対するドルヴァの言葉は対象の知能を考慮しているとは思えないものだった。だが意外にもバーナーは戸惑った様子は見せず、目を吊り上げて口から火を吐く勢いで怒鳴り散らした。
「オレを三分クッキングするってか! やってみろや!」
 その姿に、ボルタたちは感激を禁じえない。
(スゲェ。それなりに意味通じてる。まあ、言葉が判らなくても悪意は伝わるからな…)
 その悪意が生んだ炎が周囲の空気をジワジワと焦がしていく中、セラサは地団駄を踏み遂には寝転がって駄々をこね始め、エレナは無言でひたすら芋を食う。バーナー以外の酉野紫の面々は自分たちの食べ物を広げる。こうして、怪人たちによる屋上お食事会が幕を開ける…はずだったのだが―。
 
 
 璃音は徒歩で前庭へ降りた。今は制服姿なので自分から目立つようなことをしない限りは注目を浴びることもない。
人通りは相変わらずで、各種イベントも滞りなく盛況のようだ。まず、璃音は券買所へと向かう。露店で現金のやりとりが発生しないよう、あらかじめ食券等を購入するようになっているのだ。そこで必要なものを買い揃え、いざ屋台街へとくりだす。
 璃音は運営サイドの人間なので屋台の場所や扱っている品物はおおよそ頭に入っているが、実際に見るのは迷子捜索のために上空から俯瞰したときだけ。だから、こうして普通に歩いて店頭を眺めるのは新鮮ではある。
 たとえば、科学部謹製の綿菓子・カラメル屋はおよそ屋台には似つかわしくない白衣姿の男子生徒が売り子をしており、その様は食品小売というより怪しげな実験施設である。また生き物の扱いが出来ないために金魚すくいからヨーヨー釣りへと転進を余儀なくされた屋台では、せめて雰囲気だけでもと食玩などの魚類模型で水槽をデコレートしている。金魚や川魚のみならずマグロやジンベイザメ、クリオネがひしめく中、シーラカンスやメガマウスならまだしも誰の趣味なのかハルキゲニアやらアロマロカリス、オパビニアといった不思議生物までが同じ水槽に居るのはなかなかに壮観である。
 そんな中、焼き芋と肉まんを交互にほおばりながら璃音はしばし平和な喧騒を楽しんだ。だが突如の熱風によって、それはどよめきへと変わる。見上げると、立ち入り禁止のはずの校舎屋上から高熱源体の存在を示す陽炎が上がっていた。
(うわ、あれって…)
 
 
「廿六木さん!」
 巡査が叫ぶ。お好み焼きの屋台を冷やかしていた廿六木は特に表情を変えず巡査が指差す先、陽炎に揺れる校舎を見上げた。状況はよく判らないが、誰の仕業かは予想がつく。
「今さら驚くほどのことでもないだろ。もちろん、見過ごすことはできないけどな」
 本人的にはクールにキメたつもりの余韻を漂わせつつ、駆けだす廿六木。その後を、慌てて巡査が追う。
 
 
 璃音が駆けつけたとき、屋上は吹きさらしの環境にも関わらずサウナ並みの暑さだった。その元凶は、もちろんバーナー。そして、もう一体。コウモリの翼と獣の顔をもった二メートルを越す大男だ。これがサーバントドルヴァの真の姿である。ネズミのような姿はセーフモードであり、事にあたる場合には形態を変えるのだ。
 璃音が叫ぶ。
「なにやってるの!」
 それに応えたのはバーナーだ。
「やかましい!」
 続いて、ドルヴァが目を剥きだしにして怒鳴る。
「引っこんでいろ小娘! 今日という今日は、この小童と決着をつけてくれる!」
 両者はともに火炎能力者である。感情の赴くままに撒き散らされたその熱は、パワーシェルをまとっていてもジリジリと肌を焦がすかのように錯覚してしまうほどだ。
 だが、残り二人のサーバントは全く何事も無いかのように平然としている。エレナは我関せずと、さもさと焼き芋を頬張っており、セラサは目の前に広げられている焼きそばやらお好み焼きやらを一口づつ食い散らかしては不平を洩らしていた。
