白光真宏会
西園寺昌美会長

西園寺会長の間違いを正すために











−−現在迄に私の掲載している西園寺会長についての批判について御質問や御意見が多少まいりますので其について簡単にお答えしておきたいと思います。  秘教の教えについてもご質問がまいりますので合わせてお答えしておきましょう。



 秘教のみ教えは、ハイラ−キ−の御計画の下に段階的に人類に提供されているものでありまして五井先生のみ教えでいう第七劫の時代に世界宗教として世界に定着するものであります。

それから、究極的な真理というのが現在の人類の進化に関するものであるとするならば、それは既に現れておりまして、それが五井先生のみ教えの中にも秘教(神智学やアリス・ベイリ−を通して与えられた教え。)の教えの中にも現れております。

それから新しい真理と呼べるものがあるとするならば、それは人間が第5イニシエ−ションを受け覚者となったときに七つのさらなる高度な道として現れてくるのでありまして、そのような高度な真理は私達にとりましては遠い未来の話であります。

それでは秘教の教えがどの様なものであるかについて、神智学大要の訳者はしがきとトランスヒマラヤ密教入門(PONDER ON THISの日本語版です。 )の推薦の言葉から抜粋をしてみたいと思います。



神智学は神々のもちたもう知識であるから、それは決して憶測でもなければ学説でもなく、また、些少の人間の知恵が造り出した神学や教学でもない。
それは宇宙の生成と人間の生成と両者の関係(一言でいえば神の経綸とその行程)等の全事実に関する体系である。
言い換えれば、それは神々の側より啓示された、かつ不可視の世界より人類を霊導される、高位の存在方みずからが直接体験によって直知された、宇宙生成学と人間生成学とである。
故にそれは信仰ではなく信仰の次元を超えた知識である。
信仰は知識へと昇華しなければならない。
(註・・・・・ここでブラバッキーが指摘している信仰とは五井先生の説かれる信仰とは違う)
                           −−ヘレナ・ブラヴァッキ−。−−−
宇宙の次元は、いわば重々無尽であり、したがってその真理体系も、重々無尽である故にそれらの真理体系は、人類の知性と霊性との発達に応じ、神の経綸にしたがい、劫期ごとに、段階的に、かつ継続的に選ばれた使途を通じ、しかも同一の根源より、その劫期における全人類の進化のための教科書として、特定の民族の為ではなく、全人類のために与えられる。神智学は、当時の時点よりいえば来るべき新時代であるアクエリアス劫期(現在はすでにその劫期に入っている)に備えて、選ばれた使徒H・P・ブラヴァッキ−を通じて全人類に啓示されたものである。


ハイラ−キ−は、アトランティス大陸時代には当時の人類と密接につながっていた。
文献によれば、アトランティス最盛時代の、現代のそれでさえ到底及ばぬ文明は、王でもあった当時の大師方の直接指導によるものとされている。
しかしやがて暗黒勢力が次第に勢いをまし、人心が腐敗の極に達したため、ハイラ−キ−のコングラ−ヴエは人類との接触より遠ざかることを決定した。
(1)しかし、14世紀の終わりにかけて再び人類との接触を確立するとの決定がなされその具体化の一環として、各世紀ごとに、その第四,四半期、(75年より同世紀の終わりまで)には秘教への関心と学術とを刺激し、よく世紀の第一,四半期,(同世紀の始めより25年まで)には更にこれを高め、第四,四半期,中の体験にもとずいて樹立されたプランが推進されることになった。
こうして1877年にH・P・ブラヴァッキ−を通して著述された『衣を剥がれたイシス神』が、1888年には同書の完成版であるあの『秘教(シ−クレット・ドクトリン)』(以下SDと略称)が世に送られたのである。
これより先の1876年には神智学教会が創立され、その三カ条の創立目的の冒頭に『人類同胞愛の実現』が明記されている。
この二つのイヴェントは、当時すでに物質科学や唯物思想、更には分離主義に毒され始めていた人類に、その進むべき正しい方向を明示している。
1922年にはアリス・ベイリ−を通してジュアル・ク−ル大師によって『イニシエ−ション』が人類に提供され、爾来30年間にわたって書とめられてきた、膨大なるトランス・ヒマラヤ密教の体系(SDをその第一部とすればこれは第二部、以下周期を追って連綿とつづく)が、ヒマラヤ連山のように人類に提供されている。

