斑銅鉱 (Bornite)
Cu5FeS4
Imiter Mine Jbel Sarhro, Anti Atlas. モロッコ
Imiter鉱山は淡紅銀鉱の産地として有名である。
斑銅鉱の銅の含有量は先のコベリンに次いで高く、コベリン同様2次富鉱帯に産するものとされている。
この標本はほぼ全体が斑銅鉱でずっしりと重いものになっている。この鉱物は新鮮な面は赤銅色をしているが、空気中では短時間に酸化され次第に青や紫色の斑模様が現れてくる。結晶をすることは希。国内にも産地が多いが、産出量は多くない。
黄銅鉱を酸で処理し着色させたまがい物が出回っていることがあり、購入の際には注意を要する。
まがい物が大手を振って出回っているのは非常に困ったことであるが、本物が見分けられないということも困ったことだと言わざるを得ない。
地球上に人類が生きてきた他の動物との大きな違いは、歴史の中に常に真実の追及が行われて、その積み重ねで文明ができあがってきたことである。まがい物を掴んでしまった人生というのは、その人には悪いが、全くの徒な人生というほかはない。つまり進歩の中から外されている存在として生きている人生だと言うことだ。
厳しいことを言うようかもしれないが、わたし達が本物を見分けられるように、自然は必ず答えを周りに用意している、それに気がつくかつかないかはその人の判断に委ねられていて、人生ん十年、気がつかなかった場合のむなしさや後悔は非常に大きいものになってしまうと思う。わたし達は人として常に真実というものに敏感になっていないといけないし、大きな視野を持って広く受け入れられる感受性の大きな存在でないといけない。まして個人のたわけた思想に捉えられて、あたかも3面護岸された用水路の中の人生を本物だと信じ込まされているような、そういうつまらない存在になっていないかを常に確かめた方がいい。
はっきりと言おう。真実は見える物なのだ。見ないのは個人の責任なのである。
常に変化しない普遍の真実と、ときとして姿を変え、さまざまな色や姿形となって現れてくる自然の懐の大きさを知ると、手のひらの上で天下を取っているような気になっている人の姿が、本物の前にどのように映っているかが見えてくると思う。それに気がついたとき、自分の、人としての大きさがわかると思う。
この鉱物は割って変化を見ないと本当の姿を見せてくれないかもしれない。でもそういう形で答えが示されている。なんでも試してみることがわたし達にとっての可能性なのだと思う。

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