初めてのお使い(みどりのKちゃんの場合)

 

 みどりのKちゃんは軽自動車です。ある時、みどりのKちゃんはみどりのワンボックスのお母さんに言われました。

「坊や!明日からお前は母さんの元をはなれて、ディーラーさんに連れられて、新しい運転手さんのところへ行くことになるけれど、新しい運転手さんの言いつけは絶対に守らなければなりませんよ!それから体には十分気をつけてオーバーヒートやパンクなんかするんじゃありませんよ!」

「お母さん大丈夫だよ。ボクの658ccのエンジンは絶好調だし、直進バックだろうが、縦列駐車だろうが、もうひとりで何でもできるよ。だってボクは一人前の男だよ!」

 けれど、みどりのKちゃんはホントは少しお母さんとはなれるのが寂しかったのです。それに明日から見知らぬ運転手さんのところへいくなんて!ワクワクやらドキドキやらでその晩なかなか寝つけません。思わずKちゃんはお母さんに言いました。

「ねえ、お母さん…もっとそばによってもいい?」

「仕方のない子だねェ」

 Kちゃんはやっととろんとしたかと思ったら、すぐに目を覚ましてしまいました。あたりはまだ暗く、なんとまだ朝の4時でした!もう眠れません。そして待ちに待って、予定の時刻にディーラーさんがみどりのKちゃんに乗り込みました。みどりのワンボックスのお母さんともお別れです。みどりのKちゃんは眠い目をこすりながら言いました。

「それじゃあ、お母さん、ボクいってくるよ!」

「新しい運転手さんとは仲良くしてかわいがられるんだよ」

「わかっているよ!それじゃあね!」

 みどりのKちゃんはディーラーさんに新しい運転手さんところに連れてゆかれました。

 とある一軒家の車庫にバックで入りました。そうです!この車庫こそがみどりのK ちゃんの新しいおうちになるのです。しばらくすると新しい運転手さんがKちゃんのところにやってきました。その人は面長で黒ぶちめがねをかけて、なで肩で髪はボサボサ、ちょっと頼りない感じでした。けれどKちゃんはやさしそうな人でよかったと思いました。新しい運転手さんはKちゃんの前と後ろに一枚ずつ真新しい若葉マークを着けました。なんだかKちゃんはほんの少しだけ大人になったような気分になりました。

 さっそく近くのデパートまでお出かけです。新しい運転手さんは地図でデパートまでの道順をよく確かめています。そしてKちゃんのエンジンをかけてハンドルを握りました。新しい運転手さんは少し緊張しているみたい…その緊張がハンドルを通してKちゃんにも伝わってきました。おうちの前の道を抜けて交差点に出ました。さあ、はじめての右折です!対向車を一台やり過ごして難なく切り抜けました。しばらくは道なりにいけばいいのです。あれれ?急になにを思ったのか、新しい運転手さんは左のウインカーを点滅させました。これではデパートへの道から外れてしまいます。それにこのあたりは一本道で左折をするようなところもありません。と、思っていると左手のスーパーの駐車場に入りました。駐車場を一周して右折でもとの道を戻っていきました。どうやら新しい運転手さん、忘れ物をしたようです。おうちの車庫へ頭から突っ込みました。出るとき、ちょっぴり大変かもしれません。新しい運転手さんは家から財布を取ってきました。さあ、これからどうやっておうちの車庫から脱出するのか?ひと思案!まずハンドルを右へ切りながら後進。あっ!うしろの電柱に当たるよ!ハンドルを戻して前進。右へハンドルを切りたいところだけどそれじゃあ左前があぶない!でもそのまんまバックしてもおんなじところを行ったり来たりだよ!ああ、もういいや!右に行きたいんだから右にハンドルを切って後進!ガリガリッ!あ〜あ、やっちゃったよ!このひとは!Kちゃんの左前のバンパーを家の縁石にこすり付けちゃった。