因みに、1924年と1925年とにはアグニ・ヨガ・シリ−ズの第一巻と第二巻とが出ている(同シリ−ズはモリヤ大師によってレ−リッヒ夫人を通じて世に与えられたものであるが、第一,二巻の内容はキリストおんみずからによって垂示されたとのことである。なお、当時高位の弟子であったジュアル・ク−ル大師は、モリヤ、ク−トフ−ミ−大師の指示のもとに、同大師方とともにSDの啓示に参加された。)
『秘 教』が19世紀と20世紀のための学徒の教科書であるのに対して、ジュアル・ク−ル大師による啓示体系は、20世紀と21世紀のための教科書とされている。
(2)1の冒頭に紹介した大計画は、大経綸の重要な部分であり、これまで人類の進化を内面より霊導してきた、ハイラ−キ−を顕外化することへの準備であり、それは「往古のように神々(実は大師方)が人間とともに歩む」地球規模の「新時代」の再建への準備なのである。
しかしここで人類が銘記しなければならないのは、「この新時代」の建設は、アトランティス時代のようにハイラ−キ−だけが行うのではなく、外顕化の準備早々より、人類の少なくとも一部がハイラ−キ−と意識的に協力することが強く要請されていることである。(この協力は現に世界的規模で、地味ではあるが着々と進行している。)
この準備は、実は、あらゆるイヴエントの中の最大のイヴエントである世界救世主(民族により宗教によって様々の名称で呼ばれている)の再臨のための訓練でもあるのである。


それでは次にア−ト・ユリア−ンスの「秘教の基本」より抜粋して。


ハイラ−キ−の観点からは、ジュアル・ク−ル覚者(D・K覚者)は確かに若い覚者方の一人ではあるが、推察する限りでは、彼は非常に活発なメンバ−の一人であるように思われる。彼の活動は人類一般の発達に密接に関係があり、そして特に現在転生中の多くの弟子たちに関係があるので、たぶんこのような印象が得られるのであろう。
ハ−ドな仕事をしている覚者方が他にも沢山いるに違いないが、彼らの関心は別の方向に焦点が向けられていて、彼らの働きは結果として直ちに人間の注目をひかないのである。
彼が「チベット人」というあだ名をつけられたのは、第5イニシエ−ションを受けた時に、彼はチベットの大修道院長であったからである。
そして彼の肉体による顕現が必要な時には今もその体をまとう。
D・K覚者はク−ト・フ−ミ覚者の指導とインスピレ−ションを受けて、愛と知恵の第二光線−−−教育の光線−−−で働いている。D・K覚者は既に独立して彼自身のグル−プを完全に引き受けているのだが、今でもク−ト・フ−ミ覚者を自分の師であると見なしている。
前の記事でも述べたように、D・K覚者はク−ト・フ−ミ覚者とモリア覚者の両方からの大勢の弟子たちを引受け、彼らを更に重要な仕事へと開放した。
人類の教師としてのD・K覚者の最初の主要な仕事の一つは、約百年前に、H・P・ブラヴァッキ−夫人にインスピレ−ションを与え、彼女を導いて、あの傑出した秘教の作品「秘教の教え」を書かせた事であった。 この本はその後神智学運動の基礎となった。
1919年に彼はアリス・ベイリ−に接近し、世界に彼の教えの次の段階のものを開放する為に、彼の教えの筆記者となってくれるように彼女を説得した。
次の30年間、彼女は彼のテレパシ−口述を受けて、約一万ペ−ジにおよぶ18巻の書物を書き留めた。この価値有る連作を完成してまもなく後、アリス・ベイリ−は1949年に逝去した。
アリス・ベイリ−によるこの作品集は、現在人間が手に入れることのできる古代の知恵についての最も理解しやすい書物とみなすことができる。そして、実際に非常に多くの知識と知恵を含み、非常に深遠な内容であるので、普通の学徒がそれらが含む全てを完全に吸収し、評価することは出来ない。かくして献身的な学徒のみが、これらの作品に効果的に取り組み、めいめいが自分の特定の進歩段階に応じただけのものを引き出している。
これらの本について非常に魅力的な事は、絶えず拡大する意識に対して次々に段階的に啓示を与える源泉を提供するという点である。
これらの本は非常に多くの抽象的で難解な情報を含んでいて、『第3段階のイニシエ−トのみが完全に理解することが出来るものであるが』、志向者が真理を求める時にも、彼に役立つ多くのものをも含んでいる。D・K覚者が人類の手に委ねたこれらの教えは、実際には彼がその行政官を努めている内的ハイラ−キ−の教育グル−プに代わって発表されたものである。
ブラヴァッキ−の作品は(1875−90)はD・K覚者の教えの最初の段階とみなすことができる。
そしてアリス・ベイリ−の作品(1919−49)は第二の段階と見なすことが出来る。
彼の計画によれば、第三のそして最後の段階は、再びチベット人に鼓舞されて働くイニシエ−トによって出版されるだろう。


