#6
1−
七月二十日、海の日。
この日の海開きを以って、酉野市にも海水浴シーズン到来である。町の近辺には遠浅の砂浜が幾つか点在しており、藤宮家ご一行様はその一つ、猿出海岸を訪れていた。ここはクルマでなければ来られないため、他の海水浴場よりは客が少ないのである。
そういうわけで…。
「海だーっ」
輝く青い空の下、藤宮璃音は歓声とともに上着を放り出す。そこから現れた白いビキニの眩しさといったら、周囲の視線を一斉に引き寄せるほどである。もちろん蛍太郎も例外ではなく、押し付けられた上着を持ったまま陶然と妻の水着姿を眺めた。さんざん裸を見ていても、水着はまた特別な引力を持っている。
璃音が波打ち際へと走っていくと、
「まって、私も!」
斐美花もつられて走る。
同様に上着を押し付けられた中村トウキも、呆けた顔で斐美花の後姿を眺めていた。妹を上回る肉づきの良い身体を包んだ派手なビキニは、バックショットもかなりのモノだ。
「いいなあ…尻が」
斐美花にしては背伸びして選んだ水着は見事に効果を発揮し、トウキは感嘆のタメ息を吐いた。だが、璃音と斐美花にそこらじゅうの熱い視線が一気に集中するのに気付き眉をひそめた。
「でも、複雑な心境っすね…」
「ま、しょうがないよ。ふたりとも可愛くて綺麗だからね」
そう答える蛍太郎の口調がどこか得意げなのも、無理もない。波と戯れるふたりは美人姉妹の看板に偽り無く、一枚の絵画のような別空間を作り出していた。
残された蛍太郎とトウキ、そして法眼悠は、見つけた空きスペースに荷物を置きマットを敷いてビーチパラソルを立て、本拠地を設営する。
「ここを、キャンプ地とする」
作業の成果に満足した蛍太郎が大きく頷くと、悠も水着姿になった。身長は璃音より少し高い程度だが、対照的にフラットなボディラインが景気良く露わになった。ホットパンツ風のボトムはサイドがバッサリと開いていて実に際どい。
「そんじゃ、私も一緒に遊んできますね」
男性陣に小さく頭を下げて微笑む悠。胸元に膨らみが無い分、チューブトップにできる微妙な隙間が逆に目を引きつける。そこに集まる視線に気付いた悠は、舌を出して悪戯っぽく笑った。
「浮気者ども」
蛍太郎とトウキは慌てて目を逸らした。それを見て、また悠は微笑む。
「私くらいになると、逆に神だよ」
「い、いや、なんと言ったらいいのか…」
胸のことを言っているのは判るが、蛍太郎には返す言葉が無い。それはトウキも同様のようで、揃って口ごもってしまう。すると、隣のビーチパラソルの向こうから声をかけられた。
「そうだよ、兄さん」
振り向くと、女が一人、デッキチェアに優雅に横たわっていた。永森綺子である。蛍太郎たちが来る前から、綺子はここを拠点にしていたようだ。
「のわっ、綺子か!?」
突然のことに驚く蛍太郎。
「おまえ、今日はデートだって…」
そこまで言って、蛍太郎は妹にまつわる、ある事実に思い至った。
「そういや、免許とってクルマ買ったものね。…学校そっちのけで」
「は、ははは」
何やら笑って誤魔化す綺子。誤魔化しついでに、綺子は立ち上がって、くるりと回って水着を兄に見せた。
「どう?」
「どうっていわれてもなぁ…」
実の妹なだけに、蛍太郎は返答に窮した。しばらく考えて、
「ジュニアハイスクールの時と、あまり変わらないな、くらいしか…」
と、搾り出すように答えた。すると綺子はカラカラと笑う。
「兄さんったら、何をおっしゃるやら。私くらいだと神だよ、ムシロ」
それから、トウキに向き直る。
「ねえ、中村君。こないだかった水着なんだけど、どうかな?」
トウキも立場的に『どう?』と言われても困るのだが、とりあえずはコメントを出すために対象をじっくり観察することにした。
綺子は上背もあり、少女向けファッション誌のモデルのように良く整った体つきをしている。つまり、余計な肉も必要な肉もついておらず、それを赤いワンピースの水着で包んでいた。肉親である蛍太郎が中学生の頃と変わらないと評した、膨らみの少ない胸とあいまって、前から見た印象は意外と大人しい。だが、背中は尻が見えるのではないかというほど大きく開いていて、かなり派手だ。
「色っぽいと思いますよ。背中とか」
トウキは率直に答えた。すると綺子は満足げに微笑む。
「そう、良かった。やっぱさ、胸が無い分、こっちでサービスしなきゃって思うわけでさぁ」
「サービスねぇ…なるほどなぁ」
トウキがしきりに頷いていると、綺子にとってのサービス対象が現れた。
年の頃は高校生くらいだろうか。背はあまり高くなく、身体も細い。顔は造形の整い方が女性的な方に向いていて、衣装次第では女の子と言っても通じそうな程だ。この少年は、両手に出店の焼きソバ、たこ焼きとドリンクを二つ持って綺子の横に現れた。
「綺子さん、買って来ました」
「ありがとー」
少々大げさに感謝の意を表す綺子。医者の家だけあって丹念に準備体操をしていた悠が、その声に振り向く。思いがけず目に入った綺子の姿に驚き、そして、その隣にいる少年の姿にさらに驚いた。
「お、墳本じゃん。こんなところで何してんの?」
墳本陽も、思いがけず出会ったクラスメイトに目を丸くした。
「何ってその…」
顔を赤くして俯く陽に代わって、綺子が答えた。
「私のカレシよ。可愛いでしょ」
少々の沈黙の後、最初に口を開いたのは蛍太郎だった。
「墳本君とか?」
「兄さん、知ってるの?」
「ん? ま、まあ…」
口ごもったフリをして誤魔化しにかかる蛍太郎を尻目に、綺子は身体をクネクネさせながら嬉しそうに言う。
「この子ったらさぁ、いっつも家に篭ってパソコン弄ってばっかりだからさ、今日はこうやって太陽の下に引っ張り出したワケよー。だって、いくら可愛いからってモヤシみたいになったら可哀想だもん。でもさでもさ、陽ちゃんってば凄いんだよ、パソコン。なんかもう、殆どマンガみたいなんだからーでも病弱でさー」
それから惚気話に突入した綺子に苦笑しながら、蛍太郎は誤魔化しが効いたことに内心安堵のタメ息を吐いた。
実は、蛍太郎と陽は二年前からの付き合いである。
きっかけは、こうだ。フェデレーションのコンピューターシステムに侵入者があり、調査の結果それが日本に住む十四歳の少年だと判明した。蛍太郎は極秘にその少年、墳本陽と接触しフェデレーションの外部スタッフとして契約を結ぶに至った。それからは何度か仕事で組むことがあり、例えば量子コンピューター建造の時、アルゴリズムの発注先は墳本陽だった。だが、事件になったお蔭でこの件を大っぴらにはできなくなったので、なるべく接触を避けるようにしていたのだ。それが綺子と付き合っていようとは、世の中は狭いものである。しかし考えようによっては悪くない。これで、蛍太郎と陽がその辺で顔をあわせても怪しまれ難いからだ。
そんな蛍太郎の思考とは関係なく、トウキはしたり顔で頷いた。
「なるほど、じゃあ、ちょくちょく外泊してるのは…」
「そういうこと。えへへ」
陽を後ろから抱きしめて笑う綺子は、獲物を弄ぶ猫のように見えた。その光景に、悠は身も世も無いとばかりに頭を抱えて呻く。
「…墳本、おまえ…。虫も殺さない顔して、そんな…」
「人を犯罪者みたいに言わないでよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ陽。美味しく捕食されているのはムシロ自分の方だと主張したいのだが、こういうときに男の立場というものは弱い。
「璃音に知らせてくる!」
猛烈な勢いで走っていった悠の後姿を眺め、陽はガックリと項垂れた。そんな彼氏の気も知らず、綺子は普通に感心していた。
「しっかし、陽ちゃんが悠ちゃんと同じクラスだったなんで、世の中狭いね」
「まったくっすね」
トウキも頷いて、それからしみじみと続けた。
「なんか、思いがけず皆揃っちゃいましたね。こうなると、侑希音さんがいないのが惜しいなぁ」