「ボクは平気だよ。このくらいのキズはへっちゃらさ!だってボクは一人前の男だもん!」

それからなんとかみどりのKちゃんはおうちの車庫から脱出しました。気を取り直してデパートへ再出発!最初の交差点を右に曲がると背の高いトラックのうしろを走ることになりました。ぜんぜん前が見えません。しばらく道なりですが“緑町”の交差点を右折しなければなりません。そこを通り過ぎてしまうと、とんでもない方向へ行ってしまいます。車間距離を多くとりましたがそれでも信号も標識も前のトラックがじゃまで見えません。もうそろそろ“緑町”の交差点のはずです。確かその交差点は右折路線があったはずです。とうとう見つけた!“緑町”の交差点!前のトラックは直進して行ってしまいました。Kちゃんは右折路線に入ってほっとしたのもつかのま、今度は右折です。こんなに往来のはげしいところで右折なんかできるのかしら?不安に思っていると、なんと信号の“右の矢印”が出ました。“信号さん、ありがとう”と、Kちゃんは心の中で感謝しました。それからなん度か右折や左折を繰り返して広い通りに出ました。片側三車線のバイパスです!そこには運転の荒いスポーツカーのお兄さんやお調子者のタクシーのおじさん、こわおもての黒塗りベンツなどたくさんの車であふれかえっていました。法定速度は守らなくちゃね!みどりのKちゃんは真ん中の車線を走っていました。左側の車線には大きな大きなトレーラーの親父さんが、右側にはがらの悪そうなダンプのおっさんが走っています。Kちゃんはトレーラーとダンプに挟まれながらバイパスを走っていました。なんだかKちゃんには隣を走っているトレーラーとダンプが幅寄せしてきているように感じられました。このままだと挟まれてつぶされちゃう!だって右の目の前にはダンプの大きなタイヤがせまってきているし、左はトレーラーのこれまた大きな壁が立ちはだかっていたから…。やがて左にいたトレーラーは左折してバイパスを下りてゆきました。バイパスはいつの間にやら三車線から二車線になっていました。あいかわらず右前にはあのダンプが走っています。とつぜん、“この先工事中、右によれ!”という立て看板があらわれました。Kちゃんは今走っている左から右へ車線を変更しなければなりません!右側の車線はすでにずらりと車がならんでいてかんたんには入れません。みんな知らん振り。すると“この先工事中、右によれ!”の表示がイヤというほどたくさんKちゃんの目の前にあらわれました。このまま行くとつまってしまってどうしようもなくなります!みどりのKちゃんがこまっていると、うしろの方で色白のミニバンのおばさんが、

「若葉マークの坊や!私の前にお入り!」

と、声をかけてくれました。Kちゃんはスピードをゆるめてミニバンのおばさんの前に入り込みました。これでやっと右側の車線に移ることができました。Kちゃんはハザードランプを点滅してうしろのミニバンのおばさんに御礼をしました。おばさんは、

「よく交通戦争だなんていわれるけれど、運転は義理と人情だからね。今のその気持ちをいつまでも忘れるんじゃないよ!」

と、いいました。Kちゃんは、

「うん、わかった」

と、こたえました。

そのまま左側の車線が工事中の道路を走っていると、ミニバンのおばさんが、

「若葉マークの坊や!坊や!左へよって道をあけなきゃだめだよ」

と、いってきました。

「きこえないのかい?あのサイレンの音が…」

するとはるか後方からピーポー・ピーポーと救急車のサイレンが聞こえてきました。

「どけ、どけ、どけ!じゃまだ!じゃまだ!じゃまだ!この先で人身事故発生だ!もっとわきへよれ〜い!」

と、救急車のお兄さんが威勢よくさけんでいました。Kちゃんはさらに左によけました。

「あら、あら、左へよりすぎだよ!あぶないよ!」

Kちゃんのすぐわきには工事中の赤いパイロンがせまってきていました。もしもおばさんに注意されなければきっと赤いパイロンにぶつかっていたでしょう。

「若葉マークの坊やはホントにあぶなっかしいんだから…それに前のバンパー、こすった痕があるよ!やっちゃったんだねェ。でも、めげるんじゃないよ。最初はみんなそんなものさ!」

と、ミニバンのおばさんは言いました。Kちゃんはおばさんにあんまり優しくされたりなぐさめられたりしたので、ちょっぴりお母さんのことを思い出してほろりと涙をこぼしてしまいました。でもその涙はすぐに風に吹き飛ばされました。

いつの間にか工事渋滞なのか?のろのろ運転になっていました。前の方にさっき通り過ぎて行った救急車が止まっていました。そばでお調子者のタクシーのおじさんが泣いています。右のライトとフロントガラスがめちゃめちゃに壊れていました。Kちゃんはそのわきを徐行で通り過ぎました。うしろのミニバンのおばさんがいいました。

「若葉マークの坊や、しっかり目に焼き付けておくんだよ!義理と人情の運転を欠いてわがままな運転をしていると、時には“運転のプロ”でもこういう目にあうんだよ!」

思わずKちゃんは武者震いをしました。

「それじゃあ、坊や!いつまでも今の気持ちを忘れるんじゃないよ!運転は義理と人情だからね!」

と、いってずっとKちゃんのうしろを走ってきてくれたミニバンのおばさんは右折路線へ入ってゆきました。

 

