江ノ島元旦マラソン  [1月]

 99年の江ノ島元旦マラソンを走った。97年と98年に走って、3回目で初めて富士山を眺めることが出来た。 いづれの年も天候は晴れであったが、眺めることは出来なかった。
 元旦から美しい富士山を眺めながらのレースは、気持ち良く走れた。海は波も穏やかに水平線もくっきりと見え、上空にはトンビが大きく羽を伸ばして舞っている、 心も和み、レースもベストタイムにあと7秒と言う結果であった。
 このコースは海岸のサイクリングコースの5キロを4往復+αのコースで行われるが、コースに砂が風に吹かれて積もっている所があり、 少し走りにくいところがある。また、昼近くになると家族連れが散歩していたり、ダイバーが横断していたりと、周囲に気おつけながら 走らなければならず、ロスタイムは致し方ない。

GB.皇居マラソン

皇居写真  GBとはグローバルヘルスグループの略称。毎月皇居で第一日曜日に開催されている。皇居一周は5キロに少々足りないので最初に2.195キロ+αを走り、あとは8周する。 皇居でいいタイムで走るのは大変難しい。 それはランナー専用のコースで走れる訳ではないから。特に団体の観光客が多い日には、声を掛けながらでないと通り抜けにくく、日本人ならまだしも団体も インターナショナルでいろいろな国の人たちがいる。声を掛けても通じないこともあり、どうしてもペースを一定に走ることが出来ない。速く走るのも危険なこともあり、 ぶつかったりして事故にでもなったら大変だ。歩行者には気をつけて走っている。写真はスタート・ゴール地点の皇居竹橋小公園で後ろのビルは毎日新聞社ビル。
 2000年からは毎週日曜日に皇居サンデーマラソンとして開催される

館山若潮マラソン  [1月]

 大会前日ビジネスホテルの夕食で、高校生3人組がいるほかは8名ほどの人はひとりできていた。会話のない静かな食堂で皆食事をしている。 入浴していて遅れた私が食事を始め、ご飯をおかわりしたら先に食べていた人たちも、それまでおかわりは出来ないのかと遠慮していたらしく、 皆おかわりをしだした。高校生らがおかわりをする頃には、とうとうご飯がなくなってしまった。私は2回おかわりをした。(ドンブリ飯3杯食べたことになる)
 マラソン大会客の受け入れに慣れていない宿と、大会参加に慣れていない宿泊客の夕食の様子であったが、翌朝の食事ではたっぷりご飯が用意されてあった。
 大会前日の宿の食事でご飯のおかわりをして、別料金を取られたことはない。もちろん、たとえ支払いをしてでも食べるつもりだ。

東員マラソン  [1月]

東員マラソン参加のフル百回楽走会会員 2002年1月20日、第5回東員マラソンを走る。大会周辺には宿泊施設はなく、近隣の桑名市内で宿泊。  当日、近鉄北勢線の西桑名駅より北大社で下車、10数名の大会参加者と大会スタッフの高校生数名が、下車するだけで、駅周辺の数件の家を通り過ぎると田園地帯。その一角に陸上競技場らしき建物が見えた。 のどかな田園風景の中で、大会は公認大会として本格的に大会運営され、ハードとソフトの両立している大会であった。
 スタッフ・ボランティアの皆さんの暖かい声援と、沿道の応援の人も多く見かけた。  コースは少々アップダウンがあり、関門時間が5kmごとに設定されているので、制限時間4時間の大会だが、イーブンペースで4時間位で走るランナーには少々厳しいようだ。 この厳しさが大会参加者を少なくしているようで、登録・一般の男女合わせて267名のエントリー数は、ちょっと寂しい気がした。参加賞にTシャツと図書カード、ゴールで肩に掛けてくれたバスタオルを頂き、お汁粉と豚汁のサービスがあり、走友と談笑しながら美味しくいただいた。
 なお、次回第6回大会は2002年11月開催予定。公認大会で年2回開催されるのは大変珍しい。写真は左から岐阜の大竹、広島の西川、和歌山の井本、埼玉の原沢、大阪の谷本氏のフル百回楽走会各会員

さいたまマラソン  [2月]

 第1回の開催前日の朝まで大雪で、当日の早朝には地震で交通マヒのおまけがついた。スタートした頃ようやく電車が動き、次から次へと選手がスタートしたため 5キロ付近で応援していた家族の話では、1時間以上ずっとランナーが走っていたとのこと、交通整理のおまわりさんもかなり大変であったようだ。 制限時間5時間であったこの大会も、次回からは4時間20分になってしまった。
 第1回大会に岐阜から参加したWさんは大雪だったのに、良くコースを整備して大会を開いてくれたと感激したそうで、毎年この大会に連続出場している。
 私も電車が止まっていたので、急遽雪の凍結した道を自転車でなんとか会場へたどり着いたのだった。

さいたまマラソンU  [2月]

 93年の第2回大会で残り5キロの関門に引っかかってしまい、収容バスに乗せられてしまった。足を痛めてしまい歩いたり走ったりしていたのだ。 路線バスの車にすし詰め状態で立ったまま競技場まで乗った。収容バスに乗ったのはこの1回だけであったが、貴重な体験であった。 よく私は一度もリタイアをしたことがないと自慢する人がいるが、一度は収容車に乗るぐらいの体験をした方がよいと思う。
 関門に引っかかり落胆しているランナーにだって、体験談でアドバイスだってできるし、リタイアした次の大会では、悔しさをバネにいい記録が出るものだ。

