祈りによる平和運動/マイトレーヤからのメッセージ第3信





             私に手伝わせてください


                              メッセージ第3信  1977年9月22日 






親愛なる友よ、今晩は、

再びあなた方に語りかけるのをうれしく思う。

あの新しい国へ、愛の国へ、信頼と美と自由の国へ、あなた方を連れていくために、私はやってくる。


私を受け入れ、私に従い、私に導き案内させてくれるなら、そこへ連れていこう。

そして共に新しい世界を建設しよう。


恐れも、不信も、分裂もなく生きることのできる世界を、

大地の豊かな資源を、共に分かち合い、

私達の生命の本源と一体となる喜びを、共に知ることのできる世界を、創造しよう。


このすべてをあなた方のものとすることができる。

ただ最初の一歩を踏み出しなさい。

あとは私が導こう。

私に手伝わせてください。

道を示させてください―――誰も窮乏することのない簡素な生活の至る道を。

そこでは、同じ日が二度と繰りかえされることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕わされるのである。


私の仕事は、導き、案内することである。しかし、あなた方は喜んでついて来なければならない。
                                   (のり)
そうでなければ、私は何をすることも出来ない。私の両手は「法」によって縛られている。

それを決めるのは人類なのだ。


唯一なる神の光と愛と力とが、あなた方の心の裡に、今顕わされるように。

それによって、あなた方の裡に永久に宿るものを探し求めるように。

それと一体となり、神をしりなさい。



【大救世主からのメッセージ】よりーーー


                    序    文


ベンジャミン・クレーム


意識しようがしまいが、世界はまさに大救世主を認知しようとしている。人類が永い間待ち望んできた大救世主の降臨が、今や既成の事実となった。
 1977年、7月19日に、救世主(キリスト)、マイトレーヤ如来(弥勒仏)、世界大師、そしてハイアラキーの長であるこの方は、いにしえの隠退所よりおでましになり、現在、ある近代国に住んでおられる。 この方は、弟子である覚者たちと共に統合と兄弟同胞愛の新しい時代の幕開けをなさる。
「1974年以来、私のまわりのごく少数のグループの中で受信していたマイトレーヤのメッセージを、公開の場で受信することを1977年9月の初めに頼まれたのである。それで私は、最善を尽くしてやってみることを承諾した。
最初の公開のメッセージは、1977年9月6日にロンドンのユーストン通りのフレンド・ハウスへ実験的に送られた。おそらくこのようなオーバーシャドウやテレパシーの実演を公開の場で、私がどのように受け止めるかを試すためだったのだと思う―――それは自分のグループの内輪でとは全く違った経験であった。
そして今に至るまでこれがずっと続いている。(訳注・1982年5月27日に第140信が送られ、マイトレーヤの宣言がなされるまでこれがこのような形で送られる最後のメッセージであるとのことである。)これらは、私によって聴衆に伝達されたものである。トランス状態や霊媒のような状態で受信するのではない。声は私の声であるが、マイトレーヤのエネルギーのオーバーシャドウ(訳注・如来の意識の強烈なエネルギーが注がれ、これに感応する)によって、その力は強められ、声のピッチが変わる。これらのメッセージは、情緒的(アストラル)・知的次元(メンタル)のすべてに同時に伝信され、その間、私がそれを可能ならしめる基本的な光子体(エセリック/幽体)―肉体の波動を提供するのである。」
これらの非常に微妙な次元から、メッセージは数えきれない人間の心に印象を刻み、人々は徐々にマイトレーヤの想いとその存在にきずいていくのである。マイトレーヤの存在の事実を擁した想念が、目に見えない内的次元に築かれていく。
世界中の霊媒や霊能力を持つ人、また霊的に敏感な人々が、この想念帯に波長を合わせるので、今後マイトレーヤ如来、または救世主の降臨に関する情報がますますふえるであろう。(ただし多かれ少なかれ歪められた形で伝えられるであろう。)このようにして、マイトレーヤは教えの断片を放ってゆき、希望と期待の風潮をつくり、人類が速やかに喜んで如来を受け入れ従うようになることを確実にしていく。
救世主マイトレーヤが自分を通してメッセージを伝えているというような主張は、全く法外な気恥ずかしいことである。しかし、もし人々が、天上で神の右隣に座られている方が、キリストであるというような概念を拭い去り、そのお方をあるがままに、真に生きておられる人間(とはいえ聖なる人ではあるが)であり、この世を一度も去られたことのない方、天から降りてくるのではなく、ヒマラヤにあるいにしえの隠遁所から、パレスチナで二千年前に始められた仕事を完成させるために再臨なされた大聖として、大如来として、大ヨギとして、聖書の物語の主役として(聖書はだいたいにおいて正しいのであるが、実際はもっと単純なのである)  この可能性を受け入れることが出来れば、そのような身近な方から、テレパシーのコミニケイションを受けているといっても、理解していただけるのではないかと思う。
 いずれにしろ、メッセージそのものの質を研究していただければ、おわかりいただけることと思う。多くの人は、オーバーシャドウの時に流れるエネルギーにふれるとき、これを確信する。メッセージが伝えられる時のロンドンでの集会に来る人々の中には、何等かの段階の霊視力を持つ人が多く、私がマイトレーヤによってオーバーシャドウされている時に見えるビジョンが、完全に心服せざるを得ないような証となるのである。(ベンジャミン・クレーム著/大救世主と覚者達の降臨・ロンドンターラープレスの序文より抜粋)
これらのコミニケイションを通じて、救世主マイトレーヤは、社会変革の方向を暗示する。
どのようにしてマイトレーヤを認知出来るか、そのヒントを与え、聴衆に御自身の存在の事実を広く伝えるよう要請する。
その中心となる主題を、形を変えて何度も何度も繰り返し伝えており、その調子がますます強くなっているのは興味深い。また、十信毎にユニークな形をとっているのも興味深い。
その時には、御自身の聖者としての存在を様々な抽象的な言葉で伝えておられる。これは、その他のメッセージで、いかに御自身が、素朴な男であり、人類の友であり、兄弟であるかを丹念に強調しているのと対照的である。
メッセージを一つづつ、声を出して読むことを読者にお勧めしたい。そうすることによって各メッセージの持つリズム感(マントラ的性格)をよりよく味わうことが出来る。これらのメッセージを集中した思いで声に出して唱えると、必ずといってよいほど、キリストのエネルギー、如来の心の反応を呼び起こすのである。それは、表面的には単純で、心から心へ送られるのだが、しかしあらゆる次元において働きかけがなされる。メッセージの真なる意味が心に伝わるよう一つ一つ瞑想しながら読む必要がある。一日に一つずつメッセージを読み、深くその意味を瞑想し味わうのもよい。
個人またはグループ瞑想の際、これらのメッセージが受信された時に録音されたテープを使用している人々も多い。メッセージが送られる時に、マイトレーヤのエネルギーがテープに磁化されており、そのテープを回すたびに如来のエネルギーが放たれ、メディテーションの質を高めるのである。


                         1980年6月      ロンドンにて




              
 ☆世界人類が平和でありますように