 そうしてやっとの思いで目的地のデパートにたどり着きました。駐車場が広くてよかったね!それにデパートの出入り口から離れたところはがらんとしていました。みどりのKちゃんはデパートの出入り口から離れた駐車場に1台、ぽつんと止まりました。やっと一休み…。

 新しい運転手さんはKちゃんから降りてデパートに入ってゆきました。Kちゃんが小一時間、駐車場でうとうとしながら待っていると、新しい運転手さんが大きな箱ひとつとレジ袋ふたつを抱えながら戻ってきました。うしろのドアを開けて抱えてきた買い物をトランクにしまいました。それから、新しい運転手さんはKちゃんの左前へ行き、さっきおうちにこすり付けた時に出来たキズのほこりをきれいな布でふき取りました。そしてキズの上に緑色の絆創膏みたいなものを貼り付けました。これでキズ痕も目立たなくなりました。

 みどりのKちゃんと新しい運転手さんは帰路につきました。帰り道、渋滞に巻き込まれてしまいました。さっきからまったく動きません。ここは二車線の道路。Kちゃんは右側の車線にいました。あれれ?どうしたことでしょうか?なぜか左側の車線ががら空きです!そこでKちゃんは左の車線に移りました。ずいぶん、Kちゃんも新しい運転手さんも運転に慣れてきたみたいです。左側の車線を行くと、見慣れない緑の看板が見えてきました。気にせずさらに進むと、なんと右側の車線と別れ離れ!Kちゃんが走っている車線は急に一本道となって、気がついたら、ゆるい坂をあがりながらぐるぐる回っています。坂をあがりきったところには三軒ほど小さな小屋が建ちならんでいました。そうです!なんとみどりのK ちゃんはまちがえて高速道路の入り口に入り込んでしまったのです!

「ねえ!高速道路なんてボクにはまだ早いよ!出口を見つけて元に戻ろうよ!これじゃあ、早く帰ろうとしたのにものすごく遠回りしちゃうよ!」

と、Kちゃんは新しい運転手さんに訴えかけました。けれど…すでに新しい運転手さんの頭の中は真っ白でした。Kちゃんは高速道路なんてとてもムリでイヤだったけれど、昨日、みどりのワンボックスのお母さんがいった言葉を思い出しました。『新しい運転手さんの言いつけは絶対に守らなければなりませんよ!』と、いわれたことを…。しかたなく、Kちゃんは高速道路の入り口に入りました。

「ボクやるよ!だって一人前の男だもん!さっきは絆創膏をつけてくれたし…けど、一区間だけだよね!」

と、Kちゃんは念を押すかのように確認しました。新しい運転手さんのハンドルを握っている手がふるえているのがKちゃんにはわかりました。そして高速道路の加速路線に入ったみどりのKちゃんは658ccのエンジンをフル回転させました。幸いなことに高速道路はがら空きでKちゃん以外の車は走っていませんでした。はじめKちゃんは今まで自分が出したことのない猛スピードで走らなければならなかったので、なみだ目になってしまったけれど、パーキングエリアのわきを通過するころには、ほんのちょっぴりだけど気持ちよくなっていました。ようやく高速道路の出口で300円支払って“魔の高速”から抜け出すことができました。Kちゃんのハンドルは冷や汗でべたべたでした。今日はもう高速道路を走りたくはありません。高速道路から出たみどりのKちゃんと新しい運転手さんはそこから一般道を通ってゆっくりうちへ帰ることにしました。高速から出たのはいいけれど、今度は右も左もわかりません。道に迷ってしまいました。みどりのKちゃんと新しい運転手さんは“街中で遭難!”という言葉が頭の中をよぎりました。コンビニの駐車場に入って、地図で一番わかりやすい帰り道を調べてそれをたどることにしました。多少渋滞したとしても…。その途中、Kちゃんは目の前をずっと原付バイクのじいさんにうろちょろされて、うしろの高級車のあんちゃんにはあおられてこまってしまったけれど開き直って何とかやり過ごしました。

 こうしてKちゃんはちょっとじゃなくて、ずいぶん遠回りをしてしまったけれど、デパートからやっとおうちに帰りつくことができました。車庫にバックではいるときに何度も切り返しをして悪戦苦闘したけれど…。

 

「お母さん!きょうのボクはすごかったんだよ…なんていったって、乗る予定のない高速道路を生まれて初めて走ったんだからさ!お母さんボクのことをほめてくれるかなあ!」

と、みどりのKちゃんはひとり暗い車庫の中でつぶやきました。

 

 みどりのKちゃんの長い長い一日はやっと終わりました。Kちゃん!お疲れ様…今晩は安心してぐっすりお休みなさい!