#13
1−
「キシャーッ!!」
 その咆哮が夕暮れの街を揺るがす。地球の常識をダブルスコアでブッちぎるような巨大生物、全長三十メートルはあろうかという宇宙怪獣が酉野の街を破壊しているのだ。
 三十分ほど前、酉野沖に隕石が落下した。いや、正確に言えば着水したというべきか。隕石は制動をかけながら水面に降りて分解、その内部から現れたのが、この怪獣だ。
 海を泳ぎ港に上陸することで姿を露わにした怪獣は、トカゲのような容貌で全身を赤茶けた光沢のある外骨格で覆っており、四足歩行ではあるが脚が身体の下に向かって生えた恐竜に近い体形だ。鋭い鉤爪はコンクリートを容易く切り裂き、尾の一撃はビルを倒すほど。さらに、口からは瞬時にアスファルトを泡立たせる高熱のブレスを吐き出す。
 この恐ろしい宇宙怪獣に立ち向かうのは、一人の少女だ。パワーシェルに身を固めた藤宮璃音が、空中でブレスを掻い潜り急降下、シェルアームの一撃を怪獣の鼻っ柱にねじ込む。圧倒的な体重差とは不釣合いな衝撃に宇宙怪獣は耳をつんざく悲鳴とともに横転した。だが、璃音も腕を押さえて目を白黒させる。
「あ痛たたた…っ。なんて硬いの、コイツ」
 シェルアームが妙な具合に痙攣しているのを気にしつつ、璃音はゆっくり高度を上げた。すると、怪獣がやおら起き上がり、しかも後足だけで直立、前足を振り上げた。その爪が璃音を直撃。切っ先はパワーシールドで防ぐが、衝撃で弾き飛ばされてしまった。
「きゃっ!」
 そのままビルに激突かと思われたが、急に減速がかかる。そして璃音は何者かに背中を受け止められて事なきを得た。
「おまたせ。私も手伝うよ」
 璃音が聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは藤宮斐美花だった。斐美花もパワーシェルに身を包んでいて、長い髪とスカート状の衣をなびかせて璃音と同じように宙に浮かんでいる。空中で璃音を受け止めたことからも判るように飛行機能を自在に操れるようになっており、この格好もすっかり板についてきた。
 璃音は姉の顔を真っ直ぐ見つめ、頷いた。
「ありがと。じゃあ、行くよ斐美お姉ちゃん!」
「まかせといて!」
 斐美花も頷き、そして二人揃って威勢良く飛び出す。宇宙怪獣はカウンターとばかりにそこへ高熱のブレスを浴びせかけた。だが、ブレスは突如として巨大な氷の塊と化す。斐美花のアイスシールドだ。さらに、
「はああああああっ!」
 璃音のシェルアームが渾身の力を以って氷塊を打ち砕いた。降り注ぐ破片に顔を背ける宇宙怪獣。その隙に、璃音は滑り込むようにして怪獣の足元に降下すると左右のシェルアームの間にエンハンサーを放出、伸ばしてロープ状にする。それから璃音は超高速で飛びまわり、宇宙怪獣をエンハンサーロープで雁字搦めに縛り上げてしまった。宇宙怪獣は身動きが出来なくなっただけでなく、口輪までされてブレスも吐けない。
「ム、ムグー!」
 手も足も、息も出なくなった宇宙怪獣がバランスを崩してそのまま倒れ伏すと、その頭の上で璃音が得意げにVサインをした。だが斐美花は慌てて降りてきて、顔を真っ赤にして叫んだ。
「り、璃音っ! そんな大人向けな縛り方、ダメぇっ!」
 そう、宇宙怪獣は単純なグルグル巻きにされたわけではなかったのだ。
 日本独自の特殊な、各所の結び目が八角形を作り出し、しかもプロセスが進むごとに股間の食い込みがキツくなっていくという、あの緊縛法で動きを封じられていたのである。現に、宇宙怪獣は腰をモゾモゾさせて苦しんでいるように見えた。
 自分がやらかした事を改めて確認し、璃音は頭を抱えて叫んだ。
「うわああ! どうしようっ、ついっ、…じゃなくて、手が、いや、シェルアームが勝手にっ!」
 だが、すぐに平気な顔に戻る。
「…でもまあ、いいか。今さら解けないし。ってか、氷漬けになったら消えちゃうから問題ないよ。斐美お姉ちゃん、よろしくね」
「あー、はいはい。それもそだね…」
 斐美花は呆れ顔で頷くと、宇宙怪獣の頭に手を当てる。すると、怪獣の全身が氷に包まれ、入れ替わりにエンハンサーロープが消滅する。全ての運動を停止する"冬の王"の氷に包まれたためだ。その氷の中で、宇宙怪獣は仮死状態となって眠りに就いた。
「よしっ」
 璃音はエンハンサーを放出した。さらにパワーシェルの衣服部分が弾け飛んでエンハンサーと融合、形を変えて膨れていく。そして璃音はアヴァターラとしての周全相をさらに進化させた姿である、"インサニティエンプレス"へと変化した。
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
 エンプレスは自分の倍ほどはある宇宙怪獣を軽々と持ち上げ、そのまま真っ直ぐに天を昇っていく。そして成層圏を抜けると、
「いいね。もう、こっちには来るんじゃないぞ」
 と、渾身の力で宇宙怪獣を放り投げた。
 地球の反射光で表皮を覆った氷を輝かせながら、怪獣は宇宙の闇へと消えていった。それを見届けると、エンプレスはゆっくりと地表へと降りる。そして街を見下ろすほどまで来ると、暖色の光を放つ粒子となって消えた。その粒子は粉雪のように街並みへと降り注ぎ、破壊された建造物を元の姿へと修復していった。
 光に混じって璃音が道路に降り立つと、斐美花が文字通りに飛びついて手を握る。それに璃音が笑顔で応えると、辺りに残っていた人々からたくさんの拍手と歓声が贈られた。
 

 
 その日の晩。
 食後のひと時をリビングで過ごしていた璃音は、コーヒーサーバーを持ってきた蛍太郎に疑問をぶつけた。
「ねえ、けーちゃん。今日、また宇宙怪獣が出たんだよ。これで、九月に入ってから三匹目だけど…なんか、理由ってあるの?」
「うーん…。前にもああいうのがでたことはあったけど、確かに二週間で三匹は多いよね。仮説でよければ一つあるんだけど、聞きたい?」
 蛍太郎の言葉に、璃音は頷いた。
「うん」
「判った。
 僕は、この街の一帯が空間の狭間に程近いのが原因ではないかと考えているんだ。
 今まで現れた宇宙怪獣は単体で恒星間航行能力をもっていることになるけど、おそらく彼らはワームホールを近道として利用しているはずだ。
 それがなんでこの街に来るのかというと、だ。
 あの魔王の件を思い返すと、この街は、そのワームホールのような空間の穴に蓋をして、その上に建っているようなものと考えられる。だから観測手段によっては、たとえば重力波だけを検知しているとしたら、ワームホールそのものとして認識されてしまっても不思議じゃあない。
 そういう感覚器官を持った宇宙怪獣がたまたま太陽系近くにやって来て、ワームホールがあると思ってやってくる…と。そういうことなんじゃないのかな」
「迷い怪獣だったってこと?」
「そんなところだろうね」
 まずは頷いた璃音だったが、すぐに首を傾げた。
「でもさ、あの門は魔王の宇宙に通じてたじゃない。近道にはならないよ」
「そうだね。でも、あの事件が起こる前にも、宇宙怪獣が何体か来ていることを忘れちゃいけない。ワームホームに近いからこそ、"コークスクリュー"を使うことでああいう結果が得られたんじゃないかな。
 でもまあ、空間の定義は現代科学でも未だなされていないから、SF的な想像をめぐらせるしかないわけだけど…。ユウリちゃんに訊いてみるしかないかな」
 すると璃音は悪戯っぽく笑った。
「SF的に言うと、人類初のワープ航法が行なわれるのは二〇六三年だそうだから、ユウリちゃんにも判らないんじゃない?」
「映画のとおりになれば、だけどね」
 蛍太郎も笑みを浮かべてから、続けた。
「突然怪獣の数が増えたのは、門が開いた影響で感知されやすくなったってことでいいと思う。一度開いてしまうと、通りが良くなるってことだろうね。しかも、開いたのはあれで二度目みたいだし。でもたぶん、時間が経てば以前のように戻るんじゃないかな」
「そっか。壊れてるわけじゃないから、わたしには直せないもんなぁ」
 璃音は一つタメ息を吐いた。
「しばらくは、これが続くってことか。だいぶ慣れて、手際良くなってきたけど…」
「無理しないでよ。疲れてるみたいだし、今日は早く寝たら?」
 と、蛍太郎にそっと頭を撫でられ、璃音は安堵の表情で身体を預けた。
「ありがと…。なんか最近、消耗激しいみたいで。なんか優しい言葉かけられたら、いきなり眠くなってきちゃった」
「そっか」
 見ると、璃音の瞼が半分まで落ちかけていた。周全相への変身はかなりエネルギーを消耗するが、パワーシェルを使うようになってからは随分と負担が減った。今日くらいの相手なら大した疲労は無かったはずである。蛍太郎は過去を顧みたが、今までとの違いは"インサニティエンプレス"モードの実装くらいだろう。それしか考えられない。
「ねえ、あのインサニティエンプレスだけど、無理して使わなくてもいいんじゃない? そんなの使わないでも大抵は大丈夫じゃないか」
 璃音は少々元気のない声で答えた。
「うん…。なんか、期待してるほどのパワーが出ないんだよ。どうしてだか判らないけど…」
「じゃあいずれ、検証しなきゃいけないなぁ…」
 と、言ったところで蛍太郎は、自分の肩に璃音が頭を預けてうとうとしているのに気付いた。
「ごめんね。話は後にしよう…」
 蛍太郎は璃音を抱き上げると、寝室へと向かう。
「ちゃんとベッドで寝ないと風邪ひいちゃうからね」
 その言葉に、璃音はハッと目をあけた。
「ねえ、わたしだけ先に寝かすつもり?」
「つもりもなにも、今にも寝ちゃいそうじゃないか」
 突然元気になった璃音の様子に首を傾げる蛍太郎。だが、次の璃音の言葉でその意図が判って苦笑した。
「今夜は無しってこと!?」
「ぷっ…ははは。普通に考えれば、そうだろうねぇ」
 笑われた璃音は口を尖らせた。
「ひどーい。いいじゃん、ちょっとくらい」
「ちょっとでいいの?」
「あ…よくない、かも。でもさ、それで気持ちくなってリラックスして、ぐっすり眠れれば早く回復するかもよ。いいや、絶対するね」
 璃音が拳を握ってまで力説するので、蛍太郎はまた笑いだした。
「ははは。判った判った。じゃあ風呂まだだし、一緒に入ろうか。それなら、寝ちゃいそうになっても安心だろ」
「うんうん!」
 璃音は目をギラギラさせて何度も頷いた。
「それで、だけど…」
 蛍太郎は念を押すように、言った。
「やるからにはマグロは嫌だよ、僕は」
「うんっ、頑張る」
 そうして浴室に方向転換した蛍太郎の足取りは、先程よりも遥かに軽いものだった。
 
 こうして平和に夜を迎えた酉野市だったが、この街に起きた異変は、宇宙怪獣の頻出だけではなかったのである。

 酉野紫のアジトであるショッピングモールの廃墟。
 そこに、ある物体が湧き出ていた。緑色をしたガラスの欠片に似た形をしており、薄い光を放ちながら宙に漂う。無加工のままの魔力が凝縮したエウェストゥルム結晶体である。
 それが三つ、目の前に浮遊しているのを発見したバーナーは、先日これに飲みこまれた記憶のフラッシュバックに襲われ、絶叫した。
「うぎゃあああああッ、出たー!!」
 それを聞きつけ、マスタークーインが駆けつける。
「どうしたというのだッ」
「あれ、あれ…」
 バーナーの震える指先が向けられた先で、結晶体が明滅を始めていた。
「いかん!」
 クーインは近くにあったクラフトショップの残骸に駆け込み、麻の反物を手に取った。
 突然の出来事に慌てふためくだけのバーナーとは異なり、クーインはその物体の何たるかをしっかりと覚えていた。魔王復活を目論みシャイターンの魔術師を襲撃した時に藤宮侑希音の言葉をちゃんと聞いていたからだ。クーインはカンフーの布使いよろしく麻布を結晶体に向けて放つ。そして、
「バイオニックコンバイン!」
 額からのビームを結晶体と麻布の両方に当てた。あらゆる物体を結合させるクーインの超越能力により、結晶体は布に吸着され活動を止めた。
「ボ、ボス!」
 バーナーは泣きながらクーインにすがりついた。
「怖かった、怖かったよボスッ。あのアメーバのバケモノがまた出たときは、もう、どうしようかと…」
 以前、この場所に結晶体が変じた緑色の不定形な物体が現れ、クイックゼファーとバーナーを追い回すという事件があった。それは藤宮斐美花の手によって消滅させられ一件落着となったが、バーナーの心には深い傷を残したようである。
 クーインは少々厳しい口調で言った。
「アメーバではない。あれに対しては、余計な固定観念を持たないことだ。全てムダになりかねんからな」
「はあ…」
 何も判っていない顔で頷くバーナー。
 前回ここに現れた結晶体がアメーバの化け物になったのは、彼が結晶体の前でそれを思い浮かべたからである。このイメージを持ったままでは、新しく採取したばかりの結晶体もアメーバになりかねない。ただのバケモノ程度のつまらない物に変じてくれても困るのだ。クーインは険しい顔で言った。
「いいか。結晶体は付近にいる者の思考に反応するのだ。これからは余計なことを考えず、頭を空っぽにしろ。いつも通りにすれば良いだけだから、問題ないだろう?」
 するとバーナーは力強く頷いた。
「おおよ。そういうことなら得意ですぜ!」
「ああ。お前ならできる。期待しているぞ」
 クーインが爽やかな笑みでサムズアップすると、バーナーも白い歯を見せて親指を立てる。するとそのとき、耳をつんざく悲鳴がモールにこだました。
「うわああああああっ!」
「クイックゼファーだ!」
「ぶもおおおおおおおおおおっ!」
「マンビーフもだぜ! ボスっ」
「ぬう、まだ出るかッ」
 クーインは再び店に駆け込み、ありったけの布を持ち出してバーナーに投げ渡す。
「行くぞ! 取り返しが付かんことになる前にな!」
 駆け出すマスタークーイン。その後を、バーナーが大慌てで付き従った。
 それから一時間後。
 マスタークーインは吹き抜けに下げた十数枚もの麻布を眺め、肩で息をしていた。
「ふう。これで全部だな」
 クイックゼファーが足を止め、報告する。
「はい、ボス。今んところ、ありません」
「そうか。下がって良いぞ」
「はい、ボス」
 スキップしながら去っていくクイックゼファーの後姿を見送ってから、クーインは再び反物を見上げた。
「今まで、こんなことはなかったが…すると、門を開いた後遺症がまだ残っているということか。それにしても…」
 クーインは鮫のような笑みを浮かべた。
「面白いオモチャが手に入ったな。…ククク」
 
 
2−
 中途半端に暑い、気だるい昼下がり。
 えもいわれぬ倦怠感を満喫しながら、斐美花は蔵太庵の番台に座っていた。この二週間、店主である亜沙美は留守にしているか蔵に引篭もっているのかのどちらかで、一日たりとも店に顔を出したことは無い。そういうわけなので斐美花の仕事は、以下のメッセージを来店者に伝えることである。
「申しわけございませんが、店長の蔵太は所用により外出しております。戻りは未定ですので、悪しからず御了承くださいませ。御用の節は日を改めてお越しいただきますよう、よろしくお願いいたします」
 客商売をする物にあるまじき、なんとも身勝手な話である。それならば休業すれば良いものを、来客の予定はあるから店を開けておくという。恐らくはどこかで店の様子を見ているのだろうが、とんでもない話である。
 かなりの確率でトラブルに見舞われそうな伝言を伝えねばならぬとあって緊張し通しだった斐美花だが、今までに来た二組の客はいずれも引き下がってくれた。物分りが良いのか見切りをつけられたのかは判らないが、それは斐美花の責任では無いから気にしないでおく。いずれ、何事もなく日々が過ぎて気が緩んできたころに、その来訪者は現れた。
 ドアベルが鳴る。
 斐美花は立ち上がり、出入り口へ向かう。今までの経験から、客の応対は店内ではなく出入り口ですることにしている。中を歩かれてもどこに何があるのか判らないし、物を売ってくれと言われても困るからだ。
「はーい、ただいま参ります」
 ドアを開けた斐美花が見たものは、全身を白く塗り潰した、人間の形ではありながら全く起伏の無い形状をした何か、だった。
「あの、どちら様でしょうか?」
 相手は明らかに異形だったが、斐美花は眉一つ動かさずに応対する。こんな店だから、いずれこういうのが来るだろうという覚悟は出来ていたが、やはり気分が良いものではない。ソイツは、のっぺらぼうな顔に真一文字に開いた赤い口を開き、しわがれた声を発した。
「私は地底人類、ル・イヴァシュラの者だ。今日は、届け物があってまかりこしたのだが」
「申しわけありませんが、店主の蔵太は…」
「うむ。代理の者がいるから渡しておけと言われておる」
 もちろん、斐美花は何も聞かされてはいなかった。だが亜沙美のことだからくれる物は貰っておかないと後でうるさいだろうから、素直に頂いておくことにした。そういうことで、適当に口を合わせる。
「ああ、はい。承っております」
「よろしい」
 すると、ル・イヴァシュラの足元から白い手が何本も生えてくる。それに支えられて、三十センチ四方ほどの白い立方体が現れた。
「ミトヒコナ鋼。我々の世界でのみ採れる高純度のものだ。受け取るがよい」
「はあ、はい…」
 斐美花は気色悪さに顔を背けたいのを我慢しながら、無数の手が持ち上げた立方体を、文字通りに手渡しで受け取った。ミトヒコナ鋼はその名の通り金属のように冷たく堅い感触だが、重さは発泡スチロールのブロック程度。放り投げて遊ぶことも出来そうなくらいだ。それを店内の手近な棚に置くと、斐美花は丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。こちらは、責任を持って店主に届けさせていただきますので…」
 ですから、そろそろお引取り下さい、と暗に言ったつもりだったのが、ル・イヴァシュラはその場を辞す気配など無く、直立したまま動かなかった。それどころか、
「では、対価を頂こう」
 と、胸を張っているにも関わらず地の底から沸き上がるような不気味な声を発した。
「対価、ですか…」
 斐美花は言葉を詰まらせた。そもそも、この地底人との取引自体知らされていないので、どういう手筈になっているのか全く判らないのだ。店員の動きが止まったので、ル・イヴァシュラは不機嫌そうに頭全体を歪めた。
「私は蔵太亜沙美と契約した。『ミトヒコナ鋼と引き換えに、この地域の人間全てを頂く』と」
「は、はい!?」 
 斐美花は目を丸くした。どうやら彼女の雇用者は、あの物体と酉野市民を交換するつもりだったらしい。…まあ、亜沙美らしいといえばらしいやり口である。すると、この後に期待されていることは自ずと判ってくる。
(…どっちみち、こうするしかないんだけどさ)
 斐美花は腹をくくった。その沈黙をどうとったのか、ル・イヴァシュラは自慢気な口調で言った。
「知れたこと。我が眷属となすのだ。そして…」
 それが終わらぬうちに、
「先手必勝!」
 斐美花のパワーによって生成された岩ほどの大きさの氷槐が地底人の頭の上に落下、圧し潰した。
 もちろん、その程度でどうにかなる相手では無いことは判っている。
 斐美花は自分の周囲に円筒状の氷の壁を作り、その中でイデアクリスタルを起動する。直後、氷壁が光とともに四散すると、斐美花はパワーシェルの装着を完了していた。それと同時に、ル・イバシュラを潰していた氷塊が地面から生えた無数の手によって持ち上げられた。
「おのーれーぇッ!!」
 地底人の絶叫とともに、氷が砕け散る。そして、無数の腕がそれぞれ白い人型に変ずる。これがル・イヴァシュラの眷属だ。数え切れないほどの眷属たちはお互いに絡み合うようにして融合していき、さらにル・イヴァシュラ自身も融合、巨大なイカを直立させたような姿へと変貌した。
「許さんぞぉ! 人間の分際で我を愚弄するとは! その報い、自らの身で受けるがよい!」
 三階建てビルほどの大きさになった巨大ル・イヴァシュラは、店の前の道路からはみ出して向かいの空き地に触手を広げ、斐美花を見下ろす。
「くらえ!」
 振り下ろされた大木ほどのイカ脚を、斐美花は飛び上がって回避した。そのまま斐美花はル・イヴァシュラの周囲を旋回しアイスブラストを乱射する。巨大すぎる相手だけに体表にしか効果は無いが、それでもル・イヴァシュラは身を悶えさせた。
「くそッ、ちょこまかと!」
 五本のイカ脚がまとめて繰り出される。斐美花は、
「はあああああああああっ!」
 特大のアイスブラストを真っ向から叩きつけた。イカ脚はまとめて凍りつき、根元から折れて地面に落ちる。
「よし!」
 追撃に向かおうと身を乗り出した斐美花だったが、イカ脚の切断面から生えてきた無数の手に絡め取られてしまった。
「ふはは、捕まえたぞ!」
「くっ…!」
 息を詰まらせる斐美花。そうしている間にも、先端に人の手をつけた触手は次々と、斐美花の全身に張りつくようにして絡まっていく。勝ち誇った地底人の声が響いた。
「これで終わりだ、人間。我が眷属となり、我のためのみに生きるがよい」
 しかし、斐美花は生気に満ちた眼差しでイカの化け物を睨みつけた。
「こんなことじゃ、負けないよ」
 次の瞬間、全ての触手が一斉に凍りついた。さらに斐美花は"透過"の能力で氷の塊となった触手の戒めから逃れる。
「ぬうううううっ!」
 身を刺す冷気にル・イヴァシュラが悶えるたびに凍りついた触手が折れていく。斐美花は真っ直ぐに相手の胴体へと飛び、近接する。そして白くブヨブヨした表皮に掌を押し当てると、
「はあっ!」
 アイスブラストを、透過能力を使って巨大ル・イヴァシュラの体内へと直接撃ちこんだ。
「ぐおおおおおっ、こっ凍るッ!!」
 さらに何発ものアイスブラストによって内部からの凍結させられ、ついに巨大ル・イヴァシュラは動きを止めた。まさに巨大な冷凍イカとなって、そのまま倒れ、衝撃で何本かの脚や触手がくだけ落ちた。すると不意に、イカの頭部に相当する箇所、足の付け根あたりに付いた両目の間に亀裂が走る。そこから、元の大きさのル・イヴァシュラ本体が飛び出した。
「おのれ、覚えておれ!」
 ル・イヴァシュラは宙に浮かび上がり、飛び去っていく。突然のことに斐美花は動けず、見送るばかりだ。だが、
「ぐぎゃああああああッ!!」
 逃げ去ろうとしていた地底人の悲鳴が響く。見ると、ル・イヴァシュラはアームズオペラの剣によって両断されていた。
 ル・イヴァシュラの残骸はゴミのように地上に落下し、そのまま溶けて消えた。
 アームズオペラは剣を収めると、悠々と店先に着地する。そこには、蔵太亜沙美の姿があった。
「やあ。ご苦労だったね」
 象徴機械の実体化を解除しつつ、亜沙美はお気楽な調子で斐美花に声をかけてきた。
「ご苦労、じゃありません!」
 当然、斐美花は雇用主に食ってかかった。
「なんですか、あれは!」
 ビッグサイズ冷凍イカの残骸を指差しながら怒鳴る。
「なんだって、地底人だ」
 亜沙美は事も無げに言ってから、口を尖らせる。
「だって、しょうがねぇだろ。連中、人間を奴隷の材料くらいにしか思ってないから、マトモな交換条件が成り立たないんだもん」
「ほう? だから、適当に返事しといて、貰う物貰って追い返そうって考えたわけですね」
 斐美花が皮肉をタップリこめた口調で言っているにも関わらず、亜沙美は手を叩いて目を丸くした。
「そう、その通りだ。お前、私の心が読めるのか?」
「…読めるっていうか、今回はあまりに見え透いてたっていうか…」
 斐美花は諦め顔で首を振った。
「市民全部と引きかえって言われたら、ああせざるを得ないでしょう」
 すると亜沙美は屈託なく頷いた。
「うむ。お前なら、そうするだろうと思ってたぞ。我ながら、見事な人材起用だ」
「ってか、最初からそのつもりだったんですね」
「まあな」
「危険手当ください」
 だが、亜沙美は平然と言い切った。
「今ので、何か危険な要素なんかあったか?」
「普通に危険でしたが」
 これまた平然と、斐美花は言い切った。だが、亜沙美の言葉はつれなかった。
「嘘つけ。息ひとつ乱してないじゃないか」
「まあ、そうですね…」
 言われたとおりである。これでは、斐美花は引き下がらざるを得なかった。亜沙美が満足げに笑う。
「よろしい。それにしても、地底人ってのは毎回同じパターンでやられるよな。以前も同じようにして逃げようとしたところを、私が斬ってやったんだが。…ってことは、明日の朝には同じようにママが復讐に来るかもな」
「そんなの知りませんよ。貴方が蒔いたタネなんですから、今度は自分で片付けてください」
 斐美花の言葉は完全に正論である。だが亜沙美は、いかにも心外とばかりに目を剥いた。
「イヤだね。これからまた、研究室に篭るんだからさ」
 さすがに文句を言おうとした斐美花だったが、亜沙美が続けて発した言葉に遮られた。
「ああ、用が済んだから今日はもう帰って良いぞ。…そいつの後始末をしたらな」
「そいつって…」
 言うまでなく、ル・イヴァシュラの残骸である。これ全てが地底人の眷属で出来ているのだから、このまま砕いてしまうわけにはいかない。
 斐美花が呆気に取られている間に、亜沙美は店に入ってさっさとドアを閉めてしまった。
「えーと…どうしよう…」
 もちろん、斐美花は考えなしに戦ったわけではない。
 "冬の王"の氷で固められた眷属たちは極低温で瞬間凍結されたような状態で、たとえ粉々になっていても氷が解けない限り死を迎えることは無い。だが斐美花の力では冷凍保存は出来ても、これ以上のことは出来ない。斐美花が未だにパワーシェルを着たままなのは凍結状態を維持するためであるが、おかげで携帯電話は元の衣服と一緒に収納されてしまったので使えないし、パワーを放出し続けねばならないためここを離れるわけにもいかない。つまり、応援を呼ぶことが出来ない。八方塞がりである。
 途方に暮れて空を見上げた斐美花だったが、そのとき見知った人影が飛んできたのが見えた。
「斐美おねーちゃーん!」
 声の主は制服姿の璃音だった。
「璃音っ! やった、よく来たっ!」
 斐美花は歓声を上げて妹を出迎えた。着地した璃音は、心配げに斐美花の顔を見上げた。
「どうしたの? なんか、凄いのが散らばってるし…」
「どうしてここに?」
「さっき亜沙美さんから電話がかかってきたの。斐美お姉ちゃんがピンチだから、すぐに来いって」
「そっか…」
 まさに今までピンチであったことは確かだが、いずれにせよ、これで状況が打開できる。斐美花が段取りを説明する前に、璃音が口を開いた。
「じゃあ、まずバラバラになってるのを元のイカ型に直せばいいんだよね。それを斐美お姉ちゃんが解凍して、今度は元通りの人の姿に戻してあげると」
 斐美花は大きく頷き、璃音に抱きついた。
「そうそう。さっすが璃音、賢いっ。頼りになるっ」
「えへ、ありがと。それじゃ、やるよ」
 璃音は斐美花から離れ、エンハンサーを放出する。パワーシェルと神体を同時に形成し、周全相であるフラッフの姿へと変じた。それが今までのパワーシェル付きのフラッフと異なり大きな翼を持っていないことに斐美花は首を傾げた。
「形、変わった?」
「うん。取り回しが良く無いから、羽根の機能を両腕に移したの」
 よく見ると、今まで左右の翼についていた赤い球体が手の甲に移されていた。それにともない、若干下腕部が大きくなっていた。
 フラッフが、その大きな手を広げる。甲の赤い球体が輝き、背中から暖かい色に光る翼が現れた。翼は"ヴェルヴェットフェザー"の増幅と放射のためだけに存在しているので、収納式に改められていたのだ。その光が辺り一帯に降り注ぎ、凍りついたままで巨大ル・イヴァシュラの残骸を元の姿へと修復した。その間、五秒弱。
「OKだよ、斐美お姉ちゃん」
「うん」 
 次の瞬間、ル・イバシュラの残骸を覆っていた氷が砕け散る。ダラリと力なく伸びていく巨大イカに、さらにヴェルヴェットフェザーの光が浴びせられた。その結果として、ル・イヴァシュラの眷族に変えられていた人々が元の姿を取り戻すのだが…。
 そこに現れた光景に、斐美花と、フラッフの中の璃音は呆然とした。
 以前に現れたル・イヴァシュラは数日間で集めた酉野市民だけを眷属に変成させていたが、今回はもっと年季の入った地底人だったらしい。彼に眷属とされた人々は人種を問わないだけでなく、時代も問わずに存在していたのだ。一般的な服装の人々に混じり、目に付くだけでもキルトを穿いた男や十字軍の騎士、西部のガンマンや漠北の遊牧民風の男達などなど。まさに混沌とした有様である。
「えっと…」
 斐美花は呻くようにして呟いた。
「とりあえず、警察かな…」
 
 
3−
 翌日、三城大学のキャンパスは夏休み中にも関わらず上へ下への大騒ぎだった。地底人の束縛から解放された人々が総勢百三人、体育館や教室で一夜を明かし、警察の保護の下でいわば難民キャンプを張っているからだ。
 この日は朝から語学に堪能な市役所職員と警察職員、ボランティアが集められ、聞き取り調査を始めている。それぞれの素性を調べグループ分けし、故郷へと戻る手続きを取るためだ。外務省や各国大使館の職員も顔を見せ、マスコミ関係者も押し寄せるという、酉野市としてはまさに異例の注目を浴びている状況だ。
 そんな中、璃音はボランティアに加わってイタリア人と英語圏出身者の対応を手伝っていた。外国語が出来る人間というのはやはり限られているため、朝のホームルームでこちらへの出向を命じられたのである。奉仕活動は成績に加味されるうえに授業を受けなくても良いということで、選ばれた生徒たちは喜び勇んで三城大学へやってきたというわけだ。
 璃音はEU・北米の人々が収容されている体育館に派遣され、まずは十三人のイタリア人への対応にあたった。イタリア人は十一人以下なら世界最強だがそれ以上の人数となるとどうしようもないというステレオタイプで評される国民ではあるが、とりあえずは人間に戻れたことと、ここが地底世界ではなく日本だということで安堵こそすれ、大きな混乱はなかった。そのうえ言葉が通じる人間が周りにいるのだから問題はない。
 璃音は各々の氏名と家族への連絡先、さらわれた日時を聞きだした後は、今後の帰国手続きの日程と避難キャンプでのルールを説明する。すると女性は涙ながらに喜び、男性はというと揃いも揃って璃音の手を握り、
「君はまるでマリア様だ。僕と付き合ってくれないか?」
 と口走るのが慣例だった。そのたびに結婚指輪を見せられた相手は肩を落とすことになるのだが、何度も見たこの光景に、璃音は少々呆れつつも安堵した。やはりラテンの人々はタフである。
 こちらが落ち着いたところで報告を済ませると、璃音は姉の友人であるアビゲイル・グラーフハイトのところへ差し向けられた。オランダ人留学生である彼女は、三十五人という多数派のアメリカ人担当者の一人だ。
「お、璃音ちゃんやないか。どしたん?」
 璃音は小さく頭を下げてから答えた。
「あっちは大丈夫みたいなんで、こっちを手伝うようにって」
「さよか。なんちゅうか、こっちのテンションの低さったらないからな。ホント、そっちのイタリアンの元気を分けてもらいたいくらいやわ。いつもはUSAサイコーいうて威張っとるくせに、情けないわ」
 アビーは褐色の頬を膨らませた。
 見ると、中西部の白人労働者風の男たちが膝を抱えるなどして力なく座りこんでいた。お通夜のような空気に璃音は気の毒になってしまい、同情的な言葉を口にする。
「まあまあ、みんな心細いんですよ。そろそろアメリカの関係者も顔を出すはずですから、国が助けに来てくれたっていうことになれば元気百倍だと思いますよ」
「そんな単純なもんやろか…」
 璃音の言葉に首を傾げたアビーだったが、その疑念を吹き飛ばす歓声が、突如としてアメリカ人たちから上がった。
「どないしたんや!?」
「来たんじゃないですか。大使館の人とか…」
 と、歓声がするほうを見て、璃音は呆気に取られた。
 白と青に星を配したアメリカンカラーのタイツに身を包んだ大男がヘコヘコとエアギターパフォーマンスをしながら体育館に入ってきたのだ。歓声は全て、この男に向けられたものである。それに応えタイツ男がアイマスクの下で笑みを浮かべ右腕を突き上げると、アメリカ人たちは立ち上がり声を揃えて叫んだ。
「USA! USA! USA! USA! USA! USA!」
 その光景に、アビーは舌を巻いた。
「うーわ、すっごいわ。…しかし、アイツ、誰や?」
 璃音はタイツ男を凝視し記憶を掘り返す。そして、手を叩いた。
「思い出した。あの人、"キャプテンフリーダム"です。アメリカのヒーローで、"マイティーズ"っていうグループのリーダーだって、ニュースで見ましたよ」
「はあ、豪い人気なんやな」
「善きアメリカの象徴だそうですから」
 そしていつの間にか、この場はキャプテンフリーダム交流会の様相となる。
「ご安心ください。私と合衆国政府が責任を持って、皆さんをご家族の許へと送り届けます!」
 キャプテンの力強い言葉に歓声が上がった。
「USA! USA! USA! USA! USA! USA!」
 それがしばらく続いた後、質問が飛ぶ。
「ブラッディファングとの戦いには、決着がついたのかい?」
「ああ。彼は今、アルカトラズにいる」
 大きなどよめきに続き拍手が起こる。因縁の相手との戦いに終止符が打たれたということらしい。
「キャプテン! バーンナイトとは一緒じゃないの?」
「彼は…。宇宙海賊ギャラクシーテラーとの戦いで命を落とした。残念だ、素晴らしい男だったのに…」
「シーファイターは? オレ、ヤツに助けられたことがあってよ」
「残念だが…ヤツは海洋汚染の影響でダークサイドに堕ちた…」
 どうやら、このアメリカ人たちが地下世界に囚われている間に、本国では幾多のスーパーヒーローが命を落としたようである。
「お前さん、幾つになった? 今が本当に二〇〇四年なら、もう爺さんのはずだろ?」
「素顔につながる質問には答えられないが…。この私は三代目であるとだけ、言っておこう」
 キャプテンフリーダムのコスチュームはアイコン、すなわち正義と自由を愛する心の象徴だ。代替わりしても、その魂は受け継がれるのである。
 そのとき、体育館にスーツ姿の日本人が乱入してきた。廿六木刑事だ。
「キャプテン! サインくださいッ!!」
 その後頭部を、駆け込んできた京本部長刑事が殴打する。
「バカヤロウ! 仕事しろ、仕事ッ!」
 だが、京本が発したのは日本語だったのでキャプテンには目の前にいる廿六木がなぜ殴られなのか判らない。よってキャプテンは、地元でサインをねだられたときと同様の笑顔で応えた。
「サインか? あいにくペンを持っていないんだ。貸してくれないか?」
「は、はいっ! もちろんです!」
 廿六木のシステム手帳にペンが躍る。思いがけない形での日米交流がなされたようだ。
 こうして、キャプテンの登場ですっかり明るくなったアメリカ人たちに安堵した璃音の目に、窓の外の光景が飛び込んだきた。大勢のカメラや照明器具に囲まれて、スーツ姿の女が優雅に歩いている。窓の側まで行ってよく見ると、貴洛院玲子がそこにいた。
「…もちろん、当グループとしても出来うる限りのことはさせていただく所存です。帰還業務はもちろん、既に行き場を失っている方々への援助も考えております。詳細は、後ほど発表いたしますが…」
 玲子の言葉に嘘は無い。秘密結社トリスケリオンの一角を占めるにいたったとて、貴洛院グループが社会貢献に力を入れていることは事実である。現に、この三城大学や璃音が通う英春学院の創設者の一人は玲子の祖父なのだ。そして、この街を再開発し住民の半分近くに仕事を与えているのもまた、貴洛院グループなのである。
(どうちゃっちゃうんだろう、これから…)
 玲子の後姿を見送りながら、璃音は深いタメ息を吐いた。
 