「アンタたち、ちょっと待ってよー。食べ物煮えちゃうー」
 その傍らでアクアダッシャーは干物となり、マンビーフはローストビーフへと変貌しつつある。やはり平気なのは格上のサーバントだけということだろう。ボルタとクイックゼファーはというと、熱源から思いきり距離を置いて静観している。彼らの目の前で展開されているのは見事なまでの内部ゲバルトだが、止める意思などはさらさら無いらしい。何か言いたげな璃音の視線に、エレナが肩をすくめて見せた。
「勝手にやりゃイイのよ。どっちかがくたばれば、静かになるでしょ」
「まあ、そういうことなら…放っとこうかな…」
 当事者があまりに事も無げに言い放つので、拍子抜けしてしまった璃音。その横に寄ってきたクイックゼファーがニヤケ顔で言う。
「勝ったほうがお前の敵になるってか」
 それに、璃音は睨みつけることで応えた。クイックゼファーはマスクから露出している口元を引きつらせ、つつーっとボルタの隣へ滑るように移動する。
「…走れるコンディションじゃないだろ、これ。お前やれ」
 突如として話を振られ、ボルタは思いきり狼狽した。 
「い、いや…。熱のせいでスーツの電気抵抗が上がっちまって調子悪い。パスだパス」
「そこまで暑い?」
 足元を見て、璃音は目を丸くした。
(やばい…)
 足元のコンクリートは表面が柔らかくなりかかっている。もはや放置できる温度ではない。その中心では、バーナーが鼻の下に大粒の汗を浮かべ、タイツの脇や背中をはっきりと色が変わって見えるくらいに湿らせながらも、口元に貼り付けた不敵な笑みを崩さない。
「ふふふ、ドルヴァさんよぉ。アンタの熱はこんなもんかぁ〜」
 挑発されたドルヴァの顔は狼を思わせる造形から表情は判り難いが、口の端が上がっているのはやはり笑みなのか。実際、発した声には相手を侮蔑する響きがあった。
「何を言うか。オレ様はまだ、五十パーセントにも満たない力しか出しておらんぞ。貴様こそ、もっと頑張ったらどうだ?」
 その言葉にバーナーは一瞬息をのむが、すぐに勢いを取り戻す。
「くくく、そうかい。オレは四十パーセントだぜ」
 それを聞いたドルヴァは心底愉快そうに笑った。
「ふははははは、はーっはははは! 笑止な。本当のところ、二十パーセントしか出してはおらんのだ」
「おい! さっき五十パーセントだっつったろ!? 負けそうだからって後出しでテキトーなことふかしてんじゃねぇ!」
 だが激昂するバーナーをいなすドルヴァの物言いは、周囲の気温とは裏腹に冷たいものだった。
「ふふふ、貴様は相変わらず頭が悪い。"五十パーセントにも満たない力"と言ったであろうが。ゆえに実際は二十パーセントだったとしても何ら矛盾はない。貴様ごとき、この程度で充分だからな」
 露骨にバカにされたバーナーは頭をかきむしり、叫ぶ。噴出す炎が一際激しく燃え上がる。
「くっ…やかましい! オレなんてなぁ、まだ…」
「うるさい!」
 たまらず、璃音は怒鳴った。
「いい加減にして! 迷惑なんだから!」
「そうよ。やるなら、さっさと全力でやれば?」
 それに続いてエレナの文字通り、火に油を注ぐ発言が飛び出す。思いもよらない展開に口をパクパクさせる璃音には目もくれず、両者は言われたままに火力を上げた。顔を真っ赤にし限界が近いことを露呈しているバーナーに対し、涼しい顔をしていたドルヴァが、ここぞとばかりに吼える。
「いくぞ! これが、正真正銘ッ! 百パーセント中の百パーセントぉぉぉぉッ!!」
(ハッタリじゃなかった!? YABAYABAだッ)
 バーナーが息を呑む中、ドルヴァの巨躯がうち震え、そこかしこから黒い炎が噴出す。これぞサーバントドルヴァの操る、魔界の業火だ。超高熱によりあらゆるものを焼き尽くすだけでなく、対象の精神まで侵食する恐るべき炎の渦が巻き起こる。その流れは激しく、さらに熱を増し、爆発点めがけ猛烈な勢いで燃えあがり―。