勝田マラソン  [2月]

 初めて勝田を走ったときは面食らってしまった。どこが公式エイドかわからないほど、私設エイドもさまになって沢山ある。毎年の恒例行事にすっかり地域に根ざした大会になっている。 いつの大会だったか40キロ地点でとうとうガス欠で立ち止まったところ、私のユニフォームを見て「あげおさん、パン食べて行かない」と差し出してくれたので、有りがたく頂いた。実にタイミングよく 声をかけてくれる。普段の生活でこんなことしたら乞食になってしまいそうだが、そうでないのは、イベントであり、お祭りなのだ。市民もランナーも一緒に楽しんでいる。
 この大会のお土産には参加賞にも入っている、完走(乾燥)いもを買って帰る。ネーミングもユニークでマラソンのお土産に一番ピッタリで、値段も手ごろで頂く方としても気楽に頂けるようで 評判もかなりよいようだ。

泉州国際市民マラソン  [2月]

 東京から日帰りでいける関西の大会で、羽田を朝出発して参加可能。97年の大会にJASの発売日割引で往復1万6千円で行った。 JRの新幹線よりもかなり割安であった。
 沿道の人垣が絶えることなく、多くの市民の声援で大会を盛り上げていた。走りやすい平坦コースであったが、陸橋や橋の登りで、数カ所きつい所があったのを覚えている。
 完走後に会場で食べたうどんは、関西に来たことを実感させてくれる美味しさであった。

愛媛マラソン  [2月]

 陸上競技場内の設備にお風呂があり、ゆっくり湯船につかることができた。競技場内でお風呂に入れたのはここだけであった。
 更衣室の隣がシャワー室とお風呂になっていて、湯船には10人ほどが入れる大きさで、ゆっくり疲れを癒すことができた。 お風呂から上がると満室だった更衣室は人が帰った後で空になっていた。それもそのはず、大会参加者の多くが地元愛媛の人たちで、 小人数の大会でこそ味わえた体験だった。
愛媛陸上競技場周辺写真  この大会では記録賞が参加賞と一緒に入っていて、レース後に競技場に記録が張り出されるだけなので、県外の人はレース後に自分の記録を確認しておかないとわからない。 県内の人の記録は、後日新聞に完走者全員掲載される。
 写真は小高い丘にある愛媛陸上競技場周辺からの眺め

紀州口熊野マラソン  [2月]

大会を盛り上げたお姫様 2002年2月3日、第7回大会に参加する。毎年参加していた地元の「さいたまマラソン」が中止になったので、この機会に同日開催の大会を選んだ。
 富田川を上流へ遡り折り返す、標高差98mのコースは厳しいハードなコースである。富田川の清流と美しい山々の景色を眺めながら、美味しい空気をたっぷり吸い込んでと思ったら、国道311号線は交通規制がされてなく、往路では風向きの影響で車の排気ガスが臭くちょっと残念でした。 また、公認コースを謳っていたが道路左端を走らされて、かなりロスをして走ったように思う。しかしながら、旧街道(歴史街道熊野古道)などへ入ると道幅は狭いがランナーだけなので、逆に走りやすく風情のある古い街並みには応援も多く、変化に富んだコース設定になっていた。
婦人会の皆さんの軽食コーナー  ハードなコースを走り終えて癒してくれたのが、会場の福祉センターでの入浴とふれあい広場でのイベントであった。広場では地域の婦人会ボランティアによる軽食が(うどん、お好み焼き、ラーメン、おでん等)格安販売されていた。ステージでは表彰式のほかに、和太鼓の演奏や、チアリーダーの踊りなどの アトラクションなどもあり、会場を盛り上げていた。
 この大会はフルマラソンだけではなく、1km(6歳以下)の種目からあり、1歳児からプログラムにエントリーされ名前が掲載されていたように、地域の一大イベントとして、認知されているアットホームなファミリー大会でもあった。

佐倉朝日健康マラソン  [3月]

 95年の大会であったが、普段からあまり酒を飲まないのに前日に飲み会が有り、飲み過ぎと寝不足で走ってしまった。 前日に飲んで走ったのは初めてであったので、どんなものかと試したのだが、結果は散々な目に会ってしまった。 もう二度と味わいたくない体験となってしまった。
 この大会のコースでは途中田んぼの中を真っ直ぐ走るところで、向かい風で冷たい季節風に毎回悩まされている。 それと、40キロあたりの駅前付近の登り坂はかなり厳しい。

板倉ハートフルマラソン  [3月]

 98年の第1回大会では雨と強風で、思い出に残る悪天候の大会となってしまった。
 この大会の参加にあたって、3月の板倉は風が強くて寒いと、自転車やトライアスロンをやっている人から聞いていたので、 岐阜の走友会の方にFAXで防寒対策をしてこられた方がよいと情報を流していたところ、その方が全国の走友に配信していて、 北海道や富山など、寒い雪国から参加された方々からも、お礼を言われてしまった。
 北海道の方は5人で参加したのですが、走友会の人だけ防寒対策をしてきて、ほかの人達は寒いのは慣れているからと、 だれも用意してこなかったそうで、防寒対策をしなかった4人はリタイアしたそうだ。(年配ランナーの仲間)