 
 三城大学地下研究室。
 五月にはドクターブラーボによる占領作戦の舞台となった、表向きには存在しない秘密の研究施設である。もともと、ここは学校のスポンサーである貴洛院グループとフェデレーションの共同研究の場として作られた場所であるために両者の対立構造が出来てしまった今となっては扱いが微妙ではあるが、それでも大学の施設であることに変わりはない。そこで今は、救出された人々の中でも表には出せない部類の者を匿うために利用されている。すなわち、過去からの来訪者たちである。
 ル・イヴァシュラの眷族とされた者の中には最も古くて数百年前に捕らわれた者も存在する。それが、当時のままの姿で人間の姿に戻ったのだ。冷凍保存で現在に甦ったようなものである。
 そういった人々が八十二人、地下研究室に収容されていた。彼らの存在を表向きには出来ないと察した市警上層部の依頼でこの場所を開放した大学は、平田涼一教授や蛍太郎に対応にあたらせていた。
「いやぁ、まいったね。十字軍の頃のフランス語なんて、話せるかい?」
 平田が椅子にドッカリと座り込む。蛍太郎は肩をすくめた。
「無理です。あのカウボーイたちはまあ、どうにかなりましたけど…。それより問題は、インドの苦行者とかモンゴルの遊牧民とか、インカの少年ですよ。なんとかして言葉が通じたとしても、歴史書を作る風習が無かった時代の人だとしたら、年代特定は困難ですよ」
「…まあ、特定したところでタイムマシンがあるわけでもなし」
 苦笑する平田。
「それがそうでもなくて…」
 と、蛍太郎が口を開きかけるが、そこに見知った顔、いやアイマスクをした男が現れた。Mr.グラヴィティである。
「やあ。要請により、マイティーズのメンバーを連れてきた」
 平田が感嘆の口笛を吹く。
「おお。早いもんだな」
「キャプテンフリーダムに抱っこされて飛んできたんだよ。彼なら、地球の裏側にだってひとっ飛びだからね」
 Mr.グラヴィティは愉快そうに笑い、廊下に向かって手招きする。すると、
「…お蔭様で、生きた心地がしなかったがね。ああいうのは二度とゴメンだ」
 そんな風にぼやきながら現れたのは、スーツ姿の男だ。オールバックにサングラスで、長身だがこれといって目立つ体格ではない。それもそのはず、彼のパワーは肉体を駆使したものではないのだ。
「どうも。"チャンネル"です」
 と、その男は名乗った。口を開かずに、だがその声は蛍太郎と平田の頭の中に直接響いた。つまり、彼の特殊能力はテレパシーなのだ。さらに、高レベルのサイコメトラーとしても知られている。
「平田です。お会いできて光栄です」
「こちらこそ。貴方の名は聞き及んでおります」
 平田の求めに応じて握手を交わしたチャンネルは、それから蛍太郎に手を差し伸べる。
「蛍太郎君、いつ以来だろうね。立派になったな」
「恐縮です。では、早速ですが状況をご説明しましょう」
 チャンネルがサングラスの下で微笑む。
「君さえよければ、直接頭の中から読み取らせてもらうが?」
「いえ。Mr.グラヴィティにもお伝えしておきたいですから」
 その言葉に、チャンネルは複雑な表情で頷いた。
「なるほどね。では、頼む」
 蛍太郎は居住まいを正し、口を開いた。
「はい。昨日の昼、地底人ル・イヴァシュラが出現。本体は僕の義姉に撃退され、眷属に変えられていたは人々は、妻の超越能力で解放されました。その人々の総勢、二百二十六人。そのうち八十二人が、この地下研究室に保護されています。
 なぜ、その八十二人だけが隔離されているのかというと、はるか過去において地底人に囚われた人々だからです。
 今回のル・イバシュラは多少の例外こそあれ、およそ百年周期で眷属を補充していたようです。地上キャンプの保護された人々が囚われたのが七〇から八〇年代。それ以外の人々の出自は、どんどん時を遡っていきます。今のところ一番古いのは十字軍騎士のようですが、モンゴルの遊牧民のほうが古いかもしれませんね。文字や歴史の記録が無い時代となれば、チンギス・ハン以前ですから」
 そこまで聞いて、チャンネルは頷いた。
「なるほど。では、私は彼らと交信して情報を引き出せばよいのだな。だが、どの時代の人間か判ったところで、送り返す手段など無いだろう?」
「無いことは、ありません。そういうことが出来る人間を知ってますから。このことに関しては後でお話します。
 それより大事なのは、彼らの意思を聞くことです。この時代で生きることを望む者がいたら、その意思は尊重しなければなりませんから」
 平田は、小さく手を叩いた。
「そうか。この状況は、単純に事故からの生還であってタイムトラベルが引き起こした歪みではないからな」
「はい。その人にとっては、この時代に来たことは逆にチャンスかもしれないじゃないですか。もっとも、状況によっては送り帰すべきですが…」
「なるほど。その見極めを、私に頼みたいと」
「お願いできますか?」
 蛍太郎の言葉に、チャンネルは大きく頷いた。
「よろしい、やってみよう。案内してくれ」
 さっそく蛍太郎たちを促す。それを見て、Mr.グラヴィティは踵を返して手を振った。
「OK。では、私はこれで失礼するよ。助けが要るようなら、呼んでくれ」
 

 
 璃音が昼食のために学食へと歩いていると、そこでクラス副担任である西岡拓馬と顔をあわせた。彼は外見こそ完全に体育会系ではあるが少年時代はアメリカで過ごしたということで英語力には定評があり、それで今回の英春学院ボランティア団の引率に任命されたのである。だが、キャンパスに着いてから璃音が彼の姿を見たのは、これが初めてだった。何をしていたのか訊きだしたいところもあったが、璃音は普通に挨拶した。
「先生、お疲れ様です」
「ああ、藤宮か。お疲れさん」
 西岡は気さくな笑みを生徒に向けた。日ごろの指導が甘いわけではないが、こういった偉ぶらない態度が人気である。
「今日は大変だったな。まあ、こういうのもたまには良いと思うけど。これから昼飯か?」
「はい」
「食堂の場所は判るか?」
「ええ。何度か来たことありますから。お勧めはジャンボ唐揚げ定食です」
「ははは。オレはそんなに若くないから、大食い自慢系のメニューはそろそろ卒業だなぁ」
 西岡が苦笑すると、璃音は頬を膨らませた。
「もう。先生ってば、主人とほとんど歳違わないのに、そんなこと言わないで下さい。まだまだ若いですって」
「ああ、そだっけ?」
 小さく頭を掻く西岡。
「でもそれってさ。オレを慰めてるんじゃなくて、ダンナさんまで老けこまされてるような気がしてイヤだっただけだろ?」
「えへ。判りますか」
 璃音が小さく舌を出すと、西岡はその額を小突いた。
「判るっての。いやぁしかし、生徒の口から"主人"なんて言葉がでるとは…人生色々だな」
「良い経験でしょ」
 璃音が悪戯っぽく笑うと、西岡はニヤリと口の端を上げて、首を振った。
「いや。幸いにして藤宮は人の助けにこそなれ、問題を起こすことは無いからなぁ。この間も、警察から感謝状を貰っただろ。これじゃあ、オレにとって大した経験にはならん」
 思いがけない言葉に璃音は目を丸くした。
「うわ。褒められてるんだと思うけど、全然そんな気しませんよー」
 西岡は璃音の肩に手をおいて、笑った。
「まあ、良い意味で思い出話の種にはなるよ。今後とも、よろしくな」
 それから、西岡は親指で自分を指しながら言う。
「さぁて、オレは今までサボった分、働いてくるかなぁ。お前は無理すんなよ。そろそろ学祭とかで忙しくなるんだからよ」
「はい。ありがとうございます」 
 こうして西岡と別れると、璃音は真っ直ぐに食堂へ向う。すると、入り口でローブ姿の男に声をかけられた。
「もし、そなたは…魔術師ではありませぬか?」
 少々古風な英語で話しかけてきた男の目線は、璃音の胸元にさげられているイデアクリスタルへと向いていた。
「違います。けど、まあ…そういう知り合いは居ますが…」
 その言葉に、魔術師であろうローブの男は身を乗り出して、璃音の肩を掴んだ。
「そうか、助かる! 頼みがある。ロンドンの魔術師協会に連絡を取ってはくれぬか?」
「無理、無理です!」
「そこをなんとかっ…」
「え〜っ…」
 困り果てた璃音だったが、相手も困っているのだから無碍には出来ない。そこで、侑希音のケータイにかけてみることにした。
「もしもし、侑希ねぇ? 今どこ?」
「んあ? バレンシアだけどぉ…」
 返ってきた侑希音の声はいかにも眠たげだった。
「実はね…。こっちにロンドンの魔術師たちが…」
 人数を、ケータイをかける璃音の姿に奇異な眼差しを向けていた魔術師に訊く。
「何人?」
「四十一人です」
「四十一人、協会に連絡取れなくて困ってるんだって」
 侑希音は不満そうな声を上げた。
「はぁ? そんなん、通信術式使えば一発だろうが。そんだけ揃って出来ねぇってか。そいつら全員ヒヨッコか無能かのどっちだってのかよッ。だろうが、だろうがよ!」
「あの、わたしに怒らないでよ…」
 それから璃音は、侑希音が言っていたそのままを伝えた。すると魔術師はローブの奥で申しわけなさそうに目を伏せる。
「それが…我々の時代とは仕様が違うようで…」
「…だってさ」
「じゃあ、電話しろ電話! ガキの遣いかよ!」
 至極ご尤もなことを言う侑希音。またそれをそのまま伝えると、魔術師はバツが悪そうに俯いた。
「電話って、なんでしょうか…?」
「…ああ、そんな時代なわけですね」
 璃音は深々とタメ息を吐いて、それからここにいたる事情を簡単に説明すると、電話の向こうの侑希音は先ほどまでとは違うハッキリした声で言った。
「判った。今すぐマイヤーズ氏にこのことを伝えるよ。たぶん、大した時間をおかずにそっちに向かうと思うから、場所を教えてくれ」
 促されるとおりに三城大学にいる旨を知らせると、
「わかった。じゃあな」
 と、電話が切れる。璃音は魔術師に向き直って言った。
「もうすぐロンドンの人が来るそうだから、待っててください。じゃあ、わたしはこれで…」
 昼食をお預けにされていた璃音はそそくさとここを立ち去ろうとした。だが、魔術師がすがりついて呼び止める。
「待って、待ってくだされ! どうか同胞たちのところへ来ていただきたいのです。そして今の話を、貴方の口からしていただきたい」
 当然、璃音は眉をひそめた。時間は十二時半を回っている。さっきから腹が鳴りっぱなしなのだ。
「なんで? あなたが話せば良いじゃないですか」
「それはそうですが、その…私では有り難味が薄いというか…」
「信用されて無いんですか、あなた」
「そういうわけではないのですが…」
 魔術師は肩を落とした。
「ここに保護されてからというもの、魔術師であるという素性を明かせない我々は身元を尋ねられても煮え切らない回答しか出来ず、それですっかり不審者扱い。お蔭で、交渉役となった私への不満が募っておりまして…。それで、どうにかしようと一人で外をうかがっていましたら、あなたにお会いできたと、そういうことで…」
「はあ…大変ですね」
 璃音は頷いたが、それより食堂のメニュー展示が気になって気になって、目を離せない。
(ごはん…)
 だが、魔術師はそんなことを察する気配もなく、璃音の手を握る。
「ですから、お頼み申します!」
 璃音は、
(ごはん…)
 と、内心呟くが、こうなってしまっては仕方が無い。
「判りました…」
「おお、ありがとうございます! さ、それでは参りましょう!」
 喜び勇む魔術師の後について歩きながら、璃音は未練がましく食堂を振り返った。
(ああ、ごはん…)
 だがどうにもなりそうもないので、璃音は腹立ち紛れに言った。
「魔術師なんだから、飛んで帰ればいいじゃん…」
「面目ない…」
 そのまま少し歩くと、魔術師たちが隔離されている大教室に着いた。中に入った途端に不躾な視線が一斉に向けられたのを感じ、空腹から気が立ってきた璃音は口を尖らせた。
「…なんなのさ。女の子がそんなに珍しいの?」
 先ほどの魔術師はバツが悪そうに背を丸くした。
「面目次第もございません。我々は学究の徒ですから…女性には縁遠い生活を送っておりましたゆえ…。それも、未知の素材を求めて地下世界と交渉を行なおうというほどの気骨の持ち主が、数世代分…。まさに、選りすぐりの…」
 璃音は眉をひそめたままで呟いた。
「ああ、そう…。木石で出来たムッツリスケベなわけね」
(こりゃ、バビロンとの交流会に行かせたら卒倒しそうだな…)
 そんなことを思いながらも、とりあえずは頼まれたことをさっさとこなそうと口を開きかけた。
 すると、その時。
 窓ガラスが弾け飛び、白赤青のヒーロー三原色で彩られた全身タイツとローブをまとった男が飛び込んできた。その様に、教室内の魔術師たちが色めき立つ。
「あれは…」
「ストレンジX!」
 タイツ男は腰に手を当てて仁王立ちし、高らかに名乗りを挙げた。
「そう、そのとおり! 助けを求める声あらば、ストレンジXはいつでもどこにでも駆けつけるぞ!」
 すると、教室内が割れんばかりの歓声に包まれた。
「X! X! X! X! X! X! X! X! X! X!」
 それが収まると、ストレンジXとの握手会が始まった。
 随分と腰が曲がった魔術師がストレンジXの手を握りながら尋ねる。
「お前さん、幾つになった? 今が本当に二〇〇四年なら、もう爺さんのはずだろ?」
「私は四代目だ」
「おお〜」
 一斉に感嘆の声が漏れる。璃音は半ば呆れて肩をすくめた。
「どっかで見たぞ、この光景…」
 だが、気を取り直しドアに向かって歩き出した。
「まあ、これならわたしは用済みだな。さあ、ごはんごはんっ」
 璃音は緩んだ表情でドアにかけた。すると、そのドアが不意に勢い良く開けられ、
「きゃっ!」
 そこから飛び込んで来た人間にぶつかり、璃音は尻餅をついてしまった。
「いったぁ…」
「大丈夫かい、お嬢さん」
 息を切らしながら発せられた声の主は、見事なビール腹の持ち主だった。しかも、差し伸べる手は本当に太い。もちろん、太いのは筋肉によってではなく脂肪によってだ。それから璃音は相手を見上げ、言葉を失った。そこにいたのはアイマスクをしていたが、どう見てもマックスウェルだった。しかもコスチュームが尋常ではない。ストレンジXと同じ配色のタイツが内容物に引っ張られてパンパンに膨れ上がっており、しかも短パンで太腿が露出したデザインである。そして、足元はブーツ。さながらヒーローのサイドキックを思わせる格好をしているが、ローティーンの少年向けなデザインを無理矢理着こんでいるために違和感が凄まじい。
「あの…なに、それ…」
 へたりこんだままの璃音に、マックスウェルは無意味に白く並びの良い歯を輝かせ微笑を向けた。
「ボクはストレンジXのサイドキック、ストレンジボーイさっ!」
 ある意味では予想通りの答えだった。
「ボーイって…。ってか、ブルマみたいな短パンとか、アイマスクとか、色々微妙だから…」
 顔を引きつらせた璃音に、ストレンジボーイことマックスウェルは無闇に爽やかな口調で言った。
「何を言ってるんだい、璃…いや、お嬢さん。このコスチュームは、名誉あるXの相棒が代々受けついてきたものなんだぜっ!」
 これまた予想の範疇な発言に璃音は頭を抱え、呻いた。
「…ああ、そうなの。あと…、もう正体ばれてるからね、マックスウェルさん」
 するとストレンジボーイことマックスウェルはわざとらしく首を傾げた。
「は? 誰かな、それは。ボクはストレンジボーイだよっ」
「も、もういい…」
 璃音は力無く立ち上がった。顔はすっかり青ざめている。そして、逃げるように教室を出た。
 しばらく歩いた璃音は廊下の壁にもたれかかり、腹をさすりながらタメ息を吐いた。あんなに腹がすいていたのに、今はマックスウェルの姿が脳裏にちらついて空腹感がどこかに吹っ飛んでしまっていた。
「…どうしよう。わたしとしたことが、食欲をなくすなんて…」
 璃音は力無く呟いていた。
 
 
4−
 二百二十六人に及ぶ人々の帰還事業は一日や二日で終わるものではない。
 四十一人の魔術師は揃って協会へ戻ったためにあっさりと片がついたが、表向きの百三人だけでも人種国籍、状況が多岐にわたっているだけにそうはいかない。最短で軍用機が迎えに来たアメリカとイギリスでも六日を要し、他の国は"ボチボチ"といったところ。人道支援として国連が動かなければならないケースもあり、状況はパッとしない。不透明な先行きに、重苦しい空気が流れ始めている。
 そんな状況を生み出した地底人との立ち回りから一週間ほど経った、その日。三城大学地下研究室では蛍太郎とチャンネル、そして藤宮ユウリが膝をつき合わせていた。
「…結局、残留が認められたのは三名。彼らの身柄はフェデレーションの預かりとなる」
 チャンネルが淡々と結論を述べ、
「それ以外の者は元の時代に順次送り返すわけだが…」
 と、ユウリに視線を向ける。
「はい。ただ、タイムトラベルにはエネルギーをたくさん使いますから、送還のスケジュールはユウリに組ませていただけるとありがたいのですが」
 テレパシストでなくても、その言葉に裏は無いことは判る。
「判った。では君たちに任せよう」
 こうして話がまとまったのとタイミングを合わせるように、轟音をたてて研究室が揺れた。
 チャンネルがハッと顔を上げる。
「侵入者だ! …二人いるぞ!」
 蛍太郎とチャンネルが部屋を飛び出すと、遅れてユウリがパワーシェルを装着してD3とともに追いかける。物資搬入口の鉄道駅に出ると、トンネルの横っ腹をブチ抜いてきたのだろう、上面装甲に巨大なドリルを装備したディアマンテが通路を塞いでいた。
「やっほー蛍太郎さーん」
 ディアマンテの巨体に似合わない、内蔵AIの可愛らしい声が響く。
「お久しぶりだよー元気だったー?」
 そして、ディアマンテの搭乗ハッチが開き、そこからクルツ少佐に抱えられたドクターブラーボが現れた。
「ふはははは! 久しぶりだな蛍太郎!」
 ブラーボの機械音声による高笑いが響く。
「どうだ、恐れいったか! これぞ、ディアマンテ・インクレディブルドリルモードッ! 四本のアームを上面装甲上でトグロを巻くようにしてまとめたうえに外装を変形させ、さらにクローを先端コーンとしてドリルとなす! これにより、ディアマンテは活躍の場を選ばない万能ロボットとなったのだ! 当然、体当たりによる破壊力は絶大じゃぞッ!! 宇宙怪獣だって一発だッ! …たぶんな」
「うーむ…豪快というか大味というか…」
 チャンネルが腕を組んで唸る。その隣で、蛍太郎が叫んだ。
「アンタは、なにをやってるんですか! 来るなら来るで、もっと普通に登場してください! 地上じゃタダでさえ不安が蔓延してるっていうのに余計なことするんじゃあないッ!」
 その剣幕にブラーボとクルツは呆気に取られ、ディアマンテは、
「うわーん!」
 …泣きだした。
「ごめんなさい、ごめんなさい…。ボク、久しぶりに蛍太郎さんに会えるから、張り切っちゃって…地中から行こうって言ったの、ボクなんです。ごめんなさい…」
「あ…えーと…」
 困惑する蛍太郎。ユウリは眉をひそめて首を振った。
「あーあ、泣かせちゃいましたね。可哀想」
「いや、だって…僕はてっきりブラーボが…ってか、その…AIが泣くなんて…」
 すっかり悪者になってしまった蛍太郎は、弱りきった顔でディアマンテをなだめた。
「あの、ごめん。君を傷つけるつもりはなかったんだ。その、悪いのは君じゃなくて、ブラーボの日ごろの行いとか、イメージとか…ッ」
「なしてワシがッ!」
 不意に矛先が向けられて怒鳴るブラーボ。するとディアマンテは、
「うん。じゃあいいや」
 と、コロリと泣き止んだ。
「いいやってなんじゃ、いいやって! …つーか、変な癖つけるなよ! ただでさえ、コイツの躾には難儀してるというのに…ッ」
 喚くブラーボに、蛍太郎は冷ややかな視線を浴びせた。
「で、繰り返すようですが何しに来たんですか、アンタは?」
 するとブラーボは一転して得意げな口調で言った。
「なぁに。ワシとお前、二人の天才頭脳があればタイムマシンを作るくらい造作も無いと思うてのぅ。…どうすりゃいいかワシには見当もつかんが…とにかく、そういうワケで協力しに来たのじゃ。ありがたく思え」
 脳髄以外の器官を持たないブラーボは機械を使って思考を音声に変換しているので、気をつけないと考えていることがウッカリ漏れてしまう。今のも、その類の現象と思われる。蛍太郎は肩をすくめた。
「はあ。なんというか、ありがた迷惑ですね。タイムマシンなら間に合ってますから」
「なんじゃと!」
 驚きにブラーボの脳髄を収めたポッドの内容液が泡立つ。先ほどまで黙っていたクルツが首を振った。
「ほらね、ブラーボ様。だから『行ってもムダなんじゃないですか』とご忠告申し上げましたのに」
「だ、だが…タイムマシンだぞ! いくらなんでもそれをだなぁ…」
 今度は部下に食ってかかるブラーボ。きりが無いので、蛍太郎は、
「もちろん僕が作ったんじゃありません。彼女のです」
 と、ユウリの肩に手を置く。するとユウリは照れくさそうに微笑みながら、小さく頭を下げた。
「はじめまして、ドクターブラーボ。ユウリと申します」
「お? ああ、はじめまして。何者じゃ、お主は」
「それは言えませんが、魔術師やってるってことで…」
 するとブラーボは不機嫌そうな声で悪態をついた。
「魔術ねぇ。そういう何でもアリは好きじゃないのう。魔術だから仕方ないってか」
 だがユウリは気を悪くするどころか満面の笑みを浮かべた。
「ユウリ、科学も得意なんですよ」
 と、D3を指差す。
「ほら、この子。自分で作ったんです」
「どうも…」
 そう言って照れくさそうに頭を掻くD3の姿に、ブラーボは感嘆の声を上げた。
「ほう…こりゃ…」
 なにせD3は中型犬ほどのサイズにも関わらず外観から判る推進装置なしで宙に浮いているのだ。半重力による推進装置だとしたら、同様の物でブラーボが作りあげたのはディアマンテ搭載の巨大な物だけである。だが、ブラーボは精一杯の虚勢を張った。
「ふん。なかなかやるじゃないか…ッ」
「えへへ。ありがとうございます」
 ユウリはニコニコと頭を下げる。
「それじゃあ、ディアマンテちゃんの相手はユウリとD3がしますから、皆さんは奥で大人の会話でもなさっててくださいな」
 何となく追っ払われてしまった男四人は、駅に据えつけられている休憩室に入った。気まずい沈黙が流れるが、蛍太郎は咳払いをしてから口を開いた。
「で、ドクター。ホントは、玲子さんに言われたんでしょう? 地下の様子を見て来いって。あの人には、こちらの情報は話していませんでしたからね。隔離しているのは病気だからってことにしてありますが、フェデレーションの関わりは察知しているでしょうね」
 ブラーボは渋々答えた。
「…ま、まあ、その通りじゃ」
「これって、トリスケリオンとしての動きですか? それとも、玲子さん個人の?」
「あやつの独断じゃ。そもそもトリスケリオンに加わったのも玲子の考え一つのようじゃからな。周りを納得させるには同盟での地位向上が必要であり、常にそれを企てておるからのう…」
「でしょうね」
 蛍太郎は頷き、続けた。
「先日、彼女の祖父で貴洛院グループ総帥である実親氏に会ったのですが…、玲子さんの動きを歓迎していない向きもあるようです。ブラックオペレーション部門の強化は必要悪ではあるが、あくまで、その範疇で収めて欲しいというのが、大方の考えのようです」
「物事には須らく多面性があり、白でも黒でもなく灰色である、と。白くなるつもりは無いが、真っ黒になるのも拙いということじゃな」
「実際、ウチでも昔からの付き合いで株持ってたり土地貸したりしてますからね。不祥事を起こしてもらっては困るんですよ…」
 蛍太郎は深々とタメ息を吐いた。するとブラーボが笑う。
「ははは。それなら、お前さんが役員に加われば良いじゃろ」
「…まあ、今の仕事に飽きたら考えないでも無いですが…」
 蛍太郎は肩をすくめ、それから身を乗り出してブラーボに顔を近づけた。
「玲子さんと組んでるの、いい加減疲れません?」
 しばしの沈黙の後、ブラーボは搾り出すように言った。
「…ああ、正直な」
 それを受けて、クルツが得意満面に鼻を高くして見せた。
「ほらね、ブラーボさま。だから言ったんです。オレは判ってましたよ。あの時あの女が、やらかした所業を見たときからね。てか、それでメタルカに殴られたんですから」
「はあ、またそれか。確かに今にして思えば、ありゃ故意だったかも知れんな…」
 と、ブラーボがクルツと二人だけで納得しあっているので、蛍太郎は首を傾げた。
「なんのことです?」
「ああ、それはじゃな…。怒らないで聞いてくれよ?」
 ブラーボは、以前に地下研究所を襲撃した時、資材搬入工出口で繰り広げられたディアマンテと璃音の戦いの顛末を正直に話した。なにせ目の前にチャンネルがいるのだから嘘は通じない。
 ここで問題になっているのは、ディアマンテのアームを操作していたクルツに玲子がぶつかったことである。結果的には大事には至らなかったが、そのためにフラッフのコアが破壊されている。
「と、いうわけじゃ。話だけでは不満というなら、ワシの記憶をあさるがいい。映像と音声付きで見られるぞ」
「いや、結構です…」
 蛍太郎が黙りこくったので、ブラーボは少々おどけた口調で言った。
「お前さんがあの女を選ばなかったのは、なにも幼女趣味だったからじゃあないんだな。お蔭でそのことが、よぉ〜く判った」
 その言葉に、蛍太郎は思わず吹きだした。
「ぷっ…バカいわないで下さい。どこの世の中に巨乳の嫁さん貰うロリコンがいますか」
「ははは、そりゃそうじゃ」
 ブラーボが笑い、つられて蛍太郎も頬を緩めた。それを見て、ブラーボは話を続けた。
「さてと。できるならば、この状況を打破したいところじゃが…潤沢な資金と、幾らでも得られるオーバーテクノロジーのデータという誘惑には抗し難く…」
 もしも身体があったら首を捻っているであろうブラーボに、蛍太郎は事も無げに言った。
「…それだったら、個人的にミカエルと仲良くなれば良いじゃないですか。資金はパテント料でなんとかなるでしょう?」
 少し間をおいて、ブラーボは歓声を上げた。
「おお! お前、頭良いな」
 だが、すぐに考えこむ。
「だが…確かに金はある。しかし…貧乏することは無いが、さりとて新しい事をする程には…ってお前、さりげなく離間の計を仕掛けようとしていないか? おのれ蛍太郎、そうはいかぬぞ。その程度の策に引っかかるほど、このブラーボ、耄碌してはおらん!」
 不意に語気を荒げたブラーボだったが、蛍太郎はあくまで冷静に言葉をかけた。
「そうでしょうとも。未だカクシャクとしてらっしゃいますからね。ですが…これから先も玲子さんについていくほどの義理、あるんですか?」
 ブラーボは記憶を辿り、こう結論付けた。
「言われてみれば、ないねぇ」
「そうですよね。義理も借りも踏み倒すのが、ドクターブラーボの生き様ですよねっ。それでこそ、ですよ!」
「うむ! そうじゃった!」
 蛍太郎の力強い言葉に、ブラーボは威勢良く言った。彼に身体があったなら、めいっぱい胸を張っていただろう。それに対して、蛍太郎は小さな声ながらツッコミを忘れない。
「…まあ、そのせいで今、脳だけで生きる羽目になってるんですけどね」
「言うな。過去のことじゃ…」
 ブラーボはバツが悪そうに呻いた。
「ま、まあそれはそれとしてだな。一応あちらに報告せにゃならんこともあるので、中を見せてもらいたいのじゃが…」
 蛍太郎とチャンネルは顔を見合わせた。結局、嘘が下手なブラーボが不手際を犯す確率を減らすために研究所内部を案内することにした。
 現在、施設内では複数の研究室から機材を寄せて避難民を保護している。グループごとに分類されているために十字軍やカウボーイなど十数人規模のものは必然的に大部屋となるのだが、それ以外は仮眠室を割り当てられている。そのうち一人の少年がブラーボの目に止まったのは、おそらくは運命であったのだろう。
 少年の名は、アタワルパといった。
 

