祈りによる平和運動/真解説古事記


「祈りによる平和運動/天皇とキリスト(10)」より
                                       

                                       
 五井昌久先生のみ教えにあるように、現在までキリスト・マイトレーヤは物質化して出現されて、世界中のあらゆる人々に働きかけておられますが、それについてクレームさんの講演会記録より紹介致します。

『ーーー1988年4月以来、マイトレーヤは一連の預言をご自分のまわりにいる側近に話され、それが私達のところに二人のジャーナリストを通して伝えられました。これらのマイトレーヤからの予報が、私達の発行しているシェア・インターナショナル誌に掲載され、同時に世界中のメディアにニュ−ス・リリースとして送られました。この世界の歴史上、これほど膨大な量の、しかもあらゆる分野にまたがる予報が、しかもこれ
ほど正確な的中率で提供されたことはかつてありません。
主にゴルバチョフ氏の行動を通して実現した冷戦の終結、グラスノスチ、そしてソ連邦の解体を、マイトレーヤは1988年に予報しました。27年間も牢獄につながれていたネルソン・マンデラ氏の釈放、アパルトヘイトの廃止と新しい南アフリカの建設も予報しました。南アフリカの大統領としてネルソン・マンデラ氏が選ばれた現在の状況がマイトレーヤの予報を完全に成就させました。最初の頃の予報の中でマイトレーヤは、パレスチナ人は彼ら自身の故国をもつだろう、そしてパレスチナ人とイスラエル人は同じ土地を分かち合うだろう、そして兄弟として共に住むだろうと言われました。今、まさにその事が起こっています。又・その当時、アメリカは共和党の大統領(ブッシュ)を持っていましたが次の大統領は、民主党から出るだろうと、選挙の二年前にマイトレーヤは予報されました。これらはマイトレーヤが提供された多くの予報のうちのほんの、幾つかの例です。
マイトレーヤはどうしてゴルバチョフ氏があのような行動をとるという事を、ネルソン・マンデラ氏が、このようになるということを知っていたのでしょうか。霊視をしたり、水晶の球を覗いて未来を見たりということではありません。マイトレーヤはそれを起こさせたのです。ゴルバチョフ氏やマンデラ氏に姿を現し、彼らを鼓舞することによって、このような事をおこさせました。世界中の指導者達のなかでも、とくにゴルバチョフ氏とネルソン・マンデラ氏がマイトレーヤの鼓舞に対して、刻みつけられた印象に対して、非常に敏感に反応しました。
 1986年にマイトレ−ヤは獄中のネルソン・マンデラ氏のもとに姿を現しました。
そして彼に、南アフリカ連邦の大統領に会見を求める手紙を出すことを勧めたのです。
マンデラ氏は苦笑しました。刑務所の所長にすら面会することができないこの自分が、何で一国の大統領に面会など出来るでしょうかと。しかし、マイトレ−ヤは、それでもとにかく手紙を書きなさいと言われたので、マンデラ氏は結局そのようにしました。同時にマイトレ−ヤは当時の大統領、デクラ−ク氏に対して、アフリカの将来の為にはアパルトヘイトの廃止しか道がないという印象を刻みつけました。デクラ−ク大統領は、世界のリ−ダ−達のある会議で、神ご自身が自分にアパルトヘイトの廃止を促されたという事を話しております。神ではありませんでした。それはマイトレ−ヤだったのです。そして、つい先週、テロリストとして、非合法組織のリ−ダ−として獄舎につながれていたネルソン・マンデラ氏が新しい南アフリカの大統領になったのです。
ベルリンの壁が壊されました。世界中の人々が自由を要求しています。全体主義的な圧政政治は世界中いたるところで退いています。人民の意志が世界中にますます大きく顕現しています。東西ドイツが統一されました。あらゆる専門化の予想よりも30年から40年も早く、統一されました。1948年以来、次々と戦争の中にあった中近東に今、平和が訪れつつあります。平和を達成する唯一の方法はその地域を、その地域の資源を分かち合うことを通してです。私がこのような例を話すのは、この偉大なる方が、人類の自由意志を犯すこと無に、彼の印象付けに敏感に反応するリ−ダ−達を通して絶えず働きかけておられることを示すためです。−−−』