荒川市民マラソン  [3月]

 東京で新しいマラソン大会が荒川河川敷に出来た。河川敷のコースは応援が少ないのが残念だが、このコース作りではメイン会場を 通過して戻るので、応援者はメイン会場にいれば、スタートと途中の走りとゴールの3回の応援をすることができる。荒川市民マラソン 選手も応援者も楽しめるように工夫がされている。レース中にはメイン会場でクイズ大会なども行われていた。 地元のケーブルテレビ局では長時間生放送していたのも、新しい試みとして面白い。 ランナーとしては残り数キロでもらったシャーベットのサービスは思いがけないプレゼントになった。  写真は潟宴Cブアート撮影。  

篠山ABCマラソン  [3月]

 2002年3月3日、第22回大会に参加、関西地区のマンモス大会のひとつ。陸連登録者と一般に別れての10分違いの時差スタートで、スタート時の混乱はなかった。 コースも変化に富んでいて全面交通規制された道路は対向車も無く、大変走りやすく人気の大会であるのがよく理解できた。
 コース途中のエイドで頂いた猪汁は味噌仕立てで大変美味しく頂いた。数日後送られてきた写真にはゴール手前の姿が写っていた。
 丹波篠山と言えば黒豆で有名なので、お土産に買った。とても美味しかったので、黒豆の作り方を紹介します。
 @乾燥されている黒豆(300g)を洗い、塩小さじ(1/2)を加え、3倍量(900g)の水に一晩つけておく。
 A一晩つけ戻したものを、つけ汁ごとなべに入れ、重曹(少々)を加え、紙ぶたとなべぶたをし、豆が煮汁から出ないように、時々差し水をし弱火で煮る。
 B柔らかくなったら、豆が煮汁が被っていることを確認し、砂糖(200g)を加え、4〜5分煮る、火を止め、紙ぶたとなべぶたをし、一晩おく。
 C次の日、再び火にかけ、煮立ったらしょうゆ(小さじ2〜3)を加えて汁けがなくなる位まで煮詰めて出来上がり。
  ※砂糖は甘さ控えめの分量です。※ポイントは、しょうゆは最後に入れる。※3日間かけて作ります。

岩手北上マラソン  [4月]

 大会会長の100回完走達成を記念に作られた大会。第1回大会の前夜祭では100回完走祝賀会を兼ねて行われ、市長、県議、市議 など多くの来賓が駆けつけた。
 健康ランニングの推進者として地域のリーダーシップを発揮しているお医者さん。 岩手北上マラソン  ランナーの走る姿を目を細めて、見つめているのが、とっても楽しみです」というコメントに、優しさを感じた。競争マラソンと共走マラソンがあることをあらためて感じた。

小笠掛川マラソン  [4月]

 かすみがうらマラソンが1月開催から4月になり、この大会と同日開催になってしまってからは、近場のかすみがうらマラソンの方に 参加するようになってしまった。一週間でもスライドしてもらえれば、両方走るのだが、なぜ、同じ日に開催してしまうのか、 99年からは長野マラソンまで同日開催になってしまった。
 ここのエイドでは小学生によるサービスがあり、元気に声を掛けてもらうと、生きかえったような気がした。まだ4時間前後で走っていた頃なので、 エイドの充実は有りがたかった。バナナやイチゴなどいろいろあった。

かすみがうらマラソン  [4月]

 首都圏からJRのホリデーパス(¥2,040)で行かれる大会。JR土浦駅から歩いて数分でいかれる、大会会場と駅が近いのも珍しいのではないか。 この大会でいつも思うのだが、走っていて脇道で車が交通規制で止まって待っているのを見たことがない。迂回路が整備されているのか 事前にドライバーに交通規制が徹底されているのか、いつも感心している。
 この大会のお土産には‘れんこんめん’が美味しい。 少々重いけれど、レンコンの産地ならではの珍しいもので、麺好きな私にはつい手が出てしまうお土産である。

洞爺湖マラソン  [5月]

洞爺湖マラソンはロケーションの美しいコースとして、トップクラスに挙げられる大会である。 毎年5月の最終日曜日に開催される。湖畔の新緑が眩しく輝き、美しい景観を演出している。緑の森と湖に囲まれた湖畔のコースでは、 北海道の自然を満喫しながら走ることになる。
 羊蹄山からの涌き水を、氷に冷やしてある給水はありがたい。35キロあたりで飲む水は特に美味しく感じてしまう。 飲んで思わず「ウー・ウマイ」と叫んでしまうと給水係の人も、その一言がうれしいと言ってくれた。

洞爺湖マラソンU  [5月]

 第3回大会(97年)に地元の陸協の走友を誘い、見事優勝してしまった。自分以外のことでこんなに嬉しいことはなかった。 福岡マラソンに出場する目標を持って2時間24分台(大会新)で初優勝を飾った。
 こんなに速いランナーは大きな大会にしか目がいってないので、優勝経験がなかったのだった。 洞爺湖マラソン 一度優勝してはと言って、まだできて間もない洞爺湖マラソン大会のデータを見せて、陸連公認大会ということも有り、誘ったのだった。  写真左が2位の大滝君と右が優勝した菅君、二人とも福岡国際を走っている良きライバル。