侑希音は一ヶ月近く家に戻っていない。いずれにせよ国外にいることは確かで、一週間ほど前にはウルグアイのモンテビデオから写真を添付したメールが届いている。
だが、蛍太郎は真剣な顔で首を振った。
「いや…。彼女は、こういう楽しげな匂いというかイベントの気配というか、そういうモノを実に敏感に嗅ぎつける能力を持ってるから…」
そう言ったそばから、海の向こうに水柱が上がった。水柱は水平線を横切り浜の先に見える岬のところで消える。それから二秒後、一陣の風が巻き起こり…。
「やっほー! みんな、遊びに来たよー!」
ラメ入りワインレッドの派手な、着ても身を包んだなどとは言えないようなビキニを着た藤宮侑希音の姿があった。
「…どっから走ってきたんだ、一体」
そこに居た者は誰ともなく、そう呻いた。だが当の本人、侑希音は何食わぬ顔で笑う。
「いいじゃないの、そんなこと」
そんなことでは釈然としないが、追求するなと言われれば仕方が無い。その件にはもう誰も触れなかった。と、いうより触れる余裕がなくなった。二十メートルほど先で盛大な火柱が上がったからだ。
「おい、まさか…」
蛍太郎が恐る恐る視線を向けると、果たしてそこでは、酉野紫の五人が炎を取り囲んで踊っていた。
「ヒャッホゥ、キャンプファイアーだぜ!」
こういうとき、真っ先に歓声を上げるのはバーナーの仕事だ。それに続き、ボルタが高らかに宣言する。
「よぉし、聞けーい! 今からこの浜は、我々酉野紫アメージング5が貸し切るぜ!」
当然、他の客からは一斉にブーイングが上がるが、そんなものに動じる男たちではない。そうしているうちにもクイックゼファーが杭とロープをあたりに張り始め、マンビーフが浜に立て看板を打ちつけた。
『酉野紫プライベートビーチ』
看板には、そう書いてある。そのまえで、アクアダッシャーが無邪気に飛び跳ねた。
「わーい、僕らで独り占めだー」
騒ぎと煌々と照りつける火柱に気付いた璃音は、広い歩幅でズンズンと看板前まで行って、肩を怒らせ目一杯低い声で言った。
「なにやってんの」
それに気付いた酉野紫の面々は一斉に璃音の方を向く。そして揃って視線を弓なりに往復させ、同じタイミングで口笛を吹いた。
少しの沈黙の後、璃音のこめかみに血管が浮きあがる。
「バカーっ!」
怒りの鉄拳が炸裂した。璃音の一撃で、タイツ男たちが次々に海へと吹っ飛んでいく。水柱が五つ上がり、そのまま静かになる。タメ息一つ吐いて拳を収めた璃音だったが、海面から飛び出したフック付きロープに右腕を絡め取られ、不意をつかれたことも手伝い真っ直ぐに海の中へ引きずり込まれた。
海中に没した璃音が状況を察した時には、アクアダッシャーに羽交い絞めにされていた。丁度目に入った水面に何か丸い物が浮かんでいるのが見える。おそらくは遊泳可能な地点を現すブイだろう。この場所は深さでは三メートルも無いが、アクアダッシャーが背中を水底につけて沈んでいるので、璃音にはそれが遥か遠くに見えた。手足をばたつかせてもがく璃音だったが、アクアダッシャーの腕はビクともしない。水中では特別の力が働くのか、その力はマンビーフにも匹敵するように感じられた。璃音は、自分が簡単にここへ引きずり込まれた理由を身をもって知った。
程なく、璃音は動かなくなった。
アクアダッシャーは腕を解くと、初めて溺死させた相手の顔を見てやろうと前に回りこんだ。
(へへー。遂にやっちゃったもんねー。思ってたより、全然大したことなかったなー)
だが、苦悶の表情は張り付いているはずの少女の顔は存外に穏やかだった。それどころか、口の端を上げて不敵に微笑んでさえいる。
「残念でした」
くぐもってはいたが、璃音の声がアクアダッシャーにも届いた。よく見ると、璃音の身体はエンハンサーの光で薄っすらと包まれていた。先程の声は、このエネルギーの壁が水へ振動を伝えた結果だ。
(うっわーやばいかもー)
アクアダッシャーが危険を悟った時には、視界いっぱいに青い空と白い雲が広がっていた。その直後、今度は砂に顔面を埋めることになる。空中に放り出されたアクアダッシャーは見事な放物線を描いて浜に落下したのである。文字通り陸に上がった河童となったタイツ男の上に、さらに仲間たちが積みあがっていき、程なく潰れた蛙の五段重ねといった風情の物体がそこに出来上がった。それを作り上げた張本人は、膝まで水につかるあたりで埃を払うようにパンパンと手を叩いていた。
「はい、おしまい」
璃音の勝利を確認した斐美花は、バーナーの影響下から開放されスッカリただの焚き火となっていたキャンプファイアーに歩み寄り、"冬の王"で燃焼を止めた。
「はいはい、消火消火、と」
こうして騒ぎはあっさり鎮圧され、"ポロリ"を期待していた野次馬からは大きなタメ息が漏れた。だが、そのタメ息はすぐに感嘆のどよめきに変わる。別の美女が現れ、しかもこちらの方がワインレッドのビキニなど色々な意味で派手だったからだ。
「はいはいはーい、尋問しまーす」
嬉々として酉野紫の所へ駆けていく侑希音の後姿に、蛍太郎は呟いた。
「楽しそうだな、あんた…」
侑希音が傍らに現れると、酉野紫の面々は積み重なったままで視線を弓なりにした。だがそれには全く動じず、侑希音は荒くない程度に強い口調で言った。
「で、なんでこんなことしたんだ?」
返事はなかったが、少しして五段重ねの一番下から呻き声が漏れてきた。
「だってー、職業犯罪者はーダメだってー書いてるもーん…」
アクアダッシャーが泣きながら指差した先には『刺青をした方の海水浴はお断りいたします』と書かれた看板があった。それは確かに、職業犯罪者の方々にはご遠慮いただこうという趣旨のメッセージではある。侑希音はその看板と酉野紫五段重ねを交互に見て、肩をすくめた。
「あのさあ、独占しなくなって普通に海水浴すればいいだろうが。刺青お断りとは書いてあるけど、全身タイツお断りなんてどこにも書いてないぞ」
それを聞いて、五人は声を揃えて呟いた。
「あ…それもそうだ」
今度は、肩をすくめるだけでなくタメ息も吐く侑希音。
「看板直撃ホームラン級のアホだな、お前ら」
そう言ってから、うって変わってカラカラと笑う。
「まあ、どうせこれから留置所だ。せっかくの良い天気なのに窓が無い所へ放り込まれるなんて、とってもとってもカワイソー…だとは全然思わないけどねぇ。それに、よく考えてみりゃ、普通に海水浴しようにも姿見せた瞬間に通報されるよなぁ。ふふふっ」
実に楽しそうに微笑む侑希音を見ていると背筋に冷たい物が走るのは、酉野紫だけではない。野次馬たちは三歩後退し、それに紛れて璃音と斐美花もさっさと姿を隠した。戻ってきた二人を、蛍太郎とトウキがそれぞれ出迎える。
璃音は蛍太郎に擦り寄って、それからいつの間にかメンバーに入っていたクラスメイトの姿に目を丸くした。
「墳本くんだー」
さらに陽と綺子を交互に見て、小さく笑う。
「さっき悠から聞いたけど、見た目犯罪ちっくな取り合わせだよね」
綺子は口を尖らせた。
「義姉さんにだけは言われたくないぞ」
それが耳に入った蛍太郎は何か言いたげに口をモゴモゴさせたが、やぶ蛇をつつくことになりそうなので言葉は飲み込んでおいた。そんな蛍太郎に、あろうことか璃音が強烈なブローをお見舞いする。
「兄妹揃って年下好みだったってことかぁ」
(げふっ…)
思わずうずくまってしまう蛍太郎。だが、さらなる一撃が綺子の口から放たれた。
「へへー、そうかな。確かに、今まで上手くいかなかった相手は年上だった気がするなぁ。それはそれとして…私も兄さんみたいに、陽ちゃんが十八歳になった瞬間に籍入れるんで、ヨロシクっ」
蛍太郎は遂に、膝と手を砂浜についた。
(そんな事は真似てくれるな、妹よ…)
トウキは、それを見ていると何となく蛍太郎を慰めなければいけない気がして、腰を下ろして蛍太郎の肩に手を置いた。