  
 英春学院には授業用と部活動用、ふたつのグラウンドがある。
 授業用は何の変哲も無い土の運動場だが、校舎裏手に広がる部活用は陸上トラックと芝生を供え、野球場と野球練習場、それにテニス場も隣接している。そして、それら全てに接するようにして運動部室の長屋が建っている。
 その部室長屋とコンクリート舗装された道で繋がった第二体育館は、学院内に三つある体育館の一つだ。
 第二体育館は、体育教員の職員室である体育職員室とジム、二階に室内競技の部室が並んだブロックと体育館本体が、校舎からの渡り廊下と出入り口を挟むように配置されている。
 これらの施設は校舎から少々離れて設置されているがセキュリティも独立して施されている。午後六時になり校舎が施錠されると、第二体育館と校舎の渡り廊下は閉鎖され運動部員たちは部室を拠点に動くことになる。そして午後八時三十分の全館消灯時間になると、第二体育館にある体育職員室で、部活グラウンド側セキュリティの作動スイッチを入れるという仕組みだ。
 そういうわけでこの周辺は、宿直室を除けば、職員室に残業中の教員がいない限りは学校で最も遅くまで人が残っている場所ということになる。
 今日は体育館を使う運動部は早々に引き上げたため、そちらの照明は落ちていた。そして今の今まで点いていたジムの灯りが消え、ドアをから出てきたのはジャージ姿の鈴木涼季だった。涼季はテニス部に所属しており、今日は自主トレのためにジムを借りていたのだ。
 涼季はドアに施錠し体育職員室に鍵を返すと、まだ残っていた教員に気の無い挨拶をする。そしてスポーツバッグとラケットケースを肩に引っ掛けると外履きに履き替えて体育館入り口を出た。
「うーん、暗くなってきたなぁ」
 時刻は夜八時。
 仰ぎ見る空はすっかり濃紺色。つい二週間前まではこの時間でも薄っすらと陽光の痕跡が残っていたものだが、今では星明りのほうが強い。学校の近辺は大きなビルが無いため、余計に空が暗いのだ。
 この時間は正門は閉まっているため、裏門へ向かう。体育館の裏手から続く、両側を目隠し用の林に覆われた小道の、その先だ。昼間に通ると清々しい並木も闇に沈んだ姿はなんとも不気味である。このあたりは外からだけでなく体育館の職員室からもブラインドになっているので、木々の間に潜んで色々しているカップルを見たなどという話はよく聞くが、今のところ涼季はそういう場面に出くわしたことは無い。
(悠のヤツがいてもいいもんだと思うけど…)
 目を凝らして、木々の間の闇を覗きこんでみる。
 悠は大抵の休み時間はバロージャと話しているが、昼休みと放課後はサッカー部のミーティングと練習があるということで璃音と一緒にいるというのが習慣になっている。そういうわけで、顔を合わせっぱなしの割にはデートらしいデートが出来ないという悠の愚痴を聞かされることが増えてきた。
(知るかよ、んなこたぁよぉ。贅沢言いやがって…。だったら、ここで待ち伏せすりゃいいんだ。ま、大病院の娘だから八時門限とか普通にありえそうだけどよ)
 そんな風に内心で毒づきつつ、涼季は歩きながらケータイを開いた。あまり褒められた行為ではないが、道自体には遮蔽物も無く直線になっているため、そこいらの路上に比べれば危険は少ない。暗闇の中、ケータイのモニターからの照り返しが涼季の顔を浮き立たせた。これがちょうど顔を下から照らす角度なので、対向してくる者から見ると懐中電灯による古典的なホラー照明のようになってしまう。現に、五メートルほど前に同様の状態で人間の顔が浮き出していて、涼季はギョッとして足を止めた。
(えっ、これって…)
 最近になって、校内で幽霊が出るという噂を耳にしたことがある。そのイメージが頭をよぎったのだ。
 だが、その顔が下からの照明で浮き出していることに気付き、涼季は落ち着きを取り戻した。コントではあるまいし、本当の幽霊が懐中電灯で顔を下から照らして現る訳が無い。ならば、普通の人間が自分と同様にケータイを見ながら歩いていると考えるのが妥当だ。
 そう思うと落ち着いてくるもので、涼季はだんだん近づいてくる相手をじっくりと観察した。
 それは髪の長い女生徒で、制服を着ている。普通ではないポイントは、色つきのモニター保護フィルムを使っているためか顔が緑色に見えていることくらいだ。確かに、この時間に学内へ向かう方向に歩いているのは妙だが、部室に忘れ物でも取りに来たんだろうと、涼季は勝手に納得した。
 そのまま歩いて、涼季は女生徒とすれ違った。そのまま何事も無く校門を出て、涼季は振り返る。すると、あの女生徒の姿はどこにもなかった。
 奇妙な安堵感を覚えつつも家路を急ぐ涼季だったが、なにか頭に引っかかるものがあった。利用可能な脳神経を総動員して記憶を辿ること五分。涼季は、ある事を思い出し、そして青ざめた。
「あの子、ケータイなんか持ってなかったよ…!」
 そう。
 あの女生徒は何かの照り返しによってではなく、自らが緑色に光っていたのである。
 

 
「ねえねえ藤宮先輩、知ってます?」
 放課後の生徒会室で学園祭関連書類を眺めていた璃音に、一年生の女生徒二人が話しかけてきた。
「何のこと?」
 どうせ他愛の無い噂話だろうが、今は特に取りこんでいる訳でもないので、璃音は二人に視線を向けた。
「一週間くらい前からなんですけど…」
「出るんですよ!」
「出る?」
 一応訊き返したが、こういう話の流れからすれば何が出るのかは言わずもがなである。
「幽霊? それともお化け? どっちにしても季節外れだよ。もう九月なのに」
 璃音の言葉に、女生徒二人は目を丸くした。
「幽霊とお化けって違うんですか?」
「…えーと、死んだ人が化けて出るのと、それ以外…っていうことだと思うんだけど」
 根拠の無い言葉で適当に取り繕ってみると、二人は真顔で頷いた。
「へぇ…そういうもんなんですか」
「りおりん先輩がそう言うなら、そうなんじゃない?」
 その奇妙な呼び方はもう慣れたから良いとして、今の発言を完全に信じこまれては困る。璃音は苦笑しながら肩をすくめた。
「わたしも結構いい加減な事言うから、盲目的に信じちゃダメだからね…」
「でもでも、藤宮先輩。舌先三寸の口八丁で盲目的に民衆を信じさせてこそ、真の指導者ですよ?」
「さりげなく、怖いこと言うね…」
「確かにそりゃ、ちょっと行き過ぎだけど…。でも貴洛院先輩と比べたら、りおりん先輩のほうがずっと信じられますって」
 比べる対象がアレなのはさておき、璃音にとってはなかなか面白い話ではある。せっかくなので、この先の話を引き出してみることにする。
「どんなところが?」
「成績優秀、容姿端麗…」
「端麗? ぶっちゃけ中学生に見えるよ、この人。…胸以外はだけど」
「いいじゃん。可愛いことには違いないんだし」
 璃音は唇を尖らせた。
「褒められてる気がしないぞー」
 それを見て、女生徒二人は小さく頭を掻いた。
「はは、すいません。やっぱ、有限実行なところですよ。色々な意味で。だから、りおりん先輩に『ゴミのポイ捨ては止めましょう』って言われたら、『…そっすね』ってなりますもん」
「そう? 照れるなぁ。わたしって、みんなのお手本なわけ?」
 璃音がイイ気になって身体をくねらせると、一転して奈落へ突き落とすような一言に見舞われる。
「それでいて、イケメンのダンナと毎晩ヤリまくりってのが良いよね。決して清廉潔白じゃあないっていうか、微妙にヨゴレっていうか」
 それに、璃音はしどろもどろである。
「そ、そんなこといわれても…。だって、法的には全然問題ないし」
 すると、そばで聞いていた一年男子が口を挟んできた。
「変にクリーンすぎないのが良いんですよ。それに、こうして見てると色々と妄想が膨らみますし」
 フォローなのかそうでないのか、よく判らない物言いだ。璃音は顔を真っ赤にした。
「妄想しないでっ」
「ハァハァ…」
「鼻息荒いから!」
 ここまで来て自分が弄られている事に気付いた璃音だったが、もはや後の祭りである。ガックリと肩を落とした生徒会副会長の姿に潮時と見て、一年女子は話題を戻した。
「それはそれとして。先輩は、お化けなんか怖くないですよね」
 璃音はゲンナリした表情で答えた。
「まあ、大抵は。むしろ君たちのほうが怖いよ」
 そこに、掃除当番を終えた法眼悠と墳本陽が揃って現れた。
「うっすー。おー璃音、相変わらずイジられてるな。ははは」
 悠の言葉に、璃音は口を尖らせた。
「ふーんだ。そんなことないもーん」
「それで? そういや、涼季もそれっぽいの見たって言ってたぞ。まあ、ヤツの脳細胞の品質を鑑みれば、正確な情報とは言い難いけど、それがどうかしたの?」
 璃音は、今度は首を傾げた。
「改めてどうかしたのかって言われると…どうもしてないかなぁ?」
「どうもしてないのかよ」
 呆れ顔になる悠。すると陽が得意げに口を挟んできた。
「ホントに幽霊だかどうかは判らないけど、緑色に光る浮遊物体らしいよ。学校だけじゃなく街中でも結構目撃者が多くて、ネットの書き込みを見る限りは全部同種の存在のようだね」
 璃音は腕組みをして首を傾げた。
「ふーん…。でも、それを完全に信じるわけにもいかないからなぁ。嘘を嘘と見抜けない者には、だよ」
 すると悠が少々頬を緩ませて、
「でも、火の無いところには煙は立たないよ。涼季の物言いだけならともかく、そういう話もあるんだったら、ちょっとは信憑性あるんじゃないかな。それに、学祭が終わるのって八時頃じゃん。そのときに騒ぎになったら、拙くない?」
 などと、言い出した。
「そんな出たがりの幽霊なんかいないと思うけど…」
 と、璃音は肩をすくめた。
「じゃあ、愉快犯の妖怪とか」
 悠は悪戯っぽく笑った。すでに彼女の中では何かが決まっているらしいが、璃音は抵抗を試みる。
「そもそもさ、目撃者がいるっていうけど、誰が見たっていうのさ。校舎は六時で施錠だし、確かに運動部は八時くらいまでやってることもあるにはあるけど…」
 すると、悠と陽が口を揃えて言葉を返した。
「…運動部員だってパソコンくらい使えるって。たぶん…」
「ネットくらいできるでしょ、人として」
 璃音は困惑した表情で首を傾げた。
「…そういう意味で言ったんじゃないんだけど。部室は校舎から離れてるんだけどって…」
「ははは。まあ、それは置いといて」
 失言を隠蔽すべく、悠は曖昧な笑みを浮かべながら言った。
「とりあえず調査が必要なんじゃないかなぁと。生徒会として」
 仕事熱心であるかのように取れる一言ではあったが、璃音は冷静に問題点を指摘する。
「…そういうの、生徒会じゃなくて出版とか文芸がやることだと思うけど。あと、ミス研とかさ」
 だが悠は、つまらないことを言うなとばかりに肩をすくめて首を振る。
「ダメダメ、連中じゃ無理。だって、ホントに出たら困るじゃん」
 意外な言葉に、璃音は目を丸くした。
「えー。ホントだったほうが、おいしいんじゃないの?」
「おいしいことはおいしいけど、出てくるのが幽霊どころか宇宙からの物体Xかもしれないからね。さすがにこの歳で、殉職…っていうのかな、これでも。そういうのはしたくないでしょ」
 悠の言葉に、陽が頷く。
「確かに、宇宙生物の可能性も指摘されてるよ。このところの状況からすれば当然だけどね」
 宇宙怪獣の頻出については蛍太郎が一つの仮説を立てていたが、現れるのが何も巨大生物だけとは限らない。件の幽霊が実在したらな、そういう素性である可能性もあるのだ。
 そういうことなら…と、璃音は真顔で頷いた。
「調べてみたほうが良いかもね」
 その一言に、悠は待ってましたとばかりに手を叩く。
「よっしゃ! じゃ、計画立てるよー。なんたって、先生の目を逃れて学校に居残らなきゃ行けないからねー」
 すると、陽が口の端を上げてニヤリと笑った。
「そのまえに、ここで聞いてる人らの口封じをしたほうがいいと思うけど」
 一年生たちが一斉に身をすくめて首を振る。それを見て、悠は満足げに微笑んだ。
「ふふ、良い心がけだ。君たち、決して悪いようにはしないよ」
 恐縮しきって頷く一年生を尻目に、璃音はグイっと胸を張り人差し指を立てると、得意げに言った。
「ねぇ悠。どんな計画考えてるかしらないけどさ。…合法的に居残り出来る手段があるってこと、忘れてない?」
 
 
5−
 四日後。
 酉野市民運動公園のサッカー場にて、英春学院と酉野高校のサッカー部による練習試合が行なわれていた。酉野高は地元の県立校であり、伝統の面では当然ながら英春の先を行く。この両者の対戦を各方面ことあるごとに酉野ダービーと呼び盛り上げるのが、土地の風習だ。
 サッカーの場合、両校のグラウンドを使っていわばホーム&アウェイで練習試合を行なっていたが、設備面の格差や応援のヒートアップなどの弊害により、中立地である運動公園サッカー場を使うようになったのである。
 そういうわけで、今日も練習試合ながらスタンドの半分程度に客が入っていた。各校の生徒や地元のお年寄りなどである。それに混じって、バックスタンド側に蛍太郎とソーニャ、そして綺子がいた。英春にはソーニャの弟であるバロージャが所属しており、背番号"9"で先発出場している。そこで、空き時間を利用して観戦に来たのだ。
 前半八分、そのバロージャがオフサイドギリギリで受けたボールを強引なドリブルと見事なエラシコでペナルティエリア内に持っていき、キーパーの飛び出しを読んでループシュートを決めた。沸きあがる英春側ゴール裏の観衆と一緒に、ソーニャが立ち上がり拳を握って叫ぶ。大学では見せないその表情に蛍太郎と綺子は目を丸くした。
 ソーニャが幾分平静を取り戻して椅子に座ると、綺子が話しかけた。
「いやぁ、弟さん凄いですね。上手いし、背は高いし、顔もイケメンだし。彼女とか、いるんですかぁ?」
 するとソーニャは自分が褒められたかのようにニコニコと微笑みながら頷いた。
「はぁい、凄いでしょ。あれで、優しくてイイ子なんです」
「…あの、彼女いるんですかって訊いてるんですけど」
 すると蛍太郎はたしなめるように言う。
「綺子には陽くんがいるじゃないか」
 だが綺子は難しい顔をして首を捻った。
「うーん…。それが、どうにも性格が不一致気味っていうか…」
「またか…」
 半ば呆れ顔の蛍太郎。
「たぶん、兄さんには判らないよ。十年も同じ人を何年も思い続けて、それはこれから先も変わらないって断言できるでしょ、兄さんは」
「まあ、ね」
 綺子の言葉に蛍太郎は頷いた。その隣で、ソーニャがタメ息を吐く。
「あのね、蛍太郎さん。普通はね、なかなか一発で当たりクジを引くなんてことにはならないんですよ」
「そういうもんですかねぇ…。って…何か問題でもあるの、彼と悠ちゃん」
 蛍太郎の問いに、ソーニャはもう一度タメ息を吐いた。
「なんていうか、バロージャが忙しいのがそもそもの原因なんだけど…自然消滅って言うの? そういう感じになりつつあるみたいで。悠さん、イイ子なのに…」
 ソーニャの視線の先には、英春側ゴール裏で璃音とともに手を取り合って喜んでいる悠の姿がある。なんとも気まずい空気が流れる中、綺子は内心である決意をしていた。
(よし。後期はロシア語を取ろう!)
 なんとも邪な綺子の決意はさておき、ソーニャは話題を変えようと口を開いた。試合のほうは二十分が過ぎて落ち着いてしまい、動きそうにない。時間帯にもよるが、先制点を取ったからといって簡単に流れが傾かないのがサッカーの面白さであり難しさである。むしろ、あの一点は早すぎたのかもしれない。そんなムードだ。
「それはそうと蛍太郎さん。大学に収容された人たちはどうなってるの? そろそろ、後期の授業登録とか始まると思うんだけど…」
「ああ、それ。私も密かに気になってたんだ」
 と、綺子。蛍太郎は表情を改めて、答えた。
「状況が良いか悪いかって言われたら、あまり良くないかな。疲労と不安からか、幽霊の目撃談なんてのも出ちゃってるくらいだから。でも、そろそろ各国大使館とかしかるべき施設への移送が始まるから、皆いくらかは気が楽になるんじゃないかな。もちろん大学の後期履修ガイダンスまでには原状復帰されるはずだよ」
「そうなんだ」
 頷く綺子。すると、それにあわせたように場内が騒然とする。センターサークル付近で酉野高の選手が倒れ、その側で主審がシャツの胸元に手を入れている。中盤の潰しあいが高じ、英春の背番号"4"の選手が危険なプレイをしてしまったようだ。
 観衆の目が主審に集中するこの状況、綺子も視線をピッチに向けたのを見計らい、蛍太郎はソーニャに耳打ちした。
「…地下研究所では順調に送還が進んでる。フェデレーションで保護することになった人たちはチャンネルに連れられて渡米したけど、ひとりだけ姿を眩ませた子がいて…。彼の思考はチャンネルでも読みきれなかったから、行方は判らないんだ」
「それって…」
 だが、主審が赤いカードを出すと、蛍太郎の話はどこかへ飛んでいってしまった。
「ちょっと! 厳しすぎるんじゃないの!?」
 と、ソーニャは目を吊り上げて叫ぶ。
 さらに英春の選手が退場しゲーム再開となった直後、削られたはずの選手が何事も無かったように走っているのを見たソーニャは、ロシア語が判らなくても大体ニュアンスが伝わるような調子で何やら叫んでいた。それを聞いて目を丸くして青ざめている蛍太郎の隣で、綺子は苦笑した。
「これ何て言ってる…かは、知らないほうが良いかな。うん」
 ピッチ上ではオフサイドライン付近にいたバロージャが、バックスタンドを見上げ困った顔で頭を掻いていた。
 

 
 英春学院には課外活動用の宿泊施設が用意されている。セミナーハウスと呼ばれる、簡易鉄骨で作られた二階建ての建物だ。一階の半分がホールで、残りは浴室、トイレ、洗面所と教員用の部屋。二階には八部屋あり、それぞれに二段ベッドが四つ置かれているという構成となっている。
 既に日も傾いて久しい頃、璃音と悠は何人かの生徒を引き連れてセミナーハウスへとやってきた。もちろん、サッカー場から直行である。
 試合は十人最強伝説を発動させた英春が六十分間凌ぎきり、後半ロスタイムに追加点を入れて勝利を挙げた。チームとして戦術的な目標が定まっている場合、人数が少ないほうがバランスが取れてしまうことが往々にしてある。この場合、九人のフィールドプレイヤー全員を自陣に下げて守備からのカウンターに徹した英春の結束を、酉野高は数的優位を恃むあまり崩しきれなかったのだ。
 こうなってしまっては、第三者が見る分にはゴールが少なく攻撃にも面白味が無い試合でしかないが、両サポーターとしてはむしろヒートアップする展開である。そういうわけで、観戦していた生徒たちは未だ興奮冷めやらぬままであった。
 それを、既に何人かの生徒を連れてセミナーハウスのホールに待機していた貴洛院が皮肉タップリに出迎えた。
「やあ、いらっしゃい。その様子じゃ、随分と楽しんだようじゃないか」
 璃音は眉一つ動かさずに応じる。
「まあね。やっぱりチームプレイは美しいってことで。生徒会も十月の学祭を成功させるべく一丸になるべきだと学んだよ」
「一丸ねぇ。今の今まで別行動してたくせに」
「見ろとか見るなとかで統制するより良いじゃん。業務に差し支えたわけでもなし。何せ今日は合宿だから、時間はタップリあるもんね」
 合宿。
 先に璃音が口にした合法的な居残りである。
 生徒会の合宿は学祭を前にしたこの時期に行なわれるているが、例年はもっと泥縄的にやるものである。その原因は作業の遅れのためというより、合宿自体が目的化しているためでもある。
 この時期に生徒会が行なうのは学園祭のスケジュール作りと予算配分である。三年生は学祭で引退となるため、こうした下準備は引継ぎも兼ねて二年生以下の仕事となる。その後に各学級と文化部に出し物の内容を申請させ検討、十月一日から物理的な準備にとりかかるわけだ。
 例年はスケジュール作りをすべきところで生徒会の出し物を検討し、相手がいるために順延が許されないスケジュール決定をギリギリまで先延ばしして合宿を張るというのが伝統になっていた。つまり、真面目にやれば合宿など要らないのである。
 そういうわけだから璃音は二学期が始まってからすぐ準備を進めていたのだが、ここで問題になったのが、前述の合宿が目的化しているという事実である。
 既婚者で夫とアツアツの日々を送っている璃音は気付かなかったことだが、この合宿は文系の生徒にとっては数少ない男女のふれあい行事だったのである。
 確かに、日ごろは制服姿で学校に通っている者たちが一夜を同じ建物中で過ごし、そこで互いの私服やパジャマ姿を見るのは、何とも新鮮で心が躍るものだ。ここでカップルが誕生することも少なくない。そのあたりを璃音は考慮に入れていなかったのである。
 三年生に指摘されそのことに気付いた璃音は合宿実施のタイミングを伺っていたのだが、ちょうど幽霊の調査という裏の目的が浮上した。そのため急遽、九月十七日金曜日に合宿を実施することにしたのだ。当然、貴洛院は難色を示したが既に九割方スケジュールが組みあがっていたという事実と、連休直前で体力的な負担が少ないという二点に於いて、賛成派が大多数を占めることになった。やはり、必要がなくても合宿はしなければならないし、ここで前倒しに反対すれば、合宿せずとも準備が完了してしまうことは確実だったのだ。結果的には合宿を人質に取るような形で強行採決したといえなくもない。そして、この時期に合宿があることは通例だったので、学校側の許可はあっさりと下りたのだった。
「それじゃあ…」
 と、璃音は生徒会副会長の顔で言った。
「着替えてから、ミーティングをします。今日の議題は学園祭の準備から後片付けまでのスケジュール確定と、予算配分。今日中に結論を出します。時間が余ったら、出し物のアイディアを募集しましょうか」
 すると景気のいい返事とともに、生徒会メンバーは割り当てられた部屋がある二階へと上がって行った。
 一時間後。
 着替えを済ませた生徒たちが一堂に会し、ミーティングが始まった。適当な服装の者もいれば気合の入った格好をしている者もあり、中には髪形が変わったりメガネからコンタクトレンズにチェンジした者もいる。
 まずは陽の仕切りで資料の確認が行なわれている中、制服のままの貴洛院は深々とタメ息を吐いた。それを、隣に座っていた亀田瑠香教諭が見咎め、声をかける。
「どうしたんですか、浮かない顔して。せっかくのお楽しみ合宿じゃない」
 そう言う亀田も、眉根の辺りが暗く沈んでいる。亀田は本来、生徒会とは何の関係もない。例年なら九月末日の合宿が急に前倒しになったため顧問代行が必要となり、そこで白羽の矢が立ったのがヒマそうにしていた亀田だったというワケだ。
 貴洛院は口を尖らせて、周囲を見た。
「毎度のことですが、何でいちいち着替えにゃならんのか…と、思ってですね」
 亀田はあくまで小声だが、表情を緩めて言った。
「ん? だって、いっつも制服なんだから。新鮮でドキドキするでしょ」
「そんなもんですかね…」
「私もそれなりに楽しんではいるけどね。目の保養っていうか、若さが羨ましいっていうか」
 その言葉に、貴洛院は呟いた。
「…先生は、まだ若いじゃないですか」
 それを聞いた亀田は、目を丸くし、そしてニヤリと笑う。
「ほう。そんなこというとはね、君が。意外意外」
 すると、貴洛院は思い切り狼狽した。先ほどのはどうやら無自覚のうちに出た言葉だったようだ。 
「なっ…!? 別に他意はないですよ。事実を言ったまでですっ」
 当然、亀田は楽しげな笑みを浮かべる。
「幾ら事実でも、女性に面と向かって若くて美人だって発言するのは、それなりに思うところがあると解釈されてしかるべきだよ」
 貴洛院は呆れ顔で呻いた。
「若いとは言ったけど、美人とまでは…」
「細かいことは気にしないほうが良いよ。モテないぞ」
「余計なお世話ですっ。からかわないでください!」
 憤然と顔を背ける貴洛院。すると、今度は亀田がタメ息を吐いた。
「はぁ…。だってさ、そうでもしないとやってられないのよ。私、生徒会とは関係ないし、それに本当なら今ごろ…」
 そこまで言って、亀田は慌てて口をつぐんだ。訝しげにしている貴洛院に亀田は何度も首を振ってみせたが、内心では未練がましく呟いていた。
(この合宿さえなければ…。今ごろ、あの可愛い男の子と一緒だったのに…)
 

 
 そのころ。地球の裏側、ペルー近海にディアマンテはいた。
 海底の岩盤に着底したディアマンテに乗っているのは、ボスであるドクターブラーボとクルツ少佐。そして大学の授業開始が近いので故郷から戻ってきたサイボーグのヤスとシゲ。そして新顔の、日焼けした肌と黒髪の少年だった。
 その少年は、美しく整った顔を不満げに歪ませ、脳髄だけでカプセル内に浮かんでいるブラーボに尊大な態度で言った。
「おい、ブラーボ。着いたのではなかったのか? 何故、海に潜ったまま動かんのだ」
 流暢な英語である。
 ブラーボは顔があれば眉をひそめていただろうが、まずは押えた口調で答えた。
「それはな、アタワルパ殿。既にご存知のことだろうが現在、南米大陸と呼ばれているこの土地には幾つかの国家がある。どれも、れっきとした主権国家じゃ。フランスの海外県であるギアナ意外はな」
「知っておる!」
 アタワルパと呼ばれた少年は目を吊り上げた。
 その名は、インカ帝国最後の皇帝と同じものだ。彼こそ、スペイン人に滅ぼされたインカ皇帝の忘れ形見なのだ。
 インカ帝国崩壊後、ビルカバンバの山中に発足した亡命政権である"新しいインカ帝国"の末期に相次いで皇帝の位に就いた三兄弟には、その存在を秘匿された弟、四人目の王子がいたのである。この政権が滅ぼされるとインカの人々は東のジャングルへ落ち延びたとされるが、このとき王子は地底世界に迷い込み、ル・イヴァシュラに捕らえられた。そして四百年の時を越えて人間の世界に舞い戻ったというわけだ。十四歳程度ながら言葉遣いが不遜なのは身分に相応しい語彙をチャンネルのテレパシーを通じて学習したからであり、そして短期間でそれをなしたのはアタワルパ自身が特異な力を持っていることを示していた。
「白い者共が築いた国であろう。我らから奪った土地にな」
 無念が滲む言葉にクルツとサイボーグたちが引きつった顔を見合わせるが、アタワルパは自嘲気味に小さく笑った。
「心配するな。予は復讐など考えてはおらぬ。今さら過去を蒸し返しても仕方ないほど時間が経ちすぎた。我が民は、もはやどこにもおらん…」
「まあ、そうじゃな。…ペルー国民はインカの末裔を以って任じてはおるが、本来の文化と言語は失われているといって差し支えない状態じゃ」
 と、ブラーボはなるべく感情を殺して、言った。それから、少々声のトーンをあげる
「それで、だ。主権国家の領土に勝手に入ってはならんからな。見つからんように入る算段をしているわけじゃよ」
 するとアタワルパは大きく肩をすくめた。
「お主らの先祖は堂々とやって来たというに、予が己の国であるタワンティンスウユに戻るのには、斯様にコソコソせねばならんとはな」
「そう言うな。この時代にはこの時代の秩序がある。それを塗り替えんと目論むワシとて、今はその秩序を完全に逸脱することは出来んのじゃ」
 そこで、空気を無視した陽気なディアマンテの声が響いた。
「コースでました! これでアンデス山中まで一直線ですよ〜」
「よし!」
 ブラーボの気合の入った声がコックピット内に響く。
「ディアマンテ、ドリルモード! 大陸を掘り進むぞぉッ!」
 
