ヴィオラ日記


工学部的演奏論??

 もう20年以上も前だが、工学部学生のころ工学部的演奏論などといって、単なる感覚や雰囲気で演奏するのではなく、ある意味では理論的に演奏の仕方をとらえてみよう、などと仲間と盛り上がったことがあった。楽曲の解釈ではなく弾き方のほうだ。
 小さいころから先生について弾いている人は自然に身につくことばかりだが、大人になってから楽器を手にした(私のような)人はある程度理屈が分かったほうがよいこともあるだろう。

 そこで、これまで教えられたり、考えたり、実践してみたことをメモ程度に書き留めておこうと思う。全く責任は持てない。間違いかもしれない。


・弓の根元は重力がかかる、先はかかりにくい。だから同じ音色、強さで弾くには元にいくほど浮かせ気味、先に行くほど多少圧力を意識的にかける。(よく言われること)

・cresc.のところで音を大きくしてはダメ。大きくなるのはこれからなのだから、むしろ抑え目のほうがよい。逆にdecresc.をみたら、始めはしっかり弾いておかないとそのあとの納まりがつけにくくなる。弾く動作は物理的だが、そこから出る音の心理的効果を狙う。この違いを意識する。

・リスク管理、という点で、練習の時も本番と同様のいい意味での緊張感をもって音を出す癖を付けたい。

・リズムの基礎になるビートの源は自然界では周期的運動。単なる等間隔に発生する電気的パルスではない。連続的な動きのイメージのなかから安定した周期、拍のイメージが生まれるのでは?たとえば、放物運動や振り子の運動。

・表情をつけるためのトレーニングとしては、まず限りなくフラットに演奏できるようにする。これを怠って、単に感情移入しようと頑張っても無駄。フラットに弾けるようにするというのは、道路で言えばでこぼこ道を整地するようなもの。整地されると微妙な起伏を付けてもはっきり分かるようになる。
 このようなことを考えるにつけ、小学校のとき教わった、杓子定規的な(4拍子の)強・弱・中強・弱という教え方には疑問を感じる。強弱感は否定しないが、音量の強弱とは違うだろう。

・チューニングは単に音を合わせるだけではない。5度の響きを楽器と自分にしみこませる。楽器と体が響きあう準備をする。

なんだ、ぜんぜん工学部的ではないじゃん!?

・コンピュータで全く正確なリズムで演奏しても味がない。音にも心理的な質量感が伴わないと現実味が感じられないのかもしれない。質量があるということは、動きを引き起こすための力や仕事量というものが伴う(工学部的?)。別の側面から考えると、心理的な質量感のある音をもって流れを表現できると、その流れ(テンポ)の変化を引き起こす力・パワー、エネルギー感といったものが暗示的に表現できるようになるのでは。逆にテンポの変化で質量の変化を表現できる、たとえばAllargandのような表現。ブラームスのメロディーは音の跳躍が大きいものが多い、これを完全にインテンポで演奏してしまうとブラームス独特の質量感が損なわれてしまうのだろう。 

戻る