Niels Henrik David Bohr ニールス ヘンリック デビット ボーア
1885年、デンマーク生まれの物理学者で、コペンハーゲン大学を卒業後、イギリスのケンブリッジ大学で
J.J.Tomson (トムソン) の下で研究し、マンチェスター大学では E.Rutherford (ラザフォード)
に師事した。
J.J.Tomson は電子の存在を実験的に確証した著名な物理学者であり、E.Rutherford は放射性物質の
研究により元素が不変でないことを発見し、さらに原子構造の模型を提唱した物理学者として知られる。
1913年、N.Bohr は E.Rutherford の原子模型に量子論的な考えを導入して、原子の安定性や水素の
分光スペクトル線の系列を説明した。
1916年、コペンハーゲン大学の教授に着任後、世界から多くの理論物理学者を集めて研究し、
量子力学の発展に多大の貢献をした。
1927年、量子力学の基本概念として確率を導入し、これは後の世にコペンハーゲン学派の確率解釈として
定着することになる。
なお量子力学の確率解釈について異議を唱えた A.Einstein (アインシュタイン) と
コペンハーゲン学派の研究者達の間で数多くの論争があったことは歴史的によく知られている。
N.Bohr は第二次世界大戦中に一時アメリカに渡って原爆製造計画に関与した。
1962年歿。
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