 ぽんっ。
 だが気合とは裏腹に、響いた音は実に気の抜けたものだった。
 黒い炎はいっぺんに掻き消え、ドルヴァの巨体は跡形もない。かわりにネズミともコウモリともつかない小動物が、そこに転がっていた。
 エレナは侮蔑の眼差しを、縮んでしまったドルヴァに向けた。
「バカね。前置きが長過ぎるのよ」
 魔王の消滅によりパワーの多くを失ってしまったサーバントドルヴァは、三分間しか真の姿をとることができないのである。エレナが煽るような発言をしたのは時間切れを見越してのことだったのだ。
 一方のバーナーは勝ち誇った様子で高笑いだ。
「はっははははははは! 三分クッキングは火を起こすだけで終わっちまったなぁ〜あ〜」
 そこに間髪いれず、璃音のシェルアームが炸裂した。バーナーは不意に横っ面を殴り飛ばされ、もんどりうってコンクリートに沈んだ。
「はいはい、残った方をこうすれば良いんだよね?」
 璃音は苛立ちを隠そうともせずに言った。バーナーはもう動かない。だがこれで一件落着というわけにはいかず、セラサが立ち塞がる。
「このまま帰ろうなんて、ムシが良すぎるんじゃないの?」
 もちろん璃音も負けてはいない。
「…あんたらこそ帰れ」
 それを聞いて、セラサがケラケラと笑う。
「こっちはず〜っと、圧倒的に、数的有利なわけ。…バーナーちゃんは抜きとしてぇ…」
 と、周りを見渡しセラサは顔を引きつらせた。殴り倒された者や干物、ローストビーフはともかく、ボルタとクイックゼファーも暑さにやられてグッタリとしていたからである。
「…まあ、二対一よね」
「なにか不服なわけ?」
 セラサの物言いが気に食わないエレナは眉を吊り上げ、いつの間にか手にしていた錫杖を突きつける。だが、セラサは涼しい顔だ。
「いやぁ、アンタなんて居てもいなくてもあまり変わらないなァと思って」
「ぬかせ!」
 錫杖の先が璃音に向けられた。頭に血が上ったエレナは、騒ぎを起こしてはならないことを既に忘れ果てていた。
「私の力、もう一度ちゃんと認識なさい!」
 エレナの凛と張った声とともに異界の魔術式が紡がれ、璃音は両腕のシェルアームからパワーシールドを展開して備える。双方が引鉄に指をかけた睨みあいの中、璃音の背後でドアが開く。
「警察だ!」
 廿六木たちである。
 エレナは鮫のような笑みを浮かべ、錫杖に集中させたエネルギーを開放した。その矛先は璃音ではなく―。
「危ない!」
 パワーシールドを前面に集中させ、璃音は廿六木たちの前に割りこんだ。よって、エレナの放った攻撃魔術は標的には届かず、パワーシールドによって遮られた。だがエレナは笑みを浮かべた。
「ふふふ、こうすれば動きが止まるからねぇ!」
 二人の警官の盾となった璃音めがけ、エレナは別の術式を撃ちつけるべく指を突き出した。直後、
「そぉーれっ!」
 セラサの掛け声とともに床面が崩れる。璃音はとっさに飛ぼうとしたが、瓦礫が不自然な動きで身体に纏わりつく。それに機を取られている間に、璃音は見えない力によって身動きを封じられてしまった。セラサの念動力である。
「ふっふー、どう? 不仲を装って油断させようという、私の鮮やかな策はー」
 屈託なく笑うセラサだが、エレナは首を傾げる。
(…装ってた? 普段からこんなだろ)
 しかし、それを口にすると本当に仲間割れしそうなので止めておく。今は敵を滅ぼす格好のチャンスである。内輪揉めは後でいい。エレナは錫杖を構えなおすと、自身が現在使える最高の破壊術式を構築し始める。それを横目に、セラサは念動力のアウトプットを上げて璃音への拘束を強めた。
「あぐっ!」
 全身を締め上げられ、息を詰まらせる璃音。常人ならとっくに潰されていてもおかしくない圧力である。だが、動けないなら動けないなりにやりようはある。
(これなら!)
