#12
1−
 英春学院のニ学期が始まって一週間。授業が本格的なスタートをきることで、教職員、生徒ともに休みボケが無理矢理に矯正されてくる時期だ。生徒会では、学園祭に向けた動きが出始めるころである。
 そんなある日の放課後、藤宮璃音は親友の法眼悠とともに下校途中のウィンドウショッピングと洒落こんでいた。
 今、二人が歩いている酉野駅前商店街は、付近の再開発によって生まれた住宅地のお蔭で地方にしては賑やかな部類に入る。その再開発地域にはマンションやアパートが多く立ち並ぶため、核家族や単身者、学生の出入りが多く、客層は比較的若い。そういうわけで、女子高生二人連れの興味を誘うような服飾店も多数存在しているのだ。
 未だ残暑厳しい時候ながら、ショーウィンドウはすっかり秋の色に染まっている。それを順繰りに眺めながら、璃音と悠はとりとめのない世間話に興じる。すると、璃音の携帯電話が鳴った。ディスプレイを見ると番号表示は無し。普通なら無視を決めこむところだが、今は思い当たるふしがある。璃音は電話に出た。
「おばあちゃん、今どこ?」
 ユウリである。
 どういう手段を用いているのか教えてはくれないが、このようにユウリは当たり前に電話をかけてくる。相棒のロボット、D3に何かやらせているらしいが、それは不法侵入の類ではないのかという疑惑は常に感じてはいた。なんでも、あの超AI搭載のロボットはドクターブラーボのロボット兵器"ディアマンテ"をユウリ自身が再設計して作り上げたものらしい。そのパッケージにはあの量子コンピューター"ラプラス"も含まれているから、現代世界のネットワークなどどうとでもできるということだ。
「帰るとこ。悠と一緒に、商店街プラプラしてる」
 正直に答える璃音。すると、ユウリは声を弾ませた。
「悠おばあちゃんと? あのぉ、ユウリもそっち行って良いですか?」
 今までユウリは、"こっち"の悠には顔を合わせていない。事情が事情だけに自重していたというところだが、一週間以上の続く滞在で我慢しきれなくなってきたようだ。璃音は少し思案して、自分と一緒なら問題なかろうと結論を出した。
「いいけど」
「ホント!」
 その声を聞くだけで、飛び跳ねんばかりに大喜びしているのが判る。本当にユウリは感情表現が豊かで、ベタベタのおばあちゃんっ子のようである。
「じゃあ、これから行きます!」
 声を弾ませて、ユウリはいそいそと電話を切った。場所は訊かないままだったが、どうにかして辿り着くだろう。
 璃音がケータイをポケットにしまうと、悠が尋ねた。
「誰? ダンナさんじゃないよね」
「親戚の子。ウチに遊びに来てるんだ。近くにいるから、合流するって」
 本人はこれから行くと言っていたが、どこにいようと今すぐ目の前に現れるだろうから予防線を張っておく。
「親戚? "子"ってことは、私らと同じくらいか下だよね?」
 首を傾げる悠。璃音は正直に答えた。
「同い年だよ。十七歳」
「うーん、そんな年恰好の親戚っていたか? 璃音の親戚っていったら私の親戚でもあるんだけど…聞いた覚えないぞ」
 悠の祖母は、璃音にとっては叔母である。璃音の父である藤宮斐には他の兄弟はいなかったから、親戚という者の数は限られる。せいぜい、悠の知っている範囲内だろう。それ以外ということなら、さらに前の代で分岐したということだろうが、近年は各分家の交流も絶えているので覚えが無くて当然である。
「わたしも知らなかったんだよ。だって、ウチって分家だらけじゃん」
 璃音も、それを持ち出す。
 ユウリが藤宮家に居ついてから、いつかはこの日が来るだろうと思ってはいたので、事前に考えておいた言い訳である。それで悠は何となく納得してしまった。
「そういえばそうだなぁ」
「そうそう。で、その子なんだけど…」
 事前にある程度の予備知識を吹き込んでおこうとした璃音だったが、それはユウリの声に遮られた。
「璃音さーん!」
 見ると、少し先の歩道の真ん中で、セーラーカラーのワンピースを着た長い髪の少女が飛び跳ねて手を振っていた。ユウリである。もとより十人とすれ違えば九人は振り向くであろう美貌の持ち主だが、それが大声を出してあちこち揺らしながら飛び跳ねているのでは目立ってしょうがない。だが、"おばあちゃん"と呼ばないだけ、彼女としては空気を読んでいるつもりなのだろう。
 このときのユウリの瞳はグリーンだった。これで瞳が璃音と同じ赤ならもっと目立ってしまい、素性が疑われるところだ。
 本来、ユウリの瞳の色はグリーンである。パワーをオンにしている時だけ、ユウリにも備わっているエンハンサーの作用で真紅に染まるのだ。藤宮屋敷に現れて台所をあさっていたときは、冷蔵庫や炊飯ジャーの中を見るために透視能力を使っていたので瞳は赤のままだった。だから、このときは誰もユウリの瞳の色が変わるということを知らなかったのだ。
 ちなみに、璃音の場合は瞳は常にパワーがオンになっているために赤いままになっているのであり、完全にパワーを使い果たして視力がダウンした際や、眠っているときには本来の黒い瞳になっている。
 そういうわけで、さすがに瞳の色が璃音と同じ赤ならユウリをただの親戚と言い張るのは難しいが、それ以外の色なら大丈夫だろうということで、親戚と言い張ることになったのである。
 璃音は苦笑しながら小声で、
「こっちこっち」
 と手招きした。
「はーいっ」
 するとユウリは駆けてきて、璃音に抱きついた。
「璃音さんっ。ユウリ、大急ぎで飛んできちゃいましたよ〜」
「そ、そう…」
 ユウリに頬擦りされながら、璃音は相槌を打つ。言うまでもなく、飛んできたというのは比喩や誇張ではない。それはさておき、美少女二人が道端で抱き合っているというのは、これまた非常に目立つ。三歩ほど後退りしていた悠だったが、それをユウリが大声で手招きする。
「悠さん、悠さん、悠さん、悠さんっ!」
「え…えーと…」
 困惑の表情を浮かべる悠。するとユウリは璃音を抱きかかえたまま、悠に飛びついた。そして、頬擦りを始める。
「悠さーんっ。ああ、若い、可愛いっ!」
「ちょ、ちょっ…なんなのっ!?」
 初対面の人間にこんなことをされれば、誰でも狼狽する。さらにメガネがずれて、悠は眉をひそめた。
「ちょっとまって!」
 それで我に返ったユウリは悠と璃音から手を離し、自分のメガネもズレていたので直してから、丁寧にお辞儀した。
「はじめまして。璃音さんの親戚で、藤宮ユウリといいます。さっきは感激のあまり取り乱してしまって…ごめんなさい」
 悠は戸惑いながらも、メガネのズレを直してお辞儀を返した。
「どうも、法眼悠です。…まあ、私のこと知ってるみたいだけど」
「はいっ。…えと、璃音さんから伺いました」
 それからユウリはそれぞれの腕で璃音と悠を抱き寄せ、順番に頬ずりを再開し、さらには額やら頬やらにキスをしだした。悠は為すがままの状態で、璃音に尋ねた。
「…まさか外国育ちなの、この子」
 悠の脳裏には、幼少時の璃音が夏休みに蛍太郎に連れられて海外に行った後の行状が思いおこされた。子供はすぐ人真似をするもので、そこで覚えた挨拶を帰国後に実行したのである。
「あー…う、うん、分家。ドイツ方面だっけ?」
 その璃音の物言いに、悠は不信を露わにした。
「…嘘くさ」
 だがユウリは、屈託の無い笑顔でキッパリと言いきった。
「はい。ユウリのお家はドイツですよ」
「…そうかい」
 悠は追及を諦めユウリの顔を見上げたが、何かに気付いたのか目を丸くして、そのままジッと凝視した。それに気付いたユウリが頬を赤くする。
「あの…ユウリの顔に、何か?」
 悠は首を傾げながら、言った。
「何でもないんだけどさ。なんか、どっかで見たことあるような…」
 それからしばらく黙ってユウリの顔を見ていたが、悠は観念して首を振った。
「うーん、判らん。強いて言えば、私か?」
 確信を突く言葉に璃音は一瞬顔を青くしたが、これまた事前に考えておいた言い訳を展開する。
「ほら、悠っておばあちゃん似でしょ。私のお父さんのお姉さんに似てるってことは、親戚のユウリちゃんが悠と似ててもおかしくないよ」
「確かに、そう言われれば…」
 若干の疑問を残しているようではあるが、悠は頷いた。それを見て、璃音は内心で友に詫びた。
(ゴメンね。ホントのことは、二十四年後に話すから)
 すると悠は、それが聞こえたかと思うようなことを口にした。
「ま、君の家のことだから、未来から子孫が来たとか言われても驚かないよ。…なーんてね」
 璃音とユウリが揃って硬直し、青ざめる。悠は目を丸くして、そしてカラカラと笑った。
「やだなぁ、冗談だよ。たとえばの話」
 璃音が安堵に頬を緩めると、ユウリは改めて二人の間に入りそれぞれと腕を組んだ。
「さ、いきましょ」
「あ、うん…」
 それに気圧されるように、璃音と悠は揃って頷いた。
 しばらく三人で並んで歩いていると、噴水広場に出る。そこに展開されていた光景に、
「うげっ…」
 悠は思わず、あまり品の無い呻き声を発する。いつもの連中が、いつもと同じことをしようと集まっていたからだ。
 ボルタとバーナーは準備運動のように首や肩を回していたが、璃音たちの姿に気付き、
「よう」
 と、手を振ってきた。クイックゼファーは腿上げでアップ中、マンビーフはアクアダッシャーを抱きかかえて持ち運び、噴水の池へと放したところだった。水を得たアクアダッシャーは気分良さそうにバタ足を始め、池を周回する。それをマンビーフは微笑みながら眺めていた。
「…あんたらね」
 額を押えて首を振る璃音。
「気安く声かけないで。仲間だと思われたらどうするの!」
 その言葉に、酉野紫の面々はお楽しみに水を指されたとばかりに恨めしい目つきで璃音を睨んだ。
 ボルタが、
「ヒデェ言い草じゃあねぇか。オレは傷ついたぞ」
 と、首を振れば、クイックゼファーが肩をすくめる。
「まったくだ。これだから女ってのはイヤだぜ。底意地が悪いっつーかよぉー」
 さらに、バーナーがタメ息を陽炎とともに吐いてから、肩をすくめた。
「イイ気になってんじゃあねぇや。ここはテメェの街かァ?」
「左様。理不尽極まりないでござる」
「横暴だもーん」
 マンビーフとアクアダッシャーも口を揃えた。その物言いに何かを堪え拳を握りしめる璃音と、逃げる場所を探している悠。ユウリは二人の間で目を丸くしていた。
「へぇ。本物なんだ…」
「何言ってんの!」
 悠がユウリの手を引いた。
「早く逃げるよ!」
「でも…」
「いいからっ!」
 そのまま、悠は駆け出した。ところが、その隣を璃音も一緒になって走っていた。
「…どうしたのさ」
「だって、着替えなきゃ!」