秘教の教えがどの様なものであるかは以上の情報を熟読して下さればご理解いただけるものと思います。
大切な事は、アリス・ベイリ−を通して与えられている教えが基本的にはこれから転生してくる弟子達の為に与えられているということでありまして、現在の私達に難解であり多くのものを吸収出来ないのは当然であるという事であります。


それでは次に五井先生のみ教えがどの様なものであるかを考えてみたいと思います。

五井先生が御法話でお話をされているように、五井先生のみ教えは神々が共同出費で作った教えでありまして、ですからどの様な宗教にご縁のある人が来ても納得できるように作ってあるのでありまして万教融合の宗教といえます。
昔からのあらゆる宗教の教えをわかりやすく説明し行じられるようにするのが役目でもあります。
祈りによる平和運動は世界平和の祈りの普及と実践により世界の業想念波動を浄化して戦争や天変地異等の災害を未然に防ぎアクエリアスの時代への準備と土台造りをなすためのものであります。
キリストと覚者方が世界に公に戻ってこられるための準備の為のものでもありますし、秘教の教えでいう世界奉仕者新団体の活動を障りなくなさしめる為のものでもあります。
五井先生の説かれている神権政治というのはこの世界奉仕者新団体の人達によって形づくられるものと思います。
五井先生のみ教えである−消えてゆく姿で平和の祈り−にはあらゆる宗教の奥義が生かされているのでありまして、この五井先生のみ教えを真っ直ぐ行事つづけていけば必ず真の悟りを体得するものであります。
五井先生のみ教えは秘教の教えから研究しましてもとても素晴らしいものでありましておそらくこれ以上の教えは秘教の教えを抜きにすればもう出ないのではないかと思います。(秘教の教えは今までの宗教というひびきを超えたものであります。)
現在は西園寺会長が光明思想徹底行と言うのを作りまして会員の皆さんに必須の行事として行わせているようなのでありますが、これは五井先生のみ教えを汚すものであり、祈りによる平和運動を妨げるものであります。
何故そうなるかと言いますと、先ず祈りによる平和運動においては世界平和の祈り以外に中心となる祈りは無く平和の祈りの他に光明思想徹底行のように時間を割いてエネルギ−を注ぎ込むのは間違いであるからであります。
光明思想徹底行について調べてみますとこれは確かに祈りの範疇には入るとは思いますが、49の言葉の全てがどれもみな浅い祈り言葉でしかありません。
例えば無限なる愛とか無限なる勇気,無限なる光明等の言葉はとてもいい言葉ではありますが、そのような祈り言葉から起こる想念が神界まで上昇していくことはありません。高次元へと上昇していく想念とは神様を想う外には常に利他的な愛の想念でありましてその中でも崇高にして最も高尚なるものが神界へと上昇していきます。
そのことによって逆に無限なる神の力が神界より注ぎ込まれることになるのです。
ですから、世界平和の祈りは五井霊団のお働きを考えなかったとしてもとても素晴らしい祈り言葉である事がわかります。
それから光明思想徹底行の49の祈り言葉の中には無限なる富,健康,幸福等非常に悪い意味ではありませんが利己的な言葉や現世的な言葉が含まれておりましてこの様な祈り言葉は上へと上昇せず横に走っていくものであります。いくら神界の状態が無限の富であろうが健康であろうが幸福であろうがそれは神界での状態を現しているにすぎず、肉体の側がそのような事を祈念しても想念は低い階層を経巡るだけであります。
ですからこの49の祈り言葉となっている人間の本来性の状態は世界平和の祈りの一言の中に含まれているのであります。世界平和の祈りは神の御心の本質だけを祈っているのでありまして神様の御心そのままなのであります。
宗教の道は神様の御心と人間の想念との一体化にありましてこれをなすためにあらゆる宗教で色々な祈り言葉が使われてきたのであります。この祈りの修行により神様の御心との一体化がなされればなされるほどその人の運命に神様の完全円満性が現れてくるのであります。
ですから世界平和の祈りは神様の御心そのままでありますから世界平和の祈りだけ祈っていればいいのでありまして、肝心なことはその祈り心を深くしてゆく事にあるのであります。しかし、宗教的に浅い人達はそのような理論を聞いても納得が出来ませんので世界平和の祈りを基本として行じる中で、愛が深くなりたい人は−どうか愛深い私でありますように−等の浅い祈り言葉を付け加えるのもいいのです。