 
6−
「ペルーで微弱な地震、か…」
 陽はノートパソコンのディスプレイを見ながら呟いた。時刻は夜の八時を回っており、セミナーハウスのホールに人の気配は無い。
 ミーティングは七時十五分頃に一旦終了し、生徒会メンバーは各自外出中だ。八時半を以って校門が完全に閉鎖されるため、これが最後の外出可能時間ということになる。皆、悔いの無いように食事と買い物を済まさねばならない。
 陽はセミナーハウス入りする前に買ってきた固形バランス栄養食とゼリー飲料で夕食を済ませ、パソコンに向かっていた。もちろん、学校に出るという幽霊の新しい情報を仕入れるためである。そしてニュースサイトの速報で地震の話を見た数分後、璃音と悠が戻ってきた。
「ただいまー!」
 景気良く挨拶する璃音。
「今戻ったー」
 と、悠はコンビニの袋をテーブルに置いた。
「お茶と水の差し入れだよ」
「どうも」
 陽はさっそくウーロン茶を煽った。それと、テーブルに散らばっているアルミ包装のカラを見た璃音は、バツが悪そうに頭を下げた。
「なんか悪いね、わたしたちばかりご飯食べに行って…」
 すると陽は笑顔で首を振った。
「いやいや、いいんだよ。僕の夕食なんて、いつもこんな感じだしね。それに璃音さんは食べないとダメでしょ。…ところで。参考までに、何食べた? やけに戻り早かったけど」
「とんこつラーメン、替え玉五つ」
「…なるほど。時間と量を考えればベストな選択だね」
 確かに時間は無い。ミーティング後半開始が夜の十時半。それまでに入浴も済ませなければならないので、実質はあとニ時間の勝負なのだ。
「それで陽、なんか新しいネタはあった?」
 悠の問いに、陽は肩をすくめた。
「ないよ。考えてみれば、家に帰ってPC起動しないとっていう縛りがあるから、時間的にウチの生徒が書き込むのはまだキツイだろうからね。どうせケータイで書き込んでも"あぼ〜ん"されて誰の目にもつかないし」
「なるほど…」
 璃音は頷き、真顔で続けた。
「それじゃ校舎に入る前に、情報を整理しようよ」
「了解。
 調査の結果、英春校内での"緑の幽霊"目撃談が匿名BBSに書き込まれたのは十日前。書き込みは順調に増え話に尾鰭がつき始め、さらに職人の擬人化絵やSSといった燃料が投下されてスレは加速度的に伸び、それに合わせたかのようにリアルでも実際に見たという噂が広まっている。ネタスレとしては大成功だね。さらに街や大学でも目撃情報が出てきて、今じゃ緑の幽霊統合スレッドになりそうな勢いだ。
 そうそう。昨日、スレッドウォッチャー系のブログにも紹介されてたよ」
 と、陽はノートパソコンの向きを変え、ブックマークしていた件のブログを表示して見せた。記事見出しには『【緑のお化け】オイお前ら、あの英春学院に出るって本当ですか? Part.11【エロ制服】』とある。スレッドのタイトルに何か言いたげな女子二人が口を開く前に、陽は話を続けた。
「しかし、だ。インターネットを見る趣向の人間の学園内にどれくらいの比率で存在するかといえば、正直な話、少数派であるといわざるを得ない。そして、その少数派の社交性がどの程度かといえば…まあ、言わずもがなだよね」
 悠がしたり顔で頷く。
「確かに。そういうのって、女の子に広まってナンボだからね。"友達の友達が…"ってヤツでさ」
「そういうこと。ネット発の目撃談はあくまでネットを生活の一部にしている人間にしか流布しない。それがネット以外のメディアに露出されるのは、それこそネタが風化した頃。つまり、ずっと先の話だ。だからネットでの盛り上がりと校内での噂の広まりは必ずしもイコールじゃあない。…にもかかわらず、見たという話を聞いた生徒は多い」
 今度は璃音が頷いた。
「うん。サッカーの帰りに訊いてみたけど、緑の幽霊は生徒会の七割程度の子に浸透してる感じだったね。けど、数年単位で熟成された"七不思議"系ならともかく、ポッと出の噂が浸透するのは難しいと思うんだ。緑色のお化けなんて、日本的じゃないし"。と、なると複数の人間が"本当に見た"のかもしれないよね…」
「だから、調べてみることになったんじゃん」
 悠は肩をすくめて、それから陽の二の腕をつつく。
「で、お化けの外観はどうなってるの?」
 すると陽は、
「み、見ないほうが良い…。お、恐ろしすぎるんだ」
 と、首を振った。だが、モニターを覗き込んだ璃音は『幽霊』とかかれたフォルダの中に、それらしい画像のアイコンを幾つか発見した。
「これじゃないの?」
「のわっ! しまったっ!」
 うろたえる陽。画像のリネームと整理が面倒だからとアイコンを縮小版表示にしていたのが仇になったのだ。もっとも、このままでは緑の何かが描かれているようにしか見えないのだが…。
「えーい、クリックしちゃえ」
 璃音のエンハンサーがひょろりと紐のように伸びて、パソコンに接続されているマウスを持ち主に無断で操作した。するとOS標準ビューワーが全画面表示で起動、緑色の肌をした英春のセーラー服を着た美少女が、よく判らない白濁した液体にまみれてグッタリと横たわっている画像がモニターいっぱいに現れた。この絵がどのような状況をイメージしているのかは、見るだに明らかである。
「えっと…」
 顔を引きつらせ言葉を失った悠の隣で、璃音は対象物のジャンルをそのままズバリ述べた。
「エロ絵だね」
「うん、そうだね…」
 陽は頷くしかなかった。どんな仕打ちが待っているのだろうかと戦々恐々としていたが、璃音があげたのは感嘆の声たっだ。
「へえ…。これ、普通に上手いじゃん。可愛いよ」
 悠も、感心しきりといった様子で頷いた。
「こりゃ…確かに恐ろしいわ。才能の無駄使いだ」
 意外な好反応に、陽は冷や汗ながら安堵のタメ息を吐いた。よくよく考えてみれば、璃音と悠は今さらエロ画像くらいでガタガタ言うほどウブではないのである。それに気付いた陽は若干調子に乗りつつ、相槌を打った。
「そ、そうだよね。神だよね」
 すると璃音は、自分の手で堂々とマウスを操作した。 
「さて、次の画像は…と」
「み、見るんだね…ご覧になられる…そうですか…」
 陽は覚悟を決めた。それから張り詰めた沈黙とともに、同一作者による残り五枚の画像が順繰りに表示された。
 絵は続き物になっていた。先に行くにつれ、"緑のおばけ・ミドリたん"は、どんどんハードかつ取り返しがつかないことになっていく。しかも最後に用意されていたのは、ミドリたんが幸せそうに満面の笑顔を浮かべた絵だった。これを"在りし日の笑顔"ととるか"お化けだから平気だもーん"ととるかで連作絵の見方は随分違ってくるが、"事後"の姿との落差が救いがたいほど激しいことに変わりはない。ちなみにスレッドでは後者の解釈をしようと自分に言い聞かす者が大勢を占めたようである。
「うわぁ…」
 重苦しい空気の中、璃音はタメ息混じりで言った。
「良いね、これ」
「そう? そりゃ、璃音は誘い受けのドMだからいいかもしんないけどさ」
 悠が呆れ顔をすると、璃音は口を尖らせた。
「何でそんなこと言うかなぁ。これ、あくまで二次元の世界じゃん。絵だよ。フィクションです。実在の人物や団体等とは一切関係ありません」
「…まあ、それはそれとしてだ」
 一転して悠は、陽に鋭い視線を向けた。
「墳本。つかぬ事をお伺いしますが、これでヌきやがりましたか?」
 すると陽は、苦しげに答えた。
「…いや、さすがに緑色の肌では…」
「そうだよね。はは…」
 またしても重苦しい沈黙が流れる中、璃音は画像の次にLHZ形式の圧縮ファイルがあることに気付いた。
「ねえ、そこにある圧縮ファイルは何?」
「それは絵師自らが作った肌色差分だったと思う」
「見た?」
「まだ…」
 全ての問いに正直に答える陽。璃音は嬉々として、そのファイルをドラッグした。
「解凍するよー」
 程なく、展開されたフォルダの中身が表示された。さっそく、順繰りに画像を見るてみると、線画自体は変更されていなかったが、ミドリたんの肌は確かに普通の人間と同様の肌色になっている。
 それを見て、悠は頬を赤く染め背筋を振るわせた。
「うわっ凄い。…爆撃された。これだと、普通にエロく見えるな。どうしよう、ムラムラしてきたよ…」
 陽も、震える声で呻く。
「…ぼ、僕だって学校の合宿所で女の子と一緒にエロ画像を見るなんていう前代未聞の未体験ゾーンに突入して、いろんなところがスターライトエクスプロージョンだよっ!」
 完全に浮き足立っている二人を、璃音が一喝する。
「なんだか意味がよく判らないけど、うろたえるな小僧ども!」
「…判ってるじゃん」
 不服そうに呟く陽の肩に、璃音はゆっくりと手を置いた。
「その画像は後で貰うとして…」
「貰うんだ…」
「結局…幽霊はそんな姿形だってことなの?」
 すると陽は俯き、首を振った。
「…スイマセン、判りませんでした」
 返ってきたのは予想通りの答えだったので、璃音は落胆するどころか特に表情を動かしもしなかった。
「そうだよねぇ明らかに。だって、これしか画像無いもん」
「と、とりあえず緑色をしていることは確かだよ…」 
 弱々しく呟く陽の肩から手を離し、璃音は腕組みした。
「結局、出たとこ勝負か…。何だか判らない相手だってことに変わりは無いんだんだけどさ。それじゃ、行こっか」
 すると悠は手を振りながら事も無げに、こう言い切った。
「じゃ、ヨロシク」
 これには、璃音も大きく口を開けて抗議する。
「えー。わたしが校舎のほうに飛んで行くから、悠たちは運動部室周りを見るって話だったじゃん」
 だが、陽と悠は顔を見合わせ、バツが悪そうに言った。
「いや、でも…。とりあえず収まってからじゃないと…」
「右に同じく…。今なら、誰もいないし…ちょっとくらい声出しても…」
 本能と煩悩に任せ当初の計画を放棄しようとする友人二人を、璃音はジト目で睨みつけた。
「あーのーねーぇー」
 これには流石に拙いと思い、悠は首を振りつつ笑ってごまかした。
「いやいや、行きます。行きますとも。この子はホント、冗談が通じないんだからぁ」
「そうだよ、やだなぁ。ははははは…」
 陽も同調するが、璃音は釈然としない表情のままだった。
「…行くってことでいいの?」
「もちろんでございます!」
 声を揃える二人。
 これでとりあえず、当初の予定通りに調査を行なうことにはなった。気を取り直し、璃音はイデアクリスタルを握ってパワーをこめた。
「よし。着替える」
「おーよ。いざというとき、矢面に立つのは君だからね…」
 そこまで言って、悠はハッと顔を上げた。
「ちょっと待った。着替えるってそれ…!? 墳本だって一応、男だぞ!」
 璃音がパワーシェル装着時、一瞬ながら全裸になってしまうことは悠も陽も知っている。
「…一応かよ」
 そういうわけなので、悠の無体な物言いに口を尖らせながらも陽は内心期待いっぱいだ。
 だがその期待は見事に裏切られた。衣服が光の中に消える寸前、璃音がくるりと回るのに合わせてエンハンサーがカーテンのように周囲を取り囲んだのである。赤い発光体で出来た即席の更衣室は、璃音がパワーシェルの装着を終えるのと同時に弾けて消えた。
「ふふ、どうよ」
 得意げに胸を張る璃音だったが、悠は冷めた目を向けた。
「それって、着替えるたびに余計なエネルギー使うってことじゃん」
「そ、そだね…。でも、これくらい大したこと無いから…」
「変身中に攻撃されたら?」
「う。あんま頑丈なカーテンじゃないかも…」
 やはり全裸問題は、パワーシェルを扱う上で永遠の課題であった。
「と、とにかく行くから」
 璃音は窓を開けると浮かび上がって外へ出る。それから振り向いて自分で窓を閉めると、すっかり暗くなった空へ向かって飛び立った。
 それを見送ると、悠と陽もセミナーハウスを後にした。
 
 
7−
 夜の校舎が持つ独特の不気味さは形容し難いものがある。見慣れているはずの廊下が、闇に包まれ人っ子一人居ないというだけで墓場のように思えてしまう。真夜中で人がいないという同条件下でも、家の廊下ではこうはならない。これはおそらく、学校というものは行けば必ず生徒が大勢いるというイメージがあるために、誰もいないという状況とのギャップが際立って見えるからだろう。
 そんな、闇に沈んだ廊下を窓の外から覗き込みながら、璃音は校舎の外壁に沿って飛んでいた。かれこれ五分はこうしているが、ときおり非常灯と火災ベルの緑や赤のランプが目に飛び込んでくる以外は、全く平穏な暗闇が続いていた。
「うーん、こっちは不発かな。よく考えてみれば、毎日出るもんでもないんだよねぇ、幽霊なんてさ」
 拍子抜けである。
 もっとも、この時間なら運動部室があるグラウンドあたりのほうが人目につく。本当の目撃者がいるのなら、そちらで見たと考える方が妥当だったということだろう。それでも璃音がこちらに来たのは、施錠後のセキュリティがかかった校舎を見に行ける航空戦力が彼女だけだからである。
 当初の予定通り十分間待機していたが何も起こらず、璃音は悠たちが行っているグラウンドへ向かうべく高度を上げた。すると、昼間は弁当を食べる生徒たちで賑わう中庭の木陰に、何か光るものが漂っているのが目に留まった。
「あれは…」
 璃音はなるべく音をたてないように、ゆっくりと中庭に降りる。慎重に木の葉の向こうを覗き込むと、そこに制服姿の女生徒がうずくまっていた。だが、今この場所に生徒はいないはずである。
(…まさか昼寝していて閉じ込められた、とか? いや、それはないか。お腹すいたら目が覚めるよね、フツー)
 いくぶん自分の尺度で考えているところはあるが間違いでもない。消灯まで中庭に取り残される生徒がいるなどとは、やはり考えにくいことだ。
「あの…どうしました?」
 璃音は恐る恐る声をかけた。すると、女生徒は無言で振り向いた。校舎の窓ごしに中庭を照らす夜間照明を艶やかに反射し、黒髪がなびく。見上げるその顔、肌は透き通るような…、
「…ええっ!?」
 …緑色だった。
 息を呑む璃音。この女生徒は、さきほど陽が画像で見せた"ミドリたん"そのものだったのである。
(じ、実在した!? …それとも、ここは二次元の世界だとか?)
 戸惑う璃音の目の前で、ミドリたんはふらりと立ち上がった。そして、覚束ない足取りで近づいて来る。
「や、やあ…どうも」
 ぎこちなく手を振る璃音に、ミドリたんはやおら飛びかかってきた。不意に頭突きをお見舞いされ、璃音は後ろに吹っ飛ばされた。このままでは校舎の壁に激突だ。
「だめっ!」
 璃音は大慌てで制動をかけた。校舎を壊しても後で直すことは出来るが施錠後なので警報が鳴ることになる。様々なところに迷惑をかけるだけに、それは避けたいところだ。
 その甲斐あって、璃音は壁にぶつかるギリギリで停止することが出来た。安堵のタメ息を吐き、顔を上げて状況を確認する。ミドリたんは逃走を企てたようで、三階建ての校舎を飛び越えていた。その後姿が小さくなり、闇夜に溶けるように消えていく。グラウンドの方向だ。
「追わなきゃ!」
 体勢を立て直し、璃音は一直線にこの場を飛び去った。
 

 
 悠と陽がやってきたときには、部室長屋では後片付けを終えた野球部が施錠をしていた。他に目に付くところにいる生徒はおらず、部室は一つを残して照明が消えていた。位置から察するに、いまだ部室に残っているのはサッカー部だけのようである。
「どうしたんだろう」
 陽は首を傾げた。部活終了は額面どおりなら閉門三十分前の午後八時。役所の閉庁時間ではあるまいし多少はズレるのが常だが、現在十五分オーバーである。
「今日の試合、勝ったんだよね?」
 頷く悠。
「まあね。…退場者出したけど。後で聞いたら、英春の四番ってのは退場王の系譜らしいよ」
「はあ…」
「だけど、今日のは危険かつ悪質なだけで何の変哲も無いレイトチャージだったからね。ネックブリーカーとか喉輪とか主審に嫌味の拍手とか、客席への跳び蹴りくらいのネタが欲しかった。…って、新聞部の子が言ってたよ。『もっと華麗な退場が見たい。期待外れだ』だってさ」
「そんなネタまみれでも困るって…。せいぜいオウンゴールくらいにしとこうよ」
「しとこうよって、プレイするのは私じゃないし」
「ああ、そうだったね」
 そんなとりとめのない話をしているうちに、部室からサッカー部員がぞろぞろと出てきた。
「隠れよう!」
 悠は陽の手を引いて近くにあった樹の影に隠れた。
「何で隠れるんだよ…」
「静かに!」
 口を尖らせる陽の頭を押さえこみ、身を屈める悠。そのままサッカー部員たちが通り過ぎるのを待つのかと思われたが、列をなす部員たちの中に一際背が高い少年を見つけると、その前に歩み出た。
「やあ」
 小さく手を上げ、微笑む悠。長身の少年、バロージャは立ち止まって振り向く。視線を落として悠の姿を見てとると、
「あ、悠さん。どうしたの?」
 と、笑みを浮かべながらも首を傾げた。
「ああほら、生徒会の合宿だって言ったじゃん。今は休憩時間なんだけど、ちょっと戻りが遅くなりそうな子がいるから、先生に施錠を待ってもらうよう交渉をね」
 もちろん、嘘である。悠は、いかにも偶然を装い、続けた。
「そしたら、ここでバッタリと…。でもその…遅かったんだね。今日は試合だったから、もう帰ってるものと…」
 確かに、サッカー部員がこれだけ残っているというのは予想外ではあった。悠にとっては嬉しい誤算というものである。それが本人の知らぬまに顔に出てしまっていた。バロージャにとってもそれは同様で、こちらも試合中の顔からは想像できないくらいに頬を緩めて笑った。
「ほら、反省会って言うんですか? そういうのだよ。色々と修正点があったからね。本番はともかく、練習試合だから勝てばイイというものじゃないよ」
「なるほどねぇ…」
 二人が話している間に、他のサッカー部員たちは軽く挨拶して通り過ぎていった。特にちょっかいを出してこないのは、自分たちもモテるから余裕があるのか、はたまた悠の性格と毒舌がここまで知れ渡っているからなのか。だが、陽にとってはどうでもいいことである。確実なのは、黙ってこのまま見ているのは非常に癪だということだ。
「法眼さーん」
 と、陽は二人の前に姿を現す。
「ほら、早く行かないと間に合わないよ」
 すると悠は、手を合わせて小さく頭を下げる。
「ごめん墳本。頼むわ」
 だが、陽としては独りにされても困るので、食い下がる。
「でも、法眼さんの方が先生に顔利くでしょう。今は一刻を争う状況なんだからさぁ。次のミーティングに人が揃わなかったら拙いよ」
 一応自発的に口裏を合わせたつもりだったが、悠は露骨に眉をひそめた。そして、ツカツカと陽の前に歩み寄り、指先を鼻に突きつける。
「ああもう、空気読めよっ。判るだろ、いい雰囲気じゃないか。ここは遠慮して場を辞すのが、大人の態度ってもんじゃあないの?」
 一応小声ではあるが、口調は厳しく、発言内容は理不尽だ。陽としても反論しないわけにはいかない。
「判るけどさ。だからって、職務放棄を見逃すわけには…」
 それに対する悠の答えは、明確な屁理屈だった。
「これは職務じゃなくて個人裁量でやってることだから、問題なァし! なぁ〜んにも放棄してないね!」
 だが陽は顔色一つ変えず、ここに至った経緯を悠に思い出させようとした。
「でも、その個人裁量とやらは璃音さんとの約束だし、そもそも言いだしっぺは君だよ」
 これには悠もグウの音も出ない。口をついて出た言葉は明らかに苦し紛れだった。
「う…。いやほら、これは…バロージャと一緒なら心強いじゃん?」
「彼、帰れなくなりますよ」
 間もなく、学校は完全閉門である。
「大丈夫。要は、柵に触れないでに越えればいんでしょ。私らには璃音っていう航空戦力があるじゃん」
「はぁ…」
 陽はタメ息を吐いた。悠は何が何でも是が非でも、どんな屁理屈を捏ねてでも別行動したいということだ。
「判ったよ。こっちはこっちで何とかするし…」
「OK、ありがとう。その言葉が聞きたかったんだよ」
「…言わせたんじゃないか」
 陽の表情はどんな穿った解釈をしても不平タップリにしか見えないが、返事としては"YES"であることに違いはない。悠は満足げな表情で踵を返すと、バロージャの手を取って歩き出した。陽は良く判らないまま曖昧な笑みで手を振っているバロージャに小さく頭を下げ、おそらく人の気配が無く遮蔽物が多いあたりに行くであろう二人とは反対の、第二体育館のほうへ向かった。見るとジムも体育館もとっくに照明が落ちており、明るいのは体育職員室だけ。中には数人の教員やコーチが残っているようだ。
(まさか、あの先生の中の誰かがネットに書き込みなんてことは…ありえないよな。色々な意味で…)
 陽の脳裏に、雨だれ式でキーボードを叩く体育教師の姿が浮かんだ。
(ないない。ないね。彼らじゃ多分、ネット検索も出来ないだろうさ)
 ひとりで笑みを浮かべる陽。たが人間には得手不得手があるのだから、バカにするのはよくないと思い直す。もっとも、インターネットが現在の電話やテレビに相当するレベルまで生活に密着するであろう数年後には、そうも言ってはいられなくなるだろうが…。
 だが今は、そんな未来の心配よりも目の前の幽霊探索である。陽は誰もいなくなったはずの部室長屋へと進路を変えた。 
 部活用グラウンド外周、体育館から二十メートルほど離れたところにある二階建ての建物が部室長屋である。各階に八部屋づつ、一階の左端が用具室になっている以外は全てが何らかの屋外競技の部活動に使用されている。
 そんな、体育会系人間の砦である部室長屋を廻って見る陽だったが、何か当てがあるわけではない。そんなわけで、ひとしきり歩いてから何となく空を見上げると、制服姿の女生徒がゆっくりと降りてくるのが見えた。
(璃音さんかな)
 空を飛べる女の子の知り合いは、今のところ彼女しかいない。だが璃音が制服を着ていなかったことを思い出し、陽は身を強張らせた。さらによく見ると髪が長い。これで、その女生徒が明らかに璃音ではないと判った陽は踵を返して逃げ出した。だが、女生徒は陽の行く手を遮るように着地する。慌てて足を止めた陽は、女生徒の顔を見て息を呑んだ。肌が緑色なのである。
「まさか、ミドリたん!?」
 ネタ絵そのままの姿をした存在を前に、陽は動揺を隠せない。だが、状況を把握しようと必死に考えを巡らせる。しかし…、
(どういうことだ!? あの絵は何者かが現物を忠実にスケッチし、かつ脳内で凌辱したものだったのか…。もしくは…僕自身が二次元の世界に迷い込んだとかッ!? やべぇ、その方法を実用化したら、僕は億万長者だッ)
 動揺した頭で考えられることは、やはりロクなものではなかった。
 陽の脳内がゴチャゴチャになっているうちに、ミドリたんは悠然と歩み寄る。そして陽の肩に手を乗せた。
「あの、これは…」
 陽はコミュニケーションをとろうと試みた。だが、ミドリたんは無言で笑みを浮かべると、もう一方の手を陽の腰骨のあたりにまわす。そして小柄とはいえ成人と大差ない体格である陽を、軽々と頭上に持ち上げた。さながらアルゼンチンバックブリーカーである。
「わああああっ!」
 悲鳴を上げる陽。豪快に持ち上げられたお蔭で上空が視界に入ったため、ミドリたんの後を追ってきた璃音の姿が目に飛び込んできた。
「助けて!」
 何とも頼りないが、他に言うべきセリフはない。
 友人のピンチに気付き急降下する璃音に、ミドリたんは陽を投げつけた。
「うわああああっ!」
「きゃっ!」
 思わず回避してしまった璃音だったが、シェルアームを伸ばして陽を受け止める。そして、もう一方のアームからパワーボルトを連射した。
 爆発音とともに土煙が舞う。
 だが、ミドリたんの姿はそこにはない。璃音は視界をめぐらし、ミドリたんの背中を目に留めた。既に距離は開いており、体育館のあたりだ。そのまま進むと裏門に続く林である。
「素早い…」
 璃音は感嘆のタメ息を吐く。それからシェルアームの掌に収まっている陽に向けて肩をすくめた。
「意外と根性悪いみたいなんだよ、彼女」
「そりゃ、あんな扱いを受ければ…。鬼畜通り越して猟奇だよ、ありゃ」
 と、陽も肩をすくめる。例のネタ絵のことを言っているのだ。
「ネタ絵と本人は無関係だと思うけど」
 首を振る璃音に、陽は神妙な顔で問う。
「ところで、つかぬ事をお訊きしますが…。ここって、二次元の世界じゃないよね?」
 璃音は目を丸くして、それから首を捻った。
「違うと思うけど…たぶん…。って、こんなことしてる場合じゃないって!」
 璃音は状況を思い出すし、陽を握ったままでミドリたんの後を追った。真っ直ぐに体育館を通り過ぎ、林に突っ込む。全くスピードを落とすことなく樹木の間を縫って進む璃音。いまだシェルアームに握られたままの陽が悲鳴を上げた。
「うええええっ! 怖いっ!!」
 小柄な璃音が自身の体に応じたライン取りで林を突き進むため、ちょうど頭を横に突き出した形になっている陽はいつ樹に接触するかと戦々恐々である。
「な、なんか扱い悪いぞッ!」
 たまらず不平を洩らすと、璃音は事も無げに言った。
「そんなことないよ」
「嘘だ! 蛍太郎さんだったら、絶対こんな風にしない!」
 その言葉に、璃音は急停止した。
「ぬわっ!」
 急ブレーキの反動で息を詰まらせる陽。言葉を発することはできないまま璃音の顔を見上げると、空いている方の手を口元に当てて考え込んでいた。
「…言われてみれば、そうかも」
「り、璃音さん…っ」
 文句の一つもいうべきだろうが、陽は思い直した。それよりも時間である。
 外出している生徒会メンバーが校内に入れるのは閉門まで。そろそろ駆けこみで一斉に戻ってくる頃だ。そして彼らが使うのは、この林の中を通る裏門である。
「あんまり、ノンビリしていられないよ」
 とりあえず陽が口に出来た言葉はそれだけだったが、璃音は陽の言わんとしていることを把握し、頷いた。
「判ってる」
 璃音は赤い瞳の透視と暗視、加えて過去視を駆使してミドリたんを探す。するとその時、悲鳴があたりに響き渡った。
「あっちだ!」
 それと同時にミドリたんの姿を見つけた璃音は、弾かれたように飛び出す。だが、陽が切羽詰った叫び声を上げたために、またしても急ブレーキをかけることになった。
「璃音さん!」
「どうしたの?」
「…あの、降ろしてよ。自分で追うからっ!」
 陽の切実な、魂の叫びだった。
 

 
 第二体育館の裏は体育教員室から完全に死角になっているだけでなく、林によって裏門からも完全に遮蔽されている。また、地面は剥き出しではなく所々を短い草で覆われていて、座るのにちょうどいい。そういうわけで、ここは時間帯次第ではあるが、大声さえ出さなければ隠れて何かをするにはもってこいの場所だ。たとえばこんな風に、男女が仲良くするとか…。
「う…はあ、あんっ」
 くぐもった声が闇に溶ける。ぴったりと押し付けられた唇と唇のなかで二人の舌が絡み合い、そのたびに熱い吐息が隙間から漏れる。それさえ惜しむように、互いが互いをかき抱きあって二人の距離がゼロに近くなっていく。だが、それは不意に引き離された。
「ごめん、脚攣りそう」
 悠は、無念そうに自分を見下ろしてるバロージャに小さく笑みを向けた。三十センチ近い身長差ゆえ、立ったままキスをするとなると悠はバロージャの首にぶら下がるようにして思い切り背伸びしなければならない。ある程度支えてもらっても時間が経つとつらくなってくる。それで我慢できなくなって、キスを中断することになったわけだ。
「いいえ。こっちこそ、ごめん」
 バロージャは悠を抱き寄せると、その手を引いて地面に座る。体育館の壁を背にしたバロージャの膝の間に収まる形になった悠は、悪戯っぽい笑みを浮かべて擦り寄っていく。
「じゃあ、続きしよっか」
「はいっ」
 頷くバロージャの表情は喜色満面だ。つられて悠も頬を緩ませた。
(もう。可愛いんだから…)
 もう一度キスをしようと悠が唇を寄せると、その腰にバロージャの手がまわり、そしてもう一方の手は胸元を弄り始めた。Tシャツの下はタンクトップという状態の胸を揉むというより撫でられて、悠は身をよじらせた。
「あっ…。あの、続きっていっても、そっちじゃなくてさ。だいたい、もうすぐ門が閉まるってば。時間無いよぉ」
 だがバロージャは真剣そのものの眼差しで言った。
「大丈夫です。速攻でするから」
 それを聞いた途端、悠の表情が一転して険しくなった。
「どんだけ早いのさ…。アンタは出すもん出したらいいかもしんないけど、こっちはそういうんじゃないんだよね」
 それに気圧されて、バロージャはすっかりしょぼくれてしまう。
「う…。スイマセン」
「まあ、余裕ないのは判るけど…」
 それで少し気の毒になって、悠はバロージャの頭を撫でた。ここに連れ込んだのは悠のほうなのだから、あまり強いことは言えない。正味な話、自分もしたいのである。
「門が閉まってもさ、璃音に頼んで外に出してもらえばいいよ。だから、大丈夫」
 悠は、ここぞとばかりに切り札を出した。最初は『時間が無い』といって焦らしておいて、頃合を見てお見舞いするはずだった言葉だ。この件に関しては璃音の承認は得ていないが、よほど気分を害さない限りは問題ないはずだ。
 すると計算どおり、バロージャの顔が一気に明るくなった。
「ホント?」
「ホント。って、幸せそうな顔しちゃってまあ…」
 苦笑する悠。その背中に手を回し、バロージャはゆっくりと草の上に横たえた。悠はゆっくりと目を閉じた。が、違和感を感じて目をあける。そして、驚きに声を詰まらせた。バロージャの背中からニメートルくらい上の空中に、制服姿の女生徒が浮かんでいたのだ。しかも、その肌は緑色だ。
「み、ミドリたん!?」
 悠の視線に気付き、バロージャは振り向いた。そして目を丸くする。
「…シーハルク!?」
「違うって。噂の幽霊だよ!? ゴースト!」
「ええッ!?」
 二人が驚いている間にも、ミドリたんはゆっくりと降りてくる。バロージャは悠の腕を掴んでガバッと身体を起したが、体勢が体勢だけに逃げるのは難しい。
「どうしよう…」
 顔面蒼白の悠を、バロージャが庇い抱きしめた。ミドリたんの足が地に付き、そして一歩二歩と迫ってくる。
「きゃああああああああああああっ!」
 我知らず、悠が悲鳴を上げる。緑色の手が伸びた、そのとき。
「藤宮メガトンパンチ!」
 それから、何かがぶつかり合う鈍い音が響く。
 次の瞬間に悠が見たものは、吹っ飛ばされて樹に貼りついたミドリたんと、地面に膝と手をついた璃音だった。思い切り飛びこんで来てパンチをお見舞いしたので、着地の体勢が崩れたのである。だが、璃音はすぐに立ち上がる。それにあわせたように、ミドリたんも自分の体を樹皮から引き剥がすようにして浮かび上がると、また飛び去っていく。
「うわ。意外としぶとい…」
 璃音は嘆息し、そして悠たちのほうを見た。
「大丈夫…」
 そして二人の状況を確認し、眉をひそめた。
「…みたいだね」
 その言葉に、バロージャは笑ってごまかすのみである。悠はというと、半ば居直っているような様子で平然と口を開いた。
「うん、こっちはお構いなく。続きは是非とも、他所でやっていただきたいなぁと。…でさ、十五分したら来てくれる?」
 璃音は口を尖らせた。
「えーと、自分が招いたこの状況に関して、何かコメントは?」
「助かったからいいじゃん。ありがと」
 と、悠。璃音は呆れ顔で肩をすくめた。
「…そう、判った。この借りは、必ず返してもらうからね」
「うん、返す返す。メシ奢る以外でね」
 満面の笑みで頷く悠。
「はいはい」
 璃音は苦笑して、ミドリたんを追うべく元来た方向をへ戻る。木々の間を縫って飛んでいると、前方の地面を歩いていた陽が手を振って叫んでいた。
「璃音さん! あっち! ミドリたんが!」
 そう言って指差す方向、木々の向うにミドリたんの後ろ姿がある。
「ありがと!」
 林を出る前にと、璃音はスピードを上げた。するとミドリたんは林を出るまでまだ何メートルもあるというところで逃げるのを止め、クルリと振り向くと右腕を突き出す。するとその腕が何倍にも伸びて、璃音の左足首を掴んだ。
「うわっ」
 さらに足首を引っ張られ、体勢を崩す璃音。先制攻撃の効果を確認したミドリたんは左腕も伸ばし、璃音の身体にグルグルと巻きつけて動きを封じ、締めあげた。
「あうっ!」
 呻く璃音を、ミドリたんは伸びた腕の余った分を縮めて間近に引き寄せ、そして口をパックリと開く。アゴがヘビのように二重関節になっているのではないかというほど大きく割れ、濃緑色の舌や喉が璃音に迫ってきた。璃音は戒めを解こうともがいたが、ミドリたんのパワーは存外に強い。シェルアームを形成しようと試みても、ミドリたんの腕により隙間なく締め付けられているため作動できない。
 そこで璃音は発想を切り替えることにした。
 身体を捻ると、璃音はその場でドリルのように回転した。すると、振り回される形になってミドリたん本体が周囲の樹に何度も激突する。これで力が緩んだ隙に、璃音はシェルアームを形成してミドリたんの腕を引き剥がすと、まとめて握りしめ振り回す。そして地面に思い切り叩きつけた。土にめりこむくらいに打ちつけられたが、ミドリたんには発声のための器官は無いらしく、息を詰まらせたような呻きが漏れただけだった。
 これで終わりかと思われたが、ミドリたんは跳ねるように飛び起き、四つん這いになって近くの樹に駆け上った。その様に、璃音は思わず眉をひそめた。
「うげ、気持ち悪い…」
 さらにミドリたんの胴が、ちょうど幹を二周り半するほど伸びて樹に固定される。そして、両手両脚が前に突き出され、一斉に伸びた。
「うわぁっ」
 璃音は大慌てで拳と靴裏を避ける。するとやはり、それぞれはさらに伸び続け四方向から璃音めがけて向かってきた。いわゆるオールレンジ攻撃である。しかも、半端に人の姿をしているだけに何とも気色悪い有様だ。
(こういう時は…、あの手だね)
 シェルアームを元に戻しながら、璃音はミドリたんの腕を避ける。そして、正面から向かってきた脚を充分ひきつけてから、横に飛ぶ。その先にあった樹の周りを回って方向転換、ジグザグの軌道を取りながら、ミドリたんの手足に追われるままあたりを飛びまわる。数十秒の後、手足の動きが止まった。璃音の一見メチャクチャな軌道はミドリたんの手足をおびき寄せるために計算されていたのである。目の前で、団子結びになった手足が所在なさげに枝からぶら下がっているのを見て、璃音は会心の笑みを浮かべた。
 だが…。
「げっ!」
 璃音は驚きに目を丸くした。
 手足が、団子結びになった先から、さらに伸びてきたのだ。
「まさか、無限に伸びるわけ!?」
 狼狽した璃音の声を聞き、ミドリたんは会心の笑みを浮かべた。だが、その顔はすぐに引きつった。両腕をシェルアームにした璃音が、真っ直ぐに突っ込んできたからだ。
「…なんてね。ある程度予想はついてたんだよ。これなら、逃げられないよね!」
 璃音の狙いはミドリたんの伸びる手足を封じることではなく、本体を釘付けにすることだったのだ。慌てて手脚を縮めようとするミドリたんだったが、あまりに長く伸ばしすぎたために、間に合いそうにない。そこで胴体をさらに伸ばすことで逃げようとしたが、それより早く、
「はあっ!」
 璃音のシェルアームが、ミドリたんの顔面に吸い込まれるようにヒットした。プチッ、とゴムが切れるような音がして、ミドリたんの首が千切れ落ちる。身体のほうは樹木に絡まったままだったが、数秒して緑色をしたゲル状の物体へと変質し、ボトボトと地面に零れ落ちてきた。気がつけば、あたり一面スライムまみれである。
「ふう。やっつけたみたい」
 安堵のタメ息を吐く璃音の背後から、陽が駆け寄ってきた。
「終わったの?」 
「多分…」
 と、言った側から異変が起こった。千切れてその辺に転がっていたはずのミドリたんの首が空中に浮かび、歯を剥きだしにして璃音たちへ突っこんできたのだ。 
「うわああああ!」
 悲鳴を上げる陽を庇い、璃音はパワーシールドを張ってミドリたんの首を弾き飛ばす。だがミドリたん・首は怯むことなく、次なる攻撃の機会をうかがって璃音たちの周りを回る。この光景に、陽は震えながら呟いた。
「これじゃ飛頭蛮だよ…」
 陽の言葉に、璃音は考える。
(飛頭蛮なら、確か朝までにヘッドオンさせなければ退治できるはずだけど、あれがホントに飛頭蛮なわけないよね…)
 だが、首が単独で動いている以上、他の部位の行方も気になる。
「胴体は…」
 見渡すと、あたりにぶちまけられていたゲル状の物体がきれいサッパリ消えていた。璃音はミドリたん・首に気を回しつつも、赤い瞳で周囲を探る。すると、陽が叫んだ。
「自走してるよッ!?」
 見ると、首がないミドリたんが闇の中を駆けていた。後ろ姿がどんどん小さくなっていく。
「まだメインカメラをやられただけだ!」
 陽の口から、そんな言葉がついて出る。どんなときでも国民的ロボットアニメのネタを口にせずにはいられない。コンピューター関連を得意とするだけあって、陽はやはりそういう性分であった。
 それはさておき。この現象から類推すると、ミドリたんは人型をしてはいるが、どこが本体とかいうことはないようである。
「追わなきゃ!」
 飛び立とうとする璃音。だが、不意に腕をひぱられて体勢を崩す。ミドリたん・首がパワーシェルの左袖口に噛み付いていたのだ。
「きゃああああっ!」
 さすがに気持ち悪くなって、璃音は悲鳴を上げた。右腕をシェルアームにして何度も殴りつけるが、ミドリたん・首は離れるどころかますます強く歯を食いしばる。
「この!」
 さらに負傷覚悟でパワーボルトをお見舞いしようとするが、このときすでに、ミドリたん・首は急速に干乾びて一回りほど小さくなっていた。どうやら力尽きたようだ。
「ふう、終わったみたい。…取れないけど」
 干し首がくっ付いたままの袖口を見てタメ息を吐く璃音。ミドリたんの身体の方は、とっくに見失っている。上手いこと時間稼ぎに引っかかったということだ。
「しまったなぁ…」
 落胆する璃音。それを嘲うように、高笑いが林に響き渡った。
「ふはははは!」
 璃音は顔を上げた。嫌というほど聞き覚えのある声である。
「マスタークーイン!」
「そのとおり!」
 威勢のいい声。そしてクーインは、樹の陰から地味に歩いて姿を現した。
「マスタークーイン、大・参・上! 久しぶりだな、藤宮璃音」
「大参上って…。せっかくパワーアップしたんだから、もうちょっと派手に出てきたらいいじゃん」
 するとクーインは鼻で笑った。
「バカだな。私は、大味なのは好かんのだよ」
「あっそ…。大味の極致みたいなの連れ歩いてるくせに」
「ああん? 私個人と部下のパーソナリティに関連なぞはない!」
 声を荒げるクーインに、璃音はあくまで冷静に言葉をかけた。
「で、何しにきたの?」
 クーインは今度は、得意げな笑みを浮かべた。
「極秘プロジェクトのために、ちょっとね。ありていに言えば調査と研究、経過観察だ。…ときに」
 と、クーインは璃音の袖口にぶら下がっている物体に気付き、指差した。
「なんだ、それは?」
「これ?」
 璃音は相手に良く見えるように左手を上げた。
「ミドリたんの首だよ。噛みつかれたの」
 簡潔に事実だけを言う。すると、クーインは顔面蒼白になって狼狽した。
「まさか、幽霊ってのは…」
「そう。ミドリたん」
 璃音がわざと首を近づけるので、クーインは大慌てで飛び退いた。
「ち、近づけるな! グロいだろっ。苦手なんだよ、ホラーとかさっ」
 すると璃音は面白がって、さらに首をクーインの顔へと近づけた。その様は単なる悪戯っ子である。
「うりうり! どうしたの? まさか怖いとかぁ?」
「う、う、う…っ」
 クーインは顔を引きつらせ、そして遂に、走って逃げ出した。
「うわーん! 藤宮璃音が苛めるーぅッ!!」
 物凄いスピードで闇の中へと消えていくクーインの後姿に向かって、璃音は叫んだ。
「これに懲りたら、二度と来るんじゃないぞーっ!」
 こうして、この場に漂い始めた終局ムードを見て取り、陽が恐る恐るながら近寄ってきた。
「おつかれさま…で、いいよね?」
 苦笑する璃音。
「まあ…追い払っただけだけどね。ミドリたんと、クーインと」
「じゃ、帰ろっか」
 陽の言葉に、璃音は頷いた。
「うん。でも、ちょっと用事があるんだ。済ませたら、すぐ戻るよ」
 これから、こなすべき案件は二つ。
 悠のところへ行くこと。そして、この首を分析可能なところへ置いてくることである。
 陽と別れると、璃音は悠が待つ体育館裏へ向かう。袖口にはミドリたんの首をぶら下げたままだが、放置することにした。
(よし。これ、つけたまま行ってやる)
 それなりの雰囲気になっているであろう悠たちへの、ささやかな嫌がらせだ。だが、林の先で待っていた悠は、僅かに眉をひそめただけで平気な顔をしていた。そのうえ月明かりの下でも判るほど、妙に肌が艶やかである。
「やあ、おつかれ。やっつけたみたいじゃん。凄いよ、その干し首。荒くれ和尚みたい」
「まあ、ね。…イカしたファッションだって、追剥も真似すること間違いなしだよ」
 少々疲れた様子で頷いた璃音は、右手をバロージャにさし伸ばした。さすがにバロージャは干し首を見て顔を引きつらせたが、それでも璃音の手を握った。璃音は頷き、
「じゃ、時間までに戻るから。挨拶があったら…いいや、しなくていい。何も言わないで」
 と、バロージャを連れ、木々の葉で覆われた空の上へと消えていった。
 