**** 以上紹介しましたように、マイトレーヤは活発に働かれておられます。
※{ここで一寸注意をしておきたいのですが、クレームさんの師である覚者は、五井先生の働きについては認めてはおりません。それは私が推察するにはある深い理由があるからであり、それについては現段階では発表ができないものと想われます。したがって、クレームさん側からの情報として、五井先生の働きが認められるようになるのは、キリストの大宣言の後になると想われますが、その前にキリスト御自身からの承認があることでしょう。}
 この一連のキリストの働きの中で、もっとも特徴的であるのが御自身のお姿を自在に変化させて、世界中の人達の前に現れていることだと想います。
実は神道の教えの中にも、これと同じようなことが説かれていまして、『ミカエル立って世に号令する』という教えがあります。このミカエルとは末法の世に出現する救世主のことなのでありますが、このミカエルという言葉の意味が身を変える、つまり姿をさまざまな者に変化させるという意味なのです。
 その他にも、聖師の霊界物語の中には、スサノオノ命が御自信の姿を様々な姿に変化させて、救済の働きをなされているという場面も出てまいります。
この様に神道の教えの中にもキリストの活動は克明に示されているのであります。 しかも、今回はお一人で来られるのではなくて、キリストの弟子であるハイラーキーの覚者方を引き連れて、世界にお戻りになられるのであります。
これが五井先生の御教えに説かれている、神霊の物質化現象のことなのであります。
 そして、神道の神典の一つである古事記の中には、更に重大な秘密が隠されているのであります。この古事記の中に隠されている秘密は、日本の天命に直結するものでありまして、五井先生の御法話に説かれている神権政治の中心者に関係しているものです。
 この古事記に示されている言霊的暗号を、王仁三郎聖師はみごとに解き明かしてくださっております。