富山マラソン(チャレンジin神通)  [5月]

 2001年5月20日(日)開催の大会に参加した。神通川の河川敷を往復するコースに約400名が参加。 2001年から3往復コースに変わり、昨年までの片道5qコースから、木陰のある2qがプラスされ、片道7qコースで行われた。
 レース中は30℃を超える炎天下のレースとなり、河川敷の5kmが炎天下であったので、プラスされた2q(往復4q)の木陰で少し助かったが、暑さにまだ身体がついてゆけない時期なので、かなり厳しいレースとなった。
 大会実行委員長が現役のマラソンランナーということで、木目細やかな対応がされていた。JR富山駅〜会場間には無料送迎バスが運行されていたり、ゴール後に完走証を直ちに頂けたり、田舎汁のサービスもあったりで、レースの厳しさとは対照的にアットホームなところが、随所に見られた大会運営であった。

新潟西海岸マラソン  [6月]

 旧新潟マラソン大会のハーフコースを2回走り、新潟大学を発着点とするコースで行われる。 新潟大学の学生さんがボランティアスタッフとして参加してくれる手作り大会である。
 6月開催なので暑さにもまだ身体が慣れていない時期なので、天候によってはかなりきつい大会となってしまうこともある。

東京喜多(北)マラソン  [6月]

 荒川の河川敷を走るコース。大会はラジオ体操連盟が主催し、スタッフも年配の方々で、参加費も安くシンプルな大会。
 1月と6月に年2回行われるが、6月の暑い大会で給水も水だけだったりで、エンジョイランナーには少々きつい大会。
 スタート前の全員で行うラジオ体操によるウォーミングアップには、少々戸惑ってしまう。各自でアップすればよいことなのだが。
 この大会は制限時間4時間30分と厳しい割に計時を大会でしてくれず、完走証をくれるだけなのは、チグハグな感じがする。
 なお、2002年の第30回大会より制限時間が6時間に緩和された。

さっぽろ祭り市民マラソン  [6月]

 94年の大会に参加した。真駒内競技場を起点に豊平川の河川敷を2往復するコースで行われた。
 6月の北海道で気温30℃の大変暑い一日で、真駒内競技場周辺の林では、ポプラの花粉が呼吸しずらいほど、飛び散って漂っていた。
 公園では多くの人々が日向ぼっこをしている。また、河川敷の給水所も日向にあり、給水の水がお湯になっていた。 この暑さであったら、木陰にいた方がよいと思うのだが、北海道の人達はどうやら、太陽が恋しいらしい。 おかげで冷たい水にはありつけなかった。

郡山24時間フリーマラソン&ウォーク  [6月]

 2001年6月2日・3日の2日間郡山市役所前にある、開成山公園内の一周2.2kmコースで行われた。 主催は日本盲人マラソン協会福島支部、この大会の目的には、自由に走ること、歩くことにより、日頃の運動不足の解消をはかる。 盲人の方々と一緒にマラソンとウォークを楽しんで盲人の方の歩行を理解する。等である。 24時間に、自由に走る大会で、フルマラソンを走る人や、100kmを走る人、24時間リレーで走り続けるグループなど、様々で、アットホームな手作り大会である。
 晴眼者がアイマスクを着けて、盲人ランナーになって体験走をしてみる体験コーナーがあったので、フル完走後に試みたが、腰が引けてしまい、走ることがままならず、歩いてしまった。 同じ所を19回も走った後なのに走れなかった。この体験は伴走をする前に一度体験すると良いと思った。
 土曜日の正午スタートなので、首都圏からでも普通電車で日帰りできる大会である。

ゴールドコーストマラソン  [6月]

ゴールドコースト風景 2001年6月24日(日)開催の大会に参加した。ゴールドコーストは大変に美しい街で、どこで写真を撮っても鮮やかな色彩が眩しく飛び込んできた。マラソンコースも美しい街並みと海岸線を眺めながらの走りは3時間ちょっとで走り終えるには、もったいないような思いにかられた。
 大会はフルの完走者が1197名と日本で有名な大会にしては以外に参加者が少なく、スタートもスムーズ。ほかの種目ではハーフ完走者が2726名、10qランが1589名、10qウォークが1821名、車椅子の部、マラソン7名、ハーフ14名が完走。約30ヶ国から参加者が有り、まさに国際市民マラソン大会であった。
 スタート時はランパン、ランシャツの姿でも寒くなく、ビニールを被ることもなかった。時差も1時間違いで、時差ぼけもなかった。道も左側走行、標識もキロ表示なので、何も戸惑うことはなかった。チャンピオンチップもいつものイエローチップを使い、ゴール後の光景も日本と同じであった。 そんな中でスペシャルドリンクを前日預けたのが、冷やされていたのはありがたかった。

7月の皇居マラソン(35℃以上のマラソン)  