「ああ、ユウリもぉ〜」
 三人は近場のブティックに駆けこむ。璃音とユウリが更衣室に飛びこみ、そしてカーテンの奥で強烈な光が迸る。そこから出てきた二人の姿を見て、悠は呆然とした。
「…おい。親戚だって、嘘だろ」
「ごめん!」
「ごめんなさい!」
 その一言を残し、パワーシェルを身にまとった璃音とユウリは同時に店を飛び出して行く。その二人の後姿を見送った悠は、着替えたユウリの瞳が赤かったことを思い出し、大きく頷いた。
「なるほどな…」
 このとき既に、酉野紫たちは戦闘体制を取って待ち構えていた。璃音とユウリはその前へと進み出る。いきなり攻撃をするのも気が引けるので、礼儀として降服を勧めようと思った璃音だったが、口上を考えている間にユウリがビシッと酉野紫を指差し、言った。
「あなた達に勝ち目はありません。逃げるなら今のうちですよ!」
 だが、それを聴く酉野紫ではなかった。バーナーが息巻く。
「うるせぇ! 一人が二人になったところで、大差ねぇや。やってやろうじゃねぇかッ!」
 ボルタが気炎を上げた。
「行くぜ野郎ども!」
 璃音とユウリは顔を見合わせ、
「あっそ。それじゃあ…」
 と、シェルアームを形成した。璃音のパワーシェルは袖口が変形し、ユウリの物はマントの両肩を覆う部分が腕を包み込んで変形する。二人がシェルアームの前に突き出すと、掌からパワーボルトが発射された。二発のエネルギー弾は一直線に、池の中で棒立ちになっていたアクアダッシャーに命中した。
「なんでーッ、どうしてーッ!? ぎゃっぴぃーッ!!」
 この期に及んで何が疑問なのか余人には量り難いが、とにかくアクアダッシャーはそんな断末魔を残して吹き飛ばされ、池の外に落ちて昏倒した。
「アクアダッシャー!」
 バーナーが悲痛な叫びを上げる。
「チクショウ。何でいつも、ヤツだけが真っ先にッ!?」
 歯軋りするバーナーの拳に炎が点る。マンビーフも怒りに震える身体を黒毛和牛フォームへと変じさせ、太刀を抜き放つ。
「おのれ、許さん!」
 そして、二人は猛烈な勢いで璃音たちに迫る。璃音はシェルアームを解除すると両手を前に向けた。
「ヴェルヴェットフェザー!」
 暖かい色の光がタイツ男に浴びせられる。
 マスタークーインのパワーによって生み出された酉野紫スーツは、これで元のタイツと幾つかのガラクタに戻るはずだ。だがバーナーとマンビーフは、それを物ともせずに突っ込んできた。
「きゃっ」
 二人の攻撃をかわす璃音。バーナーは不敵な笑みを浮かべた。
「ソイツは、オレらにゃ効かねぇんだよ」
「…どうして?」
 璃音が問い返すと、バーナーは眉をひそめて硬直した。
「…えーと、何でだっけ?」
 頭の悪さを惜しげもなく披露した仲間の姿に頭を抱えながら、ボルタが口を開いた。
「何やってんだよ…。オレが代わりに説明してやらぁ。
 ありゃ、幼稚園バスジャックをやった日の帰りだったな。ボスが自分のスーツから出る黒いドロドロを、オレらのタイツに大サジ一杯ほどくっ付けたんだ。おかげで、常にボスのパワーが働いてテメェのが効かねぇって寸法さ」
「なるほどね…」
 璃音は頷き、そしてシェルアームでバーナーを思い切りブッ飛ばした。
「うげっ!」
 赤くてガタイだけは立派な火炎魔人は、そのまま真っ直ぐボルタに激突、タイツ男二人はそのまま折り重なって倒れ、動かなくなった。その様を見たマンビーフが怒りも露わに太刀を璃音に振り下ろす。
「おのれぇっ!」
 だがそれを、割り込んだユウリが手にしていた剣、レディアントフェンサーで受け止める。
「なんとっ!」
 マンビーフの渾身の一撃が、彼よりはるかに小さな少女の剣を押しのけることが出来ないのだ。
「斯様な細い剣に、我が太刀がッ」
 ショックを隠せないマンビーフの太刀を、ユウリは軽々と弾き返した。
「ユウリの剣を折るなんて、貴方には出来ません!」
 白刃が閃き、金属のぶつかる音が響く。そして、マンビーフの太刀は真ん中でポッキリと折れ、切っ先がコンクリートの舗装に突き立った。
「な、なんと…」
 マンビーフは自分の手に残った折れた刀の片割れを呆然と見つめ、膝をついた。
「武士の魂が…。拙者の、負けでござる…」
「よろしい」
 ユウリは頷き、マンビーフとはまるで関係の無い方向に掌をかざす。すると、突如としてクイックゼファーが潰れた蛙のような呻き声が響いた。
「うべっ!」
 そして、クイックゼファーは崩れるようにして地面に倒れ伏した。ユウリがクロノ・ミュートで作り出した見えない壁に全速で激突し、全身を強打したのだ。
「以上、終了です」
 ユウリがサムズアップすると、璃音もそれに応えた。
 それから、璃音とユウリは酉野紫の面々を簡単に逃げられないようにと軽いものから順に積み上げた。一番華奢にも関わらず最下段に置かれたクイックゼファーが喚く。
「ズルイんだよ! 二人がかりじゃねぇか!」
 なぜか被害者ぶった物言いに、璃音は呆れ顔だ。
「…今までずっと、一対五だったじゃん」
 すると、クイックゼファーは何も言わなくなった。自分の上に仲間たちが積みあがり、一番上のマンビーフは刀を折られたショックで放心状態なので、ただでさえ重いものがさらに重くなっているのだ。もはや文句を言う余力もなくなったのだろう。
 そこに、悠が携帯電話をいじりながら近づいてきた。
「まあ確かに、相手が一人でも二人でも結果に大差は無かったな。どっちでも、惨敗だもんね」
 と、璃音とユウリを順番に見る。
「詳しい説明は後で聞くとして、今は警察に通報するね」
 
 程なく警官隊が駆けつけ、酉野紫はいつも通りに連行された。
 

 
 甘味処"やなぎや"。
 今ここで、開店以来のとんでもない事態が発生していた。
 来店したのは、少女三人。地元の高校生と、それと同じくらいの年恰好の少女。仲良くテーブルに着いた少女たちにオーダーを取りに行ったウェイトレスは、提示された注文に耳を疑った。
 チョコパフェ・ギガンティック二つとコーヒー三つ。
 一つのテーブルに、この店で最大最強の大食い自慢メニューが並び立つことなど、有り得ざることである。天にニ日無く、民に二王無し。ギガンティックパフェは、"メガギガの会"なる大食い自慢の定期集会以外では、一つのテーブルに一つ。これが、"やなぎや"の常識であった。だが今日、この日。ツインタワーが打ち建てられることになったのだ。
 こうして、密かに店員たちの視線が集中する中、特大グラス二個のおかげですっかり狭くなったテーブルを挟んでの反省会が始まった。
 まず璃音は、パフェに手をつけずに親友に詫びた。
「ゴメンね。嘘吐いて」
 悠はケロリとして、言った。
「いいっていいって。あの有様を見れば、隠すしかないって判ったよ」
「そう。ありがと」
 と、璃音は悠が見ているのと同じ方向に視線をやる。そこではユウリが凄まじい勢いでチョコパフェを食べていた。
「…こういうこと?」
 璃音が顔を引きつらせたので、悠は慌てて首を振った。
「違う違う。さっきの立ち回り。もう感覚麻痺しかけてたけど、あの連中を簡単にやっつけるなんて凄いことじゃん。…まあ、食いっぷりも凄いけどさ。で、なんなの、この子。未来から来た璃音の子ども?」
 悠が冗談めかした口調で笑いながら言うと、璃音は首を振った。
「ううん。孫だよ」
 それを聴いた悠は目を丸くしてしばらく硬直していたが、夢中でパフェを食べるユウリの幸せそうな顔を眺め、嘆息した。
「なるほど…そっくりだ」
「悠…」
 口を尖らせる璃音。悠はまた笑う。
「ゴメンゴメン、なんでもない。そっかぁ。だから、私のことも知ってたんだな。正直言って、君と蛍太郎さんの血を引いてるなら、何やったって不思議じゃないな。タイムマシン作るくらい、普通にこなすだろうね」
 するとユウリは顔を上げて、頷いた。
「はい。ユウリ、そういうの得意です」
「なるほどね」
 悠は温かい笑みを浮かべた。
「誰に似たのかしらないけど、賢そうだもんな。ま、璃音の孫だってんなら可愛がってあげるから、機会があったら私のところにも寄りなよ」
 それを聴いて、ユウリは目を輝かせた。
「ホント?」
 それを、璃音がたしなめる。
「ユウリちゃん、それはさすがに迷惑だよ」
 悠は首を振った。 
「私は構わないけど。どーせ、誰もいないし」
 本当に法眼家にユウリが行ってしまったら、迷惑はかけないだろうが何を言い出すか判らない。璃音としてはやはり、目の届くところに置いておきたい。
「うーん、でもなぁ…。ウチに来る?」
 璃音の言葉に、頷く悠。
「そのほうが無難かも」
「おっけー。じゃあ、一度解散してウチに集合ってことで。けーちゃんには話しつけとくから」
「判った。じゃあ…あと十五分でそれ、食べないとね」
「おおっと!」
 璃音はパフェのソフトクリームから角が取れかけていることに気付き、慌ててスプーンを持った。
「じゃ、いきます!」
「おお。ドンといけ」
 結局、璃音は十分でパフェを平らげた。先に食べ終わっていたユウリと悠はゆっくりコーヒーを飲んで、恐れおののく店員にコーヒー代だけを払って店を出た。協議の結果、悠は一度自宅に戻って着替えとお泊りセットを用意し、それからすっかり片付いた噴水広場で合流し、三人揃って帰宅した。
「ただいまー」
 璃音が門をくぐるなり大きな声を出すと、黒猫のツナが足元に駆けて来た。大きく立派に成長し、ふてぶてしささえ醸し出し始めた猫を抱き上げると、璃音は開けっ放しの玄関に入った。
「ただいまー」
 すると、白い着物姿の式子は稲荷寿司を食べながら出てきた。
「おかえりー。お客とな?」
 そんな式子の姿を見て、悠は目を丸くした。
「…どなたですか?」
 璃音と式子は顔を見合わせて、それから同時に言った。
「親戚…」
 だが悠が眉を吊り上げたので、璃音はバツの悪そうな顔で真実を告げた。
「ご先祖様です…」
 悠は感嘆の声を上げた。
「へぇ。こりゃ、賑やかな…。孫の次は先祖かよ」
 その横で、ユウリがシニカルな笑みを浮かべる。
「さっさと送り火でも焚こうかと思ってるんですけどね」
 すると式子は、不機嫌に口を尖らせた。
「莫迦めが。お盆は先月じゃ。それに、わらわは霊ではない!」
 それから睨み合いが始まったので、璃音はその横を通り抜けた。それに、悠も続く。猫を抱いたままで、璃音は台所に顔を出して声をかける。そこには蛍太郎と斐美花がいた。
「ただいまー」
「おかえり」
 蛍太郎が微笑む。斐美花はまな板に向かったままで挨拶を返してきた。
「おかえり」
 包丁の音から察するにタマネギを切っているようだ。振り向かないのは、涙が出ているからだろう。
「ツナの足拭いたら、手伝うから」