 璃音はパワーシールドをセラサの周囲にドーム状に形成した。
「なっ!」
 不意を突かれ、あっさりと閉じ込められてしまうセラサ。念動力が遮断され、璃音は自由を取り戻す。
「しまったっ」
 必殺を期して時間のかかる術式を展開していたエレナは、降り注ぐパワーボルトの爆撃に晒されてしまった。
「ちいっ!」
 術式が途絶えたことで霧散しかけた魔力を繋ぎとめ、エレナはフォースフィールドを形成してこれをしのぐ。
「セラサ! さっさと脱出しろ!」
 仲間の怒鳴り声に、シールドのドームの中のセラサは目を吊り上げた。
「判ってるってばぁ! 足元を掘ればこんなの…」
 だが、ドームの内壁が拳程のサイズで勢い良く盛り上がり、セラサの頭を殴打。そのまま、セラサは気を失ってしまった。
「…使えないヤツ」
 毒づくエレナ。それを璃音はシェルアームを構えて睨みつけた。
「これで一対一だね」
「ふっ…。そもそも、アンタなんて私一人で充分なわけ」
 錫杖を振りかざし、エレナも負けずに眉間に力を入れた。
 そのとき、フェンスの上に黒い影が降り立った。黒いコートをなびかせたアイマスクの男、Mr.グラヴィティである。
「随分とホットにお楽しみじゃないか。私も混ぜてくれないか?」
 エレナは舌打ちとともに後退りする。と、その背中が何かに当たり、振り向くとそこにはマスタークーインが居た。
「クーイン!」
 パッと顔を輝かせたエレナだったが、クーインの露骨に不機嫌な表情に気付き、口を尖らせた。
「…なんです。助けに来てくれたのではないのですか?」
 クーインは憮然したまま口を開いた。
「結果的にはそうなるのかも知れんが、違う。私は言ったはずだ、騒ぎを起こすなと。それがなんだ、このザマは!