 春夏秋冬それぞれのマラソンがある。不思議と7月に走るとその夏の最高気温だったりして、いずれも35℃以上のときだった。 35℃以上のときには、無理せず普段のペースの2〜3割ペースを落として走らないと完走は望めない。 特に体温をできるだけ上げないように給水より先に頭から水を絶えず掛けて走る事が大切。
 ペースを下げて走るのに加えて、体に水を掛ける作業をすることで、タイムも大幅に遅れる。 ワースト記録も7月に出した4時間59分15秒で、この時は木陰で37℃で初めて夏場も走った年だった。

ジョイフルマラソン  [7月]

 フル百回楽走会主催の大会で平塚運動公園の2キロコースを21周+αで行われる。97年と98年はその夏の最高気温であった。 暑いとエイドに立ち寄ってしまうので、21回もエイドに寄ってしまうとかなりのロスタイムとなるが、エイドには沢山の美味しいものが 用意されており、走友会のお祭り大会で、タイムはそっちのけでみんなと楽しみながら完走する大会である。
    98年と99年の大会には深尾真美さんがゲストランナーとしてフレンドリー参加で一緒に完走してくれた。
 写真はジョイフルマラソン大会のスタート前の集合写真。
ジョイフルマラソン大会

皇居ハシローデーマラソン  [8月]

 98年8月2日(日)皇居でグローバル・ハシローデーマラソン大会を走った。この大会には94年から走っている。 初めて走った94年にはリタイヤしてしまったが、その後は暑さにも慣れて完走出来るようになった。 今年はそんなに暑くなかったので、3時間46分40秒で4時間を切れた。
 その日の夕方のニュースで、東京のお台場で行われた、フジロックフェスティバルで3万人が集まり、 1100人が熱射病にかかって倒れたと言うニュースがあった。 演奏しているミュージシャンが倒れたのではなく、聴衆のファンが倒れたので、マラソンで言うと沿道の応援者が倒れたことになるようだ。 それにしても1100人とは大変な数である。大声を出して身体をリズムに合わせて動かしていれば、かなり激しい運動をしているのと変わらないようで、 真夏のロックコンサートでは、給水タイムなどを設けたりして、水分補給をしっかり取らないと危険なようだ。

北海道マラソン  [8月]

 95年の大会が北海道マラソンの初参加。96年のアトランタ五輪代表選考会を兼ねた大会で、有森裕子選手がバルセロナ五輪(銀メダル)以来、 3年ぶりに走って優勝した大会であった。
 全国ネットでテレビ中継される大きな大会に、参加できる喜びでいっぱいであった。 前日の開会式、フェアウェルパーティーなど全てが立派であった。
 大会当日は真駒内屋外競技場の駐車場に、収容者と大きく書かれた旗を付けた大型観光バスが、ずらり11台並んでいる光景は壮観であったが、 また大変脅威に感じ、「絶対に乗りたくない」と意を決して、レースに臨んだのを覚えている。
 この年のフェアウェルパーティは盛り上がった。有森選手が優勝したこともあり、会場は初めから盛り上がっていたのだが、 途中から生バンドが入ると、ボルテージは一気に上がりディスコ化してしまった。 生バンドの司会役のボーカルの人が「皆さん本当に今日、42キロも走られた方達ですか」と唖然としていた。みんな大変に盛り上がって、パワー全開で、 踊っていた人達は、さぞや筋肉中の乳酸も吹き飛んだことだろう。
マラソンランナーのパワーを見せ付けたようなパーティだった。

北海道マラソンU  [8月]

北海道マラソンの写真  98年の大会で、積水化学の小出義男陸上部監督が鈴木博美選手と一緒に走った。 スタート前に二人で現れると、ランナーから一斉に歓声と拍手が湧き上がった。もちろん歓迎の拍手であった。 満面笑みの監督が気さくに前列のランナーから順に後列まで挨拶してゆき、最後列に並んだのだった。 リップサービス満点の人だと感心してしまった。この人柄だから選手も育つのだと、納得してしまう光景であった。
 さて、この大会を走って、対向車線で止まっている車のアイドリングで、排気ガスがかなり臭いと感じてしまった。 片側2車線あったので、中央よりから歩道側を走るようにした。また、道路を塞がれた車が係員の制止を無視して入り込み、 ランナーと接触しそうになったのも目撃してしまった。 北海道とはいえ、大都会で行うマラソン大会なので、交通整理の方々もかなり大変なようだ。

千歳日航国際マラソン  [9月]

千歳日航国際マラソン  94年の大会でスタートからゴールまで激しい雨の中でのレースだった。 前半は森林の中を走るコースで、生い茂る樹木のトンネルの中を、雨も直接あたる感じではなく、丁度良いシャワーのような感じであった。 しかし、後半は冠水している所があり、池の中を走っているような場面もあり、小学生の時に水溜りを長靴で走ったことを思い出してしまう程であった。 体も冷えて両ふくらはぎがケイレンを起こしそうで、騙し騙し走っていた。 ゴール後、重い荷物を受け取って歩き始めたら、ふくらはぎがとうとうケイレンを起こしてしまった。  写真は40キロ地点の千歳川沿いのサイクリングコースを走っているところ。潟宴Cブアート撮影。

田沢湖マラソン  [9月]