 そう言い残して、璃音は台所を後にした。悠を自室に通し、風呂場でツナの足の裏を拭いてやる。それからツナを放すと璃音は台所にとって返し、制服の上にエプロンをつけた。
「さ、なにやろっか」
 蛍太郎が指示を出そうと口を開いた瞬間、
「きゃっ!」
 ユウリの悲鳴が響いた。見ると、ジャガイモの皮を剥いていたユウリが、まな板の前で指を押えていた。
「うぅ…指切っちゃいました…」
 式子が心配そうな顔で近寄る。
「やれやれ。お主は刀を振り回すばかりで包丁の扱いは今ひとつじゃなぁ」
 憎まれ口を叩きながらもユウリの指先の傷を確認し、頷いた。
「うむ、大事無いな。璃音、治してやってくれ」
「はい」
 璃音がエプロンで手を拭きながら向かうと、ユウリがそれを制した。
「大丈夫です。自分でやりますから…」
 そしてユウリが目を閉じると、もう片方の指先に緑色の光が灯る。それを負傷箇所に近づけると、一瞬で傷が塞がり出血が止まった。残った血を洗い流しながら、ユウリは小さく舌を出した。
「ごめんなさい。お騒がせしました」
「いいんだけど…」
 先ほどの様子を赤い瞳で見ていた璃音は首を傾げた。
「今のって、魔術だよね。ユウリちゃんって、時間を操作できるのに、それでちゃちゃっと治せないの?」
 するとユウリは小さく頭を掻いた。
「えーと、ユウリは自分の時間を操作できないんです。だから、こういう時は治癒魔術を使わなきゃいけません。なんでかっていうと、一種の安全装置みたいなもので。でも…」
 と、ユウリは先ほど怪我をしたときに妙な形に切ってしまったジャガイモを手に取った。すると、一瞬でイモは元の形に綺麗に戻る。
「それ以外なら、こうやって時間を戻して直せるんです。…まあ、この話は後で」
 興味津々な顔をしていた蛍太郎は少々残念そうな顔をしたが、気を取り直して指示を出す。
「それじゃ璃音ちゃん、カレー鍋出して」
「はーい」
 人数が多いときはカレーライスに限る。大食いを抱えた藤宮家でなくても、それは当てはまるだろう。かくして、その日の夕食はカレー大会とあいなったのであった。
 
 
2−
 璃音と悠を学校に送り出し、斐美花はリビングのソファに腰を下ろした。結んだ髪を解き、背もたれに身体を沈める。タンクトップに押さえ込まれたバストがこぼれんばかりに揺れ、ショートパンツから伸びた長い足がダラリと放り出された。
「ふう疲れた…。寝不足かな」
 昨夜は、ユウリを囲んで時空とタイムトラベルに関しての話が延々と続いた。自分の能力を直感でしか理解していなかった斐美花にとっては、ユウリの話し振りは驚きだった。飛び級で大学に行っているとのことだが、蛍太郎にも負けない知識を持っていたのだ。だがやはり、直感で判っているゆえに言葉にならない部分があり、そこを蛍太郎と一緒に再確認していたようだ。
 璃音にとっても新たな発見があったようで目を輝かせて話に参加していたが、斐美花は途中で眠くなってしまい、退席した。
「出来るもんは出来るで良いとおもう…私は…」
 と、独り言。
 そのあと、ユウリは璃音と悠と一緒に川の字になって眠ったそうだ。なんとも仲の良いことだ。と、また独り寝が続いている斐美花は少々拗ねた気分になった。
 大学は九月の半ばまで夏休みである。それを意識してか、トウキは連続で仕事に行って二週間も戻っていない。
「トウキさんの、ばか…」
 基礎工事もそこそこでほったらかしにされているお蔭か、一人でいると不意に体が疼くことがある。斐美花は太腿の間に手を伸ばし、そこで我に返った。
 ここはリビングである。式子はまだ寝ているがいつ顔を出すか判らないし、蛍太郎はユウリと一緒に何かやっているらしいが、これまた、いつここに現れるか判らない。
 結論として、こんなところでの自慰行為は危険である。
 斐美花は足早に自室へと戻った。
 それから二時間ほどして、斐美花はシャワーを浴びようと自室から出る。すると、廊下でばったりと蛍太郎と出くわした。
「やあ、斐美花ちゃん。いたんだ」
 蛍太郎がいつもの柔らかい笑顔を向けてくる。斐美花は顔を耳まで真っ赤にして、頷いた。
「は、はい…」
「大丈夫? 顔赤いけど」
 斐美花の額に触れようと、蛍太郎が近づいてくる。斐美花は慌てて一歩下がった。臭いに気付かれては大変だ。
「平気です。シャワー浴びてスッキリすれば、治りますから」
「ならいいけど」
 心配そうな顔をしている蛍太郎。斐美花は話を切り替えることで回避しようとした。
「ユウリちゃんは? 一緒じゃなかったんですか」
「さっきまでね。別の用事があるから出かけるってさ。夕飯までには戻るそうだよ」
 と、蛍太郎。あまりに曇りの無い顔で答えるので、斐美花は逆に妙な勘繰りを入れたくなってくる。
「そう。何してたんですか?」
 やはり、蛍太郎はいつもどおりの顔で答えた。
「昨日の続きだよ」
「あの、難しいお話ですか…」
 それもそうである。蛍太郎に璃音以外で色っぽい話を期待してもムダだし、ユウリはタイムトラベルしてきただけあって実感は薄いが、彼の孫である。間違いがあるわけも無い。
 自分の思考に少々ウンザリしながら、斐美花は平静を装って口を開いた。
「そうですか。じゃあ、私はこれで…」
「うん。夏風邪は厄介だから、無理しないでね」
 まだ心配気な蛍太郎に見送られ、斐美花は浴室へと向かった。
 脱衣所に入った斐美花は手早く髪をまとめ、衣服を脱ぐ。先ほどまで一人遊びで火照っていた白い肌には、乾いた汗が全身を覆うように貼りついている。さっそく熱いシャワーを浴びて、斐美花はこびりついた汗が剥がし取られる心地よさを楽しんだ。こうして何も考えないでぼんやりしていると、自然とトウキの顔が頭に浮かんできて、斐美花は一人で頬を赤く染めた。
(やっぱ、ひとりで悶々としてるのって…良くないよね)
 そろそろ家事も板についてきて余裕が出たので、余計にそう感じる。こういうときは自分も何かすれば良いのだが、なかなかそういう機会に巡りあえないでいた。
 トウキが今の仕事に就いたときは、斐美花も協力するつもりだった。このとき窓口になった侑希音に相談したところ、
「うん。斐美花なら大歓迎だと思うよ」
 と、太鼓判を押され実際にも好感触だったようだが、トウキの反対にあい断念せざるをえなくなった。曰く、
「こんな危険なこと、斐美花にはさせられないよ」
 とのこと。確かに、箱入り娘も良いところの斐美花に適した仕事とは言い難い。それならば普通のバイトをしようかとも考えたが、この街は学生が多いので意外と狭き門である。上手いこと学業と両立できそうなものは空席待ち状態になってしまっていた。
(とりあえず、学校が始まったらそっちに専念かな…)
 心にモヤモヤを残したまま、斐美花はシャワーを止めた。
 

 
「どうなんだろうね、お姉ちゃん」
 一時限目の授業が終わった休み時間、悠は開口一番にそう言った。
「何が?」
 璃音が首を傾げると、悠は苦笑しながら肩をすくめた。
「何がも何も無いよ。ありゃ、相当溜まってるね」
「そうなのかなぁ」
 璃音がさらに首を傾げると、悠が冗談めかした口調で言った。
「君にはもう、セックス無しの生活なんて想像も出来ないだろうけどさ」
 それに、璃音は予想外の真顔で答えた。
「わたしは、パワーの反動でガス抜きが必要なの。黙ってると、なんか変な…"黒い残りカス"みたいなのが溜まってくるんだよね」
 璃音の言葉はネタや冗談ではない。彼女の特殊なパワーは大量の栄養摂取を要求するだけでなく、心身ともに大きなストレスをかける。大食いはともかく、このストレスはアヴァターラには共通の症状で、思春期を迎えて以降はストレス対応で破壊活動に走る能力者が少なくない。才能があれば披露したくなるのが人情だし、それが常人に対して一方的かつ圧倒的に優位に立てるものであるなら、なおさらだ。璃音の場合は蛍太郎との関係で心身を満たすことで代償行為とし、そういった欲求を昇華しているのである。
 そこで一転、璃音はニヤニヤしながら悠の脇腹を肘で小突く。
「…って、そういう自分はどうなのさ」
「まあボチボチ。ヤリゃあ良いってもんでもないけど、過度の禁欲も問題あるよねってことで」
 悠は小さく肩をすくめ、それから何かに思い至ったのか口元に手を当てたまま呟いた。
「せっかくそっちに泊まったんだから、ヌイてあげたら良かったかなぁ?」
「真顔で何を言ってるのさ、君は…」
 首を振る璃音だったが、悠の顔を覗き込んで、一言。 
「…まさか悠も溜まってるの?」
 しばしの沈黙のあと、悠は切羽詰った表情で璃音の手を握り、こう口走った。
「ねえ、璃音。ヌイてくれる?」
 璃音は目を丸くして、それから真顔で首を捻った。
「うーん。今度、けーちゃんに相談してみるね」
 夫の許可を得てからなら良いというとんでもない返答に、悠は大慌てで首を振る。
「すいません、結構です。やめてください…」
「いいの? だって、困ってるんでしょ?」
「困ってるっちゃあ困ってるけど…自分で慰めます…」
「じゃあ…斐美お姉ちゃんのオモチャ借りてこようか?」
「…いや、あまり即物的なのは、ちょっと」
 こんな風にブツブツと話していると、いつの間にか側にいた墳本陽が呆れ顔で二人を見ていた。
「まだ明るいのに、そんな夜向けの話を…」
 悠は口を尖らせた。
「なんだよぉー。しょうーがねぇじゃんかよー。盛りがついて悶々としちゃってんだからよー」
「そんな、見も蓋もない…」
 項垂れる陽。璃音が諦めを促すような口調で言う。
「まあまあ、墳本くん。女の子にも性欲はあるから…」
 陽はそれに頷きながら、言った。
「うん、判る。イヤってほど判る。いや、判った。それはこの夏休みに、散々思い知った。でも、昼間の教室でするような話じゃないよ」
 その言葉に、璃音と悠は我に返り、バツが悪そうに俯いた。
「そ、そうだった…」
 と、璃音。悠も頷く。
「じゃあ、続きは生徒会室で…」
「…いいのかな、それで」
 陽は依然として呆れ顔である。璃音は、そんな陽に雰囲気を変えようと言葉をかけた。
「ねえ、陽くん」
「なに、藤宮さん」
 突然名前で呼ばれ、陽は目を丸くした。すると璃音は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「わたしのこと、お姉ちゃんって呼んでいいんだよ〜」
 陽は思い切り狼狽した。
「い、いや、その…綺子さんとは…まだ、そういう話は…っ!?」
「まさか、遊びだったの? 綺子さんカワイソー」
「違うよっ。僕は、真剣に…」
 そこに、悠が首を突っ込んできた。
「よーし。じゃあ、話は放課後、生徒会室でってことで」