その時、
「そうはいかぬぞぉー」
どこからか、男の声が響き渡った。
トウキと綺子が揃って顔を上げ、声のした方を見る。
「オレ?」
「入籍が!?」
そこに浮かんでいたマントとアイマスク、タイツの男は、少々神経質な口調で叫ぶ。
「知らぬ知らぬ、なんのことだ! 私は部下を返していただきに来たのだ!」
サーバントクーインがビシッと指差した先には、タイツ男五段重ねがそびえ立っている。行きがかり上その側にいた侑希音は、無視するのも気が引けるので素直に思ったとおりのことを口にした。
「おまえさぁ、一人で来たわりには、ずいぶんと態度デカいんじゃないか?」
これに対し、クーインは実に冷静に応えた。
「うむ、確かに。藤宮姉妹が三人揃っているうえに、こちらは味方無しだからな」
珍しく理知的な物言いをするタイツ男の姿に、その場に居る者の間にどよめきが起こる。だがそれも、すぐに脱力へと変わる。クーインがキッパリと、こう言い放ったからだ。
「ならば今日は、私の真の力をお見せしよう」
誰ともなく、こう呟いた。
「最近多いな、そういうの…」
スッカリ白けてしまった空気を読まずに、サーバントクーインは大仰に両手をかざし、奇声を上げた。
「ちょあさーっ!!」
それが気合の声だったのか、クーインの全身から黒い霧のようなものが染み出て、一塊になって実体を成す。それは、マントをまとい角を生やし、赤い目を炯々と光らせた、まさに悪魔の如き様相だった。
「見たか! これぞ我が主、魔王カノンデウス様の分体であーる。賜りし魔界の力を実体化させたものだ。ふはははははーっ!」
クーインは得意げな高笑いで魔王の降臨を彩った。
「へぇ、お前に主人なんて居たんだ」
侑希音がさも感心したように頷く。
「そうでなければ、サーバントなどとは名乗らん!」
「てっきり、意味も判らずバカみたいに勢いだけで名付けたのかと…」
あまりに失礼な侑希音の物言いに、クーインは額に青筋を浮かべて怒鳴る。
「やかましい! 私をそこに積み上がってるアホと一緒にするなッ」
怒りのあまり本音がでたようである。それを誤魔化すべく、クーインはマントを翻し奇怪なポーズをとりながら叫んだ。
「いくぞ! 融合合体、バイオニックコンバイン!」
魔王の分体はクーインと同様のポーズを取って飛び上がる。その行く先には、先日の台風で倒壊した海の家があり、撤収作業に使うショベルローダーと四トントラックが停めてある。魔王は身体を膨らませると、その二つを覆い隠すようにして体内に吸収した。
「おっ」
これには侑希音も、そして彼女を心配して駆け寄ってきた璃音と斐美花も驚きの声を洩らす。
魔王は二つの車両を取り込んだことで身体を変化させながら巨大化を始めた。ローダーのショベルが右腕に、トラックの荷台が盾の様に左腕に現れる。さらにキャタピラはふくらはぎとなり、その他の箇所も鎧のように変化したローダーとトラックのパーツでビッシリと覆われていく。こうして誕生した魔王と車両の融合体は、最終的には身長五メートルほどの威容となって見るものを圧倒した。
「とうっ!」
クーインが跳び魔王の肩口に立つ。そして、名乗りをあげた。
「建築合体、ビルドブレイカー!」
それに合わせ、"魔王の分体"改めビルドブレイカーは正義のロボのような腰の入ったキメポーズを取った。
あまりといえばあまりな名前に、侑希音はツッコミを入れずにはいられなかった。
「建てて壊すんかい」
璃音も呆れ果てた顔で呻く。
「やっぱ、勢いだけで名付けてるよ…」
だが、クーインの高笑いは絶好調だ。
「ふははははっ、あひゃひゃひゃひゃ、ふわーっはははははーっ! 見たか、我が真の力を! もはや私の脳裏には絶対勝利の青写真以外浮かばぬわーっ!」
ビルドブレイカーはショベルとなった右腕を近場にあるコンクリート壁に叩き付けた。さすがに取り込む前より弱体化しているようなことはなく、一撃で壁に見事な大穴があく。
斐美花は姉と妹を交互に見て、訊いた。
「どうするの?」
少し考えてから、璃音が提案する。
「今度はさ、侑希ねぇの番でいいんじゃない? せっかく来たんだしさ」
白羽の矢を立てられた侑希音は一瞬目を輝かせたが、何か引っかかることがあるのか首を傾げた。
「うーん。そうしたいのはやまやまだけど、変身しちゃったら拙くない? 露出度下がるぞ」
何を言い出すのかと、璃音は肩を落とした。
「そういう空気の読み方は、しなくていいよ…」
侑希音が自らの象徴機械と一体化することで現れるダンシングクイーンUの衣装は各所を切り詰めたようなシロモノだが、流石に布面積は水着をはるかに上回る。結果、変身することで肌の露出が減ることを侑希音は懸念しているらしい。確かに野次馬の男性陣は残念がるだろうが、そんなことは璃音にとって本当にどうでもいい事である。だが侑希音にとっては譲れない一線らしく、首に下げていたイデアクリスタルをつまみ上げて睨み、何やらちょこちょこと弄ってから、いつもの呪文を唱えた。
「ミクナ・セニス・マジカ・コリニ・サモネ・カテセ・ヒネカ! 我、神速の騎士とならん!」
強烈な光が侑希音を覆い、そして消える。そこに現れたのは、二振りの剣を手にした長い髪の女、ダンシングクイーンUとなった侑希音である。だが、以前に璃音たちが見た姿とは異なり、黒い衣服は同じ色のビキニになっていた。
「じゃーん、ダンシングクイーンU・B型装備。軽装タイプだよー」
足を縦に揃えてモデル風のポーズを取った侑希音は、得意げに胸を張った。だが、辺りは奇妙な沈黙につつまれる。璃音は半ば義務感に駆られる形で恐る恐る口を開いた。
「B型のBって、ビーチのB?」
侑希音はVサインで答えた。
「あったりー。さっすがは我が妹ね」
「バカだ…この人バカだ」
璃音は圧倒的な脱力感にガックリと膝をついた。だが斐美花は冷静だ。いや、なぜ妹が打ちのめされているのか判っていないと言った方が正確か。とにかく、斐美花は平時と全く変わらない口調で侑希音に訊ねた。
「装甲減ってるけど、大丈夫なの?」
「それは問題ないよ。正味な話、服は飾りで肌に見えるのが外殻だもん。それに、フォースフィールドもあるし」
侑希音の受け答えにも緊張感は無い。クーインはというと、眼下の藤宮姉妹のやりとりを黙って見ていた。
「ふっふっふ。準備ができるまで待っててやるとは、私こそ悪の鑑であるな。おーい、もうよいか?」
クーインの声に、侑希音は顔を上げて応えた。
「おうよ! さあ妹たち、下がっていなさい」
クーインの影響かお付き合いなのか、侑希音の物言いが時代がかっているのが心配だったが、璃音は素直に斐美花の手を引いて後退した。すると、冗談や誇張抜きでそれを待っていたビルドブレイカーがショベルの腕を振り上げる。
「ゆけい!」
クーインの命令に続いて、大地を抉る轟音が響く。濛々たる砂煙の中、異形の巨人は極端に長い腕を浜に突立てたまま、せわしなく辺りを見回す。だが、クーインは落ち着いていた。
「慌てるなビルドブレイカー。このとおりの砂埃だ。いかにヤツが早かろうと動きは見える。ヤツの売りはスピードだ。見えさえすればどうとでもなる!」
そう言うが早いか、砂煙が揺れる。即座にショベルがその場所を抉った。だが、手ごたえは無い。今度は、嘲うように侑希音の声が響いた。
「ふふ、ホントにそうかな? 見えたからってリアクションできるとは限らないんじゃないのかな?」
「なにを!」
クーインが顔を上げると、二本の剣を構えた侑希音が駆けだすのが見えた。
「ふん! それで斬りつけようというのだろう。そんな見え見えの…」
砂煙が揺れる。侑希音がそこにいるのは明白だ。そこをめがけビルドブレイカーは右腕を振るうが、またしても手ごたえはなかった。直後、ショベルのアーム部分が両断された。
「って、見えない!」