 95年の大会参加で雨に降られた時でした。辰子像も見る余裕もなく、後で送られて来た写真で辰子像の所を通過していたのを知ったほどでした。 晴れていれば美しい風景を眺めながらのレースになっていたと思うと少々残念。もう一度晴れた日に走ってみたいと思っている。
 95年と言えば、まだ新幹線の工事をしていた頃で、前日に盛岡から午後に一本しかない普通電車に乗り、なぜ午後にたった一本しか走らない所に、 新幹線が必要なのか不思議に思ったくらいだ。今は新幹線で直通で行かれるので首都圏からウィークエンドフリー切符を利用して行くと便利でしょう。
 この大会は20キロは公認大会であるが、フルマラソンは未公認大会なので雑誌や本などの案内では紛らわしいものがある。

田沢湖マラソンU  [9月]

 2000年9月17日開催の大会に参加した。秋田新幹線が開業して初めての参加で、2日前に購入予定のウィークエンドフリーキップはすでに発売されてなく、駅員さんからは周遊券(24,000円)を薦められるが断り、 時刻表とにらめっこして、朝トク切符で盛岡まで買い、田沢湖間は乗車券と特急券を購入して、何とかウィークエンドフリーキップ(16,000円)並の値段で収まる。便利になったと思ったら便利な切符はなくなっていた。(10月からは朝トクがなくなり、たび割7キップが格安な値段で発売された)
 大会前日は真夏日。田沢湖にはウィンドサーフィンのカラフルな帆が湖上に点在し、水上スキーが波しぶきを上げていた。田沢湖には砂浜があり、ガラス質の透明感のある白浜で、子供たちが泳いでいる光景を見ていると、まるで海水浴場にでもいるようだった。
 大会当日も蒸し暑く真夏並みの天候で、コースも坂の連続で大変厳しいコースであった。この大会からフルマラソンも公認大会になったので参加したのだが、暑さと坂に苦しめられた。

田沢湖の竜神 みちのく秋田 田沢湖の竜神の由来
 むかし神代村院内神成の常光坊家に玉のような美女が生まれ亀鶴子といったが後に辰子姫と呼んだ、辰子は18歳の春を迎えた。朝夕鏡に写る美しい自分の姿を永遠に保ちたいと一念発起、裏山の大倉山観音菩薩に百日の祈願をした。やがて満願の日、神告により霊泉を飲んだところ永久不変の竜神と化し、 忽ち田沢湖が出現その主となった。その頃、紀州熊野山の修験者南祖坊に十和田湖を追われた八郎太郎竜は八郎潟の主となったが辰子姫と深い恋仲となり、毎年晩秋から翌春にかけて人目を偲んで辰子と共に田沢湖に過ごすことになった。以来幾星霧この二竜の情熱で田沢湖は厳冬でも凍結しないのに反し 主不在の八郎潟は結氷し、春の彼岸に主が帰ると解氷するといわれる。以来伝説に因む伝統行事として年々栄えつつある。(田沢湖観光協会の案内板より)

大町アルプスマラソン  [10月]

大町アルプス  98年10月のアルプスマラソン大会に参加したときのこと。JR新宿駅から夜行の急行アルプス号に乗り、まだ真暗闇の午前5時5分に信濃大町駅に到着すると、 なんと、夜行電車で来る人たちの為に送迎バスが迎えに来ていた。
 この大会にはフルマラソンの部が新設された93年に参加したことがあり、会場までかなり歩かなくてはと覚悟していたので、大会関係者の配慮に大変感激した。 大会会場まで送迎してもらい、会場内にある体育館で仮眠し、気持ち良くレースに臨むことができた。
 それにしても、夜行で来るランナーにも気を配るとは、ありがたい事だ。

別海町パイロットマラソン  [10月]

 パイロットとなぜ付くのか解らなかった。ちょうどTVで沖縄の米軍基地問題で別海町が名乗りを挙げた等の報道があり、 飛行士のことで自衛隊の航空基地でもあるのかと、思っていたら違っていた。パイロットファームのパイロットだった。
 町の人口よりも牛の数の方が多く、広大な牧草地に水飲み場ではなく、小川の水を飲んでいたのを見たとき、何かとても不思議な光景を見た気がした。
 第18回大会に参加したとき、当日の参加者266名で完走者207名であった。残り2キロあたりから町の中に入り、少ない人口であるが、 町中の人が沿道で応援している感じで、「ガンバッテー」の声援をもらう、完走者207名と言うことで前後を走っている人はいない。 私に声援をかけてくれるのだから、お礼を言わないわけにいかないので、「ありがとう」の連呼になってしまった。
 ここの完走賞はサケ一匹。発泡スチロールに別海町パイロットマラソンと宣伝も怠りなく書きこまれており、帰路、空港や駅で少し照れくさいが、 家では一番好評なおみやげになったようで、美味しいサケだった。

新潟マラソン  [10月]