「うう…ひどい…」
 陽はガックリと肩を落とし、己の行動を深く後悔した。
 

 
 昼を前にして、斐美花は外出することした。天気も良いし、気分転換に散歩でもしようというわけだ。
 蛍太郎は靴もクルマも残っているのにどこにも気配が無いので、戸締りをしてから外へ出た。徒歩で商店街へ向かい、コンビニでミネラルウォーターを買う。家に居たときのタンクトップとショートパンツのままで出て来たので男性客の視線を一身に浴びてしまうが、人妻となった斐美花は最早そんなものには動じない。手早く勘定を済ませると、ポニーテールのように結い上げた長い髪を揺らしながら、颯爽と店を後にする。本を立ち読みしていた何人もの客が、その後姿をいつまでも目で追っていた。
 歩きながら水を一口飲んで、斐美花は考えた。
 散歩に出たとはいえ、目的は決まっていない。商店街を歩いてみて、バイトを募集している店があったらチェックしておこうという程度である。学校のこともあるのであまり忙しい仕事はパスしたいが、稼ぎが悪くても困る。ただ、良い店はなかなか退職者も出ないだろうから難しい判断を迫られることになりそうだ。
 そうして歩いているうちに商店街のアーケードに足を踏み入れた。その時、斐美花の脳裏にある店の看板が浮かんだ。
(そうだ、あそこにいってみよう!)
 斐美花はサンダルで可能な限り早く、裏路地を駆けた。道の向こうに目指す店が見えてくると、足を止めた。
 蔵太庵である。
 この店はいつ訪ねても客はおらず、店主の亜沙美は裏でゴロ寝している。だが、こうして店は営業しているし亜沙美は羽振りが良い。つまり、いつどうやって稼いでいるかは判らないが儲かっているということだ。儲かっているということは、給料も弾むはず。それでいて、いつもヒマならば言うことは無い。まさに理想の職場である。
 このときすでに斐美花は、この店でバイトしてみようと考えていた。
 ただ、亜沙美がバイトを募集しているという話は聞かないから、そこは交渉次第ということになる。話をどう切り出すべきか思案していると、蔵太庵のドアを見覚えのある人物がくぐったのが見えた。長い黒髪を項のすぐ上で二つに結った、背の高い少女である。
「凄い! 客が来るところなんて初めて見た! …じゃなくて、あれって、ユウリちゃんじゃ…」
 とりあえず斐美花は、覗きをすることにした。
 
 
3−
 蔵太庵の奥、居間のちゃぶ台を挟んで二人の魔術師が対峙していた。店主である蔵太亜沙美と、その客である藤宮ユウリだ。ちゃぶ台の上には何枚かの紙が重ねられており、その全てが複雑怪奇な機械の設計図だった。
「紙に出力するの、結構大変だったんですよ」
 ユウリが苦笑する。四十一年後の世界では図面を紙で持ち歩くことなど無いだろうが、その時代のメディアで持ってこられても四十年近く経たないと見られないということになる。だから、気を利かせたというわけだ。
 亜沙美はそれを何枚か手にとって、感嘆のタメ息を吐いた。
「凄いな。これ全部、アーセナルで研究中の魔術機械じゃないか。しかも、まだ理論段階のヤツだ」
 魔術師協会は物騒な物ばかり作るのでアーセナルの別名を持つ。亜沙美は部外者らしく、その名でロンドンの塔を呼んだ。
「で、これを私にくれるというが…目的はなんだ?」
 亜沙美は用心深く、目の前の少女を見る。ユウリの素性は璃音から聞いてはいるが、だからといって信用したわけではない。結局のところ亜沙美にとっては見知らぬ他人でしかないからだ。だが、そんな亜沙美の心中を知ってか知らずか、ユウリは屈託の無い笑顔で答えた。
「ですから、おじいちゃんとおばあちゃんがお世話になってるお礼です」
「ふーん」
「それから、ユウリも亜沙美さんにはお世話になってますから」
「ほう。意外に長生きするんだな、私」
「そりゃもう」
 満面の笑みのユウリだったが、亜沙美は眉をひそめた。
「もしかして、懐かれてるのか? …まあいい。貰えるものは貰っとくのはやぶさかではないが、だからといって今後の私が、お前や璃音のためになるようなことをするとは限らんぞ」
 しかしユウリは、確信に満ちた表情で言い切った。
「大丈夫です。そうはなりません」
「うおう、言うねぇ。それにさ、こんなことしたら歴史が変わっちまうんじゃないのか?」
 亜沙美は当然の疑問を口にした。だが、ユウリの方が逆に首を傾げる。
「え? …変わりませんよ。だって、この時空はユウリがいる未来に続いてますから。それは、この行動が反映されている世界です」
 少しの間だけ沈黙した亜沙美は、その間にユウリの言葉を咀嚼し、意味を問い直す。
「理屈としては判るが…じゃあ、未来は絶対に変わらないってことか?」
 この発言で、ユウリは亜沙美が知りたがっていることを察し、答えを出してやる。
「それは、変わります。その時その時に、別の平行宇宙に分岐するんです。多世界解釈ってご存知ですよね」
 亜沙美は大きく頷いた。
「まあな。じゃあ…他の平行宇宙に行けば、お前がいなかったり、私が何事もなく平穏無事に今日を過ごしてたりするわけだな」
「そうでしょうけど…。でも、確定してしまった平行宇宙の間を渡ることは、ユウリには出来ません。今ここにいるユウリ自身が存在する時空の、その過去に戻ることは出来ても、その時空から見た"IFの世界"に行くことは出来ないんです。
 これは、あの"十人会議"の多次元宇宙人にだって無理です」
 ユウリは、式子も所属している多次元宇宙人連続体の名を挙げる。亜沙美もその名は聞き覚えがあるので、驚きに目を丸くした。多次元宇宙人といえば神と同義の存在だと認識していたからだ。その彼らにも出来いことがあるとは初耳だった。
 加えて言えば、連続体は"十一人会議"という名称だった気がしたが、それはまず置いておく。
「そういうもんなのか?」
「はい。だって、彼らは自分自身が住む宇宙を改変したり、その宇宙の時間を越えることはできませんから。
 あの人たちが神の如く振舞えるのは、自分たちより次元の低い宇宙においてのみです。自分の時空を改変できないということは、当然"IFの世界"である平行宇宙に行くなんて不可能です。
 おそらくは、多次元宇宙"神"の領域に至らなければ、本当の意味での全宇宙を俯瞰することはできないのでしょう」
「いわば、神にとっての神…と、いうことか」
「はい。本当に存在するかどうかは、判りませんが」
 ユウリは首を振り、それから続けた。
「確かに多次元宇宙人たちは、彼らから見て低次元な宇宙の過去・現在・未来を自由に行き来することが出来ます。でも、そうやって"観測"してしまえば、それは彼らにとっては"現在"であり"過去"でしかありません。
 多次元宇宙人たる彼らにも自身の運命を改変できない以上、自らが関わってしまった事象を、過去に遡って無かったことには出来ません。それは彼らの過去でもあり、そして自分の過去は変えられないんですから。変えようとしても、時空の反作用を受けて必ず失敗します。
 だから"十人会議"の多次元宇宙人が自由に改変できるのは、彼らの過去と関わりの無い低次元宇宙での事象だけです。それも、一度手を加えてしまえば無かったことには出来ません。改めてやり直すことはできますけど」
「やり直すのと、無かったことにするのとは違うのか?」
 当然の疑問を口にする亜沙美。ユウリは、少し間をおいてから答えた。
「改変の対象になった宇宙の時間の過去と未来を行き来しても、"彼らの視点で見たストーリー"とでもいうべきものは不可逆で、彼らの未来に向かって順繰りにしか進まないんです。なぜなら、先ほど言ったように、多次元宇宙人たちは自身に流れる時間を操作できないからです。
 だから無かったことにすることは出来ないけど、やり直しは可能です。『やってみた。でもダメだった』ということになったら、そのやってみた事実を無かったことにするのは不可能で、その宇宙での過去に戻って『もう一回やってみる』と、いうことになります」
 亜沙美は頷き、それから次の疑問を口にした。
「ふむ、そういうもんかね。じゃあ、なんで彼らはお前が生まれるのを阻止しようとしたんだ? 運命は変わらないんだろ?」
「それはですね…あの人たちは、自分の限界を信じたくないんですよ。"十人会議"は彼らの宇宙でも絶大な権力を誇っていますが、神ではありません。けど、他の宇宙で一度でも神の如く振舞ってしまえば、謙虚さを取り戻すことは難しいみたいですね。
 だから、そういう干渉は他ならぬユウリ自身が阻止しに来るってことを忘れてるんです。これがまさに、時空の反作用です。
 それに、彼らには"ユウリと出会い、仲間を失った"という過去が厳然として存在します。つまり、今のユウリの存在は"十人会議"の多次元宇宙人たちにとっては"現在"であるだけでなく"過去"なんです
 自分の過去を思い通りに改変するなんて出来ないのに、自身の過去に繋がる時空を舞台に選んだ時点で、後出しジャンケンができるユウリに勝てるわけありません。
 だから、運命は変わらないんです」
「なるほどなぁ。つまりは、お前の存在と自由は"運命の不変"によって保障されてるってことか」
「はい、そうです。
 もしユウリを始末したいなら、そんなセコイことしないで"自分たちの未来"において正々堂々と勝負すれば良いんです。けど、結果が判らないからそんなリスクをとる度胸なんか無い。楽して勝とうなんて考えが甘いです」
 その言葉に、亜沙美は吹き出した。
「ははは、確かにな」
 それから、ユウリは少し神妙な顔をして言った。
「でも、未来の保障もありませんけどね。だって、ユウリには自分の時間を改変することも、全ての宇宙を俯瞰することも出来ませんから。
 未来に行ったとしても確率論的に最も可能性が高いと思われる時空に着くだけで、実際には不確実なことが多いです。三分先だって、判りませんよ。 例えば、十分後に誰かが六面体ダイス二個を振るから、ユウリが十一分後に行って見て来るとしましょう。おそらく、タイムトラベルから戻ったユウリは『七がでた』というはずです。もしかしたら、六か八かもしれませんけど。でも、実際に十分経ってからダイスを振ってみたら…」
「スネークアイズだったりしてな」
 冗談めかした亜沙美の言葉だったが、ユウリは真顔で頷いた。
「一の揃目ですね。その可能性は充分にあります。ユウリが見てきた未来は確かに可能性としてありえますが、実際にはそうならないかもしれない。確定していない平行宇宙だから見に行くことは出来るんですけど、これなら普通にデータを収集して推論を立てるのと大差ありません」
 それを聞いて、亜沙美は意外とばかりに目を丸くした。
