祈りによる平和運動/マイトレーヤからのメッセージ第1信
私の愛はとこしえに流れる
メッセージ第1信 1977年9月6日
親愛なる友よ
あなた方が私の顔を見るときは、近い。
その時が来れば、あなた方の手を取って、
共にお仕えするあの方の御前に連れていこう。
私の顕現は完了し成就した。
まことに私はこの世に存在する。
あなた方は、まもなく、
私を知り、私に従い、
私を愛するであろう。
私の愛は、あなた方すべてを通して、とこしえに流れる。
私は全ての人間を愛する。
この愛ゆえに、私は、ここに在る。
兄弟姉妹たちよ、私の到来は、あなた方のいう新しい時代の始まりの合図である。
来たるべき時代に、あなた方の想像を越えうる麗しさと奇すしき御業をみせてあ
げよう。
それこそは神の子であるあなた方が受け継ぐ嗣業である。
我が子供たちよ、友達よ、
私はあなた方の期待よりもさらに時を早めてやってきた。
しかしなすべきことは多い。
非常に多くの変換が要求される。
多くの者が飢え死にし、
多くの者が不必要に苦しんでいる。
これらすべてを変えるために私はやってきた。
あなた方に道を示そう、
もっと簡素で、健全な、より幸せな生活へ向かって、一緒に進む道を。
人が人に、国が国に相対することなく、
兄弟同胞として、共に新しい御国へと前進しよう。
用意のととのっている者達は、父の御顔を仰ぎみるであろう。
唯一なる神の愛と光と力とが、
あなた方の心の裡に、今顕わされるように。
この光と愛と力とが、あなたの心の中心に
永遠に宿るものを求めさせるように。
それを探し出し、そして顕わしなさい。
《大救世主からのメッセージ》より
序 文
ベンジャミン・クレーム
意識しようがしまいが、世界はまさに大救世主を認知しようとしている。人類が永い間待ち望んできた大救世主の降臨が、今や既成の事実となった。
1977年、7月19日に、救世主(キリスト)、マイトレーヤ如来(弥勒仏)、世界大師、そしてハイアラキーの長であるこの方は、いにしえの隠退所よりおでましになり、現在、ある近代国に住んでおられる。 この方は、弟子である覚者たちと共に統合と兄弟同胞愛の新しい時代の幕開けをなさる。
「1974年以来、私のまわりのごく少数のグループの中で受信していたマイトレーヤのメッセージを、公開の場で受信することを1977年9月の初めに頼まれたのである。それで私は、最善を尽くしてやってみることを承諾した。
最初の公開のメッセージは、1977年9月6日にロンドンのユーストン通りのフレンド・ハウスへ実験的に送られた。おそらくこのようなオーバーシャドウやテレパシーの実演を公開の場で、私がどのように受け止めるかを試すためだったのだと思う―――それは自分のグループの内輪でとは全く違った経験であった。
そして今に至るまでこれがずっと続いている。(訳注・1982年5月27日に第140信が送られ、マイトレーヤの宣言がなされるまでこれがこのような形で送られる最後のメッセージであるとのことである。)これらは、私によって聴衆に伝達されたものである。トランス状態や霊媒のような状態で受信するのではない。声は私の声であるが、マイトレーヤのエネルギーのオーバーシャドウ(訳注・如来の意識の強烈なエネルギーが注がれ、これに感応する)によって、その力は強められ、声のピッチが変わる。これらのメッセージは、情緒的(アストラル)・知的次元(メンタル)のすべてに同時に伝信され、その間、私がそれを可能ならしめる基本的な光子体(エセリック/幽体)―肉体の波動を提供するのである。」
これらの非常に微妙な次元から、メッセージは数えきれない人間の心に印象を刻み、人々は徐々にマイトレーヤの想いとその存在にきずいていくのである。マイトレーヤの存在の事実を擁した想念が、目に見えない内的次元に築かれていく。
世界中の霊媒や霊能力を持つ人、また霊的に敏感な人々が、この想念帯に波長を合わせるので、今後マイトレーヤ如来、または救世主の降臨に関する情報がますますふえるであろう。(ただし多かれ少なかれ歪められた形で伝えられるであろう。)このようにして、マイトレーヤは教えの断片を放ってゆき、希望と期待の風潮をつくり、人類が速やかに喜んで如来を受け入れ従うようになることを確実にしていく。
救世主マイトレーヤが自分を通してメッセージを伝えているというような主張は、全く法外な気恥ずかしいことである。しかし、もし人々が、天上で神の右隣に座られている方が、キリストであるというような概念を拭い去り、そのお方をあるがままに、真に生きておられる人間(とはいえ聖なる人ではあるが)であり、この世を一度も去られたことのない方、天から降りてくるのではなく、ヒマラヤにあるいにしえの隠遁所から、パレスチナで二千年前に始められた仕事を完成させるために再臨なされた大聖として、大如来として、大ヨギとして、聖書の物語の主役として(聖書はだいたいにおいて正しいのであるが、実際はもっと単純なのである) この可能性を受け入れることが出来れば、そのような身近な方から、テレパシーのコミニケイションを受けているといっても、理解していただけるのではないかと思う。
いずれにしろ、メッセージそのものの質を研究していただければ、おわかりいただけることと思う。多くの人は、オーバーシャドウの時に流れるエネルギーにふれるとき、これを確信する。メッセージが伝えられる時のロンドンでの集会に来る人々の中には、何等かの段階の霊視力を持つ人が多く、私がマイトレーヤによってオーバーシャドウされている時に見えるビジョンが、完全に心服せざるを得ないような証となるのである。(ベンジャミン・クレーム著大救世主と覚者達の降臨ロンドンターラープレスの序文より抜粋)
これらのコミニケイションを通じて、救世主マイトレーヤは、社会変革の方向を暗示する。
どのようにしてマイトレーヤを認知出来るか、そのヒントを与え、聴衆に御自身の存在の事実を広く伝えるよう要請する。
その中心となる主題を、形を変えて何度も何度も繰り返し伝えており、その調子がますます強くなっているのは興味深い。また、十信毎にユニークな形をとっているのも興味深い。
その時には、御自身の聖者としての存在を様々な抽象的な言葉で伝えておられる。これは、その他のメッセージで、いかに御自身が、素朴な男であり、人類の友であり、兄弟であるかを丹念に強調しているのと対照的である。
メッセージを一つづつ、声を出して読むことを読者にお勧めしたい。そうすることによって各メッセージの持つリズム感(マントラ的性格)をよりよく味わうことが出来る。これらのメッセージを集中した思いで声に出して唱えると、必ずといってよいほど、キリストのエネルギー、如来の心の反応を呼び起こすのである。それは、表面的には単純で、心から心へ送られるのだが、しかしあらゆる次元において働きかけがなされる。メッセージの真なる意味が心に伝わるよう一つ一つ瞑想しながら読む必要がある。一日に一つずつメッセージを読み、深くその意味を瞑想し味わうのもよい。
個人またはグループ瞑想の際、これらのメッセージが受信された時に録音されたテープを使用している人々も多い。メッセージが送られる時に、マイトレーヤのエネルギーがテープに磁化されており、そのテープを回すたびに如来のエネルギーが放たれ、メディテーションの質を高めるのである。
1980年6月 ロンドンにて