 制服で完璧に偽装したにも関わらずこの騒ぎということは、お前ら自身が自ら馬脚を現すようなマネをしたということだろう! アメージング5のバカどもならまだしも、サーバントたるお前がそんなことでどうするのだッ!!」
 最後の方は思いのほか激しい口調になり、エレナは目に涙を浮かべてしまった。
「申しわけ、ありません…」
 予想していなかったしおらしい態度に思わず、クーインは口ごもってしまう。
「わ…判ればいい」
「はい…」
「あー、それでだ」
 力なく頷いたエレナから逃れるように目をそらし、話を変えようとマスタークーインは璃音たちの方へ視線を向ける。
「ここからは私がお相手せねばなるまいな。Mr.グラヴィティ、藤宮璃音!」
 威勢良くマントを広げて見せたクーインだったが、対する璃音はMr.グラヴィティは顔を見合わせ、バツが悪そうに言った。
「えーと…なんかそんな雰囲気じゃないみたいだし…帰ったほうが良いんじゃないかな?」
「なんだと? ま、まあ…今日は平穏に済むならそれに越したことが無いのだが…」
 と、クーインはエレナの方を見て目を丸くした。先ほどまでの言動が嘘のように、エレナが錫杖を放り出して泣きじゃくっていたからである。
「…クーインに怒られた…怒られちゃった…、どうしよう…」
 気まずい空気が屋上を包む。
 それを破ったのは、先ほどエレナの魔術の標的にされた廿六木である。
「あのなぁ、泣きゃいいってもんじゃないだろ! 抵抗する気が無いなら無いで、さっさとお縄につけや、ズベ公が!」
 言っていることは完璧に非の打ち所が無い程に正論である。だがこの男、明らかに調子に乗っているようだ。クーインはアイマスクの下の眉を吊り上げたが、
「ふん、言ってろ虫けらが。次に会ったときにはその物言いの報いを受けさせてやるからな!」
 と、攻撃はせずにマントを翻す。すると倒れているサーバントやタイツ男たちが光に包まれ、その裏地の中へと次々と吸い込まれていく。
「さらばだ!」
 それからクーインはエレナの腰を抱き寄せ、そのまま虚空へと掻き消えた。
「逃げやがったッ」
 オーバーアクションで空を見上げる廿六木。クーインの瞬間移動は魔王の力を得てからさらに磨きがかかったようで、こうして逃げられては追う術も無い。廿六木はチラリと、だが明確なメッセージを込めて璃音とMr.グラヴィティを見た。しかし、璃音はわざと視線を逸らす。
「えーと、わたし生徒会の仕事が…」
 Mr.グラヴィティも同様に目を逸らした。
「私も…その、ヒーロー評議会に出席しなければ…」
 廿六木は眉をひそめた。
「そんな評議会、聞いたことないですが」
「そうかい? まあ、これからは警察の仕事ってことで…何かあったら呼んでくれ。すぐに駆けつける」
 と、言うが早いか、Mr.グラヴィティは空の彼方へと飛び去っていった。
「それじゃ、わたしも…」
 璃音はヴェルヴェットフェザーで屋上の破損箇所を修復すると、足早に校舎の中へ引っ込んでしまった。
 残された廿六木は仏頂面で、巡査に指示を出した。
「ちっ…しょうがねぇ。署に応援を要請しろ」
 
 
 生徒会室に戻った璃音を待っていたのは、迷子を捜しに行ったときに出会ったバンドの面々だった。
「いやさ、バンドコロシアム運営委員がアンタの…いや、副会長の姿を見て是非ステージに上がって欲しいと言ってるもんでさ。サプライズってヤツで」
 彼らは、開口一番こう言った。
「普通に自分で頼みに来れば良いのに…」
 璃音は思わず頭を振る。バンドコロシアムも生徒会の認可を受けて行なわれる行事であるから面倒をかけるのはお互い様なのに、今さら遠慮されても寂しいものがある。それはそれとして、璃音は頭の中で今後の予定を精査する。結果、何か尋常ではないトラブルが無い限り、後夜祭までは別段予定も無いことを確認した。
「まあ、断る理由も無いけど…」
 と、部屋を見回す。その意図を悟り、一年生が言う。
「貴洛院先輩なら、さっき黙って出て行ったっきりですよ」
「なんの断りも無く?」