「そんなもんなのか。お前ら、未来視ができるんじゃなかったか?」
 ユウリは小さく笑った。
「ほんの一瞬先だけですけどね。あれは確定した未来を、確定した瞬間に見ているんです。誰がやっているのかは知りませんが、どこかでそういう決定が為されているとして、それは決定が適用される瞬間じゃなくて、その僅かでも前には下されているはずですから。
 けど、もっと長い時間で見れば、最初に言ったとおりに多世界解釈に則って未来は変わります。今この瞬間にも、ユウリが知らない未来が生まれて、平行宇宙に分岐してるかもしれませんよ」
 難しい顔で頷く亜沙美。
「まあ、少なくとも…お前とこうやって話してるなら、今の私は藤宮ユウリがいる未来に向かってるってこったな」
「そういうことです。そして、将来の貴方がユウリのいない未来に行ったとしても、今ここにいるユウリが居なくなるわけじゃありません。でも、そっちの貴方とユウリが未来で会うことは無いでしょうけれど…」
 ユウリが俯いたので、亜沙美はからかうような口調で言った。
「ふーん。寂しい?」
「だって、貴方はユウリのひいひいひいおばあちゃんじゃないですか」
 予想外にユウリが真剣な表情だったので、亜沙美はバツが悪くなって目を逸らした。
「まあ、この身体はともかく、中身はそうだな。…ああ、そうか。"初代"私の形質がお前に隔世遺伝してるのか」
 すると、ユウリは笑顔に戻った。
「いえ、ユウリのお母さんにです。とっても優秀な魔術師なんですよ」
「へぇ…会ってみたいもんだね」
 何となく口を滑らせてしまった亜沙美に、ユウリは満面の笑みを投げかける。
「ふふ。そんな先のことじゃないですよ」
 それから、深々と頭を下げた。
「それまで、ユウリのおじいちゃんとおばあちゃんのこと、よろしくお願いします」
 亜沙美は照れくさくなってしまって、また目を逸らしながら言った。
「お願いされてもなぁ…。まあ、敵対する理由はないし…これをくれたお前への義理は果たすよ」
 そして、亜沙美は再び目の前の図面に視線を落とした。
「ふむ…。すぐに試してみたい物が幾つかあるな」
 ユウリが顔を上げる。
「お手伝いしましょうか?」
「いや、いい。私にも意地ってモノはあるからね」
 亜沙美が掌を振ってそう言うと、ユウリは気を悪くするどころか、満面の笑みを浮かべた。
「はい。そう仰るだろうと思ってました」
「そ、そうか…」
 苦笑する亜沙美。目の前の少女に心中を見透かされているような気がしてしまう。だがユウリはそんな思いを知る由もなく、屈託の無い笑顔を浮かべて立ち上がった。
「では、ユウリはこれで失礼します」
「ああ、そうか。すまんね、茶も出さないで」
「いいえ。おかまいなく」
 ユウリは、亜沙美が一刻でも早く図面をじっくり見たいと思っていることが判ったので、早々に席を立つことにしたのである。確かに非礼といえば非礼だが未知の探求者たる魔術師なら当然のことだし、ユウリ自身も彼女の立場なら同様の思いに囚われたはずだ。
「では、これで…」
 深々と頭を下げたユウリだったが、不意に顔色を変えて、亜沙美がそれを押し留めた。
「待て。床下から、何かの気配がする」
 立ち上がり、亜沙美は畳に向かって掌を向けた。すかさず、そこに魔力の光が集中する。
「大人しく出て来い! さもないと、死ぬことになるぞ」
 二秒後。
 畳の下から、聞き覚えのある声がした。
「ごめんなさい! 撃たないで!」
 そして、畳をすり抜けて現れたのは、"透過"能力で床下に潜んでいた藤宮斐美花だった。
「…ごめんなさい」
 改めて謝る斐美花を、亜沙美は眉を吊り上げた。
「おいおい。私の家で盗み聞きとは、良い度胸してるじゃないか。事と次第によっちゃあ、ただじゃあ済まないぞ」
 間に立とうとしていたユウリを睨みつけ、亜沙美はさらに威圧的な視線を斐美花にぶつける。たまらず斐美花は、肩を丸めて言った。
「ただ、たまたま店の前を通りがかったら、ユウリちゃんが入っていったから気になって…」
「ふーん。誰かの差し金とかじゃあないってことか」
 亜沙美は腕を組んで頷き、それから首を傾げた。
「…おい、ちょっと待て。どうやったら、ウチの前をたまたま通りがかるんだ? 人が敢えて来るような所じゃないだろ、ここは」
 あまりといえばあまりなその言葉に、ユウリはつい口を挟む。
「すいません、ここ…お店じゃないんですか?」
 すると亜沙美は、さも今になって新たな事実に気付いたような顔で、小さく手を叩いた。
「あ。そうだった」
「おいおい…」
 と、斐美花。亜沙美はまた眉を吊り上げると、斐美花を問いただす。
「おいおい、じゃないよ。お前、当初は何の目的でウチに来たんだよ」
 すると斐美花は、恐る恐る口を開いた。
「その…バイトさせてくれないかなぁと思って…」
 亜沙美は素っ頓狂な声を上げた。
「バイトぉ?」
「はい。だってほら、暇なわりに稼いでそうだから…」
 斐美花の言葉に、亜沙美は眉間に大きなシワを寄せた。
「大概な物言いだな、オイ」
 それから、亜沙美は素っ気無く言った。
「バイトっつったってなぁ。使い走りはロボヘッドだけで充分だし、私は弟子を取るつもりも無い。ってか、あまり他人に煩わされたくないんだ。それに、お前は魔術なんて知らないだろ。お断りだね」
 すると斐美花は、こんなことを口走った。
「こちらとしてはですね。未来技術の件を姉にバラさない代わりに、バイトとして私を採用していただき、多めの給料と、さらには何か良さ気な物を頂戴したいんですが」
 顔面を硬直させ、亜沙美は呻いた。
「くっ…、なんてヤツだ。脅迫じゃないか、それは…」
 そして亜沙美は、渋々頷いた。いや、頷かざるを得なかった。
「そ、そうだな、これから少々忙しくなりそうだから、店番くらいなら考えてやっても良いぞ」
「本当ですか!」
 斐美花は目を輝かせた。
「そんなに厚かましかったっけか、お前…」
 呆れ顔の亜沙美に、斐美花は無邪気な笑みを向けていた。
 
 
4−
 蔵太庵の土蔵は膨大な量の在庫品を収納するだけではなく、地下室への入り口となっている。その先に続く広大な空間には象徴機械のシェルが格納され、さらには奇怪な機材が立ち並ぶ研究室がある。そこに、家主の亜沙美を筆頭に斐美花とユウリが雁首をそろえていた。だが、亜沙美は早く図面を見たいがために露骨に迷惑そうな顔をしている。
「で? どうしろっつーんだよ」
 すると斐美花は少しだけ思案して、口を開いた。
「えーとですね。侑希ねぇや璃音みたいな、変身アイテムが欲しいかな。かっこいいヤツ」
 亜沙美が吐き捨てる。
「…ケッ! 全裸になって目出し帽でも被りゃいいだろ」
 それを無視して、斐美花は亜沙美に言った。
「ねえ店長。そういうの、ありませんか?」
「無い! てか、店長呼ばわりすんな! 従業員気取りかッ」
「話が違いますよ、店長」
「ぬぬぬ…」
 苦虫を噛み潰したような顔をする亜沙美を、ユウリが宥める。
「まあまあ。せっかくの美人が台無しですよ。もうちょっとだけ丸くなればモテモテなんですから、カリカリしないでください」
「これがカリカリせずにいられるかよぉ!」
 半ベソの顔でユウリに訴えかける亜沙美だったが、ふと、先ほどの言葉の中で引っかかるものを感じ、問う。
「…モテモテ?」
 頷くユウリ。
「はい」
「ちょっとだけ丸くなれば良いのか? もっと、金工ヤスリでバルサ材削るくらいにガシガシ角落とさないと、男なんて寄って来ないと思うんだけど」
「そんなことないですよ。世の中には、女性に踏まれたいとか罵られたいとか願ってる男性が、存外に大勢いらっしゃいますから。っていうか、バルサ材をそんなのでヤスったら無くなっちゃいますよ」
「ふむ…」
 今ので機嫌が良くなったのか、亜沙美は平静を取り戻した顔で腕を組む。が、やはり回答はつれないものだった。
「でも、無いもんは無い」
 すると、ユウリがポンと手を叩いた。
「なら、ユウリが作りましょうか?」
 斐美花と亜沙美が同時に顔を見合わせる。
「作れるの?」
「はい。パワーシェルでよろしければ自作できます。斐美花さんのパワーソースは、おばあちゃんと同種ですから、問題なく使えるはずです」
 その言葉に表情を緩めかけた斐美花だったが、すぐに疑問を口にした。
「でもさ。君が使ってるのは、璃音のパワーシェルなんだよね。改造はしたみたいだけど、自作なんて出来るの?」
「大丈夫です。おばあちゃんのを譲ってもらう前は、自分で作ってたんですから」
 それを聞いて、亜沙美がユウリの肩に手を置いた。
「よ〜し。じゃ、さっさと作っちゃってくれ」
 すると、ユウリがその手を握りしめる。
「では、亜沙美さん。イデアクリスタルを下さい」
「は?」
 ポカンと口を開けた亜沙美。
「ユウリは、これしか持って無いのです」
 と、ユウリは首から提げた自分のイデアクリスタルに触れた。イライラしてきたのか、震える声で亜沙美が言う。
「それ貰う前に使ってたのがあるだろうがよ…」
 だが、ユウリはキッパリと言い切った。
「ないです。余らしちゃいけないから、ヘカテ師に返納しました。そういう規則ですから当たり前じゃないですか」
「ああそう。お前は真面目で良い子だな」
 ガックリと肩を落とす亜沙美。ユウリは照れくさそうに頭をかいていた。
「えへへ。ありがとうございます」
「褒めてないっての」
 深々とタメ息を吐いた亜沙美だったが、
「じゃあ、あれを使うか」
 と、何かを思いついたようで、相棒のロボヘッドを呼びつけた。
「おい。イデアクリスタルが一個あったろ。持ってきてくれないか」
「ハイ、マスター」
 ロボヘッドは足裏のキャタピラで部屋の奥へと走っていき、少しして戻ってきた。その手には太いゴールドチェーンネックレスの先に付いたイデアクリスタルがぶら下がっている。
「ほら、これでいいだろ」
 亜沙美からの手渡しで、ユウリはそれを受け取った。それからユウリは瞳を赤く変えてクリスタルを凝視したが、すぐに元のグリーンの瞳に戻る。
「はい。大丈夫です」
「よし、じゃあ頼んだ」
 と、背を向けた亜沙美に、斐美花は疑問を投げかけた。
「このクリスタル、青いんですけど…」
 ユウリや亜沙美自身が身につけてるものは赤だ。
「ああ、ロンドン製だからな」
 亜沙美の答えは実に素っ気無かった。斐美花の顔が曇る。
「出所に不安があるんですが…」
「落し物だよ。ちゃんと煮沸消毒したし記録も初期化してある。もちろん憑物もあらゆる宗教・宗派のエキスパートに依頼して完全浄化した。新品と変わらんよ」
 そこまで言われると逆に釈然としないが、斐美花はぎこちなく頷いた。
「ま、まあ。そうなんでしょうけど…」