しかし、その様な浅い祈り言葉は自分が五井先生のみ教えを研究して自分にあったものをみつけ行じるべきでありまして、現在西園寺会長が行っているような光明思想徹底行等のようにまるで平和の祈りと肩を並べるような形で行事させるのは間違いであるのであります。
そして平和の祈りの道も深くなってまいりますと肉体−幽体の受け器の方が浄化変性されてまいりまして空っぽになってまいります、すると神霊の大愛の響きがこちらに写し出されてまいります。それは平和の祈りの響きそのままであるのです。
それから宗教的に深くなってまいりまして平和の祈りに付け加えるものがあるとするならばそれは、自分が神である事を想うことであります。
それから会員さん達の中には光明思想徹底行が世界のカルマを浄化していると思っている人達も大分おられるのではないかと思いますが、先にも説明した理由でも判るように光明思想徹底行で平和の祈りのようなカルマの浄化はできません。
次に西園寺会長が行っている大行事についてですが、一つ二つ例にとりましてその間違いについて指摘しておきたいと思います。
86年の富士野外行事では太陽系外の何万光年もはなれた高度に進化した天体から宇宙天使群がやってきてその時行事に集まっていた約1万人位の人達と合体されその宇宙天使達が持っている高度の才能能力をさずけたというものであり,将来はこの中から偉大なる政治家−宗教家−芸術家−実業家等があらわれるというものでありました。
87年の富士野外行事は神秘なるス−パ−パワ−の入った水を皆がその行事において飲みまして5つのス−パ−パワ−をさずけたそして水を飲み終わった後にこれで皆神我一体になった。といものでありました。
87年の水の行事はあまりにも馬鹿げていて間違いを説明する必要はないと思います。
86年の行事は五井先生のみ教えから考えても秘教の教えから考えても有り得ない事でありまして、だいたい才能や能力というものはその人の中にあるものであって外から貰うものではないのです。その人の中に天命としてあるのであります。
それにその時集まった人達だけがその様な重要な働きをするわけがなく,これは秘教で説く所のハイラ−キ−の外的顕現の情報を真似た行事でありまして、全くの偽物であります。世界を平和にしていく素晴らしい能力を持った人達は世界中から現れてくるのでありましてその様な人達は現在のこの大変な世界を建て直すために役目としてそしてグル−プで転生してくるのであります。みなハイラ−キ−の弟子達であります。
何時の時代にもその時代の問題を解決するに相応しい魂がグル−プで転生してくるのであります。だいたい太陽系外の何万光年も離れたところからわざわざ来なくてもこの太陽系の中に進化した星は幾つもあります。特に金星は地球の進化に大きく関わっているようであります。
それから今年93年の行事では皆,神人になったと言われた様であります。
それも先に説明した光明思想徹底行を行じることによって。
このような事は絶対にあるわけがありませんで,神人というのは神我一体になった人の事でありまして、五井先生のみ教えや秘教の教えで説明すれば完全に解脱して仏になった人の事であり如来のことであります。これは第5イニシエ−ションを達成する事によってなるのでありまして覚者の段階であり大師と呼ばれる段階の事であります。
以上簡単に説明してまいりましたが、このような出鱈目を平気で行っていると言うのは西園寺会長がすでにハイラ−キ−の下で働いていないという証明であるのであります。
何故ならハイラ−キ−の弟子としては絶対にこのような嘘の行事は出来ないからであります。それも祈りによる平和運動というハイラ−キ−にとって大切な働きの場で。
それでは次に西園寺会長がどの様な存在であるかについて考えてみたいと思います。
86年に聖ケ丘道場で行われた行事に於いて西園寺会長はこの様な事を話されておりました。『私は今まで肉体として地上に現れた聖者がやったことも無いことをやるのだ。
イエスもやったことがない釈迦もやったことがない。それは宇宙神(創造主)のそのまた奥に入りこんでその力を使うのだ。』と言うような意味のことを話しておりました。
