祈りによる平和運動/霊覚のひかり(1 )


この【霊覚のひかり】シリーズでは、今まで数多くの霊覚者が話されてきた尊い御言葉を、皆様の道を歩まれる為の参考に紹介していきたいと思います。


【出口王仁三郎聖師のお話しより】


            『玉 に つ い て』


如意宝珠というのは、八方転びの玉である。円転滑脱、いささかの障碍もなく、自由自在に転ぶ玉である。だから人

がきて、それに突き当たれば、ころんで他の面を向けるが、どの面を向けても同じ珠である。もうすこしでも角があ

れば前の面と、今度の面とは違っているということがわかるけれど、八面玲瓏の玉なれば、突き当たられて一転び

しても、転ばぬ前も同じである。だれが差異を見出しうるものがあろうか。人の心も同様で、少しの角もないまでに

磨き上げらるれば、それが如意宝珠と同じ働きを起こすのだ。円転滑脱、自由自在、人と衝突して人を傷つけ、我

身を傷つけるようなことはない。どんな立派な玉でも、それに少しのイビツな所でもあれば、けっして如意宝珠では

ない。先年大阪辺で如意宝珠だとて大騒ぎをしていた珠があるが、あの珠はアワビの貝に塩の付着して出来たも

のであるから、楕円形である。本当の如意宝珠ではない、あれはむしろ邪気の固まりである。あれを見、あれを持

っていると、禍が身におよぶから、深くつつんで人に見せないようにせねばならぬ。で私はお宮を作って祭るように

というておいたのだ。およそ形のあまり珍奇な異様なものは、みな邪なるものである。弄せないようにせねばなら

ぬ。



【録者は愕然として驚きました。この如意宝珠の玉というのは、一見はなはだ立派なものであって、所有者は、インド人が三千年来尋ね尋ねている憧れの玉であると深く信じており、これを日本で盛大に祭れば、数十万のインド人が踵を接して日本に御参りに来る、国家の利益この上もないことであるからというて、東奔西走金をあつめて、大宮殿を建立して祭ろうとしているものであります。
 ただ何の玉であるかがわからぬため、日本の帝国大学は勿論のこと、米国三界まで持ち出して、鑑定を頼んだものです。このために、今まで費やした金高はすでに数十万円に上っているはずでございます。今も現に大阪の某富豪が、数万円を投じて、祭ろうと企てているという話ですから、近い将来に実現するかもしれません。しかして不思議にも、この玉の持ち主はたびたび変わり、そしていつもいつもご覧を願いたいというては、聖師様のお手もとにまいります。
 現に半年ばかり前にも、もらって頂きたいといって来ましたが、聖師様は、『私には必要がない。お宮を建てて祭っておいたらよかろう』とおっしゃって断っておられました。はじめこの玉の鑑定を頼みに来たときは、聖師様は大正日日新聞社の社長室におられましたが、『見ないでも私にはよくわかっています。とおから霊眼で見てあります。すこし楕円形をした、こんな珠でしょう』とおっしゃって、見ることを拒まれました。持参者はおどろいて、「その通りでございます。大学あたりでもわからず、米国の大学まで持ち回っても本質が分からず、試験のためこのとおり削って分析し、少し傷がついていますが、不思議にもだんだん傷が癒えてまいります。重量も増えたり、減ったりいたします」といいながら、包みを解いて師の目の前にさしだしたものです。聖師様は、『如意宝珠、そうでしょう、なかなか立派な玉です』とおっしゃったと聞いております。........そうでしょう....... とおっしゃった言向け和せを知らぬ私は、たいそう珍しがり、わざわざ見に行きまして、大正日日紙上で提灯持ちまで致しました。わたしばかりでなく吉野花明氏なども、大分この玉についての記事を書かれたように記憶しております。
 日本一と人々から尊敬せられつつある某名僧は、ふかく如意宝珠だと信じて、玉を世に出す運動に参加しておられますが、五年の後の今日、はじめて真相を示されて悟らしていただきました。『みないでもよい....』とおっしゃった師のそのお言葉が、いかに深長な意味をふくんでいたかということに今気がついて、「聖師様も、その玉をご覧になったのでございますね。私も見ました。手にまで取って撫でまわしたのでございます。玉の霊徳を受けたいと存じまして、、、、、でございますが、それから受けた禍と申しますと、何でございましょう」とお伺い申し上げますと、『大正十年二月起こった、大本事件がそれである。わたしはそのために今まで悩まされている、お前も悩まされているではないか。事件はあの珠を見てから、十数日の後に起こったのである』録者は、冷水を頭上から浴びせられたような感じがいたしまして、今後決して珍奇なものに心を動かすまいと考えました。         (大正15年2 月9 日)】







           『変わったものに相手になるな』


 鰻の耳の生えたものは、蟠竜といって竜の種類に属する。それを取って食べると、一家が没落してしまう。時には

この魚が群れをなして来ることがあるが、家に持って帰っただけでもよくない。ただの鰻でもあまり大きなものは食

べぬがよい。七八十匁くらいが頃で、それ以上になると味もおちるし、百匁以上のものは食うものでない。すべて何

物にかぎらず、珍妙な形をしたものには相手にならぬがよい。器具でも木石でもあまりあまり変わったものは何か

あるので、そんなものを好んで持つのはよくないことで、思わぬ災害を受けることがある。人間も同じで、奇妙な風

をしたり、言うたりする人は、どうも信用がおけぬものである。すべてあまり変わったものには相手にならぬがよい。





                 ☆世界人類が平和でありますように