        【古事記言霊解】−−『霊界物語』より−−

第11章 大蛇退治の段

『故、避追はえて、出雲の国の肥河上なる鳥髪の地に降りましき』

 (古事記の大蛇退治の段)
 出雲国は何処諸の国という意義で、地球上一切の国土である。肥河上は、万世一系の皇統を保ちて、幽顕一致、神徳無窮にして皇朝の光り晴れ渡り、弘まり、極まり、気形透明にして天体地体を霊的に保有し、支障なく神人充満し、もって協心戮力し、完全無欠の神政を樹立する至聖 至厳 至美 至清の日本国ということなり。
 鳥髪の地とは、十の神の顕現地ということにして、厳の御魂、瑞の御魂が経てと緯との神業に従事し、天地を修斎したまう神聖の経綸地ということなり。
要するに世界を大改良せむために、スサノオノ尊はあまねく天下を経歴し、ついに地質学上の中心なる日本国の地の高天原なる至聖地に降臨し玉ひたるなり、明治31年の秋8月に、瑞の御霊の神代として高座山より神追ひに追はれて綾部の聖地に降りたるは、すなわちスサノオノ尊が、一人の選まれたる神主に帰神し給ひて、神世開祖(ヨハネ)の出現地に参上りて神の経綸地たることを感知されたるも同様の意味なり。古事記の予言は古今一貫、毫末も変異なく、かつ誤りなきことを実証し得るなり。
『此時しも、箸其の河より流れ下りき』
ハシの霊返しはヒなり。ヒは大慈大悲の極みなり。ハシの霊返しのヒなるもの、ヒノカハカミより流れ来たるという明文は、実に深遠なる意義の包含されあるものなり。また箸はすべてを一方に渡す活用あるものにして、川に架する橋も、食物を口内へ渡す箸も、ハシの意味においては同一なり。悪を去り善に遷らしむる神の教のハシなり。暗黒社会をして光明社会に改善せしむる神教もハシなり。
ゆえに御神諭にも、綾部の大本は世界の大橋であるから、この大橋を渡らねば、何も分かりは致さぬぞよ云々とあるも、改過遷善、立替へ立直しの神教の意味なり。その箸は肥の河より流れ下りきとは、かかる立派な蒼生救済の神教も、邪神のために情けなくも流し捨てられ、日に日に神威を降しゆくことの意身なり。 これを大本の出来事に徴してみるに、去る明治31年に瑞の御霊の神代として十神の聖地に降りたる神柱を、某教会や信者が中を遮り、もって厳の御霊、瑞の御霊の合致的神業を妨害し、瑞霊の神代を追い返し、彼らの徒党が教祖を看板として至厳至重なる神教を潜め隠し、某教会を開設したるごとき状態を指して「ハシ其の河より流れ下りき」というなり。
『於是スサノオノ命、其の河上に人有りけりとおもほして尋ね上りて往まししかば、老夫と老女とふたり在りて童女(オトメ)を中に置きて泣くなり』
ここに顕幽両界の救世主たるスサノオノ命は、肥の河上なる日本国の中心、地の高天原に神人現われ、世界経綸の本源地有りとお考えになりて尋ねて御上がりありしが、変性男子の御魂現れて、国家の騒乱状態を治めむと、血涙を吐きながら昼夜の区別なく、世人を教戒しつつありしなり。二人ということは、艮の金神様の男子の御魂と、教祖出口直子刀自の女子の身魂とが一つに合体して神業に従事し玉えると同じ意義なり。ヒトとは霊の帰宿する意義で、人の肉体に宇宙の神霊帰宿して天地の経綸を遂行したまう、神の生宮の意なり。老夫と老女と二人とあるは女姿男霊の神人、出口教祖のごとき神人を意味するなり。『童女(オトメ)を中に置きて泣くなり』とはオトメは男と女の意味にして、世界中の老若男女をいう。また老と若ともなり、現在の世界の人民を称して老若男女(おとめおとめ)という。霊界にては国常立大神、顕界にては神世開祖 出口直子刀自の老夫と老女とが、世界の人民の身魂の、日に月に邪神のために汚され亡ぼされむとするを身るに忍びず、手をつくして足をはこびて救助せむと艱難辛苦を嘗めさせられ、天地の中に立ちて号泣し給うことを「童女を中に置きて泣くなり」というなり。
 また神の御眼よりご覧ある時は世界のすべての人間は、神の童子なり、童女なり。ゆえに世界の人民はみな神の童女なる故、人民の親がその生みし子を思うごとくに、神は人民のために昼夜血を吐く思いをいたして心配をいたしておるぞよ、と御神諭に示させ給へる所以なり。またオトメの言霊を略解するときは、 オは親の位であり、親子一如にして、大地球を包む活用であり、 トは十全治平にして、終始一貫の活用であり、 メは世を透見し、内に精力を蓄えて外面に露はさざる意義なり。 
これをつづむる時は、日本固有の日本魂の本能にして、花も実もある神人の意なり。
      ・
     《中略》