以前、病院の床をくり貫いてみせたダンシングクイーンの剣は変身後も切れ味を損なってはいない。ビルドブレイカーの身を覆う車両の外装はいとも容易く切り刻まれていく。膝の関節を破壊されたビルドブレイカーが尻餅をつくと、侑希音は足を止め、動きを止めた巨人を見上げた。
「どれ、適度に小さくなったみたいだし…」
侑希音は両の掌をあわせ精神を集中する。新たに紡ぎだした術式に魔力が通い、
「スペーシャルエクスプロージョン!」
掛け声と共に弾けた。
ビルドブレイカーを巻き込んで爆発が起こる。周囲にいた者たちは慌てて身を屈めるが、熱も爆風も彼らのところには全く届かなかった。この魔術による爆破は一定の範囲の空間の、その内部にしか影響を及ぼさないように設定されているのである。そのため広範囲の破壊には向かないが、爆発のエネルギーを狭い空間に閉じ込めるために見た目の規模を超える火力を心置きなく注ぎこむことができる。
そんなわけで、爆風を集中してその身に浴びたビルドブレイカーは遂に爆散する。術の影響で破片が飛び散ることはなかったが、煙が上方にあがる。そしてそこから、
「ギャッピィー! 覚えてろー」
クーインがどこか遠くへ吹っ飛んでいった。それを見送り、侑希音はさも感心したように頷いた。
「おおー、良い飛びっぷりだ。こりゃ山を越えるなぁ」
少し離れたところで、璃音がタメ息を吐く。
「何を呑気な…」
その呑気さを裏付けるように、侑希音は変身を解くとクルリと妹たちの方に向き直り、ブイサインをしてみせる。野次馬の拍手の中、侑希音は悠々と本拠地たる蛍太郎たちが立てたビーチパラソルのところへ引っ込んでいった。
璃音も一緒に戻ろうとしたが、
「ちょいと、お嬢ちゃん」
何者かに肩を叩かれ引き止められてしまった。
2−
「ところでさ」
侑希音が蛍太郎の肩を叩く。
「なんか飲み物くれないか。砂が口に入ってしまって…」
と、舌を出してみせる。砂煙のなかで結構口数多く喋っていたのだから当然といえば当然だ。だが生憎、テーブルに置かれた飲み物の類は全て空になっていた。
「ごめん。皆、食べ物飲み物に関しては…」
蛍太郎は申し訳なさそうに首を振った。今回の面子を見れば、それも仕方がない。侑希音は、売店か自販機を探そうと歩き出した。すると、その眼前に緑色のガラスビンが差し出された。表面の水滴のつき具合からして、相当冷えているようだ。侑希音は、
「ありがと」
と、それを受け取り口をつけた。一気に呷りかけたが、独特の匂いに気付いて慌てて口を離す。
「おい。これ、ビールじゃないか」
ビンのラベルを確認すると、デンマーク製の有名なビールだった。
「誰だ、海で酒を飲むヤツは…」
まさか身内じゃないだろうな、と侑希音がビンが差し出された方を睨むと、そこに居たのは見事なビール腹の白人男性だった。魔術師のジョージ・マックスウェルである。
「ヘ〜イ!」
「何しに来やがったんだ、ったく…」
侑希音がビンを投げ返すと、マックスウェルはそれを美味そうに一気飲み。そして、特大のゲップで締めくくる。侑希音が思わず顔を背けると、マックスウェルはまくし立てた。
「何って、夏に海って言やぁ海水浴だぜ。爽やかな空と海を見ながら飲むビールは最高さ。ひゃっほー!」
露わにした腹をユサユサさせながら次々とビンを開けるマックスウェルの姿に、その場に居たものは思わず閉口した。その締まりの無い様子からして、完全にオフであることは確実だが、いずれにせよ鬱陶しいことには変わりなく、侑希音は吐き捨てるように呟いた。
「ロンドンに帰れよ、おまえ…」
それだけ言うと、侑希音は一人でビールを飲んで盛り上がるマックスウェルに背を向けた。そこに、ペットボトル入り飲料を何本か抱えた璃音が走ってくる。
「ほらほら、お店の人がくれたの。侑希ねぇにもあげるー」
一連の騒ぎを鎮圧した礼ということで、近くの店が色々とお裾分けしてくれたのである。侑希音は璃音を抱きしめて頭を撫でた。
「でかした! さすが我が妹」
すると璃音は、気持ち良さそうに侑希音の胸に頬を寄せた。
(美しい光景だ…)
呆然と見つめるマックスウェル。その視線に気付いた蛍太郎が憤然とした表情で璃音と侑希音に近づき、二人の手を引いて離れていく。残念そうに肩を落としたマックスウェルを無視して、蛍太郎はキャンプ地たるビーチパラソルのところへ戻った。すると、そこではよく知っているが一緒に来た覚えの無い人間と見慣れない物体とが、なぜか優雅にくつろいでいた。
「何してるの?」
璃音が目を丸くして訊くと、そいつはさも当然という風に答えた。
「何って、海水浴さ。夏の海と太陽を楽しんでいるのさ」
「そうじゃなくって…」
「場所か? いいじゃないか。私とお前らの仲だろ」
蔵太亜沙美は黄金の瞳を悪戯っぽく輝かせて、璃音たちを見上げた。白い肌を赤と黒のビキニにつつんだその姿はとにかく目立つし、艶やかだ。目を奪われかけた蛍太郎だったが、璃音の視線に気付いて居住まいを正す。
それはそれとして、もうひとつ、気になるのは見慣れない物体の方だ。
全高は五十センチほどで、ブリキの円筒に簡素な手足を生やし、ロボットのような頭を乗せている。その頭は、いつぞやマックスウェルについていたロボヘッドの物だった。
「やあ皆さん、お久しぶりデス」
ロボヘッドは璃音たちに気安く手を挙げて挨拶した。寸詰まり体型と相まって、なかなか愛嬌のある姿である。特に璃音の心の琴線には大いに触れ、膝をついて犬に対するようにロボヘッドを撫でまわした。
「可愛いー」
「い、いやぁ…その…」
ロボヘッドは一丁前に照れていた。
蛍太郎と侑希音は揃って嫉妬の眼差しをロボヘッドに向け、自然とターゲットは亜沙美に移る。
「ところで。ここには私の連れが居たはずだが?」
侑希音が眉を吊り上げると、亜沙美はキョトンと目を丸くした。
「私が来た時は誰もいなかったぞ」
事情を察した蛍太郎が呟く。
「…上手いこと消えたな」
それにしても、なぜ亜沙美がここをキャンプ地だと知ることができたのか。その答えは、すぐ隣にあった。悠が、綺子が持ってきたチェアで休んでいたのである。蛍太郎の視線に気付いた悠はズレていたメガネを直して苦笑した。
「つまり、いない人たちのことは気にしないでイイってことです」
「そうだね」
蛍太郎も苦笑いで頷く。
そんな風にすっかり落ち着いてしまって先程の喧騒も忘れかけていたが、近づいてきたサイレンに水を差された格好になる。見ると、酉野紫を連行しに来たパトカーがニ台と護送車が一台、防波堤に止まったところだった。すぐに先頭のパトカーから、廿六木大志警部補が飛び出してくる。
「市警の廿六木だ!」
名乗りはしたものの、標的は誰の目にも判るように浜に積みあがっていたので、廿六木は周囲の反応を待たず部下に指示を飛ばした。
「検挙ーッ!!」
するとパトカーから飛び出した警官たちが一斉に酉野紫五段重ねへと殺到し、思い思いのフォームで警棒を振るい憂さ晴らしのように殴打、ボロ雑巾と化したタイツ男たちを順繰りに護送車に放り込んでいく。
「ご協力、感謝します!」
全ての工程を終えると警官隊は迅速にパトカーに戻り、最後に廿六木が海水浴客に向けて敬礼一つ。そして彼もいそいそとクルマに乗り込んだ。パトライトを点灯し、いざ出発と言うその時、大きく大地が揺れた。見ると、黒い身体にオレンジを中心とした鎧をまとった巨人がパトカーの前に立ちふさがっていた。
「重機合体、グレートビルドブレイカー!」
巨人がクーインの声で叫ぶ。グレートというだけあって、先程のビルドブレイカーの三倍近い身長だ。右腕のショベルは前の形態を受け継ぎ、左腕にはミキサー車のタンクが棍棒のように接続され、両肩からクレーンが生えている。さらに、膝にはフォークリフトのフォークが生え、ふくらはぎはダンプカー、右足はロードローラーで、左足はブルドーザーで構成されていた。まさに建設重機の総動員である。