 
8−
 璃音がセミナーハウスに戻ると、さすがに済まないと思っていたのか悠が入り口で待ってくれていた。 
「やあ、おかえり。色々ありがとうね」
 そうは言うものの、悠に悪びれた様子は無い。璃音は口を尖らせた。
「ふーんだ。悠、借りは返すって言ったよね」
 璃音は既に私服姿である。拗ねたように腕を振るので、つられてミニスカートの裾が揺れた。それを見て、悠はニッコリと笑った。
「うん、返す返す。今日この場から、生徒会副会長であらせられる藤宮璃音さまに、全身全霊粉骨砕身お仕えする所存でございますのことよ。…まずは、そうだな…、風呂上りにって買ってきたプリン、私の分もあげちゃう〜」
「むっ…」
 プリンと聞いて思わず表情が緩んだ璃音だったが、ここは毅然と言い返す。
「そんなことじゃごまかされないんだからね」
「判ってるって。これは私の気持ち。まずは、気持ちから表現してみよっかなぁってね」
「そっか。じゃあ、期待してる」
「まかしといて。じゃ、そろそろ風呂行こうよ」
 そう言って、悠が中へと歩き出す。その背中を見て、璃音は目を丸くして、それから吹き出した。
「ねえ、悠」
 怪訝な顔で振り向いた悠に、璃音は笑いを堪えながら言った。
「Tシャツの背中に草木染が出来てるの、何とかしたほうがいいと思うよ」
 身体を捻って自分の背中を確認し、悠は悲鳴を上げた。
「ギャー! これ、買ったばっかりだったのにッ」
「ははは。お楽しみのツケが回ってきたねぇ」
「うう…っ」
 唇を噛む悠の肩を叩いて、璃音はドアをくぐった。
 予定では午後九時から女子総勢二十三名が順繰りに入浴を始めることになっている。女子全体での持ち時間は一時間。念のため璃音と悠は遅いほうの時間帯にしておいたが、あまり時間がずれ込むと、その後に待っている男子に迷惑がかかる。なにせ次のミーティング開始が十時半である。時刻は九時半になろうかというところで、時間はあるようでない。二人は大急ぎで部屋に戻って着替えを用意し、風呂場へと駆け込んだ。
 それから三十分後。
 このときホールでは、男子総勢十三名が屯してテレビを見ていた。もっとも、本気でテレビに向かっている者は僅かで、それ以外は、既に入浴を終えてきた女子の洗い髪とパジャマ姿を盗み見ていた。
 そんな中、時間ギリギリになって入浴を終えた最後のグループがホールへと入ってきた。先頭は、璃音と悠である。
「お待たせ。女子、入浴完了だよ!」
 璃音の宣言によって男子の入浴時間となる。だが、彼らの出足は鈍い。やはり、女子のパジャマ姿と石鹸の匂いを堪能しないことには、勿体無くて立ち去れないのである。それを察した女生徒の一人が、わざとらしく声をあげる。
「男子、目つきがやらしいよー」
 それに合わせて、他の女子が嬉しそうに嫌がる。
「えー、やだー」
「ヘンターイ」
 これで背中を丸めてしまった男子たち。すると女子数名が面白がって、雑談のフリをしてこんなことを言いだす。
「いやぁ、凄いの見た。先輩の乳、ホントにお湯に浮くんだもん」
「うんうん、凄いよねぇ」
「良いものを拝ませていただきましたぁ。なむなむ…」
 それで、男子たちはもちろん先に戻っていた女子たちの視線も、一斉に璃音に集中した。この会話では"先輩"と言っただけだが、該当するほどの者は他にはいない。
「うう…えーと…」
 璃音は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして硬直した。さすがに今日は夫のワイシャツではなく、お泊り用に使っているパステルオレンジのパジャマを着ている。だが、柔らかく薄い生地の性質上、胸の膨らみが見事に強調されてしまっていて、それがさらに視線のプレッシャーを増強する。耐えかねて涙目になってしまった璃音を庇うように、悠が前に進み出た。
「ほらほら、散った散った。こいつはもう、ダンナに揉んだり挟んだりされてんだから、お前らがそんなに目をギラギラさせてもしょーがないんだよっ」
 あまりに身も蓋も無い物言いではあるが、効果はあったようである。男子たちは背中を丸め、ヨロヨロとホールを去っていった。それから、女子たちは何事も無かったように買ってきていたドリンクなどを片手に雑談に花を咲かせ始めた。悠もホール備え付けの冷蔵庫からスポーツドリンクとプリンを持ってきて、呆然と立ち尽くしている璃音に手渡した。
「はい、璃音の分。約束どおり、プリンはあげる」
「悠…」
 顔を真っ赤にしたまま、璃音が呟く。
「なに、今の…」
「なにって、借りを返そうキャンペーン第一弾だよ。効いただろ」
 カラカラと笑う悠。当然、璃音は頬を膨らませて抗議した。
「火に油を注いだと思うんだけどっ」
「そうかな? 連中たぶん、一晩辛くなるんじゃね? いい気味だね」
 事も無げに言う悠の横を、陽が恨めしそうな顔で通り過ぎた。
「まったくだ…鬼めッ!」
 だが悠は知らぬふりである。しかも、璃音が慰めの言葉をかけようとするのを遮って、こんなことを言う。
「まあ、風呂場ではせいぜい頑張りなよ。変なあだ名つけられないようにね」
「うるさいよ!」
 陽は足早にドアをくぐった。すると、二階から降りてきた貴洛院と鉢合わせする。この男は、未だに学生服のままだった。そのうえ、表情は険しくいかにも不機嫌そうだ。…無理もないことだが。そして、口調からも現在の機嫌がありありと感じとれた。
「クソ、何の騒ぎだ…ッ」
 と、貴洛院はホールを覗きこみ、絶句した。
「な、な…ッ!?」
 そして、怒鳴る。
「お前らなぁッ! こんなパジャマパーティー状態で、真面目な議論なんざ出来るわけないだろぉッ!!」
 陽はそんな貴洛院の肩を叩き、疲れきった表情で言葉をかけた。
「素直に認めたら。『女の子は楽しそうで良いなぁ』って、アンタもそう思ってるよね?」
「黙れっ!」
 噛みつかんばかりの貴洛院だったが、それでは図星だと自分で言っているようなものだ。
 一方、璃音はその間ずっと釈然としない表情で首を傾げていたが、自分の手にある二つのプリンを見ているうちに、だんだんどうでもよくなってきてしまった。
「まあいいか。プリン貰ったし…」
 
 ことほどかように。
 璃音たちが甘酸っぱいような爛れたような微妙な青春物語を繰り広げていた頃。他所でも、緑色のバケモノによる騒動が起こっていたのである。
 

 
 三城大学キャンパスもまた、この時間は静まり返っていた。高校よりも閉門時間は遅いとはいえ、履修ガイダンスが行なわれたばかりで後期セメスター開始までは幾分間があるため、人通りはない。居るとすれば、研究室に残っている者が僅かというだけ。そして平田涼一教授は、その一人だった。
 夜の十時を回った頃。これまでずっと研究室に篭っていた平田教授は、気分転換にと外へ出た。自販機でコーヒーを買い、紙コップ越しの熱に眉をひそめながらも一口啜る。それから一息ついて顔を上げると、目に前に奇妙なモノが立っていた。
 グレーのフードつきマントを羽織った、人のようである。身の丈は二メートル弱、体格からして男だろう。大きいが、人類の標準を逸脱しているわけでもない。ただ、顔や腕が不自然に暗い色をしているのが気になる。暗がりでよく判らないが、緑がかった肌をしているようだ。言うまでもなく、不気味である。
「やあ。見ない顔だね」
 極力フレンドリーな態度を取ってみる平田だったが、内心穏やかではない。相手は一切無言。当然、顔見知りではない。そんなのにじっと睨まれているのだから、自然と心拍数が上がっていく。
 さらに平田は相手の姿から、難民キャンプ状態だった頃のキャンパスで流れていた噂を思い出した。
 キャンプに使っている敷地内に、緑色の幽霊が出るというものだ。
 その幽霊は色のせいもあってか、いつの間にか緑の子鬼、いわばゴブリンのような存在であるということに変化していった。日本でゴブリンも無いだろうが、キャンプには欧米人が大勢居たのだから、彼らが出所だというなら不自然ではない。なんとも節操のない話の展開となっているが、そのあたり所詮は噂である。
 その噂のゴブリンが、目の前に居るヤツだということなのか。先入観を持つのは良くないが、そう思わせるだけの佇まいがソイツにはある。
「えー…じゃあ、これで」
 平田は早急にこの場を去ることにした。踵を返し、足早にもと来た道をもどる。だが、そのゆく手に今度は、緑色の浮遊物体が現れた。それは羽虫の群れのように空中で蠢き、形を変える。不定形ではあるが、薄っすらと人型に見えないこともない。
(今度は幽霊か!?)
 息を呑む平田。その瞬間、目の前の物体が明確なシルエットを描きかけたように見えた。そしてマント男のことを失念していた平田は、背後からの野獣のごとき呻き声に身を強張らせ、振り向いた。すると視界いっぱいに、緑色の顔に爛々と光る黄色の目玉が飛び込んできた。その形相は、確かに人間というよりはゴブリンだ。
「うわああああああああああっ!」
 悲鳴を上げ、尻餅をつく平田。
 ゴブリンは耳まで裂けた口から赤い舌をこぼれさせると、丸太のような腕を振り上げた。
 その時だ。
「藤宮メガトンキーックッ!!」
 鈍い音がしてゴブリンが吹っ飛び、もんどりうって倒れる。代わりにそこに立っていたのは、革のパンツと白いジャケットを身につけた長身の女だった 
「どうも。お久しぶり」
 と、その女は振り向いて笑みを浮かべた。藤宮侑希音である。それに応える平田の表情は、どこか気が抜けている。地獄に仏と言うが、救い主である侑希音の美貌に中てられてしまっていた。
「ああ…結婚式以来ですね。蛍太郎と璃音さんの」
 バケモノに襲われて危機一髪という状況にそぐわない、あまりにも普通なご挨拶だったが、これに対する侑希音の返答もあまりに普通だった。もっとも、彼女にとってはバケモノの一匹や二匹、どうってことはないのだが。
「そうでしたっけ? 意外と会わないものですねぇ。やっぱり、お互い忙しいですから…」
 と、涼しい顔をして侑希音は、容貌とは釣り合わない凶悪な鉄板入り編み上げブーツの踵を、立ち上がってきたゴブリンの顔面に優美なフォームの後ろ回し蹴りで叩きこんだ。
「そのうち、お食事でもご一緒します?」
 昏倒するゴブリンを視界の端に置きつつも、侑希音は息一つ乱さず、笑みを浮かべた。妹の夫の友人へのちょっとした社交辞令のつもりだったのだが、平田は目を輝かせ、凄まじい勢いで飛び起きた。
「はいっ、是非!」
 それに圧倒され、侑希音は頷いた。
「え…、ああ、はい。そのうち…時間があったら…」
 多分無いけど。と、いう言外のメッセージが伝わったか否かは定かではない。侑希音は先生と呼ばれる立場にいる者との深い付き合いは避けるすることに決めているのだが、この会話は平田の叫び声によって途切れることになった。
「まだ幽霊がいる!」
 宙を漂っていた緑色の不定形物体が、侑希音の方へ向かってきたのである。その動きは既に知覚していた侑希音は、まず魔術で障壁を張って不定形物体の動きを止め、凝視する。その結果、相手の正体はすぐに判った。
(やはり、エウェストゥルム結晶体に間違いないな。斐美花の話を聞いてから気にしてはいたが、どこから沸いた?)
 ―エウェストゥルム。
 それは、アストラル界における存在の構成要素だ。精神世界の法則をつかさどるがゆえ、この物質は人間の意識に作用され在り様を変える。このエウェストゥルムを我々が住む物質世界に発生させ、人の意識を術式というプログラムコードで変質させるのが魔術である。
 そういうわけなので、通常この世界に存在するエウェストゥルムは発声させた魔術師の管理下にあることになるが、場所や状況によっては野良状態になることもある。
 なぜなら、どんな精巧な魔術式でも必ずエウェストゥルムのロスが発生するからだ。
 そうして余ったエウェストゥルムは大気中を漂い、やがて寄り集まっていく。もちろん、古来より霊的スポットとされている場所でなどは自然発生する場合がある。だが、その土地に魔術師が滞在している場合はそれが大元となっていることが多い。
 こうして自然界に存在することになったエウェストゥルムは"結晶体"と呼ばれ、魔術式の代わりに周囲の人間の意識やアストラル界を介して受信したもの、たとえば集団無意識の海からの信号などを読み込み、それを術式の代わりである"構成式"にして、在り様を変える。
 つまりエウェストゥルム結晶体は、主のない象徴機械のようなものなのだ。
 目の前の結晶体はまだ初期段階で、完全な形を成すほどの変質はしていない。"緑の幽霊"のままで周囲のイメージが止まってしまっていたからだ。逆に、"緑のゴブリン"として明確なキャラクター性を付与された方は、キャンプの人間の意識による作用を一身に受けて先に進化したということだ。
 だがゴブリンの方はダウンさせてある。現在動いているのは不定形な結晶体だけなので、侑希音はこちらから処理することに決めた。結晶体自身の構成が確定していない初期段階なら、構成式を他の術式で上書きしてやれば処理できるから、面倒が少ない。
 それに、下手に放置しておけば敵が二体になってしまう。一対多、またはそうなりそうな局面では、弱いものから倒して手っ取り早く敵の頭数を減らすというのが、侑希音のセオリーである。
 侑希音は咳払いを一つして、背中を向けたままで平田に言った。
「ちょっとお願いですけど、なるべく何も考えないでいただけますか? アレは、人の思考に反応して変質するものなので。あなたがが幽霊だ幽霊だって言ってると、ホントにそうなってしまうかもしないんです」
「判りました。キャンプの焼きマシュマロのこととか、絶対に考えません」
 平田の威勢の良い回答。侑希音は振り向いて怪訝な顔をした。
「マシュマロ?」
 前にも、侑希音は似たような状況で同じことを言われたことがある。
「…それ、何か由来が?」
 その言葉に、平田は肩を落とした。八十年代に大ヒットした映画の話が通じなかった。すなわち、容赦なくジェネレーションギャップを突きつけられたのである。
「なんでもないです。忘れてください…」
「はあ…」
 侑希音は首をかしげたまま、改めて結晶体の方に向き直った。イデアクリスタルに魔力を走らせ象徴機械・ダンシングクイーンを実体化させると、結晶体に触れさせる。
「燃えろ!」
 間髪いれず、用意していた術式を象徴機械を介して流れ込ませる。今回使ったのは一般的な燃焼術式で、その作用を受けた結晶体は在り様を炎へと変え、そのまま燃えて消え失せた。後に何も残さない最も後腐れの無い処理方法である。
「まず、ひとつ」
 全く油断無く、侑希音とダンシングクイーンの視線が、立ち上がりかけていたゴブリンへと向けられた。
 ゴブリンは頭を振りながら姿勢を整えると、両脚で大地をしめ、吼えた。
「なるほど。すでに、身体の各器官ができてしまってるのか…」
 もしも外観だけのハリボテなら、顔面を蹴られた後に頭を振ることも無い。結晶体の構成式が確立し、このゴブリンの身体は一般的な生物と同様の振る舞いをしているのである。つまり、ちゃんとやっつけなくてはいけないということだ。
 身構えたゴブリンの手にはいつの間にか黒い球体が抱えられていた。それには導火線のようなものがついていて、火花を散らしている。どう見ても、爆弾だ。
「ゴブリングレネードかっ!」
 侑希音はダンシングクイーンに切り刻ませようとするが、導火線はありえないほどの勢いで急速に短くなり、そして…。
 ドン、と周囲の建造物が震える。
 爆弾が爆発し、火柱が上がったのだ。黒煙があたりを覆うが、つむじ風がまき起こり全て一掃する。その中心にいるのはダンシングクイーンだ。そして、障壁で身を守っていた侑希音が飛び出しクリアになった視界を順繰りに確認する。既にゴブリンの姿は無かった。平田は未だ障壁の中にいたが、そこから声をかけた。
「自爆したんじゃないんですか?」
 だが、最後まで残っていた煙が晴れたとき、その遥か向こうに走り去るゴブリンの姿が目に入った。
「いや、逃げた。避難キャンプが解散してしばらく経つから、幾分弱体化してると思ったんだが…」
 唇を噛む侑希音。
 あの方向は、これからが夜本番という繁華街だ。
「なるほど。新たな燃料を得ようってワケだな」
 

 
「まいどあり!」
 焼き鳥屋の親仁は暖簾の外まで馴染みの客を送り出した。
 時刻は十一時をまわったあたり。通りには引っ切り無しに人が行きかい、夜はまだまだこれからである。親仁は店に戻ろうと踵を返した瞬間、何かが動く気配に足を止めた。この人波を前にしても、その気配は強烈な違和感を以って親仁の背筋を硬直させる。この春、地底人にさらわれた経験が神経を過敏にしているのかもしれない。
 親仁はその方向、隣の店舗との隙間に視線をおくる。そこにある幅十センチ程度の空間は既に漆黒の淵と化していた。
 何かいたことは間違いないのだろうが、そこを通るのは猫くらいだろう、と親仁はまたしてもタカをくくっていたが…その時、闇に二つの目が浮かび上がった。目玉は親仁を見おろし、炯々と光を放っている。
 そして、今までどうやってそこに収まっていたのか、緑色の顔をした大男が飛び出してきた。大学から逃走してきたゴブリンだ。
「うわああああッ!」
 親仁の悲鳴が通行人の足を止める。始めは好奇の視線だったものが、すぐ一転して恐怖に染まる。親仁に襲い掛からんとしている異形の存在、このゴブリンの姿は、酉野紫のようなお間抜け怪人を見慣れている市民にとっては刺激が強すぎた。すぐに新たな悲鳴があがり、周囲は騒然とし始める。ゴブリンは神経質な表情で視線をめぐらし、とりあえず手近にいる親仁に向かって腕を振り上げた。
 だが。不意に横っ面に衝撃を受け、ゴブリンは大きく吹っ飛んだ。代わりにそこに立っていたのは、DQUモードとなった侑希音だった。
「さっきと同じパターンになっちまったな。ってか、それを普通に食らってるようじゃ、お前にゃ知能なんざ無いも同然と思っていいんだよな?」
 それを聞いていたゴブリンは、ただ吼えるだけ。言葉は通じていないのだろう。
「判った、もういい。黙ってろ」
 次の瞬間、侑希音のカカトがゴブリンの鼻っ柱を潰す勢いで顔面へとめり込んでいた。さすが強化後だけあって、スピード、パワーともに先ほどとは比べ物にならない。ゴブリンはもんどりうって倒れ、そのまま動かなくなった。
「やれやれ。面倒かけさせやがって…」
 眉根を緩め肩をすくめた侑希音だったが、後ろから何かの気配を感じ、弾かれたように飛び退く。すると、先ほどまで侑希音が居た場所に巨大な物体が落下してきた。どうも付近の雑居ビルから飛び降りてきたらしい。色は、やはり緑。こいつもエウェストゥルム結晶体で間違いない。サイズは人間大だが、プロレスラーを思わせる体躯だ。それだけはなく、背中から数対生えた虫の脚のような器官や長い尻尾が、これをさらに大きく見せていた。さらに尻尾の先にはサソリの毒針を思わせるような物がついている。まさに、緑色をした怪人サソリ男といったところだ。
「ちっ…。ゴブリンの次はサソリか。ここがニューヨークだったら、ドックオクやらサンドマンやらが出てきそうな勢いだな。いや、時期的にはカボチャ男か…」
 侑希音は軽口を叩きながら身構えた。能力はともかくとして、ウエイトではサソリ男に分があるのだから油断は出来ない。相手の構えにサソリ男が唸る。すると、それに合わせたように頭上の電線に加電流が弾けた。両者が、野次馬が視線を上げると、電信柱の上に緑色をベースにしたタイツを着た男が立っていた。もちろん、結晶体ではない。
「お次はオレでどうだい? エレクトロ・デーモン、電気魔人だぜ!」
 その男、ボルタは気取った調子で言った。
「お呼びじゃないって…」
 眉をひそめた侑希音だったが、直後に目を丸くすることになる。
 電柱から飛び降りて着地した瞬間のボルタの上に、押し潰すようにして別の人間が降りたからだ。
 色も相まって潰れた蛙のような状態になったボルタの背中の上で腕組みをしていたのは、黒コートとアイマスクを身につけたヒーローだった。Mr.グラヴィティである。
「待たせたな!」
 動かなくなったボルタに止めを刺すかのようにブーツを食い込ませながら跳躍すると、Mr.グラヴィティは侑希音の隣に立った。
「…酒臭いね」
 侑希音の言葉にMr.グラヴィティは首を振り、それから大きく胸を張って断言した。
「心配ない。酔ってないからなッ」
「酔ってるヤツは皆そう言うんだよ」
「んなこたぁない!」
 そう言いながら二人は、振り下ろされたサソリの尻尾を揃ってかわした。そして、何の合図も無しに散開する。まず、侑希音がサソリ男の真横を走り抜ける。その姿を目で追おうと身を捻ったサソリ男の背後からMr.グラヴィティが空手チョップを食らわし、背から生えた虫の脚を叩き折る。サソリ男は怒りの呻き声をあげ尻尾を振り下ろすが、Mr.グラヴィティは尾の先端を脇に抱え込み、ガッシリと押さえ込んだ。
「ふふ。力比べといこうか!」
 望むところとばかりにサソリ男は大地を踏みしめ、腰を落とす。だが、目にも止まらぬ勢いで駆けて来た侑希音に膝の裏を蹴られ、大きく体勢を崩した。
「よっしゃ!」
 こうなると、もはやサソリ男になす術はない。
 ジャイアントスイングよろしくいい様に振り回され、路面に叩きつけられた。そして、そのまま動かなくなる。ヒーロー陣営の勝利に人々が大きな拍手を贈った。
「終わったな」
 満足げに頷くMr.グラヴィティ。侑希音は小さく頷いた。
「まあ、後始末はあるけど」
 その言葉に、Mr.グラヴィティはアイマスクの下の眉をひそめた。
「コイツらの素性、心当たりがあるのか?」
「ああ…」
 持論を話そうとした侑希音だったが、その目の前で動かなくなっていたゴブリンとサソリ男が溶けるようにして形を失い、緑色の不定形物となって路上にぶちまけられた。お世辞にも美しい光景ではない。
「ううっ…」
 それを見たMr.グラヴィティが口に手を当てる。飲んだ後の立ち回りで、しかもこれだ。妙なツボに入ってしまったのである。
 既に元の姿に戻っていた侑希音は、肩をすくめた。
「ほら、飲んでたじゃん…」
 それから、侑希音はあたりを見渡す。結晶体の始末はこれからするとして、ダウンしたままのボルタはどうしたものかと侑希音はタメ息を吐いた。
 
 
9−
 翌日の夕刻。
 斐美花が蔵太庵で店番をしていると、不意にドアが開いた。ここのところの経験から客なんて来ないだろうと番台でくつろいでいた斐美花は、思わず悲鳴を上げてしまった。
「きゃっ!」
 その間にも足音はどんどん近づき、雑に配置された棚を掻き分けるようにして現れたのは、学校帰りの璃音だった。斐美花を見て、少々呆れ顔である。
「…まさか、そんなお出迎えされるなんて」
「はは…。ほら、誰も来ないと思ってたから」
 苦笑する斐美花と店の様子を交互に見て、璃音は肩をすくめた。
「そうだね。わたしだってお客さんじゃないし」
 それから改めて、璃音は言った。
「亜沙美さん、いる?」
 数分後。
 璃音は見るからに不機嫌な亜沙美とちゃぶ台を挟み、自分で淹れた茶を啜っていた。
「あー」
 亜沙美が呻く。だらけた姿勢のお蔭でせっかくの美貌が台無しである。
「あれなぁ」
 と、亜沙美は心底面倒臭そうに口を開いた。
「ミドリたんだっけ? やっぱ、結晶体だったわ。メンドーなことにね」
「そうですか」
 璃音は気の無い返事を返した。言外に、
「じゃ、あとはよろしく」
 と、いう意が含まれている。
 エウェストゥルム結晶体の発生源として最も可能性が高いのは魔術師である以上、これを魔術師の手で処理をするのは当然の義務だ。その旨は国際魔術師協会、FISAの憲章にも明記されており、各魔術師協会で地域間のエウェストゥルム排出権ビジネスを成立させているほど業界として気を遣って取組んでいる事柄である。道義的にもやはり、自分で出したゴミは自分で始末するべきであることはいうまでもない。
 だが、亜沙美は気の無い返事を返すだけだった。
「えー。やっぱ、私なのか?」
 璃音は口を尖らせた。
「そりゃそうでしょうよ。このところ、何か色々と作ってるみたいじゃないですか」
「そうだけどさ」
 このところ亜沙美はアディッショナル・シェルの改造に没頭している。その際の材料加工や組み立てに魔術を使うのだから、日頃よりもエウェストゥルム排出量は増えていることになる。
「黙ってりゃ、お前らがやってくれるかなぁって…。ほら、侑希音はどうしたんだよ?」
「今朝、日本を出ましたよ。亜沙美さんにやらせとけって。なんか、中南米で業界の情勢が騒がしくなったとかで」
「地球の裏側なんてどうでもいいじゃねぇか…。どうせ、あそこの魔術師協会なんか年中騒がしいっての。それより、地元の方が大事だろうに」
 と、亜沙美が偉そうに姉を批判するので、璃音は少し口を尖らせた。
「亜沙美さんにとっても地元ですよ、ここは」
 この街をホームタウンとしている魔術師は二人居るが、根無し草の侑希音よりは亜沙美の方が責任を取って然るべきということになる。
「えー。メンドクサイ。璃音、お前やれよ。地元だろ」
 その物言いに、璃音は頭を振った。
「あのですね、もうすぐ学祭なの。わたし忙しいんです。だから亜沙美さん…ほら、試し斬りだと思ってさ。ね?」
 試し斬りという単語に、亜沙美は敏感に反応した。それまでとはうって変わり目に生気が宿る。
「あー、そっか。でも、試し斬りだったらもうちょっとデカくなってもらわないと役者不足だなぁ…。一ヵ月後くらいでいい?」
「亜沙美さん!」
 ついに眉を吊り上げる璃音。それでさすがに、亜沙美は渋々ながらも頷いた。
「判ったよ…。でさ、引き受けるにあたり、頼みがあるんだけど」
「なんです?」
 理はあるとはいえ面倒を押し付ける形に違いはないので、璃音は多少の譲歩ならするつもりでいた。だが、すぐに後悔する。亜沙美の言葉は璃音の予想を遥かに超えたものだったからだ。
「シェルの試運転を兼ねるからさ、不測の事態に備えて付き添ってくれないかな? 乗りかかった船だろ。な? な?」
 璃音は呆然と口を開け、十数秒の後に力なく呻いた。
「頼んだ意味ナシですね…」
 