 すると亜沙美は、
「はいはい。そういうわけだから、後はヨロシク! 道具は作業台の上に置いてあるから、勝手に使って良いぞ」
 と、さっさと踵を返した。そして貰った図面を束ねてロボヘッドに渡し、指示を与える。
「これを全部、リアライザーに読み込ませるんだ。必要な物が判ったら知らせてくれ。順次、採集しにいくからな」
「了解デス」
 そして亜沙美たちは壁一面に据えつけられている機械に向かって作業を始めた。その後姿を見てから、ユウリは青いイデアクリスタルと斐美花を交互に眺めつつ、楽しげな表情で言った。
「さあ、どんなふうにします?」
 斐美花は少し思案して、希望を述べた。
「うーん…。君らみたいにバンバン殴るのは、気が強そうに見えちゃうからイヤだな」
「そ、そうですか」
 珍しく顔を引きつらせたユウリ。だが、それに気付かずに斐美花は話を続けた。
「飛び道具メインで、あまり忙しく動かない感じで。でも、空は飛んでみたいな。できる?」
「飛行属性ですか? 大丈夫ですよ」
 それから少し考えて、ユウリは続けた。
「では仕様ですけど、シェルの機能は斐美花さんの能力を高速化して射程を延長、かつ低負担化する方向でいきましょうか。それなら攻撃も防御もバッチリですし。もちろん、パワーシールドは付けますけど」
「うん。それでよろしく」
 それから、斐美花は恐る恐る訊いた。
「で、そのクリスタルだけど…ホントに大丈夫?」
 するとユウリは間髪いれずに頷いた。
「はい。亜沙美さんの仰ってたとおり、新品同然です。どうしてですか?」
「いや、その…ロンドンの魔術師って良い印象無いから…」
 具体的には、イスマエルやマックスウェルだ。ただアホなだけの後者はともかく、前者の所有品だったというなら触れるのも憚られる。斐美花が俯くと、ユウリはその手に問題の青いイデアクリスタルを乗せた。
「ほら、触れてみてください」
 言われるまま、斐美花が自分の掌に乗せられたクリスタルに指先を触れる。すると、イデアクリスタルはボンヤリと光を放った。
「ほら」
 ユウリが微笑む。
「この子、喜んでますよ」
「この子って…」
 斐美花が目を丸くすると、ユウリが穏やかに言った。
「このクリスタルです。どんな物にも魂が宿ってるんですから、これも例外じゃありませんよ」
 それからユウリは目を閉じ、耳を澄ます。
「…ああ、やっぱり、前のご主人はあまり良い人じゃなかったみたいです。でも、今度は優しい人に出会えて良かったって…えーと、優しい?」
 先ほどまでの斐美花の振る舞いを思い返してユウリは首を傾げたが、
「ああ、悪い人じゃないですよ、確かに。今はちょっと、欲求不満が溜まってるだけでした。ごめんなさい」
 と、一人で頷いて納得する。それを聞いた斐美花が口を尖らせた。
「なんか感じ悪いなぁ」
「そういうわけですから、大丈夫です。あとは、こんな職業犯罪者がつけてるみたいなチェーンじゃなくて、可愛いのに換えてあげてください」
 と、ユウリはまた青いクリスタルを自分の手に取り、近くにあったラジオペンチでチェーンを外した。
「では、始めます」
 ユウリはまず、もう一方の手で自分の赤いクリスタルをかざす。
「エクストラクティング」
 その声に応えてクリスタルが光り、図面が空中に映し出される。そこには衣服の型紙のようなものと、無数の魔術式が書かれていた。パワーシェルのデータである。これにパワーを与えイデアクリスタルで処理することで、実体を持った存在としてパワーシェルが作り出されるのだ。
 続いて、青いクリスタルをペンでも持つかのようにしてつまみ上げ、その先端を図面に当てた。
「ロード」
 すると、図面がクリスタルに吸い込まれるようにして消えていく。全てが青いクリスタルの中に納まると、
「エクストラクティング」
 再び、今度は青いクリスタルからパワーシェルの図面が空中に投影された。この図面にペン先を当てるようにしてクリスタルを触れさせると、その箇所が書き換わっていく。作業の様子を見て、斐美花は首を傾げた。
「これって、結局コピペなんじゃない?」
「ホントに全部自作したら時間かかりますからね。このコンセプトならユウリのシェルと一緒ですし、サクっと済ませたほうが良いでしょう?」
「まあ、そうか」
 頷いた斐美花に、ユウリが言う。
「サイズ合わせますから、服脱いでくださいね」
「え!?」
「裸の上に直接装着するんですから、当然じゃないですか。アンダースーツの寸法が決まらないと、他のパーツも形に出来ませんからね」
「それもそっか…」
 斐美花は渋々裸になった。それを横目に図面を弄りながら、ユウリが笑みを浮かべる。
「最初に骨格や体形の基本データを入力しておけば、あとは年齢とか、装着直前のスキャンデータを元に補正してくれますから、大丈夫ですよ」
「なるほど…。璃音もこういうことしたのかな」
「してないと思います。あれは最初から、おばあちゃんのために作られたものです。おばあちゃんはあの体格に育つように仕組まれてたんですから、ピッタリで当たり前ですよ」
「そっか。それで私らの中で、あの子だけ背が低いんだな」
「そういうことです。じゃあ、そこに立ってください」
 斐美花は言われるまま、ユウリに前に立つ。するとユウリは、青いクリスタルの先端を斐美花に向けた。そこから光が発せられ、斐美花の肌を照らす。
「なに、これ」
「スキャナーです。じゃあ、やりますよ」
 ユウリは斐美花の周りを一周して全身をくまなくスキャンし、今度はそのクリスタルを二の腕に当てた。三秒ほどして、
「OKです」
 と、ユウリは斐美花の側を離れる。そして、今までとは別の新しい図面を投影し、入念にチェックを始めた。
「…それ、私のデータ?」
「はい」
 ユウリは頷き、そして続けた。
「あと、リクエストあります? ユウリと同じデザインじゃイヤでしょうから、なるべくご希望に添うようにパーツ配置しますよ」
「そうだなぁ…」
 しばし考えて、斐美花は口を開いた。
「あ。装着前に一瞬だけど裸が見えちゃうっていうの、何とかならない?」
 するとユウリは、バツが悪そうな顔で頭を下げた。
「ごめんなさい。それは仕様ですから、どうにもなりません。だって変身じゃなくて、あくまで着替えですから」
「やっぱり…」
 

 
 酉野市郊外の、打ち捨てられたショッピングモール。それが、タイツ男集団・酉野紫のアジトだ。
 ちょうど正午を迎えたこの時間、半ば廃墟と化したエントランスホールに屯していたのはバーナーとクイックゼファーだった。
 床に大の字になって、バーナーは緊張感の欠片も無い声を出した。
「うえぇ、退屈だなぁ。他の連中はどうしたんだよぉ〜」
 同様にゴロ寝していたクイックゼファーが、同じくだらけた声を発した。
「だってよー学校始まってるじゃねぇか。オレはまだだけどよ」
「マンビーフのヤツは、学校なんて行ってねぇじゃねぇかよ」
「ヤツは、親に連れられてジョブカフェとかに行くとか言ってたぜ」
「なんだそりゃ」
「ハローワークみたいなもんだ」
「は、今さら働けってか。無理じゃねぇの。あんなウスラバカを雇うヤツなんかいるわけねぇじゃん。アイツ、未だに九九も最後まで言えねぇだろ」
 バーナーが大笑いすると、それをクイックゼファーが鼻で笑う。
「フッ、笑止な。お前なんか一次方程式も解けなけりゃ因数分解も出来ねぇだろうが。目糞鼻糞とはよく言ったもんだ」
「アァ? 誰が糞だこの野郎ッ!」
 飛び起きて、火を噴くバーナー。それを、クイックゼファーは冷ややかな笑みで迎え撃った。
「ははは。バカもそこまでいくと、自分が何でバカにされてるか判らないんだな。お頭に筋金入れて焼き入れまでした、無敵の男だもんな」
 するとバーナーはニヤニヤと頬を緩め、やたらと白い歯を輝かせた。
「ふふふ。オレが無敵の男だってか。照れるぜ…」
「褒めてねぇからな、決して」
 クイックゼファーは諦め顔で首を振った。そのとき、ホールの中央に薄緑色に光る霧状の何かが浮かんでいるのに気付いた。
「オイ。…なんだ、ありゃ」
「あぁ?」
 バーナーもそれを見るが、答えは予想通り、
「知るか」
 の、一言だった。彼にマトモな回答を期待したことの愚かさを噛みしめつつ、クイックゼファーはその物体を凝視し、自らの記憶を辿った。
「うーん…。ああいうの、どっかで見たような気がするんだけどよ…」
 
 
5−
 作業開始から三時間。多数のデザインスケッチを描き散らかした末に、それは完成した。斐美花とユウリは中庭に出て、さっそくテストを開始する。
 斐美花は手渡されたイデアクリスタルを握りしめ、パワーを送り込んだ。激しい光が斐美花を包み、衣服が消える。それと入れ替わりに黒いアンダースーツが素肌を多いつくすように装着され、その上に衣服が形成されていく。
「やった、成功です!」
 ユウリが歓声を上げ、鏡をかざす。そこに映った自分の姿を見て、斐美花は目を丸くした。パワーシェルは、斐美花の端整な容貌に良く合った優美なシルエットに仕上がっていた。
 外観は、肩の開いたロングドレスで、色は青みがかった薄紫。スカートの中央には深くスリットが入っており、そこから同色の膝上ロングブーツが見える。腕の長手袋も薄紫で、チョーカーも髪をポニーテールに結い上げている留め具も同様。すべてがその色で揃えられているが、所々に濃い紫でアクセントが入っている。
 斐美花は首を捻って前進を確認し、笑みを浮かべた。背中があまりに大きくあいているのは少々気に入らないが、概ね満足だった。
「うん、いいじゃん。これこそ、私のイメージだよ」
「では、機能についてご説明しますね」
 ユウリは笑みを浮かべ、いきなりマジックミサイルを斐美花に放った。
「きゃっ!」
 爆風に晒された斐美花だったが、全くの無傷だった。
「標準状態でも防護シールドが張り巡らされているので、この程度ではビクともしません。意識でコントロールされた選択透過性とオンオフ機能がありますので、その辺はあとで試してみてください」
「へぇ…。これなら、防御のためにパワー使わなくていいもんね」
「使ってもいいですけど」
 そう言いつつ、ユウリは先程より大きなマジックミサイルを生成した。
「これ、パワーシールドで止めてみてください」
「え!?」
 狼狽する斐美花。
「いつもパワーを使ってるようにして、やってみてください」
 その言葉とともに、マジックミサイルが放たれた。
「ええいっ!」
 斐美花はパワーをこめて両手を突き出した。すると、その先に白い光の壁が現れる。その壁に当たったマジックミサイルは、エネルギーの塊だったにも関わらず凍りつき、四散した。