グレートビルドブレイカーの頭部に設けられたコックピットハッチを開け、そこから身を乗り出したサーバントクーインは高らかに叫ぶ。
「ははは! 覚えてろと言うたではないかッ! 私がただ吹っ飛ばされたと思うか? あれは、まさに勝利への脱出。山向こうの工事現場へ行き、ビルドブレイカーをパワーアップさせるための逃走経路だったのだッ!」
どこぞの悪の救世主のようなことを口走るクーイン。確かにあのマンガの影響力は凄まじいが、これはちょっと芸が無いのではないだろうか…と、蛍太郎は思ったが敢えて口には出さないでおく。そのかわり、クーインを吹き飛ばした張本人である侑希音が口を開いた。
「だからって、出て来るのが早すぎやしないか? 『覚えてろ』と言って爆発したあとは、大抵は次回以降の登場になるもんだぞ」
だがクーインは、キッパリと言い切った。
「そんな大人の都合、モラトリアムという名の宙ぶらりん状態で永遠にヤングアダルトな私には通用しない!」
その言葉に、侑希音は思い切り舌打ちをした。
「ちっ…身体はオトナ、心は子供ってか。複雑なお年頃だな」
璃音がしたり顔で頷く。
「背伸びしたい時期なんだよ」
侑希音は、肩と膝から一気に力が抜けるのを感じた。
「おまえがいうなよ、璃音。そりゃ、大人の階段を一足飛びで上がっちまったのは確かけどさ」
「ふふ。既婚者だからー」
璃音が満面の笑みで蛍太郎に擦り寄ると、蛍太郎の方も照れ笑いを浮かべる。侑希音は呆れ果てたとばかりに肩をすくめた。
「へーへー。ごちそーさん」
そして、悠と亜沙美は口笛で二人を囃したて始める。完全に忘れられたクーインは憤然と叫んだ。
「えーい、私を無視するな!」
その怒りに感応してグレートビルドブレイカーの全身から怪しげな光が放出される。
「私を蔑ろにした報い、その身に受けるがよい!」
クーインがコックピットに潜り込むと同時に、グレートビルドブレイカーの目が輝く。肩のクレーンからワイヤーが伸び、パトカー二台と護送車を絡め取った。
「ぎょえー! なんだなんだ!」
パトカーの中で廿六木が悲鳴を上げると、警官たちもパニック状態に陥った。
クーインが叫ぶ。
「緊急武装、グレートビルドブレイカー・スクランブルモードッ!」
その掛け声と共に、パトカーはそれぞれグレートビルドブレイカー両肩の上に合体し、護送車は胸部に頭を出す形で取り込まれた。
「ライトアンドサウンドギミック、オンッ!」
パトカーの機能は生きているから、二台分のサイレンがけたたましく鳴り、回転灯が光る。だが…。
「…そのギミックに、意味はあるのか?」
侑希音の反応は極めて冷静で、額を押さえて呻く。だが蛍太郎は真剣な眼差しで息を呑んでいた。
「凄い…。やっぱ玩具的には、そういうギミックがあると嬉しいよな…」
「さすが天才科学者…判らないことを言う…」
顔を引きつらせた侑希音を上からビシッと指差すグレートビルドブレイカー。クーインが言い放つ。
「フッ…天才は天才を知るという。貴様などに、このスクランブルモードの価値は判らん!」
バカにされた気がして、侑希音は声を荒げた。
「判ったからって、なんだ、そんなもんッ!」
そんな侑希音を璃音がなだめる。
「落ち着きなよ、侑希ねぇ…。あんなのに真面目に付き合っちゃダメだよ」
璃音の指摘を受け、侑希音は我に返り頭を押さえて力なく呟いた。
「そうだ…そうだよな、うん…付き合っちゃダメだ…」
すっかり弱り果てた様相をみせる侑希音の姿に、クーインは満足げに笑う。
「ふふふ。この『グレートビルドブレイカー・スクランブルモードッ!』の圧倒的な雄姿に、既に戦意を喪失したか。無理も無い。
…だが気にするな藤宮侑希音よ。これはお前の恥ではない。私の力がブッチギリで凄まじすぎるだけのことよ…ふは、ふはっ、ふはははははははーッ!」
非常に気に障るクーインの高笑いが辺りに響く。今度はフルネームの名指しでバカにされた侑希音は、額に青筋を幾つも浮かべて怒鳴り散らした。
「ああもう、黙れ黙れ! 見てろよ、今から潰してやるからな!」
怒りを込めた一歩を砂浜に重く落とした侑希音が再び呪文を唱えようと口を開いた瞬間、マックスウェルのボンレスハムのような腕が、それを制した。
「熱くなるなよ。魔力のめぐりが悪くなるぜ」
顔だけを侑希音の方に向けたマックスウェルの、矯正歯科の威力か異様に並びの良い歯が白く輝く。
「ここはオレに任せな」
そして、不敵な笑みを浮かべウインクをひとつ。マックスウェルは巨大な敵へと駆けだした。
「よし、イイところ見せるぜぇ!
ミンゼ・ヒナゼ・セスゼ・イトモゼ・ソネハゼ・テサ・イネス! 科人に雷を! 愚者に炎を! 滅びの鉄鎚よ、来たれ! シルバァーッ、ハンマァァァァ―ッ!!」
眩い光のから銀色の鎚が現れ、そしていつの間にそこにいたのか、ローブの魔術師二人がメガクラス・シェル転送術式を起動した。
「状況確認、コードB。緊急排除コマンド、承認要請。…って、こんなことでシェル呼んで大丈夫なのかな」
背の高い方、サリーが呟く。もう一人、レイジーが呆れ顔で首を振った。
「普通に考えてダメでしょ。絶対蹴られるって。ほら、レスが来るよ。さん、にー、いち…コマンド受信」
一瞬の沈黙のあと、レイジーは呻く。
「うそ…承認降りました。え、えーと、座標送信します」
「マジかぁ!? こんなの、完全に私闘じゃないの。そんなの承認しても良いワケ?」
サリーは大きい身体を目一杯使って驚きを表現した。レイジーは少し考えて、ゆっくりと口を開く。
「そういえば…この間のイスマエル取り逃しの件で審議会が開かれて、条件の緩和がなされたとか、なされなかったとか。…あ。ゲート開いてるよ」
「おおっと! ゲートオープン。"マックス・マックスウェル"転送します。…これ、誰が責任取るんだろ」
「おおおおお、いくぜぇッ!」
気合満点にマックスウェルが跳んで光の中に消えると、ハンマーを携えた巨人が砂浜に降り立った。
「マックス・マックスウェル、戦闘開始ッ!」
黄金の巨人の後姿を見送りながら、侑希音は何かを堪えるように口を押さえ、呻いていた。
「うえぇ…。アイツ、ウインクしてたぞ。似合わねぇ」
侑希音の声を打ち消すように、マックスウェルの雄叫びと巨人の咆哮が響く。
「うおおおっ、マックスキィーック!」
マックス・マックスウェルの蹴りをステップでかわしたグレートビルドブレイカーは、浜から離れた浅瀬へと着地した。ふくらはぎの中程までが海水に浸かる。
「ふん。合体ロボめ、これで足元がスッキリしたろ」
マックスウェルは不敵に笑い、自らのシェルを海へと進めた。クーインは驚きをもって、眼前のメガクラスシェルを睨む。
「ほう。周りの人間に気を遣うとは、ロンドンの魔術師は意外と常識的な思考をするのだな。…ならば、これを見よ!」
クーインの声と共に、グレードビルドブレイカーの両肩のサイレンがけたたましく鳴り始めた。
「忘れてはおるまい。このパトカー、そして護送車の中に警察官が残っていることをな! 海水浴客の身を案じるような者が、これでも私を攻撃できるのかな?」
クーインの恐るべき企みに、パトカーの中の廿六木たちは一斉に悲鳴を上げた。だが、マックスウェルは平然と言い放った。
「ふん、アホめ。このオレにそんな策など通用しない。何故なら、異国のポリ公がどうなろうと知ったこっちゃないからだ!」
「なんだと!」
「ポリ公と水着のねーちゃん、どちらに価値があると思う? 言うまでもねぇだろうが!」
「な…なるほど…」
クーインは思わず息を呑んだ。マックスウェルの物言いは理屈としては大間違いだが、説得力はある。現に、野次馬の殆どが深く頷いており、それで旗色が悪くなった警官たちの悲鳴がさらに大きくなる。廿六木は車内のマイクを取り半狂乱で叫んだ。
「たっ、助けてくれ! 水着の婦人警官紹介するからッ!」
だがマックスウェルの返答は実につれない。