『亦、汝の泣く由は何ぞと問いたまへば、吾が女は本より八稚女(やおとめ)在りき。
是に高志の八岐遠呂智(やまたのおろち)なも、年毎に来て喫ふなる。今その来ぬべき時なるが故に泣くと答白す』
 以上の御本分を言霊学の上より解約すると、吾が守護する大地球上に生息する、息女すなわち男子や女子は、八男と女(ヤオとメ)と言って、種々の沢山な神の御子たる人種民族があるが、年とともに人民の霊性は、鬼蛇の精神に悪化しきたり至粋至醇の神の分霊を喫ひ破られてしまった。高志の八岐の遠呂智という悪神の口や舌の剣にかかって、歳月とともに天を畏れず地の恩恵を忘れ、不正無業の行動を為すものばかり、人民の八分までは、皆悪神の容器にされて、身体も御霊も、酔生夢死、体主霊従に落下し、なおも変じて八岐の遠呂地の尾となり盲従をつづけて、天下の騒乱、国家の滅亡を来しつつ、最後に残る神国の人民の身魂までも、喫り破り亡ぼさむとする時期が迫ってきた
ので、如何にしてこの世界の惨状を救い助け、天津大神に申し上げむと、心を千々に砕き天下国家の前途を思いはかりて、泣き悲しむなりと答えたまうたということなり。
 高志という意義は、遠き海を越した遠方の国であって、日本からいえば支那や欧米各国のことなり。海外より種々雑多の悪思想が渡来する。手を替え品を替えて、宗教なり、政治なり、教育なりが盛んに各時代を通じて侵入して来たり、敬神尊皇報国の至誠を惟神的(かむながらてき)に具有する日本魂(やまとだましい)を混乱し、絶滅せしめつつある状態を称して、「高志の八岐の遠呂智の喫ふなる」というなり。また外国の天地は、数千年来この悪神の計画に誑かされて、上下無限の混乱をきたし、国家を亡ぼし来たりしが、彼 今なをその計画を盛んに続行しつつ、ついに日本神国の土地まで侵入し、天津神の直裔なる日本オトメの身魂まで、全部喫い殺さむとする、それが最近に迫っている、ただ一つ神国固有の日本魂なるオトメが後に遺ったばかりである。これを悪神の大邪霊に滅ぼされては、せっかく天祖 国祖の開きたまえる大地球を救うことはできない。どうかしてこれを助けたいと思って艱難辛苦を嘗めておるのである。実に泣くにも泣かれぬ、天下の状態であるといって、これを根本的に救うことはできない。どうして良いかと途方にくれ、天地に向かって号泣しております、との変性男子の身魂のお答えなりしなり。
『ここにその形は如何さまにかと問いたまえば、彼が目は赤加賀知なして、身一つに頭八つ尾八つあり。亦其の身に苔、及び檜、すぎ生ひ、その長さ谷八谷、峡八尾を渡りて、その腹を見れば、悉に常も血爛れたりと答白す。』

『ここにその形は如何さまにかと、問ひたまえば』という意義は、八岐の遠呂智なす悪思想の影響は如何なる状態に現はれをるや、とのスサノオノ命のお尋ねなり。
 そこで変性男子の身魂なる老夫と老女は、かれ悪神の経綸の事実上に顕現したる大願目は、赤加賀知なして身一つに、頭八つ尾八つありといって、悪神の本体は一つであるが、その真意を汲んで世界覆滅の陰謀に参加しておるものは、八人の頭株であって、この八つの頭株は、全地球の何処にも大々的に計画を進めておるのである。政治に、経済に、教育に、宗教に、実業に、思想上に、その他の社会的事業に対して隠密のあいだに、一切の破壊を企てているのである。
ついては、尾の位地にある悪神の無数の配下らが、各方面に盲動して知らず識らずに、一人の頭目に、八つの頭の世界的大陰謀に参加し、ついには既往五年にわたった世界の大戦争(第一次世界大戦)などを惹起せしめ、清露その他の主権者を亡ぼし、労働者を煽動して、あらゆる世界の各方面に、大惑乱を起こしつつあるのである。赤加賀知とは砲煙弾雨、血河屍山の惨状や、赤化運動の実現である。実に現代は八岐の大蛇が、いよいよ赤加賀知の大眼玉をむき出したところであり、すでに世界中の七オトメを喫い殺し、今や最後に肥の河なる、日本までも現界幽界一時に喫わむとしつつあるところである。要するに八つ頭とは、英とか、米とか、露とか、仏とか、独とか、伊とかの強国に潜伏せる、現代的大勢力の有る巨魁の意味であり、八つ尾とは、頭に盲従せる数多の部下の意である。頭も尾も寸断せなくては成らぬ時期となりつつあるなり。

