黒曜石(Obsidian)
(溶岩ガラス)
神奈川県大井町
産地としては語弊があるので一応簡単に説明すると、この3つは家の近所のミカン畑でわたしが小6の時に拾った物で、この付近からは縄文式土器や土偶、鏃などたくさん見つかったところである。雨上がりに下を見ながら歩くといくつか見つけることができた。この間久しぶりに見に行ったら、すでにそのミカン畑はなく、駐車場になっていた。ただ途中の土器がたくさん出てきたローム層の崖は健在で、崩せばまた出てくるだろう。といっても大人は崩せないだろうなぁ、子どもだからできたんだな。
当地の黒曜石の産地は大きく3カ所推定されている。一つは長野県美ヶ原のある和田峠。もう一つは伊豆諸島の神津島。そして湯河原の鍛冶屋地区。ここからは鍛冶屋が一番近い(およそ50km)。ところが、縄文時代、この付近はかなり海面が現在よりも上にあり、神津島へはもちろん、湯河原へも船を使って移動していたと考えるのが一番自然であり(と言っても当時の造船技術では、カヌーか筏を作ってこぎ出すのであり、それはそれで勇気のいったことだろうと思う)、距離的なことや便の良さを考えれば、産地を特定する手段としては時代考証よりも詳しい成分解析に頼らざるをえなくなってくる。
ところで鍛冶屋地区ではミカン畑中に黒曜石を使った石垣などが見られたり、舗装路の脇に小片が落ちていたりと、比較的多量に黒曜石を見ることができるが、これらは水分が抜けてしまったような感じの濁った色をしていて、この写真の標本のようなはっきりとしたガラス光沢が見られない。ただこれも黒曜石の特徴の一つである保存条件による経年変化を考えると区別する決め手に欠ける物がある。そうすると和田峠の物になる可能性が俄然大きくなる。実際に南関東の遺跡からは和田峠の物が一番多く見つかっている。また同時に比率としてはかなり少ないが八ヶ岳産の黒曜石である可能性も出てきている。
一応、鍛冶屋ではミカン畑の持ち主の方にことわって大きい礫を2ついただいた。
この標本は全て人の手による加工が施されているが、鏃のような製品に至る途中で手放されたか、あるいは破片の方かどちらかであると思われる。
黒曜石は当時、大変貴重な産物で、縄文人が部族ごとに採石、加工、運搬などを担当し、組織的に流通させていたことがわかっている。
一番上のは虹色の反射光を示している。それぞれ2cm。

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