「黙れ! ポリ公が信用できるかッ。だいたい何なんだ水着婦人警官ってのは。ワケわかんねーぞ腐れウジ虫が!!」
助けを求めた相手に口汚く罵られ、歯軋りする廿六木。
「く、くそっ…おい、この中に女は居ないのかッ。居たら脱げッ、今ッ、すぐッ、ここでッ!?」
だが、警官たちは一斉に沈黙しただけだった。
「もはや、これまでか…。こんなとき、ミニスカポリスがいてくれれば…ッ」
完全に絶望に沈む廿六木、そして警官たち。それをさらなる奈落に突き落とすように、クーインが薄笑いを浮かべる。
「ふふ…本当にいいんだな。ショルダータックルしちゃうぞ。しちゃうもんねーッ!」
マックス・マックスウェルはハンマーを高く構えて煽る。
「おお、ドンと来いや! ハンマーで打ち返してやるぜッ!」
グレートビルドブレイカーがスタートを切ろうと身を低くすると、
「やめて!」
璃音の声が響いた。次の瞬間、ピンク色の大きなウサギに似た姿の璃音のアヴァターラ、フラッフがマックス・マックスウェルに体当たりをかました。一本足打法よろしく片足を上げていたマックス・マックスウェルは大きくよろめき、ハンマーを放り出してしまった。
「あ…あれ?」
突然のことに呆気にとられるマックスウェル。ハンマーはそのまま沖へと飛んでいき、水柱を上げて海中へと没した。動力源と制御装置を失ったマックス・マックスウェルは文字通り糸が切れた人形となり、その場に崩れ落ちた。
その顛末を黙ってみていたクーインは、入れ替わりに現れたフラッフ、藤宮璃音に嘲るような視線を向けた。
「おやおや。今度はお前か、お嬢様。ならば尚のこと、私を攻撃することはできまい」
グレートビルドブレイカーはズイっと肩を突き出してフラッフに見せ付ける
先程と違い助けてくれそうな相手が出て来たので、警官たちは懸命に悲鳴を上げ始めた。それを聞いて、フラッフの中から出てきた璃音が頭の上に現れるが、慌てた様子は微塵もなく、いつも通りの口調で言った。
「攻撃なんかしないよ。…直すだけ」
その言葉と共に、フラッフの身体から暖かい色の光が漏れ始めた。クーインは相手の意図を悟り、叫ぶ。
「おい、おかしなことをすると…」
それを遮って、璃音は声を張り上げた。
「あのねー、お巡りさんたち。…クルマのドアを開けて、海に飛び込めばいいんじゃないかなー!」
一瞬の沈黙。警官の一人が試しにドアレバーを引っ張ると、なんでもないようにパトカーのドアが開いた。
「な、なんとーっ! そんな、なんて盲点ッ!」
クーインが頭を掻き毟って叫ぶ。
二台のパトカーはシャシーの底でグレートビルドブレイカーの肩に合体しており、他の部分は全くそのままだったのである。そして護送車も運転席がまるまる露出しているので問題なくドアが開く。人質がよく見えるようにという配慮が完全に裏目に出た形だ。
警官たちは次々とドアを開け、歓声を上げながら海に飛び込んでいく。
これで、人が乗ったままのクルマが海に沈むという厄介な状況を回避できて、璃音は内心安堵した。あとはクーインの巨大ロボにヴェルヴェットフラッフを使うだけだ。フラッフの放つ光が次第に強くなり、頂点に向かう。すると、その時。
「よっしゃあッ!」
浜の方から、女の声がした。
「待たせたな! 私の出番だッ!」
見ると、蔵太亜沙美が腕組みをして璃音とグレートビルドブレイカーを見据えていた。
「…誰も待ってないよー」
璃音が呟くが、亜沙美はお構い無し。拳を振り上げて踊りださんばかりの勢いだ。
「よーし、ひと月かけて最終調整と追加兵装を施した"ドゥーカ"の力を見せてやるぞー!」
問答無用な雰囲気である。
フラッフは全てを諦め、ノロノロと浜に戻る。元の姿に戻ると、璃音は呆れた顔で亜沙美に歩み寄った。
「それ、使ってみたいんだね…」
亜沙美は右の掌をヒラヒラと見せながら、璃音を出迎える。
「と、いうかムシロ、このロボ戦祭りに参加したいって感じ?」
満面の笑みの亜沙美の手を、璃音は掌で叩く。プロレスで言うところのいわゆる"タッチ"の動作である。無理矢理に舞台から引っ張り下ろした璃音に代わり、亜沙美が前に進み出た。そして、傍らに控えていたロボヘッドに目配せし、呪文を唱える。
「カヴカリカ・カラヴィカ・カノマ・カレノン・カレカステ・ネイ! 来たれ白刃、血風戦ぐ(そよぐ)剣戟の宴を、いざ!」
続いて『交響詩・ツラトゥストラはかく語りき』の厳かな調べが響き渡る。璃音は身を屈めコッソリとロボヘッドに近づいて訊いた。
「ねえねえ、どうしてこの曲なの?」
ロボヘッドは声を潜めて答える。
「なんでも、昔"協会一汚い女"って呼ばれていたかららしいよ」
「ふーん…」
二人の会話は亜沙美の鋭い声に遮られた。
「おい、いくぞ。無駄話はそれまでだ」
主旋律と対旋律が絡み合うようにテンションを上げていく楽曲にあわせ、亜沙美の頭上に現れた光は次第に強く眩しく、大きく膨れあがる。そして亜沙美とロボヘッドを飲みこむと宙に舞い上がり、そこで弾けた。輝く粒子が降り注ぐ中、白銀とピジョンブラッドで彩られた全高二十メートルの巨人が陽光に浮かび出た。
象徴機械アームズオペラの最終形態、ユニット・ドゥーカだ。
巨人の頭部に位置するコックピットは、真っ暗な空間に無骨な椅子が一脚だけという簡素なつくりである。その椅子にどっかりと腰を下ろした亜沙美は、力強く宣言した。
「アームズオペラ・ドゥーカ、起動!」
「了解」
制御装置に組み込まれたロボヘッドが応え、そして炉に火が廻る。魔力が機体に通い、白銀の装甲が輝きを増していく。巨人の眼差しがグレートビルドブレイカーを捉え、戦うために作られた機械の本能なのか、それに合わせたかのように動力炉が唸りを上げた。
快調なエンジン音に満足げに微笑むと、亜沙美は舌なめずりした。
「よーし、まずは小手調べだ」
一呼吸おき、叫ぶ。
「バァルカンッ!」
だが、何も起こらない。それどころか、コックピットに赤い警告灯が点った。ロボヘッドの嗜めるような声が響く。
「ダメデスよマスター。それ、ゼネラル・エレクトリック社の製品ですから」
「なぬぅ!」
思いがけない返答に亜沙美は呆気にとられてしまった。ロボヘッドは、機関砲をバルカンと呼ぶのはヘッドフォンステレオをウォークマンと総称するのと同じだと言いたいらしい。そういえば、日本の国民的ロボットアニメでも十年ほど前から"バルカン"という単語が使われなくなっていったことに、亜沙美は思い至った。
「…じゃあ、ファランクス!」
「それはレイセオン・システムズ社…」
二度目のダメ出しに、亜沙美はキレた。
「ぬわぁ、うるさいぞお前! いちいち主人に逆らってんじゃァねぇ! 別にバレなきゃいいじゃねぇか、そんなんよぉ! 天下の何とか社が私みたいなの相手に訴訟起こすわけないっての!」
怒鳴ってはみたもののロボヘッドの反応は無い。この調子では、神話や歴史用語にヒントを得た偶然の一致だと主張しても絶対に認められないだろう。抵抗は無駄だと悟り、亜沙美は渋々口を開いた。
「えーい、二十ミリ機銃ー」
それでようやく、ドゥーカは襟に内蔵された機銃を発射した。毎分六千発という常軌を逸した数の鉛玉が暴風の如く吐き出され、グレートビルドブレイカーを襲う。この、軍用車さえ数秒で残骸に変える火器は、特に対魔術師・対アヴァターラ用の武装として搭載されており、運用理念は、言ってしまえば空手の達人を遠くから狙撃して勝ったと称するようなものである。
グレートビルドブレイカーは二本の足を使って機銃の射線から逃れる。だが、ふくらはぎまで海水につかっている状況では動きに限界がある。遂に弾丸に捉えられたかと見えたその時、
「スクランブル・オフ!」
グレートビルドブレイカーは、今やデッドウェイトでしかない護送車と両肩のパトカーをパージし、盾代わりにした。弾け跳んだパトカーの欠片が海に降り注ぐ中、クーインは乗機に距離をとらせ、相変わらずの不敵な笑みを浮かべた。