 
「なあ。なにも今日動くこたぁないだろう」
 夜の街を歩く二人の女。そのうちの一人、蔵太亜沙美は呆れ顔である。だがも一人、藤宮璃音は彼女には珍しく、噛みつくような調子で言った。
「わたしは忙しいっていってるじゃないですか。こうなったら、何が何でも今日中にカタをつけてください!」
 あのあと璃音は、一度家に戻り食事と着替えを済ませてから改めて蔵太庵を訪れ、亜沙美を連れ出した。わざわざ帰宅したのは、仮にも現職の生徒会副会長が夜の街をうろつくのに制服姿は拙いと考えたからだ。食事は外で済ませることも出来るが着替えは無理だ。衣類を現地調達するわけにも、ずっとパワーシェル姿でいるわけにもいかない。
 そうして、夜八時を回った商店街を並んで歩く璃音と亜沙美だったが、結晶体と思われる物体を見つけることは出来なかった。
「やっぱ、これからの時間はあっちだろ」
 と、亜沙美は繁華街の方へ視線を送った。事実、今は少なくない人の流れがそちらへ向いている。さらに、
「ある程度以上成長した結晶体は、進んで人目に付こうとするからな」
 と、そんなことをしたり顔で言う。だが、璃音は首を振った。
「未成年ですよ、わたしは」
「いいんじゃねぇ? 人妻だし」
 悪戯っぽく笑う亜沙美に、璃音は冷めた視線を向けた。
「関係ないですよ。成年擬制したって未成年は未成年です」
「はあ、さいですか」
 亜沙美がつまらなそうな、寂しそうな顔をしたので、璃音は苦笑しながら言う。
「夜十時までは付き合えますけどね」
「そっか。じゃあ、いこう!」
 亜沙美は嬉々として璃音の手を握ると、繁華街へと勢い良く駆けて行った。
(そっか。見せたくなったんだな、試し斬り…)
 完全に振り回されているような気がして、璃音は内心肩を落とした。そのまま済し崩し的に繁華街へと足を踏み入れる。平日だというのに人通りはそれなりに多く、やはり大学生が夏期休暇から戻ってきたのが大きいのだろうと感じさせた。そして人が多い分、騒ぎが起こっているのもすぐに判った。
 通りの真ん中で人の流れが止まっていて、その向こうで何やらざわめきが聞こえてくる。璃音は長身の亜沙美を盾代わりにして人垣を押しのけ、前に進み出た。
「何すんだよ…」
 文句の一つも言いたげな亜沙美だったが、目の前の光景にサッと表情が変わる。道路の真ん中に、緑色のゲル状物体がこんもりと盛り上げられていたからだ。
「コイツだな…」
 眦を吊り上げ、亜沙美はゲル、即ちエウェストゥルム結晶体を睨みつけた。そして、視線は外さないままで周囲に向かって叫ぶ。
「お前ら! 楽しい呑みの時間はオシマイだ。怪我したくなかったら、さっさとお家に帰るこったな!」
 その声に反応してか、はたまた魔術師の気配を悟ってか。結晶体が蠢き始め、次第に人型を成していく。
(ミドリたんじゃ、ない…)
 目を見張る璃音。結晶体は顔のない大男の姿となっていた。身の丈は五メートルはあるだろう。表皮が筋肉のように隆々と脈打ち、上半身が異常に大きく発達している。
「よし。覚悟しろよ!」
 それでも亜沙美は少しも動ぜず、口の端で笑みを浮かべると首から提げているイデアクリスタルに魔力を走らせ、朗々と呪文を詠唱した。
「カヴカリカ・カラヴィカ・カノマ・カレノン・カレカステ・ネイ! 来たれ白刃 血風戦ぐ剣戟の宴を、いざ!」
 次の瞬間、迸る光の中から象徴機械・アームズオペラが降り立った。その姿を目にした人々は我先にと一斉に走り去っていく。あたりの店も次々と客を帰してシャッターを閉め、気がつけば通りに居るのは亜沙美と結晶体、そして璃音だけとなっていた。
(うわぁ…。わたしのときも、みんな見てないで避難してくれればいいのに)
 内心そんなことを呟きつつ、璃音は退いて戦局を見守ることにした。それと入れ替わりに、アームズオペラは一歩前に進み出て腕を天に向け掲げた。いかに斬れぬものなどない光の剣・クラウソナスでも、相手の腕が刃渡りよりも倍は太いのでは分が悪いはずだ。だが亜沙美は、むしろ楽しげな笑みを浮かべていた。
「一気に決めるぞ!」
 その声とともに転送術式が発動し、アームズオペラの右腕に変化が起こった。その周囲に発生した光の中から、次々と機械的なパーツが現れ、装着されていく。
「アディッショナルシェル・バローネ!」
 シェル装着により、アームズオペラの右腕は巨大な手甲によって全体がシオマネキのハサミのように大きく膨れあがった。そして、その手に握られているのは刃渡り二メートルを越える長剣だ。これこそが、等身大サイズにおける一撃の威力を追求した追加兵装、バローネである。
(これが、新しくなったシェル?)
 璃音はアームズオペラの肥大化した右腕を凝視する。外見上の差異にはこのときは気付かなかったが、シェル全体にパワーが沸いているに見えた。そのパワーが、手に握られた長剣に集中していく。この剣はクラウソナスと同様の力を持っており、起動と同時に周囲の大気中に存在するあらゆる原子を光子へと分解し、輝き始めた。
 結晶体の大男は剣の光を合図としたかのように真横へ跳躍した。その動きは巨体からは想像もつかないほど素早く、獲物に襲い掛かる肉食獣のようだ。
「なるほど。早いな」
 感心したように呟く亜沙美だが、眉根は全く動いていない。確かに相手のスピードは平時のアームズオペラなら充分ついていけるレベルだ。だが、今は攻撃力増強のためにアンバランスになっている。パワーアップが逆に仇となったのではないか? 璃音は固唾をのんだ。
 だが。
 アームズオペラ・バローネの一撃は、まさに稲妻の如くであった。
 大男を迎え撃つべく逆袈裟に斬り上げられた長剣は、通常装備の時と遜色ないスピードで緑の巨体に叩きこまれた。
「砕け散れ!」
 そして、さらなる斬撃が凄まじいスピードで次々と撃ち下ろされ、薙ぎ払われ、振り上げられる。その度に大男は身体のパーツを失い、そしてついに細切れになって路上にブチ撒けられた。
「フッ…笑止な。全く他愛も無いことよ」
 湯気を上げて消滅していく結晶体を一瞥し、亜沙美は満足げな笑みを浮かべ、璃音に流し目を送りコメントを要求する。
「はい、凄いです。前よりずっと早いっていうか、遅くなってないっていうか…」
 璃音は素直に賛辞を贈った。これが今までの作業の成果だろう。ここで、璃音は気づいた。かつてはシェルの肘に剣の重さとバランスを取るためのカウンターウェイトを設置されていたが、今はそれが無い。と、いうことは、シェル全体で大幅な軽量化に成功したということになる。
 璃音の言葉に気を良くした亜沙美は、得意げに解説を始めた。
「ふふふ。今回の改修で、シェルの構造材を地底人からせしめたミトヒコナ鋼製のハイブリッドフレームに全入れ替えたのさ」
 半月前の地底人出現とそれに附帯した騒動を思い出し、璃音はタメ息を吐いた。あれとひきかえに、パワーアップ大作戦が成功したということだ。当然、亜沙美は璃音の顔色など知ったことかとばかりに話を続けた。誇らしげに。
「その性質を利用してフレーム自体に魔力源とエネルギー伝達系、情報伝達系の機能を持たせたんだ。以前のように魔力炉を内蔵しなくても機能するだけのエネルギーが常に供給され、さらに各伝達系はケーブルやパイプを通していた時とは比べ物にならないくらいチャンネル数が増えるから、処理効率が飛躍的に上がるのさ。通る管が単純に太くなるんだからね。
 こうして為された軽量化と効率化で、バローネを装備しても二十パーセント程度の速度低下で済むというワケだ。なんたって、魔力炉を積まなくて良くなったのはデカイよな。その分だけ軽くなるのに、出力は変わらないだからな。凄いだろ」
 得意満面の亜沙美に、璃音の言葉は素っ気なかった。
「わたしさっき、凄いって言いましたよ」
「…そうかい」
 つまらなそうに口を尖らせた亜沙美だったが、すぐに表情が一変した。
「おい。この気配は…」
 そう言われて璃音はあたりを透視し、初めてそれに気付いた。
「まさか…」
 その、まさかだった。
 周囲の店や雑居ビルの屋上に、先ほどの大男と同じ形をとった結晶体が現れたのである。それも一体ではない。あれよあれよという間に数を増やし総勢十体。次々と姿を現したのだ。
 璃音は思わず叫んでいた。 
「なんでこんなに! 産廃ダダ流しですか!」
 当然、亜沙美はムキになって反論する。
「いや待て! さすがにこりゃ、私のせいじゃないぞ! 確かに私は無所属だが、技術は最新だ。FISA議定書の排出基準だって、自主的にちゃーんと批准してるって! ショボい術式しか扱えないと思われたら嫌だからなッ!」
 それでも璃音に不信の眼差しを向けられていた亜沙美だったが、思いがけない人物の登場によって潔白が証明された。結晶体軍団の真ん中に現れた、マントとアイマスクの怪人がネオン焼けした空に高笑いを響かせたのだ。
 マスタークーインである。
「ふははははッ! 見たか、我が酉野紫が誇る結晶体軍団、"グリーンワンダラーズ"をッ! 今日という今日は、貴様らの息の根を止めてくれるからなッ!!」
 さらに高笑いを続けるクーインに、それを打ち消すような威圧感を以って亜沙美が問う。
「これだけの結晶体、どこで入手したッ」
「ひーみーちゅー」
 優位に立つがゆえ、クーインの返事は実にふざけていた。調子に乗った表情でさらに続ける。
「産出場所については一切教えられないねぇ。ま、かなりの量であったことは確かだがな」
 そしてクーインの話はまだまだ続く。頼みもしないのに。
「育成方法は実に簡単だ。まず、ウチの部下たちを結晶体とともに暗室に入れる。そこで彼らに頭の中で"特定のモノ"を思い描き続けさせることで、結晶体の生長を促したのだよ。この方法なら、生長後の形をある程度操作することが出来るという結論に至ったのだ。街に放して成り行きを見守るというのは、あまりにリスキー過ぎたからな。何になるのか判らんのでは話にならん」
(つまり、一連の幽霊とか怪物の騒ぎはアイツの仕業だったってことだね…)
 璃音は小さく頷き、亜沙美の方を見た。すると、
「くそ、なんだよイイ気になりやがってッ。今、持ち物自慢していいのは私の方だっての。気にくわねぇ…ッ」
 と、亜沙美は感情剥き出しで歯軋りしていた。璃音は努めて覚めた調子で、一言。
「さっきの亜沙美さんも、あんな調子でしたよ」
「く…ッ!」
 亜沙美は何も言わず、クーインを睨む振りをして璃音から顔を背けた。するとクーインは不敵な笑みを返してくる。
「いいぞ。勝負といこうではないか。
 ちなみに、部下たちは心労で倒れたから今日は居ない。まあ、無理もなかろう。三日三晩、最も頑強かつ理想的な筋肉のこと以外考えるのを禁止したのだからな。その間、休憩時に見てもよいものはボディビル雑誌とフィットネスDVDのみ。実に辛く厳しい三日間であったろうよ。
 だが、貴様らにとっては僥倖だ。おかげで心置きなく我がグリーンワンダラーズとの戦いを堪能できるのだからな。感謝するがよいッ!!」
 その言葉に璃音は青ざめ、絶句した。
「酷い…仲間をなんだと思ってるの…」
 裏腹に亜沙美は呆れ顔である。
「そんな大層なことかぁ?」
「あんな筋肉のことばっかり考えてたら、頭がおかしくなってしまいます!」
「…あいつらの頭、最初っからおかしいじゃん。今さらどうにかなったって、大勢に影響ないって」
 亜沙美の物言いは実に身も蓋も無いものだったが、それを聞いた璃音は胸を撫で下ろした。
「そっか…それもそうですよね。よかったぁ」
「よかったっつーか、どうでもいいっつーか…」
 亜沙美は心底興味無しといった顔で肩をすくめ、それからグリーンワンダラーズに向き直った。
「よし、やってやろうじゃないか」
 気合とともに、転送術式を紡ぐ。アームズオペラの左腕にも同様のシェルが装着され、長剣二刀流となった。これも軽量化の為せる業だ。
「お前も手伝え」
 言われるまでもなく、璃音はすでに光のカーテンの中でパワーシェルの装着を終えていた。そして、クーインがマントを翻すと同時にグリーンワンダラーズがビルを駆け下り雪崩のように押し寄せて来る。
「しゃらくせぇ!」
 単数ならばグリーンワンダラーとでもいうべきか。さっそく一体、アームズオペラの長剣二刀流をまともに受けて上半身と下半身が泣き別れした。だが、その背後から二体のグリーンワンダラーが大きく跳躍して亜沙美めがけて飛びかかる。同時にアームズオペラも左右同時に攻撃を受け、両の手甲で緑の拳を受け止めている。
「ちっ」
 亜沙美は自分に飛びかかってきたグリーンワンダラーに攻撃魔術・マジックミサイルを放った。光弾は全て命中したが、緑の大男たちは全く怯むことなく真っ直ぐに落下してくる。そこへ、璃音が飛びこんで連続でパンチを食らわせる。グリーンワンダラーたちは吹っ飛び、路上へ落下した。
「亜沙美さん!」
「悪いな。あいつら、予想外に硬い」
 眉をひそめた亜沙美は、自分の頭上に浮いている璃音に声をかける。それで、彼女に背後から飛びかかる影に気付いた。
「おい!」
 だが間に合わず、璃音は背中からグリーンワンダラーに組み付かれ、もろともに路上に転がる。
「きゃっ!」
 悲鳴を上げた璃音だったが、すぐに渾身の力を込めて相手を撥ね退けようとする。だが、背中に圧しかかり両腕を押さえつけてくるグリーンワンダラーはビクともしない。そのパワーは璃音を上回っていた。
「くっ…なんて馬鹿力…」
 呻く璃音を雑居ビルから見下ろし、クーインは高笑いした。
「そりゃあそうさ! グリーンワンダラーズを育てたのは酉野紫だ。アイツらにとっての理想の肉体が、アイツらより弱いワケ無いだろォーッ!」
 だがその直後、グリーンワンダラーは全身を硬直させた。背中に、アームズオペラの剣が深々と突き刺さっている。
「まあ、お頭はトントンのようだけどな」
 皮肉な笑みを浮かべる亜沙美。璃音は崩れ始めたグリーンワンラダラーを跳ね除けると残りの集団に向かって放り投げ、その間に距離をとる。それに合わせて亜沙美はアームズオペラを自分の傍らまで退かせ、密集隊形をとった。
 グリーンワンダラーズは残り七体。アームズオペラの剣に斬れぬものは無いゆえ一撃で倒せることに違いはないが、個々の能力は高く、しかも数が多い。これでは肝心の一太刀を浴びせるまで相当の苦戦を強いられそうだ。璃音と亜沙美は予想外の事態に驚きを隠しきれない。
 一方、マスタークーインも早々に三体のグリーンワンダラーを失ったことに動揺していた。単体のスペックに自信はあったし数で押せると思ってはいたが、このままでは徒に戦力を減らすだけではないのか? そんな思いに囚われてしまったのだ。それが、オプションの早まった行使に繋がったのである。
「なかなかやるようだな! だがッ」
 と、クーインは大仰にマントを翻して額に指を当てた。頭痛がするのではなく、これから発動させる超越能力の前フリである。
「これでどうだ! バイオニックコンバインッ!」
 クーインの額からビームが放たれ、次々とグリーンワンダラーズとその残骸に照射される。すると、それぞれが引き寄せられて合体を始めた。エウェストゥルム結晶体は生物ではないので、物体を結合させ作り変えるバイオニックコンバインが有効なのだ。結晶体はみるみるうちに変化を遂げ、全高三十メートルを超える巨人へと姿を変えた。
「見たか! グリーンジャイアントワンダラーだ!! どうだ、恐ろしいだろう! ふはははははッ!!」
 璃音と亜沙美は最初こそ目を丸くしていたが、すぐに安堵で表情を緩めた。亜沙美などは、腹を抱えて笑い出す始末だ。
「ははは! 合体したぞ。バッカで〜。自らアドバンテージを捨てやがった。七体居るから厄介なのであって、単体ならどんなにデカかろうが怖くもなんともないね!」
「なにをォッ! 減らず口はジャイアントのパワーを見てから利くんだな!」
 顔を真っ赤にして怒鳴るクーイン。ジャイアントワンダラーが拳を撃ち下ろし轟音とともに周囲の道路が波打つ中、璃音は飛んで攻撃を回避し、亜沙美はハイジャンプを繰り返すアームズオペラの腕に掴って新たな転送術式を起動する。
「アディッショナルシェル・ドゥーカ!」
 術式が走り始めるとともに、荘重なオーケストラサウンドがいずこかより響く。
『交響詩 ツラトゥストラはかく語りき』
 その調べが頂点に達すると同時に…光が弾けた。
 勇壮なメロディと対旋律に磨き上げられるように、それはゆっくりと閃光の中から浮かび上がる。全高二十メートル、白銀と紅に彩られた巨人の姿が、立ち消えたネオンに代わり夜空を焦がさんばかりの輝きとともに大地に降り立った。アームズオペラ最大最強のシェル、ドゥーカだ。既にコックピットへと転送されていた亜沙美はシートにどっかりと座り、搭載されたAIに指示を飛ばす。
「アームズオペラ・ドゥーカ、起動!」
「了解!」
 以前から搭載されていた魔力炉に加え、全身を構成するハイブリッドフレームからのエネルギーがシェル全体を満たしていく。その魔力量のデータを亜沙美の頭の中に直に転送しながら、超AIロボヘッドは音声での報告も同時に行う。
「起動成功。総出力百パーセントアップ。オメデトウゴザイマス」
「成功? そんなの当然だろ。めでたいことあるか。カタログ値上の数値はちゃんと出るように出来てる。参考までに運動性は百七十四パーセント、処理速度二百十九パーセントアップだ。してるだろ?」
「ハイ」
「じゃあ、そいつにさっさと慣れることだ。今日の相手は肩慣らしにはうってつけだからな」
 亜沙美の言葉とともにAOドゥーカの双眸が鋭く光を放つ。それを挑発ととって、クーインが怒鳴った。
「こしゃくな! こっちの方がデカいんだぞ!」
 ジャイアントワンダラーが両腕を振り上げ吼えるが、亜沙美はそれを鼻で笑う。
「ケッ! そんなん、そそり立つ緑のクソだ」
 その言葉が通じたのか、ジャイアントワンダラーは怒りも露わに突進してきた。そして拳を思い切り振り回す。だが、
「遅い!」
 AOドゥーカはひらりとそれをかわし、近場のビルを利用して三角跳びでジャイアントワンダラーの頭上へと躍り出た。
「いくぞ! クラウソナス!!」
 輝ける不敗の大剣が抜き放たれた。
「マルチプルドライブ、起動!」
 亜沙美はさらに新装備の力を試すことにする。
 マルチプルドライブ。それは後にカイオウシステムの異名をとることになる奇想兵器だ。
 空間をゆがめ魔力炉心を偏在させることで分身状態とし、出力を倍化させるシステムである。つまり仮想的に動力炉を増やし、直列つなぎにしようというわけだ。理論上は十倍、即ち九百パーセントアップまで可能であるが、どこまで出力を上げられるかは術者の力量による。もっとも、高い係数まで炉の出力を上げる際には術者も魔力を高める必要があるため、それによってカーネルのパワーも増大し基の出力が変動するので単純に倍加するわけではない。実際には四倍程度の強化でも莫大なエネルギーを生み出すことが出来るとされている。ただし、設置にはそれなりのスペースが必要なのでメガクラスシェルにしか搭載することは出来ない。つまり、AOドゥーカにはうってつけだ。
「じゃ、小手調べに三倍いってみるか!」
「了解ッ!」
 ジェット機のエンジン音を思わせる甲高い唸りがして、機体全体がエネルギーの高まりで眩く輝き始めた。光の衣をまとったAOドゥーカは、さらなる輝きを放つ剣を振りあげ急降下、一気に叩きつける。
 轟音が響き大地が揺れる。これはAOドゥーカが着地したためだ。ジャイアントワンダラーの方は、室温放置したバターのようにいとも容易く音も無く、断末魔の暇も与えられずに、脳天から一刀のもとに両断されていた。それどころか、余剰エネルギーによる高温高圧の奔流によって半身が残らず消し飛んでいる。
「なにぃぃぃぃぃぃーッ!!」
 悲鳴はクーインのものだった。頭を抱え、新しい手駒の敢え無い最期という受け入れ難い状況を凝視している。璃音はというと、言葉もないままに新しい力を得たAOドゥーカの姿を眺めていた。今までとは次元が違う強さであると、認めざるを得ない。さらに、エネルギーの波動がレジーナ・ドーロによく似ていることにも気付いていた。
(そうか…ユウリちゃんが手を貸したんだ…)
 亜沙美とユウリの間には璃音が知らない繋がりがあるのか、はたまたこの先の未来において出来ることになっているのか。いずれにしても、魔術というテクノロジーが持つ底力を改めて思い知ることになった。
 AOドゥーカはおもむろに、見せつけるように剣を収めると、積みあがった結晶体の残骸に背を向けた。
「キマった…」
 すっかり余韻に浸っていて亜沙美が動かないので、璃音は肩を落としているクーインのところへ飛んだ。
「ほら。もう負けたんだから、大人しく捕まりなさい」
 それでクーインは我に返り、ブンブンと首を振って拒否する。
「い、嫌だ!」
「しょうがないなぁ…」
 と、璃音がシェルアームを形成しかけた、その時。
 辺りが大きく揺れた。
(地震!?)
 だが揺れは二度、三度と立て続けに起こり、脳天に響く轟音がどんどん大きくなっていく。一定のリズムを保って訪れるそれは、地震というよりも何か巨大なモノの足音のように思える。だがこれが足音であれば、その主は先日相手にした宇宙怪獣よりずっと大きいということになる。
(そんなことって…)
 と、璃音は首を振ったが、しかし。頭上を覆った圧倒的なプレッシャーに恐る恐る視線を上げ、息を呑んだ。同時に、クーインの呻き声も横から聞こえてくる。
 そこにいたのは、四階建ての雑居ビルを遥かに凌ぐほどに巨大な、ミドリたんだった。
「おいおい、なんだこりゃ!?」
 振り向いたAOドゥーカの中で亜沙美も驚きの声を上げた。相手は、ドゥーカを倍する体躯を持っていたのだから。
 

 
 不意に飛びこんできたインスタントメッセージに、蛍太郎はモニターへと視線を向ける。墳本陽からだ。そこには、匿名掲示板の書き込みをコピー&ペーストしたと思われる文字列がならんでいた。

『【緑軍団】オイお前ら、あの英春学院に出るって本当ですか?Part.15【エロ制服】
 123 超自然名無し 2004/09/29/13:04
 巨大ミドリたん、スペック設定
 身長50メートル、体重25000トン
 口から火炎放射 指先や全身からミサイル 目からビーム』

「どういうつもりだよ、こんなの…」
 ミドリたんの話は璃音から聞いていた蛍太郎だったが、突然こんなものを貼り付けられても何のことだか判らない。そもそも、"巨大"ってどういうことだ? 疑問符だらけの蛍太郎に、次のメッセージが送信されてきた。
『外を見てください 街の方です 早く!』
 蛍太郎は書斎を出て廊下の窓から市街地の方を見下ろし、息を呑んだ。何かが炎上した炎の照り返しに、巨大な女子高生の姿が浮かび上がっていたからだ。慌てて双眼鏡を取って戻り、改めて観察すると、巨大女子高生の肌が緑色であることが確認できた。
「あれがミドリたん、なのか…!?」
 すぐさま蛍太郎は璃音のケータイへかけてみたが、電波が届かない旨のメッセージを聞かされただけだった。これで璃音がパワーシェルを使用中であることを悟った蛍太郎は早足で書斎へと戻った。
 今は現場に駆けつけても彼に出来ることはない。それよりも引っかかることが一つ。あのミドリたんの巨大化が昼の時点で"予言"されていたという事実に何かがあるような気がしてならない。
 蛍太郎はパソコンに向かうと、ケータイで陽を呼び出した。
 
 
10−
 巨大ミドリたんは口から高温の火炎を吐き出し、それが手近なところにあったビルを炎上させた。AOドゥーカが遠慮仮借なくヒラリヒラリと炎を避けるので、一つまた一つと火柱が上がっていく。
「なにやってるんですか!」
 堪らず叫ぶ璃音だったが、亜沙美はつれない言葉を返すだけだった。
「知らん!」
 AOドゥーカは跳躍し、剣を振り上げた。
「四倍だ! 頭叩き割ってやる!」
 激しい輝きとともに光の剣が叩きつけられる。だがミドリたんは左腕で剣を受け止め、身を捻る。結局、今の一撃はミドリたんの左下腕部を切断しただけだった。
「ちっ!」
 舌打ちする亜沙美。着地したAOドゥーカが背中を見せるや、ミドリたんは残った手の指先から弾丸を無数に発射した。
「なんと! フィンガーミサイルか!?」
 バリアを起動し体勢を立て直すAOドゥーカだが、さらにミドリたんの髪の毛が硬質の針に変化して雨あられと降り注ぐ。
「だああっ! だが、四倍バリアはその程度では破れんぞ、はははははッ!!」
 亜沙美は釘付け状態にも関わらず余裕の高笑いだが、そうしている間にも流れ弾が次々と周囲を破壊していく。
「もう…っ」
 璃音は深々とタメ息を吐いた。いつの間にやらマスタークーインは姿を消していたが、今は彼に構っている場合ではない。大急ぎでエンハンサーを放出してフラッフの姿へと変身、炎上しているビルへ向かってヴェルヴェットフェザーを使う。火事を消し止めると、フラッフはAOドゥーカの背後に降り立ってそこでパワーシールドを展開して流れ弾を受け止める。
「…手伝いに来たんじゃないのかよ」
 と、亜沙美。
「必要ですか?」
「全然、いらないね! 野郎、消し飛ばしてやる!」
 亜沙美が意気込むので、ロボヘッドが堪らず声を上げる。
「マスター!」
「どうした?」
「マサカ、"カスパールキャノン"ヲ撃ツツモリデハ、ナイデスヨネ?」
「悪いかよ! 四倍の出力だ。さぞかしデカい花火になるだろうさ!!」
 言うが早いか、肩部上面装甲に内蔵されたカスパールキャノンの砲口が姿を現した。間違いなく本気である。璃音とロボヘッドは声を揃えた。
「ダメ!」
「なんでだよ…」
 亜沙美は不満タラタラだ。押し切ってしまおうかとも思ったが、背後にフラッフが居るという状況を鑑みて、控えることにした。
「判ったよ。三十六剣陣に換装だ」
「了解」
 肩部ウェポンサイロに搭載された転送術式が発動し、カスパールキャノンと入れ替わりに三十六振りの飛剣を操る剣陣ユニットが装着される。ユニットにパワーがまわると、埋め込まれていた三十六個のクリスタルが分離し発光、それぞれが光の剣となって飛び出していく。
「よし。行けッ!」
 飛剣はそれぞれが独立して飛び、亜沙美のコントロールによって自在に攻撃を繰り出す。まず四本が直接ミドリたんを攻撃。フィンガーミサイルと髪ニードルが止んだ隙に、AOドゥーカは前に飛び出した。
「いくぞ!」
 体勢を立て直したミドリたんが火器による迎撃を再開するが、残り三十二本の飛剣が全てインターセプトしていく。
「おおりゃっ!」
 一気に距離をつめたAOドゥーカがクラウソナスが振り下ろす。その切っ先が、ミドリたんの右腕を斬り飛ばした。
「よっしゃ!」
 コックピット内で歓声を上げる亜沙美。だが、すぐにその表情が硬直する。ミドリたんは両腕を失ったにも関わらず怯むことなく、近接状態のAOドゥーカに口からの火炎放射を浴びせてきた。さらに、目からはビームが、全身のあらゆる箇所からフィンガーミサイルと同様の弾丸が、立て続けに発射された。髪ニードルを含めれば、先ほどを遥かに超える分厚い弾幕である。
「ムキィィーッ! 結晶体ごときにィーッ!!」
 亜沙美はバリアの出力を上げ、さらに飛剣でミドリたんの背後を突こうとするが、こちらもミサイルの迎撃を受け思うように進めない。
「なにやってるんですか!」
 璃音は先程より増えた流れ弾に対処すべく、パワーシールドを平面の壁ではなく凹レンズ状に展開し拡散を防ぐ。すると、あっという間にシールドの前に飛来物が堆積し凄まじい勢いで山をなしていった。それとミドリたんとを見比べ、璃音は気付いた。先ほど直したばかりのビルと比べて、ミドリたんが小さくなっているということに。どうやらミドリたんの火器は自らを構成する結晶体そのものを弾としているのようだ。
「亜沙美さん!」
「なんだよ…あとにしてくれって!」
 イライラを隠そうともしない亜沙美に、璃音はさらに声をかけた。
「ミドリたん、小さくなってます!」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声を上げる亜沙美だったが、ロボヘッドが冷静に画像まで表示して解説した。
「確カニ。先ホドト比ベ、三十パーセントホド縮ンデイマス。恐ラク、自ラノ構成材ヲソノママ射出シテイルノデショウ」
「そりゃ、髪の毛針に指鉄砲だもんな」
 分析結果を踏まえ、亜沙美は元気を取り戻した。
「はッ、所詮は結晶体の浅知恵! 攻撃すりゃ小さくなるんじゃ世話ねぇなッ!」
 AOドゥーカは飛剣とともに前に飛び出した。クラウソナスを突き出すと弾幕が激しくなるので、適当に剣を振るって引っ込め、頃合を見て距離をとり弾をかわす。近接されれば防御不能の斬撃が襲ってくるだけに、ミドリたんは弾幕を厚くするしかないのである。これを繰り返して相手の消耗を待とうというのが亜沙美の作戦だ。
「はっはー! 縮め縮めぇー消えちまえー!」
 意気盛んな亜沙美の笑い声に、璃音は半ば呆れ顔である。
「せっかくパワーアップしたのに、セコイですね…」
 だがそれに、間髪入れず亜沙美が反論する。
「やかましい、誰のせいだ! カスパールキャノンを使えば、あんなものまとめて消し飛ばせるんだよッ!」
 怒鳴りながらも亜沙美は攻撃の手を緩めない。そうしているうちに、璃音はパワーシールドの前に積み重なったミドリたんの欠片が蠢き始めていることに気付いた。堆積物は溶けるようにひとつの塊にまとまると、薄く光を放つ。そして、突如飛び跳ねてフラッフめがけて突っ込んできた。
「きゃぁっ!」
 パワーシールド越しの不意討ちにフラッフが体勢を崩す。そのままシールドを利用して三角飛びの要領で上空に跳ねた塊は、さらに変化を遂げミドリたんの形になり、飛び蹴りの体勢をとる。次の瞬間、背中に激しい衝撃を受けたAOドゥーカは路面に伏した。
「分裂したのか!」
 状況を察知した亜沙美だが驚きを隠せない。完全にしてやられたのだ。
「くぅッ…認めたくはない…認めたくはないがッ…」
「浅知恵ハ、コチラノ方デシタネェ」
「認めたくないって言ってるだろぉッ」
 立ち上がったAOドゥーカだったが、ミドリたん一号と二号に挟まれて不利な情勢だ。ミドリたんは確かに縮んではいるが、それぞれが全高二十メートル程度でドゥーカとほぼ同等である。
「面倒なことになってきたな…」
 亜沙美は舌打ちし、飛剣を再コントロールして二体のミドリたんに向けて配置する。先ほどのように挟撃を受けることだけは避けねばならない。
 一方、体勢を立て直したフラッフは救援に向かおうとするが、何かに引っ張られて足止めを食らう。見ると、AOドゥーカに両断されて沈黙したはずのグリーンジャイアントワンダラーの半身がフラッフの脚にしがみ付いていた。身体の切断面にはミドリたんの二本の腕がくっ付いている。息を呑む璃音。
「うそ! さっき、やられたはずじゃ…」
 だが、驚くのはこれからだ。ジャイアントワンダラーは姿を変え、なんとミドリたん三号となったのである。ミドリたんの欠片が残骸に融合し、活動を停止していた結晶体を取りこんでいたのだ。
「ええーッ!?」
 そのままフラッフはビルの上に押し倒されてしまった。
「せっかく直したのに…」
 口を尖らせる璃音。だが今はそれどころではない。とりあえずミドリたんを跳ね除けようと飛行能力にパワーを送るが、相手が力で押さえつけてくるので動けない。そのままフラッフは、ミドリたんにマウントポジションを取られてしまった。
「やだぁ、こんなの!」
 もがくフラッフに向かってミドリたんが拳を振り上げた。それが命中しようかという、そのとき。フラッフが光となって分解した。支えを失ったミドリたんが瓦礫と化したビルに突っ伏す中、光はその上空に集まって再び形を成した。その姿は先ほどとは違い、インサニティエンプレスである。
「こうなったらもう、手加減しないんだから!」
 エンプレスの黒い左腕が光の鎗を形成する。存在自体を消去するパワー、ラディカルベインを宿した一撃が、立ち上がったミドリたんの胸部を撃ち抜いた。
「はあっ!」
 さらに気合とともに光の鎗が弾け、ミドリたんの上半身を消し飛ばす。よろめいたミドリたんだったが、しかし。また結晶体を分裂させて再生し元の姿へと戻る。それでも、身長は三分の二程度に目減りしていた。
「よし、この調子で…」
 意気込む璃音だったが、しかし。突如としてコア周辺のエネルギーが低下し、璃音を包んでいた輝きが一段階、明度を落とした。
「あ、あれ…」
 慌てて状況を把握しようとする璃音だったが、そのときミドリたんの拳がエンプレスの頭を直撃した。するとエンプレスはよろめいて、いともあっさり膝をついてしまった。
「ええっ!?」
 璃音は狼狽した。異世界の魔王を倒したインサニティエンプレスが、ただデカいだけの相手に後れを取るなど予想外だ。しかも、パワーがガクンと落ちている。その原因はラディカルベインしかありえない。なぜなら他には何もしていないからだ。
 ラディカルベインの使用は初めてエンプレスを発現させて以来ということになるが、あの時はこれほどまでパワーを消費はしなかった。いずれにせよ、このところエンプレス起動後に襲われていた疲労は、現在の状況の前触れであったということだろう。
「参ったな…」
 手っ取り早く相手を削れるラディカルベインが多用できないだけでなく、このままでは普通にやられてしまう可能性さえある。
 更なる一撃を加えようと飛びかかってきたミドリたんにパワーボルトを食らわせ、エンプレスはバックステップで逃れようとした。だが、膝に力が入らずそのまま転倒してしまう。すぐに立ち上がろうとするが、びくともしない。
「うそっ…動けない。そんなのないよぉ…」
 今にも泣き出しそうな璃音の視界いっぱいに、エンプレスを見下ろすミドリたんが映し出された。
 