 東京から新幹線で新潟駅へ朝一番に到着するのが8時30分。大会パンフレットには8時30分まで受付するように書いてある。 これでは首都圏からの日帰りは無理と参加そのものを諦めている人もいるでしょう。しかし、ここ数年、受付時間を延長しているので、 首都圏からも日帰り参加も可能になっている。
 10時スタートなので、充分間に合う。ただし、スペシャルドリンクの受付はギリギリの時間なので、新潟駅からタクシーを利用して早く会場に到着した方が良い。 この大会のエイドではゼネラルドリンクは水だけ。まだマラソンとしては暑い時期なのでスポーツドリンクなどのスペシャルドリンクを用意したい。
 98年の大会はスタートと同時に雷が鳴り響き、土砂降りの中のレースとなってしまった。10キロ過ぎにようやく小降りになり、しだいに雨もやんだ。 おかげで毎年暑さに悩まされて、記録の出ない大会なのに、いつもの年よりいいタイムでゴール出来た。記録集を見ても、皆さん好タイムであった。 土砂降りも一時の通り雨で調度良いシャワーになったようだ。
 今回で5回目のコースなのに、なだらかなアップダウンの続くコースだと気がついた。 いつも暑さに悩まされていたので、コースのアップダウンにはさほど気がつかなかった。

新潟マラソンU   [10月]

 99年の第17回大会に参加してきた。JRのダイヤ改正により東京から朝一番の新幹線で新潟へ少し早く到着するようになった。
 朝一番の新幹線で大宮駅から乗車の予定であったが、在来線の時刻を間違えて乗り遅れてしまい、次の新幹線で新潟駅に8時53分の到着となってしまった。 タクシーで会場に到着したのは9時を過ぎていた。スペシャルドリンクの受付には間に合わず、レース中の給水は水だけになってしまい、 そのせいか、完走後の脱水症状がいつもよりひどかった。
 今回JRの朝トクキップを利用して行ったので、大宮駅から新潟駅まで往復で10400円(自由席利用)で行くことが出来た。これは正規運賃の約半額である。 この手の割引キップの案内が時刻表や駅に表示されていないのには首を傾げてしまう。この朝トクキップは往路で朝一番か二番目の新幹線を利用しなければならないので、 朝一番に乗り遅れた私は、次の列車にも利用できてホットした。

あいの土山マラソン  [11月]

 前日の朝から家を立ち、上野、東京、熱海、浜松、豊橋、名古屋と普通電車と快速を乗り継いで関西本線の亀山駅に到着、 国民宿舎のマイクロバスで山間の宿についたころには、すっかり日が暮れていた。
 この大会のポスター、プログラムの表紙や、参加賞のTシャツのデザインには地元の工芸高校の生徒さんの作品が採用されている。 授業のカリキュラムに入っている。マラソンのイベントを通して、地域の皆さんで作り上げるコンセプトを持った、地域ぐるみの町おこしイベントとして、 暖かいぬくもりを感じられる大会で、なおかつ運営のしっかりした公認大会である。
 土山町特産品の四季の贈り物というプレゼントが、抽選で当たる楽しみがある。

磐田大藤マラソン  [11月]

 95年に参加したときでした。ゴール後、テントが用意されて仮設風呂になっていた。と言ってもテントの真中にポリ容器が置いてあり、 そこに公民館の瞬間湯沸器からバケツで運んできたお湯を入れたものであった。
 シャワー設備などなくてもサービスは出来るものだと感心した。急造のお風呂で身体を洗うことが出来てすっきり。 ほかにゴール手前からの名前のアナウンスなどがあり、暖かい手作り大会であった。

大阪・淀川市民マラソン  [11月]

 淀川の河川敷を走るコースで途中5キロ〜10キロ地点で一部未舗装の所があり、靴の中に小石(石のかけら)が入ってしまった。そのまま走っていたら、 踵がかなり痛くなってしまい、とうとう30キロのエイドステーションで靴を脱いで小石を取り除いた。踵が水ぶくれになってしまい、 足を引きずりながらの帰路となってしまい、早く小石を取り除いて走るべきだったと後悔した。
大阪淀川市民マラソン  この大会へは走友会から団体で参加した。お世話していただいた地元の方から地域の歴史説明があった。 前日に大阪の友人と久しぶりに会い大阪城などを巡り歴史のお話を聞いていたので、関西の方は歴史に詳しい人が多いと驚いた。 年中、皇居を走っている我々が皇居の歴史の話をしているのを聞いたことがない。
 写真は大会名誉会長の横山ノック大阪府知事を囲んで記念撮影

長井マラソン  [11月]

 94年の大会に参加したときであった。この大会には良い思い出が何もない、珍しいと言うか、まったくついていなかった。前日の夜、大会斡旋の宿は二人の相部屋であったが、部屋に入ると酔っ払いが青白い 顔をしていた。部屋は酒臭く、その人はレースの緊張で前日は眠れないので酒を飲むそうだ。大会ではその人は入賞していたのだが……。また、宿代も高かった。大会はスタートと同時に土砂降りとなり、中間点あたりまでつづいた。極めつけは、 帰りの送迎バスの運行を確認していたのだが、手配が出来ておらず、急遽運転した人が大会要項に載っている駅まで送ってくれれば良かったのに、各駅しか止まらない一駅手前の無人駅までの送迎になってしまい、 2時間以上のロスをしてしまった。今となっては印象に残った大会となっている。

大田原マラソン  [11月]