「ふっふっふっ。このグレート合体の真なる力を見せるときが来たようだ。…おい、そろそろ目を覚ましてくれないか?」
3−
何度目かの大きな揺れで目を覚ましたボルタは、自分が白い部屋に居ることに気付いた。四人の仲間たちも同様に、床に転がっている。あまり照明が強くないのでよく判らないが、入り口や窓の類はなく、壁から天井がドーム状に繋がっているようだ。
つまり、明らかに護送車の中ではない。
状況が判らないボルタが首をかしげていると、不意にクーインの声が響いた。
「おい、そろそろ目を覚ましてくれないか?」
そして照明が強くなる。壁や床の眩しいまでの照り返しで、バーナーたちも次々と起きだした。
「…ボス?」
バーナーが頭を抑えながら立ち上がると、さらにクーインの声が聞こえた。
「そのとおりだ。諸君を助けに来たのだよ。時間が無いから、さっさと状況を説明しよう。
君たちが居るのは、私が作り出した巨大ロボ、グレートビルドブレイカーの胸部に位置するサブコックピットだ。そして…」
目の前に、映像が浮かび上がる。
「我々は、蔵太亜沙美の巨大ロボと交戦中だ」
二体の巨大ロボが対峙する画に、男の子五人のハートが高鳴る。誰ともなく、
「スゲェ!」
と、叫んだ。
「そういうワケだから、手伝ってもらうぞ」
クーインが言うと、床から棒のような物が五本、生えてきた。その先端には掌を乗せるのに丁度いい大きさの透明な球体がある。
「一人づつ、その球に触れるんだ」
バーナーとクイックゼファーは顔を見合わせ、目を丸くした。
「見たことがあるというか、懐かしいというか…」
「拙者、昔見たスーパーレンジャーシリーズを思い出したでござる」
マンビーフは、大抵の男の子は一度は見たことがあるテレビ特撮シリーズの名を挙げた。それで、ボルタはしたりと手を叩いた。
「おお、それそれ。ロボのコックビットで、そんな感じで五人並んだよな」
「だねー。あれでーどーやってー操縦してんだっつーのってー感じだよねー」
アクアダッシャーが続く。どうやら彼は何かとイチャモンをつけずにはいられない性分の子供だったらしい。それに対し、クーインは極めてシリアスな口調で言った。
「…それをやれと言ってるんだがな、私は。…予め言っておくが、誰が真ん中かでモメるんじゃあないぞ」
これ以上時間をとると命の危険すら感じさせるボスの言葉に、酉野紫たちは静粛かつ速やかに配置につき、球体に掌を乗せた。すると、それぞれの手が、いやタイツがぴったりと球体に張り付き弱い電流が身体に伝わってくる。
「うむ、来たっ」
クーインが叫ぶ。
「これがグレート合体の真の力。酉野紫のタイツを接続し、その力を増幅して使うことができるのだ! 無論、出力はタイツの使い手に左右される。者共、気合を入れろッ!」
「おおーっ!」
何となくその気になった酉野紫が声をそろえると、グレートビルドブレイカーは黄金色の輝きを放ち始めた。
「いくぞ!」
クーインが威勢良くレバーを引くと、グレートビルドブレイカーの拳から青白い炎が噴き出し、壁を作った。
「高温の火炎で弾丸を溶かす!」
機銃の弾は炎に突っ込み、高熱で溶ける。だが、勢いは変わらずにそのままグレートビルドブレイカーの装甲に着弾した。弾の形が変わっていたため貫通はしないが、表面に大きなヘコミと穴が次々と出来る。なまじ弾頭の先が丸くなったお蔭で余計ダメージが酷くなったように感じられなくもない。
「なぁにぃ! では、電磁バリアーも併用で…」
次にボルタの電撃能力を使い、磁気フィールドで弾丸のスピードを弱める策に出た。だが、さしたる効果は上がらず、どんどん装甲の形が変わっていく。
「うぬぬぬ…」
歯軋りするクーイン。亜沙美は呆れた口調で言った。
「なるほど。タイツ男たちの能力も使えるんだな。
…でもね。こっちの弾は音速に近い初速で飛んでるんだから溶けきる前にそっちに到達しちゃうし、そんなフィールドで止められるほどチンケな運動エネルギーなわけ無いだろ。あのタイツ男の能力なら拳銃程度は止められるだろうけど、それをスケールアップしただけで現用兵器に太刀打ちできると思ったら大間違いだ。…アニメの見すぎだよ、青少年」
「ムキーッ! じゃあ、こうすりゃいいんだろ!」
頭をかきむしりながら叫ぶクーイン。それに合わせて、グレートビルドブレイカーの装甲が変形し鎧武者の姿になる。
「フォームチェンジ、武者ビルドブレイカー!」
マンビーフの力だ。同時に、増幅されたエクスペンシブオーラが周囲に放たれた。だが亜沙美は全く動じない。
「フン。二十ミリ弾頭を湯水の如く撒き散らすこの私に、そんな精神攻撃など通用するものか!」
だが、浜の見物人はそうはいかなかった。あまりの高級感に、多くの人々が思い思いの発作を起こし、倒れ伏していく。
「大変…。浪費家の亜沙美さんはともかく、皆が…」
青ざめる璃音。自身はオーラの影響を受けないが、周囲の状況は看過できるようなものではない。悠も自分の肩を抱くようにして背を丸め、眉をひそめている。
「例えるならアレね…。テレビで、最高級神戸牛を目の前の鉄板で焼いたのを、コダワリのフランス産岩塩かおろしたて天然ワサビで食ってるところを延々と見せ付けられてる感じを、もっと強烈にしたような…」
蛍太郎も脂汗を浮かべながら呻く。
「よく判らないけど、凄い高級感だ…。ここに中村君が居たら、即座にショック死していただろうな」
それを聞いた璃音は一気に血の気が引いた。思わず叫ぶ。
「そうだよ、どうしよう! 中村さん今頃、斐美お姉ちゃんの上で腹上死してるかもっ!」
「怖いこと言うなよ。それから、大声でそういうことをだね…」
蛍太郎が顔を赤くして小声で璃音をたしなめる。悠はというと、何やらしきりに頷いていた。
「そっか…。でも、ある意味幸せだよな…極上の肉をダブルで味わいながら死ぬんだから。ヤツの死に様としては、これ以上のものは考えられないかも…」
黙って聞いていた侑希音が我慢できなくなって悠の背中を叩く。勿論、彼女も影響を受けていない。
「こら、人の妹をエロい言い方すんな」
弱っているというのにシバかれて不満の色を露わにする悠だったが、侑希音はお構い無しに洋上の戦況を注視した。
「アイツめ、さっさと終わらせてくれればいいんだが…」
そこでは、鎧具足姿に変じたビルドブレイカーが機銃の弾幕に耐えていた。
「はっはー! 単純に装甲を厚くすれば良かったのだ!」
クーインの高笑い。だが、みるみるうちに鎧がボロボロになっていくのに気付き、慌てて次の手を打つ。
「アクア武者ビルドブレイカー!」
水中に浸かっている両足がスキー板状に変形し、
「そして、高速移動ッ!」
背中からのロケット噴射で滑るように水上を走りだした。
「ちっ、めんどくさい…」
亜沙美は舌打ちした。アクア武者ビルドブレイカーが肉眼では捉えきれない程のスピード走るので機銃で捕らえるのが難しくなったからだ。撃ちまくっていればそのうち当たるだろうが、鎧のお蔭でそれなりに持ちこたえそうな気配である。それでは効率がよろしくない。
「おい、武装を換えるぞ」
「了解!」
ドゥーカは機銃を収納し、代わりに腰に佩いていた大剣を抜き放った。
(ヤツのことだ。機銃掃射が終わったと見るや、嬉々として接近戦を挑んでくるだろうからな)
亜沙美の推測どおり、アクア武者ビルドブレイカーは真っ直ぐにAO・ドゥーカに突っ込んできた。そして、刀を抜き跳びあがる。
「ちぇすとー!」
真っ向から刀を打ち下ろしにかかるクーインを、亜沙美は一喝した。
「私に剣で挑もうなんざ、百年早いんだよ!」
大剣の刀身が光をまとう。刃自体が発光しているのではなく周囲の大気を光に変換することで輝いているように見えるのだが、その様は、この剣の名を見事に体現していた。
光の剣、クラウ・ソナス。
無敵の刃が、躍りかかる異形の巨人に向けて振り上げられた。
―キンッ!