 
 神の回廊。
 どこまでも白く白く、ゆえに自らの位置も曖昧で進んでいるのか戻っているのか、落ちているのか登っているのかも判らない、そんな空間。ここは、時空を超える力を持った者たちがポータルとして用いる亜空間であり、道行く者はその力を以って得られた特殊な感覚のみを頼りにして目的の場所を目指すのだ。
 この白い闇の中を、黄金の翼をはためかせて突き進む者がいた。レジーナドーロである。そのコックピットではユウリがぐいっと背筋を伸ばし、それから首を回すと、思い切り気の抜けた表情で深呼吸をした。
「ん〜、ふふふ。一仕事終えた後はお酒が美味しいんですよねぇ〜」
 あまりに緩んだ主人の物言いに、半ば呆れた調子でD3の声が響く。
「マスター。我々は確かに一仕事終えました。確かに大仕事でしたよ。七十九人もの人間をタイムトラベルで元居た時代に送り返したんですから。でも、まだ一仕事残ってることをお忘れでは無いですよね」
 ユウリは口を尖らせた。
「判ってます。D3こそ、帰還目標日時を間違ってないでしょうね」
「誰に物を言っていますか。それより、エネルギー残量が少ないのが気になります」
「いいよ。どうせ、惑星上じゃクロノテンペストは使えないんですから」
「それもそうですが…」
「大丈夫ですよー。手助けが必要って言ったって、おばあちゃんのことだからそんな大ピンチなワケないじゃないですか。問題ない問題ない」
 楽観ムードしか出していないユウリに、D3は器用にタメ息を吐いてみせた。
「お言葉ですが、あの璃音さまはマスターがご存知の彼女とは違うんですよ。年季が入ってないんですから、当然ながら隙も多いんです。あの方は今のマスターと同い年であるということ、お忘れなきように」
「…ユウリが隙だらけだって言うの?」
「今のその態度。隙じゃなくてなんです?」
 自分の作ったAIに説教されるというのは面白くはないが、事実を指摘されたことに変わりはなく、ユウリは素直に頷いた。
「判りました…。確かにユウリ、油断してました」
「よろしい。では、目的日時にゲート開きます」
「OK!」
 レジーナ・ドーロのオペレーションシステムの機能を果たしているのはD3だが、動力源はユウリ自身と、その魔力によって励起される魔力炉である。時空のゲートを開くといった多大なエネルギーを使う動作は両者の連携なくして成り立たないのである。
 機体から溢れた金色の光が輪となり、白い空間に黒い穴を開けた。これがゲートだ。ユウリは操縦系統をD3から譲り受けると、ゆっくりとその中へと機を進める。このとき不意に、ユウリは視界の端に何か動くものを捉えたような気がした。
(…なにか、いる?)
 だが、センサーを確認しても異物の反応はなかった。
「マスター、なにか?」
「いえ。気のせいだったみたいです」
 そのままレジーナ・ドーロはゲートを通過し、神の回廊は元通りの白い空間へと戻った。
 

 
 ミドリたんの拳が迫り、璃音は目を閉じた。
 直後。
 衝撃がエンプレスを襲う…かと思われたが、代わりに轟音が響き、その一撃はやってこなかった。
 璃音が恐る恐る目をあけるとミドリたんはよろけてエンプレスから離れており、上空には金色の翼を持つ象徴機械がいた。
「レジーナ…ドーロ…」
 呟いて、璃音は状況を把握した。またしてもユウリに助けられたのだ。
「ユウリちゃん!」
「おば…璃音さん、今行きます!」
 レジーナ・ドーロは掌からパワーボルトを射出してミドリたんを後退させ、自らはエンプレスの真上に降りる。
「いきます!」
 レジーナ・ドーロの機体が放つ輝きがさらに増した、まさにそのとき。二体のミドリたんと対峙していたAOドゥーカが、発作を起こしたかのように全身を硬直させた。
「どうした!」
 不意のことに亜沙美が叫ぶ。ついで、激しい痛みがその身体を襲った。
「あぐっ! おいっ…さっさと報告しろ!」
「ハイ…、マルチプルドライブ、暴走! 現在、六倍出力デ稼動中!」
「六倍、かよ…」
 ロボヘッドの報告に亜沙美は奥歯を噛みしめた。
 マルチプルドライブは出力を上げれば上げるほど術者に負担がかかる。よって、魔術師としてのスキルが高くなければ高出力領域での運用は不可能なのだ。実験中に亜沙美が無理なく運用できたのは四倍までであった。
「原因は!」
「恐ラク、共振カト思ワレマス」
 その言葉でようやく、亜沙美はレジーナ・ドーロの存在に気付いた。
「なるほどな…」
 呻く亜沙美。同時に、二対のミドリたんがチャンスとばかりに飛びかかってきたことにも気付いていた。
「チクショウ、どうにでもなれ!」
 身体を走る激痛を敢えて押し殺し、亜沙美は魔力を上げる。そしてAOドゥーカはクラウソナスを大きく、その場で一回転しそうな勢いで振り回した。大気を切り裂く唸りが嵐のように響き、光の軌跡が一文字に宙に刻まれる。次の瞬間、二体のミドリたんはともに両脚だけになって轟音とともに大地に転がっていた。
「どうだ、六倍クラウソナス…」
 肩で息をしアゴから汗を滴らせながら亜沙美は叫んだ。
「ユウリ! さっさと片付けちまえ!」
「はいっ!」
 こちらは涼しい顔で、力強く頷くユウリ。レジーナ・ドーロの胸部装甲が開き、そこから剣の柄が押し出されてくる。右手でその柄を握ったレジーナドーロは、力を込めて一気に引き抜いた。機体内部で高められたエネルギーが結晶化し、刀身となって柄へと吸着、巨大な剣と化す。レジーナ・ドーロは自らの身長を超える剣を軽々と振りかざし、見得を切るように左掌を突き出した。
「降魔不動剣、レディアントザンバー!」
 突き出された掌から射出された拘束ビームがミドリたんの動きを封じる。そして次の瞬間、レジーナ・ドーロはミドリたんの真上に居た。瞬間移動はお手のものだ。
「一刀、唐竹割り!!」
 振り下ろされた剣は宣言どおり、見事にミドリたんを真っ向から断ち割った。レジーナ・ドーロはステップ一つ分、後退。そして剣を振り上げつつ旋回。背中にミドリたんの爆発を背負ってポーズを決めた。
 それを間近で見ていた璃音は、思わず感嘆の声を洩らしていた。
「か、かっこいいかも…」
 対して、亜沙美は呆れ顔である。
「…タイミングとか、相当研究してるな、アイツ」
 それから、タメ息とともに言った。
「頼むから、さっさと出力落としてくれ」
 それを聞いて、ユウリは目を丸くした。
「ああっ! ごめんなさい、忘れてました!」
「…忘れんなよ」
 額を押える亜沙美。ようやく出力が落ち着いて、ほっと一息である。ミドリたんを一掃し、これで決着だ。
 璃音は変身を解除してパワーシェル姿になるが、やはり立ち上がれない。それを、コックピットから飛び出してきたユウリが抱き起こした。
「ごめんなさい。帰りが遅れて」
「平気だよ。それに、もう片付いたんだし…」
 と、いう璃音の言葉を遮り、全く空気を読まず、唐突な高笑いが響いた。
「ふはははははははは! まだ終わってはいないぞぉ!!」
 見ると、そこにはマスタークーインが作り出した建設重機ロボが仁王立ちしていた。
「ミドリたんとやら! このマスタークーインが、バトルビルドブレイカーとともに助太刀に来てやったぞ! さあ、ともにこの憎き魔女どもを叩きのめそうではないかぁッ!!!」
 その時初めて、クーインはミドリたんが消えうせていることに気付いた。
「あ、あれ?」
「もう居ないよ、ミドリたんは」
 亜沙美は薄笑いを浮かべて、機を前に進めた。
「バカの相手は任せろ。こいつくらいが、試し斬りにちょうどいいってもんだ。さっきのはちょっと強かったからな。お前らは後始末に専念しとけ」
 ユウリは頷いて、璃音を抱きかかえたままレジーナ・ドーロのコックピットに戻った。
「さあて」
 璃音をフロアに座らせると、妙に嬉しげにユウリは手を刷り合わせた。
「まずユウリのパワーを、おばあちゃんに分けてあげます。このままだと、なんにもできないでしょう?」
「そうだけど…」
 何となく嫌な予感がして、璃音は後退りした。だが、
「おばあちゃーん!」
 ユウリが文字通りに飛びかかってきて、璃音を押し倒した。
「な、なにするのぉ!?」
「なにって、パワーを分けてあげるって言ったじゃないですか」
「それとこれに、どういう関係がっ」
「こういうの、経口が一番効率いいんですよー」
 ユウリの笑みに、何か邪な魔物を感じずにはいられず、璃音は呻いた。
「う、うそだ…っ」
「ホントです〜。正確には粘膜越しですけど、流石にそれはー倫理的にですねぇ」
「こ、これはいいわけぇ!?」
 ほとんど悲鳴に近い声を出す璃音。女の子同士でのキスは相手によっては普通に出来るが、相手が孫となるとやはり色々と気を遣うべきではないかと考えてしまう。だがそれを拒絶と受け取ったユウリは、キョトンと目を丸くして、それから瞳を涙で潤ませた。
「そんなに嫌がらなくても…。おばあちゃん、ユウリによくキスしてくれましたよ…」
 璃音はバツが悪くなって、目を逸らす。
「そりゃ…まあ、孫だから…するだろうねぇ…うん…」
「…ユウリ、おばあちゃんの力になりたいと思って…それだけなのに…」
 ユウリの頬を涙が伝った。璃音は堪らず、詫びを入れた。
「ごめん、ユウリちゃん。して、いいよ」
 それを聞いた途端、ユウリはパッと笑顔になった。
「は〜いっ! じゃ、いっただっきまーすっ」
「…ウソ泣きかよ」
 璃音の顔が引きつる。
「そんなことないです。全部、ユウリの本心からの言葉ですよ?」
「そっか…そうですか…」
 項垂れ、力なく身体を床に投げ出した璃音。ユウリは嬉々としてそれに覆いかぶさると、熱い熱いキスを奉げた。
(うう、けーちゃん…。わたしたちの孫、なんだかとんでもないよ…。あっ、ちょっと上手いかも…はうっ…)
 たっぷり三分間、それは続いた。
 ユウリが満足げな表情で唇を離す。璃音は顔を耳まで真っ赤にして、
「あっ…」
 と、名残惜しげにタメ息をついた。
「ふふっ。おばあちゃんも、ユウリのテクにメロメロですね」
「うう…」
 璃音は複雑な表情でタメ息を吐いた。
「どうしたの、おばあちゃん。ユウリは、昔を思い出して嬉しかったですよぉ?」
「うそ…絶対うそだ。おばあちゃんと孫で、こんな…えっちいキスするわけないじゃん…」
「てへへー」
 悪戯っぽく笑うユウリ。それを見て、璃音は口を尖らせた。
「だいたいさ、キスしてパワーくれるって言ったけど、全然だよ。身体の力が抜けちゃって、動けないってばぁ」
 だがユウリは笑顔のままで、自分の唇に人差し指を当てる。
「そーれーはー、ユウリのキスが凄いせい。ほら、おばあちゃんもユウリも、パワーを制御するために脳神経の活動が普通の人より活発だから、感じやすいんですよ」
「そういう話は聞くけどさ…」
「だから、それはそれ。パワーはちゃんと上がってるはずですよー」
 そう指摘されてようやく、璃音は本当にパワーが戻っていることに気付いた。万全とは言わないが、一連の戦いで壊れた街を修復してもおつりが来る。
「動けるようになった頃には、戦いも終わってますよ」
 と、ユウリが指差したモニターの向こうでは、AOドゥーカがいいようにバトルビルドブレイカーを斬り刻んでいた。だが、
「コホン、よろしいですか?」
 今まで黙っていたD3が遠慮がちに言いだした。
「アームズオペラとは別に、エウェストゥルムの反応が出ているのですが…これはもしかして…」
「まさか」
 と、璃音とユウリが顔をあわせたとき、異変が起こった。バトルビルドブレイカーに緑色のゲル状物体が巻きついていたのだ。
「ミドリたん! 何てしぶとい…」
 ユウリの膝枕でモニターを凝視し、璃音は呻いた。
 
 
11−
「くそ! 何度目だよ、このパターン!」
 亜沙美は苛立ちを露わにした。結晶体同士の融合はよくあることではあるが、通常の物質で構成されたバトルビルドブレイカーとそれを果たそうというのだからミドリたんにはその為の能力が備わっていると考えられる。クーインのパワーで誕生したグリーンジャイアントワンダラーと融合したために得られた能力かもしれない。
 今、クーインの巨大ロボは完全に緑色のゲルに覆われ、内部でジワジワと形を変えていた。不意にその後頭部が爆ぜ、そこから飛び出したのはマスタークーインその人である。ビルドブレイカーを諦めて脱出したのだ。それを契機にして、巨大ロボは完全にミドリたんの姿へと変化した。
「しゃらくせぇ!」
 AOドゥーカはマルチプルドライブを四倍で起動し、クラウソナスを構える。
「一発で終わらせてやる!」
 気合一閃、大上段から振り下ろされた光の剣はミドリたんを両断した。だが、
「手ごたえがなかったぞ」
 眉をひそめる亜沙美。直後、正中線で分断されたままのミドリたんが体当たりを敢行。AOドゥーカはそれをマトモに食らって転倒した。さらに、二分割されたミドリたんはそのまま七つに分裂、それぞれが着地すると建機の姿に変わり、走りだす。
「分離して、変形だと…」
 呆気に取られつつ、亜沙美は機体を立て直す。だが、AOドゥーカは脚部膝裏に攻撃を受け、手をついてしまう。状況を確認すると、ミドリたんに操縦された緑色のブルドーザーが、何故か車体側面に装備されたミサイルランチャーから景気良く花火を上げていた。これがバトルビルドブレイカーの構成要素をしっかり利用した結果である。ちなみにこのブルドーザー、通常より三倍ほど大きい。
「ふざけやがって!」
 飛剣をブルドーザーへ向かって射出。命中こそしなかったが、攻撃を止めることには成功する。この間に立ち上がろうとしたAOドゥーカだったが、今度はミキサー車に緑色のセメントをかけられ、左足首を固定されてしまう。そこへ、ビルの屋上からジャンプしたローラー車が体当たりしてきた。
「うわっ、ロードローラーだッ!?」
 思わず悲鳴を上げる亜沙美。その重量級の攻撃で、AOドゥーカは再び倒れ伏してしまった。さらに、ハンマー車の鉄球が襲いかかってくる。
「ち、面倒なことになってきたぞ。ロボヘッド!」
 飛剣を各工事車両に向けて牽制しつつ、亜沙美は指示を飛ばす。
「三十六剣陣の制御を任す。ただし、三本のコントロールは私に寄越せ。そいつでセメントを砕く!」
「了解!」
 一方、レジーナ・ドーロにはダンプ、クレーン車、ショベルカーが襲いかかっていた。脚を狙ったダンプの突撃をかわし、ありえないほど伸びたクレーンを宙に舞い上がって避ける。そこに、ショベルカーから発射されたミサイルが殺到する。
「バリア起動!」
 D3の声とともに機体周囲にバリアが張られミサイルを防御する。
「急いで! マスターじゃないと限界があるってこと、お忘れじゃないですよね!」
「判ってます!」
 D3に応えるユウリの声に焦りの色が見える。今、ユウリは璃音のパワーシェルを調整するためにコックピットシートを離れており、そのためレジーナ・ドーロの制御は全てD3に任せてある。だが、D3はあくまでサポートが主体。機体を巡航速度で飛ばすことはできても戦闘に要求されるような複雑な制御は専門外なのだ。しかも、この機体のバリアはあくまで補助的なものでしかない。ユウリが操縦していれば時空を操作し防壁を張ることが出来るため、高出力のバリアは必要ない。よって、今使っているバリアにはあまり多くを期待できないのである。
 ユウリは璃音のイデアクリスタルから展開されたデータを凝視していて、その状態を把握したところだ。
「…じゃあ、おばあちゃん。ひとまずエンプレスは諦めて、フラッフの形態で汎用性をあげるってことで、いい?」
「うん。あんま攻撃ってのも性に合わないし…自分の意に染む方向性を模索しようかなぁとか」
「判りました。そのあたりは既に手を入れるみたいですけど…。うん、この仕様で良いと思います。流石ですね」
「そんな…」
 思いがけなく褒められて、璃音は頬を赤くしたが、すぐに眉をひそめる。
「でも、どうしてエンプレスをちゃんと使えなくなっちゃったんだろう…」
 するとユウリは、意外そうに目を丸くする。
「あれ。もうお気付きだと思ってましたが」
「まあ、薄々は…」
 頷くが自信がない璃音に、ユウリは優しく笑みを向けた。
「なるほど。確証は無いってことですね」
 それから、すでにデータを弄り始めていたユウリは手を止めずに言葉を続けた。
「原因は、おじいちゃんです。おじいちゃんは亜沙美さんのひ孫ですから、魔術師の形質が痕跡のみながら受け継がれているんです。尻尾と尾てい骨の関係みたいなものでしょうか。それを、インサニティエンプレスを発現させるときにコアに組み込んでしまったんです。ですから、二人が揃わなければエンプレスはマトモに力を発揮することが出来ないばかりか、不足した部分を補うために余計な消耗を強いられるというわけです」
 璃音は頷き、呟いた。
「そっか…やっぱりね。でも、だからって…けーちゃんをこういうところに駆りだすのはイヤだし…」 それを聞いて、ユウリは微笑んだ。
「はい。ユウリもそう思います」
 その言葉に、顔をほころばせる璃音。
「ありがと。けど…わたしやっぱり、けーちゃんがいないとダメなんだなぁ」
「けど、一心同体って感じで素敵ですよ」
「えへ。そうだねぇ」
 二人は顔を見合わせ笑い、それからユウリは本格的に書き換えに専心する。璃音はその手際を目を丸くしながら眺めていたが、ケータイが鳴っていることに気付き、電話に出た。蛍太郎からである。
「璃音ちゃん? どうなったの!?」
 電話に出られるということは、パワーシェルを使っていないということである。しかし街でミドリたんが暴れていることは家からでも見えるので武装解除の理由が判らないのだ。
「いろいろあって待機中。ミドリたんがしぶといんで、どうにもならなくて困ってるとこ」
「そっか。無理しないでね」
 やはり心配気な蛍太郎は、それから少し前を置いて言った。
「これからメールで、掲示板のURLを送る。知ってると思うけど、"ミドリたんスレッド"だ。どうやらミドリたんを形成する結晶体は、そのスレッドを読んだ人々の精神を受信して自らを構成しているらしい。首だけが飛ぶとか身長五十メートルとか、ミドリたんの特徴はスレッドの書きこみ内容によって決定されていたんだ。
 つまり、ミドリたんのパワーソースはこれを見ている人たちの意識だってことになる」
「判った。でも、それ…読んで、どうすればいい?」
 璃音の問いに、蛍太郎は言葉に詰まった。
「えーと、相手の能力が先読みできる…けど…」
「それだけ?」
「…そう、だね」
 気まずい沈黙。それに耐えられず、璃音はおずおずと口を開いた。
「じゃあ、なんか適当なこと書いてみれば?」
「でも、荒らせばスレッドが伸びるだけだし、サーバーにも迷惑だよ…」
「いやいや、荒らすんじゃなくて、平穏に終わらせるような感じでさ」
 その璃音の言葉を聞いて数秒後、蛍太郎は叫んだ。
「そうだ! なんか、弱点を設定すればいいんだ!」
「うん、そうだね」
 ケータイから耳を離していた璃音が頷く。
「よし、じゃあなんとかしてみるよ!」
「うん、お願い」
 電話が切れる。通話中にメールが届いていたので、璃音は本文に記載されていたURLにアクセス、掲示板のスレッドを斜め読みする。既に二十一を数える新スレッドには、ミドリたんの新たな能力が好き放題書き込まれている。
「身長五十メートル…で、怠け者ガスとか吸盤ハンドとかっていうのは使ってないよなぁ。あ、合体変形っていうのあるし…。そうか、たくさんの人にウケたのしか実装されないんだ」
 そのことに気付いた璃音は、眉をひそめた。
「弱点を作るって、大変なんじゃない?」
 チラチラと璃音の方を見ていたユウリが頷く。
「聞いた感じ、不特定多数の人の笑いを誘う弱点を考えなきゃいけないってことですよね。おじいちゃん、ユーモアセンスはどうでしたっけ?」
「あんまり記憶無いかな…。いや、決してつまらない人じゃないんだけど、ジョークを連発する方じゃないし…」
 苦笑する璃音。ユウリも小さく笑い、話を切り替える。
「それにしても、ミドリたんでしたっけ。それだけの数の人の意識が介在しているとなると、あのしぶとさも納得ですね。結晶体は、たくさんの意思が向けられるほど強くなりますから」
「だって、テンプレに"不死身"って書いてあるから…」
「…マジですか?」
 そうしている間に、レジーナ・ドーロはパワーボルトを撃ちながら地表に降りる。
「D3! 降りたら危ないじゃないですか!」
 自らの判断にケチをつけられ、D3が怒鳴る。
「そうは言いますがね、私が機を飛ばすにはエネルギーを消耗するんです! いざ反撃という時に、エネルギーがカラではどうしようもないでしょう! それに一言言わせていただきますが、あれほど濃厚にキスをする必要などなかったのでは? 確かのあの時はこのような状況は想定できませんでしたが、あれを早々に済ませていればですねぇ…」
「うるさいですよD3! だって、気合入れなきゃパワーがちゃんと伝わらないじゃないですか。伝送効率を上げるために手をつくしたに過ぎません!」
 ユウリも負けじと声を張り上げる。たまらず、璃音は叫んだ。
「ケンカしないで!」
 僅かな沈黙の後、ユウリとD3は揃って謝る。
「すいません…」
「わたしが足引っ張ってるんだから、二人とも悪く無いよ」
 と、俯く璃音にユウリが必死のフォローを入れる。
「ええと、そんなことないですって!」
「そうです。足といえばですね…」
 D3も後に続く。
「レジーナ・ドーロの脚部は、バランサーとランディングギアとしての使用を主に考えられており、歩行はあくまでオマケ。こういう状況は、未だかつてなかったですね。非常にしんどい」
「それ、話を逸らそうとしているつもり?」
 また手を動かし始めたユウリが、少々冷たい口調で言う。現在、クレーンに続きショベルがレジーナ・ドーロの足を集中攻撃している状況で、D3がこんな話を始めるのも宜なるかなである。それにも関わらずのユウリの発言に、D3はまたヘソを曲げてしまった。
「だから、オラシオン星の王子が自律型歩行支援ユニットをくれるって言った時、素直に貰っておけば良かったんです!」
「嫌ですよぉ。あれ、結納のつもりだったって判ってるんですか!」
 ユウリも口を尖らせて対抗する。すると、その発言に興味深い単語を聞きとった璃音が首を突っ込んでくる。
「結納? ユウリちゃん、結婚するんだ。王子様と?」
「しませんよぉ…」
 ユウリが頬を膨らませたので、璃音は少しバツが悪くなる。
「もしかして…嫌いなの、その人?」
「そういうわけでもないですけど…」
 何か煮え切らない表情のユウリ。そこに、D3が一言。
「まんざらでもないくせに」
「D3!」
 さらに頬を膨らませたユウリだったが、そこに亜沙美の怒声が飛び込んできた。
「お前ら! 駄弁ってないでさっさと済ませろ!」
「は、はい!」
 璃音とユウリは揃って背筋を伸ばし、D3もシャキッと返事を返す。
「できました!」
 と、ユウリが宣言したのは、それから三十秒後だ。
「やれば出来るじゃないか」
 亜沙美が笑う。すでに機体を立て直していた亜沙美は、本格的に攻撃を再開する。
「ロボヘッド! 剣陣のコントロールを寄越せ!」
 言うが早いか、飛剣は突如として勢い良く建機たちに向かう。スピードでは圧倒的に飛剣が上だが、しかし。四つの車両はそれぞれが人型ロボットへと姿を変え、機敏に跳躍して剣をかわす。
「ちっ。各個も変形可能かよ…」
 それぞれ全高十メートル程度とAOドゥーカに比べれば小兵ながら、総勢四体である。また、レジーナ・ドーロを囲んでいた車両も同様にロボット形態をとっていた。
「マスター。状況はどんどん拙くなっていきますね…」
 完全にボヤキ口調のD3だが、ユウリは勇ましくコックピットシートに飛び移った。
「大丈夫。そんなことないです!」
 ユウリが操縦桿を握った瞬間、レジーナ・ドーロに本当の力が戻る。
「お待たせっ。たった今から、お仕置きターイムの始まりです。それに…」
 ユウリの視線の先、ショベルカーロボが激しい衝撃を受けて転倒する。今までロボが立っていた場所には、パワーシェルをまとった璃音がいた。
「むしろ、状況は良くなってますよ!」
 会心の笑みを浮かべ、ユウリはパワーを高めた。マルチプルドライブが起動し、レジーナ・ドーロの炉心出力が六倍に跳ね上がる。そして共振作用により、AOドゥーカのドライブも同様の倍化係数で回りだした。
「くっ…」
 息を詰まらせる亜沙美。シェル全体に満ちていくパワーは彼女自身に制御できるかどうかギリギリのレベルだ。
(まさか、あれとこれとが同一存在だとはなぁ…)
 ロボヘッドにも聞こえないよう、呟く亜沙美。元来マルチプルドライブは、いちいち近場のものと共振するような不出来なシステムではないのだ。
「…おい、また忘れてるだろ」
 亜沙美の声に、ユウリはハッとなる。
「ああっ、ごめんなさい。いつも六倍にしてますから、つい…」
 だがその言葉の先を、亜沙美は制した。
「良いよ。落とさなくて良い。…最初はキツかったけど、慣れたら…ど、どうってことないっ」
 クレーンロボのクレーンを掴んでジャイアントスイングをかけていた璃音が、それを聞いて目を丸くした。
「亜沙美さんの口から、そんな初々しくて健気なセリフを聞くなんてっ」
「な、な、何を言う! これくらいやればできるってことだ、私はっ! いや、やってやるんだよ!」
 冗談だか本気だか判らない璃音の言葉に、亜沙美は苛立ち混じりに怒鳴った。こめかみが脈打つくらい血液が行き来する感触が何とも不愉快だが、半ばショック療法的に、高次係数でのシステム運用に慣れてきたことも確かだ。
(負けてられるかよ。この体になる前なら、このくらいッ)
 その気合に応え、AOドゥーカは溢れるパワーを御しきり今までに無い輝きを放った。
「いける! なんというか、"泳げなかったヤツが、プールの真ん中に投げこまれたらショックでいきなり泳げるようになった"っていう、そんな感じだな。やってみたら案外どうってことないぞ!」
「調子ニ乗ラナイデクダサイヨ、マスター」
「やかましい。これは自信だっ!」
 ともあれ、二体の象徴機械は完全に反撃ムードである。璃音も周完相になるべくパワーを上げる。だが、それに水を注すかのように頭上を巨大な影が覆った。
「ふはははは!」
 影から響いた高笑いはドクターブラーボのものである。月夜に浮かぶ円筒形をした影の正体は、彼が誇るロボット兵器にして移動要塞、ディアマンテだ。
「ドクターブラーボ参上! 諸君、久しぶりだな!」
 外部スピーカーが割れんばかりの大音声。続いて、
「ああ、ボスずるい!」
「オレにも目立たせてくださいよ〜」
 と、部下たちが騒いでいるのが漏れてくる。璃音は思わず怒鳴った。
「もう、何しに来たの!」
 するとブラーボは待ってましたとばかりに得意げに答える。
「決まってるだろう、土産話をしに来たのじゃ。ちょうど、お前らまとめて顔を揃えているようだったしな。…太平洋を越えアンデスの東、アマゾン最奥の密林都市での大立ち回り! 毒蛇、ジャガー、ワケワカラン昆虫、そして黄金!! インカ帝国最後の王子の運命やいかにッ!? "南米セクシーアドヴェンチャーPARTU"! 聞きたくないかっ!?」
「それどころじゃないって!」
 ご指名の三人は揃って、苛立ちを露わにした。
「そ、そうなのか?」
 うろたえるブラーボに、ディアマンテが肩があったらすくめていたであろう口調で言う。
「ホント、空気読めないですねドクターは。見てください、みんな、あの緑色のロボットと戦っているんですよ」
「おおっ…」
 それでようやく状況を察し、ブラーボは小さく笑った。 
「ふふふ、楽しそうじゃないか。ワシらも混ぜろよ」
 だが亜沙美は露骨に難色を示す。
「混ぜろって言われてもなぁ」
 だが璃音は少し考えて、シェルアームの手をメガホンのように口に当てると大声を張り上げた。
「ねえディアマンテ! レーザーでミドリたんたちを撃ってくれるー? その隙を見て、わたし達が攻撃するからぁー!」
 すると待ってましたとばかりにブラーボの声が響く。
「任せておけ! そういうのなら、ワシの得意分野じゃ」
「ボクの、ですよドクター。頼まれたのもボクですっ」
 すかさず割り込むディアマンテ。
「細かいことは気にするでない。さあ、レーザー砲門、開け! 全ターゲットロックオンじゃ!」
 火器管制を担当しているクルツが威勢良く復唱。
「了解! ターゲットロックオン!」
「技術士官! ターゲットの分析急げ」
「了解!」
 メタルカがデータスキャンを始める。
「実戦部隊!」
「いえっさー!」
 ヤスとシゲが待望の命令に揃って立ち上がる。だがブラーボは、
「スマン。勢いで呼んでみたはいいが、やらすこと無いわ。別命あるまで待機」
 と、つれない言葉。
「…了解」
 二人のサイボーグは寂しげに、操縦室の隅っこで補助椅子にボディを固定した。その直後、ディアマンテの声が響く。
「OK、ドクター。絶対に逃さないよ!」
「撃てェェェッ!」
 ディアマンテの装甲各所に設置された無数のレーザー砲が赤い閃光を放つ。全てのレーザーは正確に、七体のミドリたんロボの身体を穿つ。それで動きが止まった瞬間、
「おおりゃ!」
 AOドゥーカのクラウソナスがブルドーザーロボを両断、さらに飛剣がミキサーとロードローラー、ハンマーに降り注ぐように突き刺さる。ダンプがレジーナ・ドーロの剣で叩き潰され、クレーンは璃音に放り投げられてショベルに激突する。
「はああっ!」
 璃音はパワーを上げて大量のエンハンサーを放出、フラッフの姿になる。突き上げた拳が一回り大きくなりシェルアームとなり、その掌を覆うようにパワーシールドが壁状に形成された。それを折り重なっているクレーンとショベルめがけて撃ちだし、まとめて圧し潰す。
「よし。調整成功みたい」
 フラッフのコアの中で璃音がユウリに笑みを送る。それを受信して、ユウリも安堵の表情を浮かべた。
 だが。
 破壊されたはずの7体の建機ロボは欠損部分を再構成しながら立ち上がり、そして再び合体。巨大ミドリたんの姿へと戻った。
「まだ動けるんですか!?」
 息を呑むユウリ。亜沙美は眉をひそめた。
「また合体したってことは、あの単体の維持が困難な程度にはエウェストゥルムを失っているはずだが…」
 璃音は搾り出すように呟く。
「まさかホントに、不死身ってことないよね」
 ディアマンテの操縦室内では、前面モニタに映し出された巨大ミドリたん合体動画を何度も見て、ドクターブラーボが唸っていた。
「どうなっとるんじゃ、ありゃ…」
 そこに、メタルカの報告が入る。
「ボス! 分析完了しました」
「よし、読み上げろ」
「なんだか判りません!」
 場が、嫌な沈黙に包まれた。
「…お前、今回はちっとも役に立たんな」
「すいませんね! 残念ながらディアマンテのセンサーでは、あの手の超自然的存在を解析することなんて出来ませんから」
 メタルカの言葉に、クルツが肩をすくめる。
「やれやれ。コイツより、インカの黄金載せっぱなしのほうがご利益あったんじゃないっすか? 魔除とか山ほどあったっしょ」
「いや、流石にアレは重かったしのぅ…」
 ブラーボがタメ息を再現した電子音を発する。メタルカは、思い切り頬を膨らませて拗ねていた。
「ふーんだ!」
 