そして最近ではその力を四次元のパワ−とか光りとか呼んでおりまして、確か91年か92年の富士野外行事の時に御奉仕者の方達に話されていたと思うのでありますが、それは、『この四次元のパワ−は光は今まで肉体に現れたどんな聖者もやったことが無いのだ。イエスもやったことがない釈迦もやったことがない五井先生もやったことがない、大神様もやったことがない。』とか話されておりましてその話の最後の方で『この力を使えばバタバタ人が死ぬ。』等とも話しておりました。宇宙神の奥に入り込んで四次元の光りだというのもおかしな話でありますが、ちょうどこの話にあった秘教の文献がありますので御紹介致します。−『創造の背後にあるエネルギ−は絶対に所有される事はない。誰もエネルギ−の始まりと終わりを知ることは出来ない。それを所有しようとするならば、その人は破滅するだろう。(破滅は必ずしも肉体的破壊を意味しない。脅迫観念やその他の精神異常、あるいは他のすべてを犠牲にしての極度な知性主義を強調するなど、知的または精神的平衡の喪失も意味しえる。)』−というものでありますが現在この秘教の文献にあるような状態に西園寺会長がおちいっている事を証明するようなある事件が世界の裏側でおきておりまして、それは五井会(日本の有数の資本家等が中心になって出来ている会でありその人達は西園寺会長を生き神の如く盲信している)の権力と会長の霊能力の悪用によって起こされており真理の行いからも外れこの世界の法律をも全く無視して行われております。
 この事件を知る人達は大勢おりますしアメリカの大統領を始め世界のトップクラスの政治家等も巻き込んでおります。
この事件についていずれ裁判が行われ西園寺会長は法の下に裁かれ有罪になるのは確定的といえましょう。白光真宏会の会員の人達にも裁判の後に詳しい真相がわかるものと思います。そしてこの事件に関連して起きているのでありますが、それはスポ−ツの試合等を西園寺会長が霊的な力で操っているということであります。何も知らない人達はお笑いになるかも知れませんが、これは現実でありましてこの不可思議な現象を目撃している人達はかなりいるのではないかと思います。(スポ−ツの選手や関係者等は知っている人達が大勢いるのではないかと思われますが、皆神様がやっていると思っている様であります。)。この様な事柄は全く神様とは関係なく闇の側の勢力が行う事でありますし、だいたい選手の努力というものを無にしてしまいます。他にも心当たりのある事件が多数あるのでありますがそれは凶悪な事件等をかなり含んでおりますし推測の段階でもあり確証が得られるまでは発表はできません。(違っている場合もあると思いますので。)しかし、ここ数年の白光真宏会の組織だけをみてみましても、89年には会の長老であり五井先生の一番弟子とも言われている村田さんが突然倒れられまして半死半生の重症をおい生命はとりとめましたが車椅子の生活をよぎなくされております。
そして90年には会の有名な講師でもあり治療師でもあられた宮本さんが入浴中に倒れられて亡くなられております。この方は五井先生から直々に『貴方は将来日本一の治療師になる人だよ。』と予言されていた方なのでありますがその時をみずに突然亡くなられてしまいました。それから92年には会の職員であり出版局で働かれていた女性の方が脳内出血で倒れられて亡くなられております。突然死であります。この様に数年の間に三人もの人が突然死で亡くなられたり身障者の生活になるというのは只事ではありません。これはやはり不自然であるとみるべきでありまして何らかの共通の原因があるように思われます。よく非常に悪い霊障のある家や団体等にこの様な事が起きるものであります。
 今まで説明してきました様に白光真宏会を中心にして暗雲が垂れ込めておりまして、それに気づくのが私一人であるというのが残念でなりません。
それから、西園寺会長が会の必須の行事として行わせている光明思想徹底行等を祈りによる平和運動に協力参加している人達が重要に考えれば考える程、祈りによる平和運動は空洞化していく事になり本来の働きが出来なくなってまいります。
この様に祈りによる平和運動を無力化する事が闇の勢力の狙いである様に思います、何故かと言いますと五井霊団の働かれる世界平和の祈りは闇の勢力を消滅させる為の祈りそのものであるからです。



                                                   作製93年




                    ☆世界人類が平和でありますように