鋭い金属音が響き、そして一瞬の沈黙。
交差した二体の巨人だったが、うち一体が胴を横薙ぎにされて空中分解し、爆発する。炎が渦巻く中で白銀と真紅に彩られた巨人は微動だにせず、胸部装甲の隙間から巨人の手がすっぽり納まるサイズの紙束を取り出し、何の意味があるのかそれで刃を拭いて、サッと上に放る。白い紙がヒラヒラと舞い落ち、その下でAO・ドゥーカは堂々たる所作で剣を収めた。
「むん、勝利!」
コックピットの亜沙美はカラカラと笑う。対してサーバントクーインと酉野紫は魔王カノンデウスに六人でしがみ付き、
「覚えておれー!」
と、フラフラと力なく空の彼方へと消えていった。それを見送りながら、亜沙美はしみじみと考えた。
(やっぱパチモノはダメだ。ちゃんと"バルカン"を買おう。…裏ルートで)
こうして、見事な勝利を飾り意気揚々と引き揚げた亜沙美を待っていたのは、一同の冷たい視線だった。
真っ先に口を開いたのは侑希音だった。
「…危ないから、弾と空薬莢拾えよな」
「えー。働いたの私じゃん」
勿論、口を尖らせて難色を示す亜沙美。だが、侑希音はピシャリと斬って捨てた。
「自分から勝手に首突っ込んできたんじゃないか。ハッキリ言って、悪戯に結論を先延ばしにしただけだったぞ」
「酉野紫は取り逃すし…」
そう言ったのは廿六木である。これには、亜沙美はこめかみに血管を浮き立たせて怒鳴る。
「なんだって! 誰が助けてやったと思ってんだ!」
すると、廿六木を筆頭に警官たちは揃って璃音を指差した。亜沙美はうって変わって勢いを失い、しどろもどろになる。
「…ま、まあ…そういう解釈も出来る状況だったかな…。今晩の討論番組で議論を呼びそうな、本当に微妙な判定だったよ」
そんな亜沙美を、侑希音は呆れたような憐れむような、複雑な表情で見つめ、首を振った。
「…お前は何を言っているんだ。それから、璃音が一言があるそうだ。聞いてやってくれ」
侑希音に促された亜沙美が視線を向けると、璃音は満面の笑みを浮かべて、実際には全然楽しくは無いのだが、とにかく笑顔を作って言った。
「亜沙美さん。あのロボットの残骸、引き揚げてくださいね。元通りにして持ち主に取りに来てもらうんですから」
口調自体はいつもと変わらなくても、有無を言わさぬ威圧感がそこにあった。
「うう…」
亜沙美はガックリと肩を落とし、海に足を向けた。だが、すぐに振り向く。
「マックスウェルのは?」
改めて海を見ると、遊泳可能区域の終わりを示すブイの向こうで、主を失ったマックス・マックスウェルが体育座りで撹座していた。
侑希音は言葉に詰まってしまった。
「あれは…下手に片付けたら持ち主が困るし…すぐに取りに来ると思うけど。…たぶん」
時刻は午後二時。
一連の後片付けに時間がかかったのと混雑を避けるのと、この二つの理由から一行が食事のために海の家に入った時間だ。
海の家の定番メニューといえば、カレーと焼きソバ、ラーメンである。どれも不味いわけではないのだが、一味多いような足りないような微妙な味付けで、手放しで美味しいとも言えない。この浜には複数の海の家があるのだが、空いているところに入ったのが仇になったらしい。
璃音は食事中には珍しく低いテンションで、テーブルの向かいに居る姉に話しかけた。目の前にあるカレーライスの減りも芳しくない。
「侑希ねぇ、ごはんを美味しくする魔術って無いの?」
侑希音もせめてもの足掻きと自分のカレーライスにソースをかけながら、困った顔をした。
「何を言い出すかと思えば。…あるわけないだろ、そんなの。私らの魔術なんて日常生活に根付いてないんだから。っていうか、ロンドンに協会があるくらいだもん。そんなこと考える人なんていないよ」
「つまんないのー。わたし、魔術師になってそういう研究しようかなぁ」
口を尖らせる璃音。その左隣では、斐美花が泥のようなソースがかかった焼きソバを美味そうに食べていた。
「うわ…」
うっかりそっちに視線を向けてしまい、璃音は慌てて顔を背ける。もう片方の隣にいる蛍太郎を見上げると、難しい顔をして何やら呟いていた。
「うむ…。食品中のアミノ酸に作用して配列を操作することが出来れば、既に完成している料理の味を変えることが出来るな…。そういう物質生成は魔術の得意分野のはずだけど…しかし…」
かように脳内議論が盛り上がってる蛍太郎に冷や水を浴びせるように、侑希音が呟く。
「そんなの、化学調味料をかけたのと一緒だ」
しばらく間をおいて、ポンと手を叩く蛍太郎。
「そうか!」
だが、璃音は呆れた口調でぼやく。
「…って、それじゃダメだよー」
そう言われて、蛍太郎は自らの間違いに思い至った。
「うん、そうだね…。結局、料理を美味くする魔術なんて無いってことか」
しょぼくれた蛍太郎の顔を見て、侑希音が吹きだす。
「ははっ。何を仰いますやら。その"魔法"は、いつも君自身が使ってるじゃないか」
「そんな。僕に魔術なんて使えるわけ無いよ」
本気で困惑する蛍太郎。侑希音ははぐらかすように言った。
「魔術じゃなくて、魔法だな。なあ、璃音」
不意に名指しされた璃音は目を丸くして硬直していたが、すぐ答えに思い至り
「そっか。そうだね」
と、頷く。続いて斐美花も頷き、一同の間に納得したような空気が流れる。蚊帳の外なのは蛍太郎と、畳の上で水着のまま転がって寝こんでいる亜沙美だけだ。
トウキは余程腹が減っているのかガツガツと焼きソバを貪り食っていたが、口をモゴモゴさせながら口を挟む。
「うん、確かに使ってますね」
「そうかい?」
蛍太郎が訊くが、トウキは構わず三皿目の焼きソバに取り掛かっていた。それに綺子も続く。
「そうだよね。まあ、私は、そのおこぼれに預かってるんだけど。いいね、義姉さんは」
すると璃音は、今度は心からの満面の笑みで頷いた。
「なんだよー」
だが、綺子も無言。
置いてきぼりにされた蛍太郎は、救いを求めるように璃音の肩をつついた。だが、返ってきた答えは実につれなかった。
「おしえなーい。だって、ここで言ったら恥ずかしいでしょ」
それからの璃音は嬉しそうに笑うばかりで、押しても引いても何も言わない。
「…なんだよ、璃音ちゃんまで」
本気で拗ね始めた蛍太郎は、隣に座っていた陽に矛先を向けた。
「…あのね墳本君、あとで話があるんだけど」
相手の顔色を覗い、陽は神妙な顔で答えた。
「はい、蛍太郎さん…じゃなくて、お義兄さん?」
「随分と気が早いな。それは、君の本気と受け取っておくよ」
蛍太郎は何度も頷きながら、たいして美味くもないカレーを口に運んだ。
…#6 is over.
モドル