 
 そのころ蛍太郎は、書斎のパソコンで匿名掲示板のミドリたんスレッドとの不毛な戦いを繰り広げていた。
「これで、どうだッ!」
 気合を入れて送信キーを押す。掲示板に、以下の文字列が投稿された。
『弱点:うまい棒を見ると逃げる』
 だがスレッドは進むどころか、ピクリともしない。
「なんでだー! 都市伝説っぽくしたじゃんっ」
 思わず頭をかきむしる蛍太郎。そこに陽のインスタントメッセージが飛びこんでくる。
『まあ、怪獣の弱点だからって水中酸素破壊剤とかバラージの青い石とか書きこまないだけ立派だと思いますよ』
『…それ採用されても、作れないか実在しないかだからダメだろ』
 タメ息混じりにメッセージを送信すると、すぐに反応が返ってきた。
『水中酸素破壊剤は、オーバーテクノロジーを駆使すればできると思ってましたが?』
『いや。酸素の破壊と、その場に存在する生命体の液状化という二つの現象を、いかにして酸素を反応させるだけで連鎖的に引き越すのか…。それは未だ誰も解明していない重要なテーマだけども、今はそういう話をしている場合じゃないと思うんだ』
『ごもっとも』
 すぐに続きが送信されてくる。
『でも既に、専用ブラウザ使ってる連中は蛍太郎さんのIDを無視リストに入れてるんじゃないですかね』
「く…。別の使うか」
 しぶしぶノートPCを起動させる蛍太郎だったが、そこへまとめサイトのURLが送られてきた。そこには、前のスレッドでのミドリたんの不死身ぶりを謳う書きこみが並んでいる。
『象が踏んでも大丈夫』
『百人乗っても大丈夫』
 このあたりはスタンダードだろう。さらに、
『エイを踏んでも大丈夫』
『ヤドクガエルを食べても大丈夫』
『ひきこもっても大丈夫』
『やがてミドリたんは考えるのを止めても大丈夫』
『あっ! ミドリたんが食べられる! 鬼婆に食われても大丈夫』
『さすがミドリたん、なんともないぜ』
『ミドリたんに弱点がある。そう思っていた時期が僕にもありました…』
 などといった文字列が、アスキーアート付きで延々とつづられていた。
「ダメだぁっ! こんな数に太刀打ちできるわけ無いよ! 璃音ちゃんにやってもらった方が良かった…。でも、ケータイからの書き込みなんて無視されるだけだよな…」
 しばらくの沈黙の後、蛍太郎は何となく思い浮かんだ言葉を書きこんだ。
『ねこアレルギー』
 すると三分後。スレが動く。
『強面だけど実は猫が好きなミドリたん。
 近所の猫と遊ぼうとするけど、いつも逃げられてしまいます。
 目をギラギラさせて猫ロックオンしてしまうのミドリたんが悪いのか、単に猫は緑色が嫌いなのか。ミドリたんは枕を濡らす日々です。
 ある日、気まぐれな猫がミドリたんに擦り寄ってきました。喜びに緑の顔をほころばせ、ミドリたんは念願の猫撫でを…。
 だが、悲劇がミドリたんを襲います!
 なんということでしょう、ミドリたんは猫の毛で涙とクシャミが止まらなくなってしまったのです!
「撫でたい…でもっ…」
 とか妄想したら…萌えた』
 それに続き、
『映画化決定!』
『全米が泣いた』
 というお約束が続くが、少なくとも無視されてはいない。ミドリたんの猫アレルギーは公式設定ということになりそうな勢いだ。
「やった!」
 思わず歓声を上げる蛍太郎。だがすぐ、我に帰る。
「でも、くしゃみと涙が出るようになっただけな気がする…」
 それを弱点と呼べるのか、大いに疑問である。
 

 
 AOドゥーカが剣を構えると、高エネルギーが集中し刀身の輝きを増す。
「ドクターブラーボ、お前は下がってろ。魔術式で守られていない物質はヤツに取り込まれる可能性がある。ユウリ、お前は上から。璃音はバックアップを頼む」
「そ、そうか…」
 亜沙美の指示に渋々高度を上げるディアマンテ。ユウリと璃音は素直に頷く。
「いくぞ!」
 正面から突っ込むAOドゥーカ。ミドリたんが身を捻ったところを、フラッフが指先からエンハンサーのロープを放出し、絡めとる。動きを封じられたミドリたんの頭めがけ、レジーナ・ドーロの剣が振りおろされた。
「貰った!」
 会心の笑みを浮かべるユウリ。だが、剣はミドリたんに触れる前に見えない壁に阻まれる。
「うそ!?」
「圧搾空気の壁です」
 と、D3。ミドリたんは空気を圧縮しバリア代わりにしたのだ。すかさず振り下ろされたクラウソナスも、同様の壁で阻まれた。
「しゃらくせぇ! どんな壁だってこいつの前じゃ…」
 だが、亜沙美は眉をひそめる。どんなに押しても、刃が進まないのだ。
「どうなってる!?」
 怒鳴る亜沙美。璃音はフォローに出ようとして不意の耳鳴りに襲われ、慌ててフラッフの構造維持フィールドを気密モードに切り替えた。
「もしかして…」
「そうじゃ」
 上空のブラーボが、ディアマンテのセンサーが伝える外界のデータを読みながら言う。
「ミドリたんのバリアは、圧搾空気によるもの。確かに、あの魔術師の剣はどんな原子も光子に変換するから、そんなモノ破るのは容易だ。だが、次から次へと周囲の大気を取り込み破壊された分を補充し続けることで、あのバリアは効果を保つというわけじゃ。根競べになるな」
 見ると、AOドゥーカが出力を上げたらしく分解された大気が光となりあたりが照明弾でも焚いたかのような明るさになる。それはつまり、周囲の気圧がどんどん下がっていることも同時に意味する。
「ダメだよ、これ…。亜沙美さん!」
 璃音の叫びは、しかし亜沙美の怒鳴り声にかき消された。
「うるさい! こいつ、今度こそ叩っ斬ってやる!」
「聞いてくださいよ、このままじゃ…」
 さらに呼びかけるが、亜沙美が応じる気配は無い。ロボヘッドもなにやら叫んでいるが完全に無視されているようだ。璃音は諦め、レジーナ・ドーロに呼びかける。
「ユウリちゃん!」
 黄金の象徴機械は剣を退き、ユウリはタメ息混じりで璃音に応える。
「参りました。今は堅い剣で叩ききるのがせいぜいで…。惑星外なら障壁ごと破壊できますけど…」
「それ以前に、大気が無いところではあの障壁は成り立たないですが」
 D3の余計な一言に食ってかかる余裕も無い。
「時間を止めるとか、出来ない?」
 と、璃音。ユウリは少し間をおいて口を開いた。
「出来ますが…時間が止まった物体を破壊するのは無理です。時間が止まってるということは、その存在は絶対不変であるということですから。
 今からミドリたんの時間を止めたとして、確かにそうすれば障壁は消失するでしょうけど、クラウソナスを以ってしてもミドリたんを斬ることは不可能になります。ですから、刃が触れる直前に時間停止を解除し、尚且つそれから、ミドリたんが再び障壁を立ち上げる前に破壊しつくさなければなりません」
「それって、難しいよね」
「…はい。そもそもクラウソナスはそんなに頑丈ではありませんから、時間が停止している物体に刃を打ちつけたら一発で壊れてしまいます。ですが、フルスイングで斬らなければ要求されるスピードでミドリたんを破壊することは不可能です。かなり緻密な連携が必要でしょう…」
 最後にユウリは深々とタメ息を吐いた。先ほどはリーダーシップを取ったかに見えた亜沙美だったが、今は自慢の剣を止められたのが腹に据えかねたのか、すっかり我を失っているようだ。だが、このまま気圧が下がり続けることで街のど真ん中で竜巻が発生しようものなら、冗談では済まされない大災害になってしまう。まさに、街全体を人質にとられたような格好だ。
「何とかしなきゃ…」
 思案する璃音だったが、とりうる行動はAOドゥーカを張り倒すことくらいだ。今や二次災害の方が深刻になりつつある以上、まずは亜沙美を止めるほうが先決と考えるのが妥当だ。それで気圧低下は止まるが、しかしミドリたんを倒すことは出来ない。何の解決にもならないのだ。さらに考えることしばし、璃音はハッと顔を上げた。
「そうだ!」
 そしてまた、ユウリに向かって声をかける。
「ユウリちゃん。レジーナ・ドーロのパワーを上げれば、アームズオペラもつられてパワーアップするんだよね?」
 キョトンとしたまま、頷くユウリ。
「はい。マルチプルドライブを使えば…」
「じゃあ、思い切り出力を上げて。それでクラウソナスがパワーアップすれば、ミドリたんを斬れるよね」
「はい…けど…」
 ユウリの代わりにD3が答える。
「力技ですが…それなら、障壁の再構成よりも光子分解が上回る可能性は充分あります。けど…被害も拡大しちゃいますよ。大気の分解が大幅に進むのですから」
 だが、璃音は力強く頷いた。
「うん。だから、わたしとユウリちゃんで直せば良いんだよ。光になっちゃった空気をね!」
 D3が声を弾ませる。
「なるほど。八倍出力まで上げれば、広範囲に時間逆行現象を起すことが可能です。対象が大気なら、倫理的に問題ありません」
 それを聞いて、ユウリは大きく頷いた。
「はいっ、やりましょう! それにこれなら、亜沙美さんも気分良く終われます」
「そういうこと。機嫌良く帰ってもらわないとね」
 璃音は小さく笑う。それが、決行の合図だった。
「D3! マルチプルドライブ、八倍!」
「了解!」
 レジーナ・ドーロの金色の機体が更なる輝きを放つ。それは、異界の宇宙で魔王を屠ったときと同様のものだった。同時に、AOドゥーカの剣も輝きを強め肉眼では直視できないほどの光を放ち始める。
「お、おいっ!」
 突然の出力増加に亜沙美がようやく我に帰る。
「出力、八倍デス!」
 ロボヘッドの報告に狼狽の色が見えた。
「八倍って、おい…」
 そこに、ユウリの声。
「えへへ、お手伝いです。それだけの出力なら、やれますよね?」
「けど…っ」
 術者もシェルも未体験の高出力に、機体が大きく揺れた。
「…これ、激しすぎるっ!」
「あれぇ? 限界ですか?」
 ユウリは、わざとからかうような口調で言った。すると、
「…黙れ! やってやる!」
 亜沙美は眉間に思い切りしわを寄せ、怒鳴る。同時に機体の振動が収まり安定が戻った。
「いくぞッ! 往生せいやぁぁぁぁーーッ!!」
 そしてAOドゥーカは、大上段に振り上げたクラウソナスを渾身の力をこめてミドリたんに叩きつけた。眩い光が迸り、そして障壁が揺らいだ。それを確認し、璃音はフラッフの翼を広げた。そして、
「いくよ!」
 最大出力でヴェルヴェットフェザーを放出する。続いて、レジーナ・ドーロも翼と両腕を広げ、ユウリが紡ぐ魔術式を増幅し展開した。
「時間逆行術式、起動します!」
 次の瞬間、真昼以上の明るさだった空が明度を落とした。まだ夜に似つかわしいものではないが、璃音とユウリの力が溢れ過ぎた光を元の闇へと還していく。その様を、ブラーボたちはディアマンテの中で見守っていた。
「うわ…」
 ポカーンと口を開けるクルツ。データ解析を試みて頭をかきむしるメタルカ。そしてブラーボは、おもむろに口を開いた。
「頃合じゃな」
 そして、命ずる。
「ディアマンテ、レーザーじゃ。ヤツの足を撃ち抜いてやれ!」
「了解、ドクター!」
 ディアマンテのレーザー砲門がまとめて光を放ち、そしてミドリたんに次々と着弾する。レーザーならミドリたんに届くのだ。障壁内では大気が圧縮されているゆえ光の屈曲率が変わるため再計算無しに正確な狙いはつけられないが、今はとにかく当たりさえすればそれで良い。
「撃ちまくれい!」
 さらにレーザーが降り注ぎ、ミドリたんの全身に無数の穴を開ける。そしてついに。ミドリたんは大きく体勢を崩した。
「おっしゃあ! ブチ壊ぁーーーーーすッ!!」
 亜沙美が叫び、クラウソナスが吼える。
「あと、あと少し…!」
 璃音は祈るような気持ちでパワーを放出し続ける。
 

 
 蛍太郎は暗澹たる思いでモニターを見つめていた。彼の書き込みのウケが悪いために、ミドリたんに弱点を設定しようという策は完全に頓挫してしまったのである。
「どうすればいいんだ…」
 追い討ちをかけるように、こんな書き込みが続く。
『弱点厨ウザいんだけど』
『自演乙』
「…バレてたか」
 さらに次の書き込み。
『こいつの関係者でね?』
 URLをコピーしてジャンプしてみると、地元新聞社のサイトに掲載された記事だった。そこに璃音の写真がある。酉野署長から今年五度目の感謝状を貰った時のものだ。
 蛍太郎は、思わず口からコーヒーを吹き出した。
「んなーっ!」
 努めて頭を冷静にし、考える。土地柄ここで璃音の写真が出るのはそれほど不自然では無いし、これで"弱点厨"こと蛍太郎の身元が特定されたわけではない。深呼吸し、ゆっくりと更新ボタンをクリックする。
 幸い、弱点厨に言及する書き込みは無かった。その代わり閲覧者の関心は璃音に移っていた。
『かわいいじゃないか』
 ポジティブな反応に、
「うんうん」
 と、頷きながらさらに読み進む。
『てか何? この童顔巨乳』
『うわ、でけぇ』
『セーラー服の上からこれって…』
 これもある意味、当然の反応ではある。苦笑交じりに次の書き込みを読んで、蛍太郎は眉を引きつらせた。
『揉みてぇ 吸いてぇ 挟みてぇ』
「おい! これは僕んだっ!」
 思わず声を荒げるが、相手はネットを越しのモニターの向うなので聞こえるはずも無い。だからといって、ならば一言物申そうという主旨の書き込みをすれば自ら身元をバラすことになりかねない。理性を総動員しつつ、とりあえず更新ボタンを押す。すると、
『ここは、これしかあるまい…
 おっぱい! おっぱい!』
 おっぱい! おっぱい!』
 と、アスキーアートのキャラクターが腕を振るっていた。さらに、
『よし、続け!
 おっぱい! おっぱい!』
『おっぱい! おっぱい!』
『おっぱい! おっぱい!』
『まだまだいくよー!
 おっぱい! おっぱい!』
 と、リロードするたびに同種の書き込みで凄まじい勢いでスクロールバーが伸びていく。
「なんだ、この状況…」
 蛍太郎は呆然と、それを眺めるしかなかった。
 

 
 そのときミドリたんの体色が曇った。鮮やかな緑色から、黒くくすんだように変色を始めたのである。見た目から察せられるとおり、その変化はミドリたんにとって好ましいものではなかったらしく、その瞬間、クラウソナスを遮っていたバリアの圧力が極端に低下した。
「マスター!」
 ロボヘッドが叫ぶ。
「よっしゃあ! なんだか知らんが、くたばりやがれぇーッ!!」
 亜沙美は持てる力の全てを切っ先へと叩きこんだ。
 魔力炉は術者のパワーに応じて出力を上げる。マルチプルドライブの倍加ベース値はその時点での炉の出力であり、高次係数を扱う際には自然と魔力を高めねばならないために最終的な出力値は直線ではなく急激なカーブを描き上昇することになる。今、ドライブの倍加係数は八倍のままだが亜沙美が魔力を高めた結果、出力は爆発的に跳ね上がった。
 そしてついに剣は、障壁を切り裂く。
 

 
 轟音が街を揺るがした。
 蛍太郎は手元に置きっぱなしにしていた双眼鏡を掴んで書斎を飛び出すと、窓から市街地の様子を窺った。不自然に明るい空の下にフラッフの姿を認め、まず安堵する。レジーナ・ドーロとディアマンテが居るのには少々驚いたが、不意に溢れ出た強烈な光の奔流にすぐ目を向ける。そこでは、巨大なミドリたんがAOドゥーカの剣によって両断されていた。
「やったのか!」
 叫び、それから疑問が沸く。
 結局のところ、ミドリたんに弱点を設定しようという策は失敗に終わったはずである。そして今、蛍太郎の努力とは無関係にスレッドが伸びている。ちらりとモニターを見ると、自動更新に設定したウィンドウの変化が遠目にも判った。
(まさか…)
 いつ果てるともなく続く、まさに祭りのごとき『おっぱい! おっぱい!』。これがミドリたんに影響を及ぼしたというのか。思考をめぐらせ、やってきた閃きに蛍太郎は顔を上げた。
(そうか! あれのおかげで、閲覧者がネタのコピー&ペーストに夢中になり、ミドリたんから関心が逸れたんだ! お蔭でスレッドがパワーソースとしての機能を一時的に停止したに違いない! けどなぁ…)
 その現象を引き起こしたのは璃音の写真である。蛍太郎としては、手放しで喜べるものではない。
「まあ…ニュースの写真だし…。日ごろの善行が助けてくれたってことで、納得しとけば良いのかな…」
 蛍太郎は誰にともなく、しかもなぜか言い訳じみた口調でこぼしていた。
 

 
 不敗の剣はミドリたんの肩口に食いこみ、その直後、切っ先が大地を穿った。パワーのオーバーロードにより、ミドリたんは跡形もなく光となって消え散る…筈だった。自らが振るった太刀に会心の笑みを浮かべていた亜沙美は目を丸くする。弾けた光の柱が天を焦がす中、ミドリたんの首が飛び出してきたのだ。
「脱出したッ!?」
 亜沙美は剣を振ろうとして、全身を走る激痛に顔を歪めた。ぶつけ本番での高出力戦闘で無理がきたのである。そもそもちょっとした肩慣らしのつもりでの参戦だったのに大きな誤算だ。璃音とユウリは修復作業のために反応が遅れ、ミドリたんの首は凄まじいスピードでどんどん遠ざかっていく。行き先は海だ。
「ちっ」
 舌打ちする亜沙美。
「剣陣は届かないな。カスパールキャノンに換装だ」
「ダメデス。私ノ計算デハ、発射可能ニナッタ時点デ射程距離外デス」
「方向さえ合ってりゃなんとかなるだろうが!」
 苦し紛れにバルカンを撃ってみるが、弾は空を切るばかりだ。
「ここまでやって、逃しましたじゃねぇってのっ」
 亜沙美は歯軋りし、璃音も俯く。レジーナ・ドーロには長距離兵装が無いため大気修復を放棄しない限り追撃は出来ず、ユウリも唇を噛んだ。その時である。
「コホン!」
 と、電子音で再現された咳払いが響いた。
「ワシらを忘れていやしないか?」
 ドクターブラーボである。見ると、ディアマンテが高度を下げ、四本のアームを伸ばし地面に突き立てている。
「まかせておけ。あの水平線を越えぬ限り、ディアマンテから逃れることは出来ん!」
 その言葉とともに、ディアマンテは本体を回転させ底面を海の方向へ向けた。
「ディアマンテキャノン、スタンバイじゃ!」
「了解! いっくよ〜っ!」
 景気の良い返事とともに、ディアマンテは装甲を展開させ変形、瞬時に筒状の本体自体が巨大な砲塔と化した。完全に口を開けた底面はバレルとなって炉心に直結し、超高エネルギーを直に射出するのだ。
「ターゲットスコープ、オープン!」
 クルツが照準を受け持つ。
「エネルギー充填、百二十パーセント!」
 メタルカがお約束のセリフを口にし、発射準備が整った。
「ドクター!」
 ディアマンテが素っ頓狂な声を上げた。
「ミドリたんが高度を下げてる! 海中に逃げるつもりだよ!」
「こちらの気配を察したか…。だが、ちょっとやそっとの海水を盾にしたところで逃れられるものではないッ! クルツよ、照準を手動で調整し、ブッ放なせいッ!!」
「了解、ボス! モンキーハンティングの定理ですね!」
「…違うが、まあやるこたぁ一緒じゃな。ディアマンテキャノン、発射ぁッ!!」
 本来の闇を取り戻した夜空が再び、閃光に焼ける。
 砲塔と化したディアマンテが放った高エネルギーの塊は一直線に大気を切り裂き、今まさに着水したミドリたんに命中した。眩い爆発とともに盛大な水柱が天を突くほどに上がる。その中で緑色の光が弾けて消えたのを、璃音は赤い瞳の力でしっかりと見届けた。同様にして、ユウリも敵の最期を確認していた。
「ミドリたんの断末魔です」
 ユウリのその言葉に、張り詰めていた空気が和らいだ。
「終わったぁ…」
 璃音は安堵のタメ息を吐く。
(後始末は残ってるけど…)
 あたりはビルが幾つも倒壊し、道路が耕されたようにメチャクチャになっている。
「おなかすいたなぁ。でも…」
 璃音は蛍太郎にどんな夜食を作ってもらおうか考えることでテンションを上げ、フラッフの翼を広げる。
 羽毛のような優しく温かい光が、今度は柔らかく街を包んでいった。
 
 
12−
 ペルーのビルカバンバ山脈の東。そこに広がるアマゾン最深部のジャングルは未だ人類未踏の地である。アマゾンの開発はブラジル側からなされているが、この辺りは奥の奥、そのうえ衛星からでも樹しか見えないという有様だからだ。
 もっとも、それは現代人に連なる人々の歴史上の話。インカ帝国の人々はこの密林に都市を築いており、スペイン人に征服され国が分裂した後も、そこへ落ち延び生き延びたという伝説がある。
 その都市の名をビルカバンバという。
 現在ではその名を由来とする山脈に残された遺跡が密林都市ビルカバンバであるとされているが、伝説の密林都市が存在しないと証明されたわけではない。そこは深海を除けば、今でも地球最後の秘境であり続けているのだ。何があってもおかしくはない。
 ミドリたんとの戦いから一週間が経ち、その"真なるビルカバンバ"から出土したと称する黄金の工芸品が闇マーケットに出回るようになった。
 インカの黄金は実質的に最後の皇帝であるアタワルパ処刑前に身代金として国中から集められ、全てが延べ棒とされた。だが、その密林都市にはまだ多くが隠されていたと、ブローカーは言うのである。多くの者はその話を一笑に付したが、実際にはそれらをめぐり多額の金銭が動いた。その価値を認める者たちの間では暗闘が繰り広げられ、米国特務機関フェデレーションや魔術師協会の関与が噂されている。
「なるほどね…侑希音さんが帰って来ないわけだ」
 グッドスピード卿の手紙から顔を上げ、蛍太郎はコーヒーを啜ってから続きに目をやる。
 どうやら密林都市には、太陽神の子であるインカ皇帝が本来の力を発揮するための冠があるらしい。王族は近親婚で血統を保っていたが、その力は殆ど消えていたと推察され、冠の効果の程は定かではない。本当に力が使えるようなら二百人足らずのスペイン兵に敗れるはずがないからだ。いずれにせよ一連の動きで本命視されているのは、その冠であると見るべきだろう。だが、地元のはずの中南米魔術師協会に対外的な動きが無いのが気にかかるところである…。
 と、いうところで手紙は終わっている。それを丁寧に封筒へ収めた蛍太郎は、酉野市で保護された"アタワルパ"のことを思い出していた。
 なぜ彼がインカ最後の皇帝と同じ名を与えられたのか。それは、彼が真に冠を頂く資格を持っていたからではないかと、蛍太郎も思い至っていた。チャンネルのテレパシーを通してとはいえ、彼が現代の知識と言語を身につけたスピードは異能の域に達するとみてよいからだ。
 彼がル・イヴァシュラの眷属とされたとき、たった一人出会ったとは考えにくい。おそらくは何人かの従者とともに捕まったと考えられる。四百年の時を経て、その者たちはどんどん減っていったであろうが、彼が今でも残っていたのは潜在している力ゆえであろう。ル・イヴァシュラが眷属を増やすのは単純に数的優位を求めてだけではなく、その生物の能力を自らに上乗せするためでもあるのだから。もっとも、その力は件の冠が無くては覚醒しないものなのだろう。それゆえ地底人は、この地で倒れることになったのだ。
 そして、この街で本来の姿を取り戻したアタワルパを密林都市に連れて行ったのは、他ならぬドクターブラーボである。
 彼は恐らく、過去に南米を転戦した時に真なるビルカバンバの存在を確証するに足る情報を得ていたのだろう。そのあたりは、藤宮斐の手記があれば判るかもしれないが、今重要なのは、そのインカの黄金を売りに出したのは十中八九間違いなくドクターブラーボであるということだ。これにより、彼らは潤沢な資金を得たことになる。思いがけない形ではあるが、彼と貴洛院玲子との離間が為ったわけだ。これはこれで、新たな脅威を生み出しただけかもしれないが…。
 とりとめのない思考から、蛍太郎は呼び鈴の音で引き戻された。寝室などのプライベートな空間を除き、呼び鈴や電話のベルなどはインターホンで邪魔にならない程度に中継されるしくみになっており、それは蛍太郎の仕事場である書斎も同様である。広い屋敷ながら何年も使用人がいない藤宮家ならではの設備だ。
 蛍太郎が一階に下りると、リビングから話し声がする。来客は既にそこに通されているのだろう。だが、聞こえてくる声の調子からすると"客"という雰囲気でもない。果たして、そこにいたのは藤宮侑希音だった。
「おかえりなさい」
 蛍太郎の言葉に侑希音は笑顔で頷いた。テーブルにはコーヒーカップが並んでいて、まもなく璃音がコーヒーサーバーとケーキを持って現れた。
「あ。けーちゃんも付き合う?」
 これから雑談を交えてお茶会といったところか。時間は夜九時、どんなに長引いたところで致命的な夜更かしにはならないだろう。
「うん、まぜてよ。斐美花ちゃんには声かけたの?」
 すると璃音は小さく首を振った。
「斐美お姉ちゃんはいいの」
「…そっか、そうだね」
 その理由に行き当たり、蛍太郎は頷いた。夕飯前、一週間ぶりにトウキが帰って来たのである。よって今は何をしてもお邪魔にしかならない。
「昼間は昼間で大変みたいだよ。亜沙美さん、まだ全身筋肉痛で動けないもんだから、お蔭で毎日バイトだってさ。初めての労働に四苦八苦中ってところだね」
 そう言いながら璃音がカップにコーヒーを注いでいく中、ソファに背を預けた侑希音は眉をひそめた。
「うーん。やっぱ私は、土産話を期待されてるのか?」
 それは、璃音と蛍太郎が向けた視線を見れば明白だった。
「そうだなぁ…。
 舞台は中南米魔術師協会。"王の帰還"を発端とした、メヒコのルチャドール魔術師軍団とブードゥー系ネクロマンサー、そしてインカ魔術の流れを汲む蛇神・ジャガー神官団が繰り広げた本拠地移転をめぐる泥沼の抗争…と、いったところだけど。聞きたいか?」
「是非」
 返事はピッタリ揃って返ってきた。
「判った。でも、ケーキ食べてからな。なんか食べながら出来る話じゃあないんでね。聞く方は平気だろうけど、こっちは実際に見聞きしたものを思い出しながら話すんだからさ」
「判った」
 璃音は素直に頷き、それから続けた。
「ねぇねぇ侑希ねぇ、当たり障り無い話だったら良い?」
「ああ」
「ペルーに行ってたんだよね。ナスカの地上絵の下にガメラが眠ってるって話は本当なの?」
 予想だにしなかった質問に、侑希音はコーヒーを吹きそうになってしまう。
「知らん!」
 そう答えるのが精一杯だ。おかまいなしに、蛍太郎も話に参加してくる。
「参考までに…オゾンホールが塞がったという話は聞かないよ」
 侑希音は小さく咳払いをして言った。
「だから知らんって。まあ、居たとしても別個体だろ」
 頷く蛍太郎。
「そりゃそうだよ。でも、北極から出現したヤツと宇宙船に特攻したヤツを同一個体と見なしたくない人には、いい精神安定剤だと思うけど。複数説」
 それを聞いた璃音は悲しげに目を伏せた。
「別人…じゃなくて別亀だから良いってもんでもないと思うけど。生死不明だもん」
 侑希音は呆れ顔で首を振った。
「おーい。それ以上はモメるから止めとけよ。ここでする話じゃないだろ。ケーキ食うぞケーキ。えーと、どーせ璃音はチーズだろ。私はチョコレート貰い。蛍太郎君は…勝手にしなさい」
「…なんか僕だけ扱い軽いね」
 蛍太郎が口を尖らせたところで、不意に後ろから声がした。
「お。"けぇき"じゃな。当然、わらわの分もあるのじゃろうな?」
 式子である。このところしばらく家を空けていたのだ。
「おかえりなさい。もちろんですよー」
 嬉しそうに頷く璃音。式子も笑顔を向けた。
「うんうん、璃音は気が利くのう。せっかくなんで久々に旧交を温めるべく諸国漫遊と洒落こんだが、どうにも…。地上の千二百年は長かったということじゃな」
 表情を曇らせた式子の手を、璃音は優しく握りしめた。 
「今は、わたしたちがいるじゃないですか」
 式子はキョトンと目を丸くして、それから袖口で顔を覆った。
「なんじゃ、突然。優しくしたって、なにも出んぞぉ」
 それからパッと手を除けた式子は、満面の笑みを浮かべていた。
「よぉし、それならばじゃ。けぇきを食べている間、わらわの土産話をきかせてやろうではないか」
「是非」
 璃音と蛍太郎が声を揃える。侑希音は訝しげな顔をして呟く。
「土産話っていうより、妖怪百物語になるんじゃあないのか…?」
「そうじゃ、ユウリのヤツはどうしたのじゃ? こういう話こそヤツに聞かせて、わらわの偉大さを知らしめねばなるまいて」
 意気込む式子だったが、続く璃音の言葉に肩を落とすことになる。
「ユウリちゃんは未来に帰りましたよ。探してた資料が揃ったとかで、良いレポートが書けそうだって意気ごんでました。そうそう、『式子さんによろしくお伝えください』って」
「はぁ…。よろしく伝えてって、露骨に嘘くさいぞ…」
 式子はタメ息一つ吐いて、それからおもむろに口を開く。
 こうして藤宮家の面々は賑やかに、秋の夜長を楽しんだのだった。
 

 
 貴洛院基親は重い足取りで屋敷の前に戻ってきた。今日もまた、酉野紫を率いては戦うも敢え無く敗れ去ったのである。そのあといつものように反省会を済ませ、屋敷に戻ったときには深夜二時を回っていた。
 待つ者も居ない屋敷には灯りなど無く、周囲の闇に溶け込むかと思うほどに暗い。だが、貴洛院にとっては見慣れた光景なので特に顔色を変えず、鍵を開け玄関のドアをくぐる。真っ暗なエントランスは全くの無人で、ぽっかりと闇に口を開けているだけ…の、筈だった。が、貴洛院は全く予想外の出迎えを受けることになった。
「お帰りなさいませ。…ご主人様」
 その声とともに、闇に浮かび上がったのは二人の女と、一匹の獣に似た影だった。
「何者だ!」
 変身クリスタルを握りしめ、貴洛院は叫ぶ。
「貴方の部下ですよ」
 先ほどとは別の声が答える。
「今となっては…ね」
「魔王カーンデウスのお力を受け継ぐ貴方が、我らサーバントの…」
 この夜。
 酉野紫に新たなメンバーが誕生した。彼女たちが"トライサヴェージ"を名乗り暴れまわるのは、これから半月ほど後のことである。
 

 
 背筋に何か冷たい物が走ったような感覚に襲われ、璃音は目を覚ました。目に飛び込んできたのはいつも通りの天井。まだあたりは暗い。
(なんだったんだろう…)
 言い様の無い不安が茫洋とした頭を覆う。何かの予兆を感じたような気がしてならない。だが、それが何だったのか、そもそも本当にそれを感じたのか、意識が鮮明になるにつれ判らなくなってくる。それどころか、妙に甘やかな感触が混じってきたりもしてくる。
 少しして頭の中が完全に晴れたとき、璃音は自分の身体に何かが圧しかかっていることに気付いた。だがそれは金縛りの類ではなく、覚えのある重みだった。不自然に盛り上がっている毛布を退けると、やはり、そこには蛍太郎がいた。璃音の胸元に覆いかぶさっていたのである。寝間着代わりのYシャツのボタンが上から三つ目まで外されていて、その間に潜りこんでいた顔がおずおずと上がる。
「や、やあ…おこしちゃった?」
 今の今まで眠っていた妻の胸の谷間に顔を埋めていた夫は、バツが悪そうに引きつった笑みを浮かべているが、それでも掌は乳房から離れていなかった。どうやら、このお蔭で目が覚めてしまったらしい。と、いうより思いがけない状況に最初に感じたはずの妙な不安のことはすっかり頭から追いやられてしまった。
 璃音が何も言わないので、蛍太郎は言い訳がましく口を開く。
「いやぁ…。この膨らみの価値を改めて再認識したっていうか…。おっぱいに詰まっているのは脂肪ではなく夢とロマンだなぁと」
 そんなことを言いながらも指先が微妙に動いていて、若干遠慮だが揉んだり摘まんだりしてくる。
「言ってることが、よく判んないんだけど」
 璃音は半ば呆れ顔で蛍太郎に視線を向けた。実際には二人ともベッドに寝ているのだが、璃音からは見下ろすような形になる。
「もしかして、わたしのおっぱいを枕にして寝たいの?」
 すると蛍太郎は満面の笑みで、そのとおりであると意思表示した。
「しょうがないなぁ…」
 少し考えて、璃音は頷いた。
「いいよ。あんまり重たくしないでね」
「うんうん! 大好きだよ璃音ちゃん」
 蛍太郎は心底幸せそうに笑顔を弾けさせ、まず璃音のYシャツのボタンを一つ余計に外す。今までは一応遠慮していたらしい。それから跳ね除けられていた毛布をかき寄せて璃音の肩が隠れるように被せる。すっかり毛布の下になってしまった蛍太郎がモゾモゾと動いているのを見ていると可愛く思えてきて、璃音は笑みをこぼした。
「もう…」
 抱きかかえるようにして蛍太郎の頭を撫でてやる。その重みを胸元に心地良く感じながら、璃音はゆっくりと目を閉じた。
 あたたかな幸せに包まれて―。
 
 

…#13 is over.  

モドル