《中略》

『故、告りたまえる随にして、如此設け備えて待つ時に、その八俣遠呂知、信に言ひしが如来つ。乃ち、船毎に、巳々頭を垂入て、その酒を飲みき、於是、飲み酔いて留まり伏し寝たり。爾ち、ハヤスサノオノ命、その御はかせる十拳剣を抜きて、その大蛇を切り散りたまいしかば、肥の河、血に変わりて流れき』
 
 そこで、変性男子の身魂は、命のまにまに芳醇なる神酒を造りて、天地の神明を招待し、もって歓喜を表したまい、神恩を感謝したまうたのである。
八岐の大蛇の霊に憑依された数多の悪神の頭目や眷属どもが、大神酒を飲んでしまった。ちゃうど今日の世の中の人間は、酒のために腸までも腐らせ、血液の循環を悪くし、頭は重くなり、フラフラとして行歩も自由ならぬ、地上に転倒して前後も弁知せず、醜婦にたわむれ家を破り、知識を曇らせ、不治の病を起こして悶え苦しんでいるのは、いわゆる「飲み酔いて留まり伏し寝たり」ということである。爾において瑞の御霊
の大神は、世界人民の不行跡を見るに忍びず、神軍を起こして、この悪鬼蛇神の憑依せる、身魂を切り散らし、亡ぼし給うたのである。十拳剣を抜きてということは、遠津神の勅定を奉戴して、破邪顕正の本能を発揮し給うたということである。そこで肥の河なる世界の祖国日の本の上下一般の人民は、心から改心をして、血のごとき赤き真心となり、同じ血族のごとく世界と共に、永遠無窮に平和に安穏に天下が治まったということを、「肥の河血に変りて流れき」というのである。流れるという意義は幾万世に伝わることである。古事記の序文に、後葉に流へむと欲すとあるも、同義である。
『故其の中の尾を切りたまう時、御刀の刃かけき。ここに怪しと思ほして、御刀の前もて刺割きて見そなわししかば、都牟刈之太刀あり。故此の太刀を取らして、怪異しき物ぞと思ほして、天照大御神に白し上げたまひき。是は草薙の太刀なり』

 中の尾ということは、葦原の中津国の下層社会の臣民のことである。その臣民を裁断して、身魂を精細に解剖点検したまう時に、実に立派な金剛力の神人を認められた状態を称して、御刀の刃かけきというのである。ア、実に予想外の立派な救世主の身魂が、大蛇の中の尾なる社会の下層に隠れおるわい。これは一つの掘り出しものだと謂って、感激されたことを、怪しと思ほしてというのである。御刀の前もてということは、天祖の御遺訓の光りに照らしてみてということである。
『刺割きて見そなわししかば都牟刈之太刀あり』ということは、今までの点検調査の方針を一変し、側面より仔細に御審査になると、四魂五情の活用全き大真人が、中の尾なる下層社会の一隅に、潜みつつあったのをはじめて発見されたということである。都牟刈之太刀(ツムガリノタチ)とは、言霊学上より解すれば三千世界の大救世主にして、伊都能売(イズノメ)の身魂ということである。故、この太刀なる大救世主の霊魂を取りたて、異数の真人なりと驚嘆され、直ちに天照大御神様、およびその表現神に大切なる御神器として、奉献されたのである。すべての青人草を神風の吹きて靡かすごとく、徳をもって万民を悦服せしむる一大真人、日本国の柱石にして世界平和の基たるべき、神器的真人を称して、草薙の剣というのである。八岐大蛇の荒れ狂ひて、万民の御魂を絶滅せしめつつある今日、一日も早く草薙神剣の活用ある、真徳の大真人の出現せむことを、希望する次第である。
 また草薙剣とは、我が日本全国の別名である。この神国を背負って立つところの真人は、すなわち草薙神剣の霊魂の活用者である。】