大田原マラソン  首都圏でJR東日本のスーパーホリデーパス(¥4,080)で行ける大会は、大田原と勝田。制限時間4時間と少し厳しく、つくば、河口湖などと時期が重なり、 参加者1,000人ほどの規模の大会。この規模の大会だと、スタートやトイレの混雑はなく、落ち着いてレースに臨む事が出来る。 以前最後列からスタートしたら20秒位のロスで済んだ。
 大会運営が行き届いており、無料の送迎バスの運行や給水の配置などが木目細かく、毎年行われている。 特に給水のスペシャルドリンクのテーブルの数やチューブ式スポーツドリンクのゼネラルドリンクなどは、他の大会ではないサービスで、 大会規模に合ったサービスということになる。給水所に食べ物が置いてないのも、制限時間との兼ね合いだと思われる。
 96年からは県立体育館が新築され、更衣室やシャワーの利用が出来るようになり、大変便利になった。制限時間が厳しいと思われる方も、 一度この大会にチャレンジしてみれば、きっとクリアーできると思う。

河口湖マラソン  [11月]

河口湖写真  紅葉真っ盛りの河口湖畔を、富士山を仰ぎながらの走りとなり、景色はすばらしい。
 1万2千人がエントリーする大規模な大会で、参加者が多い分、初心者ランナーやあまりトレーニングを積んでいない人が多いのも事実。 コースは湖畔を2周するので、2周目を走っていると、まだ一周目で歩いている人が沢山いる。こちらもつられてペースも落ちてしまいそうになってしまう。 歩いている人も完走すれば病み付きになってしまうことだろうし、いずれは歩かずに走れるようになるのだが……
 午前中に走り終えて、ゆっくり温泉につかってから昼食を取り、帰りはJR大宮駅まで直通運転のホリデー快速むさしの号を利用した。 ゆったり乗車でマラソン専用車のように、途中からの乗車もあまりなく、夕方早目の帰宅となった。写真は潟宴Cブアート撮影。

つくばマラソン  [11月]

 首都圏からJRホリデーパス(¥2,040)で行かれる大会なのだが、土浦からのバス代が、かなり割高感をいつも感じてしまう。 大会の方でチャーター便で無料とはいかなくても、もう少し安くならないものか不満が残る。
 この大会に限らずマンモス大会になると、いつもトイレの混雑に悩まされる。スタート30分前位からトイレは長蛇の列でスタートに間に合わない人がかなり出ているようだ。

NAHAマラソン  [12月]

 日本最大のマラソン大会で2万人もの人がエントリーする。スタートラインを通過するまで相当時間がかかると話に聞いていた。 いざ当日スタート地点へ行くと前方より他県の陸連登録者のエリアがあり、出入りはスタート時間まで自由であった。その次のエリアに沖縄の陸連登録者のエリアになっていた。 陸連登録をしている私には、前過ぎてオーバーペースになってしまったが、これは沖縄県が観光に力を入れ、県外者を優先しているからである。
 この大会は沿道の人たちの応援の多さと華やかさに驚かされた。ドラや太鼓の鳴り物入りでにぎやかな応援は、沖縄の文化を感じながら走る事ができた。
 ゴール後数秒で完走証を頂けたのも驚きであった。機会が20台くらいあり、5時間以上かかるランナーのときが一番込み合うので、その時に対応できるように機械を用意していると聞き、 どこかの大会関係者に伝えてあげたいような話であった。

NAHAマラソン   [12月]

NAHAマラソン   99年12月に第15回NAHAマラソンを3年ぶりに走ってきた。コースも変更になり、タイム申告順にならび国際通からのスタートに変わっていた。
 前半は以前にも増してアップダウンの多いコースに、10キロ過ぎには早くもスピードダウンしてしまった。登りは中間点の姫ゆりの丘まで続き、坂に苦しめられた。 後半は前半にエネルギーを使い果たしたつけと、暑さに苦しめられた。
 公式エイドの水がぬるかったので、私設エイドの冷えた飲み物とビニールの子袋に入った氷も3回程いただき頭を冷やしながら走った。
NAHAマラソン  完走後ホテルに帰ると、ロビーに女優の秋吉久美子さんが青い目の彼氏と一緒にいた。彼は初マラソンだったそうだ。フル百のメンバーは完走証にサインをしてもらい、一緒にカメラに納まっていただいた。 話をしながらサインをしていたので、彼氏の完走証にまで間違えてサインをしてしまった。
 右の写真は完走証にサインをしてもらう、マラソン完走最多の小島義一さん

袋井クラウンメロンマラソン  [12月]

 11月開催の大会はいくつかあるが、12月開催となると全国ではNAHAや青島太平洋などが有るが、首都圏ではなく静岡の袋井ぐらいしかない、 なぜ12月には首都圏に公認のマラソン大会がないのだろうか不思議である。
 この大会は年々少しづつ充実した大会になっているように感じる。コースも道路が整備されて走りやすくなり、エイドは以前からみかんやお茶のサービスがあったり、スペシャルドリンクも置ける。 コースは法多山の中間点あたりとラスト2キロの登りの山があるのが少々きつい。
 飛び賞でメロンが当たらないかと期待しているが、5回走っていまだに当たったことはない。

原沢勲のマラソン倶楽部トップへ 大会記録 100回までの道のり エトセトラ 資料室