「はい」
 それに悠も相槌を打った。
「そうそう。なんか突然バタバタと飛び出して行ったよ。だから別に、頼まれてステージに立つくらいなんでもないって。十一月の選挙のことを考えたら、そういうこともしといた方が良いんじゃないの?」
「選挙ねぇ…」
 璃音は思わずタメ息を吐いた。いつの間にやら来る生徒会長選への出馬が規定路線になってはいるが、自身は今の立場でもなんら不満は無いのである。それに、悠が言葉の端々に妙な含み笑いを浮かべているのが気にかかる。
「悠、なんか隠してる?」
 首を傾げる璃音に、悠は涼しい顔で笑みを向けた。
「ううん。だって璃音、カラオケ上手いじゃん」
「そうかなぁ?」
 何となく釈然としないが褒められると悪い気はしない。
「…じゃあ、でてみよっかなぁ。このバンドの人たちと逢ったのも、なんかの縁だろうし」
 と、頷いた璃音は、言葉では仕方ない風を装いつつも目元はしっかりを笑っていた。そんなことだから、これが罠だったことに気付くのは本番直前ということになるのである。
 
 
「うえーっ!?」
 スタッフが持ってきた衣装を見て、璃音はあまり品のよろしくない声を上げた。
「リハーサルじゃ、そんな話…」
 困惑の表情で辺りを見回すと、悠が必死で笑いを堪えていた。
 璃音のステージは、件のバンドの演奏が一通り終わってから、最後に飛び入りで参加するというものだった。曲はポピュラーなガールズロックのコピーをやるということで問題はなく、むしろカラオケでの"持ち歌"だったので大歓迎だったのだが、ここに思わぬ落とし穴である。いや、悠の表情を見れば最初からそのつもりで仕込んでいたことがありありと判る。
「ステージ衣装っていうとさ、もっとこう…さあ?」
 不平を述べる璃音。今ここで提示されたのは牛をデザインした着ぐるみパジャマだったのである。さらにご丁寧にも同様のホルスタイン柄をデザインしたスリッパと、首から提げろというのだろう、カウベルまで用意されていた。
「…どういうことなの、悠」
 璃音が口を尖らせるが、悠は楽しげに笑っていた。
「だってアンタ、リアルで牛じゃないか。似合うよ絶対」
「そういうことじゃなくて…」
「そりゃ、ゲストで出演するわけだから、ノリを合わせたほうが良いだろ?」
「は?」
 キョトンと目を丸くする璃音。その横に、競演するバンドのメンバーがやってくる。
「よ。良いステージにしようぜ」
 バンドリーダーがパンキッシュなメイクに似つかわしくない爽やかな笑みを浮かべる。ふと、その傍らにある衣装ケースに気付き、璃音は首を傾げた。
「それは?」
「ああ、着替えさ。早変わりってヤツ? ステージ上でバッと着替えるんだ。今日は落ち武者だぜ、落ち武者」
「ふーん…」
 確かに半透明のケースからは鎧をイメージしたと思われる衣装が透けて見える。それをバンドの面々の顔を見比べて、璃音はその事実に気付いた。
「…君たちって、コミックバンドだったのぉっ!?」
 頷くバンドマンたちの表情は実に誇らしげだった。
(道理で、メイクがアダムスファミリーっぽかったわけだ…)
 つまり彼らのメイクはビジュアル系を狙って照準がずれたのではなく、それと落ち武者との中間点に見事着地していたのである。そして、悠を筆頭とした生徒会の面々はこのバンドの素性をあらかじめ知っていて、それで今回のステージを仕組んだということなのだろう。
 璃音は全てを諦め、首を振った。
「判った、そういうことね…。着るよ、それ」
 その言葉を確認し、悠は満足げに頷いた。
「よしよし。実はねぇ、当初はアイドル風の衣装も考えたんだけどさ、それだと似合いすぎてギャグにならない気がしたんだよね。やっぱ空気は読むべきだと思うのよ、うんうん」
「ま、確かに…」
 落ち武者に囲まれアイドル衣装で歌う自分を想像し、璃音は薄ら寒いものを感じた。が、そのイメージが別の事実を気付かせた。
「待って。ゴスな服着て、みんなが落ち武者になる前に出れば良いんじゃない? それならバッチリだよね?」
