〜「西園寺会長がおこしている事件とは」(作成03年6月)より抜粋〜
西園寺会長が起こしている事件は、電話を利用したIT犯罪であるわけなのですが、単なるIT犯罪ではなく、より特別な要素を絡み合わせて起こしめている事件であるということです。その特別な要素とは霊能力のことであります。
西園寺会長は五井先生御帰神の後、神の道から外れておりましてあきらかに落ちたグルであります。
それは五井先生御帰神の後、あきらかに悪質な人類に対する犯罪とも呼べるような方向へと進み始めたような気がしてならないのです。
これは早く云えば、一番高いところを狙ったようにも想えるのですが、残念ながらその全体像は私にはわかりません。
ですが電話で起こしている事件は、その氷山の一角として現われている事には疑う余地はありません。いずれにしても、この氷山の一角として現われている事件だけをみてみましても、れっきとした犯罪行為であります。このような犯罪行為はただちに止めるべきであり、その行動を自ら正すべきなのであります。
又、このIT犯罪である電話の事件を知りながら、意図的に受け入れ体制を取っている者たちがいるように想われます。これは共犯行為へと発展することになると思われますので、この事件が犯罪であることを認識した時点で、電話を拒否しなければならない責任が生じるものと想います。
この為、犯罪成立の為にその力を貸すのではなくて、犯罪消滅の為にこそその力を注ぐべきなのでありまして、この電話を拒絶することによって犯罪消滅の為にその力を貸すことが出来るわけなのです。これはこの事件解決のための消極的な方法ではありますが、非常に有効な方法であるように想われます。では積極的な方法とは何かですが、それは勿論警察に訴えることであります。警察に被害届や告訴あるいは告発等の正当な手続きを取りにゆくことです。そうすればこのIT犯罪は解決までいかなくとも必ずストップします。
それはいかに西園寺会長が、政府レベルの権力を持って上から抑えこんできても、警察に行く人達が本当に増えるならば、上からの圧力をもってしても抑えこむことは不可能になります。当然、電話を使っての犯罪行為は止めざるおえなくなるでしょう。
これが本来の正常な社会の姿なのですが、今このような反応が社会において起こらないと云うことは、現在の社会が幼く又異常であると云う事にほかなりません。このような正常な状況が生じるのは、社会が啓発されてきたときに他なりませんで、それはそんなに遠い将来のことではないと考えております。社会もあらゆる出来事や事件をとおして学んでいるのであります。