「これがパワーシールドです。"冬の王"の力を宿していますが、調節すればただの壁にすることもできます。シールドがありますから、パワーだけでは止めきれないものでも大丈夫。ダブルで安心です。
 パワーシールドの数や形は思考コントロールで応用が利きますから、色々試してみてくださいね」
 ユウリの説明に、斐美花は頷いた。
「判った。便利だね、これ」
「過信は禁物ですけどね」
 それからユウリは自分もパワーシェルを装着し、宙に浮かんだ。
「さあ、飛行システムを試してみましょう。それで、どこか広いところへ行って、攻撃サポートのご説明をしますので」
 自分の頭より高いところにあるユウリの爪先を見て、斐美花は呟いた。
「そっか。私、飛べるんだ」 
「はい。念じれば、システムが起動します」
「よし…」
 目を閉じる。
(飛べ!)
 すると、斐美花の身体が重力に逆らって上昇を始め、ブーツが地面を離れた。そのまま、身長と同じくらいまで浮かんでいく。少ししてから目を開け、状況を確認した斐美花は歓声を上げた。
「凄い! 浮いてるよ」
 だが、意識が逸れた瞬間にバランスを崩し、浮力を失う。ユウリに手を掴まれて、斐美花は危うく墜落を免れた。
「ありがと…。これって、難しいのかな」
 だがユウリは笑みとともに首を振った。
「そんなことはないです。ヒトには本来備わってない器官を使うようなものですから多少の訓練は必要ですけど、大丈夫。すぐ慣れます」
 斐美花は少々顔を曇らせた。
「そっか、簡単にはいかないんだね。コツとか、璃音に訊いてみようか」
 だが、ユウリは苦笑しながら首を振った。
「歩くよりも早く宙に浮かんでたって言ってるような人に、そんなこと訊いてもムダですよ」
「それもそうだね。…って、訊いてみたんだ」
「はい。『飛ぼうって思えば飛ぶよ』という回答が得られました。歩くのと一緒だそうです」
 ユウリの言葉に、斐美花も苦笑いを浮かべた。
「まあ、しょうがないか。私だって、歩き方を教えろって言われれても出来ないしなぁ」
「ははは、確かにそうですね」
 笑いながら、ユウリは斐美花の手を引いて高度を上げていく。
「では、行きましょう。しばらくは、ユウリがエスコートしますね」
「ありがと」
 斐美花は自らの飛行システムを起動させ、ユウリの隣に並んだ。
「じゃ、行こうか」
「はい。ついて来てください」
 そのまま二人は並んで飛ぶ。眼下に街並みを見下ろし、風を切って進む爽快さに斐美花は歓声を上げ、バランスを崩す。それをユウリに支えられ、斐美花は照れ隠しに笑った。
「うーん、まだまだみたい。でも、私に一番足りなかった機動力が加わるのは嬉しいね」
 ユウリは満面の笑みで頷いた。
「そう言っていただけると、作った甲斐があります」
 それから街の郊外に向かって飛ぶと、程なく行く手に病院跡地が見えてきた。解体されずに放置されていた廃墟は、以前ここで展開された侑希音とイスマエルの大立ち回りにより完全なる瓦礫の山と化した。こうして、せっかく一銭も使わずに解体がなされたにも関わらず瓦礫の運び出しも行なわれないまま、コンクリート片の大地にひしゃげた鉄骨が墓標のように突き立つ荒れ野原となっている。
 ユウリの先導により、斐美花はその真ん中に着地した。
「ここなら、誰の迷惑にもならないです」
「そうだね…」
 笑顔のユウリとは裏腹に、斐美花は眉をひそめた。この場所は怪談スポットとして有名だったので、更地同然となった今でもあまり気持ちの良いものではないからだ。彼女が育ったのは下世話な話題に乏しい別天地だったが、だからこそ、そういった噂話は強烈な印象を残すものである。もちろんユウリは、そんな斐美花の気分には関知せずに平常その物の表情で言った。
「では、攻撃サポートについてご説明しましょう。パワーシェルにはパワーボルトというエネルギー弾を発射する機能がついています。普通は単純なエネルギー弾ですが、斐美花さん専用ということで"冬の王"の属性も付与したものと使い分けられるように作ってみました。…えっと、じゃあ試してみますか。掌から発射されるようになってますから、前に出してください」
「こう、かな?」
 斐美花は言われるままに、掌を前に突き出した。
「はい。思考コントロールですので、念じれば発射されます。一番手っ取り早いのは、技名を口に出して言うことですね」
「そう…じゃあ…」
 斐美花は少々恥ずかしげに、口を開いた。
「えーと…パワーボルト!」
 すると、光る球状のエネルギー弾が掌から放射され、近くの鉄骨に着弾する。爆発が起こり、鉄骨は真ん中で折れて吹き飛んだ。
「OKです」
 拍手するユウリ。斐美花は少々呆気に取られていた。
「ちょっと、これ凄くない?」
「まだまだです。斐美花さんなら、もっと高い出力を出すこともできるはずですから」
「そう。気をつけないといけないな」
「斐美花さんなら大丈夫ですよ。では、次行きましょうか。先ほどのパワーボルトに"冬の王"を加えてみましょう。同時に出すつもりでやれば、上手くいくはずです」
「判った」
 斐美花は眉根を引き締め、手を突き出す。
「たあっ!」
 気合を込め、パワーを放出する。すると、掌の先に岩ほどの氷の塊が現れ、地響きとともに瓦礫の上に落下した。
「うわ…失敗したみたい。氷作っちゃったよ」
 苦笑する斐美花。ユウリが言う。
「身体への負担を軽減することで、結果として本来のパワーも増幅されるようになってるんですよ」
「なるほど。じゃあ、もう一回…」
 斐美花はそろそろ慣れてきた飛行システムで氷塊と距離をとると、また掌をかざす。
「パワーボルト!」
 すると今度は言ったとおりにパワーボルトが発射され、氷塊を砕いた。
「うーん…」
 肩を落とした斐美花を、ユウリが慰める。
「大丈夫ですよ。すぐ使いこなせるようになりますから」
「そうだなぁ…それぞれ別に名前ついてた方が、使いやすいかもなぁ」
 斐美花が頼るような目をユウリに向けるが、返って来た言葉は予想外なものだった。
「そういうことなら、ご自由にどうぞ。技名はハードウェア的に設定されているわけじゃなくて、全て通称です。ですから、要はパワーシェルに斐美花さんの思考が伝われば良いわけで、やりやすいようにしていただければ、それで大丈夫ですよ」
「そんなもんなの?」
「はい」
 目を丸くする斐美花。それから、
「じゃあ、なんかそれっぽいの、考えるわ」
 と、真剣な面持ちで眉間にしわを寄せた。
「そうしてください。まだまだ時間はありますし」
「そっか。ありがと」
 頷いた斐美花は何となく空を見て、太陽がすっかり高くなっていることに気付いた。この分では、すでに二時をまわったところだろう。
「けど…。もうお昼過ぎたみたいだけど、いいの?」
 その言葉に、ユウリは顔を強張らせた。
「ホ、ホントですか!?」
 それから、ガックリと膝をつく。
「どうしましょう…。そうと知った途端に、おなかがへりました…」
 身も世も無いといった表情で天を仰ぐユウリの姿に苦笑しつつ、斐美花は手をさし伸ばした。
「じゃあ、続きはごはん食べてからにしようよ」
「すいません」
 申しわけなさそうに垂らされたユウリの頭を、斐美花は優しく撫でてやった。
「気にしないで。こっちは作ってもらってるんだし」
 するとユウリは照れくさそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ユウリ、何かに夢中になると寝食忘れちゃうんですよ。食べなきゃダメなくせに…」
 それを聞いて、斐美花は声を出して笑った。
「ははは。璃音だったら、なにやってても時間が来たら『ごはん!』って言いだすのに」
 つられて、ユウリも笑う。
「うん。そうですよねぇ」
 それから斐美花が、ユウリの手を握り、
「じゃあ、今度は私がエスコートするよ」
 と、言った、その時。衝撃とともに瓦礫の山の一角が崩れた。それから、悲鳴とともに凄まじい勢いで駆けて来る人影が一つ。よく見るまでもなく、そいつは斐美花たちの側まで走ってきた。クイックゼファーである。タイツ男は開口一番、こう言った。
「た、助けてくれ!」
 斐美花とユウリは顔を見合わせ、同時に言い放った。
「なんで?」
「はぁ!? なんでってこたぁねぇだろうよぉッ!」
 呆気に取られ、それからクイックゼファーは必死の形相で斐美花にすがりつく。
「怪物が出たんだよ! なんか、よく判らねぇのが! そいつがバーナーを食っちまって、オレまで追いかけてきやがるんだッ!!」
「逃げたの? ダサっ」
 斐美花の心無い言葉に、クイックゼファーは目を剥いて怒鳴る。
「オレから逃げ足を取ったら、何が残るッつーんだッ!」
 そんな心温まる交流が繰り広げられている横で、ユウリは遂に鳴り始めた腹を押えながら、クイックゼファーが来た方向を指差した。
「あ。あれでしょうか?」
 見ると、瓦礫の山を乗り越えるようにして、緑色をした半透明の物体が次第に近づいてきていた。ゲルのような質感で、アメーバのように蠢きながら這っているが移動速度は存外に早い。一息吐く間に、それは斐美花たちの目の前に迫っていた。大きさはこれまた存外に大きく、三メートルほどはある。そして、内部には気を失ったバーナーが浮かんでいた。
「ぎゃああああッ! 来やがったァーッ!!」
 クイックゼファーは悲鳴とともに踵を返す。だが、ゲル状の物体は存外に素早く飛び跳ねる。足場が悪いために加速が悪かったクイックゼファーは、そのまま落下してきた物体の下敷きになってしまった。
「ぐぼっ!」
 アメーバの捕食のようにして内部にクイックゼファーを取り込んだその物体は、次の標的を斐美花たちに定め、おもむろに向きを変えた。
「…あれ、なに?」
 気色悪いものを見たとばかりに青ざめた斐美花に、ユウリが答える。
「あれは、おそらくエウェストゥルム結晶体です」
「エウェ…って、確か魔術のエネルギーだよね?」
「はい。ですがときおり、自然界で勝手に発生することがあるんです。沼地や山奥とか、街中でも…。そいつは、魔術式の代わりにめぐり合った人間の思考に影響されて形を変え、自律的に行動します。
 …これはまだ初期段階ですが…でも、それでここまで大きいものは初めて見ます」
「なるほど…で、どうすればいいの?」
 さらに迫るエウェストゥルム結晶体に、息を呑む斐美花。
「処理用の魔術式に乗せてやれば、消去できます。けど…」
「けど?」
 ユウリは座り込んだままで、力なく言った。
「すいません、ダメです。おなかすいて、力が出ません…」
「そんなっ!」
 斐美花が悲鳴じみた声を上げるのと殆ど同時に、結晶体が飛びかかる。標的は動けないユウリだ。
(やるしか、ない!)