 と、食い下がる璃音だったが、悠は事も無げに言い放った。
「往生際悪いよ。もう変更無理だし。大丈夫、絶対可愛いから」
「うう…」
 思いきり肩を落とす璃音。
「けーちゃんに、ステージで歌うって電話しちゃったんだよ…」
「え? …えーと、ダンナさん来るんだ。…まあ、あの人なら絶対気に入るって。うん、気に入ると思うよ。…多分」
「そうかなぁ…」
 悠が多少言葉に詰まったのが気になるが、事ここに至ってはもはや後戻りは出来ない。璃音は諦めに近い心境で顔を上げると、出番を待つバンドメンバーに声をかけた。
「あの、よろしくね。でさ、まだバンドの名前聞いてなかったんだけど…」
 これこそ非常に基礎的な情報だが、璃音にはその辺りの情報が入ってなかった。つまり、これは長期的計画による念入りな仕込だったわけだ。璃音が迷子の捜索で彼らに出会ったのは単純に計画外の偶然であり、それとは全く関係無しに事は進行していたということである。
 だから案の定、彼らは怪訝な顔一つ見せず、声を揃えて答えた。
「"ファンダメンタルズ"」
 数秒の沈黙の後、璃音は呻くように呟いた。
「…えっと。意味は…関係ないよね、うん」
 
 
 戦いすんで日が暮れて。
 最低限の後始末を済ませた生徒会メンバーが学校を後にしたのが午後の九時。翌日を丸々使って本格的な撤収作業を行い、そのまた翌日が振り替え休日というのが文化祭のスケジュールなので、まだ全てが終わったわけではない。だが、無事にビックイベントを乗り切った達成感を胸にそれぞれが家路につく。
 璃音もまた、そんな感慨に浸りながら家の門をくぐった。
 結局、コミックバンド"ファンダメンタルズ"との競演は好評を博した。牛の衣装は客席を大いに沸かせ、その様子に璃音はすっかり気を良くしてしまった。だが、ステージからは周りが良く見えるもので、蛍太郎があんぐりと口を開けていたのに気付いてしまい、以後はなるべくそちらを見ないようにしていたので、彼の反応がどうなのか心配なところだ。
「ただいまー」
 玄関の戸を開けると、まずは黒猫のツナが出迎えてくれた。そのあと、蛍太郎が満面の笑みで現れる。
「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
「お疲れ様だったね。ごはん用意出来てるけど、先にお風呂入る?」
 言われてみれば、ステージや後夜祭の仕切りで相当汗をかいている。ここはお言葉に甘えるべきだろう。
「じゃあ、そうしようかな」
 それを聞いた蛍太郎は顔を綻ばせて頷き、
「ちょっと待ってて」
 と、踵を返す。そして二十秒としないうちに取って返した彼の手には、大きな紙袋が提げられていた。
「あとで、これ着て」
 その言葉とともに手渡された紙袋は大きさの割には軽かった。衣類だろう。
「がんばってたから、ご褒美だよ。部屋着代わりに使ってくれればなぁと思ってね」
「ありがとう。えへへ、どんなんだろう?」
 思いがけないプレゼントに胸を高鳴らせつつ、璃音は袋の中身を引っ張り出し、
「えっと…」
 目を丸くした。
 現れたのは、白ウサギの着ぐるみパジャマだったのである。
 呆然とする璃音に向かって、蛍太郎は目を爛々と輝かせ熱く熱く語った。
「どう? 絶対に似合うよ。今日のステージを見て、『これだーッ!!』って思ったんだ。そうか、その手があったか。その考えは無かった、ってね。璃音ちゃんのことだから何を着ても可愛いとは確信していたけど、着ぐるみとはまさに予想外。想像だにしない展開だったよ。この新たな世界を拓いてくれた学校の生徒諸君に、僕は千の拍手と万の感謝を奉げたいッ! そもそも…」
 なおも続く蛍太郎の熱弁に圧倒されつつ、璃音は呆れ顔で内心呟いた。
(このひと、わたしがずっとこれ着てても勃つのかな…?)
  
 余談だが、この夜。ウサギ璃音の添い寝権を賭けた抗争が家族間で展開され、結局は全員でリビングに雑魚寝することになったという。
 
 
 

…THE END.


モドル