祈りによる世界平和運動/マイトレーヤからのメッセージ第4信





            私の到来は古い秩序の終わり

                                     メッセージ第4信 1977年9月29日






親愛なる友よ、このようなかたちで、再びあなたがたに語りかけることができるのは、まことにうれしい。

多くの者は私の到来を待っている、敬虔な思いと、そしてまたある恐れを抱きながら。

これはしかたのないことである。

私の到来は、古い秩序の終りを意味する。

もはや人類の目的に役に立たなくなったものは、すべて、捨て去られる。

これを嘆くものが多いであろう。

しかし、なされねばならないことである。

我が友よ、子供たちよ、人類には、まことに素晴らしい未来があることを示すために、私はここに居る。

いつの日か、人は、虹色にかざられ、神の栄光に輝きながら、己の神性を顕してたつであろう。

私はこれを約束する。

私は素朴な男である。そしてあなたがたに素朴に嘆願する。

私を信じて、ついてきなさい。

愛に基づき、

分かち合いに基づき、

同胞愛に基づく未来へ、

あなたがたを連れていこう。

単純な相互依存と正義に基づく道、

いのちの本源なる神と正しく交わり、兄弟同胞とも正しく交わることのできる道、

そのような道を示そう。

多くの者が、私のことばに心をとめるだろう、しかしそれはすべてもものではない。

けれども、私の光の軍勢は必ずや勝利するであろう。

多くの者は、まもなく私を見る機会を得るが、私を知らないであろう。

また多くの者は、私を見、そして私を認知するであろう。

その者たちは私の民である。

あなたがたも、その一人になりなさい。

私の心から流れる愛は、あなたがたすべてを包む。

唯一なる神の光と愛と力とが、あなたがたの心の裡に、今顕されるように。

それによって、神である己の本質を求め、これを悟るように。




【大救世主からのメッセージ】よりーーー


                    序    文


                                              ベンジャミン・クレーム


意識しようがしまいが、世界はまさに大救世主を認知しようとしている。人類が永い間待ち望んできた大救世主の降臨が、今や既成の事実となった。
 1977年、7月19日に、救世主(キリスト)、マイトレーヤ如来(弥勒仏)、世界大師、そしてハイアラキーの長であるこの方は、いにしえの隠退所よりおでましになり、現在、ある近代国に住んでおられる。 この方は、弟子である覚者たちと共に統合と兄弟同胞愛の新しい時代の幕開けをなさる。
「1974年以来、私のまわりのごく少数のグループの中で受信していたマイトレーヤのメッセージを、公開の場で受信することを1977年9月の初めに頼まれたのである。それで私は、最善を尽くしてやってみることを承諾した。
最初の公開のメッセージは、1977年9月6日にロンドンのユーストン通りのフレンド・ハウスへ実験的に送られた。おそらくこのようなオーバーシャドウやテレパシーの実演を公開の場で、私がどのように受け止めるかを試すためだったのだと思う―――それは自分のグループの内輪でとは全く違った経験であった。
そして今に至るまでこれがずっと続いている。(訳注・1982年5月27日に第140信が送られ、マイトレーヤの宣言がなされるまでこれがこのような形で送られる最後のメッセージであるとのことである。)これらは、私によって聴衆に伝達されたものである。トランス状態や霊媒のような状態で受信するのではない。声は私の声であるが、マイトレーヤのエネルギーのオーバーシャドウ(訳注・如来の意識の強烈なエネルギーが注がれ、これに感応する)によって、その力は強められ、声のピッチが変わる。これらのメッセージは、情緒的(アストラル)・知的次元(メンタル)のすべてに同時に伝信され、その間、私がそれを可能ならしめる基本的な光子体(エセリック/幽体)―肉体の波動を提供するのである。」
これらの非常に微妙な次元から、メッセージは数えきれない人間の心に印象を刻み、人々は徐々にマイトレーヤの想いとその存在にきずいていくのである。マイトレーヤの存在の事実を擁した想念が、目に見えない内的次元に築かれていく。
世界中の霊媒や霊能力を持つ人、また霊的に敏感な人々が、この想念帯に波長を合わせるので、今後マイトレーヤ如来、または救世主の降臨に関する情報がますますふえるであろう。(ただし多かれ少なかれ歪められた形で伝えられるであろう。)このようにして、マイトレーヤは教えの断片を放ってゆき、希望と期待の風潮をつくり、人類が速やかに喜んで如来を受け入れ従うようになることを確実にしていく。
救世主マイトレーヤが自分を通してメッセージを伝えているというような主張は、全く法外な気恥ずかしいことである。しかし、もし人々が、天上で神の右隣に座られている方が、キリストであるというような概念を拭い去り、そのお方をあるがままに、真に生きておられる人間(とはいえ聖なる人ではあるが)であり、この世を一度も去られたことのない方、天から降りてくるのではなく、ヒマラヤにあるいにしえの隠遁所から、パレスチナで二千年前に始められた仕事を完成させるために再臨なされた大聖として、大如来として、大ヨギとして、聖書の物語の主役として(聖書はだいたいにおいて正しいのであるが、実際はもっと単純なのである)  この可能性を受け入れることが出来れば、そのような身近な方から、テレパシーのコミニケイションを受けているといっても、理解していただけるのではないかと思う。
 いずれにしろ、メッセージそのものの質を研究していただければ、おわかりいただけることと思う。多くの人は、オーバーシャドウの時に流れるエネルギーにふれるとき、これを確信する。メッセージが伝えられる時のロンドンでの集会に来る人々の中には、何等かの段階の霊視力を持つ人が多く、私がマイトレーヤによってオーバーシャドウされている時に見えるビジョンが、完全に心服せざるを得ないような証となるのである。(ベンジャミン・クレーム著/大救世主と覚者達の降臨・ロンドンターラープレスの序文より抜粋)
これらのコミニケイションを通じて、救世主マイトレーヤは、社会変革の方向を暗示する。
どのようにしてマイトレーヤを認知出来るか、そのヒントを与え、聴衆に御自身の存在の事実を広く伝えるよう要請する。
その中心となる主題を、形を変えて何度も何度も繰り返し伝えており、その調子がますます強くなっているのは興味深い。また、十信毎にユニークな形をとっているのも興味深い。
その時には、御自身の聖者としての存在を様々な抽象的な言葉で伝えておられる。これは、その他のメッセージで、いかに御自身が、素朴な男であり、人類の友であり、兄弟であるかを丹念に強調しているのと対照的である。
メッセージを一つづつ、声を出して読むことを読者にお勧めしたい。そうすることによって各メッセージの持つリズム感(マントラ的性格)をよりよく味わうことが出来る。これらのメッセージを集中した思いで声に出して唱えると、必ずといってよいほど、キリストのエネルギー、如来の心の反応を呼び起こすのである。それは、表面的には単純で、心から心へ送られるのだが、しかしあらゆる次元において働きかけがなされる。メッセージの真なる意味が心に伝わるよう一つ一つ瞑想しながら読む必要がある。一日に一つずつメッセージを読み、深くその意味を瞑想し味わうのもよい。
個人またはグループ瞑想の際、これらのメッセージが受信された時に録音されたテープを使用している人々も多い。メッセージが送られる時に、マイトレーヤのエネルギーがテープに磁化されており、そのテープを回すたびに如来のエネルギーが放たれ、メディテーションの質を高めるのである。


                                            1980年6月      ロンドンにて

                                「大救世主からのメッセージ(上)/潮文社刊」より転載




                  ☆世界人類が平和でありますように