 斐美花はユウリと結晶体の間に飛び込み、
「アイスシールド!」
 "冬の王"のパワーを付与されたパワーシールドを展開した。壁に直に当たり、結晶体の動きが止まる。そして表面を凍結させ、瓦礫の上に倒れこんだ。
「やった!」
 だが、凍りついていたのは表面だけだったらしい。殻を破るようにして、結晶体のゲル状の体が這い出してくる。
「しつこいなぁ…どうすればいいんだろう…」
 少々弱気になった斐美花がユウリの方を見るが、相変わらず座り込んだままで、両手で腹を押えていた。その視線に気付いて、ユウリが勇気づけるように頷く。
「大丈夫です。パワーシェルにはある程度の精神ブロックが搭載されていますから、ユウリたちがアイツに影響を与えることはありません。存分にやっつけちゃってください!」
「そうは言うけどさ…」
「斐美花さんならできます! 今の結晶体は、まだエネルギー体に過ぎません。ですから、その活動を停止させれば意味を失って消滅します」
「そっか…」
 斐美花は眦を上げ、相手を凝視する。内部にタイツ男二人を抱えたエウェストゥルム結晶体は、次なる攻撃に移ろうと身をかがめていた。
「…じゃあ、私にとってはイイ鴨だね!」
 結晶体が跳躍する。そこを狙って斐美花は掌を突き出し、パワーをこめた。
「アイスブラスト!」
 冷たい色の光が迸る。球状のエネルギー弾は真っ直ぐに、落下中のために方向転換が出来なくなっていた結晶体に直撃した。着弾の直後にアイスブラストはエネルギーを放出しながら崩壊するが、その結果として起こるのは爆発ではなく、全ての運動を停止する"冬の王"による凍結作用だ。エウェストゥルム結晶体は瞬時に凍りつき、運動エネルギーも失ってそのまま垂直に落下した。氷の塊となった結晶体は固い瓦礫の上に叩きつけられ、そのまま粉々に砕け散ってしまった。
 ダイヤモンドダストにも似た氷の小片が舞ったが、すぐに残暑の日差しに散らされるようにして消え失せた。
「よし、今度こそやった!」
 歓声を上げ、斐美花は手を叩く。エウェストゥルム結晶体は完全に消滅し、そこには何も残っていなかった。二人のタイツ男を除いて、だが。呻きながら身を起こすバーナーとクイックゼファーをちらりと見ると、斐美花はユウリに駆け寄り、その手を取った。
「ユウリちゃん、行こ!」
「はい。でも…ごめんなさい。ユウリはもう飛べません」
 目を伏せるユウリを抱え上げ、斐美花は満面の笑みを向けた。
「心配しないで。私が連れてってあげる」
 自信に満ちた斐美花の表情を見て、ユウリは表情を緩めた。
「はい。お願いします」
 斐美花は頷くと、ユウリの肩を抱えたまま真っ直ぐに、空へと昇って行った。
 

 
 その日の夜。
 久方ぶりに帰ったトウキは、いつになく快活な表情をした斐美花に迎えられた。
「おかえりなさい。ごはんにする? おふろ? それとも、わ・た・し?」
 腰をくねらせながらそんなことを言う斐美花の姿に呆気にとられたトウキだったが、ここはお付き合いするべきだろうと恥ずかしげに答えた。
「斐美花、かな…」
「ホント? トウキさんの、えっちぃ」
「…すんません」
「やっぱり、溜まってるの?」
「まあ、それなりに…」
「そう。楽しみだねぇ」
 斐美花は悪戯っぽく笑った。それから、トウキの手を引いて自分の部屋へ行き、ちゃぶ台を挟んで向かい合うように座らせた。
「その前に、お話があるの。聞いてくれる?」
「いいよ」
 快く頷くトウキ。家を空けることが多い以上、お互いの会話が大切だとい自覚はある。それを嬉しく思いながら、斐美花は居住まいを正して切り出した。
「私、バイトすることにしたんだ。亜沙美さんところで。いいかな?」
 トウキは目を丸くした。
「いいけど…あの人の店って、商売やってるのか?」
 やはり、驚くべきところはそこである。斐美花は苦笑した。
「やってるよ。…たぶん。お客さんが来たところなんて、見たことないけど」
「うーん、そうだよなぁ。…給料不払いとかあったら、ちゃんと言いなよ。あれほど切ないことは無いからね」
 トウキは、この世の悲しみを全て背負ったような表情で、そう言った。
「…トウキさん、やられたことあるの?」
「うん…」
 暗澹たる面持ちで力なく頷くトウキ。斐美花はちゃぶ台の上に身を乗り出して、その両肩に手を置いた。
「そう…。でもほら、今はちゃんと働いてるんだしさ。そんな過去は、思い出っていうか笑い話っていうか…そういうことにしちゃおうよ」
「そうだね。ありがとう…」 
 しんみりと良いムードが漂い始めたところで、斐美花はハッと我に帰った。
「ってか、心配するポイントはそこなわけ?」
 トウキは当然だろうといった表情だ。
「そりゃそうだろ。君の能力に疑いの余地なんか無いよ。経験はともかくさ。心配なのは雇用者の態度の方に決まってるじゃないか」
 ごもっともな話である。だが斐美花は、少々不安はあるものの、キッパリと言い切った。
「それはまあ、大丈夫だと思う」
 それから、訝しげな顔で問う。
「ところで…、さっきみたいな話の流れになったってことは、まさか、今回の分の給料もらって無いってことは無いよね?」
「そんなことないよ。ただ、例によって小切手だから、帰りに買い物できなくてガックリきただけ」
 トウキは肩をすくめながら、そう答えた。
「そう、良かった」
 斐美花は笑みを浮かべ、続けた。
「それから、だけど。トウキさんが仕事で抜けた分、璃音とか、Mr.グラヴィティの手伝いしたいんだけど、良いよね。
 ほら、璃音もこれから忙しくなるし。私はまだ余裕あるからね」
 トウキはしばし考えてから、言った。
「そうだなぁ…。そういうことなら反対はしない。みんな歓迎だと思うし。もちろん、オレも出来る限りの手助けはさせてもらうよ」
 斐美花は、満面の笑みで頷いた。
「うん。ありがとう」
「ただし、学校やバイトとの両立はちゃんとするんだよ。失敗したら、オレみたいなことになるから」
「大丈夫だよ。亜沙美さんの店だし」
「それもそうか」
 二人は声を揃えて笑った。それから、斐美花が小声で言う。
「じゃあ、話も終わったことだし…」
「いいの?」
「うん。今日こそ、中でイケそうな気がする」
「斐美花…」
 トウキが肩に手をかけてくると、斐美花はそれを押しとどめた。
「待って。やっぱり、ベッドの上が良いな。綺麗にして待ってたんだもん」
 その言葉に、トウキは顔を真っ赤にして俯いた。
「そっか。ごめん、独りにしてるのはオレなのに、こんな…」
 斐美花は微笑み、それからわざと頬を膨らませてみせた。
「そうだぞ。ホントは、私も一緒に仕事したいんだから」
「けど…それは…」
 困惑してしまったトウキの頬に、斐美花は軽くキスをした。
「判ってる。もう、そんなワガママは言わないよ。けど…こういうときは、良いよね?」
「ああ」
 トウキは頷き、斐美花を抱き上げた。
「斐美花のワガママを聞いてあげるのは、なんというか…楽しいよ。でも、おねだりばっかりは勘弁な」
 
 そして、二人の夜は更けていった。このとき、めでたいことに新しい悦びを知った斐美花は、しばらくの間は周囲が閉口するほどのベタベタぶりを見せつけまくったのであった。
 
 
…#12 is over.

モドル