−−[草薙神剣と大救世主]−− 
 ここで示されている大蛇の尾から現れた草薙剣というのが、どうも神権政治の中心者のことのようです。
五井先生の御教えから分かることは、神権政治を形成していく人達は、神人とそれに近い人達からなる集団でありまして、その頂点に立たれるのが草薙剣として示されているお方のようです。
 特に神権政治の中心者について古事記には、『都牟刈之太刀とは、言霊学上より解すれば三千世界の大救世主にして、伊都能売の身魂ということである』と示されていますが、イズノメノ身魂というのは完成された身魂のことを意味しているのでありまして、これを秘教的に説くならば第5イニシエーション以上の進化の段階に達した覚者ということになります。しかもツムガリノ太刀には三千世界の大救世主の意味まであるのですから、その素晴らしさがわかるというものです。 更に古事記には、『日本国の柱石にして世界平和の基たるべき、神器的真人』と示されているのですから、このお方が日本において出現され、その霊的使命を始められ、日本の天命の達成のために働かれるようになるのは間違いないでしょう。 しかも古事記にはこのお方が『大蛇の中の尾』、つまり社会の下層から出現するとハッキリと予言してあります。
 この様な在り方を見たときに気づくことは、大本教で経綸を行っていた当時の、王仁三郎聖師の姿がだぶってくるということです。ある意味からいえば、当時の聖師も神権政治の中心として経綸を行っていたのかも知れません。
 しかも、驚くべきことに聖師は、ご自分が再び生まれ変わって来ることを予言しておられたのであります。
 聖師は、『私は百歳にして生まれ変わる』と明言しておられまして、他にも明治43年のハレー彗星が来たときには『七十路に一度来るほおき星再び見せよ我を守りて』という意味の歌が残されております。
 これは明らかにご自分が転生してくることを暗示しての歌でしょうし(註・・・・・これはある古神道研究家が指摘しておりました、まさに素晴らしい洞察といえるでしょう。04/5)、また聖師が生誕百歳といいますと、五井先生がある詩の中で予言されている事柄に符合してくるのであります。
 その五井先生の詩を紹介してみましょう。



世界の夜明け


1
夜明けだ 夜明けだ 精神(こころ)の夜明けだ
地球世界の夜明けはいまだ
天の理想が地に成る時だ
道が開くぞ 光りの道が
2
夜明けだ 夜明けだ 日本の夜明けだ
若い生命が暁つげる
世界平和のひびきおおらに
光りの柱が天地をつなぐ
3
夜明けだ 夜明けだ 世界の夜明けだ
国も人種も光りの中で
一つ生命に輝き和して
大き宇宙に天命生かす

 この詩の内容は、世界平和が完成されていく過程が簡単に描写されております。この詩の中では、まず精神の夜が明け、次に日本の夜が明け、最後に世界の夜明けが訪れるとなっております。この日本の夜明けの箇所に、『若い生命が暁つげる』という一節があります。これは明らかに神権政治の中心者のことを意味しておりまして、この方が悟りを開かれる時が若い青年であることを予言しております。ですから年齢的に、聖師が御自身の生まれ変りについて、言及されていることに符合してくるわけです。
 どの様に遅れましょうとも、今世紀以内にそのお仕事が始まることになると想われますから、20代にして神権政治の中心として立たれるわけであります。
 まさしく『若い生命が暁つげる』であります。(最悪の場合は来世紀にずれ込むことも考えられますが)
 それではここで、あらためて王仁三郎聖師について考察を進めて参りたいと想います。

祈りによる世界平和運動/天皇とキリスト(11)につづきます。



☆世界人類が平和でありますように